カテゴリ:時間管理術( 43 )

学ぶ時間をどうつくるか

前回は、中堅エンジニアがモチベーションを失わずに成長するためには、自分の専門分野以外にも学ぶべきことがある、と書いた。ところで、ここに重大な問題が立ちはだかっている。それは、企業人の学ぶ時間が、次第にうばわれているという事実だ。

普通の企業人は、年間どれくらいの時間を「学び」にあてているのか? 平成23年度調査によると、正社員の延べ受講時間平均は39.5時間だ、という(「人事マネジメント」2012年11月号・門田政己氏の記事より)。
http://www.acroquest.co.jp/company/press/2012/img/20121206.pdf

年間に39.5時間ということは、月にわずか3.3時間だ。週に1時間もない。これでは「学び」どころか、技術やスキルの維持さえおぼつかないではないか。しかもこの数値には、新入社員の集合研修の時間なども含まれている。中堅層だけを抜き出したらもっと少ないに違いない。

この数値の元になっているのは、厚生労働省の「能力開発基本調査」http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/104-1.html である。調べてみると、一番新しい平成27年度では、OFF-JTを受講した者の延べ受講時間平均はのっていない。ただグラフから推算すると、平均24時間弱となり、4年前よりさらに少なくなっている様子だ。また、これは正社員の話で、非正規雇用者への研修時間はもっと少ない。別の政府資料では、20歳代を比較すると1/3程度しかないらしい(「平成25年度年次経済財政報告」 http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je13/h03_01.html)。

わたしが若い頃に聞いた話では、英語を満足に話せるようになるには、だいたい700〜1,000時間の勉強が必要だということだ。もし年間24時間しか時間がないのなら、英会話を身につけるのに30年かかる計算だ。定年退職する頃、やっと海外で英語の仕事ができるようになるのでは、まるきり遅いではないか。

もっとも、上記はあくまでOFF-JT、すなわち座学による研修だ。これ以外にOJT(On-the-Job Training)を実施していると、企業側はいうかもしれない。ただしOJTの計画性はどうかというと、平成23年度調査で63%の事業所が「計画的なOJTを実施していると回答」したのだそうだ。逆に言うと、1/3の企業は計画性なきOJT、つまりまあ「俺の背中を見て育て」式の教育をしている訳だ。

こうした統計から分かる事が、一つある。それは、企業に人材教育をする余裕がなくなっている、ということだ。

人が成長するには、時間がかかる。年単位の時間がかかる。昨今の企業は、それを待てなくなっている。だから「即戦力」などという言葉が飛び交うのだろう。それを大学教育に要求したりもするのだろう。大学教育の側にもいろいろな問題はあろうが、マクドナルドのような作業標準化・マニュアル化の努力もせずに、自社の業務にさまざまな特殊性や例外を残したままで、外部労働市場に「即戦力」を求めるのは、どうかと思う。

こまったことに、研修費用を減らしても、バランスシートではすぐ分からない。株主もあまり文句を言わない。だが、それは組織の自滅への道である。まさに、貧すれば鈍す、だろう。

では、どうするか。答えは、自分で学ぶしかない、ということだ。

自分で仕事について学ぶ行為には、『自己啓発』という用語が使われたりする。ちなみに、さきの能力開発基本調査H27年版によると、正社員では年間に「『10時間以上20時間未満』 が20.7%と最も高い」のだそうだ。月に、平均1時間半程度である。これで十分だとは、みな思っていないだろう。だが自己啓発は自己負担が原則である。そんなお金は出せないよ、が正直な気持ちだろうか。

ところで、複数の知人に聞いた話では、米国ではよく大規模なベンダーコンファレンスが開催され、チュートリアルや研修セッションも同時に行われるが、こうした行事に自費で参加する米国人が、けっこう多いのだそうだ。通常は3〜4日で、参加費も高い。飛行機代・ホテル代もあわせれば、軽く2千ドル(20万円)以上はかかるだろう。それを自費で? ちょっと信じられない気持ちだが、彼らにとっては、それが自分の能力の保証になるから、なのだそうだ。まあそれがゆえに、多くのセミナーでCertificate(受講証明書)だのPDUをだしたりするのだろう。それが転職時に有利になるのかもしれない。

つまり、彼らは「学び」を自分への投資と考える訳である。株を買ったりするかわりに、自分に投資する。そして、学びに優る投資なし、とも言えるだろう。

わたし達は、なぜ学ぶのか。それは自分への投資だから、である。自己の価値を上げる唯一の方法だから。ここでいう自己の価値は、「社内の地位」とはまったく違う。会社に関わりなく、客観的に評価できる能力の意味だ。

では、何を学ぶのか? これについてはすでに書いた。専門分野も継続した学びが必要だ。そして、それ以外に三つ、視野に入れるべきことがある。

そして、どう学ぶべきなのか。ここでは、学ぶ時間に関して、いくつかのヒントを書いておこうと思う。

1.学ぶ時間は細切れにしてはならない

これが、第一の原則である。スキマ時間に学べる事には、限りがある。断片的記憶はすぐに忘れやすい。だから、集中して時間をとることが必要なのだ。

それを、何日間か継続すること。もし週1,2回しかとれないならば、何週間か継続する。また、本を読むときは、同じ分野のものを何冊か続けて読む。これはわたしが恩師から教わった事でもあった。

思考の成果の質は、集中して考えた累積時間に正比例する。集中できる1時間を2回確保するのと、5分間のスキマ時間を24回分つかうのでは、まったく結果の質が異なる。この原則を理解した方が良い。

2.学ぶ時間は自分で自分を予約する

いいかえるならば、「この日この時間は、学びのためにつかうぞ」と、カレンダー上であらかじめマークしておくのである。学びを、余った時間の中でやろうとしてはいけない(決して余らないからだ)。このやり方を、わたしは同僚のA氏に習った。時間の「天引き」という面白い表現を使う人もいる。給料の天引きと同じように、そこはもう自由裁量の中に入れないのだ。

これを実行するのに一番良いのは、先生について、先生の時間を予約することだ。そうすれば、自分の都合や気分だけでは簡単に変えられなくなる。あるいは、勉強会のような仲間との時間でもいい。一人だけでどうにかしようとするから、結局時間が確保できなくなるのだ。

3.学んだ時間を記録する

つまり、日誌をつける、ということだ。日誌は「日記」ではない。自分の時間の使い方、その実績を記録するのが日誌だ。そこに予定時間と実績時間を記録すれば、なおいい。こうすることによって、(空想ではなく)現実の自分を知ることができる。念のために書くと、これはちょっと恐ろしいよ。“俺ってこれだけしか役立つ時間をつかっていないのか”と、分かってしまう。食べ過ぎた後で体重計の上にのるようなものだ。だが、事実を見ることからしか、改善はスタートできない。

わたしは日誌をつける事を、自著『時間管理術』 (日経文庫)にも書いたし、いろいろなところでおすすめしている。日誌は一種の、時間の家計簿である。時間管理を上手になりたかったら、記録し対面することが不可欠だ。

ただし、時間管理の目的は、時間に吝嗇になる事ではない。それは「何もしない」時間をつくること、いいかえれば、学び考えるための時間を自分につくってあげること、である。その点を間違えてはならない。


最後に、わたし自身の体験をすこしだけお話ししよう。

わたしは2007年に、博士号の学位をとろうと、心に決めた。その動機については、いつか別の機会に書くこともあるかもしれない。テーマはPMである。

そのために社会人大学院に通うという方法もあったが、そうではなく、自分一人で論文をかく、論文博士の道を選んだ。これは、学位取得が会社の命令ではなく、まったくのプライベートの意思だったからである。そのため、平日に大学に通うなどもってのほか。すべて土日と、夜の時間にやるしかなかった。

ただしまったくの我流、徒手空拳ではさすがに難しい。月に一度、大学の先生のところに夜かよって、指導してもらうことにした。予約の時間はたいてい夕方6時半か7時である(まったく迷惑な人間だ^^;)。そして、自分が調べ考えたことを説明し、ディスカッションしてもらう。1回に1時間半程度。それから、学会誌の論文の書き方も指導してもらった(最低でも2本以上ないと、学位審査は通らないのだ)。

これを実行するために、自分用の時間記録のツールをあらたに作った。Excelマクロで、改良しながら今も使い続けている。日誌は以前から書いていたが、こちらはToDoリストと会議出張等の予定時間管理を融合させたツールである。

最初の1年は、インプット学習とアイデア創出だった。
次の1年は学会誌の論文投稿。つまりアウトプット学習である。
(言い忘れたが、学びには「インプット学習→アウトプット学習」の二段階がある。最初は知識を獲得し、つぎにそれを自分で使ってみて、はじめて身につくものだから)

最後の1年は学位論文の総まとめと執筆だった。3年目は勤務先でアルジェリアのプロジェクトにアサインされたり、法政大学の非常勤講師を依頼されたりして、けっこう繁忙だったが、なんとかやりとげることができた(まあ、ラッキーだったと思う)。

この間、わたしはできる限り、毎日机に向かうことを自分に課した。できれば一日1時間。酒を飲んで帰ってきた夜も、たとえ10分でも机に向かう。このために睡眠時間を削るのは本意ではないが、たぶん平均30分程度は減っていたと思う(わたしは7時間眠るのが理想だが、平日は6時間半が平均で、このときは6時間程度だった)。ほかに、自分がついムダに時間を使ってしまう「時間どろぼう」を見つけては退治し、やりくりしていた。

では、学位を取って、何かいいことがあったか? 会社のポジションや給料が上がったか? 答えはNOである。だってプライベートなチャレンジだったのだから、それは最初から承知の上だ。ただちょっと驚いたのは、博士号が会社の奨励資格リストに入っていないことだった。PMP資格を取得したり、TOEICで良い点を出すだけだって、奨励金が出るのに、ドクターは価値ゼロなんですかと、エレベーターで鉢合わせた人事部長にイヤミを言った記憶がある。

ただ、それでも学位取得後は、不思議な巡り合わせがいくつかあって、研究部会をはじめたり、出張先で思わぬ出会いがあったり、部署がかわったりと、公私ともにそれなりに大きく変化したのは事実だ。それが資格に直接関係するとは思わない。だが、自分の得た学びに、なにか機縁があったらしいと感じるのだ。それは学びの修了ではなく、新たな学びへの出発点だった。それと、家族の理解と精神的なサポートもあったことも特筆しておこう。

そうだ。だから、大事なことを最後にもうひとつだけあげておく:

4.応援してくれる仲間や家族をもつこと

一人だけで、学びは達成できない。わたし達は、お互いに成長を支え合うべき存在なのである。


<関連エントリ>
 →「見えない壁に突きあたった中堅エンジニアが学ぶべき、三つのこと」 (2016-04-04)

 →「自分自身を予約する」 (2010-07-22)
by Tomoichi_Sato | 2016-04-10 19:25 | 時間管理術 | Comments(0)

忙しすぎる人のための手短な処方箋

「なんで1日は24時間しかないんだろう?」とはじめて思ったのは、大学3年生の秋だった。

朝から昼過ぎまでは授業。その後、ほぼ毎日、学生実験。なんとか夕方までに片付けると、すかさずサークルのあるキャンパスに移動する。それからサークルでイベントの準備。毎日9時ぐらいまでかかっていただろうか。それから外食して家に帰る。家までは片道1時間半だ。帰宅してから、実験のレポート作成。化学工学の実験は、数字の計算量が半端でなく多い。だいたい寝るのは2時半か3時だった。そして翌朝6時半に起きる。これが毎日だ。今からは信じられないだろうが、当時の学校はすべて週休1日が当たり前で、土曜日も授業があった。

「ああ、1日が30時間、いやせめて27時間あれば、あと3時間は余計に眠れるのに」と切実に思った。そんな生活リズムは初めてだったから、まず胃腸がぶっ壊れた。昔から睡眠不足に弱いのだ。

そんな学生時代の自分に、誰かが「忙しさを脱したいなら、1日あと15分間余計に差し出せ」などとアドバイスしてきたら。きっと怒髪天を衝く勢いで怒っただろうな(ついでにいうと、昔から短気なのだ)。

1日15分間、余計に差し出して、何に使うのか。答えは、「日誌To Doリストに使う」のである。一日のはじめにTo Doリストを見直して、その日の予定とやらなければならない宿題(タスク)を確認する。タスクはたいてい複数あって溜まっていたりするから、その中の優先順位の高いものを選び出して作業時間を割り当てる。そして1日が終わったら、To Doリストから終わったタスクを消去し、新たに生じたタスクを追加する。そして1日をふりかえって簡潔に日誌に記録する。計画に5分、振り返りと記録に10分。だいたい15分あれば終わる。

わたしはこれまで、To Doリストと日誌の習慣づけを、全ての人に勧めてきた。「時間管理術 (日経文庫)」にも書いたし、このサイトでも何度か書いてきたと思う。大学の講義でも、繰り返し説いてきた。

だが、実行に移す人は、決して多くない。なぜだろうか? その理由には心理的なものと、技術的なものがあると思う。

まず、心理的な障害の面からいこう。なぜやる気にならないのか。答えはたぶん、簡単である。「忙しすぎて、そんなことしてる時間なんてない」であろう。『ふりかえり』の時間? とんでもない。今でさえ寝る暇もないのに、この上そんな役にも立たないことなんて、やってられるか! 振り返って反省したら、何か一つでも目の前の仕事は片付くとでも言うのかよ。単に余計な手間が増えるだけだ。計画と優先順位? 計画通りに仕事が進んだら、誰も苦労しねえよ。優先順位なんぞ、中学生じゃあるまいし、頭ん中でその場その場で決めてらぁ。

人が、「忙しすぎてXXなんかできません」というとき、もちろんそれは事実なのだろうが、でも実はその裏に隠された意味があるのが不通だ。それは、「そんなXXなんて自分にとって優先順位が低いので、する気になれません」という意味である。投入する労力に比べて得られる効果が期待できないと思うとき、優先度は低くなる。たいていの人間はバカではないので、自分の中で無意識に優先度を決めている。息をすることを忘れる人間はいないし、飲食だってまず忘れない。睡眠は多少は優先度を下げられるが、最後になると強制的に襲ってくる。そういう部分には、「本能」というファームウェアが強力なフックをかけているからだ。

起きている間に、自分が意思の力で決めることのできる活動にも、人は様々な優先順位のフィルターをかけている。たとえば
「面白い仕事を、つまらない(やりがいのない)仕事より優先する」
「期限が近い作業を、まだ期限が遠い作業より優先する」
「命令した人の地位が高いものほど優先する」(課長より常務に言われたことを先にする)
「自分の人事評価に直結する作業を、評価に関係ない作業より優先させる」
などがそれだ。

そのフィルターの一つに、「直接作業を間接作業よりも優先させる」がある。直接作業とは、具体的な成果物につながる(もっとわかりやすくいえばお金に直結する)仕事だ。たとえば見積書を作るとか、部品加工を外注するとか、顧客にプレゼンするとかだ。他方、間接作業とは、お金にはすぐは結びつかない仕事だ。タイムシートをつけるとか、出張報告を書くとか、ファイルを整理するとか。そして「To Doリストを維持したり日誌をつけたり」する行為も、このカテゴリーに入る。

こうした間接作業は、心理的に優先度を下げられがちなのを会社も知っている。だからルールで規定したり、お金に結びつけたり(「タイムシートを記入しないと月給が出ないわよ)して、強制する。

ちなみに会社全体で見れば、稼ぎに結びつく直接業務を主に受け持つのは、営業とか製造とか購買などの部門である(「ライン部門」と呼ばれる)。他方、コストを使うだけで稼がない間接業務を主に受け持つのは、たとえば総務とか研究開発とか情報システムといった部門である(「スタッフ部門」と呼ぶ) 。そして多くの企業では、ライン部門の方がスタッフ部門よりも発言権が大きい。出世コースに乗りやすいのはライン部門だし、不況になると真っ先に削減対象となるのはスタッフ部門だ。

そのような序列感覚に不満を持つ人も、スタッフ部門には多い。たしかに直接お金を稼ぐ仕事ではないが、将来の種まきのために投資したり、職場の仕組みや環境を維持・向上することで、間接的に収益アップに貢献している。だから同じように大切なのだ、と。

もしそんな不満を持つ間接部門の人たち、たとえば情報システム部門に働くITエンジニアが、自分自身の中では直接作業ばかりを優先させて、To Doリストや日誌のような「計画や段取りや振り返りみたいな間接作業なんかムダ」と思っているとしたら、それは自己矛盾というものだろう。

もう少し言うならば、直接作業と間接作業は、価値創出に短期的に貢献するか、中長期的に貢献するか、の違いとみることもできる。研究開発も、サーバのお守りも、それがなければ中長期的に会社のパフォーマンスが下がっていくのだから。目先の短期的な収益ばかりでなく、中長期的な成長のために先行投資や出費も辞さない姿勢こそ、良きマネジメントではないか。多くの人は、そう望んでいる。ならば、それを自己管理にも求めるべきだろう。

もっとも、殆どの人は、そもそも『時間管理』という独立したスキルが存在することを知らない。そして、管理の第一歩は記録をつけて現状を客観的に知ることだ、という初歩を知らない。ダイエットしたい人は体重を計って記録する。お金を貯めたい人は家計簿をつけて出費を記録する。時間も同じである。自分の時間の使い方も正確に知らないで、時間管理の第二歩目を踏み出せるわけがない。ちなみに第二歩目とは、「計画を立てる」だ。To Doリストはそのための道具で、とくに「失念による混乱」を防ぐのに有効だ。そうした習慣化を組織ぐるみで実践することこそ、わたしの言う『チャレンジのOS』確立への道である。

とはいえ、わたしのサイトを読みに来るような方は、こうした事は先刻ご承知だろう。そこで、少しテクニカルな話をしよう。To Doリストも日誌もトライした。だが続かずに挫折してしまった。そんな悩みをもつ人向けの処方箋だ。

To Doリストには二種類のタイプがある。追記型と転記型である。追記型とは、一つのリストにどんどんタスクを追記していく。終わったら二重線を引いて消す (あるいはチェックマークを入れる)。これを続けるタイプだ。リスト全体は次第にどんどんと膨らんでいく。わたしの勤務先の先輩方は、紙のノートにこれをつけている人が多かった。長いプロジェクトだと、ノートが2冊にも、3冊にもなっていく。

しかし、終わらないタスクは元の場所にいつまでも残る。すると当然、残ったタスクはあちこちの頁に取り残されて、大海の中の小島のようになり、一望できなくなる。こうなると、その日のタスクの優先度を決めるのが難しくなってしまう。これが追記型の欠点だ。ただし、世にある多くのTo Doリスト用ソフトウェアは追記型だが、この欠点を補うために、完了したタスクは一定期間(たとえば翌日)になると表示から消えてしまうようにしている。たとえばasana.comなどはクラウド型としてはよくできたソフトだと思うが、この方式をとっている。

他方、転記型のTo Doリストとは、毎日が別々のセクション(ノートなら別の頁)になっている。その日が終わったら、完了したタスクは当然消す。しかし、その日に完了できなかったタスクは、次の日の欄に転記して、消してしまう。つまり一日の終わりには、その頁のタスクは全て消された状態になる。かくして残タスクは、つねに一望できる状態に保たれる。そのかわり転記作業自体は、ちょっとだけ面倒くさい。

わたしは長い間、HP 200LXというハンドヘルド・コンピュータのTo Doリスト用ソフトを使っていた。このソフトは本質的には追記型だが、見かけ上、転記型に見える工夫をもっていた。HP 200LXが動かなくなった後、ちょっとExcelで追記型をためしたが、その後、転記型にかえた。きっかけは、「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」(ダベンポート著)を読んだことだ。機知にあふれた本書の中で、彼女は転記型To Doリストを紹介していた。

わたしが転記型をすすめる理由は、二つある。まず、転記作業が「ふりかえり」「タスクの見直し」の契機になるためだ。

実を言うとTo Doリストが続かなくなる最大の理由は、見るのが嫌になるためだ。なぜ、嫌になるのか。それは、いつまでも同じタスクが、何日も何日も消えずに残っているからなのだ。そうした残るタスクは、作業量が大きすぎるか、気が重すぎるか、自分の力量には無理があるからである。やらなければ、と思う。しかしできない。こういう状態を1ヶ月以上も続けると、To Doリスト自体を見るのを無意識に忌避するようになる。

そんな時は、タスク自体を見直して、大きすぎる時にはサブタスクに分解するとか、重すぎる時は誰かにまずヘルプを頼むという予備タスクを追加する、とかいった工夫が必要だ。転記型の方が、確実に見直しやすい。転記という一手間がそれを促すのだ。

もう一つのメリットは、転記型To Doリストなら、毎日の実際の消費時間をその横に記録できることだ。そうすると日誌と連動しやすい。これは、追記型ではむずかしい。

わたしは現在、To Doリストに、タスクのみならず、その日の会議や外出や講習といったイベントもすべて記入するようにしている。まず、時間の決まっているイベントを順に並べる(自動的にソートする)。その間のあいている時間帯に、タスクを分散して、着手予定時間を決める。

このとき、大事なテクニックがもう一つだけある。それは、1日の勤務時間(たとえば8時間なり9時間なり)を、予定で埋め尽くさないということだ。仕事の種類にもよるが、たいていは予期しない割り込みや、会議の時間延長などが起きる。そこで、1~2時間程度の余裕時間(バッファー)をとっておく。1時間がいいのか2時間でも足りないかは人と仕事によるだろうが、しばらく繰り返すと体感で分かってくる。

そうして、一日の終わりには、To Doリストの予定作業の右に実際の消費時間を記入する。それを日誌にコピー&ペーストすると、日誌の基本部分はできあがってしまう。リストからは完了したタスクを消し、残ったタスクは翌日に転記する。日誌には、以前紹介したように、「その日のラッキーな出来事」を3件、書き加える。これで終わりである。ダベンポートはTo Doリストを紙のノートで運用しているが、一日終わったら、その頁に大きな×印を書いて消すという。そうすると、リラックスの脳内物質ドーパミンが「どっと分泌される」のだそうだ(笑)。

大学3年生の時のわたしに、こうした説明をしたら、分かってくれただろうか。さて、正直、難しいかもしれないと思う。1日に15分、確実に余計な作業が増える。目の前の仕事は減らない。その効用は何だと、理詰めでつめよってくるだろう。ある種の物事(とくに目に見えにくいマネジメント能力)は、自分で経験し体得してみないと分からないことが多い。To Doリストと日誌で、計画と振り返りのリズム(お好みならPDCAサイクルと呼んでもいいが)を作ることは、実は多忙を減らしはしない。ただ自分の日々の予見可能性を高めることで、「多忙感」を減らすのだ。

多忙の解決ではなく「多忙感」の解決。なんだ結局、心理面の話じゃないか、とお思いかもしれない。そう言っても、別にかまわない。時間管理の目的は、見えない外乱に振り回される日々ではなく、自分が自分の主人として「考える時間」を持つ日々を作ることにある。その『考える時間』こそ、大学3年生のわたしが渇望していたものだったのだから。

<関連エントリ>
 →「“仕事が面白くない”症候群とたたかう三つの方法」(2015-09-30)

 『チャレンジのOS』については、新著「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書 ~グローバルなチャレンジを成功させるOSの作り方」 もご参照ください。
by Tomoichi_Sato | 2015-10-14 23:15 | 時間管理術 | Comments(0)

習慣化の力

一陽来復」——昔の知人からきた年賀状に書いてあった。良い言葉である。いかにも冬の一番の底、陽の射す時間の最も短い時に、また温かい時節がめぐりくることを期待する気持ちがこもっている。賀頌とか謹賀新年とか月並みな言葉でないところが、この人の賀状のセンスなのだろう。

現在の西暦では1年の始まりを今の1月1日に置いているが、なぜこのタイミングを年の初めにしたのか。少し調べてみたことがあるが、よくわからなかった。太陽暦だったら、例えば冬至だとか、あるいは春分の日だとか、そこら辺のタイミングの方がなんとなく適切ではないか。もちろん、ちょうど深夜に一日の始まりを置くように、これから新しい時が生まれ変わる最も暗い季節に、新しい年の始まりを置く気持ちは、北半球の人間として、理解できる。またカトリックをはじめキリスト教の一部では、クリスマスの8日後(つまり今の1月1日)は教会歴の祝日にあたる。だが、それがゆえにわざわざ冬至からずらしたのか? 今ひとつ、不思議である。

しかし面白いことに、ほとんどの人はそういうことには疑問を感じないで、その日になれば「年が改まり」、「新年おめでとう」と挨拶しあう。今までそうしてきたから、そして皆がそうしているから、である。それが習慣の力だ。そして、本当に、大晦日の夜から元日の朝になると、本当に何か空気まで新たに、清浄になったような気さえする。面白いものだ。

新年を迎えて、「今年こそは・・」と何か抱負をいだくというのも、また習慣の力の一つだろう。年末、サイトのアクセス統計を見ていたら、ちょうど1年前に書いた「今年の抱負はこう作ろう」が、また急に多くの人に読まれているのに気づいた。面白いものだ。抱負なんて、いつ思い立ってもいいはずなのに、それでもやっぱり、新年に立てるのだ。わたし達の気持ちはそれだけ、何らかのリズムを求めているのだろう。リズムがある、というのが生きている印なのかもしれない。

抱負というのは、それまでの自分から「変化したい」「成長したい」と思うから立てる。「昨年のままでずっといいです」という抱負を述べる人は、まずいない。まあ、仮に「今のトップの座を今年も維持します」との抱負があったとしても、それは維持が難しいことだからこそのチャレンジなのである。

人や組織が変化し、自分の望むあり方に近づいていくためには、どんなことが必要で、どんなプロセスをたどるのか。諸先生・先輩達からうかがったことや、わたし自身が見聞きし体験したことなどをあわせると、それはどうやら、小さなことの積み重ねによるらしい。端から見ると、急に生まれ変わったように、あるいは突然大舞台のチャンスがやってきたように見える場合も、内実はそれまでに地味な努力や、勇気のいる小さなチャレンジの繰り返しによって、次第に内的な成長を積み重ねている。それによって、自分がself-confidenceをもってやれる範囲(=自由度の範囲)が増えていき、その結果、あるときから変化の閾値を超えるのだ。決して、ただ何もせずに待っていれば白馬の騎士がやってきて、救ってくれるわけではない。組織の場合でも、小さな成功体験を内部で積み重ねることによって、次第に同調者が増えていき、ある時点で臨界質量を超えて急に広がっていく。そんなプロセスをたどるらしい。

小さなチャレンジを繰り返していくことによって、人はできることを増やし、成長していく。そのために、具体的な目標や抱負が必要なわけだ。

ところで、新年の抱負を考える際、まずやらなければいけないことがある。それは、昨年の抱負の達成度をふりかえることだ。当然のことである。ところで、去年の抱負って、何だっけ? え、紙に書いて壁に貼り、毎日それを眺めて気持ちを奮い立たせていた? 大変すばらしい。しかし、多くの人は(過去のわたしも含めて)たいてい忘れちゃうのである。

そこで、ふりかえりのツールとして、日誌が登場する。わたしはかれこれ20年以上、日誌をつけている。日記ではなく、『日誌』だ。最初はMacのHyperCardで簡単なアプリ(スタック)をつくって記録していた。その後、いくつか変遷を経て、ツールも変わった。HP200LX上のIP.COMを8年間つかっていたこともある。メディアはどうであれ、シンプルなテキストのデータベースであること、検索が可能であることが条件だ。だって、ふりかえりのツールなのだから。

わたしは機会があるごとに、多くの人に日誌をつけるよう、すすめてきた。『時間管理術 (日経文庫)』でもそう書いたし、このサイトでも、「日誌をつけよう」(2012-05-13)のシリーズを書いた。大学の授業などでも言ってきた。「お金を上手に管理したいと思う人は、家計簿をつける。それと同じように、時間管理を上手になりたい人は、自分の時間の使い方を日誌に記録しなさい」と。

でも、日記をつけていますか、とたずねて、Yesに手を上げる人はとても少ない。なにせ、「日記」ときくと、反射的に「三日坊主」という言葉がでてくるほどだ。思い立つ人は多いが、続けられる人は少ない。

なぜなら、日誌をつける作業は、直接には何も生み出さないからだ。日誌をつければお金が儲かるとか、成績や勤務査定が上がるとか、異性にモテるようになるとか、そういう直接の御利益がまったく見当たらない。だからモチベーションがつづかないのである。

直接の利益がなくても、日誌という名の記録がそれなりにたまると、過去のふりかえりが可能になり、いろいろと価値が出てくる。去年の抱負だって、すぐに見つけられる。いつ、どんなイベントがあったか。誰に会ったか(年を追うごとにわたしは人の名前の記憶力が低下してきているので、これで大いに助かっている)。何かを買ったり修理したのはいつか。すぐに見つけられる。それが記録をつける=Documentationという習慣の価値である。

船の船長は、航海日誌をつけている。Ship Log Bookという。わたしは、航海日誌もちゃんとつけられないような、だらしない船長の船には、乗りたくない。同じように、わたしはプロジェクト日誌をつけないプロマネの仕事は、あまり手伝いたくない。プロジェクトは航海と同じで、最初に航路を決めても、とりまく周辺環境は変わりやすいし、人の出入りはあるし、思いもよらぬ出来事や故障もある。なぜ、あのとき、そういう決断をしたのか。何が理由で、航路に遅れたのか。すべてにさかのぼってトレーサビリティを確保しておくのは、とても大切なことだ。

もちろん、大切なことは皆、わかっているのである。でも、モチベーションが続かないのだ。なぜなら、しばらく続けないと、日誌は価値が出てこないからだ。経験的に言うと、最低でも、100日くらいだろうか。ここに、いわばポテンシャルの壁がある。そこを超えないと、続かない。そこを超えると、もう日誌をつけることが習慣化する。習慣として身につくと、もはや苦ではなくなる。たとえば旅行や風邪で2〜3日、日誌をつけられない場合には、逆になんだか気持ちが落ち着かなくなってくる。

ToDoリストも同じである。わたしはこれも、時間管理術の一環として、ことあるごとに人にお勧めしている。だが、これも習慣化が必要である。習慣になると、これがないと落ち着かない。たまたま出先で何かやるべき事を思いついて、手元に適当な道具がないときは、携帯メールで自分宛にTo Doを送ったりする。あとでリストに転記するためである。それさえなければ、手に文字で書く(ま、それくらいわたしは忘れやすいということでもある^^;)。

名刺も同じだ。もらったら、数日以内にExcelのデータベースに名前、所属、住所、電話番号、メルアドを入力する。すでに1,000件以上のリストになっている。たった一度会ったきりで、二度と会うかどうか分からない人も、区別せずに入力する。それと・・いや、もうよそう。わたしの個人的な習慣をここにだらだら述べたって、しかたない。それに、こういう「チマチマした習慣」には興味を持てない人だって、大勢いる。でも、そういう豪快な行動派の人たちだって、定期的にやりたいと思っている、何かを抱えているのだ。

では、何かを習慣化したかったら、どうすべきか。一番いいのは、「仲間を作る」ことなのだ。同志を見つけて、おたがいに、習慣化することを誓い合う。ときどき顔を合わせては、「おい、お前、あれどうなった?」とかたずね合う。一応誰だって見栄があるから、やらなくちゃな、と思う。そうして続けている内に、ほんとうに、なしではいられないものと化していく。

『MBAが会社を滅ぼす』(→本サイトの書評)や『マネジャーの実像』などの著作でも知られる、現代経営学を代表する学者の一人であるH・ミンツバーグは、「コミュニティシップ」Communityshipという聞き慣れない英語(一種の造語)を提唱している。英雄的なリーダーシップでも、従属的なフォロワーシップでもない、仲間による統合的な力だ。彼はあるとき、企業人である義理の息子から、窮地に立たされたIT会社をなんとか立て直すにはどうしたらいいかとたずねられた。ミンツバーグのアドバイスはあっけないほどシンプルだった:週に1回、職場のランチタイムに、ミドル・マネジャーたちが集まって、自分のふりかえりをお互いに披露して話し合え、と。これは思いの外、成功して、しまいには彼の義理の息子は「Coaching Ourselves」というプログラムをビジネスとして始めたほどだ。ここで現れる力が、仲間による習慣化の力なのである。

そういうわけで、わたし達が何かを新しくはじめて、それを習慣化したいと思ったら、仲間を見つけて、折々にお互いに表明しあい、お互いを助け合うことが必要なのだ。習慣は、集団の中でこそ強まり、維持しやすい。そして、そのためには『場』も必要だろう。

そうした習慣化された思考・行動こそ、いわば新しい能力なのだ。わたしは、組織において体系化された態度・行動習慣の集合を、(いわゆる知識コンテンツやアプリケーション・ツールよりもベーシックなため)組織の『OS』レベルの能力と呼ぶことにしている。組織のOSレベルの能力を、どうインストールしアップグレードしていくか。これこそ、マネジメントにおける最大のチャレンジであろう。

というわけで、まあ、そこまで大げさな立場にない若手やミドルにも役立つような、海外型プロジェクトの進め方に関する新著も、準備中だ。その中でも、「チャレンジのOS」と、そのコンポーネントである8つの行動習慣について、詳しく説明するつもりである。さらに、わたしが主査を務める「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」も、個人的に新しい取り組みを志望する人たちに役立つような『場』を提供できるようにしたいと考えている。

何か心に決めても、自分一人だと、三日くらいしか続かない。それくらい、年頭の抱負を続けるのは日常に流されてむずかしい。そこから脱出して、自分が成長していくためには、わたし達は他者と共同した「習慣化の力」が必要なのだ。


<関連エントリ>
 →「日誌をつけよう」 (2012-05-13)
by Tomoichi_Sato | 2015-01-04 23:19 | 時間管理術 | Comments(1)

パラメトリックな作業量の見積とは

工場における製造設備の能力はふつう、『時間』で測る、というと驚く人がよくいる。製造能力というのは、1分何個とか、1時間何台とか、1日何トンとか、数量で測るのが当たり前ではないか。そう、思うのだろう。たしかに、ある特定機械の単機性能を比較するなら、それでいい。しかし、複数の製品を生産する工場全体の能力計画を立てるときには、それではうまくない。工場内には、大きさも複雑さも異なる部品・材料・製品が同時に数多く流れているからだ。同じ機械が、小部品なら時間10個作れるが、大部品だと3時間で1個しか作れなかったりする。そんなときに、部品の合計個数で計算したって、ネズミ1匹とゾウ1匹を合計2匹と足し算するようなもので、意味がない。

だから工場の能力計画では、逆に作業時間(機械設備の占有時間)に換算して、足し算するのである。たとえば今日はこの機械で、ネズミ部品30個と、ゾウ部品4個を加工しなければならない。ということは、3 + 12 = 15時間を要する訳だから、残業しなければ足りない。こういう風に、時間ならば加算できるので、能力はすべて時間という共通単位で測るのである。

もちろん、製品・部品を全部重量(トン数)に換算しても、一応足し算はできる。じっさい、製鉄業とかガラス・基礎化学工業といった素材系の業種では、時間単位ではなく、よく重量単位が用いられる。ただし、それは、ほぼ同種類で、単価も似たような製品群を作る工場の場合に限られる。単価も加工の手間もまったく異なる製品を、全部重量換算で足し算しても、生産能力のモノサシには不適だし、そんな管理をしている会社に出会ったこともない。

(すぐ余談におちいるのが、わたしのくせだが、重量単位で思い出したことがある。ときどき中東で金や銀のアクセサリー・ショップを見ることがある。いろいろなデザインの指輪やピアスがあり、見ていて飽きないのだが、さて値段を聞く段になると、売り子はたいてい、秤を取りだしてきて重さを量り、それに単価をかけて「XXドルです」、みたいなことをいう。つまり、デザインも加工賃もすべて込みの、重さによる計り売りなのである。デザインの美しさとか加工の精密さとか、モノによってずいぶん差があるはずなのだが、そうしたファクターは捨象されてしまう。素材の値段に比べて、人件費比率がかなり安いから成立する販売の仕方である。ソフトはハードのおまけ。どっかの建築業界みたいだ^^;)

本題に戻ろう。製造の世界では、モノの大小や手間の度合いの差が大きいため、能力計画は時間(分)単位に換算して行う。概略の手順はこうである:

(1) 受注があったら、それぞれの製品のBOM(部品表)にしたがって、部品展開する。
(2) そこから各部品の所要量が決まる(むろん手元に在庫があったら引き当てて、正味の所要量を計算する)。
(3) つぎに、各部品製造工程における作業量を求める。作業量は、部品の所要数量をもとに、その工程で必要な人や機械の生産性を用いて、時間(分)数に換算する。
(4) 各機械で捌かなければならない時間数を、すべての製品に関して積み上げる。
(5) もし積み上げた数値が上限を超えていたら(たとえば1日8時間・週休2日の職場なのに、合計値が週に60時間もあったら)、どれかの作業を前の週か後の週にずらす、あるいは他の機械にふり直す、などをして、上限値に収まるように、スケジュールを修正する。
(6) スケジュールを正式発行し、各職場に作業指示を発信する。

とくに、(3)-(5)の段階を資源能力計画とよび、(4)を「山積み」、(5)を「山崩し」という。この作業を手助けする生産スケジューラのソフトウェアもいろいろある(日本にはこの分野で優秀な製品が多い)。山崩しをきちんとしないと、現場で実行不可能な仕事量を抱え、残業しても追いつかなくなる。納期遅れをおこすだろうし、さらに品質低下のおそれもある。

この際に大事になるのが、(3)の「人や機械の生産性を用いて」計算するためのデータである。生産性とは、

 [生産性] = [産出量] / [投入時間数]

で定義される。簡単に言うと、「あるモノを1個作るのに、何分かかるか」をいう数字だ。前述の『能力』が、これの逆数になることはお分かりだろう。製造業では、生産計画に混乱を来さないため、各部品の製造工程における能力(生産性)を、あらかじめ算定しておかなければならない。それは、製造原価にも直結する。

ところで、これまで何千個も作ってきた物なら、生産性を測ることもたやすいだろう。しかし、まだ受注したばかりで、これから初めて作るような製品の場合はどうするのか? もっといえば、新しい製品を顧客に見積もる時、どうやって生産性を(いいかえれば製造の作業時間を)推定するのか? 人が何時間働き、どの機械を何時間占有するかが、見積原価の重要な要素となる以上、そこをさけて通ることはできない。

まず、基本は部品展開(工程バラシ)である。その上で、各部品がそれぞれの工程で必要な作業時間数を見積もって集計する。各部品の作業時間数は、工程と作業の種類によっては、作業者の単位標準作業にさらに分解して、そこから積み上げる場合もある。しかし、それが難しいケースも多い。そこで通常、その工程の作業生産性を示す何らかの尺度(パラメータ)から、推定する。これをパラメトリックな作業量の見積法と呼ぶ。

より正確に言うと、こんな手順になる。——ここに、ある仕事量があったとする。(1) まず、その仕事量を、うまく代表できる何らかのモノサシ(パラメータ)で、数量化する。(2) つぎに、そこの人なり機械なりの標準的な能力(時間あたりの数量)で、その数量を割り算する。(3) その結果、必要な作業時間数が求められる。

このとき、仕事量を代表するような、うまいモノサシ(パラメータ)を見つけることが大切だ。たとえば建設用鉄骨構造物の溶接組立に要する時間は、鉄骨部材のトン数に比例するのか、それとも個数(ピース数)に比例するのか? 答えは簡単ではない。もしかしたら、柱や梁に相当する大型部材はトン数で、また補強など小物部材はピース数でそれぞれ測って、足し算する方がより正確かもしれない。よく部品なら個数、材料ならトン数、と単純に決めているところがあるが、それは早計だ。

このように、具体的な目に見える製造作業であっても、その作業量を見積もるにはそれなりの知恵とノウハウがある。それをきちんと開発・ブラッシュアップしているかどうかによって、その会社の成績は長期的には大きな差がついていくだろう。見積に直結する以上、当然のことだ。また、下手な作業量の見積をすると、山積みで無理が生じて、品質や納期にも影響していくはずである。だから、パラメトリックな作業量推定は、とても大事な技術なのだ。

前回、わたしが書類や図面の読み書きするスピードを、ストップウォッチでときどき計測していると書いたのも、じつは同じ発想からきている。わたしの場合、目に見えにくいオフィスワークに従事している。それも、繰り返し性の薄い、プロジェクト型ないし問題解決型の仕事が多い。しかし、たとえそうであっても、それを基本的なプロセスに工程バラシしていくと、最後はパラメトリックな単位作業に行きつくはずだ。書類を読む、メールを処理するというのは、その一番端的な、アトムに相当する。だから計測しているのである。

それだけではない。わたしが自分の作業時間の記録をすべてとっているのも、個別のタスクにどれだけ時間がかかったかを調べて、適当なパラメータを探したいと思っているからなのだ。わたしのいるエンジニアリング業界では、たとえば配管の詳細設計ならば、レイアウト図1枚を作成するのに、全部で何時間かかるかといった生産性の数値から見積もる。そこには、インプット条件の整理、計算、図面作成、チェックと承認といった単位作業が全て含まれている。それらを込みで、図面枚数というパラメータで集約・整理するのである(もちろん見積時点ではレイアウト図の枚数自体がまだ不明だから、それはまた別の方法で推計する)。わたし自身の仕事は配管設計よりもずっとマイナーだから、自分で分析しないと、誰も見積もってはくれない。そして山積みの誤差は、すべて自分自身に降りかかってくることになる。

たまに、「エンジニアリング業界はいいですね、目に見える仕事をしているから」とIT業界の方にいわれることがある。ITは成果物が目に見えないから、客に進捗も見えないし、作業量の見積も難しい、という訳だ。どういたしまして、目に見える仕事だって、傍で思うほど単純ではないですよ。「見えない作業は、目に見える作業とはまったく異なる」という感覚は、「だから目に見える金の重量だけで値段をつけよう」という中東のアクセサリー屋さんの精神構造と、ある意味、裏表の関係である。また、知的作業は「量よりも質」で、「ひらめきが大事」だから、生産性の概念にそぐわない、というご意見もよく頂戴する。だが、ご自分のオフィス滞在時間の何割を、その玄妙・深遠にして価値ある知的思考の時間にあてているか、ご存じなのだろうか。測ってみたら、がっかりすること請け合いである。

仕事量の全体と自分の生産性が見通せなければ、もちろん正確な見積もできないし、競争に勝つことだって難しいだろう。それ以前に、自分が自分のスケジュールをプログラムすることができなくなる。誰か他人が見積もった勝手な山積みの下であえぎたくなければ、パラメトリックな推定法を磨くべきだと思うのだ。
by Tomoichi_Sato | 2014-10-19 22:24 | 時間管理術 | Comments(0)

パーソナル時間管理のベーシック

いま、目の前にA4で30ページの英文の仕様書があるとしよう。中身はまだ、まったく見ていない。さて、これを読んでレビューするのに、どれくらい時間がかかるだろうか?

わたしの場合、答えは簡単だ。集中できる時間で、ほぼ2時間かかるだろう、と予測できる。なぜかって? わたしの仕事のパフォーマンス値によれば、英文の文書をきちんとレビューするのに、1ページ平均約4分間かかるからだ。30×4=120分で、ちょうど2時間になる計算だ。

ただしこれは、正味作業時間(Net working time)である。現実には、しずかに集中できる時間を、2時間も連続して確保するのはむずかしい。電話や上司の呼び出しやメール・打合せなどによる割込がある。だから、着手から完了までのグロスの時間(Elapse time)はもっと長くなるだろう。それでも、半日で終わる仕事なのか、3日かかる仕事なのかは明らかである。1ページ4分間というベースの数字があるからだ。

この4分間という数字を、どうやって決めたのか? それも簡単だ。測ったのである。まず、ストップウォッチを、用意する。この種のフリーソフトは沢山あるが、別に簡単なものでいい(わたしは"SGウォッチ" というのを使っている)。それから、Excelで、作業時間を記録する表をつくる。そして、何かドキュメントを読むたびに、ストップウォッチで開始と終了を記録する。それだけである。これを、2~3週間も続ければ、立派な記録ができあがるだろう。あとは、Excelで平均値を求めれば終わりである。

そんな馬鹿な、A4サイズの文書といったって、小さなフォントでぎっしり書き込んだものもあれば、大きめのフォントで行間もゆるゆるのものもある。途中で改ページして空白だらけのものもあるし、表や図が多いものもある。1ページの情報量は千差万別なのに、それを計測して、均一に1ページを何分と求めるなど、誤差だらけで無意味だ。--そう反論をされる方もあるかもしれない。

そう思うなら、試しに測ってみなさいよ。それが、わたしの答えだ。実際にやってみると分かるが、情報量の多寡にもかかわらず、1ページあたりの所要時間数は、ある平均範囲に収まるのである。ばらつきは最大でも倍半分、多くは±20%程度におさまる。そして、我々のオフィスワークでは、それだけの精度で作業時間を見積もることができれば、実用上十分なのである。くりかえすが、半日で終わる仕事なのか、3日かかる仕事なのかが分かるだけで、作業の予定と段取りは、大きくかわる。

上司に「これ読んで、明後日までにコメントまとめておけ。」と言われたとき、それなら今のワークロードから見て可能だな、と思うのか、残業しても終わらないと思うのかは、大きな違いだ。そして後者ならば、ただ「延ばしてください」というよりも、自分の中で根拠を持って「もうあと1日あればできます」と頼むことができる。そして実際にその期日までに間に合えば、自分の信用度は上がるだろう。安請け合いして間に合わない人間よりも、時間はかかっても期日の約束を守る人間の方が、評価は高いのが普通だ。

ただし、である。ドキュメントを読み込む作業時間は、むしろ読み方によって大きく変わる。わたしの場合、

check(ざっと見る)-- 参考図書などで、真剣に読む価値があるかどうかを判別するだけ
read(内容を読む) -- 一応、内容が頭に入る程度に読み込む
understand(理解する)-- 責任を持ってコメントを返せる程度に真剣に読み込む

の三つのレベルを区別して、パフォーマンス統計をとっている。そして、実際にcheckとunderstandでは倍以上、スピードが違う。

もちろん、読み込む対象は文書のみとは限らない。仕事柄、図面類もしばしば読むことになる。また、リストや表の類を読む必要がある場合もある。だから、「文書」「図」「表」「パワポ」の種別ごとに集計している。もちろん、A4かA3かというサイズの違いもだ。そして言うまでもなく、日本語か英語かでも、読むスピードはまったく違う。英文を真剣に読むと1ページ4分かかるが、日本語でざっと見るだけなら30秒足らずで終わる。

同じような統計はメールを読む時間にも適用可能だ。メールだって、長さはまちまち、添付ファイルの文書量も異なる。だが、添付ファイルはを別にすれば、メールを1件読むのに何分かかるか、測ってみるとある平均値におさまるものだ。だとすれば、1日に平均50通のメールを受け取る人間は、1日にメール処理作業(ざっと見て対応を仕分けする)に、最低でどれだけ時間がかかるか、見積もれる。もちろん、書くことに対しても適用できる。たとえばわたしは、自分のこのサイトの記事を一つ書くのに、どれだけ時間が必要か、だいたい知っている。

このようにパフォーマンス基準時間を測っておくことに、どんな意義があるか。答えは明瞭で、第一に、我々の『時間の見通し』がよくなるのである。段取りの向上、あるいは計画の精度アップといってもいい。我々はつねに先々を見通しながら、自分達のスケジュールを組立て、仕事をし、また余暇時間を使っている。現代人で、自分のスケジュール表を持っていない人はさすがにいないだろう。To Doリストを使っている人も、多いと思う。そうした自分の時間の使い方をうまくコントロールすることが、自分の生産性を上げる鍵となる。

とくに、時間管理術の要諦となるのは、納期管理ではなく、「いつ、その仕事に着手しなければならないか」という『着手日管理』である。作業の締切の金曜日になって、あ、今日が期限だった、と気づいても遅い。その仕事に三日かかるのなら、水曜日の時点で、うん、今日から着手しないといけないな、と自覚することが大切なのだ。だから、期限を記入できるだけで、着手日が管理できないようなTo Doリストは、役に立たない(もっとも、そういうソフトは現実には多く、いったい世の中のソフト開発者達はどうやって仕事をコントロールしているのか不思議に感じてしまう)。

そして、当たり前だが、その基礎となるのは、“ある作業をするのに、どれだけ時間がかかるか”という作業時間見積である。オフィスワークの作業の多くは、資料の読み込みと、思案と、そして文書や図表の作成から成り立っているのだから、自分が1ページをどれだけの時間で読み、1ページ書くのにどれだけの時間が必要か、知るべきではないか。工場では、IEエンジニアがストップウォッチを片手に、作業者が部品を手にとる標準作業が何秒かかるか測り、それを1秒でも短縮すべく苦心している。だとすれば、我々がオフィスで漠然と“知的作業だから時間は読めないよなあ”などと構えているのは恥ずかしい限りではないか。

ついでにいうと、わたしは、まれにトップマネジメントに対して直接何かの書類をメールで提出・上申する際など、メール文面の最後、添付ファイルのところに、あえて「Word文書○ページ、推定読了時間=×分」などと注記して出したりしている。向こうにどう思われているかは知らないが、こちらとしてはGood faith(誠意)の表明のつもりだ。こう記しておけば、それを読むのにどれくらい時間がかかるのか、開けてみなくても分かる。だから、今すぐ読めるのか、プリントアウトして後で読むべきか、判断の材料になるだろう。

企業における最も貴重な経営資源とは、人でもモノでも金でもない。じつは経営トップの『時間』なのである。トップはつねに超多忙だ。だから、そのトップにムダな時間の段取りを強いないことが、社員としてわきまえるべき大事なマナーなのではないか・・いや、偉そうなことをいうつもりはないが、わたしのような社員が貢献できるとしたら、せめてそのレベルのことなのだ(^^;)。もっと本音をいうと、ふつうの社員同士でも、メールに何かファイルを添付したら、推定読了時間までは余計としても、せめて「添付ファイルは何ページ」くらいはお互い注記したら親切なのにと、よく思う。

もう少しだけ言おう。上記のパフォーマンス統計は3週間程度のサンプリング計測で十分だが、わたしは、自分のオフィスにおける時間の使い方はすべて記録して、統計が取れるようにしている。会社の人事部に提出するタイムシートとは別に、である。タイムシートは、どのプロジェクトに何時間働いたか、目的別の集計をする道具だが、わたしは時間の様態(mode)別にも比率を分析できる。まあ一種の二重入力で、手間ではあるのだが、そのメリットは大きい。たとえば図は、今年のある月の、様態別集計である。

e0058447_2022843.gif


図から明らかなように、わたしの場合、もっと比率が多いのは「会議」で、全体の34%である。会議と言っても、20名以上が参加する定例会議から、2名だけの会議卓での打合せまで含むが、とにかくそれがわたしの時間のほぼ1/3を占めている。2番目に多いのは「コミュニケーション」で、26%、全体の約1/4だ。これにはメールの読み書き、電話での会話などが含まれている。会議とコミュニケーションで、全体の6割である。中間管理職だからしかたない面もあるが、もう少しなんとかしたいと、よく思う。「データ処理」「レビュー」「思考」「文書作成」など、いかにもエンジニアらしい仕事をしている時間は、全体の1/4しかない。ちなみに「教育」に8%もとっているのは、週に1回、大学で教えている時期のデータだからである。

こんなデータを見ると、佐藤はいかに働いていないか歴然として、なんだかボーナスの査定に響きそうだ。だが、わたしは極端な例外ではない。そして、このような様態別作業時間統計を会社レベルでとって、生産性向上のための基礎データにしている会社も多いと思う。ただ、わたしとしてはもう少し突っ込んだ切り口の分析も必要だと考えている。それは、意図別の時間分析である。

わたしは、自分がこれからやる作業を、「価値を出す時間」(value time)か、「将来のために投資する時間」(investment time)か、「営繕のための時間」(maintenance time)か区別している。たとえば20人の定例プロジェクト会議に出席したとする。それは会計上は特定プロジェクトにチャージャブルな(原価性のある)時間だ。だが自分にとって状況把握が主であって、実りのある議論が行われることが少ないなら、それは「価値を出す」のではなく「営繕」の時間となる。

むろん、営繕は必要である。たとえばファイルの整理だって営繕だし、プライベートで言えば夜の睡眠だって営繕になる。ただ、それは自分の環境と生産性の維持には必要だが、直接の価値は生みださない。逆にたった二人の打合せでも、良いアイデアを生むためにやっているならば、価値時間となる。

文書を読むにしても、自分の知識やスキルを増やすために行うなら「投資の時間」であり、役職上しかたなくやっている書類事務なら「営繕」であり、周到にコメントして品質を上げるためなら「価値時間」である。自分がこれからやる作業は、価値・投資・営繕のどれに該当するかを、つねに意識し、なるべく価値時間の比率を上げたい、というのが、時間記録をとる意図だ。わたしの現実のデータはあまりにも生々しいのでここには出さないが、価値時間比率はがっかりするくらい、小さい。この三つの時間比率はどれくらいが理想的かを考えるのも、大事な課題だ。

もっとも、こういう話を書くと、「そんな自分の生産性を高める努力をしても、別に給料は上がらないし、下手をすれば仕事が増えるばっかりだ」という批判を頂戴することがある。また、それとは別に、知識労働の分野に、生産性の議論は当てはまらない、という反論も根強い。

わたしはそうした批判に、いちいち反駁して議論するつもりはない。それは、いわば仕事というもののとらえ方の違いだからだ。たしかに給料は上がらないかもしれない。しかし、自分の作業時間を予見し見積もる能力が上がれば、ただ指示や命令に応じて受動的に働く態度から、自分で自分のスケジュールを組み立てる能動的な立場に変わることができる。「時間に追われる」立場から、「時間を自分の味方につける」立場に変われるのである。

そしてなにより、仕事の能率があがり、少しでも残業を減らせて、たとえ週に1時間でも落ちついてものを考える時間が得られるなら、それは月給が数千円上がるより、ずっと価値があるじゃないか、とわたしは思う。ここでは何回もくりかえしたが、時間管理の最終的な目的は、「考える時間を作ること」である。経営者の時間が企業の最大の経営資源であるのと同じように、わたしたちも自分自身の人生の経営者であり、自分の時間こそがもっとも大切な資源なのだ。じっくりとものを考える時間を作り出したければ、時間分析のベーシックを、今日からでも身につけるべきだとわたしは信じている。


<関連エントリ>
 →「パフォーマンス基準時間の概念」 (2009-07-19)
by Tomoichi_Sato | 2014-10-12 20:06 | 時間管理術 | Comments(0)

Drag Cost - 納期を加味した真のコストを考える

Liquidated damagesという英語をご存じだろうか。地震による「液状化の損害」、ではない。Damageはダメージ、被害だが、複数形でdamagesになると、損害賠償を表す契約用語になる。これは主に納期や性能など、請負側が保証すべき義務を果たせなかった際の損害賠償金のことで、あらかじめ契約で規定しておく。とくに納期遅れに対して科せられることが多く、商社やエンジ会社など、海外との契約を多く取り交わす企業では、略して『リキダメ』などと隠語風に呼ばれる。もし英文の契約書にこの言葉を見つけたら要注意だ。

納期遅れに対するLiquidated damagesは、日数に比例して計算する。1日10万円とか100万円で、遅れた日数分をかけて精算する。ただし、一定の上限を定めるのが普通である(たとえば受注金額の8%まで、等)。大型のプラント建設プロジェクトでは1日1億円近いケースもある。厳しい条件だが、逆に後から青天井で請求されるよりは、リスクが明確になるだけ、ましな面もある。欧米の企業は、青天井の遅延損害賠償があるような契約には決して応じない。必ず事前に金額や料率を確定させ、かつ、不可抗力など除外条項をつけた上で契約するのである。

ともあれ、納期の定まった受注型のプロジェクトでは、このようにスケジュール遅れのコストが明確になっているケースが多い。では、自社が自発的に行うプロジェクトの場合、時間の遅れはお金に換算できるだろうか? たとえば、新製品開発である。年末を目指して開発した。しかし種々の事情で、出荷が年明けの2月まで延びてしまった。営業や宣伝部門は文句を言うだろうが、直接なにか損害があったわけではない--こう考えていいだろうか?

そうはいかないのだ。たとえば、製品の市場における寿命が5年だと仮定しよう。そして期待する年間売上が1億円で、粗利が20%、2000万円だったとする。5年間で売上5億、利益が1億円の計算だ。だから、もし2013年12月に出荷開始なら5年後の2018年12月まで、もし2014年2月出荷なら2019年2月までに、この金額を期待できる--と考えるとしたら、それは楽観的すぎる。「製品の市場における寿命」は、物理的な寿命ではなく、市場での競合状況によって決まるのだ。だから、こちら側の上市が2ヶ月遅れたら、その分、売れる期間は短くなってしまうと想定すべきである。すなわち、2000万円×(2/12)=333万円分、利益が減少するのだ。

これは1稼働日あたりに直すと(2ヶ月で40稼働日)、333÷40=8.3万円の勘定になる。1時間あたりだと、約1万円の損失だ。1分で約140円。1秒2円である。「おい!」と言うと2円。1円玉を落としても、拾うのに1秒かかったらもう損失だ。製品開発プロジェクトというのは、冗談抜きで、そういう世界なのである。

では、「受注型プロジェクトだし、別に契約書に遅延賠償条項なんてないし、遅れたら営業と並んで頭下げればいいだけだ」という仕事では、時間はコストにならないのか。

とんでもない。むしろここが大事なところだ。SI業界など受注型ビジネスでは、現実に受注できる仕事量は、プロジェクト・マネージャーの頭数で決まってしまう。しかもプロマネというのは、プロジェクトの最初から最後までどうしても関わらざるを得ない。ちゃんとしたプロマネがいれば仕事を取りに行けるのに、他の遅れた仕事にひきずられて人が空かず、みすみす受注機会を逃す経験をした人も多いと思う。プロマネというのは、受注ビジネスにとってまさにボトルネックのリソースなのである。

あなたの会社で仮に今、プロマネは普通のエンジニアの5倍分の価値があったとしよう(これは5倍の給料をもらうという意味ではなく、会社から見てそれだけ希少性の高い人的資源だという意味だ)。エンジニアの人件費を平均年間500万円としようか。とすると、プロマネの価値は年間2500万円だ。年の稼働日を250日とすると、1日10万円。1秒3.5円だ。さっきの製品開発プロジェクトより、さらに時間のコストが高いことを見てほしい。

さて、ここからが本題である(いつも前説が長くてすみません)。前回、納期遅延を指標化するための、DRAGという尺度を説明した。DRAGは、プロジェクトを構成する作業項目(アクティビティ)ごとに測ることができ、それが全体納期をどれだけ押しているかを表す。DRAGが10日ある作業項目は、10日分、納期をプッシュしていると解釈できる。基本的に、クリティカル・パス上にない作業項目では、DRAG=0である。クリティカル・パス上の作業項目は、並行する作業系列の有無と、それ自体の所要期間によって計算値が変わるが、プラスの値(日数)になる。

ところで、このDRAGの数値に、上で説明した納期遅延のコストをかけたものを、DRAG Costと呼ぶ。たとえば、遅延コストは1日あたり20万円だったとすると、DRAG=8日の作業項目のDRAG Costは160万円、という計算になる。これは、各作業項目が納期に与える影響をコストに換算したものだと思えばよい。

そして当然ながら各作業項目は、それ自体の遂行のためのコストがかかる。かりに前回の図1の例で、遂行コストが以下の表のように与えられるとしたら、遂行コストとDRAG Costの合計値は、一番右の欄の金額になる:

e0058447_23502148.gif


       所要期間、遂行コスト、DRAG、DRAG Cost、総合的コスト
1. 基本設計   20日、 100万円、 20日、 400万円、 500万円
2.1 ハード調達  35日、 400万円、 10日、 200万円、 600万円
2.2 設置調整    5日、  30万円、  5日、 100万円、 130万円
3.1 詳細設計   10日、 120万円、  0日、  0万円、 120万円
3.2 ソフト開発  20日、 600万円、  0日、  0万円、 600万円
4. 総合テスト  15日、 250万円、 15日、 300万円、 550万円


遂行コストだけを比べると、「ソフト開発」が最大に思える。しかし、DRAG Costを加えて総合的コストを計算すると、実は「ハード調達」「ソフト開発」が600万円、ついで「総合テスト」の550万円、「基本設計」が500万円となっていることが分かる。つまり、納期を加味した真のコストの視点では、この順で攻めよ、という事なのだ。

「攻める」というと“無理やりコストダウン”しか連想しないのが、最近の風潮だが、ここでは時間の視点から考えてみよう。まず「ハード調達」だが、この所要期間はベンダーに依存するから、そう簡単には縮まらない。「ソフト開発」は、すでにDRAG=0だから、ここを短縮してもプロジェクト全体の納期は、ちっとも早まらない。

ということは、「総合テスト」を何とか攻めるべきなのだ。たとえば人数を2倍動員して、期間を短縮できないか。むろん、人数を倍にしたからと言って、期間は半分にはならない。人間には必ず学習曲線というものがあるし、人数が増えるとコミュニケーションの手間も増えてしまうのは周知の通りだ。まあ、期間短縮効果は3割といったところだろうか。だとしても、期間が15日から10日になる。遂行コストは、人数が2倍で日数が2/3になるから、全体で4/3倍=333万円だ。しかし納期は5日早まるから、DRAG Costは100万円減る。合計すると17万円分、人をかけても得をすることが分かる。これでも不十分なら、次は「基本設計」だ(もっとも基本設計は人数投入による短縮が効きにくいのは周知の通りであるが)。

もちろん、この分析は、ハード調達先が複数あって、条件が異なる場合にも応用できる。たとえば、
 A社 納期=35日、価格=400万円
 B社 納期=25日、価格=500万円
だったとしよう。総合的コストは簡単な計算で、A社=600万円、B社=500万円となる。高くても、納期の早いB社の方が、このケースでは得になるのである。

DRAG指標と、DRAG Costの概念は、1990年代に米国のSteven Devauxという人が案出した。Devaux氏は、遂行コスト+DRAG Costを、『真のコスト』と呼んでいる。従来のプロジェクト・マネジメントでは、時間は時間、お金はお金で独立した管理対象であり、その間のトレードオフを解決する方法は存在しなかった。彼の提唱したDRAG Cost概念は、この壁に風穴を開ける手法として、非常に有力なものである。むろん、企業で現実に適用する際には、(どんなツールも同じだが)いろいろと工夫すべき課題が出てくるだろう。しかし、理屈をわきまえて進むことと、理屈抜きで走り出すことは、別である。それは航海に出るにあたって、GPSを持っていくかどうかくらい、大きな違いなのだ。DRAGの考え方はまだ日本ではほとんど知られていないようだが、もっと普及されてしかるべきだと思うのである。
by Tomoichi_Sato | 2013-04-02 23:55 | 時間管理術 | Comments(0)

納期が延びる要因を指標化する - スケジュールのDRAGとはどんな尺度か

久しぶりにスケジューリングの話を書こう。スケジュールがなぜ長くなってしまうのか、どこを攻めたら短くできるのか、それを数字で指標化できる手法についてである。

いま、あるシステム製品をおさめる仕事を考える。単純化のために、この仕事は以下の6つの作業項目(アクティビティ)のみからなると考える。

1. 基本設計  (推定所要期間=20日)
2.1 ハード調達 (推定所要期間=35日) 先行作業:基本設計
2.2 設置調整  (推定所要期間= 5日) 先行作業:ハード調達
3.1 詳細設計  (推定所要期間=10日) 先行作業:基本設計
3.2 ソフト開発 (推定所要期間=20日) 先行作業:詳細設計
4. 総合テスト (推定所要期間=15日) 先行作業:設置調整、ソフト開発

さて、このお仕事の納期は何日かかるだろうか。これは、作業項目とその順序関係を図に書いてみると分かりやすい。仕事の全体像をネットワーク・ダイアグラムで表す流儀にはいくつかあるが、ここでは一番広く用いられている図法を使う。Precedence Diagramなどと呼ばれているもので、作業項目を四角形で表し、その順序関係を矢印で示す。

e0058447_2364470.gif


(図1 作業項目の順序を示すネットワーク・ダイアグラム)

ただし、ここでちょっとした約束事がある。四角形の中心に作業項目の名前を書き、その下に所要期間の値を書く。それ以外に、左上・左下・右上・右下に、それぞれ小さな欄を置いておく。ここに、あとで数値を計算して記入するのである。記入するのは、以下のような項目だ。

左上:Early Start (ES=最早着手日)
右上:Early Finish (EF=最早完了日)
左下:Latest Start (LS=最遅着手日)
右下:Latest Finish (LF=最遅完了日)

これらはそれぞれ、「最も早く着手できる日」、「最も早く完了できる日」、「最も遅く着手できる日」「最も遅く完了できる日」、の意味だ。この4つは、スケジューリングにおける最も基本的な概念であるから、覚えておいてほしい。

さて、頭のいい人なら、図1をちょっとにらんだだけで、全体の納期がいつになるか計算できてしまうだろう。しかし、ここでは一応説明のために、愚直に手順を追っていくことにする(それに、どんな頭がいい人でも、作業要素が50個も100個も並んでいたら、やはりすぐには答えが出るまい)。

まず、最初の作業(「基本計画」)からはじめて、順に後ろの作業の日程を考えていく。基本設計の最早着手日を、0日とする。最早完了日は20日だ。後続するハード調達の最早着手日も20日になる。その最早完了日は20+35 = 55日、という具合に、前から後ろに順に計算していく。このような手順を、「フォワード・スケジューリング」という。

ところで、最後の「総合テスト」には、設置調整とソフト開発の二つの先行作業があり、異なった最早完了日がある。どちらをとるべきか? --いうまでもない。「総合テスト」は両方がそろわなければ着手できないのだから、遅い方(数字の大きい方)の最早完了日を,自分の最早着手日として記入する。

ルール1:複数の先行作業がある場合は、その最早完了日の大きい(遅い)方をとって、自分の最早着手日とする

こうして、全作業項目のESとEFが計算できた。これが図2だ。これを見ると、総合テストは最も早くても75日たたないと完了しないことが分かる。これが全体の納期だ。ただし、話はまだつづきがある。

e0058447_23142952.gif


(図2 最早着手日と最早完了日)

次に、最後の作業項目から逆順に、最遅完了日と最遅着手日をさかのぼって計算していく。これをバックワード・スケジューリングとよぶ。後続の最遅着手日を、自分の最遅完了日に記入し、そこから所要期間を引き算して、自分の最遅着手日を求める。

ここでまた、「基本設計」のように複数の後続作業のあるものがでてくる。ハード調達の最遅着手日=20日、詳細設計の最遅着手日=30日だ。この場合、ハード調達は遅くても20日にはスタートしなければ間に合わないのだから、基本設計の最遅完了日は20日になっていなくてはならないことがわかる。

ルール2:複数の後続作業がある場合は、その最遅着手日の小さい(早い)方をとって、自分の最遅完了日とする

この結果、すべての作業項目の4つの箱がうまった。さて、ここで、左上=左下、となっている作業項目を拾い出す。これは、“最も早く着手できる日=遅くてもその日にスタートしないと間に合わない日”になっている、まったく日程的余裕のない作業だ。このような作業のならびを、『クリティカル・パス』と呼ぶ。日本語では、隘路という。図3では、そのクリティカル・パスを赤い矢印でマークした。

e0058447_2393173.gif


(図3 全体の日程とクリティカル・パス)

ちなみに、左上<左下、となっている作業項目は、着手に日程上の余裕があるわけだ。たとえば詳細設計は、20日に着手可能だが、30日に着手しても間に合う。この余裕を、英語で"Float"と呼ぶ。

ルール3:「最遅着手日-最早着手日」の値がFloat(余裕日数)を表す

クリティカル・パスとはすなわち、Float=0日となっている作業項目の系列のことだ。そして、お仕事の全体納期は、クリティカル・パスの長さに等しい。これを短くしない限り、納期は早まらない。逆にいえば、Floatのある作業項目は、それ自体をどんなに頑張って早く仕上げても、全体の納期には何も貢献しないことになる。だから、プロマネは、かならず何がクリティカル・パスかをしっかり把握して、管理を底に集中させなければならない。

スケジューリングの世界で一番特徴的なことは、このように「大事な作業」と「大事でない作業」がくっきり分かれることである。これは、コスト管理の世界と全く異なる。コストはすべて足し算の世界で成り立っている。だから、どこかの作業項目で1円でも安くすれば、全体が1円安くなる。しかし、スケジューリングの世界では、Floatをもつ作業項目をいくら頑張ったって、何の足しにもならないのである。

さて、ここまではある意味、基礎だ。ところで、では、「大事な作業」は、“どれくらい大事”なのだろうか? ここで、DRAGという指標が出てくるのだ。

DRAGとは、ある作業項目が、全体の納期をどれだけ後ろに押し下げているかを示す尺度である。たとえば、Floatをもつ作業項目は、DRAGはゼロになる。上の例では、詳細設計やソフト開発はDRAG=0になる。他方、クリティカル・パスに乗っていて、しかも並行する作業のないもの、たとえば基本設計や総合テストは、その所要期間全部がDRAGになる。その所要期間分、納期を押し下げているからだ。そして、これらの要素は、その所要期間を短くすればするほど、納期は早くなる。

問題は、クリティカルだが、他にも並行する作業のある項目だ。たとえばハード調達や設置調整である。これらに並行する詳細設計→ソフト開発の系列は、10日のFloat日数を持っている。そこで、たとえばハード調達を5日短縮すれば、5日だけ、10日短縮すれば、10日だけ、全体納期が短くなるが、それ以上短縮すると、逆に並行する系列の方にクリティカル・パスが移ってしまうため、もはや納期には貢献しなくなる。その限界が10日なのである。そこで、ハード調達のDRAG=10日になる。

設置調整の方は、そもそもが5日の所要期間しかない。並行する系列のFloat:10日よりも短い。だから、5日まで減らせば、その分は納期が前に倒れる。設置調整のDRAG=5日だ。

整理すると、以下のようなルールになる:
(1) Float日数を持つ項目は、DRAG=0日
(2) クリティカル・パス上にあり、かつ他に平行作業がない項目は、DRAG=それ自体の所要期間
(3) クリティカル・パス上にあり、平行作業がある項目は、DRAG=その並行作業系列のFloat日数
(4) ただし、その所要期間自体が平行作業のFloat日数要理小さいときには、DRAG=それ自体の所要期間

この結果を図示したものが図4だ。

e0058447_23114944.gif

(図4 DRAGの値)

DRAGの値が分かると、何か得るところがあるのか? あるのだ。DRAGは、その作業項目が、どれだけ納期を押しているかを直接表す。逆に、納期を早めたかったら、DRAG値の大きな作業項目をまっ先に攻めるべきである。その重要度が、一目瞭然になる。

DRAG値はある意味、その仕事全体が、どれだけ並列性から外れているかの尺度でもある。仕事を早めたかったら、独立した部分に分けて並列にすすめるしかない。これはどんな仕事でも(ピラミッドの建設でも、コンピュータ内部の計算プロセスでも)適用できる真理である。DRAGは、どこに並列性から外れた部分があるかを明確に示す。

まあ、この例はたった6個かそこらの作業項目だから、DRAGなど計算しなくてもじっと考えれば、攻めるべき箇所は分かる。しかし、これが60個だったら、あるいは600個だったら、もう目では分かるまい(ちなみに、わたしの勤務先で扱うスケジュールでは、Activity数=600個は少ない方である)。

むろん、DRAGにせよ、クリティカル・パス法にせよ、批判しようと思えばいろいろと限界はある。静的な分析にすぎないとか、作業項目の所要期間がそんな1点見積で正確に見積られるか、とか、リソースの負荷上限が考慮されていない、などなど。ただ、忘れてはいけないことがある。それは、スケジューリングとは元々、様々な仮定をおいて作成した近似モデルに過ぎないということだ。モデルとはつねに単純化を伴うものである。だが、単純化することで、見えやすくなる事もあるのだ。シンプルな道具は、使い所を知った上で、シンプルに使えばきちんと威力を発揮する。スケジューリング手法も同じで、いつ、どう使うかが知恵なのである。

さらにいうと、DRAG指標はさらにコストを加味すると、さらにぐっと使い勝手を増す。しかし、いつものように長くなりすぎた。それについては項をあらためてまた書こう。
by Tomoichi_Sato | 2013-03-25 23:18 | 時間管理術 | Comments(0)

お知らせ:1月5日(土)の日経プラスワンにインタビュー記事が掲載されます

お知らせです。

日本経済新聞の土曜版に付随する「日経プラスワン」で、『時間管理術』に関連してわたしのインタビューが掲載される予定です。

時間管理は、自分の時間の使い方について自覚することからはじまります。そのための道具立てとして、日誌・カレンダー・ToDoリスト・着手日の決め方などについて簡潔に説明しています。また、時間管理の最終目的は、細かな時間の使い方について神経質に追いかけることではなく、何もしない「考えるための時間」を作ることにある、というお話もしました。スペースの関係でどこまで掲載されるかは分かりませんが、ご興味のある方はぜひご覧ください。

末筆になりましたが、今年も大勢の方に本サイトをご覧いただき、感謝しております。読者の皆様もどうぞ良いお年をお迎えください。
by Tomoichi_Sato | 2012-12-30 23:55 | 時間管理術 | Comments(0)

日誌をつけよう(3)--スケジュールとの統合

さて、これまで2回にわたって、日誌をつけよう、To Do Listと併用しよう、と格好のいいことをいってきたが、実は私自身まだうまくできていないことがある。それは、スケジュールとの統合だ。むろん、ここでいっているのは工場の生産スケジュールやプロジェクト・スケジュールのことではない。自分のパーソナル・スケジュールだ。

誰でも、自分自身の個人予定を書き込むために、スケジュール帳を持っているだろう。手帳か、スマホか、あるいは、月単位の見開きデスク・ダイアリーかもしれないし、さもなければ壁に掛けたカレンダーに鉛筆で書き込む、という人もいるかもしれない。スタイルは様々だが、とにかく日時の枠内に、打合だとか出張だとか飲み会だとかのイベントの予定を書き込むためのものがあるはずだ。

そして、日誌を書くときには、その日のイベントもまた日誌に記録したいものだ。朝、一日の始まりに、まず本日の予定されている(時間の決まっている)イベントを確認する。そして、To Doをならべる。一日が終わると、日誌をまた開いて、予定されていたイベントの実際の開始・終了時刻を記録し(会議だと例によってたいてい終了が延びるのだ)、必要に応じて出席者名と結果を簡単に走り書きし、そしてやり終えたTo Doを消していく。これで、日誌に記すべきほとんどの項目がカバーされる。理想的には、こうあってほしいのだ。

ところが、私自身はそこまで実現できていない。私はスケジュール・カレンダーにはLotus Notesを、To Do Listには自作のExcel マクロで組んだソフトを使っている。そして日誌にはまた別のFreeMindというソフトを、現在のところ利用している(FreeMindは現在のところ、アウトライン・プロセッサ的につかえてWindows/Mac/iPadの3種類の環境で動く、ほとんど唯一のソフトだ)。その結果、私は毎朝、その日のイベント・スケジュールをTo Do Listに転記し、一日の終わりにはTo Do Listからやった事を日誌に転記している訳だ。何とも間の抜けた、無駄な作業だと、自分でも思う。

しかし、一つだけ言い訳がある。それは、スケジュール・カレンダーの情報は本来、公開して仕事の同僚と共有するものだから、ということだ。To Do Listはこれと異なり、仕事の事もプライベートな事も一元化しているし、まして日誌の読み手は基本的に(未来の)自分だけだ。こうした点に、カバーすべき情報範囲のズレがあるのだ。日誌なども公開すればいいのかもしれないが、個人的な記録や発見も書いておきたい(ちなみに、そうしたネタの中から、この「タイム・コンサルタントの日誌から」ができてくるのだ)。そうすると、結局は別な場所に何か書き込まざるをえなくなって、また二重化してしまう。

「やっぱり変だよ 日本の営業」の著者・宋文洲氏は、世間一般の営業日報を批判して、“文章をだらだら書き連ねた日報など、営業管理には何の役にもたたない。必要なのは、誰と、いつ、どこで、どういう用件で会ったか、などの事実だけだ”といっている。私も基本的には賛成だ。日誌の内容はできるだけ客観的であるべきだ。だが、毎日のルーチン業務に関連して、いろいろなことを思いついたり発見したりするのも、計画屋の重要な職務である。この間の線引きが、むずかしい。

私は実は、さらにPocketMoneyという個人用の金銭出納ソフトも使っている。欲をいうと、これも日誌と統合したいのだ。スケジュール予定とTo Doと交通費や経費の記録と仕事上の反省とを、あっちをめくりこっちに転記して、ではやりきれない。しかし、こんな機能を全部組み込んだソフトがあったら、自分は飛びつくだろうか? 何だかそんな、「パーソナルERP」みたいな巨大ソフトは、重くって使い物にはならないだろうな、などと考えているもんだから、いつまでもどうどう巡りは終わらないのである。
by Tomoichi_Sato | 2012-05-23 22:51 | 時間管理術 | Comments(3)

日誌をつけよう(2)-To Do Listのつくりかた

生産計画やプロジェクト・マネジメントに従事するホワイトカラーも日誌をつけよう、と前回書いたが、お仕事の日誌を習慣づける一番簡単な方法は、To Do Listとともに使うことだ。

To Do Listとは文字通り、「やるべき用事(to do)」のリストである。仕事の上でやらなくてはいけない用事を、リストの形で書いておく。毎日の仕事とは、誰かに電話をかけるとか、製品Aの昨年度の実績を調べるとか、来週の会議用資料を用意しておくとか、やらなければいけないこまごまとした用事の集合体であるとも言える。

そこで、To Do Listのフォロー結果が、そのまま日誌になるようなスタイルを考えてみよう。毎朝、職場に着いたら、まずその日にやらなければいけない用事のリストを作成する。その中には、前日のTo Do Listもにあったのだが、前日にはできなかった用事も含まれるだろう。また、その日に新たに付け加わった仕事もあるにちがいない。

リストができたら、つぎに、その中で今日の内にどうしてもやっておきたい事、やっておかなければならない事を選び出す。それを日誌に書き写す。そして、一日の仕事が終わったら、かえる前に、もう一度日誌の中のTo Do Listを見なおして、やり終わったものには丸印をつける。必要なら、手短なコメント、たとえば「相談の結果、2/14から製造する予定」などと書いておく。こうすれば、一日の終わりに自動的に日誌が出来上がっている。所要時間は、朝の5分と、夕方の5分の、合計10分。簡単である。

To Do Listの具体的な項目や形については、拙著「時間管理術」にも書いたので参照してほしい。ただし、効果的なTo Do Listをつくるには、守るべき原則が4つほどある。それを説明しよう。

(1)一元化すること

 何よりも、これが一番大事な原則だ。自分のTo Do Listは、ただ一つに集中すること。やるべき用事が、手帳と、会議のノートと、PCのメモパッドと、e-mailの受信ボックスと、机の上のポストイットと、あれやこれやに散らばっていたら、どこから手をつけていいか自分でも解る訳がない。To Doは必ず一元化しなければならない。

 もしあなたがTo Do ListをデスクトップPC上のExcelファイルで管理したければ、それでもかまわない。しかし、そのときは、会議で決まったことやメールで依頼されたことなども、すべてそれに記録しておかなければならない。一つの空港に管制塔がいくつもあったら、パイロットは発狂するだろう。あなたの管制塔もたった一つにしておこう。

(2)先日付のTo Doを書き込める場所もつくっておくこと

 用事の中には先日付、たとえば来週の金曜日になってから、はじめればいいと分かっているものもある。こうした先日付の用事を記録しておくためには、あらかじめ向こう数週間か数ヶ月分の記入枠を用意しておき、その該当日付に書き込むようにする。ようするに「カムアップ・システム」である。この目的のためにも、To Do Listと日誌は統合化するメリットがあるのだ。

(3)中期的なタスクを考えながら、日々のTo Doに落とすこと

 やるべき仕事の中には、飛び込みの用件や突発事故への対応などのように、あらかじめ予測も予定もたてづらいものがある一方で、中期的な「テーマ」ないしタスクも多く存在する。むしろ、仕事というものは、毎日のイベント・ドリブンな用件を減らして、いかに計画的にすすめていけるようにするかが、大事である。

 ただし中期的なタスクそれ自体をTo Do Listにそのままのせるのは、おすすめできない。人間は誰しも、同じTo Doを毎日毎日ずっとながめつづけると、いやになってしまうものだ。たとえば、「主力製品の需要パターンを分析しておく」などといった大きなタスクは、「昨年の製品Bの月別出荷量を調べて表にする」「住宅着工件数との対比でグラフ化する」のように、1-2日で完了できる程度の小さな用事に分解して、順に片づけるようにする方がいい。

(4)優先度は日々見直すこと

 私は上記の本の中で、「To Do Listには優先度をつけろ」と書いた。ただし、優先度はずっと固定してはいないはずだ。期日が迫ってくれば(スケジュール上の自由度がなくなってくるため)優先度を上げて仕事をせざるを得ない。客先の要請などの事情で、優先度をかえることも、無論あり得る。

 米国のPMコンサルタント、Neal Whitten氏は「能力のあるプロジェクト・マネージャかどうかを見分けるのは簡単だ。その日にするべき仕事Top 3を聞いてみればよい」といっている。まともなプロマネならば、すぐにきちんと答えられるからだ。仕事のできる人は、やるべき事に適切な優先度をつけている。そして時間を無駄にしない。

 時間を大切にし、時間の悩みを取り去るためにも、日誌とTo Do Listを活用しよう。
by Tomoichi_Sato | 2012-05-17 23:41 | 時間管理術 | Comments(0)