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TBM(Tool Box Meeting)のすすめ

コミュニケーションの大切さは、ちかごろ強調されることが多い。それだけ、人と人とのコミュニケーションが難しくなったということだろう。「マネジメントの仕事とは、コミュニケーションにつきる」という風に言う人もいる。これはいささか単純化されすぎた表現だが、少なくとも“人を動かして目的を達成する”のがマネジメントの根幹である以上、この言い方にもたしかに一理はある。

とはいえ、「きちんとしろ」「大切にしろ」と言われても、具体的にどうしたらいいのか、なかなか分からないのが、コミュニケーションという代物である。出来の良いコミュニケーションとは、受け取った側が、理解できて、それに応じて行動をとれるようなもののはずである。だとしたら、そもそも「コミュニケーションを大事にしろ」という言い方自体、コミュニケーションとしてはあまり上出来ではない、ということになってしまう。

会社の課題やタスクを、大きな課題から小さなものへと階層的に分解する「課題展開法」という手法がある。ちょうど、製品を部品・材料に展開するBOMとか、プロジェクトをアクティビティやサブタスクに階層的に分解するWork Breakdown Structure(WBS)の手法に似ている。この課題展開法では、BOMやWBSと同様に、上から順に「レベル1」「レベル2」・・という風にレベルを数えていく。レベル1と言えば「売上の増大」「開発力の向上」といった大テーマが並び、レベル2ではそれが(売上増大だったら)「新規顧客の獲得」「既存顧客のリピート率増大」といった課題に展開され、さらにレベル3では新規顧客が「広告宣伝による知名度アップ」「展示会への出展」といった風に具体化されていく。こうしてだいたい、レベル4か5位におりてくると、手のつけようのある具体的タスクになるのである。

ところが、コミュニケーションについては、「コミュニケーション計画の立案」みたいな、レベル1の大課題か、さもなくばいきなり「メールのタイトルの付け方」みたいな、レベル5か6以下の“小技テクニック”みたいなものになりがちだ。中間段階が飛んでしまうのである。中間がないと言うことは、すなわち具体性を持った系統的指針がない、ということだ。まことに困ったことである。

なぜこうなるかというと、結局、「コミュニケーション」という言葉で、3種類の別の機能を区別せずに使っているからである。このことは以前にも書いたが、コミュニケーションには実際には「インスピレーション」「インフォメーション」「コーディネーション」の機能がある。そして、それぞれにふさわしい媒体ややり方があるのである。

インフォメーションとは、いうまでもなく、関係者間の知識や理解のギャップを埋めて、なんらかのアクションを促すような機能である。インフォメーションは情報量と正確性と、あとから再確認できるためのトレーサビリティが大事だ。だから、画像を使った電子メールとかFAXといった、(記録可能な)メディアが望ましい。一方向的でもいいから、放送メディアも手段の一つになりうる。

一方、コーディネーションとは、関係者間の価値認識や『仮説』のギャップを埋める機能である。たとえば客先への出張の日程を調整する、といった単純なことでも、資料用意に必要な準備日数や、資料の質や量、互いの空き時間、そして客先へのアプローチの態度などなど、さまざまな「作業仮説」が各人の頭の中にある。それらをすり合わせるのがコーディネーションだ。だから、電話など同時型媒体でのリアルタイムのやりとりが一番効率がいい。それがだめなら、Webのような非同期共有型のメディアを使うことになる。

そして、インスピレーション。これは意図しない閃きを生み出すためのものだから、フェース・トゥ・フェース以外に良い方法はない。

これらすべてを、一つのメディアでカバーしようとなると、どうしてもミーティング(+議事録)という方法になってしまう。これが、組織で会議が多くなる理由なのだろう。自分が働いている時間の何%を会議の時間が占めているか、皆一度は調べてみるといいと思う。ホワイトカラーの場合、25%程度あっても、驚きはない。

さて。そうなると、これらをどううまく混ぜて「コミュニケーションの生産性」を上げるか、が課題となる。そこで最近実践しているのが、表記のTBM=Tool Box Meetingである。

Tool Box Meetingというのは元々、工場などで、同じ作業区や職種の仲間が、朝一番に工具箱の前に集まって、今日の作業内容を確認したり、その日の職制伝達事項を連絡したりするために行う、5分か10分程度の小さなミーティングである。ある意味「朝礼」とも似ているが、道具箱の前で、数人程度が実際的な話し合いをするという点では、そんなに儀礼的ではない。

これを、プロジェクト・マネジメント・チームでも毎朝行っているのである。朝、始業時間から15分後にはじめて、5分間か最大でも10分間で終わる。その日の各人のミーティングとTo Doリストを簡単に確認し、ちょっとした連絡事項や、発見などを話す。ごくカジュアルなスタイルで、べつに議事録などもとらないし、負担になることもない。また、外注さんも一緒に働く職場では、その人達の作業内容や進捗確認にもなる。つまり、インフォメーションとコーディネーションと、多少のインスピレーションを、一緒に手短にやってしまうわけだ。

なんだかひどく原始的で前時代的に見えるが、これが案外効率がいい。とくに、できたばかりで方向性ややり方の定まらない組織では、皆のベクトルをそろえるのに効果がある。段取りの確認にもなる。何より毎朝だから、昨日言い忘れたことも今日また言えばいい。朝礼じゃないんだから、別に「スピーチ」もいらない。

唯一の弱点は、フレックスタイム制でコアタイムのない組織には向かない点である。まあ昨今、そういう優雅な(?)企業は減ってきているようだが。

念のため書いておくと、私は中間管理職だが、TBMは「カンリ」のためにやっているのではない。私自身、管理することもされることも嫌いである。人から管理されたくなければ、自分自身が自分のことをきちんと決めなくてはならない。TBMは自立した職人達の習慣だ。だから、皆、自分で自律的に動いていることを確かめるために、Tool Box Meetingをおすすめしているのである。
by Tomoichi_Sato | 2009-10-29 23:09 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

理系でもなく文系でもない

落語に、「紺屋高尾」という人情噺がある。吉原の高尾太夫の絵姿に一目惚れした紺屋の職人・久蔵は、太夫を一目見たい逢いたいと、死にものぐるいに3年間働いて給金を貯める。太夫といえば大名豪商しか相手にしない超エリートだから、大金を積まねば会うことなどかなわない。ようやく3年後、給金全額を懐に、知り合いで通人の医師に手引きされ、念願かなうべし、と吉原三浦屋にいく。労働階級など相手にされぬ格式ゆえ、野田の醤油問屋の若旦那といつわるのだ。しかし、手の指を見せればすぐに紺屋の職人だと知れてしまう。そこで久蔵はずっと懐手にしていなければならないのだが・・

士農工商の江戸時代では、「」に従事する職人の社会的地位は低い。しかし、商品経済にはこの逆順で近いわけで、実際には職人の収入はそこそこのものだった。私が聴いた噺では、久蔵は3年間必死に働いたあとで、親方に自分の給金がいくらたまったかをたずねる。すると親方が25両近くなっている、感心にもよく働いたものだ、と答えるのだ。つまり、働いた分に応じて給金が出る仕組みになっていたらしい。

もともと職人の給金は、出来高払いが基本であった。今風に洒落た言い方をすれば、「アーンドバリュー」にもとづいた、「成果主義」の賃金体系だったのである。そして、その賃率はそれなりに高いものだったらしい。昭和40年頃まで大勢の職人を雇って店をやっていた親戚の話を聞くと、腕一本でかなりの金を稼ぎ、またそれを大抵は飲んでしまうのがふつうであった。職人といえば親方の徒弟制度で技能を学ぶが、しかし雇い主との関係はむしろドライで、気に入らぬ事があるとプイッと辞めて他に移ってしまう。手に職があればこそ、独立独歩のメンタリティだったのだろう。

職人は専門職であったが、理系でも文系でもない。大学教育とは無縁だからだ。日本で職人仕事がそれなりに存続していけたのは昭和40年代いっぱいで、50年代になるとかなり低落しはじめ、バブル経済の平成に入ると完全に崩壊してしまう。かわりに高度成長期に増えたのは、固定給の会社員である(彼らは「月給取り」と揶揄された)。そして大卒の人間が、会社のホワイトカラー・管理職候補生として、採用される。

高賃金を得たければ、大学を卒業して知識を身につけ、企業に就職する--このルートをみなが目指したから、大学生の数は年々増え続けるばかりだった。学歴社会の誕生である。「何をどれだけ作れるか」ではなく、「どういう学歴で何年働いたか」が人間の地位や収入を決めるようになった。そして、ここで初めて、人間を「文系」と「理系」に分ける奇妙な思考が社会に定着しはじめたのである。

文部省は長らく、大学の学部名称と内容を規制していた。学部名称は「学士号」に直結しており、法学士や工学士はあれど、“コミュニケーション学士”や“コンピュータ学士”などは許されなかった。だからコンピュータ学部などというものも存在できなかったのだ。文部省は学生一人あたま年間10万円という補助金を与えることで、学校法人の経営を縛っている。名称とカリキュラムが自由化されたのはつい近年のことだ。役人の縦割り思考の中では、自由な学際などという発想は入り込む余地がなかったのだ。

この縦割り思考は、心理学が文学部に属し、人類学が理学部に、統計学が経済学部に属するような、不可思議な分類を許していた。マウスを使った実験による計量行動心理学がなぜ文学の範疇になるのか、それこそ心理学的には謎である。しかし入学試験の門戸は文系と理系に分けられていて、そこから先へはなぜか行き先が規制されるのだ。

大学入試の18歳の時点で文系理系を選ぶのは、たまたま数学の計算問題が苦手だとか、高校の世界史の先生と相性がよかったとか、その程度の理由でしかない。むろん、人間の人生は運とか縁とかで動かされていくものだと、言えなくはあるまい。しかし、ここにあるのはそういう高尚な諦念ではなく、ミカンを選別するためのコンベヤに似た、マスプロダクション教育の仕組みなのである。

私が文系・理系のどっちが得かといった論争を聞くたびに思うのは、人間を18歳の時点に二種類に分けて平然としている神経の不思議さである。「自分は文系だから・・」「俺はしょせん理系だから・・」などと言って自分を規定し、“だからITは知らなくても良い”とか“だから政治は興味がない”とか自己に許してしまう、怠惰さだ。なぜ自分にそんな分類や尺度を許せるのか。この地平線の端から別の端まで、地上に生起することで自分に無縁なものなど一つもない、というのがまともな大人の認識ではなかったか。

営業職や会計職の方が技術職に比べて生涯賃金が大きい、などと不平等を言い立てるのはおかしい。誰でも同じものが生産できるようにするため技術を使った。そして市場に大量の商品が供給できるようになった。そうしたら、ボトルネックは工場での生産技術から市場における販売に移るのは当然ではないか。成熟した工業化社会では技術屋は代替可能(リプレーサブル)で、その地位が低くなるのは、当たり前の推移なのだ。

それでも、人はパンのみに生きるにあらず、仕事が好きだと思えば技術屋を続ければよい。やっぱりパンが好きだと思えば、技術屋は辞めて経営管理職に専念するべきだ。経営職には本来、文系も理系もない。力関係があるだけだ。

面白いことに、近代的な経営工学の創始者だったテイラーの時代、労働者は出来高払い制度で働いていた。紺屋高尾の職人・久蔵と同じだ。テイラーの「科学的管理法」は、労働生産性を上げて、労働者に多くの賃金を払う結果をもたらした。経営工学は理系だろうか、文系だろうか? どちらでもない。それは合理的思考の産物なのだ。

では、私自身は理系だろうか、文系だろうか? 大学教育は「理工系」だった。しかし、私の自己認識は理系でも文系でもない。どだい、アナリストやプロジェクト・マネージャーの仕事は理系といえるだろうか。

たいていの中間管理職と同様、私の仕事は「複雑系」なのだ。
by Tomoichi_Sato | 2009-10-25 17:50 | 考えるヒント | Comments(0)

工場計画論(1) 立地論--工場はどこに行くのか

'90年代以来このかた、郊外にあった工場がポコッと消えて、その跡地に大規模住宅や商業施設が立ち並ぶようになる、そんな光景を何度も見てきた。いつもの見慣れた工場がある。それがいつの間にか操業を停止している。そしてある日、工事中の看板が立つやいなや、あっという間に更地になって造成されていく景色だ。

その逆を見たことのある人はいるだろうか? マンションやスーパーが取り壊され、近代的な工場が立ち上がっていく姿を。おそらくほとんど皆無だろう。なぜ一方向にしか変化は起きないのか。

それは、土地の単位面積あたりの付加価値産出量が違うからだ。土地一坪当たり、1年間に生むお金の量が違う。大都市近郊においては、商業の方が、工業よりもずっと月坪単価が高いのである。住宅販売や賃貸も同様である。

同じようなことは、じつは農地と工場との間にもあった。それは主に昭和の時代のことだから覚えていない人も多いだろうが、いつの間にか農地や林野が造成され、工場用地にかえられていった。なぜなら、農業や林業よりも、工業の方が、単位面積あたりの稼ぎが大きいからだ。農業は、太陽から降ってくるエネルギーを光合成で植物体に変えることで成り立っている。それが、電気と機械力で付加価値を生み出す工業に、面積あたりの稼ぎでかなうわけがない。

さらにいうならば、農業と工業と商業とでは、事業として必要とする最低限の面積もかなり違う。商業施設は、500m2もあれば立派な規模である。しかし、工場は1,000m2程度でも中小規模の感を免れない。ましてや農地は、3,000m2以下では零細である。しかも農地は「二階建て」にすることはできないのだ。方や商業施設はどんどんのっぽにできるのに。都市計画法その他の規制は割り引くとしても、土地の単位面積あたりの比較では、

 第1次産業 < 第2次産業 < 第3次産業
 
という優劣は歴然としてあるのである。

では、現代において都市を追い立てられた工場はどこに行くのか? その答えは、上の不等式の中にある。この不等式が成り立たなくなるのは、地方、とくに大都市が近くにない地域である。地域内に高い人口密度がないところでは、高収益な第3次産業は成り立たない。ここでは、工場がショッピングセンターに遠慮する必要はない。競り合う相手は農業だけだ。

ただし、農地は用水さえあれば成り立つが、近代工場は最低でも水と電気と交通のアクセスは必要だ。そこで、地方自治体によって造成された工場用地の出現と相成ったわけである。このようなわけで、現代の日本では、かつて隆盛を誇った京浜工業地帯や阪神工業地帯が、次第にほぐれるように解体し、かわりに周囲を農地に囲まれた工場団地が出現したのである。「××県○○市の市長は偉いな。新幹線も停まらせた。高速のインターも造らせた」などとというほめ言葉も聞く。これでは地方自治体が中央から独立できるわけがない。

話がそれた。では、すべて工場は地方にいて満足なのだろうか。たとえば、大消費地から遠くて困らないのか。これについていえば、物流網の発達のおかげで、日本国内だけを相手にするならば、ほとんどが1日以内で運べるようになった。無論、時間あたりの鮮度が問題になるような業種とか、重量あたりの単価が非常に低いような商品を扱う業種は別である。つまり、立地というものにはサプライチェーンの個別性からくる要求があるのだ。

働き手はどうか。かつて、高度成長期の中頃あたりまでは、地方は安価で豊富な労働力の供給地だった。今は、もう中小都市しかない地方は高齢化が進むばかりで、肝心の若手が少ない。工場に行っても外国人ばかりが目立つようになってきた。地方の中小都市に多数の外国人。誰にとってもあまり居心地の良くない状況である。外国人労働者を使うのなら(その是非はともあれ)、地方でも大都市圏でも同じではないか。

いっそのこと、安い労働力を求めて海外に移転しようか。--そういう流行が、一時はあった。「中国生産」ブームである。しかし、今やはっきり反省期に入っている。その理由はさまざまだが、一つあげられるのは、海外に出してしまうと、国内需要の変化に追随する能力が格段に落ちてしまうことである。また、新しい需要への対応、すなわち新製品の開発力にも深刻な影響が出てきた。それはまあ、当然であろう。国内であれば、日本人得意の『すりあわせ型』でやっていけた事が、海外では四角四面な『モジュール型』でしかできなくなるからだ。

こうしたことを考え合わせるなら、私は今後、一部の業種では工場の「都市帰り」というケースも現れるのではないかと考えている。都市といっても、まあさすがに港区のど真ん中というわけではないだろうが、大都市近郊である。都市生活者が通える範囲の立地である。なぜか。それは、これからの日本の製造業には「研究開発型工場」が求められるようになるからだ、というのが私の推論である。

(この項つづく)
by Tomoichi_Sato | 2009-10-21 22:45 | サプライチェーン | Comments(0)

静寂の価値

日本人は目に見えないものにお金を払わない--少し前の『日本人論』では、よくソフトの値段をめぐる文脈の中で、こう言い放つ人がいたものだ。この言葉自体はやや言い古されて、もはや警句としての切れ味を失ったが、内容は真実だと考える人は、まだ多いだろう。

いくつかの国で仕事をしてきた経験から、とくにこれは日本人に限ったことではない、と私は感じている。程度の大小や傾向に差はあれども、人間は具体的事物以外には対価を払うのを渋る。そこには、所有権では制限しようのない「情報」やら「仕組み」なるしろものに、売買の対価がありうるのか、という感情的な疑念があるからだ。

結局のところ、現在の会計制度は実物経済の原理で成り立っている。これを無形資産にむりやり外挿して財務諸表を作っているのだが、目に見えない情報の棚卸しなど不能である。製品倉庫で数が合わなければ、財務諸表にすぐ現れるから、みなが大騒ぎするだろう。しかし、情報や業務プロセスが陳腐化しても、誰も何も感じないのは、現在の会計に起因する面が大きい。

そもそも、工場では、スムーズに仕事が流れることが一番重要である。欠品もむだな滞留もなく、指示と実物の齟齬もなく、計画はとどこおりなく詳細スケジュールに展開される。こうしたプロセスの仕組み作りこそ、一番価値があるのだ。しかし、その価値は財務諸表のどこにもお金で反映されない。これに比べれば、製品在庫の差異など小さなことなのに。

川の流れがスムーズなほど、表面は静かに見える。波が逆巻いていたら、それは活気の証拠ではなく、底の方に何かの乱流があって、働く人々のエネルギーを無駄に吸い取っていることを意味している。こうしたことは、結局は能率の問題だと片づけられるかもしれないが、私は、もっと大事なこと、働く人間の創造性に結びつくことだと思っている。そして、奇妙なことだが、私は休日出勤をするたびに、それを強く感じるのだ。

私自身は怠け者で、休みの日は仕事のことなど片時も想い出したくない方だ。しかし、「怠け者の節句働き」で、たまに休日に職場に出ると、とても集中力が上がることに気づく。なぜ休日出勤は仕事がはかどるのか。理由は、オフィスが静かだからだ。周りに人が少なくて、PCの立てるファンの音もコピー機の騒音も、ほとんど無い。

ホワイトカラーの端くれとして、私も少しは仕事でものを考える必要がある。そのとき頭の中が集中するまで、ある程度の時間がかかるらしい。だが、それは騒音や話し声でたやすく散らされてしまう。ちょうど、弾み車が高速で回転しかかってているときに、軸受けに砂が紛れ込んできたような感じなのだ。

私が、「思考のIE」がほしい、と思うのはこのような瞬間である。工場の作業分析や標準時間はIE(Industrial Engineering)の主要な領域として、よく研究しつくされている。右手で部品をつかんで、左手のところに持っていく際、途中に障害物があったら、 IE技術者はそれを断固とりのぞくだろう。標準時間に影響するからだ。しかし、オフィスで思考するのだって、なんらかの標準時間があるはずなのだ。途中で妨害されて、後からせかされたって、誰か速く考えることのできる人はいるだろうか?

静寂の価値を、この国では誰も声高に主張しない。“にぎわい”を演出するために、建築家も商業も広告業者も、空間を音で埋め尽くすことにやっきになっている。これはすでに日本の文化の一部なのかもしれない。ヨーロッパの街には不便も嫌味もいろいろあるが、ひとつ良いことは、余分な音で充満していないことだ。商店に入っても、レストランに入っても、基本的に音楽がなく静かだ。

広場の音空間は、誰か一人のものではない。自分の店がそこに面しているからといって、ときどき移動式スピーカーを持ち出してCDやDVDの販売のために音楽を流すのは、空間を勝手に占有して汚しているのに等しい。こうした野蛮がまかり通るのも、この国の人間が、耳に聞こえる音に対してひどく寛容だからだろう。商業ビルに入ると、ビル全体のBGMに加えて、各店舗が別のBGMをかけていて、しばしば二種類の音楽が聞こえる。こうした職場で正気を失わずに働き続けるには、音にたいして鈍感であらねばならぬはずだ。目に見えぬものにはお金も払わぬ日本人が、耳に聞こえてくるものに無神経なのはなぜなのだろうか。

いまから約20年前、ほんの数日間だけだが、日本中の街から音曲が絶えたときがあった。カフェに入っても、セブンイレブンに入っても、一切何の音楽もきこえない。そこには普通の話し声以外は静かな、大人の空間が、ひとときだけ存在した。不謹慎との非難を覚悟でいうが、大喪の礼の間ほど、私は心が落ち着いたことはない。それが何十年に一度しかあり得ないことが、私にはとても悲しかった。この国で静寂の価値をみなが受け入れてくれるようになるために、何が欠けているのかを、それ以来私はずっと考え続けている。
by Tomoichi_Sato | 2009-10-16 23:48 | 考えるヒント | Comments(4)

Googleのプロジェクト・マネジメント手法を考える

もう夜の10時27分だ。私はこのごろ、夜11時をすぎたらパソコンの画面はなるべく見ないように心がけている。率直に告白するが、中年になると、体力(とくに視力)が一日持たないのだ。ちゃんと夜眠らないと、翌朝になっても回復しない。

でも、そう言いながら、昨晩は会社で11時半近くまで仲間と仕事をしていた。残業は嫌いなのに、三連休までつぶして働くのは、まことにクレイジーである。どうしてクレイジーかというと、私が現在プロジェクト・スケジューリングの仕事をしているからだ、という理由に行き着く。大きな海外プロジェクトがはじまった。もうすぐ顧客も来日して我々のオフィスに駐在をはじめる。あと一月以内にプロジェクト・マスター・スケジュールを確定させる約束だ。その時までの間は、当面、フロントエンド・スケジュールで皆を動かさなければならない。で、そのフロントエンド・スケジュールを期日までに仕上げるために、夜遅くまで残業していたという訳である。スケジュール作成の仕事が、期日を守れないのでは、シャレにもならないではないか。

そう言いながらも、ふと考える。なぜ、プロジェクトには期日があるのだろう。無論、それは契約条項でそう決まっている(決めさせられた)からだ。顧客は、今からきっかり3年半後に、新工場で量産を開始したい、と内外に宣言している。それは株主や政府への約束でもあり、また融資の条件でもあるのだろう。だから、我々のプロジェクトの完成が1日遅れるごとに、巨額のペナルティを課すという条件がついている。

タスクやアクティビティに期日など設けるべきではない。そう主張する人々もいる。その代表格は、TOC理論(制約条件の理論)で有名な、ゴールドラット博士だ。彼は、『クリティカル・チェーン』という、プロジェクト・マネジメントの新しい手法を提唱した。その中で、彼はアクティビティに期日を設定することの有害性を指摘して、“学生シンドローム”という用語を作った。これは、提出期限の直前にならないと宿題をはじめない、学生の習性を皮肉った言葉だ。ちょうど夏休みの宿題を8月の最後になってからやりはじめる小学生のように、人々は仕事に着手しようと思えばできるのに、締切が近づかないとはじめない。これがプロジェクトの納期短縮を阻害する。そう彼は主張する。

そのかわりに、彼が推奨するのは、「できるだけ早く」という督促の方法なのだ。が、なんだかこれではフライパンから火の中へ飛び込んだみたいだ。そもそも、クリティカル・チェーンが劇的な納期短縮を売り物にしているのだから、当然かもしれないが、だまされたような気がしないだろうか。(このクリティカル・チェーン・プロジェクト・マネジメント=CCPMについては、近いうちにきちんと書きたいと思っている)

では、CCPM以外に、誰か期日設定について批判的なことを言っていないだろうか、とネットを探していたら、Steve Yeggeという人が書いたGoogleでのプロジェクト・マネジメント手法に関するBlog記事にたどり着いた(これは「Fine Software Writing」の中でも、青木靖氏による素晴らしい翻訳で読める)。これが、じつに興味深い。

Yeggeによると、Google社内でのプロジェクトの進め方は、こうだ。だれか(誰でもいい)素晴らしいアイデアを思いついた人間が、プロジェクトを立ち上げる。そうしたら、優先度のついた作業のキューを管理できるサーバを用意する。プロジェクトが進むにつれて、いろいろな人が、自分の思いついたアイデアを実現するためのタスクを、このキューに投げ込む。Yeggeはこれを「アイデアやバグを投げ込むゴミ捨て場のような場所」と呼んでいる。そして、このプロジェクトに興味を持った人間は、誰でも、そのキューから自分のやりたいタスクを拾い出すことができる。そして、何か作業する。その結果、見事に終わるかもしれないし、あるいは何か別のタスクを生み出すかもしれない。そうしたら、その新しいタスクをキューに返す。

Googleでは、この作業キューが空になった時、「プロジェクトの完了」という定義になっている。キューはプロジェクトの進行につれて、最初はどんどんふくれていくだろう。だが、多くの人がかかわってくるにつれて、しだいに増え方の速度は減っていく。ついには新規追加より拾い出しの方が多くなり、最後には空に近づく。ちなみに、Yeggeによると、開発者は、いつでも好きなときに、プロジェクトを変えることができる。誰も何も理由を聞いたりしない。そこにあるのは、自発性の法則だけ、ということらしい。

したがって、Googleでは、ガントチャートも日程表も、作業の期日も何もない。目に見えるようなプロジェクト管理の仕組みは一切ない。後ろから技術者のお尻をひっぱたくような『管理』はしないということだ。そして、開発者はつねに自分の就業時間の20%を、自分のメインのプロジェクト以外で、やりたいことに使うよう強く促されている。

どう? 素晴らしいだろうか。ここで働いてみたい? この記事を読んで、そう思う人が大勢いても、不思議ではない。すでに3年前の記事だから、事情は変わっているかもしれないが、あるいはこうした組織の本質は変わらないようにも、思える。

ただし。Googleについて、一つだけ理解しておいた方がいいことがある。この会社は不思議な会社で、情報システムを確かに開発しているくせに、それを売ってはいないのだ。製品は、基本的にタダで提供する。そして、彼らは、その製品に集まってくる人々の数を担保に、広告収入で食べているのである。

彼らの素晴らしい製品の数々は、タダである。だから、基本的にユーザは、いついつまでに持ってこいとか、こんな機能は好きじゃない、とか文句を言うことができない--むろん社会的に有害な機能があれば別だが。そのおかげで、Googleは“いつ次の新製品を出荷するか”を、一切コミットしないで済んでいるのである。これは、極めて類例の少ないビジネスモデルであって、自社用であれ請負であれ通常の情報システム開発プロジェクトとは異なっているのである。

それで? --答えは、円環を描いて元のところに戻ってくる。プロジェクトを動かすものは、ステークホルダの期待なのである。ステークホルダとは、通常は、プロジェクト・チーム員を除く、プロジェクトの利害関係者をさす。一番はユーザであり、あるいは発注者(予算承認者)であり、そして上級管理者達だ。彼らから無縁で、自分の作りたい面白い物だけを開発していたい、そう思う技術者は多いだろう。だが、エンジニアの給料はふつう、(上司の手を通じて)顧客が払ってくれているのである。そして、顧客がGoogleの広告スポンサーほどは寛大でない時、あなたには(そして私にも)やはりプロジェクトの工程表が必要になるのである。
by Tomoichi_Sato | 2009-10-13 23:02 | プロジェクト・マネジメント | Comments(1)

需要の「読み」が必要になる時

「神様じゃないんだから、需要なんて予測できない。だから、どんな注文が来ても、即応できるような体制の工場をつくらなくてはダメだ」--これは、ジャスト・イン・タイムを推進するコンサルタントの人達がよくいう言葉である。需要予測なんかに頼って、見込で生産していてはいけない。まして、製品在庫を山と積み上げておくなど愚の骨頂だ。必要なモノを、必要なタイミングに、必要な量だけつくる。製造リードタイムを短縮して、注文から数時間以内に出荷できるようにするべきだ。

そのために、小ロット化をすすめて段取り時間を極小化する。同時に、工員の多能工化を推し進めて、セル生産や一人屋台方式を実現し、大量生産時代の象徴であるベルトコンベヤーや自動倉庫を排除する・・。こういうお話を、あちこちで、それこそ耳にたこができるくらい聞かされている。その根本は、「需要予測に頼るな」というテーゼにある。予測がほんとに可能だったら、それこそ、決められた量の製品を、作りやすいように固めて作ればいいことになる。同じものを繰り返し作る方が機械は効率がいいし、同じ材料をまとめて仕入れた方が単価は安くなるに決まっているからだ。

ご存じの通り、アメリカ産のサプライチェーン・マネジメント・ソフトウェアは、たいてい「需要予測」機能を売りにしていた。あてにならない需要予測を、いかに精度を上げるか。その上に、いかに精緻な計画を作って実行するか。それが、「プッシュ型」論理で成り立つアメリカの製造業の夢だったのである。

ところが、日本の製造業(とくに自動車と電機業界)は徹頭徹尾、「プル型」の論理で成り立っている。“今日電話したら、明日持ってこい”が当たり前と思う顧客が大勢居て、それを受けなければ成り立たない営業体制がある。顧客指定の個別仕様で、『すりあわせ型』の製品・部品を求められるのが常だから、需要予測なんどというのんびりした事はやっていられない。予測や計画なぞに頼るのは、(まあ極論すれば)罪悪である。--これが「計画はずし」の論理であった。

さて。ここで一つ問題が生じる。それは、工場の拡張や新工場建設の問題である。2005年頃から昨年の夏まで、日本の製造業は久方ぶりの好況を経験していた。そして、活発な内外の要求に対応するため、新工場の計画があちこちで進められていた。この計画のベースは、何だろうか? もちろん、需要の見込みに決まっている。注文をもらってから、あわてて工場を建てる会社などない。どこの業界のどんな企業でも、新しい工場を建てる時には、中長期的な需要予測に頼らざるを得ないのである。

自動車業界も例外ではない。各社があらそうように北米に新工場建設を進めていた根拠は、当然、各社なりの米国需要の読みにちがいない。米国の自動車需要はまだ堅調に推移する。そう予測し、その上で投資計画を実行した人たちが、自動車メーカーには、いたのである。電機・電子業界も、似たような状況だったと想像される。そして、こうした予測は、残念ながら2008年9月の米国発金融不況によって、完璧に外れることとなったのだった。

そもそも、(以前にも書いたが)自動車業界のサプライチェーンというのは、その中心に自動車メーカーという巨大企業が居て、販売側の流通チャネル(ディーラー網)も、供給側の部品製造会社(系列サプライヤー)も、すべてコントロールする形になっている。サプライヤーを同期制御するためのツールとして、有名な『かんばん』ならびに先行内示がある。先行内示とは、当月・翌月・翌々月の製造見込み量を示すもので、サプライヤーはこれを元に、多少納期のかかる資材の手配をかけている。

そして、この「内示」というものは、自動車メーカーの生産計画によって決まる。その生産計画のベースは? むろん、直近の予測である。つまり、自動車メーカーとは、巨大なサプライチェーンの中で唯一、需要予測をする予測センターなのである。予測は一箇所だけですればいい。あとは全員、それにしたがって粛々と実行すればいい。各人が勝手な予測や見込や思惑で、ブレた行動を取ってもらっては困る--そういう論理で、この業界は成り立っている。だから「計画はずし」が指導されるのだ。

眼下の不況で、日本の製造業はどこも青息吐息である。なぜ、こうなったのか。むろん、受注量が急減したからだ。個別製品の需要予測に頼って、それが外れたからではない。予測に頼らぬ工場づくりをしてきた自負はある。だが、そもそも、ここまでベース需要が落ち込むことなど、誰が『予測』できただろうか? まことに、予測などあてにならない、そう、みなは感じているにちがいない。

だが、それは同じコインの裏面なのである。「落ち込みを予測できなかった」というのは、「落ち込まないと予測していた」のと、同じ意味だ。直近の需要予測は意識して排除したが、中長期の需要予測で大きく間違えた。それが今日の不況の原因ではないか。製造業においては、予測から無縁でいることはできない。それはとくに、工場能力の計画においてそうなのである。

これから何回かに分けて、あらためて『工場計画論』を考え直してみたいと思っている。この状況下で、何を寝惚けたことを、と批判されるかもしれない。しかし、あえてこういう時期だから、やってみたいのである。旭山動物園の物語をご存じかもしれないが、「理想とすべき動物園の姿」は、一番厳しい冬の時代に考えられたのである。低迷している時ほど、本来の姿を考えるべき時なのだ。

この不況は、いずれ終わる。最終需要予測のずれから生じた、一過性のブルウィップ効果によるものなら、トンネルの出口は遠くない。そのときまでに、理想の姿を考えておく。それこそ、われわれ技術者の責務というものではないだろうか。
by Tomoichi_Sato | 2009-10-05 21:20 | サプライチェーン | Comments(0)