<   2007年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧

マネジメント改革の工程表 岸良裕司・著

機知に溢れた、楽しい本である。正直言うと私は、(「気まぐれ批評集 書評」のページを見てもらえれば分かるとおり)あまりビジネス書のたぐいを読まない。理由の一つは、書評には最初から最後まで全部読み終えた本だけを取り上げることにしているからだ。ビジネス書はしばしば、必要な箇所だけを参照するために買うので、全部を読み通すことがあまりない。さらにもう一つ、たいがいのビジネス書のスタイルが、肌に合わないこともある。理論の説明中心で教科書的になるか、あるいは雑誌記事的な事例と感想の羅列だけで、通るべき芯が通っていないか、どちらかのケースが多い。そしてユーモアが足りない。

さいわいこの本には、軽快なウィットがあふれている。これは著者の資質のあらわれなのだろう。著者の岸良氏夫妻には、昨年秋のシドニーのプロジェクト・マネジメント国際学会ProMAC 2006の席上でお会いしたこともある。察するに岸良氏は、理論家や伝道師というより、優れたファシリテーターなのではないか、という気がする。

そのセンスは、本書の装丁や用語などによく現れている。表紙には著者の言う「サバよみ虫」や「かねくい虫」など“会社の害虫”のイラストが描かれている。サバよみ虫とは、5日でできる仕事でも『10日かかります』とサバを読んで膨らませて答える奴らのことだそうだ(別に彼らは悪気ではなく、責任感が強すぎるためこう答えるのだ)。だから文中の『会社の害虫図鑑』によると、サバよみ虫は「人の責任感を栄養源にして急速に成長する。個別最適の組織と組織の隙間などに好んで生息する」と書かれている。

害虫には他にも、「くれない虫」(=外部への不満が強い)「べき虫」(=理想論だけ言う)「パーキンソン虫」(入った予算は全部使ってしまう)などがいるという。だがイラストを見ると愛嬌のある可愛い虫たちで、妙に憎めない。このイラストはすべて、まゆこ夫人の手によるもので、そのセンスだけで本書の魅力を2割以上アップしている。

本書のテーマは、クリティカル・チェーンを中心にした、プロジェクトの進め方である。クリティカル・チェーン・プロジェクトマネジメント(CCPM)とは、TOC(制約理論)の創始者で『ザ・ゴール』の著者ゴールドラット博士の提案した手法だ。プロジェクト・スケジューリング理論は、1950年代のおしまいに米国ランド・コーポレーションとデュポン社でPERT/CPMが開発されて以来、ほとんど半世紀の間、進展らしい進展がなかった。その停滞を破った画期的理論がCCPMである。

しかし本書は、いきなり正面からCCPMを解説するようなことはしない。むしろ著者の目から見た、日本の会社のマネジメント改革に蔓延している問題点を明確にするところからはじめる。その問題点とは何か。それは管理の未熟や不足ではない。管理過剰なのだ。

会社に問題が生じる、とする(どんな会社にも問題は必ずある)。改革プロジェクトがたちあがる。しかし他の仕事は減らないので、いきおい余裕がなくなる。目標も見えにくい。結局プロジェクトはずるずると遅れてしまう。すると経営幹部の支援も得られなくなる。こうして一つがこけると、他に悪影響が波及してくる。いきおい、目標管理や数値管理をもっと徹底しろ、ということになる。するとさらに報告作業が増える。そしてもっと余裕がなくなり、他のプロジェクトも軒並み遅れて・・・

では、その解決法だが、著者はここでクリティカル・チェーンを導入すると、すべて見事さっぱり解決する、という。そしてCCPMの中核であるタスク期間短縮とバッファ・マネジメントの話に進んでいく。しかし、ここはちょっと飛躍がありすぎるように感じた。

むしろ、その後の章に書かれている、「ODSCで目標を共有する」の方が、私にはオリジナリティが溢れていると思う。ODSCとは、Objectives(目的)・Deliverables(成果物)・Success Criteria(成功基準)の略だ。これを、全員参加のミーティングで最初につくっていく。さらに、このODSCからさかのぼってタスクを洗い出し、工程表を一緒に作成していくのである(ただしCCPMには階層的WBSという考え方はない)。

プロジェクト計画時に、目的/成果物を定義し、タスク・リストと工程表を作成すること自体は、PMBOK Guideにも書かれている、ごく当たり前の作業である。ポイントは、皆の参画意識を引き出す、そのやり方にある。著者にファシリテーターとして優秀な資質がありそうだと思うのはここの点だ。この章だけでも本書は読む価値がある。

ところで、エンジニアリング会社ではCCPMを使わないのかと、ProMAC 2006の会場でも私は聞かれた。CCPMは優れた手法で、私もときどき利用している。しかし、オフィシャルな答えはNOだ。その理由は、CCPMにはコスト管理の視点が全く欠けているからである。エンジ会社の受注するプロジェクトは、納期と予算とスコープにしばられている。そこでつねに直面するのは、コストとスケジュールの間の見合い判断である。機器を日本のメーカーA社から買えば納期は確実だが高い。東欧のB社から買えば安いが納期に不安が大きい。このときどちらを取るべきか? こうした問いに、CCPMは直接答えてくれない。

むしろクリティカル・チェーンの手法は、コストのほとんどの部分が社内人件費であるような種類のプロジェクト、すなわち社内改革プロジェクトに向いていると思う。これならば「納期」イコール「コスト」であるから、トレードオフ問題に悩まずにすむ。そう言う意味でも、タイトルにあるとおり、この本は「マネジメント改革」に直面している人におすすめである。
by Tomoichi_Sato | 2007-06-24 01:05 | 書評 | Comments(1)

工場見学ほど面白い物はない

今月はじめ、中国の大連に行って来た。中国東北部の玄関口にして最大の港町・大連市である。100年前にロシア人が建設した、アカシアの並木の美しいこの街は近年、急速に発展中だ。今回は、コンサルタント集団「生産革新フォーラム」(略称MIF研)主催の、中国工場見学ツアーに参加しての旅行だった。ただし(大連は日系企業もこぞって進出しているが)見学先はすべて中国企業にかぎった。中国の製造業の本当の実状ないし実力を見たい、というのがそのねらいだったからだ。紹介の労をとってくれたのは大連理工大学で、そのキャンパス見学も行なった。

結果は、衝撃的だった。見学の第一印象を一言で言うと、「まいった」になろうか。あるいは「すごいな!」かもしれない。いくつかの企業を回り、大学を見学したあとの感想は、正直、「やばいぞ。」にかわっていた。

見た工場のどこがすごいのか。それを言う前に、なぜ私は工場見学をするのか、書いておきたい。じっさい、私は工場を見るのが大好きだ。そうでなければ、独立コンサルタントでもない私が、なぜ会社まで休んで、自費で海外への見学ツアーに参加するのか。
それは、一言でいって、工場が複雑なシステムだからである。だから設計は難しく、かつ面白い。工場は単に、建て屋のドンガラのなかに製造機械をならべただけのものではない。生産にたずさわる人がいる。部品・材料・製品・副資材などのモノが流れる。電力やガスや用水などのユーティリティも供給しなければならない。制御システムや情報システムもいる。そこには生産思想のすべてがあらわれてくるのだ。以前、『流れをつくる』(「タイム・コンサルタントの日誌から」2007/03/18)や『製品という名のシステム、工場という名のシステム』(2005/11/14)にも書いたことだが、製品に設計思想があらわれるように、工場にはサプライチェーンの設計思想があらわれる。

ところで、日本でイメージする中国の製造業というと、安い人件費の労働者を大量に投入した、人海戦術のものづくり、といった風のものだろう。'90年代以降、日本企業が中国に工場進出した最大の動機は、“安価な労働力”だった。品質はあまり望めないが、とにかく安い部品や、低付加価値の製品。Made in Chinaのイメージそのものだ。

では、じっさいに私たちが見た工場はどうだったのか。たとえば、大連三至机器(正しくは「至」ではなく土の上にムを3つ並べた漢字だが、無いので代用)という会社を見学した。年商50億円程度の中堅製造業だ。給排水に使う大口径コルゲート樹脂のパイプを製造する産業機械のメーカーである。大型の産業機械だから、とうぜん受注生産である。しかも、部品製造からの受注生産なのに、生産リードタイムはわずか50日だという。

ふつう日本の工場だったら、ひと声「納期は6ヶ月」というところだ。基本設計に1ヶ月、鋳物やモーターや特殊部品の資材購入に3ヶ月、部品加工1ヶ月、組立と立合検査に1ヶ月、というわけだ。まあ、この50日が部品購買リードタイムを含むのかどうかは、確認しなかった。鋳物やモーターがあるから、それもふくめて50日というのはかなり難しいから、工場で部品加工に着手してから完成出荷までの期間だろうか。しかし、購買が個別注文ではなく標準品だったら、それでも全体はかなり早いはずだ(日本で購買リードタイムがやたら長くなるのは、手配慣習に起因する理由があるのだが、それはまた別の機会にふれよう)。

ここの工場は、スペイン製の大型FMSマシンをはじめ、森精機の多軸NCなど自動加工機械が20台以上、ずらりと並んで直線的な加工ラインを形づくっている。汎用機もあるにはあるが、補助的役割に見える。モノは工程内にあまり滞留しないで、きれいに流れて行くらしく、フロアに仕掛りがそれほど無い。これが日本の普通の工場だったら(たとえ大手企業でも)、マシンの回りに1ヶ月も2ヶ月も前の部品が平然と積まれていたりするものだ。

こうした自動機のオペレーターは、みな若い。大連の専門学校で加工機械を学んだ人材を採用しているという。人よりも機械の台数の方が多い。ぜんぜん人海戦術ではないではないか。それだけではない。自動化ラインを中心に部品加工をしているということは、部品設計自体が、それなりに自動加工を意識して標準化されていることを意味する。つまり、製品設計・生産技術・製造管理全体に、筋が一本とおっているのだ。

部品加工を自社でやれば、それだけ設計ノウハウ・製造技術ノウハウが自社に蓄積される。多くの日本企業がやっているように、最終組立だけ自社に残して部品加工を外に出してしまうと、付加価値額の比率も低下するし、結局自社の力が落ちていくのだ。

くり返すが、ここは民間資本の中堅企業である。投資はまったくの自費でやっている。国家から土地建物や資金を投入されている国策会社ではないのだ。それなのに、生産の『あるべき姿』を考えて、果敢に挑戦している。まことに恐れ入った。

なんだかベタ褒めみたいになったので念のために書いておくが、私は別に中国ファンでもないし、誰かに何か恩義があるわけでもない。中国にだって政治的不自由やバブル経済や農村の疲弊、環境破壊などさまざまな困難がある。中国人が理想的な人格者ばかりでない(むしろ聖人君子からははるかに遠い人が多い)のも、先刻承知だ。だがむしろ問題なのは、『チャイナ・シンドローム』(「コンサルタントの日誌から」2004/06/06)にも書いたように、私たち日本人の単層な思いこみの方なのだ。

帰る前の日は、今回の見学先を紹介してくれた大連理工大学を訪問した。広々とした落ち着きのあるキャンパス、すぐれた設備にも感心したが、いちばん印象を受けたのは真面目に勉強する学生たちだった。東北3省のトップ校であり、むろん優秀な人間は多いと思う(東北3省だけで人口は1億3千万人と日本をしのぐから、そこのトップとは、東大以上のレベルといってもいい)。

しかし、何より、今の中国では、一所懸命に学べば、それだけ良い未来につながるはずだという、単純な希望がある。百年前の清朝末期には考えられもしなかった希望である。若い人が、希望を持てる社会。理想を目指しても嘲笑されない社会。私たちも、そうした世の中をもう一度つくらなければ、きっと5年後10年後には、中国に「先進事例」を逆に学びに行くことが当たり前になっていくだろう。
e0058447_23112112.jpg
e0058447_23114796.jpg

by Tomoichi_Sato | 2007-06-15 00:05 | サプライチェーン | Comments(0)

心理的バリアーをのりこえる

自分のやるべき仕事を、To Doリストやタスク・リストなどの形に書いておくのは、良い習慣だ--近著『時間管理術』の最初の方でこう書いたら、「近頃の若いビジネスマンはそんな当たり前のことまで、本で勉強しないと分からないのか」とベテランのプロジェクト・マネージャーに、あきれられてしまった。昔はそんなことは自分で編み出すか、先輩から盗んで覚えるのが当たり前だった、ということらしい。

しかし、大学出がまだエリート候補だった高度成長期ならともかく、今やホワイトカラーなど、誰もがありつける、ありきたりの職業となった。徒弟制度的な技術継承もくずれつつある。だから今日では、時間管理術はキャリアアップに必須の、学ぶべき技法だと思う。

自分がいつまでに何をやらなければならないのか、それがどれほどの負荷量の仕事なのか、ホワイトカラー業務の場合はなかなか見えにくい。生産現場だと、製造オーダーや出荷指示といった紙の差立てがきちんとしているし、それが現物と(まともな工場では)対応しているはずだから、仕事量は明確だ。仕事量が可視化できれば、おのずから進捗も計りやすいし、コントロールも可能になる。見えない仕事はいつまでたっても、制御不能のままなのである。

かくいう私も、To Doリストはずいぶん以前からずっとつけている。ところで、こうしてリストをつけて、毎朝・毎夕に更新していくと、ときどき気になることが出てくる。それは、いつまでたってもリストから消えずに居座り続けるタスクの存在である。

タスクは内容の他に、かならず期日(due date)を書くのが原則だ。しかし期日が厳密に決まっていない仕事、「近いうちにやらなきゃならない事」というのも現実には存在する。そうしたタスクは期日をブランクにしたり、あるいは1週間後などの適当な目安を設定することが多い。期日が来たら、私が使っているツールでは自動的に翌日に持ち越しになる(持ち越し不可の設定も可能だが)。こうして、いつまでもTo Doリストに残って消えないタスクがときどき生じる。正直に告白すると、最長で半年以上も生き残っていたタスクがあったと思う。毎日それを見ていると、しだいにTo Doリスト自体をメンテするのがいやになる。

それくらいだったら、さっさとそのタスクを完遂すればいいじゃないか、と思われるだろう。そう。それが正論である。しかし、私自身の中には正論にしたがえぬ部分が若干、あるのかもしれぬ。そして、類似の体験をじつは皆もっているようだ。では、どんな種類のタスクがTo Doリスト残りやすいのだろうか。工数のかかる仕事か、あるいは難易度の高い仕事か。それとも専門領域外の仕事か?

そうではない。私が手をつけずにずるずると先延ばしにする仕事、それは心理的に「面倒くさい」タスクなのだ。工数にも難易度にも専門性の有無にも、直接は関係がない。工数がかかって難しい、しかも経験の少ない分野でも、よろこんで取りかかれる仕事はいくらでもある。困るのは、心理的な負荷の高い仕事の方だ。

経営学は労働を、肉体労働と知的労働に分類している。それはさらに、習熟の要否によって単純労働と熟練労働に分かれる。高度な指先の研磨加工もあるし、単純な伝票処理もあろう。そうしたタスクの工数(負荷)は、肉体か頭脳のどちらかの使用時間で計られるのが決まりだ。ところが、仕事の中には、さほど時間がかかるわけではないが、心理的な負荷の大きなものがあるのだ。

友人の社会学者・石川准氏の本の中で、私は「感情労働」という概念を知った。感情労働とは肉体労働でも知的労働でもなく、感情の消費を要求される仕事をさす。その代表例として、ナースによる看護があげられていた。看護には知的な面も肉体労働的な面もある。しかし、その負荷の大きな部分は、患者に対する感情のプロセスによって生じるという。

同じ事が、どうやらビジネスの世界にもときどき生じるらしい。難しくはないけれど面倒くさい仕事。たとえば顧客への追加交渉だとか、人事考課だとか、あるいは些末な規則のために、細心の注意を払わないと官庁や管理部門からこっぴどく怒られる仕事だとか。こうしたものは心理的なブロックとなって、着手をしにくくするのだ。

それでは、どうすべきか。自分の心理的傾向、すなわち性格をかえるのが一番だが、これはお手軽にはできそうもない。そこで別の方法を考えよう。まず、心理的なブロックの存在に気づくことが第一だ。問題の存在を認識すれば、もう3割は解決に近づいたも同然だろう。

そのために、まずTo Doリストでの繰り越し回数をチェックするといい。もし同一のタスクを、未着手のまま5回以上くりこしていたら(つまりカレンダー日でいえば1週間たっていたら)、それは「心理的バリヤーつきタスク」だと認識する。

つぎに、心理的な障害のあるタスクは、それを小さなサブ・タスクに分解してみる。「顧客に値上げ交渉をする」という仕事が、気が重くて延ばしのばしになっている場合、「交渉材料のネタを準備する」「競合製品の価格リストを作る」「顧客に面談のアポを入れる」などにブレークして、着手してしまうのだ。本にも書いたとおり、少しでも自分自身の背中を押してやるような形にするのがコツだ。

同時に、自分自身で簡単なモットーをかかげるのもおすすめだ。たとえば私は、「迷ったときは積極的な方を選ぶ」というモットーを、先輩から教わった。これは自分自身の背中をちょっと押すのに効果がある。「迷ったときには、念を押せ」というのもある。これは優秀なプロマネからきいたことばだ。コミュニケーションには念を入れろ、との教訓がこもっている。

こうした面倒くさいタスクは、かなりの場合、上司からふってくる。以前、『To Doリストなんか書いている時間がない』(「コンサルタントの日誌から」2007/03/11)にも書いたように、本当はTo Doリストは、作業を指示した人が書き込むべきものである。だがそれは、現実にはなかなか、かなわない。タスクは自分で管理せざるを得ないのだ。それでも、自分の背中を少しずつ押す術を身につければ、少しずつは前に進むことが出来るのである。
by Tomoichi_Sato | 2007-06-05 23:23 | 時間管理術 | Comments(0)