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合理的な意志決定のつみ上げがマクロな不合理を生む(2)

前回書いた「囚人のジレンマ」の問題をセミナーなどで説明し、自分ならどの行動をとるかを聴衆にたずねてみると、過半数はやはり『自白』を選択すると答える。つまり、相棒がどちらの行動に出ても、自分のこうむるリスクを最小化する方を選ぶというのだ。すなわち、自分の損得というミクロな観点から言えば、きわめて合理的な判断である。

その同じ判断が、分業化した会社の中でもしばしば行なわれる。たとえば、こうだ:購買部門は安い資材部品を納期通りに調達することを、部門の目標として与えられている。だから、他の部門から手配部品の納期を聞かれたら、長めに答えることになる。短い納期見積を答えて、サプライヤーがそれに応じられなかったら、購買部門の失点になるからだ。リスク最小化の原理である。同じ理由で、発注ロットサイズをたずねられたら、多めに言いたくなる。その方が安く買える可能性が高いからだ。つまり、納期は長めに、発注量は多めになりがちだ。

一方、設計部門はどうか。業績評価の尺度は、設計の品質と稼働率だ。品質自体は直接測りにくいから、同じ性能や顧客仕様を満たすために、どれだけ経済設計できるかでおきかえられる。部品数が少なく、重量や肉厚がぎりぎりまでしぼってあるほど良い。こうなると設計の期間は長くなりがちだし、手配部品も個別仕様品が増えていく。でも、標準部品を使って設計マージンが大きくなりすぎたら、失点になる。多少手間はかかっても、稼働率も上がったほうが文句を言われない。客のわがままな仕様のせいにすればいい。

資材倉庫部門はどうか。材料出庫指示が来たとき欠品だと、製造部から文句を言われる。いきおい安全在庫レベルは高めにとることになる。手配も早め早めにかけることになる・・。

おわかりだろうか。どの部門もリードタイムは長め長めに、在庫量は多め多めに動くことになる。各部門がそれぞれリスク最小化のために、余分なサバ読みを行なっている。それが部門レベルで合理的に行動した結果だ。だが、その結果、会社レベルではどうなるか。あきらかに高コストで長納期、競争力のまるで無い状態に陥るのだ。分業の発達した企業では、こうしてあちこちで囚人のジレンマが発生する。全員が合理的に行動して生まれる事象だから、“馬鹿者”と一喝しても、“もっと頑張れ”と尻を叩いても、いよいよ事態は増長するばかりだ。

それでは、どうしたら良いのか? ある意味、答えは簡単だ。『囚人のジレンマ』はゲーム理論で言う「非協力ゲーム」であり、相棒と意志疎通できないことが障害になっている。一言でも話ができて、“一緒に罪状を否認しよう”と協力を合意すればジレンマを脱出できる。だから、会社だって部門間の壁を超えて話し合えば、良さそうな気がする。

しかし、月次の生販会議も毎週の設計工程会議もやっているのに、解決しないのはなぜなんだ。そう自問自答する人も多かろう。それは、皆が「非協力の結果」を理解していないからなのだ。前回の説明で、“二人のくらいこむ年数の合計”の表を見てほしい。これが、組織全体の収支の表だ。

ところが製造業の場合、誰がどういう行動をとると全体がどうなるかが、じつは直感的には分かりにくい。安全在庫水準を5割増やしたら、あるいは調達リードタイムが3週間延びたら、コスト競争力にはどう響くのか? こうしたことは、生産という巨大なシステムのふるまいを対象とした、正しい生産管理の理論を知らないと、正確には答えられない。

分業病は各部門にたいして、異なる評価尺度を与える組織に起こる病気だ。真に解決するには三つの方法しかない。一つは、全員に正しく生産管理を理解してもらうこと。これは理想だが、かなり遼遠な道である。第二は、全体を見通すコントロールセンターの部署を作って、手配指示はそこから出すようにすること。これは計画系機能の強化策である。第三は、各部門の評価尺度を、全体最適を実現できるような矛盾のないものに変えてしまうこと。組織の中の人間は、しょせんモノサシで動かされる存在である。そして、なにより、部分的な合理性をつみ上げても、全体のマクロな合理性は生まれないことを知るべきなのだ。
by Tomoichi_Sato | 2006-11-23 23:46 | 考えるヒント | Comments(0)

合理的な意志決定のつみ上げがマクロな不合理を生む

企業が変わることは難しい。緩やかな景気拡大が続く中、新規設備投資やIT投資が行なわれるようになり、それに並行して業務を合理化しよう、生産を革新しよう、という運動も活発になってきた。しかし、目に見える工場ラインやコンピュータ導入に比べ、目に見えにくい業務運用のソフト部分は、なかなかうまく変えられない。業務改革プロジェクトを立ち上げて何度か会合を開いても、“総論賛成・各論反対”でなかなか前に進まない--こんな話を、旗振り役の部署の人から聞くことも多い。

会社が変わらないのは、従業員の頭が固くて保守的なせいなのか。はたまた企業文化や風土のせいなのか。どちらも違う、と私は考える。会社がマクロな不合理に陥っているのは、各人が合理的な意志決定をつみあげたせいなのだ。製品納期が遅れたのも、部品在庫や仕掛品が山のようにあるのも、そのくせ肝心な部品が欠品するのも、皆が残業また残業で疲弊しているのも、じつは各人が合理的にふるまったせいなのだ。

なぜそのようなことが起きるのか? その理由は、経済合理性の背後にある『リスク最小化の原理』にあるのだ。だが、理由をを紐解く前に、ちょっとこういう問題を考えていただきたい。

いま、ここにギャングXとYがいる。彼ら二人は共謀して、銀行強盗を働いたばかりだ。しかし逃走して潜伏中に、別々に警察に捕まってしまう。警察は二人が銀行強盗だとにらんでいるが、直接の物証がない。そこで微罪で別件逮捕したのだ。警察は彼らを(共謀できないように)別々の留置場に収監して、銀行強盗の自白を迫る。相手が罪状を否認しているとき、自分だけが自白すれば、司法取引により自分は無罪放免になる。逆に自分が自白を拒否して、相手がしゃべってしまえば、自分は懲役7年は覚悟せねばなるまい。

自分も相手も互いにしらを切り通せば、二人とも微罪で1年収監程度で済む。逆に二人とも自供してしまえば、改悛の情を一応見せたことで懲役5年程度ですむだろう。このような情況の時、あなたがギャングXだったら、どのような行動をとるべきか。自白か、否認か?

このような状況下での合理的な決断について、考えてみよう。相手はどう出るか分からないし、連絡もとりようがない。そこで自分の選択と、相手の選択で合計4種類のシチュエーションが想定される。それを、下記のような行列で表現する(これを利得行列と呼ぶ)。単位は年数で、懲役だからマイナス値で表示してある。

           自 分 
       | 否認 | 自白 |
       |=========|
相手  否認 | -1 |  0 |
    自白 | -7 | -5 |
       |=========|
 
もし、相手が否認した場合を想定してみよう。すると、自分も否認すると-1、自分が自白すれば0だ。したがって、刑罰のリスクが最小となるのは、自分が自白をするケースだ。また、もし相手が自白したらどうだろう? 自分が否認するとー7、自白するとー5だ。この場合も、自白の方が懲役のリスクが小さい。

したがって、相手がどう出るか分からない不確実環境下で、自分がこうむるリスクを最小化するためには(「リスク最小化の原理」)、自白することが『合理的』だと判断できる。

ところが、よく考えてほしい。相手も、同じ情況なのだ。だから、相手も自白するのが『合理的』だと判断する。その結果、どうなるか。二人とも自白して、ともに懲役5年である。二人が一緒に否認すれば、1年で済んだのに! いや、それどころか、二人の懲役年数を合計すると、次の表のようになる。

           自 分 
       | 否認 | 自白 |
       |=========|
相手  否認 | -2 | -7 |
    自白 | -7 |-10 |
       |=========|
 
これから分かることは、共に自白すると、二人組という組織にとっては最低の結果に陥ることである。リスク最小化原理に沿った“合理的”行為をつみ上げた結果が、組織にとってはもっとも不合理な結果を生む。これが、ゲーム理論で有名な「囚人のジレンマ」の物語である。

それでは、企業内にとって、いかに囚人のジレンマに似た状況が生まれてくるのか。また、そこから脱出するためにはどうしたらよいのか。少し長くなってきたので、この続きはまた書こう。
by Tomoichi_Sato | 2006-11-13 22:05 | 考えるヒント | Comments(0)

VMIとウォールマートと富山の薬売り

VMIという言葉を聞いたことがあるだろうか。Vendor Managed Inventoryの略だ。日本語に訳せばベンダー管理在庫だが、これでは何のことだか分からない。ベンダー側、つまり納入業者側が使用者の在庫の管理を引き受け、補充作業をするやり方を指す。もう少し具体的にいうと、流通業(チェーンストア等)が使用者で、メーカーが納入業者の場合、チェーンストア側の商品在庫量を、メーカー側がウォッチして、在庫が無くならないよう責任を持って補充するのである。チェーンストア側は、補充された分だけ、支払いをする。これがVMIである。

従来のビジネスのやり方では、在庫レベルのウォッチと発注手配はチェーンストア側の作業だった。販売量を見て売れ方を予測し、どれだけ在庫を持つべきか決定する。そして発注書を切り、納入予定をチェックし、納品されたら検品作業をして、支払う。ところがVMIでは在庫量の決定と補充作業はベンダー側の作業になる。発注書も検品作業もなくなる。そして、在庫切れも(おそらく)少なくなるはずだ。使用者が製造業の工場で、部品材料のサプライヤーが納入業者の場合も、同じである。

このようなやり方をして、どんなメリットがあるのだろうか? 何回か書いてきたように、在庫管理には人と手間がかかる。モノの数量を数え、記録し、不足しないよう発注をかけ、モノが届いたら数と品質を発注書に照らし合わせてチェックする。つまり在庫管理にはコストがかかるのだ。しかも、発注量を間違えると、欠品や過剰在庫になる。販売見込みの読みに、正確さが要求される。

こうした作業を、かつては個々の店舗が各メーカーに対して行ってきた。しかし個店レベルではストックできる店頭在庫に比べて、需要の変動が大きく、読みが難しい。また検品等の人手も足りない。チェーンストアは、本部側がある程度この作業を代行するようになった。地域の複数の店を束ねると、需要変動は相対的に小さくなる。そこで地域単位で流通センターをかまえ、そこから店舗に補充するようになってきた。使用者と補充者が分業してきたのである。VMIはそれをさらにおし進めて、メーカーがストア側の在庫補充を受け持つようにしたわけだ。

VMIは、90年代に米国でウォールマートとP&Gが紙おむつで始めたのが最初だといわれている。米国の国土は広い。工場から全国の店舗まで、陸上トラック輸送で4日から1週間程度かかる。店舗在庫が無くなったからといって発注をかけていたのでは、しょっちゅう品切れに悩むことになる(パンパース紙おむつの1/4近くはウォールマートで売れていたので、これは両社の頭痛だった)。そこで、P&Gの側が、在庫の補充を受け持つようにしたのだ。

ただし、ここには重要なポイントが一つあった。それは、ウォールマートがPOSによる販売データをP&Gに開示したことである。これにより、P&Gは迅速で正確な予測が可能になった。逆に言うならば、こうした販売データのリアルタイムな開示がなければ、VMIは補充作業の負荷とリスクをベンダーに押しつけるだけの仕組みになってしまう。

ところで、我が国にははるか昔から、これとは別にVMIのビジネスモデルがあった。富山の薬売りである。富山の薬売りは行商であるが、各家庭に薬箱を置いて無料であずけておく。家庭では必要に応じてそこから薬を出して使う。薬売りは定期的に家庭を巡回し、薬箱から減っている量に応じて料金を請求し、そして不足分を在庫補充していくのである。これは立派なVMIモデルだ。

富山の薬売りはPOSデータもないのに、なぜ成立したのか? それは家庭常備薬が、定常的な使用量は(物量として)小さいけれども、欠品すると非常に困るという特性を持っているからだ。だから、在庫量を半年分も1年分も置いても平気だったのである。もし紙おむつを同じ方式でやろうとしたら、四畳半一部屋全部を在庫置き場にしてもらうか、さもなければ3日おきに各家庭を巡回しなければならない。

このように、VMIがビジネスモデルとして成立し、使用者と補充者がともにメリットを出すことができるためには、商品特性や物流量・輸送時間などさまざまな条件を満たす必要がある。現代の経営論は、なぜか一つの目立った解決策があると、右へならえと皆がまねる奇妙な傾向があるようだ。しかし、何度も繰り返すように、生産管理や在庫管理には理屈があるのだ。正しく理論を学んで、正しく用いなければ、効果も得られないということを知っておいてほしい。
by Tomoichi_Sato | 2006-11-07 23:45 | サプライチェーン | Comments(0)