カテゴリ:時間管理術( 43 )

To Doリストなんか書いている時間がない

日本の製造業が景気回復の手応えを感じはじめてから、もう2年近くたつ。業種・地域ごとに濃淡の差はあれども、いまはどこの会社に行っても、多忙な状況だ。10年以上続いたひどい不況の時代に、企業は可能なかぎり人減らしをすすめたから、今さら急に業容が拡大したって、体制が追いつかないのは事実だろう。

製造現場はそれでも、派遣労働者をあつめてきて何とかしのいでいるみたいだが、技術者となると、そうはいかない。その業種・その会社の技術内容をよく知った人間でないと、エンジニアはつとまらないからだ。おかげで、どの会社でもエンジニアの労働時間がふえる一方だ、このままでは過労で倒れそう、と声なき悲鳴が聞こえる昨今である。

そんな現状があるからだろう。人・モノ・金につづく経営資源の第4の要素として、『時間』があらためて注目をあびるようになった。会社組織として、時間をいかに管理していくか。それは納期短縮にも製品開発競争にも人事施策にも人件費削減にも直結する。例の「ホワイトカラー・エグゼンプション」の議論も、ある意味その一環にちがいない。

ところで、人や金といった他の経営資源とちがって、時間は管理できない。時間は所有できないからだ。万人に共通に与えられ、使わなくても手元から消えていく。お金の予算は、ゼロになれば「無い袖は振れない」となって、使えなくなる。しかし、時間は足りなくなっても無限に消費(補給)可能だ。だから、どんどんプロジェクトの予定が遅れていく訳である。ここが、タイム・マネジメントの基本的な問題点である。

いうまでもないが、時間を占有できない我々にとって可能なのは、「時間の使い方」のコントロールである。つまり、時間の「予算」(スケジュール予定)・「実行記録」(日誌とTo Doリスト)・「決算」(進捗と生産性評価)の3つが、がエンジニアのための時間管理術において、中心の技法になるのである。

ところで、こうした話をすると、よく“ぼくらは忙しすぎてTo Doリストなんて書いていられませんよ”と反論されることがある。毎日が忙しすぎる。だからうまくスケジュール管理はしたい。でも、自分がかかえているタスクのリストは書きたくない。なぜなら“忙しすぎるから”だ、と話が円環を描く。聞いているこちらは、酒飲みの国を訪問した「星の王子さま」みたいな気分になってくる。では、どうしたらいいのか?

じつは、「忙しすぎてできません」というセリフには、どんな場合にも裏側の意味がある。これは、“自分が本当に多忙かどうかはともかく、自分の優先順位評価から見ると、それは優先度が低い仕事です”といっているのだ。ウソだと思ったら、押し売りの電話に自分がどう答えるか思いだしてほしい。「今忙しいから」といわないだろうか?

To Doリストを書いたり、日誌をつけたりすることに対する“忙しすぎるからできない”との言い訳も、同じ意味である。「そんなの、やってもやらなくても仕事の結果にはかかわらない。だからやりたくない」と考えているわけだ。タイムシートはつけ忘れたら残業代にさしつかえる。しかしTo Doリストは給料に影響しない。だから自分にとって本来の仕事ではない。第一、書いている時間があったら、やってしまった方が早いじゃないか。

ここには、どうやら根本的な誤解があるらしい。それは、To Doリストは宿題(タスク)をもらった人間が書くものだ、という誤解である。もしも、あるタスクが誰かからの指示によって発生したならば、それは指示(発注)する側の人間が書きこむべきなのだ。それが、作業のオーダーという意味なのである。

考えてみてほしい。設計担当者が工場の製造現場に対して、何らかの製造指図書や作業指示書を出す場合、それはエンジニアが書くのが当然だと、誰もが思うだろう? だとしたら、ホワイトカラーが指示や依頼でタスクを他のホワイトカラーに渡したときだけは、なぜ受け取った側が紙に記録すべきだと考えるのか? 頼んだら、頼んだ側が忘れないよう心がけるべきではないか。

べつに、他人のTo Doリストに直接書き込むのではなく、ミーティング・メモやメールの形で書いてもいい。依頼した側と依頼された側が誤解なく、忘れないようになっていれば良いのである。あるいは、電子的にリストを共有する仕組みを使うのもいい。「e工程マネージャー」をはじめ、最近ではグループ内でタスク・リストを共有するツールはたくさんでている。いや、Excelで運用しても、カードに書いて渡してもいい。方法など、いくらでもあろう。

顧客からの電話での依頼はどうするか? たしかにその場合は、自分で書くしかあるまい。電話連絡票をかいて、「自分はこれこれのタスクを受け取りました」と顧客にメールで返しておく。これが由緒正しいやり方である。とくに有償サポート契約などでは、どこでもそうしているはずだ。

では、顧客や他部署からの質問はどうするか? すぐ答えられなければ、調べなくてはならない。その場合、人件費が発生するわけだ。だから、サービスフィーをもらうべし、というのが筋道になる。え? そんなの非現実的だ? --そうだろうか。たしかに、実物経済中心の今の取引慣行では、そうかもしれない。しかし、いつまでもそうでありつづけるだろうか。これだけタイム・マネジメントの意識が普及していけば、しだいに「時間のコスト」に皆が自覚的になっていくはずではないか。

人件費だけはただ、という時代は早く卒業するべきだろう。
by Tomoichi_Sato | 2007-03-12 22:09 | 時間管理術 | Comments(0)

タイム・マネジメントの心得

イベント・ドリブン」(event driven)という形容の句をご存じだろうか。外部から飛び込んできた出来事を起点にして動くような仕事の仕方、あるいは外部に振り回されるような状態を指す言葉だ。『割込み駆動型』とも訳す。もともとはコンピュータのソフトウェア工学で生まれた用語である。ユーザによるキーボード入力やマウスのクリックやメールの到着などを、出来事(イベント)と考え、それぞれに対応する処理を設計する技法だ。

たとえばコールセンターのような仕事は、典型的なイベント・ドリブン業務である。顧客からの電話がかかってきたことを起点に、仕事がはじまる。なすべき特定のタスクを、あらかじめ自分自身が抱えているわけではない。銀行窓口をはじめ、窓口業務にはこうしたスタイルが多い。

これと対極にあるのが、「スケジュール・ドリブン」な仕事のスタイルである。あらかじめ決めた計画通り、時間表にそって進めていく。なんだか模範的受験生の生活みたいだが、多くの会社では、年次計画があり、月間目標があり、週次定例会議や日程表で仕事を動かしていくのだから、基本的にはスケジュール・ドリブンを理想としているわけだ。

たいていの技術者は、この両者が入り混じった生活をしている。計画に従い、設計作業を進めていると、上司から調べものを命じられたり、顧客からクレームの電話が飛び込んできて、しばらくその対応に追われる。一段落すると設計の図面に戻る。しかし次の日には定例進捗会議で、別のことを優先してやれと命じられる、といった具合だ。

エンジニアが自分自身の時間のマネジメント、あるいはパーソナル・スケジューリングをするにあたっての基本は、日誌をつけることだ。その目的は、自分の時間の使い方の事実を把握することにある。たいていの人は、事実を知らぬまま、忙しい忙しいと感覚だけで言っている。しかし、その忙しさの中身は、イベント・ドリブンな仕事の忙しさなのか、それともスケジュール・ドリブンな仕事の忙しさだろうか。両者はどれくらいの比率で入り混じっているか、自分はすぐに答えられるだろうか?

じつは、「忙しさ」の感覚の大半は、イベント・ドリブンな仕事から来る。スケジュールに沿って仕事を進めているときは、たとえ時間的には忙しくても、前に進んでいる達成感がある。これに対して、他人からの割込み駆動型で動かされているときは、自分で自分の時間の使い方を決められないもどかしさがある。どうしても、被害者意識のようなものが出てくる。かりに勤務時間が同じだとしても、心理的に追われている気分になるのだ。

それでは、どうしたら良いのか? 配置転換をのぞむしかないのか? いや、そんなことはない。答えは簡単である。それは、イベント・ドリブン型で発生したタスクを、日々の自分のスケジュールの中に入れてしまえばいいのだ。

これには、二つの意味がある。まず第一に、イベント・ドリブンな仕事のために、自分の時間を一定比率、空けておく。例えば私の場合、経験的に25%くらい割込み型に仕事の時間をとられる。ということは、その日や週にやらなければならない、前から決まっていた仕事があったとしても、1日6時間、週に30 時間分以上は、スケジュールに予定してはいけないということだ(実際には定例のミーティング等もあるから、スケジュール可能な時間数はもっと少ない)。かりに50時間くらいかかりそうなタスクだったら、うーん、こりゃ半月は期間が必要だな、と考えるわけである。このように、割込み時間比率をスケジュールに繰り入れるのが、第一の意味である。

そして、第二の意味は、タスクがその場ですぐ解決できないような、時間のかかるものであった場合、それをTo Doリストに、期日とともに書き込むのである。To Doリストは毎日見なおして、その日の時間の使い方を決めるためのベースだ。To Doリストに書き込まれた仕事は、すでにスケジュール・ドリブンな枠の中に収まっている。むろん、割込み仕事の中には緊急性が高くて、他の仕事の手を全部止めてかかりきりにならなければいけないものも時にはある。だが、いつもというわけではない。飛び込みではあるが、期日に余裕のあるタスクは、スケジュールに組み込んでしまえばいいのだ。これが二番目の意味である。

このようなことを実施するためには、To Doリストと日誌を一体化した運用が必要になる。これについては近著『時間管理術』の中に述べたのでくわしく説明はしないが、この両者がタイム・マネジメントに必須の心得であることは、ぜひ記憶に留めておいてほしい。
by Tomoichi_Sato | 2007-01-16 22:49 | 時間管理術 | Comments(0)

時間を在庫する

「時間」を缶詰にしてストックできたら便利だろうな、と考えたことはないだろうか。忙しいときはストックから取り出せば自分にゆとりができ、ヒマなときには逆に缶詰にして将来のためにとっておく。こんな事ができたら最高である。

私は技術屋だが、最近はホワイトカラーはなぜこんなに忙しいのだろうと、よく考える。高度成長期の日本では、ブルーカラーの労働力がビジネスの制約だった。工場労働者が「金の卵」などと呼ばれた時代があったのだ。しかし私が社会人になった頃は、制約は生産設備や社会資本に移っていた。そして長い不況の間に、労働力は(いや製造自体が)外注化が進み、外から買える時代になった。今や、真の制約は、ホワイトカラーの実働時間になってしまったのではないか。そうとしか思えないほど、どの業界でも皆、忙しがっている。

そんなおり、鰻の蒲焼きを家で食べながら、ふと気がついた。こうした出来合いのお総菜を買ってくるというのは、じつは時間を買っているのではないだろうか? 鰻屋にいって蒲焼きを食べるのは、美味しいがとても時間がかかる。注文をしてから出来上がるまでの3,40分の間、肴をつまんでお酒を飲みながら待つ必要がある。今風にいえば『スローフード』の典型、ご用とお急ぎでない方の楽しみである。

鰻屋は注文を受けてから鰻を割く。個別受注生産方式というわけだ。だから時間がかかる。これがもう少し安い店になると、割いて白蒸しにした状態まで作っておき、注文を受けたら、たれにつけて焼いて出す。こうすると、鰻の歯ごたえはやや失われるが、リードタイムが他の料理なみに短くなり、メニューの幅を広げることができる。もっと庶民的な店は、あらかじめ蒲焼きにしたものを売っている。買ってきて温め直せば、すぐ食べられる。顧客の購買リードタイム最小である。一度に大量生産できるから安い。そのかわり店は売れ残りのリスクも負っている。

食品に限らず、およそ製造業では、何らかの形でストックをおいておく。原料、中間製品、あるいは製品・・その形態はさまざまだ。それは在庫と呼ばれ、個数や金額で数えられる。しかし、じつは在庫には製造リードタイムという『時間の缶詰』の意味もあるのではないか。だから、在庫量は日数分で計るのが適当なのではないか。

在庫には一般に、最終需要に引当済みの「フロー在庫」(仕掛り在庫)と、まだ未引当の「ストック在庫」(有効在庫)の二種類がある。ストック在庫のポイントを何の形でどこに置くかは、生産の仕組み作りにおいて非常に重要な問題だ。一般に、製品に近い形で置くほど、受注から納品までのリードタイムは短くなる。なぜなら、需要を見込んで、先に製造行為を済ませているからだ。先ほどの鰻屋の例を思いだしてほしい。

在庫とは見込みによる先行着手をあらわすものであり、したがって時間をストックしている。ここから、有効在庫量を日数や月数などの『時間』で計ってあらわす意味も明らかになる。よく10日分の在庫とか1.5ヶ月分の在庫回転率などというが、これはすなわち、原料手配からその在庫ポイントまでの総リードタイム合計から、その在庫日数分だけ見込み着手して短縮しました、ということを表わしている。

いま、ある在庫品目を手配してから入手するまでの実効リードタイムの平均値を「純リードタイム」とよび、原材料からその品目までの購買・製造リードタイムの総合計を「総リードタイム」と呼ぶと、次の関係式が成り立つことが分かる:

在庫品目の純リードタイム=その品目の総リードタイム-有効在庫日数

よくリードタイムという用語が誤解されることがあるが、それは『純リードタイム』と『総リードタイム』を混同することから生じる。

そして、この式からもう一つ、大事なことが分かる。それは、適正な在庫量とは、その品目の総リードタイム日数分に等しくとるべし、ということだ。いいかえれば適正な在庫量とは、純リードタイムをゼロにするような在庫量なのである。数量で言えば、総リードタイム期間中に消費されるであろう数量、つまり平均需要量×総リードタイム、となる(本当は安全在庫分の考慮が必要になるが、ここでは省略する)。在庫がこれより多ければ、無駄になる。少なければ、欠品によるリードタイムが生じて、在庫を持つ意味が薄れる。

このように、在庫量と計画手配(スケジューリング)の問題とは、表裏の関係にある。ORの学問的に言えば、最適化の『双対問題』の関係になるのだ。だから、問題を在庫で表現するか、時間で表現するかは、目的に応じて選べばいい。在庫はマイナスにならないが、時間はマイナスになりうる(納期遅れ)点がひとつのキーポイントだろう。

さて、最初のホワイトカラーに話を戻すと、われわれ非定型業務に従事する者にとって、「時間の缶詰」に相当する在庫とは何だろうか? そんなものは可能だろうか? 可能だが、いろいろと条件が付く、というのが私の答えだ。話が長くなってきたので、また別の機会に説明することにしよう。
by Tomoichi_Sato | 2006-12-27 00:15 | 時間管理術 | Comments(0)