社会に出てからそれなりの時間が経つが、若い頃に思っていたことで、実は幻想だったなと感じることが一つある。それは、“能力が上がれば、あるいは出世すれば、悩みは減るはずだ”、という考え方である。これは言いかえれば、自分は若いから(あるいは地位が下だから)悩みが多いんだ、との理屈になる。仕事が難しいのは、まだ駆け出しで能力が足らないからだ、だからベテランになれば楽に仕事ができる。やりたいことができぬストレスに悩むのは、自分に許された権限範囲が小さすぎるからだ--そんな風に、以前は考えていた。 しかし、押しも押されもせぬ立派なチューネンになってみて分かったのは、むしろ年を経るほど悩み事は多く、責任に比例して肩の荷も増え、毎日つく溜息の回数も多くなるという事情だった。就職は人生の一大事だったが、仕事を学ぶのはもっと大変で、中間管理職になると軋轢はより面倒で、仕事はちっとも減らないのに体力だけは確実に落ちていく。もちろん、単にわたしが愚かで心配性なだけだ、という可能性もある。他の人は、毎日もっと陽気に生き、充実感をもって仕事をし、問題などどこ吹く風、と過ごしているのかもしれない。でも、だとしたら、酒の場では誰も仕事の愚痴などこぼさず、書店には問題解決の本など並ばず、新聞の身の上相談はあがったりで、GDPはロケットのように成長していかなければヘンだ。 「『問題』とは、自分達が(意識的であれ無意識にであれ)期待していた状況と、現実との間に生じるギャップのことを指す」--前にもこう書いた。期待と現実にギャップがあるときは、なんとかして埋めたいと誰もが思う。机の横の立ち話や会議室や酒場で議論になるのは、そういった問題解決の方法についてである。解決法が明白なら、誰も悩みはしない。実行すればいいだけだ。でも、明白でないから、議論になる。そして、なかなか決まらない。あるいは決まっても、納得して従いづらい。これが『悩みのある』状況である。 仕事上の問題解決について、議論が別れてなかなか決まらない理由は、いくつかある。まず、そもそも、何が問題か分からないときだ。なんだかどこかおかしいと感じるのだが、何がどうおかしいのか、問題自体が同定できていない場合。あるいは、問題が複雑すぎて(大きすぎて)手に負えない、と感じられるときも同じだろう。以前、問題解決プロセスを5段階に分けて説明したことがあったが(「問題解決のための二つのキーワード: 抽象化と類推」)、その用語で言うなら、これらは原因分析段階での論争だ。アーリー・ステージでの議論だと言ってもいい。 しかし実際には、問題は同定されたものの、解決策を決める段階で論争になる方が、はるかに多い。たとえば、情報が不足して現状が正確につかめない。ないし、現状は分かるが未来が不確実で予測しがたい場合。また、制約条件がきつすぎて実行可能解がない場合。さらにやっかいなのは、解決の結果について評価軸が複数あって、トレードオフのために優先がつけられない場合だろうか。 仕事上でこうした困難に直面したとき、かつて先輩から教えてもらった教訓がある。それは「心の中で、ヘリコプターに乗れ」というものだった。プロマネに必要なのは、ヘリに乗る能力=Helicopter Capabilityだ、との言葉も聞いた。どうやら元は、ある米国企業のトップ・マネジメントが教えてくれた言葉らしい。 ヘリコプターに乗るとは、どういう意味か。それは、問題を起こしている戦場(Battle field)と同じ地平、同じ目線で考えないで、もっとはるか上空から考えろ、という意味だった。ヘリに乗って、ずっと上から問題を眺める。そのとき、問題の局地戦だけではなく、仕事の全体像、当面の目的地、地形や敵味方の戦力の配置、そして遙か向こうにかすんでいるビジネスの成功地点(=ゴール)、などが見えてくるはずだ。その大きなパースペクティブの中で、あらためて目の前の問題の位置づけを考え直す。そうすると、局地戦で打破するのか、いったん引き下がって精力を増員してから正面突破するのか、それとも迂回するのか、そもそも目の前にいるのは本当の敵なのか、といったことが見えてくる。 心の中でヘリコプターに乗ると、先に挙げたような論争の状況はどう見えてくるだろうか? たとえば、何が問題か分からない、問題が大きすぎて(複雑すぎて)手に負えない、というとき。それは、問題に対する視点が近すぎる(近視眼的すぎる)ときに生じる。だから、後ろに大きく引いて見ると、問題の構図が見えてくるかもしれない。 情報が不足して現状がつかめない、あるいは現状は分かるが未来が不確実で予測しがたい、というときはどうだろうか? 問題を遠くから見るというのは、細部を忘れて『抽象化』して考える事である。抽象化できれば、地表で似たような図柄を別に見つけることも可能なはずである。つまり、抽象化と類推の手法を効かせることができるようになる。そもそも、技術者という人種は、“細部に近寄って見る”ことが好きだ。事象を細かく観測し分析したがる。そして技術論の局面でものごとを解決しようとする。そのためにデータを取りたがる。それも、より正確なデータを、より大量に取る。そのうち、事象は数字の藪の中に隠れてしまって訳が分からなくなる。技術論で解決するより、味方の人数を倍に増やしたり、思い切って高価な道具を使ったりする方が効果的だったりする事もあるのに。 制約条件がきつすぎて実行可能解がない、というのはどうだろう? これなどまさに、大局観をもち、制約条件を取り払って考えることが有効だ。というのも、『制約条件』は自分が心の中で暗黙のうちに設定しているものが殆どだからだ。期限どおりに終わらない、と悩んでプロマネに相談したら、なあに隣のタスクも遅れているから、お前の仕事は後1週間は遅れても大差はないんだ、と言われたりする。企業組織は縦割りの壁があるから、その壁を「ハードな制約条件」だと感じがちだ。しかし、もっと上の立場から見ると、分担はとりあえずのもので、最終的に仕事がまとまればよい、だから部署間のインタフェースは「ソフトな制約条件」だという事が、実際よくある。 そして、解決策に対する評価尺度が複数あってトレードオフが生じるときは、どうだろう。安全性を優先すべきかコストを優先すべきか。納期を優先すべきかリスクを重く見るべきか。デザインはクールでハードなものか、それとも暖かく柔らかなものか。こうした論争はえてして一番やっかいだ。というのは、“信念”あるいは“好み”のために、妥協ができない人が案外多いからだ。 まあ、事柄が政治や宗教などの領域ならば、簡単に譲れないのもわかる。しかしビジネス上の判断で、あまり自分の価値観に固執するのは、ちょっと大人げないと言えるだろう。しかし、「あんたは子どもだ」などと言ったら文字通り喧嘩になる。そういうときに、視点をずっと上にあげて、遠くの目標を(再)確認することは役に立つ。というのは、価値観の相違を、共通の大目的のために吸収する効能があるからである。それにビジネスでは、「当座の手段」だったはずのものが、いつのまにか「目的」にすり替わっていることがよくある。これは遠くの目標を再確認することで、解消できるからだ。 この『ヘリコプター技法』を使うときは、できれば目をつむって、本当に心の中でヘリコプターに乗って上空に舞い上がるイメージを持った方がいいように感じる。人間の心は微妙なもので、イメージすることで、それなりに感じ方が変わってくるからだ。 先日上梓した「“JIT生産”から卒業するための本」で、わたしは『上司の上司の立場になって考えてみよう』と書いた。それもまた一種のヘリコプター体験である。自分の上司の立場になってみる、では、二階に上がった程度で、あまり視野は広がらない。でも、自分の「上司の上司」の立場になったと想像すると、ずいぶん視野が広がるはずなのである。 このようにヘリコプター能力はとても役立つものなのだが、一つだけ必要な条件がある。それは、目をつぶって心の中で瞑想できるだけの、時間と場所である。あなたは、自分の机の前に座って、目を閉じてじっと考える勇気はおありだろうか? 勇気があっても、それをする時間はお持ちだろうか。問題解決に一番必要なもの--それは「考え事ができる時間」なのだから。 Kさん、久しぶりにメールありがとうございました。お元気とのこと、何よりです。ご活躍中の様子が、行間からあふれていました。生産管理の現業をかかえた上に、新規システム導入プロジェクトのメンバーの一員としてアサインされたとは、たしかに大変だろうとお察ししますが、それだけKさんが周囲から期待され一目置かれていることの証左だと思います。
ところで、Kさんからメールをいただくたびに、難しい宿題を投げられたように感じるのですが、今回は格別です。『設計思想に関して』のご質問とは! なるほど、たしかに新しい基幹業務システムを考える出発点として、“その設計思想はどうあるべきか”を問うのは、とてもオーソドックスかつ当然の発想と思います。自分達が製品を設計開発するときも、成功した製品には明確な設計思想があった。だから、プロジェクトを成功させたければ、当然システムにも設計思想がなくてはならないはずではないか。--設計部門出身のKさんはそう考えられた。ですが、その「当然」がちっとも当然たりえないところに、わたし達の社会の根本問題がある訳です。 メールの文章を拝読したところ、ご質問は二点あるようです。わたしの業界の場合には、設計思想を話題にすることがあるのかどうか。そして、そもそも設計思想とは何を規定すべきものなのか、と。 まず最初の質問からお答えしますと、はい、たしかにわたしの本業=プラント・エンジニアリングの世界でも「設計思想」はあります。設計思想のことを英語でDesign Philosophyといいますが、プラントの世界では文字通り"Design Philosophy"というタイトルの文書を、基本設計の最初の段階で作ります。そして、(基本設計が固まった後に)入札が行われる場合も、それは仕様書の一部として位置づけられ、以後の詳細設計や調達など全ての作業に適用されます。ただこれは、ほぼ海外の顧客向けのプロジェクトの場合のみです。少なくとも自分の経験では、純粋に国内のお客さま相手の仕事で、設計思想が議論になったケースはありません。 では、その"Design Philosophy"とは何を規定したものなのか。じつはプラントの場合、Design Philosophyは何種類も作ります。Start-up Philosophyだとか、Maintenance Philosophyだとか、Shut-down Philosophyだとか。なんだか“思想だらけ”に見えるしょうが、事実です。こうしたPhilosophy文書は、別段格調高い文章ばかりという訳ではないのですが、プラントのライフサイクルを通して生き続けます。そしてプロジェクトの途上で設計上の論争が発生したとき、必要ならばDesign Philosophyに立ち返って、「ここにこう規定してあるじゃないですか。貴方の要求は、これに沿っていません。だから、どうしても変更せよと言うのなら、追加を払ってください」といった決着の基準になるのです。 では、どのような時に論争が起きるのか。たとえば、多重化の要求です。運転上の安全性のために、ここの機器やケーブルを多重化して冗長構成にしろ、との要望はよくあります。ですが当然、投資額は余計にかかります。運用保守の手間も増える。一括請負契約だったら利益に直接関わる問題です。このようなとき、その程度までクリティカルな部分を冗長化すべきか、Design Philosophyが規定していれば、無駄な論争で時間を失う事が避けられます。『クリティカルの度合い』を誰がどう決めるかも書いてあれば万全です。 あるいは、運転に対する反応の俊敏性と、運転の長期安定性のどちらをとるか、といった問題もよく起こります。車の設計で言えば軽量性と高速安定性みたいなものです。あるいは保守のしやすさと、コンパクト性の相反。さらに緊急シャットダウンの時に、何からどう優先して落としていくのか。危険物質や高温高圧を扱うプラントでは、この優先順位によって設計がずいぶん変わってしまいます。 つまり、設計思想(Design Philosophy)の文書とは、第一義的には、設計を決めるときに相反条件があって、あちらを立てればこちらが立たず、というトレードオフが生じる際の、判断の優先順位を決めたものである、とわたしは考えています。 もともと設計とは、目的とする『機能』をはたすべき『構造』を決める行為です。ところが、どんな製品・システム・サービスにおいても、求められる機能要件ならびに評価項目は、複数あるのが普通です。しかもそれらは、しばしば互いにトレードオフの関係にあるのです。また、空間的な形状・構造を考える際には、いろいろな選択の余地(自由度)があります。こうした、多数の自由度を持つ設計において、その方向付けをするガイドラインとなる方針、あるいはコンフリクトが発生したときに、優先順位を強く明確に決めたポリシーが、設計思想です。 いいかえるなら、設計思想とは価値観の表明に他なりません。とくに、トレードオフが生じる前に、「何を捨てるか」を決めるものなのです。価値観は自然科学や法則からは生まれません。だから思想の形で提起される必要があるのでしょう。これがKさんの第二の質問へのお答えだと思います。 トレードオフ問題は、特定の状況に付随して生じがちです。そのため、設計思想はしばしば「シナリオ」の形になります。プラントの場合だったら、Start-upとかShut-downとか、状況別に作成される訳です。では、情報システムの場合はどうか。もちろん、Start-up/Shut-down/Back-up/Archiving/Maintenanceなど運用的状況の他に、拡張やリリースアップなどもシナリオの対象でしょう。アクセス性とセキュリティの相反なども考えておく必要がありそうです。 この設計思想にまつわる誤解で、よくあるのが『設計条件』との違いです。設計条件とは、設計の境界条件あるいは環境条件を与えるものです。設置場所はどこで広さはどれくらいか、気温・湿度はどれくらいか、建物の床加重は、外部電源容量は、利用者数は、等々。これらは測定ないし想定の結果として、数字の列挙で示されるもので、「思想」ではありません。想定はある意味、思想の表現結果ですから、「想定外でした」という言葉は、“それは無いという設計思想でした”(あるいは“設計思想が無い状態でした”)を示している訳です。 ところで設計思想は、言葉で文書にしなければならないのでしょうか? わたしは必ずしもそうとは思いません。ただし、西洋人の感覚では、明確に文章に表現されて他者に伝わるものでなければ、思想とは認めないでしょうね。言葉にはならないが、リーダーやキーパーソンの間でなんとなく無言のうちに共有され、以心伝心で皆に広まっていく・・などというものを、彼らは「思想」とはよびますまい(強いて言えば、「文化」とか「習慣」と呼ぶでしょうが、これが製品毎に変わるとしたらちょっとヘンです)。まして、詳細設計段階で数十人から数百人が関わるプロジェクトの場合、以心伝心は、はなはだ頼りない伝達手段ではあります。 ある製品や仕組みやサービスに設計思想があるかどうか、外から分かるでしょうか? たぶん、ある程度は感じ取られると思います。それは、設計の「いさぎよさ」であり、あるいは「首尾一貫性」に表れるはずです。むろん、視覚的には直接見えない場合もあるでしょう(情報システムなどはその良い例です)。しかし、一貫した設計思想の元でつくられたシステムは、ユーザーから見て、構造や機能やインタフェースにGuess(推測)がききやすいはずです。 何年か前にKさんにお会いしたとき、わたしがまだHP-200LXという旧型のPDAを使い続けていることを覚えておられるでしょうか? あの製品は、明確な設計思想で作られた代表的製品だったと思います。携帯可能で、キーボードをそなえ、市販の単三乾電池で1ヶ月動く。そのかわり液晶はモノクロでバックライト無し、無線通信機能も無し。GUIも無し。それでも、わたしはあれを2台購入し、両方が壊れるまで10年以上も使い続けました。ですが、GUIをのせた後継機種は買いませんでした。設計思想に不透明さを感じたからです。 思想を持った製品は、ユーザの「好き嫌い」が強く出ることが、たぶんもう一つの特徴なのでしょう。逆に言えば、あらゆることに優等生的で八方美人な製品には、思想を感じられないのです。だから、設計思想とは、ある意味で『戦略』にも似ています。戦略とは賭けである、無駄な戦いを略すことである、と前にも書きましたが、それはつまり「何を捨てるか決める」ことだからです。 思想がなくても人は生きていけます。でも、混迷を打破して人をリードする力強さは、生まれ得ません。どうかKさんには、皆が納得のいくシステムの設計思想を作り上げていただきたいと願う次第です。 先日、PM学会の報告を読んでいたら、秋季研究発表大会でなんと「論語」に関するキーノート・スピーチがあり、その場で参加者全員による論語の素読を行った、と書いてあった。たしかに「人にして信無くんば、其の可なるを知らざるなり」とか「徳は孤ならず、必ず隣あり」とか、論語はなかなか良いことが書いてある(と、いまさらわたしが指摘するのもおかしいが)。その報告には、最後に質問として、「論語の意味が分からなくても、素読をすると心に響くのはなぜか」との問いが発せられた、とある。これは、なかなか意味深長なことだと思われる。
私たちは言語の意味が正確にわからないにもかかわらず、なぜか心の内に何かを感じる経験をすることがある。好ましいと思ったり、感心したりする。論語以外でも、般若心経など仏教のお経もそうだろう。日本仏教では不思議なことにお経を直接日本語訳にせず、中国語に翻訳したものを、古い日本風の奇妙な発音で音読することになっている。聞いてるだけでは誰も意味がわからない。それでも皆納得して聞いているのである。さらに別の例を挙げるなら、カトリック教会は20世紀の半ばまで、ミサで唱える通常のお祈りの文句はすべてラテン語で唱えるしきたりだった。それでも信者たちは敬虔な気持ちで頭を垂れていたはずだ。 なあに、それは宗教だから、聞く前からありがたいと思っているのさ、と反論されるかもしれない。それでは、自分がよく聴き取れない外国語の歌を聞いて、好きになったことはないだろうか。意味のわからぬ音を、口真似して歌ったことはないだろうか。言葉の機能は意味を伝えることにある。にもかかわらず、わたしたちは言葉の意味だけに反応する訳ではない。なぜ、わたしたちは意味がぼんやりとしか分からない音の並びに、感情を動かされるのだろうか。 それは、そこに声とリズムがあるからであろう。わたしたちは、声とリズムに身体の内側が反応するように、できている。声とリズムとは、即ち、呼吸する息だ。私たち人類は集団生活をする動物として、他者の息を感じとり同調する本能を持っているのかもしれない。 このことは、逆に自分に対するインパクトを強める方法として使うことができる。つまり、何かを心に刻みたかったらそれを声に出して言ってみるのである。言葉や文章をよく記憶したければ、自分の声に出して言ってみる。 私は大学生にプロジェクト・マネジメントを教えるとき、プロジェクトの三大制約要因として、スコープ、コスト、スケジュールのいわゆる「鉄の三角形」を説明してみるのだが、当然ながらこんな抽象概念は学生の頭の中をするすると右から左に抜けていってしまう。そこであえて皆に大きな声で「スコープ、コスト、スケジュール」と三回くらい大声で復唱させてみる。彼らは(僕らは中学生じゃないよ)という顔つきをするのだが、ミニテストで調べてみると、明らかに頭に残るのである。いずれ卒業して仕事につき、何年かしたのちに、ふと「そうか。この三つはつながっていやがる!」と体得する日がくるかもしれない。 音が先にあってそれが言葉になり、言葉がやがて体感になる。順序が逆のようだが、私たちは本当はこうして学んでいくのである。何か身につけるためには、それをからだの動きと感情的な体験として、繰り返し繰り返しやらなければならない。よく使うたとえだが、逆上がりの方法を本でよんだからといって、それで逆上がりが出来るようになるだろうか。目で読んで覚えただけでは、ひととき頭の中にとどまるだけだ。 もう一つ別の例を出そう。「指差し確認」というのをご存知だろうか。工場の製造現場や物流現場などで、目の前にあるものを手で指差し、声に出して呼んで確認する。電車の車掌さんが駅で声を出しながら確認しているの見た人もいるだろう。信号よし、ドアよし、と言った具合だ。ある西洋人が製造現場でこれを見て、人間をロボットのように扱っていると批評したことがあった。だがそれは間違っていると思う。本当にロボットならば指差し確認などいらない。人間だからこそ、手を振り声に出す必要があるのだ。 私はこれを日常生活でも使っている。みなさんは家を出た後で、さてドアをちゃんと閉めたか、鍵は閉めたか、ガスの火は消したか、不安になったことはないだろうか。私は家をでる時に、「正面の窓よし、左の窓良し、電気よし、ガスよし」、と指差し確認をして出かけることにしている。これは余計な不安を減らすためにとても有効な方法だと思う。耳は眼よりも聡く、からだは頭よりも賢いのだ。 私たち日本人は、西洋近代文明に準じた教育を受け、西洋近代文明を真似してビジネスを回している。もちろん、西洋文明には優れた特質や美点がたくさんあるからそうしている訳だ。ただ西洋近代文明にはひとつだけ困った点がある。それは、頭でっかち、という事である。言葉を重んじて、からだを軽く見る事である。身体は精神に従い、精神とは言葉であると、彼らはなぜか強く信じている。 確かにある局面ではそうだろう。私は自分の意志でからだを動かし、自分の言葉で考えを述べる。しかし意思によらず行なってる事だって沢山あるのだ。例えば誰か、自分の意思で心臓の鼓動をいったん止めてみたり、あるいは胃腸の動きを早くしたりする事ができるだろうか。あるいは誰か、意識的に眠ろうとすることができるだろうか。そもそも眠っている間は、自分の意識などないわけである。人は自分自身のからだでさえ、自分の意識や合理性だけで動かす事はできない。 身体というのはある意味正直である。眠くなれば眠り、眠りが足りれば目覚める。腹が減れば何か食べるが、満ち足りたらその先は食べたくなくなる。身体的な欲求というものには自ずから限度があるのである。 困った事に精神的な欲求には限度がない。かつて養老孟司は、金銭欲とは欲望に関する欲望であると喝破した。何かを所有したいという物的欲求は、それを手に入れれば一応収まる。しかし金銭はあらゆるものを手に入れるための手段だから、金銭欲には際限がなくなるのである。すべての人が己れの欲望に従って行動すれば、市場の見えざる手を通じて、世界はより効率的になるはずだ、という今日のグローバリズムの思想に比べれば、身体はなんと慎ましく、かしこいことか。 わたしは、「頭が良い」と言われるよりも、「賢い人だ」と言われたいと思う。賢さとは、単に頭脳だけの事ではない。身体と精神がちゃんとバランスをとって、統一されている状態を指している。そうなって初めて、人は欲望の奴隷の状態から脱出できるのだろう。もちろん、わたし自身にとって、賢さへの道はまだまだ遠い(頭はだんだんわるくなりつつあるが)。ただ、そのためには、わたしはからだの声にもっと耳を澄ます必要がある、と感じるのである。 久しぶりに恩師の家に皆で集まった。その時あがった話題の一つが、2年後の日本はどうなっているかということだった。いわば未来予測である。この種のマクロの未来予測はなかなか難しい。考えるべき事柄やパラメータが多岐にわたって、どれに焦点を当てるかが問題だからだ。そもそも、未来は科学的に予測できるものなのだろうか?
誰もが気になるのは景気の動向だろう。電力価格の高騰による製造業の海外移転と空洞化を心配した人もいた。原発の事故を念頭においてのことだったかもしれない。しかしわたしは疑わしいと思った。というのも、一般に製造業の製造原価において、電力料金の占める比率はかなり小さいからだ。化学プラントなどのように電力消費の大きい産業は、すでに自ら発電装置をつくるなどして自衛している。 もしも製造業の空洞化が進行するとしたら、それはむしろ円高のためだろう。過去10年間の工場の海外移転はもっぱらこの理由によるものだった。では、この円高は今後2年間で少しは解消されるだろうか。相場の予測は難しいが、逆にこう問い直してみてもいい。今後2年間で主要な基軸通貨であるドルとユーロは大きく上がるだろうか? 残念ながら今の状況を見る限り、難しいと思われる。現在のユーロの問題は、過去10年間のバブルのつけを払っているわけだ。その後始末はおそらく1年や2年ではきれいに終わるまい。一方、米国はどうか。確かに米国経済はいまだに世界一の規模を誇っているが、すでに国債の格付けはAAAから転落し、その歩みはもはや活力よりも威厳を示すものでしかない。ドルの価値が急上昇する事態は、いささか考えにくいようだ。つまり、今後2年間で、(たとえば中国の人民元が上がることはありうるだろうが)ドルやユーロが急上昇して大きく円安に動くことは、残念ながらないだろうと思われる。 それでは製造業の空洞化はますます進行し、日本経済の活力はもっと損なわれるのだろうか。それはいささか早計に過ぎる。日本のGDPに占める製造業の比率は、今や2割以下に過ぎないからだ。 製造業というのは「モノ」の形で付加価値を得る産業のことである。モノはストックしたり、海を越えて運んだりすることができる。ところがサービス業は違う。このサイトでも繰り返し述べたように、サービス業というのはリソースを提供して付加価値を作る産業だ。リソースというのは人的資源だったり物的資源だったりするが、どちらも現場性の強いものである。サービスの特徴は在庫が利かないことで、つくり出した現場で消費するしかない。いいかえるならば、サービスというのは海外で作って国内に持ち込むことが難しいものなのだ。だから現在の日本経済の主軸である第三次産業が空洞化することはほぼありえないだろう。 念のために言うが、日本経済が低調といっても、それは家計と中小零細企業が苦しいのであって、大企業の内部留保は意外にもかなりの水準を保っている。問題はそうした大企業がため込んだ何10兆円ものお金を、国内に再投資しないことである。国内に工場を作ったり、店舗を作ったりすれば必然的に雇用を生む。それをしないで海外に投資したり(鉱物資源の場合などは仕方がないが)、外国債券を買ったりしているから、国内の景気が上向かないのである。景気が良くないために国内外の投資を手控える。その結果ますます仕事が生まれなくなり、消費が落ち込む。一種のダウンスパイラルだ。 それにしても、製造業が雇用の吸収力を失いつつある現在、若い人はどこに働き口を見つけたらいいだろうか。この1、2年で目立つ傾向は農業への回帰である。大学の農学部への受験者が急増しているし、アグリビジネスの関心も高い。この傾向は今後も当面続くに違いない。広大な耕作放棄地があり、農業法人の組織化も高まっている。日本にはまだ古臭い規制や組織や利権だ残っているため、若い人たちが参入し、成功するまでにはまだ多少の時間がかかるだろうが。 農業と同じように、職人的な手仕事への回帰の流れも続くに違いない。日本の各種専門学校は世界的にみても、実はかなり高い水準の教育をしている。さらに大学を出たって手工業の仕事についてもいいじゃないかと思う人が増えている。私もそう思う。工場で高い品質を支えてきた高卒の人たちがいなくなる代わりに、より高い教育を受けた人たちが旋盤を回すようになるのだ。大量生産から個別生産への変化に、ちょうど付合している。誰もがネクタイを締めてホワイトカラーを目指す時代は終わりになるのだろう。 もちろん、こうしたことはすべて、人々や組織が合理的に振る舞ったら、という前提に立った予測である。問題はその前提が成り立つかどうかだ。 というのは2012年の現在、世界は政治の季節に入っているからだ。アラブの春に始まる中東世界の混乱、欧州ユーロ圏における分裂の危機、そしてアメリカの大統領選挙。東アジアでも朝鮮半島に軋みの音が聞こえる。 政治の季節というのは、人々が党派に分かれて権力争いをする時である。言い換えるならば、人々が目的合理性よりも感情に動かされる時代である。日本もこの調子で失業率が高くなっていけば、政治的な感情の波にのまれていくだろう。おそらく現在の二大政党制の枠組みは破綻して、ポピュリズムが政治の中心を牛耳ることになるかもしれれない。そうなれば、政策は安定よりもドラマティックな変化を志向し、改善よりも破壊的な出直しが好まれるであろう。あまり楽しい予想ではないが、そうなる可能性は十分にある。 それを防ぐにはどうしたら良いか。意外に思われるかもしれないが、そのためには皆が、リスクのある将来を予見することである。長らく私たちの社会は、安定志向で動いていた。安定志向=『安全第一主義』は、リスキーな未来予測を回避する思考方法である。結果として、多くの組織では変化のためのチャンスに見過ごしてきてしまった。現在の沈滞と混沌は安定志向がもたらしたものだ。 あるべき姿を予見してそこから逸脱する可能性をリスクとして考える。リスクの裏側には、チャンスがある。チャンスにかけて決断する。そしてその決断が正しかったことを証明できるように努力するのである。これが未来予測の実践的な効果だ。 あるべき姿を考えるためには価値観が必要になる。だから未来予測は科学ではありえない。未来は予測するのではなく作り出すべきものだ。それは、マネジメント的な技術なのである。 Merry Christmas! 一日の始まりをどこにとるかは、地域や分野によって様々だ。わたしたちは現在、太陽が南中する正午のちょうど裏側、深夜に一日の始まりをおいているが、このような習慣は各戸に時計があるのが当たり前になってきた近世以降のものに違いあるまい。日時計や水時計しかなかった中世以前にとって、深夜に一日の切り替わり点を置くのは不便だったはずだ。だから、日の出や日没のように、誰の目にも明瞭な気象上のタイミングを選ぶのが自然だろう。 古代の中東・パレスチナでは、一日の始まりは日の出ではなく日没だった。夕暮れになると新しい日が始まるというのは、わたし達の習慣からすると奇妙な感じがするが、これは慣れの問題なのだろう。だからクリスマス・イヴというのは、まさにクリスマス(降誕祭)の日の始まりであって、祝うのは当然なのだ。クリスマスに限らず、大晦日の夜をNew Year Eveと呼んだり、そのほか何かにつけ前夜祭を祝う習慣が西洋人にあるが、これは一日の始まりを日没とした中東の伝統を引きずっているわけだ。 一日の始まりもさることながら、新年の始まりのタイミングを今のような、冬の途中に置く理由が何なのか、わたしは時々不思議に思う。太陽暦ならいっそのこと冬至に合わせればよいと思うのだが。ちなみに1月1日もキリスト教では祝日に当たるが(だから西欧諸国ではその日だけは仕事もお休みだが)、わざわざそれを選んで新年にしたのだろうか。南半球では真夏の直前に新年が来るわけだが、これもどういう気分なのか、うまく想像できない。 今年は家族の事情のために、年賀状ではなく欠礼状を用意する状況になった。それはともかく、欠礼状は文面に悩む必要があまりない。しかし知人友人には、賀状をどういう文面にしようかちょっと迷っている、という人が多い。なんだか単純に“謹賀新年”でもないしなあ、というのである。その気持ちはよく分かる。あれほどひどい災害のあった年を過ごし、新しい年はせめてもっと良い事があるように祈るのは当然の気持ちだ。しかし、謹賀新年だけでは、気持ちに切実感が足らないのである。 今年1年のことを思い出そうとすると、たしかに3月のあたりで記憶がぽっきり折れて、時間が続いていないように感じる。むろん、日誌を読み返せばたしかに日々の記録はとってある。だが、あの震災と津波と原発事故の恐ろしい日に、もう日本がすっかり変わってしまったのだと感じた人は多かったはずだ。ちなみに、わたし自身がこの1年間、何をどう考え、感じてきたのかを、このサイトに書いた記事からたどって振り返ってみると、こうなる。 1月の最初は3つのリーダシップ・タイプを論じて始まったのだった。それから、仕事の最小単位であるアクティビティの構造を理解するレクチャー。そしてビジネスにおける「政治的」であることの意味を考える話。これが2月末だった。ついで入学試験の不正に絡んで、人材のサプライチェーンの話題。 ここで震災が起きたのである。「休めない人々」は翌3月12日だった。それからあの馬鹿げた「計画停電」の日々。それを批判するため「計画技術者の目から見た『計画停電』」を書いた。さらに「危機における技術のマネジメントとは」「安全第一とはどういう意味か」あたりまでは、一般論として名指しは避けたが、どこの誰のことを念頭に置いて書いたか、読まれた方にはおわかりだと思う。 「『正解のない問題』を考える能力」は多くの方の目に触れた記事だった。ここら辺からわたしは、現代日本の社会におけるマネジメント能力の貧困に目を向けるテーマを多く選ぶようになった。「トラブルの『技術的解決』と『マネジメント的解決』はどう違うか?」「「責任」には三つの意味がある」「ヒノモト家の人々 - マクロ経済学的素描」「知識労働、肉体労働、そして『感情労働』」などがそれである。しかし、こういう記事だけでは堅苦しくなってしまう。そこであえて若手向きに「仕事のレポートはこう書こう」や「新任リーダー学・超入門」シリーズをはさんだりもしたのである。 首都圏における生活が震災の直接の影響を抜けて、なんとか「日常生活」化してきたのは、暑い夏の頃からではなかったか。わたしも、自身が主査を務める「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」をスケジューリング学会で立ち上げ、そのほか講演依頼が9月10月にいくつか重なったりした関係上、なんだか多忙な秋だった。その講演テーマがリスクと問題解決に関わるテーマだった関係もあって、撤退に関する「ストップ・ロス・オーダーと撤退の知恵」「埋没コストの原理、または撤退の判断はなぜ難しいか」「失敗の無限ループから抜け出すマジックナンバー『5』」のシリーズを書いたりした。 「そんなものを戦略というのですか?」も、多くの読者を集めた記事だった。どうも、ネットの世界では『戦略』というキーワードが人気らしい。わたし自身は、あまり積極的に使う言葉ではない。ところがどういう巡り合わせか、11月から経営企画部門に移ることになり、いやでも毎日その言葉に直面することになってしまった。 こうしてみると、わたしのこの1年間のテーマは、マネジメントとリスクとの二つの焦点をめぐって楕円のように周回していたような気がする。 それにしても、ちょうど1年前の12月に、わたしはチュニジアの首都チュニスに日本アラブ経済フォーラム出席のため出張していたのだった。その時は、まさか29年間続いていた長期政権が、その直後わずか29日間で崩壊することになるとは思いもしなかった。わたしの観察眼のなさと言ってもいいが、あのような政治的地殻変動を予見できた専門家が、他にどれだけ居ただろうか。小国チュニジアで起きた地滑りは、津波のようにアラブ世界を襲ったのだった。 そのような潮流は時を同じくして、世界のあちこちで発生している。この1年間、ひどい変動に揉まれなかった国の方が少なかったくらいだろう。世界は今、政治の時代に移ろうとしているように見える。経済の時代が、ここしばらくは続いていた。経済が穏やかに安定している時には、政治は動きを止めていく。しかしその淀みの中でいつの間にか不条理と不満が発酵していく。そして経済が一旦つまずくと、民意が沸騰して政治の時代に表裏反転してしまう。 経済の時代は、ルールの枠の中で競い合う経済合理性の、言いかえれば計算づくの理性の時代である。そこでは予測が成り立ちやすい。あいにく、政治の時代はルールを作るための闘争の時代であり、感情の時代になる。予見しがたい、リスクの大きな時代と言ってもいい。 そうした時を生き抜くために必要なことは、たぶん二つなのだろう。一つは、変化に機敏に対応できる『勇気』を持つこと、もう一つは、ゆるがぬ道しるべとなる『価値観』を持つこと、なのではないか。それはつまり、今この瞬間を大切に生きろ、ということかもしれない。二千年前にパレスチナで生まれ、激動の時代を走り抜けた賢者も言ったというではないか、明日なにを食べ何を着ようかと思い煩うなかれ、一日の悩みは一日にして足れり、と。 あの恐ろしい災害の後の時代を、わたし達は生きている。生き残ったわたし達に託された宿題は何だったのか、新年に移り変わるひととき静かな今の季節に、もう一度考えなくてはならない。そのためにも、ひととき、この地上が平和でありますように。 ユーロが揺れている。このまま共通通貨として生きながらえるのか、それともばらばらに解体して各国通貨に戻ってしまうのか、瀬戸際のところにいるとも言われている。EUがなぜ通貨統合に動いたのか、その理由や動機についてはさまざまな解説があるが、とにかく政府も言語も違うが、マネーの単位だけは域内で共通化することで、規模の経済と効率化を求めたのは有力な理由の一つだろう。
ちょうど新通貨ユーロが導入されたとき、わたしは仕事でフランスに駐在していた。そこで見たのは、驚くべき早さでの通貨の切り替え(入れ替わり)であった。当初数ヶ月間は、新旧両方の通貨が一応使えることになっていた。しかし、パリで見ていた限り、最初の4週間で、すでに買い物や取引は95%以上がユーロで行われていた。そして各人が、手元に残ったフラン紙幣やサンチーム硬貨をどうやって使い切ってしまうべきか、と考えなければならない段階に来ていた。4週間でそこまで行くとは、予想外の速さだ。あの国の人たちの効率から考えるならば、じつに上出来の首尾といえるだろう。それだけ、文明の道具である「お金」は、浸食が速いのだ。 ユーロの紙幣は各国共通だが、硬貨は各国でそれぞれ裏側の刻印が違う。一月たった時に、ためしに財布の中のコインを調べてみたが、すでに違う国の硬貨が混ざっていた。むろん、パリが多数の旅行者や観光客の行き交う大都市であることを考えれば、当然かもしれないが。 ところで、その通貨切り替えの時、わたし自身はあの街に住んで8ヶ月目になっていた。しかし、ちっともフランス語はうまくなっていなかった。理由はもちろん分かり切っている。中年になってから、新たな外国語を覚えようというのがどだい無理なのだ。朝、覚えたはずのことが、夜になると頭からきれいさっぱり消え去っていた。朝に真理を学べば、夕べに死すとも可成り、という孔子の教訓の逆である。 しかし、もう一つ、自分用の言い訳が、ないでもなかった。それは、仕事は全部英語でやっているから、というものだ。 私が関わっていた電子商取引サイトの開発プロジェクトは、日揮とフランス企業のジョイント・ベンチャーであった。しかしフランス企業といっても、すでに欧州規模で多国籍企業化しているから、チームのメンバーにはドイツ人もイギリス人もイタリア人も米国人もいた。共通言語は(どうしても)英語になる。メールも会議も文書もすべて英語であった。 我々が英語を使っていたのは、しかし、望んでのことではない。妥協の産物である。英語以外しゃべれない米国人をのぞけば、英語で仕事ができて嬉しい、などと考えている人間は一人だっていやしなかった。 外国語というのは、つねに使い手にとってもどかしいものだ。外国語は、勉強すればするほど、ネイティブとの気の遠くなるような落差を認識せざるを得ないように、できているものらしい。なぜなら、言語はつねにその背後に、文化の総体を抱えているからだ。Projectという英語は、仏語のProjet、伊語のProjetto、スペイン語のProyecto、そして日本語の企画ないしプロジェクトとは、一致しない。それぞれの言語の中にある「計画・企画・投企」の概念が、少しずつだがみな異なっているからである。 通貨は経済の道具である。そして経済は人間の利便に供するもの、つまり文明の領域に属している。ところが、言語は文明の運転だけにつかうものではない。人にアイデンティティを与えるよりどころ、すなわち文化の領域に本来属している。 そして、文明にとっては共通化と規模の拡大は価値をもたらすが、不思議なことに文化は多様性によって豊かになっていくのである。 欧州は通貨を統合したことで、かえって文化の多様性をどう確保して行くべきなのかという難しい問題をあらわにしたと言っていい。われわれにしょせん英語はわからないのだ。いずれ世界中の人間が英語を話せるようになれば、平和で豊かな社会がやってくるはずだ、と夢見るおめでたい人間は、米国や(なぜか)日本にはときどきいる。しかし、私の知るヨーロッパ人の中には、ただの一人もいなかった。その理由ははっきりしている。平和とは多様性の共存だと、みな骨身にしみて歴史に学んだからである。 <関連エントリ> 「『英語』の向こう側」 平川町は、神奈川区役所から六角橋までをつなぐ、小さな通りである。わたしの家から坂を下りて2,3分のところを通っている。
平川町はもとは大工町だったらしい。通りを六角橋の方から歩くと、両側に畳屋、ふとん屋、桶屋、ガラス屋、土木屋、シート屋、そして提灯屋(!)などが並んでいる。しかし、ここに引っ越してきてから10年の間に、ぽつりぽつりと消えていき、だいぶん面影が無くなってしまった。 六角橋側の入口近くに、横浜では有名な「六角家」という家系のラーメン屋がある。少し下ると、「ローゼンボア」という、朝早くから開いている老舗のおいしいパン屋さんがある。が、それ以外はさして賑わう商店街ではない。歩いていると、大工町風の職人の店が消えた代わりに、新しい看板がいくつか目に入る。整体師・マッサージの店が3軒ほど。小さなスナックが数軒。そして、「エホバの証人」会館(といっても小さな店の2階だ)と、「真光教団」の集会所があることに気がつく。 マッサージと、お酒と、新興宗教と。我々の時代が欲しているのは、こうしたものらしい。そして、代わりに我々が失ったのは職人仕事だった。 『生きる』ということを考えること自体が、『新興宗教的』といわれるような事態になったのは、'80年代終わり頃からだった。たいていの人間が、おりにふれて思い出す疑問--この人生に、どういう意味があるのかという疑問を、まるで夾雑物であるかのように、見事に隅に掃き寄せてしまう社会。そんな社会に、私たちの住んでいる場所はいつのまにかかわっていた。 平川町をさらに下ると、小さな五叉路にでる。そのあたりは、なぜかテキ屋の人たちがかたまって住んでいる場所だ。そして、おそらくそのあたりから、小さな川が、海に向かって流れはじめている。だが、今その川は暗渠になっていて、区役所の脇を通り過ぎるまで日の光を浴びることはない。 生産管理であれロジェクト・マネジメントであれ、およそマネジメントと名のつく行為には『問題解決』がつきものである。どんなに精緻な計画を立てたって、実行段階に入れば、予期せぬいろいろな問題が生じてくる。物事が全て計画通りにいくならば、そもそもマネジメントなど不要であろう。だれかがメクラ判を自動的に押していればよい。マネジメントなる職務が必要になるのは、遂行途上で解決しなければならない問題が生じるからだ。
『問題』とは、自分達が(意識的であれ無意識にであれ)期待していた状況と、現実との間に生じるギャップのことを指す。これに対して、『課題』とは、あるべき姿と、現実のあるがままの姿のギャップをいう。問題が受動的に発生してくるのに対し、課題は能動的に作り出すものだ。ここで取り上げたいのは、問題の方である。これは、 問題=(期待)-(現実) という式に書くことができる。とうぜん自分達が抱いていた期待が高ければ高いほど、問題はより大きくなる。また、最初に抱いた期待が荒唐無稽であったり、あるいは漠然と無意識のまま願望だけをもってスタートしたりすれば、普通の状況でさえ、大きな問題に感じられる。つまり、問題の半分は、自分の側(の期待のあり方)にあるのである。 では、問題解決は、どのようなプロセスで進めるべきだろうか。少なくとも、PDCAサイクルでないことだけは確かだろう。問題をPlanする人間など、いないからである。だとすると、第一歩は、問題の発見でなければならない。現実を見て、それが自分達の期待と異なっていることを見いだす。「現実を見て」とかるく書いたが、チームでやる仕事ではけっして簡単ではない。仕事の状況をモニタリングし把握する仕組みがなければ、問題も見えてこない。おまけに、現実の組織の中では、しばしば“問題の抱え込み”も起きる。担当者が自分一人で抱え込んで、チームに報告してこない現象だ(これは根の深い事象なので、いずれ項をあらためて別に論じたい)。いずれにせよ、「問題の発生にすぐ気づく」のは、優秀なマネジメント能力の証左である。 さて、問題に気づいたら、その問題構造を掘り下げて、原因を見極める必要がある。原因分析である。これも単純そうに見えるが、やってみると案外難しい。最近は「なぜなぜ5回」が喧伝されているが、これなど注意して使わないと、とんでもなく筋違いな“原因”を摘発することになる。たとえば品質不良の原因をさぐっていくと、→ローコストな外注先の採用 →調達予算の不足 →元々が安値受注だった →不況が続いているため、といった調子でいつの間にか、誰もすぐには解決できない「不況」が根本原因になってしまったりする。これではマネジメントの役には立たない。問題構造の掘り下げには、案外きちんとしたスキルが必要とされるのである。 つぎに、解決策を考えるステップが来る。つまり「問題を解く」段階だ。ここが一番大事なことは言うまでもない。誰かが過去、同じような問題を解いていたら、それに習うことが出来る。だが多くの場合は、ここで何か新しい方策を考える必要が生じる。つまり、一種の発明である。 世間では、問題に気づく段階では『見える化』を、また問題構造の掘り下げ段階では『なぜなぜ5回』を頼りにするケースをよく見かける。どちらもトヨタの造語だ。ところが、解決策を考える段階については、(少なくともわたしは)手頃なトヨタ用語を思いつかない。たぶん世間も、同様であろう。 では、解決策の発明の段階では、どうすべきか。ここでわたしは、別の用語をお教えしたい。それは『抽象化』と『類推』である。問題を抽象化し、その上で類推をつかって、解決策を得る。これがわたしのお薦めの方法である。 この二つのキーワードを知ったのは、学生時代のことだった。小さな本屋で立ち読みした、新書版の本の中で見つけたのである。問題解決と発明がテーマの本だった。その著者名もタイトルも忘れてしまったので、今は探しようもない。しかし、その表紙の写真は決して忘れないだろう。表紙には、水平な板の上に卵を立てた写真が載っていた。ただしコロンブスのように、下側をつぶして立てたのではない。なんと、釘を打って立てていたのだ。五寸釘が、卵の上下を貫通して、下の板に打ち付けられている。おかげで卵はしっかり立っている。そういう写真だった。 序文を読み、目次を読んで、その著者の主張の大筋はわかった。問題に直面したときは、その対象固有の事象に惑わされがちだ。そこで一歩問題から離れて、『抽象化』して考える。卵を立てたい。しかし、卵は丸くて細長く、不安定だ。その時には、「卵を立てる」問題から少し離れて、「モノを立てる」という抽象化した問題を考えてみる。 つぎに必要なのは『類推』の作用だ。たとえば、細長いモノを立てる例は他にはないか。ある。たとえば木材だったら、釘を打つ、接着する、はめ込むなどの方法がある。傘を立てるなら、周囲にサポートを置く、あるいはポケット型の受け口を用意する方法がある、等々。そういう具合に、類推で「モノを立てる」いろいろな方法を思い出すのである。そこから、元の問題に適用可能な方策を見つければよい。事実、表紙の写真以外にも、卵を立てる方法を10個くらい、文中にイラストで紹介してあった。 (むろん、“卵を立てるのに道具を使うのはずるい”という反論もあるだろう。その時には、「道具を使わずにモノを自立させる」問題を考えればいいだけだ。しかし、“卵を立てろ”という元の問題に、本当にそんな制約条件があるかどうかは、不明である。解決する自分の側で勝手に--無意識に--制約条件をつけて考えている場合が、じつは多いのだ) その著者によれば、『抽象化』と『類推』の、たった5文字の言葉から、解決策の発明のための知恵が豊かにわいてくるのだという。あいにくこの本は買い損なってしまったが、この二つのキーワードは、単純かつ鮮烈だったために、記憶に残った。そして、やっかいな問題を考えるたびに、「抽象化して」「類推で」考えるくせが身についた。 ともあれ、解決策さえ思いつけば、あとはそれを実行に移す段階になる。まあ、しばしば実行段階でも、こまかな「サブ問題」が生じてくるのだが、それは同じ手順でつぶしていくことになる。かくして、解決策を実行したら、あとは結果を検証する段階に到達する。 だが、これで問題解決は終わりではない。仕事全体が完了した時点で、今度は発生した問題をふりかえり、再発防止のための「学び」をしなくてはならない。これでようやく、問題解決プロセスの終了である。以上をまとめると、 (1) 問題に気づく (2) 問題を掘り下げる (3) 問題を解く (4) 解決策を実行する (5) 結果を確かめる (6) 問題に学ぶ の6つのステップからなる行為だと言うことが分かるだろう。そして一番重要な「問題を解く」の段階では、『抽象化』と『類推』のキーワードをつかって、いきいきと頭を働かせることが必要なのである。 (参考エントリ) 「生産システムの性能を測る」 (この中で、抽象化と類推の一例を挙げています)
いつだったか、役員向けの説明資料を作っているときに、ふと「経営者にとっての1億円というのは、自分みたいなサラリーマンにとっての1万円みたいな感覚なのだろうか」と感じたことがある。決済権限の基準は会社によっていろいろだが、億を超えたら、まずどこでも役員決裁が必要になる。「1億円の買い物です、と気楽に言うが、1億の利益を稼ぐのがどれだけ大変なのか分かってるのか!」と言われたこともあった。これってちょうど、自分の子どもが1万円の買い物をねだりにきた時と同じ感覚なのかもしれない。
たとえば年商500億円と言ったら立派な中堅企業の業容だが、その企業にとって1億円は、ちょうど年収500万円の個人にとっての1万円に相当する。だとすると、中堅企業に5億円のERPパッケージ一式を売りに行くというのは、Office Suiteソフトウェアを5万円で買ってくださいというのと同じだし、30億円の工場ライン新設の提案は、30万円で部屋のリフォームを提案するのと似ている、のかもしれない。すくなくとも、企業の1億円=個人の1万円、という換算は、少しだけ相手の感覚に近づく手がかりになった。 最近ふと、官公庁の資料を読みながら、この換算式は日本全体を論じるときにも当てはまるのではないか、と思いついた。ただし、国全体の場合は1兆円=個人の1万円である。ちょうど日本の人口も1億人ちょっとであることを考えると、あながち根拠レスな対比ではあるまい。たとえば、経産省の産業構造ビジョン2010などを読んでいると、“戦略五分野で、今後140兆円以上の市場創出。インフラ関連/システム輸出で18.2兆円の増大”などと書いてあるが、単位が大きすぎて何の事やらピンとこない。だが、これを兆→万に換算すると、「そうか、年収140万円の増加が目標で、システム輸出の分は18万円くらい稼ぐつもりなんだ」と、自分の理解範囲にぐっと近づいてくる。 そこで、このアナロジーをもっと強引に使って、日本経済全体像を、身の丈に合わせた形に書いてみよう。すなわち、「日の本」家の人々の暮らし向きである。 ヒノモト家の現在の年収(GDP)は、約480万円弱である。月々約40万円だと思えばいい。'90年代の一番多いときには、520万円近くあったのに、もう10数年間も頭打ちで減り続けている。 ヒノモト家を取り仕切っている、一番えらい人は父親(政府)だ。この人の年収は90万円である。でも、その半分は実は他の家族から入れてもらっているお金を、管理しているにすぎない。そして、残り半分は借金である。この人自身は、何かを作り出して稼いでいる訳ではないのだが、皆に対してあれこれ指示を下し、「皆が安心して暮らしていけるのも俺が居るからだ」と口癖のように言っている。収入90万円のうち70万円は、家の補修や医療費、セキュリティなど皆の生活を支えるために使っているが、残る20万円は、以前借りたお金の返済に使っているのだから、ちょっと馬鹿みたいだ。累積債務は900万円もあるのだが、「なあに、いざとなれば財産は沢山ある」と言っている。 ヒノモト家の長女(農業)は、ずっと趣味的な家庭菜園を続けている。昔は家族全員の食べるものを作った時もあったが、最近では4割くらいしか自給できていない。土は肥沃で水にも日光にも恵まれており、おかげで良い作物も少しは作るのだが、菜園のあちこちは草ボウボウだったりする。高齢化のために足腰が弱ってきているせいだろう。後継者がほしいと言っている。家の外には作物はほとんど売らない。年収は7万円ちょっとである。 ヒノモト家の長男(製造業)は、筋骨逞しいが、年を取ってきてこのごろ背中がちょっと淋しい。頑固で、意見を大声で言う。自分が皆を食わせているという自負があるのだろう。でも、この人の年収は100~110万円くらいで、一家の稼ぎの2割を切ってしまった。20年前には125万円くらいあったのだが。この人は、家の外とのつきあい(輸出入)が一番多かったので、“自分は世間を良く知っている”と信じているが、最近は減ってきたので、皆からその内実をあやしまれている。でも、「ヒノモト家の復興は俺が支えるんだ」と、まだ頑固に言っている。 次男(流通サービス業)は、ひどく太っており、歩くのがのろい。でも実は長男より稼ぎが多く、220万円弱の年収がある。ヒノモト家の約45%を、この次男が稼いでいる勘定だ。だったら、もっと贅肉を落としたらいいのに、と周囲からは言われている。 ヒノモト家の次女(金融業)は、眼鏡をかけた才女である。父親の通帳も預かっていて、実はいろいろなことに自分の意見を通している。父の借金は彼女を通しているからだ。他の家族も、彼女からお金を借りたり稼ぎの中から返したりしている。ただ、この人は慎重なのか無謀なのかよく分からない性格で、家族にお金を融通するときは担保を取り、決して損をしないようにしているのに、一度、外の男にだまされて財産をかなり失った。だが、父親のかけ声で、家族皆に援助金を拠出してもらった。本人も覚えているはずだが、まるで何もなかったかのように振る舞っている。電卓が商売道具なのに技術オンチらしく、電卓が1週間くらい動かないことも最近あった。お金は沢山預かって持っているが、本人の年収は30万円ほどである。 三男(建設・不動産業)は地味だがそつのない服装に、営業用笑顔をいつも見せて歩いている。年収は90万円強。皆の住む家の増改築・営繕と賃貸を仕事にしている。父親や次女とも仲が良く、20年前はかなり羽振りも良かったが、家の外で何やら痛い目にあったらしい。最近は家も建て増しの余地はなくなって、次はどうしようか考えあぐねている風情である。 ヒノモト家の最後の登場人物は、母親(家計)だ。この人には稼ぎはなく、使うだけである(年に約300万円くらい)。皆の衣食住の面倒を見ている。もちろん、この人が居なくなったら他の家族は皆、生きていけなくなるのだから、もっと敬意を持って接しても良さそうなものなのに、「お客さま」としてお金をもらう時くらいしか愛想を言わない。母親も、そんなものだとあきらめているらしい。 (念のために書くが、上記で業界の「稼ぎ」・「収入」と表現したものは、各産業の『付加価値額』であって、売上の絶対値ではない。付加価値とは、その業種が生み出す経済的なバリューであり、売上から外部に支払うお金を差し引いたものである。国内で生み出された付加価値額の合計が、DGP=国内総生産になる。なお、政府系サービスその他の細かい項目は、ここでは無視している) さて、このヒノモト家で最近、困った事故があった。長女の住んでいるスペースで、北東向きの池に面した一角が、突然の災害で大きくこわれてしまったのだ。長女も怪我をした。そればかりか、そこに父親が置いていた発電機が壊れて、有毒な物質があたりに飛び散ってしまい、危険で近づけなくなったのである。被害総額は、25万~30万円くらいかもしれないと言われている(誰も正確にはよく分かっていない)。長女や母親は、「大丈夫だから」と言い続けてきた父親になんとかしてもらいたいと思っているが、一家の家計から見ると、すぐおいそれと出せる金額ではない。『一刻も早い復興を』と皆、口では言っているが、具体策となると家族で意見が分かれている始末だ。 これがヒノモト家の人々である。どこにでもいる、ごく普通の人たちだ。“村で二番目に稼ぎがある”と自慢することもあったけれど、「土地があって家族が多けりゃ当然だんべ」と思う村人もあるらしい。なにより、皆の集まる寄合いでも、二言目には『お金』の話をすることが、鼻白むべきことと思われている節がある。けっこう風流なところもあるのに、残念な人たちだ。チキュウ村では、ときに喧嘩もあるが、基本は助け合いである。なのにヒノモト家の人たちの態度は、このごろひどく内向きだ。今でも人並み以上に稼ぎはあるのだから、もっと村をリードし助けることを考えるのが大人だろうに、と周囲は思っているのである。
大阪での所用の帰り、ちょっとだけ時間が余ったので京都で途中下車した。夕方だったがまだ新緑が日に映えて美しい。枝垂れ桜や八重の花も少し残っていて、その色の対比も心地よかった。八坂神社から知恩院にまわり、国宝の三門を拝観。お上りさんをしたわけだ。
その知恩院の前には大きな張り紙があり、「法然上人の八百年大遠忌法要を、震災のためにやむなく九月に延期する」と大書してあった。八百年大遠忌だから、法然という人は1211年に没したことになる。12世紀の終わりから13世紀初頭にかけて活躍した人なのだ、と思った。 12世紀ルネッサンスという言葉がある。西欧世界は、十字軍をきっかけにイスラム文明に触れ、そこを経由して古典ギリシャ時代の哲学や文化を輸入し学んだ。その刺激から生まれた一種の新しい文化の潮流を指す。明けて13世紀は、アッシジの聖フランシスコらが活躍する宗教の刷新時代になる。西欧史と日本史は面白いことに並行関係が成立していて、12世紀の日本は新しい武家風の文化が台頭し、13世紀になると鎌倉仏教が隆盛する。 それにしても、800年も経ってまだ記憶され法要が営まれるとは、偉大な影響力である。まあ一つの宗派を作った宗教家だから、と言えるかもしれない。では、他の宗教ではどうなのか。たとえば、キリストの命日はいつだか、ご存じだろうか。誕生日は「クリスマス」として世界中で有名だが、キリスト教徒は、教祖の命日は祈念し瞑目したりはしないのか。 いや、ちゃんとするのである。先週(22日)の金曜日が、その日だった。これを聖金曜日(英語でGood Friday)と呼び、斎戒すべき『受難の日』と定められている。祭日になっているキリスト教国も少なくない。それなのに、なぜ有名ではないのか? その理由は、毎年、日にちが変わるからだろうと思われる。この聖金曜日は、実はイースター(復活祭)の二日前の金曜日と決まっている。そう、24日の日曜日はイースターだったのである。そしてイースターは、「春分の日の後、最初の満月の次の日曜日」という、太陽暦と月歴を付き混ぜた複雑な定義のため、毎年変わる移動祝祭日になっているのだ。 復活祭は、キリスト教において最大の祝日だが、春の再来を喜ぶお祭りでもある(少なくとも北半球では)。教祖の命日のすぐ二日後に復活のお祭りとは、ずいぶん斎戒の期間が短いと感じられるかも知れない。でも、それは違う。実は復活祭からさかのぼること6週間半前に「灰の水曜日」という日があって、そこから復活祭までは、キリストの受難を悼む禁欲の期間(「四旬節」)と定められている。西洋の古い習慣では、肉食を絶って魚を食べることになる。だから四旬節に入る直前に、謝肉祭(カーニバル)が行われるのである。 この四旬節は47日間続く。これは日本の仏教で命日から服喪する期間の「四十九日」とほぼ同じで、偶然とはいえ不思議である。あるいは、人間の感情が落ち着くまでの期間が、それくらいかかるのかも知れない。 宗教現象というのはつねに興味深い、不思議なものだ。高等生物の中には仲間の「死」を認識するものもあるが、追悼をするのは人間だけである。遠くネアンデルタール人も、仲間の埋葬にあたって、花を捧げていたらしい。というのも、人骨の遺跡の近くに大量に花粉が見つかったからである。遠く去った仲間に花を捧げる、というのは、アーリントン墓地や無名戦士の墓に詣でた外国元首なども従う儀式であるが、どうやらわたし達人類の文化的遺伝子に刻み込まれた行動パターンらしい。 なぜ人は鎮魂の儀式を必要とするのか。それは簡単には答えられない問いである。著名な精神医学者の土居健朗は、たしか「『甘え』雑稿」の中だったと思うが、なぜ人は誰かの通夜などで「お悔やみ申し上げます」というのか、と問うていた。そして自分がその言葉を受けとる立場になった時、残された者が故人に対し“ああすればよかった”“もっとこうしてあげればよかった”と後悔し、『悔やむ』からなのだ、と気づいたという。つまり、自分達がいかに不完全な仕方でしか、人を大切にし愛することができなかったかを悟る時の言葉なのだ。そして残された者が、互いに助け合いながら生き続けていこう、と確かめるために、ああした儀式が必要なのかも知れない。 あの恐ろしい3.11の震災の日から、もうじき7週間経つ。わたし達の故郷は、大きく傷ついた。いや、実はもう、だいぶん前から傷んでいたのだ。その最も弱い部分を、災害が襲った。日本が変わってしまった日、と感じたのはわたしだけではあるまい。 これだけ深く傷ついたら、癒えて立ち直るまでには相当の時間が必要である。まず、心の中で引き裂かれた感情が静まって、ほつれが戻り、断線が再びつながるための時間がいる。それまでは、まずは静かに、追悼と鎮魂の期間をすごすべきではないのか。 元気を出そう、一日も早い復興を、とメディアは繰り返す。それは真心から出た言葉だろう。だが、わたしには何だか性急なメッセージに聞こえるのである。動物だって、傷ついたら、動き回らず、ものも食べず、じっとうずくまっている。それが動物の本能的知恵だ。動物も人間も、活動の時期と、休息の時期がある。24時間元気でいたいと思うのは浅知恵な願いだ。 わたしは酒食や娯楽まで何でも自粛しろ、と言っているのではない。追善供養の席では、みな飲食して、故人の遺徳をたたえるではないか。ただ、方や自粛する、方や復興を急ぎ消費の落ち込みを憂う、それを同時に行うのは矛盾はないかと感じるのだ。復興を叫ぶ声の後ろには、「復興需要」をあてこんだ産業界のそろばんの音さえ混じっているように聞こえる。一日も早く以前の日常を復旧させたい、地震と津波と原発と計画停電にゆさぶられた日々を忘れたい、との感情は理解する。だが、それくらいならば、四十九日の間はきちんと喪に服し、それからゆっくりと日常生活に復帰するという、古いしきたりの方がずっとメリハリがあると思う。 わたし達はたぶんまだ十分、追悼ができていないのだ。素人コーラスがわたしの休日のささやかな趣味だが、今期の曲目を決める時、鎮魂の歌を1曲入れるべきだと思った。お金による寄付だけでなく、歌うたいならば声で気持ちを捧げることも、ありではないか。 なんだか古くさい、馬鹿げたことを書いているような気もする。でも、自分たちがあの災害で生き残ったのは、偶然に過ぎない。生き残った者が真っ先にすべきことは、去った仲間を悼むことではないか。そうして、受け渡された生の意味について、もう一度考えるべきなのである。 < 前のページ次のページ >
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