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パーキンソンの法則、またはマンパワーはなぜ見積を超過するのか

アメリカのハイテク企業を風刺した連載マンガ"Dilbert"に数ヶ月前、こんな話があった。主人公をはじめとするエンジニアが1,000人、広いオフィスにかり出される。全員、同じプロジェクトに配属されるのだが、彼らに与えられた最初のインストラクションは何と、本日5時に業務が完了したらどこにPCを返却するかについての指示だった。プロジェクトの開発工数が1,000人日かかると聞いた無能な上司が、「それなら1,000人でかかれば1日で完了するはずだ」と皆をかり出した結果である・・。

我々はよく、人日とか人月といった単位を使う。これは原価管理や顧客への請求には有用だが、仕事においては「4人×1ヶ月=1人×4ヶ月」でないことは誰でも知っている。こういう計算が成り立つのは、力仕事の場合だけ(たとえば煉瓦を積むとか配管を溶接するとか)であって、こうした力仕事では以前紹介したBOQの概念を用いて、
 作業期間=BOQ÷(投入人数×生産性)
で算定できる。こうした計算が成り立つのは、力仕事というものが、基本的に非常に並列性が高いからである。

ところが、オフィスで行われる知的な仕事のほとんどは、こうはいかない。たとえば自分一人ではアップアップの仕事があったとして、それを誰か後輩に手伝ってもらう場合でも、まずその後輩に仕事のインストラクションをしなければならないし、材料やツールもまとめて手渡さなければならないし、質問に答えたり整合性をとったり進捗をたずねたりした上に、出来上がったものを自分でも再チェックしなければならない。こうして、自分が楽になるのはせいぜい3割程度であって、1人月分の仕事を二人でやると合計1.5人月はゆうにかかる、という状態になる。

たいていのプロジェクトでは、力仕事は後半にかたまっており、前半は設計などの知的作業が中心になる。そして期間推定や工数見積で相対的なブレが大きいのは、前半の知的作業の方だ。ここでマンパワーが見積をオーバーし進捗が遅れた場合、挽回するのは容易なワザではない。追加人員を投入しても、水を吸い込む砂地のようになぜか吸収してしまうからだ。皆が忙しい。でも、仕事はちっとも前に進まない--どうしてそういう状態が生じがちなのか。ラーニング・カーブやコミュニケーションにかかる時間のせいだ、というのは一つの説明ではある。しかし、もう一つ有力な説がある。それが「パーキンソンの法則」である。

「パーキンソンの法則」は、イギリスの政治史学者C・N・パーキンソンが1957年にロンドン・エコノミスト誌に発表した短い論文で提起された法則で、“公務員はなぜ増えるのか”という問題に対する答えであった。周知の通り20世紀前半とは、大英帝国が次々と植民地を失っていく時代だった。にもかかわらず、植民地省の人員は、なぜか1935年から54年までの20年間に、3倍以上にふくれあがった。同様に、列強の軍縮交渉で戦力を減少させざるを得なかった海軍省は、役人の数だけはかえって増えていく。

パーキンソンはこの事実を分析して、「なされなければならない仕事の量と、それに割り当てられるべき人員数との間には、ほとんど関係がない」と結論し、「役人の数というのは、仕事の量とは関係無しに、一定の割合(年率5-7%)で増え続けていく」という『パーキンソンの法則』をうち立てる。その理由として彼があげるのは、(1)役人は部下を増やすことを好む、(2)役人はお互いのために仕事をつくり合う、という性質である。

パーキンソンの法則における「役人」は、一般企業では「ホワイトカラー」と読み替えることも可能である。そして事実、たいていの企業では本社機構はどんどん肥大化していく。知的作業の時間の多くがコミュニケーションにあてられているのは事実であるが、それはつまり、「気づき」や「お知らせ」や「折り合い」といった、お互いのためにつくり合っている時間であって、結果としては美しいPowerPointの画像だとか、慇懃無礼すれすれの挨拶メールだとかが生まれるだけである。

受託開発のようなITプロジェクトにおいても、顧客側はたいてい複数のユーザ部門と情報部門が関与するマルチ・ファンクショナルな体制になっていて、その間は見合いの状態になっていることが多い。誰もが何かをいいたくて、でも誰もが責任をとりたくなくて、おかげで受託企業の側が客先の社内調整をやるハメになったりする。会社に戻れば心配性の上司やPMOからレポートを要求される。これではマンパワーがいくらあっても足りるわけがない。

「命ぜられた仕事をしあげる場合、時間はいくらあっても余るということはない」と、パーキンソンは指摘する。それはコミュニケーションに完璧ということがないためであり、またオフィスワークにおけるコミュニケーションが実際には一種の感情的パワーバランスに費やされているためでもある。製造現場のワークフォースを切っている暇があったら、本社で互いに「情報」をつくり合うだけの人たちの数をなんとかしたらいいと思うのだが、いかがだろうか?
by Tomoichi_Sato | 2009-03-30 23:05 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

Web連載記事のお知らせ

技術評論社のWebマガジン「エンジニア・マインド」に、連載「タイム・マネジメントの心得」第11回 『日誌をつける』を掲載しました。どうぞご覧ください。
by Tomoichi_Sato | 2009-03-25 23:23 | 時間管理術 | Comments(0)

ブルウィップ効果とは何か

どちらを向いても不景気な話が昨今多く聞かれる。日本の2008年第4四半期GDP成長率はマイナス12.1%(年率換算)で、'74年の石油ショック以来の落ち込みだ、とか、この半年間に非正規雇用者は数万人規模で首切りが進んでいる、とか、株価低迷で5,000円台への落下も杞憂ではない、といった話だ。いずれも昨年秋の米国発金融危機以降のニュースである。

また、個別業界を見ても、1月の工作機械受注はなんと84.4%減だ、とか、電子部品業界は設備投資がまったく止まった、とか、建設機械の受注もぱったりだ、とか、日本の産業の牽引役とされる自動車や電機産業以外でも、異変が立て続けに起こっているようである。わがエンジニアリング業界も、今期の受注はまことに厳しい。

こうした話題は、それぞれは、真実だろう。しかし、その反面、「はてな?」と首をかしげたくなることも少なくない。たとえば、日本のGDP成長率であるが、なぜ金融危機の震源地である米国(-6.2%)や英国(-1.5%)よりも、さらにずっと低いのだろうか? また、共同通信によると、トヨタやキヤノンなど大手16社は合計4万人の削減を発表したが、一方この16社は内部留保を過去6年間でほぼ倍増させ、今や約33兆円以上と空前の規模だ。それに、たとえば電子部品業界の投資がストップし始めたのは昨年前半からのことで、リーマン・ショックよりだいぶん前だ。

もう少し、不思議な事もある。たとえば、世界の主要な石油産業における投資計画を見ると、2009年は昨年度とそれほど大きな差はない。世界の携帯電話販売台数(出荷台数ではない)は、昨年度も4.3%増だった。ついでにいうと、中国の2009年経済成長率はプラス6-7%、インドも同程度が見込まれる。--こうした状況証拠を積み上げてみると、どうも「米国金融危機から世界同時の大不況がはじまった」ことで我が国の問題をすべて説明するのは、無理があるように感じられる。

それでは、いったい何が本当の原因なのか。そこで思い出すのが、「ブルウィップ効果」である。この言葉は、サプライチェーンにおける需要見込のブレが、消費者側から上流側に向かうにつれてひどくなる現象をさす。スタンフォード大のハウ・リー教授が名付け親といわれる。英語で「ブルウィップ」というのは、カウボーイが牛の群れを追うときに使う革の鞭で、手元でちょっとひねると先の方はとんでもなく大きく動く。消費者におけるわずかな需要変化が、卸、メーカー、とサプライチェーンをさかのぼるにつれて大きくぶれ、原材料メーカーのレベルでは需要が極端に増幅されることをあらわしている。

ブルウィップ効果に関する解説は、たとえば慶応大学管理工学科の曹徳弼教授の講義ノート「サプライチェーンマネジメント(Supply Chain Management)」 などで勉強することができる(ちなみに、曹教授の「プロジェクト・マネジメント」講義は、一昨年から小生も非常勤として数回お手伝いさせていただいている)。

これによると、現象の発見は1961年のフォレスターの研究報告にさかのぼる。しかし本格的な原因究明はリー教授らの研究(1997年)かららしい。小売店での末端需要変化が、川上に向かっていく段階で、その変動幅が拡大してしまい、全体で過剰な在庫や欠品を生み出してしまう原因は、その過程における「情報劣化」にある。とくに消費者から離れる産業ほど、長期の需要予測をする必要があるので、市場の変化が過剰増幅されて伝わってしまい、次のような連鎖が起こるのである。

(1)消費者の需要が数%ダウンする
→(2)小売店が需要減に気づき、仕入れを10数%手控える
→(3)卸業者が在庫過剰をおそれて、仕入れを数十%削減する
→(4)メーカーは、製品在庫だけで出荷量をまかなえるので、生産をやめる
→(5)原材料サプライヤーは、100%需要が無くなって青ざめる

「情報劣化」については、『口コミ』を例にして、曹教授がうまい喩えを書いておられる。棒で殴った→どうなった→頭を殴ったなら大変→棒で頭を殴ったらしい→病院にいったの?→当然救急車でしよう・・つまり「伝言ゲーム」である。これが、サプライチェーンの中で実際に起こるのである。

私が感じているのは、これと似た現象が、昨年以降日本の各業界で(理由はともあれ前後した時期に)起きているのではないか、という疑いである。たとえば、不動産が売れない→建設単価の下落→ゼネコンが苦境→建機の受注がストップ、というのが一つだし、携帯電話市場が飽和→電話会社がスローダウン→携帯電話セットメーカーの出荷量が低下→電子部品業界の生産量低迷→電子材料関連装置の投資ストップ、という連鎖もある。これに、米国景気が急降下→米国で自動車が売れない、という連鎖まで加わった。

ところが、この事象への対応として、大手各社が労働人員削減を大々的に行った結果、どうなったか。今度は一般消費財も住宅も落ち込む事態となった。携帯も不動産も売れない。こうして需要の波動はさらにループを形成して、増幅されハウリング状態になっているのだ。

さて、ブルウィップ効果の解決策は何か。経営工学が教えるのは、こうである:(1)「過剰解釈による情報劣化が問題だから、解釈の権限を限定する」、(2)「サプライチェーン・マネジメントSCMを導入する」。前者の解決法は、トヨタをはじめとする自動車業界のとってきた方法だ。計画は、自動車メーカーのみが立案する(つまり需要の解釈は一箇所のみで行う)。あとのサプライヤーは全て内示とかんばんで同期化する。・・この方法は理想的に見えたが、あいにく解釈の誤りは防ぐことができなかった。

そうすると、解決法は、もはや“賞味期限が切れた”と思われているSCMに、もう一度立ち返るしかないように思われる。リーは、ブルウィップ効果の根本原因を5つにまとめている。(1) 需要情報の処理 (2) リードタイム (3) ロットまとめ (4) 欠品 (5) 価格変動。これらにまつわる問題を、協力しながら一つ一つ、つぶしていくしか方法はないのだ。

・・というところで、今回の話はおわりにしてもいい。しかし、「派遣切り」の問題に関して、どうしても一言だけつけ加えておきたいと思う。それは、派遣社員を切った大手企業が内部留保をたくさんもっていたことへの批判ではない。派遣切りよりむしろ問題なのは、製造現場を、「切れる」形の派遣主体のワークフォースに、いつの間にか変えてきてしまったことではないだろうか。

私は以前、「生産システムの性能を測る」の中で、“システムの性能を測る尺度として最低必要なものは、有効性と、効率性と、安定性の三つである”と定義した。そして、安定性(ないし頑健性 Robustness)とは、生産システムの中核をなす労働者の人達が、安心して快く働き続けられることであり、頑健性は、その職場の事故率や離職率の逆数で測られねばならないと書いた。

日本の製造現場で起きていたことは、そのまったく逆、つまり目先の効率性や有効性を優先するあまり、長期的な安定性を損なう施策であった。その結果は、今やブルウィップ効果のハウリング現象で、自分自身にはね返ってきている。人を切ったおかげで、消費も冷え込み、自分も弱まるのだ。人員余剰というリスクを局所的に避けようとしたあまり、社会全体がダウン・スパイラルにおちいりかけている。まさに局所最適が全体不良を引き起こす、囚人のジレンマの典型ではないか。ジレンマから脱出したければ、独房を出てお互いに手を取り合い、協力し合うしかないはずなのに。
by Tomoichi_Sato | 2009-03-23 21:43 | サプライチェーン | Comments(2)

研究発表のお知らせ

来る3月19日に、横浜国立大学で開催される化学工学会第74年会において「製品開発プロジェクトにおける継続と撤退の合理的基準」と題する研究発表講演(セッションK204)を行います。どうぞご来聴ください。
by Tomoichi_Sato | 2009-03-16 22:02 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

情報をデータにおとし込む

以前、丸谷才一のエッセイを読んでいたら、「順調だった議論がこんぐらがるのは、たいてい比喩のところからだ」と書いてあるのをみて、なるほど、と思った。他人に論点をわからせようとするとき、われわれはよく比喩を使う。たとえば、“在庫とは時間のかんづめのようなものだ”とか、“(海外からの)技術導入は麻薬のようなものだ”といった言い方である。前者は、在庫物品があらかじめ進められた調達/製造工程の結果であることを言い表しているし、後者は、技術導入の成果は翌日からでもすぐ商品になるが、先々ずっと依存し続けることになる事情を示している。しかし、こうした喩えはインパクトが強いが、もとの事象をおおざっぱに表しているだけなので、どうしても異論が出やすいのである。議論のさなかに比喩を使うときは、かなり注意して用いる必要がある。

もうひとつ議論を混乱させやすい因子としてあげられるのは、形容詞である。「大きい」「小さい」「高い」「低い」といった形容詞をわれわれはしばしば使うが、これが結構、異論の元となりやすい。というのは、こうした形容詞はその裏側に評価というものがはり付いているからだ。「在庫が小さい」といえばポジティブで、「製造のコストが高い」といえばネガティブに聞こえる。そこで、異論を持つ人からすぐ、“いや、一概に小さいとは言えない”とか“営業経費だって小さくない”と反論が来る、という次第である。

ところで、形容詞による議論の混乱は、簡単な解決方法がある。それは、「大きい」「小さい」といった言葉の代わりに、具体的な数字でいってみることである。「在庫は1.2億円分ある」とか、「製造のコストは5年前に比べて40%上がっている」と言えばいい。そうすると、議論は1.2億円という数字がどの程度正確か、またその数字をどう評価するか、という方向に進んでいく。事実認識の問題と価値評価の問題を分けて考えることができ、議論のクラリティ(明晰度)が上がるのである。

そういえば、私は若い頃、先輩から「エンジニアは数字で話せ」と教えられた経験がある。技術屋だったら、多い・少ないの『言葉』ではなく、10%なのか90%なのか数字で示せ、という訳である。逆に、数字に落とし込めない議論は、どこかにゴマカシがあるかもしれない、とさえ感じるようになった。議論する前に、まず事実を見ろ。事態の評価に飛びつく前に、まず事態を客観的に把握しろ--先輩の教えは、そういうことだった。

前回、『データを情報に変える』(「考えるヒント」2009/02/14)で、「情報とは、人間にとって意味をもたらすもので、ふつうは言語のかたちをとっている」と書いた。「データとは中立なもので、それ自体は価値を持たない」とも。つまり、先輩の教えとは、情報レベルでのやりとりで混線したくなければ、まず情報をデータに落とし込め、といいかえられるのかもしれない。この方が、伝達や再利用での可能性が広がるからである。

ここでいう「データ」とは、別に「電子データ」の意味ではないことに注意してほしい。客観的で定型化されている数字や文字の並び--それがデータである。だから、パソコンの中に、ワープロのファイルが山ほどちらばっているけれど、いちいち中身を開けてみないと何がなんだか分からない、といった状態はデータの用をなさない。効率よく探し出せなければデータとはいえないからだ。

われわれはオフィスでメールや電話のかたちで、日々かなり大量の情報のやりとりをしている。そして、そうした情報は基本的に非定型である。一方、オフィスワークは誰がやっても合格点のレベルで仕事が動くよう、(判断を含めて)プロセスの標準化が求められる。「需要が大きそうだと課長さんが判断したから在庫を増やしました」というレベルでは、組織としての一貫性は保てない。「この先3ヶ月間で必要な在庫費用は60万円だが、欠品の機会損失は100万円以上になりそうなので在庫しました」というレベルの判断が望ましい。

この「判断の標準化」、あるいは「判断の見える化」に必要なことが、数字とデータにもとづく判断基準なのである。そのためには、人間が発する非定型的な意味情報を、いったん定型化してデータに落とし込み、蓄積したり集計したりする作業が必要になる。そして、そもそもITとは、そのためのツールであるはずだった。情報をデータの形にして機械に処理させ、機械のもつデータから情報を取り出す。このサイクルをうまくつくることこそ、IT利用の最大の勘どころなのだ。

たとえば請求書を手書きの伝票で送るのと、ワープロの手紙で「200万円お支払いください」と書いて送るのと、どっちがIT化に近いだろうか? ワープロの方だと思う素人は、少なくあるまい。ところがIT屋の目から見ると、手書き伝票の方がずっとデータに落とし込みやすい。形式が完全に決まっているからだ。宛先があり、日にちがあり、品目と数量と金額が一行ごとにあって、最後に合計と振込先がある。どこをみればどの項目か迷うことがない。他方、ワープロのファイルを開いて、文章の中から金額をつかまえるのは容易ではない。

ごく単純で機械的な作業で処理できるようなものを定型的という。非定型的な情報は、高度な知的判断を必要とする。ワープロのファイルは非定型だからデータではないが、手書き伝票は定型化されているからデータである。データに落とし込むためには誰かがはじめにその形式をうまく考えて定義してやる必要がある。その形式化をおろそかにすると、データとしての取扱いの難しい、非定型な情報ばかりが行き交うことになる。

データから情報をくみ上げ、また情報をデータに落とし込むサイクルを構築することこそITの能力であり、こうしたことを教えることこそ、真の情報教育だと思う。にもかかわらず、情報とデータに関する基本的理解が足りないまま、情報技術をほんの表層だけつかっている状態がいかに多いことか。お金を計算機にかけながら、実際にはその半分の価値も引き出していない「IT未満」型利用者が多すぎる。

IT未満な人たちは、ワープロや表計算なんかのITツールを、もっぱら『清書用の道具』としてとらえる傾向が強い。だから帳票類を電子化するときも、罫線や図形を神業的に駆使して、紙と見た目そっくりにすることに命をかける。その結果、たいていは入力も面倒、データとしての再利用にもひどく不便、なものになってしまう。それどころか、管理職経由で電子メールで送ればすむものを、わざわざプリントアウトして判子をつくことを強制したりする。こういう病はあちこちではびこっている。

各人のスキルないし職人芸的判断に任せる部分が大きく、仕事の流れが定型化していないところでは、みなが高度な知的判断をしなければならなくなる。日本企業がこうした部分を放置したまま、目先の「合理化」のために人減らしをしているうちに、後ろから中進国に追いつかれ追い抜かれたりする状態にならないことを、私は切に願うのである。
by Tomoichi_Sato | 2009-03-15 23:11 | 考えるヒント | Comments(0)

カムアップ・システムを使う

まず、カードとカードボックスを用意しよう。カードの大きさはとくに決まりはない。B6サイズでも3 x 5インチでも、いわゆる「京大型カード」でもいいが、現場で使うのだから少し堅めで丈夫な紙質のものが良い。それから、カードボックスには、見出しのついた仕切り紙を15枚ほど入れておく。

仕切り紙の見出しには、「月曜日」「火曜日」「水曜日」・・という具合に1週間分の曜日を2セット、書き込んでおく。残る1枚は、「3週以降」としておく。あるいは、もし几帳面な人なら、曜日で2週間分ではなく、「1日」「2日」・・・「31日」「翌々月以降」という風に、1ヶ月分+1枚=32枚用意するのでもいい。

さて、生産計画にしたがって先日付の製造指図が発行されたら(あるいは、MRP用語風にいうと、製造オーダーが計画状態Planned からリリース状態 Releasedにディスパッチされたら)、その製造指図番号と内容をカードに転記する。もちろん、製造指図書自体がカード形式で出力されるならもっと良いが、これは加工図面や製造仕様書やピッキングリストなどを一緒にするケースも多いので、必ずしもカード型が便利とは限らない。だからカードに必要な最小限の情報だけを転記するわけだ。

カードに転記した製造指図には、着手日が指定してあるはずである。そこで、そのカードを、着手日にしたがって、カードボックスの該当日の仕切り紙の後ろに差し立てる。こうしておくと、週次あるいは随時発行される製造タスクが、着手日付ごとにカードボックスにソートされて並ぶことになる。

さて、毎朝、当日分の仕切り紙の後ろに入っているカードを出して並んべてやれば、その日のやるべき製造作業が全部一目で分かる。その日の作業順序を考えて、班員に渡してやる。そして、一日の仕事をおえて就業時間になったら、作業日報にしたがい、完了した製造タスクのカードは廃棄する。その日のうちに完了できなかった仕事は、カードボックスの翌日の仕切り紙のところに差し立て直す。こうして、一日単位で仕事を回していくのである。

この仕組みは単純だが、やるべき仕事の「見える化」手法としては便利で分かりやすい。先日付の作業指示を受け取ったとき、机の上に積んで記憶しておくだけだと忘れがちだ。しかし、カードボックスに整理しておくと、当日の朝になると、自動的にカードが出現(カムアップ)してくる。そこで、これを「カムアップ・システム」と呼ぶようになったらしい。

ところで、ここまで読んだ方は、“なーんだ。工場の現場の話かあ。じゃホワイトカラーの自分には関係無いな”と思われたかもしれない。ところが大ありなのだ。今日ではむしろ、オフィスワークにこそ、カムアップ・システムが必要だからである。

昨今の情報化の進んだ製造現場では、むしろ端末をたたけば先日付の製造オーダーをすぐ見ることができる。ところが、オフィスにいるホワイトカラーは、明日、あるいは来週の今日、どの仕事がどれくらいの量あるのか、誰にも見えない。つまり、作業負荷が誰も分からない(上司でさえ)という状態なのである。なぜか? 理由は単純だ。オフィスワークでは、だれも「製造オーダー」に対応する「ワークオーダー」を発行してくれないからだ。上司も、隣の部署も、客先も、あなたに口頭で頼むか、せいぜい電子メールで送ってくるだけだ。

そのような「見えない」状態で仕事を進めていくと、困ることは何か。それは納期が守れないことである。だって、仕事がどれくらい忙しいのか客観的にわからない(自分でさえ分からない)のだから、当たり前ではないか。

そこで、私はオフィスでこそカムアップ・システムを使うことをおすすめしたい。カードボックスのかわりに、ファイルフォルダーをつかう(厚紙のものでも透明のものでもいい)。そのフォルダを、32冊、用意するのである。そして、「1日」から「31日」まで見出しをふっておく。

あなたが、誰かから会議のお知らせメールを受け取ったとする。会議用の配付資料が添付されている。そこで、それをプリントアウトして、会議の日付のフォルダに差し込んでおく。あるいは、あなたは来週、顧客のところに打合せに行かなくてはならない。そのための資料を用意したら、来週の該当日のフォルダに入れる。上司にレポートを宿題として渡された。そうしたら、A4の紙にやるべき内容を要点だけ書いて、フォルダにはさむ。こうすれば、自分がやらなくてはいけない仕事(To Do)は、すべてフォルダのなかに、物理的な実態として見えてくる。To Doリストの見える化である。
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フォルダは、かならず日数分用意しなくてはいけない。2~3日分ずつまとめて、などとやると見づらくて混乱するばかりである。また、自分は紙は嫌いだ、なるべく電子ファイルで画面上で処理したい、という方は、かわりにメーラーに31日分、フォルダを作ってもいい。口頭で受け取った依頼は、メモして自分あてにメールとして発信(受信)しておけばいい。

このようなやり方をはじめると、気がつくことがある。それは、タスクというのは着手日を決めることがとても大事だ、という単純な原則である。着手がそれより遅くなるると、納期に間に合わなくなるような、適正な着手日を見積もること。それが、オフィスワークにおけるスケジューリングの最大のポイントなのである。
by Tomoichi_Sato | 2009-03-08 23:01 | 時間管理術 | Comments(0)

プロジェクト・コミュニケーションに必要な3つの能力

一般にプロジェクト・マネージャーの働く時間の4割は、コミュニケーションに使われている、としばしばいわれる。いや5割以上だ、との説もあり、私の実感はこちらに近い。とにかく、プロジェクト・マネジメントというのは、朝から晩までかなりの時間を、何らかのコミュニケーションに費やしている。メールを読み、メールに答え、社内で打合せし、顧客や発注先と会い、会ったらその結果を打合せメモにしてまた発信する。そのかたわら上司の質問に答え、会社に報告書を出して、というわけで、朝から晩までずっとコミュニケーションに追われている感じである。

「プロマネ」という社内肩書きはついていないが、個別受注生産の設計部門や、あるいは品種の多い製造業の開発部門・生産技術部門の技術者なども、おそらく似た事情だと思われる。エンジニアと名乗って仕事はしているが、自分で計算したり図面を書いたりする時間はちょっぴりで、大半の時間を顧客や社内との連絡調整につかっている。多くの場合、図面や計算は専任の担当者や協力会社にまかせざるをえないし、事実まかせきりになっているようだ。

このように、設計・技術部門の多大なマンアワーを費やしている「コミュニケーション」作業であるが、それでは、その内容・レベルはどうとらえるべきなのだろうか。プロジェクトにかかわる人々の能力や生産性を問うならば、当然、その作業の重要な要素であるコミュニケーション能力を測り、その効率を改善しなければならない。しかし、「コミュニケーションの生産性」とは、いったい何なのだろうか? PMBOK Guideなどには、9つの領域の一つとしてコミュニケーション管理があげられている。しかし、具体的に何をどうマネジメントしたらいいのか、抽象的すぎて読んでも歯がゆいと思う人は多いだろう。

このことを考えるためには、私たちが一口で「コミュニケーション」とよんでいることがらの中身を、少し立ち入って調べてみる必要がある。MITのトマス・アレン教授は、近著「知的創造の現場―プロジェクトハウスが組織と人を変革する 」で、彼の長年の実測研究結果をまとめて、いわゆるコミュニケーションには、三種類の別の機能のことがらがまざっていると書いている。その3つとは、
●インスピレーション
●インフォメーション
●コーディネーション
である。これらはどう違うのだろうか。

インスピレーションとは、日本語で言えば「ひらめき」である。互いに会話する中で、ふとした気づきがおき、それが形になってくるプロセスだ。誰にも経験はあると思う。話をしているときに、ふとアイデアを思いつく。このときの会話は、とくに確とした目的のない、雑談めいたやりとりの場合が多い。ただ、何らかの問題意識をめぐる雑談なのだろう。たとえば、「あのモジュールの設計はどうやろう」とか、「この客に買ってもらうにはどんな説明がいいのか」といった漠とした問題意識だ。こうした背景を共有する何人かが、ほとんど偶然に集まって、ちょっとしたおしゃべりをする。その中でひらめきが生まれてくる。

だから、インスピレーション=ひらめきを活性化させたかったら、似たような問題意識を持つもの同士が、偶然出会えるような場所や時間が必要だ。そう、アレンは推奨する。これは、壁とドアで仕切られた個室だけの米国式オフィスではむずかしい。だからチーム員を一つの部屋に放り込むとか、廊下にカフェコーナーを設けるとか、日本式の大部屋にするとかいった工夫が必要になる。こうしたひらめきの生産性は、アウトプットであるアイデアの質や量によって測ることになるだろう。

次のインフォメーションとは、「お知らせ」である。あることを知っている者が、そのことを知らない相手に情報を伝達する。上意下達の命令、下からの報告、ことなる部署間での伝達、客先や外注先への通知、そして発注--こうしたものは、みなインフォメーションである。そして、インフォメーション=お知らせは、その情報を必要とするどれだけ多くの人が、十分な知識レベルに達したかで効果が測られる。つかった時間や労力を分母にとり、知らされた情報量や受け手の数を分子にとって生産性が定義できる。つまり、早い話が時間あたりに伝達したビット数である。

ちなみに、コミュニケーションとは、日本語でのイメージと違い、英語では一方通行的な概念である。誰かが誰かに一方的に伝えること。これをcommunicationとよぶ。だから、放送局のアンテナから全国のTVセットに電波を配信する仕組みを、mass communication=マスコミと呼ぶのだ。

英語の概念では、コミュニケーションは基本的に発信者側に伝達の責任がある。相手が分かるように表現し、相手に伝わるように渡し、かつ相手が受け取ったかどうか確認する。まさに通信技術そのものである。日本人のように、コミュニケーションは双方向で、かつ受け手の側に理解責任がある、という感覚ではない(むろんこれは両者をわざと図式的に対比した言い方であり、現実には日米ともその中間に広い領域があるが)。

さて、第3の種類は、コーディネーションである。Coordinationという英語は、ordinate(座標軸)をあわせる、という意味である。ばらばらになっている方向性をあわせるのだ。何の方向性か? それは、それぞれの話者の考え方の方向性である。皆のベクトルを一致させると言ってもいい。日本語で表現するなら、「折り合い」をつけるといおうか。

そして、このコーディネーション=折り合いこそが、ビジネス・コミュニケーションにおける最大の難物、時間消費の元なのである。なぜなら、コーディネーション=折り合いとは、その場の集団による意志決定にほかならないからだ。

プロジェクトにおいて、インスピレーション・インフォメーション・コーディネーションが、それぞれどの時期にどれだけの割合になるか、私の経験を示してみたのが次の図だ。仕事のごく初期は、ほんの数人でアイデアをふくらませる段階だ。だから「ひらめき」が主体になる。しかし、仕事が広がりをもってくると、メンバーを増員していくことなる。この新参の人たちは従来の背景を知らないから、説明して理解してもらう必要が出てくる。また、アイデアの結果は次第に設計その他の成果物として形になってくる。これも共有する必要がある。こうして、情報伝達のためのインフォメーションが次の主役になる。

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しかし、さらに仕事が発展して、会社の様々な機能部門を動かして進める段階になると、こんどは各部の人間の目的意識や行動規範の違いが目立ってくる。ホワイトカラーはみな、一家言ある人たちだ。そして、互いに自分なりの仮説や憶測や流儀をもっている。同じ目的のために働いているのだが、それを達成するための方法や、状況認識にいろいろ違いが出てくる。同じ企業内ならまだしも、これが顧客や関係会社との折り合いとなると、もっと大変だ。

しかも、プロジェクトには、つねに不確実がつきまとっている。誰も先のことは分からない。だから、AがいいかBがいいか、判断が分かれてくる。でも、この判断の差というのも、しょせん「55% vs. 45%」程度の確信度の差でしかないのだ。それを、「いや、そんなこと俺は聞いていない」「あのミーティングには呼ばれていなかったから」などと言い合うのが、会社員の常らしい。とにかく、皆の発言を一度は聞いておかなければならない。これは知識の問題ではなく、じつは感情の問題なのだから。

このようにして、最盛期にはコーディネーション=折り合いのために、ひたすら時間が消費されていくのである。浪費と言ってもいい。アウトプットは、というと、別に合意書とか議事録とかの数ではなく、要は互いの感情がいかに静まったか、互いのメンツがいかに立ったか、であるから、これほど生産性の測りにくい営為はない。
では、コーディネーション=折り合いの消耗さを減らすにはどうしたら良いのか? 皆で飲みに行くしかないのか? そこに生まれたのが、ひとつの実際的な解決法である。それは、「プロジェクト・マネージャー」という役割の人間を置いて、最終的にはこの人の決断にしたがって動こう、という決めごとだ。そのかわり、プロジェクトの結果に対する最終責任も、この人が負う。これは上司部下の問題ではなく(なぜなら、ことなる部署間での折り合いなのだから)、役割=ロールの問題である・・・これが、プロジェクト・マネジメントの基本的な考え方なのだ。

そして、プロジェクト・マネージャーはベターな判断をするために、できるかぎりすべての情報を知っておかなくてはならない。そのためには、プロマネを頂点としたツリー型のインフォメーション・ルートを構築しなくてはならない。こうして、大勢の人間が55%対45%の言い争いをするかわりに、誰か一人(別に全知全能でもなんでもない人間)が始めから終わりまで責任を持って仕事を見る、という仕組みが生まれたのである。そんなわけで、組織全体のコミュニケーションの浪費を減らすために、プロマネは今日も朝から晩までメールとミーティングに追われるのである。
by Tomoichi_Sato | 2009-03-02 22:21 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)