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2年後の日本を予測する

久しぶりに恩師の家に皆で集まった。その時あがった話題の一つが、2年後の日本はどうなっているかということだった。いわば未来予測である。この種のマクロの未来予測はなかなか難しい。考えるべき事柄やパラメータが多岐にわたって、どれに焦点を当てるかが問題だからだ。そもそも、未来は科学的に予測できるものなのだろうか?

誰もが気になるのは景気の動向だろう。電力価格の高騰による製造業の海外移転と空洞化を心配した人もいた。原発の事故を念頭においてのことだったかもしれない。しかしわたしは疑わしいと思った。というのも、一般に製造業の製造原価において、電力料金の占める比率はかなり小さいからだ。化学プラントなどのように電力消費の大きい産業は、すでに自ら発電装置をつくるなどして自衛している。

もしも製造業の空洞化が進行するとしたら、それはむしろ円高のためだろう。過去10年間の工場の海外移転はもっぱらこの理由によるものだった。では、この円高は今後2年間で少しは解消されるだろうか。相場の予測は難しいが、逆にこう問い直してみてもいい。今後2年間で主要な基軸通貨であるドルとユーロは大きく上がるだろうか?

残念ながら今の状況を見る限り、難しいと思われる。現在のユーロの問題は、過去10年間のバブルのつけを払っているわけだ。その後始末はおそらく1年や2年ではきれいに終わるまい。一方、米国はどうか。確かに米国経済はいまだに世界一の規模を誇っているが、すでに国債の格付けはAAAから転落し、その歩みはもはや活力よりも威厳を示すものでしかない。ドルの価値が急上昇する事態は、いささか考えにくいようだ。つまり、今後2年間で、(たとえば中国の人民元が上がることはありうるだろうが)ドルやユーロが急上昇して大きく円安に動くことは、残念ながらないだろうと思われる。

それでは製造業の空洞化はますます進行し、日本経済の活力はもっと損なわれるのだろうか。それはいささか早計に過ぎる。日本のGDPに占める製造業の比率は、今や2割以下に過ぎないからだ。

製造業というのは「モノ」の形で付加価値を得る産業のことである。モノはストックしたり、海を越えて運んだりすることができる。ところがサービス業は違う。このサイトでも繰り返し述べたように、サービス業というのはリソースを提供して付加価値を作る産業だ。リソースというのは人的資源だったり物的資源だったりするが、どちらも現場性の強いものである。サービスの特徴は在庫が利かないことで、つくり出した現場で消費するしかない。いいかえるならば、サービスというのは海外で作って国内に持ち込むことが難しいものなのだ。だから現在の日本経済の主軸である第三次産業が空洞化することはほぼありえないだろう。

念のために言うが、日本経済が低調といっても、それは家計と中小零細企業が苦しいのであって、大企業の内部留保は意外にもかなりの水準を保っている。問題はそうした大企業がため込んだ何10兆円ものお金を、国内に再投資しないことである。国内に工場を作ったり、店舗を作ったりすれば必然的に雇用を生む。それをしないで海外に投資したり(鉱物資源の場合などは仕方がないが)、外国債券を買ったりしているから、国内の景気が上向かないのである。景気が良くないために国内外の投資を手控える。その結果ますます仕事が生まれなくなり、消費が落ち込む。一種のダウンスパイラルだ。

それにしても、製造業が雇用の吸収力を失いつつある現在、若い人はどこに働き口を見つけたらいいだろうか。この1、2年で目立つ傾向は農業への回帰である。大学の農学部への受験者が急増しているし、アグリビジネスの関心も高い。この傾向は今後も当面続くに違いない。広大な耕作放棄地があり、農業法人の組織化も高まっている。日本にはまだ古臭い規制や組織や利権だ残っているため、若い人たちが参入し、成功するまでにはまだ多少の時間がかかるだろうが。

農業と同じように、職人的な手仕事への回帰の流れも続くに違いない。日本の各種専門学校は世界的にみても、実はかなり高い水準の教育をしている。さらに大学を出たって手工業の仕事についてもいいじゃないかと思う人が増えている。私もそう思う。工場で高い品質を支えてきた高卒の人たちがいなくなる代わりに、より高い教育を受けた人たちが旋盤を回すようになるのだ。大量生産から個別生産への変化に、ちょうど付合している。誰もがネクタイを締めてホワイトカラーを目指す時代は終わりになるのだろう。

もちろん、こうしたことはすべて、人々や組織が合理的に振る舞ったら、という前提に立った予測である。問題はその前提が成り立つかどうかだ。

というのは2012年の現在、世界は政治の季節に入っているからだ。アラブの春に始まる中東世界の混乱、欧州ユーロ圏における分裂の危機、そしてアメリカの大統領選挙。東アジアでも朝鮮半島に軋みの音が聞こえる。

政治の季節というのは、人々が党派に分かれて権力争いをする時である。言い換えるならば、人々が目的合理性よりも感情に動かされる時代である。日本もこの調子で失業率が高くなっていけば、政治的な感情の波にのまれていくだろう。おそらく現在の二大政党制の枠組みは破綻して、ポピュリズムが政治の中心を牛耳ることになるかもしれれない。そうなれば、政策は安定よりもドラマティックな変化を志向し、改善よりも破壊的な出直しが好まれるであろう。あまり楽しい予想ではないが、そうなる可能性は十分にある。

それを防ぐにはどうしたら良いか。意外に思われるかもしれないが、そのためには皆が、リスクのある将来を予見することである。長らく私たちの社会は、安定志向で動いていた。安定志向=『安全第一主義』は、リスキーな未来予測を回避する思考方法である。結果として、多くの組織では変化のためのチャンスに見過ごしてきてしまった。現在の沈滞と混沌は安定志向がもたらしたものだ。

あるべき姿を予見してそこから逸脱する可能性をリスクとして考える。リスクの裏側には、チャンスがある。チャンスにかけて決断する。そしてその決断が正しかったことを証明できるように努力するのである。これが未来予測の実践的な効果だ。

あるべき姿を考えるためには価値観が必要になる。だから未来予測は科学ではありえない。未来は予測するのではなく作り出すべきものだ。それは、マネジメント的な技術なのである。
by Tomoichi_Sato | 2012-01-09 22:48 | 考えるヒント | Comments(0)

クリスマス・メッセージ: 地には平和を


Merry Christmas!

一日の始まりをどこにとるかは、地域や分野によって様々だ。わたしたちは現在、太陽が南中する正午のちょうど裏側、深夜に一日の始まりをおいているが、このような習慣は各戸に時計があるのが当たり前になってきた近世以降のものに違いあるまい。日時計や水時計しかなかった中世以前にとって、深夜に一日の切り替わり点を置くのは不便だったはずだ。だから、日の出や日没のように、誰の目にも明瞭な気象上のタイミングを選ぶのが自然だろう。

古代の中東・パレスチナでは、一日の始まりは日の出ではなく日没だった。夕暮れになると新しい日が始まるというのは、わたし達の習慣からすると奇妙な感じがするが、これは慣れの問題なのだろう。だからクリスマス・イヴというのは、まさにクリスマス(降誕祭)の日の始まりであって、祝うのは当然なのだ。クリスマスに限らず、大晦日の夜をNew Year Eveと呼んだり、そのほか何かにつけ前夜祭を祝う習慣が西洋人にあるが、これは一日の始まりを日没とした中東の伝統を引きずっているわけだ。

一日の始まりもさることながら、新年の始まりのタイミングを今のような、冬の途中に置く理由が何なのか、わたしは時々不思議に思う。太陽暦ならいっそのこと冬至に合わせればよいと思うのだが。ちなみに1月1日もキリスト教では祝日に当たるが(だから西欧諸国ではその日だけは仕事もお休みだが)、わざわざそれを選んで新年にしたのだろうか。南半球では真夏の直前に新年が来るわけだが、これもどういう気分なのか、うまく想像できない。

今年は家族の事情のために、年賀状ではなく欠礼状を用意する状況になった。それはともかく、欠礼状は文面に悩む必要があまりない。しかし知人友人には、賀状をどういう文面にしようかちょっと迷っている、という人が多い。なんだか単純に“謹賀新年”でもないしなあ、というのである。その気持ちはよく分かる。あれほどひどい災害のあった年を過ごし、新しい年はせめてもっと良い事があるように祈るのは当然の気持ちだ。しかし、謹賀新年だけでは、気持ちに切実感が足らないのである。

今年1年のことを思い出そうとすると、たしかに3月のあたりで記憶がぽっきり折れて、時間が続いていないように感じる。むろん、日誌を読み返せばたしかに日々の記録はとってある。だが、あの震災と津波と原発事故の恐ろしい日に、もう日本がすっかり変わってしまったのだと感じた人は多かったはずだ。ちなみに、わたし自身がこの1年間、何をどう考え、感じてきたのかを、このサイトに書いた記事からたどって振り返ってみると、こうなる。

1月の最初は3つのリーダシップ・タイプを論じて始まったのだった。それから、仕事の最小単位であるアクティビティの構造を理解するレクチャー。そしてビジネスにおける「政治的」であることの意味を考える話。これが2月末だった。ついで入学試験の不正に絡んで、人材のサプライチェーンの話題。

ここで震災が起きたのである。「休めない人々」は翌3月12日だった。それからあの馬鹿げた「計画停電」の日々。それを批判するため「計画技術者の目から見た『計画停電』」を書いた。さらに「危機における技術のマネジメントとは」「安全第一とはどういう意味か」あたりまでは、一般論として名指しは避けたが、どこの誰のことを念頭に置いて書いたか、読まれた方にはおわかりだと思う。

「『正解のない問題』を考える能力」は多くの方の目に触れた記事だった。ここら辺からわたしは、現代日本の社会におけるマネジメント能力の貧困に目を向けるテーマを多く選ぶようになった。「トラブルの『技術的解決』と『マネジメント的解決』はどう違うか?」「「責任」には三つの意味がある」「ヒノモト家の人々 - マクロ経済学的素描」「知識労働、肉体労働、そして『感情労働』」などがそれである。しかし、こういう記事だけでは堅苦しくなってしまう。そこであえて若手向きに「仕事のレポートはこう書こう」や「新任リーダー学・超入門」シリーズをはさんだりもしたのである。

首都圏における生活が震災の直接の影響を抜けて、なんとか「日常生活」化してきたのは、暑い夏の頃からではなかったか。わたしも、自身が主査を務める「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」をスケジューリング学会で立ち上げ、そのほか講演依頼が9月10月にいくつか重なったりした関係上、なんだか多忙な秋だった。その講演テーマがリスクと問題解決に関わるテーマだった関係もあって、撤退に関する「ストップ・ロス・オーダーと撤退の知恵」「埋没コストの原理、または撤退の判断はなぜ難しいか」「失敗の無限ループから抜け出すマジックナンバー『5』」のシリーズを書いたりした。

「そんなものを戦略というのですか?」も、多くの読者を集めた記事だった。どうも、ネットの世界では『戦略』というキーワードが人気らしい。わたし自身は、あまり積極的に使う言葉ではない。ところがどういう巡り合わせか、11月から経営企画部門に移ることになり、いやでも毎日その言葉に直面することになってしまった。

こうしてみると、わたしのこの1年間のテーマは、マネジメントとリスクとの二つの焦点をめぐって楕円のように周回していたような気がする。

それにしても、ちょうど1年前の12月に、わたしはチュニジアの首都チュニスに日本アラブ経済フォーラム出席のため出張していたのだった。その時は、まさか29年間続いていた長期政権が、その直後わずか29日間で崩壊することになるとは思いもしなかった。わたしの観察眼のなさと言ってもいいが、あのような政治的地殻変動を予見できた専門家が、他にどれだけ居ただろうか。小国チュニジアで起きた地滑りは、津波のようにアラブ世界を襲ったのだった。

そのような潮流は時を同じくして、世界のあちこちで発生している。この1年間、ひどい変動に揉まれなかった国の方が少なかったくらいだろう。世界は今、政治の時代に移ろうとしているように見える。経済の時代が、ここしばらくは続いていた。経済が穏やかに安定している時には、政治は動きを止めていく。しかしその淀みの中でいつの間にか不条理と不満が発酵していく。そして経済が一旦つまずくと、民意が沸騰して政治の時代に表裏反転してしまう。

経済の時代は、ルールの枠の中で競い合う経済合理性の、言いかえれば計算づくの理性の時代である。そこでは予測が成り立ちやすい。あいにく、政治の時代はルールを作るための闘争の時代であり、感情の時代になる。予見しがたい、リスクの大きな時代と言ってもいい。

そうした時を生き抜くために必要なことは、たぶん二つなのだろう。一つは、変化に機敏に対応できる『勇気』を持つこと、もう一つは、ゆるがぬ道しるべとなる『価値観』を持つこと、なのではないか。それはつまり、今この瞬間を大切に生きろ、ということかもしれない。二千年前にパレスチナで生まれ、激動の時代を走り抜けた賢者も言ったというではないか、明日なにを食べ何を着ようかと思い煩うなかれ、一日の悩みは一日にして足れり、と。

あの恐ろしい災害の後の時代を、わたし達は生きている。生き残ったわたし達に託された宿題は何だったのか、新年に移り変わるひととき静かな今の季節に、もう一度考えなくてはならない。そのためにも、ひととき、この地上が平和でありますように。
by Tomoichi_Sato | 2011-12-25 23:56 | 考えるヒント | Comments(0)

ぼくらに英語はわからない

ユーロが揺れている。このまま共通通貨として生きながらえるのか、それともばらばらに解体して各国通貨に戻ってしまうのか、瀬戸際のところにいるとも言われている。EUがなぜ通貨統合に動いたのか、その理由や動機についてはさまざまな解説があるが、とにかく政府も言語も違うが、マネーの単位だけは域内で共通化することで、規模の経済と効率化を求めたのは有力な理由の一つだろう。

ちょうど新通貨ユーロが導入されたとき、わたしは仕事でフランスに駐在していた。そこで見たのは、驚くべき早さでの通貨の切り替え(入れ替わり)であった。当初数ヶ月間は、新旧両方の通貨が一応使えることになっていた。しかし、パリで見ていた限り、最初の4週間で、すでに買い物や取引は95%以上がユーロで行われていた。そして各人が、手元に残ったフラン紙幣やサンチーム硬貨をどうやって使い切ってしまうべきか、と考えなければならない段階に来ていた。4週間でそこまで行くとは、予想外の速さだ。あの国の人たちの効率から考えるならば、じつに上出来の首尾といえるだろう。それだけ、文明の道具である「お金」は、浸食が速いのだ。

ユーロの紙幣は各国共通だが、硬貨は各国でそれぞれ裏側の刻印が違う。一月たった時に、ためしに財布の中のコインを調べてみたが、すでに違う国の硬貨が混ざっていた。むろん、パリが多数の旅行者や観光客の行き交う大都市であることを考えれば、当然かもしれないが。

ところで、その通貨切り替えの時、わたし自身はあの街に住んで8ヶ月目になっていた。しかし、ちっともフランス語はうまくなっていなかった。理由はもちろん分かり切っている。中年になってから、新たな外国語を覚えようというのがどだい無理なのだ。朝、覚えたはずのことが、夜になると頭からきれいさっぱり消え去っていた。朝に真理を学べば、夕べに死すとも可成り、という孔子の教訓の逆である。

しかし、もう一つ、自分用の言い訳が、ないでもなかった。それは、仕事は全部英語でやっているから、というものだ。

私が関わっていた電子商取引サイトの開発プロジェクトは、日揮とフランス企業のジョイント・ベンチャーであった。しかしフランス企業といっても、すでに欧州規模で多国籍企業化しているから、チームのメンバーにはドイツ人もイギリス人もイタリア人も米国人もいた。共通言語は(どうしても)英語になる。メールも会議も文書もすべて英語であった。

我々が英語を使っていたのは、しかし、望んでのことではない。妥協の産物である。英語以外しゃべれない米国人をのぞけば、英語で仕事ができて嬉しい、などと考えている人間は一人だっていやしなかった。

外国語というのは、つねに使い手にとってもどかしいものだ。外国語は、勉強すればするほど、ネイティブとの気の遠くなるような落差を認識せざるを得ないように、できているものらしい。なぜなら、言語はつねにその背後に、文化の総体を抱えているからだ。Projectという英語は、仏語のProjet、伊語のProjetto、スペイン語のProyecto、そして日本語の企画ないしプロジェクトとは、一致しない。それぞれの言語の中にある「計画・企画・投企」の概念が、少しずつだがみな異なっているからである。

通貨は経済の道具である。そして経済は人間の利便に供するもの、つまり文明の領域に属している。ところが、言語は文明の運転だけにつかうものではない。人にアイデンティティを与えるよりどころ、すなわち文化の領域に本来属している。

そして、文明にとっては共通化と規模の拡大は価値をもたらすが、不思議なことに文化は多様性によって豊かになっていくのである。

欧州は通貨を統合したことで、かえって文化の多様性をどう確保して行くべきなのかという難しい問題をあらわにしたと言っていい。われわれにしょせん英語はわからないのだ。いずれ世界中の人間が英語を話せるようになれば、平和で豊かな社会がやってくるはずだ、と夢見るおめでたい人間は、米国や(なぜか)日本にはときどきいる。しかし、私の知るヨーロッパ人の中には、ただの一人もいなかった。その理由ははっきりしている。平和とは多様性の共存だと、みな骨身にしみて歴史に学んだからである。


<関連エントリ> 「『英語』の向こう側
by Tomoichi_Sato | 2011-11-25 23:16 | 考えるヒント | Comments(0)

神奈川の小さな通りを歩きながら考える

平川町は、神奈川区役所から六角橋までをつなぐ、小さな通りである。わたしの家から坂を下りて2,3分のところを通っている。

平川町はもとは大工町だったらしい。通りを六角橋の方から歩くと、両側に畳屋、ふとん屋、桶屋、ガラス屋、土木屋、シート屋、そして提灯屋(!)などが並んでいる。しかし、ここに引っ越してきてから10年の間に、ぽつりぽつりと消えていき、だいぶん面影が無くなってしまった。

六角橋側の入口近くに、横浜では有名な「六角家」という家系のラーメン屋がある。少し下ると、「ローゼンボア」という、朝早くから開いている老舗のおいしいパン屋さんがある。が、それ以外はさして賑わう商店街ではない。歩いていると、大工町風の職人の店が消えた代わりに、新しい看板がいくつか目に入る。整体師・マッサージの店が3軒ほど。小さなスナックが数軒。そして、「エホバの証人」会館(といっても小さな店の2階だ)と、「真光教団」の集会所があることに気がつく。

マッサージと、お酒と、新興宗教と。我々の時代が欲しているのは、こうしたものらしい。そして、代わりに我々が失ったのは職人仕事だった。

『生きる』ということを考えること自体が、『新興宗教的』といわれるような事態になったのは、'80年代終わり頃からだった。たいていの人間が、おりにふれて思い出す疑問--この人生に、どういう意味があるのかという疑問を、まるで夾雑物であるかのように、見事に隅に掃き寄せてしまう社会。そんな社会に、私たちの住んでいる場所はいつのまにかかわっていた。

平川町をさらに下ると、小さな五叉路にでる。そのあたりは、なぜかテキ屋の人たちがかたまって住んでいる場所だ。そして、おそらくそのあたりから、小さな川が、海に向かって流れはじめている。だが、今その川は暗渠になっていて、区役所の脇を通り過ぎるまで日の光を浴びることはない。
by Tomoichi_Sato | 2011-11-10 21:57 | 考えるヒント | Comments(0)

問題解決のための二つのキーワード: 抽象化と類推

生産管理であれロジェクト・マネジメントであれ、およそマネジメントと名のつく行為には『問題解決』がつきものである。どんなに精緻な計画を立てたって、実行段階に入れば、予期せぬいろいろな問題が生じてくる。物事が全て計画通りにいくならば、そもそもマネジメントなど不要であろう。だれかがメクラ判を自動的に押していればよい。マネジメントなる職務が必要になるのは、遂行途上で解決しなければならない問題が生じるからだ。

『問題』とは、自分達が(意識的であれ無意識にであれ)期待していた状況と、現実との間に生じるギャップのことを指す。これに対して、『課題』とは、あるべき姿と、現実のあるがままの姿のギャップをいう。問題が受動的に発生してくるのに対し、課題は能動的に作り出すものだ。ここで取り上げたいのは、問題の方である。これは、
 問題=(期待)-(現実)
という式に書くことができる。とうぜん自分達が抱いていた期待が高ければ高いほど、問題はより大きくなる。また、最初に抱いた期待が荒唐無稽であったり、あるいは漠然と無意識のまま願望だけをもってスタートしたりすれば、普通の状況でさえ、大きな問題に感じられる。つまり、問題の半分は、自分の側(の期待のあり方)にあるのである。

では、問題解決は、どのようなプロセスで進めるべきだろうか。少なくとも、PDCAサイクルでないことだけは確かだろう。問題をPlanする人間など、いないからである。だとすると、第一歩は、問題の発見でなければならない。現実を見て、それが自分達の期待と異なっていることを見いだす。「現実を見て」とかるく書いたが、チームでやる仕事ではけっして簡単ではない。仕事の状況をモニタリングし把握する仕組みがなければ、問題も見えてこない。おまけに、現実の組織の中では、しばしば“問題の抱え込み”も起きる。担当者が自分一人で抱え込んで、チームに報告してこない現象だ(これは根の深い事象なので、いずれ項をあらためて別に論じたい)。いずれにせよ、「問題の発生にすぐ気づく」のは、優秀なマネジメント能力の証左である。

さて、問題に気づいたら、その問題構造を掘り下げて、原因を見極める必要がある。原因分析である。これも単純そうに見えるが、やってみると案外難しい。最近は「なぜなぜ5回」が喧伝されているが、これなど注意して使わないと、とんでもなく筋違いな“原因”を摘発することになる。たとえば品質不良の原因をさぐっていくと、→ローコストな外注先の採用 →調達予算の不足 →元々が安値受注だった →不況が続いているため、といった調子でいつの間にか、誰もすぐには解決できない「不況」が根本原因になってしまったりする。これではマネジメントの役には立たない。問題構造の掘り下げには、案外きちんとしたスキルが必要とされるのである。

つぎに、解決策を考えるステップが来る。つまり「問題を解く」段階だ。ここが一番大事なことは言うまでもない。誰かが過去、同じような問題を解いていたら、それに習うことが出来る。だが多くの場合は、ここで何か新しい方策を考える必要が生じる。つまり、一種の発明である。

世間では、問題に気づく段階では『見える化』を、また問題構造の掘り下げ段階では『なぜなぜ5回』を頼りにするケースをよく見かける。どちらもトヨタの造語だ。ところが、解決策を考える段階については、(少なくともわたしは)手頃なトヨタ用語を思いつかない。たぶん世間も、同様であろう。

では、解決策の発明の段階では、どうすべきか。ここでわたしは、別の用語をお教えしたい。それは『抽象化』と『類推』である。問題を抽象化し、その上で類推をつかって、解決策を得る。これがわたしのお薦めの方法である。

この二つのキーワードを知ったのは、学生時代のことだった。小さな本屋で立ち読みした、新書版の本の中で見つけたのである。問題解決と発明がテーマの本だった。その著者名もタイトルも忘れてしまったので、今は探しようもない。しかし、その表紙の写真は決して忘れないだろう。表紙には、水平な板の上に卵を立てた写真が載っていた。ただしコロンブスのように、下側をつぶして立てたのではない。なんと、釘を打って立てていたのだ。五寸釘が、卵の上下を貫通して、下の板に打ち付けられている。おかげで卵はしっかり立っている。そういう写真だった。

序文を読み、目次を読んで、その著者の主張の大筋はわかった。問題に直面したときは、その対象固有の事象に惑わされがちだ。そこで一歩問題から離れて、『抽象化』して考える。卵を立てたい。しかし、卵は丸くて細長く、不安定だ。その時には、「卵を立てる」問題から少し離れて、「モノを立てる」という抽象化した問題を考えてみる。

つぎに必要なのは『類推』の作用だ。たとえば、細長いモノを立てる例は他にはないか。ある。たとえば木材だったら、釘を打つ、接着する、はめ込むなどの方法がある。傘を立てるなら、周囲にサポートを置く、あるいはポケット型の受け口を用意する方法がある、等々。そういう具合に、類推で「モノを立てる」いろいろな方法を思い出すのである。そこから、元の問題に適用可能な方策を見つければよい。事実、表紙の写真以外にも、卵を立てる方法を10個くらい、文中にイラストで紹介してあった。

(むろん、“卵を立てるのに道具を使うのはずるい”という反論もあるだろう。その時には、「道具を使わずにモノを自立させる」問題を考えればいいだけだ。しかし、“卵を立てろ”という元の問題に、本当にそんな制約条件があるかどうかは、不明である。解決する自分の側で勝手に--無意識に--制約条件をつけて考えている場合が、じつは多いのだ)

その著者によれば、『抽象化』と『類推』の、たった5文字の言葉から、解決策の発明のための知恵が豊かにわいてくるのだという。あいにくこの本は買い損なってしまったが、この二つのキーワードは、単純かつ鮮烈だったために、記憶に残った。そして、やっかいな問題を考えるたびに、「抽象化して」「類推で」考えるくせが身についた。

ともあれ、解決策さえ思いつけば、あとはそれを実行に移す段階になる。まあ、しばしば実行段階でも、こまかな「サブ問題」が生じてくるのだが、それは同じ手順でつぶしていくことになる。かくして、解決策を実行したら、あとは結果を検証する段階に到達する。

だが、これで問題解決は終わりではない。仕事全体が完了した時点で、今度は発生した問題をふりかえり、再発防止のための「学び」をしなくてはならない。これでようやく、問題解決プロセスの終了である。以上をまとめると、
(1) 問題に気づく
(2) 問題を掘り下げる
(3) 問題を解く
(4) 解決策を実行する
(5) 結果を確かめる
(6) 問題に学ぶ
の6つのステップからなる行為だと言うことが分かるだろう。そして一番重要な「問題を解く」の段階では、『抽象化』と『類推』のキーワードをつかって、いきいきと頭を働かせることが必要なのである。

(参考エントリ) 「生産システムの性能を測る」 (この中で、抽象化と類推の一例を挙げています)
by Tomoichi_Sato | 2011-11-06 21:16 | 考えるヒント | Comments(4)

ヒノモト家の人々 - マクロ経済学的素描

いつだったか、役員向けの説明資料を作っているときに、ふと「経営者にとっての1億円というのは、自分みたいなサラリーマンにとっての1万円みたいな感覚なのだろうか」と感じたことがある。決済権限の基準は会社によっていろいろだが、億を超えたら、まずどこでも役員決裁が必要になる。「1億円の買い物です、と気楽に言うが、1億の利益を稼ぐのがどれだけ大変なのか分かってるのか!」と言われたこともあった。これってちょうど、自分の子どもが1万円の買い物をねだりにきた時と同じ感覚なのかもしれない。

たとえば年商500億円と言ったら立派な中堅企業の業容だが、その企業にとって1億円は、ちょうど年収500万円の個人にとっての1万円に相当する。だとすると、中堅企業に5億円のERPパッケージ一式を売りに行くというのは、Office Suiteソフトウェアを5万円で買ってくださいというのと同じだし、30億円の工場ライン新設の提案は、30万円で部屋のリフォームを提案するのと似ている、のかもしれない。すくなくとも、企業の1億円=個人の1万円、という換算は、少しだけ相手の感覚に近づく手がかりになった。

最近ふと、官公庁の資料を読みながら、この換算式は日本全体を論じるときにも当てはまるのではないか、と思いついた。ただし、国全体の場合は1兆円=個人の1万円である。ちょうど日本の人口も1億人ちょっとであることを考えると、あながち根拠レスな対比ではあるまい。たとえば、経産省の産業構造ビジョン2010などを読んでいると、“戦略五分野で、今後140兆円以上の市場創出。インフラ関連/システム輸出で18.2兆円の増大”などと書いてあるが、単位が大きすぎて何の事やらピンとこない。だが、これを兆→万に換算すると、「そうか、年収140万円の増加が目標で、システム輸出の分は18万円くらい稼ぐつもりなんだ」と、自分の理解範囲にぐっと近づいてくる。

そこで、このアナロジーをもっと強引に使って、日本経済全体像を、身の丈に合わせた形に書いてみよう。すなわち、「日の本」家の人々の暮らし向きである。

ヒノモト家の現在の年収(GDP)は、約480万円弱である。月々約40万円だと思えばいい。'90年代の一番多いときには、520万円近くあったのに、もう10数年間も頭打ちで減り続けている。

ヒノモト家を取り仕切っている、一番えらい人は父親(政府)だ。この人の年収は90万円である。でも、その半分は実は他の家族から入れてもらっているお金を、管理しているにすぎない。そして、残り半分は借金である。この人自身は、何かを作り出して稼いでいる訳ではないのだが、皆に対してあれこれ指示を下し、「皆が安心して暮らしていけるのも俺が居るからだ」と口癖のように言っている。収入90万円のうち70万円は、家の補修や医療費、セキュリティなど皆の生活を支えるために使っているが、残る20万円は、以前借りたお金の返済に使っているのだから、ちょっと馬鹿みたいだ。累積債務は900万円もあるのだが、「なあに、いざとなれば財産は沢山ある」と言っている。

ヒノモト家の長女(農業)は、ずっと趣味的な家庭菜園を続けている。昔は家族全員の食べるものを作った時もあったが、最近では4割くらいしか自給できていない。土は肥沃で水にも日光にも恵まれており、おかげで良い作物も少しは作るのだが、菜園のあちこちは草ボウボウだったりする。高齢化のために足腰が弱ってきているせいだろう。後継者がほしいと言っている。家の外には作物はほとんど売らない。年収は7万円ちょっとである。

ヒノモト家の長男(製造業)は、筋骨逞しいが、年を取ってきてこのごろ背中がちょっと淋しい。頑固で、意見を大声で言う。自分が皆を食わせているという自負があるのだろう。でも、この人の年収は100~110万円くらいで、一家の稼ぎの2割を切ってしまった。20年前には125万円くらいあったのだが。この人は、家の外とのつきあい(輸出入)が一番多かったので、“自分は世間を良く知っている”と信じているが、最近は減ってきたので、皆からその内実をあやしまれている。でも、「ヒノモト家の復興は俺が支えるんだ」と、まだ頑固に言っている。

次男(流通サービス業)は、ひどく太っており、歩くのがのろい。でも実は長男より稼ぎが多く、220万円弱の年収がある。ヒノモト家の約45%を、この次男が稼いでいる勘定だ。だったら、もっと贅肉を落としたらいいのに、と周囲からは言われている。

ヒノモト家の次女(金融業)は、眼鏡をかけた才女である。父親の通帳も預かっていて、実はいろいろなことに自分の意見を通している。父の借金は彼女を通しているからだ。他の家族も、彼女からお金を借りたり稼ぎの中から返したりしている。ただ、この人は慎重なのか無謀なのかよく分からない性格で、家族にお金を融通するときは担保を取り、決して損をしないようにしているのに、一度、外の男にだまされて財産をかなり失った。だが、父親のかけ声で、家族皆に援助金を拠出してもらった。本人も覚えているはずだが、まるで何もなかったかのように振る舞っている。電卓が商売道具なのに技術オンチらしく、電卓が1週間くらい動かないことも最近あった。お金は沢山預かって持っているが、本人の年収は30万円ほどである。

三男(建設・不動産業)は地味だがそつのない服装に、営業用笑顔をいつも見せて歩いている。年収は90万円強。皆の住む家の増改築・営繕と賃貸を仕事にしている。父親や次女とも仲が良く、20年前はかなり羽振りも良かったが、家の外で何やら痛い目にあったらしい。最近は家も建て増しの余地はなくなって、次はどうしようか考えあぐねている風情である。

ヒノモト家の最後の登場人物は、母親(家計)だ。この人には稼ぎはなく、使うだけである(年に約300万円くらい)。皆の衣食住の面倒を見ている。もちろん、この人が居なくなったら他の家族は皆、生きていけなくなるのだから、もっと敬意を持って接しても良さそうなものなのに、「お客さま」としてお金をもらう時くらいしか愛想を言わない。母親も、そんなものだとあきらめているらしい。

(念のために書くが、上記で業界の「稼ぎ」・「収入」と表現したものは、各産業の『付加価値額』であって、売上の絶対値ではない。付加価値とは、その業種が生み出す経済的なバリューであり、売上から外部に支払うお金を差し引いたものである。国内で生み出された付加価値額の合計が、DGP=国内総生産になる。なお、政府系サービスその他の細かい項目は、ここでは無視している)

さて、このヒノモト家で最近、困った事故があった。長女の住んでいるスペースで、北東向きの池に面した一角が、突然の災害で大きくこわれてしまったのだ。長女も怪我をした。そればかりか、そこに父親が置いていた発電機が壊れて、有毒な物質があたりに飛び散ってしまい、危険で近づけなくなったのである。被害総額は、25万~30万円くらいかもしれないと言われている(誰も正確にはよく分かっていない)。長女や母親は、「大丈夫だから」と言い続けてきた父親になんとかしてもらいたいと思っているが、一家の家計から見ると、すぐおいそれと出せる金額ではない。『一刻も早い復興を』と皆、口では言っているが、具体策となると家族で意見が分かれている始末だ。

これがヒノモト家の人々である。どこにでもいる、ごく普通の人たちだ。“村で二番目に稼ぎがある”と自慢することもあったけれど、「土地があって家族が多けりゃ当然だんべ」と思う村人もあるらしい。なにより、皆の集まる寄合いでも、二言目には『お金』の話をすることが、鼻白むべきことと思われている節がある。けっこう風流なところもあるのに、残念な人たちだ。チキュウ村では、ときに喧嘩もあるが、基本は助け合いである。なのにヒノモト家の人たちの態度は、このごろひどく内向きだ。今でも人並み以上に稼ぎはあるのだから、もっと村をリードし助けることを考えるのが大人だろうに、と周囲は思っているのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-07-11 22:39 | 考えるヒント | Comments(1)

今はまだ鎮魂の歌をうたえ

大阪での所用の帰り、ちょっとだけ時間が余ったので京都で途中下車した。夕方だったがまだ新緑が日に映えて美しい。枝垂れ桜や八重の花も少し残っていて、その色の対比も心地よかった。八坂神社から知恩院にまわり、国宝の三門を拝観。お上りさんをしたわけだ。

その知恩院の前には大きな張り紙があり、「法然上人の八百年大遠忌法要を、震災のためにやむなく九月に延期する」と大書してあった。八百年大遠忌だから、法然という人は1211年に没したことになる。12世紀の終わりから13世紀初頭にかけて活躍した人なのだ、と思った。

12世紀ルネッサンスという言葉がある。西欧世界は、十字軍をきっかけにイスラム文明に触れ、そこを経由して古典ギリシャ時代の哲学や文化を輸入し学んだ。その刺激から生まれた一種の新しい文化の潮流を指す。明けて13世紀は、アッシジの聖フランシスコらが活躍する宗教の刷新時代になる。西欧史と日本史は面白いことに並行関係が成立していて、12世紀の日本は新しい武家風の文化が台頭し、13世紀になると鎌倉仏教が隆盛する。

それにしても、800年も経ってまだ記憶され法要が営まれるとは、偉大な影響力である。まあ一つの宗派を作った宗教家だから、と言えるかもしれない。では、他の宗教ではどうなのか。たとえば、キリストの命日はいつだか、ご存じだろうか。誕生日は「クリスマス」として世界中で有名だが、キリスト教徒は、教祖の命日は祈念し瞑目したりはしないのか。

いや、ちゃんとするのである。先週(22日)の金曜日が、その日だった。これを聖金曜日(英語でGood Friday)と呼び、斎戒すべき『受難の日』と定められている。祭日になっているキリスト教国も少なくない。それなのに、なぜ有名ではないのか? その理由は、毎年、日にちが変わるからだろうと思われる。この聖金曜日は、実はイースター(復活祭)の二日前の金曜日と決まっている。そう、24日の日曜日はイースターだったのである。そしてイースターは、「春分の日の後、最初の満月の次の日曜日」という、太陽暦と月歴を付き混ぜた複雑な定義のため、毎年変わる移動祝祭日になっているのだ。

復活祭は、キリスト教において最大の祝日だが、春の再来を喜ぶお祭りでもある(少なくとも北半球では)。教祖の命日のすぐ二日後に復活のお祭りとは、ずいぶん斎戒の期間が短いと感じられるかも知れない。でも、それは違う。実は復活祭からさかのぼること6週間半前に「灰の水曜日」という日があって、そこから復活祭までは、キリストの受難を悼む禁欲の期間(「四旬節」)と定められている。西洋の古い習慣では、肉食を絶って魚を食べることになる。だから四旬節に入る直前に、謝肉祭(カーニバル)が行われるのである。

この四旬節は47日間続く。これは日本の仏教で命日から服喪する期間の「四十九日」とほぼ同じで、偶然とはいえ不思議である。あるいは、人間の感情が落ち着くまでの期間が、それくらいかかるのかも知れない。

宗教現象というのはつねに興味深い、不思議なものだ。高等生物の中には仲間の「死」を認識するものもあるが、追悼をするのは人間だけである。遠くネアンデルタール人も、仲間の埋葬にあたって、花を捧げていたらしい。というのも、人骨の遺跡の近くに大量に花粉が見つかったからである。遠く去った仲間に花を捧げる、というのは、アーリントン墓地や無名戦士の墓に詣でた外国元首なども従う儀式であるが、どうやらわたし達人類の文化的遺伝子に刻み込まれた行動パターンらしい。

なぜ人は鎮魂の儀式を必要とするのか。それは簡単には答えられない問いである。著名な精神医学者の土居健朗は、たしか「『甘え』雑稿」の中だったと思うが、なぜ人は誰かの通夜などで「お悔やみ申し上げます」というのか、と問うていた。そして自分がその言葉を受けとる立場になった時、残された者が故人に対し“ああすればよかった”“もっとこうしてあげればよかった”と後悔し、『悔やむ』からなのだ、と気づいたという。つまり、自分達がいかに不完全な仕方でしか、人を大切にし愛することができなかったかを悟る時の言葉なのだ。そして残された者が、互いに助け合いながら生き続けていこう、と確かめるために、ああした儀式が必要なのかも知れない。

あの恐ろしい3.11の震災の日から、もうじき7週間経つ。わたし達の故郷は、大きく傷ついた。いや、実はもう、だいぶん前から傷んでいたのだ。その最も弱い部分を、災害が襲った。日本が変わってしまった日、と感じたのはわたしだけではあるまい。

これだけ深く傷ついたら、癒えて立ち直るまでには相当の時間が必要である。まず、心の中で引き裂かれた感情が静まって、ほつれが戻り、断線が再びつながるための時間がいる。それまでは、まずは静かに、追悼と鎮魂の期間をすごすべきではないのか。

元気を出そう、一日も早い復興を、とメディアは繰り返す。それは真心から出た言葉だろう。だが、わたしには何だか性急なメッセージに聞こえるのである。動物だって、傷ついたら、動き回らず、ものも食べず、じっとうずくまっている。それが動物の本能的知恵だ。動物も人間も、活動の時期と、休息の時期がある。24時間元気でいたいと思うのは浅知恵な願いだ。

わたしは酒食や娯楽まで何でも自粛しろ、と言っているのではない。追善供養の席では、みな飲食して、故人の遺徳をたたえるではないか。ただ、方や自粛する、方や復興を急ぎ消費の落ち込みを憂う、それを同時に行うのは矛盾はないかと感じるのだ。復興を叫ぶ声の後ろには、「復興需要」をあてこんだ産業界のそろばんの音さえ混じっているように聞こえる。一日も早く以前の日常を復旧させたい、地震と津波と原発と計画停電にゆさぶられた日々を忘れたい、との感情は理解する。だが、それくらいならば、四十九日の間はきちんと喪に服し、それからゆっくりと日常生活に復帰するという、古いしきたりの方がずっとメリハリがあると思う。

わたし達はたぶんまだ十分、追悼ができていないのだ。素人コーラスがわたしの休日のささやかな趣味だが、今期の曲目を決める時、鎮魂の歌を1曲入れるべきだと思った。お金による寄付だけでなく、歌うたいならば声で気持ちを捧げることも、ありではないか。

なんだか古くさい、馬鹿げたことを書いているような気もする。でも、自分たちがあの災害で生き残ったのは、偶然に過ぎない。生き残った者が真っ先にすべきことは、去った仲間を悼むことではないか。そうして、受け渡された生の意味について、もう一度考えるべきなのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-04-27 00:01 | 考えるヒント | Comments(1)

『正解のない問題』を考える能力

次の問題は、ある理系の大学入試問題である。回答者は、3問の内いずれかを選び、それについて論文を記述しなければならない。制限時間=4時間。字数制限無し。

 (問1)言語は思考を裏切るか?

 (問2)不可能事を望むことは非合理か?

 (問3)実験のほかに真実を立証する方法はあるか?

あなただったら、どう回答するだろうか。ちょっと考えてみていただきたい。

じつはこの問題、日本の大学ではなくフランスの「バカロレア」baccalaureatの過去問題から引用した。バカロレアは高校卒業時の大学進学検定試験のようなもので、毎年6月に行われる。日本のセンター試験に該当する、と言えなくもない(だいぶん違うが)。そして、上の問題は「哲学」科目の出題である。そう。大学進学試験には国語、数学、地理、歴史、第1外国語、体育と並んで哲学が必修科目なのである。

ちなみに2010年度は全国で642,253人が受けて、受験者の86%が最終的にバカロレアに合格し、これは同じ年に生まれた全体数の65.6%に相当する、のだそうだ(「パリの郊外暮らし」 より孫引き)。

バカロレアは基本的にすべて論述問題である。上記の哲学に関して言えば、自分の感覚で好き勝手なことを書いていい訳ではない。まず、論理的で首尾一貫した論述であることが求められる。結論は肯定でも否定でもよいが、まず問題とされているテーマを明確に定義し、できれば哲学の歴史的な議論を踏まえ、対立する論点を正確に論じた上で、最後に自分の結論を書くことが期待される。さらに関連する思想家の主張を引用したりすれば、上出来だそうである。そして、このような試験では「携帯を使ったカンニング」など不可能だし、意味がない。震災前の古き良き時代、世間が一番騒いでいたのは某有名大学のカンニング事件だったが、あれは短くて正解のある問題だからこそ可能だった出来事なのである。

哲学は重要な受験科目のひとつだから、フランスで教育を受ける者は、高校でこの種の思考訓練を徹底的に受けている訳だ。このような教育を経て、論説の達者となった連中と、論理的主張の訓練など殆どない普通の日本の大学を出た人間が、国際会議や商談等で議論や交渉をしても、なかなか辛いものがあるのは分かっていただけるだろう。

誤解しないでほしいのだが、わたしはフランスが素晴らしくて日本が劣っているとか、日本の大学入試もバカロレアを見習え、といった主張をしたいのではない。両者がずいぶん違っていることに、まず単純に驚き、感心しているのである。国同士の優劣の比較は皆の興味をひく話題だが、わたしはむしろ個性と差の方に関心がある(たまたまフランスで若干の間、働いた経験はあるが、わたしはフランス崇拝趣味はない)。

日本とフランスの大学入試問題の違いは、二つの国が、若者の知的能力に何を求めているかの差を、端的に反映していると思う。日本のセンター試験はすべてマークシート方式である。これは大量の受験者を、効率よく正確に短時間で評価し点数化する必要性から出ている。と同時に、出題者の用意した選択肢という枠の中で、正解と不正解を明確に切り分ける能力を受験生に求めている訳である。

したがって、日本では記憶力ならびに条件反射的な判断力を持つ若者が有利だし、有名大学に合格して「頭が良い」と世間から太鼓判を押されることになる。物覚えが良く種々の知識や解法パターンを記憶することに抵抗のない子の方が、自分がじっくりと納得できるまでものを覚えられない子よりも、受験勉強に向いている。さらに言うなら、出題者が“何を答えさせたがっているか”を瞬時にかぎ分ける能力も重要である。

いや各大学の独自試験では記述式問題も出されるし、後期試験では小論文と面接のみの大学もあるではないか、と反論されるかもしれない。そのとおりだ。しかし、日本の論述問題とは、具体的にどのような知的能力を問うものだろうか。論文試験と言われてわたしがすぐ思い出す典型は、司法試験と、情報処理技術者試験である。司法試験の論文試験について、以前、法学部出の友人から聞いた話では、「出題意図に添って、必須のキーワードを、期待される順番で盛り込んだ文章を書くこと」が合格回答のポイントであるという。つまり、出題意図のフレームワークの中で、記憶した知識を体系にしたがってつなぎ出すことが求められる。

高度情報処理技術者試験については、「プロジェクトマネージャ」の参考書を10年近く編著で出していたので、よく知っている。いわゆる午後II論文問題は、制限時間2時間で、約4,000字の論文を書くことが要求される。つまり、毎秒1文字のスピードで論文を書かなければならない。当然、その場で考えている時間など殆どない。だから事前対策として、自分が経験したプロジェクトを題材に、「品質管理」の面から聞かれたらこう書こう、「要員管理」で出題されたらああ書こう、「プロジェクト計画」の観点ならば、といった具合に、いくつかの切り口で整理しておく。そして実際にその論文を書いてみるのである。2,3回やると、書くべき事を反射的に「体で覚えて」いる状態になる。そうして試験に臨むのだ。

言いかえるならば、日本の論文問題は、出題のフレームワークの中で、正解(ないしそれに準じた知識)を、効率的に記憶から取り出す能力を測っている場合が多い。そのために時間をかけ根気よく繰り返し学習する。これは無論、立派な知的能力である。ただしそれは、世の中が比較的予見可能な、つまり安定した右肩上がりの時代に有用な能力と言えるだろう。

これに対しバカロレアの論文問題では、出題者は、知識もさることながら、整合性のある論理展開能力を、まず求めている。哲学にみるとおり、出題は「正解のない問題」である。そのかわりバカロレア方式では、採点は手間がかかるし、主観ももぐり込みやすい。だから毎年6千人以上の判定委員と10万人以上の採点者(及び口頭試問試験官)が動員されるという。それだけの国費(受験は無料である)を使いながらも続けている事は、フランス人が無駄な議論好きのおしゃべりだという「国民性」だけで説明すべきではない。漠とした状況下でも論理性と一貫性のある思考が必要だ、という知的能力への社会的期待がそこにあるのだろう。少なくとも、彼らの求める知性の尺度には、カンニングがもぐり込む隙間はあまりないのだ。

もっと単純化して対比すると、フランスが評価する頭の良さとは、真っ白なキャンバスに見事な絵を描く知的能力で、日本の求める頭の良さはジグソーパズルを素早く解く能力だ、と言えなくもない。わたしの好きな用語で言うならば、フランス型知性は『自由度』の大きな抽象的問題に向いており、日本型知性は、自由度は小さいが複雑な問題に向いている、という印象である。正解のある、具体的な問題に。

だが、わたし達の社会は(むろん立派な社会だが)「正解」をあまりにも求めすぎる、と最近つとに感じている。様々な問題にぶつかるたびに、どこかに正解を探し求め、受け入れようとやっきになる。「頭の良い」人たちは、どこからか格好良いキーワードを仕入れて、問題の根を切り分けてみせる。正解のある問題は、考えずとも“右へならえ”が効きやすい、という特徴がある。でも、ある場所で役に立った方法が、別の状況で正解となる条件について、しばしば無頓着である。生産改善だ、じゃあトヨタのカンバン方式を導入するのが正解だ--そんな単純な話じゃありませんよ、と「あなたの会社にトヨタ生産方式が向かない五つの理由」みたいなエントリをいくら書いても、世間は馬耳東風だ。そのあげく巨大な問題にぶち当たって、「想定外でした」という。その想定のフレームワークは、誰が決めたのだろうか? 

自分達の知的能力を高めるにはどうしたら良いか--これは典型的な「正解のない問題」である。だから、“日本もバカロレアの哲学の問題を導入すればいい”という答えは失格だと、すぐ分かる。世の中には正解のない問題はいくらでもあるのだ。そもそも、自分はどういう人間なのか。自分は何がしたいのか。自分はなぜアイツのことが好きなのか。それなのになぜ、アイツは自分を好いてくれないのか。そもそも自分の人生にはどういう意味があるのか・・。こうした問題は、若いうちだけでなく、中年になってからも、繰り返し襲ってくる。むしろ若いうちに、これら正解のない問題を自分で悩む経験を積んだ方が、大人になってから想定外の問題にも耐えられるようになるのではないか。

「ずっと昔に学校を卒業したのに、ときどき試験問題に苦しむ夢を見る人は、自分が考えるべき大事な問題を無意識の内に回避している可能性がある」、と心理学者は言う。無意識が夢を通して、その事に警告を発しているのだという。わたし達の社会が『入学試験』にひどく敏感なのを見るたび、“われわれの繁栄にはどういう意味があるのか”という正解のない問題を、わたし達がずっと回避してきたのではないか、と疑わしく思うのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-04-18 22:48 | 考えるヒント | Comments(2)

試験は誰の責任か - 人材のサプライチェーンマネジメント再考

もう何年も前のことだが、東京大学教養学部の男子学生が、同じ学年の女子を包丁で何度も刺して重傷を負わせ、殺人未遂で逮捕されるという事件があった。理由は恋愛感情のもつれによる逆恨みだったらしい。若者にありがちと言えば言えるが、まことに幼稚かつ愚かな犯罪である。

「その学生はすぐに退学処分にすべきだ」とわたしは思った。人間には、やっていいこととやってはいけないことの区別がある。お勉強の上手下手より以前に、まずその事を理解しておく必要があるのだ。たぶん東大生の多くは、入試をパスすることに、それまでの青春のほとんどを賭けてきたであろう。だとすれば『退学処分』は最も戦慄すべき事態にちがいない。人を刺したら「自分の人生を失う」という、ショックに近い感情によって、その教訓は全学生の心に残るだろう。「人を刺したら犯罪」くらいのことは、東大生でなくたって誰でも知っている。だが、頭で“知っている”だけでは足りないのだ。感情を込めた体験があって初めて、教訓が“分かる”のである。

ところが当時、ニュースや新聞を見ていても、この事件の後で東京大学は当学生に対する処分を何ら発表しなかった。一罰百戒のせっかくの機会を、この大学は逃してしまった。もしかしたら、「裁判で有罪が確定するまでは処分保留」という判断でもあったのかもしれぬ。しかし学生運動のデモかなんかで逮捕されたのならともかく、この刑事事件では犯意は明らかであった(結局、この学生は有罪判決を受けている)。それでももし万が一、その学生が無罪になったら復学してやれば良いだけである。『復学』というフレキシブルな制度はそのためにあるのだ。

世の中には東大に合格するよりも、もっと大事なことがある。これは落ち着いて考えてみれば当たり前だが、その「当たり前」の条理の灯を、目先の損得や感情のつむじ風で吹き消そうとするのが世間である。東大があの時もっと倫理において毅然と対応していたら、世間のモラルも一瞬はしゃんとしたかもしれぬ。

教育のシステムとは社会における人材のサプライチェーンである。ところが、このサプライチェーンがあちこちで歪みを生じ、きしんでいる。京大の入試でカンニング事件があったと言って世間はむやみに騒いでいるが、「たかが入試じゃないか」という感想はあまり聞かれぬようだ。試験というのは、教育ではない。入荷検査が『製造』ではないように。心配するなら、教育の方を心配すべきだ。日本の教育システムをサプライチェーン・マネジメントの観点から見ると、すべての工程(教育段階)に共通する、おかしな矛盾がある事に気がつく。それは、製造工程と検査工程の逆転である。

ふつうの工場だったら、製造した製品は、自分が検査する。検査のポイント(品質項目)は自分で決める。検査ではねられたら、修正に戻すかおシャカにして、出荷しない。出ていくものの品質については、自分のブランドの名前にかけて保つ。これが製造業における普通の感覚であろう。なお、部品材料を入荷したら、その時点で検査を行う場合もある。その場合も通常は員数と外観チェックか、せいぜい寸法確認程度で、鋳物にスが入っていないかいちいちX線で検査したりはしない。入荷品の品質に問題が多い場合は、自ら仕入れ先に出向いて品質指導をする。

サプライヤーの側で出荷検査をして、それを受け入れる側でまた入荷検査をする、というのは、明らかに二重の手間である(よほど輸送工程にリスクがあれば別だが)。では、どちらか一方を省くとしたら、どちら側を省くべきだろうか? 答えは明らかだろう。入荷側である。検査データというのは製造工程の質を向上するために使われなかったら、意味がないからだ。検査と製造工程は一つの思想の元にマネジメントされなければいけない。製造者は検査と出荷品の品質にオーナーシップを持つ。だから先進的な企業では「検品レス」といって、入荷検品を全く省くケースも出てきている。サプライヤーをそれだけ信頼し、また信頼できるようにマネージしているのである。

こう考えてみると、日本の教育システムのおかしな点がわかるだろう。この人材のサプライチェーンでは、自分が製造したものを自分がきちんと検査していないのである。“そんなことはない、各学期に期末試験をしているじゃないか”と先生方はおっしゃるだろうか? じゃあ、東大でも京大でもいい、目立つ「一流校」に合格した生徒を、自分の権限と責任で落第させる勇気がおありだろうか。父母の猛然たる抗議にもゆるがず対応できる、明確な教育スタンスを持つ高校など、おそらく殆どありはすまい。

だが、これは高校の先生方のせいではない。サプライチェーンの下流に位置する購入側、すなわち大学がいけないのだ。大学が出荷検査に信を置かず、自分でいちいち詳細に検査すると言っている。じゃあ、その大学の製造工程はどうなっているのか。わたしは大学3年生を相手に後期授業を行っているから知っているが、大学3年後期というのは就活のおかげで、学生はたいてい気もそぞろである。授業になんか集中できる訳はない。そして、その理由は、企業が製造も終わっていない人材を、はやくも入荷検査のふるいにかけようとするからである。

おわかりだろうか。このサプライチェーンでは、検査工程と製造工程の間にあるべきポジティブな改善のフィードバックループが失われているのである。製造者が検査の所有権を失っているからだ。そして、この事態をなんとかしたいなら、まずチェーンの最下流から直していかなければいけない。その責任は企業の側にある。企業が、「卒論を書いてちゃんと大学を卒業した者だけを採用の対象にする」と宣言すれば済むだけだ。就活は、卒業式の前後に始める。そうすると就業開始は夏頃になるかもしれないが、それでひどく不都合な会社などないはずである。大学は落ち着いて教育に専念できる。そして入試も、高校に信を置いて推薦入学が中心になる(現に、今ではAO入学が全体の50%を超えている)。そのかわり高校の側も自分の検査と製造に責任を持つようになり・・

むろん、この仕組みが働くようになるためには、一つの条件がある。それは、検査ではねられた学生も、妙な烙印を押されずに再履修したり大学をやめて働いたりする道が確保されるということだ。いわばサプライチェーンのフレキシビリティー(セーフティーネット)があって初めて機能するのだ。そしてこの場合も最終責任は企業の側にある。企業は大学未了の、つまり「高卒」の人間を消耗品としてではなく評価し、使う道を用意しているだろうか? わたし達は有用な人材を海に捨てていないだろうか。

春は希望の季節である。あらゆる生命が再び芽吹く時期だ。わたし達は検査と選別ではなく、「育てる」ことにもう少し熱意を込めるべきだと信じている。


(関連エントリ) 「人材のサプライチェーンを正すには
by Tomoichi_Sato | 2011-03-05 09:14 | 考えるヒント | Comments(1)

クリスマス・メッセージ: 子どもの国から抜け出そう

Merry Christmas !

生まれて初めて乗った飛行機は、旧ソ連のアエロフロートだった。大学を卒業し社会人になる直前の3月、いわゆる卒業旅行に出かけたのである。ドイツにいた知り合い(父の部下)のNさんを頼って、モスクワ経由でフランクフルトを訪れたのだ。Nさんは忙しいさ中にもかかわらず、わたしをいろいろな場所に案内してくれた。

その中で最初に印象に残ったのは、じつは鉄道の駅だった。フランクフルトの中央駅だった思うが、遠くからの列車が発着するホームが多数並んでいる。驚いたのは、改札も何も通らずに、いきなりホームの列車まで行けることだった。そもそもヨーロッパのこの種の駅は、改札が無いのだった。「切符は?」とNさんにたずねたら、「もちろん買って乗るのさ」と窓口の並びを指さしてくれた。

しかし改札がないんじゃ、すぐ隣の駅までの切符を買って遠くまで乗るインチキもできるじゃないですか。それどころか、切符を買わずに無銭乗車だって可能ですよ? −−そんな疑問を口にした若いわたしに、Nさんは、その後ずっと忘れられぬ言葉で答えてくれた。「みんな、ちゃんと切符を買うんですよ。ここは、大人の社会なんだから。」

大人の社会。だとすると、自分が生まれ育った国は、大人の社会じゃなかったんだろうか。ならば、子供の国だとでも言うのか。あまり欧米崇拝趣味のないわたしには、なんだか癪にさわった。だが、そもそも『大人』って何だろう? そういう疑問は日本に戻っても頭の中で渦巻いた。

ちなみに、欧州の列車だって、車内での検札はある。検札で正規の切符を持っていない事が分かると、かなり高額の罰金を科せられる。また、地下鉄や郊外電車などは自動改札システムを持つ路線も多い。そういう点で、不正を防ぐ仕組みはちゃんとある。ただ、メインの部分が、利用者への『信用』の上に成り立っているのだった。

大人って何だろう? どうすれば大人になれるのだろう。その問題はずっとわたしの頭を悩ませた。自分は大人といえるだろうか? 他人から、いや自分自身からも信用しうるだろうか。年齢だけは重ねても、仕事や私生活で、自分の未熟さ幼稚さのため幾度も苦い思いをし、大人であると言い切るだけの自信は、なかなか生まれなかった。そんなある時、大ベテランのプロジェクト・マネージャーと話していたら、

子どもは、自分のしたいことをする。大人は、自分のすべきことをする。

という定義を教えてくれた。この言葉はなぜか、すとんと腑に落ちた。たしかに、自分の願望や欲にばかり動かされる者は、子どもと言えるかもしれない。

睡眠や食欲といった生理的次元からはじまって、娯楽の次元、そして競争に勝ちたい、出世したい、お金持ちになりたい、といった社会的次元まで、欲求の姿は多種多様だ。だが、そうした願望に突き動かされて騒々しく行動する人々を見ると、なんだか自身の欲の奴隷と化しているようにも感じられる。大人というのは、だとすると、自分の欲求を時に応じて抑えたりセーブしたりできる人かもしれないと思った。

でも、「すべきこと」って何だ? 仕事や家庭や社会の最低限の義務だけでは、大人であるには足りないようだ。普通の人はたいてい、それを果たしているし。「したいこと」は自分の中にいくらでもあるが、「すべきこと」は自分の中だけをいくらほじくっても、必ずしも見つからないのである。なぜなら、それは、他者の期待の中にあるからだ。

わたし達は、お互いに対して、何を期待するのか。「プロジェクトのマネジメントとは、すなわち期待のマネジメントだ。チーム員の、ステークホルダーの、そして自分自身の期待を、どう形にして、どう方向付けるか。それが仕事の成否を決める」と、くだんの大ベテランは物静かに教えてくれた。期待のベクトルを合わせると、おのずから「すべきこと」が見えてくる。方向がばらばらだと、組織のエントロピーばかり高くなって、すべきことが見えなくなるらしい。

わたし達の社会は、1990年頃を境に、見えない大きな変化を迎えた。そのことがこの国を、バブルの有頂天から失望の20年間に突き落としてしまった。その変化とは、第一に人口と学歴と組織階層のピラミッドの相似形が崩れたこと、第二に経済の力関係が供給側から需要側へとシフトしたことである、とわたしは考えている。しかし、それだけではない。もっと重要なこと、わたし達の心性のレベルで大きな変化があったはずである。それでなければ、社会がこれほどまでに回復力の弾性を失うだろうか。では、その変化とは何か。最近、サイトの読者の方から「静寂の価値」というエントリに関連して、なぜ社会がかくもにぎやかで騒がしいのかとの質問を受けて、ようやく気づいた点がある。

高度成長期以降、わたし達の社会は大量生産・大量消費で成り立ってきた。そこでは、人は次々と欲望を持って消費してもらわねばならない。そのために広告や宣伝といった手段で、あらゆる媒体を使って、人々を刺激し続けている。20世紀後半にTVや映画やネットが発達し、普及した背景にも、広告宣伝が大きな役割を果たしてきた。これが興奮性の情報を湯水のごとく人々に浴びせ続け、「にぎわい」を演出し続ける、主導因だと思われる。

言いかえるなら人々を、欲望に動かされてだだをこね、何でも人と一緒になりたい「子ども」状態にとどめるために、現代は努力を払っている訳である。発達した工業化社会はどこも必然的に、「子どもの国」に向かうドライブがかかっている。そして、日本は、それがとても成功したのである。欧州社会だって事情は似ているはずだが、あいにくあそこは「大人」であることが大事とされる(少なくとも「大人」であることが無理にでも求められる)場所である。時に不便で、時に嫌みで、しばしば息苦しい社会ではあるが、それが彼らの特質を少しは守っているのだろう。

わたしの知っている優秀なマネージャーは、たいてい物静かである。あまり騒々しい人には、プロマネはつとまらないようだ。大人の特性の一つは、落ち着きがあることだからだ。よくできた仕組みは静かにスムーズに動く。創造性は、にぎわいだけでなく、孤独で集中できる時間を必要する。こうしたことを認めて、また耐えられる人を「大人」と呼ぶのだと思う。

年の瀬のひととき、家族や親しい人と一緒に、争いや喧噪をはなれて静かに過ごすべき、平和の季節がまたやってきた。いつでも騒ぐのは、子どもである。大人は静かだ。私たちの社会は、大人であろうと意思する人が足りないのだろう。少子化問題ではなく、「大人不足問題」こそ、真の問題なのかもしれない。
by Tomoichi_Sato | 2010-12-23 22:58 | 考えるヒント | Comments(2)