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書評:「ブレーキング・ボックス」 アンドリュー・サター著

Amazon.com: ブレーキング・ボックス - 常識に囚われない考え方

良書である。本書は「日経ビジネスAssocie」誌の連載をまとめたものらしい。たしかAssocie誌は若手ビジネスマン向けの雑誌のはずだが(わたしも一度依頼されて書いたことがある)、本書は社会人になって数年程度の人たちに読ませるのはもったいない。むしろ、ビジネススクールのMBA副読本にした方がいいくらいのレベルだと思う。

著者は1955年ニューヨーク生まれのユダヤ系米国人。ハーバードで物理学を卒業した後、カリフォルニア大のロースクールを出た国際弁護士である。日本では文系出の弁護士でも特許法に関わる仕事を手がけることができる。しかし米国では、ロースクールに入る前に理科系の四年制大学を卒業した上、特殊な試験に合格した「特許弁護士」でなければ、特許を申請することができないことを、本書で初めて知った。これでは日米の会社が特許をめぐって法廷でまともに戦っても、日本に勝ち目が薄いのは無理もない。

ともあれ、この著者は文系・理系の『複眼思考』を持っている点が、何より心地よい。こけおどしの言葉や概念にもだまされず、実証的であり、かつ法務も商務も熟知している。たとえば本書は、ビジネスにおける「メタファー」の話からはじまる。販売のストラテジー(戦略)やタクティクス(戦術)やウィン(勝利)といった言葉を使う場合、それはビジネスの概念を戦争になぞらえてメタファーを用いているわけである。無論、メタファーの適用範囲には限界がある(べつに販売の前線で人を殺すわけではないし)。だが、'99年頃のシリコンバレーでは、"Land-grab"(先に到着した西部開拓者が土地の占有権を得ること)などのメタファーが暴れ回ったあげく、結局ドットコム・バブルで多くの企業家を破産させてしまう。

あるいはバリューValueという言葉の氾濫について。マッキンゼー・コンサルティングの有名な企業価値判断のテキストを読んだ著者は、「バリュー・マネジャー」や「バリュー創造手法」といった表現のオンパレードに驚くが、よく読むと、バリューとは株価を、バリュー創造とは株価上昇を指していることに気づく。この株主価値(Shareholder Value)理念の旗振り人は、GE社のCEOだったジャック・ウェルチだった。ウェルチは20年間の間にGEのバリュー(株価)を30倍にしたといわれるが、利益額は5倍になったに過ぎない。ではなぜ「バリュー」の方はそんなに跳ね上がったのか?

じつはウェルチはR&D支出を大幅にカットし、11万人もの従業員を解雇した。そして従業員にサラリーを払うかわりに、約3兆円もの資金を使って、GE株の買い戻しを行ったのである。おかげで会社は「効率性」を増し、一株あたりの利益も増えた訳である。そればかりか、彼ら幹部役員のストック・オプションの「バリュー」も増大したのである。

M&A(企業買収)についても、専門家らしい複眼思考に満ちている。かつてソニーは米コロンビア・ピクチャーズを買収したものの、巨大な損失を出して体力をかなり落とした。この失敗事例のどこがまずかったか、著者はくわしく解説を加えて、異文化のM&Aがいかに危険な博打であるかを示す。ちなみにCisco社は戦略的M&A実行能力において、最高峰のレベルを持っていることが米国では知られており、本書でも、相手を文化的に統合するため専門チームを事前に派遣するやり方などを紹介している。しかし、日本で近年発行されているM&Aに関する本にはこうした成功手法はほとんど紹介されておらず、かわりに「サメよけ」だの「毒薬」だの'80年代に米国で流行した敵対的買収用語が乱発されている。日本の若いビジネスマン達が、M&A取引を「カッコいい」と感じているらしいのを知って、著者はショックを受けるのである。

著者は、数多くのM&A辞令から学べることの一つは「コストを削減したかったら、中央集権を進めよ、収益を拡大したかったら、地方分権にせよ」だといっている。これは非常に面白い指摘であるが、わたしの見聞きした事例ともよく合致する。欧米流を真似て、すべてを本社の司令室から取り仕切る経営を目指す企業が、日本でも増えているようだが、このようなやり方は一時的にはコストセーブにつながっても、長期的な収益にはつながりにくいと思う。

本書「ブレーキング・ボックス」は、経営とマネジメントに関心のある全ての人に勧められる良書である。中でも一番読んで欲しいのは、大企業の経営企画室にいて、買収や分社化や知財などの「戦略プランニング」にかかわっている人達であろう。こうした人達が、世に蔓延している固定観念や単純化された価値観に惑わされずに、自分の頭で考えてくれる事を著者は望んでいるはずである。
by Tomoichi_Sato | 2010-11-28 19:30 | 書評 | Comments(1)

「ITって、何?」 第9問 IT屋さんは実際の物事をどうデータに翻訳するの?(つづき)

(失礼、また末尾が切れていたようです。プレビューでは見えているのに、奇妙です。あるいはクライアントの環境によるのでしょうか。いずれにせよ、末尾だけ再掲します)


「でも、じゃあ、たとえば『過程』はどうなの? モノだけでプロセスがなかったら世界観として半端だわ。」

--いい質問だ。プロセスとは、データモデルの世界の上では、インプットのデータを得てアウトプットのデータに変換し出力する仕組みを意味する。つまりね、ここまでの説明はまだ事物の認識論であって、この先がまだ半分ある。それが、データの世界でのモデル化の手法だ。いまのエンティティ同士の関係を、データの集合の中でどう表現するか、それが問題だ。

「そうよね。データへの翻訳と文法の話だったわよね。それで、データの文法というのはそもそもどうなっているの?」

(つづく)
by Tomoichi_Sato | 2010-11-26 23:01 | ITって、何? | Comments(0)

「ITって、何?」 第9問 IT屋さんは実際の物事をどうデータに翻訳するの?

<< エンティティと関係による認識 >>


しばらくの間、彼女は黙っていた。

--・・・どうした? もう質問はおしまいかい?

「ねえ。」

--うん?

「いま、何問目だっけ?」

--え? 知らない。7問目か8問目じゃなかった?

「さっきからあなたに聞いた話を今ずっと想い出していたのよ。なんだか話の筋道がふらふらしていて、核心に近づいていないって気がするわ。ITって何か、という核心に。」

--そうかなあ。ぼくとしては一貫してデータの扱い方の話をしてきたつもりだけれどなあ。

「でも最初はたしか、専門家と一般人とのギャップの話だったでしょ? そのあと情報とデータの違いの話になったけれど、情報技術って言葉の由来になって、それから『セミIT』の話に移っちゃったの。そして半角と全角の文字の違いから、やっとバーコードのデータの話に戻ったかと思うと、またデータベース・マーケティングとやらに話が振れるのよね。そして紙と鉛筆のITの話。20の扉のうち、これで8つを開いた訳だけれど、まるでパッチワークみたいで一貫性がないわ。」

--あのねえ。ぼくは君の質問に順番に答えているだけでしょうが。そしたらパッチワークになるのはしかたが無いじゃない。たとえパッチワークでも、しだいにITの全体像がわかってもらえれば、それで目的達成だと思うけど。

「私はそうじゃなくて、順を追って中核に迫りたいの。でもあなたの答えがのらりくらりとしてちっとも中心に向かっているという感じがしなくて。もしもあなたの言うようによ、ITがデータの取り扱いの技術なら、そこに何か中心的なプリンシプルがあるはずじゃない?」

--ITはデータと情報の間のサイクルをつくる技術だよ。情報を定型化してデータの型にはめるのは、その半分だけれど、まあ、中心になる原理だってあるわな。事実をどういう風にモデル化してデータに翻訳するか、だけれど。

「翻訳なの? だったらわたしの仕事の領分ね」

--翻訳ってのはまあ一種のたとえで、実際には定型化とかモデル化とか呼ぶ方が正しいだろうな。翻訳とちがって答えは一種類じゃない。直訳も意訳もある。やる人のスキルにも大きく依存する。

「あら、それって翻訳そのものじゃない。翻訳者の技量で良しあしが決まるし、直訳も意訳もある。あなたは翻訳を、まるで文章を一対一で機械的に置きかえていく作業みたいに誤解していない?」

--うーん、だとしたら、たしかに翻訳の一種ともいえるかなあ。

「もしそうだとしたら、その中心には何か方法論があるはずだわ。あと、文法とか辞書みたいなものも。IT屋さんは実際の物事をどうやってデータに翻訳するの? データの世界には文法はあるの?」

--もちろんあるよ。そりゃ、データは機械のためのものだから、人間の使う言語の文法とはよほどちがった、むしろ数学的なものだけれど、とにかく決めごとはね。

「じゃ、それを真っ先に教えてくれなくちゃ」

--あのね、ぼくはITの世界の水先案内をして上げている訳だよ。外国を案内するのに、その国の気候風土や雰囲気をまず説明せずに、文法規則や法律を真っ先に教えるやつがどこにいるんだ?

「わかったわ。でももう、そのタイミングでしょ。」

--かなわないなあ、君には。
 いいよ。まずね、事実の世界をどう認識するか、からいこう。

「お、本格的。」

--余計な合いの手はイリマセン。まずね、対象世界は事物、すなわちエンティティの集合であると考える。そして、そのエンティティの集合間になりたつ関係=リレーションを規定する事で事実の構造をとらえる。

「ちょ、ちょっと待ってよ。Entity? Relation? いきなり話が抽象的じゃない?」

--だって認識論だもの。我慢してもらって、先にいきます。各エンティティは複数の属性を持つ。その属性のどれか一つ(ないしは複数の属性の組み合せ)によって、個々のエンティティは同定される。

「・・先生。何か例を示してくれる?」

--急にしおらしくなったじゃない。いいよ、さっきのコンビニの例でいきましょう。店で売られている商品を対象に考える。エンティティとは商品だ。

「ふむふむ。」

--商品はさまざまな属性を持つ。名前、価格、仕入先、バーコードでついている背番号(これをJANコードという)、計量の単位(個数とかkgとか)、値引きの対象かどうか、食料品なら賞味期限、etc.,etc...

「あ、そういうのが属性ね、なるほろ。」

--この中で、どれがエンティティの識別に使える属性か分かるかい?

「う、急に反撃に転じてきたな。そんなの簡単じゃない。バーコードの背番号でしょう?」

--正解です。逆のいい方をすると、他の属性は、複数のエンティティで重複して同じ値になる可能性がある。この、決して重複しない識別用の属性をキー属性と呼ぶ。

「で、関係ってのは?」

--ここに、もう一つのエンティティを考えると関係が生じて来る。
 たとえばね、仕入先というエンティティを考える。仕入先は、会社名、所在地、電話番号、FAX番号、支払勘定口座、担当者名等の属性をたぶんもっているだろう。
 ところで、個別の商品は必ず一つの仕入先をもっているはずだ。

「まあ、それはそうよね。」

--このとき、商品と仕入先というエンティティの集合の間に、1対1の関係が成立している、と考える。

「あ、なんだ、関係ってただそれだけのことなの? わたしもっと複雑なものを想像していたわ。」

--男女関係とかじゃないからね。1対1か、1対多か、多対多か、基本的にはそれだけのドライな関係です。

「1対1はわかったけれど、1対多って何よ、その一夫多妻みたいなの?」

--これはね、たとえば同じ商品でも、複数の卸し問屋から仕入れるケースもあるかもしれないじゃないか。コンビニでどうかは知らないけれど、ふつうあり得るケースだわな。

「そうね。」

--その場合、一つの商品というエンティティにたいして、複数の仕入先というエンティティがむすびつく。これを1対多の関係という。

「じゃあ、多対多は?」

--えーとね・・たとえば、こうしよう。店舗というエンティティを考える。同じコンビニのチェーンに所属する店舗だ。ところで、チェーンストアの本部から見た場合、どの店舗でどの商品を売っているかを把握する必要がある。ね? ところで、商品の品揃えは店舗ごとにちがう。

「え? ちがうの?」

--ちがうよ。たとえば、住宅地にあるのか、都会のオフィス街にあるのか、近隣商店街にあるのかで、売れ筋の商品がちがうからね。それと、同じ立地でも、店舗の規模面積によって品数が変わる。広ければそれだけ数多くの商品をおくことができる。これをうまく考えるのがチェーン本部の仕事だ。
 ところで、店舗というエンティティと、商品というエンティティは多対多の関係になる。なぜかというと、一つの商品が複数の店舗で販売されることもあるし、また一つの店舗は複数の商品をおくからだ。これが多対多の関係だ。行ってみれば乱交関係かな。・・あ痛っ!
 
「品の悪いたとえを出さないでちょうだい!」

--ぶつなよなあ、運転中の男を。
 まあとにかく、基本的な関係はこの3種類だ。あとは、1対多だけれど相手は最大5種類までとか、現実的な制約がいろいろつく場合とか、あるいはis-a関係だpart-of関係だ等々とあるけれど、まあいってみればバリエーションなので省きます。
 これで事実世界の認識の説明を終わる。
 
「ええーっ! ちょっと待ってよ。IT屋さんの世界観って、そんなに単純なものだったの? エンティティだかなんだか、事物が並列にならんで、それに属性がぶら下がって、それに数の関係がなりたつ、っていう、たったそれだけ?」

--そうだよ。えー、まあね、事物が並列でなく、親子関係を持って属性を継承したりする、クラスとインスタンス云々の方法論もあるんだけれど、ここではあえて単純な古典的な方を説明しとります。

「そんなんで世界が説明できるわけ無いじゃない。単純すぎるもの。」

--目的はデータと情報の処理だからね。なにも世界を変革するための哲学をやってるわけじゃない。

「でも、ITは世界を変えているんでしょ?」

--そりゃま、そのとおりで、そこがまあ面白いところだけれど。

「そんな単純な世界観で世界を動かそうとするんだもの、あちこちひずみが出るのも当たり前だわ!」

--まあ待ちなよ。別にどこか世間の隅っこにIT屋が集まってだよ、この世を動かす陰謀を練っているわけじゃないんだから。たとえば複式簿記だってさ、考えてもみなよ、あれで世界のかなりの部分は動いているわけだけれど、ずいぶん単純な割り切りでできている。あれはイタリア人の発明らしいけれど、だからといって彼らがこの世界を乗っ取っているわけじゃないよね。

「あの単純さにも、わたしは異議があるんですけれど。」

--その話は会計士の先生とでもしてくれたまえ。今はITの話。

「でも、じゃあ、たとえば『過程』はどうなの? モノだけでプロセスがなかったら世界観として半端だわ。」

--いい質問だ。プロセスとは、データモデルの世界の上では、インプットのデータを得てアウトプットのデータに変換し出力する仕組みを意味する。つまりね、ここまでの説明はまだ事物の認識論であって、この先がまだ半分ある。それが、データの世界でのモデル化の手法だ。いまのエンティティ同士の関係を、データの集合の中でどう表現するか、それが問題だ。

「そうよね。データへの翻訳と文法の話だったわよね。それで、データの文法というのはそもそもどうなっているの?」

(つづく)
by Tomoichi_Sato | 2010-11-25 22:50 | ITって、何? | Comments(0)

新しい販売マネジメント思想こそ、競争力再生の要点である


わたしの大学時代の先輩が、あるとき外資系の会社に転職しようと思い立った。米国の技術系ソリューション・ベンダーで、世界的に急成長中の企業だ。大学の恩師に相談に行ってその話をしたら、かえってきたのは思いもよらぬ言葉だった。「外資系に行くなら、技術でなく営業をやれ。」恩師は言葉を継いで、次のような意味のことを語った。

技術力が売り物の会社であればあるほど、技術開発の中心部分は目の届く米国内で、米国人によって行う。日本で技術屋がやらされるのは保守サポートのつまらぬ仕事で、そんなことをいくらやっても上には行けぬ。もし外資系の会社で上に行きたいのなら、セールスをやるべきだ。販売の仕事だけは、各国の現地でやるしかないからだ。仕事を一杯とって、十分な売上と利益を上げられれば、本国からも重視されるようになるだろう。

この先輩は悩んだ後に、恩師の言う道を選んだ。営業部門に入って、やがて華々しい成果を上げるようになったのだ。わたしは後日、その先輩に会って、営業で成功する秘訣は何か、たずねてみた。わたし自身、事業部の売上に悩んでいたからだ。すると、先輩の答えは意外にも簡単だった。「アメリカ人の書いた“Solution Selling”という本を勉強して練習し、その本に書いてある通りを実行してみた。そして事実、売上が上がった。それだけだよ。」先輩はわたしにこう言った。「佐藤君も、もし興味があるなら読んでみるといいよ。」

そういういい話を聞きながら、すぐに実行しないのがわたしの至らないところだ。和訳の『ソリューション・セリング』を読んだのは、それから2年近くたってからのことかと思う。読んで、すぐ感心した。内容は、以前書評に書いたとおりだ。わたしは営業の仕事ではないが、セールスの現場に同行することはよくある。本に書かれている「9ボックス・アプローチ」を使って、小さな案件ではあるが、受注につなげたことも数回あった。

その先輩の方は、いつしか日本法人の社長にまで上りつめていた。その地位に何年かおられた後、独立して自分の会社を作られた。独立後に再会したとき、ソリューション・セリングの技法の話をして感謝の意を表したら、先輩は思いもかけぬことを言われた。「セールスはたしかに大事だ。だが、もっと大事なことがある。それは、良い営業マネジメントをすることだ。」

「営業マネジメントって、何ですか? 営業マンの管理のことですか。」
「違うよ。セールスの状況を定量的につかんで、案件のパイプライン・マネジメントをきちんと転がしていくことだ。」
「パイプライン・・案件リストのことですか?」
「そうだけど、市場から会社に価値をもたらす管だから、パイプラインと考えた方がいい。」

先輩は続けた。「パイプラインに十分な案件が詰まっているか。それぞれの案件はどれだけの規模と受注確率があるか。営業プロセスのどのステージにあるか。こういうことを常時リアルタイムに把握しておかなければならない。ぼくは毎週、営業のキーパーソンを集めて状況をチェックしていた。営業会議には必ず出席させる。出張の場合も電話会議で参加させる。案件数が不足して、四半期ごとの販売目標に満たない場合は、フォールバック・プランを取ることを考える。外資系は四半期毎に成績を求められるから、これができないと生きていけない。」

私たちの社会が「モノ余り社会」となってから、すでに20年近くたつ。その間、販売はつねに苦戦し続け、生産は供給能力過剰と言われ続けた。これを背景に、生産から販売へのパワーシフトが起きたことは、すでに前回述べたとおりだ。企業内でも、サプライチェーン間でも。それでは、そのパワーシフトに見合うだけの、販売手法やマネジメントの仕組みは、発達したのか? 「○○生産システム」や「△△ウェイ」という言葉は製造業で有名だ。だが、それに対応する販売システムや営業ウェイは各社で開発されたのか?

販売側にパワーシフトが起こるということは、言い換えるならば製造業が全体として「受注産業」化した事を意味する。見込生産から、Pull型の受注生産へ。今や製造業の9割は受注生産に大なり小なり関わっていると見ていい。したがって、営業部門は、販売だけでなく、物流も、生産手配も、設計依頼も、すべてをコントロールするセンター機能を果たすことが求められる。

同時に、営業にはもう一つ主要な機能がある。顧客を、自社の提供する製品と価値に誘導することである。顧客、とくにB2Bの顧客は、つねに何らかの問題意識を抱えていて、それを解決してくれる手段を求めている。スコップが売れるのは、顧客が(スコップという道具自体ではなく)地面の穴を必要としているからだ、という格言が販売の世界にはある。顧客の悩み(ペイン)を掘り当て、自社製品による解決に誘導すること、それによって高い価値(値段)で製品を売ること。このPush型の作業こそ、パイプラインを引くべき付加価値の「源泉」である。

今日の販売部門は、上記のようなPull型業務とPush型業務の二つを同時に摺り合わせて行う、きわめて高いインテリジェンスを求められる仕事に変わっている。対象市場は、世界史上例を見ないほど高度に教育の行き届いた、かつ高齢者の多い知的大衆と企業社会である。そこから個別ニーズをくみ上げて、自社のサプライチェーンを動かす。もしこれが可能であれば、わたし達の競争力は、他のどの国にも負けない先進的なものになっているはずである。

では、現実の日本はどうだったのか。ここでくだくだと述べることはしない。読者諸賢が、実際に見てこられた状況から推察できるであろう。わたし達は明らかに、新しい市場ニーズという酒を入れるにふさわしい、新しい革袋としての「販売マネジメント思想」を作ることに失敗している。あの先輩の言葉を借りれば、“腕の良いセールスマンは時々いるけど、能力のある営業マネジメントができる人は、日本には滅多にいない”。相変わらず、個々の営業マンを売上で追い立てるだけの管理がやられていないか。

以前、「豹のリーダーシップ、狼のリーダーシップ」で戯画化した二種類のマネジメント手法は、じつは典型的な営業部門と生産部門のやり方を元にしたものだ。豹のやり方では、
  組織全体の成績=Σ(個人の成績の総和)
になる。一方、狼のやり方では、
  組織全体の成績 > Σ(個人の成績の総和)
となる。当然であろう。生産においては、個人ではできないことを組織で実現しているのだから。なのに、なぜ販売はいつまでたっても個人プレーの合計だけで指標をとらえるのか。

わたし達の社会は、あらためて、「新しい販売マネジメント思想」とそのシステムを作り直すことが求められているのである。念のため言うが、わたしはあえてパワーシフトを「営業=文系」対「技術=理系」の対立図式で論じないようにしてきた。文系理系のどちらが得か、というような矮小な議論ではないのだ。むしろ必要ならば、これからはどんどん理系マインドを持った人が販売側に入っていく方がいい。ちなみに例の先輩は、工学博士の学位を持っている。
by Tomoichi_Sato | 2010-11-21 15:56 | サプライチェーン | Comments(1)

「ITって、何?」 第8問 コンピュータ抜きでもITって可能なの?

<< データを組織化する方法 >>


「データにハングリー、だって。・・なんだか血に飢えたボクサーみたいで、野蛮でケチで頭が悪そうなイメージしかわいてこない比喩ねえ。IT屋さんって、そんなのが理想なわけ?」

--そ、そうかぁ? ぼくにはデータや情報を大切にすることのどこが悪いのかと思うけどね。
 ケチというのは、いいかえれば合理的であるってことだ。一度生み出されても、その場限りで風とともに消え去ってしまう情報がいかに多いことか。お金だったら、たとえ1円玉でも、捨ててしまうやつはいないけれど、情報は捨ててしまってもみな平気でいる。ぼくにはその方が不思議さ。

「ふうん。でもそんな“データにハングリー”な会社って多いの?」

--まあ正直言って、日本ではまだあまり多くない。残念ながら、欧米とか、その影響や教育を受けたインドなんかの方が比率は高いかもしれない。でも、増えつつあると信じているけどね。それに、ケチという点では、転記の問題もある。生み出されたデータはそのまま転用すればいいのに、途中で捨ててしまって、あらためて入れ直して作ったりしている。そんなことをすれば手間が無駄なだけじゃない、時間もかかるし情報の鮮度だって落ちてしまう。ミスの混入もある。もっと合理的に、ケチに徹してもいいはずだよ。

「だからコンピュータを使うIT屋さんの登場なのね?」

--いや、あのね。ITって、コンピュータの利用技術だと思われているみたいだけれど、そうじゃない。本当はデータと情報の利用技術なんだ。IT屋はデータを利用しやすいように組織化する仕事をしている、いわばデータのオーガナイザーさ。コンピュータはそのための道具にすぎなくて、極端なことをいえば計算機なんかまったく使わなくても、データをオーガナイズする仕組みがあれば、それは立派なITだ。

「紙と鉛筆だけでも?」

--もちろん。

「どういう風にやるの?」

--まずね、一つところに集めることだ。データはすぐ確実に探し出すことができなけりゃデータとは言えないからね。各人の机のどこかにばらばらにしまい込まれているようじゃ、見つけるのに一苦労だ。見つからなければ風に乗って消えたと同じことだからね。
 あ、その前にもっと大事なことがある。
 
「何?」

--紙に書き留めて記録することさ。そうしなけりゃ本当に消えてしまう。

「なあんだ、そんなの当たり前じゃない。でも、テープじゃだめ?」

--ま、テープレコーダーでもいいだろうけど、紙の方が検索性はすぐれている。
 紙に書け、ってのは当たり前にきこえるけれど、習慣か意志の力がないとできない。ぼくが会社に入って真っ先にたたき込まれたのは、打合に出たら、後で必ず「打合覚書」を書け、ってことだった。ユーザ部門や業者さんとの打合は必ず記録して、番号を取ってファイルしておく。すっごく面倒に思ったよ、最初はね。でもそれで助かったことが何度あったことか。
 
「そこらへん、たしかに欧米の会社は徹底しているわよね、つきあってみると。」

--なるほど。まあとにかく、そうやって書き留めて記録した紙は、一カ所に集める。そのとき、形式をそろえる。紙の形をA4にするとか、表題と日時と記録者を一番上に書く、とか。

「帳票みたいに?」

--うん、まあ、そうだね。とにかく定型化すること、これが情報をデータに加工する第一歩だ。そのとき考えなくてはいけないことが二つある。それは、整理番号を打つということと、ファイルしておく順番だ。

「整理番号、って?」

--各々のデータ1件1件を、他と区別するためにつける、参照用の番号さ。

「図書館の分類番号みたいなもの?」

--そういうものでもいいし、別に単なる順番で1から機械的にふった背番号でもいい。とにかく、『何月何日にあの件で打合わせたあれだよ、あれ』みたいな言い方ではなく、『打合記録何々番』という言い方で指し示すことのできるような整理番号が必要だ。

「どうしてそんなものが必要なの?」

--あとでそのデータを再利用するときに、指示が正確で簡単になるからさ。さっきのバーコードに商品の名前を長々と書かなかったのと同じ理由だ。名前や内容で呼ぶとダブりがあって誤解の可能性がある。それに整理番号の方が短い。

「あと、ファイルの順番だっけ?」

--そう。日付順でも整理番号順でもなんでもいいから、とにかくどういう順序で物理的にしまってあるのかを決める。そうしないと探すときに毎回、頭から全部めくってみなければならなくなる。

「うちの事務所の場合は、クライアント別に、やりとりの日付順にファイルしているわね、基本的には。・・すごいわ! そしたらもうちゃんとIT化しているんじゃないの、あなたの定義でいけば。」

--定型化してる?

「してるわよ。全部A4サイズだもの」

--そうじゃなくて、記録する内容の方だよ。A4サイズの紙に、書くべき項目の内容と順序と場所は決められているか? 整理番号は取っているか?

「整理番号・・一応うちから発信する分は、日付で連番を取っているわ。でも、書くべき項目の内容って、何よ? 内容なんか毎回変わるに決まっているじゃない。」

--本文の内容はそうだろう。ぼくがいっているのはね、データ1件を構成する項目の取り決めさ。たとえば、整理番号・日付・発信者氏名・クライアント名・タイトル・本文・etc...こうした決まった項目が集まって、データ1件ができあがるということさ。

「なあんだ、そういうこと。それだったら、うーん、人によるわね。でも、今あなたがあげたような項目だったらだいたいカバーしていると思うけど」

--形式化ってね、ほんとは“だいたい”じゃダメなんだ。さっき、データの究極の最小単位は選択肢だ、って言ったろ? 選択肢である限り、メニューは決まっていなければならない。例外は許されない。1件のデータはどんな項目の集合からなるかを決める。1件1件を作るにあたっては、決まった位置に・決まった項目を・決まったメニューの中から選びとる。こうした取り決めをデータの文法というんだ。データの文法が定義されてはじめて、定型化されたと言える。

「だって、本文にどんなメニューがあるっていうの!? 全然矛盾しているわよ。」

--そう。そういう自由なテキストの項目というのもたしかに存在する。そういうテキストはね、文字数の上限だけを決めておく。あるいは、『終わり』の印を決めておく。

「何のために?」

--1件のまとまりの範囲を明確にするためさ。紙だって、えんえんページが続いていたら、どこまでがその1件書類かわからないじゃないか。

「見ていけばわかるわよ。それに、2ページ以上にわたるときは、それぞれに必ず2/9といった感じで通しページを打っているし。」

--たいへん結構。それだったら9/9まで来れば終わりだとわかる。終わりの印が打ってあるのと同じだ。

「お褒めにあずかって光栄ですこと。でもこれのどこがITなの? 徹頭徹尾当たり前のことじゃないの。」

--あのね、それが当たり前に見えるのは君の事務所のレベルが高いからだよ。でも、この当たり前のことができない人は大勢いる。この定型化のところをくぐらないと、データとしての再利用はおぼつかない。君は家計簿ってつけてるかい?

「ぎく。嫌なことを聞くわね。つけてなかったらどうだっていうの?」

--あのね、家計簿ソフトってあるだろ? あれを使えば自分の収支もきちんと管理できそうに思える。でもね、紙の家計簿をつける習慣のない人は、コンピュータの家計簿ソフトを買ってきたからと言って、やっぱり使い切れないことが多いのさ。
 それと同じで、紙と鉛筆の世界でちゃんとデータを蓄積するマインドを持ってこなかった人たちが、システムを入れたからって、データを活かす経営なんてすぐにできるわけない。ほら、最新式の特殊素材のラケットを買ったからといって、フォームもスタンスも直さずにテニスのスコアがあがるわけないだろ? ITにはこういう誤解が多いから困るんだ。売る方にも責任はあるけどね。
 君が勤め先で毎日やってる程度の「当たり前」があれば、データを本当にコンピュータに持ち込むのはあっと言う間だ。
 
「持ち込んだからって、どうなるの?」

--どうなるって? そりゃ別に、大したことはないさ! 保存するのに場所がいらなくなる。検索が滅茶苦茶速くなる。複製が瞬時にできる。遠く離れた場所の人とも共有できる。転用もあっという間にできる。分析もいろいろできる。いや、ほんとに大したことないさ、ITの恩恵なんて、ほんとにね。

「あのね、あなたはそう偉そうにおっしゃるけれど、わたし一つ疑問があるの。」

--どんな疑問だい?

「お話を聞いていると、なんだか図書館のカードボックスみたいなものが究極のデータみたいじゃない?」

--究極かどうかはともかく、あれは定型化の立派なお手本だろうね。

「わたし、図書館のカードみたいにきちんと分類され整理されすぎたデータって、知的には何も生み出さないんじゃないかって思うのよ。本当の創意って、少し無秩序なところから、はじめて創り出されてくるものじゃないかしら。」

--・・・。

「反論はないわけ?」

--あるよ。
 そもそも、何かを考え、何かを決めるときには、まず正確な事実認識が必要じゃないだろうか。ぼくらは詩人や芸術家じゃないんだから、創意といっても無から何かを創り出す訳じゃない。
 このカーナビをごらんよ。今ぼくらがどこの位置にいて、どこに向かって何kmの距離にあるか、道はどう続いていくか。こうしたことを知るのは意味がないだろうか。自分のいる位置が少し曖昧だったら、その分、運転は楽しく創意に満ちたものになるだろうか。
 
「だって。」

--聞きなよ。ITに好き嫌いがあるのはしかたがないさ。でもITはまず事実に関する道具なんだ。道具に対する好き嫌いと、事実に関する好き嫌いは区別しなくちゃね。
 事実をとりまく霧が晴れたら、その分、知的なクラリティがあがるものじゃないだろうか。知的って、本当はそういうものじゃないだろうか。だとしたら、それは、定型化の手続きという代償をはらっても、手に入れる価値があるんじゃないかと、ぼくは思うんだ。

(つづく)
by Tomoichi_Sato | 2010-11-18 22:07 | ITって、何? | Comments(0)

見えないパワーシフト - 生産から販売へ(つづき)

(なぜか末尾が数行だけ、切れてしまっているようです。入力画面ではちゃんと見えているのに、表示されないのはサーバ側の問題かもしれません。末尾だけ追加します)
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これが、設計・製造部門から販売部門への企業内パワーシフトの背後にあった事情である。昔、'80年代頃までは、「販社」というのは製造業の子会社であった。「キヤノン販売」「エプソン販売」といった会社名は、その頃の事情を示していた。ところが今や、工場が製造子会社となる時代である。統計があるかどうかは知らないけれど、'90年代以降、製造業のトップには営業畑出身者が目立つようになった。

サプライチェーン全体では、それはもっと大規模に行われた。その昔、松下電器の製品は近隣のナショナル販売店(電気屋さん)から買うのが当たり前だった。今、Panasonicの製品はみな、大規模小売店とか通販から買うではないか。もはや製造業には、販売チャネルを御するパワーは残されていないのだった。

では、「技術の日本」で起きた生産から営業への見えないパワーシフトは、何をもたらしたのか。それについては、長くなったので、稿をあらためてまた書こう。
by Tomoichi_Sato | 2010-11-14 23:55 | サプライチェーン | Comments(0)

見えないパワーシフト - 生産から販売へ

'90年代のはじめ頃、私たちの社会に目に見えない地殻変動があった。それは、人口階層ならびに学歴階層の変化である。それらはもはや、底辺の層が厚く頂点に近づくほど数の減るピラミッド型の構造から外れてしまっていた。ところで戦後から高度成長期にかけての日本企業を支えた組織体制は、じつは組織階層のピラミッドと人口・学歴のピラミッドの“三角形の相似則”を基本に成り立つ、「終身雇用制・学歴制」だった。しかし、この相似則は'90年頃を境に成立しなくなったことを統計が示している。

にもかかわらず、企業社会は成果主義年俸制や派遣労働依存といった小手先の人件費対策で問題を繕おうとし、環境変化に応じて自らを変革することに失敗した。--これが、私たちの経済を長く覆う不調と不協和音の根源についての、わたしの推論の一つである。

関連エントリ:「組織のピラミッドはなぜ崩壊したか
       「組織のピラミッドはなぜ崩壊したか(2)  学歴社会の矛盾

さて、'90年代前半に進行した、もう一つの「見えない革命」とでもいうべき事象があった。それは、企業内ならびにサプライチェーン全体における、生産側から販売側へのパワーシフトである。

'90年代前半といえば、ちょうど『サプライチェーン・マネジメント』(SCM)という新しい概念が米国で生まれ育つ時期に当たる。SCMは、「需要と供給を同期化する」ことを中心コンセプトとする経営概念だ。このような思想が生まれたことは、米国は'80年代後半には、生産と営業のパワー・バランスの問題に直面していたのだろう。ちなみに、SCMが日本に本格的に紹介されたのは'90年代の後半になる。手前味噌だが、わたしも著者の一人として参加した「サプライチェーン・マネジメントがわかる本」('98年刊行)あたりが、その嚆矢だったように思う。

ではその、パワーシフトとはどのような現象か。それを説明するために、きわめて単純化したモデルを考えてみたい。これは以前「プロジェクト貢献価値の理論」(2006/12/12)に挙げた例だが、一部重複になる点をお許しいただいて、再び使うことにしよう。

いま、発明家(技術者)と実際家(セールスマン)が二人でガレージ・カンパニーをはじめようとしている。発明家は、わずか20万円ほどの部品を組み合わせて、100万円相当の価値を持つ新装置を作る画期的アイデアを考案した。セールスマンの方は、もしうまく製品ができたら、自分が売り込み先を捜してやろう、ともちかける。つまり、この二人の事業は、「製造」と「販売」の2アクティビティからなる、きわめてシンプルな製品開発プロジェクトである。
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ただし発明家は、実際にその装置を組み上げられるかどうかは、初めての試みだけに五分五分の見込みだと思っている。一方、セールスマンは、もしうまく製品ができれば、9割方は買い手を見つける自信がある。製造のコストは20万円。販売のコストは、まあ電話代や交通費が多少かかるだろうが、ほぼゼロとしよう。

さて、ここで問題である。うまく新製品が出来上がり100万円で顧客に売れたとしたとき、この二人の貢献は、どちらがどれだけ多いだろうか? いいかえるならば、両者のフェアな取り分は、いくらずつであるべきか? ちょっと、考えてみていただきたい。

このままでは難しいと感じるなら、ためしに、この問題をもっと単純化してみよう。アクティビティを「製造販売」たった一つにまとめてしまおう。かかる費用は20万円。失敗するリスク確率は、100%-50%×90% =100%-45% =55%となる。もし、このプロジェクトがうまくいけば、収益は100万-20万=80万円の価値を生み出す。

ところで、このプロジェクトがはじまる時点では、まだ100万円の売上は確実ではない。売上の期待値は、100万×45%=45万円にすぎない。一方、失敗しても部品代20万円は確実にかかる。したがって、プロジェクトの期待価値は、45万-20万=25万円だったのである。言いかえると、「製造販売」アクティビティの成功は、25万円のプロジェクト価値を、80万円の価値に増大させたわけだ。差し引き、80万-25万=55万円の価値増大に貢献したことになる。

これを別の言い方で表現すると、「アクティビティの貢献価値」とは、そのアクティビティの開始時点で期待されるプロジェクトの収益(=価値の期待値)と、その完了時点での価値の期待値の差分で表現される。そして、プロジェクト価値の期待値とは、各アクティビティのもつ失敗のリスク確率 rと、アクティビティ遂行に伴うキャッシュフロー(費用Cならびに収入S)で決まるのだ。

では、最初のように「製造」「販売」の2アクティビティからなるプロジェクトではどうなるか、順に計算してみよう。プロジェクトの期待価値は次のようになる。
「販売」完了時点:100万-20万=80万円
「製造」完了時点:100万×90%-20万円=90万-20万=70万円
「製造」着手時点:100万×90%×50%-20万円=45万-20万=25万円
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したがって、
「販売」アクティビティの貢献価値=80万-70万=10万円
「製造」アクティビティの貢献価値=70万-25万=45万円
つまり45:10が、発明家とセールスマンの貢献の比率なのである。

(注:両方のアクティビティの貢献価値を合計すると、55万円となって、さきほど計算した1アクティビティのプロジェクトの貢献価値と同じになる。つまり貢献価値は、合成しても加法性が成り立つ)

それにしても、よく考えてみてほしい。通常の経営論では、製造は「コストセンター」で、販売が「プロフィットセンター」と考えられている。しかし、上記の例で貢献価値を比較したら、コストセンターであるはずの製造部門の方が、より大きな価値を生み出しているのだ。これはなぜか?

答えは、「製造」の方がリスク確率が大きく、作業の難易度が高いからだ。そう。サプライチェーンにおける貢献価値は、各作業のリスク確率(難易度)に依存する。数式の証明は省くが、他の条件が同じであれば、アクティビティの貢献価値は、そのリスク確率rに比例することが示せる。つまり、難しい仕事ほど、価値が高いのだ。そして当然、その担当部署の発言力も強くなる。

ちなみに、上の例で「販売」のリスク確率を失敗ゼロ、としたらどうなるか。「販売」の貢献価値もゼロになることは、すぐ分かると思う。失敗するリスクの全くないアクティビティは、必要かもしれないが、貢献はゼロなのである。発言力も、まったく無いだろう。企業内における発言力や意思決定への影響力といったパワーは、基本的にその部門が担当する仕事の難易度、リスクの大きさによって支配される。むろん貢献価値の数値どおりに人が感じたり動いたりするわけではないにしても、組織の中の心理的パワーを、この理論はある程度説明してくれる。

(実際のプロジェクトでは、アクティビティ数は2よりもずっと多いし、並行する作業も存在するが、こうした複雑な系でも、貢献価値を計算する手法は構成可能だ。興味のある方は日本経営工学論文集 Vol.60 No.3Eに発表した拙論文をご参照ただきたい)

さて。戦後の高度成長期、日本企業のサプライチェーンでは、どこが一番難易度が高かったか。いうまでもなく、設計・製造である。溶鉱炉や製油所を例に挙げるまでもなく、重化学工業における製品を大量連続に供給するのは、技術者達の努力の賜物だった。製品は、つくる端から売れた。“水道の蛇口をひねるように”物品が消費者の元に供給される--これが大手電機メーカーの理想だった。

しかし、2度の石油ショックを経て'80年代後半にさしかかる頃、日本国内の市場はすでに変わっていた。『モノ余り現象』という言葉が現れ、プラザ合意で欧米諸国に内需拡大を約束したものの“もう買いたい物がない”と大人たちがささやきはじめた。人々の購買意欲は'88-91年頃のバブル経済でいったんは高まったが、バブル崩壊とともに吹き飛んだ。販売は、消費財であれ生産財であれ、どこも競争が厳しく、手こずるようになった。前回「営業活動という名前のプロジェクト - そのリスクとリターンを考える」にも書いた通り、三社合い見積が常態化すれば、受注のリスク確率は2/3にもなってしまう。一方、生産側は技術の成熟とともに、安定して製品を作れるようになった。生産側のリスクは格段に下がったのである。

これが、設計・製造部門から販売部門への企業内パワーシフトの背後にあった事情である。昔、'80年代頃までは、「販社」というのは製造業の子会社であった。「キヤノン販売」「エプソン販売」といった会社名は、その頃の事情を示していた。ところが今や、工場が製造子会社となる時代である。統計があるかどうかは知らないけれど、'90年代以降、製造業のトップには営業畑出身者が目立つようになった。

サプライチェーン全体では、それはもっと大規模に行われた。その昔、松下電器の製品は近隣のナショナル販売店(電気屋さん)から買うのが当たり前だった。今、Panasonicの製品はみな、大規模小売店とか通販から買うではないか。もはや製造業には、販売チャネルを御するパワーは残されていないのだった。

では、「技術の日本」で起きた生産から営業への見えないパワーシフトは、何をもたらしたのか。それについては、長くなったので、また稿をあらためて書こう。
by Tomoichi_Sato | 2010-11-14 17:56 | サプライチェーン | Comments(1)

「ITって、何?」 質問7 POSレジは何のデータを集めているの?

<< データに関してハングリーな経営 >>

「でもちょっと待ってよ。本題から外れちゃったわ。セブン・イレブンは何で買う人の男女や歳が分かるの?」

--何で、って、そりゃレジの前に立った人が男か女か、店員が目で見ればわかるじゃないか。

「あ、なんだ。店員の人が見て判断してるわけ?」

--そりゃそうさ。あのレジのキーの側をちょっとのぞいてみれば分かるけれど、一番左側の方のキーの一列は、男女性別と年齢階層のキーになっている。会計をするたびにお客さんの年格好をみて、まずそのキーを打つんだ。

「なあんだ、そうだったの。・・え、だとしたら、私はいったい何歳として見られているのかしら?」

--知らないよ、そんなこと! 各店員個人の判断なんだから。年相応に見られてくやしかったらコンビニに化粧していけばあ?

「あら、お言葉ね。でもどうして性別や年格好が買い物の合計を計算するのに必要なのかしら。」

--え? 関係ないよ、もちろん。

「だって、あのレジは金額の計算のためにあるんでしょ? 内蔵しているマスター・データとかを参考にしながら合計を計算するための機械よね、さっきの話では。」

--あともちろん、レシートの印刷とお金の格納もね。

「でもレシートには私の性別とか年齢とかは書いていないじゃない? そのキーを押しても何の役に立つのよ。」

--君には関係なくても、彼らには役に立つんだ。

「だってレシートになければその情報は消えてしまうんでしょう?」

--消えないよ。POSレジの機械が覚えているからさ。

「え?」

--ああ、なんだか誤解があるみたいだね。POSレジってのはさ、印刷機つき電卓とは訳がちがうんだ。電卓とちがって、あれは入力されたデータをすべて覚えている。

「レシートにうったことを?」

--レシートにうったことだけじゃない、“入力された”ことにもとづくデータはみんなさ。だから性別のキーからの入力は、レシートに結果が出てこなくても全部記憶している。

「え、それじゃPOSレジは計算だけじゃなくて、データも集める機械だってこと?」

--そうです。というよりね、むしろデータを集めるかたわら、計算もしてレシートも打っている、という方が真相に近い。レシートをきれいに打つための清書機械、つまりさっき説明した「セミIT」用の道具が主目的ではないんだ。目的意識から言うとデータ収集の方が主になっている。

「いったい何のデータを集めているの?」

--ぼくもコンビニの専門家じゃないから推測でいうけれど、基本的にはそれぞれのトランザクションの明細とそれにともなう属性情報だろうね。

「なになに? 急に日本語じゃなくなったみたい。」

--あ、ごめんごめん。トランザクションて言葉は、つまり個別の取引のことを指す。

「取引。」

--そう。まあ会計学風には、価値と対価の交換とかで定義されるんだろうけれど、もっと平たく言えばモノやお金が移動するときの毎回の記録と思ってくれればいい。
 たとえばコンビニの買い物ならば、お客さん一人が一度にする買い物のことだ。一人で10個のモノを買うかもしれないけれど、それを1回のトランザクションという風に考える。それは1枚のレシートにまとめて印字される。10個の商品がすなわち明細だ。

「はあ。」

--その取引にともなう属性情報ってのはね、んー、なんだ、つまりその取引を特性づけるような種々のデータ項目のことであり・・

「あのぉ、まるで国会答弁みたいで、あいかわらずぜんぜん日本語になっておりませんわよ、先生。」

--ここらへんのことって、なんだか日常用語でひどく説明しにくいなあ・・日本文化のエア・ポケットなのかしらん。えーとね、具体例でいうと、その取引が何時何分に行われたかとか、どのレジで受け付けられたかとか、売り手の担当は誰だったかとか・・

「あ、お金とは直接関係ないけれど、その取引の状況を説明してくれるような補助的な情報ね。だったら最初からそういえばいいじゃない。あなたの頭が弱いのは日本文化のせいじゃないわ。」

--そりゃどうも。とにかくそういった属性情報の一つとして、買い手の性年齢階級があるんだと思う。

「やっとその話に戻りついたわね。そもそも何でコンビニは客の個人的プライバシーみたいなことを知りたがるのよ?」

--彼らはね、売れ筋分析をしたくてデータを集めているのさ。別にお客さんのプライバシーには関心がない。つまり君という具体的な人間の名前とか、電話番号とかにはね。
 ただ単に、20台の女性だったらどういう商品を良く買うのか、どんな商品と商品を一緒に買うのか、店には何時頃来ることが多いのか、一回あたりいくらくらい買い物をするのか、そういうことを分析しようとしているんだ。

「そんなことしてどうするの? だいたい、そういう売れ筋っていうのは、問屋さんとかの方がよく知っているんじゃないの?」

--案外そうでもない。卸という業態は、どちらかというとメーカーの品物を「おろし」て配送や集金を代行する形で発達してきた。おかげで、卸はメーカーとのつながりが強いところが多い。そのため、へたをするとライバルメーカーの商品は扱えなかったりして、公平な商品の売れ行きはつかめないことがある。
 その点、コンビニはどのメーカーの商品も公平に売る立場にあるから、データは細かいけれども正確だ。これをきちんと集計して分析すれば、こういう立地の店には、何時くらいの時間帯には、どういう客層相手の商品を置けばいいのか、すごく無駄なく分かるはずだろう、という信念があるんだ。こういうのを一般に、データを活用したマーケティングという。
 性別と年齢というのは、コンビニみたいな業態ではとくに大事なデータ項目だけど、お客さんに直接聞くわけにもいかないから店員のラフな判断で入力しているんだろ。君がたとえば会員制割引のカードでも使って買い物すれば別だけれど。

「あら、それだったら正確に分かるわけ?」

--もちろん分かる。だって会員に加入する際に、必ず住所氏名と生年月日を書かせるだろう? そういうデータは、必ず会員名簿のマスタ・データに記録されるから、君の会員番号をカードから読み取れば、後は自動的に性年齢階級は計算できるんだ。
 セブン・イレブンが会員制カードを使っていたかどうか記憶にないけれど、多くのデパートやチェーンストアが、会員制カードを宣伝しているのは、もちろん固定客がほしいせいでもあるけれど、そうすれば自分の顧客のデータベース・マーケティングに役立つ情報がとれるからでもあるんだ。

「はあー。なんだか住基カード番号より先に、コンビニ総背番号制が普及しちゃいそうな勢いね。」

--あちらは政府とちがって真剣ですから。まじめに頭使って仕事しないと競争に生き残れない。だからITの利用も進んでいるのさ。

「あら、急に我田引水ね。それじゃあ、セブン・イレブンのお店は、あのPOSレジっていうの? あれに毎日のすべてのお客の買い物データを蓄積してとっているわけ?

--それだけじゃない。そのデータをネットワーク経由で本社のデータ・センターまで送っているはずだ。あの業界の人たちはね、いわばデータに関してとてもハングリーな経営をしている。

「なにそれ?」

--データからできる限り情報を引きだそう、貪欲にしゃぶりつくそう、という姿勢さ。データはできる限り発生源で、発生時点に、速く正確に取ろうとする。それを処理し、保存し、集中化して、データとしての価値を高めている。そしてデータに基づいて次の経営判断をする。需要にマッチするように商品を供給すれば無駄がなくなる。
 だから、もしいまだに経験と勘と根性の3Kでやっている旧態依然のメーカーや卸がいたとしたら、コンビニに頭が上がらなくても当然かもしれないね。

(つづく)
by Tomoichi_Sato | 2010-11-11 22:12 | ITって、何? | Comments(0)

営業活動という名前のプロジェクト - そのリスクとリターンを考える

プロジェクト型の事業はふつう、初期には費用を使って、成功するとリターンを得るというキャッシュフロー構造をしている。言いかえれば、最初に投資が必要で、完了時に回収する仕組みである。受注型プロジェクトでも、最初は人件費や外部コストがかかり、成功裏の完了すると支払を得るわけだから、時間的な構造は同じである(会計的には「投資」扱いにならないとか、一部の「前払金」があり得るなど、細かな差違はある)。

いうまでもなく、多くのプロジェクトは失敗のリスクをともなっている。すなわち、初期の投資を回収できずに終わる可能性が(大小はともあれ)存在する。いま、プロジェクトの初期投資額をC、成功時の収入をSとし、かつ途中で中断失敗するリスク確率をrとすると、プロジェクトの生み出す価値の期待値は、非常に単純化して言うならば
 (1 - r)S - C       (1)
で表されることになる。これがプラスでなければ、そもそもやる意義はない。

さて、プロジェクトの投資主体が、自分では資金を持っておらず、また担保能力も有していない場合は、外部から資金調達しなくてはならない。このときは、貸し手の側から見ると、そのプロジェクト事業のリスクに応じて、一種の利子を要求することになる。貸し倒れの可能性があるからだ。利子は、最低でもデフォルト(=貸し倒れ)損失を上回るよう設定する必要がある。デフォルト状態に陥る確率は上記の通りrである。このとき、最低利子率Rは
 R = r/(1 - r)       (2)
となることを、前回(『戦略的プロジェクトとリスク・プレミアムの原理』)説明した。

無担保でお金を貸すようなことが世の中にあるわけ無い、とお思いだろうか? それが、あるのである。事業の将来収益自体を担保に取ることで、事前の担保無しで資金調達する手法だ。事業主体となる企業は特定事業目的の子会社(SPC)を作り、親会社の連帯保証無しで融資を求める。これをノンリコース・ローンと呼ぶ。プロジェクト・ファイナンスの分野の手法であり、海外の巨大エネルギー系プロジェクトなどで、ときどき用いられる。融資側は無論、プロジェクト事業のリスクについて詳細な評価をして利率を決める必要がある。世界でもこうした審査ができるのは、トップクラスの一部金融機関に限られる。日本では、東京ディズニーランドの事業を開始する際に、同様の手法がとられた事が知られている。

ところで、そんな大げさな話ではなく、どこの企業にも、失敗すると無に帰する投資事業が二つあるのである。その一つは、R&Dである。研究開発は、確かに投資だ。そして、必ず成功するとは誰にもわからない。まあ、失敗確率の低い「改善研究」だけに集中する企業はあるだろう。そもそもR&Dを持たない企業もある(米国には、経営者が引退前にボーナスを稼ぎたいがために、お金のかかるR&D部門を閉鎖してしまうケースさえある!)。

そして、もう一つ、もっと日常茶飯的に、非常に大きな失敗のリスクをともなう仕事がある。それは営業における案件の受注活動である。顧客がある案件の引き合いをかけてきた。ライバルのX社・Y社にも声がかかっているようだ。しかし売上低迷の折、ぜひともこの案件はものにしたい。御見積書にきちんとした技術提案書をつけて、ベスト・プライスでオファーしよう。こんな光景は今どき、どこの企業でも見られる。なにしろ、見込生産で製品を大量に作っておけば、端から売れていった時代はとうに終わっているのだ。

受注活動それ自体を、一つのプロジェクトと考える。これはある意味、ごく当然なことである。では、その収支はどうなっているのか。そしてそのリスクは?

そこで、ちょっと考えてみよう。今、受注金額1000万円クラスの案件があるとする。原価をざっと積んでみると700万円であった。うまく受注できれば、300万円の利益が出る。では、この案件の受注活動には、いくらまで営業費用をかけられるだろうか?

式(1)で言うなら、将来収益S=300万円である。一方、初期投資額C=営業費用になる(受注しなければ製造原価700万円もかからない点に注意)。では、失注確率rは? もし顧客が恒常的に3社合見積をとっており、かつライバルとの実力が拮抗しているなら、受注確率は1/3、失注確率r=2/3=0.67となる。単純に考えれば、(1)式がプラスになればいいのだから、
 (1 - 0.67)(300万) - C >= 0 すなわち、C <= 100万円
で、営業費用は最大100万円まで許されるように思うだろう。

ところが、この案件を失注したときのリスク費用がここには抜けている。リスク費用は、利率と投資額の積R・Cで表される。つまり、無担保投資の場合、式(1)は次のように修正しなければならない。
 (1 - r)S - (1 + R)C >= 0       (1')
これと、先ほどの式(2)を組み合わせると、次の条件式が得られる。
 C <= S・(1 - r)^2             (2)
ただし、^2は2乗の意味である。これに先ほどのS=300万、r=0.67を代入すると、
 C <= 33.3万円
という事になる。営業費用は、最大で33.3万円しか許されないのである。

ということは、何を意味しているのだろうか。勝率が1/3の賭け、いや、「受注活動プロジェクト」に投下できる費用は、粗利益の1/9以下にしなければならないということだ。上記の例では、製造原価に対する販売費比率は4.7%以下となる。それ以上費用をかけていると、企業全体では失注リスクのためにマイナスになってしまうのだ。では、あなたの会社の販売費比率は平均でいくらだろうか? そして失注確率は?

ちょっと待て、その論理はおかしい。会社が営業活動の費用に対して「利息」をチャージする意味など無いはずだ。なぜリスク中立であらねばならないのか? 営業部門の経費は固定費として予算化されているではないか。そもそも、営業費用などせいぜい電話代と交通費程度だから、個別案件に33万なんて使うわけも無い--こう反論される方もいるかもしれない。しかし、それは営業部門の直接経費だけを見た場合である。受注生産の場合、見積を行うためには、必ず技術部門や生産管理部門の手伝いが必要となることを忘れてはいけない。技術提案書を作るには、ライン部門の人を動かさなければならず、その人件費は会社が負担しなければならないのである。

ちなみに33万円なんて、ちょっとしたクラスのエンジニアなら2週間以下の工数相当である。あっという間に使い切ってしまう金額だ。まして、製造部門が子会社だったら、どうか。あるいは、海を渡ったアジアの別会社だったら? その失注リスクは、誰が負担するのか。

しかし、見積に人件費を使うから、それを支払ってくれ、と要求しても、たぶん大方の営業部門の答えはNOだろう。「見積は無料に決まっている!」と営業本部長あたりに怒鳴られて終わりである。その結果起こるのは、製造部門の見えないコスト上昇だ。見積失注負担をどのように扱うかは、その企業の原価管理のやり方によって違うが、多くは不稼働損の形で原価差額に期末に繰り入れるだろう。つまり、ライン部門の人は誰も知らぬうちに、いつのまにか部門全体の単価が上がる形で処理されるのである。

こうして、「どうしてウチの製造部門は高コスト体質なんだ!」「だから仕事が取れないんだ!」と営業や本社が怒る状態が出来上がる。元はといえば、失注リスクに伴う見えないコストを、製造ライン部門につけ回した結果で起きたのに。

この問題を解決する方法はあるだろうか。少なくとも、わたしの思いつく答えは一つである。それは、「ムダな受注活動プロジェクトには工数を投下しない」ことだ。受注の見込のない案件には費用を使わない。案件の確度が高まるまでは人件費を投入しない。そして全体の受注確率を上げることである。(2)式では使って良い営業費用は受注確率の2乗に比例する。上記の例で、もし受注確率が1/2なら、C=75万円、確率が0.7なら、Cの上限は150万円近くなる。

受注確率を上げるとは、すなわち案件の状況を冷静に見て、無駄な戦いは省くということである。戦いを略すこと、これを戦略という。もう一度聞こう。あなたの会社の販売費比率は平均でいくらだろうか? そして平均受注確率は何%だろうか? こうした数字を、営業部門は客観的に把握しているだろうか。それこそが、高コスト体質改善の第一歩となるはずである。
by Tomoichi_Sato | 2010-11-07 19:32 | リスク・マネジメント | Comments(0)

「ITって、何?」 第6問 バーコードには何のデータが入っているの?

<<あらゆるものに背番号をふる>>


「ねえ、それじゃ次の質問。
バーコードはデータなの?」

--な、なんだい、その質問? 悪いけどぜんぜん意味が分からない。

「だからさあ、なんて言ったらいいのか・・セブンイレブンとかで、買いに来るお客さんの歳とか男女の区別までデータとしてとってる、っていうじゃない。」

--たしかにセブンイレブンは客層の性別と年齢階層のデータをとっているよ。

「そのデータって、バーコードの中に入っているの?」

--おいおい、ちょっと待てよ。かりに君がセブン・イレブンでチョコレートかなんか買ったとするだろ、ね? 考えてもみなよ。チョコレートの包装紙にはバーコードが工場で印刷されているわけだ。そのチョコが、どうして君というこれこれの年齢の女性に買われる、って事前に分かるんだい? そんなの分かる訳ないだろう。

「そっかあ。だとしたら、あのバーコードには何が入っているの。」

--バーコードには製品の背番号が入っているのさ。

「この製品は何番目に作りました、とかっていう番号? そういえばパソコンの後ろ側とかにもついているわ。」

--いや、そうじゃない。それはシリアル番号といって、製品ごとに一個一個違う番号だ。そういう番号をバーコードに刻んでいるものもたしかにあるけど、それは例外さ。
 ふつうコンビニに売っているような商品のバーコードは、その商品の種類を示す番号なんだ。同じ種類のチョコならどれも同じバーコードがついている。だからチョコの包み紙に印刷できるんだ。一個一個みんな違っていたら印刷できないだろ。

「じゃあチョコの商品名とか、値段とかが入っているの?」

--名前じゃなくて、コード番号さ。数字そのものだ。ふつう13桁の数字になっている。バーコードの下をよく見ると、小さく数字が印字されているだろ? その数字がそれさ。

「数字なんてあったかしら。ちょっと待って、バッグにチョコが入っているから確かめてみる・・。あ、ほんとだ。数字があるわね。たしかに13桁並んでる。今まで気がつかなかったわ。」

--それでわかったでしょ? コンビニのレジはその番号を読みとって、商品名や値段をレシートに印刷できるんだ。

「でも、どうして名前や値段そのものを打ち込まないの? その方がわかりやすいじゃない。」

--値段は安売りとかまとめ買いの値引きとかがあるから、メーカーの希望小売価格と実売価格は一致しないことが多い。だからメーカーが印刷しても意味ないんだよね。値段は売る店が決めるから。

「わかったわ。でもどうして商品の名前じゃないの?」

--名前はね、まず長すぎる。「ハーゲンダッツ・アイスクリーム・チョコレート味」なんて調子で、軽く20文字とか30文字になっちゃうだろ。バーコードは目立たない程度のスペースにおさまる必要がある。
 それよりももっと大事なことは、名前だけだと、同じ名前がダブる可能性があるんだ。たとえばカセットテープなんていろんな会社が出してるだろ? 「カセットテープ74分」なんて名前だけじゃ、どこの製品だかわからなくなっちまう。当然値段も分からなくなる。

「そうするとあのバーコードは同じ種類のカセットテープでも会社ごとに違うわけ?」

--左様です。細かく言うと、あの13桁は、まず最初の2桁が国番号をあらわしている。日本ならば49か45。日本の会社の製品はほとんどたいてい49からはじまっている。

「どれどれ・・あ、ほんと。」

--次の5桁が会社コード。そしてさらに5桁が会社ごとの製品コードになっている。最後の1桁はチェックディジットと言って、読み取り確認用の数字でそれ自体に意味はない。

「それで全部おさまるの?」

--5桁あれば00001から99999まで約10万種類の製品を持てる。ふつうの会社だったらまず間違いなくおさまる。こうすれば、どの会社の製品をとってみてもバーコードがダブって重なることはあり得ない。桁数には他のバラエティもあるけど、まあ似たような概念だから説明は省くね。

「ちょっと待って。そしたら、最初の質問に戻るみたいだけれど、バーコードって何のためにあるの?」

--レジでバーコードを読みとって、コード番号から商品名と値段を知るためさ。

「だってその商品名と値段はバーコードには入っていないんでしょう? 矛盾してない?」

--商品名と値段は、レジのマスタの中に記憶されている。

「なによそのマスターって。」

--マスターじゃなくて、マスタ。ITの世界ではマスタと短くいう。

「英語にしたら同じMasterなんでしょ? 何わけわかんないこと言って気取っているのよ!」

--どうもすんまへん。
 マスタというのは、台帳のことだ。辞書といってもいいかな。辞書の中には、まず製品のコード番号があって、それに続いて製品名とか、販売価格などのデータが入っている。つまりデータベースさ。データが決められた形式で集まってコンピュータ内に格納されているものだからね。
 
「コンピュータじゃなくてレジじゃない。」

--バーコード付きのPOSレジってのは、あれは実はコンピュータなんだ。パソコンと見てくれはずいぶん違うけれどね。

「ふうん。」

--そしてそのレジの中で、コード番号からマスタの辞書を検索して、商品名や値段を知る。辞書で綴りから意味を見つけるみたいにね。これを商品ごとにくり返す。最後に合計を計算してレシートを打つんだ。こういうひとまとまりのデータのやりとりのことをトランザクションという。

「でも、お客さんが、知らないバーコードのついてる商品をもって来たらどうするの? レジって世界中の商品を知ってるの?」

--店で売っているってことは、その前に必ず仕入れて売値を決めている訳だろ? そのときに店のマスタに、商品メニューとして登録するのさ。

「ということは、バーコードって、商品メニューからの選択肢なのね。」

--まさにご明察! だから、バーコードはたしかにデータなんだ。メニューからの選択肢はデータの最小要素だって説明したとおりに、ね。
 メニューから一つの種類の商品を間違えなく選び出すためには、名前ではやってられない。名前は長くて、あいまいで、おまけに重複する可能性がある。レジでいちいちキーボードから商品名を入力していたらどれほどあほくさく時間がかかるかわかるだろう? そんなことを避けるために、規格化された数字の並びを背番号として使う。背番号は絶対にユニークじゃなければいけない。
 
「ユニークって、特徴があるってこと?」

--いや、ごめん、ITの世界でユニークという言葉は、一つ一つ別々で重複がないことを意味する。その背番号をつかって、マスタという台帳に名前だとか仕入れ価格だとか売値だとかさまざまなデータを登録しておく。こうすれば、お客さんがもってきた商品の背番号さえ入力すればすぐに売値が分かる。
 しかし、背番号は無味乾燥で店員がとても覚えていられるものじゃない。だから、バーコードを印刷して、レーザー読取り機で一瞬のうちに入力してしまうという方法が普及したんだ。
 
「国民総背番号制みたいなものね。」

--まさにそのとおり。もし国民のデータを効率よく集中管理したかったら、名前でなんかとても管理できない。同姓同名は山のようにいるからね。だから背番号をつけようと言う当然の発想になる。

「アメリカなんか、社会保険番号ってのがあって、それが一種の背番号の役をしているのよね。」

--そうらしいね。で、日本では同じような目的で、住民基本台帳を元に11桁の『住民票コード』を何年か前に作ったわけだ。

「でも日本の住基ネットって、私、なんかいやだな。だって、あっちとちがって、お役所の権力が強いでしょ? 好き勝手なことをやられちゃいそうで。」

--それはね、でもITの使い方の問題だからね。役人に管理されたくないからデータ処理が不便なままにしておこう、ってのは、暴走族が来たら困るから川に橋を架けない、というのと一緒だと思うよ。
 だいいち、役所だけじゃなく、病院でも銀行でも、いやそれこそビデオ屋さんでも、とにかく顧客データを管理したいわけだろう? そのときに、国民共通の背番号があるとすっごく便利になる。

「あら、だって、住基カードって、引っ越したらまた新しく役所からもらわなくちゃいけないのよ。毎回変わるなんて、ばかみたいじゃない?」

ーーうーん、物としてのカードはそうかもしれないけれど、個人のコード番号自体は変わらないんだ、引っ越しても。
 それに、結局今だって、運転免許証の番号とか、パスポート番号とか、それに準じる背番号はいくらでもあるんだ。IT屋のぼくとしては、国民背番号に反対する理由は何もないと思う。

「でも、それでも、いやだな、私は。」

(つづく)
by Tomoichi_Sato | 2010-11-04 23:04 | ITって、何? | Comments(0)