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リードタイムとは何か

リードタイムとは、「オーダーを出してから、それが完遂(fulfill)されるまでの時間」のことである。オーダーとは異なる組織間でやりとりする正式な指示であり、いろいろな種類がある。そして、リードタイムはそれぞれのオーダーの内容に対応して定義される。つまり、リードタイムと一口に言っても、その指し示す内容は様々であり、聞き手と話し手の文脈理解の差がある場合は、しばしば誤解が生じやすいので注意が必要だ。

企業間でやりとりするオーダーの代表例は、需要オーダー(あるいは受注オーダー)である。会社によっては単に『オーダー』とも呼ばれる。これは、製品の販売行為に対応する。製品Aを100個売る注文を顧客Zからもらった。納品の納期は来週末だ。こういうとき、需要オーダーが成立する。そして、この需要(受注)オーダーの完遂までの期間が、受注から納入までのリードタイムとなる。今日が月曜日なら、実働日単位では9日間、カレンダー日では11日間だ。

この注文が、もし“できる限り早く納品してくれ”という要求であり、かつ、営業部門の持っている未引当の製品在庫が120個あったら、どうなるか。すぐに100個の引当処理を行い、出荷手配をかけるだろう。国内ならば、3~4日で納品できるかもしれぬ。その場合、受注リードタイムは4日以内となる。

この例からわかるとおり、受注から納入までのリードタイムは、定まったものではなく、製品在庫の状況によってかわる。ここを良く理解してほしい。つねに在庫をたんまり積み上げている製品(たぶん主力製品で見込み生産のもの)は短いだろう。しかしうっかり在庫を切らしたら、工場に製造を依頼しなければならない。そうなると、ずっと長くなる。リードタイムに定まった“標準値”など、とくにないのだ。それは目安に過ぎない。

この売り買いの関係を、逆から見てみると、それは外部企業からの買い物、すなわち購買オーダー(発注書)になる。そして、購買リードタイムとは、発注書を切ってから、受領検収するまでの日数をあらわす。どうだろうか。購買リードタイムの「標準値」を、固定したデータとしてMRPの購買情報マスタに登録する意義は、どれほど薄弱なものかおわかりだろう。サプライヤーに在庫があるかどうかによって、実際の日数はかわってきてしまうからだ。

また「来週の金曜日に持ってきて」と期日指定したら、サプライヤーにいくら在庫があっても、その期日が購買リードタイムになるのである。もしも購買リードタイムの標準値を3~4日に設定していたら、それはサプライヤーに「いつも在庫を持っておけよ」と無言で指示しているに等しい。そうしたら、彼らの在庫保管費用がかならず乗って、購入単価は高くなっているはずだ。え? カンバンはどうか? カンバンというのは分納指示であって、購買オーダーではありません。

ちなみに、受注の際に営業マンがかけた出荷手配は、物流センターの人間にとっては『出荷オーダー』になる。物流マンにとって、出荷リードタイムはどう定義されるのか? それは、出荷オーダーを受け取ってから、製品を倉庫からピッキングして出荷梱包してトラックに乗せるまでの時間になる。これは、物流センター全体の仕事量と効率性できまる。当日注文、当日出荷できるところは、かなり優秀な企業だ(あるいはよほどヒマな企業か)。普通だったら、いいところ翌日出荷だろう。なお、トラックに乗せてから客先に届くまでは輸送リードタイムである。つまり、
 受注リードタイム=出荷リードタイム+輸送リードタイム、
という関係式が成り立つことになる。

さて、受注はもらったが製品在庫が足りなかった場合のことを考えよう。この場合、正味所要量の分だけ、生産部門に対して生産依頼をかけなければならない。工場はこれを生産オーダーとして受け取る。工場に製品在庫がたまたま余っていれば、それを出荷して完了(fulfill)となる。しかし普通は生産管理部門が、製品の必要数量を部品表(BOM)と工順表から展開して、各作業区に対して製造オーダーを渡すことになる。そしてここでも、工程がいかに混み合っているか、また部品/原材料が在庫してあるかどうか、が所要日数のカギになる。

もし原料在庫が足りなければ、サプライヤーに対して購買オーダー(発注書)を切ることになる。つまり、
生産リードタイム=各工程の製造リードタイム合計+原料の購買リードタイム、
という関係式が成立する。そして、ここでもサプライヤー側の在庫の有無が関係して・・・

ポイントがお分かりだろうか。まず、リードタイムは固定的な期間ではありえない。標準値などというものは、一応の目安に過ぎないのだ。

また、リードタイムは、どれだけ混み合っているかでずいぶんかわる。「大病院は3時間待ちの3分診療」という言葉を思い出してほしい。3分は製造リードタイム、3時間は生産リードタイムだと思えばよい。つまり、その製品だけの固有の事情では決まらないのだ。

そしてもう一つ。リードタイムは、在庫のあるなしで大きくかわる。「在庫」とは、言いかえれば『時間の缶詰』であり、何かの仕事を、見込みにしたがって先行して行った結果である。つまり、リードタイムを短縮したければ、安定した、信頼に足る“見込み”を与えるにしかず、ということになる。これがリードタイムの、一番重要な原則なのである。
by Tomoichi_Sato | 2008-02-27 23:29 | サプライチェーン | Comments(0)

課題、ペイン、そしてソリューション(2) IT産業の中核問題とは

知り合いの大学教員にきいた話だが、この2~3年、「情報」が名前についている学科の入学志望者数が急減しているという。これが一部の大学だけの話なのか、あるいは全般的な傾向なのかは、定かではない。しかし、いっとき学部学科名に「情報」だとか「システム」だとかつけるのが流行したものの、ここにきて曲がり角にさしかかっているらしい。

『情報』と名のつく学科への志望者が減っている理由は、おそらくIT産業ならびに情報処理技術者にたいするイメージダウンと関係がある、というのがその知人の意見だ。つまり、プログラマとかシステム・エンジニアになって就職しても、低賃金・長時間労働の業界で、すり減るまでこき使われるだけだ、というイメージがしだいに定着してきているらしい。もちろん、よほど結構な大学を出て大企業に就職できれば、システム構築業務といっても、外注先にわたす仕様書だけ書いていればいいわけだ。しかし、そうでない一般の大学出では、労働集約型産業で員数としてのみカウントされる「知的労働者」になるのは、ちっとも魅力を感じないことなのだろう。

どうして、日本のIT産業に魅力が無くなってきたのか。それは技術の問題というより、マネジメントの問題だというのが、私の意見だ。現代の日本のIT産業は、受託型のシステム開発プロジェクトに主軸がある。最新鋭の計算機を開発するというようなハード型の仕事ではなく、顧客の要望に応じた「ソリューション」を提供するソフト型のSIビジネスが、金額的に一番大きい。

ところが、このSIビジネスが、なかなか大変なのだ。なにしろ、誰がどう調べた数字かは知らないが、“IT開発プロジェクトの70%は失敗だ”と言われる世界なのである。水際に設置された大きなシーソーに乗っているようなもので、良いときは高く舞い上がれるが、ひどいときは水面下に沈められて息もできない。ダメなプロジェクトに配員されてしまったら、土曜も休日もなく連日連夜働かされ、サービス残業を強制されて(強制されるサービスって、いったい何だ?)、しまいには連休をつぶしての移行作業である。10回に7回がこの調子では、たしかに志望者も減るだろう。プロジェクトの失敗率はIT業界の「ペイン」(悩み)なのである。

こういう状態をいかにして解消するか、いろいろな議論がたたかわされている。先日、プロジェクトマネジメント学会のセミナーで講演したときも、IT業界の方の質問に答えて「エンジニアリング業界におけるプロジェクトの失敗率は30%程度だろうか」と発言したら、なぜそんなに少ないのか? いったいIT業界はどこがおかしいのか!? という議論の嵐になってしまった(30%はひどく多いと思っている我々はかえって驚かされた)。

その時の議論の大勢は、これは顧客側に原因がある、とくに曖昧な要求仕様で発注する顧客がよくない、という論調だった。しかし、きいていた私は、全く別の意見をもった。しょうもない顧客が世の中にいることは、事実として同意する。だが、IT業界に問題があるとしたら、それは顧客ではなく、「要求分析」という最も知的に価値のある部分ではなく、「システム実装」という力仕事の部分で儲けようとする、歪んだビジネスモデルにあるはずだ。

ソリューションというものの要求仕様が曖昧なのは、本質的なことであって、これは避け得ないことだというのが、私の考えである。なぜか。それは、ソリューションへの要望が、顧客の「ペイン」から発しているからである。ペインとは、意識化されていない問題、あるいは意識には上っているが解決をあきらめてしまっている問題である。意識化されていないのだから、明確なわけがない。ただ、これでは商売にならないから、ここにシステム・アナリストが登場する。アナリストは、顧客の要望を明言化し、As-isとTo-beモデルというような概念をつかって、顧客のもやもやした「問題」をビジネスの「課題」に格上げするのだ。

しかし、ここには手抜きの手段がある(これは職業上の秘密だけどね)。それは、To-beモデルという、あるべき姿が、じつは“隣の芝生”的な空想的なものになっていても、それを指摘したりはしない、という手抜きである。そこを丁寧に説明していたら、いつまでたっても要件定義は終わらない。要件定義は、顧客を「実装ビジネスという利益の源泉」に食いつかせるための撒き餌なのだ。きれいに要求仕様を紙に書いて、一定期間内に終わりにしなければならない。そして『ソリューション』を構築提供したら、あとの使いこなすのはお客様の責任です、といってSI業者は帰ってしまう。こうなると、最初に顧客が抱いていたペインは、「巨大で維持費のかかるITシステムをつかってどう業務をまわすか」という、全く別のペインにすり替わってしまう。そして両者の間には、限りない不信感が残ることになる。

おわかりだろうか。矛盾の根源は、時間とお金をかけて、要求分析・要件定義をきちんと完遂していないことにある。要件定義をきちんとやる、とは、すなわち顧客が自分のペインを自覚して、その解決策について、得失両面から明確に理解することである。こうして初めて、「問題」は「課題」に昇格するのだ。自分が納得した解決策(=ソリューション)ならば、それを実行することもできる。だから、これはきわめて大きな価値のある仕事である。

そして、IT産業は本来、この最も価値のある部分で大きな利潤をかせぐべきなのだ。要件が真に明確になっていれば、実装は、お金はかかるがリスクの小さな(つまり利幅も本来は小さな)業務と位置づけられるはずだ。それなのに、設計は無償サービスして建設工事を受注しようとするゼネコンみたいなことを、いつまでもSI業界がやっていて良いわけがない。実装で儲けようとするから、基本設計がおろそかになる。おろそかになるから、結局は実装のプロジェクトのリスクが大きくなる。

いいかげん、IT産業はこんな負のスパイラルから脱出すべきだ。そして、知恵がきちんと評価される業界に生まれかわってほしい。そうすれば、きっとまた優秀な学生の集まる有望な分野にもどるはずだと、私は信じている。
by Tomoichi_Sato | 2008-02-18 23:27 | 考えるヒント | Comments(0)

課題、ペイン、そしてソリューション

ソリューション」という言葉を最初に流行らせたのは、'90年代の米国IBMだったと言われている。はじめのころは、「単に最新型CPUを載せたPCハードです、といって売れた時代はもう終わる。これからは顧客のソリューションとなるシステムでなければ売れないだろう」といった言い方だった。それがいつの間にか今日では、「最新型アーキテクチャのソリューション!」という具合に、単なるハードやソフトの出来合い商品をさすのに使われてしまっている。IT業界における典型的な“用語インフレ”の一つだろう。いまでは他の業界でも「ソリューション」を名前に冠する会社は少なくない。

しかし、発祥の地のIT業界でも、さすがにもう企業のCIOたちは『ソリューション』という語に不信感を抱くようになってきたらしい(たとえば『CIOが抱く「ソリューション」への不信感』日経ソリューションビジネス・記者の目2006年6月)。ソリューションとは何か、と正面切って問われれば、「課題への解決策だ」と誰しも答えるに違いない。それが英語の原義なのだから。

問題なのは、その『課題』を、誰が定義しているのか、という点である。これを勝手に売り手が想定して、しかもワンサイズ衣料品的に、どの顧客にも売っていることに矛盾があるわけだ。それでは、ソリューションとは一体何だろうか?

じつは、企業のかかえる課題は、大きなレベルの戦略課題から、小さな日常レベルの課題まで、いろいろな形で存在している。会社員という人種は、誰もが自分の職務範囲に応じた課題意識を持っているものなのだ。そうした課題を、ちょうどプロジェクトをWBS(Work Breakdown Structure)に分解するように、階層的に分解することができる。すると、どの企業でも第1レベルには7種類の課題が共通して並ぶ、というのが私の経験から得た結論だ。たとえばその一つが、販売力の拡大である。受注増加や売上増加といってもいい。

ところで、ある先輩コンサルタントの語るところによれば、良い営業マンとダメな営業マンを見分ける簡単な方法があるという。自分の商品説明から話をはじめるのは、じつは愚の骨頂なのだそうだ。商品説明をはじめれば、顧客は売りつけられていると感じる。そうなると、どんな顧客も身構えてしまう。だから、良い営業マンは、ぎりぎりのタイミングまで、自分の商品説明は控える。では、何を話すのか? それは、顧客側の問題なのだ。良い営業マンは、顧客との会話の時間の8割までを、顧客側の問題について話すことに使うのだそうだ。

これは私自身にとっても、耳の痛いアドバイスだった。私は技術屋だ。だから、セールスの場面では、つい自分の技術を売り込みたくなる。しかしそれは、「自分の技術に惚れている。つまり自分に酔っているにすぎない」のだと言われてしまった。私に限らず、技術志向の会社の営業は、どうしても技術的優位性、ということに関心が向いてしまう。だから発想が「プロダクト・アウト型」のセールスになる。

その先輩によると、優秀な営業マンは、同業他社に引き抜かれても、移った先で良い成績を上げるものだという。これは当たり前に見えるけれども、実はよく考えてみると不思議なことだ。なぜなら、元の会社の製品が他よりも技術的に優れているから売れたのなら、移った先では成績がふるわなくなるはずだからだ。にもかかわらず、どこでも良いセールスを上げられるということは、じつは販売力は製品の「技術優位性」にはあまり依存しないのだ、ということを表している。では価格なのか? いや、そうではない。競争環境下では、価格は自ずとある範囲内に落ち着いてしまうし、そもそも良い営業マンは安売りセールスなどには頼らない。

だとすると、ポイントは何か。それが、課題とソリューションを結ぶ顧客の「ペイン」(痛みを伴う問題)の掘り起こしなのだ。ペインとは、顧客が無意識のうちにかかえている問題、あるいは意識には上りつつも解決をあきらめてしまっている問題、のことだ。良い営業マンは、このペインの発見に長けている。顧客のペインに対して、自社の製品を「ソリューション=解決策」として提示できる。そのペイン(痛み)の大きさに比例して、顧客にとって価値が高く感じられる。価格競争から、頭一つ抜け出せる。これが付加価値セールスの源泉なのだ。単にモノを売っているのとは全然別である。

ここまで、私が「課題」と「問題」を慎重に使い分けてきたことにお気づきだろうか。「課題」は意識して(カッコつけて)いうことがたやすい。中期経営計画にも有価証券報告書にも書くことができる。課題は企業間で共通性が高いのだ。しかし「問題」は個別性が強い。問題は人に言いたくない。販売力の強化、とは書けるが、営業統括役員が無能だ、とは口に出せない。価格競争力の向上、とは書けるが、毎回赤字覚悟でたたき合っている、とはいえない。なぜたたき合いになるのか? それは「技術的優位性が足りないからだ」と『課題』はいうだろう。しかし、じつは「顧客のペインにたいして自社の製品をソリューションとして位置づけることができていない」ことが『問題』なのだ。

それでは、具体的に顧客のペインを見つけるにはどうしたらよいか? これはむずかしい。問題はたいてい個別性の泥の中に隠されているからだ。しかし、手がかりはある。少し長くなってきたので、これについてはまた次回書こう。
by Tomoichi_Sato | 2008-02-10 23:41 | 考えるヒント | Comments(0)

ジャパン・パッシング--『日本は先進国』という自己催眠

私が生まれた頃、日本は三流国だった。皆がそう思い、そう言いもした。道路はあちこち未舗装で穴があき、貿易収支はひどい赤字だった。『加工貿易』という言葉も小学校で習った。「日本は資源がないから、外国から原料を輸入して、加工し、それを輸出することで国を成り立たせ」ようとしている、と。だがそのための生産機械は、欧米からの輸入か技術導入だった。1970年までに貿易赤字をなくしたい、と'60年代半ばに政府が発表したとき、欧米諸国はあざ笑ったものだ。あまりに野心的、と。

その同じ国が、'90年代のはじめ頃は『超先進国』を自認するようになった。「もう欧米に学ぶものはない」とも言われ、じじつ欧米から日本の製造業に調査団が来た。『電子立国・日本』の都会の地価は摩天楼のようにのび上がり、企業は“含み益経済”を謳歌した。海外で片端からいろいろなものを買収しまくった。

繁栄は短かったのに、その後の不況は長かった。多くの企業が競争力を失い、国民は公的資金の形で金融貸倒れの穴埋めをした。それでも日本の技術は一流だ、と多くの技術者は信じていた。出来がわるいのは政治と金融業だ、と。

風向きが変わりはじめたのを私が感じたのは、4、5年前に米国のカンファレンスに出席していたときのことだ。キーノート・スピーカーはIT産業の未来について語り、米国のみならず世界でもどうのこうのという話になった。「アジアでは、たとえばシンガポールではこうであり、中国ではああだ」と講演者は語る。私は、あれっ、と思った。こうした場合、真っ先に例に挙がるのは日本ではなかったか。いつのまに、話題が東京の上空を素通りするようになったのか?

こうしたことは、日本の外にいないと、なかなか肌身に感じない。最近、中東に駐在する営業部長からきたメールの中には、成長著しい中東の国際金融の現場で感じるのは今や「ジャパン・バッシング(日本叩き)ではなく、ジャパン・パッシング(Passing=素通り)」です、と書いてあった。残念ながら、そうだろうな、と私は思う。海外ジャーナリズムの発信する記事を読んでいても、同様のことを感じるからだ。

それは日本外交や経済政策がだらしないせいなのか? 科学技術では、日本はまだ最高なのか? そう信じている人たちに、見せたいものがある。きわめて不思議な、3冊の白書である。「科学技術白書」平成17年版と19年版、そして「財務白書」である。

まず、このグラフを見ていただきたい。科学技術白書(平成17年版)の「特許」の章の引用である。国の研究開発力の水準を計るのはなかなか難しい問題だが、その一つの手がかりは特許出願数であろう。グラフから一目瞭然なのは、米国が'90年代から群を抜いて世界のトップになっていることだ。「1989 年までは日本が出願件数で世界第1 位であったが、1992 年に米国に逆転されて以来、米国を筆頭に、日本、ドイツ、英国、フランスの順位で変化していない。」と文章にも説明がある。つまり、あきらかに研究開発の知的生産性の面では、日本は米国に後れをとっているわけだ。また統合EUに対しても、あきらかに負けている。

ところが。平成19年版の科学技術白書における国別特許出願数のグラフ(P.147)は全然違った形をしている。ファイルが重くて開けにくいので、ここにスキャン画像をお見せしよう。

どうだろう。日本がダントツで一番ではないか! 説明文にも、「主要国の特許出願件数(中略)の比較では、日本の出願件数は世界第1位で推移してきており、続いて米国、韓国、中国の順となっている。」と、晴れがましく述べている。何もこの2年間に逆転したというのではないよ。10年以上も前から、ずっと世界一だったと主張しているのだ。わずか2年前の白書では、トップの米国に差をつけられるばかりだ、と嘆いていたのに!

この差はどこから来ているのか。表を子細に見ていくと、どうも19年版の白書では、どうも日・米・欧の主要国以外の「その他の国」への出願数を意図的に集計から除外したらしいことがわかる。米国はその他の国への出願数が非常に多い。これは北米・南米・アジアも含めた世界戦略にたって動いている以上、当然のことだろう。

こうした白書の制作業務は、実際には○○総合研究所といった大手シンクタンクに委託されるのがふつうだ。しかし、このような編集意図の変更は、発注者側の意向にもとづくものと想像したくなる。どういう意向か? それは、「日本の科学技術政策はうまくいっており、研究開発の知的生産性は高い」と強調したい、という意図にちがいない。

日本の技術は素晴らしい、と人々が言う場合、それはトヨタ生産方式をはじめとする生産技術のことを指すことが多い。たしかに、高い生産性を示す会社も少なくない。しかし、工場の生産性が、その国の経済成長を左右すると信じるのは、単純すぎる。ノーベル賞経済学者ロバート・ソローは「成長理論」の中で、経済成長の80%以上は技術進歩によるもので、資本と労働による付加価値増大をはるかにしのぐことを証明した。つまり、一国の経済成長率は、研究開発における知的生産性によってかなり決まってくるのだ。

それでは、日本の知的生産性のランキングは、どれほどのものなのか。創造性豊かなのか、「質より量」の低次元のものなのか。平成14年版『年次経済財政報告』のこの図3-2-16を見てほしい。OECDの調査では、“我が国の研究開発投資は生産性の上昇に有効に結びついていない”(キャプション)のは明らかではないか。OECDの中では、下から3番目だ。

私たちの経済が成長するためには、明らかに技術革新によるイノベーションが必要とされている。しかし、研究開発投資を増やしても、それに結びつかないのだ。その事実を直視せずに、特許の統計データを小手先で変えて自己満足していて、いいのだろうか。「日本の技術は一流」という、政府による自己催眠から、もう目を覚ますべき時ではないのか。事実を直視すること、それを多角的に見て検討することこそ、ジャパン・パッシングの時代を避ける、唯一の方法なのである。
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by Tomoichi_Sato | 2008-02-02 18:11 | ビジネス | Comments(0)