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日本のメタン・ハイドレート活用をはばむ(かもしれない)陸上側の課題とは

日本近海には天然ガス資源の一種である『メタン・ハイドレート』が大量に眠っている。メタン・ハイドレートとは、メタン分子を水分子が取り囲むような形で固体化した包接化合物で、低い水温と高い圧力のもとで生成する。一種の透明な氷に似ているが、メタンが閉じ込められているので火をつけると燃える。このメタン・ハイドレートの採掘を実用化すべく、国の後押しを受けて研究者たちが最近活発にチャレンジしていることは,新聞報道などで見た人も多いだろう。エネルギー資源をほぼ100%近く輸入に頼っているわたし達の社会にとって、自国内に未開発資源が大量にあるというニュースは心強い限りである。

さて、半年ほど前だが、東大柏キャンパスで開かれた日本船舶海洋工学会の秋期講演会に呼ばれて、「石油・ガス開発における国内産業界の取り組みについて」の題で講演をした。これは『我が国の海洋産業について考える』というオーガナイズド・セッションの一部で、メタン・ハイドレートなど海洋での非在来型エネルギーを、陸上側における石油・ガス産業などが利用する際の課題について話してもらいたい、との要請であった。船舶海洋工学会に集まる参加者は、いわば海の人々で、陸上の事情にはあまり詳しくない。だから課題があればともに考えていこう、とのご趣旨である。

海底に眠るメタン・ハイドレートをどうガスとして採掘し取り出すか。たしかにこれは技術的に非常にチャレンジングで面白い課題だ。とくに安全かつ効率的に取り出すのは難しい。メタン・ハイドレートはある意味、不安定な物質で、下手に刺激すると爆発的な乖離を引き起こすらしく、北欧の深海底には自然に引き起こされたらしい大規模爆発の跡が残っている。しかし、かりにうまく海の真ん中でメタンガスを効率よく採取できたとして、それをどう利用するのか。エネルギーが足りないのは日本の本土なのだから、船の上で燃やしても何の役にも立たない。陸まで持ってこなければならないのだが、わたしの考えでは、そこに4種類の課題がありそうだ。

課題その(1)は、ガスの前処理と輸送方法の適切な決定である。普通に考えるなら、ガス・パイプラインによる陸地への輸送が第一の選択肢となろう。ただ、パイプラインは相当の距離を、それなりの深度の海底に敷設することになるので、コストと安全性の両面で不安がある。ガス中の水分・CO2などは、パイプラインに送り込む前にある程度除去しておくことが望ましい。これは採取地点のあたりに浮体構造の処理設備をおくことでなんとか解決するだろう。

もう一つの選択肢は、LNG化によるLNGタンカー輸送である。浮体構造の天然ガス液化プラント(F-LNG)で液化し、LNG船で輸送する方法だ。ただし、これを実現するためには、産出ガス量がある程度必要であり(あまり少量だとLNGプラントの効率が上がらない)、当然それなりの投資額となる可能性がある。

陸上まで無事に運んだとして、次なる課題その(2)は、陸上側での受入基地の設置である。受入基地の目的は、ガスの精製・貯蔵・陸上出荷だ。産出されるガス組成と輸送形態にもよるが、我が国の厳しい環境規制に適合したガス精製・貯蔵設備と広い土地が必要になる。メタン・ハイドレートでいま注目されているのは南海トラフだが、そうなると和歌山や四国・九州南岸あたりに立地が必要である。また、通常の天然ガス精製技術はある程度確立しているが、ハイドレート由来ガスに関してはチャレンジも生じるだろう。

しかし、活用における最大の障壁は、課題その(3)の「販売のサプライチェーン整備」にあると考えられる。受入基地まで運び込まれた天然ガスは、当然ながらその先に販売チャネルが必要である。ところが、ここにエネルギー・サプライチェーンの分断という問題が立ちはだかるのだ。

周知の通り、我が国のエネルギー業界は消費者への供給形態にしたがって、「石油業界」「ガス業界」「電力業界」という風に分かれている。資本関係も互いにほぼ独立である。これは日本の特色と言っていい。本来エネルギーというのは互いに転換可能であり、じっさい日本では天然ガスの国内用途の約7割が電力(火力発電所)に使われている。そのため海外では、同一企業グループが石油もガスも発電も取り扱う形態が多い。石油メジャーや韓国の財閥などはその典型である。

しかも日本の電力ならびに都市ガス業界は、地域独占事業の形態をとっている。全国区でエネルギーを販売しているのは石油業界だけである。ガス業界はさらに、導管供給主体の「都市ガス」業界と、「液化石油ガス」(プロパンガス)業界に分かれる。都市ガス業界は、東京・大阪・東邦・西部の大手4社の他に、中小規模の地域会社が多数存在する構造だ。というわけで、消費者用・事業用を問わず、ガスの販売業者は地域性が強い。

この問題をさらに難しくているのは、日本におけるガス・パイプライン網の欠如である。我が国には米国のような広域ガス・パイプラインが存在しておらず、また将来も引けないだろうと予測される(理由はここには書けないが、この予測に同意する業界人は多いはずである)。このため、ある地域で受け入れたガスを、他地域のユーザーに輸送供給するのは困難だ。だからメタン・ハイドレート由来の天然ガスを、どの地域の基地に受け入れるかは、各社にとって死活的に重要となる問題なのである。

せっかく日本近海でメタン・ハイドレート採取が実用化しても、それはごく一部の地域しか恩恵をもたらさない可能性がある。その根本原因は、わたし達の社会に総合的・全国的なエネルギー・サプライチェーンが存在していないことにある--物理的なインフラの意味でも、業界構造や地域独占の壁という意味でも。理想をいえば、いろいろな地域で、自由な発想を持った供給業者が競争し、それを他地域の消費者が自由に選べる形となることが望ましいのだが、残念ながら一朝一夕には実現するまい。

では、どうしたらよいのか。

一つの方法は、ガスを採取する洋上プラントで、同時にガソリン・灯軽油化することである。天然ガスを物理的に冷却・圧縮するLNG化と異なり、化学反応によって石油中間留分に転化する技術をGas to Liquid(GTL)と呼ぶが、これはすでにカタールや南アなどで実用化されている。そして、ガソリンや灯軽油ならば、通常の安価なタンカーによって、日本のどこにでも輸送が可能である(LNG船はそれ自体が高価な上、LNG受入基地は日本に少ない)。さらに、石油製品の輸送網は全国化しているため、サプライチェーンの問題も小さい。

もう一つの方法は、天然ガスとして陸上に受入れ、その場所でエネルギー複合供給ビジネスを起こすやり方だ。単に都市ガスとして域内に供給するだけでなく、同時に発電ならびに地域熱供給事業も行う。電力ならば、一応、電力網を超えて販売することも可能だ。供給の安定性や操業の自由度から考えた場合、このように都市ガス・発電・熱のコンビネーションで複合供給ビジネスも構想しうるだろう。先の方法と組み合わせて、GTLをメニューに入れるのも一案だ。無論、こうした取り組みには、地域と業界の規制の壁を超えるための様々な工夫が必要かもしれないが。

いずれにしても、海底のメタンをうまく掘り当てたとしても、それを本土に持ってきて活用するまでには、かなりいろいろなチャレンジが想像される。事業費もかなりかかるだろう。だとすると、最後の課題その(4)として、ファイナンスとリスクの克服をあげなければなるまい。海洋資源開発事業は巨額の投資を必要とし、リスクも大きい。リスクの中には、国内あるいは国際的なガス価格の下落なども含まれる。そう言う意味で、たとえば石油天然ガス・金属鉱物資源機構など公的資金の最大限の活用が望まれようし、もちろん賢明なるわれらが政府は、すでにその方向に向けて課題を整理中、だと信じたいところである。
by Tomoichi_Sato | 2013-05-06 16:46 | サプライチェーン | Comments(1)

コストセンターとは何か

コストセンターというのは奇妙な用語である。多義的だ、とか、意味が確定しにくい、とかいう訳ではない。コストセンターとは「費用だけが集計される部門単位」という定義が明確にあり、その点では、ほぼゆらぎがない。にもかかわらず、この用語は様々な価値判断や感情的評価を込めて使われている。ネットをちょっと調べてみれば分かるが、「もうコストセンターとは呼ばせない!」とか、「コストセンターからプロフィットセンターへの脱皮を」といった風に、ネガティブな意味合いで使われることが多い。あるいは「所詮コストセンター子会社だから」とか。いったい費用だけが集計される会社とは、どういう意味だろうか。収入がない会社が存在するのか?

もともと「コストセンター」とは、会計学から発した言葉だった。日本語では「原価中心点」という、いささかぎこちない訳語があてられている。意味は先ほど紹介したとおり、費用集計の部門単位である。企業の中には部門がたくさんあり、どこでも費用が発生するから、コストセンター(つまり中心点)がたくさんある、ということになる。なんだか幾何学的にはヘンな気もするが、まあ気にせず通り過ぎることにしよう。たとえばSAPの導入コンサルだったら、コストセンターは主にこうした会計的意味で、会社の組織定義のプロセスで使っているはずだ。

これに対となる用語がある。それは収入だけが集計される部門単位で、こちらは「レベニューセンター」と名付けられている。ところが、現実にはどんな仕事だって、人が動けば(最低でも人件費は)発生する。特許収入のように座っていればお金が流れ込んでくる種類の仕事でも、最低限の知財事務は必要なはずである。だから、純粋なレベニューセンターは実際の会社には存在しない。

そこで、コストも収入も発生し集計される部門単位が登場する。これを「プロフィットセンター」と呼ぶ約束になっている。

さて。ここまでは会計学(とくに原価管理)の概念である。会計学の特徴として、きわめて厳格に定義されているが、価値判断からは中立だ。会計士は、この製品は好ましいだとか、あの部門はアホだとかは言わないのである(少なくとも表では)。ではなぜ、コストセンターという語に、価値と感情がからみつくことになったのか。それは、会計学に隣接する別の学問、経営学の世界にこの語が取り込まれたからだ。経営学では(とくにサイエンス志向のあまり強くない経営学者の間では)、用語は厳密性より「説得力」が求められる。まして経営学のさらなる隣接地、経営コンサルやメディアの分野では、概念の「物語性」が最大の価値となる。

さて、経営学の分野ではマネジメントが主題である。そのため、部門をマネジメントする際に、その部門の性格、ならびに管理目標が問題になる。そこで、コストセンターは費用だけが集計される部門であり、費用で管理するべきだし、プロフィットセンターは収入と費用の両面で(つまり収入-費用=利益で)管理すべきだ、という見方が誕生する。

ちなみに、営業機能と開発・製造機能の双方を併せ持つ「事業部制」という仕組みを発明したのは、GMの社長スローンだったと言われている。それまでのGMは、開発・製造・販売・・と機能別に縦割り型の部門が、すべての車種を面倒見ていた。彼はそれを変えて、製品ファミリごとに、開発から販売まで自己完結・一気通貫で動く組織をつくった。この事業部は製品ごとの特性に応じて意思決定も資源配置も迅速に行えたため、大きな成功をおさめた。おかげでGMも成長したし、彼の名はMITのビジネス・スクールの名前に残った。このような事業部は、まさに収入と費用の両方を自己管理できるという意味で、プロフィットセンターと呼ぶにふさわしい。

ところで、用語というものは流通していくうちに、しばしば本来の意味から離れていく。いつの間にか、事業部制をとらぬ通常の企業でも、営業部門は収入を集計するから「プロフィットセンター」で、製造や物流や研究開発部門は(そして人事経理など本社部門も)、「コストセンター」と呼ばれることになった。これは、元の会計学的な意味では正しい。しかし、経営学的には正しいだろうか? 製造をコストだけで管理する--それはどういう意味だろうか。

コストだけが部門の評価尺度と言うことになれば、向かう方向は必然的に「コストダウン」しかなくなる。コストは小さいほど良い。だから、コストセンター部門は必要かもしれないけれど、会社から見れば重荷でしかない、一種の必要悪である、という事になってしまった。このような見方は、コストセンター部門の子会社化による切り離し、という動きにつながり、'90年代後半から加速していく。その典型は物流子会社であろう。また工場の製造子会社化も広く行われるようになった。その背景には、わたしが以前から指摘している「サプライチェーンにおける生産から販売へのパワーシフト」があった。

ところで、よく考えてみてほしい。コストセンターを子会社化するというのは、その対象部門に「売上が立つ」事を意味する。そうでなければ会社として成り立たない(税務署だって認めまい)。工場を製造子会社化する場合、営業部門はそこから製品を価格付きで仕入れる事になる。今まで一つの会社だったときには意識されなかったモノの途中段階の値段が、急に浮上してくる。これを「移転価格」と呼ぶ。

この移転価格はどうやって決まるのか? 本社の販売側は「安ければ安いほどいい」から、製造原価で出せと要求するかもしれない。しかしそれでは利益ゼロで、子会社の経営が成り立たぬ。他方、原価よりずっと高い価格をつけたらどうなるか。本社側のマージンがその分減少する(無論、減った分は子会社に計上されるが、連結決算ではプラスマイナス・ゼロになる)。だからここは駆け引き、交渉になるのだが、まあ通常は本社の立場の方が強い。本社としては、製造原価とまでは言わぬ、子会社だって間接部門を維持し研究開発だって少しは必要だろう、だから原価+販売管理費の分までは負担しよう、と言うはずだ。

だが、もし子会社が100%親会社への内販だけでビジネスをしていたら、これはつまり会社として内部留保も成長余地もないことを意味する。あなたがこのような「コストセンター子会社」の経営者だったら、どういう将来展望を描き、どうやって従業員のモチベーションを高めるだろうか? ずいぶん難しい課題ではないか。

そうなると、残された道はただ一つ、親会社以外への外販比率を高めて、そちらで儲けていくしかない。だが、これは口で言うほどたやすいことでない。それは世の中に数多くある物流子会社を見ればよく分かるはずだ。営業人員だって不十分な機能子会社に、どうやって顧客を捜してこいと言うのか。一部の例外を除けば、多くは内販に頼っている現状がある。こうした会社は会計的にはプロフィットセンターだが、親からは相変わらずコストセンターと呼ばれている。

話を少し戻す。かりに子会社ではなく社内の機能部門だったとしても、コストというものは、本当にそれ単体で管理できるものなのだろうか? コストのみに責任を持つ組織というが、ここには何か欠けている要素がないだろうか?

コストの高低を言う場合、大事なことがある。それは、比較のベースである。製品コストならば、数量と、品質と、納期があってはじめて、比較可能になる。クラウンとカローラを比較して、カローラの方が安いといってよろこぶ愚か者はいない。また、同じものを作るにしても、1個作るのと100個作るのでは、当然値段は違ってくる。自分が外からモノを買うときを考えればすぐ分かる。

いいかえるなら、「コストだけに管理責任を持つ組織」では、マネジメントとしては全くの片手落ちである。いわば借方に対する貸方、つまり方程式の等号の反対側に、管理項目がなければならない。製造のようにマテリアルを供給する機能の場合は、品質・納期になる。物流のようにサービスを提供する機能の場合は、誤配率に代表される物流品質ということになる。言いかえるなら、サービス・レベルである。つまり、コストセンターは、サービス・レベルとコストに大して管理責任を持つ組織であるはずなのだ。品質が高ければ、コストもそれなりにかかる。納期が正確なら、それなりに費用もかかる。これが道理というものだ。もちろん数量も大事なコストの因子だ。だが、数量はむしろ需要側(販売側)が責任を持つべき項目であろう。

繰り返すが、経営学的にコストセンターをとらえるならば、サービス・レベルを規定した上で、コストを管理目標としていかなければならない。そうしてこそ、初めて他社との比較も意味を持ってくるのであり、また適正な移転価格レベルについても議論可能な状態となるのである。

(追記)英語版Wikipediaによれば、「プロフィットセンター」という用語をマネジメントの世界に最初に取り入れたのはドラッカーだったらしい。しかし彼は後にこの用語がおかしな意味で一人歩きしたのを見て後悔し、「企業内にあるのはすべてコストセンターだ。唯一プロフィットセンターと呼ぶべきは、不渡りでない小切手を切ってくれる顧客である」と述べている。
by Tomoichi_Sato | 2013-03-11 23:07 | サプライチェーン | Comments(1)

お知らせ:「モノづくりIT Expo」で基調講演を配信します

ITメディア社が主宰する、ネット上のバーチャル・エキスポである「モノづくり IT Expo 2013」で、

 『サプライチェーンと生産マネジメント~モノまね『JIT生産』を卒業するために

と題する基調講演(特別セッション)の画像を配信します。約25分間。わたしのしゃべる画像と、PowerPointのスライドが同期して表示される形式です。
配信期間は2月19日(火)~3月8日(金)で、Expoに登録すれば視聴できます。

主な内容は、1年前に上梓した「“JIT生産”を卒業するための本―トヨタの真似だけでは儲からない」でわたしが執筆した第5章のエッセンスともいうべきものです。一部は、このサイトでも部分的に書いてきたことと重なります。
エンジニアリング会社の仕事を通して、いろいろな工場計画にたずさわった中で考えてきた問題提起で、「マクロな状況を理解して、自分の頭で考えよう」という、ある意味では当たり前のことを言っているにすぎないのですが、この当たり前を飛び越して、“正解”に飛びつこうとする傾向へのアラームのつもりでもあります。

ご興味がありましたらぜひご試聴下さい。


日揮(株) 佐藤知一
by Tomoichi_Sato | 2013-02-09 23:32 | サプライチェーン | Comments(0)

BtoB企業とサプライチェーンの強者 ~これから就活をする大学3年生へ

先月、ある国立大学のお招きで、工学部の3年生・約100人を相手に、1コマ講義をする機会をいただいた。テーマは「サプライチェーンとスケジューリングの基礎」である。学生たちの感想を読むと、比較的多くの人の興味をひいたようなので、ここにその最初の部分だけを紙上収録させていただく。内容の一部は以前、日経産業新聞や「“JIT生産”を卒業するための本」に書いたこととも重なるが、新しい話題も含んでいるのでご容赦いただきたい。

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ご紹介にあずかりました日揮株式会社の佐藤知一です。今日はこれから皆さんと一緒に、「サプライチェーンとスケジューリングの基礎」というテーマで1時間半ほど勉強したいと思います。が、本題に入る前に一つお伺いします。皆さんの中で、『日揮』という会社名を聞いたことがある人、いますか?

(1-2名だけ手を挙げる)

はい。ほとんどの方はご存じないようですね。でも、別に全然かまいませんよ。実はわたし自身、皆さんの年齢だったときには、まだ日揮を知りませんでしたから。では、ためしにもうちょっと別の会社名をたずねてみましょうか。皆さんのうち、アマダという会社を知っている人はいますか?

(誰も手を挙げない)

ご存じの方はいないようですね。それじゃあ、日東電工はいかがですか? あるいは、森精機は? 東洋製罐は? せめて、信越化学は? 

(あいかわらず誰も手を挙げない)

そうですか。実は、いま名前をあげた会社は、いずれもその分野では日本を代表する、世界でもトップレベルの会社ばかりです。年商も千億円規模で、かなりの大企業です。業績はその時々で多少の浮き沈みがありますが、基本的には立派な製造業の会社ばかりだと思ってください。そういう優良な会社を、工学部の学生である皆さんが知らない。知らなければ、就活の対象にも考えないでしょうね。もったいない話です。

でも、なぜそんな素晴らしい会社が、皆さんに知られていないのでしょうか? 答えは、簡単です。TVコマーシャルをしていないからです。日揮も殆どしません。なぜしないかというと、これらは“ビー・トゥー・ビー”と呼ばれる企業だからです。

(黒板に B to B と大書する)

BtoBとは、Business to businessの略。Businessとは会社のことです。会社対会社の取引を、BtoBと呼びます。BtoB専門の会社の場合、顧客はすべて企業です。たとえば日揮はエンジニアリング会社とよばれる業種で、わたし達は製造業のお客さまのために、工場を作って差し上げる仕事を専門にしています。工場を設計し、資機材を調達し、建設工事を管理する。そのProject Management能力を売っているのです。私どもにお仕事を下さるのは、すべて製造業の会社で、個人ではありません。だから、TVコマーシャルで「工場を作りたかったら、どうぞ日揮へ」なんてうたっても意味がないのです。普通の人がコマーシャルを見て、「うん、そうだ。ウチも工場を持とうか」なんて思ったりはしません。

先に名前をあげた他のBtoBの会社は、いずれも企業向けの製品=生産財を作っています。工作機械とか電子材料とか。そうした製品は、顧客企業が選んで買うとき、きちんとした技術評価を経るので、メディアにイメージ広告を打っても効果はないのです。

ではBtoBの反対概念は何でしょうか。Businessの反対は、Consumer(消費者)です。一般消費者向けの商売を営む業態を、BtoCと呼びます。みなさんがよく名前を知っている有名企業は、たいていがBtoCの会社です。自動車とか、家電、飲料、化粧品などはすべて消費財で、BtoCですね。消費者向けの製品ですから、さかんにメディアに広告宣伝を打つ必要があります。だから皆、名前を知っている。名前を売っている訳です。有名=大企業、と思っている人がいますが、いつでもそうとは限りません。でも、新聞やTVではとりあげられやすいですね。就活も、知名度の分、人気が集中しがちです。

しかし覚えておいてほしいのですが、現在の日本において、業績を上げて元気がよい企業はむしろBtoBに多いのです。ご存じのとおり家電業界はこのところ不調つづきですし、飲料・食品などもあまりさえません。成熟市場だからとか、安い輸入品に押されて、とかいろいろ言われていますが、元気なBtoB企業を見ると、話はそう単純じゃないはずだと気がつきます。

そもそもBtoBとかBtoCとか、会社はどうやって決まるんでしょうか。皆さんは、『サプライチェーン』という言葉を聞いたことがありますか?

(少数の学生が自信なさそうに手を挙げる)

サプライチェーンとは文字通り<供給の連鎖>で、モノが消費者の手元に届くまでのつながりを示す言葉です。たとえばこのiPhoneですが(と手に持つ)、わたしがこれを買ったのは家電量販店です。量販店は、Apple社から仕入れている。Apple社は中国かどこかの委託製造先にこれを組立させた。その部品はまた、たとえば日本や韓国から入り、さらにその材料は・・という風にさかのぼって、最後は石油だとかアルミナ鉱石だとかを地面から掘り出すところに至ります。これがサプライチェーンで、原料に近い方を「上流側」、消費者に近い方を「下流側」と呼ぶ習慣です。

BtoC企業というのは、この長いサプライチェーンの最下流、消費者に一番近く位置している会社なのです。BtoB企業は、それより上流側のいずれかの位置を占めている会社です(だからBtoBの会社の方が、数は多そうな気がしますよね)。またサプライチェーンはモノの流れですから、モノの種類により、業種ごとに別々に存在しています。

このサプライチェーンですが、基本的に上流側から来るモノの流れと、下流(消費者)側から来る需要の流れを、調整するためにあります。消費者は気まぐれですから、日々変わりやすい需要に対し、サプライチェーン全体が機敏に即応することが求められます。そしてこの能力が、企業や、業種全体の収益力を、大きく左右するのです。

たとえば、トヨタ自動車を考えてみましょう。リーマンショックや米国でのリコール・訴訟問題などで多少つまずきはありましたが、大きな利益を上げ続けている、日本を代表する企業です。このトヨタの強さはどこから来るのでしょう? 「カンバン方式」や、ニンベンのついた「自働化」などの技法が利益の源泉? たしかに同社がこうした技法に多大な努力を払って来たのは事実です。しかし、わたしが見るに、トヨタに代表される自動車業界の真の強さは、そのサプライチェーンの姿にあるのです。

(図1 自動車業界のサプライチェーン)
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皆さんはカー・ディーラーが、自動車会社ごとなのをご存じですね? トヨタのディーラーに行って、マーチを買うことはできません。自動車業界のサプライチェーンは、真ん中に自動車メーカーがおり、その上流側(部品サプライヤー)も下流側(販売会社)も、系列化しておさえている点に特徴があります。サプライチェーンで需給調整のための計画を立案する機能を持っているのは、真ん中の自動車メーカーのみです。しかもサプライヤーは、自動車メーカーの生産計画に同期化するための仕組み(カンバン)をもっています。また需要の季節変動が少なく、短期的な流行も少ないのが、商品の特徴です。最後に、店頭在庫がなくても、消費者は1週間や2週間は黙って待ってくれます。

こうした特徴があるため、自動車業界は、きわめて平準化生産に向いた効率的な体制を組めるのです。とくに、上流・下流の系列をコントロールする力が強いほど、収益力も高い。

これに対して、電機業界のサプライチェーンは、こんな形をしています。

(図2 電機業界のサプライチェーン)
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皆さんは家電品をどこで買いますか? 最近は量販店で買う人が多いでしょう。量販店では、ソニーもシャープもパナソニックの製品も並んで置いてあり、その場ですぐ値段を比較することができます。家電メーカーは量販店をコントロールできません。だから、量販店と電機メーカーは独自に計画を立てているのです。

しかも電機業界は面白くて、部品を同業他社から仕入れたりすることがあります。日立の製品をあけると、中に東芝のチップが入っていたりします。そうなると、一つのサプライチェーンで、需給計画を立てている会社が二つも三つも存在することになる。それぞれ別の見込で動きます。おまけに、新製品のサイクルが短く、季節性の商品も多い特性があります。さらに消費者は、店頭に在庫がないと別の商品を買ってしまいます。このため、過剰在庫をまねく傾向が強いのです。

皆さんが家電会社の社長さんだったら、この図を見て頭が痛くなりませんか。どうやったら、最終消費者の好みに即応して製品を出荷できるのか。とても難しいですよね。

では、ちょっと応用問題を考えてみましょう。農産物のサプライチェーンです。皆さんの中で、ご実家や知りあいに農業をやっていらっしゃる方はいませんか?

(ごく少数が、気恥ずかしげに手を挙げる)

はい。結構です。農業って、大変ですよね。なぜ、大変なんでしょうか? 力仕事だから? いえ、近頃は結構、機械も進歩してきました。問題は、やはり需要と供給にあるのです。野菜類はあまり在庫がきかない特徴があります。自動車や家電製品との大きな違いですね。おまけに、消費者はバックログ(受注してから仕入れる事)も許しません。え、キャベツが品切れなの? じゃあ、今日は別の料理にするわ、という訳です。

(図3 農産物のサプライチェーン)
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しかも、工業と違い、農作物の生産量は天候等に左右されて変動しやすいものです。在庫もできない、供給も安定しない、かつ消費者は気まぐれ・・当然、需要と供給にギャップがしばしば生じますよね。需給バランスが合わないとき、しかし農産物のサプライチェーンには在庫調整機能が無いため、価格変動が生産者を直撃する仕組みになっているのです。だから豊作貧乏が起きたりして、農業というのは引き合わない仕事と言われるのですね。頑張ってたくさん作ったのに、自分に全部はね返ってくる業界なのです。これを解決するためには、長期契約とか、直販とか、別な販売チャネルを構築しなければなりません。

ちょっとまとめてみましょう。

サプライチェーンにはつねに、需給ギャップのリスクが存在します。需給にギャップが生じたら、一番良い解決法は、需要に合わせて即座に供給(生産)調整する能力を持つ事です。ただ、これは簡単ではない。そこで次なる手段として、「在庫」による調整機能をもちいます。普通は供給が多くなれば在庫の形で、需要が高まれば納期(マイナス在庫)の形で、変動リスクの吸収と調整が行われます。

即応能力も在庫能力も無いと、需給調整は「価格」によって行われるしかありません。その結果、どうなるかというと、農業のようにちょっとした需要の変動が価格の乱高下につながります。ちなみに農産物のうち、コメは在庫がきくが、国策で価格を高めに決めています。だから在庫が無尽蔵に増えてしまうのです。

皆さんに覚えておいてほしいのは、「需給ギャップ(リスク)を、自ら調整する能力を持つ者が、そのサプライチェーンの支配力を持つ」という事です。逆に調整能力の最も小さい者には、つねにリスクが押しつけられることになります。こうしたサプライチェーンの性質を意識しながら、自らのポジションをうまく確立できた企業が、持続した成長力を持つのです。

日本では、「大事なのは製品開発力だ」という常識がはびこっています。Appleの成功などが刺激となったのでしょう。
「ヒット商品が生まれれば会社は成長できる」
「日本のものづくりが復活できないのは、魅力ある新製品を作れないからだ」
・・・こういう話はメディアに蔓延しています。『なぜ日本でiPhoneが生まれなかったのか』という題の本さえ出版されました。

たしかに魅力的な新製品の開発は大事です。成功すれば大きい。しかし、製品開発という仕事は、失敗確率も非常に高いものです。作ったものが次々ヒット、ということは滅多にありません。

他方、皆さんはこの車をご存じでしょうか。そう、トヨタ・カローラですね。カローラは「偉大なる平凡」などと揶揄されながら、長年にわたり販売台数トップの座を守りつづけました。偉大なる平凡を作り続けたトヨタ自動車の収益は、『供給力』に源泉があります。『供給力』とは、サプライチェーンの中で、需要にぴったりマッチした生産を行う能力です。「必要なモノを、必要な時に、必要な数だけ」=ジャスト・イン・タイム生産がこの会社の基盤でした。

では、製品開発力で有名なApple社が、供給力で犯した知られざる大失敗のお話しをしましょう・・。
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ということで、供給力の話題から、得意分野のスケジューリングの講義になっていくのだが、この先は専門的になるし演習も入るので、紙上収録はここらで切ることとさせていただこう。
by Tomoichi_Sato | 2012-11-28 22:47 | サプライチェーン | Comments(0)

在庫問題の構造を把握するために

先日、中小企業診断士の勉強会で講師に呼ばれて、在庫管理に関する簡単なレクチャーをする機会があった。在庫問題は、製造業にも小売業にも広く共通する悩みといっていい。在庫に頭を悩ませないでいいのは、完全個別受注生産(英語でいうとETO=Engineer to Order)の形態をとる航空機・造船・プラントなど、設計してからモノを買えばいい業種と、あとはホテル・鉄道・医療・金融などの、そもそも商品の作りだめや在庫ができないサービス業だけである。

モノがありすぎる。それなのに、必要なモノが必要なときに限って、手元に無い。これが典型的な在庫問題だ。モノがありすぎればスペースをくう。保管や出し入れに余計な手間も費用もかかる。保管中に破損したり、有効期限を過ぎたり、へたをすれば陳腐化して無用になってしまうリスクもある。それに、お金を無駄に寝かせていることになる(運転資金を固定化してしまっているため、その分、じつは知らぬうちに金利を余計に払っているのである。これを「在庫金利」と呼ぶ)。これが会社の損益や資金繰りを圧迫する。在庫がありすぎていいことはないのである。

それなのに、なぜ在庫が多いのか。一つの理由は、「たくさん買うと安くなる」からだ。いや、「そう信じられているからだ」と言い直そうか。資材購買部門のモチベーションは、“いかに安く買ったか”に集中していることが多い。購買の仕事は、営業の仕事のちょうど対称型になっている(これはサプライチェーンにおける売りと買いの位置を考えてみれば当然のことだ)。営業が売上を目指して走る姿を、ちょうど鏡に映したみたいに、購買は単価低減を手柄に思う(ちなみに、どちらも「文系」の仕事だと思われている点でも似ている)。ここで頼られる原理の一つが、“1ダースなら安くなる”=ボリューム・ディスカウントなのである。だから、つい購入ロットが大きくなる。

しかし、責任は買う側ばかりにはない。作る側だって、“作りすぎ”によって仕掛や製品在庫を積み増している。なぜ作りすぎるのか。それも一つには、「一度にたくさん作った方が安くなる」からだ。たしかに、その局面の作業効率や品質だけを見れば、製造ロットが大きい方が作りやすいのは事実だろう。こうして、購買部門も製造部門も、コストダウンを最優先に置けばおくほど、買いだめ・作りだめに走ることになる。

でも、その結果として在庫が増えれば、収益を圧迫することになる。だったら、部門のコストダウン目標とは矛盾しないのか? --ところが、たいていの場合、本人達にとっては矛盾しないのである。なぜなら、保管費や入出庫工数アップは物流部門の問題だからだ。それに、在庫金利(これが本当は一番深刻なのだが)は、工場長の問題ですらない。本社の財務部門が支払う金利にかくされているからだ。ここに、分業化された機能型組織の問題がある。

もちろん、会社全体としては在庫過剰は課題と認識されだろうるし、在庫削減の号令も、何度となく繰り返して下されてきたはずだ。そのたびごとに、不要品を廃棄したりして、工場側は“対応”してきた。だが、コストダウン目標が取り下げられた訳ではない(そんなことはあり得ない)。コストはいつでも最優先課題である。コストはコスト、在庫は在庫。両者の間に微妙なトレードオフ関係があろうとは、本社の側ではあまり認識されていないようだ。

それでは、どうしたらいいか。出発点は、在庫問題を事実として正確に把握することからはじめるべきだ。最初に書いた在庫理論のセミナーでは、出席された銀行の人から質問があって、「中小企業に指導に行ったとき、在庫問題についてはどう言えばいいか」と問われた。それに対するわたしの答えは、「ツー・ステップあります」であった。

(1)まず、在庫を表に出すこと。どれがいくつあるのか、品目と数量を調べてみることである。在庫量をきちんと把握できていない企業は、案外多い。またこれは、文字通りの意味も含んでいる。つまり、(小企業などでは)倉庫の奥に寝かしてある在庫品を、まず見えるところに出してみるのである。表に出してみると、「こんなものがこんなにあったのか!」と驚くことが、必ず出てくる。それだけでも、かなり学習効果がある。棚卸作業は毎期やっているはずなのだが、工場管理者が人任せにしていて現場を見ないでいると、気づきが起きないからだ。

ちなみに、品目別の数量がわかったら、それを金額ではなく、日数分でカウントさせることが大事だ。「10万円分」ではなく「150日分」と把握させる。そのためには同時に、その部品の平均的な使用量を把握しなければ、日数を計算できないことになる。財務上は、たしかに金額で表示される。しかし、無駄か無駄でないかは、むしろ日数分の方がずっとビビッドにわかる。月平均30個使うなら、150個だと150日分だ。「こんな部品が5ヶ月分もあるのか・・。」 すると、あとは自分たちで考えはじめるようになる。コンサルタントの一番重要な仕事は、クライアントが自分で考えるよう、しむけることにある。

(2)上記が一応できたら、つぎに、在庫量のうち、どれだけが意図した在庫で、どれだけが意図せざる偶発の結果かを考えてもらう。意図在庫とは、文字通り、組織が意思を持ってそこに一定量おいて確保しようと決めた在庫である。これは組織の意思であって、個々の担当者の意思や気まぐれではないから、その量も、当然ながら一定のルールに基づいて決め、組織が定期的に見直す。一方、偶発在庫とは、その意思に反して(あるいは何ら明確な意図がないために)生じたもののことだ。その多くは買いすぎ、作りすぎによる『できちゃった在庫』である。また工程のトラブルで生じる一次的な滞留なども含まれる。

ちなみに、前回「その在庫はストックですか、フローですか?」で述べたように、在庫は下流側消費予定の有無によって「ストック在庫」と「フロー在庫」に分類できる。したがって、在庫は全体として4種に分類できることがわかる。

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いうまでもなく、たいていの中小企業にとっては、「意図在庫」などはゼロで(明確な在庫計画の意図がないから)、全部が「偶発在庫」である。そこで、偶発在庫と意図在庫の比率を、なるべく後者が大きくなるようにした上で、Wilsonの経済ロット公式などを教えつつ、さらに意図在庫を適正な量まで削減(ときには増大)させていくのである。

サプライチェーンのリスク・マネジメント」でかつて書いたように、漠然と生じた余計な冗長性は省いて(在庫は冗長性そのものだ)、要所要所に必要最小限の冗長性を意図して追加することは、サプライチェーンの効率性と安定性(レジリエンシー)を同時に確保するための手順でもある。そしてまた、「問題とは、漠然と期待していた状態と現実とのギャップをいい、課題とは、『あるべき姿』と現状とのギャップを指す」ということも、このサイトでは何度も書いた。在庫についても同じである。在庫問題というのは、在庫について漠然としか考えていないときに、生じる。「あるべき意図在庫の量」が明確なら、そこには課題があるだけなのである。
by Tomoichi_Sato | 2012-06-10 16:49 | サプライチェーン | Comments(0)

その在庫はストックですか、フローですか?

もうだいぶん前のことになるが、仕事でスコットランドのアバディーンという街に出張した。北海に面したスコットランド第二の都市で、北海油田関係の企業が集積している。仕事を終えてかえる頃に、親戚への土産にスコッチ・ウィスキーを買っていこう、と思い立った。しかし、わたしは酒に弱いので、ウィスキーのことなどさっぱり分からない。そこで取引相手のスコットランド人にアドバイスを求めた。すると彼の答えはとても簡潔明快だった。「15年以上の、シングルモルトのものを買え」

わたしはその言葉にしたがって、銘柄は忘れたが15年モノのシングルモルト・ウィスキーを探し求め(とにかくあの地ではやたらとたくさんの種類のスコッチが店に並んでいるのだ)、幸い親戚にも喜んでもらえた。わたし自身はきっと15年物だろうが7年物だろうが飲んでも区別できないだろう。しかし、スコットランド人は、(あんなに料理の味には無頓着なくせに)ウィスキーの味となると微に入り細に入り、じつに批評眼が鋭いのだ。

ところで、このとき店頭に並ぶウィスキーの在庫を見て、こう思ったのも事実だ。こういう製造に長期の時間を要するメーカーの生産管理というのは、どうやって考えるのだろう?

「15年物のウィスキーのリードタイムは?」という質問を、わたしはリードタイムを説明するときによく使う。このサイトでも以前書いたかも知れない。ウィスキーの仕込みを始めてから完成するまで、製造のリードタイムはたしかに15年(以上)だ。ところで、この酒をネットで注文すると、2,3日後には手元に届く。いったいどちらが本当のリードタイムなのか?

むろん、この問いは実は意味がない。リードタイムとは、なんらかの『オーダー』(指示)が発せられてから、それが完了するまでの期間を呼ぶ。そのオーダーの種類によって、リードタイムも何種類もあるのだ。生産指示が出てから、生産完了するまでを「生産リードタイム」と呼ぶのだし、納入指示(発注)から納品までの期間を「納入リードタイム」と呼ぶ。だからウィスキーの生産リードタイムは15年だが、納入リードタイムは3日なのだ。両者の差は、ウィスキーのサプライチェーンの「店頭在庫」がギャップを埋めている。

さて、そうなると一つの疑問がわく。それは、ウィスキー・メーカーの在庫の多寡は、どうやって判断するのかという問題だ。財務諸表を引っ張り出して、棚卸資産の金額を、売上高の金額で割って「棚卸日数」(あるいはその逆数である「棚卸回転数」)を計算する作業は、企業診断のコンサルタントだったら誰でもやる作業だ。しかし、なにせ蔵の中には15年分の貯蔵酒があるのである。店頭在庫が10日分あろうが60日分あろうが、数字的には大勢に影響はないことになってしまう。無論、店頭在庫だけの回転数を計算することはできる。だが、洋酒メーカーに限って半製品・仕掛在庫を計算から除外する根拠は、何なのか? いや、洋酒だけではない。日本酒にせよ、味噌・醤油にせよ、長期間熟成過程を必要とする製造業は案外多い。短期と長期の境目はどこに引くのか?

じつは、このような疑問は、在庫というものの中身を区別しないから生じている。中身と言うよりは「目的」とよぶべきかもしれない。それは「ストック」と「フロー」である。

在庫はみなストックではないのか!?--そう、考える人は多いだろう。答えはNOである。在庫には、下流工程の使用予定が未定のものと、使用予定に明確に紐付いているものの二種類がある。前者がストックとしての在庫である。後者は、すぐに使われていく、一次的な存在であるから、『フローとしての在庫』と考えるべきだ。ちなみに英語では、在庫全体(棚卸できる対象)をInventoryという。このうち、消費予定が明確でなく保存しているものをstockといい、すぐ下流工程に使われるものはふつうWork in Process (WIP)と呼ぶ(ただしstockには“保管する”という動詞の意味もあるので、まぜこぜに使われることも少なくない)。

通常の在庫管理では「引当」という仕組みがあることはご存じだろう。“どこそこ向け納入予定に引き当てた”といった使い方をする。つまり使用予定を予約することを在庫引当というのだが、未引当在庫を「ストック在庫」と考えると分かりやすいかもしれない。逆に、すでに全量が下流の使用予定に引き当てられているものは「フロー在庫」である。

フロー在庫の代表例が、ウィスキーなどの「エージング」期間中のinventoryである。これは漠然と保管しているのではない。エージングは一種の製造工程だと解釈することもできるだろう。だから貯蔵樽の中のウィスキーは、フロー在庫なのである。同様に、ベルトコンベヤの上に並んで流れていく半製品・仕掛も、フロー在庫である。それは短期間、一次的にそこに存在するだけである。ウィスキーだって、一定の熟成期間が終われば、製品として瓶詰めされる予定に最初からなっている。そして、瓶入りの製品になった瞬間、(たぶん)それは納入先の未定な「ストック在庫」に変身するのである。

誤解のないようにしてほしいのだが、「動いているモノ」がフローで、「止まっているモノ」がストックなのではない。かりにコンベヤに乗って動いていても、売れるあてのない商品を工場から物流倉庫に移しているだけならストック在庫である。味噌樽の中の味噌は、エージング中のフロー在庫である。

わたし達が生産管理の有効性で問題にするべき尺度は、使用未定の「ストック在庫」の量と回転率である。なぜならストックは、陳腐化や売り損ないのリスクにさらされているからだ。またストックはお金を寝かせているので、在庫金利という形で見えないコストを発生させている。他方、「フロー在庫」は、避けて通れない在庫である。15年物のウィスキーを7年に短縮しろ、とコンサルタントが要求したら、それは愚かというものだ。もちろん、ロット待ちなどで無駄な滞留が起きることは、もちろんある。工程を工夫してフロー在庫も減らせるなら、減らせばいい。しかし決してゼロにはならない。ゼロを目標にすべきでもない(それはモノを作っていないのと同義だから)。

みなさんが何か製品や部品を手に持ったら、“これはストックなのかフローなのか”を自分で問うてみるといい。さらに自分に入ってくる情報や帳票も、ストックなのかフローなのか、区別を考えてみると面白いかもしれない。ただし、モノの世界では、ストック在庫はいつかは出荷されてフローに変わるはずだが、単に履歴として貯蔵されているデータは、自分達が主体的な意思を持って分析しない限り、意味のある情報としてフローには再度転化しないだろうが。
by Tomoichi_Sato | 2012-06-02 15:22 | サプライチェーン | Comments(1)

冷蔵庫の在庫とサプライチェーンを考える

牛乳を冷蔵庫から出し、コップについで一口飲んでから、ふとパックの日付をみると賞味期限をすぎていた経験はないだろうか。あるいはヨーグルトやジュースでもいい。たしかに風味はやや落ちているが、別におかしな味ではない。まだ飲めるのにな、どうしてこんな早い賞味期限をつけるんだろう? 飲料メーカーの「リスク・マネジメント」のおかげで、捨てなければならない食べ物が増えたような気がする。そのリスクにしたって、消費者の心配よりも、自分達がクレイマーをおそれてのことじゃないか。そんな気分にもなってくる。

しかし刺身だとか青菜だとか鶏肉だとか、他人やメーカーのせいにできない食料品も、つい無駄にしたことがある。買うときには、すぐ食べるつもりだったのである。でも、何かの都合で後回しになり、そのまま冷蔵庫の中で日が経ってしまった。傷みやすいものは、それでも気をつけるのだが、そうでもないものはつい油断してしまう。こうして、アフリカやその他、地球上で飢えている大勢の子供たちに申し訳ない気持ちになりながら、食べ物を捨てた経験のある人は、わたし以外にもいるにちがいない。このような先進国の無駄が、限られた地球の農業生産物の不平等な分配に寄与し--なんて高尚なことは思わないにしても、とにかくもったいないではないか。

この問題を解決するにはどうすればよいか。とある日曜日、グローバルな食料不足という課題に微力ながら貢献すべく(つまりは多少ヒマだったから)、サプライチェーンの観点から、解決策を考えてみた。サプライチェーン・マネジメントとは、需要と供給を同期化し一致させることにある。これはこのサイトでも繰り返し書いたことだ。在庫や移動の無駄が発生するのは、その需要と供給が一致していないことに起因する。発生(供給)と消費(需要)のタイミングが合わなければ、そこに在庫が発生し、発生場所と消費場所が違っていれば、輸送が必要になる。

だからといってミルクが飲みたくなるたびに、牛舎からウシを引っ張り出して連れてくるというのも、やや面倒ではある。衛生上、低温殺菌だって必要だ。それにあんな量を毎日生産(排出?)されては、とうてい我が家だけでは消費しきれぬ。やはりここはメーカーさんにミルクプラントを運用してもらい、見込生産(あるいは、わたしの呼び方では『需要予測生産』)で供給してもらうしかない。バッチで殺菌処理して、小分けにして瓶詰めあるいはパック詰めする。そして消費量に見合った配達をする。受け取った方は、やはり冷蔵庫にしまうしかない。

牛乳に限らず、一般に農業生産物は『需要予測生産』で作らざるを得ない。魚を食べたくなってから釣りに行ったり、漬け物を食べたくなってから大根を植えたりする訳にはいかないからだ。おまけに自然の産物にはその季節、あるいは旬がある。そして生ものだから消費期限も。だからどうしても食料品のサプライチェーンには在庫がついてまわる。米のように貯蔵性の良いもの以外は、長持ちする加工品にして貯蔵することが必要である。まさに人類が昔からやってきたことだ。あとは冷凍・冷蔵するか、である。これを生産者の場所ではなく、消費者の各家庭で実現したのが、家庭用冷蔵庫であった。だから戦後復興期に、冷蔵庫は洗濯機や掃除機とならび、家電必需品となって、家電メーカーを(日本だけでなく多くの国で)大企業に押し上げたのである。

ところで、そもそも冷蔵庫という近代的マシンの機能は何だろうか? 仕組みから言うと、あれは冷媒をコンプレッサーと配管で気化器と熱交換器に循環させ、内部の熱を外部にくみ出すシステムだ。そうした冷却機能と並ぶ、もう一つの柱が「保管機能」である。冷蔵庫は多品種少量品の保管システム、であるはずである。この面から再検討できないだろうか。

工場や物流センターなどで倉庫を機能設計する際のポイントがいくつかある。まず、使う側のソフトの問題だ。保管する物品は、箱や缶やコンテナなどに入れて、ある程度「定型化」することがコツである。積みやすく・持ちやすくなるし、スペース効率も高まる。まあ、牛乳パックなどは合格だろう。野菜や魚介類は不定形なので、ちとやりにくい。だからタッパーウェアは偉大な(そしていかにも米国らしい)発明品であった。かの国では、買い物は週に1回、車で巨大スーパーにいき、一週間分の食料品をカート一杯に積み込んでかえってくる、というのが標準的生活パターンだからである。貯蔵量が半端じゃない。牛乳パックなども2リッターが普通なのだ。

つぎにソフト面で考えるべき事は、その小分けした物品に現品表(カンバン)を貼ることだろう。内容が何で、いつ購入し、いつまでが消費期限かを明記する。そして入出庫管理台帳をつくり、どのIDの物品を出し入れしたか記録する、のだが、こんな面倒なことを家庭ではやっていられまい(じつは、かなり多くの工場でさえ、きちんと現品表を貼らずに資材をおいたり運んだりしている)。

とくに、入出庫管理台帳の一番大事なポイントは、『保管場所のロケーション管理』である。あれってどこに置いたっけ? と冷蔵庫の奥をかき回した経験は誰にもあるだろう。どの物品をどの場所に保管したか。これは後で取り出すときのキーになる。ほかに倉庫管理システム(WMS)の機能として、ある品目の合計量の計算、棚卸と在庫修正、などがあるが、ここには詳しく述べない。そうした情報システムに興味のある方は、渡辺幸三氏の著書「生産管理・原価管理システムのためのデータモデリング」などを読まれることをお薦めする。

ところで、こうしたロケーション管理的な面倒の一切をなくしてくれる、素晴らしい発明がある。それが立体自動倉庫だ。棚が縦横にならんでおり、スタッカー式クレーンなどと呼ばれる機械が動いて物品の出し入れをする。入出庫口に荷物を置けば、自動的に空いている棚に運び入れてくれて、場所は自分で覚えておいてくれる。「あれ取ってきて」と頼めば、自分で勝手に取ってきてくれる。荷物にバーコードでもついていれば、自動的に識別もしてくれる。では、冷蔵庫に自動倉庫機能をつけ加えてはどうだろうか? 消費者の悩みは万事解決、ではないか。

ところが、そうはいかないのである。「あれ取ってきて」とわたし達が人に頼んで言うときには、“あの牛乳の、一番古いやつから先に取ってきて”という意味である。しかし自動倉庫の側は、17番の棚の牛乳と26番の棚の牛乳が「おなじもの」だというパターン認識はできないのだ。せめて商品バーコードが共通なら、同種物品だとは判定できよう。その場合でも、賞味期限までは分からない(バーコードには入っていない)。だから結局、箱と中身の紐づけ(マスタ作成)はユーザの作業になってしまう。

しかももっとまずいことがある。自動倉庫にいったんしまうと、どこに入ったか分からず、視界から消えてしまう。すると記憶からも消えがちになる。どこかの棚で牛乳がチーズになり、ワインがお酢になっていても気がつかないことが起こりうるのだ。定期的な棚卸作業が必要になる。これでは失敗だ。

自動倉庫方式の、機械と情報システムのインテリジェンスに頼るやり方は、(大規模工場ならともかく)冷蔵庫程度のスケールでは引き合わないことが分かった。それでは、どうするか。発想を逆転させて、人間の側の視覚とインテリジェンスに頼ることにしてみよう。

まず大事なのは、どこに何があるか全部見えるようにすることだ。このためには冷蔵庫の扉を現在のような金属製のものではなく、断熱ガラス製にすべきである。さらに、冷蔵庫の幅と奥行きも問題だ。あれでは手前に物を置いたら奥のものが見えなくなる。だから、冷蔵庫はもっとずっと平べったい、奥行きせいぜい30cm程度のものにする。

しかし、そうすると壁面を今よりたくさん占有してしまう。狭い日本の住宅事情から考えて問題だ。これをどうすべきか? じつは、妙案がある。それは、冷蔵庫を縦型から横置き型にしてしまうことである。横置きにして、下に4本の足をつける。つまり、文字通りテーブル型にして、台所ではなく、ダイニングルームの真ん中におくのだ。上面はガラス製だから、上からどこに何があるか、全部一目で見渡せる。以前買ってきて忘れたもの、賞味期限が近づいたもの、すべて目で見れば思い出す。モノ探しの手間もずっと減る。

食事の時に冷蔵庫の中身を見たくないのなら、その時だけ上にクロスを敷くか、あるいはいっそ液晶方式にして、スイッチ一つで洒落た模様に変えるのもいい。

取り出し口は、横につける。つまり引き出し方式にする。この引き出し口は、左右両側につけるようにする。そして中に入れる物品は、すべてトレーにのせる。このトレーは滑りやすくできているので、突っ込んだり出したりが楽にできる。

しかし、出し入れ口を左右二ヶ所にする最大のメリットは、「入口と出口の分業」である。例えば必ず左から入れ、右から出すようにする。こうすると、庫内に左から右にものの流れができる。つまり、先入れ先出し方式が自動的に実現できるのである。どのヨーグルトを先に買ったのか、もう悩まなくていい。右に近い方から順に取り出せばいいだけだ。庫内が一杯になってきたら買い物を控えるだろうし、少なくなったら買い出しの時期だと分かるだろう。

うーむ、われながら素晴らしいアイデアだ。究極の「サプライチェーン型冷蔵庫」である。これを商品化すれば一攫千金、大金持ちになれるだろう。だが、地球レベルの食糧問題に貢献すべく公共心を発揮し、このアイデアは無償で公開することにしよう。

しかし、この程度のことは、ちょっと気が利いた工場ならばすべて職場で実現していることだ。モノを定型化して置く、入口と出口を分けて流れを作る、ロケーション管理の手間を不要にする、そして全体の量が見えるようにする・・わたし達はここに、「単なる物置」から「使用者のための物品供給の仕組み」への進化を見る。そして、こうしたシンプルな原則の理解こそ、わたし達の効率をアップさせるために必須の知恵なのである。
by Tomoichi_Sato | 2012-05-27 15:49 | サプライチェーン | Comments(0)

品質とは(本当は)何だろうか - (2) 応答

先日、あるプロジェクト・マネジメント関係の研究に目を通していたら、要件定義段階における「顧客要求の品質」という表現に出会って、ちょっと驚いた。周知の通り、IT系プロジェクトにおける要件定義とは、顧客のもつ『要求』を引き出し明確化するプロセスのことを言う。ここで作成される要件定義書が、その後のシステム設計の基礎となっていく訳だ。ところが、この顧客の提示してくる要求内容が、しばしば曖昧模糊としており、また部門や担当者の間で相矛盾していたりする。受託側としては非常に悩ましい問題で、たしかに、これ自体がプロジェクトの成否を左右すると言っても過言ではない。

そこでこの発表者は、要求工学やIEEE standard 830: "Recommended Practice for Software Requirements Specifications" などを引用しつつ、正当性・明瞭性・完全性・一貫性・追跡可能性などを、要求仕様が満たすべき『品質特性』と呼び、それを満たす程度を『要求の品質』と考えたらしい。もちろん、この人の言いたいことはわたしも分かる。とくに一部の顧客が、それこそ「不当・不明瞭・部分的かつ矛盾した要求」を後出しジャンケンのように次々と繰り出してくるときには、「なんて品質の低い要求だ!」と言いたくなるし、あるいはISO 9000の品質保証コンサルが、“こんな品質の要求を出したらダメですよ、お客さん”と諭してくれたら、さぞや気が晴れるだろう、とも想像する。

しかし、このような物言いはJISやISOの思想には合致しないのだ。なにしろ品質とは「本来備わっている特性の集まりが、要求事項を満たす程度」なのだから、要求そのものの品質を議論すること自体が、ISOの枠組みを超えてしまう。現行のISO 9000では顧客重視が第一原則であり、要求とは顧客から来るもの(自社組織が勝手に想定し押しつけるものではない)と読み取れる。そもそもISOの定義によれば、要求事項(Requirement)とは、「明示されている、通常暗黙のうちに了解されている、または義務として要求されているニーズもしくは期待。」ということになっているのである(3.1.2節)。だから『顧客要求の品質』の議論は、いわば“メタ品質”ということになってしまう。

(ところで、上記の要求事項の定義文章は、なんだか日本語としてちょっと分かりにくい。正確には、「明示されているか、あるいは通常暗黙のうちに了解されているか、または義務として要求されている、ニーズもしくは期待)と補って読むべきであろう。JIS制定委員の人たちは、日本語の品質について少しは考えなかったのだろうか?)

ともあれ、わたし達が顧客要求の「質」を論じたくなるのは事実である。また、上記のような顧客にあたったら、それこそ「質のわるい客だぜ!」と嘆くだろう(質という漢字は「たち」と訓読みする)。それはいったい何故だろうか。

前回、コンビニで売っている60Wの電球と100Wの電球を例に、「100Wの方が60Wより品質が高い」という物言いを普通はしない、と述べた。また同じ型の自動車で、1600ccの車種の方が1300ccより「品質が高い」とは言わないとも書いた。たしかに両者は重要な特性が違い、だから価格も違う。なのにわたし達は、品質の差違ではなく、「仕様が違う」と認識するのである。

そのポイントは実は、「明示」にある。電球のワット数も自動車の排気量も、主要な性能特性(仕様)としてメーカー側から「明示」されている。これは、顧客の側から義務として要求される事柄についても、同様に当てはまる。ステンレスを使え、と指定された機械部品に、もし腐食しやすい通常の炭素鋼を使ったら、それは「品質が低い」のではなく、もはや「不適合(non-conformance)」なのである。QualityのLow-Highではなく、ゼロの問題になってしまう。契約で明示された義務を怠ったからである。

つまり、逆に言うならば、わたし達が品質の高低・よしあしを問題にするときは、「明示されない暗黙の期待」を満たす程度、について論じるのである。「1300ccクラスの車なのに、この足回りの加速性はどうだ!」と感心するとき、わたし達は期待したよりも高品質だな、と感じる。ところが100W用と明示された電球を、100Wのソケットにつけてちゃんと点灯しても、それは当たり前だ。明示された特性は、合致するのが当たり前である。たまに合致しなければ欠陥で、そこにはYesかNoしかない。品質の高低が大事になるのは、「明示されない期待」の時だけなのである。

あるいは、「一応は言葉で明示されているけれども、数値的に検証不可能な特性」も、品質の高低で語られる。その良い例は、前回挙げた化粧品である。“お肌が若返る”といった効能書きは、個々の消費者にとっては事実上、検証が不可能である。こうした商品に対しては、品質の高低という、ある意味ひどく感覚的な言葉でしか語れない。

そこでもう一度、設計の品質という問題に戻ってみよう。品質管理論では、「前向き品質」(forward quality)と「後ろ向き品質」(backward quality)という言葉が使われることがある。そして設計行為などの品質は「前向き品質」とよび、製造段階での品質を「後ろ向き品質」と呼ぶ。あるいは、このかわりに、「魅力的品質」と「当たり前品質」と呼ぶこともある。設計で作り込むのは主に魅力的品質で、製造で実現するのは当たり前品質という訳だ。

設計図に明示された事項を、製造が実現するのは“当たり前だ”と、皆が考えている(少なくとも日本では)。「製造部門は設計図どおりに作ること!」などという標語を、大きな文字で掲示している工場はない。製造の当たり前とは、つまり、製造に対する明示されない暗黙の期待である。そして当たり前品質の特徴は、「それが欠落しているときにのみ論じられ、合致しているときは意識されない」ことにある。だから不良や欠陥の発生(当たり前品質の欠落)が、工場の品質管理の主な仕事なのだ。

だが設計の成果物のレビューは、そうはいかない。設計とは、要求事項や仕様を、部品やソフトの「機能と構造」に変換し、製造可能な仕組みに落とし込む作業だからである。明示された要件定義書がある場合は、もちろん組み込まれていなくてはならない(設計における「当たり前品質」)。しかし明示されていない期待についても、それを想定し、考慮に入れる必要がある。ここが設計の「魅力的品質」の部分である。

顧客がすでに明示したもの、それは魅力ではない。顧客が自分でうまく表現できないもの、でも実際に現前したら価値あると感じるもの、それが魅力なのである。たとえば「魅力ある異性」とは、まさにそんな存在ではないか。

日本の品質管理は、戦後の復興期における、統計的品質管理手法のアメリカからの輸入ではじまった。それは高度成長期に普及し、日本的な現場の小集団活動と結びついて、TQC活動となった。'80年代はまさに品質管理全盛の時代だったと言っていい。品質はすなわち利益に結びついた。ところが'90年前後のバブル景気時代から、しだいにTQCは色あせてくる。かわりに入ってきたのは、英国発のISO 9000の品質保証思想であった。ここで、品質とはペーパーワークである、という誤解が広く受けいれられた。

つづく「失われた20年」の不況の時代は、工場切り捨てと海外移転の時代だ。この時代、日本企業が本当に必要としたのは『前向き品質』『魅力的品質』を創出する仕組みだったはずだ。だが、そのためには品質の遂行主体を、工場の品質管理課から、営業も企画も技術も巻き込んだクロス・ファンクショナルな体制に移す必要があった。わたしの知る限り、このような思想を持って進んだ企業はきわめて少ない。

それでも、前向き品質をなんとか確保したいと願う技術者は多いだろう。そのためには、どうしたらよいか。一番良いのは、創造性のある人間を揃えて自由度を与えることだが、それは決して簡単ではない。そこで、次善の策として、「前向き品質を後ろ向き品質に変換する」ことを考える。つまり、意識されざる・表現されざる特性を、まずは言葉で表現するのである。具体的には、上にあげたような、正当性・明瞭性・完全性・一貫性・追跡可能性など“メタ品質特性”を「設計思想」の形でドキュメント化し、意識化するのである。もちろん、設計の途上では、完全性や一貫性を阻害するコストとのトレードオフ要素が沢山出てくる。それに対しても、優先順位の考え方を明確化する。

設計の品質を上げたければ、「設計思想」(design philosophy)を固めることが、結局は必須の条件なのである。おかしなことに、わたしたちは「思想」という言葉に対して身構える習性をもっている。だが、この苦境を乗り越えたかったら、もう一度、原点にかえって思想と格闘するしかなさそうである。
by Tomoichi_Sato | 2012-04-24 23:56 | サプライチェーン | Comments(0)

品質とは(本当は)何だろうか - (1) 問い

わたしのつれあいは長い間、あるフランス製の化粧品を愛用していた。日本でも売っている店はあるのだが、少ないし、値段も高い。だから海外出張に出たときは、かえりに免税店でその会社の製品を買うのが習慣になっていた。化粧品は用途と色と型式で複雑なラインナップになっているから、出がけに手渡されたメモを頼りに、読みにくいフランス語表記の製品を店頭から探し出すのが、わたしの任務だった。

ところがあるときから、その依頼がぱたりと来なくなった。つれあいに理由をたずねると、“なんだか最近、あそこの製品って品質が落ちたのよ。ブラシとか安物でペナペナになってきたし、パフのケースもすぐガタが来ちゃう。きっと中国生産とかでコストを下げて来てるんじゃないかしら”--という答えだった。でも、仮にそうだとしても、化粧品自体の性能に変わりはあったのかい、と聞き返したが、“そんなとこで手を抜く会社の製品が信用できると思う?”と、あきれた顔をされるだけだった。

化粧品に『性能』という概念が当てはまるものなのか、わたしはよく知らない。当てはまらないのかもしれない。あれほど多くの女性達が(一部は男性も)、あれほどの情熱と金銭をかけて選ぶ商品に、客観的な性能指標がないというのも不思議な気がする。まあ、きっと、そう思うわたしの方がおかしいにちがいない。ただし、化粧品の性能は論じられなくても、『品質』なら語ることができそうだ。このフランスの化粧品メーカーは、品質が問題で、長年の顧客を一人、失った訳だ。では彼らは、社内の品質管理部門や品質保証体制をきちっとすれば、この問題を解決できただろうか? なんだか疑問に思える。でも、だとすれば、そもそも品質管理とか品質保証とかは、何の役に立つのだろうか。

ちょっと別の話をしよう。設計の品質はどうやって確保あるいは改善したらよいのか? --この難しいテーマをめぐって、ある会社のエンジニアリング部門に招かれて、講演をしたことがある。もう10年前のことだ。精一杯準備してのぞんだつもりだが、残念ながら上出来な講演だったとは言い難い。引き受けてからずっと考え続けても、「十分レビューする」くらいの事しか思いつけなかったのだ。相手の担当の方には、申し訳ない気持ちが今も残っている。でも、設計の品質とは何なのか? 製造の品質とは何が本質的に違うのか?

それから何年か経った後、別のある顧客の工場を見学させてもらった。偶然にもそこは、かつてわたしが講演をした会社が設計・建設したものだった。ディスクリート系の工場である。加工機械や測定器や自動搬送機械がずらりと並んで、整然とした連続処理を行う立派なシステムだ。しかし、その工場の立ち上げ時にはトラブル続出で、相当苦労した、と顧客の担当の方は言われた。機械も設計し直し・作り直しが多く、納期は遅れ、結局かなり赤字プロジェクトだったろう、と。わたしは機械エンジニアではないから、個別のマシンの設計の良しあしはわからないが、たしかに全体のレイアウトや、搬送のバッファーの置き方など、システム全体で観ると疑問な点がいくつかある。あの講演の題が「設計の品質」だったのは分かる気がした。

品質とは何かについて、もちろんJISやISOに定義はいろいろある。現在のJIS Q 9000:2006『品質マネジメントシステム』では、こうだ:「品質(quality)とは、本来備わっている特性の集まりが、要求事項(requirement)を満たす程度」。これは元々ISO 9000規格の翻訳だから、ここではあえて原語をカッコに入れて並記した。また、日本オリジナルの規格であるJIS Q 9005:2005『質マネジメントシステム』では、「質とは、ニーズまたは期待を満たす能力に関する特性の全体」となっている。

ちなみに後者では、「品質」から“品”の文字が抜けて「」になっている点に注意してほしい。理由は、「品質」ではモノの質のみを表す感じが強い点を嫌ったためだ、と聞いた。たしかに「物品」や「製品」などの言葉を見ると“品=Goods” と感じるかもしれない。だが、品という漢字は元々、「品格」「上品」などのように、クラスが上だという意味も持っていたはずだ。まあここらあたりは言葉の好みかもしれないが。

さて、上記のJISの定義によると、品質とは特性が顧客の要求またはニーズを満たす程度だ、となる。ところで、顧客が商品やサービスに求める最も重要な要求・期待とは、いうまでもなく『価格』である。できる限り低価格であること、あるいはせめてリーズナブルな価格であること、を第一に望まない顧客はいないだろう。それでは、“価格とは品質の一要素だ”と言うべきだろうか? 価格決定は品質管理部が決めるべきなのか? もちろん、価格は品質特性の一部などと考える専門家は誰もいないだろう。

では、顧客が価格に次いで要求・期待する『納期』はどうだろう。短納期であることは高品質を意味するだろうか? --これも、なんだか違う気がする。納期遅れ問題の解決に、品質保証部が取り組むという話もついぞ聞いたことがない。短納期が品質の重要な一部だという事になったら、さぞやスケジューラ・ベンダーも商売が伸びてうれしいだろうが、そうなりそうな気づかいは今のところ無い。納期は品質に含まれないのである。

もちろん、JISやISOの規格屋さんは、こう指摘するかもしれない。「価格や納期は、対象に“本来備わっている特性”ではない。製造や販売の都合で、後付けで決まる特性だ」と。たしかに、ISOの文章はそう慎重にもそう記述している。

だったら、『性能』はどうだろうか? これこそ、顧客が望み、かつ要求する主要な特性ではないか。しかも販売部門や製造部門が恣意的に付与する特性でもない。すなわち、品質の中核である、と。

すると、こうなる:わたし達は例えば、同じ車種でも、1300ccのエンジンを搭載した車より、1600ccのものを搭載した車の方が、「品質が高い」と認識する、と。これは本当だろうか? あるいは、100Wの電球は、60Wの電球より「品質が良い」。そんな言い方を、わたし達はするだろうか? 品質管理の仕事は、より高性能な製品を出すことにあるのだろうか? はっきり言って、こうした差は「性能が良い」状態であって、「品質が良い」のとは違うことがわかる。そういう言葉づかいを、わたし達はしない。性能は品質の一部ではないのだ。

それじゃあ、『素材』はどうだ? いくらなんでも、素材こそ品質の重要な要素であるはずだ。--では、あなたが「綿100%」の表示のついた外国製衣服を買ってきて、実はポリエステル混紡だったと知ったら、低品質をなげくだろうか。“詐欺だ!不良品だ!”と怒るのではないか? もしステンレス鋼を指定したポンプに炭素鋼が使われていたら、エンジ会社はメーカに突き返し再製作を要求するだろう。「重大な不適合だ」と言って。決して「もっと品質を上げろよ」とは言うまい。

では、硬度や透過性や摩擦係数などの『性状』はどうだ? あるいは耐久性や賞味期限や保証年数などは? ・・もう賢い読者の皆さんは帰結を想像できただろう。もう一度、100Wと60Wの電球を思い出してほしい。両者の違いを品質の差と誰が思うだろうか。どんな特性項目であれ、それがユーザの主要な要求事項であり、価格に密接に関係し、かつメーカが表示・保証するものである限り、それはもう「品質が高い・低い」を評価する対象ではなくなるのだ。100Wの電球は、100W仕様であるだけだ。そこにあるのは、「合格」あるいは「不合格(欠陥)」の判断でしかない。なるほど、生産者の側からすると、不合格品の比率を下げること、あるいは不合格品を間違って出荷させないことは、品質管理部門の課題だろう。しかし、購入者の立場からは、買った電球が使えればそれでいい。100Wだから高品質、などと評価したりはしないのだ。

かくして、品質という言葉をめぐってさまざまな特性を吟味してきたが、引き算の結果、おどろいたことに何も残らないことになった。わたし達は『品質』を議論したがるが、これは実体のない中空の概念だ、と。したがって、「設計の品質」を論じるなども無意味なこと--なのだろうか? わたし達の議論は、一体どこで道に迷ってしまったのだろうか? 

次回は、この問題にまったく別の角度から答えを与えてみたい。

(この項つづく)
by Tomoichi_Sato | 2012-04-18 23:29 | サプライチェーン | Comments(0)

小ロット化はほんとうに製造コストを上昇させるか

数回前に書いた「長すぎる製造リードタイムの悩みを考える」 というエントリに対し、H.Kさんとおっしゃる読者の方から、以下のような質問を頂戴したのでお答えします。

>生産管理の実務者です。いつも興味深く読ませていただいています。
>
>『部門間の「責任感」による確約のマージンをけずる』には納得です。
>しかし、もうひとつの『計画立案サイクルを短縮する』事は、立案コストだけでなく、
>生産ロットを小さくする事になるので製造コストも上がりますが、どう解決すべきで
>しょうか?
>リードタイムと在庫、製造コストの変化を、金額で評価して最適値を算出する事に
>なるのでしょうか?

これは、小生が書いた以下の節に対する疑問だと思います。

『標準リードタイムが長くなるもう一つの要因は、月次計画サイクルの存在だ。月次サイクルは技術的理由から決済の慣習まで、いろいろな事情に支えられて存在している。だが月次サイクルとは、いいかえれば1ヶ月間のタイム・フェンスを生産計画に設定しているのと同じだ。月次計画のスパンで順序繰りを決めて原価を最適化するのは素晴らしいように思えるが、コストの代償として生産のフレキシビリティーを捨てていることになる。』

むろん、生産計画立案のコストは、おっしゃるとおり2倍にアップします。ただ、ご質問の趣旨は製造コストです。所属する業種が書かれていませんので、ここではとりあえず、もっとも一般的な組立加工系の製造業と想定します。

さて、ご存じのとおり製造原価は以下のような要素から構成されています。
(1)材料費
(2)人件費・労務費
(3)その他経費(用役費・保全費・減価償却費等)

仮に今、工場内のすべての製造ロットを半分にしたと仮定します。上記の項目のうち、どの項目が影響を受けるでしょうか。

(1)の材料費は、つくる量が変わらない限り、増えも減りもしません。(2)はどうかというと、社内人件費は基本的に固定費ですから、残業時間が延びない限り、増えません。外注労務費は契約次第ですが、派遣形態の場合は社内人件費と同じで、人数や労働時間が増えなければ変わりません。外注(材料支給)形態の場合、ほとんどは加工数量の出来高で精算しているはずです。数量は変わらないのですから、外注費も増えません。

(3)のうち、用役費は、セットアップ・段取り替え作業に非常に水道光熱を要する場合は増える可能性がありますが、それは例外ケースでしょう。ふつうは加工・製造のために機械を動かす方がずっと、エネルギーも水その他用役も消費するはずです。保全費は? これも、機械部品の消耗は段取り替えよりも稼働時間にほぼ比例するはずですから、あまり変わりません。減価償却費も、年間に決まった金額が帳簿上消えていくだけですから変わりません。

つまり、製造ロットを半分にしても、原価はとくに上がらない、ということになります。

ちょっと待て、人件費はほんとうに上がらないか? セットアップ作業の時間が倍になるのだから、必ず増えるはずではないか! --そう、反論される声が聞こえそうな気がします。

それは、現時点で常時100%稼働している工程・作業区に対してのみ、YESです。もし人の稼働率が80%とか、70%以下である場合、多少のセットアップ作業時間が増えても、残業も人員追加も不要です。

いや、うちの工場に遊んでいるヤツはいない。不況下の人減らしもあって、ギリギリの人数で操業している。そう、再反論されるかもしれません。

言うまでもないことですが、人はつねに仕事を作り出す存在です。工場でただあくびをしながら立っている労働者など、(日本である限り)わたしは一度も見たことがありません。加工する材料がなければ、ツールの整備や機械の点検調整やモノ探しや改善活動など、必ず何かの仕事を見つけてしています。とくにモノ探しについては、以前も「『探し物』という名前の時間泥棒」 でも書いたように、一所懸命に働いているように見えながら、じつはちっとも付加価値に貢献していない作業です。これは物流・配膳の不備やレイアウトの不便から生じる余計な作業時間だからです。

工場の中の各工程できちんと時間分析をしてみれば分かりますが、製造リードタイムの中に占める「正味作業時間」(=付加価値を生んでいる作業時間+付加価値は生まないが必要な作業時間)の比率は、案外小さいものです。それ以外の時間は待ち時間です(その中でもロット待ちが結構な比率を占めることはご存じのとおりです)。これを作業者の側から見ても事情は似ています。たとえば材料待ちのために、ある部分だけチョロっと組み上げて脇に置いておき、次の製品の組立をはじめ、また材料がそろったら元の組立に戻る、こうした状況では、時間は使っていても生産性が落ちるので、正味作業時間比率は上がりません。

むろん、もしかするとH.Kさんの工場はこんなだらしない状態では無く、各人が多能工化して複数工程をフレキシブルに持ち合い、全員が助け合って正味作業時間比率がみな十分に高いのかも知れません。そうだとしたら、たしかに残業や人員増がおき、製造コストは多少アップするでしょう。そのことは否定しません。

もう一つ、ありうる再反論として、「小ロット化で段取り時間が2倍かかり、機械自体の占有時間が増えるのだから、チャージコストが増えてしまうはずだ」という議論があります。たしかに、ある機械のチャージ・レートが1分100円で、それまで1ロット=段取り10分+加工50分=6,000円ですんでいたものが、ハーフサイズになれば2ロット=段取り20分+加工50分=7,000円になる、と思えるかもしれません。

ですが、これは典型的な誤解です。機械の標準チャージ・レートは、その機械の年間減価償却費を、占有時間(稼働率)で割って決めます。もしロットサイズを半分にすることで機械の占有時間(稼働率)が上がったら、原価計算の中では「原価差額」を求めて標準値と実績値の差を下方修正します。つまりチャージ・レートが安くなるので、結果としては原価は変わらないのです。(ただ、この仕組みを生産部門の人がよく知らない、あるいは会計部門の中だけで計算してしまうので原価差額が知らされないケースは、ままあります)

以上、長々と書きましたが、まとめますと、原価とは固定費と変動費(材料費)の和です。生産数量が変わらない限り、変動費は変わりません。固定費は、文字通り固定的です。だから、ロットサイズを半分にしても、ほとんど増加しないのです。例外は、工場の全ての工程が、常時フル稼働状態であるケースです。このような慶賀すべき状態である際には、まず検討すべきは生産キャパシティの拡張であり、小ロット化ではないでしょう。

そして、まずそもそも、「生産計画のサイクルタイムを月次から月2回に短縮したとしても、必ずしも全製品の製造ロットが半分になる訳ではない」ことはご理解いただけると思います。工場で作る製品の多くは、1~2ヶ月分の需要をまとめて作ればすむようなタイプの、少量生産品でしょう。これはそもそも注文が少ないのですから、わざわざ2度に分けて計画する意味がありません。

まあ、この分析はいわゆる加工組立のディスクリート系工場に対するもので、半連続のプロセス生産や、わたしのいう「切替型連続生産」では、もう少し別の分析が必要になります。ただ、その場合でも、かりに製造コストが上がるとしても、需要確度の向上、在庫量の減少などの効果をみて、その得失を総合的に判断すべきだと思います。「総合的に」というのは、製造だけのコスト最適化計算ではなく、製造と販売を含めて、もっとも機会損失が減って利益(粗付加価値)が増えるやり方はどちらか、という意味ですが。
by Tomoichi_Sato | 2011-10-23 18:48 | サプライチェーン | Comments(1)