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ビジネスにおける「政治力」とは何か (つづき)

(また原文の末尾が表示されていないようなので、ここに最後の2パラグラフを転記しておきます)

ここでの書きぶりでもお分かりの通り、わたし自身はビジネスにおける『政治的』なるものはあまり好きではない。わたしは別に、企業内のあらゆる行動がすべて合理的であるはずだとか、合理的であるべきだ、などと単純に信じている訳ではない。だが、「政治的」なるものが跋扈しすぎる組織は、長くは成長できないと考えている。どこかに成長の限度があるはずなのだ。

どんな組織も拡大すると効率性のために分業と権力の序列を生み出すが、それが故に合理性を逸脱する危険性をも孕む。これは組織というものの持つ根本的矛盾なのだ。この矛盾を認識せぬまま、どんなに「合理的」な議論を振り回しても、それは空しいばかりだと思うのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-02-28 22:13 | ビジネス | Comments(0)

ビジネスにおける「政治力」とは何か

わたしの好きな米国のマンガに "Dilbert"がある。アメリカのハイテク企業を舞台に、その馬鹿々々しい内幕を皮肉ったマンガで、読んでいると米国ビジネス界での思潮や流行が、コマの向こうから透けて見えてくる。あの国の新聞連載は日本と違って3コマなのだが、日曜日は2段8コマ分くらいの"長編"になるのがふつうだ。日曜版の新聞はマンガの増ページで、マンガのコーナーができるからだ。

先日の日曜のDilbertは、こんな話だった。例の、"無能を絵に描いたような"部長が、部下を前にこう切り出す。
「明日、CEOと大事な予算会議がある。でも予算獲得競争は容易じゃない。他の部ときたらみんなプロの詐欺師連中だからな。」
そこで主人公のDilbertが聞く。--そりゃちょっと言い過ぎでは?
だが部長は切り返す。「じゃあ、お前さんはマーケティング部のことをいつもどう呼んでる?」
--オーケー、まあ、そこはゆずりましょう。とDilbert。
「なら営業部は? 広報部は?」 --うーん、しかし、まあ・・
「財務部は? 法務は?」 --うわ。そこは忘れてました。
「次は自分で挙げてみろ。」 --えーと、人事部は・・いや。ぼくの負けでした。

『プロの詐欺師』の原文はProfessional liarsだ。英語では "liar"は日本語の「嘘つき」より、はるかに厳しい非難の意味を持つ。米英に限らずキリスト教文化圏では、事実と異なることを人に告げる行為は「偽証」であって、道徳的にはなはだ蔑まれる行いと考えられている。"嘘も方便"という日本語の感覚で「ユー・アー・ライアー」などと口に出そうものなら、相手は血相変えて怒るはずだ(日系三世の片岡義男は、子どもの時うっかりこれを言って、黒人の米兵から力いっぱい張り飛ばされた、と書いている)。

Dilbertに話を戻すと、このマンガは米国企業の技術者が、他の部門に対してどういう感覚を持っているかをあらわしている。なお、上で挙げられた他部門が、営業を除けばほとんど本社部門で、かつ「事務屋」の領域(日本の感覚で言えば)であることに注意して欲しい。ここにはロジスティクスも製造も生産技術も、登場しない。主人公Dilbertだって、これら実務ライン部門を詐欺師とは非難しないだろうと思う。もっとも、今日の米国企業のことだから、すでに製造も物流も子会社化されたか、第三者にアウトソースされてしまっている可能性は大である。こうなると"正直者の"エンジニアの牙城は、技術部門(設計・開発部)しか残っていないのかもしれぬ。

正直一本槍だけではビジネスがなかなかうまく立ち回れないのは、洋の東西を問わぬ事実であろう。誇大なる広告も、甘美なセールストークも、見かけ倒しのリース制度も詭弁すれすれの許諾契約も、他社との生存競争に生き残るためには必要とされている。これら販売・広報・融資・契約はすべて「言葉」の運用によって進められる仕事である。いわば「言葉」の技術・技法であり、そこでの論争や競争も言葉で行われる。

ところがあいにく技術は「数字」で語る世界だ。1秒は2秒より短く、1 tonは100 gよりも重たい。わたしがエンジニアリング会社に入って最初にたたき込まれたのは、"技術屋ならば数字で語れ"ということだった。「この装置はけっこう大きい」などと言わず、「この装置の処理能力は3万ton以上です」と言う。「今かなり忙しくて」ではなく、「来週中に8基の熱交換機のDatasheetを作成する必要があって」と言う、といった具合だ。数字の世界では、白か黒かは明瞭だ、という訳である。

もっとも、技術の世界だって実際にはグレーゾーンがかなりある。それは経験を積むごとに分かってきたのだけれど、最初からグレーの頭でスタートするのと、白黒がある領域があると知ってスタートするのでは、ずいぶん違う。ちなみにわたしを指導してくれた先輩は文系の出身だったが(→「わたしが新入社員の時に学んだこと」参照)、理非ではなく声の大きさや政治力で勝つ、というような仕事のやり方を好んでいなかった。

「政治力」とはいったい何だろうか? リーダーにとって、「政治力」は必須の能力なのだろうか。では、マネジメント教育の中には、「政治力講座」が必修科目としてあげられるべきなのだろうか?

マネジメントには「人を動かす力」が求められる。そして人を動かす力は、「強制力」と「影響力」に分けることができる。前者は、人を(その意志に反してでも)無理矢理動かすことのできる力である。後者は、他人が自らの意志で動いて、ついて行きたくなるような力である。

強制力のためには、アメないしムチ(あるいはその両方)が必要だ。普通アメのためには金銭、地位、名誉などの賦与が用いられ、ムチには罰金、降格、叱責など、その逆が行われる。さらに、法的な力(警察力等)も強制の根拠となる。わたしたちが組織の職制の中で、上司→部下に対して及ぼされる力は、基本的に強制力(「業務命令」)である。命令に従えばアメが与えられ、反すればムチ打たれるわけだ。このような力を普通、「権力」と呼ぶ。

組織の中では、ステータス(地位、順位)に応じて権力が配分される構造になっている。それは同時に、「責任」の配分順位でもある。「責任」と対応させる場合、経営学では権力と言わずに「権限」と呼ぶ。権限とはその人において意志決定の許される範囲、すなわち(私の好きな用語で言えば)『自由度』を表すわけだが、これは組織では強制力によって裏書き保証されている訳である。ただし、余りに恣意的な意志決定権限が乱用されると困るので、ある程度権力の自由度を狭めておくために、規則やルールというものが定められる。これでようやく「近代的組織」のできあがりだ。

もちろん、ある種の組織では、強制力ではなく影響力が主に行使される場合がある。ボランタリー(自発的)な組織、たとえばボランティア団体とか学会などがそうである。ここでは、違法行為でもない限りほとんど強制力が存在しないため、影響力と、構成員の「合意の力」だけで運営されていく。よく、企業を定年退職した男の人がボランティア団体に参加したはいいが、周囲から煙たがられたりする光景があるが、あれは強制力に永年慣れすぎた企業人が影響力の磁場で方向感覚を見失ってしまうためだと思われる。ともあれ、影響力の非常に強い人にあるのは権力ではなく、「権威」である。

ところで、企業や官庁などの権力型組織に話を戻すと、組織の構成員は、順位や権力を得るために競争をするよう、動機づけられる。だが、その結果、なんらかの共通目的達成のためにあったはずの組織が、いつの間にか「権力維持の場としての組織」に変質していく可能性があるのである。企業の共通目的は第一に利益を上げることだが、利益という経済合理性を差し置いても、権力獲得のために種々の行為がなされていく素地ができあがる。

わたし達がビジネスの場において「政治力」という用語で形容したくなるのは、このような状況が生じたときである。たとえば、あるサプライヤーだけが上司との緊密な関係によっていつも選ばれたり、有利な仕事がいつもある種の人脈の上に与えられたり、ある人物が実力にもかかわらずポジションで冷遇されたりする時、わたし達はそれを「政治的」な決定と呼ぶ。すなわち、ビジネスにおいて「政治的」であることとは、“権力ないし地位獲得のために目的合理性を逸脱した行為に走ること”を意味するのである。営利企業の場合、それは経済合理性を逸脱した行為と言うことになる。

このような行為を、なぜ「政治的」と名付けたくなるかは、若干不思議ともいえる。だが、はっきりしていることは、ビジネスにおける「政治的」なるものは、国政だとか地方政治とかには関係がない、という事情である。ある企業が、経団連の割り当てによってどこかの政党に寄付金を出すとか、労組のメンバーが特定政党の支持する候補者の応援活動をするとかいった行為と、先に述べた経済合理性を逸脱した行為とは全く別種類の話だ。

「政治的」なるものは、「政治」そのものではない。ちょうど「女性的」なものが必ずしも「女性」そのものではないように。かりにモーツァルトの旋律が優美で女性的だったとしても、それは「モーツァルトの音楽が女性だった」ことを意味しない。ただ、権力争いのために組織の目的合理性を逸脱する行為は、きっと政治の周辺で最も良く観察されるのだろう。だからこうした行為を、半ば軽蔑を込めて「政治的」と呼ぶのだ。そして、このような政治的文脈の中で、ギヴ・アンド・テイクや力のレバレッジや言葉での毀誉褒貶やあれやこれやを上手にやってのけ、地位と権力で人を操る術を「政治力」というのである。

ここでの書きぶりでもお分かりの通り、わたし自身はビジネスにおける『政治的』なるものはあまり好きではない。わたしは別に、企業内のあらゆる行動がすべて合理的であるはずだとか、合理的であるべきだ、などと単純に信じている訳ではない。だが、「政治的」なるものが跋扈しすぎる組織は、長くは成長できないと考えている。どこかに成長の限度があるはずなのだ。

どんな組織も拡大すると効率性のために分業と権力の序列を生み出すが、それが故に合理性を逸脱する危険性をも孕む。これは組織というものの持つ根本的矛盾なのだ。この矛盾を認識せぬまま、どんなに「合理的」な議論を振り回しても、それは空しいばかりだと思うのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-02-28 19:37 | ビジネス | Comments(0)

「ITって、何?」 第16問 ITビジネスの成長のパターンってどうなっているの?(2/2)

・IT産業界の構造

「なんだかため息が出てきちゃった。長々と生態学をご説明いただいたけれど、だから結局何なのよ?って感じ。話の筋道が見えないんですけれど。」

--これからが本題さ。
 ここで、IT業界の企業ランキングを調べてみる。2009年度の情報サービス業のランキングで上位20傑を選び出して、横軸に順位を、縦軸に売上高をプロットしてみたんだ。ちょっとそこの書類鞄あけてみてくれる? うん、その一番上にあるやつ・・つまり、こういうものだ。

<図15-1 情報サービス企業の売上規模と順位の関係>
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「なにこれ・・変なグラフねえ。横軸が1から始まってるのに、その次の目盛りが2じゃなくて10になってる。そのつぎが100だわ。縦軸もなんだか10倍刻みね。だいいち、これって横軸にゼロがないじゃない?」

--こういうのを両対数グラフというんだ。まあ、あまり理科系で実験をやる人以外は使わないだろうけど、ふつうのグラフ用紙とちがって、縦軸横軸の両側の目盛りが、対数刻みになっている。

「た、対数? 高校の時にやった悪夢みたいなやつね。」

--悪夢って言うけれどね、君のピアノなんて実は対数を弾いているようなものなんだぜ・・まあ、それはともかく。こういうグラフは、文字通りけた違いに大きさの違う数の間の関係を分析するために使うんだ。なれてしまえば特別難しくはない。

「そうかしらぁ。」

--0,10,20・・といった普通の目盛りのグラフ用紙を使っていると、1より小さな数は0.5も0.01もみんな似たように見えてしまう。そしたら、ほんの一握りの大企業に比べて、圧倒的な数の中小企業が存在するような状況下では、ほとんどの点が団子みたいに固まってしまうだろう?
 ところが順位kと大きさxの対数をそれぞれ縦軸と横軸にとって、点をプロットしていくと、分岐増殖モデルに従うような生態系では、きれいな直線の上に乗っていく。それがさっきのジップの法則の関係式が示していたことなんだ。グラフを見ると20個の点がほぼ直線に乗っていることが分かるだろう?

「嘘よ、全然ばらばらだわ。あなたどういう目をしているの?」

--これはすごくマクロな社会現象を分析しているんだから、これでも十分、線に乗っているといっていいと思う。

「わかったわ。じゃ、ガチャ目になってあげる。」

--恐縮です。で、そのグラフはまさに、日本のIT産業が分岐増殖型のモデルで説明できることを示してると考えられる。

「それってどういうこと・・まさか会社が鳥のコロニーと同じ風にできている、って冗談みたいな話なの?」

--まさにその冗談みたいな話なのさ。

「それで会社員はみんなトリ頭の烏合の衆なのね。よく分かったわ。でもここにどういう教訓があるのかしら? そもそも、ガチャ目に直線に見えるような偶然が2009年はたまたま起こっただけかもしれないじゃない。」

--そう思ってね、10年前の2000年と、さらに22年前の1988年までさかのぼって調べてみたんだ。2000年はITバブルの絶頂期。1988年といえば、やっとPCがほんとに企業に普及しはじめたころさ。ところがこいつも立派な直線に乗っている。ぼくはこれは偶然じゃないと思う。

「偶然じゃなければどういう必然なの?」

--まさに分岐と増殖のルールに従ってIT企業は発展してきていると言うことさ。企業は成長しながら、そのサイズに比例してスピンアウトの種を作ってきている。企業内だと協調関係だけれど、別企業になれば競争関係だ。その相乗作用がIT産業の活力を生み出しているんじゃないのかな。

「本当かしら・・ねえ、この1位の企業って、どこ?」

--NTTデータだよ、たしか。

「だったらそんな法則なんて嘘に決まっているじゃない! NTTデータって元・電電公社から別れて出来た、最初からの大企業でしょ?」

--それだってね、NTTの中にいたときに最初から大きかったわけではない。ITという異質な仕事をやる部門は、電話会社の中ですこしずつ成長していったはずなんだ。会社の看板がつけかわったのは結果さ。

「他の国でもこうなのかしら?」

--まだ調べていない。でも大企業から中小零細までなだらかに共存しているという意味では、大きくはちがわないと思う。

なだらかに共存、ってどういうことよ? 資本主義の大企業って、中小や零細企業の中間搾取で生きているんじゃないの?」

--たしかにIT産業にも下請けや搾取の構造がある。大きい企業の方が『お布施の原理』でいい仕事をとりやすいのもたしかさ。だから調べるまでは二極分化しているだろうと思っていたんだ。でも、そうではないことがわかった。これはね、弱肉強食型のモデルが当てはまる別の業界があって、そこと比べると明らかだった。

「どこのこと?」

--建設業界さ。建設業界で同じく順位と規模のグラフを作ってみると、両対数では全然直線にならない。しかし、片対数用紙にプロットすれば直線にのる。ほら、これをみてごらん。

<図15-2 建設業における企業の売上規模と順位の関係>
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「いろんなグラフ用紙があるのねえ・・。」

--これは目盛りの縦軸だけが対数軸になっていて、横軸は普通の目盛りの刻みになっているものさ。片対数のグラフを書いて直線に乗ると言うことは、さっき説明した弱肉強食型の数式がフィットすることを意味するんだ。

「つまり、建設業って、小さいところは絶対に大企業と競争しても勝てないってことなの?」

--日本では、何故かそういう仕組みらしい。おまけに、このグラフの面白いところは、上位5社とそれ以下の15社では別の直線に乗っていることだ。つまり上位ゼネコン5社が圧倒的に強くて、それ以下は『中堅ゼネコン』になってしまうらしんだね。不思議な階級社会といえるだろう。
 さっきから説明しているとおり、IT作りはどこか建築によく似ている。しかし、産業の構造を見る限り、両者には明らかな違いがある。片方は分岐増殖型で、片方は弱肉強食型のモデルになっている。

「でもね、もしあなたのご説が正しいとすると、ITでも強い方がたいてい勝つんだから『弱肉強食モデル』の世界になるはずじゃない? なんで『分岐増殖型』なのよ?」

--それはね、市場全体がまだ成長しているからさ。大企業と小企業が既存のパイを競争で取り合うのではなく、小企業は新しいジャンルの市場を生むことで、全体のパイが膨らんで行く。だから中小企業でも成長していけるんだ。

「市場が成長しなくなったら、弱肉強食型に移行していくの?」

--可能性はあるだろうね。建設業界なんか典型的な成熟市場だ。毎年のパイの大きさは景気にもよるだろうけれど、限られている。そこを取り合うんだから、どうしても大企業の方が有利になる。
 IT産業だってね、もう少しミクロに市場のセグメントをながめてみると、そういう傾向がつかめるかもしれない。たとえばPC本体の市場とかね。でも、全体で言うと新しいセグメントが次々に生まれていて、それにシフトすることで成長がうながされていると思う。

「あなたの分岐増殖型では、吸収とか合併はどうなるのよ。」

--たしかにそれはモデルに組み込まれていない。アメリカお得意の吸収や合併は、どちらかというと淘汰選別の仕組みだよね。だから、アメリカではもうすでに、分岐増殖型が成熟期に入って弱肉強食に移りつつある時期の証拠なのかもしれないね。

             (この話の登場人物はすべて架空のものです)
by Tomoichi_Sato | 2011-02-24 22:03 | ITって、何? | Comments(5)

「ITって、何?」 第16問 ITビジネスの成長のパターンってどうなっているの?(1/2)

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しばらく彼女は黙っていた。

--どうしたの? もう質問は終わりかい?

「考えていたのよ。たしかもう15問したから、20の扉もあと5つしか残っていないわ。それなのにまだITって何なのか、よくわからないんだもの。」

--まだ5つも残っている、とも言えるな。

「あなたって楽天家ねえ、まあいいけど。今までに、まずデータと情報の違いの話を聞いたでしょ? それから、データのデザインのなんだかややこしい話。で、情報の価値の話になったのよねえ。値段と価値は違うってこと。それから情報システムの価値はどうきまるかって話・・ううん、そうじゃなくて、どう決まらないか、って話だったわ。」

--ぼくとしては一貫して、ITには目に見えない価値がある、って説明してきたつもりだけれどな。人間は情報に価値を見いだす。ところで情報を機械でうまくハンドリングするためにはデータに換えなけりゃならない。データを処理するためのツールとしてITがある。だからITの価値を認めてほしい。とても理屈がとおっているだろう?

「その筋道のどこかに、なんだか欠けているところがあるのよ。すりかえっていうか・・。あなたはITをお仕事にしているから、なんとか自分の仕事に価値を認めてもらいたくて一生懸命みたいだけれど。」

--誰だって自分の仕事にはとうぜん価値を認めてもらいたいだろう! 仕事っていわば自我の延長なんだから。ぼくは自分の仕事に誇りを持っていますよ。君だってそうだろ、翻訳の仕事は横のものを縦にするだけじゃない、って日頃から言ってるじゃないか。

「でも、価値ってとても主観的なものじゃないかしら。」

--主観的。そうかもしれないけど、それじゃ一銭も稼げないじゃないか。ぼくとしてはお金に換算してもらいたいね。システムを作って、ある人は百万円の価値があるといい、ある人は一円の価値もないという。それじゃ商売にならないよ。ぼくとしては、百万円なのか80万円なのか、という議論に持っていってもらいたいんだ。

「価値あるすべてのものがお金で買えるとは限らないわ。」

--あのね。そりゃそうだけど、愛や友情はお金では買えないわ、とか、一人の命の価値は地球よりも重たいわ、とかいった議論を今さらぼくらはしなきゃいけないんだろうか。保険会社は命の価値さえ値段表にしてしまう。それが資本主義ってものだろう? ITだって立派な産業なんだから、お金で計らせていただきたいもんだ。

「産業・・そうね、ITは巨大産業だわ。たしかまだ工場制手工業の時代だっていう話だったけれど、どうやって巨大になったのかしら。ITビジネスの成長のパターンってどんな風になっているの? これがわかるとITの性格が見えてくるかもしれない。」

・IT業界の生態学

--うーん。それってけっこう難しい質問だと思う。君への答えに直接なっているかどうか分からないけれど、IT企業の大きさの分布については、ぼくなりに最近調べてみたんだ。大企業と小企業に二極分化していないかどうか、まだ成長の余地があるのかどうか知りたくてね。

「会社の大きさの話なの? まあたしかに、ITって巨大企業もいるわりに小さな会社もいっぱいあるみたいね。ふつう、大企業独占か中小零細企業だらけか、どっちかになりそうなものだけれど。」

--ところで、まずね、この世のたいていの偏った分布の形は、“ジップの法則”で説明できるといわれている。

「なんなの、薮から棒に。数学の話?」

--いや、大企業と中小企業の話なんだけれどね。どの大企業だって最初は中小企業から出発したわけだろ?

「NTTやJRみたいに、東西に分割されても大企業からはじまる、ってあるわよ。」

--ま、例外は認めよう。しかしほとんどの会社は小さな規模からはじまって、しだいに成長してくる。もちろん成長し損なって消滅してしまうものとか、合併吸収されてなくなってしまうものもある。でも、基本的には、中小規模のものの数はやたら多くて、大きくなればなるほどその数は減っていく。
 つまりね、これは一種の生態学の問題なんだ。生き物の数と大きさに関する分布の学問がつかえる。
 
「そうなの? 統計学じゃなくて?」

--ふつうの統計学って、こういうときにはちょっと不便な学問なのさ。基本的にガウス分布という分布型しかない。

「ガウス分布。昔きいたことあったかもしれないけど忘れちゃった。」

--正規分布ともいう。多数のサンプルをとって値を測ってみると、平均値のまわりにだいたいきれいに分散している、というのが正規分布だ。ヒストグラムを描いてみると、中央に平均値があって、その左右に対称にきれいな釣りがね型の分布型をえがく。たとえば人間の身長なんてそんなパターンに従う。

「だったらそれを使えばいいじゃない」

--そうはいかないんだ。会社にはある平均的な大きさがあって、個別の会社はその上下にばらつく、という風だったら、世の中は中企業ばっかりが多くて大企業も小企業もすくない、ってことになるはずだろ? ところがそうはなっていないんだ。世の中は中小・零細ほど数が多くて、大企業は指折り数えるほどしかない、というケースがほとんどさ。

「そういえばそうね。」

--だから、経済的市場における企業の成長パターンの分析には、ふつうの統計学は使えないんだ。

「そこでいきなり生物学のお出まし、って訳なの? 飛躍しすぎてない?」

--生物学じゃなくて生態学。生物学は個々の生物を研究する学問だけれど、生態学は生物の集団のあり方や、それをとりまく環境との相互作用を研究する学問で、もとは生物学から発したけれども、ある意味ではもう少し広い対象を相手にしている。
 企業ってのも、生き物の集団に似ているところがある。だから生態学の知恵を応用するとうまく現象を説明できるときがある。
 
「すっごい無茶に聞こえるけれど・・たとえば?」

--生態学ではよく、地域の中における生物集団の数が問題になる。自然を構成する植物や動物の種は、地域や気候によりさまざまだけれど、『生物の種とそれに属する個体数の頻度分布』という次元に抽象化すると、そこにはある程度の傾向が見えてくる。手っ取り早く言えば、“大多数の個体は、少数の種に集中する”という傾向だ。

「もう一度言ってくれない?」

--例えば、ある島に二十種類の鳥類が、合計1000個体確認されたとする。するとおそらく、せいぜい二、三種類の鳥が全「人口」の半分以上を占めているだろう。これがその島の『代表的な鳥類』になる。

「はーん、それであとは少数民族になるのね。分かる感じ。」

--他の別の島では別種の代表的鳥類が生息しているかもしれないが、個体の大多数が特定の少数の種に集中する現象には変わりがない。そして、個体数のヒストグラムの形が、正規分布のような対称形になることはまずあり得ない。それはどの種もほぼ同じくらいの数が同居しているということだからね。
 ところで生態学の教えるところによれば、競争と協調の下での種の個体数分布には、三種類の原型的パターンがあるとされている。
 
「どんな?」

・独立モデル・分岐増殖モデル・弱肉強食モデル

--第一の原型は独立型モデルといわれる。
 このモデルでは個体はそれぞれ、他と独立で全く無関係である、と仮定する。いいかえれば「無構造」という構造だ。一定面積の流域の中にいランダムに個体をばらまくと、その中に存在する個体数の頻度分布は、Poisson分布という分布形に従う。この分布形は平均値を大きくなると数学的には正規分布の形に近づいていく。

「なんだか頭が痛くなりそう・・」

--これは一種の数学的な純粋論だから、忘れてもいいよ。
 しかし普通生物の生息密度が上がると個体間の相互作用が無視できなくなり、現実には別の分布形に近づいていく。それが分岐増殖モデルと弱肉強食モデルだ。

「分岐増殖モデル?」

--分岐増殖モデルは『コロニー』の考え方が基本にある。今ある地域いくつか生物のコロニーがあり、それ自体は一定の増殖率(ε)で個体数が、増えていく。その一方で同時にコロニーからは時々個体が独立して飛び出し、新しいコロニーの元となる。新しいコロニーの出現する確率は、現在のコロニーの数に比例する(比例乗数μ)。

「コロニーを“会社”だと思えばいいわけ?」

--その通りです。会社自体は一定のスピードで、成長して大きくなっていくが、それと同時に、会社からスピンアウトして、新しい会社を作るやつらが出てくる。その確率は、現在存在している会社の数に比例する、と。

「ははあ。ちょっぴり話がつながってきたわね。分岐して増殖するのね。」

--こういう仮定をおくと、コロニーの大きさ(個体数)xは、それを大きさの順に並べたときの順位kにたいして、

    -(ε/μ)
 x∝k

という関係式が成り立つ。つまり、順位kの(ε/μ)乗に反比例するということになる。

「なんだかちんぷんかんぷん。」

--べつに数式は理解できなくてもいい。大事なことは、大きさの順位表をつくってみると、順位と大きさとの間にきれいな数値的関係が見いだせるってことだ。
 この関係を初めて生態系の中に発見し、その理由を数学的に示したのは、Yuleという学者で、1920年代のことだった。けれど、40年代になってジップという経済学者が、個人の所得分布やいろいろな言語の中の単語の使用頻度分布など、情報と人間行動に関連した分野で、かなり広範に見られることを発見して以来、『ジップの法則』と呼ばれるようになった。
 
「ふうん・・。でも、三つのモデルといったなら、もう一つあるはずよね?」

--三番目は弱肉強食モデルです。このモデルは、もっとはっきりと生存競争が行われる場合を仮定している。いまn種の生物がいて、それが生息場所をめぐって争うとする。この生息場所のことを生態学ではニッチ、という。

「『ニッチ』って、すき間市場を指すマーケティングの言葉じゃなかったの?」

--いまはそっちで有名になっちゃったけど、もとは生態学の概念なのさ。ところで、生物種の間には強弱関係が明確にやって、弱者は強者に会うとそこで消されてしまうと考える。

「まあ。そうしたら一番強いものだけが生き残るの?」

--もしも全体の領域が狭ければそうなる。けれど、ある程度広ければ弱者も生き延びる場所を見つける幸運に恵まれるだろう。この時、個体数分布は、

      -r
  x=bk

となる。
 たとえば湖の底棲動物などはこのパターンに従うことが知られている。

「なんだかため息が出てきちゃった。長々とご説明いただいたけれど、だから結局何なのよ?って感じ。話の筋道が見えないんですけれど。」

--これからが本題さ。IT業界の企業ランキングを調べて、今説明した3種類のモデルを当てはめてみると、面白いことが見えてくる。

(この項つづく)
by Tomoichi_Sato | 2011-02-21 23:46 | ITって、何? | Comments(1)

書評:「禁断の市場」 ベノワ・マンデルブロ&リチャード・ハドソン著

禁断の市場 フラクタルでみるリスクとリターン
監訳:高安秀樹 訳:雨宮絵理 他

ずっと昔の学生時代から、なぜか冪乗分布に心を引かれていた。いわゆる、ランク-サイズ関係が負の冪乗になり、両対数グラフで直線に載る関係だ。英語の単語の使用頻度に関するジップの法則がその典型で、順位と頻度は-1乗、つまり反比例の関係になる。これは、通常の正規分布則などでは説明のつかない、ひどく片寄った現象であることを示している。一般的な統計学がよって立つ正規分布では、平均的な事象が多いはずだからだ。

そうした問題意識には、「無限・カオス・ゆらぎ―物理と数学のはざまから」(寺本英ほか)や「ゆらぎの世界―自然界の1/fゆらぎの不思議」(武者利光)など、一部の数理物理学や数理生態学の本で多少の折り合いをつけるしかなかった。そこに突如、燦然と登場したのが、マンデルブローの「フラクタル理論」であった。

フラクタル幾何学は数学の一分野として登場しながら、驚くほど応用範囲の広い考え方だった。「自己相似性」と「整数でない次元」の概念から導かれる諸法則は、またたく間に、CGから宇宙論まで、ありとあらゆる分野で--より正確に言えば「ランダム」さを扱わなければならない分野で--もてはやされることになった。マンデルブロ集合やコッホの雪片曲線などは、あっという間にTシャツのデザインに、またPCのスクリーンセイバーの図柄になった。

本書は、そのマンデルブローの一種の自叙伝、あるいはフラクタル理論誕生の伝記である。それがなぜ「禁断の市場」(原題:The [Mis]behavior of Market)なのかというと、じつは理論誕生のきっかけが純粋数学ではなく、金融市場の動力学的研究だったからである。

1998年の夏、ロシア経済危機の影響を受けてダウ平均は一日で6.8%下落する。これは、ビジネス・スクールで一般に教えられている金融工学の標準理論によれば、2000万分の一の確率(つまり10万年に1度の頻度)の事象であるはずだった。ついで2002年にはダウ平均が7.7%下落した日があった。その確率はなんと500億分の一だ。そして2008年のリーマン・ショックである。金融工学は、なぜこのようなリスクの予知に失敗したのだろうか?

マンデルブローは、ランダムさには「マイルド」「スロー」「ワイルド」の三つの状態がある、という。ちょうど物質に固体・液体・気体の三状態があるように。そして従来の金融工学は、市場を「マイルド」(つまり固体)としてモデル化してきた、と指摘する。本書の前半1/3程度は、バシェリエのランダムウォーク仮説、マーコヴィッツのCAPM理論、ブラック=ショールズ方程式などの標準理論と、その帰結(いかに現実に例外が多いか)をていねいに説明する。

第2部はいわば自分の理論の自叙伝である。マンデルブローは科学手法の道具箱の中に、新しい数学的ツールを導入することに生涯をかけてきた。それが「フラクタル」と「マルチフラクタル」である(フランス人が"マルチ"という時は、複合的というよりも"スーパー"的なというニュアンスが強い)。

彼はIBMの研究所にいた時に、過去100年にわたる綿花価格の変動について調べる。そして、それが次数1.7の冪乗分布であることを突き止める。さらにこれがレヴィの安定分布の一変種であり、指数1.7はアルファ値という特性パラメータを意味することを発見するのである。これは経済学にとって一種のセンセーションとなったが、標準理論の根底に反するため批判も根強かった。

彼はさらに、ナイル川の水量変動のデータも調べる。そして、非常に長期の自己相関(現在の変化が遠い過去の値に影響される、いわば現象が「長期記憶」を持っているかのような効果)があることを見つける。周知の通り、単純なランダムウォークをする変量は、時間の0.5乗に比例して変位が拡がっていく。これは化学工学や機械工学で拡散方程式を学んだ者には常識であろう。しかし、川の水量は違っていた。

変異の幅が時間の何乗に比例するかを調べ、その次数をHというパラメータで表すと、H=0.5が単純ブラウン運動で、H>0.5の場合は次第に長期記憶が効いてくる(つまり「ワイルド」になるのである)。マンデルブローはこれを「非整数ブラウン運動」と呼んで、株価などの変動についてもHの値を調べていくのである。そして、最終的にマルチフラクタルのアイデアに至る。彼の分布モデルは、αとHという2種類のパラメータで、さまざまな変動現象を表現できる道具となったのである。

では、彼の理論を使えば市場価格の予測はできるようになるのか? 残念ながら、答えはNOである。冪乗分布は不連続な乱高下がまれに起き、収束しないのである。しかし、ボラティリティ(変動性)だったら予測可能である。いつ地震が起きるかは、予測できない。ただ、地震の起こりやすさは、指数化できる。これが市場経済におけるフラクタル理論の現在である。

本書は科学ジャーナリストのハドソンが共著者として協力しているおかげもあり、読みやすく、物語としても面白い。訳も、(ときどき固有名詞に首をかしげたくなることがあるが)こなれていると言えるだろう。ただ、マンデルブローのファーストネームBenoitの発音は普通だったら「ブノワ」じゃないんだろうか。もうベノワで普及しちゃっているから、しかたがないのかもしれないが。
by Tomoichi_Sato | 2011-02-17 22:32 | 書評 | Comments(0)

「ITって、何?」 第15問 システムの値打ちは何で決まるの?(2/2)

<< IT投資対効果の話(つづき) >>

--エンゲル係数か、なるほど、そうだね。対売上高比率で1-2%と3-5%という日米の数字の差は、二つの国がITに対してとらえている値うちの差だと思っていいだろう。

「それだけのお金を皆、投資に使っているの?」

--正確に言うと投資と、毎年の運用経費と両方の合計だ。
 ちなみにITは、設備投資に比較すると、初期投資金額に対するメンテナンス金額の比率がずっと高い。
 
「どういうこと?」

--オフィスビルとか工場だったら、毎年設備の維持管理にかかる金額は、投資額全体の、いいところ3~5%だろう(減価償却は除いてね)。だけれどITの場合は、15%から20%近くかかってしまう。おまけに償却年数だって。工場や設備は、十五年から三十年くらいだ。片やITの方は、へたをすれば五、六年で陳腐化してしまう。

「うわー。すごいわね。」

--うん。実をいうと、陳腐化の速度が速すぎて、今の会計上では見えてこない困った問題が出てきてる。ぼくはこれを『過償却』と名付けてるんだけれど。

「過償却?」

--うん。あのね、ふつう情報システムってのは無形固定資産として計上されている。だからとうぜん減価償却がある。

「ふんふん。」

--ところでね、ソフトでもハードでも同じなんだけど、技術の陳腐化にともなって価値がどんどん減っていく。このスピードが速すぎて、税法上の償却なんてあっというまに追い越しちゃうんだ。そうなると、ある期間をすぎると減価償却がゼロを割り込んで資産価値がマイナスに転じてしまう。つまり資産だったものが負債に替わってしまうのだよ。それでも同じものを使い続けていると、次にシステムを更新するための費用が(これはユーザの抵抗その他も全部ひっくるめて言っているんだけれど)最初の投資額よりずっと大きくなってしまうのさ。これがぼくの名付ける『過償却』だ。

「マイナスになっちゃう、ってすごいわね。実物経済じゃ、ちょっとありえないことだものねえ。」

--ま、逆にいえば、世の中の変化の速度が速いときにはソフトウェア投資の方が短期的リターンが大きいので有効である、ともいえるのだけれどね。

「それで会社の経営者の人たちは納得するのかしら。」

--しないよ! うちの会社の場合なんか、ね。『これまでにずいぶん金を使っただろうが? なぜ足りないんだ!?』なあんて怒鳴られるんだ。

「なんだか子どもに小遣いをせびられてチビチビ渡しているお母さんみたいね。『この間もあげたじゃない、いったい何に使ったの?』なんて」

--いや文字どおりちびちび出費しているからいけないんだ。無計画にね。
 ITの世界ではね、ミクロをいくら足してもマクロにはならない、ってことを忘れちゃいけない。ほら、IT投資は工場を建て増すのと同じ、っていっただろう? 
 世の中、無計画に工場を建てる人はいない。グランド・プランなしに建物をつぎはぎしたら不便に決まっている。
 ITもまた、見えない建物なんだ。同じお金を払ったとしても、ちびちび無計画に使っていたらその効果は半減しちゃう。
 戦略でも、戦力の逐次投入が一番いけない。帝国陸海軍以来の愚行の繰り返しだと思うよ。
 
「まあ、偉そうね。経営者だったら費用対効果を言うのは当然じゃないの?」

--費用対効果をあまりうるさく言いすぎるとかえって弊害があると、ぼくは思う。

「どうしてなの?」

--ITの一番の効果は、Visibility、つまり可視性を上げることだと思う。いま会社の状況がどうなっているか。これをを、手作業で報告していた時代よりも、ずっと素早く正確に経営者にリポートしてくれる。いってみれば、飛行機により高性能な計器を搭載するようなものだ。肉眼だけで飛んでいたパイロットにとって、計器を追加する価値は費用対効果で表せるかい?
 ちょうどこのカーナビみたいもんだ。この便利さは使ったことのない人に説明するのはとても難しい。カーナビなんかなくても車は運転できるし、これまでだって問題なく運転してきた。でも今後はカーナビのない車なんて想像できない、という世の中になっていくのは確実さ。

「可視性、ねえ。・・それがそんなに大事かしら。」

--君も自分で運転席に座ったらそう思うようになるよ。
 トップ・マネジメントに近い人間ほど、恐れていることがある。それはね、上になればなるほど、自分にとって都合のいい情報しか入ってこなくなることだ。途中の中間管理職の階層でどんどんフィルターがかかって、肝心の生々しいことが見えなくなってしまう。ぼくだって正直言って、あまり都合の悪いことは上司には上げたくないもの。
 でもね。ITのもたらす可視性は、職制を通じた報告、つまり今の情報管理ないしフィルタリングの仕組みを変える可能性を持っている。このことの意味に気づいてくれるマネジメントがもっとずっと多ければと、いつも思うよ。

「ITへの投資って、お代は見てのお帰りに、みたいに使ってみてからその満足感で払うような仕掛けにすればいいのにね。」

--はは、でもそんなことをしたら食い逃げする奴が続出するに決まっているさ!
 でもまあ、ごく一部ではあるけれど、「成功報酬」型の金額の出し方をするケースもある。最初に一種のアセスメントをするんだ。IT導入の結果、どれだけの金額がセーブできるかを算出する。そしてその数字に比例して金額を、投資額として見積もる。そして実際にシステムが稼働した後で、第三者を連れてきて、セーブされた金額を客観的に評価する。もっともこれはアメリカでの話で、日本の企業風土ではなかなかなじまないだろうけれどね。
 それにこれはお金のセーブに直接つながる種類のシステムじゃなければ適用できない。お金と値うちの関係って、やっぱり単純じゃないからね。
 
「そうかしら。」

--そうさ。たとえばね、Linuxという基本ソフトがある。これはパソコンその他いろいろな種類のコンピューターで動く。機能も信頼性も高い。でも、これはもともとフィンランドの学生が、自分の勉強のために始めたプロジェクトで、値段はタダなんだ。会計学的にいえば、買うことができないから金銭価値はゼロだ。
 でも値打ちはとてつもなくある。開発者のライナス君はいまだに一文ももらっていないが、Linuxの周辺をめぐる市場はすでに大きなものになっている。インターネットの世界ではね、“面白い”こと自体がすでに価値なんだ。沢山の人間の注目を集めるということ自体、大きな意味がある。

「なんだか広告屋さんみたいなセリフだわ。」

--広告だけではないよ。大勢の人が集まって来るというのは、そこに新しいアイデアやチャンスが生まれる可能性も秘めているって事なんだ。
 そうだろ?

「まあ、そうね。」

--IT投資が今現在のそろばん勘定で見て「もうからない」からといって、将来も儲からないかどうかは分からない。

「そうね。そうだわ、生産的であることがあまりしつこく問われない、ってことかしら。・・そうね、たとえば、喜捨で寺院を建たとして。」

--喜捨で寺院! そりゃあまた豪勢だな。

「いいじゃない、うるさいわね。あなたのお金でやるとは言ってないわよ。・・喜捨で寺院を建たとしても、それだけじゃお金を生まないけれど、寺院の周辺に市場が建てば、人が集まって、商売になるかもしれない。そういうことね?」

--ううん・・まあね。もちろん、ふつうのIT投資はそこまで豪奢で向こう見ずじゃないけれど。でも、ぼくの友達にはパソコン・ネットワークで結婚相手に出会ったカップルが何組かいるよ。そういう人たちにとって、ITの価値はお金に替えられるだろうか?

「わあ、IT屋さんが開き直ってる!」

--そうさ。いいじゃないか、いつも会社に言い訳と弁解ばっかりなんだから、たまには演説させてくれ。先のことなんか誰が分かるだろうか? 生まれたての子どもにどんな価値があるかは、誰も分からない。でも、未来に対してオープンな姿勢でいなければ、自分の未来はやってこないんだ。

「他人のつくったお膳立てが押し寄せてくるだけよね。そう、それだけは絶対にいやだわ。」

(つづく)


          (この話の登場人物はすべて架空のものです)
by Tomoichi_Sato | 2011-02-14 23:55 | ITって、何? | Comments(1)

「ITって、何?」 第15問 システムの値打ちは何で決まるの?(1/2)

<< IT投資対効果の話 >>


「ねえ、でも、今までのあなたの説明はみんなシステム作りの値段がいくらかかるか、みたいな話だったわ。私が聞きたいのは、そうじゃなくてシステムの価値なのよ。」

--え? 質問の意味がわからない。値段がその価値じゃないか。

「値段と価値は違うわよ! 値段て結局は売り手のコスト勘定でしょう? 私がいってるのは買い手にとっての価値、つまりシステムの値打ちなの。百万円のドレスだって、自分に似合わなかったら一文の価値もない、ってことがあるじゃない。そこよ。」

--買ってみたけれど、やっぱり気に入らないから使わない、あるいは自分のニーズにぴったり合っていないから使わない、というケースはたしかにITの世界にもあるね。しかし、使う使わないは、ユーザの自由だからな。

「それはあなたが作り手の側にいるから言える、勝手な理屈だわ。情報の値段の時も同じような話をした気がするけれど、体に合わないような服を、オーダーメードで作っといてお金を取るなんておかしいでしょう? 買う側にだって、自分なりにコストと、ITでえられる効果とを比べるための価値観があるはずだわ。

--ユーザにしっかりした価値観があればどんなにぼくらの仕事も楽かと、いつも思うけれどね。問題はITで得られる効果をどう評価するかだ。

「ITでみんなの仕事が楽になるんじゃないの?」

--必ずしもそうとは言えない。今まで慣れ親しんできた仕事のやり方を捨てて、機械の要求する四角四面なやり方に仕事を合わせなければならない。融通も効きにくくなる。

「じゃあ、仕事が早くなるとか。」

--それはある。それに、正確になる。

「人も減るんじゃない?」

--さあそこだ、一番の問題は! コンピューターを入れると人件費が減るだろうという経営者の思いこみが、あまりにも広く行き渡っている。ITは合理化の道具だ、という思い込みがね。

「違うの?」

--違うね。もし合理化が単なる人減らしの同義語であるならば。むろん、合理化という言葉が、仕事を本当に合理的なものにするという意味だったとしたら賛成してもいい。

「仕事を合理的なものにするってどういう意味よ。」

--仕事をルールとロジックにのっとったものにするよう再整理することだ。あいまいで属人的なものではなく、客観的で再現性のあるものにすること。仕事のやり方を言葉できちんと記述できるかどうかがポイントかもしれない。ロジックであらわすことができれば、それはITツールにのせて加速できる。
 属人的なスキルってのは加速できないだろ? それに、仕事の中に、必ずスキルに依存する部分は残るものだ。ただ、その中からいかにスキル以外の部分をそぎ落として、人間に人間様でなければできない仕事に集中させるかが、IT投資のカギだと思う。
 
「ふうん。」

--これまでITを、省力化のための投資というふうに、狭くとらえすぎてきたところに弊害があった。でも、ITへの投資は、たとえば“新しい工場を建てる”と同格の設備投資だと認識した方がいい。これまでやってきた仕事で人が何人減るかということではなく、これまでできなかった仕事ができるようになる、新しい仕事ができるようになる、そうとらえるべきだろう。

「そうなの?」

--じっさい人間がやったら一日かかるような計算を数秒で終わらせるとか、電話帳並みに分厚い台帳の中から、目当ての記録を一瞬のうちに取り出してくるとか、ジャンボジェット機の姿勢を精密に制御するとか、こうしたことはみんな、従来できなかった新しい仕事だ。省力化の効果なんか計算できやしない。そうだろ?

「そんなに素晴らしいものなら、なぜ使われないシステムなんかができるの。」

--うーみゅ。答えにくい質問だなあ。
 ひとつの答えは、機能とデータとユーザのアンバランスにあると思う。この三要素がバランスよく組み合わさることが、いいシステムの条件なんだ。
 でも、ソフトウエアを作って売る側は、こんなこともできます、あんな機能もありますというふうに、多機能であることを売りたがる。買う側もそれにつられて、あれもしたい・これもしたいと考える。
 でもね。複雑で細かい機能は、それを使うユーザにも、きめ細かな運用の仕方を要求する。さらにその機能を動かすために必要なデータの量や質も向上させなければいけない。これは口で言うほど簡単なことではないさ。

「うまく逃げたわね。」

--たとえばねえ、原価管理を製品ごとに厳密にできるシステムを作ったとする。製造原価だけじゃなく、設計や販売の人件費まで一日単位できちんととらえる、と。そのためには、設計や営業の部員が一人一人日報をつけて、今日はどの製品開発に何時間ずつ働いたかをタイムシートかなにかに記録しなくちゃならない。でも、そんなことを外回りの営業マンがいちいち会社に戻って入力すると思うかい?

「・・たしかにまあ、しないかもしれなさそうね」

--ITの世界には『ガーベッジ・イン、ガーベッジ・アウト』という言葉がある。クズのデータを入力すればクズの結果が返ってくる、という意味だ。
 システムに余計な機能を追加しすぎるとユーザの負担が増える。とうぜん不正確なデータが入り込みがちになる。すると誰もそんなレポートを信用できなくなる。そのあげく、そんなシステム全体を使いたくないという雰囲気が強くなるものさ。

「でもね、たとえば設計するときに、仕事のロジックをつかまえ損ねてしまったから使われなくなっちゃった、ということはないの?」

--残念ながら、それもしばしばあることだ。どこの組織にもタテマエとホンネはあるけれど、その乖離がひどいと、建前のロジックをプログラムに組み込んだけれと、誰もほんとにはそれに従わなかった、なんていうことになる。

「馬鹿野郎、仕事ってのは理屈通りになんかいかないんだ! なあんて、訳の分からないオジサンがどうせ出てきて、妙に威張るんでしょ?」

--仕事にあいまいな部分を残しておけば、自分の裁量で運用できる部分が増える。だからあえて明文化したくない、という面はあるよね。
 ここのところは、最初の要件定義をする人(これをシステム・アナリストというんだけれど)の腕前にかなりかかってくる。腕がいいと、建前のロジックと、実際に積み上がっているデータとの間に矛盾を見つけて、どこかおかしいということに気がつく。あるいは現場のインタビューで本音のロジックを聞き出してくる。
 こういうことは、人間の実際の業務がどう流れているかについて、十分な洞察力のある人でなければできないことだけれどね。

「だとしたら、買い手にとっての値打ちを決める物差しは何もないのかしら」

--答えになっているかどうかわからないけれど、例えば同じ業界で他のところがどの程度ITに投資しているかを、売上高に対する比率なんかで計って比べてみるのもひとつの手かもしれない。こういう同業者間の比較のことをベンチマーキングというんだけれど、米国対日本で製造業を比較してみると結構違いがある。
 最近では、米国のIT投資は年商の10%くらいがベストといわれている。これはちょっとオーバーだとぼくは思うんだけれど、話半分としても3%から5%くらいは行っているみたいだ。これに対して、日本の製造業では多くて2%、年商の1%以下のところも多い。

ITのエンゲル係数みたい。」

--なるほど、そうだね。この数字の差は、二つの国がITに対してとらえている値うちの差だと思っていいだろう。

(この項つづく)
by Tomoichi_Sato | 2011-02-11 10:24 | ITって、何? | Comments(1)

R先生との対話(つづき) - リーダーシップの第4の軸

前回のつづき)R先生を訪問して、リーダーシップの3つの軸からなる「知性型」「意志型」「強運型」の類型論(『リーダーシップの3タイプ--その価値観と望まれる能力』参照)を説明したわたしは、“軸が一つ欠けている”と先生に指摘される。

--もう一つ、軸、ですか?

「そうだ。もっとも大切な軸がな。それは“協働”だよ。それがなければ、どんな仕事も意味を失う。君のプロジェクトってのはまさか、一人でやるものか。」

--そんなことはありません。でも、それってリーダーシップとは別次元の話じゃないでしょうか?

「そうかな? 考えてもみたまえ。知性型のリーダーがどんな立派な計画を立てようが、皆がそれに向かって協働しなければ、物事は予測通りになるかな? 意志型のリーダーがどんな号令をかけようが、皆が協働しなければ何の足しになるだろうか。」

--それでも、運不運はどうします? 強運型リーダーは協働とは関係ないでしょう。

「じゃあ聞くが、“運のいい人”ってのは、どんなやつのことをいうと思う?」

--そりゃあ、大事なときに、うまくチャンスが回ってくる人のことでしょう。良いポストをオファーされたり、上等な客に巡り会えたり、ピンチの時にうまく誰かが助けてくれたり・・。あれ? 待てよ。

「やっとわかったかな。運の強いやつというのは、つまり、チャンスを膨らますべき時に他人が助けてくれる人のことをいうんだ。運のない奴というのは、肝心なときに人に見捨てられるような人間のことをいう。運というのは、人間の集団によって大きく左右されるものなんだ。」

--・・そういえば、セレンディピティー(偶然の発見学)に関する本を読んでいたとき、良い友を多く持つことは幸運な発見に導く秘訣だ、という話をよんだことがありました。

「そうだ。だから君も、人から助けてもらえる人になりなさい。そのためには、単に待っていてはダメだ。自分から、貸し借りや損得抜きで人を助けなさい。そうしたことを、むしろチャンスだと思いなさい。それが協働意識を育てる第一歩なのだよ。」

--でも、競争意識に絶えずさらされているサラリーマンとしては、むずかしいですよね・・。

競争と協働は、社会の二大駆動力だ。どちらもなくてはならない。競争意識はある意味で文明の進歩をうながした。我々が今こうして快適に暮らせるのは文明のおかげだ。でも、競争意識だけが独走すると、諍いや騙し討ちが増えて、世の中はろくな事にならない。会社というのは元々、個人が一人だけでは達成できない大きな目標のために協働してつくったものじゃないか。」

--会社の中にもポジションの上下があって、それをめぐって競争がありますが。

「それもまた組織を動かす一つの仕掛けなのだよ。また、たしかに出世しやすい人、出世しにくい人というのはあるな。出世しやすいというのは、たとえば--」

--たとえば?

背の高い男だ。」

--背の高い!? それって、どういうことですか?
(小柄に生まれついたわたしは、思わず長身で体格の良いR先生を見た。先生は一時はある会社の経営陣にいた。)

「なんだ。君は今まで気づかなかったのかね? あるポジションがあって、二人の候補者がいるとする。いろんな条件はほぼ互角だとしよう。そうすると、背の高い方が選ばれる傾向がある。そうだな、四分六くらいで有利かな。」

--そんな馬鹿な!

「上背がある方が、なんとかく信頼感があるんだろうな。だから個人レベルの競争なんて運不運だと言っただろ。背の高さなんて自分じゃ決められない。でも、君も知ってる会社の経営層を見てごらん。背の高い男の比率が、一般社員より少し多いんじゃないか。それが人間の無意識の傾向なんだ。それにな、は圧倒的に不利だ。」

--女性が不利って、わたしがそんなこと授業で口走ったりしたら総スカンですよ。下手したらクビになりかねません。

「それが良いことだとは言ってない。だが、これは事実だ。日本は圧倒的に男社会だからな。平均的な男は、女性が怖いんだ。だから差別する。」

--怖いんですか? そうかなあ。こわかったら差別する必要はないでしょう。

「人間というものは、自分と異質で、かつ、ある程度の数いる者達が怖いんだ。異質とは、見かけも違う、考えてることもわからん、そういう人間だ。それが希にで現れるだけなら、単なる個人的偏見ですむ。でも系統的に繰り返し出現すると、無意識に恐怖心を抱く。これが差別として社会的に固定化される理由だ。男から見ると、女はその典型だろ? 日本じゃ、外国人もそうだ。差別というのは、恐怖心が薄らいで慣れるまで続くのだよ。えーと、何の話だったかな?」

--・・リーダーシップの『協働』軸の話でした。

「そうか。君の得意のセリフに、“戦略とは仮説である”というのがあるよな。それから、何だっけ、“計画=予測プラス意志決定”か。あれはな、結局同じ一つのことを言っている。マネジメントの意志決定というのは、いつでも不確かな状況下で迫られる、仮説への賭けのようなものだ。
 しかし、いったん何かに賭けたら、皆でその仮説が現実となるように協働していくのが仕事なんだ。仮説が合ってるか合ってないか、客観的な立場で観察・判断すべきものじゃない。仕事は化学の実験じゃないんだからな。“仮説が合うように現実を動かしていく”ことが仕事なんだよ。そのために、皆が協力するのだ。」

--そうすると、このリーダーシップの三角形はどうなるんでしょう。もう一つ次元を加えて、三角柱になるのかな? ・・いや、そうじゃなくて、四面体にすればいいのか!
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「その手のマンガは、君の得意技だろうから任せるさ。だが忘れないで欲しい。仕事は一人でやるもんじゃない。君の頭の中は、マネージャーと、マネージされる人との二階層で仕事が出来上がっているようだな。」

--でも、マネジメントとは、人に仕事をしてもらうこと、でしょう?

「そこだ! 君の問題は。『人に仕事をしてもらう』じゃない。『人とともに動く』なんだ。そこが分からない限り、君には本当のマネジメントは分からないよ。人とともに動いて、どんな結果が出ようと大丈夫と腹をくくっておれば、しぜんと道は開けるさ。」

--腹をくくる・・もしかして、それが先ほど出されたリスク対応の宿題の答えですか?

「おっと、口が滑ってしまったな。その通りだ。リスクへの態度で一番大事なこととは、『腹をくくる』ことだ。どんな管理表を作って、どんな対策を考えても、リスクというのは最後まで残って、無くならん。それは自分が全知全能ではないからだ。それで、思わぬ事象が起きて、責任を問われたら、どうする?
 それもよし。かりにゼロになって振り出しに戻っても、また自分で道を切り拓こう。そう覚悟できるかどうかが、決断の質を決めるのだ。君は、ビジネスマンとして、中間管理職として、腹はくくっているかね?」
 
--はい。・・いや、あの、どうでしょう。

「しっかりしなさい、いい年をして! 君だけじゃない。人とともに動く、腹をくくる--もっと大勢の人が、この気持ちになれば、まだまだこの国は捨てたものじゃないよ。」
by Tomoichi_Sato | 2011-02-07 22:08 | ビジネス | Comments(3)

R先生との対話 - プロジェクト・マネジメントをどう教えるか

新春、R先生を久しぶりに訪問した。先生は半ば引退した経営コンサルタントで、人生の大先輩である。

「最近、大学でプロジェクト・マネジメントを教えているそうだが、どうだい? 調子のほどは。」

--なかなか、難しいですね。やっと2シーズン目が終わったばかりですが、相手は大学3年生です。プロジェクトどころか、人と一緒に何か働いたという経験が、ほとんどありません。そういう人たちに、半期とはいえ実質3ヶ月ちょっとの期間で、プロジェクトのポイントを伝えるのに苦心しています。

「そりゃま、そうだろうな。そもそも社会人の世界でも、『プロジェクト』という感覚が薄いからな。」

--そうなんです。そこで2年目は、以前先生にいただいたアドバイスを思い出して、授業で教える知識の量を少し減らしました。かわりに、例題を出して自分で考えてもらうようなグループ演習を増やしてみたのですが。

「そうか。少しは効果があがったかね?」

--どうでしょうね。でも、教室で知識だけ教えたって、どうせすぐ右から左に抜けてしまうのは、自分の学生時代を思い出しても当然のことでしょう。『自分の頭で考えついたことしか、人は実行できない』と昔先生がおっしゃっていた言葉が、あらためて身にしみます。

「そのとおりだよ。それが、コンサルティングする場合の要諦でもある。君みたいに、客先の問題を全部自分で解決して見せよう、なんて力んでみても、うまくは行かない。相手に考えてもらうんだ。もちろん、ヒントくらいは出すけれどね。」

--でも、そこが実行が難しいんです。相手の頭の中にある、問題を捉える枠組みみたいなものがあって、それが変に固定されてしまっているために、一つの視点に捉えられて別の見方ができないケースが多いんですよ。たとえば、技術志向の強い人の場合、なんとかして技術論で問題を解決しようとします。じつは契約条件を変えれば問題が解消するにもかかわらず、そっちに水を向けてもかえって感情的に反発されたり・・。

「でも、あくまで向こうに考えさせなければいけない。思考の枠を外して考えれば、かならず解決策は出てくる。そして、うまく小さな成功体験ができれば、それをきっかけに少しずつ変化が拡がっていくはずさ。それがコンサルティングのテクニックというものだ。むろん、時間と根気は必要だがね。
 学生の授業に話を戻すが、どんな構成で授業を組み立てているのだね?」

--まあ、ありきたりですが、イントロダクションの後は、スコープ、WBS、スケジュール、コスト・・と、一通りPMBOK Guide風に項目を追って進めます。さらに進捗コントロール、コミュニケーション、リスク、プロジェクト評価と進んで、最後にグループの課題発表会をして終了です。最終課題には1ヶ月くらいの期間を与えてます。

「学生はどの項目に興味を示す?」

--うーん、どれでしょうかね・・。コストなんて、人件費の絡みで自分達の就活にも関わるので、注意して聴いています。スケジュールもまあ、わたしの得意分野でもあるし、クリティカル・パスを見つける演習なんかで理解はしてくれてるようです。
 難しいのは、日本語に対応する概念のない、スコープとかリスクでしょうね。あと、コミュニケーションというのは逆に、若い人の言語運用能力が低いので、うまく教えていく必要のあるところだと感じています。

「スコープ意識やリスク感覚の無さ、そしてコミュニケーション能力の乏しさは、大人たちだって同じだろう。学生というのは社会の鏡だからな。当然の結果だ。」

--コミュニケーションでは何を教えようかと悩んだのですが、とりあえず、『事実』と『意見』を区別して述べる、を中心にしました。この区別は、日本じゃ学校でもほとんど教えませんが、外国人とコミュニケートする場合はほぼ必須のスキルです。今の学生は、遠からず否応もなくいろんな外国人とやりとりする場面に投げ込まれるでしょう。その時、客観的に見える“ものの言い方”ができないと、頭のわるい幼稚な人間に見えてしまって、ひどく不利になります。

「そのとおりだ。リスクについては何を教えてる?」

--これが難しくて。わたし自身は、リスク登録簿中心にリスク・プランニングさえすれば事たれり、というPMBOK Guide風の考え方はあまり好きではありません。それは必要最小限の出発点でしかないわけです。が、どうしても教科書風に、リスク対策の基本戦略とは、って感じの講義になっています。

「リスク対応の基本戦略とは何だね。」

--そりゃあ、回避する・転嫁する・低減する・保有する、の4つの戦略ですよ。もとはR先生から教わったことじゃないですか。

「なんだ、そのことか。しかし、それではリスクに向かう一番肝心なところが抜けている。両手両足があって、胴体がないようなものだ。」

--え。胴体ですか。

「知らんのか、君は。リスクに向かうときの基本中の基本となる態度だ。それが無かったら、いかなるリスク対策も意味がなくなる。考えてみなさい。」

--うーん・・。どういうことでしょう。

「分からなければ、宿題にしておこうか。これで先生だと言うんだから、困ったもんだな。」R先生は大げさに顔をしかめてグラスをとった。「学生達のことだから、リーダーシップ論とかには興味を持たないのかね?」

--あるのかもしれません。でも、あまりリーダーシップ論や戦略論は教えないつもりなんです。MBAや経営学の講義じゃないですから。もっと地に足のついた、大げさじゃないプロジェクトの進め方を学んでほしいと思ってます。リーダーシップとマネジメントは違うんだ、という話は最初にしてますけど。

「さて、それはどこまで伝わってるのかな。若いうちはヒーローが好きだし、ヒーロー的リーダー像に憧れるものだ。ちがうかな。」

--でも、誰もがヒーローになれる訳ではありませんが、たいていの社会人は大なり小なり、マネジメントにたずさわるようになるものです。マネジメントって、ずっと散文的で実務的なもんですから。
 それで思い出したんですが、最近、世の中のリーダーシップ像に3つの類型があると気がついたんです。知性型と、意志型と、強運型リーダーです。それが、予測可能性と、意志の力と、運不運との三つの軸にそれぞれ対応しているんですね。ちょうどこんな三角形に表現できます。
 
わたしは『リーダーシップの3タイプ--その価値観と望まれる能力』の図を、紙の上に描いてR先生に説明した。先生はしばらく図をじっと見ていたが、顔を上げて眼鏡の奥からわたしを見た。

「この図にはもう一つが欠けているよ。」

(この項つづく)
by Tomoichi_Sato | 2011-02-03 22:11 | ビジネス | Comments(1)