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モジュラーとインテグラル - 製品アーキテクチャーの二つの方法

半導体製造装置の1つであるステッパーといえば、ながらく日本製品の独壇場というイメージが強かった。そのステッパー分野で、一時は世界市場の大半を占有していたキヤノンとニコンが、オランダ企業のASMLに敗れた話を耳にした方も少なくないと思う。1990年時点ではシェアが10%にも満たなかったASML社は、今や65%以上の世界シェアを握っている。

では、ASML社はどうやって勝利したのか。英エコノミスト誌の記事 "Japan's technology champions: Invisible but indispensable" (2009年11月7日号、 翻訳はこちらで読める→「技術立国日本のトップ企業」)によると、こうだ(以下抜粋して引用)。

「キヤノンとニコンは、製造するステッパーは部品を含め、すべてを内製化していた。そこでASML社は製品をモジュール式に設計し直し、各モジュールを専門企業に外注した。例えば、精密レンズはドイツのカール・ツァイスが製作した。『当社は、ニコン、キヤノンと正面から争うにはあまりに小さすぎた』と、'90年から2000年までASMLの社長を務めたウィレム・マリス氏は述懐する。そして、このモジュール化による設計思想こそ、ASML社がイノベーションを加速し、日本企業を凌ぐ原動力となったというのが、モリス氏の説明だ。

ASMLのオープン性は、単なる比喩ではなく、文字通りの形でも現れた。『例えばサムスンに納入した装置が壊れた時、日本人が20人やって来て、装置をテントで覆ってから修理をしたので、中で何をしているのか分からなかった』という。ASMLは正反対のアプローチを取り、顧客に問題点を見せ、その解決法を公開した。今でも、ニコンとキヤノンは閉鎖的なままだ。」(以上引用)

そして、エコノミスト誌はこう結論する。「両社(ニコンとキヤノン)は今やステッパー事業を統合する方が理にかなっているにもかかわらず、依然として別々に事業を行っている。」

同誌のこの結論が適切かどうか、私には分からない。少なくとも、このエピソードから、「オープン化・グローバル標準化が勝負を決めるのだ!」と決めつけるのは、即断にすぎるように思う(あわてて結論に飛びつく経済評論家も世間には多いのだけれども)。私の今回のテーマは、製品設計には二種類の思想ないし方法がある、という話をしたいだけだ。その二種類とは、モジュラー型のアーキテクチャーと、インテグラル(すりあわせ型)アーキテクチャーである。

製品の全体機能を単位機能に分解する。個別の単位機能に、それぞれ独立したモジュール部品を用意し、それらを組み合わせることで全体機能を実現しようとする設計思想を、モジュラー型アーキテクチャーと呼ぶ(ModularはModuleの形容詞形)。モジュールの組合せは、標準的に規定したインタフェースに準拠するように設計する。モジュールを交換することにより、さまざまな機能的オプションのバリエーションを可能とするのである。

モジュール部品は、それぞれがいわば機能的に自己完結した存在であり、小さな製品であるとも言える。だから上述のように他社から調達しやすい。

子供の頃、初めて我が家に「ステレオ」なるものがやってきたとき、それはターンテーブルから両スピーカーまで一体型になったステレオセットだった。LPレコードの溝から振動を拾い出し、電気的に増幅してステレオ音響に変える複雑な機能を持った総合的システムだ。しかし、ラジオやオーディオに詳しい友達は、「出来合いのセットを買うんじゃなく、別々のパーツを買って組み合わせてステレオをつくるのが進んだやり方だぜ。」と得意げに教えてくれた。

見せてもらったメーカーのカタログの中には、『モジュラー・ステレオ』なる商品があった。両側のスピーカーと、真ん中のターンテーブル兼レシーバーが別々になっていて、ケーブルでつながれている。スピーカーは自分の部屋に合わせて自由に置くことができる。そのとき初めて「モジュラー」という言葉を知ったのだった。友達はさらに、プリメインアンプだとかチューナーだとか複雑な専門用語を駆使して、“コンポーネント・ステレオ”なる概念を私に吹き込んだ。コンポとはすなわち、インテグラル型の製品だった初期のステレオセットを、モジュール化アーキテクチャーに置きかえたものなのだった。

コンピュータもまた、初期のインテグラル型から次第にモジュール型へと変化していった商品である。その典型が、IBM PCだった。もっと初期のパーソナル・コンピュータは、グリーンモニタとキーボードとCPU本体が一体型の製品が珍しくなかったのだ。IBM PCの成功は、あらゆる種類の周辺機器や互換機メーカーの成長・繁栄をもたらすことになった。同時期にAppleが導入したMacintoshは、非常にクローズドでインテグラル型の製品だったため、成長が遅かった。いや、そもそも、もっと昔のIBM汎用機の時代に、ハードウェアとソフトウェアの分離があったからこそ、今日のソフトウェア産業が成り立ったのだ。

こう書くとモジュラー型アーキテクチャーがつねに優位に見えるかもしれないが、インテグラルが競争優位であり続ける分野も多い。自動車は、すり合わせ型アーキテクチャーの代表例である。前にも書いたが、自動車の部品はすべて個別に専用に設計されており、カローラ用のシートはプリウス用のシートとは別であって、互換性はない。

インテグラル型の長所は、個別の製品特性に合わせて経済的な最適設計がなされている点である。モジュール化すると、規定されたインタフェースにあわせて設計する必要がある。このとき、どうしても余計なオーバーヘッドやマージンが入り込みがちになる。そのかわり、モジュール化された部品は互換性(汎用性)が高いため、全体としては生産量が増える可能性がある。また、複数メーカーでの競争もある。だから量産効果や競争で単価が下がることが期待できるとも考えられる。冒頭で紹介したオランダのASML社の戦略は、これだった。

ただし、モジュール化とオープン化は、必ずしもイコールではない。モジュール化しても、インタフェースや仕様を非公開のままとどめる方法もある。結局、モジュラーとインテグラル(すりあわせ)アーキテクチャーの最大の違いは、部品の『単機能化』、ならびに『交換可能性』(=自由度)の大きさという指標の違いに帰着するのである。

インテグラル型の製品では、複数メーカー間の部品の交換可能性が低い。ここから「純正部品」という考え方が生まれ、メーカーの「保証」に組み入れられる(無償修理の権利だけでなく、性能保証という面もある)。そして純正部品は利益率がいい。これがゆえに、インテグラル型製品では、本体価格を安くして、純正部品や保守で儲けるという戦略も生まれる。

ここで、前回書いたプッシュとプルを思い出してほしい(「プッシュとプル - サプライチェーンの二つの方法」)。モジュラー型の製品では、部品についてはプッシュ型見込生産に移行しやすい。一方、インテグラル型の部品は、基本的にプル生産に結びつきやすい(なにせ客先仕様で設計された部品であり、納品先は1社のみなのだから)。

このように、製品のアーキテクチャーには二つの設計思想がある。そのどちらが優位かは、商品の特性や市場環境によって異なり、正解はない。だが、どちらを選ぶかは、サプライチェーンや工場計画のあり方に、密接に関連する。製品アーキテクチャーが、生産システムの戦略を考える上で重要なゆえんなのである。
by Tomoichi_Sato | 2010-03-30 18:07 | サプライチェーン | Comments(2)

流れ行く情報

いまから約160年前の6月、ペリー提督ひきいる黒船が浦賀沖に姿を現した。彼の主目的は、開国を要求する大統領の親書を幕府に手渡すことだった。そういう意味では、ペリーの航海の最大の任務は「情報の伝達」にあったと言ってよい。

しかし、日本に来航した艦隊4隻のうち、3隻が測量船だったことは、あまり知られていない。じつは艦隊のもう一つの大きな任務は、江戸湾そのほか沿岸の測量と海図作りだった。

なぜ海図か。それは、海図が軍事行動のときにもっとも重要な情報となるからだ。だから、ペリーのもう一つの目的は、「情報の収集・集積」だったとも言えよう。

そして彼らは当初の目的通り情報を把握すると、その後、お得意の砲艦外交を行なって、有無を言わさず東洋の島国を開国させてしまった(軍事的威圧を背景にして小国を動かす砲艦外交は、ほとんどアメリカの国是といっていい)。

それから約90年後、日本を占領した米軍は、日本全土の地表をくまなく撮影して膨大な航空機写真をとった。これも、重要な軍事情報だ。彼らが発明した「戦略的爆撃」と称する、非武装市民の効率的な殺戮のためには、どんな平凡な飛行機乗りでも、あるアベレージの攻撃能力をもたせなければならない(ここら辺の発想がいかにもアメリカ的なのだが)。そのためには、正確な写真という情報の集積と分析が必要だったのだ。

ところで、話は突然かわって日本企業のことになる。日本のビジネスマンは地球の果てまで、ありとあらゆる国々で商売を広げてきた、栄光の歴史を誇っている。それで、その結果得られた膨大な海外情報というのは、どこにどう集積されているのだろう? それは私たち国民の共有財産となっているのだろうか。せめて、各企業内では、それなりに共有され分析し尽くされているのだろうか。

おそらく、そうではあるまい。これは推測だが、日本の企業は、情報の伝達には巧みでも、情報の蓄積分析は各人の名人芸まかせ、というところがあまりに多い。言いかえるならば、フローの情報はうまくさばいても、ストックの情報は大切にしない。

日本の企業が情報システムを導入する最大の目的は、業務の効率化だ。そして、情報伝達のスピードアップ。この目的意識は、90年代後半からのインターネットの進展にともなって、いっそう情報の流通速度の側にシフトしてきた。電子メールの普及は、それまで企業内で閉じていた情報のやりとりを企業間まで広げることになった。

しかし、日本の企業が情報システムを導入するとき、情報のストックとフローを意識して区別し、その両者を活用しようとしている例は非常に少ないと、私は感じている。

念のため注記しておくが、情報のストックとフローとは、データベース屋がいうトランザクションとマスタ、ではない。あくまでも、利用形態のことを言うのだ。すべてのトランザクション・データがコンピュータのどこかにたまっていっても、それが二度と見向きもされなければ、それはフローの情報と呼ぶべきだ。

仕事の情報が、流れ行く雲のように切れぎれになって地平線の彼方に散ってしまっていいのだろうか。情報は、何のために電子化するのだろうか。ネットワークにのせると電話やFAX並みに速く届いて便利だから? ちがう。それではITの便益の半分以下しか使っていない。

蓄積し、検索し、分析できること。それがデータの力だ。データの力を最大限に活用してはじめて、ITの価値を100%使っていることになるのだ。だから、今の日本の社会は、まだ脳細胞の半分以下しか活用していないかもしれない。

アメリカ人たちが組織的に何かを行なうときには、情報を収集し蓄積し、多角的に分析して有効に利用していく。そのシステマティックやり方は、ほとんどアメリカの文化にビルト・インされた本能のようなものだ。そして、この点においては、日本とアメリカの差は絶望的なほど開いていて、この百数十年間のあいだに縮まった形跡がない。

あなたがアメリカのことを好きか嫌いか、彼らを見習うべきと思うかどうかは、知らない。しかし、情報技術のほとんどの要素は、米国で生まれ育ったことは覚えておいた方がいい。そうなるのは、それなりの必然性が、文化の中にあったからだ。もしもあなたが、日本の情報技術を素晴らしいものにしたいと希望を持っているならば、あなたの企業がストックの情報を共有し分析できるように、そのことに価値を認めるように、宣撫していくしか道はないだろう。
by Tomoichi_Sato | 2010-03-25 23:56 | ビジネス | Comments(0)

プッシュとプル - サプライチェーンの二つの方法

大勢の乗客を乗せた豪華客船が深夜、氷山に衝突した。船体にはひびが入り、みるみる浸水が拡がっていく。乗客はみな甲板に上がり、救命ボートに乗り込もうとする。だが、救命ボートの数が足りない。こんな巨大な船が沈むはずがないと考え、スペースのためにボートの数を減らしていたのだ。女性と子供を、まず優先させなければいけない。

船長は一計を案じ、まず米国人の男性客達を見つけて、こう言った。「今、ここで率先して海に飛びこめば、あなたはヒーローになれますよ。」「そうか!」--米国の男達は、われ先に冷たい海に飛びこんだ。つぎに船長は、イギリス人船客の男達に、こう言う。「今ここで飛びこめば、あなたは紳士として尊敬されますよ。」「わかった」--英国人の男性達は威厳をつけて海に飛びこんだ。さらに船長は、フランス人の男性達に、こう言う。「今飛びこめば、あなたは女にもてますよ。」そういわれてフランスの男達はつぎつぎに勢いよく飛びこんだ。そして船長は、ドイツ人の男性達に、「皆さん、船から降りてください。これは規則です。」すると彼らは序列を作って海に飛びこんだ。

最後に船長は、日本人観光客の男性達のところにきて、こう言う。「さて皆さん。他の男の人たちはみんな海に飛びこみましたよ。」

・・だれが考えたジョークかは知らないが、一種の誇張された戯画とはいえ、私たちの傾向の一面を突いている。『隣百姓』という言葉があるが、私たちは何かと、周囲の人のふるまいを見て、自分のすることを調整する傾向が強い。

それは会社組織の行動についても、例外ではない。「ライバル会社は皆、そうしてますよ。」という言葉は、「そんなやり方、時代遅れですよ。」というセリフとともに、一種の殺し文句に近い。正しいやり方かどうかとか、効率的かどうかについては、我々は議論する。しかし、自分だけ取り残されることに対しては、本能的な恐怖感をもっている。それはある意味で、私たちの社会の協調性ないしチームワークの強さを作っている。と同時に、参入競争の激しさや、全員が同じ方向に流されやすい不安定さの原因でもある。

過去10年間というもの、生産マネジメントの世界では、『トヨタ生産方式』がこの国を席捲していた。なんといってもダントツ一人勝ちの会社であり、日本経済の牽引車と皆が考え、そのやり方を学び真似ることこそ、ものづくりの世界で生き残る秘訣と信じられてきた。であるからこそ、カンバン方式もセル生産もアンドンも、多くの工場に競って導入されてきた。いや、導入が試みられてきた。トヨタ生産方式が機能するためには、その商品特性をはじめとして5つの必須の条件があるのだ、ということを私はこのサイトでも、かつて書いた(「あなたの会社にトヨタ生産方式が向かない五つの理由」 2008/06/30)。だが、私のような一個人が私的ホームページで何を主張しようと、大きな潮流などむろん変えられるものではない。

トヨタ生産方式、あるいは「トヨタ流」生産方式の中心には、プル型の生産思想がある。需要に応じて、必要なものを、必要な量だけ、必要なタイミングに生産すること。すなわち、自分で勝手に需要を見込んで生産し、出来上がった製品を市場に押し込む(プッシュ)ではなく、実需で消費された分だけ、機敏に補充生産すること。つまり、市場に向かって下流側の製品引き取り(プル)を契機にして、上流側が部品を加工して補うこと。これがトヨタ流生産方式の要点であり、その指示ツールとして、カンバンが用いられる。と同時に、製造ラインは段取り替え時間を最小化して、品目の変化にすぐ追随できるようにする。ややこしい計画立案などしなくても、出荷を起点として、カンバンにしたがって工場を動かせば、余計なつくりすぎなど必要なくなる。まことに合理的なシステムである。

ところで、トヨタ自身は、最終製品である車両について、引き取り補充型の生産などしていないことは注意に値する。最終組立ラインは、実需にもとづいてはいるが、順序計画をたてて動かしている。むろん月間生産計画も持っている。トヨタの系列部品会社にさせていることと、トヨタ自身がやっていることは少し違うのだ。自動車業界のサプライチェーンの形を見ればわかるとおり、流通チャネルはメーカー別に系列化されており、車両メーカーは販売計画と生産計画の両方を自分で決めることができる。もう少し言い方を変えれば、トヨタを中心として、生産(供給)側はプル型で、販売側はプッシュ型で動かしているのである。

この点は、長年のライバルである日産と比べると、相違が引き立つ。これは伝聞だが、日産の製造の人は、あまり自社の販売力に期待を持っていないらしい。そこで、受注確定を起点にして、生産側が完全に追随する、という方式を理想としているようである。全サプライチェーンを、プル型で動かそうとの努力である。トヨタが、販売チャネルに対して、必要ならば引き取り義務を課したりして、生産量の平準化を保とうとするとする姿勢とは、対照的である。だが、そのおかげで、部品会社から見ると、日産の月別先行内示量は、トヨタの内示量に比べてばらつきが多く、あたらない、という現象が生じる。全社プル型では、すべて市場の需要まかせなのだから、内示(予測)など当たるわけがない。結果として、部品会社の方でも安全在庫を積みまして、需要変動から身を守る必要が生じる。

私は、どちらが優れていてどちらが劣っている、とここで即断するつもりはない。サプライチェーンのデザインは、その業界の習慣や製品の特性、また企業の実力や社内の力関係などによって、さまざまな解がある。ものごとを実現する方法は、一つではない。たいていの場合、複数の解があって、いずれの方法にも一長一短がある。それを客観的な目で公平に見て、もっともフィージブルと思われる方法を選び、それに賭ける。これが経営判断というものだろう。

ところで、複数の方法があるとき、無意識に一つの方法を選びとる傾向が生じる場合、我々はそれを『文化』という名で呼ぶ。生産マネジメントの分野で見る限り、私たちの社会は明確に「プル型」文化である。プッシュかプルかの選択肢があるとき、プル型を選ぶ。プル型とはつまり、上流側が下流側に合わせる方式、供給側が需要側に譲歩する方式、買い手側の主張にサプライヤー側が身を引く態度、である。下請けさんには泣いてもらおう--こう考えるのは(自分の都合を他人に押しつけるのだからプッシュ型みたいに思えるが)プル型の思考形態である。プッシュ型とは、自分の主張を、顧客に対して押し出すタイプを言う。「うちの製品は品質が高く、技術も優秀なんだから、買うのが当然だ!」こういう自己主張の強いタイプが、プッシュ型である(どこかの国のOSメーカーとか、ERPメーカーとかに、ありますね)。

だからプル型は受注生産に、プッシュ型は見込生産に向かう傾向が強いのも、当然であろう。何度も書いたが、日本の製造業の9割は、受注生産形態である。プル型の思潮に、とてもよく合う。ところが、トヨタ自体は、いわばプッシュとプルのハイブリッド型なのだった。そして、これは、自動車産業のサプライチェーンで正しく運用すれば、とても効率的な仕組みだった。正しく運用すれば、だが。

リーマン・ショック後の赤字決算につづく、リコール問題の噴出で、トヨタの威信が大きく揺らいでいる。おかげで、これまで陰でくすぶっていたトヨタ批判も、少しずつ口に出されるようになってきたらしい。私は、このサイトでの書きぶりからもお分かりの通り、トヨタという会社自体は好きでも嫌いでもない(ちなみに自家用車はトヨタではなくFIATのちっぽけな車に乗っている)。だが、無批判にトヨタのやり方を真似る事は意味がない、と主張してきたつもりだ。周囲のやっている方法に無意識に自分を合わせる--これもまたプル型文化の傾向の一つであろう。みんなが乗るからといって豪華客船に乗り込み、みんなが飛びこむからといって氷河の漂う寒い海に飛びこむのは、ナンセンスである。プルであれ、プッシュであれ、それを自分の頭で考えて、選び取るべきなのである。
by Tomoichi_Sato | 2010-03-22 12:43 | サプライチェーン | Comments(0)

"Time is Money"

ほぼ同等の品物ならば、安い方を買う--たいていの人は、こういう経済原理で動いているはずだ。そう考えるから、メーカーは1円でも安い製品を売り出すために、懸命な努力を重ねつづける。より効率的な生産方式と工場設備、より安価な労働力、より廉価な部品・原材料を求めて・・・。そうした努力が、しかし結局、何をもたらしたか? 

最終製品メーカーが安価な部品を求めて海外生産・海外調達に急速にシフトしたため、国内の部品メーカーは追いつけずに、大きな打撃を被ることになった。国内製造業の空洞化現象である。今のところ、それでも最終組立ラインは日本国内に持っているメーカーがほとんどだが、それさえ次第に変わりつつある。大手自動車メーカーがタイ製のモデルを輸入販売したり、大手家電メーカーが中国製の液晶TVを国内販売しはじめたことは、そのはっきりした兆しの一つかもしれない。

しかし、本当にいつでも安い製品・部品を買うべきなのか? そうした問いを、立ち止まって考える人は、あまりいないようだ。実は、答えは「ノー」である。高い製品の方がいい場合があるのだ。いや、高品質・高価格、という詰まらぬ話をしているのではない。ほぼ同等な仕様でも、高い方が選ばれる場合があるのである。

世の中には客先の注文を受けて作るような商品、つまり個別受注生産の市場がある。大型の産業機械や建築・設備、情報システムなどがそれで、筆者の勤務先であるエンジニアリング会社の商売(プラントの設計・建設)も、その典型の一つである。こうした一品受注生産の業種では、買い手は「価格」以外に重要な評価項目を持っている。それは「納期」である。そしてしばしば、納期は価格以上に重要になる。

なぜ買い手にとって「納期」が重要か。それは、こうした品目が「生産財」であるからだ。買い手は、自分自身が何らかの生産行為をはじめるための必要条件として、こうした生産財を注文している。モノが早く納入され工場やシステムが完成すれば、それだけ自分は早く生産を開始できる。それは買い手自身の競争にとってきわめて重要な意味を持つ。ときに、いや、ほとんどしばしば、B2Bの生産財の世界では“どれだけ早く生産を開始できるか”の方が、“どれだけ安く生産設備を入手したか”よりも、マーケットの競争にうち勝つのに、大きな貢献をする。たとえ工場の建設費が1割高くても、他の競争相手よりも3ヶ月先に生産体制に入れれば、大きな利益を手にできる--こうした数字の比較は、生産にたずさわるプロジェクト経済分析を冷静に行なえば、明らかなことなのだ。

それにもかかわらず、ほとんどの生産財メーカーが安値競争のたたき合いで受注しようと必死になる。愚かなことではないか。他の競合相手と納期が同等だったら、むろん安い方が良いに決まっている。問題は、そんな価格の土俵に上がって仕事をとろうとする、営業戦略のあり方そのものにあるのだ。

もしも、戦略を「より安値」ではなく、「他より高くても良いから、劇的な短納期を」と設定し直すことができれば、ドラスティックな発想の転換ができる。生産財メーカーは、安価だが納期の不確実な海外資材調達より、品質が良好で確実に納期が早い日本のサプライヤーからモノを買う方が有利だ、と考えるようになるだろう。安値の労働力を求めて、むりやり詳細設計の作業を中国やインドに発注する必要がなくなることに、気づくだろう。コミュニケーションのスピードや正確さからいって、気心の知れた日本人同士、母国語でしゃべるのが一番いいに決まっている。面倒な契約文書も通関手続きもみんな不要だ。

そして、何よりも、他より高価格でモノを売れる。確実に利益を手にすることができる。タイム・イズ・マネー。解くべき問題は、いかに低価格、ではなく、どうすれば時間を買うことが出来るのか、になってくる。これはもう、ほとんどコペルニクス的な視野の転換をもたらすのである。

ところで、じつは消費財の世界でも、やはり“Time is Money”の原則が存在する。こちらは、商品の短納期ではなく、「いかに需要変動にすばやく追随するか」という課題である。そして、この種の“時間の悩み”には、APS(Advanced Planning & Scheduling)を用いた生産スケジューリングが最大の特効薬である・・これこそ私がずっと主張しつづけていることだ。

しかし、かりにAPSで工場内の手番が多少は速くなったとしても、部品調達に時間がかかっていたのでは何もならない。そして、「なぜ部品の手配がこんなに遅いんだ!?」「はい。安い部品を中国から調達しているので、しかたがないのです。」という問答が企業内で繰り返されているようでは、スピードなど絵空事だろう。サプライチェーン全体の機敏さをどう生み出すか、が鍵なのだ。

もう一度、繰り返そう。時間こそ収益の鍵である。そしてこの問題を解決できれば、1億2千万人が路頭に迷うのを、確実に防ぐことができるはずなのだ。
by Tomoichi_Sato | 2010-03-17 23:35 | サプライチェーン | Comments(0)

工場計画論(5) BTOと製品アーキテクチャー

前回は生産形態の区分として、「見込生産」(MTS)、「繰返し受注生産」(MTO)、「個別受注生産」(ETO)の3種類について説明した。この3種類を比べると、在庫リスクと納入リードタイムのトレードオフ関係が成立していることが分かる。見込生産は納入リードタイムは最短となるが、在庫リスク(売れ残りや陳腐化のリスク)は最も大きい。その対極にあるのが個別受注生産で、製品在庫は無いし原料在庫も(ほぼ)不要だが、そのかわり受注から出荷までのリードタイムは最長となる。

では、ちょうどいいバランス点はないのか、という疑問に対する一つの答えとなるのが、第4の生産形態=「受注組立生産」である。受注組立生産とは、部品をそろえておいて、客先からの注文が入ると、すぐに組み立てて出荷する生産形態を指す。それって繰返し受注生産とどこが違うんだ、と疑問に思われるかもしれない。違いは、二つある。

第一に、受注組立生産では、サブモジュールないし加工組立を終えたサブアッセンブリの形で、在庫を持っておく。だから注文を受けたら、最終組立工程だけ済ませて、すぐに出荷できる(たいていは1日以内)。一方、繰返し受注生産の場合は、注文を受けてからキーとなる部品の引当手配をかける。サプライヤーからの調達リードタイムが加わるため、どうしても全体リードタイムが長くなる。かりに原材料及びローレベルの部品はすべて常備品として在庫しておいたとしても、加工・組立工程が入るため、やはりリードタイムは受注組立生産よりも長くなってしまう。

この違いはちょうど、昔からの鰻屋と、現代風の食堂のようなものだ。古風な鰻屋は、客の注文をきいてから、鰻をさばきはじめる。それから串をうって、蒸して、焼いて、タレをつけて、丼やお重に盛って、と工程が続く。注文してから出てくるまで3, 40分かかるのが普通だから、客はその間、つきだしと小料理か何かで酒を飲みながら待っている。とおろが現代の客はそんなに悠長ではない。したがって、鰻丼のメニューを出す食堂では、先にさばいて白蒸しにする工程まで済ませ、在庫しておくのである。注文が来たらタレ焼きにして盛付けて、すぐ「お待ちっ」と出せる。この現代風のやり方こそ、『受注組立生産』なのである。

受注組立生産を英語では普通、Assemble to Order=ATOと呼ぶ。受注組立生産は、在庫リスクをある程度抑えながら、短い納入リードタイムを実現できる。Dell Computer社は、このやり方を同社のネット直販方式と組合せ、受注当日出荷・翌日配送(地域によるが)を売り物にして大いに市場シェアを取った。Dell社がこのやり方を、あえてBuild to Order=BTOと呼んで違いを強調したこともあって、今日ではBTOという用語の方が広く普及しているようだ。

先日の「工場見学ほど面白いものはない - K歯車工業に学ぶ」で紹介したK社も、標準歯車に若干の追加工を施した『追加工品』を収益の一つの柱としている。標準歯車は、工場で見込生産して、常時ストックを数千種類持っている。そして、客先からのオーダーにしたがってボスだとか穴あけだとかの追加工を行い、当日出荷する。この「受注当日出荷」の能力を競争力の源泉として守るために、あえてトヨタ系のやり方に固執するJITコンサルタントと喧嘩してでも、受注時間帯の制限を設けなかったというエピソードこそ、BTO方式の価値を象徴している。

現代風の食堂のみならず、カウンター式の鮨屋やラーメン屋の屋台なども、みなBTO方式である。つまりBTOは、「一人屋台生産方式」と非常に親和性が高いのだ。

むろん、古風な鰻屋の場合でも、生きた鰻という原材料だけは、ストックしている。注文を聞いてから、おもむろに川に釣りに行く鰻屋はいない。そういう点では、繰返し受注生産と受注組立生産の違いは、どの段階の部品材料をストックするかの違いとも見える。

そもそも原材料から製品までのサプライチェーンを考えた場合、たとえば鉄鉱石からはじまって、それが銑鉄になり鋼板になり、裁断・折り加工を経て板金の部品になり、さらにそれが組み立てられてパソコンのボディとなり・・という長い連鎖を持つ。このサプライチェーンのうち、最上流は必ず見込生産で進められる(それがたとえば鉄鉱石の採掘である)。一方、最下流は、マーケット・インとマス・カスタマイゼーションが主流の今日、ほぼ確実に受注生産となっている。この、見込(プッシュ型)と受注(プル型)の接合点が、すなわちその部品の最大の在庫ポイントとなる。この点を、「カップリング・ポイント」と呼ぶ(日立製作所の光國氏の命名による)。

だから、古風な鰻屋(繰返し受注生産)と現代風の食堂(受注組立生産)との相違点は、単にカップリング・ポイントの違いだけのように思えるかもしれない。ところが、そうではないのである。なぜなら、両者では、蒲焼きの味が違うからだ。

いや、これは冗談で言っているのでは無いのである。鰻は白蒸しにして置いておくと、時間が経つうちに、風味も歯ごたえも抜けていってしまう。だから、味で比べたら、古風な鰻屋の方が普通はずっと美味しい。

つまり、在庫という行為は、それ自体にいろいろな制約があるのである。だから、繰返し受注生産の在庫ポイントだけ移動すれば、すぐBTOに移行できるかというと、そうはいかないのである。BTOを実現するためには、組立すべきサブモジュールが、在庫可能で、簡単には劣化せず、ひどく場所ふさぎでもなく、かつ種類が無制限に増えない保証がなければならない。

とくに最後の条件は重要である。たとえば、工業用の熱交換器を考えてみてほしい。圧力も、流量も、使用条件も、流体の温度や腐食性も、非常にバラエティに富んでいる。組合せの数をちょっと考えてみても、かるく百万種くらいはいきそうだ。大きさも伝熱能力によって千差万別、数十cmから数十mまでありえよう。そのための主要部品を全部そろえて在庫しておけるか? とうてい無理である。

熱交換器のような種類の製品では、主要な仕様のバリエーションを、限られたモジュールの組合せだけではうまく表現できない。パソコン製造でできることが、熱交換器の製造ではできない。これは、パソコンという製品の設計思想が、そもそもモジュラー化した機能部品の組合せとして出来上がっているから可能なのである。

製品の設計を、比較的少数の単機能型のモジュールの組合せで表現しようという考え方を、『モジュラー型の製品アーキテクチャー』と呼ぶ。これに対して、個別部品の細かなバリエーションの組合せによって表現する考え方を、『インテグラル型の製品アーキテクチャー』と呼ぶ(インテグラルを日本語では「すり合わせ」ともいう)。BTOは明らかに、モジュラー型アーキテクチャーを要求するのである。もし、ある製品をBTO生産形態で作りたければ、その製品アーキテクチャーから考え直さなければならない。これが、繰返し受注生産とBTO(受注組立生産)の第二の、そして一番重要な相違点なのだ。

BTOの工場と、繰返し受注生産の工場とでは、レイアウトがかなり異なる。それは、部品在庫の量や種類や工程の数が違う以上、当然のことだ。“部品表(BOM)を見れば、工場を見なくても、そのレイアウトがだいたい分かる”と拙著「BOM/部品表入門」に書いたのは、このような理由による。もちろん、BOMを見れば、リードタイムもだいたい想像がつく。

より良い工場を計画するためには、製品アーキテクチャーすなわち製品の設計思想まで立ち返って、再検討する必要がある。意外かもしれないが、これが生産システムにおける真実なのだ。だからこそ、設計と生産技術と製造の各部門の間に、お互いに十分な対話が成立するような、闊達な社内マネジメントが大事なのである。
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by Tomoichi_Sato | 2010-03-14 16:03 | 工場計画論 | Comments(0)

マス・カスタマイゼーションとは何か

単一仕様の製品を多量生産するのではなく、個別仕様の製品を大量につくる業態をマス・カスタマイゼーションと呼ぶ。マス・プロダクション(大量生産)とカスタマイゼーション(注文生産)の混合からきた用語である。今日の『マーケット・イン』、すなわち市場のほしがる商品をつくらなければ生き残れない状況下で、必然的に生まれた考え方だ。

世界で初めて自動車の量産をしたヘンリー・フォードは、黒色のT型フォードという、ただ一種類のモデルのみを販売した。「顧客の望む色はどんな色でも売ります--それが黒である限り」という、彼の有名な文句はこの時に生まれた。それ以前の注文生産的な(つまり特権階級向けの)自動車製造方式ではなく、大量見込み生産・薄利多売を可能にするためには、製品モデルを一種類にしぼることが条件だと、彼は見抜いたのである。

この販売方式、今風にいえば“ビジネスモデル”は大成功し、フォード社は安価な製品で大きなマーケットを獲得した。そして、ベルト・コンベヤーを用いた流れ作業・分業体制による大量生産は「フォード・システム」と呼ばれて、世界中に広まった。チャップリンが映画『モダン・タイムス』で風刺した単調な労働のはじまりである。

しかし、自動車が完全なコモディティとなった今日では、単一モデル販売では競争に勝つことができない。多様な消費者ニーズに柔軟に対応しなければ、消費者という王様には販売できないのだ。しかし、今さら一品注文生産の悠長な時代にはもどれない。それではどうするか。

このために導入されたのが、製品にさまざまなオプション=選択肢をつけ加えることであった。たとえば自動車であれば、外装の色、インテリアの仕上げ、変速がマニュアルシフトかATか、エアバッグの装備、搭載オーディオ機器のグレードなどなど、かなりの種類のオプションを購入者が選べるのが普通だ。こうして、顧客の細かな好みに合わせていくことが可能となる。

このような製品オプションの導入は、じつはコンピュータ産業でも同じだった。初期の汎用機は注文生産だった。やがて「Apple II」や「IBM PC」といった安価な単一モデル導入によって、大衆向けの市場が作りだされた(むろん、技術革新による小型化も忘れてはならないが)。しかし今日では、PCはCPU速度やディスク容量・メモリ容量など、多数のオプションを選ぶ商品になっている。

このように、一つの産業が揺籃期から普及期へ、そして成熟期へと進化するにしたがい、個別受注生産から見込み生産へシフトし、そしてまたオプション選択の受注生産へと戻っていくパターンが見られる。製品オプションを活用した、このような擬似的注文生産こそ、「マス・カスタマイゼーション」の中心的思想なのである。

オプションを活用した受注生産と、初期の一品注文生産とは、大きな差がある。それは「モジュラー化」の考え方だ。モジュラー化とは、標準的なモジュールの組合せによって、選択のバリエーションを作りだす方法である。これは、すべての部品を注文仕様に合わせてゼロから設計していく、個別受注生産とは根本的に異なっている。注文住宅と、プレファブ住宅の違いと言ってもいい。モジュラー化によって、必要な部品やサブ・アセンブリーをある程度大量に生産しておくことができるようになる。製造コストが下がるばかりか、注文から納品までのリードタイムが圧倒的に短縮される訳である。

ただし、マス・カスタマイゼーションの方式には、困難が一つある。それは、製品在庫を持ちにくい点だ。製品のバリエーションが無数にあるから、それらをすべて製品在庫として持っておくことはできない。個別の注文が確定しないと、製品の製造に取りかかれないのだ。緑色の車体を欲しいという顧客の注文を聞く前に、赤い車体を組立ラインに流しても、それは無駄な在庫になってしまう。

したがって、マス・カスタマイゼーションを実現するには、企業における生産計画とスケジューリング能力を強化して、短納期化を可能にする必要がある。それと同時に、モジュラー化に適した製品設計も必須となる。また、モジュラーBOM(モジュール化のための仮想的部品表)などの生産管理上の技法も必要となる。営業・製造・設計部門が、従来の縦割り組織の壁を出て、より緊密な協力関係を築かなければ、マーケット・イン時代を生き抜くことは難しいのは、このためなのである。
by Tomoichi_Sato | 2010-03-10 23:27 | サプライチェーン | Comments(0)

工場見学ほど面白いものはない - K歯車工業に学ぶ

埼玉県川口市という地名を聞いて、「キューポラのある街」などという言葉を思い浮かべるのはたぶん私よりもっと年長の、団塊の世代かその上の人たちだろう。キューポラというのは本来は丸屋根を指す言葉だが、転じて鉄を溶かす炉のことも指す。川口市は鋳物工業の街として高度成長期以前から長らく知られており、映画「キューポラのある街」もそれを舞台として昭和37年に製作された有名な作品である(私は未見だが)。もともと、荒川の砂が鋳物の型に適しているので、この地に鋳物工業と、その周辺業種が集まって栄えたらしい。

しかし今日、JR川口駅の前に立っても、オープンデッキの向こうにならぶのは商業施設と大型マンションだらけで、溶鉄炉の煙突など見る影もない。鋳物と言えば代表的な3Kの職場で、かつ大手企業があまりなく中小主体だ。人件費もそれなりにかかるから、バブル時代以降ほとんどの工場が立ち退き・移転・廃業したらしく、その跡地に集合住宅が建ち並ぶ現在の風景が出来上がったらしい。

しかし、川口のような「工業産地」から工業が全く無くなったかと言えば、そうではないのである。今日なお、先進的な工夫を凝らして頑張っている中堅・中小企業が、首都近郊のこの地で残っている。むしろ工夫のない企業が淘汰されて、優秀なところだけが残存者利益を享受している、というのに近いと、ある先輩コンサルタントは言っていた。

私の所属する『生産革新フォーラム』(通称「MIF研」)は中小企業診断士を中心とした研究会だが、年に2回の工場見学をずっと続けている点に特徴がある。都会で経営論だのシステム論だのの理屈だけを議論するより、具体的な工場を見学する方が、ずっと面白く勉強になるものだ。そのMIF研が見学先として今回選んだのが、川口市のK歯車工業であった。標準歯車を中心に製造する部品メーカーだが、標準と言っても分厚いカタログがあり、非常に多品種を作っている。従業員数約200名、年商数十億の、典型的な中堅中小である。そして、事実とても面白かった。

ちなみに、工場見学をしていると、人によって見るところが違うことに気づく。たとえば、工場見学の初心者は、たとえば自動溶接ロボットの動く工程だとか、整然と美しく広々した構内、あるいはコンベヤが連続して運び出す製品などに感心する。いわば、工場の目をひく付属品や印象を見ているのである。

ところが、工場見学の中級者は、別のところを見る。たとえば、NCマシンのラインと汎用機のブロックを分けてレイアウトしているな、とか、なぜ大型の自動切削機を2階においているのだろうか、といった点に注目する。建物の床には耐荷重(m2あたり500Kgとか1 ton等)という設計指標があり、これを大きくするには柱・梁を太くしたり補強を入れる必要があって、建築費が高くなる。だから重量のある機械装置はふつう1階におくのが工場計画論の定石なのだ。つまり、中級者は工場の構造に注目するのである。

そして、諸先輩の中でも上級者クラスの人を見ると、この工場は製造ロットサイズが大きすぎるんじゃないか、とか、構内は整然として見えるが通路脇に置いてある部品カゴに現品表がついていないな、といったことを指摘する。つまり、工場というシステムの動きと機能を見ているのである。だから、いろいろな人と一緒に見学に行くと勉強になる。

さて、K歯車工業の本社工場は、3階建てである(首都近郊にある日本の工場はどこでもそうだが、土地の制約があって平屋でなく多層階になる)。そして、面白いことに、2階にも重量のある機械を置いていた。案内していただいた社長は、建築費が上がることを承知の上で、そうしたと説明された。理由は、動線にある。大型歯車は1階で、小型歯車は2階で工程を完結できるようにしたという。おかげで、垂直搬送の物流がほとんど不要になっていた。

言うまでもないが、たいていの工場では、原材料の入荷と製品の出荷場は1階になる(トラックの到着口がそこにあるからだ)。そして組立や検査と言った軽量の作業は上層階に置かれがちだ。おかげで、保管→加工→組立→塗装→検査→出荷、という工程の間にかならず垂直物流が入り、レイアウトが複雑になってしまうばかりか、仕掛在庫が別の階から見えなくなって、どうしても工程間の同期がずれていく。K歯車工業はこれを避けて、わざわざフロア別のレイアウトにしたのである。多少の建築費の増大を飲んでも、これは賢明な決定だった。そして、こうした賢明な選択がそこここに見られるのである。

K歯車工業は、分厚い自社カタログの標準歯車の販売比率と、その標準品に多少の追加工を施したものの受注販売比率がほぼ同じだという。むろん、顧客の個別仕様による歯車も受注生産している。これは、創業者が「自社製品と受注生産とその他の商売の比率を3:3:3にしよう」と決めて以来の方針らしい(現在の社長は三代目)。言いかえれば、大量に生産できる自動車部品や家電部品の下請け生産は、あまりやっていないということだ。製造ロット数を聞いたら、追加工品は平均5個だという。非常に小ロットである。多品種少量生産の典型のようなものだ。

しかし、この方針のおかげで、大手メーカーの際限なき値引き交渉や、海外シフトによる下請け切りの被害を受けずに済んだのであろう。量産効果を望んで100%下請け生産に走らなかったのは、まことに賢明なことであった(むろん、これは日本の今日を知って振り返るからそういえるのであって、右肩上がりのイケイケどんどんの時代には、さぞ周囲から馬鹿にされただろう)。

この会社は、有名なJITコンサルタントに3年間指導を受けたという。そして、あれこれと勉強し、また悪戦苦闘もしたあげく、3年で「卒業」されたらしい。JITコンサルにもいろいろなタイプがいるが、はっきり言って下請けメーカー向けの現場改善は上手だが、工場の外側をも見通したサプライチェーンの感覚が乏しいケースが少なくないようだ。K歯車工業は、追加工品の小ロット飛び込み注文が多い。これが製造現場の手順をかき乱す要因になる。そこで、JITコンサル氏は「受注を受け付ける時間帯を制限しろ」と進言されたらしい。

しかし、社長は“飛び込み注文への対応こそ当社の競争力の源泉です”と主張して応じなかったとのことだ。こういう点が、しっかりした経営スタンスを感じさせるところだ。自社の競争力のあり場所を、良く認識している。「低コスト」でもなく、「技術力」一辺倒でもない。多品種とフレキシビリティが売り物で、だから他社よりも付加価値をつけて売れるのである。

当然、“中国製品や他の安価なアジア製品は脅威ではないのか”という質問もよくされるらしい。歯車(とくに精密な歯車)というのは、使ってみればその信頼性や安定性は分かる。それは加工精度だけでなく、使う金属素材自体の品質にもよっている。これらを含めて、日本製品はまだ、一日の長がある。

とはいえ、“使ってみないと、分からない人には分からない”のも事実だ。中国国内でも歯車工業の会社はいくらでもある。それどころか、「我が社は、アジアン・スタンダードの歯車は全部取りそろえて製造できる」と豪語した会社があったらしい。歯車のアジア標準って、何の事だ!? --そう疑って尋ねたら、「これがそうです」といって取りだしたのがなんとK社のカタログで、ご丁寧に社名のところだけ黒く塗りつぶして自社名にしている(笑)。「おまけに、近頃ではこういう事をするのが中国人ではなく日本人だったりする。情けないですよね。」と社長は語っていた。

ところで、見学した我々が一番感動したのは、実は工場現場ではなく、事務所の中だった。オフィスのデスクの引き出しに、姿置きをしているのである(写真)。

読者諸兄は「姿置き」をご存じだろうか。これは、製造現場などで、よく使う工具類を、整理するための工夫である。平置きの台の上に発泡スチロールの薄い板をしき、そこにニッパーやドライバーなど工具類の形のとおり切り込みを入れ、いつも同じ場所に置くようにする。使っている時はそこからとり、戻す時も、その位置に戻す。探す手間が無くなるし、あるかないか一目で分かる。工場の現場では、「5S」というスローガンの下、ブルーカラーの労働者に対して整理・整頓・清掃・清潔・しつけ(習慣化)を口を酸っぱくして説く。姿置きも「5S」の一つの手法である。

しかし、現場に5Sを命じるホワイトカラーの机と言えば、書類も文房具もごちゃごちゃで、どこに何があるのか当人も毎回探すような有様が珍しくない。K歯車工業はこれを正すために、オフィスでもペンやホッチキスなどの文房具の姿置きを実践しているのである。労働安全と環境整備は全社運動で、その責任者は事務部門にあり、ときどき社長にも机の中を見せてくれ、とチェックにやってくるのだという。まことに立派である。

この会社を見て、つくづく感じたことがある。それは、まともな経営をすれば、サステイナブルなビジネスを維持していける、という事実である。経済危機の影響を受けて、同社の売上も一時の6割程度まで落ち込んでいる。しかし、競争力のありかはしっかりしている。だから、経営は厳しくても維持できるのだろう。たしかに、大手の量産下請けをやらずに、標準歯車だけ売っていては、事業の急成長は見込めまい。でも、日本の製造業が再び回復し成長すれば、成長は、自然についてくる。それこそがサステイナブルな経営というものではないだろうか。
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by Tomoichi_Sato | 2010-03-07 22:34 | ビジネス | Comments(0)

書評 「ダメな会社ほど社員をコキ使う」 宋文洲

ダメな会社ほど社員をコキ使う(徳間書店・刊)

宋文洲氏は中国出身の元留学生で、今や著名な経営者である。構造解析ソフトを売るために創立した会社・ソフトブレーン(株)が、営業支援ソフトを主力商品に転じて以来、短い間に店頭公開から東証一部まで上場したことで、経営者としての才覚を、皆が知るところになった。

しかし宋さんは上場後数年を経ずして、そのソフトブレーン社の代表権を返上し、単なる顧問職に退いてしまった。「上場した会社は公器だ。いつまでも創業者兼経営者が牛耳っているべきではない」との信念からだ、という。たしかに、一般にワンマン組織は、その経営者個人の器を超えて大きくなることができない。だから、この出処進退の見事さはさすがだった。でも、たいていのワンマン経営者はそれができずに、老害や後継者問題で会社をぐちゃぐちゃにしてしまう。宋さんができた理由はなぜかというと、おそらく彼は何よりも、自分の信じる理念・原則に忠実なのだ。理念原則に忠実というところこそ、工学博士号をもつこの人を理解する鍵だと思う。

その宋さんが書いた本書は、ベストセラーになった「やっぱり変だよ日本の営業」と同様、非常に面白い。その面白さは、表紙帯に描かれたマンガが象徴している。社屋ビルが描かれ、最上階では社長が「まかせるから失敗すんなよっ!」と部長に向かって怒気をあげている。中階の部長は階下の課長に向かって「おまえが責任者だから考えろっ!!」と怒鳴る。その課長は正面入り口から一般社員(営業マン)の背中を蹴りながら、「甘えるなっ、結果がすべてだっ!!!」と叫んでいる。これぞたしかに、ダメな会社の典型である。

それぞれのセリフはどこでも良く聞くセリフだ。では、どうしてダメか。それは、結果だけを命じて、方法を示していないからなのだ。このような思考方法を「根性論」あるいは「精神主義」と呼ぶ。精神主義と計画経済(=命令経済)の2つは、文革で若いころ辛酸をなめた宋さんがもっとも嫌うものである。

日本的経営に共通する特質の一つに、「情報」の軽視がある。そんなことはない、情報は重視している、との反論はあちこちから聞こえそうだが、はたしてそうだろうか。現代日本では情報という言葉に、どちらかというと『情け』『報い』を読みとりたがる。しかし、本来は「敵情報知」の略語だったことを、本書で初めて知った。そういう意味では、情報軽視と言うより、「データ」「客観的事実」の軽視と言うべきかもしれぬ。とにかく、敵情を知らずに作戦を立てるのだから、精神論に陥るのは必然だろう。方法や手順などのプロセスは誰も教えてくれぬ。

前著は主に営業の非能率に焦点を当て、プロセス改革をといたものだったが、本書はさらに生産計画や本社管理部門までが対象になる。そして最終的には、「ダメなマネジメント」論に到達する。“まかせるから失敗すんな”という社長は、じつは何もまかせていないに等しいのだ。“失敗したら、骨は拾いに行ってやるよ”(腹をくくってやれ、でも見捨てはしない)というのが「まかせる」の意味なのだ。

とはいえ、「ダメな会社」の愚かさを真っ向から怒らず、笑いを武器にする点が何ともかしこいし、読んでいて楽しい。こき使われる毎日で、ガンバリズムや精神主義にあきあきしたら、解毒剤に本書を読むといい。もっと有効なのは、たぶん社長室の前の廊下にわざと本書を落としておく方法だろう。もっともまだ私は試していないので、だれかやってみてから効果を教えていただきたい(^_^)。
by Tomoichi_Sato | 2010-03-03 23:26 | 書評 | Comments(0)