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情報技術(ICT)の先行きを占う

このサイトをごらんになっている多くの方はお気づきだろうが、私は「革新的生産スケジューリング入門」というホームページと、「タイム・コンサルタントの日誌から」というBlogの二つのサイトをもっている。そして、メインの記事は両方のサイトにほぼ同時にアップしている。いわゆるマルチポストの状態になっているわけだ。おかげで、タイトルをもとにYahoo!で検索すると前者が、Googleで検索すると後者が(ときには両方が)みつかるという、読者にとても不便な状態になっている。

なぜ同じ文章を二つサイトにアップしているのか。その理由は簡単だ。私がExciteにBlogを開設したのは昨年の初めだった。動機は単純で、「タイム・コンサルタントの日誌から」というコーナーをBlog化して、もう少しこまめに更新しようと思ったのだ。それにまあ、遅ればせながらBlogってどんなものか、少しは体験するのもいいかなと考えた。Blogならば検索機能もついているし、トラックバックもできる。元のホームページのコーナーは休止して、Blogへのリンクに切り替えた。

ところが、切り替えてわずか2ヶ月後のある日、突如として会社のPCからExciteにアクセスできなくなってしまった。Exciteだけでなく、Blogの類は一切、アクセス制限に引っかかる。urlをたたくと、「このサイトはアクセス禁止です。あなたのアクセス履歴はサーバに記録されました。」と恐ろしげなメッセージがproxyから出る。会社では以前から、いわゆるアダルトサイトへのアクセス制限をかけていたが、その対象がBlogに広がったようなのだ。SNSもyouTubeもネットの掲示板もダメ。だからYahoo!の株価情報はOKなのに、株コーナーの掲示板は見えなくなった。

念のため書くが、私は自分のサイトへの投稿は、自宅のPCからアップしている。だから、別に会社のPCからアクセスできなくても、直接は困らない。しかし、自分の会社でこういう制限をかけているということは、おそらく他の企業でも似たような状況が起きているにちがいない。つまり、Exciteに何をアップしようが、それは他の企業人からは読めなくなってしまうのだ(サーバ側記録では、日中のアクセスは圧倒的に企業ドメインからが多い)。私の気まぐれな文章に多少は情報価値があるとしても、読めなければ誰の役にもたたなくなってしまうだろう。結局私は、いったん閉めた旧サイトのコーナーを復活し、同じ記事を両方にマルチポストすることにした。

それにしても、会社からのBlogのアクセス禁止が広がっているのは事実である。なぜそんな必要があるのか、私には合点がいかない。Blogの情報が玉石混淆だということは、読む側が気をつければすむことだ。だが、この時に私はひとつの確信を得た。それは、次世代の情報技術ではBlogやSNSが主流になるにちがいない、という確信だ。なぜなら、普通の会社が禁止するものは次の世代のICTの主流になる、という歴史的法則があるからだ。

たとえば、かつて職場ではホスト・コンピュータのダム端末だけがIT(当時はEDPといったが)への窓口だった。正式文書の清書はタイプ室で、高価で大型の日本語ワードプロセッサー機械(写植機に似ていた)で集中入力だった。そこにPCなるものが持ち込まれるようになって、会社の管理部門は顔をしかめたものだ。それでも、最初の内はIBMなど由緒ある汎用機メーカーのPCだけは存在を許された。しかしNECのPC-9801のような我流の機械は排除された。

98がどうしても排除しきれなくなったのは、日本語ワープロソフトの普及のせいだった。これは日本語タイプ室の存在意義をあやうくしたので、論議が出たものだ。しかし、AppleのMacintoshなどというマシンは論外だった。コマンド・プロンプトのないコンピュータなど、システム屋から見たら知性不要のおもちゃだったのだ。

一時普及しかけたMacの進撃を止めたのは、皮肉にも会社が一人1台ずつホワイトカラーにパソコンを配備するようになったからだ。統一管理の観点から、DOSマシンの天下になった。それでも、Windowsは高価なスペックを要求するので、会社は消極的だった。結局Win95の時代になってゲリラ的に普及が進み、管理部門も追認せざるを得なくなった。

その後に来たのはLANとネットワークの波だ。LANサーバは高価なので、ファイルはローカルに保存して、重要書類のバックアップだけに使用するように、とガイドラインが出たものだ。「セキュリティを確保」するため、部門単位にフォルダに壁が仕切られた。“米国では電子メールなどというものが流行っているが、あれは個室中心オフィスで事業所が大陸に分散しているから必要なだけで、日本では普及しない”という評論も読んだ覚えがある。

それでも社内の電子メールは便利なのでしだいに普及していった。しかし、社外との接続は検討外だった。発信ミスによる情報漏洩の危険性を説くために、法務部門までがかり出された(そんなリスクはFAXだって同じだろうに)。どうしてもつなぎたい場合は、x.400などのセキュアなものに限られた。インターネットなど論外である。そもそも、送達される保証すらないではないか!

それでも世間の普及に負けて、名刺にメールアドレスをする企業はしだいに多くなった。だが、Web閲覧は別である。自分の机からネットサーフィンなど、企業で許される所業ではない。検索がしたければ情報部門の部屋の端っこにおいてある専用端末から使うように規制された・・

もういいだろう。結局、このいたちごっこの背景にあるのは何なのか。エリート階層のサラブレッド馬につける横目隠しなのか。あるいは、ガレー船には窓は不要、ということか? それとも情報システム部長の髪の毛がとがっている(www.dilbert.com)からなのか? そうではあるまい。ここには、一貫した誤解があるだけなのだ。それは、会社という仕組みは公的なコミュニケーションだけで成り立つはずである、という誤解だ。非公式コミュニケーションこそが会社組織を活性化し生産性を上げることを、じつは「ホーソン実験」はすでに20世紀前半に実証してい(『ITって、何?』第20回参照)。しかし、会社の管理部門は、なぜかこのことを知らないか、無視しているようだ。

ICTの発達は、個人単位で発信できる非公式なコミュニケーションを、より活発にさせる方向で一貫して進化してきた。だから会社の方針とぶつかり合うのだ。SNSもyouTubeもSecond Lifeも、すべてその方向にある。エンターテインメント性があるかどうかの問題ではない。それは応用分野の一部にすぎないのだ。社員の情報漏洩を恐れてBlogを禁止するなどナンセンスだ。現に、多くの有用な情報はスタティックなホームページからBlogに移ってきて、情報検索の効率はBlogを排除するとかなり落ちてきている。エロサイトをブロックすることだってナンセンスだ。昼日中から、おかしなサイトを見て遊んでいる奴は、端から見ればすぐ分かるのだ。そのために同僚がおり、上司がいるのではないか。副作用をおそれて薬を飲まなければ、適応力が落ちるばかりだと、もうそろそろ知るべきだろう。
by Tomoichi_Sato | 2007-07-26 00:53 | 考えるヒント | Comments(0)

変動費原価管理のすすめ


現代の企業経営は、目標管理と分業主義を軸として動いている。企業に経営目標や経営計画があるのは当たり前だと、皆が考えている(少なくとも株主はそれを要求する)。そして経営目標は、分業化された縦割り組織に、個別に与えられ下ろされていく。ま、「下ろされて」とかいたが、現実の日本の企業は、完全にトップダウンで動くケースは少ない。経営者といえども、下の人間の意見をきかないで勝手に数字を設定したりはしない(できない)のが普通だ。

それはともかく、多くの企業組織は、機能的分業化ないしは分野別分業化で区画されている。機能的分業とは、販売・マーケティング・設計・生産・物流・購買・サービス・人事・経理・財務・・といった分類による区別だ。分野的分業とは、製品カテゴリーだとか、顧客業種だとか地域だとかによる区別で、その内部は事業部として自己完結する。現実には、両者がある程度入り混じった形が多い。とはいえ、事業部の中もたいていは販売・製造・サービス・・といった機能別にさらに細分化されるのが普通だから、結局企業は機能中心の組織が一般的だといっていい。

さて、このような分業組織を動かすにあたっては、ふつう、機能別の目標尺度を与えることが多い。たとえば製造業では、販売は売上高、生産は製造原価で管理することが当然だと思われている。つまり、

 販売高-製造原価=営業利益(粗利)

という理解だ。営業部門は売上高の最大化をねらい、生産部門は原価の最小化を心がける、という寸法だ。これでたいがいの会社はうまく回っているし、不都合もないと考えられている。今回は、それに疑問をさしはさもう、という趣向だ。

(ちなみに、この式には販売機会損失による逸失利益が入っていない。つまり、在庫過剰による保管費は原価に計上されるのに、欠品や納期遅れによる損失は計上されないのだ。この一点を見ても、この式には問題があるのは分かるだろう。が、その話は別の機会にして、今回は原価管理のことをとりあげたい)

さて、たいていの企業では、上記を次のように個別に展開した式で目標設定をしている:

 営業利益=販売高-製造原価=販売数量×(販売単価-1個あたり製造原価)
 
 1個あたり製造原価=材料費原単位+(労務費+減価償却費+間接原価)÷生産数量

そして、じつはこの式ために、要らぬ誤解や無用な判断ミスがしばしば入り込む。たとえば原価を下げるために労賃の安い海外に移転すべきだとか、工場は設備稼働率を上げて原価を下げるべきだとか、自社で部品加工すると高くなるから外注先から購入するとか。こうした方策は、中期的には企業の付加価値生産性をそこない、競争力を低下させる。たとえば中国生産で懲りて国内回帰してきた会社などでは、この問題にうすうす気づきはじめている。しかし、その原因は相手側の品質不全や文化の差異などのせいにされて、上の式に問題があるからだとはなかなか理解されない。

ご存じの通り、こうした原価計算をじっさいに行うのは財務部門である。ライン部門は、その結果を後から知らされて、自分の目標値との差違を知り、業績評定を受けるだけで、原価計算の中身までは理解していない。しかし、原価計算(とくに個別原価計算)の方法には、恣意性があるのだ。それは固定費配賦において典型的に現れる。「恣意性」という表現をしたのは、妥当な範囲の中で、自由度があるからだ。それは科学や規則ではなく、ポリシーの問題なのである。そして、たいていの企業では、この原価管理に関するポリシーが明確でない(だから日本のSAP R/3導入企業の中で、COモジュール活用例がひどく少ないのである)。

固定費配賦計算の罠とは何か? その良い例が稼働率計算である。ある生産資源(機械でも人員でもいいが)の年間コストが固定費で2千万円だったとしよう。工場の年間稼働時間を2,000時間とする。すると、1時間あたり1万円の単価になる。ところが、製造日報を調べてみると、この資源は実際には年間1,500時間しか稼働しなかった。稼働率=75%だ。すると、稼働時間あたりのコストは2千万÷1,500時間=1.33万円/時になる。同じ仕事を外注したら1.1万円でできたと仮定しようか。すると、外注した方が原価が安くなる。

ところが、よく考えてみてほしい。外注したら、その生産資源はどうなるのか? 保有機械ならば、減価償却費は使おうと使うまいと変わらない。人員も、おいそれと首は切れまい。他の仕事にすぐ転用できればいいのだが、これもそう簡単ではない。その結果、固定費は残ったまま、外注費が増えることになる。したがって、企業の付加価値総額は減少してしまうのである。

あるいは外注のかわりに、「稼働率を上げる」という対策はどうだろうか。でも、もう少し考えてほしい。機械や人員の効率を下げて、同じ量の仕事を年間1,900時間かかるようにかえれば、稼働率は95%にあがる(稼働時間あたりの原価は1.05万円に下がる)。外注より安くなる。これで企業は儲かるようになるか? NO! 年間固定費は同じままだ。

なぜこのような勘違いが生まれるのか。それは、原価配賦計算が、固定費を変動費のように「見せかける」からなのだ。変動費は、生産数量に比例するように見える。しかし、配賦された原価はそうではない。

では、正しくはどうすべきか。答えは簡単である。上の式のかわりに、「付加価値総額」という指標をとるようにすればよい。付加価値は以下の式で定義される。

 付加価値総額=販売高-材料費-副資材用役費等
 
この式自体には、どこにも労賃や減価償却費が入らないことに注意してほしい。というのは、これらは固定費だから、生産管理ではほとんどコントロールできないのである。コントロールできないものをモノサシの指標に持ち込むから、おかしな誤解があまた生じるのだ。

このように、変動費のみに注目する管理方式を、変動費原価管理ということもある。また、すべての企業の付加価値総額を合計したものが、その国のGDPであることも忘れずにいてほしい。

企業組織は、モノサシで動く。かつて「モノサシを疑え」(『タイム・コンサルタントの日誌から』2004/04/03 )でも書いたように、本当にあるべきモノサシはどんな尺度なのか、いつも注意が必要なのである。
by Tomoichi_Sato | 2007-07-17 21:35 | ビジネス | Comments(0)

プロジェクト・マネジメントにリーダーシップ論は要らない

昨年、国内最大手のシステム・インテグレーターのPMOの方から依頼されて、そこの社内PMセミナーで講演する機会があった。どういう話をしようか、少し迷ったのだが、その冒頭で、私はこう切りだした。「プロマネを選ぶときに、リーダーシップの有無を最初に問題にするのはおかしいと思います。少なくとも、私の業界ではそういうことは議論になりません。」

ご承知の通り、私はエンジニアリング会社に勤務して、プラント系のプロジェクトとSI系のプロジェクトの両方を経験してきた。二足の草鞋をはき、両者を子細に比べてみて気づいたのは、技術的な要素が大きくちがうにもかかわらず、プロジェクト遂行のストラクチャーがずいぶん似ているということだ。いずれも受託型のビジネスである。スコープと納期とコストが主要なコントロール対象である。元請け-下請け構造で複数業者が関わっている。個別受注・個別設計である(とはいえ、客先の要件はじつは業種によってかなり共通している)。納品物は生産財であって、客先はそれを受け取って自分のビジネスを運転しなければならない・・・

それにもかかわらず、エンジ業界とSI業界の人々のプロジェクト・マネジメント論議は、驚くほどちがう。その違いの一つが、リーダーシップ論だと思う。リーダーの資質とは何か。それは育成できるのか。PMOはそれをどう支援すべきか。こうした論点がくりかえしトピックに現れてくる。

しかし、ちょっと考えてほしい。あなたが航空会社を選ぶとき、機長のリーダーシップを気にするだろうか。「ご安心ください。当社のジャンボ・ジェット機のパイロットは、リーダーシップに優れた統率力ある人材を選んでいます。」などと広告されていたら、なんだかかえって不安にならないだろうか?

ジャンボ・ジェット機の操縦が易しい仕事だとは、決して思わない。しかし、リーダーシップだけで飛行機が飛ぶわけではない。われわれがパイロットに期待するのは、まず専門的教育を受けていること、ついで飛行実務経験だろう。機長のリーダーシップなどというものは、何か非常事態が起こった際に、迅速・的確かつ勇気ある決断ができるかどうかが問われるときのみ、真に重要になる。だが私はそんな事態は、あまり頻繁に予想したくないのだ。

同じようなことが、プロジェクトにも言える。少し前になるが、IT分野の雑誌にPM特集があって、その見出しの一つが「プロの火消し人集団」だった。だが、果たしてプロの火消し屋が何人もいるような組織は正常だろうか? あなたが工場を見学に行ったとき、「ご安心ください。わが工場には、専任の消防隊が3班もおります。」と胸を張られたらかえって心配になるにちがいない。あなたはその職場で働きたいと思うだろうか?

念のためにいっておくが、私は別にプロジェクト・マネージャーにリーダーシップが全く不要だ、などと主張しているのではない。それが真っ先に議論されるのはおかしい、と言っているのだ。リーダーシップは、いざというときのために必要だ。そして、不思議なことにある一定規模以上のプロジェクトでは、かならずそういう危機が訪れる。私の知っているベテランのプロマネは、「さすがの俺も、今回はもうダメか! と思うことが必ず2回来る。」と言っていた。リーダーシップは、そうした危機を乗り越えるためには、たしかに必要である。だが、危機を乗り越えるときは、プロマネだけでなく、プロジェクト・スポンサーやエンジニアリング・マネージャー、コントローラー達が一丸となって解決に動いていくものだ。プロマネ一人が背負うべきものではない。

それでは、なぜリーダーシップ論がSI業界では優先されがちか。それは、SIプロジェクトは『失敗率が高い』という信念、ないし神話があるからではないか。失敗確率が高ければ、たしかにリーダーシップの心配も高まろう。大西洋をはじめて横断する機長には、たしかに操縦技術以上に、強いリーダーシップがいるだろう(もっともリンドバーグには部下の副操縦士はいなかったのだから、誰に対するリーダーシップかと問われると答えられまい)。

プロジェクト・マネジメント技術とは畢竟、プロジェクトのリスク確率との闘いの技術である。PMBOK Guideのプロジェクトの定義(A project is a temporary endeavor undertaken to create a unique product or service)に、なぜ『リスク』の語が入っていないのか、私は常々疑問に思っている。もしあなたが、ジャンボ・ジェットの運行をプロジェクトだと思えないとしたら(上記の定義にはぴったり合っている)、それは、そこに失敗のリスクをほとんど感じないからだ。だから、プロジェクトの定義には「リスクをともなう」という一語が追加されなければならない。

と同時に、ビジネスの技術というものは、プロジェクトのリスクを低減して、だれもそれがプロジェクトだと感じないようにしむけていくべき存在だ。それが、プロジェクト・マネジメントのハード・スキルと呼ばれるものなのである。
by Tomoichi_Sato | 2007-07-09 22:47 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

購買リードタイムとは何か?

知人が調剤薬局に薬をとりにいった。やや特殊で高価な薬である。順番がきたので窓口にいったら、担当の人が「申し訳ありません。この薬は今、在庫が無くて取り寄せになりますが、2~3日お待ちいただけますか?」という。知人が、手元に数日分あるから待てます、と答えると、「もし定期的に購入されるのでしたら、在庫しておきますので次回からはお待たせすることはありませんが、どうしますか」とたずねられたそうだ。

医薬品はふつう見込み生産されている。だから、メーカー在庫は必ずある。かりに薬局に在庫が無くても、2~3日で取り寄せられる。医薬品は人の命にかかわる場合もあるので、メーカーは『供給責任』の名のもとに、必ず在庫をもっておくものなのだ。ちなみに医薬品は国が価格を決める特殊な商品で、どこの調剤薬局にいっても値段はかわらないのが原則だ。だから、その薬局に格別不満がないかぎり、知人が定期的な利用をコミットすれば、購買リードタイムは数日間から数十分に短縮できる。つまりほぼゼロになるわけだ。

このエピソードを紹介したのは、購買リードタイムを決める要素が、短いやりとりの中にすべてあらわれているからだ。製品在庫、定期的な消費、コミット(約束)、価格、見込み生産、取り寄せ、輸送・・。

リードタイムとは、何らかの指示(オーダー)を出してから、それが完遂(フルフィルメント)されるまでに要する期間のことである。調達においては、購買オーダーから納品までの期間をさす(なお、購買と調達を区別する場合もあるが、ここでは説明を省く)。注文してから、手元に届くまで。

生産管理システムやスケジューリング・システムでは、購買リードタイムを標準日数(固定値)としてマスタに登録する場合が殆どである。では、この日数は、誰がどのように決めるべきか。また、その日数の信頼性や、その短縮方法はどう検討すべきか。こうした問題は、従来の生産管理理論があまりフォローしてこなかった領域と思われる。

たとえば、ある部品の購買リードタイムが2ヶ月とマスタに登録されているとする。ところで、その部品はじつは毎月買っているものだとしよう。このリードタイムの値は正当だろうか、それともおかしいだろうか?

集中購買を行なっている会社では、購買部門がリードタイム日数を登録・メンテしているケースが多い。購買部門はその品目の取引を新規にはじめた際、サプライヤーに引合いをして価格と標準納期を決め、登録する。価格は年に1回くらいネゴを行なって見なおすだろう。だが、リードタイムはそのままにされる場合が少なくない。納期は、個別には催促することもあるが、標準値をネゴって短縮できるものではない(また効果も少ない)と購買部門は考える。なぜなら、購買リードタイムとは、サプライヤー側にとって見ると、注文を受けてから出荷するまでの生産リードタイムに相当するからであり、旋盤で4時間かかるものを3時間にまけておけ、と言ったって現実的ではないはずだ・・。

ところが、これは大間違いなのである。冒頭の調剤薬局の例を思いだしてほしい。定期的に消費がコミットされるものは、製品在庫として置いておくことが可能になるのだ。コミットというと、なんだか『引取り保証』のようなものを連想されるかもしれないが、それは極端な例である。サプライヤー側にとって、“見込みが立つ”商品は、(よほど高価な部品でないかぎり)見込み生産ができるのである。

つまり、購買リードタイムを決めるのは、サプライヤー側の見込みと購買側の予定(思惑)とを、どれだけ一致させられるかという事である。購買予定が継続的で平準化されていれば、それだけサプライヤーは見込みで先行生産が出来るから、リードタイムは短くなる。購入が断続的だったり、購入量のアバレが激しい場合は、こわくて見込みでは作れない。いきおい受注生産になるから、リードタイムは生産に必要な期間より短くはできないことになる。新規部品の場合は必ずこのケースだから、納期は長くなる。

もし、毎月購入する部品があったとして、それが比較的平準化されているならば、標準リードタイムは2ヶ月どころか2日でも納入できるように交渉可能なのだ。しかし量が毎月ひどくバラバラなら、在庫を置いておけとは言えないだろう。もっとも、半期や年間でならせば平均的というのなら、まだ多少の交渉の余地はある。

これは言いかえるならば、購買リードタイムの値を実質的に決めることができるのは、購買部門ではなく生産計画部門だ、ということを意味している。当初の登録は購買部門でも、それを見なおして短縮できるのは生産計画部門なのだ。なぜなら、購買部門は部品消費予定を決める立場にないからだ。集中購買方式をとる日本の少なからぬ企業が、ちっとも納期競争で海外に勝てないのは、こうした事情に対する無理解が生んでいる可能性も高いと私はにらんでいる。
by Tomoichi_Sato | 2007-07-01 15:07 | サプライチェーン | Comments(0)