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Web連載記事のお知らせ

IT MediaのWebマガジン「@IT MONOist」(ものづくりスペシャリストのためのポータル)に連載中のシリーズ「こうすればうまくいく生産計画」に、第6回記事

 『“かんばん方式”にまつわる誤解・曲解・勘違い

を掲載しました。どうぞご覧ください。
by Tomoichi_Sato | 2009-02-26 23:05 | サプライチェーン | Comments(0)

お見積りは無料です

最近、電車に乗っていると、ときどき壁面上部の広告欄に空きスペースを見かけるようになった。さすがに、つり革広告はまだフルに使われているようだが、少しずつ車内広告の量が減少しているらしい。テレビ局や雑誌社も広告収入の減少で青息吐息の状態だ。

情報というものが無料で手に入る、と広く信じられるようになったのは、20世紀後半のことかもしれない。それまでは、本だろうが新聞だろうが、一応の対価を払って手に入れていた。それが、ラジオが普及し、さらにテレビが後を追って、受信料を取るNHKをのぞく民放はすべて無料で番組を提供する時代になった。これは広告という新しい産業のおかげである。私は子供の頃、テレビが家にきたのをかろうじて覚えている世代に属するが、おそらく40代以下の人たちは、生まれたときから家にTVがあって、無償でさまざまな情報が送られてくるのを、空気を呼吸するのと同じ感覚で受け止めているにちがいない。

この状況はさらにインターネットの普及で加速し、いまやYahoo!やらYouTubeやらで無料で手に入れられない情報はないかのごとく、信じている人も多い。通信にはお金がかかるが情報はほとんどタダだ、そう思って暮らしているようである。

ところで、この無料の情報は基本的に、送り手側が自分で発信したいと思っている情報だ。生産マネジメントの世界の用語でいえば、「プロダクト・アウト」の種類に属する。いわば「見込生産」によって供給されている代物である。いや、この事情は、有料の情報としての、書籍や学校教育などにおいても同じだ。

では、「プロダクト・アウト」の反対に位置づけられる「マーケット・イン」の情報とは何か? 受け手側が主体的に求める「受注生産」的な情報とは何だろうか。検索サイトにアクセスして検索窓にキーワードを打ち込む行為は「マーケット・イン」を思わせるかもしれないが、検索結果として出てくるのは、「見込生産」された情報だけである。それは見込生産品のカタログを開いてページをめくっているのと何も変わりはない。

受け手側がきっかけをつくってリクエストし、その受け手にとって必要なテイラーメードな情報を作ってくれる、受注生産的な情報サービスとは何か。じつは、皆が仕事の上でよく知っている行為が、その代表格の一つである。それは『見積』と呼ばれる行為だ。

あなたが仕事上で何かを注文しようとしたら、たぶん販売店の営業マンを呼びつけ、見積書を作らせるだろう。営業マンの方は、あなたが何を欲しいのかを聞き出し、自分の供給可能な商品の構成を考えて、機能や仕様や数量をきめ、価格をつけて提出してくる。買いたいものが複雑で金額がかさばるほど、提出される見積書もページ数が増え、カタログや説明書や図面が添付されて、微に入り細をうがった情報が出てくるはずである。いや、たとえそれがペラ1枚の見積書であっても、そこにぴったりの品目名が書かれていれば、それがあなたの求めていた情報なのである。

そして、つねに「お見積もりは無料」である。見積作業が営業行為の一環である以上、それは当然のことだと、みな思うのだろう。

ところで、話はちょっとずれるが、日本の販売管理費比率が高いことについて、私はかねがね疑問に思っていた。例えば総合小売業のイオンの売上高販売管理費比率は33.2%で、売上高の実に3分の1を販売管理費が占めている。イトーヨーカ堂も同様に35.0%と高く、ファーストリテイリングも29.2%である(いずれも2005年の数値)。しかし世界最大の小売業・米国ウォルマート・ストアーズの場合は17.9%と、日本企業に比べてずっと低コスト体質である。

製造業を見ても、「日米欧アジア機械産業の国際競争力の現状」(日本機械輸出組合) 2007年版は、我が国の機械関係企業群の国際競争力低下の問題を分析して、「企業の売上高に占める販売管理費比率が高いこと」をその大きな要因としてあげている。どうやら、販売管理費は日本の多くの産業で高いらしい。そのことは、同業者相手の比較や、国内水準での比較では気づかないが、国際比較をすると見えてくる事象のようだ。

見積作業とは何か。このことは『モノを買うのか、機能を買うのか』にも書いたことだが、買い手の欲する機能と、売り手の供給できるモノとのマッピング作業である。ニーズが単純なら、売り手は自分の商品カタログから選べばよい。しかし、もし買い手の必要とするものがシステム的な複雑さをもつものだったら、そこには当然、要求分析と基本設計という作業が必要になる。つまり、見積という名前の無償基本設計が要求されるのだ。そして、この基本設計こそ、実は買い手にとって最も価値のある部分ではないのか。

無償で行った基本設計の費用は、誰が負担するのだろうか。それは、一応、販売管理費として、売り手側が持つ。しかし、結局それは、見積の原価構成におけるオーバーヘッドとして、一定の比率で売値にかかってくる。つまり、最終的には買い手がそれを払っているのである。この事情は、以前『高い買い物をする方法』(「タイム・コンサルタントの日誌から」 2007/10/23) にも書いたとおりだ。

見積費用は販売代金の形で回収できる。しかし、無料で提出した基本設計上のアイデアは、誰のものだろうか。それはどのようにして本来もつ価値を回収できるのだろうか。私たちの産業では、「お見積もりは無償」の原則によりかかって、無料のサービス仕事があまりに多すぎる。知的所有権の議論の一つに、「コモンズ」という概念があるが、これは共同入会地のようなもので、誰もが自由に無償に利用できる知的財産のことを指す。しかし今日の状況はコモンズなんてすでに通りこしていて、草刈り場で搾取したい放題なのではないだろうか。それは結局、アイデアと言う豊穣な場所を枯らしてしまうのではないか。

見積が無償なのは、むろん日本だけのことではない。しかし、私は海外で、ある欧米系石油メジャーに対する見積業務に従事していたときの経験を覚えている。案件は競争入札だった。大型プラントの見積作業は、それ自体が億の単位の費用を要する。ところで、その顧客は、応札者に対して、「入札要求仕様書(基本設計書)のベリフィケーション費用」という名目で、かなりの金額を支払う約束をした。

それだけではない。経済状況の乱変動に伴って、見積期間中に顧客の要求事項もあれこれと変化して、ついていくのがひどく大変な状況になった。すると、入札締切の直前に、顧客はベリフィケーション費用を50%増額する、と宣言し、そのとおり実行したのだ。この時以来、見積はいつでも無料であるべしという感覚が、自分の中から抜け落ちてしまった。

さて、それではどうしたら良いのか。まさか明日から見積に対価を支払う、というわけにもいくまい。そんな予算は会社がつけてくれないにきまっている。そんなわけで、無料で見積もりを要求する。売り手はそれにつき合って無償の設計作業をする。そして、販売管理費比率が高くなる。費用がどこも高くなるから、ますます合い見積が増える・・という悪循環だ。私たちは、無償作業によりかかった、高コスト体質のまま生き続けるしかないのだろうか。

答えははっきりしている。買い手が、自分自身をレベルアップするしかないのだ。まず、見積を依頼する前に、自問すべきだろう。物品を買うのか、機能を買うのか。もし機能を買いたいのなら、実現方法のアイデアは誰のものなのか自覚すべきだ。

そして、機能を買うのなら、買うモノはブラックボックスで良いはずだ。提案されたシステムの内部構成について、詳細な情報を要求するのはまちがっている。もし内部構造も明らかにされたホワイトボックスを買いたければ、自分で構造と仕様を指定できなければならない。それはつまり、自分自身で自分の要求分析をできる力を持て、ということなのでである。
by Tomoichi_Sato | 2009-02-22 23:05 | サプライチェーン | Comments(0)

Web連載記事のお知らせ

技術評論社のWebマガジン「エンジニア・マインド」に、連載「タイム・マネジメントの心得」第10回 『会議の時間を活かす』を掲載しました。どうぞご覧ください。
by Tomoichi_Sato | 2009-02-18 23:06 | 時間管理術 | Comments(0)

データを情報に変える

ここに一つの数表がある。最近の企業業績に関するデータをもとに作成したものの一部だ。類似した業種の会社7社を選んで、並べてある。

    売上高 従業員数 粗付加価値額 付加価値生産性 労働装備率
--------------------------------------------------------------
企業1  36,499 | 2,039 | 25,859 |  12.68   |   12.6
企業2 709,554 | 5,661 | 184,161 |  32.53  |   29.5
企業3  87,752 | 2,031  | 26,411 |  13.00   |   12.2
企業4 282,091 | 3,358  | 64,769 |  19.29   |   23.0
企業5 257,471 | 2,509  | 29,808 |  11.88   |   17.1
企業6  80,080 | 2,170  | 46,328 |  21.35   |   16.4
企業7 194,356 | 3,343  | 76,324 |  22.83  |   28.2

これをみて、どのようなことを感じられるだろうか。たぶん、なんだか数字が並んでいるだけで、何も感じようがない、と思われるだろう。

それでは、この中の二つの項目を選んで、グラフにしたら、どうだろうか。

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これをみると、どうやら企業の生産性(付加価値労働生産性)と、その企業の労働装備率との間には、一種の相関関係があるらしい、ということに気づくだろう。労働装備率は従業員一人あたりの固定資産額で、製造業の場合は主に工場設備に左右される。ここから、人を増やさずに生産性を上げたければ、工場の近代化投資が必要らしい、という仮説が浮かんでくる。

とはいえ、今回のテーマは工場の話ではない。上に上げた表は、定型化された数値や文字の並び、すなわち「データ」である。では、グラフの方はどうか? こちらもデータである。ただ、そこから、“生産性と労働装備率とは関係がありそうだ”という「情報」が浮かび上がってくる。データから情報を組み上げるプロセス、これは人間の心が持つ「気づき」という知的な働きによるものだ。コンピュータは、人間に情報をもたらしてくれたりはしない。

以前、出版社の人に、ITの本質を理解している人を見分ける方法はあるかときかれたとき、とっさに私はこう答えていた。『データと情報はどこがちがうか?』と訊ねてみてください、と。なぜなら、ITをよく分かっていると人とは、データと情報のサイクルを意識して活用できる人に他ならないからだ。

たいていの人は「データ」と「情報」という二つの言葉を、あまり区別せずにつかってる。専門書も、あいまいな場合がある。しかし、ITを理解する上では、この両者ははっきりと区別する必要がある。

「情報」とは、人間にとって意味をもたらすもので、ふつうは言語のかたちをとっている。逆にいえば、すぐに意味をくみ取れないものは、たとえ言葉で書かれていても、情報の役割をはたさない。

一方、「データ」とは何か。データとは、数字や文字の形式化・定型化された並びのことだ。「表のようにきちんと並んだ」と理解してもいい。たとえば、新聞の株式欄はデータである。会社名と、株価の数字が整然と表になって並んでいる。駅の時刻表や電話帳もデータだ。データはべつに数字が並んでいる必要はない。文字だけでもデータだから、住所録や学校の卒業名簿だってデータである。

データというものは、必ずしもコンピュータの中に格納されていなくてもいい。「あの野球監督はデータにもとづいて作戦を立てる」といったとき、そのデータは過去のスコアブックの集積を指しているので、それがパソコンに入っているかどうかは本質ではない。その監督が単なる人情や勘だけで指示を出しているわけではない、ということをいっているのだから。

いや、新聞の株式欄は『情報』じゃないか、という反論もあるかもしれない。ある株が上がったか下がったか、どの会社が今、注目株か。これはみな『意味』そのものだから、さっきの定義にしたがえばデータではなくて情報ではないのか? --とはいえ、株式欄の数字の羅列から意味をくみ出すのは、人間の側の頭脳や精神の働きである。

最初にあげた数表とグラフを思い出してほしい。図を見ると、労働装備率が高い企業ほど付加価値生産性も大きいことが理解される。データの中にある関係性(これを共分散構造と言ってもいい)を見いだし、人はそこに意味を発見する。しかし、コンピュータは、表の形になっていようが、グラフの形で表現されていようが、そこから自動的に意味をくみ取るようなまねはできない。

つまり、「データ」とは中立な(いいかえれば無味乾燥な)もので、そこから意味を引きだして「情報」にするのは人間の認識力なのである。だから、データそれ自体は価値を持たないが、それを利用できる人にとっては潜在的価値がある。データとは、見かけは荒れ地だが地下に石油の鉱脈が眠っているかもしれない土地のようなものだ。

もう一つ、データと情報には重要な違いがある。コンピュータの中に格納して処理できるのはデータだけなのである。機械にできるのは、形式化され定型化された数字や文字の並びを、あれこれと加工することに限られる。「IT=情報技術」という名称とは裏腹に、コンピュータは情報は扱えない。なぜなら、情報には決まった形がないからである。

物流の世界にたとえれば、コンピュータというのはデータという荷物の運送業者だ。データを受け取って、車に積んで、集積所にはこんだり車につみかえたりしたりして、相手先に届ける。だれかにものを送りたいときには、それが本であれ服であれ花束であれ、とにかく何かの箱に入れて宅配業者に渡すだろう。ばらばらで形の定まらないものを渡されても業者は困ってしまう。機械的にハンドリングできないからだ。また逆に、運送業者にとって、箱の中に何が入っているかは興味がない。箱の中身に人がどういう意味を託そうが、それは彼らにはあずかり知らぬこと、知りようのないことだ。

ではなぜ、「IT=情報技術」などという概念が生まれるのか? それは、情報という上層のレイヤーとデータという下層のレイヤーをとりもつための技術だからだ。情報という大事な品物を、データという形の決まった箱に入れて処理しやすくし、また逆にデータの箱の中から、うまく情報の品物を引きだすことで、

    →→情報→→
   ↑        ↓
    ←←データ←

という円環をつくってまわしていく。この、“データと情報のサイクルを回す”ということが、IT利用スキルの本質なのだと、私は考えている。

<参考 JISにおける用語定義>

情報:事実、事象、事物、過程、着想等の対象物に関して知り得た事であって、概念を含み、一定の文脈中で特定の意味を持つもの

データ:情報の表現であって、伝達解釈又は処理に適するように形式化され、再度情報として解釈できるもの。
by Tomoichi_Sato | 2009-02-15 22:18 | 考えるヒント | Comments(2)

マイルストーンは中点で測れ

プロジェクト・スケジューリング立案作業の第一歩は、いうまでもなくWBS(Work Breakdown Structure)の作成である。成果物スコープとプロジェクト・スコープを、もれなく・重複なくカバーするタスク(アクティビティ)をすべて拾い上げる。それらを階層的に構成し、整理番号をつけたものがWBSだ。スケジューリングは、WBSを構成するアクティビティの所要期間を見積り、また、それらアクティビティ間の論理的な着手順序や依存関係を決定して、ロジック・ネットワークに落とし込む(ここは何らかのソフトウェア・ツールを利用することが多い)。その上で、クリティカル・パスを求めると、それがプロジェクト全体の工期となる、という訳である。

通常はさらに、クリティカル・パス上の主要な達成点に、「マイルストーン」を設置する。これは後の進捗管理を分かりやすくするための工夫だ。ここまでは教科書的な常識の話で、誰もが知っていることだろう。

さて、問題は各アクティビティの所要期間の見積だ。これの精度がいい加減だと、プロジェクトの納期も信頼度が落ちるばかりか、コスト見積の精度もあやしくなる。したがって、過去に類似プロジェクトの経験があれば、当然そこから実績期間のデータを集めてきて、参考にすることになる。むろん作業量の大小に違いはあるだろうから、作業量の基準となる値(BOQ)を比較する必要がある。BOQというのは、たとえば、テスト件数であるとか、コンクリート打設m3だとか、端末設置台数とか、業務プロセスのシナリオ数とか、そのアクティビティの仕事量を代表する指標である。プログラミングなら、ファンクション・ポイントを用いることも多いだろう。

過去のアクティビティと現在計画しているアクティビティのBOQの比が2倍なら、所要期間も2倍になるだろう、と一応考える。ただし、これでは単純すぎるわけで、実際には投入要員数と生産性で補正して所要期間を計算するわけだ。

ところが、この「過去のアクティビティ実績期間」というのがくせ者なのである。というのも、実はアクティビティの着手時点と完了時点というのは、正確につかむのが案外むずかしいからだ。たとえば、「90%シンドローム」という言葉を聞いたことがあると思う。「プロジェクトの期間の9割で進捗率は90%に達し、その後また同じ期間をかけてようやく100%に達する」(つまり当初計画の1.8倍の期間がかかる)という、ジョーク混じりの法則である。どんな仕事でも、最後の詰めの部分は効率がわるい。だから、アクティビティの進捗率のグラフを描くと、「Sカーブ」になって最後はかなりなだらかな上昇になる。

全体の90%まではすんなり到達するが、最後の10%にずっと時間がかかる理由は、二つある。一つは、「100%地点」が正確に見えていなかった、というケースだ。製品開発の基本設計とか、情報システムの要件定義などの“ソフトな”仕事では、よくある。しかし、もっとしばしばお目にかかる理由は、仕事も9割を超えると、むしろ「残存問題箇所の修正モード」に入るからだろう。これはソフト的か、力仕事的かにかかわらず、起こりうる。ほぼ終わりが見えた時点で、ふつうは残件リスト(英語ではPunch Listとよぶ)を作成し、それをつぶすモードになる。この残件つぶしに、思ったより時間がかかるのだ。だから、「実質的に終わり」の時点と、「公式に終わり」の時点にかなりの開きが出てしまう。

期間がとらえにくいもう一つの問題点は、着手時点にある。プロジェクトの上流側の作業が遅れている場合、下流側の担当者は、しばしば「できるところから先に手をつけて」準備作業に入ることが多い。上流側が終わっていないので、下流側で手をつけられる箇所は当然限られている。だから、チョロッと手をつけては待ちになり、またちょっとやっては待ちになる。こうして生産性の上がらない期間が最初にできてしまう。あるいは、TOC理論で言う「学生症候群」で、最初はサボっていて、タスクの締切近くにならないと真剣に作業しない、というケースだってあるだろう。

このように、過去の実績期間データというのは、案外そのままは使えないものが多いのだ。それでは、どうするか?

ここで使うテクニックが、「中点で測る」方法である。アクティビティのBOQの50%を達成した時点を、マイルストーンとして内部管理用に記録しておく。そして、マイルストーン間の期間を比較の尺度としてつかうのである。むろん、期間の半分の時点を記録するのではなく、達成率50%になった時点を記録するのである(いわずもがなと思うが、念のため)。

このようにすると、先行して着手したり、あるいは最後のダメ詰めで時間をとられたりした際の影響を受けにくい。いわばSカーブの傾斜の大きなときに測るわけであり、精度も比較的ぶれない。複数のプロジェクトを比較するときも、50%時点を中心に並べると見やすく、分かりやすい。

無論、このためには、作業量見積の基準となるBOQをうまくみつけておく必要がある。人間の標準作業や生産性評価が重要となるのは、このためなのである。
by Tomoichi_Sato | 2009-02-06 23:29 | 時間管理術 | Comments(0)

Web講演記事掲載のお知らせ

翔泳社の情報提供Webマガジン「EnterpriseZine」に、昨年8月に行われたPM Conference 2008における講演をダイジェストした記事『大規模プロジェクトを成功に導く見取り図のつくり方』が掲載されました。
どうぞご覧ください。
by Tomoichi_Sato | 2009-02-02 22:11 | ビジネス | Comments(0)