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『知的マネジメントの技術』のすすめ

梅棹忠夫・著「知的生産の技術 (岩波新書)」は、学生時代に読んでもっとも影響を受けた本の一つだった。この本を読んで初めて、“知的生産”という概念を学んだ。そして、知的生産のために『技術』が存在するのだ、とのメッセージは鮮烈だった。知的生産とは、自分の目的意識を持って学び、考え、書く(表現する)ことである。学ぶと考えるの間には、情報を蓄積し、整理し、また自在に組み合わせるための、いわば情報のハンドリングがある。この本は情報のハンドリングを中心に、学ぶ・考える・書くためのいろいろな技法を、著者である梅棹忠夫氏自身が苦心しながら発明していくありさまが書かれている。

もともとこの本の存在を知ったのは、受験生のときだった。通信制の受験講座で送られてくる冊子に、解答・解説や順位発表の他に、受験生からのQ&Aのコーナーがあった。そこに、“試験まであと3ヶ月を切りましたが、急に東大に行きたくなりました。勉強法を教えてください”との質問が載っていたのである。こんな無茶な問いを聞く方も聞く方だが、答える方も答える方で、“じゃあ、まず梅棹忠夫の「知的生産の技術」を読みなさい”と書いてあったのである。その先にどんなアドバイスが書かれていたかは忘れたし、この質問者が希望を果たせたかも不明だが、ともあれ気になって読んでみたのである。

この本の画期的なところは、それまでは精神修養や徒弟制で身につけるしかないと思われていた知的生産の能力が、移転可能な『技術』でかなりの程度、レベルアップできるとの主張にある。技術の本質とは、それが組織的に学習・移転可能な能力であることにある。逆に個人に付随し移転できない能力は、『技能(スキル)』と呼ばれる。知的生産という一見混沌とした能力を、情報を中心としたプロセスに分解し、そこに適用可能な技術・技法を明らかにしていく。じつに理工学的な発想である。それもそのはず、著者の梅棹忠夫は、(民族学者だから文系だと思っている人もいるようだが)生物学出身で、理学博士である。

ちなみに日本の伝統的な大学・学問の世界は、ある意味で旧・中国の士大夫(読書階級)のライフスタイルを無意識の内に模範と仰いできたらしく、書画と人文の世界に身を置いて超然と沈思黙考し、その上で世俗の民を指南し引導する姿を、理想としてきた。士大夫は科挙によって選ばれる。それがすなわち現代では東大や京大の入学試験に相当する、という訳である。ここにある思想は、「指導者はもって生まれた資質によって決まるべきであり、それは青年期の試験で選別できる」との考え方だ。どこにも技術の入り込む余地がない。

このところ何度か、人前でプロジェクト・マネジメントやサプライチェーン・マネジメントについて話したり、学生に講義したりする機会をいただいた。そのたびごとに強調したのが、「マネジメントにはテクノロジー(技術)がある」との主張である。理工系むけに話すことが多いので、“そもそも技術には二種類ある。『固有技術』と『管理技術』だ”という話から入る。固有技術とは、対象固有の科学法則に縛られる領域におけるテクノロジーである。例えば、機械設計、材料開発、システム設計、等々だ。他方、管理技術とは人的作業の集合に対して適用されるテクノロジーで業種・分野固有の部分がないため、汎用的である。それが例えばWBSであり、PERT/CPMであり・・と説明していく。

むろん、マネジメントとは「ゴールを達成するために、人に仕事をしてもらう」ことであり、人が人を動かす行為には、不可避的にヒューマン・ファクター(属人性)がかかわってくる。しかし同時に、マネジメントを計量化・客観化し、誰もが一定レベルで遂行可能にするためのテクノロジーも知られている。そう説明を続けていくのである。

だが、残念ながら必ずしも反応は芳しくない。学生・院生はともかく、社会人になると今ひとつピンとこない顔をする人が多いようだ。

無理もないのである。ふつうの企業や官庁の組織(ファンクショナル組織)では、マネジメントの職務は、その人の地位にかたく結びついている。上司が部下に指示・命令を下し、部下が上司に報告する。上司は部下の人事評定権をもっているし、予算の執行権も握っている。指示に逆らったら、ひどい目にあわせるからな、という言外の強制がそこにある。つまり、上司は部下に対して強制力を持つのである。そしてたいていの組織では年功序列制がまだ生きているから、上司は部下よりも経験が長く、分野知識もそれなりに知っている。

ところが、マルチ・ファンクショナルなプロジェクトや、複数組織・企業が協業するサプライチェーンにおいては、計画や指示を出す職務は『役割』にすぎない。互いに対等な複数の機能が、混乱せずに整然と強調しあえるように指示する仕事は、航空管制官とか、オーケストラの指揮者のようなものだ。管制官はパイロットの上司ではないし、楽器奏者は客員指揮者の部下ではない。そこには直接的な強制力はない。従わなかったらどんな混乱した結果になるか、実行する側が予見できるから自発的に指示に従うのである。だから、行使できるのは『影響力』だけである。こうした仕事では、マネージャーは役割の一つにすぎない。べつに他よりエラい訳ではないし、年長とも限らない。

このような分野では、マネジメントのために技術が必要だし、また有効でもある。というのは、プロジェクトもサプライチェーンも、それなりに複雑で見えにくい『システム』を構成しているからだ。それは設計課長が部下に設計計算の仕方を指導するのとは、ちょっと違っている。固有技術の中で采配をふるえばすむ話ではない。

しかし、わたし達の社会では、マネジメントの上手下手はまったく属人的なものだ、という思想が強い。その結果、マネージャーの地位は、学歴・年功序列・出身等により選ばれることが多い。マネジメントは、「地位に付随する権能」 であって、前もって研修・訓練が必要な技術と考えられていない。日本では残念ながら、「マネジメントにも技術がある」という概念が希薄なのである。これは、欧米の企業と多少は仕事をしてきた経験からも言えることだ。嘘だと思ったら、マネジメントとは何かを、手近なリーダー格の人に問いかけてみるといい。

 「マネジメントは人だよ、人。」
 「勘と度胸と根性だ!」
 「組織は規律とルールで動かすべきものです」

こうした答えが返ってくる可能性がとても高い。べつにこれらが間違いだと言うつもりはない。それぞれ、たしかに真実ではある。だが、これがマネジメントの全てではあるまい。昨年、サウジアラビアの国営石油会社の若手社員達を相手に同じ質問をしたら、すぐに

 「人を動かして、目的を達成すること」

と、答えが返ってきた。彼らが受けてきた欧米流の教育がそう言わせたのだろう。こういう目的指向の、機能的な理解があると、“じゃあどう動かせばベターか”“そこに必要な技術は何か”と議論を進めることが出来る。その後の講義がとてもスムーズだったことは言うまでもない。

日本では、マネジメントは理工学的研究の対象とも思われていない。現に東大にも京大にも、理系のManagement Science系の学科が学部レベルでは存在しない。つまり、文科省の世界観の中には、マネジメント・テクノロジーという発想が欠落しているらしい(ま、私学の早稲田や慶応には経営工学系の学科があるが)。

それはちょうど、文科省の頭の中に「情報学」の発想が欠けていた50年前の状況とよく似ている。だとしたら今のわたし達に必要なのは、第二の梅棹忠夫が現れて、「知的マネジメントの技術」なるベストセラーを出すことではないかと夢想するのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-10-30 22:21 | ビジネス | Comments(0)

書評「生命を捉えなおす ― 生きている状態とは何か」 清水博・著

生命を捉えなおす―生きている状態とは何か (中公新書)

非常に面白い、知的刺激に満ちた本だ。著者は今は東大名誉教授だが、本書の初版が出た1978年には、まだ40代半ばの現役薬学研究者だった。その頃に、このように構想の大きな、ある意味ではアカデミズムの専門性の枠を踏み外した本を書くのは、勇気のいることだったかもしれない。しかし、おそらくこの本に書かれているテーマ、すなわち「生きている状態とは何か」を探求することこそ、著者が研究の道を選んだ原点だったに違いない。

近代科学は分析的方法を専らとしており、かつアトミズムに裏打ちされた分子生物学の方法は、「生きている状態」を括弧に入れたままで、生物の還元論的研究に邁進する道を開いた。しかし、マクロな視点に立つと、「生きている状態」と「生きていない状態」は一種の相として捉えることができる、と著者は考えはじめる。そこで統計力学にヒントを求め、自然の性質に「内部エネルギーの小さな安定状態と、エントロピーの大きな自由度を同時に求める傾向があり、一方ではこの二つが互いに相反した要求になっている」ことから、動的秩序の自己形成プロセスを調べていく。

その結果、化学レーザーに見られるような自己励起(自己触媒)プロセスにおいて、系が(ミクロには)不安定な状態に置かれているとき、ゆらぎが引き金として作用すると、秩序の自己形成が次々と進行することを見いだす。さらに著者は自分の専門領域である筋肉収縮について、流動セルと呼ばれる巧妙な実験装置を考案して、ATPのもつ化学ポテンシャルを直接、一方向流動に変換する現象を発見する。これを説明する第5章が、本書の白眉であろう。このあと、著者の考察はさらに非線形振動の引き込み現象から、生体における「情報」の機能を探ろうとする考察が後半である。そして著者は本書の初版出版後、脳の研究にむかう。

生きている系には、動的協力性をもつミクロな要素(松岡正剛の命名にしたがって「関係子」と著者は呼ぶ)の相互関係が働いて、秩序を形成している、というのが著者の主張である。ここはまだ思弁と仮説の段階にある。とはいえ、いろいろな意味で、はっきりした問題意識と、明確な科学的手法による探求の結果生まれた主張がちりばめられていて、面白い。生命現象ならびに非線形現象に興味のあるすべての読者にお勧めする。
by Tomoichi_Sato | 2011-10-27 22:30 | 書評 | Comments(1)

小ロット化はほんとうに製造コストを上昇させるか

数回前に書いた「長すぎる製造リードタイムの悩みを考える」 というエントリに対し、H.Kさんとおっしゃる読者の方から、以下のような質問を頂戴したのでお答えします。

>生産管理の実務者です。いつも興味深く読ませていただいています。
>
>『部門間の「責任感」による確約のマージンをけずる』には納得です。
>しかし、もうひとつの『計画立案サイクルを短縮する』事は、立案コストだけでなく、
>生産ロットを小さくする事になるので製造コストも上がりますが、どう解決すべきで
>しょうか?
>リードタイムと在庫、製造コストの変化を、金額で評価して最適値を算出する事に
>なるのでしょうか?

これは、小生が書いた以下の節に対する疑問だと思います。

『標準リードタイムが長くなるもう一つの要因は、月次計画サイクルの存在だ。月次サイクルは技術的理由から決済の慣習まで、いろいろな事情に支えられて存在している。だが月次サイクルとは、いいかえれば1ヶ月間のタイム・フェンスを生産計画に設定しているのと同じだ。月次計画のスパンで順序繰りを決めて原価を最適化するのは素晴らしいように思えるが、コストの代償として生産のフレキシビリティーを捨てていることになる。』

むろん、生産計画立案のコストは、おっしゃるとおり2倍にアップします。ただ、ご質問の趣旨は製造コストです。所属する業種が書かれていませんので、ここではとりあえず、もっとも一般的な組立加工系の製造業と想定します。

さて、ご存じのとおり製造原価は以下のような要素から構成されています。
(1)材料費
(2)人件費・労務費
(3)その他経費(用役費・保全費・減価償却費等)

仮に今、工場内のすべての製造ロットを半分にしたと仮定します。上記の項目のうち、どの項目が影響を受けるでしょうか。

(1)の材料費は、つくる量が変わらない限り、増えも減りもしません。(2)はどうかというと、社内人件費は基本的に固定費ですから、残業時間が延びない限り、増えません。外注労務費は契約次第ですが、派遣形態の場合は社内人件費と同じで、人数や労働時間が増えなければ変わりません。外注(材料支給)形態の場合、ほとんどは加工数量の出来高で精算しているはずです。数量は変わらないのですから、外注費も増えません。

(3)のうち、用役費は、セットアップ・段取り替え作業に非常に水道光熱を要する場合は増える可能性がありますが、それは例外ケースでしょう。ふつうは加工・製造のために機械を動かす方がずっと、エネルギーも水その他用役も消費するはずです。保全費は? これも、機械部品の消耗は段取り替えよりも稼働時間にほぼ比例するはずですから、あまり変わりません。減価償却費も、年間に決まった金額が帳簿上消えていくだけですから変わりません。

つまり、製造ロットを半分にしても、原価はとくに上がらない、ということになります。

ちょっと待て、人件費はほんとうに上がらないか? セットアップ作業の時間が倍になるのだから、必ず増えるはずではないか! --そう、反論される声が聞こえそうな気がします。

それは、現時点で常時100%稼働している工程・作業区に対してのみ、YESです。もし人の稼働率が80%とか、70%以下である場合、多少のセットアップ作業時間が増えても、残業も人員追加も不要です。

いや、うちの工場に遊んでいるヤツはいない。不況下の人減らしもあって、ギリギリの人数で操業している。そう、再反論されるかもしれません。

言うまでもないことですが、人はつねに仕事を作り出す存在です。工場でただあくびをしながら立っている労働者など、(日本である限り)わたしは一度も見たことがありません。加工する材料がなければ、ツールの整備や機械の点検調整やモノ探しや改善活動など、必ず何かの仕事を見つけてしています。とくにモノ探しについては、以前も「『探し物』という名前の時間泥棒」 でも書いたように、一所懸命に働いているように見えながら、じつはちっとも付加価値に貢献していない作業です。これは物流・配膳の不備やレイアウトの不便から生じる余計な作業時間だからです。

工場の中の各工程できちんと時間分析をしてみれば分かりますが、製造リードタイムの中に占める「正味作業時間」(=付加価値を生んでいる作業時間+付加価値は生まないが必要な作業時間)の比率は、案外小さいものです。それ以外の時間は待ち時間です(その中でもロット待ちが結構な比率を占めることはご存じのとおりです)。これを作業者の側から見ても事情は似ています。たとえば材料待ちのために、ある部分だけチョロっと組み上げて脇に置いておき、次の製品の組立をはじめ、また材料がそろったら元の組立に戻る、こうした状況では、時間は使っていても生産性が落ちるので、正味作業時間比率は上がりません。

むろん、もしかするとH.Kさんの工場はこんなだらしない状態では無く、各人が多能工化して複数工程をフレキシブルに持ち合い、全員が助け合って正味作業時間比率がみな十分に高いのかも知れません。そうだとしたら、たしかに残業や人員増がおき、製造コストは多少アップするでしょう。そのことは否定しません。

もう一つ、ありうる再反論として、「小ロット化で段取り時間が2倍かかり、機械自体の占有時間が増えるのだから、チャージコストが増えてしまうはずだ」という議論があります。たしかに、ある機械のチャージ・レートが1分100円で、それまで1ロット=段取り10分+加工50分=6,000円ですんでいたものが、ハーフサイズになれば2ロット=段取り20分+加工50分=7,000円になる、と思えるかもしれません。

ですが、これは典型的な誤解です。機械の標準チャージ・レートは、その機械の年間減価償却費を、占有時間(稼働率)で割って決めます。もしロットサイズを半分にすることで機械の占有時間(稼働率)が上がったら、原価計算の中では「原価差額」を求めて標準値と実績値の差を下方修正します。つまりチャージ・レートが安くなるので、結果としては原価は変わらないのです。(ただ、この仕組みを生産部門の人がよく知らない、あるいは会計部門の中だけで計算してしまうので原価差額が知らされないケースは、ままあります)

以上、長々と書きましたが、まとめますと、原価とは固定費と変動費(材料費)の和です。生産数量が変わらない限り、変動費は変わりません。固定費は、文字通り固定的です。だから、ロットサイズを半分にしても、ほとんど増加しないのです。例外は、工場の全ての工程が、常時フル稼働状態であるケースです。このような慶賀すべき状態である際には、まず検討すべきは生産キャパシティの拡張であり、小ロット化ではないでしょう。

そして、まずそもそも、「生産計画のサイクルタイムを月次から月2回に短縮したとしても、必ずしも全製品の製造ロットが半分になる訳ではない」ことはご理解いただけると思います。工場で作る製品の多くは、1~2ヶ月分の需要をまとめて作ればすむようなタイプの、少量生産品でしょう。これはそもそも注文が少ないのですから、わざわざ2度に分けて計画する意味がありません。

まあ、この分析はいわゆる加工組立のディスクリート系工場に対するもので、半連続のプロセス生産や、わたしのいう「切替型連続生産」では、もう少し別の分析が必要になります。ただ、その場合でも、かりに製造コストが上がるとしても、需要確度の向上、在庫量の減少などの効果をみて、その得失を総合的に判断すべきだと思います。「総合的に」というのは、製造だけのコスト最適化計算ではなく、製造と販売を含めて、もっとも機会損失が減って利益(粗付加価値)が増えるやり方はどちらか、という意味ですが。
by Tomoichi_Sato | 2011-10-23 18:48 | サプライチェーン | Comments(1)

マイルストーンとEVMSのねじれた関係

プロジェクト・スケジューリングの理論では、日程表の中に書き込む要素を、アクティビティとイベントに大別する。アクティビティは明確な始まりと終わりを持った出来事で、生産スケジューリングにおけるタスクにほぼ相当する。一方、あるプロセスが何らかの達成点に到達する瞬間をイベントとよぶ。たとえば、「卒業式」はアクティビティだが、「卒業」はイベントである。

イベントの中でも特に重要な意義をもつものが、マイルストーンである。マイルストーンはプロジェクト・スケジューリングで大事な役割をはたす。たとえば、基本設計完了だとか、製品の工場出荷などはしばしばマイルストーンとして扱われる。通常、マイルストーンは、そこを通過したら仕事が後戻りをすることはない。仕事のプロセスの逆止弁のような役割を果たす。プロマネにとってはほっと一安心でき、また気持ちをリフレッシュできるタイミングである。

そこで、プロジェクトの進捗度管理において、マイルストーン達成日時の予定と実績を対比して、とどこおりなく仕事が進んでいるかをチェックする方法がある。マイルストーンの予実をリストアップしたものをマイルストーン管理表と呼ぶ。プロジェクトのガント・チャートを書く場合は、マイルストーンはしばしば☆印や旗印などで図中に表記される。

ところで、通常の教科書に書かれているアーンドバリュー分析(EVMS)の手法では、このマイルストーンはうまく組み込まれていない。最近普及の著しいアーンドバリュー分析は、プロジェクトを構成するすべてのアクティビティの予算(PV)と完成出来高(EV)・実際費用(AC)を対比して、進捗率およびコストの予実を把握する手法だ。そのベースとなるのはアクティビティの予算である。しかしイベントやマイルストーンには、予算を割り当てようがない。したがって基本設計が承認されようが製品が工場を出荷しようが、出来高はほんのちょっと(対応するアクティビティの予算分だけ)上がるのみである。気分的にメリハリのないことおびただしい。

そんなのは単に感情的な問題に過ぎないじゃないか、と考えるのは浅慮である。じつは、マイルストーンの達成とは、通常なんらかの不確定性・リスクが大きく下がる瞬間でもあるのだ。設計が固まる、製品がトラックに積み込まれる、これらの瞬間を重要だと人間が感じるのは、その時点において設計変更や納期遅延のリスクが完全に遠のいたからなのである。通常のEVMSでは、この意義をハイライトすることができない。

そこで、現実のプロジェクト進捗計算でしばしば採用されるのは、アクティビティ以外にマイルストーンにも何らかの重みを与える手法だ。基本設計承認では、アクティビティとは別に5%の進捗率アップを計上する、という風に行う。EVMSとマイルストーン管理表の折衷的な方法で、理屈の点ではあまり美しくないが、実務上の納得感を与えることができる。

受託型のプロジェクトでは、実際問題として、支払い条件にマイルストーンをからめて設定することが多い。プロジェクトのキックオフで20%、設計完了で40%、製品出荷で80%、検収完了で100%、といった風に、マイルストーン毎に支払いを行う契約である。必然的に、マイルストーン管理表の手法に近づいていく(EVMSだって、もとは「出来高払い」という支払い慣習に根ざして生まれた)。

その際にマイルストーンの設定において注意すべきことは、クリティカル・パスを構成するアクティビティの後ろにマイルストーンを置くことだ。そうすれば、マイルストーンの遅れがすなわちプロジェクト全体の遅れに直結するので、注視する意味が出てくる。フロート(余裕日数)を持つアクティビティ上に置いたのでは、プロジェクト全体の進捗の指標にならない訳だ。

とはいえ、そもそもアーンドバリュー分析は、プロジェクトのスコープが明確で、WBSを最初からきちんと組み立てることができるような「ハードな」種類のプロジェクトに適している。研究開発初や新製品開発のように、最初の段階ではスコープも納期もあいまいな種類の「ソフトな」プロジェクトでは、むしろ最初からマイルストーンで把握していくほうが適切である。

このように、EVMSとマイルストーンを適切に使いわけたり、あるいは適度に併用したりすることは、理論を知らない結果と言うより、現実的なプロジェクト・マネジメントを理解している証しだ、と考えるべきだろう。
by Tomoichi_Sato | 2011-10-18 19:43 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

プロジェクトの“見える化”とは、いったい何か

5年前に日経文庫から『時間管理術』を上梓したとき、出版社が帯につけた惹句(注目をひくための宣伝のフレーズ)は、「自分のスケジュールを“見える化”せよ!」だった。帯の文句は著者が知らないところで決められる。でも、これを見たとき、正直に言って、やれやれと思った。“見える化”はトヨタの発明した用語で、あまり関係のないわたしが勝手に使いたい言葉ではなかったからだ。当時、たまたま学会の委員会関係で、トヨタ自動車の銀屋技監をはじめ何人かの方ともおつきあいがあった。自分の著書が出たので早速贈呈したのだが、挨拶の中で「この“見える化”という言葉は出版社が勝手に書いた惹句でして・・」と妙な言い訳をしたのを覚えている。

わたしはトヨタ独特の用語や概念を、自分のサイトなどであまり使わないことにしている。第三者が尻馬に乗ってはしゃいでると思われるのは、しゃくにさわるからだ。それにトヨタ系列以外の会社が、(自分との違いを深く考えぬまま)トヨタの真似をするのは、決して賢いことではないと思っている。だから「あなたの会社にトヨタ生産方式が向かない5つの理由」などというエントリーも書いたが、この文章は我がささやかなサイトの中では、飛び抜けてアクセス数が多かった。上司から「トヨタを見習え」と指示されて苦労している人が、けっこうたくさんいる証拠なのだろう。

ところで最近、5年ぶりにまた本を書いている。そのテーマが、じつはジャスト・イン・タイムなのである。「生産革新フォーラム」の友人達と準備中のこの本は、早ければ12月に上梓される予定だが、仮のタイトルを「『JIT生産』を卒業する本 ~トヨタの真似だけでは儲からない」という。つまり、考えずにトヨタの真似をしてはいけない、がサブテーマだ。

誤解しないでほしいが、わたし達はトヨタ生産方式やジャスト・イン・タイムを批判しようとしているのではない。需要と供給を一致させる「ジャスト・イン・タイム」の思想はサプライチェーン・マネジメントを先取りしていて見事だし、有用だと思う。また、トヨタ生産方式はトヨタグループにおいては最善の仕組みであろう。ただし、別の業種業態の企業が、前提条件の違いも考えずに、かんばん方式やらアンドンやら、道具立てだけを導入したって、うまくいかない。だから自分の立ち位置を分析した上で、ジャスト・イン・タイムの本来の目的を実現するための、(トヨタ流とは違う)様々の定石を紹介しようとの意図で書いている。

ところで、そうは言いながら、わたし自身が最近、トヨタ用語についうっかり乗って、踊らされてしまったことがある。冒頭にも書いた“見える化”である。これをプロジェクトに適用しようと、最近あれこれ試みていたのだが、どうも根本的な勘違いをしていたらしいことに気がついたのだ。

いうまでもなく、プロジェクトというのは状況が把握しにくい(見えにくい)代物である。プラントは目に見えるからいいだろ、とよくIT業界の人に言われるが、それは実物を建設する段階に入ってからのことで、そんなのは後期の話である。初期から中期にかけて設計段階や調達段階での進捗や品質状況は、やはり分かりにくいのである。それでも、なんとか種々のテクニックで進捗や費用を数値化して、予実対比することはしている。

問題は、PERT/CPMやEVMSなどで計数管理しにくいエリアである。具体的に言えば、コミュニケーションとリスク(イシュー)だ。こうした、プロジェクトの深層に位置するマネジメント・エリアの把握は、非常に困難である。それをなんとかしよう、グラフ化して見える化してみようと、調査やらアンケートみたいなことを試みた。

たとえば、自分が消費している時間の何割がコミュニケーション仕事で使われているのか、また何割は追加変更や手戻りなどの想定外の仕事に使われているのか、を集計してみたのである。ちなみにエンジニアリング・プロジェクトでは、一般に30%近くが変更や手戻りで浪費されている、と言われている。わたしはこの通説の正確な出典を知らないが、あるいは米国Constrcution Industry Instituteあたりなのかもしれぬ。ともかく、予定外の仕事にどれだけ時間を割いているのかを“見える化”しようと思ったのである。

しかし、3割なんてとんでもない。結果は意外なほど小さかった。じゃあ、わが勤務先は別格に生産性の高い職場なのか? あいにく、そうとは思えぬ。つまり回答者達は、どんな追加変更やリワークが起きようが、「予定外」とは捉えなかったのである。どこかにボタンの掛け違いがあったらしい。わたしはあわてて、もう一度原典に当たることにした。つまり、トヨタ生産方式における“見える化”の意義を調べ直したのである。

もともと“見える化”は、トヨタ生産方式における改善手法とともに有名となり、世に知られるようになった概念である(本家に遠慮して、「可視化」と呼ぶ人も多い)。ところで、本家トヨタにおける“見える化”の概念とは、次のようなものであった(宮崎洋 他:「見える化」実践のポイント、三菱総合研究所所報、Vol. 57, 134-155 (2008)を参考にさせていただいた):

(1) 異常管理を“見える化”の中心に据えている

トヨタでは正常な業務の中で異常を顕在化させる仕組みを「見える化」と呼ぶ。一番いい例が「アンドン」で、工場の生産ラインで機械の故障等が起き、ある工程がストップ状態になった際に、「アンドン」を灯して皆に分かるようにする。
言いかえるなら、作業結果や状況を示す値それ自体ではなく、あくまで正常値や目標との「ギャップ」を見える化するのが本家トヨタ流である。そのためには、このギャップは異常、と判断できる「標準・基準」が必要となる。

(2) 自律分散型管理とワンセットになっている

"自律"とは、「自らやっていることの正否を判断する機能と権限を有すること」である。これができない現場で「見える化」しても意味がない。そして、問題を解決できるのが自律である。だから、問題発生と同時に、解決・改善状況も「見える化」するようにすべきである。

(3) あくまで目的達成の手段である

目的を明確に説明できない「見える化」は、トヨタにおける見える化とは根本的に異なる。「見える化」は会社の方針管理とKPI目標にはっきり結びついているし、アクションにつながらなくてはならない。

(4) 情報を取りに行くのではなく「目に飛び込んでくる」状態を作る

だから、何かを調べて集計グラフや図表にして、それで「見えました」ではダメなのだ。

このように、トヨタの“見える化”は、会社全体のマネジメント意識と密接に結びついている。だから自社において実現する場合も、本来の目的意識を忘れないように取り組まなければならないことが分かる。

・・と。それはいい。

しかし、「正常を異常と区別できる」ことが重要と明言されているが、わたし達の場合、ここが問題であった。「正常」とは、つまり「標準動作」である。くりかえし、同じ動作・操作ができること。これが標準である。“標準なくして改善なし”もよく知られたトヨタの標語だ。

ところが、プロジェクトというものはその定義上、本来ユニークな、一回限りのものなのである。プロジェクトにおける標準とは、何だろうか。たしかにレンガ積みだけ延々繰り返す「万里の長城プロジェクト」なら、標準作業も設定できるだろう。しかし、たいていの現実のプロジェクトでは、そうではない。少なくとも、一番知りたい設計・調達段階の標準とは何なのか。そして、何が異常なのか。そもそも個別の環境変化に対応できることこそ、プロジェクト・マネジメント能力なのではなかったか?

という訳で、この問題は(少なくともわたしは)まだうまく解決できないでいる。むろん我が職場では、設計でイシューが発生するたびに机の上にアンドンを灯す、という風には「見える化」できないだろう。アンドンと同時に、ライン全員が手を止め、問題解決のために走ってきて必要な手を打つ、というのもありそうもない話だ。トヨタの生産ラインではこれが出来るのである。それは、作業の繰り返し性が高いからだ。だが、毎度ユニークな世界に生きているプロジェクト屋のわれわれは、まだしばらく頭をひねらなければいけないらしい。
by Tomoichi_Sato | 2011-10-13 23:12 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

そんなものを戦略というのですか?

わたしの同僚に、兵法書や戦争論を読むのが好きな男がいる。別に兵器オタクではない。本人はいたって知的で温厚な紳士である。ただ、プロジェクト・マネジメントをどう理解すべきか、その源流をたどっているうちに、そちらの世界に近づいてしまった、ということらしい。

事実、彼から聞いた、将軍達や参謀達の名言録のいくつかは、なかなか面白い。たとえばパットン将軍と言えば、戦車隊を率いてドイツと闘った、第二次大戦の米国の英雄だが、こんなことを言ったらしい:

・部隊はスパゲッティのようなものだ。押し出すことはできない。前線に立って引っ張る方が動く。
・指揮責任の95%は命令の遂行を確認することだ。正しく遂行されることに、粘り強くこだわらねばならない。
・やりかたまで指示するな! 目標だけを伝えよ! そうすれば相手は、きっと驚くべき方法を考え出すだろう!
・一段下の階級に指示し、二段下の階級の状態を把握しろ。
・指揮官の第一の使命は自分の目で見ること。そして実地見聞に出かけている姿を兵隊たちにさらすことだ。将軍も危険に身をさらして戦っているのだと態度で示すのは、他ならぬ将軍の仕事だ。
・判断は早すぎても遅すぎてもいけない。しかし最大の過ちはなんの判断も下さないことだ! オールドミスならだれでも知っている!
・成功の欠点は、その先に失敗がまっていることだ。成功とは失意の後でどこまで立ち直れるかの問題なのだ!

などなど。どれもなかなかいい。とくに最後のフレーズなど、先日亡くなったスティーブ・ジョブズの非凡な生涯を思い起こさせる(本当に惜しい人を亡くしたと思う)。

もう一つ、その同僚に教えてもらった話に、モルトケの戦略論がある。モルトケはプロイセンの参謀総長だった人である。その中で面白いと思ったのは、「戦略は個別だが、戦術は普遍的である」という言葉だった。戦略は、個々の戦争において大局的状況を判断しながら決めるものだ。しかし戦術というのは、もう少し小さな戦闘局面においてくり出す、一種の定石のようなものだという。

なるほどな、という感じである。前にも書いたが、わたし自身はあまり「戦略」という言葉を使わず、『シナリオ』という言い方をするようにしている(「戦略シンドロームと改善病」参照)。あの、ちょっと大げさな、しかもかすかに硝煙の匂いが漂う軍事用語を、自分がちょっと頭をひねって作った程度のプランに使うのは気が引けるからだ。

それでも、ときにやむを得ず使うこともある。たとえば、今日はPMI日本支部主催のPMI JAPAN Festa 2011という催しに呼ばれて、講演をしてきたところだ。テーマは海外プロジェクトとプログラム・マネジメントの勘所だが、サブタイトルが「リスク戦略を考える」だった。

もちろん、自分なりの言い訳はある。というのも、PMBOK Guideにはリスク対応の指針として、「回避」「転嫁」「軽減」「容認」の四つをあげ、これを『リスク対応戦略』と呼んでいるのだ。ちなみに回避とは、リスクの影響をさけるため、計画変更やスコープ縮小を行うこと。転嫁とは、リスクの影響を、責任とともに第三者へ移転すること。保険が、その典型だ。軽減は、リスク事象の発生確率や影響度を、受容可能な限界値まで低減すること。そして受容が、有効な対応戦略を見つけられない際に、プロジェクト計画を変更しないと決めることである。

ところで、別の場所であるとき、この内容を説明したら、大学院生の一人から「保険かけるだけのことを、戦略なんていうのですか?」と聞かれてしまった。その通りで、たしかに大げさなのである。その場は、教科書に書いてあるから、と言って押し通してしまったが、今ひとつ自分でも引っかかる。モルトケの定義をかりれば、この4種類の方策は汎用性があるのだから、『戦術』とよぶべきではなかったか。

それにしても、その後、いろいろな局面で「戦略」の議論にぶつかるたび、わたしの耳にはあの、“そんなものを戦略というのですか?”という若い声が甦ってくるのである。このプロジェクトの受注戦略をどうするのか。あの外注先とのネゴシエーション戦略は。そして、国の官庁の作る新○○戦略やら、企業がIR資料に書く××発展戦略やらを読むたびに、疑問の声が渦巻いてくる。それって、単なる数字を並べただけじゃないか。それって総花的な施策の列挙では。それって当たり前の手法です。それって頑張ろうの精神論だ。それって--それって戦略というのですか?

わたしが考えるに、何かの指針や方策が『戦略』と呼ばれるに値するとしたら、そこには三つの条件があるはずだ。

(1)全方位的ではなく、ある方向に集中していること。そのために、逆にある部分は手薄になることを覚悟の上で、戦いの場所を選ぶこと。これだったらたしかに、戦略的といえる。自分の資源は有限なのだから、どこかに集中して使う必要がある。方向性を選ぶ際には、なにかの見通し・仮説にもとづいて決める。

(2)短期的には損になるように見えても、長期的には益を生むような仕掛けであること。つまり、ある見通し・仮説にもとづいた、一種の投資である。これは(1)の条件を、時間軸上に展開したものであるとも言える。戦略的といえる物事は、どこかで「あえて弱点や損を承知の上で、強い部分をつくる」ことなのだろう。

(3)それを遂行するためには、自分の組織を変える必要があること。つまり、現有の陣容で、片手間でできるようなことは『戦略的』とよぶに値しないのだ。それをやるためには、自分の側でも変わる覚悟がいること。それが戦略的な行動のだ。

結局、これらをまとめると、「戦略とは、仮説にもとづく『賭け』である」とも言えるだろう。賭けだから、必ず勝つとは分からない。だから、自分の側にも覚悟を要求する。

もともと戦略というのは、計画と遂行がワンセット、車の両輪である。計画だけの戦略など、絵に描いた餅だ。また計画のない遂行は戦略ではなく、「出たとこ勝負」にすぎない。継続して、ある方向性を持って遂行していくためには、信じるべき仮説がなければならない。そして覚悟と。つまり、「覚悟してやらないものは戦略ではない」のである。これからもし、またあの“そんなものを戦略というのですか?”という声が聞こえたら、ぜひ自問することにしよう。自分は覚悟を決めて、これをやっているのかと。
by Tomoichi_Sato | 2011-10-10 23:05 | ビジネス | Comments(0)

長すぎる製造リードタイムの悩みを考える

大病院の状況を揶揄して、「3時間待ちの3分間診療」ということがある。待合でひどく待たされたあげく、医師の診察はあっという間に終わってしまう。そして検査や処置で待たされ、会計で待たされ、薬局で待たされるという訳だ。この状況を緩和するために、部門間の指示(オーダー)情報の伝送を紙の伝票ではなくオンラインで行う「オーダリング・システム」が’90年代から導入されるようになり、少しは緩和されたが、それでも診察時間より待ち時間が長いことに変わりはない。

病院の受付をしてから、会計や薬局を済ませて出るまでの平均的な時間は、いわば外来診療の「リードタイム」である。一方、医師の診察や看護師の処置など、実際の行為がなされている時間は、工場で言えば「正味作業時間」にあたる。大病院という、一種の流れ作業式・大量生産型の医療施設は、リードタイムが正味作業時間よりもずっと長い典型例なのである。

わたしたちが外来で受診しなければならない時は、この「リードタイム」の3時間を覚悟して、その日の予定を組むだろう。また病院の側も、電話などで問い合わせを受けた時は「3時間かかると思ってください」と言うに違いない。

リードタイムと正味作業時間の差のほとんどは、待ち時間である。病院の場合は、大勢の患者が待合に滞留しているから待ちが長くなり、工場の場合は仕掛品があちこちに滞留しているから製造リードタイムが長くなる。

しかしもう一つの要因は、「確約」である。所要時間にばらつきや幅がある場合、どうしても他人に確約する場合は長めの数字を応えることになってしまう。

確約」は「責任」とセットになった概念である。受注した納入業者側は、顧客に対して納期を確約し、納期に責任を持つ。でも、納期に責任を持つとは、どういう意味だろう? 品質に責任を持つ、なら理解できる。製品の品質が要求に合致しなかった場合、自己負担で作り直すのが品質責任だ。価格への責任とは(あまりそういう言い方はしないが)、約束した価格で製品を納入することだ。思った以上にコストがかかってしまっても、それは自分が負担する。でも、納期に遅れたら、どう責任を取るのか? 時間を取り戻してくれるのか? あるいは納入先に人を送り込んで、後続作業を手伝ってくれるのか。

むろん、そんなことはしないし、できない。せいぜい、(もし契約に規定されていれば)納期遅延のペナルティ金を払うだけである。時間は一方通行で、だれも埋め合わせをすることはできないのだ。

一般にリードタイムが長くなるのは、この「責任」があちこちの隙間にはさまってくるからだ。隙間というのは、むろん、会社間あるいは部署間のインタフェースである。「依頼者」と「受託者」が発生するたびに、かれの責任感の分だけ、確約できる期間が長くなってしまう。会社間の場合は契約上、致し方ないかもしれないが、同じ会社内の部署間でモノや役務が移動する毎に、少しずつリードタイムが加算されていくのは時間の不経済である。

標準リードタイムが長くなるもう一つの要因は、月次計画サイクルの存在だ。月次サイクルは技術的理由から決済の慣習まで、いろいろな事情に支えられて存在している。だが月次サイクルとは、いいかえれば1ヶ月間のタイム・フェンスを生産計画に設定しているのと同じだ。月次計画のスパンで順序繰りを決めて原価を最適化するのは素晴らしいように思えるが、コストの代償として生産のフレキシビリティーを捨てていることになる。

前回述べたプラント用鉄骨生材のリードタイムと似たような状況は、月次生産計画で動いている製品には必ずついて回る。たとえば鋳物などもそうだ。鋳物製造業者も炉をもっていて、その「湯」の配合は月単位で計画していく(溶けた鉄鋼のことを「湯」と呼ぶのは、たたら製鉄以来、ほとんど古代からの伝統らしい)。だから鋳物の標準調達リードタイムは、どんなに少量発注でも、最低2ヶ月(場所と内容によっては3ヶ月)になる。これもタイミングさえ合えば、1週間後に製作できるかもしれないのに。

わたし達が抱えるリードタイムは、このような確約責任と月次サイクルという局所最適化が積み上がった結果、長い待ち時間を含んでいる。これに(上では説明を略したが)「ロット待ち」を加えれば、ほとんどが作業時間でなく待ち時間になると言ってもいい。そして長いリードタイムは、ビジネス・チャンスに対する敏捷性(アジリティ)の喪失と、目に見えぬ仕掛り在庫増、そして資金回転率の低下を意味する。

一番の解決方法は、製造業において、部門間の「責任感」による確約のマージンをけずる事である。すなわち、サイロ状態をやめて、個別の製番や品番の進捗を通してモニターする担当者や担当部門を設ける。そして、そこに「納期問題調整の権限」と「納期確約の責任」をあずけてしまうのである。各部署がそれぞれもっていた責任は免除する(つまり、その裏側で生じる問題の隠蔽や秘匿をやめさせて表に出す)。すなわち、需給コントロールセンターをつくるという方法である。次なる解決方法は、計画のサイクルタイムを短縮し、月次から週次へ、あるいはせめて半月単位に短縮していくことである。

とはいえ、これらはすべて、メーカー側の努力を待たなければならない。プラント建設プロジェクトにおける鉄骨製作のリードタイム短縮を議論していたわたし達にとって、まさか鉄工所や製鉄所に生産システムを変えろと要求することは解決策にならないし、現実に不可能である。結局、鉄骨業者から製鉄所に生材全量を発注することをやめてもらい、緊急を要する一部の材料はストック材販売業者から購入するしかなさそうだ、という結論になった。

無論その結果、発注コストは上昇する。いわば、「お金で時間を買う」訳である。それでも一定条件下では、時間短縮の方がコストセーブよりもプロジェクト全体としては有利になると考えられる。こう判断できたのは、むろん、エンジニアリング会社のプロジェクト・マネジメントというものが、部分よりも全体を見渡す立場に、立っていられたからである。
by Tomoichi_Sato | 2011-10-06 00:09 | サプライチェーン | Comments(2)

リードタイムとは、いつからいつまでの期間をいうのか

海外プロジェクトの納期について、社内で議論になった。ま、いつものことだ。現在のわたしの仕事は海外プロジェクト部門のPMOで、主にタイム・マネジメント技術を受け持っている。プランニングとスケジューリングと進捗モニタリングのやり方をどう改善するかが、日々の仕事である。

そのとき議論のネタになったのは、鉄骨パイプラックの調達納期だった。プラントの写真をごらんになった方はお分かりのとおり、プラントというのは配管のカタマリである。その配管を乗せるメインの通り道のようなものを「パイプラック」と呼ぶ。パイプラックは普通、鉄骨を縦横に組み合わせて架構(フレーム)を作る。このフレームの中や上を、多数の配管が通るのである。そして、この鉄骨パイプラックの調達と建設は、しばしばプラント建設スケジュールのクリティカル・パスにになるのだ。

パイプラック用鉄骨の調達リードタイムは、国にもよるが最低でも6~8ヶ月はかかる。鉄骨製造業者(いわゆる鉄工所)は比較的ローテクで、たいていの国に存在し、建設地に近い業者から調達するケースが多い。たとえば中東などの鉄骨製造業者だったら、8ヶ月程度と見るべきだろう。そして奇妙なことに、このリードタイムは、発注数量にあまり依存しないのだ。たとえ500tonの発注だろうが、1,000tonの発注だろうが、1,500tonだろうが8ヶ月かかる。

どうしてかというと、実際には鉄骨製造業者の工程を分解すると、次のようになるからだ。

(1) エンジ会社から受け取った図面を元に、素材となる鋼材(これを「生材」と呼ぶ)の必要数量を集計する・・・1ヶ月
(2) 製鉄所から「生材」を調達する・・・3ヶ月
(3) 「生材」の納入を待つ間に、工場での製作図をつくる・・・(上記に含む)
(4) 入荷した生材を切断・穿孔・溶接して加工する・・・2ヶ月
(5) 加工した鉄骨部材の表面を処理して塗装する・・・1ヶ月
(6) 検査・梱包して出荷する・・・1ヶ月弱

以上を合計すると、1+3+2+1+1 = 8ヶ月という計算になる。この中で、本当の意味で加工・製造と呼べる時間は、ステップ(4)と(5)の合計3ヶ月に過ぎない。これは、工場内の加工機械の段取りや工程間の資材搬送などが影響して、数量が500tonから1,000tonに増えても、たいして期間的に変わらない(もっとも、量が5,000tonとか1万tonとか桁違いに多くなれば、さすがにもっと長くなるが)。そして、(4)と(5)以外の期間もまた、ほとんど数量に依存しないから、結果としていつも8ヶ月かかる、という訳である。

この中でも、もっとも馬鹿みたいに思えるのがステップ(2)の、“製鉄所から「生材」を調達する・・・3ヶ月”である。発注準備作業であるステップ(1)を加えると、なんと全体のリードタイムの半分が、鉄骨製造業者から製鉄所への生材調達リードタイムに消費されてしまう。納入の関係を図示すると下のようになる。したがって、プラント全体の建設工期を短くしたいと思ったら、これを何とか短縮しなくてはならない。

 [エンジ会社] ←(鉄骨)← [鉄骨製造業者] ←(生材)← [製鉄所]

それにしても、生材というのは要するに、H形鋼とかL形鋼とか、カタログに載っているような標準的商品である。なぜこれの調達が3ヶ月もかかるのか。答えは意外にも、製鉄所が「受注生産」で動いているからだ。鋼材や鋼板といった製鉄所の産品は、わたし達の素人目には区別がつかないものの、かなりいろいろなバリエーションがある。断面の各種サイズや長さの他に、素材である鋼の成分にも多くの種類がある。したがって、製鉄所は見込で生産などせず、実需にもとづいて、月間生産計画を立てる。鉄鋼の素材は溶鉱炉に投入する原料の配合で決まるから、月単位で高炉のスケジュールを立て、その下流工程である圧延その他の工程計画を決める。

実際に溶けた鉄が炉から流れ出てきて圧延・成型・裁断されるまでは、たとえ1,000tonだってほとんど「あっという間」である。ただし、製鉄所は月単位の生産計画だから、1ヶ月間で必要な全品種を、順次無駄がないように切り替えて作っていく。注文したH形鋼のサイズがいろいろあるから、全部の種類がそろうまでには最大1ヶ月間かかる計算だ。そして、材料を全部揃えて検査・梱包し輸送納品するまでに1ヶ月。加えて、受注してから生産計画に組み入れられるまでが最大1ヶ月だ(たとえば翌月計画の締めが毎月15日だとして、受注が16日だったら生産は翌々月になってしまうため)。無論、運がよければ最小2ヶ月以内で納入される可能性もあろうが、確約はできない。スケジュールを立案する側としては、確約された納期で線を引かざるを得ないことになる。

標準リードタイム」というのは、ある意味、不思議な概念である。それは作業の開始から終了までの時間ではない。指示(Order)が下されてから、それが完了する(Fulfillment)までの、確約できる標準的期間をいう。標準は平均ではないことに注意してほしい。鉄骨製造業者が生材を発注してから納品してもらうまでの平均期間は、たぶん2ヶ月半未満だろう。最小値は1ヶ月強のこともあるにちがいない。でも、確約できる調達リードタイムは3ヶ月だ。エンジニアリング会社にとって、鉄骨製造業者に発注してから建設現場に納入されるまでの標準リードタイムは、先ほどの計算どおり8ヶ月になる。うまくタイミングさえ合わせられれば、最小6ヶ月かもしれないのだが。

正味の作業時間よりも、標準リードタイムの方がずっと長くなってしまう問題がここには存在している。その根本原因をふまえて、どういう手立てが考えられるのか。それについては、少し長くなってきたので、次回書こう。

(この項つづく)
by Tomoichi_Sato | 2011-10-02 23:19 | サプライチェーン | Comments(0)