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「探し物」という名前の時間泥棒

ある工場に調査に行った。工場は2階建てになっていて1階に機械加工工程、2階に組立工程がある。ごく典型的な日本の工場レイアウトだ。金属部品を削ったり曲げたりする部品加工は、しばしば大きくて重たい工作機械を使う。だから1階に置く。他方、手作業中心の組立工程はさしたる設備は必要ないので、2階になる。これを逆にすると、2階に重たい機械を並べることになり、床荷重の確保や振動の防止、耐震強度などで建物に余計なコストがかかることになる。ちょうど戸建て住宅の設計でも、冷蔵庫や風呂桶など重い物のある台所や風呂場などは1階に置くのが通例であるように。

ところで、住宅の玄関が1階にあるように、工場の資材・製品の入出荷場も、普通は1階にある。家が斜面の途中にでもない限り、わざわざ2階から出入りするような口は作らない。組立工程は2階にあるわけだから、できあがった製品は1階に下ろし、逆に加工の終わった中間部品類は2階に上げなければならない。こうして、工場には必ず縦の物流動線が必要になる。そして、搬入した素材部品、加工した中間部品、ならびにできあがった製品の置き場所も必要だ。これらをどうレイアウトするかで、じつは工場の生産性はけっこう左右される。

さて、調査に行ったその工場で、組立ラインのそばに立ち、作業の様子を見ることにした。ちょうど生産は最盛期で忙しいはずの時分だった。だが、どういうわけか組立工程の作業者が寸暇を惜しんできびきび立ち働く、という感じを受けない。組立作業は奇妙に断続的に、ある意味では間延びしたテンポで行われていた。働いている人の顔は真剣そのもので、のんびりした表情はない。ただ、見ていると、数名一組で作業班が編成されているのに、その中の1,2名が、つねに作業場から出たり入ったりして持ち場から居なくなるのだ。

しばらく見ているうちに、だんだんと理由が分かってきた。持ち場を離れた作業者たちは、部品か工具のような物を手にして戻ってくるのだ。どうやら何か捜し物をしにいくらしい。この組立ラインには、主要部品は工程担当者が手押し台車で搬送してくる。また主なサブ部品は、作業場横の常備品棚に置かれている。だが、それでは足りない部品がしょっちゅう出るらしい。

組立ラインから中間部品倉庫に回って歩いてみて驚いた。倉庫は組立を待つ部品で一杯で、入らずにあふれた物が、近くのフロアに所狭しと床置きされている。この工場はすべての部品にきちんと現品票をつけているのだが、それでもこの中からめざす物を探すのは一苦労に違いない。中間部品倉庫の位置と大きさが適切でないせいで、こういう状態になっているのだろう。組立工程の作業者は、しばしば捜し物のために時間を奪われ、組立のスピードが落ちる。すると中間部品の消費が減るので、さらに倉庫の物が増え、捜し物がもっと大変になるというダウン・スパイラルが生じている。

あるいは、たぶんこの工場だって、20年以上前に建てられた時にはこれで十分だったのだろう。しかし、顧客の特殊仕様によるバリエーションが増えて、必要な部品の種類が増大し、現場の常備品棚や中間部品倉庫に収まりきれなくなったのかもしれない。いずれにせよ、この工場では組立がボトルネック工程のようだから、工場全体のパフォーマンスが、少なく見積もっても5%くらい落ちている、と推測された。工場のレイアウト設計は、かくも重要な問題なのだが、いまはそこには深入りしない。

わたしが問題にしたいのは、捜し物をしている作業者は、一所懸命に働いていると自分で考えているだろう点だ。たしかに、彼らが仕事をさぼっているとは、誰も非難できない。捜し物が出てこなければ、製品は出荷できないのだから、必要な仕事でもある。だが、この捜し物の時間は、付加価値創造には何ら結びつかない時間なのだ。

ミヒャエル・エンデの童話『モモ』には、“時間どろぼう”なる連中が出てくる。彼らは大人たちをたぶらかして、その時間を盗んでしまう。おかげで人々はゆとりを無くしていつも忙しく生きている。わたしは著書「時間管理術」を書いた際に、タイム・マネジメント能力を向上したいと思うのなら、自分の仕事にとって何が“時間どろぼう”なのかを考えてみるべきだ、として練習問題をつけた。また、タイム・マネジメントについて学生に教える際も、何が自分の“時間どろぼう”だと思うか聞くことにしている。通学時間、TVを見る時間、ネットで費やす時間、答えは様々だ。

この工場の例では、「探し物」が明らかに“時間どろぼう”だった。困ったことに、探す作業は主観的には立派に仕事をしている時間なのだ。タイム・シートをつける職場ならば、当然、作業時間として記録する。でも、企業全体から見ると付加価値時間ではない。その無駄は、部品の適切な置き場所と、探しやすい置き方の工夫を怠ったことで生じる。

そして、わたしたちも同じようなことを、オフィスでしているのではないか、とときどき感じる。わたしの職場のPCのハードディスクにはフォルダが何百も(もしかすると何千も)ある。ファイルサーバのフォルダ数は、その何倍もだ。そしてキャビネットに収められている膨大な書類ファイル群。その中をしょっちゅう、ひっくり返して何かを探している。米国のデイヴンポートという人によると、オフィスワーカーは平均して年間に140時間も、探し物に費やしているのだという。つまり、12ヶ月のうちほとんど1ヶ月は、無付加価値のことで時間を費やしているのだ。

なぜモノが見つからないのか。それは整理整頓の問題だ、という人がいる。たしかに正論だ。だが、「整理」と「整頓」を一口でいっしょにしていいのだろうか。書斎の中の本を、女中は整頓できるだろう。だが、整理は主人しかできない。整頓はいわば物理的な保管場所の整列と、通路の確保である。ところが、整理は「探しやすい」ようにモノを並べることである。整頓がハードウェアの保全の問題だとしたら、整理はソフトウェアの要求定義の問題なのである。整理するためには、最低限、これから使うもの、いつか使うかもしれないもの、そしてもう使い終えたものの認識と区別が必要だ。こういう当たり前の習慣を作らぬまま、やれITだマネジメント・システムだと流行り言葉を弄しても、空しいだけだと思うのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-07-30 22:41 | 時間管理術 | Comments(0)

生産スケジュールにおける「リソース」の考え方

工場で製造作業に着手するために、必要なものは何か。まず、資材がなければならない。資材とは、原材料や部品など、その作業工程で製造されるアウトプット(製品ないし中間製品)に直接使われるものだ。

また、正しく製造作業を行なうには、情報がいる。これには2種類あって、“何を・いつまでに・いくつ作れ”という指示情報と、“それはこういう資材を使って、こういう風に作れ”という仕様情報がある。

しかし、製造作業には、これらの他に必要なものがある。まず、作業者だ。それから、加工のための機械設備。そして、副資材(たとえば切削油など)。それに、電力やスチームなどの用役。金型や治工具。そして(時には)作業スペースなどなど。

こうしたものを総称して、「リソース」と呼ぶ。リソースは製造に必要なもののうち、直接資材と情報をのぞく、ほぼすべてのものを指すと考えていい。カタカナ言葉で呼ぶくらいなら、日本語で『製造資源』と呼んでも良さそうなものだが、現場ではあまり聞かない。労働者のことを“資源”と呼ぶのは、抵抗感があるからかもしれない(もっとも英語では人事のことをHuman Resourceともいうが)。

むろん、リソースの考え方は、製造作業に限らず、検査、搬送、保管などの、生産と供給にかかわる作業すべてに共通に使える。直接の資材と情報以外に必要な、機器・作業者・道具・用役などをリソースととらえることができる。

ところで、生産計画やスケジューリングにおいて、リソースの取り扱いは難関の一つである。つねに細心の注意を払っておかないと、しばしば足元をすくわれる要素になる。ERPやAPSを導入した。必要な資材も情報もそろっているはずだ。それなのに、現場が動かない。なぜだ!? という問題が出るときは、たいていどれかのリソースが足りなくなっているせいなのである。

SAP R/3などのERPパッケージが備える生産管理モジュールは、ほとんどがMRPの手法を計画系機能のベースにおいている。MRPでは原則として資材と指示情報の枠の中でしか考えないから、リソースで問題が出るのはある意味で当然だ。

リソースには現場のいろいろな制約が集中する。その中でも、ふつう一番きつい制約になるリソースは機器設備の処理能力上限である。APSは、この能力の上限を考慮しながらスケジュールを立ててくれる。だから、MRPと違い、APSは実行可能なスケジュールを与えるはずだ、と信じる人は多い。APSベンダーもそんなふうなことを宣伝する。

だが、残念ながら、リソースは設備や作業者だけではない。たいてい、スケジューリングは他のリソースでつまずくのだ。

リソースの制約は、多種多様だ。設備や作業者ならば、供給能力の上限値であらわすことができる。しかし、金型や治工具はそうはいかない。作業中は占有されていて、作業が終わると開放される、1か0かのデジタルな制約だ(より正確にいうと、前段取りや後段取り時間も考慮しなければいけない)。また、用水や副資材などのように、使用後にリサイクルされてタンクに戻ってくるリソースもある。設備にしても、同種の機械のあいだで能力をプールできるもの、一時的に代替できるもの、など、非常にバラエティに富んでいる。

そして、APSのモデル化の能力を計る、一番いい指標は、リソースについていかに多様な種類が用意されており、どの程度モデル化がフレキシブルかを見ることである。逆にいうならば、生産スケジューリングがリソースでつまづくことが多いのは、APSにおける問題のモデル表現において、フレキシビリティを補うため恣意的に使われるケースが多いからだ。

生産スケジューリングにとりくむ場合、リソースの種類と使い分けを、ゆめゆめ侮ってはいけない。
by Tomoichi_Sato | 2011-07-27 19:53 | サプライチェーン | Comments(0)

新任リーダー学・超入門(3) 仕事を指示するときに必要な事

Sさん、ばたばたして前回から1月以上、間が空いてしまい、どうもすみません。前回は「マネジメント」という言葉を取り上げて、世の中に流布している思い込みと誤解についてお話しした訳ですが、そろそろ前口上はお終いにして、具体論に入ることにしましょう。

マネジメントが「人を動かして目的を達成すること」を意味する以上、他人にどうやって働いてもらうか、が出発点になることは間違いありません。じゃあ、動いてほしい他者と、目的を共有する? たしかに、それはそれで、大事なことです。でも、目的を共有したからと言って、その相手が自発的に、ちょうど自分の求めるとおり動いてくれるとは限りませんね。

それに、たとえば外注先に何かをしてもらうような場合、先方の目的は自分の目的とは異なるでしょう。こちらは新製品で何か最新の技術を試したいと思って、部品加工を発注する。しかし相手は、当方の新製品という目的には無縁で、受注金がほしいだけかもしれません。両者をつなぐものはお金だけ、という関係は企業間ではごく普通のことです。

さて、人に動いてもらうためには、こちらから指示ないし依頼を出す必要があります。指示(Order)依頼(Request)の違いはお分かりですね? 当方に命令の権限がある時には「指示」できます。相手の側に、するかどうか判断する権利がある場合は、「依頼」をすることになります。上司-部下の関係では、基本的に指示になります。部署間の関係では、社内の権限規定に従います。たとえば、生産管理部から製造部に生産指示(Production Order)を出したり、営業部から物流部に出荷指示(Shpping Order)を出すのは、普通のことでしょう。一方、たとえば保全部から資材購買部に対しては、購入依頼(Purchase Request)をかけることになるかもしれません。他社に発注する場合は、発注書(Purchase Order)という名前の指示を出すことになります。

では、その「指示」や「依頼」には、具体的にどのような事柄を指定べきでしょうか? 生産指示や購買依頼などは伝票化されていて、たぶん書き込むフォーマットが決まっています。しかしオフィスで、ホワイトカラー同士が非定型な業務を指示するときには、いちいち伝票なんか書きません。とはいえ、たとえ伝票化されていなくても、そこで規定すべき最低限のデータ項目は決まっているのをご存じですか。人を動かす時に最低限伝えるべき情報--これこそマネジメント入門の第一歩ですね。

指示に必要な基本要件は、4つあります。「アウトプット」・「インプット」・「リソース」・「完了条件」の4つです。誰かに仕事をしてもらう時には、必ずこの4種類の情報を伝えなければなりません。

アウトプット」とは、仕事の成果物です。何を作って届けてほしいか、を指定します。ものづくりの仕事の場合は、成果物は具体的な部品や製品ですから、分かりやすいでしょう。でも、成果物がモノではなく、紙や電子媒体に書かれた情報の場合もあります。たとえば、調査という仕事を依頼した場合の成果物は、「レポート」という情報です。また、モノと情報の両方を、アウトプットとして要求する場合も、もちろんあります。製品と同時に、その性能テストの結果表を添付して提出するようなケースですね。

2番目に必要な要件は「インプット」です。インプットもまた、モノの場合と情報の場合があります。ものづくり系の仕事では、インプットは素材や部品など、最終的には成果物の中に組み込まれてアウトプットされるモノですから、イメージしやすいでしょう。情報のインプットの場合は、その作業(知的作業のはずですが)に必要なデータや情報源を指します。市場調査の依頼なら、ベースとなる統計資料や、ネットの情報源がそれにあたります。レポートや論文を書く時に、「参考資料」として挙げるのが情報のインプットです。

三番目は、「リソース」です。リソースについては、わたしのサイトでも何度か述べましたが、なかなか日本ではなじみの薄い、定着していない概念です。なまじ「資源」という訳語があるため、通じたような気になりますが、誤解も多いため、もう一度ここで説明しておきます。リソースというのは、仕事の遂行中は占有するが、仕事が完了したら解放される性質のものです。たとえば、ものづくりでは、工作機械や工具、作業者、作業スペースなどがそうです。オフィスワークならPC・プリンタなどもそうですね。

リソースの特徴は、それ自体は成果物に組み込まれ消費されて無くなったりせず、ほぼ元のまま残る(多少は減耗するが)ことです。とくに、作業者・担当者というリソースを、ヒューマン・リソースHuman Resourceと呼びます。

余談ですが、よく「経営資源は人・モノ・金」という言葉を聞きますが、正確に言うとこの中でリソースなのは人だけです。モノ(部品材料)は製品となって消費されますし、金も消費されます。さらに「情報」も加えて四大経営資源と呼ぶ人もいますが、情報は作業中だけ占有される性質のものではありません。

最後の要件は、「完了条件」です。指示するその仕事は、どのような条件の下に完了すべきか。たとえば、完了期日(納期)はいつなのか。成果物は、どう受け渡すのか。それを規定します。以上をまとめると、以下のような表になります。

(1) アウトプット: 成果物の品目・数量・仕様、
            出力情報 など

(2) インプット: 材料品目、
           入力情報 など

(3) リソース:  担当者、
           道具・機械
           作業場所 など
           
(4) 完了条件:  期日、
           受け渡し方法 など

「アウトプット」・「インプット」・「リソース」・「完了条件」の4つが決まれば、どのような仕事であるかが決まります。他人に仕事を指示・依頼する時には、上の項目をカバーした表を作って、渡すようにします。

逆に、Sさんが誰かから(たとえば上司から)仕事を頼まれる時には、上記の4項目をきちんと確認し、表に書いてからスタートすることをお勧めします。ことにオフィスワークでは、こうした要件は曖昧にされがちで、後で「自分の暗黙の期待と違った」云々、と言われることが多々あります。自分の仕事にメリハリをつけるためにも、(まあ上司が上記の表を記入して渡してくれることが理想なのですが、たぶんあり得ないでしょうから)自分の頭の中で、表を作って整理しながら指示を聞く習慣が必要なのです。

なお、「インプット」や「リソース」は、相手が考えるべき事であって、こちらが指定しなくてもいいのではないか? という疑問を持たれたかもしれません。それは場合によります。相手と同じ仕事を繰り返し行っている時や、相手が材料もリソースも自分の責任で手配する約束の時は、それでもかまいません。ただし、その場合は、できあがった成果物の品質についてはあまり文句は言えません。とくに情報がアウトプットとなるオフィスワークでは、成果物の品質はインプット情報や担当者(リソース)に大きく依存します。だから、品質のリスクは、頼んだSさんの側に残ることをお忘れなく。

今回は、これで終わりです。他者に対し仕事の指示を出す時、最小限ここに書いた4要件はつねに意識するようにしてください。そのうち、マネジメントも中級になってくると、さらに追加的な項目が必要になってきますが、誰でもまずは初級からです。この表が、Sさんのリーダー業務の滑り出しの助けになることを願っております。
by Tomoichi_Sato | 2011-07-22 23:18 | ビジネス | Comments(0)

書評:「トップコンサルタントがPTA会長をやってみた」 三谷宏治

トップコンサルタントがPTA会長をやってみた—発想力の共育法

小学校の新入生100人を前にして、あなたなら、入学式で何を話すだろうか。相手は活発で、天真らん漫で、だが難しい言葉も知らず忍耐心も無い幼児たちだ。持ち時間は9分。何を話すか、だけでなく、「どう話すか」「どう興味を引きつけるか」が大事になる。

この著者は、ピンポン球1個と直径1mのゴム製大玉とで、PTA会長としての『入学式デビュー』を果たした。二つのボールを上下に積んで、同時に地面に落とす。そして起きるビックリ現象。これで、物理の不思議と交通安全という二つのメッセージを、子供たちの心に強烈にやきつけた著者のアイデアは素晴らしい。この人は天性の「コミュニケーター」にちがいない。

コミュニケーションの上手さは経営コンサルタントにとって最大の武器だろう。「教わる癖がつくから、俺は、教えない」と著者はいう。聞き手に「考えさせる」話し方は、人を動かす仕事では、とても大事だ。それは経営コンサルティングのみならず、セールスや部下への指示でもヒントになる。知的刺激に満ちた、魅力的な本である。
by Tomoichi_Sato | 2011-07-18 22:38 | 書評 | Comments(0)

納期は「目的関数」か、それとも「制約条件」か?

ORの世界では、最適化問題とは目的関数を決め、それを制約条件の中で最大化する手法の研究だと考える。私自身は、スケジューリング問題を最適化の文脈でとらえることに、一貫して反対してきた(「スケジューリングは最適化の問題ではない」参照)が、世の中の主流がその方向で認識していることは確かだ。

ところで、スケジューリング問題における納期は目的関数たりうるか、などというと疑問に思われる方もいるだろう。生産計画の目的関数が利益最大化であることは自明ではないか? 納期は順守が原則だから、制約条件であるはずだ、と。

答えはYESでもありNOでもある。疑問に思う人は、つぎの問題を考えてみてほしい:今、営業部に客先から急な引合いが入って、ある製品Xについて納期を答えなければならない。工場はすでに計画にそって動いているから、この注文は飛びこみ扱いになる。スケジューラーは工場設備の能力余裕を調べ、いつだったらその製品Xが製造可能かを計算する。しかし、あいにく今の計画のままでは、営業の希望する納期は満たせそうもない・・

このとき、計画担当者のとりうる行動は二つある。営業部に「納期は守れません」と答えるか、さもなければ現在の実行計画の内で、納期に余裕のありそうな製造オーダーを後ろに動かして、飛び込みの注文が希望に間に合うようにするかだ。あなただったら、どちらにするだろうか。

後者が正解、のように思えるかもしれない。しかし、そこには一つの仮定がある。それは、希望納期に遅れたらその引合いは失注するだろう、という仮定だ。これが本当かどうかは、営業部が客先に本音を確認してみないと、じつは分からない。もしかしたら、分納によって一部は後からでもいい、と言ってくれるかもしれない。金額による、かもしれない。ようするに、計画者だけでは判断しようがないのである。納期予想の確度は需要側の性質できまるからだ。

このように、納期を制約条件と決めつけるのは危険である。このため、たいていのAPS(先進的生産スケジューラ)には、納期からのずれを目的関数に組み入れる機能を持っている。そして、納期遅れの最小化問題として解いたり、あるいは納期遅れにペナルティを設定して金額に換算し、利益からこれを引いて目的関数としたりする。

納期のように、一種の制約条件ではあるが、ペナルティ項目として目的関数に組み入れ可能な(いいかえれば、ある程度は破ってもいい)ものを、「ソフトな制約条件」と呼ぶ。月の労働可能時間なども、残業を考えればソフト制約の場合が多い。これに対して、たとえば同時に使用可能な金型の数のように、どうしても緩和できないものを「ハードな制約条件」とよぶ。

OR的なアプローチでスケジューリング問題を解くときには、ソフトな制約条件を目的関数化して、いかに制約を緩和し、解空間の大きさ(自由度)を広げるかが、テクニックの一つなのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-07-14 23:41 | サプライチェーン | Comments(0)

ヒノモト家の人々 - マクロ経済学的素描

いつだったか、役員向けの説明資料を作っているときに、ふと「経営者にとっての1億円というのは、自分みたいなサラリーマンにとっての1万円みたいな感覚なのだろうか」と感じたことがある。決済権限の基準は会社によっていろいろだが、億を超えたら、まずどこでも役員決裁が必要になる。「1億円の買い物です、と気楽に言うが、1億の利益を稼ぐのがどれだけ大変なのか分かってるのか!」と言われたこともあった。これってちょうど、自分の子どもが1万円の買い物をねだりにきた時と同じ感覚なのかもしれない。

たとえば年商500億円と言ったら立派な中堅企業の業容だが、その企業にとって1億円は、ちょうど年収500万円の個人にとっての1万円に相当する。だとすると、中堅企業に5億円のERPパッケージ一式を売りに行くというのは、Office Suiteソフトウェアを5万円で買ってくださいというのと同じだし、30億円の工場ライン新設の提案は、30万円で部屋のリフォームを提案するのと似ている、のかもしれない。すくなくとも、企業の1億円=個人の1万円、という換算は、少しだけ相手の感覚に近づく手がかりになった。

最近ふと、官公庁の資料を読みながら、この換算式は日本全体を論じるときにも当てはまるのではないか、と思いついた。ただし、国全体の場合は1兆円=個人の1万円である。ちょうど日本の人口も1億人ちょっとであることを考えると、あながち根拠レスな対比ではあるまい。たとえば、経産省の産業構造ビジョン2010などを読んでいると、“戦略五分野で、今後140兆円以上の市場創出。インフラ関連/システム輸出で18.2兆円の増大”などと書いてあるが、単位が大きすぎて何の事やらピンとこない。だが、これを兆→万に換算すると、「そうか、年収140万円の増加が目標で、システム輸出の分は18万円くらい稼ぐつもりなんだ」と、自分の理解範囲にぐっと近づいてくる。

そこで、このアナロジーをもっと強引に使って、日本経済全体像を、身の丈に合わせた形に書いてみよう。すなわち、「日の本」家の人々の暮らし向きである。

ヒノモト家の現在の年収(GDP)は、約480万円弱である。月々約40万円だと思えばいい。'90年代の一番多いときには、520万円近くあったのに、もう10数年間も頭打ちで減り続けている。

ヒノモト家を取り仕切っている、一番えらい人は父親(政府)だ。この人の年収は90万円である。でも、その半分は実は他の家族から入れてもらっているお金を、管理しているにすぎない。そして、残り半分は借金である。この人自身は、何かを作り出して稼いでいる訳ではないのだが、皆に対してあれこれ指示を下し、「皆が安心して暮らしていけるのも俺が居るからだ」と口癖のように言っている。収入90万円のうち70万円は、家の補修や医療費、セキュリティなど皆の生活を支えるために使っているが、残る20万円は、以前借りたお金の返済に使っているのだから、ちょっと馬鹿みたいだ。累積債務は900万円もあるのだが、「なあに、いざとなれば財産は沢山ある」と言っている。

ヒノモト家の長女(農業)は、ずっと趣味的な家庭菜園を続けている。昔は家族全員の食べるものを作った時もあったが、最近では4割くらいしか自給できていない。土は肥沃で水にも日光にも恵まれており、おかげで良い作物も少しは作るのだが、菜園のあちこちは草ボウボウだったりする。高齢化のために足腰が弱ってきているせいだろう。後継者がほしいと言っている。家の外には作物はほとんど売らない。年収は7万円ちょっとである。

ヒノモト家の長男(製造業)は、筋骨逞しいが、年を取ってきてこのごろ背中がちょっと淋しい。頑固で、意見を大声で言う。自分が皆を食わせているという自負があるのだろう。でも、この人の年収は100~110万円くらいで、一家の稼ぎの2割を切ってしまった。20年前には125万円くらいあったのだが。この人は、家の外とのつきあい(輸出入)が一番多かったので、“自分は世間を良く知っている”と信じているが、最近は減ってきたので、皆からその内実をあやしまれている。でも、「ヒノモト家の復興は俺が支えるんだ」と、まだ頑固に言っている。

次男(流通サービス業)は、ひどく太っており、歩くのがのろい。でも実は長男より稼ぎが多く、220万円弱の年収がある。ヒノモト家の約45%を、この次男が稼いでいる勘定だ。だったら、もっと贅肉を落としたらいいのに、と周囲からは言われている。

ヒノモト家の次女(金融業)は、眼鏡をかけた才女である。父親の通帳も預かっていて、実はいろいろなことに自分の意見を通している。父の借金は彼女を通しているからだ。他の家族も、彼女からお金を借りたり稼ぎの中から返したりしている。ただ、この人は慎重なのか無謀なのかよく分からない性格で、家族にお金を融通するときは担保を取り、決して損をしないようにしているのに、一度、外の男にだまされて財産をかなり失った。だが、父親のかけ声で、家族皆に援助金を拠出してもらった。本人も覚えているはずだが、まるで何もなかったかのように振る舞っている。電卓が商売道具なのに技術オンチらしく、電卓が1週間くらい動かないことも最近あった。お金は沢山預かって持っているが、本人の年収は30万円ほどである。

三男(建設・不動産業)は地味だがそつのない服装に、営業用笑顔をいつも見せて歩いている。年収は90万円強。皆の住む家の増改築・営繕と賃貸を仕事にしている。父親や次女とも仲が良く、20年前はかなり羽振りも良かったが、家の外で何やら痛い目にあったらしい。最近は家も建て増しの余地はなくなって、次はどうしようか考えあぐねている風情である。

ヒノモト家の最後の登場人物は、母親(家計)だ。この人には稼ぎはなく、使うだけである(年に約300万円くらい)。皆の衣食住の面倒を見ている。もちろん、この人が居なくなったら他の家族は皆、生きていけなくなるのだから、もっと敬意を持って接しても良さそうなものなのに、「お客さま」としてお金をもらう時くらいしか愛想を言わない。母親も、そんなものだとあきらめているらしい。

(念のために書くが、上記で業界の「稼ぎ」・「収入」と表現したものは、各産業の『付加価値額』であって、売上の絶対値ではない。付加価値とは、その業種が生み出す経済的なバリューであり、売上から外部に支払うお金を差し引いたものである。国内で生み出された付加価値額の合計が、DGP=国内総生産になる。なお、政府系サービスその他の細かい項目は、ここでは無視している)

さて、このヒノモト家で最近、困った事故があった。長女の住んでいるスペースで、北東向きの池に面した一角が、突然の災害で大きくこわれてしまったのだ。長女も怪我をした。そればかりか、そこに父親が置いていた発電機が壊れて、有毒な物質があたりに飛び散ってしまい、危険で近づけなくなったのである。被害総額は、25万~30万円くらいかもしれないと言われている(誰も正確にはよく分かっていない)。長女や母親は、「大丈夫だから」と言い続けてきた父親になんとかしてもらいたいと思っているが、一家の家計から見ると、すぐおいそれと出せる金額ではない。『一刻も早い復興を』と皆、口では言っているが、具体策となると家族で意見が分かれている始末だ。

これがヒノモト家の人々である。どこにでもいる、ごく普通の人たちだ。“村で二番目に稼ぎがある”と自慢することもあったけれど、「土地があって家族が多けりゃ当然だんべ」と思う村人もあるらしい。なにより、皆の集まる寄合いでも、二言目には『お金』の話をすることが、鼻白むべきことと思われている節がある。けっこう風流なところもあるのに、残念な人たちだ。チキュウ村では、ときに喧嘩もあるが、基本は助け合いである。なのにヒノモト家の人たちの態度は、このごろひどく内向きだ。今でも人並み以上に稼ぎはあるのだから、もっと村をリードし助けることを考えるのが大人だろうに、と周囲は思っているのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-07-11 22:39 | 考えるヒント | Comments(1)

「在庫管理」には二種類ある

拙著「革新的生産スケジューリング入門」の冒頭にも書いたとおり、私はあまり「管理」という言葉を使わない。管理という日本語は便利だが、非常に多義的であり、使い方に注意しないとみえない誤解を生むことがある。

その一つの典型が「在庫管理」ではないだろうか。在庫管理をめぐって社内外の技術者と議論すると、どうも誤解や混乱が生じることが多い。そのうちに私はふと、在庫管理という用語が、じつは二種類の異なる意味で使われていることに気がついた。それは「在庫品」のコントロールと、「在庫量」のマネジメントである。

いったいその二つのどこが違うのだ、とお思いだろうか? 在庫品を管理する事とは、同時にその数量を管理することでもある、はずではないか。

ところが、必ずしもそうではないのだ。製造業の中には、製品や資材の物的管理はきちんとしているが、製品在庫量や資材の在庫レベルについては明確な基準がなく、なりゆきまかせに近いところが、少なくない。それどころか、この両者を担当する部署が異なる場合さえある。うかつにも私は、このことに最近まで気がつかなかった。それというのも、管理という日本語に安易によりかかっていたせいだ。

在庫管理の本を読むと、パレート分析(ABC分析)や、定期・定量発注方式、ダブルビン法などが解説されている。また、安全在庫数量と経済的発注点をもとめるWilsonの公式がのっていることもあるだろう。こうした理屈は、在庫数量をどうするか、という課題に対して役に立つ。在庫が多すぎては困るし(在庫金利や保管費がかさむ)、少なすぎて欠品をしばしば起こすようでは、業務に差し支える。

そこで、基準レベルを決めて、足りなければ補充の依頼をかけ、多ければ供給を止めて減らしていく。無論、客先需要や社内の使用量はいろいろな要因で変動するから、うまく先読みをして計画を立てる必要がある。--こうした行為が、すなわち「在庫量のマネジメント」だ。マネジメントとは、リスクや環境変動の中で、なんとか目的を達成するための営為を指す。

ところで、「在庫品のコントロール」は、もっと目の細かい、几帳面さを要求される現場作業である。在庫品一つ一つに現品票や整理番号を与えて台帳に記帳し、物品を傷つけないように保管し、入出庫し、包装あるいは開梱し、搬送する。そして、どの物品がどこにあるか、その所在をつねに把握しておく。いったん要請があれば、すぐに取り出せる状態にする。また、急な入荷に備えて、つねに保管スペースの空きを用意しておく。

とうぜんながら、在庫品のコントロールもまともに出来ないような工場では、在庫量のマネジメントなど出来るわけがない。保管がわるくて損失が出たり、所在が行方不明になるようでは、在庫量の把握もおぼつかないからである。しかし、在庫品のコントロールが出来ている企業が、必ず在庫量をマネジメントしているかというと、そうとは限らない。コントロールはマネジメントの必要条件だが、十分条件ではないのだ。

ことに最近は、物流業務を3PLに外部委託するケースが増えている。この場合は、請け負う側は物品のコントロールのみに責任を持つ。在庫レベルの増減、つまりいくつ売り、いくつ作るかは、物流会社の権限の外である。こうして、二種類の在庫管理は、いよいよ組織面でも権限的にも異なるプロセスとなっていく傾向にあるようだ。

そこで私は、混乱を避けるために、前者を物的保管業務、後者を在庫量統御業務とよぶことにしたらどうか、と提案したい。提案したいが、あまり受けないだろうことは想像に難くない。だって「管理」の語がなければ、自分の仕事にちっともありがたみが感じられないではないか。
by Tomoichi_Sato | 2011-07-07 23:32 | サプライチェーン | Comments(2)

農業のサプライチェーンを考える

先週、農商工連携セミナーの準備で、また北埼玉に行った。今度は農家の見学だ。わたしは工場見学が大好きなのだが、生産農家の見学は初めてだ。その前日、「日本一熱い町」熊谷市は気温39.8℃を記録した。一種のフェーン現象らしいが、風がけっこう強く、"まるでヘアドライヤーの温風の中に立っている如き"状態だったという。だが、当日はそれほどひどい天気ではなかった。「しかし、この頃は異常気象が『普通』になってしまって」と、見学を受け入れてくださった田沼氏はいわれる。

「農業の仕事は作物との会話です。今、作物は何をほしがっているか、それを感じ取る技術がいります。天気や環境は毎日変わるし、『これで正解』というのは無い。」--こういう話を聞くと、なんだか部下を持つマネジメントの仕事との奇妙な類似性を連想するわたしは、きっと芯から産業社会に染まりきっているのだろう。

田沼氏は現在、主に水稲・人参・ネギを作っておられる。作付面積は三種類でほぼ同じだが、収入の構成比率は、水稲:人参:ネギ=1:3:6 くらいだという。稲作が一番保護されて、儲かるものだとばかり思い込んでいたので驚いた。逆に言うと、それだけ人参やネギの生産性が高いのだろう(今年は人参が安いが、普段はもっと良いらしい)。農地1反あたりの年間収入を「反収」と呼び、農業経営の基本単位であるが、田沼氏のやり方では野菜の方がずっと反収が高いのだ。ちなみにキャベツ・ブロッコリーで1反30万円くらいだ。ネギだと1反100万円以上行くという。

それにしても、いくら有名な深谷ネギの産地とはいえ、ネギはさほど値段の高い野菜ではない。なぜそれだけ反収が高いのか。不思議ではないか。その秘密はどうやら、出荷期間の長さと関係があるらしい。氏のやり方では、ネギの定植は1ヶ月間の間だが、出荷期は9ヶ月間もあるという。ほぼ同時に植えて、収穫の時期をそれだけ長くするためには、肥培管理などの技術が必要だ(肥培は「ひばい」と読む)。また必要に応じて葉先だけを刈り取ったりもする(ネギはすぐに伸びてくる)。そうして、それぞれベストな時に出荷する。ちなみにネギの一番の旬は冬で、霜が降りる頃に味の差が出るという。ネギの品種は全国同じだが、その差は育て方の差だ。

田沼氏は機械を使った省力化にもかなり積極的に取り組んでいる。大家族が当たり前だった昔の農家ならいざ知らず、現代ではどこも少数の手しかない。田沼氏に、ネギの自動定植機や、自動収穫機を見せてもらった。機能としては、稲作のコンバインなどと同様だが、機械メーカーと開発段階から協力したという。それでも高価なのだが(水田用機械と違い、量産効果が出にくい)、これなしではやっていけない、といわれる。田沼氏のネギは、幼苗栽培である。自分で育苗し、機械の力を借りて植え付ける。これが省力化では一番の方法だという。育苗は、タネ屋さんも定植機を作って温室管理した苗を売っているが、自分で育苗すべきだ。育苗が、一番技術がいる。県の普及所の指導員さんも、そこまですべては教えきれない。--これが氏の意見だ。

なるほど、と感服したが、まだ何か論理のつながりが欠けている気がする。機械化は、原価低減(省力化)には役立つかもしれないが、ネギの売価を上げはしない。では出荷先についてはどうなのだろうか? 氏は深谷の生産市場に出荷している。生産市場の買い手の8割以上は転送する仲買業者と地元スーパー・チェーンだ。市場は、買う側の顔が見え、要望が分かる点が良いのだそうだ。また売り手も「生産者番号」で顔が分かる。

ちなみに、20年前からJAには全然出荷していない、という。JAの納入は午前11時までという制限がある(生産市場には日中の制限はない)。農協出荷は京浜の市場向けが多く、運賃もかかる(10kgで80円かかる)。そして販売手数料を25%も取られる。つまり年に軽トラック1台分くらい収入が違ってくる。県北で収穫し、農協経由で東京の青果市場に持って行き、また戻ってここらのスーパーの店頭に並べられる。往復だけ無駄ではないか。昔は市場も東京集中だったが、今は地産地消になった。

これをきいて、前回「埼玉産直センター」で聞いた話を思い出した。あちらでも、生産者と組合は作付契約をして、収穫したものは基本的に全量出荷する。つまり農協には出さないわけだ(地域の義理などがあるから、完全にゼロにはならないらしいが)。なぜ、農協を通さないのか。それは、農協→卸売市場→仲買→小売り、という長いサプライチェーンに問題があるからだ。

どういう問題か。非効率、というのも一つの問題だろう。手数料の増加、輸送の長距離化・大ロット化などがある。また、古くからの「市場」を通すことで、消費者のニーズが見えにくくなることも障害だ。

だが、最大の問題は、サプライチェーンの需給調整機能が働きにくい点にある。サプライチェーンには、種々の変動の結果、需要も供給も変動するリスクがある。もし供給が多くなれば在庫の形で、また需要が高まれば納期(バックログ)の形で、リスクの吸収と調整が行われる。しかし、困ったことに野菜はあまり在庫がきかない上に、消費者はバックログも許さない(え、キャベツが品切れなの? じゃあ、今日は別の料理にするわ)。その結果、需給調整機能はもっぱら、価格によって行われることになる。こうして相場の乱高下が起きやすくなる。いや、それだけではない。古くからの農協関係者には、どうも「相場」が逆に儲けるチャンスに見えるらしい。そういう面も、無くはないだろう。しかし大組織ならともかく、各農家はそれでは生活のメドが立たずに困ってしまう。

それを解決する方法が、出荷期間を長くすることだったのである。いわば、畑に「在庫」しておく方法だ。需要が強い時には多めに出荷し、弱まれば出荷を遅らせる。無論そのためには、水・肥料・農薬そして幼苗の定植など、細心の注意が必要となる。それでも、出荷期間を長くして出荷量を平準化できれば、相場の変動に巻き込まれにくくなる。なお、「平準化」という生産管理用語を使ったが、これは工場などにおける平準化とは違った狙いがある点に注意して欲しい。工業製品は基本的に、いつ作るかは好きな時に決められる。作業負荷のばらつきを抑えるために、また「作りすぎ」を防止するために、平準化するのである。一方、農産物は季節性の強い制約がある。だから一時にたくさん出来てしまう。これから逃れるために出荷の平準化を行うのである。

サプライチェーンの形は産業により、様々である。しかし、共通していることがある。それは、需給のギャップが生じるリスクがつねに存在する点だ。そのギャップを、自ら調整する能力を持つ者が、そのサプライチェーンの支配力を持つ。逆に、調整能力の最も小さい者には、つねにリスクが押しつけられることになる。自動車のサプライチェーンと家電・電子機器のそれが似て非なる理由は、ここにある。自動車はメーカーが支配力を持つ。しかし電機業界では、小売りの側がヘゲモニーを奪ってしまったのだ。そしてしわ寄せを食うのは、どちらも下請けの部品サプライヤーである。

田沼氏の知り合いに、化粧品関係の下請け工場の経営者がいるが、農業に興味を持っているのだという。量産型の工場は、はたには良く見える。だが下請けは注文がなくなれば収入の道はない。農業は、とりあえず作れば売れる。むろん、そのためには販路が必要だが、今は農業もやり方で差が出る時代だ。そう語って、田沼氏は笑顔になった。


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 「農業に日本の未来を読み取る
by Tomoichi_Sato | 2011-07-05 00:12 | サプライチェーン | Comments(0)

スケジューリングは最適化の問題ではない

旅行の予定を立てるとき、普通はまず時刻表を見る。飛行機か鉄道か、手段はさまざまだが、目的地と到着すべき時刻がはっきりしている限り、コストと所要時間を見てもっとも良い移動方法を見いだすことは簡単だ。経路が複雑な場合は手間がかかるかも知れないが、それでも最適なルートは必ずあるはずだ・・・。

こういう信念で生産計画の問題にも挑みたくなる気持ちはよく分かる。工場の稼働時間と生産能力、こなすべき生産指示と必要な資材、こうした条件がはっきりすれば、手間さえかければ最適なスケジュールを組めるはずだ。問題はその手間をいかに短くするかにある、と。

ところで、あいにくわたし自身はこうした意見に反対だ。スケジューリングを最適化問題の枠組みでとらえるべきではない。拙著「革新的生産スケジューリング入門―“時間の悩み”を解く手法」でも、その後の学会発表などでも、つねに私はこう主張してきた。しかし、なかなか理解してもらえない。わたし自身の非力さはむろんのことだが、人々が問題にアプローチするときのパーセプション、おおげさにいえばパラダイムの強さをまざまざと見る思いがする。

わたしが最適化のアプローチに反対するのは、それが生産計画の問題をスタティックな(静的な)構造の中でとらえる傾きがあるからだ。さながら時刻表を読む人のように。しかし果たしてそれは本当だろうか?

空港に来てみると、お目当てのフライトが天候を理由にキャンセルされている。次の便は4時間後の予定だ。別の会社の便は1時間後に飛び立つが、経由地があって遅くなるし、こちらも天候が不安だ。途中でおろされてはかなわない。今から市内にもどって鉄道で行くべきか、しかし座席はあるだろうか・・・。我々が生産の中で直面する現実とは、ほんとはこんな風なものだと私は思う。どの選択肢を選ぶにせよ、それが正解だったのかどうかは、あとになってみないとわからない。その時点では正確に比較評価しようがないのだから。

最適化」は多くの人が好む言葉だ。なんとなくかっこいい響きがそこにはある。だからコンサルタントも学者もソフトウェア・ベンダーも、こぞってこの言葉を使いたがる。たとえば「最適スケジュール」というと、ぎりぎりの資材手配の中で目を見張るような短納期が実現されるような空想を持つ。しかし、そのように美しいスケジュールは、飛び込み注文のFAX1通で、ガラス細工のように無残にこわされる可能性がある。こわれて飛び散ったガラスのかけらを拾い集めながら、あなたはもう一度、別の美しい像を完成させる気力があるだろうか? 多少隙間があって不格好でも、多少の飛び込みには耐えられる、柔構造のプランが欲しいと思わないだろうか?

スケジューリングは最適化の問題ではない。

二つ以上の選択肢があったときに、その中から一つを選ぶのは最適化の一部だと人はいうかもしれない。あれかこれか、の可能性があるときに、その中からもっとも良いものを選ぶのは当然の義務だと。

それでは、あなたが結婚相手を選んだとき、それは最適化の問題だっただろうか? あるいは(この比喩は結婚の経験がない人に誤解されそうなのであわてて言い直すのだが^^;)、あなたが自分の進路を選んだとき、それは最適化の問題だっただろうか?

選択というものは常に「賭け」なのである。それは未来に対する自分のコミットメントだからだ。そして、その結果は、そのとき一回の結果だけで評価されてはならない。評価すべきなのは、その決断をしたときの戦略であり、それがどれほど確としたスタンスの元に行われるかなのだ。

生産の世界では、一瞬先のことはわからない。海図はあっても、先の天候はわからないのが航海の宿命だ。生産計画はけっして港の事務室に座って海図に線を引く作業ではない。刻一刻と変わりつつある風向きをとらえ、波しぶきを切って船の進むべき方向を決める航海士の仕事こそ、スケジューリングと呼ばれる業務なのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-07-01 23:48 | サプライチェーン | Comments(0)