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パンのみに生きるにあらず

1996年の夏。私は中東で、ある会社の役員会議室に座っていた。私の隣にはCAP Gemini Americaの上級コンサルタント。そして目の前には米国人とアラブ人の役員たちが、豪華な会議テーブルを囲むように並んでいる。

会議の議題は、「この会社のKPI=Key Performance Indicesとは何か」だった。会議は隣にいる米国人コンサルタントがリードしていく。私と彼は、この会社にERPパッケージSAP R/3を導入するプロジェクトを請け負っており、要求分析をやっていた。すでに日常業務の分析はすんで、今や、役員から見たソフトの必要機能を定義する段階に来ていた。

SAP R/3は財務諸表をリアルタイムに見せることができる能力が売りだ。しかし経営の舵取りには、財務諸表の数字だけでは不十分なことは明らかである。では、いったいどの数字に着目し、どの尺度を用いて、会社の方向や速度を計りたいのか。それがテーマだった。

しかし、このコンサルタントは、いきなりこの命題にとりかからずに、まず単純な一つ質問を役員たちに出したのである。「いったい、この会社の使命 Mission は何か? それを簡単なセンテンスで言うと、どう表現されるのか」と。そして、こうつづけた。

会社というものは、たとえそれがどんな小さなものであれ、何らかのMission Statementを背負っているはずである。そして、そのMissionを達成するための、4つか5つの戦略 Strategyが確立されていなければならない。そのStrategyが明確であれば、その達成度を測る指標としてのKPIも、自ずから明らかになるはずである・・・

米国流の論理でいうトップダウンの経営理念とはこういうものなのか--横で聞いていた私は、率直に感心した。私は中小企業診断士として多少は経営学についても学び、また、企業経営には中心となる理念が必要だ、と考えはじめたところだったから。

「ところで。」と、そのコンサルタントはつづけた。
「皆さん方の会社にMission Statementなどが存在しないだろうことは、じつは重々承知している。」--こう言うのである。
「だから私も目標達成のための戦略について、あえて問いただしたりはしない。むしろ、役員の皆さんがおのおの自分の担当する範囲で、何を物差しとして選びたいか、率直に言っていただきたい。」

つまり、現実家の彼は、中東のこの合弁会社が自国の利権を守るために米国資本に作らせた、<<便宜的結婚>>の産物であることを知っていたのである。その結果、KPIは戦略実現を助ける道具ではなく、定常業務改善のためのメーターにすぎなくなることも承知していたのだった。

目的を持たないシステムは、自己の安定化と存続が目的となる。これが人間系のからむ全てのシステムに共通する特徴だ。いや、人間のからまない通常のエコシステム=生態系だって、そう「解釈」することはできる。しかし生態系には自己意識も意味づけもない。一方、困ったことに人間はつねに意味をもとめて生きる動物だ。

お金儲けが企業の究極的なゴールである--こういう議論を読むたびに、私は、G・K・チェスタートンの

徹底して現世的な人間には、じつは現世のことはよく理解できないものだ

という言葉を思い出す。人はお金がなくては生きてはいけないにもかかわらず、お金のためだけでは喜びをもって働けないからだ。人はパンのみにて生きるにあらず。どんな仕事であれ、それを多少は「好きだ」と思えるところがなければ続けられない。まことに不思議なことだ。

「好きだ」と思えるところに、人は価値を、そして意味を見いだす。人が生きていくとは、自分にとっての意味を再生産しつづけることに他ならないのだろう。

いま、私たちが対決しなければならない相手は、「存続だけが自己目的化してしまった日本企業の病」だ。数値目標でしかない理念、抽象的で無内容な理念ではなく、意味のある経営哲学をつくり上げていくプロセス、それが求められている。

思うに、そのような「意味」を、ただ単に外部のコンサルタントから与えられても、それは決して自分の身には付かないだろう。自分で考え発見したことでなければ、本当の自分の意味にはならない。であるならば、はたの人間ができるのは、答えではなく問いを与えること、なのかもしれない。

コンサルタントにできることはせいぜい、理念という名前の「ヒント」を提示すること、そしてそれを人間集団の中で磨き上げるプロセスを整備していくことなのではないか。そう最近は思っているのである。
by Tomoichi_Sato | 2009-08-30 00:01 | ビジネス | Comments(0)

パンチ・リストとは何か

パンチ・リスト(punch list)とは、片付けなければならない作業のリストのことである。英米では、エンジニアリングおよび建設業界を中心に、ほとんど普通名詞として通用しており、契約書等にもごく当たり前に登場する。我が国でどこまで広く使われているかは不明であるが、利用範囲の広いツールなので、ここに紹介する。

パンチ・リストは一般に、残務としてやらなければならない作業タスクの表の形になっている。つまり、ある設計図にしたがって進めた構築作業がほとんど完了に近づいたとき、実物が顧客に検収され実際に使用可能な状態になるまでにクリアしなければならない項目を整理し共有するために、パンチ・リストは作られる。日本の建設業界では、これを「残工事」とか「ダメ工事」のリストと呼ぶことが多い。一部の重工・機械業界でも似たようなリストをつくって、残務を追いかけることが多い。

周知の通り、複雑な構築物や製品・システムなどを作る場合、横軸に時間をとり、縦軸に進捗度をとると、一般にS字型のカーブを描く。初期は立ち上げ段階のため進捗があまり上がらないが、中期には右肩上がりに進行していく。しかし、最後の段階になると、また傾きは緩やかになり、なかなか100%に到達しない。その傾向はとくに90%をすぎた頃から顕著になる。

そのため、最後の段階では、もはや進捗率によるコントロールはあまり役に立たなくなってくる。そこで、パンチ・リストが登場するのである。作るべきものは、ほぼ出来た。ただ、製作上のミスや不手際、部品材料やツールの欠陥、大詰めになって明かるみに出た設計上の不具合、そして後回しにされたペンディング事項、などがある。これを一まとめにしてリスト化し、追いかけるのである。ちなみに、残務をつぶしていくことを、英語では"punch killing"という、いささか穏やかならぬ言葉で表現する。

パンチ・リストは、1行に1項目、やるべき作業を書いていく。各行には通常、次のような項目が並ぶ。

(1) 整理番号(→これをきちんと採番しておくことは重要)
(2) 作業内容(簡単な記述)
(3) 責任者
(4) 発生日(リストへの登録日)
(5) 優先度
(6) 完了期限
(7) ステータス(未着手/作業中/検証中/完了/キャンセル、等)
(8) 実績完了日
(9) その他の注記事項

なお、(5)優先度は、一般にA/B/C等で最低3段階の区分をつけるとよい。たとえば、Aパンチは必須の作業で、これを完了させない限り、仕事全体が先に進めない事項とする(たとえば配電盤にトラブルがあり、全体が動作テストに入れないような場合)。Bパンチは、重要だが、なしでもなんとか先に進めるような回避手段がある場合とする(たとえばスタンバイ装置が誤作動するが、メイン系統でとりあえず運転が可能になる場合)。そしてCパンチは、最終引き渡しまでに終わらせておけばよい、化粧直し的(cosmetic)な作業である。

そして、試運転段階あるいは顧客との引渡し段階において、「Aパンチはすべて完了、Bパンチはすべて何日までに完了のめどがたっている」といった状態に持ち込んでいれば、残務付き引き渡しの形で交渉が可能となるのである。

なお、上の項目を見れば分かるとおり、パンチ・リストは実際にはタスク・リストないしTo Doリストと同じ形をしている。すなわち、これは、当初の計画と現実との差違を明らかにして、両者をすりあわせるための道具なのである。したがって、パンチ・リストはかならずしも製造や工事の最終段階でのみ使うべきものではなく、たとえば要件定義段階や設計段階、あるいは調達段階などでも利用できるツールなのである。そのような意味では、パンチ・リストとは、しばしば用いられている「課題管理表」と同じカテゴリーのツールであるとも考えられる。

そしてまた、パンチ・リストは、案件が終わった後の事後検証、ないし品質改善のための分析対象としても、大きな価値がある。なぜなら、事前の契約や設計と、現実の構築結果との差違こそ、リスク因子そのものを表しているからである。そのような意味でも、パンチ・リストは作るだけでなく、集積し分析するような仕組みを組織内で確立することが望ましい。
by Tomoichi_Sato | 2009-08-25 21:30 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

世界の経済地図を見直すとき

プラント資機材の値段が上がりはじめている。いや、正確には、上がる気配を見せ始めている。とくに金属や基礎材料。たとえば銅の値段やニッケルの値段はすでに底を打ち、London Metal Exchangeの指標なども上昇に転じている。例えば銅は電力ケーブルの、ニッケルはステンレス鋼の主要な材料である。こうした品目がまず値上がりしていくことは間違いない。原油も上がっているため基礎化学品も追いかけるだろう。

化学プラントというのは、ごく簡単に言うと、巨大な金属のドンガラと、それらをつなぐ無数の配管、配管の中のガスや液体を送る大小の圧縮機やポンプ、熱交換器、制御弁・遮断弁、そして電力ケーブルや制御ケーブルがしこたま、という構成になっている。それから、それらを支える鉄骨やコンクリート構造物がある。たいてい24時間操業だから、夜も無数のライトがついて明るい。『工場萌え』の人たちが好んで撮る、夜のプラントの姿である。

エンジニアリング会社とは、こうしたプラントを設計して、資機材を調達し、建設する仕事であるから、資機材の値段には敏感になる。そして産業用機械・材料のサプライヤー/メーカーは恒に世界的な競争にさらされているから、ある国だけで突拍子もなく安かったり高かったりすることは、あまりない(特殊な規制品は別として)。ということは、世界的に需給がタイトになってきている訳で、すなわち設備投資が活発化していることを意味する。

こういったニュースは、リーマン・ショックに発する金融危機以来の不況下の日本だけを見ていると、何だかピンとこない。ようやく機械製造業は底を打った様子もあるが、まだ設備増強にはほど遠いし、個人消費も冷え切ったままだ。しかし、いったん目を世界に転じると、ずいぶん状況は変わっている。産業用資機材では、どうやら発電関係がとくに活発なようである。ボイラー、タービンやその補機・回転機、変圧器そしてケーブルなどのメーカーが忙しいらしい。だが、どこで使われるのか? 答えは主に「アジア」である。アジアと言っても広い。西は中東から、インドなどの南アジア、東南アジア、中国などがその場所らしい。たしかにどこも経済発展に電力供給が追いついていない--日本は例外だが。

ちなみに、今週号の「The Economist」誌の特集記事は、“アジアの驚くべき回復”だ。むろん、リーマン・ショックからの回復である。中国、インドネシア、韓国、シンガポールは第2四半期には年率換算10%以上のGDP成長率をみせた。輸出依存性の高さからみて、とても急回復は無理だと言われていた国々だ。台湾、インドの工業生産量も上昇中である(インドは元々影響は比較的小さかった)。

それから、中東である。原油価格が昨年急落したとき、建設中の高層ビルの建ち並ぶドバイは、そのまま廃墟になるかと思った人が多い。しかし産油国は、国家収支のバランス点を示す最低原油価格によって、その経済的頑健性を測ることができる。湾岸諸国の多くは30ドル/バーレル台である。そして原油価格は最高値の140ドルからはかなり下げたが、40ドルを切ることはほとんど無かった。欧米の金融システムが数ヶ月間麻痺したおかげで立ち往生したプロジェクトも、再開に向かったものが多い(なお、ロシアとベネズエラはこの最低価格が高いため、苦境の期間が長い)。

アジアの驚くべき回復の中心にあるのは、個人消費の伸びと、それをささえる社会資本の投下である(だから発電所なのだ)。それはすでに欧米の消費の落ち込みを打ち消して余るほどのレベルになった。明らかに今や、世界の経済構造にシフトが起きている。

ところで、問題は我らが日本だ。同誌には、国内消費を伸ばすような経済的改革こそアジアがみな取り組んでいる課題なのに、日本だけは一度も成功しなかった、と書いている。成功するわけがない。そもそも、公共消費を切り詰めるのがこの何年間もの政策だったのだから。たぶん、日本では、投資や生産だけが善で、消費は悪徳なのだろう。もう大量生産時代はとっくに過ぎたのに、いまだに、「ものづくり企業」が社会の牽引車ということになっている。

いま私はこの文章を、北フランスLilleの大学の構内で書いている。プロジェクト・マネジメントの国際セミナーに招かれて来ているのだ。こうした機会はとてもありがたいが、夜、みなで会食をしているとき、「ところで日本の経済はなぜ足踏み状態なのだ」などと質問されるのが一番困る。なぜって、答えられるような政策が無いからだ。たしか『骨太の政策』というのが実施されているはずだが、芯を通すようなグランド・プランが、私のような一介の市民には、よく見えてこない。ただし、一つだけはっきりしていることがある。それは“グランド・プランの模範を欧米に求めても、もうそれは得られない”ということだ。

このサイトで、私は「日本の製造業の抱える問題は、大量見込み生産時代の管理思想を社内に残したまま、受注生産に移行しようとしていることだ」と一度ならず書いた。同じことが、経済政策全体に対して言えるのかもしれない。経済評論家でもないのに大げさな発言を許してもらえるなら、「日本経済のシステム全体が抱える問題は、もはや欧米市場だけが日本製品を飲み込んで消費してくれる時代はすぎたのに、まだ欧米輸出に依存した思考構造を続けていること」と言えるかもしれない。もうG7のみが世界を牽引する時代は終わった。これからは、G20から、G7を除いた国々が相手になるのだ。あなたは、G20の国名を言えるだろうか。あなたの上司はどうだろう。

そうした国々の市場は、個別性が強い。つまらぬ自負や偏見は捨てて、すべての国の顧客に対して頭を下げる姿勢が必要になる。つぎの総選挙の後で、どのような政権がどういう政策を立てるのかは知らないが、ぼくらはもう、欧米中心の経済パラダイムから卒業する時が来ている。
by Tomoichi_Sato | 2009-08-20 01:19 | ビジネス | Comments(0)

フロントエンド・スケジュールとは何か

プロジェクトの立上げ期は忙しい。それが納期のある受注型プロジェクトとなれば、なおさらである。まず、プロジェクト・チームのコアとなる要員をアサインしなければならない。社内でプロジェクトの概要について説明する簡単な文書も必要である(それが「プロジェクト憲章」とか「Charter」と呼ばれていなくても、たとえA4サイズ1枚の紙切れでも、とにかくプロジェクトを正式化するための文書がいる)。それから会社のプロジェクト登録簿に登録して、正式なプロジェクト・コードを発番してもらわなければならない(そうしないとタイム・シートもつけられないし交通費も精算できない)。

さらに、受注型プロジェクトの場合は、見積提案書を出した後、客先とのネゴの過程でさまざまな追加要求やら変更やらが入るケースが多い。とくに不況で買い手の側の強い昨今はなおさらである。なんとか注文書をもらえた営業はにこにこ顔で帰ってくるが、プロマネとしては、相手と合意した詳細内容を盛り込んだSOWなり確定仕様書なりを作成して、契約書に添付して提出しないと危なくてしようがない。おまけに客先は下打ち合わせで顔を合わせるたびにまた違うことを言い出してくる。正式キックオフ・ミーティングを開催するまでは、しばらく放って置いてほしいものだが。

そしてもちろん、実行予算の設定と、プロジェクト・マスタ・スケジュールの立案である。概略予算や工程は見積時に検討したが、実ジョブとなるともっと確度の高い計画が求められる。そのためには、スコープにしたがってWBSを展開して、ワーク・パッケージを決めなければならない。おまけにこのごろは、リスク・レビューを実施しろとPMO(Project Management Office)がうるさく言ってくる。だがその前に、社内キックオフを準備する必要がある。客先との連絡窓口や調整手順を定めた業務遂行要領書も作らなくては・・

こんな調子で、最初の2週間かそこらは目が回りそうなスピードで時間がすぎていく。とはいえ、とにかくチーム員を動員したら、その人たちにまずは仕事の指示をしていかなければならない。でも、何から先に、いつまでにやらなければならないのだ? --それはもちろん、マスタ・スケジュールに規定されているはずである。だが、その肝心のマスタ・スケジュールがまだ出来ていないのだ! いったいどうすればいいのか!?

そのための答えが、「フロントエンド・スケジュール」なのである。Front End Scheduleとは、文字通り、プロジェクトの最初の数週間のみをカバーしたスケジュールである。これをまず、最初に作る。そして、初動期間は、これにしたがって人を動かしていく。その合間に、本式のプロジェクト・マスタ・スケジュールを作成して、正式に配布するのである。

でも、なぜそんな二度手間をするのか? だったら、最初から全体スケジュールを作れば良いではないか--そう考える人もいるだろう(たとえばあなたの上司とか)。でも、そうは簡単にはいかないのである。プロジェクトの全体工程をカバーしたスケジュールを立案するには、上に述べたように、きちんとWBSを展開して、ワークパッケージを定義し、それぞれに必要な期間とコストとリソースを見積もらなければならない。しかし、まだ設計も要件も揺れ動いている段階で、これを作るのは容易ではない。それどころか、いったん作っても、すぐ変更になるのは目に見えている。なにしろプロジェクトというのは本質的に個別性が強いからだ。全く同じことを繰り返すプロジェクトというのは滅多にない(もしそれが頻繁にあれば、それはプロジェクトではなく日常業務だと言うことになる)。

ところが。じつは、同種のプロジェクトというのは、初動期だけを取り出すと、かなり似ているものなのである。やるべきことは、客先との要件固めと基本設計のすべり出し、そしてプロジェクト組織の立ち上げと計画立案作業等である。個別性でスケジュールに違いが強く出てくるのは、要件や設計がはっきりしてから以降のことなのだ。それは、力仕事的なアクティビティの数や量が変わってくるからである。いわば人間の頭と胴体の関係のようなもので、背の高さや体重は、人により2割も3割も違うが、頭だけ見るとそれほどの違いは無い。プロジェクトの初動期の姿も同じようなもので、プロジェクト全体のプロポーションとは比較的独立して決まるのである。

したがって、フロントエンド・スケジュールは、プロジェクトの種別にしたがっていくつかをあらかじめスケジュール・テンプレートとして用意しておき、実際に案件が開始したら、それを多少カスタマイズして使えばよい。これだったら、作成配布までにたいして日数はかからない。そして、人を動かすことも出来る。客先だって、当面は安心してくれるだろう。このように、マネジメントにおいては、案件の個別性に惑わされずに、できるかぎり普遍性・共通性を見つけ出す姿勢が肝要なのである。
by Tomoichi_Sato | 2009-08-09 22:06 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

超入門・ビジネス英語 (2) 発音と息と意思疎通

さて、三番目の原則は簡単です。それは音声言語としての英語に関するもので、英語には腹式呼吸による息の強さが必要だ、ということです。

地下鉄に乗っていると、車両の騒音のために、すぐ隣の人の話し声もよく聞こえないのに、向かい側に乗っている英米人の会話の声だけは耳に入ってきた、という経験はありませんか? これは日本だけの現象ではなく、たとえばパリの地下鉄などに乗っていても、同じような経験があります。なぜでしょうか。格別、英米人は声の大きな人ばかりなのでしょうか。

それは、息の量に支えられた声の強さ、とりわけ子音の強さがもたらす結果です。ここは、音声言語としての日本語との大きな違いです。英語の発音では、なによりも子音(とくに破裂音や摩擦音)の明瞭さが求められます。英語では、子音は母音と母音の間に割り込んで分断し、音のブロックを作ります。そのブロックのつながりが語と文を作るのです。いわば、連結器でつながれた車両の列からなる列車かバスのようなものです。

ところが、日本語はそういう風に発音しません。ちょっと注意すればわかると思いますが、普通の会話をするにあたって、まず腹の底まで息を吸い込んでからはじめる人は希で、通常は肺活量の3分の1くらいの息でしゃべります。息のスピードは穏やかでゆるく、したがって摩擦音や破裂音も、母音の流れを完全にせき止めるのではなく、せいぜいその方向を変える程度の役割しかしません。日本語の音声は、いわば悠々と流れる母音の川のようなものであって、子音は両岸の岩のようにその向きを変えるきっかけなのです。口や舌の形はあまり大げさに動かさない。その結果として、やわらかく、ないし、ぼそぼそと聞こえる。これは地声の大きさの違いではなく、子音に込められる息の量の違いである、というのが私の考えです。

インド人の英語を聞いたことがありますか。母音はアイウエオ風で、かつ独特のイントネーションがあり、我々にはあまり上手には聞こえませんね。でも、ネイティブにとっては、日本人よりインド人の方が聞き取りやすいようです。その理由は、子音の勢いと強さにあると考えられます。

息というのは身体の動きで、無意識の習慣の世界に属します。日本語の息の体勢になれた私たちが英語の子音を明確に発声するためには、腹式呼吸に頼るしかない。そして、それを無意識の習慣に持ち込むまで、繰り返し練習が必要だ、というのが私の経験です。

第三の原則です:
英語を話すときは腹式呼吸で子音に強さを与えろ

さて、第四の原則ですが、これが微妙で、伝達するのが難しい。それは、言語の目的と自他の区別に関することで、日米両文化の最深層にかかわる問題だからです。

まず、英語は、「言語は意思伝達の主要な手段である」という明確なテーゼの上に立っています。そんなの当たり前じゃないか、とおっしゃるかもしれません。では、日本語の世界は、「言語は意思伝達の主要な手段である」という前提の上に運用されていますか。以心伝心、問わず語り、阿吽の呼吸が最上とされていませんか?

私の若い頃、世界的スターだったデビッド・ボウイという英国人ロック歌手が来日して、雑誌のインタビューで、こう発言しました。「言葉とは、コミュニケーションのための最も不確実な手段である。」--これは、おおかたの日本人読者なら、まあ同意するでしょう。しかし、これは英語の世界では、あり得ないほど非常識な挑発的・逆説的発言なのです。それをあえて言うのがボウイという人の立ち位置だったのでしょう。彼は視覚とかリズムとか身体的メッセージが、言語に勝るとも劣らぬ重要なメディアである、と考えていたわけです。

英語の発想の根底には、自己と他者を区別する感覚があります。自己と非・自己の区別、ではありません。そんなことなら、幼児期を卒業すれば誰もが身につけます。また、ウチとヨソの区別、でもありません。これは日本語世界の発想であって、自分の所属する集団(ウチの会社)と、それ以外の人々(ヨソの連中)の区別です。英語ではまず、主語としての大文字の"I"がある。そして、意志を持つ相手としての"you"がある。この両者は別の人間、優劣はあれども対等な別の個人であって、互いに意志も了解事項も異なっている。その間を橋渡しする、ほぼ唯一無二の手段として、言語がある。

だから、英語では、相手が理解できるように、発信者側が努力する責任を負います。無言の共通の了解事項(これをcontextというのですが)は最小限であるため、あらゆることは明確に、specific に表現する必要がある。同じ家族だろうが、同じ排他的クラブ員同志だろうが、この原則は徹底します。

日本語は、あまり輪郭のきつい、生々しい表現は歓迎されません。そこで形容詞を使って「先日は大勢の方が集まって」「大したものはございませんが」「それなりの評価をいただきました」といいます。ところが英語では、具体的で客観的を良しとします。「先週の水曜日には270人が参加して」「トップクラスの料理を用意しました」「85%の顧客がAランクと評価した」・・こういうのが、英語に求められる表現です。

そして、何よりも互いの意志ははっきりと表現しなければなりません。「・・は難しいと思います」(I think it is difficult to ...)というのは断りの意思表示にはなりません(よほど相手が日本人相手の経験を持っていれば別ですが)。断りたければ、「我々は・・したくない」と言わなければなりません。日本人は"Yes, but"というセリフが得意だと、よく言われます。これは、意見対立を回避すべきであるという日本語の運用原則が生む現象です。一方、英語は事実本位なので、YesはYes、NoはNo。意志の対立という事実があったら、まずそれをテーブルにのせます。そして、さて、じゃあそのGapをどうやって詰めていこうか、という話になるのです。

会話の雰囲気を保ちたいが為に、内心は納得していなくても、にっこり笑顔で"Yes, yes"などと言うと、後で「お前はあのとき"yes"と言ったではないか。あれは嘘だったのか」と反撃されてしまいます。英語は事実本位なので、逆に「嘘つき」"Liar"は最大の罵倒になります。英米人に面と向かって冗談のつもりでliarなどと言おうものなら、泥棒呼ばわり以上に、喧嘩になるでしょう。「嘘も方便」という日本人の価値観とは大違いです。社交辞令とか誇大広告とかは日英どちらの世界にも蔓延していますが、その位置づけが違うのです。

少し話がずれてしまいましたが、第四の、そして最大の原則です。
英語とは、自他を明快に区別した上で、言葉こそ事実本位に意思疎通を行うための最上の手段である、との発想の上に立って運用される

これは運用原則です。やろうと思えば英語でだって、いくらでも曖昧模糊とした会話はできます。しかし、それは英語らしくない。英語らしくない英語を、いくら明瞭な息と発音で話そうとも、ニセモノでしかありません。

Kさん。多くの白人社会では、本物とニセモノは峻別されます。ニセモノは、かりに憐れまれ、笑って許されているようでも、裏では軽蔑され拒絶されるのです。このご返事を書きながら、私自身、なんだか本物からどんどん遠ざかってきているのではないかと、反省の気持ちが増してきました。もう少し基本に戻って、ぜひ学びなおしたいと思います。Kさんも、どうか上の四原則をしっかりと理解いただいた上で、ぜひ有益なる意思疎通を行われることを願ってやみません。

(追伸:私は若い頃、中津燎子という人の「なんで英語やるの
」を読んで大きな影響を受けました。上に掲げた4原則も、本書の冒頭に書かれている原則を、私なりの経験を通じて咀嚼し言いかえたものです。賛否の大論争を巻き起こした本ですが、興味があれば読まれることをおすすめします)
by Tomoichi_Sato | 2009-08-02 13:37 | 考えるヒント | Comments(0)