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生産スケジューラ(APS)はERPと併用するべきか

最近、二人の方からよく似た質問を、別々の機会にいただいた。内容は、生産管理システムと生産スケジューラの連携についてである。10年前に「革新的生産スケジューリング入門」を上梓し解説した自分としては、なぜ今さらこの質問、と思わないでもない。だが近年、生産管理関係の書籍や情報は、トヨタ生産方式やジャスト・イン・タイム(JIT)流の現場カイゼンの解説が全盛だった。経済ジャーナリズムも、基本的だが地味な生産システム関係の話題はあまり扱わず、マクロな経済不況への嘆きか、ミクロな現場の職人技の賛美を報じたがる。生産システムはマクロとミクロの中間に位置するメゾスケールの問題のため、実務経験のない文系記者達には扱いにくい題材なのだろう。だから、こうした、ある意味でいろいろな製造業に共通する問題が見えなくなっているらしい。

その質問の内容だが、知人のコンサルタントからいただいたのは、「APSはMRPとともに用いられることが一般的だと考えていいか」という問いだった。一方、リードタイム短縮に関するセミナーで受講者の方からいただいたのは、「生産管理でつかえるスケジューラ・ソフトウェアにはどんなものがあるのか」だった。APSはAdvanced Planning & Schedulingの略称で、最新型の生産スケジューリング用ソフトウェアを指す。一方、MRPはMaterial Requirement Planningの略で(後にはManufacturing Resource Planningという『進化形』に言いかえられる)、従来型の生産管理ソフトウェアの計画系機能を表す。だから、二つの質問はある意味でよく似ていて、「従来型生産管理システムと、最新型生産スケジューラは、どう使い分けるのか、あるいは併用させるのか」という問いである。

最初に答えを言ってしまうと、「両者を上手に連携させるのが賢い使い方です。生産管理システムのMRPの機能を、外付けのAPSで置きかえる形がいいでしょう」となる。いわば、ハイブリッド型の構成で運用するのである。もっとも、片方だけでは運用できないのか、と言われると、むろん可能である(ソフト・ベンダーは皆そう言って売っているはずだ)。でも、多くの業種においては、十分ではない。

この話を理解するためには、まず製造業における情報の流れがどうなっているかを知る必要がある。図1は、わたしが「MES入門」で描いた図を少し修正したものだ。製造業においては基本的に、計画・指示系の情報の流れ(図では上から下へ)と、進捗・実績系の情報(下から上へ)がある。また、計画立案では実績情報を参照するし、現場作業は指示を実績に変える仕事である。したがって製造業では、反時計回りの情報のサイクルによって全体を動かしていることが分かると思う。

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さて、図2を見てほしい。大手・中堅企業ではこの10年ほどの間に、ERPパッケージの導入がブームだった。それ以前は汎用機やオフコンでの業務ソフトが主流だったが、今やERPがそれをかなり置きかえている。ERPは“機能のデパート”みたいなソフトで、生産管理モジュールを持っている。そして、その生産管理モジュールの計画系機能の中心はMRPである(そもそも、「ERP」という用語はMRPをヒントにSAP AG社が発明した)。

だからERPさえあれば、生産業務も全部OKです、とベンダーは宣伝してきたが、現実はそう簡単ではない。MRPのロジックは、A型BOM(組立型の部品表)、固定リードタイム、タイムバケット単位の時間刻み、そして無限負荷能力などを基本としている。いいかえると、ディスクリートの組立型業種で、製造リードタイムは比較的長く、かつ工場の生産能力にかなり余裕がある工場をイメージしてできている。MRPの生まれた'60年代の米国ならこれで良かっただろうが、2000年代の日本には到底合わない。そのため、これをもとに現場を動かそうとすると、かなりの手作業ないしアドオンの追加が必要になっている。これが図2である。

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この問題は、ERPを使わずに、専用の生産管理パッケージソフトを利用している場合でも、ある程度生じる。その根本原因は、MRPの計算ロジックとデータモデルが不器用で窮屈な点にある。そこで、より柔軟なロジックとデータモデルを備えたAPSを使おう、ということになる。APSは、それこそ今から10年前は米国製の非常に高価なものが主流だったが、今日では日本製のPCで動く軽いパッケージがいろいろ普及している。

MRPの機能は、需要情報から在庫引当てを行い、部品表展開して各工程の期限を計算する機能である。これは通常のAPSはみな持っている。だから、MRP抜きでAPSだけでも動かすことができる。では、「APSを単独で(MRPを使わないで)使用している企業も多い」かというと、答えは「微妙」である。

というのは、APSは通常、部品の調達系機能を持っていない。このため、部品納期がクリティカルとなりやすい場合には、単体では使いにくい。サプライヤーからの納期回答や入荷予定などの情報を別途取り込んでやらなければならないからだ。そういうケースでは、調達系機能をもつ生産管理システムあるいはERPと一緒に使う必要が出てくる。もう一つ、Allocated ATP(生産座席予約)を販売系と共有する場合も、ERPとともに用いることが便利だろう。

したがって、現場への指図(製造オーダー)はAPSから直接出すが、サプライヤーへの購買オーダー(発注書)発行は工場レベルの生産管理システム(あるいはMES=製造実行システム)などを利用する、というハイブリッド型の形態が現実解となってくる。これが図3に描いた仕組みである。なお、製造現場の特性によっては(とくに組立工程が中心の工場では)、別にMESではなくERPの生産管理モジュールをそのまま利用してもいい。図2や図3は、例を挙げただけであって、その企業のニーズと特性にしたがって、最も適した構成にすればいいのである。

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そうは言いながらも、ちょっと気になるのは、最近の日本企業には、このようなメゾスケールの観点からシステムのアーキテクチャーを構想できる人が次第に減ってきている点である。組織の分業病が進行して、工場管理者は皆、ミクロな視野の中を生き延びるのに汲々としており、一方、本社の企画部門は分社化や買収など、マクロすぎる話に熱中している。肝心の生産システムに、システム設計者が居なくなる、というような状況でなければいいが、と老婆心ながら心配している今日この頃である。

<関連エントリ>
 「APSとは何か」
by Tomoichi_Sato | 2011-05-30 23:27 | サプライチェーン | Comments(0)

新任リーダー学・超入門 その1

Sさん。昇格おめでとうございます。お知らせをいただいたのに返信が遅くなって申し訳ありません。

いよいよ「リーダー」格になられたわけですが、この1ヶ月間のご感想はいかがですか。思ったより面白い、とか、思ったほど仕事の中身は変わらなかった、とか、感じ方はいろいろあると思いますが、ともあれ「マネジメント」職に一歩、踏み出されたわけです。

それにしても、「リーダー」という職名は不思議なものです。わたしの業界では「リード・エンジニア」という言い方をしますが、まあ実質は同じです。課長とかマネージャーではない。でも、責任ある立場で、後輩をまとめる仕事を任されます。小さな案件ではプロジェクト・リーダーとして、直接顧客と折衝する必要にも迫られる。つまりリーダーとは、管理職手当の付かない、しかも残業代はしばしばサービスさせられる立場に与えられた名前だ、と皮肉混じりにおっしゃりたくなる気持ちは分かります。

リーダーにはリーダーシップの発揮が求められる--それが、上の方々の期待とのことですが、この「リーダーシップ」もまた、くせ者の言葉です。もともと、英語でLeaderというのは文字通り、先導(lead)する人、の意味です。どこかに向けて移動する、一群の人たちの先頭に立つ者です。ここには格別、上司部下とか指揮命令とかいった権力関係はありません。英語のLeaderは、同格の人たちの中で筆頭の人物を指す言葉なのです。ちょうどSさんがお得意の楽器にたとえれば、オケの中の独奏者みたいなものです。

ところが一方、Sさんが今度なられた「リーダー」職は、同じ職能を持つ技術者集団を引っ張る立場ではありますが、同時にマネジメントすることも求められています。この二つの仕事の違いがお分かりでしょうか?

たとえばSさんが映画監督になったと想像して下さい。監督のSさんは、シナリオに従ってカット割りを考え、カメラマンや照明に準備させます。そして主演女優に演技をこう指示するのです。「そこでカメラの方に振り向いて、涙を流してください。」 さて、そのとき女優が「どうやって泣くんですか? 悲しくもないのに涙なんて流せません!」こう答えたらどうします? 

「そんなことは自分で考えなさい。貴女はプロの女優なんだから。」--これが「マネジメント」の答え方です。マネジメントとは、他者に仕事をしてもらうことです。その仕事は、必ずしも監督自身ができるとは限らないし、できる必要もない。ただ、ほしい結果(アウトプット)だけを指定する。やり方のプロセスは相手に任せる。これがマネジメントです。だからこそ、マネジメントは、複数の異なる職能をたばねて動かす事ができるのです。

これに対し、「自分の感情を集中して、過去のある場面をなぞりながら、顔をゆがめてごらん。そうすれば、自然に涙が流れてくるから。」--こう指示したら、それは「コーチング」の答え方です。コーチングは、固有技術における上手なやり方(プロセス)を教える。コーチは当然、相手よりもうまくできる(あるいは、少なくとも過去には上手だったことがある)必要があります。コーチはマネージャーより部下に優しいとか技術力があるとか、そういう問題じゃない。やっている仕事の内容が違うのです。

日本の会社はほとんどどこでも、初級技術者(担当者)からはじまって、熟練し経験を積むことで、職位の階層を上がっていく、という人事制度をとっています。新入社員の時には、100%固有技術の世界で働きます。そして昇格昇進し上級管理職になると、ほとんど100%マネジメントの仕事になる。ちょうど図のような感じで、固有技術とマネジメントの比率が変わっていくのです。そして、リーダー職は、固有技術70:マネジメント30、くらいの比率でしょうか。固有技術の部分は、自分で手を動かす仕事もありますが、部下へのコーチングの仕事も含まれるのです。
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問題は、図で水色の部分、すなわち「マネジメント」のスキルが、きちんと組織内で教育されないし、十分認知もされていない点にあります。マネジメントのスキルが必要なのに、そこを気合いと根性の「リーダーシップ」で乗り超える、なんて期待が漂っているのです。

マネジメントのスキルは、実際にはハード・スキルとソフト・スキルに分けることができます。ハード・スキルとは、テクノロジー(技術)として形式化し、またシステムにできる知識です。たとえば、モダンPM理論で言うEVMSだとかWBSだとか、生産マネジメントならば経済ロット量や最小スラック順だとかいった技法で、これらは本や講義で学べるものです。ハード・スキルは「マネジメント・システム」化することができる点が特徴です。またシステム化することで、誰がやってもそこそこの水準が得られるように仕組みを作れます。

他方、ソフト・スキルとは、もっとヒューマン・ファクターに近い技能です。交渉とか問題解決とかビジョンの創造といった能力で、これらは簡単に座学で学べるものではありません。素質も必要ですし、磨くための経験の機会も必須です。かなり属人的な能力で、システム化することも難しい。世間で「リーダーシップ」と呼んでいるのは、じつはマネジメントのソフト・スキルを指すことが多いのではないかと思います。いうまでもなく「リーダーシップ・システム」なんて作れないし、誰も求めないでしょう。これがマネジメントとの違いです。

固有技術能力とマネジメント能力は、リーダー職にとって車の両輪です。どちらかが弱いと、スムーズに前に進めません。固有技術が7割ですから、それだけでも一応仕事は回りますが、かなり効率が落ちるし、事態の変化に対応してハンドルを切ることも難しい。だから新任リーダーのSさんにとって大事なのは、これまで未知の領域だった、マネジメントのハード・スキルとソフト・スキルを学ぶことだと思います。

そういう訳で、ご要望に応じ、これから何回かに分けてマネジメント・スキルの初歩をサイト上で解説していこうと思っています。名付けて、『新任リーダー学・超入門』。どうか、肩の力を抜いて、おつきあい下さい。

具体的な内容は次回から書くつもりですが、まずはご質問にもあった「新任リーダーにとってお薦めの参考書」をご紹介しましょう。なかなか良いお訊ねで、何を選ぼうかちょっと迷いました。世間の書店には、ビジネス書のたぐいは山積みになっています。そのほとんどが、前述のソフト・スキルの個別論ですが、玉石混淆なのは致し方ありますまい。むろん、拙著『時間管理術 』(日経文庫)を挙げたい気持ちは山々ですが、ここはまあ謙譲の美徳(笑)を発揮して、長い間読み継がれ評価の定まった古典から選ぼうと思います。

1. D・カーネギー著「人を動かす

第一冊目は、アメリカの自己啓発本の古典、「人を動かす」です。原題は"How to win friends and influence people". 直訳すれば“友人を得て他者に影響を与える方法”ですが、これを『人を動かす』と訳した訳者も偉い。あまりに古典すぎて今さら、と感じられるようでしたら、書店でためしに第1部第1章「盗人にも五分の理を認める」の冒頭の数ページと、「人を動かす原則1」を立ち読みしてみてください。マネジメントとは、繰り返しになりますが、人を動かし、人に働いてもらうことです。どうすればそれが上手にできるようになるのか、ソフト・スキルの第一歩はそれを自分に問いかけることでしょう。

2. 梅棹忠夫著「知的生産の技術

二冊目は、先ごろ物故した民族学者の梅棹忠夫が1960年代、まだパーソナル・コンピュータなど影も形もない時代に著した、画期的な書物です。「知的生産」に「技術」がある、などとは、それまで日本では誰も考えもしなかった事でした。紙のカードやカナタイプライターその他を駆使して、「情報」をいかに「定型化」して処理し知的生産に用いるかを、自ら考案し実践した著者の慧眼には驚くばかりです。手法は現代から見ると古いが、考え方は全く古びていません。このような視点は、著者がもとは理系で理学博士であったことと無関係ではないと思います。

3. C・N・パーキンソン著「パーキンソンの法則

これも'60年代に一世を風靡した本です。この著者は初期のものほど面白いのですが、本書は組織における仕事量と人数には関係がないことを明らかにし、なおかつ官僚的組織では要員数は一定比率で単調増加していく法則を世間に知らしめました。それ以外の章も、イギリス風の知的なウィットに満ちていて、組織で働くことの意味を考えさせてくれます。

よければ手にとって読んでみてください。けっして損にはならないと信じます。

最後に、次回からの各論に入る前に、一言つけ加えさせてください。これからリーダー、さらには上級管理職へと階梯を上がっていくだろう前途有望なSさんには、ぜひ「知性」と「感情」のバランスと統合をめざしてほしい、とのアドバイスを贈りたいと思います。“この人にならついて行っても良い”と思った尊敬すべきリーダーは、みな知性と感情が一人の人格の中で統合されていて、知に働きすぎず情にも流されずに人を動かしていました。感情だけで動く人は、リーダーには向きません。でも、頭は良いが他人の感情が理解できない人も、困ってしまいます。

知的なSさんのことですから、正論を主張したのに皆が動かない、と不満を持たれたこともあると思います。でも、正しいだけでは、組織も人も動かない。人にも組織にも、“感情”があるからです。感情はやっかいな存在ですが、仕事の意味を豊かにもするのです。どうかこのことは忘れずに、毎日の仕事に精進されることを祈っております。
by Tomoichi_Sato | 2011-05-25 23:07 | ビジネス | Comments(2)

トラブルの「技術的解決」と「マネジメント的解決」はどう違うか?

マネジメントとは「人に仕事をしてもらう」ことであり、その仕事の最小単位を『アクティビティ』と呼ぶ、ということはすでに何度か書いた。アクティビティを規定する要素としては、アウトプット、インプット、リソース、完了条件(納期)、そして指示情報と報告情報がある(「仕事の最小単位--アクティビティの構造を学ぶ」参照)。また仕事をちゃんと動かすために、コスト(Cost)、時間(Time)、リソース量(Resources)の3種類を、基本的なパフォーマンス指標として用いるべきことも説明した(「仕事の最小単位(2)--アクティビティのパフォーマンスを測る」)。

さて、仕事をマネジメントするためには、もう一つ必須の事柄がある。それが問題解決である。どんなお仕事にも、問題の発生する可能性はつねに存在する。アクティビティで問題が発生した時、頼まれた側がすべて自分で即刻解決できればベストだ。だが、そうも行かない場合も多い。問題発生時に、それを解決することは依頼者(指示者)にとって欠くことのできない能力である。これは逆を考えてみれば分かる。自分が仕事上で何か困った事態におちいった時、相談に行っても何も決めてくれず何も助けてくれないような上司がいたら、その人は「管理者として無能」だと言いたくなるだろう。

ところで、仕事上の問題解決には二種類の方法があることをご存じだろうか? それが、「技術的解決法」と「マネジメント的解決法」である。この区分は、会社ではあまり教えてくれない--というか、多くの企業では、アプローチに二種類あることを自覚していないのである。

技術的解決とは何だろうか。それは、問題事象に対して、ツール(道具)やメソッド(技法)を用いて対応することである。設計上の不具合ならば修正する。問題の原因が不適切なツールや技法から生じた場合は、それを変更あるいは改良する。たとえ外生的な問題、たとえば材料の急な値上がりの場合でも、廉価な材料への変更や加工方法でのカバー等で影響を押さえ込むのが、技術的解決である。

ではマネジメント的解決とは何か? それは上述したコスト・時間・リソース量の調整、ならびに情報(コミュニケーション)の整理によって、問題事象がアクティビティのゴールや目標に影響を与えないよう押さえ込むことを指す。この説明ではちょっと抽象的だろうから、具体例を挙げて説明しよう。

アクティビティの担当者が困った顔をしてプロマネに報告に来た。ある装置を組み立てて客先現場に据え付けるアクティビティである。サプライヤーが納品してきた装置用主要部品の材質が指定と違っているのだという。客先の指定は金属材料だったが、実際に納品されたものは樹脂製だったことに今の段階で気づいた。その部分の再製作をサプライヤーに問い合わせたところ、素材の購入から手配しなければならないので2ヶ月かかるという。

この装置自体は、プロジェクトが納める全体システムのコアではなく周辺部分に過ぎないが、現場に設置してデータを集めることによって、コア部分の設計情報に利用することになっていた。だから、このアクティビティが遅れると、プロジェクト全体の納期遅れが生じてしまう。どうしたらいいか、という相談だった。

プロマネは、発注条件がどうなっていたかを担当者に質問した。調べてみたところ、さらに困ったことが判明した。担当者の作成した発注仕様書でも全般に金属製を指定していたのに、サプライヤーから提出された承認図には『樹脂製』と明記されているのだ。図面をレビューした時に、それを見落としたまま承認してしまったらしい。これではサプライヤー側だけのミスとは言えなくなる。再製作を指示したら追加費用も要求してくるにちがいない。

さて、あなたがマネージャーだったら、どう考えるだろうか?

この時まずプロマネがとった行動は、後続するコア部分の設計アクティビティに、追加で人を増員すると宣言したことだった。これにより、設計期間が2週間程度は短縮できる見込だった。無論、金属部品再製作に必要な2ヶ月には足りないが、担当者が少し落ち着いて考える時間は得られた。プロマネは、客先が金属製を指定した意図は何かを、担当者にたずねた。答えは、強度と耐摩耗性でしょう、というのが担当者の意見だった。

翌日、担当者はプロマネのところに解決案と称するアイデアを持ってやってきた。強度について文献を調べてみたところ、実際の運転温度では当該樹脂は金属に負けないことが分かった。そこで、樹脂部品を表面加工することで、耐摩耗性を上げる。強度は問題ない。これで客先を説得できないか、と。

これを聞いたプロマネはこう指示した。サプライヤーには、金属での再製作を指示しろ。2ヶ月かかってもいい。金額については、自分が交渉しよう。同時に、樹脂加工の案を顧客に説明しに行く。当面、樹脂製で受け取ってもらう。そして2ヶ月後に金属部品ができて来たら、あらためてそれに取り替えさせてもらう。むろん客先には無償でだ。これなら、最終的には要求通り金属製が手に入るのだから、なんとか納得してくれるだろう。

さて、担当者がプロマネに連れられて客先にいき、樹脂製の強度と耐摩耗性の話を説明したところ、相手に「わかった。じゃ、それで納めていい。」と言われて、問題はあっさり解決してしまった。金属部品の再発注の必要もなくなった(プロマネは、この追加費用はサプライヤーと折半に持ち込む交渉をするつもりだった)。

このストーリーを見ると、最終的には「樹脂の表面加工」という技術的解決で、問題は解消したかのように見えるかもしれない。しかし、それ以前に、

・後続アクティビティに要員(リソース)を追加配置する
・そのことによって2週間という余裕時間を作る(これは問題解決のために充てられた)
・サプライヤーの追加発注に費用を準備する
・顧客へのコミュニケーション/説得に筋道をつける

といった、マネジメント的解決を積み上げて、問題の外堀を全部埋めていったことに注目してほしい。

問題の種類や大きさによっては、マネジメント的解決だけで切り抜けられることもある。材料値上げ問題を、契約交渉で解決するなどは、その例である。

ついでながら、プロマネは原因となる事実関係は明らかにさせたが、責任については一言も追求しなかった。責任追及ゲームを始めてしまうと、コミュニケーションや感情がこじれて、問題解決までかえって時間がかかってしまう。いずれにせよ、ミスはいつでも生じうるのだ。そのリスクへの対応のために、時間や予算に予備(コンティンジェンシー・リザーブ)をとっておくことは、非常に大事なマネジメント的解決態度である。

問題に直面した時に、技術的解決を志向するか、マネジメント的解決を探求するか、いずれのアプローチもあり得るし、両者を複合的に使えれば一番良い。だが、技術者という種族は、(なまじ自分の技術に自信があるために)つい技術的解決のみを頭に思い描きがちである。むしろ専門的知識のない人の方が、マネジメント的解決を思いつく。そして、マネジメント的解決というのは、専門分野の如何に関わらず、案外汎用的に使える知恵だということは覚えておいていいだろう。

「技術的バックグラウンドの強い人ほど、どんな問題も技術的に解決しようとしてしまう」とG・ワインバーグは指摘している。技術的に解決できない問題をマネジメントが解決できる場合もあるのである。そのことを、技術畑の出身者は、もっと理解しておくべきではないだろうか。
by Tomoichi_Sato | 2011-05-21 16:30 | ビジネス | Comments(0)

「ITって、何?」 むすびにかえて

「ITって、何?」は、第20問をもって終わりといたします。小生のつたない、一人合点な対話編に長い間おつきあいいただき、ありがとうございました。ときおりでも拾い読みしてみて面白いと感じられたところがあれば、望外の喜びです。

ITとは情報とデータをめぐるドラマであり、ITづくりは情報とデータのたえざる対話を通訳し育てていくことだ、と感じます。そのドラマツルギーを心得ることこそシステム・アナリストにもっとも求められる資質ではないでしょうか。

こうした情報とデータの対位法を、男性と女性の間のダイアローグの中で類比的に浮き彫りにしようとこころみたのが、今回の「ITって、何?」です。けっして上手にできたとは思いませんが、その試みの一部なりとも成功したかどうか--もちろんそれは読んでいただいた方のご判断にお任せするのみです。

この対話編の原型になるアイディアを考えたのは何年も前のことでした。不況の深刻化に反比例するかのように「IT革命」なる言葉がメディアを通して洪水のごとくあふれる状況になったことがきっかけです。

しかし、その言葉の意味するところはひどく曖昧で、核心をとらえぬものばかり。言霊のさきわうわれらの国ですから、これもまた一種のおまじないだったのでしょう。子供がTVアニメをみて、“ポケモン進化ぁ!”とさけぶのと内実かわりはありません。

もうひとつ奇妙に思ったのは、そこで言われているITが、コンピュータや光ケーブルといった目に見える機械装置の製造ばかりを意味していることです。ソフトウェアはどうもみなさん分かりにくいらしくて、忽然とあらわれては手品のように機能を発揮することになっている。

ITは手品ではないのだから、タネも仕掛けも用意しなければ成長も革命もありえません。タネはかんたん、情報とデータを区別すること、です。定型化し、整理番号をふる--たったそれだけのことです。その種明かしをしたくて、ここまで長々と説明を続けてしまったわけですが。

本文の中でも書いたとおり、文系と理系という二分法を、私はあまり信じていません。そう考える理由の一つは、自分の中に理系的な性質と文系的な性格を両方持っているからかもしれません。今回の対話編では、その理系的な性質を男性に、文系の面を女性に振り分けて書きました。一方は文明と組織に属していて理屈っぽく、もう一方は直感的で気が変わりやすく非体制的である、という風に。

だから、登場人物に特定のモデルはありませんが、しいて言えばどちらも私自身だと言えます。おかげで自分の中の問題意識、すなわち自問自答の棚卸しみたいなことができました。そのかわり、“女が生意気で可愛くない”というご批判もちょうだいしましたが・・・(^_^;)


この「ITって、何?」のある部分は、外国で書きました。まあ日本も西欧もどちらかが格別進歩しているわけではないなあ、などと感じたりしながら。しかし、ときおりどこかに「哲学」の(有用無用はともかくとして)見えざる手を感じたりして、ああそういえばITは西欧哲学の非嫡子だったっけなあ、と思い出さされることがあります。そして、哲学のない組織はほろびる、哲学がなくては人間は生きてはいけない、とあらためて考えたしだいです。

何はともあれ、おつきあいありがとうございました。

佐藤 知一
by Tomoichi_Sato | 2011-05-19 00:58 | ITって、何? | Comments(0)

「ITって、何?」 第20問 ITって人と人を結びつけるのに役立つの?(最終回)

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--さあ、ここを通り抜ければ、もうぼくの生まれた町だ。

「え。・・いやだわ、なんだかわたし緊張してきちゃった。・・どうしよう。ねえ、わたし、ちゃんとした顔してる? おかしくない?」

--いつも通りさ、大丈夫だ。

「そんなこと言って、こっちを見てもいないくせに。」

--だいじょうぶだよ。

 それでも彼女はハンドバッグから化粧道具を取り出して、小さな手鏡を一生懸命のぞき込みはじめた。

「ねえ、わたし、お母様の写真の前でちゃんとご挨拶できるかしら。」

--できるさ。それに、そんなこと親父も誰も気にしやしない。

「あなたはそう言うけれど、人と人とのつきあいってむずかしい、大変なものなんだわ。あなたはきっと、コンピュータの前に座りっぱなしだから気が楽なんでしょうけれど。」

--そんな事ないさ。ぼくの仕事はシステム・アナリストだ。ユーザの行動の分析が商売だ。いつも人との関係には気を使っている。

「“いつも人との関係には気を使っている”・・嘘ばっかり! 忙しいときにはメールの返事もろくによこさなかったくせに。」

--あ、あの時は・・いや、ごめん。言い訳はよそう。電子メールが登場したことで、人と人とのつきあい方もずいぶん変わってきたのはたしかだけれど。

「また話をそらしたりして・・人とのつきあい方なんて、そんなに変わったかしら? わたし、本質は何も変わっていないと思うけれど。」

--そうかな。

 しばらく彼女は黙っていた。

--どうした? 何を指折り数えているの?

「今回のこの質問で、ちょうど20個目だったわ。」

--そうか。20の扉もようやくおしまいか。もうすぐ着くしな。それで、ITって何か、少しは分かった気になってくれたかい?

「ぜんぜん。」

--そりゃどうも。まあ難しいテーマだったし、『××って何?』式の、仕組みの説明は一切しない、という風に自分の手を後ろでしばっていたし、ぼくの解説能力の限界だったかもな。だとしたらあやまるよ。ごめんなさい。

「あやまらなくてもいいのよ。ただ、なぜ分からなかったか考えていたの。」

--それで?

「たぶん、あなたと私の生きている問題意識自体がちがうから、かみ合わないんだわ。」

--そうかな。ぼくは会社員。システム・アナリスト。それに男だ。きみはフリーの翻訳家で、小さな事務所で働いていて、おまけに女性だ。でも、それ以外に共通するところもずいぶんあるじゃないか。例えば同じ時代の日本に生きていて、同じ都会の・・

「そういうことじゃないのよ。そういう表面的なことじゃ。
 さっきの電子メールの匿名性の話なんかでも、あなたは電子認証とか、そういう技術論でとらえていたでしょう?」

--まあね。だってぼくは技術屋だからね。

「わたしは、匿名性の問題は、“自分とは誰か”という自己証明、アイデンティティの問題に行き着くと思うの。」

--うーん。つまり君は技術屋じゃなくて事務屋だと。それとも哲学者かな。

「そうじゃなくてね。えーと。私の好きな文明と文化の定義に、
文明は人間に利便を与える。文化は人間に自己証明(アイデンティティ)を与える。
という定義の仕方があるの。」

--はあ。それで?

「多分あなたの意識はもっぱら文明に属していて、私の意識は文化に向かっているんじゃないかと思う。だから問題意識がすれ違うのよ。」

--ぼくが、文明の側なわけ? そりゃ光栄だな。でも文化の方も手強いか。

「あなたは情報の定型化が好きでしょう?」

--ぼくは何度でも繰り返すけれどね、ITの本質ってのは、データと情報のサイクルを回すことなんだ。情報を機械に与えて処理できるようにしてやるためには、定型化してデータにしなきゃならない。
 そりゃユーザには一見、堅苦しくて不便に見えるかもしれない。でも、それはより広い意味での、ユーザの利便に供するためのものだからね。
 ・・なるほど。利便を与えることが文明の目的なら、たしかにぼくは文明の側に属しているのかもしれない。コンピュータが文明の国アメリカの産物だってのも納得できる話だ。とはいえ、ITが最終的にユーザに配達するのは融通無碍な情報だけれどね。

「でも、そこで配達されるのはあくまで書き言葉だけでしょう? さっきのメールの話に戻るけど。」

--携帯電話の音声だってデジタル技術の応用なんだけどな・・いいよ、わかった。主に書き言葉だ。でもそれのどこが悪い? 何が足りないっていうんだ? ITは立派に人と人を結んでいるじゃないか?

「本当に人と人とをつなぐものはフェイス・トゥー・フェイスのコミュニケーションしかないのよ。
 書き言葉のみでのコミュニケーションには限界、というよりもバイアスがあるの。音声もない、相手の顔の表情も、仕草もない。言葉を発することは、からだぐるみの行為なのに。」

--そう言われてもねえ。バイアスって、どんな風な?

「コミュニケーションで大事なのは、本当のメッセージはインフォーマルなチャンネルで流れるってことだと思う。組織内のコミュニケーションもそう。さっきの何とか実験でもそれが結論だったでしょう?
 個人対個人でも、身振りや顔つき、言葉の発声のしかたやくせで、相手が無意識に発している感情レベルでのメッセージを受け取りながら、言葉の中身を吟味しているの。それが全部抜け落ちるとしたら、すごいバイアスじゃないかしら。」

--つまり感情が伝わらないってことかい。だったら、そのためにニッコリマーク(^_^)とかシクシクマーク(;_;)とかを使えばいいのに。

「それじゃ不十分なのよ。ねえ、わかって。お願いだから。
 あなただって、ずっとメールだけでやりとりをしてた人にこのあいだ会ったら、“想像してたやつとは全然ちがってたよ”なんて言ってたじゃない。」

--ああ、その手のことはしばしば起こるね、たしかに。

「ネットで、自分がどういう人格として他人に受け取られているか、不安に思ったことってない? 自分が誰なのか、書き言葉でしか知られないのよ。
 そんな狭いチャンネルしか通れないから、メールってしょっちゅう感情が不自然にこわばった状態になるんだわ。あなたも経験がない?」

--そうだなあ・・まあ、ときどき、電子掲示板で妙にひどい喧嘩になることがあるけど、あれなんかネット上の迷惑行為ではあるな。

「それって感情が窮屈だからそうなるのよ。面と向かい合っていたら、知り合いだろうが赤の他人だろうが、そう簡単に喧嘩はできないもの。」

--少なくとも、もっと上手に喧嘩するかもな。

「たぶん、あなたにとって言葉はコミュニケーションの全体で、終点のように思っているみたいだけれど、それはちがうわ。言葉はコミュニケーションの始まりでしかないのよ。それって悪いけど、西洋から輸入した誤解だわ。」

--輸入。そうすか。

「機械翻訳も人工知能も、同じようにIT屋さんの考え方の限界を示しているんじゃないかしら。それは、さっきの“英語は論理的だ”という誤解ともよく似てる。ITの親は西洋哲学と論理学だ、って言うあなたの説明が正しいんだとしたら、それは結局、西洋の論理学という釈迦の手のひらの限度なのよ、きっと。」

--孫悟空としてのぼくの感想はだね、釈迦の掌ってのは思ったよりずっと広い、ということだ。まだ果ての五指には到達していないような気がするもの。

「一つの地平を選んだ時点で、すでにそこに限界があるのよ。」

--だって選択ってそういうものじゃないだろうか。人間はあれもこれもは選べない。一つ選んだら一つ捨てるしかない。ITに限界はあるかもしれないが、それは果てに行ってみるまで分からないんだから、そこに賭けるしかない。これは賭なんだ。人生は賭けの連続だろ? 学校の専門を選ぶときだってそうだ。就職だってそうだ。結婚だって・・結婚だって賭けじゃないか。

「そうね。」

--ぼくはITの専門家としての仕事を選んだことを誇りに思っている。それが文明の領域に奉仕する仕事で、西洋人の論理がベースになっている限界はあるとしてもだ。まあITの解説は下手かもしれないけれどね。

「あなたの仕事がデータと情報の橋渡しをする仕事なら、私の仕事は文化と文化の橋渡しをする仕事なの。主に西洋と東洋の間だけど。」

--どんな文化でだって、人間は文明がなけりゃ生きられないだろ?

「でもどんなに文明があっても、文化がなければ人間は生きていく意味を失うのよ。」

--なんだかどっかの気障なセリフみたいだな。文明がなければ生きてはいけない。文化がなければ生きていく意味がない。

「・・データがなければITは動かない。情報がなければITを動かす意味がない。」

--お見事。それだけ分かってくれりゃ、十分です。それが20の扉の結論だから。

「ねえ。」

--なんだい。

「・・ううん。何でもないの。」

--ふうん。
 ああ、街が見えてきた。あの向こう側の丘に、ぼくの家がある。

「どれ? 見えるの?」

--まだ見分けられない。でももう、カーナビの仕事は終わりだ。

ITって、人と人を結びつけるのに役立つかしら?

--もう答えたんじゃなかったっけ?

「たぶん、ITって人と人を結びつけるきっかけを作ることだけは出来るのよね。国境を越えて、知らない人同士でも、1通のメールから結びつくきっかけにはなる。」

--ぼくはそんな風にロマンチックに考えたことはないね。ぼくは一介の技術屋だ。道具がちゃんと動いてくれればいい。このカーナビみたいにね。

「でも、道具が人を幸せにするのでなかったなら、いったい何のためにあるの?」

--そんなことは知らない。技術屋には技術屋の領分があり、それ以上のことは考えないようにしている。

「データ処理は文明に、情報は文化の領域に奉仕している。そうでしょう?」

--・・かもね。

「あなたは、このカーナビは軍事技術の応用だっていってたわ。人を幸せにするという目的とはあまり相容れない目的の技術。文化というより文明のための目的の。」

--それで?

「でも、同じその技術が人と人を結びつけることにも役立つかもしれないのよ。前線の暗い森の中で銃をかまえる兵士にとって、検閲された故郷からの手紙だけでなくて、地球上のすべての人と直接やりとりできることが、どれだけ大きな意味を持つかしら。どうして私たちは、そういう方向に向かって努力できないのかしら。」

--ぼくら人間は他人を幸せにするために生きているんだろうか。誰だってまず、明日を生き延びるのに懸命なんじゃないだろうか。

「でも、私は幸せになりたいわ。他の人にも幸せになってほしい。」

--それが何ほどのことだろうか。そもそも他人を永久に幸せにすることなんか誰にも出来やしない。ぼくも君も、誰もがいつかは小さな写真の中に収まってしまうんだ。

「だからせめてその時までは、一生懸命自分たちのことに、この世のことに手を尽くすべきなのじゃないかしら。そうでなかったら、なんのためにいるのかしら。」

--さあ、それは、わからない。その時が来るまではただ懸命に生き続けるとしか、ぼくには言えないね。

「わたしたちはその時に、一緒の写真の中にいるかしら。」

--そのために、一緒に歩いていこうと決めたんじゃなかっただろうか。

「そう。そうよね。」

--ぼくと君の間にも、いろんなギャップがある。たぶんずっと埋まらないままのものもあるような気がする。でも、君とぼくとの対話のサイクルの中で、何か新しいものが生まれてくるかもしれない。そう、願っているよ。

「そういうのを、たぶん愛っていうんじゃないかしら。」

--・・・・・。

 しばらく彼女は黙っていた。そして、こちらを向いてこう言った。

「ねえ。・・・愛って、何?」

                         (了)
by Tomoichi_Sato | 2011-05-17 22:18 | ITって、何? | Comments(0)

「ITって、何?」 第20問 ITって人と人を結びつけるのに役立つの?(その3)


「そういう意味では、あなたが上げなかった電子メールの特殊性がもう一つあるわよ。」

--へえ。なんだい。

「電子メールって書き言葉だけのコミュニケーションだってことよ。これってすごく特殊だわ。」

--でも、飾り文字つきのデコレーションや写真もつけられるし、ウェブのホームページと同じ様な見かけをつくるHTML形式のメールだって増えている。以前の電子メールはいわゆる『テキスト』しかサポートしていなかったけど、かなりマルチメディア化してきているよ。

「だからあ、なんていうか、そういう技術的な問題じゃないのよ。言葉ってもともと・・ああ、こういう微妙なことって説明が難しい。」

--じゃ、ゆっくり考えていただいている間に、ぼくの側からひとつ言わせてもらおう。ぼくなんか君とちがって外国語が苦手だから、英語でやりとりしなきゃならない外国の相手とは、電話よりも電子メールの方がずっとありがたい。ゆっくり読み書きできるし、聞き間違いもない。書き言葉のありがたい面だね。メールがどんどん進化してTV電話みたいなものになっちゃったら、ぼくみたいな人間はかえって困っちゃう。

「それはそうでしょうけど・・」

--まあ、そもそもインターネットの中では英語が事実上の標準言語みたいになってきているし、ゆくゆくは世界中が英語でやりとりするようになる便利で平和な時代も遠くないのかもしれない。世界中のみなが自国語の他に英語を必ず学ぶような時代にね。

「なんですって?」

--それに、英語の方が日本語よりもずっと論理的だから、日本人のわけ分からなさ加減も少しはよくなるかも。

「ねえ。おねがいだから、私の前で外国語についていいかげんなことを言うのはやめてちょうだい。わざとわたしを怒らせたいのならともかく。」

--なんで怒るのさ? 君の翻訳の仕事が無くなるから?

「あのねえ。言語って、経済の利便や都合だけのためにあるんじゃないのよ。
 世界中の人が英語を学ぶ? よしてよ。言語って文化の一部なのよ。今、英語がのしているのは、この200年の間、たまたま英国と米国が軍事力と経済力で世界中を席巻してきたからでしょ? 別に英語がとくべつ素晴らしい言語だからじゃないわ。
 英語が論理的? それもぜんぜんおかしいわ。英語は格関係がかなり退化しているし、接続法だって単純な仮定法があるきりだから、他の印欧語に比べるとあまり精密な思考や精緻な感情表現には向かないの。
 それでも英語で十分論理的にものが言えるのは、アングロサクソン系の人たちが、多面的で簡潔な事実認識と、歩幅の短い三段論法の積み重ねで考えを進めるのが得意だからなんだわ。つまり使い方の問題なの。やろうとおもえば日本語だって英語以上に論理的になれます。」

--へいへい。

「それにね、歴史的に見ると仕方がないんだけど、英語はゲルマン語にラテン語が混淆して語彙の系統が複雑だし、綴りと発音の関係なんか最大級にめちゃくちゃだから、あまり外国人が最初に学ぶには適していない言葉なのよ。」

--そうですか。ぼくが中学生のとき英語の授業中に人生が不幸だったのは、その辺に遠因があったのかもしれないな。でもさ、お説はごもっともで分かったから、ITに話をもどしてもいいかな?

「・・どうぞ。」

--おおきに。
 匿名性の問題に戻るんだけど、実はそこにはメリットもある。

「・・たとえば、どんな?」

--まずね、匿名取引が可能だ。電子商取引の仕組み次第ではあるけれど、相手に名前を知らせずに売り買いができるようになる。これは、プライバシーを守りたいときには有用だ。
 それと、匿名議論が可能になる。パソコン通信なんかじゃ昔からペンネームみたいなものだけで議論に参加することがよく行われていたけど、たとえば会社の中でだって、実名だと言いにくいが匿名ならば発言できるような事柄がある。今まではそこに実名性の壁があったわけだ。

「あなたの会社ってそんなに息苦しいとこなの? 電子会議とかよりまず、もっと風通しをよくすることからはじめた方がいいんじゃない。」

--いや、だからこれはたとえ話だってば。でもとにかく、実名と匿名の使い分けができるようなネット世界では、これまでとはちがったモラルが必要になってくるだろうな。

「そうかしら? 他人に危害を加えるようなインモラルなことをすれば、結局その罰は現実世界にかえってくるんだから、同じことなんじゃない? そもそもモラルって、何?」

--ブブー。“××ってのは何か”という質問はいっさいお受けしないことになっております。・・いや冗談だけど、まあIT以外の事柄だし。
 モラルって、ぼくなりに定義すれば、“やろうと思えばできるけれど、そしてそれが短期的には自分の利益にかなうけれど、長期的には自分の信用や利益をそこなうであろう行動を、思いとどまらせる要請”かな。善行に関しては逆だけど。

「ふうん。社会とか、伝統とか、ましてや宗教とかは関係ないわけ?」

--そういうものは全部捨象しちゃってあります。だって世界規模のネットの中には持ち込めないからね。

「道徳を功利的にしか説明できない状態自体、すでにモラルの退廃を示している・・なんてあなたに言っても通用しないんでしょうね、きっと。でもね、モラルがあるならリスクもあるわよね、きっと。電子メール社会のリスクって何かしら? 受け取れるはずの情報をせき止められること?」

--ぼくらの商売がまず心配することは、大事な情報を盗み見されることだ。それは技術的に何重にも壁を作っているわけだけれど。
 でも、ぼく個人の経験で言わせてもらうと、あまりがちがちにセキュリティをきつくしたシステムは、融通がきかなくて結局は使われなくなってしまうことが多い。だから、自分で設計するときは、情報へのアクセスは極力自由にしておく。そのかわり、要所要所のアクセスの記録だけは取れるようにしておく。そして不正を働いたものは厳罰に処する。つまり、『お互い大人だろ?』というルールで運用したいんだ。君が前に話していた、ヨーロッパの鉄道みたいにね。

「それはたしかに良い発想ね。それだったらモラルを語りたい気持ちも少しは分かるわ。
 でも、その逆のリスクもあると思うの。あることないことを書き立てられること。昔なら町内の噂を広めていた『放送局』のおばさんにあたる人が、覆面してネット上でしゃべり歩くわけ。ぞっとするでしょ?」

--たしかに、電子メールやウェブ技術の登場のおかげで、個人対個人だった通信と、一対多数だった放送との境目がなくなって、ごちゃまぜになってきた。これまでの放送には一応、放送業界のコードがあり、また覆面では登場できないから、発言者責任もあった。しかし今のネットには、これがない。問題だね。

「でも、そのかわり、いいこともあるわよ。」

--何がさ?

「誰もがお上や大企業の許可なしで発信者になれる自由。放送局になれる自由。
 匿名と実名って言うけれど、無名の私たち大多数にとって、違いがあるかしら? 本当は、有名か無名かの違いの方が大きかったんじゃないの? この世の人をそういう基準で二分して、無名人が有名人を羨ましがらせるように仕向けることが、放送局の利益の源泉だったんじゃないかしら。
 放送業界のコードなんて・・日本のTVってそんなに独立性が高かった?」

--まあ確かに、日本のTV局がながいこと巨大な広告代理店の影響下にあったことは間違いないだろうな。なにせ、視聴率調査会社が、広告代理店の子会社なんだから。それに巨大広告代理店は二大通信社と緊密な関係にあるから、とうぜん放送や報道もその影響力がおよぶ。
 でもさ、代理店の支配力だって足下が崩れつつあるよ。だって雑誌の広告はスペースをまとめて買って小口で売る商売だけれども、インターネットはそうはいかない。

「結局ね、これまで情報って、有名人つまり発信する人と、無名人すなわち受け取る人とに分割されていたわけでしょ? それがくつがえされるなら、ITの少々のリスクは我慢してもいいわ。」

--・・それと似た言葉がITの世界にもあるな。『デジタル・ディバイド』=ITを使う人とITに使われる人への二極分化だ。

「あら。せっかく一つつぶしたと思ったのに、これじゃいたちごっこだわ。」

--まあね。ただ、『使われる』といっても、これは多少は受け取り方の問題でもある。たとえば、ITシステムの提供するヒューマン・インタフェースが狭いとユーザの被害者意識がふえる傾向がある。

「インタフェースが狭い、って?」

--対話の手段が少なかったりチャンネルが狭いこと。あるいは入力方法が分かりにくかったり石頭だったりする場合もそうだ。この二極分化の壁は、ソフトの作り方しだいでは案外乗り越えやすいんじゃないかとぼくは思ってる。


(この項もう少しつづく)
by Tomoichi_Sato | 2011-05-15 23:21 | ITって、何? | Comments(0)

「ITって、何?」 第20問 ITって人と人を結びつけるのに役立つの?(その2)

「SOHOって?」

--Small Office, Home Officeの略で、自宅や小さな事務所単位で仕事をする形態のこと。高速ネットワークが整備されれば打合なんかもネット上でできるし、報告書や仕事の成果物もメールで送れるようになるから、みんなが巨大なオフィスに通勤して集まる必要はなくなるはずだ。と、喧伝されている。でも、ぼくには疑わしい気がするけれどね。

「どうして?」

--ぼくはどうも、ITが発達すればするほど、一局集中化が進むような気がする。さっきも言ったけど、ITは情報のロジスティックスにたとえられる。でも、現実の交通の世界じゃ、鉄道や新幹線や高速道路網が整備されればされるほど、都市への集中が進んでいく。通勤圏ばかりがやたら広がって、地方の独立性とか独自性とかがどんどん無くなっていってるのが実際の姿だ。
 それと同じようなことが情報の世界でも起こるだろう。会社でも官庁でもいいけど、大きな組織の場合でも、あらゆる場所のあらゆる情報が本社に集まるようになるから、決断の権限はみんな本社の統括部門とかに集中されていくだろう。

「ええー、そんなのいやだ。」

--たとえばね、ドイツやアメリカに生まれて世界中に広がってきている「ERP」とよばれる統合業務ソフトがある。これは会社内のあらゆるトランザクションをリアルタイムに記録していけるパッケージ・ソフトなんだけど、中には、あらゆる情報が最終的には本社財務部が見る原価管理の中に集約されていくような思想で作られているものがある。

「はあー。管理が好きなのね。」

--残念ながらね、地方分権というのは、地方で何をやっているのか東京で分からないからこそ成立するものなんだ。しかしITの発達のおかげで、全国がみんな素通しで、このカーナビみたいに全部丸見えになっていくだろう。そのとき、権限だけは分散されていくと思うかい?

「きっと本社が末端のお箸の上げ下ろしまで口を挟むような小姑根性ばっかり発達して行くのよね。ああやだ。・・でも、出張の回数とかは、確実に減りそうな気がするんだけれど。」

--それだってあやしいものだ。だって、単なる数字のレポートだけじゃ言葉が足りないから電子メールを書くわけで、それでも心配なら電話か会って話そう、ってことになるじゃないか、結局は。人間って、情報量の多い方へ多い方へと流れていくものだからね。
 それにぼくは、そもそも都市化の進行って歴史的必然だと思う。」

「ずいぶん急に大きくでたわね。じゃSOHOは歴史的必然に反しているってわけ?」

--第1次産業・第2次産業・第3次産業って区分があるのは知ってるだろ。で、農業や漁業は第1次産業。どこでもあまり元手いらずにできるけど、広い土地が必要だ。
 でも産業革命を通ると、蓄積資本を投下して第2次産業の工業に走るようになる。この方が儲かるからだ。そして土地の面積あたりの人の集中度でいえば、工場は農業よりもずっと上だ。とはいえ、でもまだそれなりの広さが必要だけどね。

「それで?」

--しかし、工業は鉱物資源とか人件費が安い国でないと競争力がない。経済が国境を越えてグローバル化してきた今の時代じゃ、いわゆる先進国は第3次産業にシフトせざるを得ないんだ。金融とか流通とか設計・デザインとか。あるいは第2次産業である製造業にしても、医薬品みたいに研究開発が勝負になるような知的集約度の高い商品でお金を稼ぐようになる。スイスやオランダみたいな、土地が少なくて人しか資源のない国を見てるとよく分かる。
 でもこういう第3次産業って、本質は情報産業だ。情報を動かしてお金を儲けているんだから。君の翻訳業なんかもね。

「たしかにそうね。」

--これが基本になるから、第3次産業はどうしても人が集中する都市にしか成り立たない。その証拠に、商業施設やオフィスビルは、土地面積あたりの人口集中度でみても、面積あたりの付加価値高でみても、農業や工業よりずっと高くなっている。これが歴史のトレンドなんだ。

「だって、そんなのエコロジーの視点には全く反してるじゃない! ITがなんとかそれを崩せる鍵になれないの?」

--だめだろうね。だって、IT自体が第3次産業なんだ。メールとTV電話だけでソフトの仕事ができるか? ・・まあ正直言って、今の時点では、NOだな。エンド・ユーザーとの顔と顔をつきあわせた打合がどうしても必要になる。そうしない限り、相手が納得しないからね。

「相手のせいにばかりするのはおかしいわ。だって、そもそも、情報って人と人との結びつきの中でしか生まれてこないものなのよ。フェイス・トゥー・フェイス。面と向かって話していれば、顔色や声の表情から、相手が自信を持って言っているのか、ごまかしているのか、あなたの側だってすぐわかるもの。」

--まあね。・・うわ!

「きゃ、危ない! 何よお、今の車!」

--ふう、びっくりした。この先、道が細くなってるから無理に追い越しかけやがったんだ。

「ひどいわねえ。えーとそれで、・・あれ、なんの話だっけ?」

--そもそもは電子メールの話。でもさ、それでも、電子メールというのはかなり役に立つものだと思う。その特殊性を活かせればね。

「電子メールは定型化されていないから低級なんじゃなかったの?」

--ぐっ、低級・高級という言い方はしていないだろ。定型情報も忘れちゃいけないと言ってるだけだってば。メールは非定型なコミュニケーションの手段としてはすぐれていると思うよ。

「あなたのいう、メールの特殊性ってどんなことなの?」

--電子メールというコミュニケーションの特殊性は、電話や手紙・FAXといった従来の手段と比べるとわかりやすい。
 電話ってのは同時性を要求するメディアだ。自分と相手が同じ時間に電話線の両端にいなければならない。お互いの空き時間に束縛されるんだな。いっぽう手紙は配達まで日単位の時間がかかる。リアルタイム性に欠けている。電子メールはちょうどこの中間で、送達はふつうほぼ瞬時だが、読む側は自分の都合のいい時間に読むことができる。
 電子メールは時差のある海外と仕事をしている部門からまっ先に普及したもの、うちの会社なんか。

「それはでも、FAXも同じね。」

--うん。でも、FAXとちがう点が二つある。まず、cc:による多数の相手への同時配布が非常に簡単だ。それと、蓄積・検索・並び替えが自由にすばやくできる。一種のデータベースの形にできるんだ。このデータベースを多数の人間で共有しようというのが、いわゆる「グループウェア」のアイデアだ。

「でも、そのcarbon copy:による同時発信って、よしあしよね。ちょっとでも関係ありそうな人に配りまくるから、うけとるメールの数がやたら多くなって爆発状態だもの。」

--それはそのとおりだね。それに、インターネットのmailing listとかnews groupという機能を使うと、不特定多数の人間にばらまくこともできてしまう。

「不特定多数同士のコミュニケーションとなると、匿名性の問題なんかもでてくるわね。」

--うん。これはウェブをつかったホームページの場合も同じなんだけど、匿名でどんどん情報を発信できてしまう。これは今までのコミュニケーションには無かった特殊性だ。
 しかも、インターネットだと海外でも簡単に届いてしまう。検閲も難しい。だから国境の意味が薄くなってしまう。

「国境の意味って、すでにEU統合なんかでどんどん薄らいできてるわよね。」

--たとえばね、さっきの電子商取引の話にも関連するけど、独占禁止法や不公正競争防止法ってのは、国内法だろう? でも、A国とB国の人が電子メールで商談をしていて、サーバがC国にあったりしたら、国単位の規制法なんか無意味じゃないか。ITってのは、必然的に国家の主権のあり方にさえインパクトを与えていくもんだとぼくは思う。

「っていうことは、ITはグローバリゼーションを進展させるわけ? だって国の主権って煎じ詰めれば領土権と、立法・司法権と、経済主権つまり通貨の管理権なんでしょ? だったら主権を守りたい方々は、インターネットなんか禁止すべきでしょうね。」

--ま、そういう極端な話はともかく、電子メールの匿名性の問題に戻ると、発信者の身元を隠すことだけでなく、偽ることだってやろうと思えば可能だ。そうなると、電子メールによるコミュニケーションの法的有効性というややこしい問題まででてくる。

「確かに判子はつけないものねえ・・どうやって自分を証明するか。」

--はんこやサインのかわりになる、一種の電子サインをつけることは技術的には可能なんだ。こうすると偽造の問題はほぼ無くなる。でも匿名でメールをばらまくことまでは防げない。

「相手の顔が見えないって怖いわね。でも、そういう意味では、あなたが上げなかった電子メールの特殊性がもう一つあるわよ。」

--へえ。なんだい。


(この稿つづく
by Tomoichi_Sato | 2011-05-14 00:00 | ITって、何? | Comments(0)

「ITって、何?」 第20問 ITって人と人を結びつけるのに役立つの?(その1)

<< ITが社会に与えるインパクト >>

--ああ、こんな風に車が流れてくれると、運転ってのはなんて楽なんだろう。さっきまでのあの渋滞の中じゃ、何もしていないのにひどく神経が疲れた。今はもっとまともなことに神経を集中していられる。

「流れるべきところを淀ませてしまうものごとって、それがなんであれ、すごく自然にも人間にも反しているのよね。見ためじゃわからないけど、そういう時って精神的にとってもエネルギーを消耗するもの。」

--ほんとだよね。それは見かけの能率だけからじゃわからないことだな・・。
 おっと、このバイパスに降りなきゃあ。

「危なーい。もっとやさしく運転してよ。
 ・・さっきの電子商取引の話の続きだけれど、でも、全然知らない人たち同士が、同じ本や旅行について意見を交換する場所で知り合うことができるのって、いいわね。ITって人と人を結びつけるのに役立つのかしら? だったらそれこそがITの一番の価値なんじゃない?」

--人を結びつける可能性がある、ってのはある程度ぼくもそう思う。それがITの一番の価値だっていわれると、ちと抵抗があるけどね。

「あら、そう? でも、電子メールひとつとっても、すごい発明だと思うけど。あれ発明した人には、ノーベル賞あげてもいいくらい。」

--あれは特定のだれかの発明品じゃないし、ノーベル賞とはまた大げさな・・だったらインターネットの出会い系サイトだって直木賞あげなきゃならん。

「でもね、宇宙旅行のSFはたぶん昔からたくさんあったと思うけど、電子メールが登場するSFなんて昔はなかったんじゃない? 100年前から人類が待ちこがれて、必然的に誕生したってたぐいのものじゃないはずだわ。」

--そりゃま、地球上のほとんど誰もが(まあこれは極端だけれど、かなりの人間が)Eメール・アドレスをもって通信し合う世界なんて、考えてみりゃかなりSF的ではあるな。それでアラブ世界じゃ革命まで起きたものな。でも昔のSFによれば、21世紀にはみんなエア・カーを乗り回していて、いつまでもこんなに地上が車で渋滞してなかったはずなんだけどな。

「いまごろ鉄腕アトムが空を飛んでたはずよね。ロボットとか人工頭脳とかは夢にあったけど、電子メールは夢を超えていると思うわ。」

--さっきの西洋対日本のときも同じ議論したけどね、ぼくは定型化の好きな石頭だから、メール=ITみたいなとらえ方には反対なんだ。君はニッポンの親指メール礼賛論みたいだったけど。

「わたしは西洋との違いを伸ばせといっただけ。だってあなたが若い女の子たちを馬鹿にしているように聞こえたからよ。」

--それはどうも失礼。ぼくにとっては、あやふやな情報をワープロできれいな帳票に打ち込んでは社内メールでたれ流しているおじさん達も、女子高生と同類さ。

「だって石頭のおじさんたちがガチガチに定型化してつくりあげた、日本のこの縦割り社会のおかげでみんな窒息しかかっているんじゃないの! そこに横穴を開けて風通しをよくする電子メールのどこが悪いの。」

--ぼくは定型的な情報の流れと非定型なコミュニケーションは区別しようといっているだけ。それで思いだしたけど、アメリカに有名なホーソン実験というのがあった。

「何それ? 知らない。」

--もうだいぶん以前の話だけれど、アメリカの経営学者たちが、工場労働者の作業能率を向上させる因子は何かを調べようとして、ウェスタン・エレクトリック社のホーソン工場でいろいろな実験をした。たしか電線か何かの工場で、女子労働者がおおぜい働いていた。

「それで?」

--たとえばね、ある班を選び出して、照明の明るさを上げて作業させてみたんだ。そうすると、確かに作業の能率が上がった。なるほど、これは発見だ! そこで、これを逆の面から確かめるために、照明を暗くしてみた。能率は下がるはずだ。ところが。

「ところが?」

--これまた作業の能率が上がってしまったんだ! 学者たちはわけがわからず、頭をかかえた。

「まさか、工場の明るさが、ちょうど一番作業しにくい明るさだった、ってことなの?」

--ちがう。あれこれと確かめてみた結果、学者たちは、その班がテストの対象に選び出されたということだけで作業の能率が上がることに気がついた。たとえば、チームワークがよくなるといった具合にね。

「女の人たちだったら、十分あり得る話だわ。」

--でも、それは、会社の職制を通じた公的なチャネルによる指示でそうなるんじゃない。非公式な、職員同士の横のコミュニケーションでそういう結果が生まれるんだ。そこで、会社組織内には非公式なコミュニケーションが存在して、それは公的なコミュニケーションと同等に近い重みを持っていることを研究者たちは発見した。これは「ホーソン実験」として経営学の重要な発見となった。

「あっきれた・・だからアメリカの経営学なんてみんな大馬鹿だっていうのよ!」

--おいおい。

「だってそうじゃない! 何が“発見した”よ。職場に横のコミュニケーションがあるなんて、どこの会社に勤めたって3分でわかることよ。女工は命令したら黙々と牛馬のごとく働くもんだと思ってたわけ? ご立派な学者先生よねえ。黒人奴隷を働かせて自分だけ楽していたプランテーションの発想だわ。まったく、『女は世界の奴隷か』だわ。」

--しまった。変なところに火をつけちゃったかな。ぼくがいいたいのはね、組織内での人と人との関わり方には公式なものと非公式なものの二種類があるってこと。電子メールを非公式なコミュニケーションの道具として礼賛する前に、ITが公式コミュニケーションを再編する可能性の方を、もっと評価して欲しいんだ。

「公式コミュニケーション? 命令とかのこと?」

--君の軽蔑するアメリカの経営学によるとね、企業というのは、共通目的協同意識・そしてコミュニケーションの3要素からなっている。これのどれか一つでも失うと、企業組織とは言えないんだ。
 共通目的のない集団の例は、町内会や自治体などの、単なるコミュニティ集団だ。これは企業組織とは言えない。それから、目的は共通だけれど協同意識がない集団もある。予備校のクラスなんかそうさ。組織ではなくライバルの集合体でしかない。そして、目的も協同意識もありながらコミュニケーションのないものは、やはり企業ではなく烏合の衆という。
 これまでの職制を通した公式コミュニケーション、つまり指示や報告は、紙か口頭を通したものだった。伝達に時間がかかるし、正確さも低い。ITは多数の相手に同時に発信できて、蓄積も検索もできる。これはいままでのピラミッド型の組織構造を変える可能性さえ秘めてる。

「そうお?」

--ピラミッド組織というのは、そもそも人口の年齢構成もピラミッド型で、かつ年功序列制のときにはじめて意味があるものだ。今みたいに高齢化社会で年齢構成がいびつになって、なおかつ年功序列もあやしくなった時代にはひずみが多い。

「じゃ、どういう風になるの?」

--ぼくも確かなことは言えないけれど、多分今よりももっとフラットな、機能も権限も分散された組織の形になるんじゃないかな。

「ふうん・・今の、一点集中のタテ型社会が崩れてくれるんならうれしいけど、ほんとにそうなるかしら? たとえばネットが発達すれば、遠くから大都会に通勤したりするかわりに、地方に分散して住んだまま仕事ができるようになるといいのにね。」

--はやりのSOHOだね。

「SOHOって?」

--Small Office, Home Officeの略で、自宅や小さな事務所単位で仕事をする形態のこと。高速ネットワークが整備されれば打合なんかもネット上でできるし、報告書や仕事の成果物もメールで送れるようになるから、みんなが巨大なオフィスに通勤して集まる必要はなくなるはずだ。と、喧伝されている。でも、ぼくには疑わしい気がするけれどね。

「どうして?」


  (この項つづく)
by Tomoichi_Sato | 2011-05-11 22:48 | ITって、何? | Comments(0)

仕事のレポートはこう書こう

ときおり、大学教育の意義は何だろう、と考える事がある。昭和の時代には大卒はホワイトカラー、高卒その他はブルーカラーという区分があったが、この境目は平成以降、次第に曖昧になってきている。それでも大学を出ることで、出なかった者と何ほどかの違いがあるとしたら、どのような点だろうか。まさか専門知識の有無ではあるまい。工学部を出たってすぐ設計はできないし、法学部や文学部で学んだ知識を企業が期待しているは思えまい。それでも、青年期の4年間を大学で過ごすことで、教育上得るものがあるとしたら、それは何か。

もしかしたら、それは多少なりともちゃんとした長さのレポートを、何度も繰り返し書かされることかも知れない。期末レポートや中間レポート、実験レポートから卒論まで、大学ではずいぶんレポートを書かされる。そして企業では、大卒の人間はそれなりに「考える仕事」を要求される。その“考える”ことの大事なプロダクト(成果物)として、レポートの存在がある。ならばレポートをきちんと書ける能力こそ、大卒に求められる資質の一つではないだろうか。

実際、ホワイトカラーの仕事においては、多種多様なレポートが頻繁に作成される。たとえば調査レポートである。これは市場調査や技術評価もあるだろうし、外部企業や生産現場の実地調査報告もある。出張に行けば必ず出張報告を書かされる。ひとつのプロジェクトが終わればプロジェクト完了報告もいる。遂行途上でもマンスリー・レポート(進捗報告)を要求される。トラブルが起これば問題報告と、とにかく何か“考えなくてはならない”状況があれば、必ずそれに付随してレポートが提出される。

誰に出すのか? 基本は上司である。Report to..という英語があるが、これは上司部下関係を示す意味で、I report to him/her.といえば、彼(彼女)はわたしの上司であることを表す。上司部下関係というのは、指示/報告関係なのである。

これだけレポートは重要なファンクションを担っているにもかかわらず、わたし個人は「レポートの書き方」について会社できちんとした教育を受けた記憶がない。大学を出たんだから、当然書けるだろう、という暗黙の論理で会社は動いていた。でも、昨今それでは動かなくなってきているのも事実のようだ。そこで、これから社会に出てレポートを書かされる立場になる人たちのために、内緒で秘訣を教えちゃおうではないか、というのが本稿の趣旨なのである。

レポートを書く時に一番大事なのは、構成である。といっても、「序論・本論・結論」という、国語の教科書にあった論文構成はお勧めしない(だってこれじゃ何書いたらいいか分からないじゃないか)。

わたしが代わりにお勧めする構成は、じつは中学一年生の時に習ったものである。今からxx年前、わたしは横浜市立万騎が原中学校というところに入学した。わずか12歳だった(当たり前か)。1年生の時の理科の先生は、とても偉かった。毎週1回、生徒に実験をさせ、そのレポートの書き方を教えてくれたのである。一番良くできたレポートは先生がB4横1枚のガリ版に手書きで写して印刷し、生徒全員に毎回、手本として配布した。手本に選ばれる生徒が羨ましくて、自分も選ばれたいと努力した。そして学年の最後の実験で、とうとう自分のレポートが選ばれた時の気持ちを、今でも覚えている。

その先生が教えてくれた実験レポートの構成とは、とてもシンプルで、以下の4つの節から成り立っていた。

1.目的
2.方法
3.結果(事実)
4.結論(考察)

この構成は、中学の理科実験のみならず、じつは自分がこれまでに書いたほぼすべてのレポートに共通に使える、きわめて汎用性の高いアーキテクチャーであった。大学のレポートも、卒論も、いや学位論文だって、この構成を基本として作成した(多少は複合し応用したが)。会社のレポートも、ほぼすべてこのフォーマットで書ける。無論、レポートの種類に応じて、これとは違う書式や構成で書くことはある。だが、事実と思考を他者に報告し共有するために、共通して依拠できるスタイルという点で、最も適した構成だと断言できる。

最初の「目的」は、明確に書く。何が問題なのか。何を明らかにしたいのか。その行為に至った背景と意図。自分の持っている仮説。そして、「何が明確になれば、本目的を達成したと言えるのか」を、きちんと定義する。そうすれば、「結論」のところで、成功したとか、失敗だったが教訓を得た、という風に書きやすくなるし、最初と最後がきちんとかみ合うので全体構成がまとまるのである。

次の「方法」は、調査なら調査の方法を、実験なら実験の方法を書く。どのように問題にアプローチしたか、どう事実を収集したかを書くのである。たとえば調査ならばネット検索で当たりをつけ、参考書や文献を読んで調べたとか、実地に訪問して見てきたとか、経験者たちをインタビュー調査したとか、あるいは実験してみたとかである。図などを利用して簡潔に書こう。適切に調査したのか、再現性はありそうか、が読む人に判断できればそれでいい。

結果」は、事実の記述である。普通は、予備的な調査の結果がまずあり、それから本調査のデータや記述が並ぶ。表や図などを使って、わかりやすくまとめることが肝心だ。レポートは長ければ良いというものではない(一部の官庁系の請負仕事をのぞく--あの分野には「100万円の委託業務だからレポートの厚さは最低10cmね」などといったナンセンスな要求が存在する)。もしもデータ量が多くて長くなりすぎるときは、詳細は「添付資料」にして本文を短くする。レポートの読み手は上司だったり顧客だったり関係者だったりするわけで、書き手を批評できる立場にある。だからわかりやすさが尊ばれる。

「結果」を書くときの注意点は、事実と意見をなるべく区別しようという態度で進めることだ。その一つの方法は、言葉(形容詞)ではなく、数字で記述するよう心がける事である。「大勢の人が感心した」と書かずに、「70%の参加者が『興味を持った』とアンケートに回答した」という具合だ。あるいは、「4人の著者のうち、3人がこの見解に賛同している」と書く。こうすることでレポートの客観性が増す。

むろん、哲学的に言えば「事実」と「意見」は厳密に分けられるものではない。どの事実を報告し、どの事実は無視するかを決める時点で、すでに書き手の価値観と評価が入り込む。しかしここでは、客観性を尊ぶ姿勢で書くことが、読み手の受容度を上げるポイントだと考えよう。なぜなら、同じ手順を踏めば、読み手も同じような結果を得られるはずだ、と思わせるからである。

結論」の部分は、前節とは逆に、自分の考察や評価、つまり意見を書く。このように客観的事実のセクションと主観的意見のセクションを分離することにより、「君の結論には賛成できないけれども、このレポート自体は役に立つ」という風に、有用性を認めてもらう可能性を高められる。モジュラリティを高めることで再利用性を確保するわけである。

考察を書く際に一番大事なポイントは「気づき」だ。単に数字やデータの並びを眺めただけでは気づかない点を「発見」できると、考察の価値が生まれてくる。そのために、数値をグラフ化して傾向や相関関係をつかんだり、あるいはエピソードを4象限のフレームワークでプロットし分類したりして、その「気づき」を伝えることだ。「目的」では意図と仮説を記述した。「結論」では、肯定的であれ否定的であれ、その仮説が検証される訳だが、ここに新たな気づきが加わることによって、考察の多面性が生まれる。結果として、最初の問題は解決したが別の問題に気づいた、となっても構わない。むしろそのような態度こそ、次につながる前向きな書き方だと言えよう。

このように考えてみると、良いレポートというものは全体として、ある一つのキーワードを軸に構成されていることが分かる。それは『検証可能性』である。「目的」で仮説を提示し、「結論」でそれを検証する。「方法」も追試検証が可能なように記述する。「結果」では誰でも真偽を判定できる客観的事実を並べる。このように、他者にとっても検証可能な形でレポートを提示することで、その再利用性と信憑性が高まるのである。

レポートとは、事実と思考を他者に報告し共有する道具だ。そこでは「自分の名札付きの意見」は珍重されない(自分が斯界の権威でない限り)。誰が行っても同じ結論に至る、無名の客観性が重要なのだ。では、レポートの質や創造性はどこに出るのか? それはスタイルにはない。「仮説」設定の上手さと「気づき」の深さで評価されるのだ。
by Tomoichi_Sato | 2011-05-08 12:18 | ビジネス | Comments(2)

「ITって、何?」 第19問 私でもネットにお店を開けるかしら?(2/2)

<< 電子商取引の成功条件 >>

--それにしても君、いったい何のお店を開くんだい?

「それはこれから考えるのよ。何か少しは人に役立つものがいいわね。商品を届けることで、買ってくれた人に少しでも幸せな気持ちを届けられるようなもの・・。ねえ、これまで、どんなものがネットで売られているの?」

--そりゃ、いまや森羅万象あらゆるものが取り引きのテーブルにのせられているよ。でも、成功した商品と、そうでないものとがあるね。たとえば、旅行とか、あるいは書籍とかはB2Cで成功している代表的なものだ。

「ふうん。なぜかしら? あ、待って。自分で考えてみるわ・・えーと・・もしかして、検索とかがポイントなの?」

--いい線をついているね。書籍や旅行の予約なんかでは検索はとても大事だ。そして検索が自由に瞬時にできるというのが電子データのメリットだからね。

「ふんふん。だったら、商品のバラエティがすごく多いようなものはネットのお店に向いているかもね。あ、株式なんかもそうよね、きっと。音楽なんかも良さそう。あと、不動産仲介なんかもそうかしら。衣料品だとか・・でも、そうしたら、これまでの通信販売とどこが違うのかしら。」

--さっき言ったように、店頭在庫や流通在庫の必要性がポイントのひとつだ。売買に実物の移動や納品が伴うかどうか、それがどれくらい即座に行われなければならないか。

「そっかあ。ネット上の取引は瞬時に行えても、実際の品物をえんえん列車やトラックで運ばなくちゃないんじゃ、利用者のメリットは小さいものね。」

--そう。それでは単に発注の手間が若干効率化されるだけだからね。衣料品や嗜好品のたぐいは数日間なら納品まで待てる。だからセンターに在庫しておいて宅配すればいいんだけれど、これは君の言うように既存の通販カタログをウェブにのっけただけで、すごく画期的とはいいにくい。
 不動産仲介は契約までひどく時間がかかるから、ネットは情報を取るだけで、発注は外側でやることが普通だ。これも電子商取引とはいいがたい。
 それから逆に株式や商品先物取引は、権利の移転だけを瞬時に行う必要があって、これは一応ネット向きではあるけれど、これまでも専門家は電話注文やオンライン取引のサービスを使ってきた。おまけに、みんな自分がどの銘柄を買うかはよく知っているから、あまり検索機能は必要とされない。電話やFAXのかわりにインターネットがあるというだけでは、こちらもあまり革新的とは言えないと思う。

「じゃあ、どうして書籍と旅行だけは成功例といえるの? これだって通販の延長なんじゃないの? ・・たしかにこれまで本やホテルの予約って、通信販売はなかったけれど。」

--なぜだと思う?

「なぜって、本とかは実際に自分の目で見てみないといやじゃない。それを読んだ知り合いの意見でも聞ければ別だけど、友達の輪なんて限られているし・・え? もしかして・・?」

--そう。その『もしかして』さ。

「そうか、本屋とか旅行代理店のサイトに行けば、それを読んだり、ホテルに泊まったりした、よその人の意見が見られるからね。」

--そこがポイントさ。成功したサイトは、利用者の意見がたくさん書き込まれている。他の人の書評や、ホテルに泊まったときの感想なんかが蓄積されている。そのレビューが多ければ多いほど、そのサイトの価値も高まる。

「で、それを見て自分で決めることができるのね。たしかにうまいモデルだわ。本の注文やホテルの予約て、以前はちょっとだけバクチみたいだったもの、大げさにいうと。でも、それはほかの人の意見をきく機会がなかったからだわ。知らない人同士が意見を披露し合う場所なんて世の中になかったし、その習慣もなかったのよ。」

--それがインターネットで可能になったのさ。

「たしかにそれは革新的といってもいいと思うわ。新しいコミュニティの創造みたいなものだもの。」

--そこまで大げさなもんじゃない。ユーザのフィードバックの仕組みを作っただけだ。

「でも、これまでの商売ってすべて一方通行だったでしょ? 町の個人商店をのぞけば。消費者が自分の意見を返す場所も方法もなかったのよ。いつも供給者側の押し込みみたいなものだったわ。」

--でもね、インターネットで公開されている個人の意見は、内容についてはどこにも保証がないということも忘れちゃいけない。だれかの意見を参考にしてひどいホテルに行き着いたからといって、それで文句をいうことはできないんだ。

「自由にはリスクは付き物だわ。自分の頭で判断すればいいだけじゃない。お仕着せの公式機関の格付けや権威付けなんて、今のこの時代には願い下げだわ。」

--そこまでユーザの皆さんの覚悟が決まっているならば、ネットの商売も意義があるだろう。実はネットの取引に不向きな商品はかなりたくさんある。

「たとえば?」

--たとえばね、ビールなんかがそうだ。理由は考えてみればわかる。

「えーとねえ・・まず、他人の意見なんかいらないわよね。商品の数は限られているし、繰り返し飲んでるから味は知ってる。だからカタログ検索も不要。おまけに、買いたいときはすぐに飲みたいわけだから、宅配なんて待ってられない。あ、だから全国のコンビニや酒屋さんに店頭在庫が必要なわけね。」

--流通在庫というものは、商業の機能と切り離せないものだった。
 もともと商業の機能は、需要と供給のギャップを埋めることにある。生産地と消費地の地理的ギャップを埋める輸送機能、生産の時期と消費の時期の時間的ギャップを埋める保管機能、そして大口の供給と小口の消費の数量的ギャップを埋める小売り機能。もしさらに付け加えるならば、納品時点と支払い時点のギャップを埋める与信機能、かな。
 在庫というのはこのうち、時間的ギャップと、一部の地理的ギャップとを埋めるために存在する、いわば必要悪だ。これを解決できなければ、電子商取引の存在意味はうすい。単なる電話注文か通販カタログの代用に終わってしまう。

「もう一つあるわよ、商業の機能。」

--なんだい?

「情報のギャップを埋める事よ。消費者が必要としている情報を、生産者側からもってくる仕事。こんな商品があります、こういうニーズに合います、ということを教えてくれる機能。検索機能なのかもしれないし、提案機能というべきかもしれないけれど、それが今の大量生産時代には、お仕着せの情報をばらまくだけになっていたの。」

--必要な情報を必要な人に届ける、情報のロジスティックス業務か。それはまさにぼくのいうITの中心機能じゃないか。

「だからね、ネットのお店は、それを改革するだけの可能性があるんだわ。情報の流れを、逆に消費者側から生産者側に返すこと。そうすれば、きっと需給のギャップだっけ、それは埋まると思うの。そして、大量生産時代のバカげた資源の浪費を、きっと止めることができるはずなのよ。」

(つづく)
              [この話の登場人物はすべて架空のものです]
by Tomoichi_Sato | 2011-05-05 23:36 | ITって、何? | Comments(0)