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在庫精度とは何か

在庫量を調べるには人手と時間、すなわちコストがかかる。この単純な事実がしばしば忘れられるようになったのは、コンピュータが製造現場に普及して、在庫管理にも利用されはじめてからのことに違いない。それ以前の生産管理技法は、在庫量を調べるにはコストがかかることを前提に組み立てられていた。だからダブルビン法などのように、在庫量が発注点を切ったかどうかだけを見るような仕組みが工夫されたのだ。

コンピュータ以前の製造現場では在庫管理をどうやっていたかというと、倉庫番の持つ入出庫台帳で追いかけるしかなかった。入庫・出庫の手書きの数字を足し引きするわけだから、在庫量はすぐには分からない。品目別にページや欄を分けて記入すれば、個別の現在庫量は把握できたが、増減の傾向や、あるいは複数品種の合計値などをつかむのは至難のワザだ。またどうしても誤差が多かった。

そのために、きちょうめんな現品棚卸作業が要求されることになった。保管棚にある物品をいったん全部取り出して、数をかぞえ直す作業である。帳簿と数字が合っていなければ、帳簿の方を修正する。帳簿と現物の差を、在庫差異とよぶ。在庫差異を現在庫量で割った比率が『在庫精度』である。

在庫差異にはプラスとマイナスがあるため、単純に足し算をすると打ち消し合ってしまう。したがって工場全体で評価する際には、絶対値の合計をとる。通常は工場全体で1-2%以内におさえられる(そうでなかったら入出庫と保管のやり方にどこかおかしな点があるはずである)。また、扱う品種数の多い工場では、全品種をすべて棚卸ししていると膨大な作業になる。そこで、循環棚卸といって、一部の品種を順繰りに毎月チェックしていき、在庫精度を一定に保つような工夫がされてきた。

こうした手作業の現場に、コンピュータによるリアルタイム在庫が導入されたことの衝撃は大きかった。それまでは在庫数量といっても霞の向こうに朦朧とした姿があるだけだったのに、いきなり全ての数字が鮮明な写真のごとく見えるようになったのである。総在庫量の計算だって一瞬だ。しかし、このために、かえって在庫精度のことが忘れられるようになったように思える。

そもそも在庫差異が発生する理由はいくつかある:

(1)入出庫の伝票記入漏れ
 伝票を書かずにいきなり物を動かせば、数が合わないのは当たり前である。記入漏れの中には、保管場所を変更したのに、それを訂正しなかった、なども含まれる。

(2)減耗・破損
 物品の中には、有効期限や賞味期限などがあって使えなくなるもの、あるいは保管中に破損する物があり、これらは在庫差異の原因になる。

(3)盗難
 日本ではあまり心配が(今のところは)無いが、きわめて高価な物品や、あるいは外国の工場などでは常に注意が必要である。

(4)品質管理上の区分移動
 不良品はふつう在庫に計上しない。しかし、良品と信じて受入れ入庫した物が、品質検査の結果はねられることはときどきある。この際に、在庫量からの差し引きを忘れるのである。

(5)移動中
 同じ社内で、資材をA工場の倉庫からB工場の倉庫に横引き移動するとき、A工場から出庫処理をして在庫が減り、一方まだB工場では入庫計上されないと、在庫が一時的に見えなくなってしまう。荷物として車上にある物に、ともすると起こりがちなことだ。

(6)支給品在庫・預かり在庫
 外注先に対して支給した材料は自社の資産だから、在庫量に計上しなければいけない。これが見えなくなることがある。また逆に、客先からの預かり在庫(製品として所有権は客先に渡して代金ももらったが、まだ自社倉庫に保管しているもの)も在庫差異をうみがちなポイントである。

米国の生産コンサルタント、オリバー・ワイトは'80年代のはじめに、「在庫精度が5%を切れないような会社では、MRPなどの生産管理システムは使えない」と書いている。在庫精度の向上維持は、一見当たり前のことに思えるが、当たり前のことを当たり前に実行することは、案外、努力のいるものなのである。
by Tomoichi_Sato | 2006-10-21 19:37 | サプライチェーン | Comments(0)

ダ・ヴィンチ・コード(下) ダン・ブラウン

上巻では快適なペースで進んできたこの小説も、しかし、下巻に入って、コプトの福音書や死海文書の引用からキリストの生涯の隠された“秘密”を云々しだすと、話の展開は急に興ざめするようになる。ことに「シオン修道会」などの与太話が始まるに及んでは、とてもまともにつき合える代物ではなくなる。まあ、その歴代総長のリストなど、ある意味では抱腹絶倒なジョークではあるけれど。

それにしても、小説の悪役のネタにされたカトリック信徒組織オプス・デイこそ、いい面の皮である。私自身は、この超保守的な運動は好きになれないし、米国での政治がらみの布教活動にもなにかと批判はたえないが、だからといって情け容赦ない狂信者で殺し屋の元締めとして描くのはどうかと思う。この組織をモデルとした、フィクションとして描けば済むことなのに。

結局、この小説は扉に書かれた「宗教および美術関係の記述は全て事実に基づく」というステートメントが全体の鍵なのだ。作者はこのために、オプス・デイという実在の組織を使わざるを得なかったのだろう。そして、多くの読者も、このステートメントを額面通り信じたらしい。ダ・ヴィンチが自作の絵を『モナ・リザ』と名付けたかどうか、その一点からしても、おかしいと疑うのが健全なセンスと思うのだが。最後の晩餐でキリストの隣にいる人物が女性(マグダラのマリア)だ、という指摘も、面白いと言えば面白いが、だとしたら肝心の聖ヨハネはどこにいるのか? 食事は早々に映画でも見に行ったのか?

この小説が欧米でも日本でもベストセラーになったという事実は、結局のところ普通の読者がいかに騙しやすい存在であるかを明瞭に示している。「この記述は事実だ」と書かれたら、そしてそれが知的でキザに書かれていたら、それを信じてしまうらしい。騙される人たちは、騙されたがっている人たちでもある。既存宗教が自分たちの魂を救ってくれなさそうだから、そいつの正体を暴こうという三文芝居に群がってしまうらしい。まことに、大衆操作の容易な世の中である。この幻惑のベストセラーの唯一の価値は、そうした現代社会の危うさを数字で浮き彫りにして見せたことであろう。
by Tomoichi_Sato | 2006-10-21 19:35 | 書評 | Comments(0)

ダ・ヴィンチ・コード(上) ダン・ブラウン

電車に乗っていたら、中高校生とおぼしき男の子達が、キリスト生誕の話をしていた。定食屋で食事をしていたら、隣の席の若い労務者二人が、『マグダラのマリアってのは・・』と話している。マスコミに乗ったブームってのは恐ろしいものだ。その不正確さも。

面白い小説だと聞いて読んでみた感想は、“英米人って、つくづく聖杯伝説が好きだな”ということ。聖杯伝説の構造は、失われた貴重な物を探しに行って、冒険を続けるが、結局手に入れられずに終わるストーリーになっている。どうしてこういう話が好きなのか、ちょっと不思議ではある。

それにしてもこの小説は、その昔、米国でベストセラーになったS・S・ヴァン=ダインやエラリー・クィーンのミステリ小説に、よく似ている。スリリングなストーリー展開と、ペダンティック(衒学趣味)な味付けと--これがアメリカのスノッブ読書階層に受ける秘訣らしい。それに、ロマンチックな風味も重ねてあるから、男性のみならず女性にも受けるというわけだ。

だから当然、この小説の舞台は欧州、それもパリにとることになった。おお、なんとロマンチックで知的でミステリアスな! おかげで、登場人物達にむりやり英語をしゃべらせるため、そうとう無茶な設定になっている。ことにダイイング・メッセージやアナグラムマで英語だもんなあ・・。それでも上巻は、それなりにサスペンス小説としてうまいテンポで読者を引っ張っていく。途中、随所に挿入される図象学的うんちくがいかにテキトーであっても、話が面白い間は目をつぶって読み続けられるのだ。
by Tomoichi_Sato | 2006-10-21 19:34 | 書評 | Comments(0)

プロジェクト・マネジメントの世界は変わりつつある

オーストラリアのシドニーに行ってきた。ProMAC 2006に出席するためだ。正式にはInternational Conference on Project Management 2006といって、APAC(アジア・パシフィック)地域のプロジェクト・マネジメント国際学会である。2年ごとに持ち回りで開催されており、前回のProMAC 2004は東京で(正確には千葉で)開催された。第一回は2002年でシンガポールで行なわれた。2年後の第4回はアラスカ州のアンカレッジで開かれる予定だ。

3年前、米国ボストンで開催されたProjectWorldに参加したときの感想を、この「タイム・コンサルタントの日誌から」で『プロジェクト・マネジメントの世界は動いている』と書いた(2003/06/07)。その感は今回さらに強くなったと思う。このPM業界(というのもおかしな表現だが)に、多くの俊英が集まって、急速に経験の集積と手法の進歩するのが感じられる。

豪州側は豪PM協会とPMI Sydney支部が主催者になっているが、Defenceつまり政府国防関係も共催しているところが面白い。そしてかなり熱心に活動に参加していた。もともとプロジェクト・マネジメントと軍事との関係は深い。PERTは米国海軍のコンサルタントであったランド・アソシエイツが開発した手法だったし、 EVMSだって米国国防省が調達の標準手順として採用したからここまで広まったと言うことができる。それ以外に、建設/エンジニアリング関係の発表も多かった。むろんIT産業も参加している。製造業もいる。とにかくオーストラリアからの参加者は分野の裾野が広い、と感じる。

ひるがえって、日本からの参加者はというと、ここには若干の片寄りを感じた。参加者の数でいえば、おそらく2番目に多い国だと思うが、そのほとんどはIT業界の企業人なのである。それも、特定の大企業数社に限られていて、各社から大勢くり出している、という感じだ。こうなると容易に想像がつくが、日本人同士がかたまって日本語でしゃべっている状態になる。ちょっと、もったいない。

それはともかく、学会発表はなかなか興味深いものも多かった。一例を挙げれば、"Earned Schedule" の考え方の提案がある。米国海軍のコンサルタントLipke氏が発表で、EVMSの応用として、CPIやSPIといったアーンドバリュー分析の指標をいろいろと調べ、遂行途中で真の納期を精度良く予測するために、"ES"という新たな尺度の提案をしている。事実の集積に基づいた議論で面白かった。

私自身は2年前のProMAC 2004で初めて公開した『リスク基準のプロジェクト評価手法』の発展版を発表したわけだが、リスクは一つのキーワードだった。ほかに多くの参加者を集めていたテーマは組織論と人材教育だろうか。誰もが悩むテーマだからだろう。しかしこの種の話題はどうしても「工学」というより「経営学」みたいなアプローチになる。言葉による分析、インタビュー調査による集計が中心で、エンジニアとしてはどうにも歯がゆい。

プロジェクト・マネジメントの議論は、どうしても理工学的アプローチと、“文系”的アプローチの両面が出てくる。対象が人間の集団だから、それは無理もないことだと思うが、理論や手法として世界で通用するためには、やはり沢山の事実への適用によって磨かれないといけない。自戒を込めて言うわけだが、日本がこの分野で貢献するためには、もっと広い業種・分野での意見の交換が必要ではないかと思うのだ。
by Tomoichi_Sato | 2006-10-11 21:52 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)