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Web連載記事のお知らせ

IT MediaのWebマガジン「@IT MONOist」(ものづくりスペシャリストのためのポータル)に連載中のシリーズ「こうすればうまくいく生産計画」に、第4回記事

 『リードタイムを短縮する4つの方策はこれだ!

を掲載しました。どうぞご覧ください。
by Tomoichi_Sato | 2008-12-27 17:47 | サプライチェーン | Comments(0)

クリスマス・メッセージ--夢よりも希望を語ろう


Merry Christmas !

夢の中で試験を受けたり、宿題に悩んだりする人は案外多いらしい。心理学者の河合隼雄の説によると、こうした夢は、無意識からの自分への警告であるという。本来はとても大事なのに、普段の生活の中では考えるのを怠っている問題を、忘れないように『無意識』が警告しているのだ。それはすなわち、自分の限りある生にはどのような意味があるのか、という根源的な問いである。十代の頃は誰もが考えたはずのこの問題も、社会に出て日常に追われる中では意識にのぼってこない。社会というのはむしろ、人間をそうした根源的問いから遠ざけておくために、わざわざ忙しくさせるための装置なのかもしれない。

隣百姓」という言葉がある。隣が田植えをしたら自分も田植えをし、隣が刈り取ったら自分も刈り取る。季節は毎年少しずつ微妙に違うので、農作業ではタイミングの判断が非常に大事である。そのタイミングもやり方も、隣を見て真似るのが「隣百姓」である。もし隣人が経験を積んだ頼りになる人なら、これはまあ、ある意味で賢いリスク・マネジメントの方策だと言える。「真似る」ことは「まねぶ」、つまり「学ぶ」ことのはじまりであるから、すなわちナレッジ・マネジメントの第一歩だと考えることもできる。「隣百姓」とは要するに、自分では何も考えないでもすむ仕掛けである。

しかし、いうまでもないが、これは隣人が自分より頼りになる人である、ということが前提になる。周りが自分と同じ程度のスキルだったら、みんなで同じ間違いに陥るかもしれず、全然リスク対策にはならない。誰かに学んだり真似たりするときの一番の前提条件は、相手が自分よりもはるかに上のレベルであること、そしてその相手が信頼できること(言いかえれば利害が共通していること)である。ここを忘れて、単に皆がお互いの真似をして、同じバスに乗りおくれまいと争うのは、バブルを生む元である。

9月の米国発金融危機以来、ひどく景気のわるい話が続いている。あちこちで操業停止、非正規雇用者の切り捨てがアナウンスされている。売上げが落ちる、だから単価を下げる、そのために人件費を削減する、おかげで雇用が減ってますます消費が冷え込む。これはまさに、逆のバブルではないだろうか。まわりがこうしている、だから自分も同じ事をする、その結果ますます状況にドライブがかかる--どうしてこういう不思議な現象が起こるかというと、現代の経済システムが、付加価値ではなく、資産価値という「夢」によりかかって出来上がっているからだ。

付加価値というのは、あなたが外部から買ったモノに何らかの加工を施し、より高い値段で売ったときに生じる。これは、いわばフローによって生じる価値である。ところが、あなたが金の延べ棒を買って、数日後に相場が上がったから売ったとしたら、どうだろうか。金の延べ棒自体には、何の変化も生じていない。これはストックの評価額によって生じるキャピタル・ゲインであるが、ではその資産評価額はなぜ上がったのか? それは、「金が上がりそうだ」と多くの人が思ったからに他ならない。

一般の消費財や生産財の価値は、買い手側の「使用価値」によって決まる。これは他のユーザーの価値判断によってはあまり左右されない(むろん多少の需給変動はあるが)。しかし、知っての通り、会社の株価はしばしば短期間に大きく変動する。会社自体の配当能力や物的資産の量は、1日や2日で急に変わるものではないにもかかわらず、株価が短期的に変動するのは、買い手の憶測が重なるからだ。金の延べ棒や土地や株式などの資産は、配当云々よりも、転売価格によって基本的に動かされる。だから、他の売買者の夢や憶測が非常に重要になり、それが同調したときは正のフィードバックがかかったように急速に変動するのである。

物づくりにしんどい思いをして付加価値を上げるより、夢を売ってキャピタル・ゲインで儲ける方がはるかに手っ取り早い。逆バブルでしぼんでも、一度いい思いをした人は、なかなかその夢を忘れられまい。だが、夢と憶測の重なりで生じる資産価値の増大は、基本的に「まぐれ」の一種であり、それは運が良かったということとほぼ同義語でしかない。もしこの社会が、運の良かった者を報い、運のわるかった者を罰するだけの存在だったとしたら、いったい誰がまじめに働こうとするだろうか。

今日の社会では、「」はあたかも良いものであるかのように語られる。夢を持て、夢を忘れるな、若者に夢を、というわけだ。誰もそれを疑わないらしい。しかし、はたして夢はそのように一方的に良いものなのだろうか。夢は意識や理性を少しばかり抑えたところに生まれる。夢には根拠はいらない。そして、その夢に踊らされる社会のツケは、いったい誰に回されるのか。それは、近々1000兆円を超える負債を抱えることになる、今の20代以下の世代の人たちではないだろうか。

今の若者には夢がない、などというのは嘘だ。正しくは、今の社会では若者は希望を持てないので、夢を見るしかない、というべきだ。ここで私は「希望」という言葉を、「夢」とは峻別して使っている。希望とは何か。それは、人生は運不運だけで決まるのではないはずだ、と思うことだ。より良い未来を期待し、それに対して自分が“働きかけることができる”と信じることだ。努力すれば報われる可能性がある、と信じることだ。夢は希望ではない。未来に自分で働きかける方法がないとき、人は夢を見るのだ。

夢見る「隣百姓」のまま、定年近くまで働き続けてきた大人たちが、今の社会を作った。その社会は、巨大な試験と宿題に悩まされる状態にある。それは、日々に追われ何も考えずに働いてきた大人たちにつきつける、無意識からの警告である。もしも若い子ども達の世代に希望をもって生きてほしいなら、私たち大人がまず夢から覚める必要がある。地上がひとときジングルベルと夕暮れのキャンドルの灯につつまれるこの季節、日常の雑事を遠ざけ、しばし静かに考えをめぐらせるのが今の私たちのつとめではないだろうか。
by Tomoichi_Sato | 2008-12-24 00:08 | ビジネス | Comments(0)

Web連載記事のお知らせ

技術評論社のWebマガジン「エンジニア・マインド」に、連載「タイム・マネジメントの心得」第8回 『クリティカル・パスをみつける』を掲載しました。どうぞご覧ください。
by Tomoichi_Sato | 2008-12-20 19:38 | 時間管理術 | Comments(0)

お知らせ:日経産業新聞に解説コラムが掲載されます

来週12月24(水)・25(木)・26日(金)の3日間、日経産業新聞のビジネススキル面(旧経営面)「部長のための経営学講座」に『サプライチェーン・マネジメント』の解説コラムを執筆します。

12/24 第1回 サプライチェーン・マネジメント(SCM)とは何か
12/25 第2回 サプライチェーンの業界別特性
12/26 第3回 拠点配置とロジスティックス

関心のある方はぜひご覧ください。
by Tomoichi_Sato | 2008-12-17 23:08 | サプライチェーン | Comments(0)

考えない方法

昔、unixのパイプライン記法をはじめて学んだときは、ずいぶんとスマートな解決法だ、と感心した覚えがある。その頃、大型コンピュータを使う仕事では、バッチ処理のためのJob Control Languageという大変厄介な言語(というか何というか)を勉強する必要があった。これはどうしたら人間の生産性よりも計算機の都合を優先できるか、という観点からは見事な出来映えの記法であり、とくにデータファイルを定義するDD文なるものは、その厳密さと難解さと情け容赦無さの点で芸術の域に達していた。とにかくちょっとした中間ファイルの受け渡しだけでも、酷く頭を使うのである。unixのパイプライン記法は、これをたった一文字の | だけで済ませるのだ。舌を巻く、というのはこのことだ。

パイプライン記法の美点は、何よりも「名前をつける必要のない使い捨ての領域は、無名のままで済ませられる」という点にあった。プログラムを書いているとき、何かに名前をつけ、それを覚えておき、あとでその名前で呼び出すという作業は、案外、頭の負担になるのだ。それが負担になるということは、名付けの手間が無くなってはじめて気がつく。考えずに済むときには考えないようにしたい。これは、人間の頭脳の経済において非常に重要なことらしい。

さて、同じ頃だったと思うが、法律事務所に勤めていた人から、ある女性弁護士の話を聞いた。この人は結婚していて、毎日働きながらも家で料理をしていたらしい。で、この人は夕食のメニューを決めるのに、不思議な表を使っていた。それは一種のスケールのようになっていて、上段には豚肉・鶏肉・牛肉・魚・・という風にメインの食材が並び、下段には煮る・焼く・蒸す・・といった調理方法が並んでいる。そしてこの人は、毎日その表を一段ずつずらしながら、“今日は魚の揚げ物にしよう”といった具合にメニューを決めるのだそうな。「このシステムを使えば、今夜は何を作ろうかしら、と悩む必要がないから、とっても楽よ」とおっしゃっていたらしい。

この話を聞いて、その弁護士の頭の良さに感心するよりも、あきれて笑う人の方が、まあ普通の感覚だろうと思う。料理なんて、季節や天候や体調や、その日に手に入る食材などでかわりうる、と考えるのが常識というものだ。しかし、“今夜の夕食はどうしようか”というのは主婦の恒なる悩みでもある。女性弁護士の方法は、少なくともその悩みからは縁が切れていた。

彼女の方法は、とてもシステマティックだ。だが、そのメリットは何か? それは、「考えなくても済む」という点にある。つまり、『システム』とは、考えずにすむ方法のことなのだ。体系にしたがって、手短な処理をすれば、考えずとも答えが出てくる。システムとは一時的な、一過性の課題を、頭を使わず考えずにすませるための方法である。

もうひとつ、別の例を挙げよう。「ダブルビン法」という簡易在庫管理の方法である。ご存じの方も多いと思うが、念のため紹介する。これは在庫すべき材料を、二つの容器なり棚なりに入れておく。使用するときは、片方の容器/棚から必ずとる。そして、その容器が空っぽになったら、二番目の容器から取るようにするのだが、その時その容器を満たす分だけ、発注手配をするのである。いうまでもないが、容器の容量は、発注から納品までの日数の間よりも多めにしておく。納入リードタイムが1週間なら、10日分程度の使用量が入るように容器サイズを決める(さもないと2番目の箱が空っぽになった後に補充分が来るので、欠品状態になってしまう)。

これは一種の不定期定数補充方式であり、価格が安く(=在庫費用が安く)、いつも一定の使用量があり、かつ欠品するとこまるような材料に用いる。ボルト・ナットなどのたぐいがその典型である。これを自宅のお米の在庫管理に使っている人も知っている。あるいは、デパートやホテルなどでよく見かける、トイレットペーパーの2段ロールも、その一例だ。あれなど、価格が安く、いつも一定の使用量があり、かつ欠品するとひどく困る点でダブルビン法にうってつけである。

もっとも、ときにホテルなどで、ロールが横に二つ並んでいる形式のものも見かける。あれは困る。どちらからも切って使えるからだ。だから、しばしば、両方のロールが少なくなっていたりする。ダブルビン法の要諦は、片側からのみ使用し、在庫量が半分を切ったところで補充手配をかける点にある。両方から消費していったら、発注点が分からなくなる。

どうしてこういう事になるかというと、むろんそれは管理者が、ダブルビン法の考え方を理解しないまま、やり方だけを表面で真似ているからだ。ダブルビン法は在庫管理を簡易にする、システマティックな、「考えずにすむ方法」である。しかし、その仕組みを入れる人間は、少なくとも頭を使ってその意義を理解する必要がある。なのに、「考えずにすむ方法を、考えずに真似ている」のだ。方式ばかり一人歩きするが、その効果は得られない。

ダブルビン法を少し応用すると、すぐにカンバン方式にたどり着くことは、当サイトの読者ならおわかりいただけると思う。容器をいくつか並べて置いて、手前の容器が空になったら、補充をかける。容器にカンバンをぶら下げておけば、もうカンバン方式だ。さて、カンバン方式がフィットする条件が何か、トイレットペーパーの3つの特性を思い出して、考えてみていただきたい。これらが充足されない種類の品目には、使えない。とくに、「いつも一定の使用量」というのがポイントだ。

システマティックな方法は、なにより人間の頭脳にとって経済的である。「名付け」を考えるコスト、覚えるコスト、思い出すコスト、量やタイミングを間違えずに手配するコスト・・こうしたコストを全て排除してくれる。だから、多くの人間は強力なシステムにしたがって仕事を進めようとする。

私たちの社会は、とてもよく発達していて、「考えない方法」はいくらでもころがっている。しかしシステムの基本的な条件を理解しないまま「考えない方法」にしたがってはいけない。それは結局いつのまにか“システムに使われる”立場に私たちを変えてしまう。考えないまま会社に行き、考えないまま会社から帰り、考えないまま消費生活を続ける。
考え直すなら、これまでのシステムが行き詰まりはじめた今しかない。
by Tomoichi_Sato | 2008-12-15 23:49 | 考えるヒント | Comments(0)

R先生との対話(2)--日本の製造業の困惑

「さて、かんじんの日本の現状だ。日本の製造業の状況を知るには、君の会社のように、世界のあちこちからプラント資機材を調達しているところに聞くのも手だろう。君のところは、日本からの調達比率は最近どれくらいある?」

--それは、国内顧客向けか海外向けかでちがいますね。国内のお客さんは、やはり日本製品を好まれます。欧米製でも、メンテナンス体制に少しでも不安があればダメ。ましてアジア製なんて論外、という風潮がまだ少し残っています。
 しかし、海外のプラントの場合、以前から国内調達比率は1/3程度でした。それも、こんなに円高では、もうじき3割を切るかもしれません。私の勤務先は海外向けプロジェクトが全体売上げの80%以上ですから、もはや基本は海外調達です。欧米やアジアで機材を買って、中東や南米に運んで建てる、そういう状態です。

「そうか。いまや三角貿易が中心か。昔は(つまり君が会社に入る前の時代は、だがね、佐藤君)、日本の製造業が優秀だから、とりまとめ役に日本のエンジニアリング会社を使おうか、という感覚だったがね。」

--あまりこんなことは言いたくないんですが、最近は日本企業から物を買っても安心できないことが増えてきました。われわれエンジ会社は、多少高くても品質と納期が信頼できれば買います。でも、まず納期遅れが目立つようになりました。それだけじゃなく、日本製品の品質低下が感じられます。それはことに出荷した製品のリコールに明らかで、PLCはいきなり止まる、バルブは漏れる、ひどいのになると検査記録を偽造する。こんなのが大手企業やその子会社でもまかり通るんですから、信用して買ってこちらは、過去の納入先全部をチェックしなければならず、たまったもんじゃありません。

「どうしてそうなったんだと思う?」

--儲け主義によるモラル低下でしょうか。

「ちがうな。そうやって、なんでも心理状態のせいにしてはいかんよ。日本の製造業は長い不況の10年の間に、限界まで人減らしをした。そこに、急に降ってわいたような好況だ。とれるだけ仕事をとった。その結果、どうなる?」

--外注化の進展、でしょう。下請け工場に出して作らせることが増えました。

「うん。製造はある程度外注化がきく。製作図面さえそろえて、材料を支給すればすむからな。だが、設計段階はなかなかそうはいかない。設計部門を主とするホワイトカラーにクリティカル・パスが生じてしまった。君たちの業界でいえば、資材や機械はほとんど個別注文だ。みな設計部門の関与がいる。」

--たしかに、どこでも技術者は皆かなり残業が多いみたいです。

「なぜそうなるか。管理者や営業の側が、受注した仕事の量や負荷が分かっていないからだ。工場の能力はライン設備で大枠が見えているが、計画や設計や購買、品管などの能力が見えていない。だから好景気となったらむやみと仕事をとる。リーダーも課長も自分でラインの仕事を担当せざるをえない。だから、おのずと品質チェックがきかなくなる。図面に『設計・検討・承認』の欄があっても、メクラ判が横行する。それでもたりず、設計も外注するようになる。」

--そういえば、あるプロマネが最近、“発注先を評価するときは、その会社の設備的なキャパシティと管理可能なキャパシティを区別すべきだ”、と言っていたのを思い出しました。考えてみると、私の車はスピードメーターが240km/hまでありますが、じゃあ時速200キロでお前は自信を持って運転できるかと言われたら、ノーですね。

「まさに良いポイントだ。200キロで走るためには、アウトバーン並の良い高速を選ばなければならない。広くて、平坦で、曲がりも合流も少ない道。つまり、生産にたとえて言うならば、仕様変更の少ない大量生産の道だな。首都高や、いわんや近場の道をフルスピードで走ろうとしたら、どうなる? あっという間にトラブル続出だ。だから、そういう企業では中間管理職がトラブル対策に追われて、自分の本来やるべき仕事をやっていない。君だってどうなんだ。」

--・・・(冷や汗)。それで、今後は仕事量が減るから、品質は回復するでしょうか。

「さあな。根本問題を認識していなければ、改善はないな。ホワイトカラーの実際の仕事量を時間単位で把握できていないことが、根本にある。それが、サービス残業や年俸制で隠されてしまっている。むしろ不況になったら人減らしやコストダウン優先で、もっと設計外注や海外生産に頼るようになるかもしれない。いっておくが、設計作業時間のかなりの部分はもともとコミュニケーションに割かれていて、設計書というプロダクトの量には直接結びついていない。人月だけで計って、オフショアに設計を出せば単価が安くなるだろうなんて簡単に思ってもらってはこまる。」

--ですが、日本の製造業の大多数は受注生産です。われわれエンジ業界もそうですが。これだけ受注量が変動すると、どう対応したらいいかわかりません。

「どうって、簡単だ。仕事が減るときは、会社の業務を見直してかえるチャンスなんだ。工場だって、手すきになったら整理整頓をさせるだろ。繁忙期には変革はできない。忙しくないときは、長期的に考えるための時間がとれる。冬の間に新しいタネをまき、春になったらそれをのばす。組織も生き物だ。そういうサイクルを見なければいけない。」

--生き延びられれば、ですけど。

「さっき君が言っただろ。企業にはサステイナブルな仕事量と仕事領域いうものがあるのだ。それを確保する努力さえ忘れなければ、社会は見捨てないよ。それを忘れて、ビジネスを大口の一発勝負にかけようとするから、あたふたするんだ。」

--受注量を平準化する方策はないのですか?

仕事量を平準化したければ、多能化するしかない。」

--つまり多角化ですか。

「いやいや。多角化と多能化はまったく別のことだ。君の言う多角化とは製品のことだろ。企業の製品メニューを増やしても、それぞれ専任の人間が増えるだけでは、仕事の波は吸収できない。だから、人自身が多能工化する必要がある。一専多能型にな。そのための勉強時間ができたと思いなさい。そうすれば、仕事の波に右往左往しなくてすむようになる。まあ、でも、これはいうほど簡単ではない。人事評価制度から変える必要があるからな。数量(売上)・効率中心から、フレキシビリティを加味したものへ、とね。
 人事制度は大量生産時代のままで、コストダウン競争だけに走っても良いことはない。さっきのドイツ人経営者達のいったことを考えるんだね。」
 
 そういってR先生は私の顔をじっと見た。

「『兵隊は勇敢だが将官は無能だ』といわれたくないのなら、みなと同じ真似をしていてはダメだ。戦略とは無駄な“戦いを略く”こと。戦わずして勝つことがマネジメントの最大の仕事なんだ。」
by Tomoichi_Sato | 2008-12-08 23:56 | ビジネス | Comments(0)

R先生との対話--アメリカ製造業の教訓

久しぶりに、またR先生を訪ねた。かつては企業経営にタッチし、現在は半ば引退した経営コンサルタントだが、今でも教えられることは多い。

「元気かい。出張に行っていたみたいだが、最近の景気はどうだね?」

--厳しいですね。半月ほど欧州の地方都市に行っていたんですが、今回の米国発金融危機は、想像していたよりずっと速く影響が出てきてます。我々の業界でも、世界中であちこちのビッグ・プロジェクトが中断ないし立ち往生をはじめました。向こうではしょっちゅう“今回の経済危機の影響はどうだ。日本はどう立ち向かうのか”と聞かれました。聞かれても、これといっためぼしい政策もないし、答えに困るんですが・・。

「そうだな。自動車や消費財業界はもう影響が出始めているが、生産財その他の業種はまださほど危機感がなく、“日本は金融危機の影響が小さいおかげで、円高になって困る”という程度の認識のようだ。まるドメ企業が多いからなあ。」

--なんですか、その『まるドメ』って?

「“まるっきりドメスティック”、つまり国内しか頭になく、世界のつながりが見えていない経営者や企業のことだ。元は商社の隠語らしいが。」

--これだけ輸出やら海外生産が当たり前の時代に、そんな経営者がいるのですか? 中小企業ならいざ知らず。

「とんでもない。中小企業よりむしろ、中堅・大手といわれる方が、井の中の蛙だったりする。輸出販売は商社や代理店任せ、海外調達や海外生産では日本企業が買い手の立場だから、向こうが合わせてくれる。製品は世界に通用するが、経営はそうではないな。トップもミドル・マネジメントも。日本は島国で、人口が多いぶん国内市場が大きいから仕方もないが。」

--なんだか耳が痛いですね。

「もともとここ3~4年の好況は日本の内需よりも、アメリカの消費と、中東の石油バブルと、中国のオリンピック景気が生んだものだ。どれも長続きしそうもないことは見ていれば分かる。とくにアメリカは消費が経済の中心になってしまった。これが成り立ったのは、輸出元の日本や中国が米国債を買うという形で“掛け売り”(信用供与)をしていたからだ。アメリカの製造業は、とうとうGDPの15%を切ってしまった。資産家だが働かない奴を相手に商売をしてきたわけだ。」

--たしかに、米国製造業の凋落は目を覆うものがありますね・・

「君の会社なんかは、アメリカからまだプラント資機材を買っているのかな?」

--いや、発注量は減りましたね。今やライセンスに守られた一部の分野のみです。しかも、米国に注文しても中南米の工場から出荷してきたりする。品質も感心しません。」

「アメリカの製造業の空洞化は、すでに70年代から少しずつ始まっていた。'70年代は日米繊維摩擦の時代だ。その頃はアメリカのスーパーでは日本製の衣類が並んでいたものさ。そして、『メード・イン・ジャパン』といえば安かろう悪かろうの代名詞みたいなものだった。君なんか知らないだろう?」

(私は、ロックバンドのDeep Purpleが'70年代に出した日本公演のライブ2枚組のオリジナル・タイトルが"Made in Japan"だったことを思い出した。当時あれはかなりの皮肉だったのだ)

「そもそも、アメリカの国力の源泉は製造業にあった。今からちょうど100年前、テイラーという技師長が、ストップウォッチと動作研究を元に『科学的管理法』という論文を書いた。インダストリアル・エンジニアリング(IE)のはじまりだね。階級社会だった欧州には、マネジメントが科学だ、なんてことを言い出す人間はいなかった。しかし彼は実験的事実を元に、労働者の生産性を数倍に高める手法を見いだした。その考え方は、すぐヘンリー・フォードに取り入れられる。そして、これが近代工業の米国流大量生産の基礎になったわけだ。そして近代工業は、石油利用の発展とともに、アメリカの軍事力を押し上げたというわけだ。
 第二次大戦後も、アメリカ製造業は自分たちの優位性を疑わなかった。でもオイルショックで燃費の良い日本車が売れはじめると、米国の経営者達は焦りはじめた。彼らは、“日本は低賃金長時間労働で原価が安い。技術は猿真似だ。労組も力が弱い”--だから価格差で負けるんだ、と考えた。そこで、同じように賃金の安い、中南米や東南アジアに工場を移転しはじめたんだ。」

--なんだかそれって、今の日本の中国観ににていますね。

「まったくだな。内実は、必ずしもその通りではない。賃金差という面はたしかにあったが、競争力は人件費単価だけが生むわけではない。日本の製造現場はそれなりの努力を重ね、技術部門もかなりの工夫をこらした。トヨタがGMのポンコツ工場を買って共同運営し見事に再生したNUMMIの事例などを見て、そのことに気がつく人たちも出てきた。MITは『リーン生産システム』という概念を命名して、これが競争力を生む源泉だと理解した。
 80年代はアメリカが巻き返しをはかろうとした時期だ。彼らが考えた方針は二つ。
ハイテクで対抗しよう。MAP, CIM, MRPだ”(そしてERP, APSと続く)。それと、
知的財産権で対抗しよう。”
 どちらも彼らは実現した。前者は技術屋の、後者は法律屋の考え方だね。だが結局、法学部出の方が幅をきかせる社会だ。ERPやe-CommerceはIT業界の商売道具になったが、製造業を救いはしなかった。」

--今は欧州の製造業の方が良いですね。クオリティが高いです。価格も高いですが、そこでしか作れない製品を作っています。特殊な産業機械なんか、ドイツの独壇場です。イタリアの製造業も良い製品を比較的安価に作ります。

「どちらの国も職人気質を受け継いでいるからな。」

--それで思い出したんですが、知り合いの生産スケジューラ・ベンダーの人から聞いた話です。なんでも、ドイツの経営者むけに、日本の工場視察見学ツアーを実施したんだそうですよ。ジャスト・イン・タイムで、カラ雑巾を絞るようなムダとりを重ねた現場を見せて歩いたわけです。でも、彼らは一応感心はするけれど、心底感激したという風はない。それで、最後に感想を聞いてみたら“あの努力には敬服する。だが、なぜライバルと同じような製品を作って価格競争に向かうのか?”というんだそうです。
 彼らの考え方によれば、経営者の仕事というのは、他社ができないような製品・サービスを作り出して優位性を守ることだ、と。ドイツでは、他社が発明してすでにやっているような領域には、手を出さないみたいですね。だから、優秀な中堅企業が、値段が高くても生き延びているんでしょう。ちょっと、考えさせられました・・。

「なるほどな。それじゃあ、かんじんの日本はどうなのか、考えてみようじゃないか。」
(この項つづく)
by Tomoichi_Sato | 2008-12-01 23:42 | サプライチェーン | Comments(0)