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製品アーキテクチャー分析--儲かる製品と部品の組合せ

東大経済学部の藤本隆宏教授といえば、『能力構築競争』(中公新書)など、主に自動車業界の徹底した調査に立脚した、ものづくり理論で有名である。藤本教授の創見は「製品アーキテクチャー論」で、ひらたく言えば“すりあわせ型”部品構成と“モジュール型”部品構成の区別にある。

「すりあわせ型」の部品構成とは、すなわち製品を個々の部品から構成するときに、個別に部品を細かく仕様決め・設計して、それらを組み合わせてつくるタイプだ。その典型は自動車であり、自動車の部品は、たとえ同じ企業であっても、車種によってばらばらである。カローラのシートはクラウンには使えない。つまり、他の部品との組合せは限られており、その中で重量や強度や材質などを最適化してある。

一方、「モジュール型」の部品構成とは、製品を標準的なモジュールの組合せで実現するタイプだ。その典型はパソコンで、CPU・マザーボード・筐体・モニタ・キーボードなど、それぞれ単機能で完結したモジュール(サブアッセンブリー)の組合せで製品を作る。それぞれのモジュール間のつなぎ方(インタフェース)は業界の中で標準化されており、IBMのパソコンにEIZOのモニタをつないでも、ちゃんと表示してくれる。

製品の持つBOM(部品表)の構造を、このように分析する視点はそれ以前にはなかった。そして、製品自体も、すりあわせ型商品とモジュール型商品に大別することができる。すりあわせ型商品は、顧客の個別の細かなニーズにぴったりと“すり合う”ように作られた商品である。モジュール型商品とは、カタログの中から選ぶタイプの商品だ。寿司屋で言えば「おこのみ」か「おまかせ」かの違いと言っていい。むろん、すりあわせ型商品は受注生産になり、モジュール型商品は見込み生産になる。これが生産管理手法の違いを生む根本要因なのだ。

ところで、藤本教授によれば、儲かる産業と儲からない産業の違いは、製品と部品のアーキテクチャーによって傾向づけられる、という。これは、どういうことだろうか。

たとえば、自動車製造が、今日もっとも付加価値を生む産業であることは疑えない。ところで、自動車という商品は、基本的にカタログ商品である。さまざまなオプションをお好みで選ぶことは可能であるが、車種という基本モデルの枠組みは決まっている。つまり、モジュール型商品である。一方、その部品は、既にのべたようにすりあわせ型部品からなっている。

ひるがえって、造船・エンジニアリングはどうか。自分の属する業界だからよく知っているが、この業種は(今現在は中東の石油バブルで受注が多いが)基本的に付加価値の小さい仕事だ。粗利が小さく、リスクは大きい。この業種の特徴は、個別仕様のすりあわせ型の機械・資材を買って、プラントという個別注文のすりあわせ型の商品をつくる。

パソコン業界はどうだろうか。90年代はじめには“電子立国”などと自称していた日本だったが、今やデスクトップPCで大きな利潤を上げる会社は、ほとんど無くなってしまった。パソコンはカタログで選ぶモジュール型商品である。そして、構成部品もモジュール化されている。

ところで、ご存じの方は少ないようだが、今の日本は電子材料製造の業界では、非常に強力なパワーを持っている。シリコン半導体ウェハや液晶材料は、日本のメーカーが世界市場の半分以上を占めており、かつ大きな利潤を上げている。いまや電子材料立国なのだ。そして、商品は個別仕様のすりあわせ型だが、原材料は一般化学の産物であり、モジュール型である。

以上をまとめると、次の図のようになる。

+--------------------------+
|            |モジュール型商品|すりあわせ型商品
+--------------------------+
|モジュール型部品 | パソコン・家電 | 電子材料    |
|            |           |           |           
|            |(付加価値 小) |(付加価値 大) |
+--------------------------+
|すりあわせ型部品 | 自動車     | 造船・エンジ  |
|            |           | ニアリング   |
|            |(付加価値 大) |(付加価値 小) |
+--------------------------+

おわかりだろうか。BOM(部品表)の形を見ると、儲かる業界かどうかが、ある程度わかるのである。そして、同じタイプの商品・部品の組合せは儲からないのだ。上の図で言うと、左下か、右上に行かなければならない。

これが部品表構造の視点から見た、選ぶべき企業戦略なのだ。世に出回っている経営評論の如きと、いかに違うかお分かりだろうか。経営者の資質だとか、工場の世界展開とか、マーケティングの巧拙とか、そうした要因も大事かもしれない。しかし、儲かるか儲からないかは、製品のアーキテクチャーで構造的に決まってしまうのだ。

では、なぜこうなるのか。そして、左上や右下にいる企業は、どうしたら儲かるようになっていけるのか。長くなってきたので、この続きはまた書こう。
by Tomoichi_Sato | 2006-07-30 11:24 | ビジネス | Comments(0)

付加価値生産性とは何か

付加価値とは、企業が生産を通じて新しく生み出した価値であり、端的に言えば販売額から材料購入費を差し引いたものだ。材料購入費はサプライヤーに対して支払う金額であり、そのサプライヤーにとっては販売額になる。したがって、付加価値の計算は、買い手と売り手の分を合計すると、取引額が相殺されていく関係になる。もし、ある企業が工場を分社化して子会社とし、そこから製品を仕入れて販売する形態に変わったとしても、親会社と子会社の付加価値の合計額は変わらない。

この計算を、サプライチェーンのずっと源流までたどって集計していくとどうなるか。ちょっと考えればわかるはずだが、これは国民総生産(GDP)に等しくなるのである。つまり、一国のGDPとは、その国が生み出した付加価値の総計になるのである。だから、計算上は儲かるからと言って、製造やサービスの仕事を単価の安い海外にアウトソースしてしまったらどうなるか、容易に想像がつくだろう。その国の経済全体がしぼんでいくのである。これはすでに米国で起こりつつある現象だ。

さて、生産管理の主要なテーマは、最小の在庫で納期を守ることである。納期を守るというのは、顧客との約束を守ることであり、それ自体は“できて当たり前”のことだ。納期厳守を実現するために、どれだけ費用を使ってもいいなら、誰も苦労はしない。問題は必要最小限の在庫で、の部分である。在庫とは、その期に外部から購入する材料の結果であるから、材料購入費に集約される。言いかえれば、生産管理の主要なテーマとは、納期通りの出荷を達成し、外部からの材料購入費を下げること、つまり付加価値の増大にあるのだ。

生産管理の主題が付加価値の増大にある、ということは特筆されて良い。なぜなら、この基本中の基本が、どうやらしばしば生産現場で忘れられているからだ。その典型例が生産性の定義をめぐる混乱である。

最新鋭の機械を導入した、あるいは、一人屋台方式やセル生産を導入した、だから生産性が何割上がりました、といった議論をよく見かける。生産性とは何か。生産高を人員数で割ったものなのか。つまり、人が減れば生産性向上なのか。それだったら、最終組立工程以外は全部外注員にしてしまえば、労賃は元のままでも生産性が上がることになる。いや、工場長以外、全員外注にしてしまえば世界一の生産性であろう。これが生産管理の目標とは、誰も思うまい。

あるいは逆に、一人屋台生産にして直接作業比率が上がり、仕掛り在庫が減りました、という議論はどうか。部品を配膳・供給する仕事は分業させて、誰か別の人間に振り分けた訳であろう。これも、最終組立工程の能力を最大限活用する面では有意義だが、工場全体の人数は(とくに自社内で材料部品加工まで行なっていれば)動線をぐっと短縮しない限り大きく減ることはない。

こういう、社員一人あたりの生産額(販売額)の議論を続けていく限り、かならず行き着く先はアメリカと同じ、全面アウトソーシングである。そして、国内の失業率増大と国民所得減少ばかりに貢献することになる。

それでは、生産性を何で計るべきか。答えは、労働時間あたりの付加価値額なのである。労働人員あたりの付加価値額で計算する場合もあるが、派遣社員やパート比率が大きくなると、比較できなくなるので、最近は時間あたりの方が良く用いられる。つまり、作業者一人1時間あたり、どれだけ付加価値に貢献しているかを測るのだ。

こうすると、単なる外注化では、生産性向上ができなくなる。内製工程を丸ごと外注すれば、材料購入費にはねかえって、全体の付加価値が落ちてしまう。工場労働者を派遣社員に切り替えても、労務費は付加価値の計算に影響しないので効果がない。

そこで、まじめに生産を計画し、需要と必要在庫を予測し、指示を同期化し、不良率を下げ、レイアウトと工程作業を工夫して、地道に一人1時間あたりの付加価値を上げて行くしかない。つまり、普通にいわれている生産管理を実行するしかないのだ。もし外注化で生産性を向上したければ、賃金の低いものを出すのではなく、「付加価値への貢献の低いもの」を出した方が良い。

ちなみに、一人1時間あたりの付加価値額と、1時間あたりの労働賃金の比率を、『労働分配率』という。労働分配率は、日本の全企業平均では50%程度だが、製造業では60%近い(つまり生産性が低い)。これが100%を超えたら、賃金を払えず事業が成り立たないない訳であるから、付加価値生産性は、その事業が人を養う力があるかを示すことになる。だからこそ、これをいかに大きくするかが、工場の最大のテーマなのである。
by Tomoichi_Sato | 2006-07-21 23:10 | ビジネス | Comments(0)

付加価値--問題な日本語

いつだったか、「タクシーはとても付加価値の高い乗り物です」という広告を見たことがある。マンガ風の絵で、自動車がお客さんをおぶって走っている。タクシーは楽だ、と言いたいのだろう。しかし、私は可笑しくて吹き出したくなった。付加価値が高いとは、売値に比べて儲けの比率が高いことを意味する。これでは、宣伝の意図とは逆に、“タクシーは実はとても原価の安い乗り物です”と主張してることになるからだ。

『付加価値』という言葉は、かくのごとく誤解されやすい。付加価値が高いというのは、売り手にとって重要なことだが、買い手は商品の価値そのものしか興味がない。買う価値のあるモノだから、買うのだ。だから上の広告は、本来なら「タクシーはとても価値の高い乗り物です」と書くべきだった。いや、もしかしたら、低賃金を抗議するために、運転手がわざとそんな広告を貼ったのかもしれないが。

こんな誤解がまかり通るようになったのは、長かった不況の時代に、“いかにして製品の付加価値を上げるか”という議論を皆がしてきたからだろう。その結果、付加価値を上げることが善であるばかりか、買い手にとっても善であることになってしまったらしい。そもそもの目的や意義を忘れて手段ばかりを議論しがちな、我らが社会ではよく見かける現象である。

さて、製造業における付加価値とは、簡単に言うと次の式で定義される:

 付加価値=販売高-材料購入費

製造業とは、マテリアルを加工し、付加価値を付けて販売するビジネスだ。付加価値こそ、利益や賃金や設備投資をはじめとする全ての資金の源泉なのだ。だから、この式の左辺をいかに大きくすべきかを、必死に工夫しなくてはならない。

その付加価値の源泉とはどこにあるのか? 反応や精製だ、と化学工業の人は答えるかもしれない。加工や組立だ、と機械工業の人は考えるだろう。いずれもモノの形や性質を変える製造工程が価値の源泉だと信じている。

一方、搬送だの保管だの検査だのといった作業は、モノに直接の影響を与えない。だから、物流や品管部門は付加価値を生み出さない、余計者のように扱われがちだ。事実、物流部門はまっさきにアウトソーシングと人員削減の対象にあげられる。

ところで、よく考えてほしい。顧客に製品を販売するとき、その製品が消費地から500km離れた地点にあったら、顧客は買ってくれるだろうか。その製品が壊れやすかったら、誰が喜んで買うだろうか。だから、顧客が必要なときに、必要な場所で、必要な信頼性を提供する物流や品管の仕事は、あきらかに価値を付加しているのだ。

付加価値はふつう、製品仕様の差別化で生み出されると考えられている。それは確かに事実だ。しかし、提供場所と時間(納期)や、安心料(保険料)もまた、付加価値をつける有力な手段なのだ。

そして、もうひとつ、誰もが忘れがちな点がある。それは、販売業務それ自体は、製品に価値をほとんど付加しないという点である。だから、営業部門が物流部門を下に見るような組織があったら、その企業はどこかおかしいと考えた方が良いだろう。
by Tomoichi_Sato | 2006-07-13 00:02 | ビジネス | Comments(0)

「設計管理」の必要性(2)--海外リソースの使い方

“名選手必ずしも名監督ならず”--野球のことわざだ。プレイヤーとしての個人技量がいかに優れていても、それが必ずしもチームの采配の上手さを意味するものではない、とこの言葉はいっている。サッカーでも、たぶん事情は同じなのだろう。似たような言い回しが映画の世界にあるかどうかは知らないが、映画監督で俳優出身者は少なく、名優となるとデ・シーカやチャップリンなど、数えるほどしかいない。

日本の製造業における設計部門は、監督のいない映画のようだ、と前回書いた。設計、ことに基本設計は、かなりの程度まで個人の技量や創造性に左右される。しかし、今日、設計者が一人だけで、ものづくりの全てを決めることなどできない。さまざまな設計関連作業が、チームワークを保って、段取り良く進まなければならない。この、映画監督にあたる役割が、専門職として認知されていないのである。

その弱点は、日本企業がアジアなど海外に設計協力を求める段になってくると、てきめん表われてくる。中国であれマレーシアであれインドであれ、海外の会社に設計を外注するのが、はっきりいって下手だ。相手が独立企業や合弁だから言うことをきかない、との言い訳もときおり聞くが、100%子会社だって御しにくいのだ。だから、せっかく海外に設計拠点を作ってコスト削減をするつもりが、日本から大勢を支援のため派遣して、費用は元の木阿弥、かえって時間はよけいにかかった、という例が少なくない。

その理由は、しばしば相手国の文化のせいにされる。中国人は自分勝手な“砂の民”だ、インド人は理屈っぽく尊大で、マレーシア人は南洋の怠け者、という訳だ。不思議なことにわが国では、文化人類学を学んだ訳でもないのに、文化を語りたがる技術者がやたら多い。文化論に見えてそのじつ、たんなるアジア人への偏見を合理化しているのに過ぎないのだが。

しかし、オフショア設計外注がうまくいかない本当の理由は、異文化ギャップではない。それは、同じ業界の欧米企業と比べてみると明瞭だ。彼らは、すくなくとも我々より上手にアジアのリソースを使いこなしている。文化の差異なら彼らの方がハンデが大きいはずなのに。

その差はすなわち、『設計管理』能力の差なのだ。彼らのやり方は、たとえばこんな風だ:

* 設計という大きな仕事を、基本設計・電気設計・機械設計・・といった小さな職務単位に分解すること(WBS化)、
* それぞれの職務単位で、インプットとアウトプットと計算ツールを明確にすること、
* 進捗のプロセスを定義すること、
* 納期から逆算して各作業期限を設定し、隘路(クリティカル・パス)を把握すること、
* 文書と図面のリストを最初に作成し、図面番号と検索手段を定義すること、
* 要確認事項のトラッキング・リスト(To Do List)を作って追うこと、
* 設計上のリスク・ファクターを明確にすること、
* 設計者間の行き違いやコンフリクトを調整し、意志決定権限と責任範囲を定めること、

そして,

* 以上のプロセスを文書で明文化し、誰でも及第点のレベルでは遂行できるようにすること

である。

ひとつひとつをとれば、やっていることにそれほどの違いはない。だが、ここには設計者個人の力量に依存しないための方法論がある。少なくとも、設計はマネジメントが必要だ、という醒めた認識がそこにはある。エンジニアが年功序列で管理職になれば、そのまま管理ができるはずだ、とは単純に考えない。

現実には、欧米人にだってマネジメントの上手下手は歴然と存在するし、だからDilbertのマンガみたいな笑い話も生まれるのだろう。私の見聞きした経験では、英米の企業はどちらかというと組織でシステマティックに設計を進めるのがうまいし、フランス・イタリアあたりの企業では、ごく少数の天才的なエンジニアが発想して大多数がそれにしたがって実現する、という印象を受ける。そういう意味では、彼らの間だって文化のギャップは存在する。

だが、少なくとも彼らが文化のギャップを理由にして、設計マネジメントの不在を言い訳した例をきいたことがない。マネジメントは、プロセスである。職位や人格や文化ではないのだ。

(追記)筆者の勤務先である日揮には、幸か不幸か「エンジニアリング・マネジメント部」という部署が今のところ存在する。これはエンジニアリング会社の得意なマトリクス型組織の一例である。
by Tomoichi_Sato | 2006-07-01 12:49 | ビジネス | Comments(0)