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プロマネの悩みは誰が解決すべきか

半年ほど前のことだが、好川哲人氏の主催する「プロジェクトマネージャー養成マガジン 1000号記念セミナー」というイベントに参加した。好川さんはPM業界(?)における著名なコンサルタント兼エヴァンジェリストである。プロジェクトマネージャー養成マガジンという密度の高いメルマガを、ほとんど一人で書いて毎週何本も発信し、累計1000号に達したというのは、この分野にかける情熱の証拠であろう。16,000人ものの購読者がいることが、それを裏付けている。

さて、ラ・フォンテーヌ汐留で開催されたこのイベント、たしか30人近い人たちが参加した。その多くはIT業界である。好川さんは最初にキーノート・スピーチとして問題提起をされた。多くのプロマネにとって、仕事が苦しくなってきているというが、それをどう打開するべきか。苦しくなってきている、の箇所は、統計的な証拠を示したり会場の意見を聞いたりして、ほぼ全員の賛同するところとなった。その先の論理展開については、好川さんの言葉どおりというよりも、わたし自身の解釈(誤解?)も交えた形になるが、こんなストーリーだったと思う。

従来、日本企業では、組織のサポートが不十分なままプロジェクトをプロマネにまかせ、足りないところは「リーダーシップ」を発揮しろ、とやってきていた。ところが過去10年間かけて、PMBOK GuideやPMPの資格が次第に浸透・普及してきた。これととともに、組織のサポートはしっかりして来つつある。また多くのIT系企業では、PMO(Project Management Office)組織も設立され、プロマネを支援・指導するようになった。

だが、その結果、プロマネの仕事はしだいに『中間管理職』化してきている。わたし自身、PMOの仕事を何年もやったから知っているが、あれはプロマネから見ると一種の小姑のような組織なのである。うるさいことこの上ない。しかも、顧客から指定されるScope, Cost, Scheduleの制約条件=『鉄の三角形』は、ますます厳しくなるばかりだ。

この状態を脱却するために、プロジェクト・マネージャーはビジネスを創造する方向に、もう一度リーダーシップを発揮すべきだ、というのが好川さんの主張だと理解した。ここでいう「リーダーシップ」は、10年前に会社がプロジェクト・リーダーという名前の一担当者に押しつけていたそれとは、内容を異にしている。いわば、「リーダーシップ2.0」だ、という話なのだろう。好川さんはたしか、“マネジメント過剰・リーダーシップ不足”という表現もしていた。ジョン・コッターの定義を借りて、

マネジメント:現在のシステムを機能させ続けるために、複雑さに対処すること
リーダーシップ:現在のシステムをよりよくするために、変革を推し進めること

というのが氏の用語の使い方なのである。

(わたしがこのサイトで使っている用語の定義とは違うが、ここでその議論はしない。語の意味は、辞書的定義よりも、各人の文脈の中で理解すべきである。ちなみに『リーダーシップ』という語は、とくにアメリカでは後光を伴ったMiracle Wordであって、定義は千差万別なのに、皆がその内容を知っているつもりになっている不思議な概念だ。他方『マネージャー』の語は、アメリカではプランテーションの奴隷管理人を連想させる、鉄と鎖の匂いがあることを記憶されたい。)

近年のプロジェクト・マネジメントのあり方が、プロマネの手を縛って自由度を削減し、その覇気を萎縮させる方向に行っている、との告発は、ある程度わたしも賛成である。もちろん、プロマネ達がみな「一国一城の主」になって、“上納金(=利益)を払ってるんだから、会社は俺のやることに口をはさむな”とうそぶく状態が望ましいとは、思わない。逆に、困難に直面したプロマネを放置したり(あるいは叱責したり)する愚からも遠ざかった、といえよう。さらにリスク・レビューも真剣に行うようになってきた。その結果、企業でのプロジェクトの採算は向上した。だが、実は、“技術的に難しい(チャレンジングな)仕事は見送る”という、消極的受注選別の結果だという声もある。プロジェクト・マネジメント・システムの強化は、良い面ばかりではないのだ。

そこをブレイクスルーするのが、主体的なビジネスの創造だ、という主張はまあ、わかる気はする。けれど、わたしにはむしろ、目指すべき方向はプログラム・マネジメントではないかとも思えた。でも、その前にもう一つ、思い出したエピソードを紹介しよう。

昨年のPMI日本支部による、あるシンポジウム形式の席上だったと思う。わたしもパネラーとして壇上にならび、質疑の輪に加わった。最後に、司会者の方が、しめくくりの質問として、パネラー全員にこんな問いを発したのだ:「皆さんの会社におられるプロの火消し人が、愛読する書を教えてください」。

パネラーの中には、日本最大のICT企業出身で、傑出した火消し人として有名なHさんという方がおられたので、こんな質問が出たのだろうか。だが正直、わたしはこの質問に絶句した。自分自身が火消し人でないことはもちろんだが、わたしの勤務先には『火消し人』と呼ばれる者はいないのである。プロジェクトがトラブって、火を吹くことは無論ある。そのとき、PMOのメンバーが火消しに行ったりはしない。PMOは現業に手を出さないのが鉄則である。手を出したら、当事者が「仕事のオーナーシップ」=当事者意識を失うからだ。他の部署から腕利きのプロマネをリリーフ投入して助けたりもしない。

ではどうするか。それは、プロマネの上司が問題解決に踏み込むのである。上司はそのためにいる。わたしの業界では、トラブルは建設段階になって吹き出すことが多い。したがって、プロジェクト部門の部長やら役員やらが、問題を起こした海外の建設現場に1年も2年も駐在して、陣頭指揮をふるう例を何度も見てきた。その人はプロジェクト・スポンサーである場合も、そうでない場合もある。希にはプロマネが途中交代になることもあるが、原則は職制上の上司がカバーすることになっている(その間、同じ部門の他のプロジェクトは、別の管理職が管掌することになる)。

問題解決は、マネジメントの職能の一つである。必須の、重要な職能だ。これができなければ、プロマネ達のマネジメントはできない。つまり上司である意味がない。「成功したら、全部お前の手柄だ。でも万が一失敗した時には、骨は拾ってやる」--これがプロマネに与えるべき、一番大事なメッセージではないか。むしろわたしが不思議なのは、「火消し人」が存在する組織である。誰か、消火隊が機内に待機しているジャンボ飛行機に乗りたいだろうか。消防署員が常駐している化学工場の隣に、誰が住みたいだろうか。発注者の立場で考えた場合、プロの火消し人がいるようなSIerには、仕事は出したくないとわたしなら思う。

冒頭の、プロマネが中間管理職化して不自由になってきている問題も、火消し人のいる組織の問題も、根っこは同じだろう。それは、「プロマネの問題は、プロマネ・レベルで解決すべきだ」という考え方から生まれている。プロマネの悩みは、プロジェクト・マネジメントよりも上位のレベルでこそ対応すべきではないか。それはすなわち、通常の用語では「プログラム・マネジメント」レベルということになる。そして、その仕事は(PMOなどではなく)職制上のラインが引き受けるべき仕事である。プロマネよりも一段階上のマネジメント・レベルの重要性に、もう少し皆が気づけばいいのにと、その時以来、わたしは思い続けているのである。
by Tomoichi_Sato | 2012-06-24 22:44 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

組織におけるリーダーシップと自由度のトレードオフ

たしか懇親会の席だったと思う。わたしは近くに座り合わせた、ある大企業の社員とあれこれ議論をかわしていた。若手の技術者で、知的な人だったが、会社の業績が最近伸びずにいることに問題意識を持っていて、どうすべきか回りの意見を聞きたがっているようだった。そして、「結局のところ、戦略が欠落しているのですよ、ウチの会社は。経営者のリーダーシップ不足だ。そう思いませんか!」と訴えるように叫んだ。

わたしは、多少のお酒のせいもあってか、皮肉めいた気持ちになってたずねた。
--戦略不在だとおっしゃる。なるほど。それじゃあ逆に質問しますが、貴方は上司が“右向け、右”と言ったら、右を向きますか?
 すると彼はちょっとだけ考えてから、
「いや、そうとは言えませんね」
と答えた。彼は会話の中で、直属の上司の考え方や方針にも批判的だったのである。

わたしはさらに言った。
--もしそうなら、少なくとも貴方ご自身は、上司の命令にただ盲従はされないという訳です。むろん、ご自分の考えもあっての事でしょう。それにもしかすると、貴方の上司だって、同じかもしれません。事業部長だか役員だかに、右向け右と言われても素直に従わない可能性があります。でしょ?
「・・だとしたら?」
--だとしたら、貴方の会社は、社長が右を向けと命じても、会社全体がすぐ右を向くとは限らない訳ですね。そんな組織で、戦略はどういう意味を持つのです?

「うーん。」彼は苦笑いして、ちょっと考えてから反論してきた。「でも経営者たるものは、我々が納得するに足る戦略を示して、我々を動かしてほしいんですよ。」
--ご自分には『納得』できる余地を残してほしいが、全体としてはリーダーが手足のように部下を動かす軍隊的な組織であるべし、と貴方はおっしゃる。だが軍隊の兵卒や下士官に納得などありませんよ。成功すれば将軍だけの手柄だし、失敗したら将軍だけの責任。そういう組織を、本当にお望みなんですね?

わたしの知っている日本の多くの企業では、社長が『右向け右』と指示や方針転換を出しても、組織はなかなかすぐには従わないように思われる。それはある意味で、社員が皆、仕事について問題意識を持ち、自分なりの考えをもっていることの、裏返しである。日本企業は現場のブルーカラーにしても、ミドルのホワイトカラーにしても、例外なくほぼ真面目であり、かつ、しばしば優秀である。そこは欧米あるいは途上国などに比して、優位性を保っている一面だろう。しかし、その裏面には、皆がそれぞれ考える能力を持っているため、ベクトルがなかなか一致しにくい、という事情が隠れている。

誤解しないでほしいのだが、わたしは別に日本企業で戦略やトップのリーダーシップに意味がない、などと言っているのでは無い。ただし、『自分なりに考える人々』からなる組織では、それなりの特別な考慮が必要だと考えるのである。たとえば、サプライチェーンの業務改革だとかERPパッケージの導入などでは、しばしば「トップのリーダーシップ」が求められてきた。わたしも10年くらい前は、そう言ったり書いたりしたように思う。しかし、ある頃から、声高に言うのを控えるようになった。リーダーシップだけの問題ではないことに、気がついてきたからである。

ビジネス上で生じるトラブルの原因を探るとき、出てくる答えには大体、二つのパターンがある。それは「担当者の資質」と「リーダーシップの問題」である。どちらになるかはまあ、その人の立場で決まる。上司は部下に問題があると答え、部下は上司が無能だというわけだ。原因究明がこういう結論になるから、管理職は「社員教育が課題」と考え、担当者レベルは「上が変わってもらわなければ」と人事に期待する。だが、この二つの議論、どちらも失敗の原因は『人の資質で決まる』と考えている点では、同根であろう。

ところでこの何年間か、わたしは「リスク確率にもとづくプロジェクト価値の評価」という問題の研究を続けてきた。これは何かというと、プロジェクトを構成する各作業(アクティビティ)が、どれだけ価値に貢献しているかを計算する試みである。プロジェクトはWBS(Work Breakdown Structure)によってアクティビティに分解し、ネットワークの形で構成することができる。それを用いて、プロジェクト全体の価値も、アクティビティ毎の貢献価値に分解する。ただし、この計算をするときに、各アクティビティのリスク確率(=つまり仕事の『難易度』)が必要になる、というのがミソである。難易度が高いほど、貢献は大きくなる。くわしい論理はここでは述べないが、「基本設計」とか「調達」とか「実装」とかのアクティビティが、それぞれ幾らの貢献価値を持つか、数値で示すことができる。同じ仕事でも、価値は、アクティビティ・ネットワーク・システムの設計に依存して変わる(興味がある方は、たとえば最近International Journal of Project Management誌に発表した研究論文を参照されたい)。

この理屈を思いついてからしばらくたった後で、同じ論理を、逆に「責任の分解」にも使えるはずではないかと考えた。ちょっと数式をひねってみると、成功するはずのプロジェクトを失敗に帰してしまった場合、その「マイナスの貢献価値」(=責任の大きさ)は、アクティビティの難易度が低いほど大きくなることがわかった。容易な仕事で失敗したら責任も重大、というのは一応、常識に合う結果だ。

ただし、わたしの論理では、貢献も失敗も、個人ではなくアクティビティに帰属する。複数人で遂行するアクティビティの場合、その中の誰の問題かまでは問わない。個人の資質に帰そうとする発想自体が、わたしには薄いのだろう。どんな仕事にもリスクは存在するし、どんな人間もミスをする。だから、それをシステムとしてどうカバーし保証するかが探求のポイントなのだ。

ビジネス上で、ある程度大きな問題事象が発生したとき、「ただ一人の責任人物」を特定するのは意味がない、とわたしは考えている。かならず原因は複数あるからだ。ミスや問題行動を起こした担当者と、そのミスが拡大・伝播するのを防ぐ仕組みを作らなかった管理者と、である。これを逆の角度から言うと、問題をローカルに解決できるためには、現場側にある程度、考える能力と権限(自由度)がなければならない。ところがそうなると、組織はトップからの戦略や方針変更に、機敏にしたがえなくなる。小さな問題解決のためには現場側の自由度が必要だが、大きな問題解決のためにはそれが邪魔になる訳だ。ここに組織設計というものの根源的なトレードオフが存在する。

だから、当初に出てきた技術者氏のように、自分の自由だけは確保しておいて、リーダーに結果責任をとってもらいたいというのは、わたしに言わせれば、虫のいい考えなのである。もし技術者として何かを考えるなら、こうした組織という「システム」の設計問題を悩むべきであろう。
by Tomoichi_Sato | 2012-06-17 22:59 | ビジネス | Comments(2)

在庫問題の構造を把握するために

先日、中小企業診断士の勉強会で講師に呼ばれて、在庫管理に関する簡単なレクチャーをする機会があった。在庫問題は、製造業にも小売業にも広く共通する悩みといっていい。在庫に頭を悩ませないでいいのは、完全個別受注生産(英語でいうとETO=Engineer to Order)の形態をとる航空機・造船・プラントなど、設計してからモノを買えばいい業種と、あとはホテル・鉄道・医療・金融などの、そもそも商品の作りだめや在庫ができないサービス業だけである。

モノがありすぎる。それなのに、必要なモノが必要なときに限って、手元に無い。これが典型的な在庫問題だ。モノがありすぎればスペースをくう。保管や出し入れに余計な手間も費用もかかる。保管中に破損したり、有効期限を過ぎたり、へたをすれば陳腐化して無用になってしまうリスクもある。それに、お金を無駄に寝かせていることになる(運転資金を固定化してしまっているため、その分、じつは知らぬうちに金利を余計に払っているのである。これを「在庫金利」と呼ぶ)。これが会社の損益や資金繰りを圧迫する。在庫がありすぎていいことはないのである。

それなのに、なぜ在庫が多いのか。一つの理由は、「たくさん買うと安くなる」からだ。いや、「そう信じられているからだ」と言い直そうか。資材購買部門のモチベーションは、“いかに安く買ったか”に集中していることが多い。購買の仕事は、営業の仕事のちょうど対称型になっている(これはサプライチェーンにおける売りと買いの位置を考えてみれば当然のことだ)。営業が売上を目指して走る姿を、ちょうど鏡に映したみたいに、購買は単価低減を手柄に思う(ちなみに、どちらも「文系」の仕事だと思われている点でも似ている)。ここで頼られる原理の一つが、“1ダースなら安くなる”=ボリューム・ディスカウントなのである。だから、つい購入ロットが大きくなる。

しかし、責任は買う側ばかりにはない。作る側だって、“作りすぎ”によって仕掛や製品在庫を積み増している。なぜ作りすぎるのか。それも一つには、「一度にたくさん作った方が安くなる」からだ。たしかに、その局面の作業効率や品質だけを見れば、製造ロットが大きい方が作りやすいのは事実だろう。こうして、購買部門も製造部門も、コストダウンを最優先に置けばおくほど、買いだめ・作りだめに走ることになる。

でも、その結果として在庫が増えれば、収益を圧迫することになる。だったら、部門のコストダウン目標とは矛盾しないのか? --ところが、たいていの場合、本人達にとっては矛盾しないのである。なぜなら、保管費や入出庫工数アップは物流部門の問題だからだ。それに、在庫金利(これが本当は一番深刻なのだが)は、工場長の問題ですらない。本社の財務部門が支払う金利にかくされているからだ。ここに、分業化された機能型組織の問題がある。

もちろん、会社全体としては在庫過剰は課題と認識されだろうるし、在庫削減の号令も、何度となく繰り返して下されてきたはずだ。そのたびごとに、不要品を廃棄したりして、工場側は“対応”してきた。だが、コストダウン目標が取り下げられた訳ではない(そんなことはあり得ない)。コストはいつでも最優先課題である。コストはコスト、在庫は在庫。両者の間に微妙なトレードオフ関係があろうとは、本社の側ではあまり認識されていないようだ。

それでは、どうしたらいいか。出発点は、在庫問題を事実として正確に把握することからはじめるべきだ。最初に書いた在庫理論のセミナーでは、出席された銀行の人から質問があって、「中小企業に指導に行ったとき、在庫問題についてはどう言えばいいか」と問われた。それに対するわたしの答えは、「ツー・ステップあります」であった。

(1)まず、在庫を表に出すこと。どれがいくつあるのか、品目と数量を調べてみることである。在庫量をきちんと把握できていない企業は、案外多い。またこれは、文字通りの意味も含んでいる。つまり、(小企業などでは)倉庫の奥に寝かしてある在庫品を、まず見えるところに出してみるのである。表に出してみると、「こんなものがこんなにあったのか!」と驚くことが、必ず出てくる。それだけでも、かなり学習効果がある。棚卸作業は毎期やっているはずなのだが、工場管理者が人任せにしていて現場を見ないでいると、気づきが起きないからだ。

ちなみに、品目別の数量がわかったら、それを金額ではなく、日数分でカウントさせることが大事だ。「10万円分」ではなく「150日分」と把握させる。そのためには同時に、その部品の平均的な使用量を把握しなければ、日数を計算できないことになる。財務上は、たしかに金額で表示される。しかし、無駄か無駄でないかは、むしろ日数分の方がずっとビビッドにわかる。月平均30個使うなら、150個だと150日分だ。「こんな部品が5ヶ月分もあるのか・・。」 すると、あとは自分たちで考えはじめるようになる。コンサルタントの一番重要な仕事は、クライアントが自分で考えるよう、しむけることにある。

(2)上記が一応できたら、つぎに、在庫量のうち、どれだけが意図した在庫で、どれだけが意図せざる偶発の結果かを考えてもらう。意図在庫とは、文字通り、組織が意思を持ってそこに一定量おいて確保しようと決めた在庫である。これは組織の意思であって、個々の担当者の意思や気まぐれではないから、その量も、当然ながら一定のルールに基づいて決め、組織が定期的に見直す。一方、偶発在庫とは、その意思に反して(あるいは何ら明確な意図がないために)生じたもののことだ。その多くは買いすぎ、作りすぎによる『できちゃった在庫』である。また工程のトラブルで生じる一次的な滞留なども含まれる。

ちなみに、前回「その在庫はストックですか、フローですか?」で述べたように、在庫は下流側消費予定の有無によって「ストック在庫」と「フロー在庫」に分類できる。したがって、在庫は全体として4種に分類できることがわかる。

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いうまでもなく、たいていの中小企業にとっては、「意図在庫」などはゼロで(明確な在庫計画の意図がないから)、全部が「偶発在庫」である。そこで、偶発在庫と意図在庫の比率を、なるべく後者が大きくなるようにした上で、Wilsonの経済ロット公式などを教えつつ、さらに意図在庫を適正な量まで削減(ときには増大)させていくのである。

サプライチェーンのリスク・マネジメント」でかつて書いたように、漠然と生じた余計な冗長性は省いて(在庫は冗長性そのものだ)、要所要所に必要最小限の冗長性を意図して追加することは、サプライチェーンの効率性と安定性(レジリエンシー)を同時に確保するための手順でもある。そしてまた、「問題とは、漠然と期待していた状態と現実とのギャップをいい、課題とは、『あるべき姿』と現状とのギャップを指す」ということも、このサイトでは何度も書いた。在庫についても同じである。在庫問題というのは、在庫について漠然としか考えていないときに、生じる。「あるべき意図在庫の量」が明確なら、そこには課題があるだけなのである。
by Tomoichi_Sato | 2012-06-10 16:49 | サプライチェーン | Comments(0)

「プロジェクト&プログ​ラム・アナリシス研究​部会」 6月定例会(6/22)のお知らせ

プロジェクト&プログ​ラム・アナリシス研究​部会」 は、小生が主査を務めるオープンな研究会です。スケジューリング学会の下に位置していますが、学会員でなくても、どなたでも自由に参加できます。

企業や市場などを分析評価するプロフェッショナルを『アナリスト』と呼びますが、プロジェクト、ならびにその上位概念であるプログラムに対しても、アナリストの職能を確立する必要があるのではないか--そんな考えから出発し、有志のご賛同を得て、二ヶ月に1回のペースで講師を招き研究会活動を続けています。

今月は久しぶりに、呼びかけ人であるわたし自身が講演を行います。ご興味がある方は、ぜひお越し下さい。参加費は無料です(かつ、この研究部会をきっかけに、スケジューリング学会に加入すると、学会加入費がタダになるという特典付きです)

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「プロジェクト&プログ​ラム・アナリシス研究​部会 2012年6月定例会」​
日時:2012年6月22日(金) 18:00~20:00

場所:慶應義塾・三田キャンパス・旧図書館・小会議室  ※キャンパスマップの【2】
http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html

1.講演発表
  「プロジェクトの評価・プログラムの評価」
   講演者:佐藤 知一 (日揮株式会社)
講演要旨:
 昨年5月の本研究部会発足時には、基調講演として「リスク確率にもとづくプロジェクト評価と合理的意志決定の基準」というテーマで問題提起をいたしました。ただしOR的な視点からの発表であったため、数式が多く並ぶアカデミックなテイストのものとの印象があったかとも思います。
 今回はふたたび原点に立ち戻り、プロジェクトとプログラムは何が違うのか、プロジェクトの成功と失敗はどう測るのか、プログラムの目標設定や価値評価をどう考えるべきか等の問題について、極力数式を使わない形で、再度報告してみたいと思います。
 「受注型プロジェクト」という限定されたScope内での議論ばかりが目立つ日本のPM研究において、もう少し広い視点での課題を設定したいと考える次第です。

2.話題提起
  「横幹連合の活動と研究部会の協力について」
 前回に引き続き、横幹連合(横断型期間科学技術研究団体連合=学会の横断的な集まり)の取り組む東北復興支援というテーマに沿って、当研究部会が何らかの活動で貢献できないかをメンバーで討議したいと考えます。

ご参加を希望される方は、スケジューリング学会事務局(office@scheduling.jp)へ、できれば前日までにご連絡ください。
多くの方のご参加を期待しております。
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by Tomoichi_Sato | 2012-06-07 23:08 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

その在庫はストックですか、フローですか?

もうだいぶん前のことになるが、仕事でスコットランドのアバディーンという街に出張した。北海に面したスコットランド第二の都市で、北海油田関係の企業が集積している。仕事を終えてかえる頃に、親戚への土産にスコッチ・ウィスキーを買っていこう、と思い立った。しかし、わたしは酒に弱いので、ウィスキーのことなどさっぱり分からない。そこで取引相手のスコットランド人にアドバイスを求めた。すると彼の答えはとても簡潔明快だった。「15年以上の、シングルモルトのものを買え」

わたしはその言葉にしたがって、銘柄は忘れたが15年モノのシングルモルト・ウィスキーを探し求め(とにかくあの地ではやたらとたくさんの種類のスコッチが店に並んでいるのだ)、幸い親戚にも喜んでもらえた。わたし自身はきっと15年物だろうが7年物だろうが飲んでも区別できないだろう。しかし、スコットランド人は、(あんなに料理の味には無頓着なくせに)ウィスキーの味となると微に入り細に入り、じつに批評眼が鋭いのだ。

ところで、このとき店頭に並ぶウィスキーの在庫を見て、こう思ったのも事実だ。こういう製造に長期の時間を要するメーカーの生産管理というのは、どうやって考えるのだろう?

「15年物のウィスキーのリードタイムは?」という質問を、わたしはリードタイムを説明するときによく使う。このサイトでも以前書いたかも知れない。ウィスキーの仕込みを始めてから完成するまで、製造のリードタイムはたしかに15年(以上)だ。ところで、この酒をネットで注文すると、2,3日後には手元に届く。いったいどちらが本当のリードタイムなのか?

むろん、この問いは実は意味がない。リードタイムとは、なんらかの『オーダー』(指示)が発せられてから、それが完了するまでの期間を呼ぶ。そのオーダーの種類によって、リードタイムも何種類もあるのだ。生産指示が出てから、生産完了するまでを「生産リードタイム」と呼ぶのだし、納入指示(発注)から納品までの期間を「納入リードタイム」と呼ぶ。だからウィスキーの生産リードタイムは15年だが、納入リードタイムは3日なのだ。両者の差は、ウィスキーのサプライチェーンの「店頭在庫」がギャップを埋めている。

さて、そうなると一つの疑問がわく。それは、ウィスキー・メーカーの在庫の多寡は、どうやって判断するのかという問題だ。財務諸表を引っ張り出して、棚卸資産の金額を、売上高の金額で割って「棚卸日数」(あるいはその逆数である「棚卸回転数」)を計算する作業は、企業診断のコンサルタントだったら誰でもやる作業だ。しかし、なにせ蔵の中には15年分の貯蔵酒があるのである。店頭在庫が10日分あろうが60日分あろうが、数字的には大勢に影響はないことになってしまう。無論、店頭在庫だけの回転数を計算することはできる。だが、洋酒メーカーに限って半製品・仕掛在庫を計算から除外する根拠は、何なのか? いや、洋酒だけではない。日本酒にせよ、味噌・醤油にせよ、長期間熟成過程を必要とする製造業は案外多い。短期と長期の境目はどこに引くのか?

じつは、このような疑問は、在庫というものの中身を区別しないから生じている。中身と言うよりは「目的」とよぶべきかもしれない。それは「ストック」と「フロー」である。

在庫はみなストックではないのか!?--そう、考える人は多いだろう。答えはNOである。在庫には、下流工程の使用予定が未定のものと、使用予定に明確に紐付いているものの二種類がある。前者がストックとしての在庫である。後者は、すぐに使われていく、一次的な存在であるから、『フローとしての在庫』と考えるべきだ。ちなみに英語では、在庫全体(棚卸できる対象)をInventoryという。このうち、消費予定が明確でなく保存しているものをstockといい、すぐ下流工程に使われるものはふつうWork in Process (WIP)と呼ぶ(ただしstockには“保管する”という動詞の意味もあるので、まぜこぜに使われることも少なくない)。

通常の在庫管理では「引当」という仕組みがあることはご存じだろう。“どこそこ向け納入予定に引き当てた”といった使い方をする。つまり使用予定を予約することを在庫引当というのだが、未引当在庫を「ストック在庫」と考えると分かりやすいかもしれない。逆に、すでに全量が下流の使用予定に引き当てられているものは「フロー在庫」である。

フロー在庫の代表例が、ウィスキーなどの「エージング」期間中のinventoryである。これは漠然と保管しているのではない。エージングは一種の製造工程だと解釈することもできるだろう。だから貯蔵樽の中のウィスキーは、フロー在庫なのである。同様に、ベルトコンベヤの上に並んで流れていく半製品・仕掛も、フロー在庫である。それは短期間、一次的にそこに存在するだけである。ウィスキーだって、一定の熟成期間が終われば、製品として瓶詰めされる予定に最初からなっている。そして、瓶入りの製品になった瞬間、(たぶん)それは納入先の未定な「ストック在庫」に変身するのである。

誤解のないようにしてほしいのだが、「動いているモノ」がフローで、「止まっているモノ」がストックなのではない。かりにコンベヤに乗って動いていても、売れるあてのない商品を工場から物流倉庫に移しているだけならストック在庫である。味噌樽の中の味噌は、エージング中のフロー在庫である。

わたし達が生産管理の有効性で問題にするべき尺度は、使用未定の「ストック在庫」の量と回転率である。なぜならストックは、陳腐化や売り損ないのリスクにさらされているからだ。またストックはお金を寝かせているので、在庫金利という形で見えないコストを発生させている。他方、「フロー在庫」は、避けて通れない在庫である。15年物のウィスキーを7年に短縮しろ、とコンサルタントが要求したら、それは愚かというものだ。もちろん、ロット待ちなどで無駄な滞留が起きることは、もちろんある。工程を工夫してフロー在庫も減らせるなら、減らせばいい。しかし決してゼロにはならない。ゼロを目標にすべきでもない(それはモノを作っていないのと同義だから)。

みなさんが何か製品や部品を手に持ったら、“これはストックなのかフローなのか”を自分で問うてみるといい。さらに自分に入ってくる情報や帳票も、ストックなのかフローなのか、区別を考えてみると面白いかもしれない。ただし、モノの世界では、ストック在庫はいつかは出荷されてフローに変わるはずだが、単に履歴として貯蔵されているデータは、自分達が主体的な意思を持って分析しない限り、意味のある情報としてフローには再度転化しないだろうが。
by Tomoichi_Sato | 2012-06-02 15:22 | サプライチェーン | Comments(1)