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少しずつコントロールのレベルを上げていく

「マネジメント」という仕事を問うと、それは“PDCAのサイクルを回すこと”と答えがすぐ返ってくるくらい、近年PDCAによる継続的カイゼン活動の概念は浸透し、広まっている。PDCAはもちろん、Plan - Do - Check - Actionの略だ。

Plan, do, checkと動詞が三つ並んで、そのあといきなりActionという名詞が来るあたり、なんだか和製英語ではないかという疑いが晴れないが、“いやこれはデミング・サイクルと言って、品質管理で有名な米国人デミング博士の提唱によるもので”などと力説する人も多く、世界共通の概念ということになっている(ちなみにWikipedia英語版のW. Edwards Demingの項を見ると、"also known as Plan-Do-Study-Act or PDSA"とも書いてあって、こちらの方が英語らしく感じる)。

しかし今日の話題は、私のあやしげな英語センスの是非ではなく、PDCA(ないしPDSA)が直接業務からどうdevelopしていくのか、についての考察である。間接業務であるところのマネジメントやコントロールが何も存在ないような、直接ライン業務ばっかしの職場があるとしよう。その地平から、PDCAの4文字が、いかなる順序で、どう立ち上がってくるのか、という問題だ。何も存在しないというのは、むろん、「何も意識されない」という段階である。

そりゃむろん、Do(実行)が最初にあるんじゃないか、というのが当然の意見だろう。だったら私の質問は、Doの次に来るのは何か、と言いかえてもいい。それはPlan(計画)だろうか? 製造業はまず計画ありき、と信じている人たちはそう思うかもしれない。しかし、もう少し具体的にイメージしながら検討してみると、違う像が見えてくる。

たとえば、あなたがパン屋の跡継ぎだったとしよう。先代の親父から店とパン焼き工房を受け継いだ。手伝いの職人と店員が数人ずつ。ところで、あなたは古くさい商品のラインアップを見直し、店のレイアウトもお洒落に少し化粧直しして、次第に売れ行きが増加していったとする。このとき、パン粉をこねたり釜から出し入れしたりする以外に、あなたが工房でやるはずのことは何だろうか?

いま、まだ何も生産のコントロールといえる機能がない状態だ。あなたは漫然と、いつも通りの商品構成で、毎日決まった数量のパンを作り続けてきた。ここであなたは、いきなり生産計画(P)に着手するだろうか? ちがう。まず最初やることは、ときどきパンの焼き上がり具合や、店の商品棚の残りの数を見ることだろう。そして、焼き上がりにムラがあれば材料や釜の温度や職人のやり方をチェックするにちがいない。店に売り切れや売れ残りがあれば、何をつくり何を止めておくべきかチェックするだろう。つまり、貴方が最初にすることは、「チェック」(C)であるはずだ。

次の段階は? あなたはチェックした結果を、ノートか何かに書き付けるだろう。つまり、記録の段階に進むわけだ。これで、後日になっても反省の材料ができる。季節が変わっても、前はどうだったか調べることができるようになる。

さて、あなたはもう少し先に進みたい。お客が喜んで買っていくものをたくさん作るのが、まずは繁盛の秘訣だ。そこであなたは、出来具合や売れ具合を、定期的に、おそらく毎日チェックするようになるだろう。ここでもあなたの仕事は、まだチェック(C)だ。さらに、あなたは定期的なチェック結果を、ノートに記録するようになるはずだ。記録レポートの出現である。

記録レポートのスタイルがだんだんと整ってくると、あなたはパンの出来具合や売れ具合を記録するだけでなく、その数字を元に、明日は何を焼き、来週は何を作るべきか考えて、それをも書き足すようになるだろう。今まで、毎日カンを頼りに、無意識に進めてきたプロセスが、ここで初めて形になって立ち現れる。ようやく計画(P)の始まりだ。

そして、あなたはこの定期的記録レポート(今や記録のみならず計画表も兼ねている)を、自分のスタッフにも見えるところに、センターファイル化するようになるはずだ。そうすれば、あなたが商用で外出している際にも(そう、あなたは今や商売繁盛で忙しい)、右腕の者に代行を任せることができるようになっている。

さらにあなたは--いや、もうよい。とりあえず、ここまでのところを整理してみよう。というのは、多くの製造業の「生産管理」は、じつはこのレベルのところをうろうろしているからだ。

0 なりゆき(何もしない)
1 随時、チェックする(Check)
2 チェック結果を記録する(Check)
3 定期的にチェックする(Check)
4 定期レポートを記録する(Check)
5 定期レポートに翌日の計画を書く(Check-Plan)
6 センターファイルを作る(Check-Plan)

ここにはCが8割と、あとPが2割程度あるきりだ。Dは? パン屋の二代目と違って、たいていの工場の生産管理屋は、自分ではモノはつくらない。それは現場の職工に任せる決まりになっている。つまり、PDCAのうち、Dはあなたの仕事ではない。ついでにいうと、上にかいたCheckという作業は、業務改善をよびおこすための反省作業とは言えない。実際にやっているのは、Monitoring(状況把握)である。

それで、CとAは? これは、もっと先のレベルだ。なぜなら、工場というのは、Aが無くても、M→P→Mで生産のサイクルが回るのである。

まず、M。それから、少しP。これがたいていの工場の生産システムについて行われているコントロールの実態である。私はそれがわるいとか、不十分だ、とか言うつもりはない。それは、当事者が、自分の望むレベルに応じて、決めるべきことだ。誰もがトヨタのレベルに一足飛びになれるわけでもないし、そうすべきとも思えない。ただ、私は「Do」「Check」という言葉の曖昧さが、PDCAサイクルの確立、という錯覚ないし自己幻想を生んではいないかとの懸念を感じる。だから私は、Wikipediaのヒントを借りて、「PMSA」(Plan - Monitor - Study - Act)と、内心、呼ぶことにしているのである。
by Tomoichi_Sato | 2008-08-27 23:53 | サプライチェーン | Comments(0)

研究発表のお知らせ

さる8月20日、仏のLille大学院ビジネススクール(ESC Lille)で開催された、「EDEN Project Management Seminar」において、

"Risk-based Project Value Analysis and Budget Optimization"

という題目の研究発表を行いました。「リスクを伴うプロジェクトには最適予算が存在する」との内容に、大きな反響をいただきました。
by Tomoichi_Sato | 2008-08-25 00:16 | ビジネス | Comments(0)

契約なんかこわくない(3) 契約の論理の根底にあるもの

契約はプロジェクト・マネージャーが設計するものであり、その設計においては三つの重要な原則がある、と前回説明した。それは、「当事者は対等であること」、「自由度が責任範囲を決めること」、「強制力があること」の三原則だ。

「当事者は対等であること」とは、発注者と受注者は本来対等な存在であって、権利義務関係は一方的なものにならないよう、主張することができるということだ。第二原則の「自由度が責任範囲を決めること」とは、当事者に許された自由度の範囲を超えて、無限に責任をとらされないようにすべきだ、という原則である。無限責任というものは、近代法の世界では存在すべきではない、と考える。いずれも、弱い立場に立たされがちな受注者を勇気づける原則である。

では、第三の「強制力があること」は具体的に何を意味しているのか? これは、「契約は約束なんだから、自分の言ったことは責任を持って守りましょう」という、ある意味で当たり前のことの宣言だ。発注者に、言ったことを守らせる。もちろん、受注者も守る(第一原則にある通り、両者は対等なのだから)。とはいえ、これはもう少し説明が必要だろう。

以前、「受注生産という名前の見込生産」(『生産計画ワンポイント講義』2008/07/ )で、発注書無しで材料を購入する業界がある、と書いた。内示はあっても正式な発注書はなく、金額は当月納入(使用)した量に応じて単価精算する。内示と現実がちがってサプライヤーに在庫が残っても、購入側は責任をとらない(その顧客向けの商品だから転売もきかないのだが)。よく考えてみると、J-SOX法と内部監査の専門家が目をむきそうな業界慣習である。だから今後もこのような慣習が生き残るかどうかは、わからない。

しかし、サプライヤーに一方的に不利に見えるこの慣習も、じつは裏面があるという。知り合いの営業マンは、その業界に入った頃のことを思い出して、こういう。「大量の資材を、口頭の指示だけで納める習慣にはたしかにビックリしました。でも逆に、『10万本もってきてくれ』という客先の注文に対して、『すんません、9万5千本しか製造が間に合いませんでした』といえば、『そうか、まあいいよ』でお客さんの方も済んだんです。」 つまり、不良で歩留が上がらなくても、泣きつけば許してもらえた、ということである。

何を、いつまでに、いくつ、いくらで納めてほしい--はい納めます、という約束が発注書(&受注請書)と呼ばれる書類の正体だ。つまり、発注書とは約束と合意からなる契約文書にほかならない。発注書のない業界とは、発注側と受注側に契約が存在しない世界である。そこでは、受注者が無限責任を負う代わりに、発注者は多少の甘えも許してやる。さながら親子関係のように、自他の区別のない世界なのだ。

でも、そもそもなぜ契約などというものがあるのだろうか? 八百屋で大根1本を買うのに、誰か発注書を書くだろうか? だったら容器100万本を買うのにも、なぜ契約書など必要なのか?

その答えが、『強制力』なのである。合意(Agreement)と、契約(Contract)の違いとは、後者には強制力(Enforcement)があることだ。何に対する強制かって? それはむろん、約束を守れない事態におちいることを避けるための力だ。あるいは、約束が守れない事態に陥ったとき、できるかぎり修復できるように当事者が努力するための力だ。昔から多くの社会では、約束を人前で誓い、立ち会った人々に証人になってもらうことで、社会による強制力を保証してきた。約束を守れなければ、信用を失う。結婚式が人前での誓いの形式をとるのも、たぶんこの延長線上にある。結婚は両性の合意で成立するが、それを簡単にこわせないように、「固めの儀式」でenforceするのだ。

近代社会では、人前での誓いの代わりに、紙に記してそれを証拠立てる方式が広まった。西洋では、両者が紙に自分の印章で封蝋をつかってスタンプすることで、強制力が保証されるようになった。後には、透かし入りの上質紙(これをBondと呼ぶ)にサインすることにかわった。現在では、電子的記録でも正式な契約である。

むろん、口頭での合意でも、大根1本は買える。純粋に合法だ。しかし、容器100万本を口頭依頼で納めた後、代金が支払われなかったら、どうするのか? 「ほしかったのは90万本だった」と注文主が言い出したら、どこに強制力があるのか?

契約のない世界--すなわち、従来の日本の少なからぬ業界では、「世間的信用」がそれを保証してきた。いや、保証するはずだった、と言い直すべきだろうか。「逃げも隠れもしない大店(おおだな)の暖簾」が、裏書きだったはずだ。納入業者を泣かせるようなことはしない。商売は相身互い。以心伝心、一心同体やないか。

おわかりだろうか。契約というのは、「あなたと私は別人です」という、自他を区別する“水くさい”関係認識の上に成り立っている。別人だから、互いに思いもよらぬ事態になりうる。そうなって困らないように、約束の内容を文書で記録にして、「強制力がある」ものにする。これが契約の第三原則なのである。

だから契約書では、たいてい最後の方に、「仲裁条項」を書く。これは、本契約に関して当事者間に紛争が生じた際に、誰に仲裁を頼むかを決める項目だ。普通は裁判所か公的調停機関である。少なくとも私の知る限り、海外の契約書では、どの国の法律を適用し、どこそこの裁判所に仲裁をゆだねる、という仲裁条項がある。強制力のためである。

ところが、私の経験では、日本の契約書には不思議なことにこの仲裁条項が無い。かわりに、「両者は誠意をもって解決に努力する」という『誠意条項』が書かれているのだ。誠意! まことに日本的で、結構なことだ。他人同士みたいな「水くさい関係」は、なるべく避けたいという“大人の知恵”なのだろう。そして、他人ではないから、発注者側は好き放題のことを言って、甘えてくる。自分の側で責任を持って行うべき義務は、都合良く忘れてしまう。そして、受注者に無限責任を求めてくる。--どうやら、日本における発注者と受注者の伝統的関係は、母子関係のようなものらしい。お互い他人でもないし、逃げることもできない。

とはいえ、長い伝統社会の、決まり切った仲間内での取引では収まりきれなくなった現代では、契約は避けて通ることのできぬ手続きなのだ。もしあなたがプロジェクト・マネージャーなら、そしてあなたの顧客が「あなたと一心同体と思える相手」でなかったら、契約をどうすべきか考えるべきなのだ。客先と打合せをしたら、合意事項を議事録に書いて(議事録は契約を補完するものと位置づけられる)、あとで「あのとき貴方はこうおっしゃいました」とやんわり詰めよるべきなのだ。

「自他は別の存在であること」が契約の根底である。自分と相手は他人であって、一心同体でも以心伝心でもない。そこで、権利義務関係はできるかぎり明確化・文書化しましょう、という考えが生まれてくる。また、他人であるということは、責任範囲には限界がある、ということで、第二原則にも通じている。もちろん、別人であるからには、両者は対等だ。これが第一原則である。ところが、日本の企業社会には、この自他分別の論理が抜けている。抜けたまま、形の上だけ契約風な紙切れを交わし、また「契約だから」といって勝手に関係を切るのにも利用している。

生産システムの目的と機能」で私は、「日本の製造業が抱えている問題点を、非常に圧縮した形で表現するならば、『大量・見込生産の体制を残したまま、多品種少量の受注生産に移行しようとしている』ということになる。」と書いた。私はもう一つ、あえて書きたいことがある。それは、「日本の企業は契約の論理の根底にある、自他分別の認識を抜かしたまま、形の上だけ欧米企業のやることを真似ようとしている。それが、今日の社会のさまざまな矛盾を生んでいる」ということだ。偽装請負も、年俸制も、工場の子会社化も、事後精算付き発注も、みな同じ根っこから発している。

現実世界では、無限責任をとれるような永久的共存共栄関係はもはや存在しない。それならば、自分の身を守るために、あなたも今日から契約書に強くなるべきである。
by Tomoichi_Sato | 2008-08-13 23:28 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

生産システム-その目的と機能は何か

最近会った、あるIT系コンサルから聞いた話によると、この頃は顧客が"As-Is"の現状業務フローを描けなくなってきている、という。ご存じの通り、ERPをはじめとする業務管理のための情報システム構築は、現状業務の姿(As-Is)と、あるべき業務の姿(To-Be)を考えるところから出発する。業務が現状どうなっているかは、ふつう顧客自身がよく知っており、業務フローの描き方さえ説明すれば、顧客が自分で作成できる、というのがこれまでのやり方だった。

「ところが、業務の一部にレガシー・システム(既存の古い情報システム)が組み込まれているのに、誰もその内部のロジックをきちんと理解していないケースが多いんです。」と、彼は言う。「開発した担当者も退職していたりする。だから、何がどうなると、自動補充オーダーがかかるのか、どこをどう押すと、在庫引当にロックがかかるのか、よく知らないまま、習慣で業務を流していたりします。これを改善するのは容易じゃありませんよ。」

私たちは、職務分担によって細分化された機能組織の中で働いている。分業の壁のために、受注から出荷までの生産業務の大きな流れが見えにくくなっている。その上、担当する現業すら完全には理解できないとしたら、自社の生産システムの全体像など、分かるわけがない。『群盲、象をなでる』の状況に近いといえよう。

以前、私はこのサイトで、日本の製造業が共通に抱える問題点について、『特別な我が社』(「考えるヒント」2001/2/03) の中でこう書いた。

(業種ごとの特殊性にもかかわらず)日本の製造業が抱えている問題点というのは驚くほど共通性が高い。それは、非常に圧縮した形で表現するならば、『大量・見込生産の体制を残したまま、多品種少量の受注生産に移行しようとしている』ということになる。だから調達から販売までのサプライチェーンのあちこちで、プルとプッシュが混在している。

それからもう7年半もたつが、私の考え方は基本的にかわっていない。では日本の製造業を取り巻く状況の方はどうかというと、不況のトンネルはいったん抜け出したものの、問題点はまだ残ったままだ。むしろ工場の海外展開が広まった分、プッシュとプルの混乱は拡大したとも言える。トヨタ生産方式は多くの会社が導入を試み、現場改善に関しては一定の成果を得たが、受注から出荷までの全体改善としては、必ずしも成功していないように思える(『あなたの会社にトヨタ生産方式が向かない五つの理由』タイム・コンサルタントの日誌から 2008/06/30参照)。

どうしてこうなってしまったのか。それは、我々が自社の生産システムというものを、全体像としてはっきり把握できなくなっているからだ。

私はここで、「生産システム」という語を意識して使っている。JIS の定義では、「システムとは、多数の構成要素が有機的な秩序を保ち、同一目的に向かって行動するもの」(JISZ8121)である。製造業において生産という目的を達成するための統合された仕組みは、まさにこの定義に当てはまる。生産システムは、要素としては、人々と、製造機械と、作業空間(建築)と、そして情報をやりとりするための仕組み(ITシステムや帳票類)から成り立っている。

私が「生産システム」といい、あえて「工場」や「製造部門」などの語を使わない理由は、この方が“機能を持つ仕組み”として意識しやすいからである。我々会社員は、ともすると「組織」や「工場」を恒久的な実体概念として考える傾向がある。これらは会社員としての身分・地位に直結するからだ。しかし、本来、会社組織とか、工場建屋や製造装置などのもろもろは、道具でしかない。機能にフィットするよう、デザインすべきだし、もしもうまくフィットしなければ、デザインしなおすべきものである。

では、その生産システムの機能とは、何か。それは「需要情報というインプットを、製品というモノに変換してアウトプットする」ことである。そのための副次的なインプットとして、原料・部品と用役・副資材などを利用する。

ここで大事なことは、需要情報が主要なインプットである、と理解することだ。これは、高度成長期の見込生産のころの考え方、古き良き時代の「工場」像とはずいぶん違う。昔は、「工場とは原料・部品のインプットを、製品に製造して出荷する仕組みである」というセンスだった。ここには需要情報がない(影が薄い)ことに注目してほしい。作れば売れる時代には、需要情報は重要ではなかったのだ。供給が需要を作り出したからだ。

現代は、もはやそうではない。物不足からモノ余り時代に突入し、市場における競合相手がたくさんいる状況では、生産は需要に同期することが求められる。だからメインのインプットは需要情報なのである。これはすなわち、ほとんどの業種が、今や「受注生産」の形態になってきていることを意味している。家電や一般消費財のような典型的見込生産品でさえ、チェーンストアの毎週めまぐるしくかわる出荷要求に応じて製造することを求められる。

であるとすれば、これに対応する生産システムも、またリデザインされなければならないはずである。当然、その全体像を理解できる人が必要である。理解できないものは、改善できない。だが、それはいったい誰なのだろうか。ミクロを積み上げても、マクロにはならない。「各人がその持ち場で最善を尽くせば、会社全体も良い結果を得る」という局所最適と分業の論理に、ながらく私たちは慣らされすぎてきた。今こそ必要なのは、『生産システム全体のアーキテクト』の登場なのである。
by Tomoichi_Sato | 2008-08-04 22:29 | サプライチェーン | Comments(0)

お知らせ:Asprova社・ソフトブレーン社共同セミナーで講演します

日本を代表するスケジューラー・ソフトウェアのAsprova社と、eセールスマネージャー/e工程マネージャーのソフトブレーン社の共同セミナー「進捗管理がプロジェクト成功への鍵」(8月4日午後開催)で、『納期で攻める工程管理』と題して講演を行います。無料です。

ご興味ある方は、ぜひご来聴ください。
by Tomoichi_Sato | 2008-08-01 00:47 | ビジネス | Comments(0)