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稼働率のパラドックス

現在の日本の製造業が抱えている問題構造は、業種が違ってもしばしば似ている。それは、見込生産向けの工場で、受注生産をこなそうとしていることから生まれる。あるいは、より正確に書けば、「市場からの要求によって、大量見込生産から受注生産に工場はシフトせざるを得なくなってきたのに、企業の管理はあいかわらず見込生産の考え方で行なおうとしている」ことだ。この問題は、以前「特別なわが社」にも書いた。

見込生産から受注生産にシフトしてきた理由は、簡単に言うと、物不足の時代からモノ余りの時代になってきて、需要家・消費者の要求が細かく個別化してきたからだ。プロダクト・アウトからマーケット・インの時代になったといってもいい。こうして、一つの工場の中に、自社の予定で作る標準製品と、顧客の要求で作るカスタム製品が、混在するようになった。

工程や生産ラインも、これに合わせて少しずつ変えて行かなくてはならない。品種の切替が増えて小ロット化するから、治具や設備やレイアウトも変えなければならない。新製品の導入もめまぐるしい。生産技術部は大忙しである。

ところが、困るのは、管理者側の尺度が見込生産時代のままであることだ。その典型が、「稼働率」である。

見込み生産では、工場の設備稼働率は高い方がいい。たくさん作れば、それだけ生産効率は上がって原価が下がる。そう考えられてきた。作れば売れるから、少しくらい製品在庫が増えてもかまわない。だから必然的に大ロットを追求することになる。生産管理者は、努力して稼働率を上げればほめられた。

ところが、受注生産ではこれが逆なのだ。受注生産では、努力すると稼働率は低くなる。なぜか。それは、同じ100個の製品を作るのに、4時間でできる場合と、5時間かかる場合を想定してみれば分かる。1時間あたりの生産量は、25個と20個だ。当然、4時間で作れる方が、生産性は高い。だが、1日8時間労働だとしたら、5時間働いている方が稼働率は高くなるではないか。

どうしてこういうパラドックスが生まれるかというと、受注生産では、工場が作るべき量が最初から定められているからだ。生産量は工場側の意思では決められない。では誰が決めるのかというと、営業部門である。だから、今日の多くの企業では、営業部門が工場に対する発言権を多く持つようになってきた。

これに対して、工場側での意思や努力は、生産効率を上げること、すなわち稼働率を下げることに現れるのである。だが、不思議なことに、今日でも、稼働率を下げたからといってほめられる企業はめったにない。生産管理者は、逆のことを求められるのである。

求められて、どうすればいいのだろうか? どうみたって、稼働率は生産量を生産効率で割った数字で決まってしまう。つまり、稼働率は生産量の従属変数なのだ。そして、生産量は工場側ではコントロールできないのだ。

そこで、工場側では仕方なく、労働者を削減したり、外注工程を切ったりして、対応することになる。こうして、長時間労働と、モラール低下と、サプライヤーとの関係劣化が生まれてくる。

稼働率で管理してはいけない。これは以前も書いたことだ。しかし、もう一度、声を大にして言おう。受注生産が少しでもある工場では、稼働率で管理してはいけない。
by Tomoichi_Sato | 2006-05-25 00:08 | ビジネス | Comments(0)

なぜ原価が下がらないのか

生産管理の最重要課題は「最小の在庫で顧客の納期を守ること」、すなわち、需要と供給の線を一致させるよう、生産システムを運用することだ、と先週の「生産管理とは何か」で書いた。

ところで、たいていの企業では、生産管理の目的は原価低減だ、と考えられている。まず何よりコスト削減が主題。それから、品質の確保。納期は三の次である。というか、納期はたくさんの在庫によって守られているため、問題意識にあまりのぼらないようになっている。

なぜ、そうなりがちかというと、背景には会社の目標管理と分業主義がある。製造業は大きく販売部門と生産部門に分かれる。そして、販売は売上高、生産は原価で管理することが当然だと経営者は信じている。なぜなら、企業の利益は

 売上高-製造原価=利益

という式で決まるから、との理解だ。利益を上げるためには、売上高を増加させ、製造原価を下げる必要がある。したがって営業も工場も、各々の持ち場で最善をつくすべし。そういう三段論法が、ここにはある。(じつは、この式には逸失利益の項が入っていないのだが、その問題はまたいつか別のときに論じよう)

ところで、上の式には「納期」のような時間の項目が入っていないことに注意してほしい。納期の項とは、生産量の項と言いかえてもいい。なぜなら、工場のキャパシティが一定ならば、総生産量は平均生産リードタイムに反比例するからだ。つまり、生産量の項がない上記の式は、1個あたりの単価計算でも、1期あたりの総量計算でも、関係は同様に成り立つとの見方をあらわしている。だが、はたしてこの前提は正しいだろうか?

もともと直接原価の3要素といえば、材料費+労務費+経費、である。材料費は確かに、生産量にほぼ比例する。部品費が1個1円なら、100個で100円のはずだ(まとめ買いをすれば少しは安くなるかもしれないが)。では、労務費はどうか。これも、10個の製品を組み立てるのに必要な工数は、1個の工数の10倍だと考えてよさそうだ。部品加工になると、段取り替え時間などがあるので、大ロットの方が少し有利にはなるが。

だが、ちょっと待ってほしい。たいていの工場では、生産量は月によって変動する。つねにフル稼働、という工場は滅多にない。では、工場の人件費は、生産量に比例して変動するだろうか? いうまでもないが、そうはならない。給与は(残業分をのぞけば)固定費だからだ。大昔の日本や、あるいは現在の中国の一部では、生産の出来高で労賃を払うような雇用形態があった。これなら確かに労務費は生産量に比例する。

だが、現在の日本では、そうではない。生産量の低いとき、工場の人は何をしているのか。あくびをしているのか? むろん、彼らだって遊んでいるわけではないことを、十分に示す必要がある。つまり、その分、目に見えにくい間接作業が増えるのである。ツールを研いだり、材料を配膳したり、運搬したり、欠品表を書いて資材部にかけ合ったり、清掃したり修繕したり、仕事はいくらでも生み出される。彼らもタイムカードに押した分、給料をもらう権利があるからだ。

これは直接労働に従事するブルーカラーに限らない。そもそも、生産管理や品質管理や在庫管理など、いわゆる管理と名の付く間接業務にたずさわるホワイトカラーだって、負けていられない。工程会議をやったり営業に納期回答のFAXを書いたり納入業者を怒鳴ったり工場長に月報を出したり、ひどく多忙なのだ。

私の見るところ、日本の多くの工場で製造原価が下がらない理由は、直接作業以外の人件費にかなりを依っている。無駄な人が多すぎるのだ。いや、この言い方は正しくない。人の動きに無駄が多すぎるため、生産量が上がらないのだ。月産500台の工場に100人が働いていたとしよう。無駄を減らしてスループットをあげれば、月産1000台が可能になったら、明らかに原価は劇的に下がるはずだ。

そして、工場に対して生産量を与えるのは、営業の仕事だ。つまり、原価を低減したかったら、たくさん売る必要があることになる。そして工場側の責務は、現状の設備やリソースを活用して、どれだけスループット(生産量)を上げられるようにするか、となる。おわかりだろうか。売上増大と原価低減は、互いに関係しあっており、独立に操作できる変数ではないのだ。

管理会計学は欧米で発達したが、彼らのものの考え方の特徴は(あるいは癖は)いつも『分析的』であることだ。対象を分析し、部分品に分けて、それぞれの特性を把握し、操作していく。問題があれば部位を切り分けて、外科医学的に対処していく。部分は互いに独立しているのだ--たとえそれが企業という人間組織であっても。ある部分を操作したら、とんでもない部分に影響が出るかもしれない、などという漢方医学風の発想は、管理会計学にはない。

だが、こと製造業に関しては、こうした“風が吹けば桶屋が喜ぶ”式の発想--いいかえるならば「生産システムとしての発想」が必要なのだ。そして、それを実践するのが、生産管理の本来の業務なのである。
by Tomoichi_Sato | 2006-05-16 23:55 | ビジネス | Comments(0)

生産管理とは何か

生産管理とは何か。この問いは簡単なように見えて、意外と奥が深い。

製造業とは、マテリアルを加工し販売することで利潤を生む企業体である。その企業において、生産活動に直接たずさわる業務の計画・組織化・統制にかかわる仕事を、通常は生産管理と呼ぶ。販売・設計・研究開発業務ならびに会計・人事等の間接業務をのぞいた、いわゆる工場での仕事に関わる『管理』活動と考えられている。

ここで「計画・組織化・統制」なる語を用いたのは、一応これが日本の伝統的な経営学で、経営管理の三要素と呼ばれているからである。したがって普通に考えれば、

生産管理=生産計画+生産組織化+生産統制

という等式が成り立ちそうだが、ことはそう簡単ではない。生産計画という語は実務の場でふつうに使われるが、「生産統制」はめったに聞かず、「生産組織化」となるとまず使わない。「生産組織」だったら多少は分かるが、会社の人的組織図を連想しがちで、語の本来の意図とはずれていく。

そこで、英語のマネジメント・サイクルの概念であるPlan-Do-Seeをもってくる、あるいは継続的改善のPDCAサイクルを持ってこようか、と考えることになる。しかし、Production Planという語はあるが、Production DoだのProduction Actionだのといった言葉は存在しない。なにか言おうとするとExecutionやControlなどの語を引っぱり出さなくてはならない。

このように、生産管理という概念をWBSのごとく仕事の部分品に分解して組み立てる説明は、あまりうまく行かない。それでは、目的から説明したら、どうだろうか?

以前紹介した良書「SEのためのMRP」の著者・鳥羽登氏は、同書の冒頭で
 「『最小の在庫で、顧客の納期を守ること
  このことは、生産管理の最も重要な課題である」
と書いている。これは、なかなか含蓄の多い言葉だと思う。

在庫最小で納期を守ること。これはすなわち、供給線を需要線に一致させることだと言いかえてもよい。私はマテリアルの累積供給量と累積需要量をグラフに描いて考えることが多いが(このような図表を『流動図表』と呼ぶこともある)、このグラフ上で供給の線が需要より上にずれれば在庫になり、下にずれれば納期遅れになる。

でも、果してこれだけを達成すれば、生産管理の仕事は完璧か? たとえば、最小の在庫で変動にどう対応するのか? あるいは、製造原価の制約を考えずに納期だけ守ればいいのか?

むろん、そんな単純なことではない。だから鳥羽氏は、目的だとは言わず、最重要課題だと言っている。生産管理業務には、他にも課題があるのだ。生産効率だとか製造原価だとか品質だとか生産の自由度だとか。つまり、生産管理は本質的に多目的な問題なのだ。

そして、その多目的性ゆえに、生産管理には統合の視点が必要になる。ちょうどPMBOK Guideがプロジェクト・マネジメントの中心要素としてプロジェクト統合管理なる概念を導入したように。

生産とは、大きく見れば、インプットをアウトプットに変換する機能を持つシステムである。その入出力は、
(1)インプット:資材・部品というマテリアル、ならびに製造仕様書や生産オーダーなどの情報
(2)アウトプット:製品および副産物などのマテリアル、ならびに品質報告書や製造実績報告などの情報
であり、このために製造設備や用役や作業員などのリソースを占有・使用する。また外部環境として市場動向・法規制・技術動向などがあって、つねに変化している。

そして、生産管理とは、この『生産システム』の円滑な運用のために必要とされる間接業務の全てを指すのである。情報の交通整理のこともあるし、設備の改良のこともあるし、モノの流れを整えることもある。こうした活動全てを“管理”の語で呼ぶから理解しにくくなるのだ。

したがって生産管理の対象範囲は、企業の生産形態によっては、工場内のみならず、設計や調達や物流にかかわることもある。それは生産システムを運転するための総合的な活動であって、そこにはシステムを理解する総合的な視点、そして企業としての仮説(すなわち戦略)が盛り込まれなければならない。

製造業の目標達成のために、このレベルに達してこそ、初めてそれは生産管理の名に値するのである。
by Tomoichi_Sato | 2006-05-08 00:16 | ビジネス | Comments(0)