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「ITって、何?」 第14問 システムの値段は誰が決めるの?

<< システム作りの方法とコスト >>


「あなたの説明で、いちおう情報のもつソフトな価値は、いままでのモノの価値とはずいぶん違う性質のものだってことは何となく分かったわ。それで、データそれ自体は中立で意味を持たないけれど、情報を生み出す潜在的な可能性が大きいから、やっぱり価値があるわけでしょ?
 でも、それじゃ、そもそもあなたみたいなIT屋さんたちが作って売ってる、情報システムっていうのかしら、そういう仕掛けの方は誰がどうやって価値を決めるの? PCとかパソコン・ソフトなんかもそうだけど。」

--PCや携帯電話みたいな情報機器は、ハードウェアだ。これは電子部品の集まりで、原価の計算は分かりやすい。それに同じ製品を大量生産して薄利多売するわけだからね。部品のコストに組立・検査の費用と利潤をのっければ、まあ販売価格になる。これはいいだろ?
 パソコン・ソフトみたいなパッケージ・ソフトは、開発費用がコストの大部分を占めている。それに多少のマニュアル印刷代・箱代なんかが乗っかる。だから後は広告宣伝費に利潤を乗せて、何本くらい売れるかを想定して採算がとれるように値段を逆算する。それに競合製品が多数あるから相場もある。
 むずかしいのは個別受注生産みたいにして作るソフトウェアだ。これは比較の対象がないから相場というものが成り立ちにくい。

「でもオーダーメードの洋服でも相場っていうものはあるわよ。」

--まあね。洋服の場合はデザイン料と、布地の代金と、縫製の手間賃とで成り立っているわけだろう。情報システムの場合もある意味では同じことだ。デザインの料金と、材料にあたるハードウエアやパッケージ・ソフトの値段、それから作り込みやテストの人件費で構成される。
 問題は、最後の「人件費」の占める比率が、べらぼうに大きいということだ。

「どれぐらい多いの?」

--そりゃケース・バイ・ケースだけれど、最低でも半分程度、多ければ九割以上が人件費だと思っていい。

「え、それじゃまるで人海戦術じゃない。」

--そう。ソフトウエア開発は、労働集約型産業と呼ばれている。つまりほとんど人手で、手作りなんだね。

「どうして機械化しないの?」

--したいけど、まだできないんだ。

「やだぁ、ソフトって工場みたいなところで、どんどん自動的にできてくるのかと思ってた。ITって先端産業みたいだけど、人手が頼りだなんてずいぶん遅れてるのね、内実は。」

--まあね。実際にはまだマニュファクチュア、つまり工場制手工業の段階なんだ。

「それじゃまるきり産業革命以前じゃない。」

--それはある意味じゃ当たっている。ただ、どうしていまだにそうなのか、その理由を理解してもらうにはシステムの作り方をすこし説明しなけりゃならない。
 カスタム・メイドの情報システムの作り方ってのは、たとえて言うならば建築に少し似ている。
 まず最初に、お客さんが何を作って欲しいのか、何に使う目的のものなのかを引き出す。建築でもITの世界でもこれは同じだ。IT用語ではこれを要求分析という。
 
「要求分析・・へんな言葉ねえ。」

--そうだね。まあ業界の用語だから。これは建築で言うと基本計画にあたる。
 次に設計の段階が来る。建築の場合ならば図面を引き始めるところだ。外観はどうするか、構造やレイアウトをどうするか、給排水や空調などの設備はどこに入れるか、そんなことを考えて設計図に落とす。情報システムの場合なら、ユーザ・インターフェースはどうするか、データ構造やプログラム構成はどうするか、通信はどうするかみたいなことを考えて設計書を作るわけだ。

「やっと、どんなものができてくるのか少し分かるのね。」

--そう、だからこの段階で当然お客さんの承認を得る。
 それから実際のモノ作りがはじまる。建築ならば、基礎工事からはじまって、躯体工事・設備工事と、職人さんが大勢出入りして作り上げていく。
 情報システムの場合も、プログラマーという名前の職人たちが集まって、プログラムを一つひとつ作り上げていく。
 そして検査だ。建築の場合と違って、情報システム開発では、この検査が非常に重要で、じつはプログラムづくりと同じくらい手間がかかる。

「そんなに!」

--うん。とくに総合テストといって、単体でバラバラに作り上げたプログラムの部分品を組み合わせて、お互いに矛盾がなく動くかどうかを確かめなければいけない。完成検査にはお客さんも立ち会う。
 最後が導入準備だ。情報システムの場合はユーザへの教育・トレーニングが重要になる。建築だと、そうだなあ、什器備品の搬入とか、空調や給廃水設備のならし運転とかがこれにあたるかな。
 こうしてようやくカット・オーバー=稼働開始ということになる。

「それで?」

--建築ってのは、どうしても職人仕事から逃げられない。工場の中でビルを丸ごと一個自動的に造るのは無理だろう? 同じように、オーダーメードの情報システムは手間暇のかたまりなのさ。ただ、板やコンクリートみたいな材料の費用がかからないために、職人仕事の人件費がむき出しになってしまうってところがある。

「つまり、ITってのは『目に見えない建築』だ、って言いたいのね?」

--ご明察! 目に見えるのはコンピュータや通信装置のちっぽけなハードウェアだけしかないけれど、それは言ってみれば建物のファサードで、その後ろに巨大な奥行きがある。人間の手仕事で作られた奥行きだ。でもITの素人は、ファサードだけ見て奥行きが想像できない。まるで映画の書き割りみたいに思ってしまう。

「プロだったらわかるってわけ?」

--もちろん。それがプロと素人の境目さ。ファサードを見て、玄関の扉に相当するメイン・メニューの画面を見れば、その後ろ側にどれだけ膨大な奥行きがあるかが、ほぼ想像できる。

「でも、そういうのって会社の経営者とかには理解がむずかしいんじゃない?」

--そこが問題なんだ。情報システムの投資はへたすれば億単位の金がかかる。それこそビルが建っちゃう金額だろ? ところが、目に見えるものだけ見て、こんな「書き割り」になぜそんな金が必要なんだ、というところからもう話が食い違っちゃう。こっちは目に見えないけれど新しいビルを建てているんだぜ。建てたら使ってメンテしなけりゃ生きてこない。
 いやはや、誰か「IT可視化装置」みたいなのを発明してくれないかな。そのゴーグル眼鏡みたいのをかければ、自分のまわりに全く新しい建物が建っているのを見て触ることもできる、と。そうなれば偉い人たちとの話も楽なのに。

「だったら、あなたが作ればいいじゃない。やりなさいよ。きっと、一攫千金よ」

--うーん、まあねぇ。
 ただ、このITと建築のアナロジーって、けっこうあたっているところが多いんだ。
 たとえば、一般建築というのは水平市場だろ?

「何、その水平市場って?」

--地理的に全国に広がっていたり、業種的にどこでも必要とされるのをマーケティング用語で水平市場っていうんだ。情報システムもオフィス・ビル建築もそういうふうに対象が広い。もその反対は垂直市場で、これは狭い業種に限られていたり、地域が限られていたりするようなビジネスの事さ。たとえば、うーん、そうだなあ、同じ建築でも工場とか空港とか、非常に特殊な業種相手か大都市周辺にしか需要のない仕事だろう。

「つまりあなたはオフィス・ビルを作ってるってわけね」

--ま、そうです。
 もっとこのアナロジーをおし進めるとだね、たとえば建築設計だったら意匠・構造・設備の3分野がある。これがITだと、それぞれヒューマン・インタフェース設計、データ構造設計、ネットワークやユーティリティ設計にたとえられる。見た目・つくり・サービス機能にそれぞれ該当するからね。

「ふうん。でも世の中、似たような建物が多いわよね。ITも似たようなシステムが多いものなのかしら」

--そりゃ、多くの会社のビジネスのやり方は共通性があるからね。会計・人事・販売・物流・・みんなそれほど大きな違いはないから、システムもみな共通性がでてくる。

「だったらコピーで大量生産出来ないの?」

--それに近い事をやろうとしているのが基幹業務用パッケージ・ソフトだ。ERP(=Enterprize Resource Planning)パッケージといって、企業活動の基幹部分を全部まとめて面倒見ようというものが出てきている。こういうソフトは、相手企業毎に毎回ゼロから作り直す手間をさけて、あちこちの設定を変えるだけで、個別企業のニーズにフィットするよう機能が変化する。それでコストを安く出来る仕組みなのさ。

「つまりプレハブ建築みたいなものかしら」

--そうも言えるね。完全手作りに比べると、最初の段階が工業化されている。こういうパッケージ・ソフトを使った導入だと、かかるコストの殆どはカスタマイズといって顧客の個別ニーズに合わせて設定を変える部分、それから周辺の既存システムとのインタフェース構築(つなぎこみ)とデータ移行、それにバージョンアップといったたぐいのものになる。投資額としては軽くなる。それに導入期間自体が短くなるメリットもある。

「でも、そんなに投資額が高いんだったら、それこそリースにでもしちゃえばいいんじゃない?」

--コンピュータのハードウェアは昔からリースやレンタルでの利用が普及していたさ。でも、ソフトウェアは「もの」じゃないからね、貸し借りできるものじゃない。ライセンス料をはらって使わせてもらっているだけなんだ。

「そのライセンス料は買い取り価格なの?」

--ま、ソフトによってはたしかに月単位・年単位でのライセンス契約というのもある。それと最近ではネットワークの速度が速くなったから、ハードもソフトもぜんぜん別の場所にある会社のものをかりて、端末だけつなげて使うという方法も出てきた。どこかネットワークのかなたに存在しているシステムを使うので、クラウドというんだ。そして、ソフトとハードの使用料を払う。ま、一種のリースみたいなものだ。

「その場合、データは誰が保管するの?」

--いい質問だ。クラウドのサービス・プロバイダーが責任を持って保管するのさ。ほら、どこの会社でも現金は最低限を残してあとは銀行に預けるだろ? データを銀行に預けるのがクラウドの仕組みだ。

「銀行といったって、利息は付かないんでしょ?」

--ま、たしかに別にデータに利息は付いてこないけれど。
 でも、こういう業者が所有しているデータ・センターをつかうのは、一社単独では金がかかり過ぎるIT投資を多少なりとも軽くする工夫だといっていいと思う。ただね、同じソフトは買った後でも、マスタ・データのメンテナンスなんかがユーザにとって必要となりつづける。だから、リースそれ自体よりも、データのメンテナンスを商売にした方がいいかもしれないと思うよ。それが利息みたいなもんかもしれないけれどね。

              (この話の登場人物はすべて架空のものです)
by Tomoichi_Sato | 2011-01-30 23:43 | ITって、何? | Comments(0)

仕事の最小単位(2)--アクティビティのパフォーマンスを測る

アクティビティが『お仕事の最小単位』であり、マネジメントの基本部品であることは前回の説明でご理解いただけたと思う。このアクティビティは、ときに「タスク」と呼ばれることもある。わたしも以前はタスクという呼び名の方を使うことが多かった。だが、プロジェクト・スケジューリング(特にPERT/CPM)の理論では伝統的に「アクティビティ」の語が用いられてきたこと、さらにPMIのPMBOK Guide(R)が、activityよりもっと細かな日々の雑務を"daily task"と呼んでいることなどを考え合わせて、このように語法を変えることにした。

ちなみに生産スケジューリングの分野では、アクティビティという語はあまり使われず、ほぼ同じ概念が「タスク」とか「オペレーション」とか、あるいは「オーダー」と呼ばれたりする。もっとも、プロジェクト・マネジメント理論では仕事を中心に、そのインプットとアウトプットとして材料や成果物がある、と捉えるのに対し、生産スケジューリングでは逆に、材料や成果物など(つまりマテリアル)が視点の中心で、その材料を成果物につなげる媒介としてタスク/オペレーションを考える伝統が強かった。つまりモノが主役で作業は脇役な訳である。わたしはこのような物質中心の思考を転換したくて、あえて作業を抽象化した「工順」という概念を中心に据えようとしてきた。

ま、それはさておき、アクティビティに話を戻そう。「人に仕事をしてもらう」がマネジメントの基本であり、その指示する具体的実体がアクティビティである。アクティビティには、必要とするアウトプット・インプット・リソース・完了条件があり、それを明確にして指示を出すわけだ。ところで、その結果として、アウトプットが出てくれば、それだけでOKだろうか? 単に仕事をしてもらうのは必要最低限なことだが、できればちゃんと仕事をしてもらいたいと思わないだろうか? でも、「ちゃんと」した仕事と、不手際な仕事とは、どこが違うのか。

それを決めるためには、仕事の手際を評価する尺度をもたなければならない。つまり、マネジメントにおいては、アクティビティのパフォーマンス指標が必要なわけである。

アクティビティの評価尺度として、誰もが真っ先に思いつくのはコストであろう。どれだけ低コストで結果を出せるか。たとえば、あなたが、自分のプロジェクト・チームの立ち上げのために、作業用PCと机を10台ずつ用意する作業をサービス部門に頼むとする。どれだけ費用がかかるかは、たしかに重要なモノサシである。

しかし、コストさえ安ければそれでいい、と考えるほどあなたは単純ではない(はずだ)。もう一つ大事なものがある。それは納期だ。プロジェクト・ルームはなるべく早く立ち上げたい。社内の購買部門にはコストのみが優先事項だと信じている連中も多いけど、たかがPCの価格ネゴに半月かけて納品が1月後では、肝心の仕事が立ち上がらなくなってしまう。つまり、コストと並んで重要なアクティビティのパフォーマンス指標は、『時間』なのである。

コストと時間。少なくともこの二つは、アクティビティを測る必須の尺度となる。つまり、マネジメントはこの2軸を中心に仕事を導く必要がある。

ところで、コストにいったん話を戻すと、費用を考える場合、そのアクティビティを指示する先が、自社なのか、外注先なのか、あるいは自社でも別部門なのかで、少し話が異なってくる。ここでは一応、自社を前提に考えよう。では、自社のアクティビティのコストとは、本当は何を指すのか。

たとえば、あなたが自分のプロジェクトのテスト工程の一部を、他の部署の誰かに臨時に頼むケースを仮定しよう。ハードウェアのモジュールを10台ほど、出荷前の最終立会検査までに、事前に調整・テストしておかなければならない。計200以上の調整・テスト項目はリストにまとまっており、要領書も作成済みだ。でも追い込みの時期は忙しいので、力仕事の部分に手助けを頼むわけだ。この仕事を、他部門に依頼する。このとき、コストとは何だろうか。

原価管理の考え方では、原価は材料費・経費・そして労務費(人件費)からなる。材料(インプット)として必要なモノは10台のハードウェア・モジュールだが、これは支給するので費用はゼロだ(すでに製造アクティビティで計上済み)。試験器も会社の備品として持っている。問題は隣の部門の人件費である。

人件費のコスト化は、会社の取り決めにも依存している。本社の人件費は全部、一般管理費として丼勘定の中においている企業も、いまだにとても多い。こういう会社では、誰がどれだけ労力をかけようと、見かけ上は「タダ」である。他方、ホワイトカラーの時間をかなり細かく集計している企業もある。後者の場合、他部門の人件費も、その作業時間に単価(賃率)をかける形で集計される。

かりに、あなたの会社はとても先進的で(あるいは、とてもケチで)、各人がどのプロジェクトのどのアクティビティで何時間使ったかを、タイムシート上ですべて把握していると仮定しよう。そうすると、これでテスト作業に借り出された人たちの時間数が分かるから、賃率をかけると人件費が計算できる。ちなみに、日本企業のホワイトカラーの賃率は1時間数千円から1万円程度の間に入るケースが多い(給料の差よりも、オーバーヘッドの乗せ方の基準の違いで、大きく差が出る)。

あなたの依頼したテスト項目を全部こなすのに必要な時間は、延べで約100時間だった。二人がかりで1週間ちょっとの作業量である。慣れている自分達がやれば、もっと手早かったのに、とあなたは思う。でもとにかく、2人の人的リソースを、実働で7日近く占有したのである。

必要なリソースの量。これがアクティビティの第3の評価指標なのである。単位は(リソース数)×(時間)で通常は測られる。そして、これに単価をかけると、リソースの費用になる。一方、投入できるリソース量を決めると、アクティビティ遂行に必要な所要期間のベースが推算できる。つまりリソース量は、コストと時間という、2つの主要なパフォーマンス指標をつなげるパラメータとなっているわけだ。

コスト(Cost)、時間(Time)、リソース量(Resources)。石油メジャーのShellなどでは、仕事の最小単位をアクティビティと呼ぶかわりに、これら三大指標の頭文字をとって、最近『CTR』と呼んだりしている。名は体を表す、面白い言い方である。どこに着目すればいいか、初級マネージャーにとっても明確である。そして、一つの仕事が終わるたびに、これら指標を計測し、前回述べたようなアクティビティの辞書に実績を記録してデータベース化していくのである。ここまで実現できたら、たしかに「マネジメント・システム」と呼んでも良いだろう。
by Tomoichi_Sato | 2011-01-27 07:15 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

「ITって、何?」 第13問 情報の値段ってどうやって決まるの?(2/2)

<< 情報とソフトの奇妙な経済学 >> (つづき)

「ねえ、どうしてパソコン・ソフトのコピー・プロテクションって無くなってきたの? 話はそれるかもしれないけれど。」

--うーんとね。初期のパソコンは、君は知らないだろうけどハードディスクが無くてフロッピー・ディスク装置のみが主流だった。ソフトもフロッピー媒体で流通しているものを買ってきてそのまま使ってた。でも、ハードディスク装置が当たり前になり、そこにインストールして使うようになって以来、コピー・プロテクションはかえってひどく不便で邪魔くさいものになってしまったんだ。
 今でも、ゲーム機のソフトはカートリッジになっていて複製が簡単にできないだろ。だからモノのように流通していて、中古市場がちゃんと成立する。

「そうね。」

--ぼくは、音楽や書籍といったコンテンツ商品も、使用許諾権という考え方を明確にすべき時が来ていると思う。

「レンタルはどうなの? ビデオは売買よりもほとんどレンタルが中心よね。」

--レンタルってのはモノとしてのやりとりだけれど、実際には一時的な使用許諾権を与えているようなものだ。売りきりとライセンスの中間みたいなものだね。アナログのビデオテープは複製しても劣化しやすいから、レンタル商売がなりたったんだよ。貸本も同じさ。

「でも、パソコン・ソフトなんか、コピーが簡単にできるようになっても、まだみんな店で買っているわよ。なんで?」

--そういう君自身は、なんでお金を出して買ってるのさ。

「あなたが全部タダでコピーをくれないからよ、・・っていうのは嘘。信じないでね! えーと、やっぱりコピーは違法だって意識があるからかな。」

--見つかったら法律で罰せられるから、というブレーキは確かにあるだろうね。

「そう。それで思いだしたけれど、ヨーロッパ大陸の列車って、駅に改札が無いのよね。でも、みんなちゃんと切符を買って乗ってるの。もし車内の検札で見つかるとすごい罰金を取られるのよね。そう聞いてちょっと納得。それと同じ理屈かしら。」

--ライセンス商売のもうひとつのポイントは、アフターサービスだろうな。売りきりじゃなくて、その後も無料のヘルプデスク・サポートやバージョン・アップをつける。買う側もサポートに価値を見い出してお金を払うという構図だ。ソフトウェアの場合はアフターサービスがかなり大事だから。

「でも、音楽や本じゃサポートはいらないわね。」

--そう。だからまだ当分はコピー・プロテクションの問題ははずせないだろう。ここがコンテンツ商売とソフトウェアの違う点だ。

「でも、コピー・プロテクションなんて、どうせどっかの誰かが破る方法を考えているんでしょう? いたちごっこじゃないかしら。」

--かもしれないね。剣を持つ者は剣に滅びる。技術論で市場の需給関係をコントロールしようとする者は、技術論で失敗する可能性がある。
 とはいえ、音楽がタダで流通したら、プロの音楽家が成立しないから、最終的にはお互いのためにならない。さもなくば、プロはみな録音はやめてライブに徹するしかなくなる。

「そうね、演劇なんかコピー不可能だわ。」

--結局、みなさんの良識向上を待つしかないのかな。

「海賊盤の問題は古代ローマ時代の詩人も嘆いていたくらいだから、良識の進歩は千年単位の時間がかかるかもね。でも、じゃあどうしたらいいのかしら。」

--いずれにしても、既存の流通経路に顔を立てて売りきりの形態にこだわったり、テープやディスクなどの記録媒体に正体不明の「著作権料」をのっけて値段を高くするような事は、愚の骨頂だと思う。簡単に複製できるデジタルコンテンツは、ライセンスも売りきりも実質同じなんだから。「はだかの情報の値段」まで引き下げるしかないだろう。みんなが「その値段だったら払ってもいいな」と納得できるような値段に。

「そんなの、タダが一番いい、ってみんないうに決まっているわ。それに、『はだかの情報の値段』て何よ、最初の質問にもどるけど。」

--ものの値段を決める方法は二つある。まず第一は、これを作るにはこれこれの値段がかかったから、それに見合う代金をください、というやり方。つまり原価積み上げの論理だ。
 これに対してもう一つは、それが手に入ったらどれだけ得するか、手に入らなかったらどれだけ困るか、で値段をつける方法。これが使用価値の論理だ。たぶん市場メカニズムが両者を仲介して「相場」を形成するんだろうけれど。
 はだかの情報の値段は、この使用価値で決まるんじゃないかな。

「どういうこと。よく分からない。」

--つまり、たとえばね、産業スパイがいて、そうだな、入札の競争相手の価格情報を売りにきたとする。あるいは、インサイダー情報で明日これこれの株価が上がります、でもいい。これなんか複製しても意味はない、純粋な情報の値段だろ? これにいくら払う?

「それだってタダが一番いいわ。」

--タダだったら他の奴のところに売り付けに行くだろう。そしたら元も子も無い。

「そっかあ。そうよねえ。」

--たぶん、自分がその情報から得る事のできる利益と、情報を得なかったときの利益を想定して、その差から値段をつけるだろう。経済学的にいえば、情報ってのは、状況に関する知識の不確実性を減らす事で得られる利益とか、減らせる機会損失とかを勘案して、値段が決まるものなんだろうな。

「音楽を聞いても、状況の知識なんか増えないわよ。」

--そうだね。そういう感覚や情緒に訴える情報の値段は、知識的情報とはちがうね。株価情報のように経済学の数式には乗らない。無理にいえば、精神的なリフレッシュ効果とかで計るんだろうけれど。

「その株価情報だって、1回限りの、それも内容を聞いて見なければフェアな値段をつけられないものじゃないの? あなたがさっき言ったように、情報は前払い原則なんだから、聞いて見たら屑情報だったってこともありうるわ。実際に値段をつけるのは難しいと思う。」

--うん。ようするに、情報の価値をお金に替える情報産業には、基本的な矛盾がある。情報は前払い原則なのに、情報の実際の価値は手に入れてみないとわからない、という点だ。
 で、この矛盾を和らげる方法が四つある。
 第一の方法は、前払い原則をやめて、後払い方式ないし定期購読みたいにする方法。
 二番目は、前払いのままだけれども、かわりに情報の一部を先に開示して全体の価値を推察させやすくするサンプル提供方式。

「今じゃ映画の劇場公開はDVD販売のためのショーウィンドウにすぎない、っていわれているらしいけれど、これがまさにサンプル方式ね。」

--そうかもね。それで、三番目は、情報の売り手が誰であるかによって商品である情報への信用を保証する方法。いいかえるならば、売り手の「ブランド力」に頼る方法だ。あの作家の本ならば面白いだろう、というやつだね。もっとも、これは逆の方向にも働いてしまう。梅棹忠夫という学者が「情報産業のお布施論」というのを言っているんだけれど、同じお経を読んでも、偉いお坊さんは沢山のお布施をもらえる。同じ情報なのに売り手のブランド力によって値段が変わるという矛盾がでてきてしまう。

「それで、4番目は?」

--情報を売る代わりにデータを売る方式だ。
 経済的な知識情報を売るのをなりわいとしている企業はね、主観的評価に左右されやすい「情報」を売るようなリスキーな事をするかわりに、継続的なデータを売って暮らしているのさ。株価データや信用データみたいにね。そして、そのデータの中から「情報」をつまみ上げるのは買い手の責任ということにしている。

「なるほどねえ・・。じゃあ、出版とかは今後どうなるのかしら? 後払いは難しそうだし、今まではブランド力に頼る方式だったわ。」

--出版業界では苦肉の策として、「オン・デマンド出版」という考え方がでてきている。

「なにそれ?」

--オン・デマンド出版というのはね、版下をデジタル・データで用意しておいて、消費者からリクエストがあるたびに、1部ずつ印刷し製本して消費者の手元に送るという販売方法だ。これは印刷のかなりの部分が電子化されたから可能になったやり方だ。
 たぶん専門書のような、部数は少ないけれど需要の寿命が長いようなジャンルの本にはけっこうマッチすると思う。

「ふーん。」

--これは電子データのかわりに本という物体を通信販売の形で送るわけだ。もちろん、これでは、コピー・プロテクションにかかわる本質的な問題は解決していない。本の値段が、全ページをゼロックスしてしまう価格に比べて安くなければ、やはり消費者側での違法コピーがまかり通るだろう。

「あのね、わたし思うんだけど、情報コンテンツやソフトウェアみたいな無形のものにお金を払うかどうかって、『良識』とかなんかじゃなくて、その社会が人件費をどうみているか、ってことに結局は帰着すると思うの。翻訳の仕事をしていると、つくづく人件費だけだもの。弁護士さん・弁理士さんとか編集デザイナーさんも同じ。
 洋服を考えてみてよ。たぶん、人件費がめちゃめちゃ安い発展途上国だったら、洋服の値段って本当に物質的な材料生地の部分が99%で、デザインだとか加工の手間賃はタダみたいなものでしょうね。
 でも、だんだん経済が発展すると第三次産業が増えて、人件費だけで生きて行く人が多くなる。人件費が上がってくれば、材料よりも手間賃の方がだんだんウェイトが上がって来るわ。いいデザインにはそれだけの人間の時間が込められているって、気がつく人が増えて来るはずよ。
 人間が頭を使って働く時間がタダではない、という認識が、ソフトやコンテンツもタダではないという理解につながって行くんじゃないかしら。」
 
--そうかもしれないね。今の企業の会計制度って、実はけっこう実物経済中心主義なんだ。基本はモノに付随したお金の価値評価であって、無形の知的財産なんてまだ付け足し程度みたいなものだ。でも、インターネットの時代では、無料で配布しているLinuxなどのソフトウェアが、資産としては0円でも、価値としてはものすごく大きい、という事態が生じてしまう。
 偉そうなことを言うようだけれど、ぼくは経済学というものも、もっと情報やデータの価値をきちんと扱えるように進化しなけりゃならないんじゃないか、と感じるよ。

(この話の登場人物はすべて架空のものです)
by Tomoichi_Sato | 2011-01-23 22:08 | ITって、何? | Comments(0)

「ITって、何?」 第13問 情報の値段ってどうやって決まるの?(1/2)

<< 情報とソフトの奇妙な経済学 >>


「ねえ。わずかな通信代を負担すれば情報を世界に発信できます、っていうインターネットの精神は分かるけど、逆に有用な情報だったら、お金をとって売りたい人もいるんじゃないかしら。そういう人は困るんじゃない?」

--別に困りはしないさ。インターネットでも有償のサイトはたくさんある。

「だってみんな勝手にアクセスできるんでしょう?」

--それはね、あるところから先のページは、登録したパスワードをいれないと読めない、というような方式で情報を限定しているんだよ。

「どういうふうにお金をとっているの?」

--たいていはお客にパスワードを渡す代わりに、クレジット・カードの番号を登録してもらって、引落すのさ。

「そんなことを聞いているんじゃないわ。どういう風に個別の情報に値段をつけているか、って話よ。情報の価値ってどうやって決めてるのかしら」

--そういう話か。それはけっこう難しい質問かもね。情報の売り買いって、ふつうのモノの取引とは随分ちがう性質をもっているからねえ。

「あら、そうお? たとえば?」

--たとえば。・・たとえばねえ、情報ってのは必ず前払が原則なんだ。

「前払い?」

--モノだったら、お客に商品を渡した後で代金を受けとるやり方でも困らない。お金を払ってもらえなかったら、モノをとりかえせばいい。ところが、情報というのは知られてしまったら、返してもらう事ができない訳さ。

「そうね。たしかにその情報を知らなかった状態には戻れないわね。」

--いったん相手に渡しちゃったら、それでもう終わりだろ? 「こんな情報は前から知っていた」とか「こんな情報は自分にとって価値が無い」とか言われて、そこで逃げられたらお金が手に入らない。だから情報産業は必ず前払いが原則なんだ。

「そういえば、たしかに映画でも演劇でも先にチケットを買って入るわね。」

--お代は見てのお帰りで、というのは非常にリスキーなやり方なんだ、情報の商売に限っては。

「でもね、本屋さんとか、それにパソコンのソフトとかだって、通信販売で届けてもらってからお金を払うケースがあるじゃない。あれはどうなの?」

--うん。まず、本の場合はね、あれは内容の情報だけではなく、紙でできた『』というモノを売る形態をとっている。買う側だって、内容だけでなく、たしかに紙質だとか装丁だとか字体だとかいったモノとしてのデザインの質を評価して買っている部分がある。いや、あった、と過去形でいうべきかもしれないな。最近の出版業界では、読み捨て使い捨ての文庫本が全盛で、モノとしての保存価値が薄くなってきているから。

「老子の言葉に、『文字は読んでしまえば用はなくなる』っていうのがあるんですって。昔は書物はほとんど神聖なものだったから、これは反語なんでしょうけど、でも世の中はほんとにそういう風になってきたのね。」

--それと歩調を合せるようにして、本の内容それ自体を電子出版してネットで流通させようという動きが出てきた。

「そういえば、音楽もそうよね。映像もオン・デマンド配信になってきたし。」

--そうやって電子ファイルにされてしまうと、コピー・プロテクションの問題が常に出てくるんだ。これも情報産業のもつ特殊性だね。

「そうね。でも、パソコン・ソフトも昔はよくプロテクションがかかっていたけれど、最近はすたれてきていない?」

--それには理由があって、・・えーと、でもね。ぼくとしては、ちょっとパソコン・ソフトと他の情報コンテンツの話題は区別したいんだ。

「どうして?」

--パソコン・ソフト、いやコンピュータ・ソフトウェアはすべて、ある処理の方式をデータ化したもので、人間にとってそれ自身は情報としての意味はない。でも書籍や映画は直接人間に意味を訴えかける。みんな全部ひとくくりに『ソフト』と呼んでいるけれど、ぼくの意見では前者だけがソフトで、後者はコンテンツと呼ぶべきだと思う。

「そうなの? それならそれでもいいけど、じゃ電子化されたコンテンツの値段はどう決まるのかしら?」

--結局ね、情報というものは、かならずその乗り物となる物理的媒体が必要なんだ。肉体をなくした霊魂みたいなものはこの宇宙では存在できないことになっている。

「媒体?」

--情報を記録しておくメディアさ。文章だったら紙がそうだし、映像ならビデオテープ、音楽ならCD、パソコンソフトならフロッピーとかCD-ROM。もちろんどこにも記録されずに終わる内緒話みたいな情報だってあるけれど、お金を取って流通させたければ何かの媒体に記録して固定する必要がある。
 だから、本屋さんの時代には、書物という物理的媒体を売り買いしていたわけだ。

「そういえばそうね。」

--でもさ、コンテンツ商品の値段を、それのキャリアである物理的媒体の価格で決めるのは、人の価値を、その人ののっている自動車の値段で決めるようなものだろ。

「ふむふむ。」

--本を流通させるには、活字を集めて紙に印刷して束ねて輸送して、という具合にコンテンツの物理媒体を作るのにかなり大がかりな費用がかかった。出版社はたぶんそれに印税と利潤を乗せて値段を決めていたんだと思う。
 ところが、電子ファイルの時代になったとたん、コンテンツの複製がだれでも簡単にできるようになった。いまではCD-ROMなんて部数が多ければ1枚十円の単位で焼けてしまうはずだ。物理的媒体の費用なんてタダみたいなもんだ。
 
「そうすると、情報それ自体の値段がむき出しになってくるのね?」

--それだけじゃない。情報を受け取った人間は、本の場合は他人に複製して渡すのはほぼ不可能だったから、出版物の流通は売り手が完全にコントロールできた。ゼロックスの出現でそれは多少あやしくなったけれども、全ページコピーするよりは買う方がたいがい安い。しかし、電子ファイルの時代には、売り手の複製費用が楽になるのと同時に、消費者側が勝手にどんどん複製してばらまけるようになってしまった。

「で、流通の支配権を取り戻そうとして、コピー・プロテクションが出てくるのね。」

--そう。もともとこの問題は、商品の実質的な使用価値をそこなわずに複製ができ、かつその複製費用が売り手の価格よりも安く済んでしまう場合には、実物商品であるかコンテンツ情報の商品であるかにはかかわらずに発生する問題だ。たとえば高級ブランド品のコピー問題を考えてみればいい。

「でもまあ、モノの場合は簡単には複製できないから問題があまり起きなかったのね。」

--ところが情報はモノではない。情報の物理的媒体が高価で、簡単に複製できなかったときには、その媒体をモノとしてあつかって売り買いできた。しかし媒体の複製がタダ同然になってきたときは、別の事を考えなけりゃいけない。そこでは、モノのような「所有」ではなく、情報の「利用」にお金を請求するという方向に変わる必要がある。これがライセンス=『使用許諾権』の考え方なんだ。これが情報産業の3番目の特徴かな。
 
「ライセンス、ねえ。だんだん弁理士さんの世界になってきたわ。」

--ライセンスというのは特許のような無形の知的財産を、つまり『情報』そのものを他者に限定開示して代価を得る仕組みだ。これ自体は古くからあって、制度的には確立している。
 ただしね、これを実行するためには、売り手が誰に何を売ったかきちんと管理できなくてはいけない。企業間のライセンスならともかく、不特定多数の大衆相手の商売だと、これはなかなか困難だ。それと、使用許諾権は第三者に勝手に売り渡せない。だから原則としてパソコン・ソフトには中古市場は存在しない事になる。

「ねえ、でもどうしてパソコン・ソフトのコピー・プロテクションって無くなってきたの? 話はそれるかもしれないけれど。」

(この項つづく)
by Tomoichi_Sato | 2011-01-20 22:40 | ITって、何? | Comments(0)

仕事の最小単位--アクティビティの構造を学ぶ

「マネジメント」という行為の、最も原初的な定義は“人に働いてもらう”ことである。人に働いてもらうことで、自己の、あるいは共通の目的を、達成する。自分自身で手を動かして自己の目的を達成することは、マネジメントとは呼ばない。単に作業とか行為と呼ばれる。

あなたがもし食卓で母親に「ねえ、そこのお塩とって。」と言って手渡しもらったら、あなたは、その瞬間だけは、母親をマネジメントしているのである。母親に働いてもらって、自分の目的を達したからだ。でも、何も言わない前に、母親が気を利かせて塩をとってくれたら、もちろんマネジメントしたことにはならない。そもそも、座っているだけで目の前に夕食が出てきたとしても、たぶんそれは母親が自発的に調理をしてくれたのであって、自分がわざわざ命令を下してやらせている行為ではない。はっきりした依頼や指示や命令の有無が、マネジメントと、自発的な協調行動との境界線になる。

「はっきりした依頼」とは何だろう? まずは、具体的な作業の内容である。なにかをとってもらうという行為は、大げさに言えば輸送の作業である。輸送であるからには、対象物(荷物)、現所在地、そして送り先が必要になる。“そこ”にある“塩”を“(自分の手元に)”とって、という事項を最低限伝えなければ、相手は動きようがない。

それが何かを作る作業だったら? たとえば玉子を焼いて欲しいとき、具体的に言うべきことはなんだろうか。まず、欲しいアウトプットを正確に伝えなければならない。目玉焼きなのか、厚焼きなのか、錦糸玉子なのか。卵1個分か2個分か、はたまた100個分なのか。味付けは濃いめか薄めか。つまり、アウトプットすべきマテリアルの種類・数量・品質属性を指定するわけである。

ついで指示すべきは、いつまでに欲しいのかである。今すぐなのか、夕食の時でいいのか、あるいは3日後のパーティの時の話をしているのか。つまり納期を指定するわけだ。

さらに、インプットを指定してやる必要があるだろう。材料である。相手が母親ならば、どこに何があるか全て承知している。しかし、アパートを訪ねてきた友人に依頼するときは、「卵は冷蔵庫にあるし、油と調味料は食器棚の横に」と教えてやらなければなるまい。自分で支給できないときは「来るときコンビニで買ってきて」と、相手による調達を頼ることになる。

アウトプットと、納期と、インプット。これだけでいいだろうか? 大事なものが、まだある。『リソース』である。リソースというのは、作業を完遂するために必要な道具や場所や用役のことを指す。フライパンはどこ? あ、それは流しの下だ。ガスレンジは? えーと、電磁調理台しか無くてね・・

インプットとリソースの違いは、インプットが作業に使われて無くなる(アウトプットに転換する)のに対し、リソースは作業が終わったら解放されて元に戻ることだ。フライパンもガスレンジも、消えて無くなりはしない。ただし多少減耗する。そしてリソースは、作業中には占有される。つまり、いってみればリソースというのは化学反応における触媒のようなものなのである。

(念のため、注。ここでいうリソースとは、あくまで生産管理やプロジェクト・マネジメントでいう用語であり、「生産資源」などと訳されることもある。資源工学の世界で言う、海の底に眠っているかもしれない利用可能な物質やエネルギー類とは異なる)

リソースの中で、最も重要な種類のリソースは「人」である。作業に必要で、作業中は占有され、作業が終わったら解放される。これを英語で、Human resourceという。直訳すると人的資源だが、リクルートの場面では人材とか人財とか訳され、本社上層の会議室の中では要員・労働力などと呼ばれたりする。作業を終えて解放したときは多少減耗しているので、再生するためには、休ませたり眠らせたり食事をとらせたりお酒を飲ませておだてたりしなければならず、けっこう手間暇のかかるリソースである。

それでもまあ、ある局面では稀少な価値ももたらすことがあるので、大事にしなければならない。君でなきゃダメなんだ、君の作ったのを食べたいんだ・・・。「君の作る味噌汁を毎朝飲みたい。」--などという陳腐な文句が、いまどき意図した通り機能するかどうかは知らないが、リソースの指定はたいていの場合、重要である。

アウトプットと、インプットと、リソース。そして納期(これはもう少し一般化して、「完了条件」と言ってもいい)。これで完璧だろうか? じつは、マネジメント上、とても大事なことが抜けている。それは情報である。「指示情報」と「報告情報」のやりとりが必要だ。

指示情報とは、これまで列挙してきたアウトプット・インプット・リソース・完了条件などの伝達である。さらに、必要に応じてはレシピ(つまり設計情報ないし作業手順情報)も渡してやらなければならないかもしれない。もっとも、家族や、同一組織内では、お互いに了解している事項が多いので(これを「コンテキスト・レベルが高い」と形容する)、アウトプットと完了条件だけ指定すれば、あとはくだくだ言わなくても通用するはずである。

報告情報とは、完了時、ならびに(必要に応じ)途中途中で、作業がどういう状態であるか、アウトプットはどうなっているかを、指示した人=マネジメント主体に対して伝達するための情報である。誰かに働いてもらっているとき、終わったのか終わっていないのかも分からず、どういう状態にあるのかもさっぱり把握できていないのでは、「マネジメントしている」とは到底言えない。「お塩とって」のように、目の前で一瞬にて終わる作業ならば別だが、海を離れたところにいる誰かに2ヶ月かかる仕事をしてもらう際は、報告情報をもらわなければ困ってしまうだろう。

なお、ここまではインプットもアウトプットも物(マテリアル)である場合を記したが、作業の種類によっては、統計分析や企画書作成のように、インプットもアウトプットも情報やデータとなる場合もある。この場合、作業インプットとしての情報・データと、指示情報とは区別して理解すべきである。

ところで、指示/報告情報に関連して一点注意したいことがある。マネジメントにおいて、上記のアウトプット・インプット・リソース・完了条件を指定して依頼した場合は、原則として、依頼を受けた側がどのような手順で進めるか(すなわち相手の業務の「内部プロセス」)については、途中でいちいち口をはさまない。小姑のように、箸の上げ下ろしまでいちいち指示をしてはいけない。マネジメントというのは、際限のない命令-服従関係とは異なる。ある仕事のまとまりを、他者に指示したら、その内部には立ち入らず、相手の権限範囲とする。相手が自発的に改善できる領域を与える。これがマネジメントにおける「仕事の最小単位」の意味である。

プロジェクト・マネジメント理論において、この仕事の最小単位を『アクティビティ』と呼ぶ(「タスク」と呼ぶこともある)。WBSを作っていくとは、プロジェクト全体を、このようなアクティビティに階層的に分解していく過程を指している。アクティビティはいくらでも下位のサブ・アクティビティに際限なく分解可能だが、適切なレベルでとどめておく(最下位レベルのアクティビティを「ワーク・パッケージ」とも呼ぶ)。

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そして、各アクティビティの、アウトプット・インプット・リソース・完了条件・指示情報・報告情報を明確に文書で規定しておく。できればリスト化し、あるいは辞書のようにデータベース化しておくと良い。そして誰でも必要に応じてアクセスできるようにしておく。

このような形でアクティビティを定義しないまま、共通経験の乏しい(コンテキスト・レベルの低い)海外子会社や外注先に仕事を依頼したって、うまく仕事がマネジメントできるわけがない。オフショア開発を上手に進めたかったら、自社の求めるアクティビティをきちんと規定するところから、まず始めるべきなのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-01-16 20:36 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

「ITって、何?」 第12問 ホームページはデータベースの親戚なの?

<<  不定形な情報に構造を与える  >>

「インターネットで情報の交換っていったら、やっぱりホームページよね。」

--うーん。それは見方によるかもな。電子メールの方が歴史が古くて、より広く使われているからね。初期のインターネットは電子メールのバケツリレー的な交換の仕組みで発達してきたという面もある。でもまあ、メールとウェブが二本柱だろうね。

「ウェブって、ホームページのこと? それともサイトのこと?」

--おっとっと。なんだか混乱気味だなあ。ウェブってのは、正確にはWorld Wide Web、略称WWWのことで、これはインターネット上での情報交換の技術のことをさしている。とくに、Hyperlinkといって、文章の一部分をマウスでクリックしたりすると、自動的に別の文章にとんだり、あるいはぜんぜん別の所のコンピュータにある文書まで飛んでいったりする仕組みを活用した技術さ。

「ふーん。」

--で、そういう文書ってのは、ページ単位になっている。そのひとまとまりのことをサイトというんだ。とくに、どこのサイトも中心になるページがある。そこのサイトの説明や、目次なんかをおいてあるページだね。たいていは入り口か、あるいは入り口をはいったすぐ次のページがそれだ。これがいわば野球でいうホームグラウンドにあたるもので、このページをホームページと呼ぶ。
 でも、これが転じて、ホームページといえば、サイト全体をさしたり、ウェブ技術で見せる情報のことを総称したりするようにも使われてしまっているから、ちょっと混乱するんだね。

「さっきインターチェンジのところで言ってたけど、ホームページってデータベースなの?」

--正確な用語で言えば、サイト全体がデータベースです。でもホームページはその一要素だから、まあこれもデータベースと呼んでもいい。

「でも、さっきからあなたが延々説明してくれた四角くて石頭なデータベースとは全然ちがうじゃない? もっと人間らしいわ」

--ちがうといえば違う。でも、その差は君が思っているほどの違いではないんだよ。たしかにエンティティとリレーションという概念はない。でも、さっき説明したデータの文法にはきちんと従っている。

「どういうこと?」

--まず、こういう話をするときは、ユーザである人間にたいする「見え方」と、内部的に保持している「データの構造」を区別する必要がある。君が“人間らしい”というのは見え方に関することだろう? それはそのとおりかもしれない。でもね、ウェブの技術では、見え方はユーザの使っているクライアント側のコンピュータまかせということになっている。

「クライアント側?」

--あ、ごめん。えーとね・・こういうウェブをはじめとするインターネットの技術では、基本的に二つのコンピュータが対話しあって仕事をしている。君が会社や家庭や使うパソコン、すなわちユーザが直接操作するコンピュータのことをクライアント、という。

「Clientって、英語でいうお客様のこと?」

--そう。それに対して、データを集中保管していろいろな処理をするコンピュータのことをサーバという。

「お客様にサービスする側だから、Serverなのね。」

--御意。それで、こうやってサーバとクライアントのに種類のコンピュータが、ネットワークを介して通信し合いながら仕事をする仕組みのことを、クライアント・サーバ技術という。

「ねえ、それで思いだしたんだけれど、ホストって何? サーバのこと?」

--あのお、今はウェブのデータ構造の話をしているんだけれどな・・女はなんで話がすぐ飛ぶんだ。

「なんですって!」

--いえ、なんでもアリマセン。ホストってのはね、サーバと同じような意味にも使われるけれどね。クライアントをもてなして奉仕する側だからかな。でも、ふつうは大型の汎用コンピュータのことをいう。サーバってのは機能をさす用語だけれど、ホストは計算機のモノの種類をさす用語だ。それで・・

「マスターとかホストとか、IT用語って水商売の単語が多いのね。」

--ひでぶっ・・。よけいな茶々は無視して本題に戻りまあす。えーと、何が本題だっけ・・あ、そうだ。その、クライアント側のコンピュータがホームページのデータの「見え方」を決めているんだ。「見せ方」といったほうが正確かな。だから、ちがう機種のパソコンや、同じ機種でも別のソフトを使えば、同じページを表示しても見え方は違ってくる。字体のえらび方や文字の大きさなんか典型的にね。

「そうなの?」

--そうだよ。こんど違うパソコンがあったら試しにのぞいてごらん。それこそ、携帯電話で同じページをみたら、画面のサイズも小さいし、全然ちがうだろ?

「え、携帯ってパソコンなの?」

--携帯電話ってのは、あれも一種のコンピュータだからクライアントになることができて・・ああ、すぐまた話が他にいってしまふ。とにかくだね、見せ方はクライアント側に任されている。で、クライアントからの要求に従って、サイトの中のデータを送信してやるのがサーバ側の役目だ。ところで、そこにはクライアントとサーバの双方が了解できるデータ構造の約束が必要だ。

「構造。」

--簡単にいうとウェブのサイトってのは本に似た構造になっている。これはね、もともとウェブの技術がCERNという、ヨーロッパの原子物理学の研究機関で発案されたものだからね。論文や書物のネット上での公開という目的意識がそうさせたんだろう。

「本の構造っていうと、紙函と表紙とカバーがあって、紙が綴じてあって、しおりが・・っていうこと?」

--いや、そんな物理的な構造の話じゃない。

「じゃ、1行が34字で1頁に30行、とかってこと?」

--それは頁の見え方の話。ここでいっているのは本のコンテンツが持つ論理的な構造だ。

「ロンリテキ。」

--ITの世界では、「物理的」と「論理的」を区別し対比させて使うことが多い。ハードウェアの世界とソフトウェアの世界だ。いや、もう少し丁寧にいうと、コンピュータという機械が処理する下層と、人間が認知する上層のことをあらわしている。たとえば、ファイルは物理的実体としてはとびとびの場所に断片的に布置されるが、論理的にはひとまとまりのファイルとして扱われる、といった具合にね。

「酔っぱらった翌朝、脱いだ靴下はばらばらの場所で発見されるが、ロンリ的には一組の靴下であるという・・。」

--それはそれとして。とにかく、物理的な実在と意味論の間をつなぐのがソフトウェアの仕事なんだ。とくに、基本ソフトとかミドルウェアとか呼ばれるものが、その仕事をしている場合が多い。それで、本の論理的な構造に戻るけれど、本というのは、タイトルの書かれている表紙部分と、本文の書かれているボディの部分からなっている。

「目次とか奥付とかは?」

--あー、それはない。そういう意味では、本というよりはどちらかというと論文の構造に近いかなあ、理科系の学術論文の。なにせCERNだから。それで、本文全体はさらに各章からなり、章は各節から成り立ち、節はさらにその下のセクションから成り立つ、というような階層的な構造になっている。それぞれの章や節はタイトルというか小見出しがついていて、それに地の文である段落が続く、という風に構成されている。こんなふうに:

   「ITとは何か?」          ←表題 ┐(表紙部分)
                          ┘
   第1章 データの世界を理解する  ←章のタイトル ┐(本文部分)
    第1節 データと情報の区別   ←節のタイトル |
                            |
     ある人がITをよく理解しているか  ←段落  |
    どうかを見分けるには、こう質問して       |
    みるといいでしょう。              |
                            |
    「情報とデータのちがいは何か」    ←段落  |
                            |
    この質問に答えられる人は、ITの本  ←段落  |
    質に洞察をもっている人です。          ┘
    
「なんだかつまらなそうな論文ね。むりやり人に送りつけたりしなければ誰も読みそうにないわ。」

--確かにね。まあとにかく、一つの論文はこんな風な構造になっている。で、この論文がウェブの1枚のページに対応している。ウェブの1ページの中身は、必ず表紙部分と本文部分からなり、本文は章や節や段落からなる、そういうブロック単位のデータ構造になっている。各ブロックが、すなわちデータベースでいう『フィールド』に相当するんだ。
 そこで、これを読みとったクライアント側のソフトは、タイトルはタイトルらしく、小見出しは小見出しらしく、段落は地の文らしく表示するのさ。

「ふーん。・・でもちょっと待ってよ。さっきからの石頭なデータベースだと、フィールドって文字の数が最大30文字まで、とかって決まっていたんじゃなかった? タイトルが何文字か、段落が何文字かなんて決まっているの? 決まりっこないと思うけど。」

--でも、最大の文字数を決めるかわりに、“終わりの印をおく”という方法もあったことを思いだしてほしい。ウェブではこの方法をとることで、実質的には段落の中に何文字でも好きなだけ続けることができるようにしてある。

「でもね、データベースって、フィールドの数と順番はきっちり決まっているんでしょ。だから四角い表の形になるって説明だったじゃない。章や節はいくつでも作れるんだから、数なんて決まらないじゃない。もしそれがフィールドなら、あなたの前の説明と矛盾するわ。」

--グッド・ポイントです。じつは、ウェブの場合は、それぞれのフィールドのデータの前に、“これから何々の種類のフィールドが始まるよ”という明示的な宣言をして、さらにデータのお終いには“何々フィールドの終わりです”という終わりの印をつける、という決まりになっている。たとえば、タイトルをあらわす部分はではじめて、で終わるのが約束だ。だから、
 ITとは何か
というデータがあったら、『ITとは何か』というタイトル・フィールドがあるな、と分かる。そこで『ITとは何か』という文字をタイトルらしく表示することができる。
 フィールドの種類を毎回宣言することで柔軟なデータ構造を実現し、それによって本や論文のような不定形な情報をやりとりできるようにする--ここにウェブ技術の秘密があるんだ。不定型な情報を、それも文字だけでなく画像や表を含めて、やりとりできるようになって、情報交換のインフラとしてのインターネットの価値が飛躍的に上がったわけさ。

「それでインターネット・ブームになったのね。」

--もちろんブームには基礎的通信技術の発展そのほかの要因もあるんだけど、ウェブ技術の出現が大きな引き金であることは間違いない。
 ちなみに、こういうふうに明示的にフィールドを宣言するようなデータ交換の仕組みを、英語でMarkup Languageと呼ぶ。ウェブで使っているのはHTML(Hyper Text Markup Language)というんだけれど、これ以外にも、なんとかMLと名前のついた親戚がいっぱいある。とくに、XML(Extensible Markup Language)という汎用的なデータ交換のフォーマットは、異なるデータベース間のやりとりのために、かなり普及していると思う。

「ねえ、思うんだけれど、ホームページづくりって、なんだか自分で本を作るのに似ていない?」

--そうだね。ウェブの1ページが論文に対応するなら、そのページが集まったサイトは1冊の論文集という本にたとえることができる。そういう意味では擬似的な自費出版みたいなものだね。もちろん、論文みたいに高尚な内容でなくても全然かまわないし。

「出版社に頼まなくったって情報が発信できるのね。」

--そう。だいたい、普通の人間は、頼んだって出版社から本なんて出してもらえるわけがない。知名度がなければ商業的に引き合わないしね。でも、情報を発信したい、情報を交換し合いたいという欲求は、たいていの人が持っている。情報交換のためのサービスはお互いただで提供します、だからアクセスのための通信費だけ各人で負担してください、というインターネットの精神は、こうしてはば広い支持を得ることができたのかもね。
by Tomoichi_Sato | 2011-01-13 23:16 | ITって、何? | Comments(0)

リーダーシップの3タイプ--その価値観と望まれる能力

世の中におけるリーダーシップのあり方はさまざまだが、『計画』に対する態度によって、そのタイプを分類することができる。「計画=予測+意志決定」という公式を基準にするならば、予測に力をおく「計画重視型のリーダー」、あるいは意志の力を信じる「意志貫徹型のリーダー」、という2タイプが見えてくる。そう、前回書いた。

ところで、これ以外に第3のリーダーシップ・タイプがあり得ることにお気づきだろうか? それは、「勝ち組型リーダー」とでも言うべきタイプだ。

このタイプの人たちは、予測というものを信じない。そもそも、世はつねに乱流のごとく変転していると考える。しかし、意志の力があればどんな未来をも作り出せる、とも信じていはない。かれらが信じるのは、“世の中の流れ”である。相場の流れ、勝負の流れ、人脈の力関係の流れ、といった流れを瞬時に読んでは、勝ち組の側につく。そうして、世の荒波を生き残っていく。

言いかえるならば、彼らが読んでいるのは、乱流にも似た運の流れなのだ。カオス理論を引き合いに出すまでもなく、複雑系としてのビジネス環境は方程式では予測しがたい動きをする。運勢の大きな波には、誰も抗しえない。そして、その波に乗った方が勝ち組になる。だから、このタイプのリーダーの第一特性は、「運の良い人」「ツキのある人」ということになる。彼らの何より信じるものは、“この世には運不運がある”との信条だからだ。

そもそも、『勝ち組』対『負け組』という近年流行りの区分自体が、このような運の流れを増強する方向に働いている。本来は小さな一時的な差に過ぎないはずのものを、大げさに吹聴することで、市場心理的な固定化へと向かわせる。勝ち組・負け組は格差を説明する言葉ではなく、格差状況を強めるために用いられる概念というべきであろう。この考え方をさらにつきつめていくと、家系や身分や階層の高い生まれつきの人間が、リーダーにふさわしいという思想に行き着く。なぜなら、人間が自分の意志でどうにもできない最大の要素、運不運が最も端的に表れるものが、その人の出生なのだから。貴族主義というのはある意味、こんなところに端を発しているのである。

「計画重視型」、「意志貫徹型」、そして「勝ち組型」。さて、あなたの職場では、どのタイプが主流だろうか。どれが望まれているだろうか。自分はどれになりたいと思うか? それともう一つ、新人採用の時は、どのタイプを採ろうとしているだろうか。就活ではとても重大な問題だ。

「そりゃ頭も優秀で、意志も強く、かつ運も強い人間が望ましいさ。」というのが平均的な答えかもしれない。ところが、じつはこの望みは叶わないのだ。よく考えてみると、この要望は、自己矛盾しているからだ。

それは、この3種類のリーダーシップ・タイプを頂点とした、理想論の三角形を描いてみるとわかる。上から時計回りで、A「意志貫徹型」・B「計画重視型」・C「勝ち組型」を頂点に置いてみよう。あらゆるリーダーは、三要素の強さに従って、この三角座標の中に位置できるはずである。意志力が大事だが計画も一応必要、と思うものはやや左上に位置し、運の強さが大事だが知性も必要、と思う人はやや右下側にいるはずだ。
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では、右辺AC上に位置する人たちの共通性は何だろうか? それは「計画の予測可能性を信じない」ということだ。A(意志があれば予測ははね返せる)、C(先のことは誰も分からない)のいずれも、予測の力を信じない。つまりBと右辺を隔てるのは「予測可能性の軸」なのだ。また、左辺AB上に位置する人の共通性は、「運不運を信じない」だ。A(意志の力があれば)、B(予測する知性があれば)、自分は運不運などに左右されないと考える。Cと左辺を隔てるものは、「運勢論の軸」である。

では、底辺BC上に位置する共通項は? それは、「意志の力を信じない」だ。だって、B(予測通り物事は起こるはず)、C(運が全てを決めている)なのだから。底辺とAを隔てるのは、「自由意志論の軸」なのである。
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日本のバブル時代には、世の中の考え方がCの頂点近くに限りなくシフトした。なにせ、運良く資産を持っていたかどうかが、全てを決めたのだ。土地や株のキャピタルゲインで運良く儲けた人間は、報償として出世できた。汗水垂らして工場で働くなど時代遅れの馬鹿げた事になった。当時の週刊誌に「東京家付き娘を探せ」という人気記事があったが、まことに時代を象徴していた。親が東京に家と土地を持っている。それが未婚女性の最高の価値であった。ここに意志の力など入りようがあるだろうか? 運がよい。--それが全てだったのだ。

高度成長期はBの「知性型」、つづくバブル期はCの「幸運型」が時代の主流だった。バブル崩壊後は、欧米流グローバリズム経営や金融工学的思想の影響で、ふたたびBの「知性型」が脚光を浴びた。わたし達の社会はかくして、長らくBとCの底辺、意志無用論の軸上を右往左往していたわけだ。どんな意志も無力だとしたら、社会が鬱状態になるのは当然ではないか。

それでは、A「意志貫徹型」リーダーに飛びつけば、万事解決だろうか? 社会がきしんで閉塞感が高まると、一種の英雄期待論の気分をこめて、このタイプのリーダーへの期待感が高まる。彼らは他のタイプに比べて、我々の持つ「ヒーロー」の神話的イメージに近いからだ。だが、この動きが行きすぎると、竹槍でB29爆撃機と闘う精神主義になりかねない。だからこそ戦後日本は、リーダーをB型から選び直そうとしたのだろう。

頭も最優秀で、意志も最強、かつ運も最良の人間を望む事が、矛盾であることはお分かりいただけただろうか? それは予測可能性と予測無用論とを、同時に採用していることを意味する。あるいは、決定論と運勢論とを同時に信じることを意味する、自己矛盾した価値観なのだ。たいていの組織は、この3タイプを、無意識の内に、ほぼ刹那的に求めている。だが三角形の三頂点を、同時に占めることは誰にもできない。

では、わたし達は、どれか一つを選ぶべきなのか? それとも、知性も意志も運も中途半端なところで、妥協すべきなのか? わたしの答えは、いずれもNOである。能力を、個人的・固定的な尺度で見ているから、わからなくなるのだ。望ましいのは、時期と状況に応じて、重心を動的に変えられる組織的能力ではないか。予測しやすい成熟した分野には「知性型」を、新しい分野には「意志型」を、そして動きの激しいリスキーな分野では「強運型」を登用する。と同時に、彼らの弱点を補うべく、異なるタイプの補佐役スタッフを布陣する。また出発期・発展期・撤退期にもそれぞれ変えるべきであろう。

前にも書いたが、たまたま現在わたしはPMO(プロジェクト・マネジメント・オフィス)的な部門の仕事をしている。そして横断的にプロジェクトをウォッチしている。見ていると分かるが、プロマネには、とても様々なタイプの人がいる。彼らが持ち合わせている能力は一様ではないし、ペーパーテストで一律に測ることもできない。大事なのは、どの種の仕事にはどのタイプの人を配員するかなのである。リーダー達の能力を憂う前に、まず配員自体の能力を向上するべきなのだ。


・・・さて、以下は蛇足であるが、わたしもまた「今年の計」について少し考えている。今年はプロジェクト・アナリシスをテーマにした勉強会ないし研究会を立ち上げたいと思う。プロジェクトの状況把握・診断・評価に関する技術の共有である。そこでは、最新の理論や研究成果についても勉強するが、同時に実務にたずさわる者同士が、具体的な悩みを語り合える「症例研究会」的な場も設定できるようにしたいと企画している。恒常的な場にできるよう、学会等の援助もお願いする予定だ。この種の問題に興味を持っている方の参加を期待している。詳細については、決まり次第またこのサイトでお知らせしていきたい。
by Tomoichi_Sato | 2011-01-10 22:30 | ビジネス | Comments(0)

「ITって、何?」 第11問 インターネットはなぜタダなの?

  << 情報は無料だが通信はただではない >>


「やっぱりITときたらインターネットよね。そうじゃない?」

--そうかなあ? まあいいけど。たしかに近年のIT普及はインターネットの爆発的普及と重なってはいるね。あらゆるコンピュータがつながりあうことが常識になってしまった現在からみると、すべてのマシンが孤立していた15年以上前の世界は、逆に今や幻のような気がするな。

「ふうん。・・でも、インターネットを使えばタダで遠くまで通信できるんだし、つなげるのは当たり前よねえ。」

--え? いや、インターネットはただじゃないよ。自社内でクローズドな専用線を引くよりは安いだろうけれど、お金がかかる。

「うそ!? インターネットってタダじゃないの?」

--いや、インターネットはタダの代名詞みたいに思っている人は多いみたいだけれどね、それは違う。正確にいえばただの部分とただではない領域がある。

「どこが有料なの?」

--簡単にいうとね、通信はただではない。情報サービスの部分はほとんどが無料だ。

「なんだかよく分からないわ。」

--そうかい? だって、君だって、家から個人でインターネットにつなぐときは料金を払っているだろ?

「電話代のこと?」

--いや、それもあるかもしれないけれど、プロバイダへの料金さ。

「あれは自宅でやっているからだわ。事務所や大学からだったらタダよ。」

--会社や大学がタダに見えるのは、その組織自身が接続費用を負担していて、それを個別のユーザに請求していないからさ。

「でも接続料ってインターネットの入り口までの料金でしょ? インターネットの世界に入ってしまえばタダのはずだわ。」

--高速道路は入り口で料金を取られるけれど、入ってしまえば無料だ、と言っているのと同じだね。無料の入り口が、あちこちになければ無料サービスとはいえないでしょう。
 でも、もちろん君の言い分も半分は正しい。というのは、普通の高速道路は距離に応じて料金を取られるからね。インターネットの場合、入り口の接続料さえ負担すれば、あとは地球の裏側まで行っても余分なお金はとられない仕組みになってる。

「やっぱりそうでしょ? でも、どうしてその先はタダでいいのかしら。」

--インターネットというのは、どこかに中心や本部のある組織ではなく、お互いに助け合う互助会のようなものだからね。もともと歴史的には米国で発達してきたコミュニティで、コンピュータを相互接続しあうことでお互いのメリットを享受しようという運動の産物だといっていい。料金を集中的に管理統制しようという考え方からはほど遠い。それに、実際問題として、ユーザがどの経路を使うかわからない。

「どういうこと?」

--インターネット通信の中心技術は、米国の軍事技術研究から出てきている。この研究では、核戦争になって米国の大都市が核ミサイルで壊滅するというシナリオを考えた。

「まあ、物騒ね。」

--そのときにね、ネットワークの結節点にあたる都市がやられたとき、ネットワーク全体の機能が死んでしまっては困ると彼らは考えた。

「日本なんて、東京がやられたらお終いよね。一極集中だから。」

--アメリカ人はそれでいいとは考えなかった。ネットワークの一部分がダメになっても、別の代替経路を自動的に選択できるような通信手順を考案し、それを実験するネットワークを作り上げた。このとき生まれた経路制御の技術が今のインターネットの基盤になっている。
 これを逆にいうと、ある地点から別の地点までの経路は一定していないということだ。障害があったら自動的に回避して別のルートをとっていく。インターネットのように巨大で複雑なネットワークは、常にどこかが工事中だ。故障だけでなく定期補修などを含めてね。そうなると、経路に基づいた使用料金など徴収のしようもない。

「だからタダになったというわけ?」

--いや、そう結論にジャンプしないでほしい。この世の中にタダのものなんてないんだ。
 現実問題として、インターネットを構成しているのはいろいろな大学や企業や団体がそれぞれ自前で持っているコンピュータやネットワークなどの設備とソフトで、それぞれお金がかかるものだ。しかしインターネットに参加しているそれぞれの団体は、こうした設備を、情報交換という目的のために無償でサービスさせてもいい、と自発的な意志で決めて提供しあっている。
 つまりね、インターネットを構築し維持するには費用がかかるんだ。けれど、情報へのアクセス権(サービス)はタダで開放する、というのが基本精神だ。情報交換というメリットを得るかわりに、設備や通信の費用は自分で負担しましょうと考える。一種のギブ・アンド・テイクだね。

「"Let's trade."って訳ね。なんだかとても米国的な発想だわ。」

--ボランティア精神といってもいい。そもそも米国でインターネットが生まれたころには、これは学術目的で非営利だった。だから商業用の情報、たとえば広告宣伝などは流してはいけないことになっていた。そのうち、その有用性が認められて、商用に使えるネットワークも生まれ、さらにそこへの接続サービスをビジネスにする「プロバイダ」があらわれた。こうして、誰でも多少のお金をはらえば使える、今の百花繚乱のインターネットが出現するのさ。

「通信はお金がかかるけれど、情報はタダってことなのね。」

--もっと正確にいうと、こちらの情報は無償で開放しましょう、そのための設備や接続費用も請求しません、だからそのかわりあなたの情報アクセスのサービスもできれば無償にしてください、そういう論理から生まれて発展してきた世界なのさ。情報に大きな価値を認めるからこそ、その代償に設備の費用は自分で負担しましょう、と。
 基盤技術は軍事研究から生まれたけれど、運営の精神は学術サークルによって、なかば草の根的に育てられた。こんな風にして現在のインターネットの性格はできあがったのさ。


             (この話の登場人物はすべて架空のものです)
by Tomoichi_Sato | 2011-01-08 00:01 | ITって、何? | Comments(0)

3つのリーダーシップ・タイプと未来予測の可能性

「一年の計は元旦にあり」の『計』はもともと、計画のことを意味していた。ところが、ときどきこれを漠然と『合計』の意味だと思っている人がいるようだ。すでに初日に一年の合計が決まっている。反語だとしても、ちょっと意味の通らない箴言である。表の第一行に、表の合計欄が設定されている。まあ、Excelに毎日追いかけられている現代人にふさわしい理解なのかもしれぬ。

最初の計画が肝心である、というのが元の諺の意味だ。それにしても、計画というものに対する考え方や態度には、ずいぶんバリエーションがある。計画をきちんと進めたい。でも計画を立ててもなかなかその通りには動かない。いや計画は単なる計画さ(つまり絵に描いた餅に過ぎない)。計画なんか不要だよ、その場でなんとかしてみせる。いや計画なんか本来有害だから『計画はずし』を広めるべきだ・・・。これらはいずれも、リーダーシップの発露の姿ではある。だが、そこに何と大きな開きのあることか。

ちなみに、わたしのこのサイトは「計画とマネジメントの未来形」がテーマである。計画の意義や価値をプロモートしようと、微力ながら旗振りをしているわけだ。それにしても世の中の変動がこう激しいと、「計画の価値」も相場が弱含みになりそうだ。変動の手始めは、気候変動だろうか。年末も寒波と雪で、あちこちの交通手段がマヒしかけた(関東は穏やかだったが)。北半球全体が12月から寒波に覆われ、クリスマス前後から欧州便はかなり欠航が目立った。これを見て、早くも「地球温暖化説は間違いだ」と主張する人たちが出てきている。昨夏の猛暑の記憶もまだおぼろだというのに。

(余談だが、地球温暖化説に関する議論については、わたしはかねてから不思議に思っている。「温暖化している!」「いや温暖化なんかしていない!」と、二派に分かれて論争しあっているが、むしろ問題なのは平均値ではなく、統計で言う『分散』の大きさではないだろうか? 平均気温が上がるか下がるかより、最近は気温変動の激しさが増していて、少し先の気象が予測しがたい点に、社会が困惑しているのではないか。季節に関するかつての経験や知恵が使えなくなり、それが農業・交通をはじめ、あらゆる問題を難しくしているのだ。)

さて、「計画=予測+意志決定」である、というのがわたしの主張である。計画には予測と、意志の二つの要素がある。ところが、この『予測』がどれほど確実に行えるかによって、計画とマネジメントのスタイルは、かなり変わってくる。世の中のリーダーシップ・スタイルを、この観点から分類することもできる。たとえば「計画重視型のリーダー」対「意志貫徹型のリーダー」、という具合だ。

計画重視型リーダー」は、言いかえると物事の予測可能性を強く信じているタイプでもある。彼らは、市場動向なり顧客需要なり、ビジネス上の主要な外部要件について、きちんとしたモデルをたて、数値的な予測手法を用いたがる。そしてその予測結果に対しては、自信を持っている。それに添う形で計画を立案する。意志決定というのは、モデルやパラメータを決める際に、また現実が予測から多少ずれた場合にフィードバック的制御を行う際に、ちょっと必要となる程度だ。彼らは人を説得する時には、論理と数字で理由を説明する。

一方、「意志貫徹型リーダー」は、あまり予測というものを信じない。あれば参考程度にするだけ。むしろ、意志の力で現実を乗り切ることに自信を持っている。気合いと根性で、どんな局面も打開できるというのが彼らの強い信念だ。大事にするのは、数値やデータではなく、人とのつながりや信義や人脈である。人を説得する時には、大きな声と説得力ある表情を何より重視する。

いうまでもないが、世の中の仕組みが比較的安定している時代は、「計画重視型」がリーダーの主流になる。このタイプは知性によって組織を動かそうとする。言いかえるなら、「頭の良い人」がリーダーたる資格の最重要ポイントである、という事になる。かくして、右肩上がりの高度成長期は、もっぱら「一流大学」を出た秀才達が官庁や企業の枢要なポジションを占めることになった。また、米国流のビジネス・スクール教育も、非常に知性重視であり、分析と予測を専らの武器とするタイプのsmartなMBAリーダー達を大量に輩出した。

一方、今日のように変化が激しく先行きが見えにくい時勢では、「意志貫徹型」が待望されることになる、はずである。坂本竜馬のようなヒーロー像が尊敬を集めるのも、わかる話だ。少し言い方を変えると、「意志の強い人」がリーダー資格の要件となる。根性があり、顔の広い、いわば体育会系の人というイメージかもしれない。

ちなみに、「計画重視型」は決定論者、「意志貫徹型」は自由意志論者、という言い方も可能であろう。西洋哲学では、長い間この両者の間で論争があった。人間の行動はどの程度まで環境によって決定されているのか、あるいは人間の自由意志の範囲は無限なのか。この問題は、中世では刑罰や救済ともからんで、かなり重要な論点だったし、近代になっても形を変えて何度も争われた。まだ十分決着がついたとは言い難い。マネジメントの問題を掘り下げていくと、いつのまにか哲学の鉱脈にまで突き当たる(少なくとも西洋では)ということは、覚えておいても損はない。

さて、ところで、計画重視型と意志貫徹型以外に、第3のリーダーシップ・タイプがあり得ることにお気づきだろうか? それが、わたし達の時代の気分のあり方をかなり決めているのである。・・が、年初ながら、いつものくせで、長くなってきたようだ。この続きは、次回また書こう。

(この項つづく)
by Tomoichi_Sato | 2011-01-04 23:18 | ビジネス | Comments(0)