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ナレッジ・マネジメントはなぜ困難か

好川哲人氏の分類によると、PMO(Project Management Office)は3種類に分かれるのだそうだ。コンサルティング型、ナレッジマネジメント型、標準化型の3つである。私も最近、ライン部門からPMO的な部門に配属がかわったので、これらの類型についてときどき考えをめぐらす。たいていの会社のPMOは、この3種類のタスクが多少なりとも入りまじった形をしているはずだ。だが、その中でも難しいのが、ナレッジマネジメントではないか。

団塊の世代が大量に引退時期をむかえる、いわゆる「2007年問題」もまた、ナレッジマネジメント導入の一つの引き金になっている。技術や知識の継承をどうするのか、といった問題を企業に突きつけているわけだ。また、企業の合併や海外展開も、社内の知識の棚卸しと再整理を要求する。

ナレッジマネジメント(KM)の根幹は、「暗黙知を形式知にかえて共有する」というプロセスにある。これはさらに、ISO9000/QMSと結びつき、仕事をふりかえって問題点を改善するためにL/Lを共有する、という風に仕組み作られている。ちなみにL/LとはLessons LearnedあるいはLessons & Learnsの略だ。10年前は欧米系の大企業でなければお目にかからなかったL/Lという語も、最近はあちこちで接する機会がふえてきた。

しかし、私の知る範囲では、どこの会社でも、KMはなかなかうまくいっていないようだ。これは何故なのか?

ツールの問題では、おそらくあるまい。10年前ならいざ知らず、現在ではどのオフィスでもグループウェアやLotus Notesや企業ポータルといった道具立てが普及している。ユーザがナレッジを登録してくれない、という段階も、多くの企業では乗り超えつつある。QMSに組み入れて義務化したり、表彰をしたり、業績評価に組み込んだり、あの手この手の策によって、ナレッジはかなりの量が蓄積されるようになってきた。むしろ、データベースが社内のあちこちに散らばって、どこに何があるのか探しにくい、という状況さえ出現してきている(Notesはその混沌状況を増すのに絶好のツールらしい)。

ツールもある、コンテンツも多い、ということになれば、受け手の側に問題があるのだろうか? だが、情報の受け手に学習意欲が足りない、と考えるのは即断にすぎると思う。おそらく、受け手の言い分としては、「忙しすぎて、とても情報を読む時間がありません」だろう。これを私流に敷衍すると、こうだ。「ナレッジを読むことは成果に結びつかぬ間接作業なので、そのプライオリティは実務の直接作業よりも低くなります。」 つまり、パソコンの画面を読んでいるくらいなら、(営業職なら)お客を訪問しろ、あるいは(技術職なら)図面をかけ、といわれる(と感じる)のだ。

それでは、受け手にも読む時間を確保してやれば、ナレッジマネジメントは成功するだろうか? いや。読んでも、記憶に残らなければ何の意味もない。そして、単なる知的情報は人間の記憶にとどまりにくい(大学受験の時に暗記した年号を覚えている人はどれだけいるだろうか)。記憶に強くとどまるものは、感情をともなう情報である。書き手、話し手の感情が分かり、顔や声の調子が伝わってはじめて、受け手・読み手の記憶にくっきりと残るのである。単なる報告文よりも、報告会の方がずっと有効なのはこのためだ。

さて、ナレッジに感情を込めることに成功したら、それでKMはゴール達成だろうか? いやいや。人間というのは、文字に書かれた知識を知ったからといって、それが分かって使える状態になりはしない。だって、逆上がりのやり方を書いた文書を読んだら、明日から鉄棒で逆上がりができるようになるのか?

逆上がりというのは、体で覚えるものだ。では、仕事上の技術やスキルは、体でなく頭で覚えるものなのだろうか? かつて『「わかる」ことと「知る」こと』(考えるヒント、2004/07/06)に書いたとおり、知ることと分かることとの間には、大きなギャップがある。エンジニアの端くれとして断固として書くが、それを埋められるのは、何度も練習すること(“体で覚える”こと)しかない。

「わかる」状態になっても、まだ終わりではない。わかっても、今度は実務に使わなければ「使える」にはならないからだ。そして、実務にくり返し使って、ようやく「本当によく分かる」という状態にまでたどり着く。こうなってはじめて、それはスキルと呼べるのだ。

こうしてみると、「形式知に書いて伝える」という行為から、「本当によく分かる」までは、随分と長く困難な道のりがつづいていることが分かるだろう(下図参照)。収率がきわめて低いプロセスのように。

結局、ナレッジマネジメントの問題の根本には、『ナレッジ』という概念自体の限界がある。Knowledge(知識)はknow(知る)から来ている。知識経験をナレッジとして文章化すれば、すぐに共有できるだろうとは、なんと西洋的な考えであることか! 西洋人でなくても、お受験やお勉強が上手な人は、ナレッジに価値があるはずだと思いがちである。しかし、「ナレッジ」が「知ること」にとどまっている限り、それは使えないのだ。我々はまだ、「本当によく分かる」までの長い道のりを歩いていかなければならないのだ。
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by Tomoichi_Sato | 2007-10-31 23:16 | 考えるヒント | Comments(2)

高い買い物をする方法

「安い買い物をする方法」についての解説は、インターネットにたくさん出ている。と思う。誰もが安い買い物をしたいと思っている。“ウチの店なら安い買い物ができます”という情報は、もっと多いに違いない。

そこで、このサイトでは差別化のために、「高い買い物をする方法」を教えようと思う。おっと、“高価なブランド品・高級品を買う方法”ではないので、誤解なきよう。あくまでも、本来ならもっと安く買えるものを、あえて高いお金を払って買う、非常に社会貢献度の大きな方法である。もちろん、経営者から怒られたりはしない。むしろ、誉められたりする。その方法である。

まず、買うべき対象のものであるが、自社仕様品でなければならぬ。世の中にあふれているコモディティ(日用品)で、店に行けば棚に並んでいるようなモノでは、誰でもどこが安いかわかってしまう。これではいけない。そもそも、自社のビジネスのために購買するものである以上、自社の要求にぴったりとフィットしていなければならぬ。とうぜんながら、求める仕様も、細かく微妙だが多岐にわたる。これは、過去の経緯や実績をふまえ、かつ社内各部署の便利を考えた上で、同業他社との差別化がはかられた仕様であるから、当然の結果である。「ニーズにあった、最適なものを買う」--こう主張すれば、役員会でだって、胸を張って説明できよう。(ただし、決して“特注品”などと呼んではならぬ。言葉づかいには注意すべきだ)

ところで、この「仕様」を決める際に、重要なポイントが一つある。それは、できるならば『構成・構造』ではなく『性能』で定めるべき、ということである。何気筒何千cc排気量のエンジンを積んだ自動車、などと指定してはいけない。時速200kmで何時間突っ走っても平気な乗り物を、というべきだ。解説は不要だと思うが、ユーザというのは基本的に、生産財であれ消費財であれ、機能にたいしてお金を払うものだからである。

製品の性能は、内部構成・構造の設計結果から生まれる。だから買い手は、メーカーがいかに部品構成を設計するかなどに口出しすべきではない。もし、「何気筒何千cc」的な仕様でモノを買って、それが200km/hで走れなかったら、誰が責任をとるのか? 仕様を満たす責任は、必ずメーカーにとらせるようにしなければ、賢い購買とは言えない。設計はメーカーの仕事であって、見積はそれをタダでやらせる絶好の機会である。設計の結果生まれたアイデアは、無論もらっていいのだ。

さて、個別仕様品を購入することが決まったら、次は見積引合である。当然ながら、たとえ形式的にでも、3社以上から競争見積をとるべきだ。同じモノをくりかえし買う場合でも、頻繁に競争をさせる。こうすると、ベンダーの営業に刺激を与えるから、とても良いサービスを引き出すことができる。なお、打合せにはなるべく大勢の人間がぞろぞろ出てくるような会社を選ぶのが望ましい。こういう会社は、管理システムがしっかりしていて、専門分化した職種間で誰もお互いにリスクをとらないようできている。だから販売管理費もとても高くなる。

リスクといえば、自社にとってリスクとなる部分は、すべてベンダーに押しつけることが肝要である。これはリスク・マネジメントの観点からみて、当然すぎる処置だろう。したがって、仕様書はなるべく曖昧な文章で、かつ詳細に多岐にわたって明文化すべきである。そうすれば誰が見たって立派な購買プロセスである。できれば引用文献や標準図書などを多数オマケに付けてあげるべきだ。そうすればベンダーの設計部も喜ぶだろう。

見積引合をとるときには、なるべく短期間で出させること。これは案外見過ごされているが重要なコツである。2週間より1週間がよく、3日よりも「明日まで」がいい。こうすれば、ベンダーの営業マンは徹夜であなたの会社に誠意を見せてくれるし、しかもコストダウンを検討する余地などなくなる。ただし、注意。建設業の世界では、700万円以上の想定価格のものを、3日以内に下請けに見積もらせると、明確な法律違反になる。コンプライアンスの観点から、こういう場合は口答で指示して、下請けの「自主的営業努力」にまかせなければならない。なに、同情など不要だ、なぜならあなたは高い買い物をしてあげているのだから。

また、購買組織を本社に集中化するのも、ぜひともとりたい手段である。集中購買の担当者はたいてい文化系で技術は知らないから、「この材料をこう変えればコストダウンになる」などという知恵を出す心配はない。彼らの仕事はバイアウトであり、値切り率が勲章である。だから、あなたもベンダーの営業マンに対しては、“購買部門に値切りシロをのせて持って行きなさい”と耳打ちすることができるだろう。こうすれば、5%アップでオファーされた見積書を、3%値切って買うことができる。かくて、あなたもベンダーの営業マンも本社の購買マンも、誰もがハッピーである。かつ、ベンダーに恩を売ることもできたわけだ。

発注量は、ぜひ多めにしたい。大量購買の方が効率的だと、誰もが信じている。品質問題だってある。鋳物にスが入っていたら、どうするのだ! 欠品は誰もが嫌がる。それに今どき、在庫金利なんてゼロ同然ではないか。多めの注文を、なるべく短納期で発注しよう。それも、ときどき急な変更や飛び込み注文も出して、ベンダー側が怠惰にならぬよう刺激を加えるべきだ。製造直前の変更は、目に見えにくいコストがとてもかかるが、それは営業のせいでも設計のせいでも工場のせいでもないから、誰も傷つかない。たんに、高コスト「体質」のせいになるから、全体にうっすら価格が上がるだけだ。

では、おさらいをしてみようか。高い買い物をする秘訣は、次の通りである:

●自社仕様品を買う
●あいまいな性能要求で見積もらせる
●分厚い引合い書類をわたす
●設計をさせる
●アイデアをうばう
●形式的にでも競争見積にする
●短期間に見積もらせる
●集中購買にする
●短納期で多めの量を注文して直前に変更する・・・

こうすれば、必ずやメーカーでは設計費や販売管理費がかさんで、高い買い物をすることができる。そして手続きは購買管理の教科書にのるぐらいに適正である。

読者諸賢。これこそ、日本の製造業が大きな内需を生み出す秘密である。2010年には、中国のGDPが日本を抜くのは、ほぼ確実だろう。しかし、一人あたりGDPではまだしばらく差があるはずだ。だから、高い買い物は当分つづけられるはずである。え? この秘密を海外メーカーも知ったらどうしようかって? --心配はご無用。このサイトには、英語版は(まだ)存在しないから。
by Tomoichi_Sato | 2007-10-23 22:44 | サプライチェーン | Comments(0)

BOMとは何か

BOMとはBill Of Materialsの略、日本語では『部品表』とよばれる概念であり、製造業においては、生産管理とスケジューリングの中核に位置するデータである。BOMではなく、B/Mと略す会社もある。

BOMについては、私はまるまる1冊の本を書いた(『BOM/部品表入門 (図解でわかる生産の実務)』日本能率協会マネジメントセンター、2005/4刊)。それくらい、BOMについてはさまざまな視点から多面的にとらえて理解するべきポイントが多い。しかし、その内容をあえて一言でいえば、

 「BOMとはマテリアル間の数量的な関係を示した一覧表である」

と総括することができる。ちなみに、英語のbillとは、明細書ないし一覧表の意味である。英語圏を旅行した方は、レストランでウェイトレスが各テーブルに裏返して置いていく勘定書伝票もbillとよぶのをご存じだろう。あれは料理というモノの名前と数量が、勘定書として特定のテーブルに関係づけられている、一覧表だ。したがって、あれは立派なBOMであるといっていい。

製造業では一般に、BOMは製品がどの部品いくつから構成されるかの関係を示すのに使われる。だから部品表というのだが、ならばなぜ、私は上に述べたような「マテリアル間の数量的関係」云々と回りくどい表現を使うのか?

それは、「部品」という日本語の守備範囲の狭さに起因している。BOMはあるけれども部品表を持たない業界が存在する、といったたら、読者は信じられるだろうか? しかし、あるのだ。製鉄・化学・医薬品・化粧品・食品・飲料・ガラス・プラスチック成形・金属材料・繊維・アパレル・出版・・・等々、非常にたくさんの業界が、「部品表」という言葉を使わない。なぜなら、こうした分野では、製造に原料・材料・素材はあれど、『部品』という概念がないからだ。

英語でマテリアルMaterialとは、部品だけでなく、素材・原料・材料・資材・中間品・アセンブリ、そして製品までのすべてを包含する用語である。決して部品(英語ならparts)のリストではないのである。ちなみに、製品か部品かのちがいは、BOMの観点からは相対的なものでしかない。

BOMとは定型化されたデータの集合であり、コンピュータ内ではデータベースに格納されることが多い。BOMデータベースの中には、マテリアルのコード、員数、製造の各段階に必要な工順リソース(資源)と標準リードタイム、といった属性情報が記述される。表現としては構造型・サマリー型・マトリクス型などがある。

BOMのデータ形式と内容は、MRPの発展とともに拡充されてきた。とくに、MRPⅡ以降では、工順・リソースなどのデータ項目が重要視されるようになってきた。

BOMはまた、マテリアル・マネジメントの中心に位置するデータでもある。今日の製造業におけるマテリアル・マネジメントの課題は、「モノはたくさんあるのに、必要なモノが見つからない」という悩みである。この問題の改革の視点から考えるならば、BOMを単なる部品表(マテリアル・リスト)以上の、大きな概念としてとらえるべきである。すなわち、BOMの概念には「狭義のBOM」と「広義のBOM」があるのだ。

広義のBOMとは何かというと、「マテリアル・マスタを中心とした製品構成と製造工程にかんする基準情報、ならびに、そこから派生する履歴情報」と定義できる。狭義のBOMに加えて、マテリアル自体のマスタや、工順(工程表)のマスタ、設計図面、製造指図や製造実績報告などの履歴情報などの要素からなる、マテリアルに関連する大きな情報の体系を指している。

これに対し狭義のBOMとは、マテリアルの数量的な関係を示した一覧表、という上記の定義でしめされる。それは製品と部品の関係を示す表でもありうるし、1卓の顧客の消費によって一時的に関係づけられ払出されたレストランの勘定書でもありうる。倉庫で使用するピッキング・リストも、構造的には同じである。

企業の中には、用途に応じて、さまざまなBOMのデータと、表現型がある。それらはことなる運用の局面とライフサイクルがあるから、すべてを一元化する必要は、かならずしも無い。しかし、BOMが多様化しすぎてコントロールを失い、相互に矛盾したデータの集合となってしまう事例も多い。その結果生じるのは、在庫の混乱、製品開発の遅延、購買の無駄、製造納期遅れと欠品といった現象である。マテリアル・マネジメントを実践するためには、BOMの理解とコントロールが不可欠なのである。
by Tomoichi_Sato | 2007-10-16 23:04 | サプライチェーン | Comments(0)

マネジメントは必要悪か?

私の家のすぐ近くに、平川町という小さな商店街がある。昔はどうやら大工町だったらしい。表具屋・ガラス屋・桶屋・シート屋・土木屋そして提灯屋(!)なんかが、まだ少しだけ残っている。義父が元・桶屋なので、桶屋さんの店の前にちょっと興味をひかれて立ち止まり、桶職人の仕事を見ることがある。

その店では年配の店主がたったひとりで、手桶などを作っている。残念ながらもう、木の風呂桶のような大物を注文する客は少ないのだろう。それでも職人仕事は、見ていると面白い。職人がたった一人でも、やはり工場と同じ機能があるからだ。前にも書いたように工場見学ほど面白いものはない、と私はいつも思っている。

桶というのは水を使うから、原則として釘をつかわずに作る。基本は溝でかみ合わせて「タガ」でしめるだけだ。義父によると、たとえば一尺の手桶でどれくらいの板材が入り用で、削るときの曲率をどうするか、一々計算などはせずに作ったという。つまり、BOM=部品表も工順も、インメモリで全部頭の中に入っている。とても効率が良い。MRPも不要。すべて目分量だが、文字通り「一人屋台生産」のような生産方式だから、フレキシビリティが高いのだ。受注量の変動に、簡単に追随できてしまう。

そんな桶屋の親父さんが一人で組立製造も仕入れも納品も受注もやる店では、『マネジメント』はどこにいるのか? この「いるのか?」は、居るのかという意味と、要るのかという意味と両方の疑問である。

ところで、話は(例によって)突然飛ぶが、このサイトの読者の中で、家計簿をつけている人はどれくらいおられるだろうか? ついでにもう一つ。私が「日誌をつけよう」などで以前からおすすめしている、プロジェクト日誌をつけている方は、何人いらっしゃるだろうか?

そう聞きたくなったのは、あの桶屋の親父さんはいつ、帳簿つけをしているんだろう、と疑問に思ったからである。職人は、一日の仕事の仕舞いには、道具の刃を研いで終わる。工具すなわち製造資源のメンテナンスは、ルーチンに組み込まれているのだ。しかし、店である以上、帳簿も必要なはずだ。それは、誰にとっても面倒くさい仕事だろう。もしも会計がマネジメントの主要な仕事の一つだとしたら、マネジメントとは、正味作業時間を奪う、仕事のブレーキとしての存在ではないのか?

マネジメントは付加価値生産性に対するブレーキである--そんなことは経営学でもビジネススクールでも、絶対教えてはいるまい。しかし、生産性とは、投入に対する産出で定義される。付加価値生産性は、投入した労働時間に対する、付加価値(=売価-仕入)の比率で示される。もしマネジメントによって、直接労働時間が減るならば(そして事実減るわけだが)、明らかに付加価値生産性に対するマイナスになるはずだ。

では、マネジメントは何のためにあるのか? たとえば、財務会計は何のためにやるのか。だって法律で規定されているから--たしかに、それは答えの一部であろう。しかし、法律で規定されていなかったら、帳簿はつけなくても良いのか? マネジメントは必要悪なのか?

じつは、たいていの人は、心の中でそう思っている。その証拠に、家計簿をつけている個人は少ないからだ。QuickenだってMicrosoft Moneyだって、日本では使ってますという人を見た覚えがない。日誌もそうだ。日誌は時間の使い方についての家計簿です、と『時間管理術』でも書いたと思う。しかし、日誌をつけている人はきわめて少ない。会社のタイムシートだって、放っておくと月に1度、まとめ入力ですませてしまう。理由を聞けば、「忙しいから」と答えが返ってくる。以前も書いたように、「忙しい」という答えは、「そんなのは優先度が低いので、やりたくありません」の言いかえにすぎない。

つまり、何かを記録する作業は、客先にたいして何かを作り出す作業よりも、優先度が低いと思われている。だから、やらない。やっても評価されない。そんなのは付加価値を生まない間接作業だ--これが、私たちのビジネス文化に共通する態度らしい。

ところで、ちょっと考えてみてほしい。職人は一日の仕事の仕舞いに、道具の刃を研ぐ。あれは間接作業ではないのか? あれは仕事のブレーキではないのか。

そんなことはない。道具の刃がなまれば、切れ味が落ちて生産性に影響する。だから、砥石に向かう時間を惜しまないのだ。砥石に向かいながら、今日の仕事のできばえを心の中で反省する。それから夕餉の酒に向かう。これが由緒正しい職人の姿である。

私はかつて、生産管理とは直接製造業務を支える全ての間接業務である、と書いた(『生産管理とは何か』2006/5/07)。間接作業というものは、直接作業の生産性を上げるという形で、付加価値生産性に貢献できる可能性があるのだ。逆に言えば、マネジメントをブレーキにしたくなければ、付加価値生産性に結びつける努力がいるのだ。それは経費の無駄の発見かもしれないし、使用人の教育かもしれないし、仕入れ先の吟味かもしれないし、新規販売先の開拓かもしれない。

マネジメントとは、過去と現状を把握して、将来の見通しを立て、ターゲットに向けて人を動かしていく仕事である。それは地位ではなく、機能である。それは誰の仕事の中にも、少しずつ含まれている。そのことを忘れなければ、世の中を騒がす流行の三文字言葉たちにもおびえずに暮らしていけるのだ。
by Tomoichi_Sato | 2007-10-08 22:10 | ビジネス | Comments(0)