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その在庫はストックですか、フローですか?

もうだいぶん前のことになるが、仕事でスコットランドのアバディーンという街に出張した。北海に面したスコットランド第二の都市で、北海油田関係の企業が集積している。仕事を終えてかえる頃に、親戚への土産にスコッチ・ウィスキーを買っていこう、と思い立った。しかし、わたしは酒に弱いので、ウィスキーのことなどさっぱり分からない。そこで取引相手のスコットランド人にアドバイスを求めた。すると彼の答えはとても簡潔明快だった。「15年以上の、シングルモルトのものを買え」

わたしはその言葉にしたがって、銘柄は忘れたが15年モノのシングルモルト・ウィスキーを探し求め(とにかくあの地ではやたらとたくさんの種類のスコッチが店に並んでいるのだ)、幸い親戚にも喜んでもらえた。わたし自身はきっと15年物だろうが7年物だろうが飲んでも区別できないだろう。しかし、スコットランド人は、(あんなに料理の味には無頓着なくせに)ウィスキーの味となると微に入り細に入り、じつに批評眼が鋭いのだ。

ところで、このとき店頭に並ぶウィスキーの在庫を見て、こう思ったのも事実だ。こういう製造に長期の時間を要するメーカーの生産管理というのは、どうやって考えるのだろう?

「15年物のウィスキーのリードタイムは?」という質問を、わたしはリードタイムを説明するときによく使う。このサイトでも以前書いたかも知れない。ウィスキーの仕込みを始めてから完成するまで、製造のリードタイムはたしかに15年(以上)だ。ところで、この酒をネットで注文すると、2,3日後には手元に届く。いったいどちらが本当のリードタイムなのか?

むろん、この問いは実は意味がない。リードタイムとは、なんらかの『オーダー』(指示)が発せられてから、それが完了するまでの期間を呼ぶ。そのオーダーの種類によって、リードタイムも何種類もあるのだ。生産指示が出てから、生産完了するまでを「生産リードタイム」と呼ぶのだし、納入指示(発注)から納品までの期間を「納入リードタイム」と呼ぶ。だからウィスキーの生産リードタイムは15年だが、納入リードタイムは3日なのだ。両者の差は、ウィスキーのサプライチェーンの「店頭在庫」がギャップを埋めている。

さて、そうなると一つの疑問がわく。それは、ウィスキー・メーカーの在庫の多寡は、どうやって判断するのかという問題だ。財務諸表を引っ張り出して、棚卸資産の金額を、売上高の金額で割って「棚卸日数」(あるいはその逆数である「棚卸回転数」)を計算する作業は、企業診断のコンサルタントだったら誰でもやる作業だ。しかし、なにせ蔵の中には15年分の貯蔵酒があるのである。店頭在庫が10日分あろうが60日分あろうが、数字的には大勢に影響はないことになってしまう。無論、店頭在庫だけの回転数を計算することはできる。だが、洋酒メーカーに限って半製品・仕掛在庫を計算から除外する根拠は、何なのか? いや、洋酒だけではない。日本酒にせよ、味噌・醤油にせよ、長期間熟成過程を必要とする製造業は案外多い。短期と長期の境目はどこに引くのか?

じつは、このような疑問は、在庫というものの中身を区別しないから生じている。中身と言うよりは「目的」とよぶべきかもしれない。それは「ストック」と「フロー」である。

在庫はみなストックではないのか!?--そう、考える人は多いだろう。答えはNOである。在庫には、下流工程の使用予定が未定のものと、使用予定に明確に紐付いているものの二種類がある。前者がストックとしての在庫である。後者は、すぐに使われていく、一次的な存在であるから、『フローとしての在庫』と考えるべきだ。ちなみに英語では、在庫全体(棚卸できる対象)をInventoryという。このうち、消費予定が明確でなく保存しているものをstockといい、すぐ下流工程に使われるものはふつうWork in Process (WIP)と呼ぶ(ただしstockには“保管する”という動詞の意味もあるので、まぜこぜに使われることも少なくない)。

通常の在庫管理では「引当」という仕組みがあることはご存じだろう。“どこそこ向け納入予定に引き当てた”といった使い方をする。つまり使用予定を予約することを在庫引当というのだが、未引当在庫を「ストック在庫」と考えると分かりやすいかもしれない。逆に、すでに全量が下流の使用予定に引き当てられているものは「フロー在庫」である。

フロー在庫の代表例が、ウィスキーなどの「エージング」期間中のinventoryである。これは漠然と保管しているのではない。エージングは一種の製造工程だと解釈することもできるだろう。だから貯蔵樽の中のウィスキーは、フロー在庫なのである。同様に、ベルトコンベヤの上に並んで流れていく半製品・仕掛も、フロー在庫である。それは短期間、一次的にそこに存在するだけである。ウィスキーだって、一定の熟成期間が終われば、製品として瓶詰めされる予定に最初からなっている。そして、瓶入りの製品になった瞬間、(たぶん)それは納入先の未定な「ストック在庫」に変身するのである。

誤解のないようにしてほしいのだが、「動いているモノ」がフローで、「止まっているモノ」がストックなのではない。かりにコンベヤに乗って動いていても、売れるあてのない商品を工場から物流倉庫に移しているだけならストック在庫である。味噌樽の中の味噌は、エージング中のフロー在庫である。

わたし達が生産管理の有効性で問題にするべき尺度は、使用未定の「ストック在庫」の量と回転率である。なぜならストックは、陳腐化や売り損ないのリスクにさらされているからだ。またストックはお金を寝かせているので、在庫金利という形で見えないコストを発生させている。他方、「フロー在庫」は、避けて通れない在庫である。15年物のウィスキーを7年に短縮しろ、とコンサルタントが要求したら、それは愚かというものだ。もちろん、ロット待ちなどで無駄な滞留が起きることは、もちろんある。工程を工夫してフロー在庫も減らせるなら、減らせばいい。しかし決してゼロにはならない。ゼロを目標にすべきでもない(それはモノを作っていないのと同義だから)。

みなさんが何か製品や部品を手に持ったら、“これはストックなのかフローなのか”を自分で問うてみるといい。さらに自分に入ってくる情報や帳票も、ストックなのかフローなのか、区別を考えてみると面白いかもしれない。ただし、モノの世界では、ストック在庫はいつかは出荷されてフローに変わるはずだが、単に履歴として貯蔵されているデータは、自分達が主体的な意思を持って分析しない限り、意味のある情報としてフローには再度転化しないだろうが。
by Tomoichi_Sato | 2012-06-02 15:22 | サプライチェーン | Comments(1)

冷蔵庫の在庫とサプライチェーンを考える

牛乳を冷蔵庫から出し、コップについで一口飲んでから、ふとパックの日付をみると賞味期限をすぎていた経験はないだろうか。あるいはヨーグルトやジュースでもいい。たしかに風味はやや落ちているが、別におかしな味ではない。まだ飲めるのにな、どうしてこんな早い賞味期限をつけるんだろう? 飲料メーカーの「リスク・マネジメント」のおかげで、捨てなければならない食べ物が増えたような気がする。そのリスクにしたって、消費者の心配よりも、自分達がクレイマーをおそれてのことじゃないか。そんな気分にもなってくる。

しかし刺身だとか青菜だとか鶏肉だとか、他人やメーカーのせいにできない食料品も、つい無駄にしたことがある。買うときには、すぐ食べるつもりだったのである。でも、何かの都合で後回しになり、そのまま冷蔵庫の中で日が経ってしまった。傷みやすいものは、それでも気をつけるのだが、そうでもないものはつい油断してしまう。こうして、アフリカやその他、地球上で飢えている大勢の子供たちに申し訳ない気持ちになりながら、食べ物を捨てた経験のある人は、わたし以外にもいるにちがいない。このような先進国の無駄が、限られた地球の農業生産物の不平等な分配に寄与し--なんて高尚なことは思わないにしても、とにかくもったいないではないか。

この問題を解決するにはどうすればよいか。とある日曜日、グローバルな食料不足という課題に微力ながら貢献すべく(つまりは多少ヒマだったから)、サプライチェーンの観点から、解決策を考えてみた。サプライチェーン・マネジメントとは、需要と供給を同期化し一致させることにある。これはこのサイトでも繰り返し書いたことだ。在庫や移動の無駄が発生するのは、その需要と供給が一致していないことに起因する。発生(供給)と消費(需要)のタイミングが合わなければ、そこに在庫が発生し、発生場所と消費場所が違っていれば、輸送が必要になる。

だからといってミルクが飲みたくなるたびに、牛舎からウシを引っ張り出して連れてくるというのも、やや面倒ではある。衛生上、低温殺菌だって必要だ。それにあんな量を毎日生産(排出?)されては、とうてい我が家だけでは消費しきれぬ。やはりここはメーカーさんにミルクプラントを運用してもらい、見込生産(あるいは、わたしの呼び方では『需要予測生産』)で供給してもらうしかない。バッチで殺菌処理して、小分けにして瓶詰めあるいはパック詰めする。そして消費量に見合った配達をする。受け取った方は、やはり冷蔵庫にしまうしかない。

牛乳に限らず、一般に農業生産物は『需要予測生産』で作らざるを得ない。魚を食べたくなってから釣りに行ったり、漬け物を食べたくなってから大根を植えたりする訳にはいかないからだ。おまけに自然の産物にはその季節、あるいは旬がある。そして生ものだから消費期限も。だからどうしても食料品のサプライチェーンには在庫がついてまわる。米のように貯蔵性の良いもの以外は、長持ちする加工品にして貯蔵することが必要である。まさに人類が昔からやってきたことだ。あとは冷凍・冷蔵するか、である。これを生産者の場所ではなく、消費者の各家庭で実現したのが、家庭用冷蔵庫であった。だから戦後復興期に、冷蔵庫は洗濯機や掃除機とならび、家電必需品となって、家電メーカーを(日本だけでなく多くの国で)大企業に押し上げたのである。

ところで、そもそも冷蔵庫という近代的マシンの機能は何だろうか? 仕組みから言うと、あれは冷媒をコンプレッサーと配管で気化器と熱交換器に循環させ、内部の熱を外部にくみ出すシステムだ。そうした冷却機能と並ぶ、もう一つの柱が「保管機能」である。冷蔵庫は多品種少量品の保管システム、であるはずである。この面から再検討できないだろうか。

工場や物流センターなどで倉庫を機能設計する際のポイントがいくつかある。まず、使う側のソフトの問題だ。保管する物品は、箱や缶やコンテナなどに入れて、ある程度「定型化」することがコツである。積みやすく・持ちやすくなるし、スペース効率も高まる。まあ、牛乳パックなどは合格だろう。野菜や魚介類は不定形なので、ちとやりにくい。だからタッパーウェアは偉大な(そしていかにも米国らしい)発明品であった。かの国では、買い物は週に1回、車で巨大スーパーにいき、一週間分の食料品をカート一杯に積み込んでかえってくる、というのが標準的生活パターンだからである。貯蔵量が半端じゃない。牛乳パックなども2リッターが普通なのだ。

つぎにソフト面で考えるべき事は、その小分けした物品に現品表(カンバン)を貼ることだろう。内容が何で、いつ購入し、いつまでが消費期限かを明記する。そして入出庫管理台帳をつくり、どのIDの物品を出し入れしたか記録する、のだが、こんな面倒なことを家庭ではやっていられまい(じつは、かなり多くの工場でさえ、きちんと現品表を貼らずに資材をおいたり運んだりしている)。

とくに、入出庫管理台帳の一番大事なポイントは、『保管場所のロケーション管理』である。あれってどこに置いたっけ? と冷蔵庫の奥をかき回した経験は誰にもあるだろう。どの物品をどの場所に保管したか。これは後で取り出すときのキーになる。ほかに倉庫管理システム(WMS)の機能として、ある品目の合計量の計算、棚卸と在庫修正、などがあるが、ここには詳しく述べない。そうした情報システムに興味のある方は、渡辺幸三氏の著書「生産管理・原価管理システムのためのデータモデリング」などを読まれることをお薦めする。

ところで、こうしたロケーション管理的な面倒の一切をなくしてくれる、素晴らしい発明がある。それが立体自動倉庫だ。棚が縦横にならんでおり、スタッカー式クレーンなどと呼ばれる機械が動いて物品の出し入れをする。入出庫口に荷物を置けば、自動的に空いている棚に運び入れてくれて、場所は自分で覚えておいてくれる。「あれ取ってきて」と頼めば、自分で勝手に取ってきてくれる。荷物にバーコードでもついていれば、自動的に識別もしてくれる。では、冷蔵庫に自動倉庫機能をつけ加えてはどうだろうか? 消費者の悩みは万事解決、ではないか。

ところが、そうはいかないのである。「あれ取ってきて」とわたし達が人に頼んで言うときには、“あの牛乳の、一番古いやつから先に取ってきて”という意味である。しかし自動倉庫の側は、17番の棚の牛乳と26番の棚の牛乳が「おなじもの」だというパターン認識はできないのだ。せめて商品バーコードが共通なら、同種物品だとは判定できよう。その場合でも、賞味期限までは分からない(バーコードには入っていない)。だから結局、箱と中身の紐づけ(マスタ作成)はユーザの作業になってしまう。

しかももっとまずいことがある。自動倉庫にいったんしまうと、どこに入ったか分からず、視界から消えてしまう。すると記憶からも消えがちになる。どこかの棚で牛乳がチーズになり、ワインがお酢になっていても気がつかないことが起こりうるのだ。定期的な棚卸作業が必要になる。これでは失敗だ。

自動倉庫方式の、機械と情報システムのインテリジェンスに頼るやり方は、(大規模工場ならともかく)冷蔵庫程度のスケールでは引き合わないことが分かった。それでは、どうするか。発想を逆転させて、人間の側の視覚とインテリジェンスに頼ることにしてみよう。

まず大事なのは、どこに何があるか全部見えるようにすることだ。このためには冷蔵庫の扉を現在のような金属製のものではなく、断熱ガラス製にすべきである。さらに、冷蔵庫の幅と奥行きも問題だ。あれでは手前に物を置いたら奥のものが見えなくなる。だから、冷蔵庫はもっとずっと平べったい、奥行きせいぜい30cm程度のものにする。

しかし、そうすると壁面を今よりたくさん占有してしまう。狭い日本の住宅事情から考えて問題だ。これをどうすべきか? じつは、妙案がある。それは、冷蔵庫を縦型から横置き型にしてしまうことである。横置きにして、下に4本の足をつける。つまり、文字通りテーブル型にして、台所ではなく、ダイニングルームの真ん中におくのだ。上面はガラス製だから、上からどこに何があるか、全部一目で見渡せる。以前買ってきて忘れたもの、賞味期限が近づいたもの、すべて目で見れば思い出す。モノ探しの手間もずっと減る。

食事の時に冷蔵庫の中身を見たくないのなら、その時だけ上にクロスを敷くか、あるいはいっそ液晶方式にして、スイッチ一つで洒落た模様に変えるのもいい。

取り出し口は、横につける。つまり引き出し方式にする。この引き出し口は、左右両側につけるようにする。そして中に入れる物品は、すべてトレーにのせる。このトレーは滑りやすくできているので、突っ込んだり出したりが楽にできる。

しかし、出し入れ口を左右二ヶ所にする最大のメリットは、「入口と出口の分業」である。例えば必ず左から入れ、右から出すようにする。こうすると、庫内に左から右にものの流れができる。つまり、先入れ先出し方式が自動的に実現できるのである。どのヨーグルトを先に買ったのか、もう悩まなくていい。右に近い方から順に取り出せばいいだけだ。庫内が一杯になってきたら買い物を控えるだろうし、少なくなったら買い出しの時期だと分かるだろう。

うーむ、われながら素晴らしいアイデアだ。究極の「サプライチェーン型冷蔵庫」である。これを商品化すれば一攫千金、大金持ちになれるだろう。だが、地球レベルの食糧問題に貢献すべく公共心を発揮し、このアイデアは無償で公開することにしよう。

しかし、この程度のことは、ちょっと気が利いた工場ならばすべて職場で実現していることだ。モノを定型化して置く、入口と出口を分けて流れを作る、ロケーション管理の手間を不要にする、そして全体の量が見えるようにする・・わたし達はここに、「単なる物置」から「使用者のための物品供給の仕組み」への進化を見る。そして、こうしたシンプルな原則の理解こそ、わたし達の効率をアップさせるために必須の知恵なのである。
by Tomoichi_Sato | 2012-05-27 15:49 | サプライチェーン | Comments(0)

品質とは(本当は)何だろうか - (2) 応答

先日、あるプロジェクト・マネジメント関係の研究に目を通していたら、要件定義段階における「顧客要求の品質」という表現に出会って、ちょっと驚いた。周知の通り、IT系プロジェクトにおける要件定義とは、顧客のもつ『要求』を引き出し明確化するプロセスのことを言う。ここで作成される要件定義書が、その後のシステム設計の基礎となっていく訳だ。ところが、この顧客の提示してくる要求内容が、しばしば曖昧模糊としており、また部門や担当者の間で相矛盾していたりする。受託側としては非常に悩ましい問題で、たしかに、これ自体がプロジェクトの成否を左右すると言っても過言ではない。

そこでこの発表者は、要求工学やIEEE standard 830: "Recommended Practice for Software Requirements Specifications" などを引用しつつ、正当性・明瞭性・完全性・一貫性・追跡可能性などを、要求仕様が満たすべき『品質特性』と呼び、それを満たす程度を『要求の品質』と考えたらしい。もちろん、この人の言いたいことはわたしも分かる。とくに一部の顧客が、それこそ「不当・不明瞭・部分的かつ矛盾した要求」を後出しジャンケンのように次々と繰り出してくるときには、「なんて品質の低い要求だ!」と言いたくなるし、あるいはISO 9000の品質保証コンサルが、“こんな品質の要求を出したらダメですよ、お客さん”と諭してくれたら、さぞや気が晴れるだろう、とも想像する。

しかし、このような物言いはJISやISOの思想には合致しないのだ。なにしろ品質とは「本来備わっている特性の集まりが、要求事項を満たす程度」なのだから、要求そのものの品質を議論すること自体が、ISOの枠組みを超えてしまう。現行のISO 9000では顧客重視が第一原則であり、要求とは顧客から来るもの(自社組織が勝手に想定し押しつけるものではない)と読み取れる。そもそもISOの定義によれば、要求事項(Requirement)とは、「明示されている、通常暗黙のうちに了解されている、または義務として要求されているニーズもしくは期待。」ということになっているのである(3.1.2節)。だから『顧客要求の品質』の議論は、いわば“メタ品質”ということになってしまう。

(ところで、上記の要求事項の定義文章は、なんだか日本語としてちょっと分かりにくい。正確には、「明示されているか、あるいは通常暗黙のうちに了解されているか、または義務として要求されている、ニーズもしくは期待)と補って読むべきであろう。JIS制定委員の人たちは、日本語の品質について少しは考えなかったのだろうか?)

ともあれ、わたし達が顧客要求の「質」を論じたくなるのは事実である。また、上記のような顧客にあたったら、それこそ「質のわるい客だぜ!」と嘆くだろう(質という漢字は「たち」と訓読みする)。それはいったい何故だろうか。

前回、コンビニで売っている60Wの電球と100Wの電球を例に、「100Wの方が60Wより品質が高い」という物言いを普通はしない、と述べた。また同じ型の自動車で、1600ccの車種の方が1300ccより「品質が高い」とは言わないとも書いた。たしかに両者は重要な特性が違い、だから価格も違う。なのにわたし達は、品質の差違ではなく、「仕様が違う」と認識するのである。

そのポイントは実は、「明示」にある。電球のワット数も自動車の排気量も、主要な性能特性(仕様)としてメーカー側から「明示」されている。これは、顧客の側から義務として要求される事柄についても、同様に当てはまる。ステンレスを使え、と指定された機械部品に、もし腐食しやすい通常の炭素鋼を使ったら、それは「品質が低い」のではなく、もはや「不適合(non-conformance)」なのである。QualityのLow-Highではなく、ゼロの問題になってしまう。契約で明示された義務を怠ったからである。

つまり、逆に言うならば、わたし達が品質の高低・よしあしを問題にするときは、「明示されない暗黙の期待」を満たす程度、について論じるのである。「1300ccクラスの車なのに、この足回りの加速性はどうだ!」と感心するとき、わたし達は期待したよりも高品質だな、と感じる。ところが100W用と明示された電球を、100Wのソケットにつけてちゃんと点灯しても、それは当たり前だ。明示された特性は、合致するのが当たり前である。たまに合致しなければ欠陥で、そこにはYesかNoしかない。品質の高低が大事になるのは、「明示されない期待」の時だけなのである。

あるいは、「一応は言葉で明示されているけれども、数値的に検証不可能な特性」も、品質の高低で語られる。その良い例は、前回挙げた化粧品である。“お肌が若返る”といった効能書きは、個々の消費者にとっては事実上、検証が不可能である。こうした商品に対しては、品質の高低という、ある意味ひどく感覚的な言葉でしか語れない。

そこでもう一度、設計の品質という問題に戻ってみよう。品質管理論では、「前向き品質」(forward quality)と「後ろ向き品質」(backward quality)という言葉が使われることがある。そして設計行為などの品質は「前向き品質」とよび、製造段階での品質を「後ろ向き品質」と呼ぶ。あるいは、このかわりに、「魅力的品質」と「当たり前品質」と呼ぶこともある。設計で作り込むのは主に魅力的品質で、製造で実現するのは当たり前品質という訳だ。

設計図に明示された事項を、製造が実現するのは“当たり前だ”と、皆が考えている(少なくとも日本では)。「製造部門は設計図どおりに作ること!」などという標語を、大きな文字で掲示している工場はない。製造の当たり前とは、つまり、製造に対する明示されない暗黙の期待である。そして当たり前品質の特徴は、「それが欠落しているときにのみ論じられ、合致しているときは意識されない」ことにある。だから不良や欠陥の発生(当たり前品質の欠落)が、工場の品質管理の主な仕事なのだ。

だが設計の成果物のレビューは、そうはいかない。設計とは、要求事項や仕様を、部品やソフトの「機能と構造」に変換し、製造可能な仕組みに落とし込む作業だからである。明示された要件定義書がある場合は、もちろん組み込まれていなくてはならない(設計における「当たり前品質」)。しかし明示されていない期待についても、それを想定し、考慮に入れる必要がある。ここが設計の「魅力的品質」の部分である。

顧客がすでに明示したもの、それは魅力ではない。顧客が自分でうまく表現できないもの、でも実際に現前したら価値あると感じるもの、それが魅力なのである。たとえば「魅力ある異性」とは、まさにそんな存在ではないか。

日本の品質管理は、戦後の復興期における、統計的品質管理手法のアメリカからの輸入ではじまった。それは高度成長期に普及し、日本的な現場の小集団活動と結びついて、TQC活動となった。'80年代はまさに品質管理全盛の時代だったと言っていい。品質はすなわち利益に結びついた。ところが'90年前後のバブル景気時代から、しだいにTQCは色あせてくる。かわりに入ってきたのは、英国発のISO 9000の品質保証思想であった。ここで、品質とはペーパーワークである、という誤解が広く受けいれられた。

つづく「失われた20年」の不況の時代は、工場切り捨てと海外移転の時代だ。この時代、日本企業が本当に必要としたのは『前向き品質』『魅力的品質』を創出する仕組みだったはずだ。だが、そのためには品質の遂行主体を、工場の品質管理課から、営業も企画も技術も巻き込んだクロス・ファンクショナルな体制に移す必要があった。わたしの知る限り、このような思想を持って進んだ企業はきわめて少ない。

それでも、前向き品質をなんとか確保したいと願う技術者は多いだろう。そのためには、どうしたらよいか。一番良いのは、創造性のある人間を揃えて自由度を与えることだが、それは決して簡単ではない。そこで、次善の策として、「前向き品質を後ろ向き品質に変換する」ことを考える。つまり、意識されざる・表現されざる特性を、まずは言葉で表現するのである。具体的には、上にあげたような、正当性・明瞭性・完全性・一貫性・追跡可能性など“メタ品質特性”を「設計思想」の形でドキュメント化し、意識化するのである。もちろん、設計の途上では、完全性や一貫性を阻害するコストとのトレードオフ要素が沢山出てくる。それに対しても、優先順位の考え方を明確化する。

設計の品質を上げたければ、「設計思想」(design philosophy)を固めることが、結局は必須の条件なのである。おかしなことに、わたしたちは「思想」という言葉に対して身構える習性をもっている。だが、この苦境を乗り越えたかったら、もう一度、原点にかえって思想と格闘するしかなさそうである。
by Tomoichi_Sato | 2012-04-24 23:56 | サプライチェーン | Comments(0)

品質とは(本当は)何だろうか - (1) 問い

わたしのつれあいは長い間、あるフランス製の化粧品を愛用していた。日本でも売っている店はあるのだが、少ないし、値段も高い。だから海外出張に出たときは、かえりに免税店でその会社の製品を買うのが習慣になっていた。化粧品は用途と色と型式で複雑なラインナップになっているから、出がけに手渡されたメモを頼りに、読みにくいフランス語表記の製品を店頭から探し出すのが、わたしの任務だった。

ところがあるときから、その依頼がぱたりと来なくなった。つれあいに理由をたずねると、“なんだか最近、あそこの製品って品質が落ちたのよ。ブラシとか安物でペナペナになってきたし、パフのケースもすぐガタが来ちゃう。きっと中国生産とかでコストを下げて来てるんじゃないかしら”--という答えだった。でも、仮にそうだとしても、化粧品自体の性能に変わりはあったのかい、と聞き返したが、“そんなとこで手を抜く会社の製品が信用できると思う?”と、あきれた顔をされるだけだった。

化粧品に『性能』という概念が当てはまるものなのか、わたしはよく知らない。当てはまらないのかもしれない。あれほど多くの女性達が(一部は男性も)、あれほどの情熱と金銭をかけて選ぶ商品に、客観的な性能指標がないというのも不思議な気がする。まあ、きっと、そう思うわたしの方がおかしいにちがいない。ただし、化粧品の性能は論じられなくても、『品質』なら語ることができそうだ。このフランスの化粧品メーカーは、品質が問題で、長年の顧客を一人、失った訳だ。では彼らは、社内の品質管理部門や品質保証体制をきちっとすれば、この問題を解決できただろうか? なんだか疑問に思える。でも、だとすれば、そもそも品質管理とか品質保証とかは、何の役に立つのだろうか。

ちょっと別の話をしよう。設計の品質はどうやって確保あるいは改善したらよいのか? --この難しいテーマをめぐって、ある会社のエンジニアリング部門に招かれて、講演をしたことがある。もう10年前のことだ。精一杯準備してのぞんだつもりだが、残念ながら上出来な講演だったとは言い難い。引き受けてからずっと考え続けても、「十分レビューする」くらいの事しか思いつけなかったのだ。相手の担当の方には、申し訳ない気持ちが今も残っている。でも、設計の品質とは何なのか? 製造の品質とは何が本質的に違うのか?

それから何年か経った後、別のある顧客の工場を見学させてもらった。偶然にもそこは、かつてわたしが講演をした会社が設計・建設したものだった。ディスクリート系の工場である。加工機械や測定器や自動搬送機械がずらりと並んで、整然とした連続処理を行う立派なシステムだ。しかし、その工場の立ち上げ時にはトラブル続出で、相当苦労した、と顧客の担当の方は言われた。機械も設計し直し・作り直しが多く、納期は遅れ、結局かなり赤字プロジェクトだったろう、と。わたしは機械エンジニアではないから、個別のマシンの設計の良しあしはわからないが、たしかに全体のレイアウトや、搬送のバッファーの置き方など、システム全体で観ると疑問な点がいくつかある。あの講演の題が「設計の品質」だったのは分かる気がした。

品質とは何かについて、もちろんJISやISOに定義はいろいろある。現在のJIS Q 9000:2006『品質マネジメントシステム』では、こうだ:「品質(quality)とは、本来備わっている特性の集まりが、要求事項(requirement)を満たす程度」。これは元々ISO 9000規格の翻訳だから、ここではあえて原語をカッコに入れて並記した。また、日本オリジナルの規格であるJIS Q 9005:2005『質マネジメントシステム』では、「質とは、ニーズまたは期待を満たす能力に関する特性の全体」となっている。

ちなみに後者では、「品質」から“品”の文字が抜けて「」になっている点に注意してほしい。理由は、「品質」ではモノの質のみを表す感じが強い点を嫌ったためだ、と聞いた。たしかに「物品」や「製品」などの言葉を見ると“品=Goods” と感じるかもしれない。だが、品という漢字は元々、「品格」「上品」などのように、クラスが上だという意味も持っていたはずだ。まあここらあたりは言葉の好みかもしれないが。

さて、上記のJISの定義によると、品質とは特性が顧客の要求またはニーズを満たす程度だ、となる。ところで、顧客が商品やサービスに求める最も重要な要求・期待とは、いうまでもなく『価格』である。できる限り低価格であること、あるいはせめてリーズナブルな価格であること、を第一に望まない顧客はいないだろう。それでは、“価格とは品質の一要素だ”と言うべきだろうか? 価格決定は品質管理部が決めるべきなのか? もちろん、価格は品質特性の一部などと考える専門家は誰もいないだろう。

では、顧客が価格に次いで要求・期待する『納期』はどうだろう。短納期であることは高品質を意味するだろうか? --これも、なんだか違う気がする。納期遅れ問題の解決に、品質保証部が取り組むという話もついぞ聞いたことがない。短納期が品質の重要な一部だという事になったら、さぞやスケジューラ・ベンダーも商売が伸びてうれしいだろうが、そうなりそうな気づかいは今のところ無い。納期は品質に含まれないのである。

もちろん、JISやISOの規格屋さんは、こう指摘するかもしれない。「価格や納期は、対象に“本来備わっている特性”ではない。製造や販売の都合で、後付けで決まる特性だ」と。たしかに、ISOの文章はそう慎重にもそう記述している。

だったら、『性能』はどうだろうか? これこそ、顧客が望み、かつ要求する主要な特性ではないか。しかも販売部門や製造部門が恣意的に付与する特性でもない。すなわち、品質の中核である、と。

すると、こうなる:わたし達は例えば、同じ車種でも、1300ccのエンジンを搭載した車より、1600ccのものを搭載した車の方が、「品質が高い」と認識する、と。これは本当だろうか? あるいは、100Wの電球は、60Wの電球より「品質が良い」。そんな言い方を、わたし達はするだろうか? 品質管理の仕事は、より高性能な製品を出すことにあるのだろうか? はっきり言って、こうした差は「性能が良い」状態であって、「品質が良い」のとは違うことがわかる。そういう言葉づかいを、わたし達はしない。性能は品質の一部ではないのだ。

それじゃあ、『素材』はどうだ? いくらなんでも、素材こそ品質の重要な要素であるはずだ。--では、あなたが「綿100%」の表示のついた外国製衣服を買ってきて、実はポリエステル混紡だったと知ったら、低品質をなげくだろうか。“詐欺だ!不良品だ!”と怒るのではないか? もしステンレス鋼を指定したポンプに炭素鋼が使われていたら、エンジ会社はメーカに突き返し再製作を要求するだろう。「重大な不適合だ」と言って。決して「もっと品質を上げろよ」とは言うまい。

では、硬度や透過性や摩擦係数などの『性状』はどうだ? あるいは耐久性や賞味期限や保証年数などは? ・・もう賢い読者の皆さんは帰結を想像できただろう。もう一度、100Wと60Wの電球を思い出してほしい。両者の違いを品質の差と誰が思うだろうか。どんな特性項目であれ、それがユーザの主要な要求事項であり、価格に密接に関係し、かつメーカが表示・保証するものである限り、それはもう「品質が高い・低い」を評価する対象ではなくなるのだ。100Wの電球は、100W仕様であるだけだ。そこにあるのは、「合格」あるいは「不合格(欠陥)」の判断でしかない。なるほど、生産者の側からすると、不合格品の比率を下げること、あるいは不合格品を間違って出荷させないことは、品質管理部門の課題だろう。しかし、購入者の立場からは、買った電球が使えればそれでいい。100Wだから高品質、などと評価したりはしないのだ。

かくして、品質という言葉をめぐってさまざまな特性を吟味してきたが、引き算の結果、おどろいたことに何も残らないことになった。わたし達は『品質』を議論したがるが、これは実体のない中空の概念だ、と。したがって、「設計の品質」を論じるなども無意味なこと--なのだろうか? わたし達の議論は、一体どこで道に迷ってしまったのだろうか? 

次回は、この問題にまったく別の角度から答えを与えてみたい。

(この項つづく)
by Tomoichi_Sato | 2012-04-18 23:29 | サプライチェーン | Comments(0)

小ロット化はほんとうに製造コストを上昇させるか

数回前に書いた「長すぎる製造リードタイムの悩みを考える」 というエントリに対し、H.Kさんとおっしゃる読者の方から、以下のような質問を頂戴したのでお答えします。

>生産管理の実務者です。いつも興味深く読ませていただいています。
>
>『部門間の「責任感」による確約のマージンをけずる』には納得です。
>しかし、もうひとつの『計画立案サイクルを短縮する』事は、立案コストだけでなく、
>生産ロットを小さくする事になるので製造コストも上がりますが、どう解決すべきで
>しょうか?
>リードタイムと在庫、製造コストの変化を、金額で評価して最適値を算出する事に
>なるのでしょうか?

これは、小生が書いた以下の節に対する疑問だと思います。

『標準リードタイムが長くなるもう一つの要因は、月次計画サイクルの存在だ。月次サイクルは技術的理由から決済の慣習まで、いろいろな事情に支えられて存在している。だが月次サイクルとは、いいかえれば1ヶ月間のタイム・フェンスを生産計画に設定しているのと同じだ。月次計画のスパンで順序繰りを決めて原価を最適化するのは素晴らしいように思えるが、コストの代償として生産のフレキシビリティーを捨てていることになる。』

むろん、生産計画立案のコストは、おっしゃるとおり2倍にアップします。ただ、ご質問の趣旨は製造コストです。所属する業種が書かれていませんので、ここではとりあえず、もっとも一般的な組立加工系の製造業と想定します。

さて、ご存じのとおり製造原価は以下のような要素から構成されています。
(1)材料費
(2)人件費・労務費
(3)その他経費(用役費・保全費・減価償却費等)

仮に今、工場内のすべての製造ロットを半分にしたと仮定します。上記の項目のうち、どの項目が影響を受けるでしょうか。

(1)の材料費は、つくる量が変わらない限り、増えも減りもしません。(2)はどうかというと、社内人件費は基本的に固定費ですから、残業時間が延びない限り、増えません。外注労務費は契約次第ですが、派遣形態の場合は社内人件費と同じで、人数や労働時間が増えなければ変わりません。外注(材料支給)形態の場合、ほとんどは加工数量の出来高で精算しているはずです。数量は変わらないのですから、外注費も増えません。

(3)のうち、用役費は、セットアップ・段取り替え作業に非常に水道光熱を要する場合は増える可能性がありますが、それは例外ケースでしょう。ふつうは加工・製造のために機械を動かす方がずっと、エネルギーも水その他用役も消費するはずです。保全費は? これも、機械部品の消耗は段取り替えよりも稼働時間にほぼ比例するはずですから、あまり変わりません。減価償却費も、年間に決まった金額が帳簿上消えていくだけですから変わりません。

つまり、製造ロットを半分にしても、原価はとくに上がらない、ということになります。

ちょっと待て、人件費はほんとうに上がらないか? セットアップ作業の時間が倍になるのだから、必ず増えるはずではないか! --そう、反論される声が聞こえそうな気がします。

それは、現時点で常時100%稼働している工程・作業区に対してのみ、YESです。もし人の稼働率が80%とか、70%以下である場合、多少のセットアップ作業時間が増えても、残業も人員追加も不要です。

いや、うちの工場に遊んでいるヤツはいない。不況下の人減らしもあって、ギリギリの人数で操業している。そう、再反論されるかもしれません。

言うまでもないことですが、人はつねに仕事を作り出す存在です。工場でただあくびをしながら立っている労働者など、(日本である限り)わたしは一度も見たことがありません。加工する材料がなければ、ツールの整備や機械の点検調整やモノ探しや改善活動など、必ず何かの仕事を見つけてしています。とくにモノ探しについては、以前も「『探し物』という名前の時間泥棒」 でも書いたように、一所懸命に働いているように見えながら、じつはちっとも付加価値に貢献していない作業です。これは物流・配膳の不備やレイアウトの不便から生じる余計な作業時間だからです。

工場の中の各工程できちんと時間分析をしてみれば分かりますが、製造リードタイムの中に占める「正味作業時間」(=付加価値を生んでいる作業時間+付加価値は生まないが必要な作業時間)の比率は、案外小さいものです。それ以外の時間は待ち時間です(その中でもロット待ちが結構な比率を占めることはご存じのとおりです)。これを作業者の側から見ても事情は似ています。たとえば材料待ちのために、ある部分だけチョロっと組み上げて脇に置いておき、次の製品の組立をはじめ、また材料がそろったら元の組立に戻る、こうした状況では、時間は使っていても生産性が落ちるので、正味作業時間比率は上がりません。

むろん、もしかするとH.Kさんの工場はこんなだらしない状態では無く、各人が多能工化して複数工程をフレキシブルに持ち合い、全員が助け合って正味作業時間比率がみな十分に高いのかも知れません。そうだとしたら、たしかに残業や人員増がおき、製造コストは多少アップするでしょう。そのことは否定しません。

もう一つ、ありうる再反論として、「小ロット化で段取り時間が2倍かかり、機械自体の占有時間が増えるのだから、チャージコストが増えてしまうはずだ」という議論があります。たしかに、ある機械のチャージ・レートが1分100円で、それまで1ロット=段取り10分+加工50分=6,000円ですんでいたものが、ハーフサイズになれば2ロット=段取り20分+加工50分=7,000円になる、と思えるかもしれません。

ですが、これは典型的な誤解です。機械の標準チャージ・レートは、その機械の年間減価償却費を、占有時間(稼働率)で割って決めます。もしロットサイズを半分にすることで機械の占有時間(稼働率)が上がったら、原価計算の中では「原価差額」を求めて標準値と実績値の差を下方修正します。つまりチャージ・レートが安くなるので、結果としては原価は変わらないのです。(ただ、この仕組みを生産部門の人がよく知らない、あるいは会計部門の中だけで計算してしまうので原価差額が知らされないケースは、ままあります)

以上、長々と書きましたが、まとめますと、原価とは固定費と変動費(材料費)の和です。生産数量が変わらない限り、変動費は変わりません。固定費は、文字通り固定的です。だから、ロットサイズを半分にしても、ほとんど増加しないのです。例外は、工場の全ての工程が、常時フル稼働状態であるケースです。このような慶賀すべき状態である際には、まず検討すべきは生産キャパシティの拡張であり、小ロット化ではないでしょう。

そして、まずそもそも、「生産計画のサイクルタイムを月次から月2回に短縮したとしても、必ずしも全製品の製造ロットが半分になる訳ではない」ことはご理解いただけると思います。工場で作る製品の多くは、1~2ヶ月分の需要をまとめて作ればすむようなタイプの、少量生産品でしょう。これはそもそも注文が少ないのですから、わざわざ2度に分けて計画する意味がありません。

まあ、この分析はいわゆる加工組立のディスクリート系工場に対するもので、半連続のプロセス生産や、わたしのいう「切替型連続生産」では、もう少し別の分析が必要になります。ただ、その場合でも、かりに製造コストが上がるとしても、需要確度の向上、在庫量の減少などの効果をみて、その得失を総合的に判断すべきだと思います。「総合的に」というのは、製造だけのコスト最適化計算ではなく、製造と販売を含めて、もっとも機会損失が減って利益(粗付加価値)が増えるやり方はどちらか、という意味ですが。
by Tomoichi_Sato | 2011-10-23 18:48 | サプライチェーン | Comments(1)

長すぎる製造リードタイムの悩みを考える

大病院の状況を揶揄して、「3時間待ちの3分間診療」ということがある。待合でひどく待たされたあげく、医師の診察はあっという間に終わってしまう。そして検査や処置で待たされ、会計で待たされ、薬局で待たされるという訳だ。この状況を緩和するために、部門間の指示(オーダー)情報の伝送を紙の伝票ではなくオンラインで行う「オーダリング・システム」が’90年代から導入されるようになり、少しは緩和されたが、それでも診察時間より待ち時間が長いことに変わりはない。

病院の受付をしてから、会計や薬局を済ませて出るまでの平均的な時間は、いわば外来診療の「リードタイム」である。一方、医師の診察や看護師の処置など、実際の行為がなされている時間は、工場で言えば「正味作業時間」にあたる。大病院という、一種の流れ作業式・大量生産型の医療施設は、リードタイムが正味作業時間よりもずっと長い典型例なのである。

わたしたちが外来で受診しなければならない時は、この「リードタイム」の3時間を覚悟して、その日の予定を組むだろう。また病院の側も、電話などで問い合わせを受けた時は「3時間かかると思ってください」と言うに違いない。

リードタイムと正味作業時間の差のほとんどは、待ち時間である。病院の場合は、大勢の患者が待合に滞留しているから待ちが長くなり、工場の場合は仕掛品があちこちに滞留しているから製造リードタイムが長くなる。

しかしもう一つの要因は、「確約」である。所要時間にばらつきや幅がある場合、どうしても他人に確約する場合は長めの数字を応えることになってしまう。

確約」は「責任」とセットになった概念である。受注した納入業者側は、顧客に対して納期を確約し、納期に責任を持つ。でも、納期に責任を持つとは、どういう意味だろう? 品質に責任を持つ、なら理解できる。製品の品質が要求に合致しなかった場合、自己負担で作り直すのが品質責任だ。価格への責任とは(あまりそういう言い方はしないが)、約束した価格で製品を納入することだ。思った以上にコストがかかってしまっても、それは自分が負担する。でも、納期に遅れたら、どう責任を取るのか? 時間を取り戻してくれるのか? あるいは納入先に人を送り込んで、後続作業を手伝ってくれるのか。

むろん、そんなことはしないし、できない。せいぜい、(もし契約に規定されていれば)納期遅延のペナルティ金を払うだけである。時間は一方通行で、だれも埋め合わせをすることはできないのだ。

一般にリードタイムが長くなるのは、この「責任」があちこちの隙間にはさまってくるからだ。隙間というのは、むろん、会社間あるいは部署間のインタフェースである。「依頼者」と「受託者」が発生するたびに、かれの責任感の分だけ、確約できる期間が長くなってしまう。会社間の場合は契約上、致し方ないかもしれないが、同じ会社内の部署間でモノや役務が移動する毎に、少しずつリードタイムが加算されていくのは時間の不経済である。

標準リードタイムが長くなるもう一つの要因は、月次計画サイクルの存在だ。月次サイクルは技術的理由から決済の慣習まで、いろいろな事情に支えられて存在している。だが月次サイクルとは、いいかえれば1ヶ月間のタイム・フェンスを生産計画に設定しているのと同じだ。月次計画のスパンで順序繰りを決めて原価を最適化するのは素晴らしいように思えるが、コストの代償として生産のフレキシビリティーを捨てていることになる。

前回述べたプラント用鉄骨生材のリードタイムと似たような状況は、月次生産計画で動いている製品には必ずついて回る。たとえば鋳物などもそうだ。鋳物製造業者も炉をもっていて、その「湯」の配合は月単位で計画していく(溶けた鉄鋼のことを「湯」と呼ぶのは、たたら製鉄以来、ほとんど古代からの伝統らしい)。だから鋳物の標準調達リードタイムは、どんなに少量発注でも、最低2ヶ月(場所と内容によっては3ヶ月)になる。これもタイミングさえ合えば、1週間後に製作できるかもしれないのに。

わたし達が抱えるリードタイムは、このような確約責任と月次サイクルという局所最適化が積み上がった結果、長い待ち時間を含んでいる。これに(上では説明を略したが)「ロット待ち」を加えれば、ほとんどが作業時間でなく待ち時間になると言ってもいい。そして長いリードタイムは、ビジネス・チャンスに対する敏捷性(アジリティ)の喪失と、目に見えぬ仕掛り在庫増、そして資金回転率の低下を意味する。

一番の解決方法は、製造業において、部門間の「責任感」による確約のマージンをけずる事である。すなわち、サイロ状態をやめて、個別の製番や品番の進捗を通してモニターする担当者や担当部門を設ける。そして、そこに「納期問題調整の権限」と「納期確約の責任」をあずけてしまうのである。各部署がそれぞれもっていた責任は免除する(つまり、その裏側で生じる問題の隠蔽や秘匿をやめさせて表に出す)。すなわち、需給コントロールセンターをつくるという方法である。次なる解決方法は、計画のサイクルタイムを短縮し、月次から週次へ、あるいはせめて半月単位に短縮していくことである。

とはいえ、これらはすべて、メーカー側の努力を待たなければならない。プラント建設プロジェクトにおける鉄骨製作のリードタイム短縮を議論していたわたし達にとって、まさか鉄工所や製鉄所に生産システムを変えろと要求することは解決策にならないし、現実に不可能である。結局、鉄骨業者から製鉄所に生材全量を発注することをやめてもらい、緊急を要する一部の材料はストック材販売業者から購入するしかなさそうだ、という結論になった。

無論その結果、発注コストは上昇する。いわば、「お金で時間を買う」訳である。それでも一定条件下では、時間短縮の方がコストセーブよりもプロジェクト全体としては有利になると考えられる。こう判断できたのは、むろん、エンジニアリング会社のプロジェクト・マネジメントというものが、部分よりも全体を見渡す立場に、立っていられたからである。
by Tomoichi_Sato | 2011-10-06 00:09 | サプライチェーン | Comments(2)

リードタイムとは、いつからいつまでの期間をいうのか

海外プロジェクトの納期について、社内で議論になった。ま、いつものことだ。現在のわたしの仕事は海外プロジェクト部門のPMOで、主にタイム・マネジメント技術を受け持っている。プランニングとスケジューリングと進捗モニタリングのやり方をどう改善するかが、日々の仕事である。

そのとき議論のネタになったのは、鉄骨パイプラックの調達納期だった。プラントの写真をごらんになった方はお分かりのとおり、プラントというのは配管のカタマリである。その配管を乗せるメインの通り道のようなものを「パイプラック」と呼ぶ。パイプラックは普通、鉄骨を縦横に組み合わせて架構(フレーム)を作る。このフレームの中や上を、多数の配管が通るのである。そして、この鉄骨パイプラックの調達と建設は、しばしばプラント建設スケジュールのクリティカル・パスにになるのだ。

パイプラック用鉄骨の調達リードタイムは、国にもよるが最低でも6~8ヶ月はかかる。鉄骨製造業者(いわゆる鉄工所)は比較的ローテクで、たいていの国に存在し、建設地に近い業者から調達するケースが多い。たとえば中東などの鉄骨製造業者だったら、8ヶ月程度と見るべきだろう。そして奇妙なことに、このリードタイムは、発注数量にあまり依存しないのだ。たとえ500tonの発注だろうが、1,000tonの発注だろうが、1,500tonだろうが8ヶ月かかる。

どうしてかというと、実際には鉄骨製造業者の工程を分解すると、次のようになるからだ。

(1) エンジ会社から受け取った図面を元に、素材となる鋼材(これを「生材」と呼ぶ)の必要数量を集計する・・・1ヶ月
(2) 製鉄所から「生材」を調達する・・・3ヶ月
(3) 「生材」の納入を待つ間に、工場での製作図をつくる・・・(上記に含む)
(4) 入荷した生材を切断・穿孔・溶接して加工する・・・2ヶ月
(5) 加工した鉄骨部材の表面を処理して塗装する・・・1ヶ月
(6) 検査・梱包して出荷する・・・1ヶ月弱

以上を合計すると、1+3+2+1+1 = 8ヶ月という計算になる。この中で、本当の意味で加工・製造と呼べる時間は、ステップ(4)と(5)の合計3ヶ月に過ぎない。これは、工場内の加工機械の段取りや工程間の資材搬送などが影響して、数量が500tonから1,000tonに増えても、たいして期間的に変わらない(もっとも、量が5,000tonとか1万tonとか桁違いに多くなれば、さすがにもっと長くなるが)。そして、(4)と(5)以外の期間もまた、ほとんど数量に依存しないから、結果としていつも8ヶ月かかる、という訳である。

この中でも、もっとも馬鹿みたいに思えるのがステップ(2)の、“製鉄所から「生材」を調達する・・・3ヶ月”である。発注準備作業であるステップ(1)を加えると、なんと全体のリードタイムの半分が、鉄骨製造業者から製鉄所への生材調達リードタイムに消費されてしまう。納入の関係を図示すると下のようになる。したがって、プラント全体の建設工期を短くしたいと思ったら、これを何とか短縮しなくてはならない。

 [エンジ会社] ←(鉄骨)← [鉄骨製造業者] ←(生材)← [製鉄所]

それにしても、生材というのは要するに、H形鋼とかL形鋼とか、カタログに載っているような標準的商品である。なぜこれの調達が3ヶ月もかかるのか。答えは意外にも、製鉄所が「受注生産」で動いているからだ。鋼材や鋼板といった製鉄所の産品は、わたし達の素人目には区別がつかないものの、かなりいろいろなバリエーションがある。断面の各種サイズや長さの他に、素材である鋼の成分にも多くの種類がある。したがって、製鉄所は見込で生産などせず、実需にもとづいて、月間生産計画を立てる。鉄鋼の素材は溶鉱炉に投入する原料の配合で決まるから、月単位で高炉のスケジュールを立て、その下流工程である圧延その他の工程計画を決める。

実際に溶けた鉄が炉から流れ出てきて圧延・成型・裁断されるまでは、たとえ1,000tonだってほとんど「あっという間」である。ただし、製鉄所は月単位の生産計画だから、1ヶ月間で必要な全品種を、順次無駄がないように切り替えて作っていく。注文したH形鋼のサイズがいろいろあるから、全部の種類がそろうまでには最大1ヶ月間かかる計算だ。そして、材料を全部揃えて検査・梱包し輸送納品するまでに1ヶ月。加えて、受注してから生産計画に組み入れられるまでが最大1ヶ月だ(たとえば翌月計画の締めが毎月15日だとして、受注が16日だったら生産は翌々月になってしまうため)。無論、運がよければ最小2ヶ月以内で納入される可能性もあろうが、確約はできない。スケジュールを立案する側としては、確約された納期で線を引かざるを得ないことになる。

標準リードタイム」というのは、ある意味、不思議な概念である。それは作業の開始から終了までの時間ではない。指示(Order)が下されてから、それが完了する(Fulfillment)までの、確約できる標準的期間をいう。標準は平均ではないことに注意してほしい。鉄骨製造業者が生材を発注してから納品してもらうまでの平均期間は、たぶん2ヶ月半未満だろう。最小値は1ヶ月強のこともあるにちがいない。でも、確約できる調達リードタイムは3ヶ月だ。エンジニアリング会社にとって、鉄骨製造業者に発注してから建設現場に納入されるまでの標準リードタイムは、先ほどの計算どおり8ヶ月になる。うまくタイミングさえ合わせられれば、最小6ヶ月かもしれないのだが。

正味の作業時間よりも、標準リードタイムの方がずっと長くなってしまう問題がここには存在している。その根本原因をふまえて、どういう手立てが考えられるのか。それについては、少し長くなってきたので、次回書こう。

(この項つづく)
by Tomoichi_Sato | 2011-10-02 23:19 | サプライチェーン | Comments(0)

マテリアル、サービス、そして情報 ー 売り買いの対象は三種類に分類できる

生産管理やサプライチェーン・マネジメントの世界で、BOM(部品表)や品目コードのことを論じるとき、基本となるのは「マテリアル」という概念である。ところが、いざ正面切って「マテリアルとは何か」と問うてみると、案外きちんと答えられる人は少ない。

BOMが「部品表」ならば、マテリアルは「部品」じゃないか、と思うかもしれないが、それは早計だ。なぜなら、BOMは持っているけれども、部品などというものは使わない、という業界がじつは多数存在する。たとえば、製鉄業。そこにあるのは鉄鉱石や石炭などの「原料」「材料」である。石油精製、化学、医薬品、飲料・食品、ガラス、プラスチック成形、などの業界にもBOMはあるが「部品」という言葉は使わない。似た例はまだある。繊維、アパレル、製紙、紙器、印刷・出版・・などなど。こうした業界では素材や資材はあるが部品はない。

では、「原料・材料・部品・素材・資材・・等々をまとめて、マテリアルと呼ぶ」と定義したらどうなのか。いや、それではまだ足りないものがある。それは、「製品」だ。サプライチェーンの中を流れて行くマテリアルは、サプライヤーにとって製品であるものが、ユーザにとって部品になる。つまり、製品と部品の区別は絶対ではない。同一の会社内においてさえ、両者の区別が絶対でないことは、サービスパーツの取引を思いだしてもらえれば分かるだろう。「製品」とは売り買いの対象になるかどうかの区別でしかない。

それでは、「サプライチェーンの中で流通の対象となるものがマテリアルである」と定義したら完璧だろうか。残念ながら、これでもダメなのだ。これは、ちょっとでも調達系のシステム構築にたずさわったことのある人ならば分かる。製造業における購買の対象がモノだけだと考えてはいけない。たとえば、外注加工というのは「モノ」なのだろうか? 加工の注文書を発行するためには、購買品目マスタに「外注」なるモノを登録すべきなのだろうか? じつは、大昔のSAP R/3などはそういうマスタ構成になっていた。それで矛盾がいろいろと生まれて、「サービス」がマスタとして区別されるようになった。

我々が商業的取引において売り買いする物事は、じつは3種類の基本的カテゴリーに分類できる。それは、マテリアル、サービス、情報/データ、の3種類だ。これらは、次のような特性をもっている。

(1)マテリアル:物的な実在性を持っている。在庫できる(資産となりうる)。取引は、所有権の売買の形をとる。八百屋に行ってリンゴを買うのは、マテリアルの取引である。

(2)サービス :物的な実在性はない。したがって在庫もできない。サービスとは、何らかの機能をもつリソース(資源)の占有使用権を取り引きする形である。リソースは人の場合と物的な場合とがある。床屋に行って髪を切ってもらったり、ホテルの部屋に泊まったりするのは、サービスを買っているのだ。無論、通信回線というリソースを提供するのも、サービス業という種類のビジネスである

(3)情報/データ:物的な実在性はない。情報は非定型で人間に意味をもたらすものであり、データとは形式化された記号の並びである(そこから意味をくみ取るのは人間の側の作業)。情報・データは資産の一種ではあるが、他人に渡しても自分の手元に残る性質があるため、在庫という概念には意味がない。新聞や音楽CDを買うのは、媒体としての紙やディスクというモノを買っているように見えるが、じつは非占有的な使用許諾権(アクセス権)を買っているのである。

こうした多様さにめげて(?)、IT業界ではしばしばマテリアルの語を避けて、"item master"、「品目マスタ」なる用語が使われる。しかし、これは抽象化の結果と言うよりも、抽象化の不足がもたらした状況かもしれない。

マテリアルとは、物的な実在性を持ち、在庫可能で、所有権の対象となるようなものをいう。この点を、サービス・情報/データと比較し、きちんと区別して認識すべきである。さもないと、部品マスタに「外注」や「指示伝票」を登録するような混乱が待っているだろう。マテリアルの概念はあらゆる生産管理の基礎である。基礎が定まっていない上に、いかに美しい管理システムの体系を構築しようとも、それは危ないのだ。
by tomoichi_sato | 2011-08-08 22:41 | サプライチェーン | Comments(0)

生産スケジュールにおける「リソース」の考え方

工場で製造作業に着手するために、必要なものは何か。まず、資材がなければならない。資材とは、原材料や部品など、その作業工程で製造されるアウトプット(製品ないし中間製品)に直接使われるものだ。

また、正しく製造作業を行なうには、情報がいる。これには2種類あって、“何を・いつまでに・いくつ作れ”という指示情報と、“それはこういう資材を使って、こういう風に作れ”という仕様情報がある。

しかし、製造作業には、これらの他に必要なものがある。まず、作業者だ。それから、加工のための機械設備。そして、副資材(たとえば切削油など)。それに、電力やスチームなどの用役。金型や治工具。そして(時には)作業スペースなどなど。

こうしたものを総称して、「リソース」と呼ぶ。リソースは製造に必要なもののうち、直接資材と情報をのぞく、ほぼすべてのものを指すと考えていい。カタカナ言葉で呼ぶくらいなら、日本語で『製造資源』と呼んでも良さそうなものだが、現場ではあまり聞かない。労働者のことを“資源”と呼ぶのは、抵抗感があるからかもしれない(もっとも英語では人事のことをHuman Resourceともいうが)。

むろん、リソースの考え方は、製造作業に限らず、検査、搬送、保管などの、生産と供給にかかわる作業すべてに共通に使える。直接の資材と情報以外に必要な、機器・作業者・道具・用役などをリソースととらえることができる。

ところで、生産計画やスケジューリングにおいて、リソースの取り扱いは難関の一つである。つねに細心の注意を払っておかないと、しばしば足元をすくわれる要素になる。ERPやAPSを導入した。必要な資材も情報もそろっているはずだ。それなのに、現場が動かない。なぜだ!? という問題が出るときは、たいていどれかのリソースが足りなくなっているせいなのである。

SAP R/3などのERPパッケージが備える生産管理モジュールは、ほとんどがMRPの手法を計画系機能のベースにおいている。MRPでは原則として資材と指示情報の枠の中でしか考えないから、リソースで問題が出るのはある意味で当然だ。

リソースには現場のいろいろな制約が集中する。その中でも、ふつう一番きつい制約になるリソースは機器設備の処理能力上限である。APSは、この能力の上限を考慮しながらスケジュールを立ててくれる。だから、MRPと違い、APSは実行可能なスケジュールを与えるはずだ、と信じる人は多い。APSベンダーもそんなふうなことを宣伝する。

だが、残念ながら、リソースは設備や作業者だけではない。たいてい、スケジューリングは他のリソースでつまずくのだ。

リソースの制約は、多種多様だ。設備や作業者ならば、供給能力の上限値であらわすことができる。しかし、金型や治工具はそうはいかない。作業中は占有されていて、作業が終わると開放される、1か0かのデジタルな制約だ(より正確にいうと、前段取りや後段取り時間も考慮しなければいけない)。また、用水や副資材などのように、使用後にリサイクルされてタンクに戻ってくるリソースもある。設備にしても、同種の機械のあいだで能力をプールできるもの、一時的に代替できるもの、など、非常にバラエティに富んでいる。

そして、APSのモデル化の能力を計る、一番いい指標は、リソースについていかに多様な種類が用意されており、どの程度モデル化がフレキシブルかを見ることである。逆にいうならば、生産スケジューリングがリソースでつまづくことが多いのは、APSにおける問題のモデル表現において、フレキシビリティを補うため恣意的に使われるケースが多いからだ。

生産スケジューリングにとりくむ場合、リソースの種類と使い分けを、ゆめゆめ侮ってはいけない。
by Tomoichi_Sato | 2011-07-27 19:53 | サプライチェーン | Comments(0)

納期は「目的関数」か、それとも「制約条件」か?

ORの世界では、最適化問題とは目的関数を決め、それを制約条件の中で最大化する手法の研究だと考える。私自身は、スケジューリング問題を最適化の文脈でとらえることに、一貫して反対してきた(「スケジューリングは最適化の問題ではない」参照)が、世の中の主流がその方向で認識していることは確かだ。

ところで、スケジューリング問題における納期は目的関数たりうるか、などというと疑問に思われる方もいるだろう。生産計画の目的関数が利益最大化であることは自明ではないか? 納期は順守が原則だから、制約条件であるはずだ、と。

答えはYESでもありNOでもある。疑問に思う人は、つぎの問題を考えてみてほしい:今、営業部に客先から急な引合いが入って、ある製品Xについて納期を答えなければならない。工場はすでに計画にそって動いているから、この注文は飛びこみ扱いになる。スケジューラーは工場設備の能力余裕を調べ、いつだったらその製品Xが製造可能かを計算する。しかし、あいにく今の計画のままでは、営業の希望する納期は満たせそうもない・・

このとき、計画担当者のとりうる行動は二つある。営業部に「納期は守れません」と答えるか、さもなければ現在の実行計画の内で、納期に余裕のありそうな製造オーダーを後ろに動かして、飛び込みの注文が希望に間に合うようにするかだ。あなただったら、どちらにするだろうか。

後者が正解、のように思えるかもしれない。しかし、そこには一つの仮定がある。それは、希望納期に遅れたらその引合いは失注するだろう、という仮定だ。これが本当かどうかは、営業部が客先に本音を確認してみないと、じつは分からない。もしかしたら、分納によって一部は後からでもいい、と言ってくれるかもしれない。金額による、かもしれない。ようするに、計画者だけでは判断しようがないのである。納期予想の確度は需要側の性質できまるからだ。

このように、納期を制約条件と決めつけるのは危険である。このため、たいていのAPS(先進的生産スケジューラ)には、納期からのずれを目的関数に組み入れる機能を持っている。そして、納期遅れの最小化問題として解いたり、あるいは納期遅れにペナルティを設定して金額に換算し、利益からこれを引いて目的関数としたりする。

納期のように、一種の制約条件ではあるが、ペナルティ項目として目的関数に組み入れ可能な(いいかえれば、ある程度は破ってもいい)ものを、「ソフトな制約条件」と呼ぶ。月の労働可能時間なども、残業を考えればソフト制約の場合が多い。これに対して、たとえば同時に使用可能な金型の数のように、どうしても緩和できないものを「ハードな制約条件」とよぶ。

OR的なアプローチでスケジューリング問題を解くときには、ソフトな制約条件を目的関数化して、いかに制約を緩和し、解空間の大きさ(自由度)を広げるかが、テクニックの一つなのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-07-14 23:41 | サプライチェーン | Comments(0)