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トヨタ生産方式の神話と現実

目の前に一冊の本がある。「トヨタ生産方式を支える最適化手法に関する研究」、小谷重徳・著(2004年)と題された、冊子ともいうべき本だ。現在、首都大学東京の教授である小谷先生の博士論文である。中身を開けてみると、素人には目がちらちらする数式の羅列がつづく。主題は、輸送費用と生産制約を考慮した組立ライン決定問題である。そして、この問題の線形計画法による厳密解が、じつは整数解になる理由などが書かれている。

知らない人は、“また学者が出てきて、トヨタの実践的な手法を、妙な数学で理論化しようとしているわい”などと思うかもしれない。しかし、それは誤解だ。小谷氏がこの博士論文を書いたときには、じつはトヨタ自動車に勤務しておられた。つまり、このいささか難解な数学は、この会社の生産計画を支える基盤なのだ。これがトヨタ生産方式の現実(あるいは、そのすごさ)なのである。

ビジネスの世界では、ときに奇妙な神話や誤解が流布することがある。中国生産はコスト低減の切り札だ、といった神話だとか、ERPを導入すると在庫が削減できる、といった誤解である。思うに、企業は自社の内部事情をあまり公開しないから、素人評論家の噂話や職業コンサルの意図した誇張が、まかり通りやすいのではないか。

最近はやりの神話はトヨタ生産方式にかかわるものだ。なにしろトヨタ自動車の業績が信じられぬほど好調だから、周囲の見る目が神様あつかいになるのも、いたしかたあるまい。そのトヨタについて、もっとも広く流布している誤解は、「トヨタ生産方式はプル型の受注生産で、生産計画など持たない」というものだろう。じっさい、元町工場の見学コースは、『かんばんと自働化こそトヨタ生産方式を支える二大要素』とビデオで見せてくれる。生産計画の文字はどこにも見あたらない。ましてや線形計画法などは。

「神様ではあるまいし、誰も先の需要などは読めない」--これはトヨタ生産方式を築いた大野耐一氏の言葉ではなかったかと思う。「だから生産計画など作ってもあてにならない。現実の需要変動に耐えうる工場を作るべきだ」・・論理は、そうつながりやすい。そして、「そのためにはカンバンを中心としたプル型生産の体系とするべきだ」との信念が生まれていく。こうした“信念”をもとに、『計画はずし』を指導するコンサルタントも少なくない。トヨタOBの中にも、そうした人たちがいると聞く。

ところで、上記のテーゼはトヨタ系列の部品メーカーには合致するかもしれないが、トヨタ自動車自体には当たらない。彼ら自身は、きちんと生産計画をたてて実行しているのだ。そうでなければ、お得意の「平準化」をどうやって実現できるというのか。トヨタ生産方式の中核は平準化にある、と私は銀屋技監から直接うかがったこともある。たしかに、作るべき計画台数がなければ、平準化などもともと出来ない相談である。

では、なぜ、「計画不要論」がトヨタの名前と結びついて広まったのか。私は一つの仮説を持っている。それは、自動車業界のサプライチェーンの特徴から説明できる。自動車の世界では、販売チャネル(ディーラー網)は、生産メーカー別に統制されているし、また部品生産も系列化されている。つまり、長いサプライチェーンのちょうど中心に、自動車メーカーがいるわけだ。そして、だからこそ、このサプライチェーンでは計画の意志決定はたった一ヶ所で行えるのである。

これは、たとえば電子・情報機器業界などと比べてみれば分かる。パソコンやデジカメは自動車とならんで、日本の製造業のもう一つの花形である。しかし、これらの商品は、チェーンストアやディスカウント店などが販売を仕切っている。店頭にはキャノンとソニーと東芝の機種がならぶ。これは自動車販売とは全く別の世界だ。販売の主導権は流通業界が持っているために、電子情報機器のサプライチェーンでは、意志決定ポイントが最低でも2ヶ所(流通と組立生産)になってしまうのだ。

部品サイドで見ると、自動車ではカローラのシートをフィットに乗せるわけにはいかないから、部品生産は必然的に系列化されやすい。一方電子業界では、電子部品は互換性が高い。だから系列でしばりにくい。こうして、部品メーカーもまた計画が必要になる。

くり返すが、自動車のサプライチェーンでは意志決定ポイントは一ヶ所で十分なのである。むしろ部品メーカーが勝手に、車両メーカーの計画を無視して、余計な生産計画などを立て始めたら、余計な在庫が発生しコストアップにつながる可能性が高い。だから、「考えるのは自動車メーカーのみ。あとの部品メーカーは、その計画に従うように制御されていればよい」という論理が成り立つ。その制御のツールとして、『引取りカンバン』が使われるのだ(今はほとんど電子化されているが)。

おわかりだろうか。『生産計画不要論』は、自動車業界で、部品メーカーにとってのみなりたつ論理なのである。この前提条件を理解せずに、どこの業界に対してもドグマとしてふりまわせば--それはもはや、神話とよぶべきものだろう。

(線形計画法に興味のある方は、小谷重徳・他「輸送費用と生産制約を考慮した組立ライン決定問題」日本経営工学会論文誌、54-4(2003)をご覧になるとよい。これは平成15年度日本経営工学会論文賞を受賞している)
by Tomoichi_Sato | 2006-02-24 00:49 | ビジネス | Comments(2)

プロジェクト制の要件

ソフトブレーン(株)の会長・宋文洲氏はいつだったか、持論のプロセス・マネジメントに関連して、「プロセスは線路で、プロジェクトはそこを走る個別の電車である」と言われたことがあった。これはなかなか面白い喩えだと思う。プロセスはいったん路線を引いたら固定して変わらないが、プロジェクトは運転手も、乗せている客も毎回違う。行き先だって変わることもある。“だからプロセスの設計が重要なんだ”というのが宋さんの立論である。

しかし、これはある意味では例外的なケースだとも考えられる。通常の製造業においては、まず「プロジェクト」という仕組み自体が確立していない。製品開発や受注生産といった個別の『案件』は、たとえば

企画→設計→試作→生産技術→購買→製造→物流、

という複数の機能部門の中を、上流から下流に向けて流れていくケースがほとんどだ。言いかえれば、縦割り組織の中をバケツリレーのように受け渡されていくわけだ。普通の電車の運転手は終点まで変わらないが、縦割り組織のメーカーは、ひと駅ごとに運転手が交替する鉄道に似ている。

むろん、それでずっとうまく行っているならば、何の問題もない。しかし、製品開発や個別受注生産は、複数の機能部門が関わり合う、クロス・ファンクショナルな活動である。業容を拡大したり、短納期化を進める状況下で、複数の案件が並行して進むとき、ボトルネックの作業負荷を誰が調整するのだろうか? 部門を統括する上級マネジメントか? しかし、個別の案件で設計と購買の鞘当てが起こるたびに、いちいち事業部長が介入して調整するわけにもいくまい。

たとえば、既存の部品を転用すれば、早くできるのは分かっているが、しかしオーバースペックで高いものにつく。今回用に注文し直せば安く上がるが、とうぜん手配に時間がかかる。製品出荷の早さ(納期)をとるか、製品コストを取るか。製品開発は常にトレード・オフに直面するものだ。決断には責任がともなう。誰がそのリスクをとるのか?

答えは明らかだ。プロジェクト・マネージャーが必要なのである。納期とコストの双方に最終的な責任をもつ、プロマネが判断すべきだろう。そして、そのためには、社内でまず『プロジェクト制』の確立が必須になる。バケツリレーがこんぐらがって、もう限界に達したな、と思ったら、それはプロジェクト制を導入すべき時期なのだ。

プロジェクト制、というと、なぜだかすぐ「社長直属プロジェクト」を想起する人が多い。しかし、ここではそんな、“社運を決する一大プロジェクト” だけを考えているのではない。始まりがあり、明確なゴールがあって、複数の部署の人間が協力して成し遂げなければならない仕事(しかも失敗の可能性もある仕事)は、「プロジェクト」として公式に扱おう、と決めるのだ。

プロジェクト制の要件はいくつかある。まず第一に、プロジェクト・マネージャーの指名である。プロマネに、品質・納期・予算(QCD)に関する最終的な権限と責任を与える(人事権までは与える必要はない)。

予算に責任を持つためには、プロジェクト予算体系を確立しなければならない。これを支える仕組みとして、プロジェクト番号制が望ましい。プロジェクト番号をキーとして、日報による社内人件費把握や、外部費用のプロジェクト別把握ができなければならない。

誰をプロジェクト・マネージャーに任命すべきかも、悩ましいところだろう。企画部門かもしれないし、設計部門かもしれないし、生産技術部門から出すのがいいかもしれない。タスクフォース(「工務店」型)組織か、マトリクス(「置屋」型)組織かによっても、答えは違う。だが、いずれにせよ、プロジェクト・マネジメントに関する基礎的なトレーニングは必須だろう。固有技術と、管理技術は違うからだ。この点を忘れると、プロジェクト制など、すぐに絵に描いた餅になってしまう。

スムーズな製品開発や個別受注生産にとって、「プロセス」は必要条件だが、十分条件ではないのだ。最後まで決定に責任を持つ「運転手」=プロジェクト・マネージャーが望まれるのだ。
by Tomoichi_Sato | 2006-02-19 23:46 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

PMOが最も必要とされる場所

先日、PMI東京支部のシンポジウムにパネラーとして招かれ、参加させていただいた。テーマは「PMOはPMクライシスの救世主になれるか」で、PMO組織への期待論が中心だった。参加者は私の他に、Johnson & Johnsonのマーケティング部門の方、そしてUNIYSの方で、司会進行役がIBMの神庭さんである。外資系メーカー・エンジニアリング業界・IT業界それぞれの観点から、興味深い論議になったと思う。

PMOはProject Management Officeの略語である。複数のプロジェクトを統括してマネジメントする専門部署、というほどの意味だが、最近はどうやら流行の3文字略語になってきたらしい。例によって米国で広まりはじめ、すぐわが国にも飛び火した。おそらくシンポジウムの聴衆の中にも、PMOの名刺を持つ方が少なからずいらしたに違いない。

ところでパネル・ディスカッションが進むにつれ、このPMOという組織の位置づけについてのすれ違いが明らかになってきた。それは、簡単に言うとPMOがラインを主導するのか、あるいはスタッフとして支援に徹するのか、その違いである。あるいは、プロマネはPMO部門に所属するのかしないのか、という違いだと言ってもいい。

ちなみに、私の勤務先である日揮は、PMOという名前の組織はない。プロジェクト本部という組織があり、それとは別にエンジニアリング本部という機能別組織(電機・機械・化学・建築・制御・シビル等の設計者集団)がある。プロマネはプロジェクト本部に属して、各案件(プロジェクト)ごとに機能別組織の横串を通すマネジメントを行なう。つまり、典型的なマトリクス型組織である。

マトリクス組織のプロジェクト・チーム員は、機械エンジニアなら機械専門部の部長が上司であり、固有技術はその部長が統率する。プロマネは、管理技術に徹するわけだ。ここでは固有技術と管理技術は独立して、車の両輪となっている。

ところが、IT業界のSIerは、タスクフォース型組織をとる会社が殆どである。タスクフォース型組織では、プロマネはプロジェクト・チーム員の上司に当たる。つまり、固有技術と管理技術の両方を、ある意味では同じプロマネが面倒を見なければならないわけだ。しかも、SIerでは、プログラマ→SE→サブ・リーダ→プロマネ、というようなキャリア・パスが多い。固有技術者が進化して、管理技術のマネージャーになるという、ポケモンの進化論みたいな変身が要求される。

だからこそ、管理技術の中心であるPMOの確立が「救世主」として期待されるのだろう。PMI東京支部は、IT業界の参加者が圧倒的に多い。パネル・ディスカッションのテーマも、その問題意識が反映されたのだろう。

しかし、タスクフォース中心型組織(私はこれを「工務店方式」と呼んでいる)では、プロマネはPMOの所属にはならない。したがって、PMOは必然的に支援型スタッフになる。これで複数プロジェクトを統括管理できるのだろうか? まあ、指揮系統から言ってかなり困難だろう。もし、無理にそうした役割をPMOに期待するとなると、こんどはPMOが『本社』、各プロジェクト・チームが『工場』、みたいな関係にならざるをえない。

その場合、PMOを「頭でっかちの本社組織」にしないための工夫と制限が必要だろう。ひとつの方法は、現場と人を定期的に入れかえることである。つまり、PMO勤務経験をプロマネの必須のキャリア・パスとする。また、プロジェクト実務経験者を、PMOに転属させる。要するに、固有技術と管理技術の『両刀使い』を養成するしかない。

もともとPMBOK Guideの原型は、エンジニアリング業界や航空宇宙業界の出身者が中心になって作られた。こうした業界は機能別組織が発達している。一方、IT業界は、構造的にそういう社内体制になりにくい。米国PMI風の発想が、どうしても日本ですれ違いを生みやすいのはこのためだろう。

私の見るところ、PMO組織の確立がもっとも成功するのは、じつはSIerでも建設・エンジニアリング業界でもない。製造業・流通業における、新製品開発や上市などのプロジェクト管理である。なぜなら、こうした仕事は、必ず複数の機能部門の協力を必要とする。営業企画・研究開発・製品設計・生産技術・購買・マーケティング・物流・・等々である。しかも、こうした仕事は、たいていの場合、「プロジェクト」として位置づけられておらず、単に「案件のバケツリレー」でこなされているからだ。予算についても、スケジュールについても、誰も本当の意味でのコントロールをしていない。

このような縦割り組織において横串を通し、『プロジェクト制』を確立し、効率よく短期間で製品開発・上市を進めていくためにこそ、PMOという部門が役に立つのだ。じじつ私も、最近はこうした製品開発プロジェクトのマネジメント・システム導入をお手伝いすることが増えており、かつその効果が大きいのも見てきている。

PMOは、製品開発にとってこそ「救世主」なのだ。もっとも、まれに単なるプロジェクト・チームをPMOとよんでいるケースもあるようだ。これは遂行と統括マネジメントの区別がされていないのだろう。誤解だと言うべきなのかもしれない。
by Tomoichi_Sato | 2006-02-08 01:22 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

特別な我が社

考えるヒント、2001/2/03より)

ITコンサルタントの仕事をしていると、つくづく面白いと思うことがある。仕事柄、さまざまな企業を訪問して話を聞くわけだが、訪れる会社はどこも、「自分のところの業務はひどく特殊だ、ウチは特別な会社だ」とおっしゃるのである。どの会社もどの会社も、“これこれの理由でウチはよその会社とちがう”と主張される。

いわく、「ウチの業種の製品は鮮度管理が非常にきびしいから」「ウチの製品はお客様の生命に直接かかわるものだから供給の責任があって」「ウチの業種は可燃物を大量に取り扱うので消防法のこうるさい設備検査が必要で」「ウチの業界はものすごい多品種少量で、かつ製品のライフサイクルがめちゃくちゃ短いから」「徹底したカンバン方式で工場を回しているから」「完全受注生産でリードタイムが長いから」「小さく高価で壊れやすいから」「場所ふさぎなのにひどく安価だから」etc...

“というわけで、外部の方には我々の問題の難しさはご理解いただけにくいでしょうねえ・・”と続く。

そして結論はというと、
「だから平均的な製造業向けにつくられたパッケージ・ソフトではウチの仕事はうまく取り扱えない」
という風に誘導されるのだ。特殊性を強調されたあげく、ほとんど判で押したかのように、同じ結論にたどり着くところが面白い。

そんなことはないのである。

この仕事をやってみるとわかるのだが、日本の製造業が抱えている問題点というのは驚くほど共通性が高いのだ。それは、非常に圧縮した形で表現するならば、『大量・見込み生産の体制を残したまま、多品種少量の受注生産に移行しようとしている』ということになる。だから調達から販売までのサプライチェーンのあちこちで、プルとプッシュが混在しているのである。

したがって、解決の手法も一つの事例できちんと確立してしまえば、あとはかなり応用が利く。若いコンサルタントでも、見習いで3社の事例をやってみたら、4社目からは中核の問題を自分で見つけることができるようになる(むろん、応用問題を解くにはその業種の個別知識と、人を動かし説得できるだけの知恵がいるから、経験もなしにすぐに独り立ちできるわけではないが)。

「パーキンソンの法則」で有名な経営学者C・N・パーキンソンは、「コンサルタントの仕事はミツバチに似ている」と言っている。花から花へ、花粉を運ぶ蜜蜂のように、コンサルタントはある会社で見つけた知恵を別の会社に運んでそこに植え付ける訳である。自分自身では花粉を作り出したりしない(知恵を生み出したりしない)点が面白い。こう書くと怒り出す人もいるだろうが、かなりの程度、真実に近い。

個別性・特殊性の強調は、なんとなく日本の文化に根ざしているのかな、とも思う。丸山真男が『日本の思想』で分析して見せたように、日本では「理論信仰」と「実感信仰」が表うらの関係で支え合っている。外国から直輸入した公式的理論によって現実をばっさりと切ってしまうような風潮と、逆にその防御として、個別の事象・実感をならべたてて共通論理をいっさい否定してしまう態度。まるで「パッケージに業務を合わせろ」「いや業務に合わせてすべてカスタマイズしろ」という水掛け論を聞いているかのようではないか。

面白いことに、私のつきあった範囲では、欧米の会社からはあまりこういう「ウチは特殊だから」論は出てこない。それも当然だろう。彼らはそもそも、みずからの独自性を前提として生きている。一人一人に個性がある、というところから思考は出発する。その上で、個別の事物を包含するイデアが存在する、というのが西欧の哲学だからだ。

哲学抜きで特殊論にしがみつく国には、ただ“諸行無常”の風が吹くだけかもしれない。
by Tomoichi_Sato | 2006-02-01 22:39 | ビジネス | Comments(0)