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魚心あれば水心 − 最適なペアを決めるマッチング・アルゴリズムの話

Apple初期にMac OSを開発した中心メンバーに、アンディ・ハーツフェルドという伝説的なプログラマがいた。Appleを退社後、独自にSwitcherというユーティリティ製品を開発するのだが、これはシングルタスクだったMacOS上で、複数のアプリを同時に動かせるという独創的なソフトだった。ところで以前、彼のインタビューをよんでいたら、彼が人生で最初に作ったプログラムが、高校のダンスパーティーの男女ペアを自動算出するものだったと書いてあり、笑ってしまった。世界中どこにいたって、魚心と水心の組み合わせは、つねに揉め事の種なのだ。

男女のお見合いから、研究室の配属、そして就活の就職先選びまで、世の中には「求める側」と「与える側」の組み合わせ問題に満ちている。あるいは、デマンド側サプライ側、と言いかえてもいい(男女のどっちが供給側かはともかく)。その典型は、サプライチェーンであろう。需要と供給をどうマッチングさせるのが最適なのか。最適とは、ここでは「お互いに満足度が高い」という風に規定しておこう。

「部分最適から全体最適へ」というのは、SCMの標語でもあった。では、最適なマッチングを具体的に決めるには、どうしたら良いのか? こうした問いに答える研究分野があることを、恥ずかしながらわたしはつい最近、初めて知った。

それを学んだのは昨年11月に、沖縄で開催された経営情報学会に参加したときである。たまたま「マーケットデザインとその周辺」というオーガナイズドセッションに講師として呼ばれ、そこでご一緒した大阪大学の安田洋祐先生と、電通大の岩崎敦先生から、「マッチングメカニズム」論の初歩と、ゲール=シャプレイ・メカニズムとよばれる仕組みのお話しをきくことができた。さらに、こうした研究の業績によって、シャプレイ教授は2012年にノーベル経済学賞を受賞したこともうかがった。そこで今回は、その時の印象的な講義をふりかえりながら、おさらいのために少し一緒に勉強してみたい。

ゲール=シャプレイ・メカニズムとは、マッチング問題を解くための基本的なアルゴリズムである。マッチング問題は、パーティでの男女の組み合わせに象徴されるように、デマンド側とサプライ側が互いに相手への好みを持つ場合に、より満足度の高い組み合わせは何か、という問題だ。ゲール=シャプレイ(GS)メカニズムは、その最適解を生成する手順である。

ここで、まずマッチング問題の前提を少し整理しておこう。まず、何らかの場があって、そこに
- デマンド(需要)側
- サプライ(供給)側
が同数いる。ここでは仮に、男の子がデマンド側で、女子がサプライ側としておこう。それから、誰もが相手に対する好みの順番(『選好順序』)をもっている。が、それは相手側には直接、分からない。また、この選好順序は、ジャンケンのような循環順序ではない、とする。満足度は数値化できないかもしれないが、とにかく優劣は決められるのだ。そして、他に特段の制約条件はない、とする。つまりお金持ちの子が最初に相手を選べるとか、貧乏人はペアを組めない、といった例外はもうけない、フェアな世界だとする。

GSメカニズムの基本的手順は、以下の通りである:
 デマンド側が、自分にとって最高順位のサプライ側にマッチングを申し込む
 サプライ側は、自分にとって最高順位のデマンドを「キープ」し、あとは拒否する
 デマンド側は、拒否されたら次の順位のサプライ側にマッチングを申し込む
 サプライ側は、より選好順位の高いデマンドが来たらキープ相手を変更する
 デマンド側がすべて受け入れられた状態になったら完了
この手順が最後まで行き着いたら、結果は自動的に最適状態になっていることが、数学的に証明されている。最適状態とは、どのペアを取り替えても、これ以上満足度の増える組み合わせが存在しない、というほどの意味だ。

非常に単純・明快な手順ではないか?

ゲールとシャプレイは、「大学入学と結婚の安定性」(1962)という、ちょっとふるった名前の論文で、最初にこの研究成果を明らかにした。この問題は、学問の地図でいうと、経済学という大国の中の、ミクロ経済学州にある、ゲーム理論という大都市の中に位置する。そこには数学国出身の賢そうな人々が多く住んでいる。わたしのように化学工学という小国出身で、今はプロジェクト・マネジメント論というもっとマイナーな地方都市にうつり住む者にとっては、縁遠い土地柄である。ま、自分が知らなかったことへの妙な良い訳はともかく、50年も前の知見を、今ようやく学んでいる訳だ。

このGSメカニズムは、現実の制度への豊富な適用事例をもっているのも特徴だ。たとえば日本では、2003年度から、臨床研修医を病院へ配属するためのマッチングの仕組みとして実際に使われている。また、 早稲田学院から早稲田大学の各学部への配分メカニズムも、そうなのだという。もっとも、わたしはGSメカニズムの仕組みをきいて、思わず触媒表面上の活性点で起きている分子レベルの化学反応メカニズムを連想してしまった。とういことは、自然界でも、これに似た仕組みがあちこちで動いているように思える。さすがである。

なお、マッチングが1対Nで、定員があったりする場合、GSメカニズムは次のような手順になる。
2 サプライ側は、定員まで「キープ」し、あとは拒否
4 新たにデマンド要求があった場合、サプライ側は選好順序に従って「キープ」を入れ替える

ところで上記の手順、きいてしまえば当たり前な内容、にも思える。どこが独創的なんだ? 数学的な証明はたしかに簡単じゃなさそうだけれど、普通、こうしてるじゃないか?

ところが普通は、上記のGSメカニズムとは、ちょっとだけ違うことをやっているのである。そして、そのちょっとだけの違いが、大いなる影響を生み出しているのだ。

世の中で普通にやられているのは、希望順位優先方式とよばれる方法である。別名を、「ボストンメカニズム」ともよぶ。ここでは、就活生の企業への就職を例にとって説明しよう。簡単のため、世の中に学生は全部で5名、企業は3社だけとする。世の就職関連業者がきいたら泣き出しそうなほど、シンプルな社会である。 学生の名はA・B・C・D・Eで、成績もこの順番である。企業はX社、Y社、Z社とする。なお、X社は大企業なので、募集定員は3名である。YとZ社は1名ずつだ。

希望順位優先方式(ボストンメカニズム)では、次のような手順で、就職者を決める。
1 全学生の第1希望において定員を満たすまで、企業は成績順に内定を決める
2 内定されていない学生と、定員の残る企業で、次の希望順位について1を繰り返す
シンプルだし、現実に、ほとんどのケースではこのようなマッチングが行われている。

だが、この手順ではまずいことが起きるのだ。それを「戦略的選好」とよぶ。

いま、学生の就職したい企業の順番(選好順序)は、以下のようだったとする。
Aさん、Dさん、E君:  X>Y>Z
B君、Cさん: X>Z>Y

ボストンメカニズムを適用すると、こうなる。
第1ラウンド:全員がX社を志望する。そこでX社は上位3名の、A・B・Cの採用を決め、内定を出す
第2ラウンド:DさんとE君は、第二志望のY社に志願を出す。Y社は、成績が上のDさんを内定する
第3ラウンド:E君がZ社に内定して、完了。
この結果、E君は、自分の希望順位では最低のZ社に就職することになる。

それが競争原理・弱肉強食のこの世の宿命だろう、って? ところが、である。E君はここで奸計を思いつく。彼は内心を隠して、自分の選好順位は「Y>X>Z だ」という風に振る舞うのである。

するとどうなるか? 上記の手順をあてはめると、こういう結果になる(読者の皆さんも紙の上で、ご自分で追いかけてみてほしい)。
X社:Aさん、B君、Cさん
Y社:E君
Z社:Dさん
おわかりだろうか? E君は次善のY社に就職し、正直だったDさんが割をくうのだ。

つまり、希望順位優先方式(ボストンメカニズム)は、嘘に弱いのだ。嘘をついた者が得をして、正直者が損をする。これを「戦略的選好」の問題とよぶ。この例では、嘘をついたことによる利得は所詮たいしたことが無いが、もっと深刻な例だって考案することができる。このような制度設計をしてはいけないことは、社会的に明らかだろう。

ところがGSメカニズムでは、「本音を言う」のが最適戦略になるのだ。ためしにGSメカニズムで上の例を追いかけてみると、E君が本音を言おうが嘘をつこうが、結果としては
X社:Aさん、B君、Cさん
Y社:Dさん
Z社:E君
となることを確かめてほしい。

GSメカニズムでは「戦略的操作」(つまり嘘)は有効にならないことが、数学的に保証されている。なぜ、その違いが生まれるかというと、GSメカニズムでは「仮にキープ」するが、後になってひっくり返すことを認めているからである。つまり、『内定取り消し』が公式に許容されているのだ。ボストンメカニズムでは、決定は先着順であった。ここが違うのである。

もっとも、GSメカニズムにも、弱点が無い訳ではない。たとえば、意図して嘘をつく訳ではないが、自分の選好順位とは反する選択をするような、非合理な人間が出てくると、うまく機能しなくなる。好みに反する選択をするとは、すなわち、自分が何を志望し、何をしたいのか、自分でもよく分からない人たちである。

いや、若い内には、そもそも自分が本当に何をしたいのか、何に向いているのかなど、自分でも分からないのが当たり前なのだ。いわゆる「自分探し」である。そして、むしろ周囲の方がよほど客観的に、向き不向きを見抜いていたりする。しかし、当たり前のことだが、いつまでも「仮決め」でふらふらしていると、肝心のパーティーでダンスが踊れなくなる。誰とも踊らないうちに、歳をとってしまうだろう。それに魚心あれば水心、一緒に踊っている内に、相手への選好順序がせり上がったりするのも、人間の心理なのだ。

ゲール=シャプレイのアルゴリズムはすばらしい数学的成果である。だが、それは各人の選好順位が固定したものだという前提の上に成り立つ、一種のスタティックな最適化手法だといえよう。わたし達が現実からいろいろなことを学び、それによって価値観が変化していくような、ダイナミックな場合の最適なメカニズムデザインは、まだまだこれから考え抜いていかねばならないのだ。


参考
安田 洋祐:「経済学で理想のパートナーを探そう! ゲール=シャプレーアルゴリズムを合コンのマッチング問題から考える」 東洋経済オンライン 
上田 俊(九州大学):「ゲーム理論 アドバンスドトピック
by Tomoichi_Sato | 2016-01-31 20:32 | 考えるヒント | Comments(0)

クリスマス・メッセージ:平和のレジリエンシー

Merry Christmas !!


以前、社内のPMO(Project Management Office)にいた頃は、毎月、社内のプロジェクト・マネージャーから上がってくるPMレポートをレビューするのが仕事の一部だった。レポートは形式が決まっており、最初にナラティブな文章による状況報告がある。それからスケジュール・進捗・リスクなど各種の計量的なステータスがついている。

このレポートは本来、プロマネが、自分の後見人であるプロジェクト・スポンサーを経由して、経営層に提出するものだ。そして上の人は助言をつけて返す。だが同時に、ラインの横にいるPMOにも配布し、PMOがレビュー・コメントを行う。その目的は、縦のレポーティング・ラインだけでは見逃されそうな予兆や問題点をウォッチするとともに、別のプロジェクトで発生している問題点などをプロマネにフィードバックして、対応策を社内的に共有・横展開することにある。さらに、社内のプロジェクトに関する実績データをPMOが集積する目的もある。同じようなことは、わたしの業界内では広く行われている。

ところで、PMOとしてレポートを読んでいるうちに、気がついたことがある。それは、プロジェクトは二種類に分かれやすい、ということだ。どんどん良くなっていくプロジェクトと、だんだん悪くなっていくプロジェクトである。いい方のレポートを読むと、前々月は設計でこういう進展があった、前月はこうして問題を事前に防止できた、今月はサプライヤーにうまく発注できて予算を抑えられた、という具合に、毎月明るいニュースが並ぶ。一方、まずい方のレポートは逆である。前々月は、こういう障害で設計が進まなかった、前月は思いもかけぬ問題が発生し対応に追われた、今月は発注先からのクレームで赤字がさらに膨らんだ、という具合で、毎月、読むたびにため息が出る。

不思議なのは、良くなったり悪くなったり、というレポートがあまり無いことだ。前々月はよかった、でも前月はまずいことになった、今月はまた良くなった、といった風にアップ・ダウンのあるプロジェクトには、滅多にお目にかからない。これは一体、どういう訳だろうか?

ひとつには、レポーティングに関する心理的態度というものも、関係するかもしれない。プロマネだって皆、会社員だ。普通は、なるべく良いことだけを上に報告したい。そうすれば上の覚えもめでたく、自己の評価も上がるだろう。だからしばらく良いレポートが続く。しかし、プロジェクトの途中で次第にトラブルが大きくなり、やがて増員などの面で、上の支援を仰ぐ必要が出てくる場合がある。危険性をアピールしないと本気にされない。そこからは問題レポートが続く、と。

だが、PMOは文章だけでなく、計数的な部分もチェックしている。そして他の類似プロジェクトの実績値や、社内的な標準数値とも比較し、おかしなことが起きていないか見ている。最初の楽観的な文章と、後半の数値に齟齬があれば、PMOとして先に矛盾に気づく。自分も、そう心がけて仕事をしてきた。だとしたら、プロマネの心理的態度以外に、何か理由があるはずだ。

わたしが次第に持つようになったのは、「プロジェクトのダイナミクス(動力学)は、本質的に不安定なものだ」という仮説だ。プロジェクトはある目標を目指して進められる、活動の総体である。納期や予算、スコープ(責任範囲)といった制約条件の中で、それを進めなければならない。そしてプロジェクトを構成する設計とか調達とかテストだとかいった活動(Activity)は、互いに連鎖し関連し合っている。つまり、プロジェクトというのは一種の動的システムであり、それを制御するのがプロマネの仕事だ。

プロマネがきちんと計画を立案し、上手にチームをコントロールしていれば、諸活動はほぼ予定通り進んでいくだろう。ところが、人間はすべてのことは予期できない。予期せぬ問題が一部の活動で発生した際、それをうまく抑え込めないと、関連する活動間の調和を壊してしまう。するとその影響は伝播し拡大していって、さらに大きな問題となっていく。

たとえばボールを凹んだ谷間の底に置いたとしよう。多少の外乱があってボールの位置がずれても、ボールはまた元の位置に戻っていく。これを「安定」な状態と呼ぶ。ところがボールを山の頂上に置くと、外乱でボールが左右どちらかに揺れた場合、元には戻らずに、左右どちらかの方向に加速度的に転げ落ちていく。
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プロジェクトとは、山頂に置いたボールのように不安定な存在だ、というのがわたしの仮説だった。ただし、まったくの不安定なシステムかというと、そうではない。ある程度の外乱の範囲内ならば、プロマネは乗り切っていける。そのときにカギとなるのが、予算でいえば予備費の存在、スケジュールでいえばバッファー(フロート日数)、さらに余裕ある遊撃手的な配員の存在だ。専門用語でいえば、Contingency Reserveである。

予見しなかった問題が発生したとき、担当者やプロマネは、自分が持っている予備費やバッファー日数の範囲内で、遊撃手を動かして対応策をとることができる。いや、むしろ予算や時間に余裕があるときは、問題が起きる前に、予防的対策が打てるのだ。こうして、プロジェクトは良い方向に進んでいく。

だが、外乱があまりにも大きかったとき、あるいは、出発時の制約条件がきつすぎて、プロマネの持つ予備費やバッファー日数や配員があまりに乏しいときは、発生した問題を抑え込めなくなる。そうすると負の連鎖反応が起きて、プロジェクトはもっと大きなトラブルに直面することになる。

プロジェクトでは必ず問題が発生する、というのが長年このビジネスに関わってきたわたしの実感だ。どんなに最善の計画を立てても、思いもよらぬ外乱(あるいは、ミスなどの内発的問題)が発生する。これを乗りこえていくためには、なんらかの余裕・あそびが必要である。そして余裕に比べて外乱があまりに大きいと、コントロール可能な範囲を超えていって、プロジェクト全体が制御不能になる。ただ惰性で前に進むだけの存在になってしまう。ちょうど、金属製のバネのようなものだ。バネを引っ張ると、弾性の力で元に戻る。しかし、材料の「降伏点」を超える力をかけると、バネはぐにゃりと延びきってしまって、もう元には戻れなくなる。

レジリエンシー』という新しい言葉をあちこちで見かけるようになったのは、この数年のことだ。Resiliencyという英単語は翻訳しにくいが、「復元力」とか「抵抗力」みたいな意味を持つ。3.11の恐ろしい災害で東日本のサプライチェーンが寸断され、それが国内産業全体に少なからぬ影響を及ぼして以来、この概念が注目されるようになった。

以前、統計数理研究所の丸山宏副所長によるレジリエンシー研究の講演を、自分の主宰する研究部会できかせていただいたところによると、
「レジリエンシー = Resistance(事前対策) + Recovery(事後対策)」
といった理解になるらしい。

<関連エントリ>
 →「稀な危機 vs ありふれた失敗-リスク対策の優先順位を考える」 (2013-10-14)

トラブル事象が小さい内は、Resistance(事前対策)の方が費用が小さくすむが、あまりに大きな「想定外」のトラブル事象に対しては、もうRecovery(事後対策)を考える方が経済的である、というのが丸山博士の説明であった。それならば、どこかで最適な組み合わせがあるはずだ、との予測が成り立つ。

その最適な組み合わせや、プロジェクトの「降伏点」は、プロマネが持っている予備費やバッファー日数などのContingency reserveから導き出せるのではないか、ということを当時は思った。

しかし、その後わたしの考え方は、少しかわった。まず、プロジェクトの降伏点というのも、一点ではなく、多段階あるのではないか。いったんは大きく乱れても、また何とか復元する力が働くときもある。

もう一つ。いったんはトラブルを経験しても、そのことが「人材が育つ」結果をもたらす事もあるのだ。むろん、それは程度にもよるだろう。だが、まったく問題を経験せずに、温室栽培か無菌培養のような環境下で育つより、ある程度の問題に否が応でも巻き込まれ、立ち向かった経験の方が、はるかに人は成長するのだ。むろん、トラブルが過酷すぎて、人をつぶしてしまうこともあり得る。ただ、そうした「人材の降伏点」は、決してその人が持つ資金だの時間だのといった、機械的なファクターだけで決まるのではない。

では、何で決まるのか。それは、その人の持つマインドセットであり、また、その人を支えて協力する周囲の態度やマインドセットでもある。その周囲がちゃんとしていれば、問題経験はむしろ、人を育てるのだ。

野口整体の創始者である野口晴哉氏は、「健康とは、風邪を引かないとか、病気にかからないことではない。健康とは、病気になってもちゃんと回復する力を身体がもっていることである」という意味のことを、たしか名著「風邪の効用」で書いていたと記憶する。この発言も、最初読んだときにはよく分からなかった。しかし、この頃、もしかしたら野口晴哉という人は、「健康」を、無病という静的な状態ではなく、「身体のレジリエンシー」という動的な感覚でとらえていたのかもしれないな、と思うようになった。

プロジェクトというのは、人間がやる営為である。プロジェクトには確かに、費用や時間や生産性など、計数管理できる・計数管理すべきテクニカルな尺度がいろいろある。そして計画し事前対策できる範囲が大きい。だが、それと同時に、問題が起きたときに乗りこえていく力、火が吹いても消火していく能力として、やる人たちの目的意識がそろっていること、感情がメンバー間で共感されていること、などの面も大きい。テクニカルとマインドセットは車の両輪である。どちらが欠けていても、人々が一緒にやる仕事はうまくいかない。

そして、日々の仕事から目を外に向けていくと、戦闘状態の続く西アジアでも、その他の地域でも、わたし達の社会はいろいろな問題によって挑戦を受けていることに気がつく。人々が争わず、お互いに事を荒立てずに暮らせれば、一番いい。しかし、たとえ一度は対立し火が噴いたとしても、それを短期間のうちに鎮火し、お互いに解決できる仕組みと能力を持つことの方が、ずっと現実的で重要だ。それはもちろん、兵器の数だとか予算だとかいった、テクニカルな尺度だけで測ることはできない。喧嘩をしても冷静に戻る能力、お互いの目標と感情を共感できる仕組み、が必要なのだ。

たとえトラブルに巻き込まれても、人間がそこから学んで成長できると期待し、信頼を置くこと。難しいことだが、こうした態度をつちかうことこそ、世界がひととき静かになるこの季節、平和のレジリエンシーを高めるために、わたし達一人ひとりに求められることではないだろうか。
by Tomoichi_Sato | 2015-12-20 13:59 | 考えるヒント | Comments(0)

ハラールとは何か、何ではないのか

結婚して間もない頃、米国の留学生寮に1年近くすんでいたことがある。主にアジア太平洋地域の各国から来た留学生や、米国の遠くの州から来た若者が一緒にすみ、キッチンは共同だった。独身者と、子どものいないカップルが10数組ずつ、キッチンをシェアする。お互い顔見知りになるから、ときどき招待し合って一緒に食事したり、あるいは学期試験の終わったころにはキッチン全員が持ち寄りパーティを開いたりする。そういうときには、近くの同じスーパーから食材を買ってきているはずなのに、ものすごくバラエティの大きな各国料理がそろい、楽しかった。

仲間の中には、パキスタンからきたイスラム教徒、インドやネパールのヒンズー教徒、タイやスリランカの上座部仏教徒もいる。だから、お互いの食物のルールなどにも気を遣いながら、一緒につくったり食べたりした。ヒンズー教徒の夫婦は厳格な菜食主義で、鰹節のだし汁も使えない。だから昆布でだしを取った。そのかわりお酒はOK。ところがパキスタン人の夫婦になると、ムスリムなのでお酒は御法度。それどころか、料理に使うみりん(英語ではSweetening wineになる)もダメ。日本料理は醤油+みりん(あるいは酒と砂糖)で甘辛に味付けするものが多い。だから味のバランスをとるにに苦心した。できあがったら、一緒にジュースで乾杯した。

ハラールという言葉が注目されるようになったのは、最近のことだ。イスラム教徒の許容する食事に関して、人々が関心を持つようになったのは、2020年の東京オリンピックで大勢の外国客を迎え入れる予定だからだろう。その際、観光業や飲食業は、なるべく多くのお客様を受け入れたい。そこでにわかに勉強しなくては、となった次第らしい。

念のために書いておくと、わたしはイスラム教徒ではない。だからHalal(ハラール)とは何かについて、書く資格は本当はない。ただ中東・イスラム諸国で多少仕事をし、またイスラム教徒の知人・友人も何人かいる者として、これまで学び、気をつけてきたことについて多少書いてみたい。

「ハラール・フード」という言葉に代表されるように、これはイスラムで認められる食べ物に関する、規則ないし規格だと思っている人は多い。しかし医薬品にも、化粧品にもハラールはある。人が経口ないし皮膚経由で何かを体内に取り込む時に、何が許されるかを判断する基準なのである。その基準になるのはイスラム法(シャリーア)であるが、元々そこに明文規定されていない物事もあるため、基準が必要になるのだ。

ハラールの基準について、今日一番厳密な規定を国家レベルで制定しているのは、中東諸国ではなく、東南アジアの国・マレーシアである。これは、華人が多くすむ地域なので、(あとで述べるように)禁忌とすべき豚肉などが広く流通し、生活圏の中でコンタミネーション(汚濁)の心配が高いからだ。逆に、中東諸国、たとえばサウジアラビアなどでは、そもそもハラールな食品しか原則として流通していない。だからあまり神経質な基準が必要とされなかった、という事情がある。

そのマレーシアの国家規格を読むと、ハラールについてかなり細かく規定しているが、大事な点は「何が許されるか」よりも「何が許されないか」だとわかる。禁止リスト方式なのだ。原則として天地万物は神の創造物であり、天然自然は許容されているが、その中に一部、注意して避けるべきものがある、という理屈になっているからだ。

その典型例が豚肉であり、あるいはその誘導品であるラードそのほかの食材である。しかし、禁じられているのは豚肉だけではない。犬の肉もそうだ。日本では犬を食べる習慣がほとんどないので、とくに心配の必要はないが、知っておいた方が良い。

ちなみに中東では、豚は軽蔑すべき動物だ(ま、たいていの国ではブタは侮蔑語である)が、ユダヤ教の昔から、野犬も軽蔑の対象だった。牧羊犬くらいはいたのじゃないかと思うが、聖書にも犬はあまりいいイメージでは出てこない。「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない」といった具合だ。

イスラム教で許されないもう一つの代表例が、酒・アルコールである。上にも述べたように、みりんの中に含まれる酒精分さえ避けるべきである。ただし、経口ではなく皮膚経由で吸収されるものは、許容される。化粧品の中にはアルコール成分を含むものもあるが、許されているのはこのためだ。「飲めば酔っ払う可能性のあるもの」を避けるのである。

ただ、だからといってハラールを「ノー・ピッグ、ノー・アルコール」という風に単純化して理解するのは、いささか問題があると思う。じつは、避けるべき禁忌には二種類ある。「汚物」だから避けるべきものと、「誘惑」だから遠ざけるべきものである。豚は汚物の典型だから、食べるべきではない。しかし、酒は人間を惑わせるから、遠ざけるべきなのだ。外国や、人の見ていないところで酒を飲むイスラム教徒は、じつは時々いる。だが、どこの国に旅しようと、豚は食べない。もしまちがって食べたら、(一種の汚物だから)生理的に気持ち悪いと感じるだろう。そういう風に、接する態度が異なるのである。

ちなみに「汚物」に相当するものをNajsとよぶ。豚や犬、その肉や派生品はNajsである。さらに、人や動物の糞尿・嘔吐物などもNajsになる。こうしたものは、食品に入っていてはならない(豚肉以外は、誰にも当たり前に思えることだろう)。

さらにいうと、牛や鳥など許容される家畜の肉であっても、アッラー(神)の名で正式に屠られたもののみがハラールである。「だから私たちは、ほんとはスーパーで売ってるこんな肉を食べちゃダメななのよ。」と、寮のキッチンでパキスタン人の女性は言っていた。ただそんな事を言っていたら、留学生は非イスラム地域では飢え死にしてしまう。だからまあ、妥協して食べているのである。

医薬品の中には、豚由来の酵素を利用しているものがいくつもある。こうした製品も、原則としてハラールではない。だから摂取すべきではないのだが、ただし、その薬に代わるものがなく、かつ命に関わる場合は、人命優先の観点から許されている。そういう点では、イスラム法というのはきわめて合理的かつ実際的にできている。なお、人工的に作られた化学物質は基本的にすべて、ハラールである。だから合成原薬からの医薬品は(アルコールを除いては)問題ない。

マレーシアの国家規格にも明確に定義しているように、Najsだけでなく、一般に不潔なものの混入はハラールの観点から許されない。そういう意味では、ハラール遵守は、エンジニアリングでいう清潔管理や、清汚動線の分離などに非常に近い概念である。また規格には「ハラール・マネジメント・システム」という言葉も登場するが、これは一般的な品質マネジメント・システムと非常に相似な仕組みである。

ハラールは現在、外国人観光客受入(インバウンド)の観点から議論されることが多い。だが、上に述べた点を考えると、ハラール対応はむしろ、日本企業が海外に製品やサービスを輸出する「アウトバウンド」のカギになるのではないだろうか? インドネシア、マレーシアをはじめ、中東諸国、そして中央アジアを含め、世界の新興地域に住むイスラム教徒の人口は3億人以上である。「ハラールな商品」は、この巨大なる未来市場に対して、参入する絶好の機会を与えてくれる。

なんといっても、日本製の製品の品質面での信頼感は非常に高い。とくに化粧品や医薬品は、日本が強い業界でもある。幸いにも、「正直であり、また精確であること」は、日本人が持つ優れた能力であり、他の諸国に比べれば、普通ははるかにまさっている。これはわたし達が父祖から受け継いだ大切な宝物であり、次の世代にも引き継がせるべきことだ。そこにハラールであるという付加価値がつけば、鬼に金棒というべきであろう。

ハラール認証の仕組みが世界的に少しずつできあがってきていることも、追い風だろう。認証は基本的に製品に対して与えられるものだが、製造プロセスや品質保証体制なども審査項目の一つである。製造過程で要求される清潔管理や動線管理などは、新興国の企業ではまだ難しいかもしれないが、まっとうな日本企業なら、ごく普通に実践していることだ。医薬品業界のGMPや食品業界のHACCPを思い出せばいい。工場のエンジニアリング面においては、いくつか注意すべき点があるので、イスラム地域の経験のある会社などに相談する方がいいだろう。ただ、いったんシステムを構築してしまえば、それを守って操業運転することはそう難しいことではない。「5S」が実践できている工場だったら、かけてもいいが、必ずできる。

ただし、ハラール認証は最終的には宗教機関から得なければならない。国家規格というのは、「認証の必要条件」を満たしていることを証明する、必要条件である。また現時点では、ある国で取得したハラール認証が、他国でも自動的に受け入れられるような、万国共通の相互認証制度はまだない。マレーシアが規格や認証に熱心なのは、自国をハラール商品の製造基地にして、中東イスラム圏への輸出ハブにしたいという国家戦略があるからだ。

繰り返すが、ハラールの基本は清潔管理である。ただ、何を禁忌とみなすかについて、我々の通念と少しだけ違っている。それだけのことだ。あまり特殊な要求だと思わない方がいい。

まあ、たしかに食物禁忌というのは理解しにくい。たとえば今日の我々は犬を食べないし、その習慣を広く持つ韓国や中国を侮蔑する人々もいる。だが、現実には、日本人は戦国時代まで犬を食べていたのである。ただ、五代将軍徳川綱吉が「生類憐れみの令」を発し、とくに犬を勝手に殺すことを厳禁したから、この風が廃れたのである。わたし達が今日、犬を食さないのは、「犬公方」とあだ名された一権力者のためだといってもいい。

ついでにいうと、わたし達が刺身で生の魚を食べる習慣は、もともと中国から入ってきた。ところが本家中国ではその後、風習が変わり、火を通さない食物は原則として食べなくなった。今日、生魚を食する日本人を内心バカにする中国人もいるが、彼らの父祖だって歴史的には刺身を中華風にアレンジして食べていたのだ。だから、食習慣を元にした他民族への侮蔑は、案外、近世的なことだとも言える。そうした弊風は、いずれ世界各国がより近づいて緊密になるにつれ、ゆっくりとではあるが無くなっていくはずである。

若いときに1年間、留学生寮で多くの文化・習慣に触れる機会を得られたことは、わたしにとって、とても幸運だった。おかげで、少なくとも、互いの風習に寛容であるという態度を、少しは身につけることができた。イスラムはたしかにわたし達からは縁遠い宗教だ。だが、他人の伝統や価値観を、分かりにくいからといって軽々しく詮索したり批判したりすべきではない。他人に向けた無思慮な刃は、結局自分に跳ね返ってくるのだ。そのことは、ひどく攻撃的で尊大な一部のイスラム原理主義者たちの姿が、鏡のように逆転して映し出している。

かつて戦国時代や幕末、明治時代に日本を訪れた外国人は、口々に日本人が誠実で礼儀正しいこと褒めたたえた。誰も日本人が、喧嘩早くて議論好きで尊大な人達だ、などと書いたものはいない。ならば私たちも、父祖の残した美点と伝統を守ろうではないか。

ハラールというのは「儲かるために」目指すべきことではない。それは、他者に対するリスペクト、尊重のためにすることである。わたし達が彼の地を訪れるときに、同様に尊重してもらいたいからでもある。そしてなにより、お互いへのリスペクトこそが、長続きするビジネスの前提条件だからである。


<関連エントリ>
 →「R先生との対話 — 受注ビジネスにおける顧客満足とは何か」 (2015-02-01)
by Tomoichi_Sato | 2015-12-03 23:19 | 考えるヒント | Comments(0)

“仕事が面白くない”症候群とたたかう三つの方法

まず、絵をちょっとご覧いただきたい。モネの傑作「日傘を差す女」(1891年)である。
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陽光の降り注ぐ戸外に、すっと立つ若い女性を下からのアングルで描いている。青空と白い雲をバックに、白いドレスと青いスカーフの立像。背景と人物に同系色を使いながら描き分けて、全体にちょっとドラマチックな階調を生み出している点が、この画家の手腕だ。顔はわざと表情を描いていないので、登場人物の内なる情念ではなく、ただ光と風の中に立つ喜びだけが、肌身の感覚として伝わってくる。

ところで、足元の草をよく見てほしい。もし手元の端末で拡大可能なら、画像を大きくして見てみるとよく分かるが、全体として夏草のように見えながら、個々には赤や水色や紫や緑など、ずいぶん原色に近い色彩が、まちまちな形に、ほとんど粗っぽい筆遣いで置かれているだけだ。そして彼女の来ているドレスも、よく近寄って見ると、本当の白地はほとんどなくて、赤や青やその中間色が多彩に塗られていることが分かる。

それでも、普通の距離を置いて絵の前に立つと、ちゃんと白いドレスを着た女が草原の上にいるように見える。クローズアップして見ると、バラバラな原色なのに、カメラを引くと、ある色調があらわれる。このことを、モネという画家は意識して描いている。

ここで話は(例によって)飛ぶ。あれは入社して何年後のことだったろう。まだわたしが中堅と呼ばれるようになる前、ほんの駆け出しだったころだ。部の忘年会で、今年のふり返りや来年の抱負などを、皆が順番にしゃべっていた。そこでわたしは、「来年はまた面白い仕事がしたい」と言ったのだ。面白い仕事。それは、2、3年に一度くらいはめぐってくるはずだ。わたしはその時、そう考えていた。前回の面白い仕事から、もうしばらくたつ。だから来年はまた面白い仕事に巡りあいたいと願ったのだ。

前回の面白い仕事とは何か。それは、病院の患者数予測システムを作る仕事だった。わたしの勤務先は主にプラントや工場を作る仕事だが、病院とか研究所とかいった技術的に複雑な建物も作っている。病院を建てたときの来院患者数の予測は、計画と設計の基礎だ。そこで入手可能なデータの分析を行って 予測モデルをつくるのがわたしの仕事だった。別に医療は専門でも何でもないが、そこは素人の蛮勇、なんとか現実データを説明できるモデルを見いだした。そして地図情報システム(当時はまだホスト・コンピュータに高価なグラフィック端末をつないで表示した)の上で、地域の人口分布をメッシュに切り、交通工学の手法で移動時間を算出して、来院数を計算するシステムを開発したのだ。

その仕事は幸い、ある東北の小さな新設病院の仕事に結実したし、それ以降、わたしの勤務先が顧客を開拓するツールになった。これはちょっとした、わたしの誇りだった。たしかに途中はかなり労力も使い、数値のモデル化に迷いもして大変だったが、最終的には「面白い仕事」に感じられたのだ。

しかし、面白い仕事がしたい、と考えることは、現在の仕事はつまらないと思っていたことの裏返しだ。いや、その時、自分が「今の仕事は面白くないな」と意識してはいなかったかもしれない。だが、忘年会の席上で、ふとそうした感情が泡のように浮かび上がってきたのだろう。普段は意識下に押さえ込んでいたはずなのに。

さて。話は、再度飛ぶ(す、すまない・・)。

今月初めのことだが、PMAJのシンポジウムで、慶応大学大学院システムデザインマネジメント(SDM)学科の専攻長である前野隆司教授の講演を聴いた。教授は元々キヤノンのロボット技術者で、後にアカデミアの世界に転じた方だ。昔、脳科学と認知をテーマとした本を1冊読んだことがあった。結論は必ずしも納得できないが面白い考え方の本だった。しかし、講演によると、前野教授はロボティクスの研究から始まって、しだいに認知論や脳科学に範囲を広げ、イノベーション方法論を経て、さらに最近は「幸福学」の研究もされている、といい、著書も紹介された(幸せのメカニズム 実践・幸福学入門 (講談社現代新書))。

人間の幸福感情については、心理学を中心にこれまで多くの研究が積み重ねられてきた。その知見から、物・金・地位による幸福感は、たいして長続きしないことが分かっている。金や地位を得れば、一瞬は幸せになるが、やがてすぐにもっと欲しくなって飢餓感が生まれてくるのだ。前野教授は長続きする幸福の事例をいろいろと分析し、「成長・自己実現」「人とのつながり・利他」などの4つのカテゴリーからなることを見いだしたという。

非常に面白い見方だ。とくに、人間が幸福感を感じるメカニズムを解明し、それを最大化できるような社会システムや組織デザインを考えようという工学的アプローチは、わかりやすい。

しかし、家に帰って反芻し考えるにつれ、また少しずつ分からなくなってきた。そもそも感情というのは移ろいやすい。今、恋人と一緒で幸福でも、離れたらすぐ孤独や猜疑心にさいなまれる。そして会えばまた幸せになる・・そんなものではないか。だとすると「幸福である」とは、どの瞬間に測ったものなのか?

人間の感情は重層的だ。「面白い」とか「うれしい」とか「やりがいがある」という感情は、個別の局面ではすぐに阻害されやすい。たとえば上に述べた、わたしの最初の本格的な仕事は、実際には大変な作業も多かった。患者数の予測など、本当にできるかどうか、誰にも保証はない。山ほどのデータを解析するのに、(今では信じられないだろうが)ホスト・コンピュータでいちいちプログラムを書くしかなかった。当時はPCなどというしゃれたものはなかったし、そもそもExcelというソフトの誕生以前の話だ。

終わってみて、それなりに無事成功したから、ふりかえって「あの仕事は面白かった」と思う。それは、多少の距離を置いたから言えることだ。そのさなかにいる時は、面白いと感じる瞬間は少ない。だとすると、「面白い仕事」であっても、実際には数%の面白さと、90数%の徒労感のまじった、まだら模様の時間ではないか。結果が失敗したら、その数%の時間だって記憶の前面から消えてしまうかもしれないのだ。

しかも、こまったことに「面白い仕事」とは、失敗するかもしれない仕事でもあるのだ。なぜなら、そこにチャレンジの要素があるからこそ、自分の成長につながり、やりがいやおもしろさを感じるのだ。結果が見えてしまうような、何のリスクもない仕事は「つまらない仕事」でもある。

だからといって、仕事に対する感情は、かりそめのものに過ぎない、などと言うつもりはない。感情は、わたし達の時間を豊かにし、人間に生きる価値を与える一つの源泉である。そのことは、事故などで感情機能を喪失した人の症例を見ればわかる。働く者の感情を無視して、ただ命令と統制だけで動かそうとする組織は、必ず長期的にパフォーマンスが落ちていく。「仕事は会社として必要なんだから、面白い・面白くないなどと言わずに働け」と上司が命じたら−−そんな感情を押し殺したような灰色の続くシステムに、誰も長く耐えられるわけはない。

それでは、どう考えたらいいのか。わたし達は、仕事に対する感情に、どう向き合ったらいいのか? 

そこで、冒頭のモネの絵を思い出してほしい。足元の草も、ドレスの色も、じつは単色ではなかった。ローカルには赤や青などの原色が置かれながら、全体としては、ある形と光の階調が生み出される。モネはこれを、「網膜上での混合」と呼んだ。当時すでに、白い光は異なる色の混合であることは知られていた。しかしパレット上で色絵の具を混ぜ合わせても、鈍い灰色になるだけだ。逆に原色を斑点のように置くことで、見る者の眼の中で、あるいは脳内で、光が感じられるようになる。モネの発明したこの技法が、印象派の「明るさ」を生み出したのだった。

この一筆ごとの原色を、その時点その時点での自分の感情だと思ってみてほしい。個別には喜怒哀楽の、いろいろな感情がある。だが、全体の中でそれがうまく位置づけられ、形と意味を持てれば、より高次な「面白さ」を感じられるようになる。人間の感情は認知によって方向が与えられ、形が作られていく。こういう意味で、人間の感情は重層的なのだ。ただし、そのためには、いったん「目を遠ざけて」見る努力が必要になる。

わたしは以前、古代の異国に生きた一人の女性についてふれて、「幸せであることと、価値があることとは、すこし違う」と述べた(「クリスマス・メッセージ:幸せな人」2014-12-23 )。動乱と困難の時期を生きた女性が、自分の人生を不幸だと感じなかったとしたら、それはなぜなのか。幸せであることは大切だが、自分のしていることに価値があると思う方が、もっと大切だと。

そこで、わたしは自分への自戒も込めて、こんな風に考える。仕事に対する感情を、よりポジティブに保つためには、三つのことをすべきだと:

第一に、自分の感情に気づいて向き合うこと。自分の感情を押し殺したり否定してはいけない。つまり、感情をバカにしてはいけないということだ。そうすれば、退屈や嫌悪を含めて、個別にはいろいろな感情を自分が持っていることを知るだろう。自分の感情を対象化し言語化できれば、人はその感情に対処しやすくなる。これほどつまらないのはなぜだ。どうしたら面白く、あるいはせめて楽になるのか。そういう工夫の余地が生まれる。感情を言語化できないうちは、人はその感情に支配されて奴隷状態になりやすい。それは議論の場などで、けっこう怒っているくせに、自分は論理で話しているだけだと思い込んでいる人を見れば、よくわかる。

二番目に、少し離れた視点から、現在の仕事の意味や価値を考えること。これは、なかなか難しいことだが。仕事の渦中にいると、どうしても離れがたくなる。その時には、自分の信頼できる先輩なり上司なり、あるいは家族友人でもいいが、そういう人たちと話してみるのがいい。すると、自分で気づかなかった仕事の全体像や、意義に気がつくこともある。むろん、そんな良い上司に恵まれないから、こんなに不幸なんだ、と思う人もいるだろう。ただ少しずつでも、億劫さを乗りこえて、話す努力を続けることは、決して無駄にはなるまい。

それでも誰とも話が通じず、壁に囲まれていると感じたらどうするか。そのときにおすすめしたい第三の方法がある。毎日、ありがたいと感じたことを日誌に3つずつ書くことだ。これを、3週間続ける。それだけである。わたしはこれを、ショーン・エイカーという人の「幸福と成功の意外な関係」 (TEDTalks) というエントリーで学んだ。あの震災の直後のことだったろうか。それ以来、毎日実行している。どんなつまらないことでもいい、必ず3つ書く。今日は昼食が美味しかった、iPodがシャッフルで好きな曲を続けて選んでくれた・・何でもいい。

この習慣は、わたしが自分の毎日を見る認知の仕方を、確実に変えてくれる。エイカーは、わたし達が「成功したら幸せになれる」と考えているのは逆で、幸せに感じることこそ成功の源である、という。そして、上記の簡単な習慣化で、脳の認知の仕方をかえることができると主張する。

これを知って以来、4年あまり実行してきて、成果はどうだったのか? 佐藤は少しでも楽天的になったのか? 自分では、それはよくわからない。ただ、苦虫をかみつぶしたような、近寄りづらい自分はやめて、せめて少しは「にこやかな自分」であろうと思うようになったのは事実だ。実現できたかどうかは、周囲の評価に任せよう。ただ、知性だけではなく、そういう感情面が大切だと考えるようになってきた。だからこんなあやしげなエントリを書いているのだろう。

理知的な働きのすごさを、人は「頭がいい」とよぶ。しかし、感情的な働きも伴ってこそ、はじめて「賢い」とよばれるのではないか。わたしは自分が成功したかどうかは知らない。ただ、少しでも「賢さ」に近づきたいと、願うようにはなったのだ。
by Tomoichi_Sato | 2015-09-30 12:36 | 考えるヒント | Comments(5)

忘れない、という行き方

ある日、あなたは福島県から来た企業家に会って、こんな話を聞く。
「震災から4年余りが経ったが、地域の復興はなかなか進まないばかりか、世間の人はもう忘れたがっているようにさえ見える。あなたは東大で環境の研究をしておられるそうだが、東北の環境浄化や自然エネルギー活用のための斬新な案をお持ちではないだろうか。もし良いアイデアがあれば、わたしも事業の傍ら応援したいし、資金獲得のお手伝いくらいはできると思う。」

あなたは「環境再生ないし自然エネルギー活用による、東北地域復興プロジェクト」の案を考えて提案することを約束した。
プロジェクトの総予算は3億円とする(ちなみに復興庁の今年度予算は3.9兆円で、「再生可能エネルギー」関連だけで計23億円ある)。また、必要に応じてクラウドファンディング(「セキュリテ被災地応援ファンド」等)でも公募できる。

・・これは、東大の大学院・新領域創成科学研究科でわたしが教えている「プロジェクトマネジメント特論」の、グループ最終課題として今年出題した問題である。受講する院生はほとんどが環境学系の所属のため、このようなテーマ設定にしてある。グループ編成は、5〜6名。班の中で、プロマネ・APM(アシスタントプロマネ)・チーフデザイナー・プロジェクトコントローラーなどの役割分担を決めて、約1ヶ月半で事業構想とプロジェクト計画を作る。発表は、8分間の動画ファイルを作り、それを皆の前で提示してもらう。

なお、これはプロジェクト・マネジメントの授業なので、事業コンセプト(概略イメージ)だけでなく、予算・期間を提示してもらう。プロジェクト計画は、以下の図表と説明を入れるよう義務づけている:
・ActivityリストとWBS構造図
・ネットワーク・スケジュールとガントチャート
・予算表 (自分たちの人件費は時間あたり2,000円。他の費用は「月刊積算資料」などを参考にする)

採点はわたしがするのではなく、出席者全員に採点表を渡して、他の班を採点してもらう仕組みにしている。内容の良さ、そしてプレゼンテーションの上手さ。両者の評点を集計して、総合評価を決める。プロジェクト・マネジメントは知識だけあってもしかたがないので、学期末のペーパーテストやレポート提出ではなく、グループ課題での発表にしているのだ。

今年の最終発表会で一位になったグループの案は、『阿武隈ダイヤモンド・ チャコールプロジェクト』というタイトルのものだった。プロジェクト実施の場所は福島県浜通地方にある川内村。この村は1960年代までは、豊かな森林資源を活かし、日本一の木炭生産量を誇っていた。しかしエネルギー革命で電気や石油が燃料の主役になってからは、住民は里山を捨て、原発産業などに従事するようになった 。そこに、東日本大震災である。現在の川内村は、仕事を失い、人が戻れない状況にある(村の東部は避難指示地域)。そこでこの班は、製炭業を復活させ川内村を再建するプロジェクトを提案する。

そのキーとなるのが、高品位な木炭(チャコール)という訳である。これを『阿武隈 ダイヤモンド・チャコール』と名付け、世界一のブランドを川内村から作る!という。この班は実際に教室に木炭を持参して、皆の前で簡単な実演をした。炭と炭を打ち合わせると、高級な木炭はカンカンという硬質な良い音がするのに対して、量販店で売っているBBQ用の安い炭はボソボソッという音しか出ないのだ。百見は一聞に如かず、である。単なる木炭にも、ずいぶんと品質ランクに差がある事が分かる。良い木炭は当然、用途も広いし単価も高い。

この班は製品の試作・分析から量産準備までをプロジェクトとしてとらえ、3億円の投資で、IRR=10%が可能であると試算した。経済性評価ではちゃんと感度分析をしている。またスケジュールも、クリティカル・パスを求めただけでなく、モンテカルロ・シミュレーションを実施して、工期の達成の幅まで検討している。まあ限られた期間内の院生の仕事だから、計画の精度は高くないが、プロジェクト計画のアプローチは、下手な上場企業よりもずっとしっかりしている。

2位になった班は、畜産廃棄物(家畜糞尿)からのバイオガス発電のプランを出してきた。売電による収益で畜産農家を支援するという案だ。プレゼンテーションは地味だったが、他の受講生からの評価はなかなか高い。きちんとPREET/CPMでスケジュールを作成し、コンティンジェンシー・リザーブ(予備費)によるリスク対策もみている。ほかにも面白い案がたくさんあったが、紹介しきれないので割愛しよう。

こうしたプロジェクト・プラン立案のグループ演習を課すのは、班で共同作業すること自体がちょっとした「プロジェクト体験」にもなるからだ。そのためには、アイデアが宙で空回りしないよう、予算規模の制約をつけるとともに、地に足がついた具体的な地域性が必要になる。だから福島県を選んだのだ。

いま、なぜ福島県か。それはもちろん、「忘れないため」でもある。

課題発表会の直前、わたし自身も東北を旅行した。震災から4年後の現在、現地がどうなっているのかを、少しでも見ておきたいと思ったのだ。最初に福島県の郡山に入り、それから二本松、土湯温泉、さらに飯館村を通って福島県の浜通地方に出る。そして国道8号線沿いに、被害の最もひどかった太平洋岸の浜通地域を通る。このときはボランティアのバスに同乗させてもらい、カリタス原町センターのスタッフの方に案内していただいた。そのあと、岩手に抜け、最後に宮城県の涌谷町・仙台市を通って帰ってきた。

浜通地方の原発事故被害にあった地域は、今もまだ多くが避難指示区域で、立入り制限ないし居住制限下にある。居住の制限された区域は、昼間のみ、地域に入れる。実際、多くの除染作業従事者が入って働いており、除去した表土などは黒いビニール袋(通称「トン袋」)に詰めて、空き地などに並べている。わたしたちの乗ったバスは国道8号線を走ったが、「帰還困難地域」に入ると、道の両側に鉄のバリケードが並ぶ。国道からそれて、中に立ち入れないよう制限しているのである。山野も町も、道の両側の建物も、ほぼそのままの姿で残っている。青葉は陽光に輝いている。だが、住む人がいないのだ。この異様さは、実際に走ってみないと分からない。制限区域をすぎて、南相馬市の人の暮らす地域に入ると、なんだかほっとする。人がいることが、こんなにも安心するものなのか、と思う。

福島県ではあちこちに、空間線量計が立っている。二本松市の幼稚園の庭に立っているのを見たときは、なんともいえぬ困惑を感じた。幼稚園の庭には砂場があるのだが、鶏小屋のような屋根とプラスチックの囲いがつけられている。子ども達はどうしても砂遊びがしたい。砂はもちろん新しいものに入れ替えてあるが、周囲を取り囲む山野は除染ができない。だから、砂が風雨にあたらないようにつけてあるのだ。線量についていえば、わたし達の通った国道8号線で最も高い場所は、8μSv/hr以上あった。一応参考までにいうと、従来の放射線管理区域の目安は、約0.5 μSv/hrである。周知の通り、放射線の健康影響にはいろいろな議論がある。だが、8μSv/hrとなると、率直なところあまり無用な長居をしたい気分になる場所ではない。

写真を2枚だけあげよう。上は、常磐線富岡駅前の光景だ。4年前の津波にえぐられたままの商店街の建物が、今も手つかずで残っている。ここらはまだ除染作業も進んでいないため、撤去修復にも戻れないのだ。下の写真は、南相馬市の常磐線小高駅の自転車置き場である。4年前の3月11日の朝、通勤・通学の人達はここに自転車を駐輪して、常磐線に乗っていった。そしてそのまま、誰も取りに戻れずに日々が過ぎたのだ(かりに帰還しても、自転車は汚染している可能性が高いから引き取れないだろう)。列車もその日以来、動いていない。ここではまだ、時間が全く止まってしまっている。
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郡山市では、「ふくしま心のケアセンター」所長で、精神科医の昼田源四郎先生にお目にかかった。昼田先生とお会いするのは2年ぶりである。震災後、岩手・宮城・福島の3県にそれぞれ「心のケアセンター」組織が立ち上がった。昼田先生は福島大学を退任されたあとすぐ、所長として臨床心理士などの職種のスタッフを集めて組織されてきた。しかし震災後3年経ち、4年経っても、まだ相談件数は目に見えて減っていない。そればかりか、「ハサミ状格差」「支援疲れ」などの具体的な事例をあげて、まだ困難が続いている事を語られた。

こうした心のケアセンター組織は、阪神淡路大震災以来の教訓として作られたものである。昼田先生によると、阪神・中越大地震のいずれのケースも、心のケアセンターは約10年で役割を終えたという。そして、岩手県や宮城県も、おそらく10年程度で完了できる。しかし福島県の場合は、自分の見たところ30年か40年かかるのではないか、と言われた。長年、精神科の臨床に携わってこられた専門家の洞察とはいえ、まるきり一世代分の時間である。福島の問題の難しさが浮き彫りになっているといえるだろう。

このような困難を抱える地域に対して、わたしが復興のために何かとびきりの名案を持っている訳ではない。たぶん、誰にもないだろう。学生達の示した案もまた、かりにフィージブルだとしても、福島県全体を救える訳ではなく、広大な東北地方から見れば「点」のようなものである。

しかし、小さな点と点をつないで、少しずつ状況を改善し続けるしか、道はないのだとわたしは思う。だから昼田先生は30年かかるといわれたのだろう。

ただ、有用な策を考えるためには、現実がどうだったのか、そして現在どうなっているかを知る必要がある。ところで震災後4年もたったのに、あの東日本大震災は何だったのか、その被害状況はどうだったのか、具体的な全体像を多面的・客観的にまとめた書籍や研究は、いまだに決定版がほとんど見当たらない。たしかに、途方もなく大きな事象ではあった。だが、個別の専門家達による、群盲象をなでるかのような分析やレポートはあるが、全体像が分からない。全体像が分からないと、どこから優先して解決に手をつけるべきかも見えないことになる。ポートフォリオ・マネジメントもなく、プログラム・マネジメントもなく、ただ個別のプロジェクトが動いているきりなのだ。

どうやらわたし達の社会は、大きな出来事を、カメラを引いて全体を冷静に認識・理解する能力が、欠けているのではないか? わたしの中で、そんな疑問が大きくなってきた。リスク・マネジメントの語は、震災前後から流行語になった。しかし、リスク・マネジメントの中核にあるのは、「学ぶ能力」である。自分たちの過去の経験を直視し、教訓を学び取る能力。自然災害はいつでも起きうるし、人為ミスの災害も完全には防ぎ得ない。である以上、わたし達は、痛い思いをした経験に学んで、少しずつ賢くなるしかないのだ。その賢さを、次の世代に伝えなければならない。

もちろん経験の中には、あまりに傷が大きすぎて、思い出すことさえ苦痛であるような記憶もあるだろう。だからといって当事者が、それを忘れられる訳でもない。そうした記憶は、おそらく他の多くの人が共有することでしか、薄めることができないのだろう。深く傷ついた人びとは、周囲が支えなければならない。他者がかわりに記憶することで、たぶん当事者は心にふたをしていけるのだ。

福島の人達が、「忘れないでください」と言い続けているのは、そういう意味なのだと思う。わたし達は、忘れやすい。過去は水に流して、未来志向に生きていく方が、ポジティブでカッコいい。だが、マネジメントを学生達に教えている以上、忘れない工夫と技術も、わたし達には必要なのだ。


<関連エントリ>
 →「まだ何ひとつ終わっていない」 (2013-09-16)
by Tomoichi_Sato | 2015-08-13 23:10 | 考えるヒント | Comments(0)

好き嫌いということ(を論じて、知的理解の枠組みに至る)

わたしは残念ながらモーツァルトが嫌いだ。ファンの人には申し訳ないけど、めったに楽しく聴けない。自分はまあ比較的、クラシック音楽を聴く方の部類だと思う。聴き始めたのは十代の頃からだが、その頃は一応素直な人間だったので、先輩先人の教えに従い、偉大なる天才作曲家モーツァルトもいろいろ聴いてみた。

だが2、3年ほど経ったのち、いつまで聴いてもちっとも楽しくないことに気がついた。気づくならもっとサッサと気がつけばいいのに、そんなにかかるのが、わたしの鈍感なところなである。あるいは、伝統的な教導の強さと言うべきかもしれない。ただし、わたしは心の広く公平な人間であるから(笑)、モーツァルトにもたまには良い曲があることは認めてよう。たとえば晩年のクラリネット協奏曲とか、同じ楽器だがクラリネット五重奏曲は素晴らしいし、あるいは音楽劇「魔笛」などにも良い部分がある。

ともあれ、自分の好みに気がついて以降は、彼の音楽を聴くのを避けるようになった。音楽好きの知人とも、モーツァルトの話はしない。好き嫌いのことでケンカしても仕方ないからだ。それは、こんな風になる。

「佐藤さんは、どうしてモーツァルトが嫌いなの?」
--彼の音楽は、なんだか内容のないツマラナイお喋りを、耳元で延々と続けられるような気がするんです。
「なんてことを。楽しい音楽が嫌いなの?」
--ぼくにはちっとも楽しくないです。
「あんなに純粋で、天上的な美しさにあふれているのに! それに旋律がきれいでしょう?」
--旋律の美しい作曲家は他にもたくさんいますよ。彼の旋律は息が短い。それに、カンタービレが決定的に欠けていると思いませんか。
「そうかなあ。純正で調和がとれているし、その上にウィーン的な洒落っ気もある。」
--ウィーン古典派ならハイドンの方が好みです。それにオシャレって言うけど、あの半音階的でおしゃまな装飾はカンベンしてほしいです。
「あれがいいんじゃない。 趣味の分からない人!」

という訳で、平行線である。どうして平行線になるかというと、こちらは好き嫌いをいっているのに、相手は良し悪しの同意を求めているからだ。

音楽や美術にとって、何が「良い作品」であるかを言うのは簡単ではない。その問いのために、美学という学問の全体系があるといってもいい。それでも、ごく大雑把にまとめてしまうと、「より多くの人々、より長期の時代に、鑑賞に堪える」ことと関係する。シェークスピアだってJ・S・バッハだって、死後は何十年も忘れ去られていた。それでも復活して、今は広く好まれ、典範として仰がれてている。秀れた点が多いからだ。

「じゃあ、どうしてモーツァルトが嫌いなのか? 良い作曲家だと皆が認めているじゃないか。」--だから、好き嫌いは理屈ではないのだ。わたしが鴨肉は好きだがネギは嫌いだというとき(事実だ)、それを十分に言語化して伝える方策はない。理屈をつけて説明しようと努力することはできる。だが、完全には説明できない。その証拠に、相手は納得しない。事実は(たとえば「2015年5月3日は東京は晴天だった」というなら)他人は同意できる。だが、5月3日は気持ちいい日だったというなら、それは感受性の問題で、説得力が薄い。

好き嫌いと良し悪しは別である。良否は議論可能だが、愛や嫌悪は説得も押し付けもできない。それは個人単位の感覚だからだ。こんな当ったり前の事を今さら書いているのは、この「当たり前」が学校で教育されていないばかりか、社会で共有もされず、ときには蹂躙されているように、思えるからである。

姫野カオルコ氏はエッセイに、タレント誰某はハンサムだと思う、と人にいうと、「えっ、あの人が好きなの?」と聞かれてこまると、たしか書いていた。美醜の判断=好き嫌い、と直結している人が多いからだ。モーツァルトのファンと話をしたくないのも、そのためである。わたしが嫌いだと言うと、たまに怒りだす人がいる。作品の出来がひどいと言ってる、と誤解するためだ。短絡的なのである(全員ではない。たまに、である)

逆に言うと、短絡的でない人、心の広い人とは、「自分の好き嫌いとは別に、相手の良い点を認める度量」のある人だ。公平な人、といってもいい。たとえ自分が嫌っている、いや戦っている相手であっても、秀れた点は認めらる人は、器量が大きい。自分の感覚や感情をいったんカッコに入れて保留し、他の見方もあると受け止める能力。

図に書く方が分かりやすいかもしれない。横軸に、自分の好き嫌いをとる。縦軸に、良い・まずいの判断をとる。そして、いろいろな作品や対象や事柄について、その人の好き嫌い感覚と判断結果をプロットしてみる。散布図である。短絡的な人々は、「好き嫌い=良し悪し」だから、すべての点が斜め45度の直線状に並ぶ(図左)。判断は手軽で、効率もいい。だが度量が広がるにつれて、両者はあまり相関しなくなり、しだいに点はばらつくようになるだろう(図右)。両者が全く無相関な人は、さすがにいないと思うが、点の広がりが、見る目の公正さを示している。自分の主観をいったん離れて、物事を客観的に見る能力を示している。
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好き嫌い=良し悪し、という態度は、とても無邪気でいい。だが、人が無邪気であって良いのは、15歳までだ。15を過ぎたら、人を動かす必要が出てくる。あるいは、その前に、他人が自分を動かそうとするのを、やり過ごしたり押し返したりする必要が出てくるだろう。そのとき、コミュニケーションのスキルとともに、客観性・公平さの能力が大事になる。

人を動かそうとするときの論拠は、事実・ルール・価値などである。「日曜から開店だよ」は事実。「下校時にゲームセンターなんか寄っちゃいけない」がルール。「学生の本分は勉強だろ」が価値観。そして反論の難しいのも、この順である。「だって、好きなんだもん」では自分の好き嫌いをいっているだけで、反論にならない。好き嫌いは人によって違う、のが大人の常識だからである。

個人差を超えた共通性の高さが、論拠の強さを示す。だから「事実」の説明力が最強で、「ルール」がそれに続くのだ。である以上、自分がなんとか他者と対抗する武器にできるのは、価値しかない。価値観には、多少のゆらぎがあるからだ。「よく学び、よく遊べ、って言うじゃない。人間には瞬間的な決断力が必要なんでしょう? ゲームは判断力を育てるんだよ。」

人間の心は、一種の同心円構造になっている。中心には、単純で原始的な、快・不快の感覚がある。これを囲むように、好き・嫌いがある(ここらへんは脳の中の扁桃体が決めているらしい)。非常に個人差の大きい領域である。勝ち負けや、損得、敵味方の感覚も、この愛憎に密着している。その周縁には、より複雑な感情がある。そして、感情を内部にくるむように、知的な働きがあるのだ。客観的な認知や、自己の好き嫌いへの反省は、知的な機能である。ものごとを、自分の好き・嫌い、愛憎の面だけでなく、少し異なる善し悪しの面からとらえ直す能力だ。そして言うまでもないが、言語というのはこの知的な働きの上に成り立っている。

短絡的な人は、たとえば批評とか分析といったことが理解できない。批評とは褒めるか・けなすか、どちらかの行為だと思っている。中学生がラジオを聞いたら、番組のDJが自分の好きなミュージシャンを批評していた。あいつはほめなかった、けなしたといって、いきり立つ。これが短絡である。

批評とは、より深い理解を得るための、補助線のようなものだ。対象を他と比較し、あるいは過去と比較し、良い点はこれこれで、まずい点はこれこれだ、その理由はこうだろうと推定する。これが優れた批評だ。優れた批評は、複眼的である。だが、わたしたちの社会では、中等教育で「自分の好き嫌いをいったん脇に置いて、対象を理解し評価する」という作業をあまり訓練しない。その結果、いつまでも中学生みたいに短絡的な大人が大勢、世に出てしまう。そういう人たちがビジネスを動かすようになると、ひどく単純で短絡的な論理ばかりが世の中にはびこることになる。これはなんとか防ぐべきではないか。

ダイバーシティというカタカナ言葉が、ビジネスの世界で流行っている。多様性を意味し、性別とか人種国籍とか年齢など従業員構成にバラエティを拡げるのが「良い」ことだとのニュアンスで使われる。ビジネス界は不思議なところで、「違法行為はいけない」と言うかわりにコンプライアンスなる言葉を使い、「あるべき姿を目指そう」と言うかわりにリスク・マネジメントなどと言いたがる。まともで通じやすい日本語は恥ずかしいから避けて、カタカナを使うのである。ダイバーシティはだから、「男女や肌の色での差別は良くない」と口にしないで済むように広まったのだろう。そう、推論したくなる。

それはともあれ、ダイバーシティ=多様性はもちろん、公正さの証である。ただし、多様性はそれ以上の積極的な意味を持つ。創造とは異種のものの組み合わせから生じる事を思い出してほしい。単一化した人間集団からは、新しい発想は生まれない。それに多様性はコミュニケーション能力を、否応なしに高める。すべてが阿吽の呼吸で通じる社会には、良質なコミュニケーターは育ちにくいからだ。

そして最後に、多様性の増大は、われわれの物事に対する知的な理解のベースを強めるだろう。たかが音楽談義なら「モーツァルトが嫌いなんて、変わり者ね」で済ませていい。だがことが複雑化した世界の行方に関わることなら、なるべく多面的な見方を持つことが必要なのだから。
by Tomoichi_Sato | 2015-05-04 23:51 | 考えるヒント | Comments(0)

ロボットとして生きないために

フィリップ・K・ディックのSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(1968年)は、映画「ブレードランナー」の原作にもなった名作だ。小説の舞台は『最終世界大戦』後の、人間以外の生物がすべて稀少となった2020年の地球(あとたった5年だ)。主人公リックは、逃亡したアンドロイドを破壊してお金を稼ぐ、賞金稼ぎである。この時代、人間はアンドロイドを使役しながら、なんとか社会を維持している。アンドロイドは機械製だが、人間そっくりの外観と、知性、そして意思までを持つ。ただ一つ違うのは、アンドロイドには感情が全く無い点だった。主人公リックは、火星から逃亡してきた6人のアンドロイドを見つけて破壊し、賞金を得ようとする。彼はその賞金で、本物の生きた羊を買うのが夢なのだ。生物が稀少なこの地球では、ふつうはロボットの動物しか飼うことができないからだった・・。

この小説の妙味は、アンドロイドを識別するのに、『感情の有無』しか主要な手がかりが無い事だ。物語の中で、主人公はしだいに協力者や取引相手が、本物の人間であるかを疑いはじめる。この小説にはさらに「感情オルガン」という機械もでてくる。ダイヤルをあわせれば、自分の心理的ムードを明るくも暗くもかえられるのである。だがそれは結局、人間が他人に持つ共感力を減じていく。だから次第に、主人公自身も、自分が本当に人間なのかアンドロイドなのか、自信がなくなってくる。彼が本物の羊を所有する夢にこだわるのは、命を持つ生き物に対する愛着こそ、人間をアンドロイドの領域から区別する、最後の砦だからだ。

アメリカのSFは、奇妙でねじくれた架空の世界を、確固とした意思を持つ主人公が戦い抜く、という物語が多い(「スター・ウォーズ」がいい例だ)。客観的でリアルな世界像と、強固な自我。そして主人公を助け、あるいは敵対する、組織とシステム。これがアメリカ人の好むストーリーなのだろう。だが、P・K・ディックは、そもそも自分を取り巻く世界が、はたして本当の現実なのか、誰かの主観の外延なのか分からず、混沌状態に陥る話をよく書く。その中で、自分の信じる価値や善悪や感情も、はたして本当に自分のものなのか、定かでなくなるような話を。だから彼の小説は、決して単純な勧善懲悪にならない。

わたし達を取り巻く社会は、とてもがっちりとしたシステムとして、できあがっている。就活では、「自分はどういう仕事をしたいか、何になりたいか」ではなく、「たくさんある企業のどこを選ぶか(どこが選んでくれるか)」という形の問いしか、今は存在しない。わたしが社会人になったのはもう、はるか昔だが、その頃すでに「自分で仕事をつくり出す」ではなく「できあがった仕組みのどれを選ぶか(選ばれるか)」になっていた。社会は自分の外側に厳然と存在していた。学生アントルプルナー(起業家)は今も昔も、ごく少数だ。大半は組織の中に組み込まれ、競争して生きるわけだ。「どうせ歯車になるのなら、せめてギザギザな歯車になってやろうぜ」という広告が流れたのは、いつ頃だったろうか。

このサイトは『計画とマネジメントのための技術ノート』である。マネジメントという視点から言うと、組織の仕組みやシステムというものは、(繰り返し書いていることだが)誰が担当してもまあまあの及第点がとれるように、仕事の手順ややり方、インプットやアウトプットを設計していくのが、望ましい。もちろん、能力のある人にぱっと任せてしまう方が楽だし、効率的なのは確かだ。だが仕事のあちこちが属人的で、誰か特定の人がいないと定常業務も先に進まないようでは、システムとしての頑健性がおちる。だから、多少余計な手がかかっても、仕事をマニュアル化し、主観的な部分を排除していくように、システムは「進化」していく。ルールが規定され、ルール集は次第に分厚くなっていく。

だが、そのような十分に発達した組織のシステムは、その中にいる人間を交換可能な「部品」として扱うようになる。命じたことだけやればいい存在としてしか、見なくなる。古風な言葉を使えば、『人間疎外』が起きるわけだ。部品化された人間の側は、「言われたことだけやってりゃいいんだろ」という雰囲気になる。少なくとも、そんな組織の中から、自発的で斬新なアイデアやイノベーションなど、生まれようがない。ロボットに創造性など、要求されないからだ。

ここで、経営学の用語を一つだけ勉強しよう。「X理論とY理論」だ(あ、二つの単語だった)。D・マグレガーという米国の経営学者が、1950年代に提唱した用語で、世の中のマネージャー達が抱いている漠然とした仮説・思い込みを、二つの類型に分けて、それぞれに「X理論」「Y理論」と名付けた。

「X理論」では、労働者は基本的に怠け者だ、と考える。だからアメと鞭、報酬と罰則でしばらないと働かない。また、平均的な人間は命令されることを好み、自己責任を回避することを望んでいる。したがって、組織はルールと規律、命令と統制(Command & Control)で動かす必要がある。逸脱したら罰するか追放(失業)で脅す。人を働かせるためには脅し続けること。これがX理論だ。

「Y理論」は対照的である。人は生まれつき労働が嫌いなわけではない。それがもし自己実現に結びつくなら、自発的に働き、自分で責任を引き受ける。そして目標へのコミットメントと努力を惜しまないだろう。だから組織の目標と個人の目標の統合(Integration)が必要である、と考える。そしてマグレガーは、伝統的に信じられてきたX理論よりも、新しいY理論の方がよいと考えた。彼が活躍したのは、米国の経営学がモチベーション理論に熱中しだした時期でもあった。

さきほど説明したように、組織のシステムが進化すると、機能分化が進み、しだいに構成員を命令と統制で動かすようになっていく。つまり、企業が成功し大きくなっていくと、必然的にX理論がはびこるようになってしまう。それは、空前の発展と成長期にあったアメリカ経済界の姿でもあったろう。だがその成長の中には、必然的に従業員をロボット扱いにする疎外と空洞化がひそかに広がっていく。それを、目標管理で乗り越えようとしたのが当時の主流派経営学の思想であった。この目標管理は、やがて『成果主義』人事制度につながっていく。

ところで日本ではよく、X理論とY理論を、「性悪説」と「性善説」にたとえて説明される。わたしも最初に学んだとき、講師からそう聞いた。東洋では二千年も前から知っていたことを、アメリカ人は20世紀の半ばになってやっと気づいた、とも。だが、ずっと後になって、その説明は間違っていたことに気がついた。少なくとも、部分的にしか正しくない。X理論は、単純な性悪説ではないのだ。

X理論は、たしかに労働者は強制しないと働かない存在だと考える。監視しなければ怠けたり盗んだりする、性悪だと。こうした労働者間には、かつて黒人奴隷を使ってプランテーションを経営していた頃の米国の価値観さえ、うっすらと感じさせる。だがX理論には例外があるのだ。東洋の性悪説は、「すべての人間は性悪だ」と信じる。一方、西洋のX理論では、労働者を使う側、マネージする側については何も言わないのである。むしろ組織を動かし、システムを考える側の人々の追求するものは、善であると考えている風情さえある。それを総称して『リーダーシップ』と呼ぶ。

もし自分に強い意志があり、できあがった社会の中で勝利を得たければ、部品として使われる側ではなく、リーダーの側になりなさい。それがロボットとして生きないための唯一の道だ。−−これが、上記の思想が導く結論である。そして、有象無象の群衆の中から抜け出してリーダーになるための学校として、ビジネス・スクールがある。そこでは、生まれついて優秀なものだけがリーダーになる資格がある、と教えられる・・

あなたは、この思想に賛成だろうか。

わたしがひとつだけ言えるのは、こうした考え方と、日本人の伝統的な感受性とは、どこかで決定的に食い違うということだ。日本文化は情緒的なものを重んじる文化で、その性格は良かれあしかれ、この社会で育った者に深く刻み込まれている。大多数の人間がロボットのように感情の乏しい生活を送り、せいぜい享楽的なショッピングか賭博か宗教に救いを求める日々、といった状況は耐えがたいに違いない。たとえ経済全体がいかに裕福であろうとも。

そこで、スーパーエリートでも業界リーダーでもないわたし達は、どう考えるか。ロボットとして生きないために、いいかえれば、「あきらめて生きないために」どうしたらいいのか。世界はもう、できあがっている。すべての組織が明日からY理論に変わってくれるなど、望み薄だ。多くはX理論で動いているくせに、成果主義だけは強制されている・・。

ここで鍵となるのは、問題の立て方だろう。すなわち、「存在し出来あがっている社会と、意思を持つ個人との対峙」という問題の立て方自体が、ずれていなかったか。そうした問題では、支配する側に立つか、支配される側に立つか、二つに一つだ、との答えしか出てこない。

わたし個人の経験を考える。わたしはずっと、プロジェクトばかり仕事にしてきた人間だ。成功したものも、失敗したものも、楽だったのも辛かったのもある。だが、自分のキャリアの変曲点、自分にとって勉強になった、成長したなと感じられたプロジェクトでは、必ず他者の協力と助けがあった。プロジェクトは自分一人でやるものではないからだ。たとえプロマネの地位にあっても、単にチーム・メンバーを命令し統制しただけではなかった。設計に悩んだとき、問題が生じたときに、良い知恵を出してくれたり、心理的に助けてくれた仲間があったのだ。プロジェクトとは、複数の人間が協力しながら共に成長するための枠組みなのである。そしてプロジェクトとは、毎回毎回が、ユニークな存在であり、チャレンジである。

だから、出来上がった社会と個人、という問題ではなく、変わりうる社会と自分たち、という見方が必要なのだ。あたりまえだが、 周囲の人が変わらない限り、自分の境遇や感情が変わるわけがない。ユーザーや顧客を変えない限り、自分たちの仕事が好転するわけがない。では、世界を変えるために一番確実で、早い方法は何か。それは自分が変わることなのだ。だが、おかしなことに、人は自分自身だけで変えることができない(それができるくらいなら、古今東西、宗教なんていらない)。自分が変わるためには、人の手助けが必要なのだ。だからこそ、誰とつながるか、が大切になってくる。

そしてもう一つ。自分が変わるため、自分が成長するためには、現在の延長とは違うところに、未来のビジョンをもたなくてはならない。月に行こうと思ったら、飛行機に乗り続けてもダメなのだ。ロケットを開発し、テスト飛行や月の周回飛行を経て、月面に降り立つまで、順序だったチャレンジがいる。飛躍的なビジョンを持つこと。そのビジョンを夢見るだけでなく、一つ一つの行動で勇気を発揮すること。そうした勇気は、自分一人では持ちづらいが、協力する他者がいれば維持しうる。

複数の人間が協力して行うチャレンジには、定石があり、一定のやり方、いわば『OS』がある。それについてはここでは説明しきれないし、別に本も準備しているところだから、今回は略す。だが、覚えておいてほしい。一個人が出来ることには限りがあるし、それを無理に拡大しようとすれば、大勢の人間をロボット化することになるだろう。その結果、自分の希望や感情を奪われた人々は、表面的にはショッピング・賭博・宗教などに生きがいを求めるかもしれない(いずれも個人単位で熱中する点に注意してほしい)。だが、いつしかリーダーに(漠然とした)復讐心を持って生きるようになる。そんな社会が長続きするわけがない。

ちょっと大げさな話になった。だが、本心である。ロボットとして生きないためには、良きつながりを他者と得る必要がある。それは職場でたまたま隣り合った人かもしれないし、あるいは職場とは全く関係のない場でのことかもしれない。そして協力して、何か新しいことに取り組む。それを通じて、成長できることを実感する。

人間にできてロボットにできないのは、成長することである。それはP・K・ディックの小説にもあるとおりだ。そうでなければ、どこに働く意味があるだろう。

というわけで、新社会人の皆さん、入社おめでとう。どうか働くことが、成長の機会となることを祈る。これが、ずいぶん長い間、会社員をやってきた人間からの、正直な期待なのである。
by Tomoichi_Sato | 2015-04-04 18:56 | 考えるヒント | Comments(1)

リーダーは組織の主人か?

年末、友人に誘われてコンサートを聴きに行った。曲目はバッハの「クリスマス・オラトリオ」。気鋭の指揮者の元、オケと合唱団が一丸となり、複雑な後期バロックの音楽をきびきびとリズミカルに歌いこなしていく。友人はその合唱団でバスを歌っているのだった。長大な曲なのに長さを感じさせない、良い演奏だった。会場を埋め尽くした聴衆も、音の響きに満足しているようだった。

ところで聴いている内に、ちょっと妙な感想が心に浮かんだ。この演奏会は、たしかに指揮者がリードしている。だが、指揮者が主人なのだろうか、それとも合唱団が主人なのだろうか

指揮者は、プロの音楽家だ。対する合唱団は70人以上いたが、アマチュアだ。舞台に乗れるかどうかは、オーディションをして、指揮者が決めているという。だが、会場の聴衆のほとんどは、この合唱団員の人たちが知り合いなどに声をかけて集めたはずだ。わたしもその一人だった。その動員力はさすがで、長年、歌を趣味としてきた人たちが多いと思われる。

ちなみに器楽を演奏するアンサンブルも、20数名いたが、ほぼ全員がプロだと思っていい。ただ、常設の交響楽団と違い、年に1・2回、演奏会の時に指揮者に呼ばれて集まるが、普段は皆、別の仕事を持っている。こうしたプロの音楽家達には、当然ながら、演奏のギャラが支払われる。むろん指揮者にも、である。で、そのギャラは、誰が払うのか? 実質上、合唱団が負担するのだ。アマチュア音楽の世界では、演奏会収入だけで、会場費とギャラと宣伝費をまかなうことは難しい。チケット代を安く設定せざるを得ないからだ。だから通例として、合唱団員は演奏会分担金のようなものを支払う。自分の楽しみのために歌って、自分で費用を出す。まあ、すべからく趣味とはそういうものだ。

つまり、純経済学的に見ると、このコンサートでは合唱団が指揮者を雇っているのである。皆、指揮者の魅力に惹かれてこの団体に集まり、指揮棒のリードの元に歌っている。だが、指揮者は合唱団員に雇われているのだ。

ここで話は、急に飛ぶ(ま、いつものことですが)。学生時代に、野口三千三の「原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論」という本を読んだ。野口三千三は、東京芸大の、体育の教授だった人だ。え? 芸大に体育科なんてあるの? いや、もちろん体育学科はない。だが必修科目としての体育の授業は存在する。彼はその教授だった。そして、「野口体操」と呼ばれる、非常にユニークな身体運用のトレーニングを発明した。

クリエーティブな仕事は頭だけでやるものだ、と勘違いしている人は多い。だが、どっこい、絵を描くのも彫刻を彫るのも音楽を奏でるのも、すべて極めて身体的な作業である。アタマと身体がスムーズにつながっていないと、本当は創造的な仕事はむずかしい。しかし、従来のいわゆる「体操」は、アタマとは切り離された肉体を、ただ鍛えることに集中していた。それは兵隊の教練の思想も影響している。屈強な身体が、命令を聞いたらただ反射神経的に動く。自分で何か感じたり考えたりするのは余計なこと。それが教練である。野口は戦後すぐからこの限界に気づき、独自の工夫と理論化で、クリエーティブな心とからだの統合方法について探求した。

主著「原初生命体としての人間」は、その結実である。野口体操は、従来の体操とまったく発想を逆にしている。アタマが考え、動きを決め、指令を発し、それが神経系統を通じて筋肉に伝わって、身体が動く--これが従来の体育観だった。あくまでアタマが主人・リーダーであり、カラダはその子分、あるいは奴隷である、と。この発想は、西欧の心身二元論にも通じている。プラトンやデカルトなどの、精神と肉体を峻別し、前者が後者に宿り、支配するという考えに、とても相似形だ。

だが、古くからの日本人の知恵は、そんな二元論ではなかった、と野口は考える。そして、からだを主体の中心に据え、からだの構造と、「重さ」(地球の重力)との対話のなかから、自発的に動きが生まれるような体操のシステムを組み立てた。

脳が身体の主(あるじ)である、という発想は間違いだ、という意味のことを野口は書いている。生物の進化の歴史を見よ。原初の生命体には、脳などなかった。それは多細胞生物、とくに他を捕食して生きる動物が、身体の体制を複雑化する中で、あとから必要に応じて発明された器官にすぎない。今でも植物には脳などない。それでもちゃんと生きて、豊かに繁殖している。脳はからだが生み出した道具で、からだこそ脳の主人である。--この考えを読んだとき、わたしは天地がひっくり返るほどの驚きをうけた。でもじっさい、肩がひどく凝ったり、腹が減ったり、いや単に歯が1本痛むだけで、わたしたちのクリエーティビティは大幅に下がるではないか。

わたし自身は頭でっかちな知識労働者で、スポーツ・運動のたぐいは大の苦手で、今もこうやってPCの前に座ってキーボードをたたいている。ほとんど脳と口先だけで生計を立てているといってもいい。だが、野口三千三の本を読んで以来、頭が体を支配する、というようなイデオロギーに、本能的に反発するようになった。カラダは自分のモノだから、傷つけようが売ろうが何をするのも自由だ、部品が少し傷んだら新しいものに移植し取り替えればいい・・そうした思想の背後に、何か西洋近代の本質的な歪みと転倒を感じるのである。

そこから話は、もう一度飛ぶ(どうもすいません)。近代の心身二元論の元祖であるデカルトの「方法序説」で、彼は身体の血液の流れについて、たしか現代の目から見てずいぶん突飛で無理の多い説明をしていた(この文章は国際線の機上で書いているので、記憶でいうのだが)。当時、西洋ではまだ、血液が循環するという考えは一般的でなかった。血液は心臓で生み出されて体の各所に送り出され、そこで消費されると思われていたのだ。医師ハーベイが動脈から送り出された血は静脈を通って戻ってくる、との血液循環説を証明したのは、たしか方法序説の刊行より少しあとのことだった。

東洋では古代から「気血の廻り」という概念があり、“あいつは血のめぐりの悪いやつだ”といった表現を昔から普通に使ってきたわれわれから見ると、ずいぶんと奇妙に遅い発見である。身体の各部は複雑に、かつ有機的に統合されている『システム』である、というのが東洋的感覚だ。器官と器官は、気脈や経絡を通じて、互いに影響し合う。たとえば肝臓が疲れると、目が悪くなる、といった具合だ。それに比べると、デカルトに代表される近代西洋人の身体観は、なんとも機械的である。手足や器官という部品が並んでいる。それはお互いに、単機能をもつ、ばらばらな存在である。それらを統合するのは、脳であり、それが神経伝達を通じて全体を動かしている、と。システムはシステムだが、とても機械仕掛けのイメージである。

現代の主流のマネジメント論や、経営学を見ていると、同様な機械的組織論が、いまだ西洋には根強いことを感じる。本社がある(最近では司令塔としての持ち株会社である)。そして工場だの支社だの営業所だのといった、単機能の現場がある。本社は指示命令系統をもって、すべての現場を統括する。そこでは決まったルールとプロシージャに従って作業が進められ、ただ結果や異常事態だけが本社に報告される。それを本社が判断し、次の指示を出す。部署と部署が有機的に連携したり、といった発想はこれっぽっちもない。

そして、部署やサブシステムの機能が低下したら、それは捨てるか売却される。新しい組織を外から買収してきて接合する。それで企業全体は進化し成長していく。指示する者と、指示される者との上下関係は絶対である。そして少数のリーダーだけが、絶対君主として君臨している。

これって、西洋人たちの考える脳と身体との関係によく似ていないか。わたしはこのような思想に、直感的に反発を覚える。脳は、からだが発明した道具だ。本社というのも、大きくなった企業が、必要に応じて発明したもので、その本来の仕事は、現場を支援し、現場の仕事をやりやすくするために、あるのではないか。トヨタと米国のGMが合弁でNummiの工場を立ち上げたとき、最大の論争は、ホワイトカラーが現場に指示命令を下すのか、それともホワイトカラーが現場を支援するのか、という違いだったではないか。

その視点からもう一度、指揮者と楽団の関係を見直してみよう。そうすると、あらためてその不思議さが際立つのである。実際の音を発しているのは器楽奏者と合唱団員である。指揮者は一音たりとも発しない。それなのに、演奏が終わると、まず拍手に礼をするのは指揮者であり、批評が功績をたたえるのは何より指揮者であり、主催者に一番高く遇されるのも指揮者である。

インドネシアのガムラン楽団から西アフリカの音楽まで、大勢で演ずる音楽は世界にたくさんある。だが、「指揮者」などという奇妙なシステムを発明したのは西欧音楽だけだった。それも、中世・ルネッサンスの時代までは、指揮者なんていなかった。指揮者が現れ、専門家として職能が確立していくのは、楽曲が大規模化していく後期バロック・古典派以後の時代だ。そしてもちろん、音楽作りにおいて中心的役割を果たすのは指揮者になる。指揮者が最初に礼をするのは、その貢献度と責任の重さからいって当然のことと、皆が認めている。

その理由は、繰り返すが、楽譜の形で計画化され、大規模化したからである。今でも弦楽四重奏や、ジャズ・コンボや、ロックバンドには指揮者なんていないし、いらない。お互いのインタープレイで、楽曲は進められていく。互いが、互いに影響し合う。

もちろん指揮者は、必要である。本社だって、リーダーだって、プロジェクト・マネージャーだって、わたし達には必要である。だがその必要性は、からだが脳をつくり出したように、組織の便利のために創り出されたものなのだ。組織がリーダーに奉仕するために創り出されたのではない。そのことを、もっと多くのリーダーの立場にある人たちが、心にとめれば良いのにと、わたしは思う。・・ただし、もちろんわたしは、このような考え方に賛同したくない人たちが多くいることも、一応は承知している。その理由については長くなるので、稿をあらためて、いずれまた論じよう。


<関連エントリ>
 →「NUMMIは終わった」(2009-07-01)
by Tomoichi_Sato | 2015-02-08 09:15 | 考えるヒント | Comments(0)

クリスマス・メッセージ:幸せな人

Merry Christmas !!

ちょっと前、電車の中で広告を見た。まだ年若い、南アジア風の女の子の写真に、

 「13歳で結婚。14歳で出産。恋は、まだ知らない。」

というキャプションがついている。途上国で、女性に生まれたが故に差別的な境遇におかれている、そういう子供たちを支援する活動の広告のようだった。

人種・性別・肌の色など、自分で選んだわけでもないことで、社会的に不利益な状態におかれるのは、不公正だと、わたしは考える。広告主も、それを訴えたかったのだろう。だが、この広告を見たとき、わたしの心の中に浮かんだのは、まったく別のことだった。

 「ああ、マリアさんだ。」

そう、思ったのである。

マリアさんは、当時のパレスチナ風の発音では、ミリヤムとかいう感じになるのだろう。後に『キリスト』という称号で知られるようになるイエスの、お母さんである。当時のユダヤ人社会の慣習では、13, 4歳で結婚するのが普通だった。彼女もそうだったはずだろう。

ところで、この年若いマリアさんに子どもができた。まだ、正式な結婚前である。婚約者だった大工のヨゼフは、そのことに気がついた。気づいて、非常に苦しんだに違いない。当時の法律では、既婚の女性の姦淫は、石打ちの刑、すなわち死罪である。結婚式の前でも、結納金をおさめて婚約したら、もう既婚に準じた扱いをされる。ふつうなら、刑に処されても仕方がない。だがヨゼフは心優しい人だったので、婚約者がそのような目に遭うことを望まず、ひそかにマリアと別れることにした。密かに公証人を買収して、彼らの婚約を無効なものにしてもらおうとしたのかもしれない。

ところが、そう決心した日の夜、『マタイ伝』によると、ヨゼフの夢枕に天の使いが立つ。そして、彼にこう告げるのである:“心配するな、ヨゼフ。マリアを嫁に迎えろ。あれは聖霊によって身ごもった子だ・・”。目覚めたヨゼフは、その忠告通り、マリアさんを嫁に迎える。

一方、別の伝記『ルカ伝』によると、話はもっと華麗で劇的である。天使は、ヨゼフではなくマリアさんのところに現れる。それも、昼日中やってくるのだ。もっとも、今のわたし達は、天使と聞くと背中に羽の生えた人をすぐ想像するが、これは後世の絵の影響で、当時は普通の人間と同じ格好をしていると考えられてきた。

さて、その神の使いは、扉を開けるなり、“おめでとう、マリア。神はあなたとともにおられる。あなたは祝別された女性で、御胎内の子も祝別されている”、と挨拶する。マリアさんはこの言葉を聞いて、“なんじゃこりゃ。何事なんだこの挨拶は?”、と思った−−かどうかは知らないけれど、何かただならぬことは感じたらしい。それでも、彼女はつつしみ深く賢い女性だったので、「わたしは神様のしもべです。お言葉のとおりになりますように。」と答えるのである。

このときマリアさんが、そうだ、この子を産もう、と心に決めなかったら、その後2000年の西半球の歴史は、がらりと変わっていたにちがいない。それくらい大きな決断を、この人は下すのである。

天の使い(その名もガブリエル=『神の人』)は、生まれる男の子に「ヨシュア」という名前をつけるようにいって、去って行った。ヨシュアは『神の救い』という意味で、彼女の住んでいたガリラヤ地方の方言ではイェシューという風な発音になる。のちにギリシャ語→ラテン語を経て、今日の日本語ではイエスと発音されている。英語では似ても似つかぬ、ジーザスみたいな発音になる。

さて、マリアさんはその少し後、親戚のエリザベトという女性におめでたを祝福されて、「わたくしのたましいは主をあがめ」ではじまる、有名な長い賛歌を歌った、とされる。とても立派で美しい詩である。農村の十代の娘が、そんな詩を即興で歌うわけがないじゃないか、第一、伝記作家ルカはその場で見ていたわけでもないし、などと言ってはいけない。それは、古代の宗教的伝承を、まるでジャーナリストか研究者の報告のように読みたがる、今日のわたし達の誤りだろう。昔の人は、そうであったろうと信じた。それだけのことだ。

その賛歌の中で、マリアさんは、「後の世の人は、わたくしを幸せな女と呼ぶでしょう」といっている。きっと、うれしかったのだろう。ほかに、「権力あるものをその座から引きずり下ろし」などと、不穏なことも言っている。今日だとテロリスト扱いされるかもしれない(笑)。

その後は、よく知られている話だ。ローマ皇帝アウグストゥスの命令で人口調査と戸籍登録が行われ、マリアさんは夫の一族の本籍地ベツレヘムに旅しているさなかに、子どもを産む。旅館が満員で泊まれず、生まれた子どもは飼い葉桶の中に寝かされる・・。やがてその子は成長すると、布教をはじめ、宗教活動で大勢の人をひきつけるが、最後には首都エルサレムの権力と、正面から激突する。


現代トルコの地中海沿いに、イズミールという古くから栄えた都市がある。そこからバスで1時間ほどいったところに、エフェスと呼ばれる小さな町がある。’90年代のはじめ、まだ第一次湾岸戦争が終わって間もない頃、わたしはつれあいと一緒に、その地を訪れたことがある。いくつかの古い遺跡のほかに、「マリアの家」といわれる古い石造りの建物があった。最古の部分は1〜2世紀にさかのぼるという。そこは、マリアさんが生涯の最後の日々をすごした場所だと伝えられている。

マリアさんの後半生は不明な点が多い。東方教会の伝承では、エルサレムで亡くなったと言われている。西方教会は、その点はあいまいである。ただ、亡くなる直前のイエスによって、近くにいた一番年若い弟子と養子縁組することになり、その弟子とともにエルサレムから難を逃れたとも考えられる。カトリックの正統教義では、たしか聖母マリアはその身体ごと昇天したとされているはずだから、もちろん墓は存在しない。ただ、地中海のいろいろなところに、マリアさんが逃れてきたという伝説があるだけだ。

エフェスの「マリアの家」では、トルコのイスラム教徒たちも大勢訪れていた。なんでも聖典「クルアーン」(コーラン)に女性で唯一名前の出てくるのが、マリアさんなのだという。だからムスリムからも尊敬されているらしい。

後の世はきっとわたしを幸せな女と呼ぶでしょう、と歌ったマリアさんが、その晩年に自分の生涯を思い起こして、幸せだったと思ったかどうかは、わからない。身重で長旅に出て、旅先の陋屋で出産。その後も、王の迫害を避けるために、小さな赤ん坊を連れて、はるかエジプトまで亡命したといわれる。故郷に戻った後も、夫ヨゼフには早く死に別れ、女手一つで子どもを育てなければならなかった。苦労して育てた息子はしかし、大工職を継がずに宗教活動にこって出奔。仲間を連れて国中を放浪する。そして、最後はローマ帝国への反逆者として、十字架という残酷な刑罰に処せられ、彼女の目の前で息を引き取るのだ。その後も、彼女は迫害を逃れ、さらに祖国の独立戦争と敗北の混乱の中を、年若い弟子とともに逃げ回る・・。ふつうにいう幸せな人生とは、ずいぶんへだたりがある。

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<エジプトへの逃避行。ティントレット画(部分)>

では、マリアさんは、自分の人生は無価値だったと思ったろうか? −−そんなことはあるまい。わたしはそう、信じている。彼女の人生は、とても大きな価値があった。そのことだけは、確信があったにちがいない。

だとすれば、幸せであることと、価値があることとは、すこし違うのだ。たいていの人間は、よりよく生きることを望む。より良く、とは、幸せであったり、価値があったりすることだ。

わたし達は、自分が大切に思う人には、それが親兄弟であれ子どもであれ恋人であれ、“幸せであってほしい”と願う。それは自然なことなのだろう。「幸福を追求する権利」は天賦の人権の一部である、という思想もある。

でも不幸せだからと言って、無価値ではない。幸せか不幸せかは、感じ方の問題でもあろう。生涯の最後の時に、自分の人生には価値があった、と感じられることが、本当の意味では一番幸せなのかもしれない。それは、逆の場合を考えてみれば分かる。生きている間、どんなにお金や、才能や、境遇に恵まれたとしても、死ぬ前に「わたしの人生は無価値だった」と感じたとしたら。残された人たちは、“かわいそうな人だった。せめて故人の魂に平安あれ”と、思うのではないか。

価値とは、考え方である。価値の大きな部分は、人と人とのつながりからできている。そしてもう一つ。価値を生み出すためには、勇気のある決意が必要なのだ。だからそれは、信念の問題でもある。

世界が多少は静かになるこの季節に、わたし達ももう一度、自分にとっての価値とは何かについて、落ち着いて思い巡らせてみるのもいいかもしれない。そのためには、平和な時間が必要だ。そして、自分にとってかけがえのないことについて、少しばかりの勇気をもつべきなのだろう。それは今から二千年前、西アジアの片隅で、ある幸せな決意をした若い女性が、生涯をかけて信じていたことではなかったろうか。
by Tomoichi_Sato | 2014-12-23 15:48 | 考えるヒント | Comments(0)

あなたは、どう考えるの?

「佐藤さん、すみません、ちょっとご相談があるんですが・・」

若手社員が机の前にやってきて、顔を上げたわたしに、いいにくそうな声でぼそっときり出した。わたしが、ITリッチなプロジェクトをやっていた時代のことだ。

--なあに? 何か、いい話かな?

「いえ、あの・・。例の中間在庫ロットなんですが、どうしようかと悩んでいまして。」

--そこは新しいコード体系を使おうって、先週の打合せで決めたじゃないか。

「そうなんですが、注文書のシステムで、ちょっと困ったことが見つかりまして。あのままでは、番号がかち合ってしまう可能性があると分かったんです。」

彼は仕様書の該当箇所をわたしに見せて、問題を詳しく説明する。なるほど、先週の打合せでは、この点を見落としていたらしい。

--つまり、このまま進めば、ユーザに運用を変えてもらって、少しだけ手間が増えるのを我慢してもらうか、さもなければシステムの設計変更をするか、二つに一つです、という訳かな。大勢のユーザに文句を言われるか、開発会社から追加費用を請求されるか、どっちかしかありません、と。

「・・まあ、そういうことです。どうしたらいいでしょうか?」

そこでわたしは、いつものセリフをぶつけた。

--あなたは、どう考えるの

その場で部下が、自分の考えを言ってくれれば、もちろん、それでよし。内容について議論できる。部下の考えがまとまっていない場合は、「少し考えてから持ってきてごらん」と、いったん突き放すことにする。

しばらくすると、「佐藤さん、こう思うんですが。」といってくるので、そこからは議論に付き合い、一緒に考えることにする。たとえ、途中こちらがヒントをだし、リードをしても、「一緒に考える」雰囲気が大切だ。そうすれば相手は、打合せ結果を「自分が考えたこと」として、モチベーションをもって働いてくれる。

わたしはこのようなやり方を、自分自身が駆け出しの頃の、上司から学んだ。わたしが同様に、問題を抱えて、こまって上司のところに行くと、彼は決まってためいきを一つついてから、こう言う。

「それで、オタクはどうしたいんだよ?」

(その人は有名私学の出身で、そのころはまだ珍しい『オタク』という二人称を使う人だった)

わたしが、何も自分でアイデアをもっていないと、「考えてからもってこいよ。」といわれて、対話は終わってしまう。なにか解決策や提案を持っていけば、(もちろんたいていは技術的にケチョンケチョンに叩かれるのだが)とにかく前には進める。

だから、問題が生じても、まずは自分で答えを考えてから、相談に行く姿勢がいつの間にか身についた。それは、そのあと、自分が直接、顧客と接して動かなければいけないキーパーソン・レベルになってからも、とても役に立った。だからわたしも、人を使う立場になると、自然とその真似をするようになってきたのだ。

ただし、ときおり、まったくこちらの指示に依存する姿勢の若手も現れる。「少し考えてから持ってきてごらん」と突き放しても、こういうケースではたいてい、すぐにギブアップしてくる。自分で考えて突破しようという思考体力というか、基本的なスタンスが足りないのだ。おまけに、わたしは冷たい上司だと思われてしまう。そうなると、今度は問題が発生しても、わたしに報告せずに自分一人で抱え込むようになる。そして火が噴くまで、こちらが気づかない危険性が増す。

そういうときは、しかたないので、論点を整理しつつ、もう少し踏み込んで、最初から一緒に考えてやることにしている。その若手社員も、そのタイプだった。一緒に問題構造を図解したホワイトボードの前で、彼は言い出す。

「佐藤さん、従来の品番コードの頭に、取引先の略号を3桁つける、という手はどうでしょうか?」

--そりゃダメだ。そんな抜け道を造ったら、工場内のロットを物流システムで統一的に管理するという、全体の設計思想が歪んでしまう。それに、3桁なんて、どうせすぐパンクするよ。

「それじゃ、どうしたらいいでしょうか?」

 設計思想を大事にしろ、というのも、上で述べた昔の上司から学んだことだった。ただし彼は、設計思想という言葉の代わりに、『設計のスタンス』という呼び方をしていた。その方が、顧客に対してスムーズで、通りやすいからだろう。設計のスタンスを曲げると、あとで追加修正が難しくなり、いきおい全体が温泉旅館の建て増し的な、ゴチャゴチャしたものになっていってしまう。そうなれば結局、運用しづらく保守もコストがかかる。そういう理由をつけて、その上司は顧客の要求を押し戻したりしていた。

 どうしたらいいかたずねてきた若手社員に、わたしは、再びくりかえした。

--あなたは、どう考えるの?

さっきと同じ文句だが、問うていることは、じつは違う。今度は、どれを選ぶかたずねているのだ。目の前のホワイトボードには、結局とるべき方策は三つしかないことが、明らかになっている。

・今までの設計方針を押し通し、運用側で一手間かけてもらう
・システムを一部、変更する
・彼の言う、一種の変則的な抜け道をつかう

三番目は、コスト追加もユーザの不興を買うこともないが、設計思想が歪むので、わたしが賛成しなかった。選ぶなら、一番か二番目しかない。

『考える』という行為には、一般に二つのフェーズがある。問題の答えを探すことは、その主要な部分である。しかし、答えを見つけたあとにもう一つ、問題が生じる。それは複数の答えの中から、良いものを決めることである。

われわれ技術者が直面する問題は、数学のようにたった一つの正解がでてくる場合は少ない。ふつうは複数の解決案があり、しばしば、どれも帯に短したすきに長しと見える状態になる。その中から、どれかを決めなくてはいけない。よく、迷っている人が、「考え中です」と言ったりするように、考えるという行為の第2フェーズは、じつは決めることなのだ。だから、二番目の「あなたは、どう考えるの?」は、

--あなたは、どれを選ぶべきだと思うのか?

と言いかえてもいい。

そして、この問いに答えるためには、『価値観』が重要になるのである。どのような価値観を持って、それを選ぶのか。たとえば、コストと顧客満足が両立しない場合、どちらをより重視するのか。どのような状況のときには、コストを犠牲にしても顧客満足を確保すべきなのか。逆に、どのようなときは、顧客の不興を買っても、コストを選ぶべきなのか。そして、そもそも、“顧客の満足”とは、ほんとうは何をさしているのか。

そして、わたし達は、価値観をしっかり立てて、それに従って何かを決める態度が、しばしばとても弱い。とくに受注ビジネスではその傾向が強いように感じられる。多くは、“ご無理ごもっとも”で顧客要望をなんでも聞き入れてしまって、結局自分のコストと時間で帳尻を合わせている。そのような要望を受け入れることが、相対する顧客のミクロな局所最適にはつながっても、顧客組織のマクロな便益には反してしまう場合、ほんとうに顧客満足優先の価値観に立脚するならば、あえて反論し説得しなければならないはずだ。だが、そう振る舞える技術者は少ない。へたをすると、顧客の些末な要望を聞き入れて、曲芸のような設計を実現することに、自分の職人的プライドをかけたりするような逆立ちが、まかり通る。

まあ、もっと敷衍すれば、わたし達自身、それこそ学校を選ぶときも、就職先を選ぶときも、自分の価値観というより、世間的な評価や周囲のすすめなどにしたがって、何となく選んでしまう。まわりと合わせることが最大の美徳であるこの社会に育って、何か独自の価値観を樹立せよ、という方が無理があるのかもしれない。だが、われわれがビジネス社会で成長するためには、その無理をなんとか通す必要があるのだ。

ところで、ここまで読んだ読者の中には、そんなことを部下にたずねるのはおかしい、決めるのは上司の責任だ、と思う方もいらっしゃるかもしれない。たしかにその通りだ。部下が○○がいいと思います、と言ってきても、わたしは××を選ぶかもしれない。かりに○○を選んだとしても、その結果おきる事は、もちろんわたしの責任であり、まちがっても「部下がそうしろと言ったので」などという言い訳は通用しない。

だとすると、なぜ、若手社員に「あなたは、どう考えるの?」などと聞くのか。理由ははっきりしている。彼に、上司の視点でものを考える訓練をしてもらいたいからだ。上司の視点で考えるとは、必然的に、自分の狭い責任範囲をこえて、全体感を(あるいはせめて多少は広い範囲を)考えた上で、『価値評価』する作業を求めている訳だ。そのような思考訓練は、他者の立場・価値観を推測するスキルにつながり、やがては顧客に対する説得力・交渉力につながっていく。少なくとも、かつての上司がわたしに求めたのは、そうした能力だったにちがいない。

ホワイトボードの前で、まだ迷っている若手社員に対して、ともあれ助け船を出すことにした。

--とりうる選択肢に対してさ、それぞれProsとConsをあげて表にしてみな。

ProsとConsとは、「賛成すべき点」「反対すべき点」の意味で、つまり長所と短所である。彼をうながして、ホワイトボードに簡単な表を作らせた。そして、それぞれの項目に、◎○△×を記入してもらった。

「ええと、こうなりました。」

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--どれがいい?

「記号を足し算してみますと、えー、1が一番良さそうですか・・?」

このようなPros/Consの表は、非常に単純に見えるだろうが、フェーズ2の「考える」=「決断する」行為では、案外有効である。頭の外側に見える化することで、見ている全員が、なんとなく納得感をもつからだ。

--うん。少し頭が整理できただろ? ただし本当は、こういう表を作った場合はね、どこかに×がある選択肢は、もうその時点で原則的には不採用なんだ。ノックアウト条項というんだけどね。

「・・じゃあ、2も3も失格ですか。」

--そう言いたいところだけれどね。でも、いまは感覚的に○×をつけているわけで、あまり厳密じゃない。ところで、2の選択肢についてだけれど、納期も遅れる可能性があるのかな?

「はい。追加変更のボリュームによると思いますが。」

--そうだな。じゃ、いつまでに決めなくてはいけないかのな? 開発会社に聞いてみてくれないか?

「それは聞きました。半月以内に決めてくれ、というんです。でも、この議題は、来週のお客さんとの会議で、もうアジェンダにあがっていまして・・」

--だったら、わたしがお客に電話して、来週のアジェンダを組み替えてもらおう。再来週まで時間を作るから、もう少しだけ考え直して見なよ。今、決めるのはやめることにする。コード重複がどれくらいの頻度で起きそうか、まず調べること。」

「はい。わかりました。」

彼は席に帰っていった。わたしの中のカンでは、(根拠も何もないのだが)この問題は何か、技術的な逃げ道があるような気がしたのだ。でも、それを考えるのには時間がいる。

わたしの職場には、

 「決めないリスクより、決めるリスクをとる

という格言がある。決断を先延ばしにしても、普通あまりいいことはないのだ。だが、担当者の彼に、考える時間を作ってやることが、現時点では優先度が高いと、わたしは考えた。それは、カンであり、賭けである。だが、考えるために一番大事なリソースは、「考える時間」なのだ。わたしが自著『時間管理術 (日経文庫)』でも強調したように、タイム・マネジメントの最大の目標は、集中して考える時間を確保することなのだ。

わたしの賭けの結果が、どうなったかは、あえて書くまい。わたしが、かつての上司ほど、カッコいいマネージャーではないことは正直に認めよう。だが、わたしの中には、かつて教わったいくつもの原則が生きている。それを、もっと後ろの世代にも伝えることが、少なくともわたしの使命であろう。

だから、今もこんな文章を書いているのである(笑)。


<関連エントリ>
 →「わたしが新入社員の時に学んだこと」 (2010-05-01)
 →「設計思想(Design Philosophy)とは何か」 (2012-03-26)
by Tomoichi_Sato | 2014-09-28 19:40 | 考えるヒント | Comments(0)