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基本的フレームワークで4種類のビジネスモデルを理解する


企画部門で働いていると、ときどき外部から質問だのアンケートだのが送られてくる。このごろは、「御社ではビッグデータに取り組まれていますか」という意味の質問がときどき来る。しかし、なぜそんなお門違いのことを聞いてくるのか、と思ってしまう。大企業は皆、ビッグデータを持っていると思っているのだろうか?わたしの勤務先はエンジニアリング会社である。どうみても送り先を間違えているだろう。それは、エンジ会社というビジネスモデルの基本類型を考えてみれば、自ずから明らかなはずなのだが。

わたし達の生きているこの社会でのビジネスモデルは、大きく分けて

 (1) 一般消費者向けの商品・サービスを主に販売するB2C(Business to Customer)モデル
 (2) 他の企業・組織向けの商品・サービスを主に販売するB2B(Business to Business)モデル

に分類でき、それらはさらに

 (a) 需要の予測にもとづいて、商品・サービスをあらかじめ用意しておく見込型ビジネス
 (b) 個別の注文を受けてから、商品・サービスを提供する受注型ビジネス

に分けることができる。つまり、全部で4種類が存在する訳である。そして、各企業の業務の特性や組織のあり方は、このビジネスモデルのあり方に大きく影響される。

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たとえば、液晶TVを生産する電機メーカーは、(1a)「B2C見込型ビジネスモデル」である。あらかじめ需要を見込んで商品を設計し、生産しておく。販売先は一般消費者だ。いや、電機メーカーの直接の販売先は、家電チェーンストアや一般家電店のはずだ、それに、企業や学校なども液晶TVは購入する--という反論も考えられよう。しかし、需要のあり方(量や種類)を最終的に決めるのは消費者だし、販売量も圧倒的に消費者向けが多い。だから、(1a)のB2C見込型、という見立てが適当なのである。こうした分類では、「主に」という面に注目するのが大事である。

自動車会社はどれだろうか。いわゆる乗用車を主に生産している会社がB2Cに属するのはわかる。ただし消費者は、購入時点で、どのモデルの車種を選ぶかだけでなく、外装や内装、ATかマニュアルか、エアバッグ等のさまざまなオプションを選ぶ。したがって、個別に見ればどれひとつとして同じ車はなく、すべて受注生産だ--という事を強調したがる人も多い。じゃあ(1b)「B2C受注型ビジネス」かというと、わたしはそうは考えない。じつは自動車を構成する数万点の部品のうち、顧客指定の個別仕様でかわる部分の比率は非常に小さく、車種・モデルによる共通点のほうが圧倒的に大きい(だから「モデル」という概念が成立するのだ)。おまけに、日本の自動車工場では、じつは海外輸出向け製品が案外大きな比重を占めている。このことはコンサルや学者もほとんど言及しないか忘れているようだが、見込生産分がそれなりに多いのだ。だから自動車メーカーも、(1a)「B2C見込型ビジネスモデル」に属するといっていい。

サービス業で言えば、鉄道・航空・ホテル・携帯電話など、一般消費者向けの業種の多くが(1a)に属する。預金者を相手にする銀行業も(1a)である。学校、保育、病院なども、民間ビジネスとして見れば(1a)に属する。

では、(1b)「B2C受注型」にはどんなものがあるのか。たとえば宅配便というビジネスは、その典型例だ。またオーダーメイドの服しか作らぬテーラーや、高級オートクチュールなどはこの種類になる。サービス業としての弁護士なども、多くはこのタイプである。ただ、基本的に顧客数が多くなるB2Cビジネスで、個別性の高い商売を続けるのは、どうしても効率がわるい。だから、成長拡大しようとすると、ある程度の「パターン」「モデルコース」「商品メニュー」などを事前に取りそろえて、人員や資源を配備することになる。その結果、しだいに(1a)タイプに移行していくわけで、(1b)はむしろ(1a)を補完する形で、個別需要を満たすような、ラスト・ワンマイル的な、あるいは高級顧客向けの業態として残るケースが多い。

(2a)「B2B見込型」は、基礎化学・素材メーカーが典型である。エチレンだのプロピレンだのといった商品は、普通の消費者が買いに来るものではない。ERPなど業務パッケージ・ソリューションのベンダーもこの部類だ。また、自動車業界の系列として、ジャスト・イン・タイム供給に全面的組み込まれている部品メーカーなども、じつはこの部類に属する(部品メーカーは受注生産に分類されるのが普通だが、この種の業態では、じつは注文を受けてから製造しているのでは間に合わぬ。だから内示などの需要見込を起点に、自己責任で作り始めるのである。「受注生産という名前の見込生産」「PushでPullで」を参照のこと)。

(2b)「B2B受注型」にはどんなものがあるだろうか。たとえば、わたしの勤務するエンジニアリング業は、典型的な企業相手の受注ビジネスである。製造業の顧客相手に、工場を設計して納める仕事だ。製鉄業も、納める相手は企業だが、基本は受注生産である。産業機械・工作機械もこのタイプが多い。いわゆる建設業も、ほぼB2B受注型ビジネスの範疇に属する。住宅建設で建売の場合でも、通常は不動産デベロッパーが直接顧客である。もし注文住宅専門のところがあるとしたら、それはさすがに(1b)タイプだが。このように、同じ業種分類でも、ビジネスモデル種別が異なることはありうる。

もちろん、同じ会社の中に二種類以上が同居する場合もある。医薬品メーカーは基本的に見込生産だが、いわゆる医家向け医薬品と、店頭で販売する売薬では、モデルが異なる。前者は、医師の処方箋が必要な医薬品で、病院や薬局などで渡されるものである。ふつうの消費者が知っているのは後者の方だろうが、じつはビジネス規模としては前者の方が大きい。(1b)と(1a)が混在しているといえるだろう。

こうしたビジネスモデルの基本類型は、教科書的に言えば「企業が戦略として選ぶ」だろうが、現実には“結果としてそうなっている”場合も多いだろう。売る商品と市場の形から、4つのタイプのどれになるのかが自然と決まってくるのだ。

そして、このビジネスモデル基本類型のあり方は、企業の特性や組織に大きく影響を与える。たとえば(1a)のB2C見込型企業では、幅広い販売網の形成と維持が不可欠である。とくに現代の成熟した消費者市場では、モノを作る側よりモノを売る側の方にボトルネックがある。したがって営業組織の人数が、いきおい多くなる。社内での発言力も大きいだろう。もしかすると工場は製造子会社化しているかもしれない。また、このタイプではTVなどに広告宣伝も打つから、結果として会社の知名度も高く、マスコミの注目度(とりあげる頻度)も大きくなる。

B2Cビジネスの特徴は、「大ヒット」商品が存在しうることである。消費者の購買行動には、他の消費者と同調する傾向がある。だから、「良く売れている商品だから買う」「人より一歩早く流行に乗りたいから買う」行為、つまり商品それ自体の価値とは直接関係しない購買が少なくない。そしてヒットが生じれば、マスコミがニュースとしてとりあげ、さらに注目されるスパイラル効果が生じる(マスコミ、つまり放送・新聞・出版業もまたB2C見込型ビジネスなので、ヒットを題材にできるとありがたい)。かくして、いったん大ヒットになれば、企業として売上面の大幅な成長が期待できる。工場でこつこつカイゼンして作るより、ずっと儲かるのだ。結果として、組織内に「ヒット待望論」的なムードも生じ、製品企画部門がその期待の中心になる。

さらにいえば、このタイプは顧客データが膨大になる。そこから需要傾向をつかむ事も大切なので、顧客マスタの統合・維持がIT面での大きなテーマだろう。冒頭にあげた『ビッグデータ』でワイワイ騒いでいるのは、ほとんどがこの(1a)タイプのビジネスである。なのに、相手の企業の業容を考えずに、どんなキーワードも同じように適用できるとIT産業の人たちが思っているのだとしたら、少々おめでたい。だから、「相手の業容」を理解するための簡単な道具の一つとして、このビジネスモデル分類の話をしているのである。

(1a)の対極にある(2b)「B2B受注型ビジネス」は、広告やマスコミ取材という華やぎもなく、一発大ヒットも生じにくい、地味な世界である。しかし、移り気な消費者の好みによる需要の急減もなく、目先をかえるために半年ごとに製品開発を繰り返す必要もない。とくに生産財の場合、まともな購入側は、価格のみならず実績・品質・納期なども必ず勘案して、総合的に判断する。だから、よほど汎用的なモノでない限り、品質度外視の無謀な価格競争には比較的陥りにくいし、新規参入だってB2Cほど楽ではない。

したがって、自分のポジションの利点をきちんと理解し、有利性を確保するよう戦略的に動くことができれば、きちんと利益を上げることも難しくない。本間峰一氏が「受注生産に徹すれば利益はついてくる!」で指摘するように、銀行の融資はむしろ受注生産企業の方が得やすいのも、このような理由による。

そのかわり、自分から積極的に新製品を生み出して、市場にイノベーションを起こそう、という発想がうすくなる。小さなカイゼンは行うだろうが、冒険的な提案や改革は起こしにくい。(2b)タイプの企業では、営業、とくにマーケティング機能が弱いのだ。何ごとも顧客から直接要求されない限り動かない、という『Pull型発想』が強くなる。このような体質は、社内的な「B2B受注型」機能である、情報システム部門や物流部門などにも共通する問題点だ。

(2a)型や(2b)型の企業は、サプライチェーンの中では消費者よりもずっと上流に位置することが多い。したがって、大規模で海外展開の進んだ企業であっても、その物流はかなり計画に沿ったものになる。(1a)型企業が、気ままな需要変動に対応するため、あちこちにストックを保有したり、小口多頻度物流を余儀なくされるのとは対照的である。

このように、企業の組織体制や業務スタイルは、その会社の基本的なビジネスモデル類型にしたがって大きく変わる。この差は、いわゆる製品別の「業種分類」などよりもしばしば強く、同じ業界内でも対話がかみあわないことがよくある。周知の通り、わたし達の社会では、官庁が業種別に監督権限を持ち、業種団体を束ねたり、政策を考えたりする傾向が強い。だが、彼らの政策が現実のニーズになかなかフィットしないのは、このようなビジネスモデル別の視点が乏しいためではないだろうか。

この点はコンサル業界やマスコミなども同様で、やれグローバル戦略だビッグデータだとかまびすしいが、もう少し相手のタイプを見て話しかけたらどうか、と思うことがよくある。米国には(1a)型で成功した大企業が多く、彼らのやり方がなんとなくカッコいいから、それを輸入・模倣したらどうかと考えるらしいのだが、(2b)世界で生きている者にとっては、余計なお世話である。

企業とは、需要情報を起点とし、モノやサービスや情報という形で付加価値を創造して、顧客に提供する「システム」である、とわたしは考えている。このシステムの基本類型として、4種類のビジネスモデルがある訳だ。だから、他の企業に対して何かを提案したり持ちかけたり、あるいは分析したりする際には、相手がこの4種類のどれにあたるのかを最初に考えるのが、習慣になっている。種類ごとに、相手の抱える課題や悩みは異なる。相手を知り、おのれを知ることこそ、対話の基礎だ。だから、こういうフレームワークを、皆がもっと共有できるといいと思う。


<関連エントリ>
→「受注生産という名前の見込生産」(2008-07-08)
→「書評:受注生産に徹すれば利益はついてくる! 本間峰一・著
by Tomoichi_Sato | 2014-08-30 22:11 | ビジネス | Comments(0)

ロージーの返事を、ときどき思い出す

机のまわりを整理していたら、偶然、大昔の雑誌が出てきた。共立出版の月刊誌「bit」の1985年4月号だった。

雑誌というのは何号かに一度、良い記事の集まった当たり号が出るものらしい。この号も、当たりの1つだったようで、面白い記事が集まっている。そのために、なんとなく捨てられずにとっておいたようだ。巻頭記事は、宮本勲氏の紹介による「本物のプログラマはPascalを使わない」だ。次が、ジェラルド・ワインバーグの短いエッセイ「ロージーの返事」。翻訳は、東京工業大学教授・木村泉氏。それから、御大ドナルド・クヌースの論文「文芸的プログラミング」が載っている。翻訳は黒川利明氏である。さらに、湯浅太一氏と萩谷昌巳氏の「Common Lisp入門」の連載第一回目が始まっている。石田晴久氏の「PC-UX」紹介記事もある、という具合だ。

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「本物のプログラマはPascalを使わない」は、注釈が必要だろう。これは当時アメリカで流行った「本物の男はキッシュを食わない」という文章の、皮肉の効いたコンピュータ業界版パロディである。キッシュはタルトに似たフランスの食べ物で、当時東海岸でおしゃれな食事として人気があった。しかし西部魂を持つ“本物の男”たちは、そんな軟弱な風潮を苦々しく思っていた。

同じ頃、コンピュータの世界にもマイコン・ブームとともに、小文字を使うPascalなどの軟弱な言語がはやりはじめていた(当時は「パソコン」より「マイコン」が普通の呼び方だった)。厳格で無慈悲な汎用機の世界で生きてきた“本物のプログラマ”たちは、そんな風潮を苦々しく思う、そんな内容だ。だから、
 ・本物のプログラマは大文字を使って語り合った
 ・本物のプログラマはGO TOを使うのを恐れない
 ・本物のプログラマはコメントを必要としない。コードが全てを教えてくれる
 ・本物のプログラマは人工知能のプログラムをFORTRANで書く
 ・もし何かをFORTRANで書けないならば、アセンブリ言語でやってみるべきである。もしアセンブリ言語でもできないならば、それはもはや、やるほどの値うちはないのだ。
といった逸話や教訓が並んでいる。

「文芸的プログラミング」(Literate programming)は、計算機科学の大家ドナルド・クヌースが、かれのWEBシステムについて書いたものである。ま、いまどきWEBなどと言っても、分からぬ若者が多いじゃろうのォ。World wide webのことではない。世界規模のインターネットなど、まだほとんど存在していない時代のことだから。WEBというのは、今風に言えば、ソースコードとドキュメントの統合管理の方法論だ。1974年にACMチューリング章を受賞したクヌースは、主著「算法基礎」(Fundamental Algorithm)を執筆しながら、その出版のために、数式を扱える組版システムTEXを開発する。そして、TEXのソースコードを文書化するために、さらにWEBシステムを開発するのである。

どこでもドキュメントとソースコードは別々に管理され、そして次第に乖離していく傾向がある。そのためにコメントをソースに書き込むのが、これもきちんと更新されていなかったりするのは周知のとおりだ。クヌースはこの問題を解決するために、あえて「文書の中にソースコードを書き込む」という逆のアプローチを取る。それも、単なる仕様書をモジュール別に作成するのではない。もっとも上位の、設計思想から書きはじめて、設計者の思考のとおりにプログラムを構成していくのである。WEB文書は、今風に言えば一種のマークアップ記法で作成されたテキストであり、それをプロセッサにかけることによって、機械用のPascalソースコードと、人間が読みやすい整形された“文芸的ドキュメント”が、それぞれ生成される仕組みだ。彼はこのWEBシステムを用いて、TEXの内部構成をすべて本の形で出版公開している。

しかし、この雑誌で一番長く印象に残ったのが、ワインバーグの「ロージーの返事」という短い記事だった。「イーグル村通信」という連載の一部だが、毎回が独立して読めるエッセイになっている。

・・・ロージーと言うのが彼女の名だった。むろん本名ではない。頬がバラ色(rosy)なので、皆がそう呼んだのだ。彼女は、手術直後の自分を看護してくれた看護婦だった。手術後のもうろうとした10日間、彼女は私の額を冷やし、手を取り、痛み止めのモルヒネを注射してくれた。17歳の自分は、優しく微笑むロージーに、もちろん一目で恋におちた。--「ロージーの返事」はそんなふうに始まる。

10日目の就寝時に、ロージーは、シャーベットと睡眠薬を持ってやってきた。自分が睡眠薬を飲み下す様子を眺めてから、彼女はたずねる。「あなたは、まだ痛み止めの注射が必要だと思う?」 もちろんと答えると、初めて彼女はこわい表情をした。「本当にそう思って?」
「本当だよ。とっても必要なんだ。」
「もしそうなら、」と彼女は答えた。天使のような声音は消えてしまっていた。「もう注射はしないほうがいいわ。」

ロージーが去ったあとの4日間は、はかり知れないほどの悪夢だった。自分(17歳のワインバーグ)は、せびり、ささやき、叫び、壁をぶったたき、要求し、泣いた。だがロージーは、遠くで知らん顔をしていた。その残忍な4日間に、愛は仮借のない憎しみへと変わった。退院の後、もう二度とロージーには会いたくないと思った。事実、もう二度と会うことはなかった・・・。

だが彼女は、じつは命を救ってくれたのだった。その残忍な4日間に、彼女は自分にきざしていたモルヒネ中毒の根を断ち切ってくれたのだ。ワインバーグがそのことに気がつくのは、後になってからのことだった。

ワインバーグはその時をふりかえって、『ロージーの返事』(Rosy's response: 頭韻を踏んでいる)という大事な教訓を学ぶ。それは次のようなものである。

 「もしあなたが何かをそんなにひどく求めているなら、多分それは手に入れない方がいい」

ひどく逆説的だ。だが、理由は単純である。(ワインバーグの説明をわたし流に言いかえるなら)、何かをひどく求めると、逆に自分がその「何か」に支配されてしまうことが多いからなのだ。若きワインバーグの場合は、モルヒネだった。ロージーが強引に断つことで、彼をモルヒネに支配される中毒から救ったのである。そして中毒(依存)状態とは、そういうものなのだ。

物欲でも、金銭欲でも同様だ。何かが欲しい、所有したい、それさえ手に入れれば、自分の人生は素晴らしくなる、と強く思い続けるうちに、いつのまにか攻守逆転して、自分自身がその欲の奴隷になってしまう。金銭に執着すれば、金の奴隷になる。時間に執着しすぎると、時間表に引きずり回されるようになる。あるいは、恋愛感情だって同じかもしれない。事はモルヒネだけではないのだ。読んで思いあたることはいろいろあった。

わたし達の社会は、欲望をかきたてることで出来あがっている。売る側は、もっと商品が売れてほしい。だからあらゆる機会をとらえて、消費者の欲望を刺激すべく、情報や広告宣伝やらをばらまく。教育産業と就職産業は、あの手この手で、より上位の学校や有用な資格を喧伝する。「自分探し」みたいなイデオロギーを添付して。そして、あらゆる場所で、「夢」に向かって進む人たちの感動ストーリーがばらまかれる。

そうしたことには良い面もあるのだろう。落ち込んだ人が、再び夢や期待を持って立ち上がることもあるかもしれない。だが、期待はしばしば、欲望という別物に転化していく。両者の違いがどこにあるか、ご存じだろうか。期待とは自分に関する何らかの状態(行為・能力)を望むことだ。一方、欲望はつねに、自分の外に対象(事物やステータス)を探している。だから、強い欲望を抱くと、自分を見失いがちになるのだ。

かくして、無理な買い物のために金欠になって、働かなければいけないのでせっかく買った物を使う時間がない、といった逆立ちが起きることになる。まあ、その程度はお笑いですむ。だが、実現すればもっと自分を傷つけかねない欲だって、いろいろあるのだ。いや、自分だけではない。無理な背伸びをしてポストを手に入れたがために、周りからの信用を失った人。絶対ほしい案件だといって無理な値段で受けたがゆえに、大赤字におちいった仕事。わたし達のまわりで、そうした例はいくらでもある。

わたし達の脳は(あるいは、心は)、ひどく逆説的な性質を持っている。「遠くに届くためには、力を入れてはいけない」というのも、そうだ。無理に力んだり、強く欲したりすると、そのこと自体がわたし達の中の自然なバランスを崩し、意思とは反対の方向にものごとを引っ張っていく。何度も愚かな失敗をくりかえした後、わたしは、

 「愚かさとは、自分の欲のために後先を見失うことである」

という真実に気がついた。ただ、気はついたけれども、こまったことに自分のアサハカさが減じた訳ではない。

だから、そんな危ういときどきに、『ロージーの返事』を思い出せたらいいのに、とよく思う。そんなにもひどく欲しい物は、手に入れてはだめ、と。だから、自分はこの雑誌を取っておいたのかもしれない。なんとか自分を見失わないようにするために。

(追記)「ロージーの返事」は、ワインバーグの著書 「スーパーエンジニアへの道―技術リーダーシップの人間学」に、少し形を変えて収録されている。ただしわたしは、元の雑誌原稿の方が好きだ。なお、上の抜粋は、翻訳文そのままではなく、多少、改変・編集して引用したものであることをお断りしておく。

<関連エントリ>
 →「遠くに届くためには、力を入れてはいけない」(2014-08-13)
by Tomoichi_Sato | 2014-08-21 00:33 | ビジネス | Comments(1)

稼働率100%をねらってはいけない

多くの製造業においては、工場の稼働率が、重要な管理指標として今も使われている。3週間前のエントリ「原価の秘密 - なぜ、黒字案件だけを選別受注すると赤字に陥るのか 」(2014/07/06)でも説明したように、製品の個別原価を計算する際、材料費や労務費などの他に、製造機械の使用時間に応じた費用を含めるのが普通だ。その製品の加工作業で、製造機械が何時間必要だったかをベースに、機械のコストをチャージする。いわば“機械の使用料”だ。

個別の機械1時間あたりの使用料単価を『機械賃率』と呼ぶが、これは各機械の年間の維持費用(減価償却費等)を、年間の実稼働時間で割って計算する。機械の遊んでいる時間が多いほど、実稼働時間は減るから、同じ作業をしていても原価が上がる、というのがふつうの会計の仕組みだ。だから、製造業では稼働率を上げるべく、あれこれと努力するという訳である。

そして、前回のエントリを読まれた方は気づかれたかもしれないが、じつはこの事情は社内人件費についても、まったく同様なのである。人件費というのは、残業等で多少の変動はあるにせよ、基本的には固定費である。だから、単位作業時間あたりにかかる人件費(これを本来は『賃率』とよぶのだが)は、年間総人件費を、実稼働時間で割って計算する。

これはとくに、原価の内で人件費のしめる割合が高い業種で、かつ個別原価計算をしている企業では重要である。製造業以外でも、たとえば、建設業や建築設計業、ソフトウェア産業などで、人の稼働率が重要視される。

ところで、以前も書いたとおり、受注ビジネスでは、稼働率は受注した仕事量によって決まってしまう。したがって、製造側の努力で稼働率を上げるためには、受注量に合わせて製造機械をスリム化する、ということになる。

そこで、工場長であるあなたは、ある日、思い切って社長に設備廃棄の相談をしに行くことにした。過去5年間の受注量は、ほぼ横ばいであった。大きな市場成長もない代わりに需要減退もない。あなたの頭痛の種になっている高価な製造機械の生産能力と、平均の受注量を比べると、ほぼ3:2だった。つまり、平均稼働率は、2/3 = 67%だったという訳である。ところで、この機械は、同一能力を持つモジュールの三連構造になっている。だから、1モジュールだけを廃棄すればいい。そうすれば、生産能力と受注量がバランスして、稼働率はちょうど100%になるだろう。

あなたの提案に、意外にも社長はあっさり賛同した。経理上は、いったん除却損が発生する。しかし、これは特別損失で処理するので、工場原価にも営業利益にも関わりないことになった。かわりに、年間の減価償却費は、2000万円から1330万円に減ることになった。製造原価も下がる訳である。ありがたい。

あなたは工場に帰り、さっそく設備廃棄を指示する。保守係長だけは、「まだ使えるのに」とぶつぶつ言ったが、経営判断である。

ところが、3ヶ月ほどたったとき、あなたは工場の中を歩いてみて、なんだか以前より雑然としていることに気がつく。整理整頓はどうなったのだ? 5S運動の責任者を呼んで問い詰めると、彼の答えは、「整理整頓は以前と同様に努力しています。ただ、何だか最近、仕掛かりのモノがやたらと多いんです」だった。

さらに、営業部長からあなたに連絡が入る。「最近、納期遅れが頻発している。別に短納期で受注した訳じゃなく、以前と同じ納期でお客に約束しているのに、これではこまる。早急に改善してほしい」というのだ。早速あなたは、生産管理部門にレポートを命じる。すると驚いたことに、最近は軒並み納期に遅れているのだ。おまけに、受注量が増えた訳でもないのに、仕掛在庫量が急増している。そして、肝心の機械の稼働率だが、なぜか90%台前半をうろうろしている。なぜ100%稼働しないのか? あなたは機械の前に行き、担当者をつかまえると、彼の答えはこうだ:「だって、削るべき部品が来ないので、手待ちになっているんです。来るときにはどーんとかたまりになって来るんですけれどね・・」

いったい何が起きたのか。受注量に合わせて、生産能力を削減し調整した。誰も別に遊んでいない。以前とかわらず、みな必死に働いている。なのに、リードタイムは長くなり、在庫は増えた。理由があるにちがいない。だが、それは何だろうか?

変動のせいなのだ。

まず、顧客からの受注には、ばらつきがある。平均需要は変わらなくても、個別の案件はばらばらのタイミングにはいってくる。ラーメン屋と同じで、まとまって客が入ったり、しばらく誰も来なかったりするのだ。そして、機械側の処理能力についても、変動は不可避だ。製品別の処理の難しさ、作業者の技能、削る材料の品質、どれもばらつきがある。

その結果、どうなるのか? 簡単なシミュレーションをしてみると分かる。わたしが今から15年前に書いた「図解 サプライチェーンマネジメント」から、原稿の一部を引用してご紹介しよう。
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工程をバランスさせるとムダが増える

◆生産管理の逆説

 生産者の立場で供給活動のマネジメントにたずさわる者は、しばしば奇妙な逆説に遭遇します。それは、たとえば、
・工程をバランスさせるとムダが増える…?
・各部門が最善を尽くすと全体が悪化する…?
・機敏な計画は需要変動をよぶ…?
といったパラドックスです。

◆工程をバランスさせるとムダが増える

 生産ラインの各工程の能力を均一にすればムダな仕掛在庫が減るはずだ、という常識があります。しかし、簡単なシミュレーションで、これは嘘だということが示せます。

 仮にいま、5工程からなる生産ラインを考えましょう。「工程」は必ずしも製造工程と限りません。包装・検査・搬送かもしれないと考えてください。そして各工程の一日あたりの処理速度と原材料の投入量を、均しくサイコロの目の数(1~6の乱数=平均値3.5)で与えることにします。各工程とも手持ちの仕掛在庫量はゼロからスタートします。

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 結果は安定するでしょうか?

 図をご覧ください。答えはNoです(青い部分が生産数量、赤い部分が仕掛在庫)。途中の在庫はどんどん増えてゆき、15日後に至ってもまだ増加傾向にあります。(これは乱数シミュレーションなので全体傾向で見てください)

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◆変動は避けられない

 なぜこんな結果になるのでしょうか? それは変動のせいなのです。

 投入量と処理速度は平均値が同じでも毎回ばらつきがあります。各工程で処理速度が投入量より小さければ在庫が溜まっていきます。しかし、逆に投入量より大きくても、在庫はゼロ個以下にはなれません。工場ではプラスの変動とマイナスの変動が打ち消しあわないのです。

 中間在庫が山のように溜まると、生産(アウトプット)速度はある程度安定しますが、在庫は無制限に少しずつ増えつづけてゆく訳です。
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おわかりだろうか? この現象は、じつは工程がたった一つでも起きる。受注量と処理能力がイコールだと、なぜか仕掛在庫量が無限に増えていくのだ。

物知りの読者の方なら、「待ち行列理論」をご存じだろう。この現象は、待ち行列理論で説明できる。なにかのサービス窓口がある(工場ではこれが『工程』に相当する)。そこにバラバラのタイミングで顧客がやってくる(工場では受注案件に相当し、案件別の削るべき素材がそれを表す)。待ち行列理論では、処理能力と受注量の比を、記号ρで表す。そして、処理に入るまでの平均待ち時間は、非常に単純な式

 ρ/(1-ρ)

で与えられる(これは工場では、工程の前に積まれている仕掛在庫量に相当する)。グラフにすると、こうなる。ρが1に近づくほど、待ち時間は急激に増大することに注意してほしい(厳密にはポアソン到着とか指数分布などの仮定があるのだが、詳細は省く)。

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そして、このρとは、あなたの着目する機械の稼働率と同じ意味なのだ。ということは、あなたが良かれと思ってやった、設備廃棄による能力削減は、リードタイム(=待ち時間)の増加と、仕掛在庫量の無制限な増大を意味するのである。どうしてこうなるかは、上の文章にも説明したとおりだ。受注のばらつきはプラスにもマイナスにも振れる。だが生産の方は、手待ちの時(受注の間隔が空いたとき)には、目の前に削るべき材料がないから、プラスとマイナスを中和できないのだ。仕掛在庫はマイナスになれない。これがネックになって、変動がプラスの側にのみ蓄積されていく。そして、

「原価を下げるために稼働率を上げろ」 → 「受注量に合わせて生産能力を削減しろ」

という、それ自体を見れば正当に見える指示が、結果として、自社の生産性を著しく損なう結果になるのだ。

見込生産の場合ならば、工程の変動があっても、素材を支給するスピードを調整することで、工程を遊ばせないようにコントロールできる。あるいは、営業に対して「平準化して売れ」と号令することも可能だろう。しかし、受注生産では、そうはいかないのだ。設備削減で、稼働率100%をめざしてはいけないのである。

そして、最初に述べたように、この話は製造業のみならず、人が中心となるサービス業でも全く同じである。受注量に合わせて余剰人員を削減しました。その結果、一人あたりの仕事量は変わらいはずなのに、ひどく生産性が落ちました。そして納期が遅れて、お客の信用を失いました--こんな事例を、身の回りに見かけたこともあると思う。本当は人も設備も、受注量に対して、ある余裕を持たなければならないのだ。

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だが、そもそもこの話の根幹は、どこにあるのか。このような問題におちいった根本原因は何だろうか。

それは、あなたの会社では誰もマネジメントについて、きちんと理解していないということだ。社長も、工場長であるあなたも、経理課長も、誰も設備削減の行き着く先について見通せなかった。受注量と処理能力のバランスが、仕掛在庫やリードタイムに与える影響について、法則性があるということを、誰一人、知ってさえいなかった。

たしかに社長もあなたも、部下を采配し、計画を立て、トラブルに対応し、顧客や業者とやっかいな交渉もしただろう。だが、管理業務はしても、マネジメントはしていないのだ。なぜなら、『マネジメントとは、専門的な知識と訓練が必要な、専門職である』ということを、誰も理解していなかったからだ。

では、そのような知識・訓練は、どこから得られるのだろうか? MBAをやとえばいいのか。いや、昨今のビジネススクールは、経営戦略だとか企業ガバナンスだとか、大所高所のカッコいいテーマはお好きなようだが、在庫だのリードタイムといった泥臭い話題は、ほとんど講義もされないようだ。外資系コンサルタントも、ほぼ同様である。経済メディアはいうに及ぶまい。

企業という複雑な組織(システム)には、特有のダイナミクスと法則性がある。それをふまえて、マネジメントしていくための技術が存在する。わたしはこれを、『マネジメント・テクノロジー』と呼ぶことにしている。専門職としてのマネジメントの第一歩は、マネジメントには技術がある(技術が要る)と認識することだ。

そして、わたしのこのささやかなサイトは、『マネジメント・テクノロジー』の初歩を、一つ一つ説明していくためにある。マネジメント・テクノロジーは、別段、社長や工場長だけのためのものではない。それは“人を使う”立場にある者全員に、必要である。人を使うことの中には、外注先を使うことも含まれるから、若手を含めて誰もにかかわりのある技術だ。むしろ、若いうちから皆が理解しておく方がいい。工場長や社長になってから、“あれ? 俺には何かが足りないな”と気づくのでは遅すぎるからである。


<関連エントリ>
 →「原価の秘密 - なぜ、黒字案件だけを選別受注すると赤字に陥るのか 」(2014/07/06)

追記:本項を書くきっかけとなったのは、7月16日に開催された「生産革新フォーラム」(MIF研)における、佐々木俊雄氏の『Dynamic Production Management(DPM)』理論に関するご講演であった。ここに感謝して記したいと思う。
by Tomoichi_Sato | 2014-07-27 11:04 | ビジネス | Comments(3)

原価の秘密 - なぜ、黒字案件だけを選別受注すると赤字に陥るのか

かつての古き良き時代、右肩上がりの高度成長の頃は、なにごとも単純明快で分かりやすかった。製造業は、生産量を上げることにひたすら邁進した。「作れば売れる」時代だったからだ。昭和40年代や50年代の日本企業の多くは、欧米先進国から技術を導入しつつ、自分でもそれを改良し、使いこなしていった。その時の工場運営でキーとなる指標が、機械の稼働率だ。

たとえば、あなたの会社が3億円の大枚をはたいて、海外から高価な製造機械を導入したとしよう。15年間の寿命を想定すれば、減価償却費は毎年2千万円だ。それでも、旧式の機械+手作業に比べれば数倍以上の生産能力を上げられるし、より高品位な製品も作れる。だからソロバン勘定に合うはず、と考えて導入に踏み切るわけだ。

当然ながら、社長は工場長に対して、この機械を最大限活用しろ、とハッパをかける。機械は動いていても止まっていても、同じ減価償却費がかかる。だとしたら動かさなければ損である。他方、社長は営業部門に対しても、もっとたくさん売ってこい、と号令をかける。工場は見込生産で大量に作るのだから、放っておくと工場倉庫に製品在庫が積み上がってしまう。これを流通チャネルに卸すのが営業の仕事である。多少値引きしたっていい、薄利多売、大量生産が経営のポリシーであった。

工場の側は、どうやって高価な機械の稼働率を向上させるか考える。稼働率とは、次の式で定義されている。
       
 [稼働率]= 年間の実稼働時間 ÷ 年間の総操業時間
       
稼働率を阻害する要因はいくつかありうる。たとえば、
 (1) 段取り替えやセットアップに手間がかかり、実稼働にすぐ入れない
 (2) 機械の故障で稼働できない
 (3) 機械は動かせるのだが、資材手配の不手際で、加工すべき部品がこない
 (4) 加工手順やツールがまずくて、1個を加工するのに余計に時間がかかる
等々。いずれも、技術的な問題である。工場長は各部に指示を出して、問題に対処するよう命じる。

さて、原価管理には『賃率』という概念がある。単位時間あたりの労務費をいう。もし製造工程が機械中心で人手の関与が少ない場合は、労務費よりも減価償却費などのウェイトが原価の中で大きくなる。そこで「機械賃率」を同様に定義して、原価計算に使う。機械賃率は以下のような計算になる。(お手数ですが、等幅フォントで見てください)


         設備の減価償却費      設備の減価償却費
 [機械賃率]= ----------= ------------
         年間の実稼働時間    年間の総操業時間×稼働率


あなたの工場では、年間の総操業時間は2,000時間である。そして導入した機械の減価償却費は毎年2,000万円だ。だから、機械が100%フル稼働できれば、機械賃率はちょうど1時間あたり1万円になる。部品を1時間加工したら、1万円の原価がかかる勘定だ。もし80%稼働率ならば、賃率は1万2500円になる。つまり、同じ製品を同じように加工したとしても、年間全体の稼働率を上げれば、機械賃率は下がり、したがって原価が安くなる。だから、工場は機械の稼働率を最大限上げるよう努力すべし、ということになる。

ただし、機械の本当の実稼働時間は、その年度が終わって締めてみないと分からない。それでは意思決定に支障をきたすので、ふつうは期初に「今期の推定稼働率」を決めて、それで製品の標準原価を計算する。そして、期末になったら「今期の実稼働時間」を集計し、最初の想定と違いが出た場合に、「原価修正」をかける。

これが、見込生産時代にできあがった工場運営、原価管理の考え方だった。

それから、時代は下った。長い不況を経て、「作れば売れる」時代から、「顧客の望むものでなければ売れない」時代になった。プロダクト・アウトから、マーケット・インへと、市場環境は変貌した。製造業の多くは、見込生産から受注生産形態へと、変化せざるを得なかった。生産設備も業界全体で過剰となり、フル稼働で製品を作ることなど望みにくいご時世となった。

さて、あなたは今や工場長である。当時は最新鋭だった機械も一度買い直した。それもいささか古くなったが、まだ現役で、工場の中核の製造機械である。減価償却もまだ残っていて、あいかわらず年間2000万円かかる。これが、あなたの頭痛の種だ。

ところで、営業部門が今年度の有力受注案件として、3つの案件を持ってきた。
 案件A: 受注金額=1,200万円、製品数量=400個 (販売単価=3万円)
 案件B: 受注金額=1,250万円、製品数量=500個 (販売単価=2.5万円)
 案件C: 受注金額=2,500万円、製品数量=1,000個 (販売単価=2.5万円)

顧客も違えば、作る製品の品種も違う。あなたは、それぞれの案件の原価をあたってみた。以後の話を簡単にするため、あなたの工場は、(1)機械による加工製造、(2)外注による仕上げ梱包、の2工程だけとしよう。また社内の人件費は、どの案件でも一律なので無視することにする。あなたは生産技術部門や資材購買部門に確認した上で、それぞれの製品1個あたりの単価を以下の通りと見積もった。

 案件A: 材料費単価=10,000円、外注費単価=2,500円 機械加工時間=0.8時間
 案件B: 材料費単価= 7,000円、外注費単価=4,000円 機械加工時間=1時間
 案件C: 材料費単価=12,500円、外注費単価=3,000円 機械加工時間=1.2時間

ここで、機械加工1時間あたりの機械賃率が問題になる。過去数年間の平均を見ると、稼働率は80%だった。したがって、1時間あたり1万2500円である。これを使うと、各案件の原価と利益が明らかになる。

 案件A: 受注金額=1,200万円、製造原価=900万円 利益=300万円
 案件B: 受注金額=1,250万円、製造原価=1,175万円 利益=75万円
 案件C: 受注金額=2,500万円、製造原価=3,050万円 利益=▲550万円

案件Aはそれなりの利益、Bはかつかつだが、Cはかなりの赤字と見積もられた。社長主催の生販会議で、あなたはこの数字を報告する。社長は、「赤字はもうたくさんだ。案件を選別しろ。案件Cは捨てて、AとBの受注に全力をつくすこと」と営業部長に指示を出した。努力の結果、無事にAとBの2案件は受注にこぎつけ、あなたも工場で奮闘した結果、予定どおり製造出荷させることができた。

ところで、年度末になって、本社から呼び出しがかかった。経理部門から社長に「今期は赤字になります」と報告が上がったのだという。そこで社長が怒って、工場長を呼べ、と命じたのだ。たいへんな剣幕だという。--そんな馬鹿な。黒字案件だけを受注したはずではないか?半信半疑のあなたが本社に行くと、まず社長に怒鳴られた。「工場は何をやってるんだ! 赤字だと報告が上がっているぞ!」

訳が分からないまま、あなたは経理に説明を求める。経理課長の説明はこうだ。「今期の実稼働時間は、集計によると、
 A案件: 0.8×400=320時間
 B案件:  1×500=500時間
で、合計820時間のみでした。そこで、機械の実際賃率を求めると、
  2000万円÷820時間=2.44万円/時
になります。そのため、原価修正が、
  (1.25-2.44)×820=-975万円
となるため、修正後の利益は
  300+75-975=▲600万円
の赤字ということになりました。」

あなたは頭がくらくらしてくる。黒字案件だけを選別受注したのに、なぜ赤字になるのか。経理課長は、「機械の稼働率が想定よりずっと低かったためです。原価を下げるためには、もっと稼働率を上げてください。」

あなたの横顔にむかって、社長が追い打ちをかけるように怒鳴る。「こんな高コスト体質でどうするんだ! さっさと工場に戻って、全力でコストダウンに取り組め!」

*** *** ***

さて、どうしてこんなことになってしまったのだろうか? あなたは(あなたの会社は)、本当はどうすべきだったのだろうか?

そもそも案件がA, B, Cと三つあった訳だから、受注戦略としては、三つとも全部を狙うか、あるいは二つを選別受注するかで、A+B, A+C, B+C, A+B+Cのの4つの組合せが考えられる。それぞれのケースについて、売上・利益・機械の実稼働時間・機械の実際賃率・原価修正、そして修正後の利益を求めてみると、表1のようになる。

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これをみると、黒字案件のみを選別受注する「A+B」は、実は修正後利益が一番の赤字となることが分かる。一方、AやBに赤字案件のはずのCを組み合わせる方が赤字は小さく、全部受注した「A+B+C」の場合に、はじめて黒字になることが分かる。その差は、原価修正額の違いからくる。「A+B」だとマイナス975万円だが、「A+B+C」だとプラス535万円なのだ。このような結果になる最大の原因は、機械の稼働時間が、「A+B」では820時間しかないのに、「A+B+C」では2,020時間になるためである(これは年間操業時間の2,000時間をわずかに超えているが、残業すれば対応可能な範囲だ)。

4つのケースで、年間の実稼働時間と、機械賃率の関係を示したのが、次のグラフだ。経理課長のいったことは、ある意味では正しい。機械の実稼働時間を増やすほど、原価は下がるのだ。

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だが、それは工場の努力で改善できることだろうか? そもそも不況のため、工場はフル稼働できずにいるのだ。上にあげた4つの稼働率阻害要因を、もう一度見てほしい。セットアップ時間や故障時間を減らしても、部品をタイムリーに手配しても、実稼働時間それ自体は増えはしない。まして、生産技術を工夫して製品1個あたりの加工時間を減らしたら、どうなるか? 実稼働時間が減って、稼働率が下がってしまうのだ!
 
受注生産の最大の特徴は、生産量を自分の好きに増やせないという事である。受注生産では、機械の稼働率や、工場全体の操業率は、受注した仕事量に依存する。あなたが工場長としてできるのは、むしろ稼働率を下げること(=生産性を上げること)なのだった。だから、「稼働率を上げろ!」と社長が号令をかけるべき相手は、工場ではなく営業なのだ。営業が仕事をとってきて、はじめて年間の稼働率が上がる。大量見込生産の時代には、稼働率は技術的課題だった。受注生産では、稼働率は営業の課題なのだ。

おわかりだろうか。わたしがいつもくりかえしている主張、「大量生産時代の社内ルールや評価を残したまま受注生産に移行したことが、今日の製造業における問題の根底にある」の一例が、これである。工場を稼働率で目標管理する事は、大多数の製造業には、もはやフィットしないのだ。

では、どうしたらいいのか? 現実には、年間の案件が期初に全部見えている訳ではないので、上のような表を作って受注戦略を考える事は不可能だ。どの案件を受注すべきか、またいくらの受注金なら受けるべきか、個別に決めるための簡単な方法が必要である。

そして、それを可能にする指標は存在するのだ。それは「スループット」である。

 [スループット]= 受注金額-変動費= 受注金額-材料費-外注費

あなたの会社で発生する『原価』は、大きく分けて、生産量に直接リンクして発生する変動費(材料費・外注費)と、固定的に発生する費用(減価償却費・社内人件費・水道光熱費等)である。スループットという尺度は、このうち変動費だけを差し引いて得られる、一種の「粗利」であり、製造業会計では「粗付加価値額」に、ほぼ等しい(厳密には少し違うが説明は略す)。そして会社は、この「スループット」(受注金から材料費・外注費を差し引いて手元に残った金額)から、さらに人件費・減価償却費その他の固定費を払って、プラスならば利益が出るのである。上記各案件のスループットは次のようになる。

 案件A: 受注金額=1,200万円、変動費=500万円 スループット=700万円
 案件B: 受注金額=1,250万円、変動費=550万円 スループット=700万円
 案件C: 受注金額=2,500万円、変動費=1,550万円 スループット=950万円

あなたの会社の固定費は年間2000万円だ。少なくとも、これをカバーして上回るだけのスループットを、積み上げなければならない。だとしたら、「A+B」では1400万円しかないのだから、赤字になるのは明らかではないか。三つ全部受注する「A+B+C」で2,350万円となり、黒字になるのはこのケースしかないのだ。

また、年度内の案件が全部見えていなくても、個別の案件ごとにスループットは計算できる。したがって受注戦略としては、スループットの累計が、なんとか年度の固定費を上回るように案件を狙っていくべきだ、ということになる。競争環境下では、もし必要なら多少の値引きをしてでも、スループットを確保する。たとえば上記の例で案件Cは、2,500万円の代わりに2,150万円までは値引きしてでも、受注する方が会社のためになる。

機械の減価償却費は、固定費である。それを、「稼働率」と「機械賃率」を用いて変動費化して原価計算に組み入れる、というのが、通常用いられる製造業の原価管理だ。この手法は、機械の能力が制約であり、作れば売れる大量生産時代は有効であった。しかし上の例で見たとおり、受注生産で仕事量が不足気味のときには、かえってミスリードになる。

上の例は分かりやすいように極端な例を用いた。ただし、非現実的かもしれないが、非論理的な計算はしていない。そしてこの程度ならば、社長がもう少し落ちついて考えれば、案件Cを切り捨てるのはまちがいだと分かったはずだ。だが現実のビジネスでは、原価の計算はもっとややこしい要素と過程をへて、行われる。ERPシステムを入れて、計算を精密化しようとしたりする。だからかえって、怖いのである。誰も原価の全体構造や動的メカニズムを理解しないまま、単に数字だけに追われることになる。その結果、黒字案件だけを選別受注しようとしたりしがちだ。そして、いつの間にか赤字に陥る企業が、現実に存在しうるのだ。そうならないためには、あなた自身も、工場長も、営業部長も、そして社長も、マネジメント全員が、もっと原価の秘密を理解しようと努力しなくてはならない。


<関連エントリ>
 →「もう一度、付加価値とは何か?」 (2010/06/06)
 →「書評:『受注生産に徹すれば利益はついてくる!』 本間峰一・著」 (2014/06/21)
by Tomoichi_Sato | 2014-07-06 19:56 | ビジネス | Comments(0)

石油・ガス業界のニュースから見えてくる、奇妙な国際関係のループ図

先月、ロシアと中国がシベリア産天然ガスの大型商談で合意したのとほぼ同じ日に、ロイター発で中国の石油・ガス関係のもう一つのニュースがでた。それは最近、中国のイランからの原油輸入量が倍以上に急増した、という報道である。中国は一応、産油国であるが、とうてい最近の自国のエネルギー需要をまかなうことはできず、石油の輸入国でもある。それが、イランから沢山の原油を輸入することで、両国関係をさらに緊密化する傾向にある、という情報であった。

イランと中国といえば、ロシアと並び、米国の世界戦略を邪魔する仮想敵国であり、油断のならない相手である、というのが一般の感覚であろう。それが石油・ガス取引を軸に手をつなぎつつある、という印象をこのニュースは与える。

ところが、ちょっと調べてみると、ことはそれほど単純ではない。まず、中国はかなりいろいろな国から原油を買っている。これは輸入国にとっては、エネルギー安全保障の観点から見て当然なことだろう(日本もそうしている)。その輸入の最大の相手は、サウジアラビアであり、それに並ぶ第二の輸入国はアフリカ南西部の国・アンゴラである。3番めが中東のオマーン。そして、従来はロシアとベネズエラが4位5位あたりに並んでいた。そこにイランが食い込んできた、といっても、まだ全体の第4位にすぎない。かわりに、サウジとベネズエラからの輸入量が多少減っている。たしかにイランからの輸入は1年前に比べ倍増したが、オマーン、イラクからだって倍増している(International Oil Daily誌5月22日付け記事による)。したがって中国が、経済制裁にあえいできたイランとの関係を、石油輸入によってことさら緊密にした、というのは当たらない。

むしろ、中国とイランの関係でいえば、問題が生じている。じつはひと月ほど前、イランが油田開発のビッグ・プロジェクトで、発注先であった中国CNPC社をクビにした、という驚くべきニュースが業界紙にのった。それも、日本には因縁のアザデガン油田である。アザデガンは世界級の埋蔵量を持つ大油田であるが、開発はまだ進んでいない。資源小国・日本にとって、海外に大きな石油権益を持つことは長年の夢であったが、かねてより原油輸入で比較的良好な関係にあったイランからの申し入れもあって、ここを開発する計画があった。しかし、(Wikipediaなどではきわめて抑えた筆致になっているが)アメリカの横槍があって事実上断念せざるを得ず、結局その一番美味しい果実は中国がもっていったのである。

ところが、中国CNPC社による南アザデガン油田開発プロジェクトの進捗は、ひどく遅れていたらしい。業を煮やしたイランは、数回の公式な警告と3ヶ月間の猶予期間をおいたのち、結局契約をキャンセルしたという。記事によるとイラン側は、現場に来ている中国人たちが「ろくに働きもせずダラダラ遊んでいるだけ」と、相当に辛辣な物言いをしている。言われた方のCNPC社というのは、前回も書いたロシアとの大型ガス商談の契約当事者である。

中国にはCNPC, SINOPEC, CNOOCの大手石油三社があり、どれも貪欲に海外展開中だ。しかし、Petroleum Intelligence誌(5月26日付)はこの事件で、「中国の国営石油会社の海外プロジェクト遂行能力には大きな疑問符がついた」と書いている。じっさい、CNPC社は同じイランで2年前に、巨大ガス田South Pars 11から同様の理由でクビになっているし、そのライバルSINOPEC社もヤダヴァラン油田で似たような状況に陥っている。イランだけではない。アフリカのチャドでは環境汚染をめぐり1200億円の罰金を課せられたり、とにかく中国が近年進めてきた資源投資プロジェクトは、あちこちでほころびを見せているのだ。

さて、イランをめぐっては、もう一つ奇妙なニュースがある。中東問題の専門家である東京財団の佐々木良明氏のBlogで知った(www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/2014/02/no_1832.thml)のだが、英国はイランのメラト銀行に対し、40億ドル(約4,000億円)もの巨額の賠償金を払うというのだ。メラト銀行はイラン最大級の民間銀行である。そこに対し、英国政府が賠償金を支払うべし、と最高裁で判決が出た。なんの賠償か? それは、メラト銀行がイランの核開発プロジェクトに関わっているとの、事実無根な風評を英国政府がまきちらし、営業妨害をしてきたことで生じた、商業上の被害に対してである。つまり、風評被害というわけだ。もっとも英国のThe Guardian紙などによると、英国政府は最高裁判決が出た後も、まだぐずぐずと支払いを遅らせているという。

さて、このニュースは何を意味するのだろうか? 英国は稀に見る公正な民主主義国で、三権分立が確立し、司法が政府の不法を懲罰することもある国家だ、と見ることもできよう(もちろん英国はそう見てほしいだろう)。しかし、もう少しイジワルな見方もある。英国政府は、イランの資源が欲しくて、イランとの関係改善をねらっている。ただし米国との協調関係の手前、表立っては動けない。そこで、司法に賠償金の判決を出してもらった。それすら不服で、従いたくはないのだが、最高裁の命令なのでいたしかたなく払う・・という演出にした。

どちらが真実なのか。むろん、わたしには分からない。たぶん、永久に誰にもわからないのだろう。英国外交とはそういうものなのだ。英国は20世紀のはじめ、イランの石油の1/10とひきかえに、コサック部隊の軍人を支援してクーデターを起こさせた(と聞いている)。シャー・パーレビ政権の誕生だ。日本ではなぜか「パーレビ国王」と誤訳されてきたが、シャーとは、ロシアのツァーなどと同じで、「皇帝」という意味である。パーレビ政権とはその後半世紀の間、ゴタゴタしてきたが、結局イラン革命で追い出されて、関係が切れたままである。英国は隣のイラクとも、思うようにはできていない。ために、そろそろイランとよりを戻すことを考えてるのかもしれない。

ところで、わたしは一年前の記事:「シェールガス革命と、エネルギー価格のゆくえ」 (2013/04/28)で、英国の石油メジャーであるBP社とロシアのロスネフチ社との資本取引を通じて、ロシアが英国に対して、外交上の貸しを作ったことを指摘し、「今後、ロシアの重要なデシジョンにおいて、英国が何らかの後押しを目立たぬ形でするのではないか。」と書いた。

昨今のウクライナ情勢、とくに英国の煮え切らない態度を見ると、昨年のこの予想を裏付けているのではないか、という気がしなくもない。石油・ガス業界のニュースを見ている限り、ロイヤル・ダッチ・シェル社も、BP社も、ロシアとの共同プロジェクトへのコミットメントは継続すると表明している。いや、英国ばかりではない。フランスの準メジャー級石油会社トタルも、米国のExxonMobil社でさえ、ロシアでの投資継続を表明した。つまり、少なくとも現時点では、欧米の石油業界の間には、ロシアと手を切って戦うべきだ、という雰囲気はない。

いや、当事者のロシアとウクライナでさえ、ガスの取引に関しては、いろいろジャブの応酬はあれども決裂状態ではないのだ。石油・ガスの供給には影響がない、とロシア側も欧米側もいっている。ロシアの大手石油・ガス関連企業は、いずれも欧米のメジャーとパートナリングを組んでおり、かつ金融市場から巨額の借金を負っている。つまり、欧州はロシアのガスに依存し、ロシアは欧州の資金に依存している。"If the world shuts down Iranian oil and gas exports, Iran is in trouble. If the world shuts down Russian oil and gas exports, the world is in trouble."(世界がイランの石油・ガスの輸出を禁じれば、イランはこまる。しかし世界がロシアの石油・ガスの輸出を止めれば、こまるのは世界のほうだ)というPetroleum Intelligence Weekly紙(3月10日)が、業界のムードを示しているのだろう。

2月中旬頃だが、ロシア問題を専門とするエコノミストの方の話を聞く機会があった。まだロシアがクリミア半島を併合する前だったが、すでにウクライナ問題がかなり深刻化した時期だ。その時、その専門家は、ウクライナの現在の事態は、ロシアの勢力の増大ではなく、むしろ地盤沈下を示しているのだ、と語ったのが印象に残っている。ロシア経済は長らく不況であり、もはや石油・ガスと武器輸出くらいしか頼るものがない。産業が育っていないのだ。それゆえ、プーチン大統領の権力基盤も実際にはかなり弱まってきた。もしロシアの影響力が非常に強ければ、あんな混乱した状態に陥る前に、もっと目立たぬ形でウクライナを従わることができたはずだ。--そういう話だった。だからこそプーチンは、中国との天然ガス商談を、かなり妥協してでも結びたかったのだろう。

かくして、話は、中国→イラン、イラン→英国、英国→ロシア、ロシア→中国、と一巡する。この順に、それぞれ悩まされる種を抱えており、こっそりギブ&テイクの関係をとりむすぼうとしている訳である。こんな風に、素人が片手間にちょっと見ただけでも、石油・ガス業界の目立たぬニュースをつないでいくと、目に見えにくい蜘蛛の糸のような形で、世界のあちこちがループのごとく結びつきあっていることがわかるのだ。

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だから、できるなら我らが政府にも、こうしたエネルギー関係の情報分析の専門家をおいてほしいと思う。エネルギー基本計画の遂行や修正に必要だからである。情報とロジスティクスは、わたし達の社会において一番弱いところだ。むろん外交や防衛関係分野では、情報専門家が熱心に収集と分析を続けている。しかし、彼らは西シベリアの天然ガスとヘンリー・ハブ価格とのスプレッドなどには、注意を払うまい。え、日本には総合商社がいる? もちろん、商社はそうした情報を知っている。しかし商社にとって情報は飯の種である。他社に知ってほしくない情報は、出すはずはない。だから、専門官がいるべきだと思うのだ。

わたし達が住んでいるこの世界は、見た目より、ずっと複雑なものである。複雑なものは、むりに単純化して理解せずに、複雑なまま頭に入れる努力を払わなければならない。そうしないと、予測を誤るだろう。そして、毎度書いていることだが、予測こそ適切な計画の基礎なのである。
by Tomoichi_Sato | 2014-06-01 23:29 | ビジネス | Comments(0)

交渉学から見たロシア・天然ガス大型商談の実相

仮にあなたが、重要な商談で遠くに出張に行っているとしよう。相手は近ごろ羽振りの良い大企業で、タフな交渉相手だ。あなたは新商品を、この相手に売り込もうとしている。それも一度きりの注文ではない。3年にもわたって継続的に供給する、総額40億円以上の大型商談だ。

長引く不況で、自社の財務状況はピンチにあり、何としてもこの売り込みを成功させたい。それもできれば市場相場に近い価格で決めたいところだ。ただし、あなたの側には弱みが一つある。この新商品はまだ開発中で、早くても半年後でないと供給できないのだ。投資額もかかる。だから、キャッシュフローを考えれば、頭金を少しでももらえるとうれしい、と内心思っている。

さて、出張先で2日間、膝詰めの打合せをしたが、なかなか妥結に至らない。出張日程を延ばすことも難しい。しかし、とうとう帰る時刻の直前に、契約をまとめる事ができた。飛行機に乗り込む直前、あなたは本社にメールを打つ。「無事、販売契約を取れました。それも、こちらの希望する製品価格で決める事ができました。」

さて、あなたのこの商談、成功だったろうか、失敗だったろうか?

売り込みの契約を取れたのだから、成功だ--そう判断する向きもあろう。だが、よく考えてみてほしい。「希望する製品価格で妥結できた」ということは、逆に言うと、頭金はもらえなかったことを意味する。もし、当面は納品もないのに頭金を払ってくれるような場合、タフな相手は必ず、逆に製品価格に値引きを要求してくるはずだ。

ということは、あなたの会社は頭金をもらえず、製品ができるまではろくに収入もないまま、ぎりぎりの状態で、開発投資を続けなければならない。しかも約束してしまったのだから、その開発投資のお金を、別の用途にふり向けることも、もうできない。開発に失敗したら、もうおしまいだろう。

おまけに、あなたが帰りの便に飛び乗る直前にやっとサインできたという状況は、あなたが価格にあらわれない条項で、かなり譲歩したことを意味している。営業マンは、手ぶらでは帰れない。だから、帰る直前の交渉が、一番効くのだ。まったくタフな相手である。--そう考えると、この結果は、成功とはいえ、ほとんど赤点ぎりぎりの成績ということになりそうだ。

そして、今週、ロシアのプーチン大統領が中国を訪問してとりまとめた、超大型の天然ガス商談は、これとよく似たシチュエーションなのだ。

すでにメディアに報道されているように、ロシアは、シベリアの天然ガスを、中国に対して30年間継続して供給する契約を交わした。総契約額は4000億ドル(約40兆円)を上回ったとみられる。
(ロイター報道 http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0E10SH20140521
ウクライナ問題のため欧州と疎遠状態に陥ったプーチンが、アジアに活路を求めて見事に成功した、と報じる向きもある。だが、この話はそんな簡単なものではない。

国家規模のプロジェクトは数字の桁が大きすぎて理解しにくい。そういうときは、金額を1万分の一にすると企業的な規模になり、1億分の一にすると個人的な規模になって分かりやすい。ちなみに日本のGDPは年間500兆円弱だが、これは企業なら500億円、個人なら500万円の年収というわけだ(日本は人口が1億人ちょっとだから、GDPを1億で割るとほぼ一人あたりの数字になる)。最初の『商談』の数値は、その方式で「40兆円」を「40億円」に換算し、さらに時間は10分の1に圧縮し、「30年」から「3年」にして、作ったものだ。

さて、この天然ガスは、シベリアのChayandinskoyeおよびKovyktinskoyeガス田から供給することになっている。だが、どちらのガス田も、まだ生産設備は十分開発されていない。さらに、このガスは通称「シベリアのパワー」と呼ばれる長大なパイプラインで中国に運ばれる。総延長距離は約4,000km。米国の西海岸と東海岸くらいの距離である。そしてこのパイプラインも、これから建設するのだ。したがって、中国にガスが供給されるのは、最低でも4~6年後だと想定される(だから冒頭の例では10分の1で「半年後」に供給予定と書いた)。とにかく、気の遠くなるほど遼遠な、大陸的商談なのだ。

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Power of Siberia Pipeline - Gazprom社ホームページより引用
http://www.gazprom.com/about/production/projects/pipelines/ykv/


契約の詳細は、この文書を書いている現時点では、ほとんど明らかになっていない。ロシア側が中国に求めていた、開発プロジェクトのための投資協力(「頭金」の支払い)についても、中国が受けたのか拒絶したのか、互いに相矛盾した発言が、別々の情報源から聞こえてくる。

ただ、ガス価格については、ロシア側の希望に近い線で妥協できた模様だ。International Oil Daily紙によると、ロシアは$9.75/MMBtuを最低条件と言ってきたが、投資採算性を考えて$11を希望したらしい。他方、中国はトルクメニスタンからの輸入価格と同じ$9以下を要求したが、最終的にはそれ以上を払うことを合意したというのだ。この値段から逆算すると、かりに中国が投資協力するとしても、かなり限定的であることがうかがえる。

ちなみにこの商談、じつは10年以上前からロシアと中国の間で続けられてきた。しかし、ずっと折り合わなかった。主な意見の相違点は、無論、価格だ。最近の報道を見ていると、
 「合意は近い」
 「(プーチンが上海を訪問する)5月までには決まるだろう」
 「価格以外の条項については、全て合意できた」
 「上海で調印するらしい」
ときたが、肝心の上海二日目の夜になっても合意発表はなく、今回も決裂かと思われた。だが、帰る予定の日の朝4時(!)にとうとう合意に達した。いかにギリギリの決断だったかわかるだろう。

金額以外の項目は、すでに事前合意に達していた。すなわち、石油価格に連動するフォーミュラ(方程式)でガス価格を調整するとか、テイク・オア・ペイ条項がある、といた事である。

(テイク・オア・ペイ条項というのは、天然ガス契約によく出てくる条件で、製品を引き取らなくても、金を払わなければいけないという、一見非常識な契約である。食べ物屋にたとえれば、お食事に手をおつけにならなくても、代金はいただきます、ということになる。天然ガスはパイプラインで運ぶ場合も液化して運ぶ場合も、相当の先行設備投資が必要なので、このような条項が出てきたのだ。いわば、100人前の宴会を用意していたのだから、急に宴会やめましたと言われても、それなりのお代はいただきます、という論理である。)

そして結局、価格交渉だけが残った。しかし、大きな案件の交渉をした経験がある人はお分かりと思うが、「お金だけが討議事項」という状況は、交渉戦術上、最も避けるべきことなのだ。なぜなら、交渉とはすなわち天秤の両側にいろいろな果実の重りを置いて、両者が納得できる均衡状態を作ることだからである。そのためには、金額以外に提出できる手持ちの駒が、多ければ多いほどいい。値段の代わりに、保証期間だとか利用権だとか保険だとか頭金(支払タイミング)だとか、あれやこれやを置いてみる。

交渉論の分野に、BATNA (Best Alternative to Negottiated Agreement)という概念がある。最低限譲れない線を割り込んだ場合に、とるべき別の選択肢をいう。これを心の中に持って、交渉の席に着く。ロシア側にとって譲れない線が$9.75だったとしよう。もし価格がそれを割り込んだ場合、中国側から出してもらうべき別の交換条件が、何か必要だ。ところが、他の契約条件にすべて事前合意してしまっていたら、打つ手がなくなる。

結局、プーチンの持ち出した最後の手は、税金の緩和だったらしい。この契約は一応、ガスプロム社と中国CNPC社との企業間契約である。だが、もはやガスプロム社のレベルには、手駒が残っていなかったのだろう。いくら国営企業だといっても、税金までは決められない。だから、プーチン自身も、朝の4時まで交渉を見届けていたのだと思われる。まったく独裁者というのも、楽な商売ではない。

ただしこの結果は、ロシアの交渉戦術の失敗だけで生じた、というより、もともとそれだけ不利な闘いだったと見るべきだろう。交渉の基本的な優劣は、せんじつめると、双方がどれだけたくさんBATNAを持ちうるかで決まる。中国も確かに石油・ガスの一大輸入国だが、選択肢(売り手)は世界中に探しうる。しかしロシアが抱えるシベリアのガス輸出の選択肢(買い手)は、どう見ても地理的に限られているからだ。交渉戦術だけで、この差をひっくり返すのは難しい。むしろ、今は「金額」より「合意のタイミング」の方が重要だ、と考えて決断したプーチン大統領はさすがである。

もっともここまで読んだ方の中には、「お前は結局、何が言いたいんだ」とイライラする人もおられるかもしれない。プーチンをほめてるのか、けなしてるのか。ロシアと中国は親密なのか疎遠なのか。いったいどっちなんだ!?

別にどちらでもない。わたしはプロジェクト・アナリストとして、シベリア天然ガス開発というメガ・プロジェクトの一局面を、限られた情報からザッと分析してみたまでだ。ちょうど、株式アナリストが企業のニュースから、業績の上下を予測するように。今後、取引の詳細が明らかになるにつれ、この分析の当否も明らかになるだろう。

リーダーの人格論や好き嫌いだけで、仕事の成果を評価するやり方は、わたしはとらない。株式アナリストが、経営者の人柄や会社への好き嫌いで株価を予想しないのと同じである。

人格論や好き嫌い、仲の良しあしといった、人間関係のアナロジー(類比)で国家レベルの事案を解釈するのは、たしかに素人にもわかりやすい。しかし予測には適さないと、わたしは考える。現実はもっと複雑だからだ。大企業間の交渉や国家間交渉というのは、握手しながら、同時に空いている方の手で、互いにスキあらば殴り合っているようなものだ。たとえばそれは、最近の中国とイランの石油をめぐる関係を見ればわかる。だが、例によって長くなりすぎた。この話は、次回書こうと思う。

(追記:直近のニュースによると、ガスプロム社のメドヴェージェフ副代表は、中国は頭金として2.5兆円を払い込む約束だと行っている。ただし、このプロジェクトには、ロシア側だけで5.5兆円、さらに中国側パイプライン等でさらに2.2兆円を必要とする。だからロシアは制裁で苦しい中を、さらに資金調達に走らなければならない訳だ。なお、ガス価格については相変わらず口をつぐんでいるが、専門家の間では$10.7という観測も出ている--International Oil Daily紙による)
by Tomoichi_Sato | 2014-05-24 20:28 | ビジネス | Comments(0)

R先生との対話 - 海外に展開する勇気、国内に居続ける知恵

今年の初め頃のことになるが、久しぶりにR先生を訪れた。R先生はわたしの敬愛する、人生の大先輩である。鍋を囲みながら、話はしだいに製造業の海外展開のことになった。

「先日も、知りあいの経営者がやってきて、愚痴混じりに質問してきたよ。海外進出を考えなければいけないが、どこに出るべきか、どうやって出るべきか、教えてほしいとね。」(R先生は米国に何年も暮らしたことがあり、海外事情にも詳しい)

--わたしもたまに、同じ事を聞かれます。しかし、答え方がむずかしいですね。大きく分けて、先進国をねらうか、新興国をめざすか、という選択肢になります。でも、新興国の場合、商品の種類にもよりますが、何よりも値段が勝負です。すると、どうしても高価な日本製は分がわるい。かといって、品質に重きを置いて判断してくれる先進国は、借金まみれで財布の紐が固い。どっちもどっちです。

「当たり前だ。金払いもいい、目も高い、そんなお客ばかりがいるはずはない。自分が買い手の立場の時にはできないことを、外のお客にだけ求めるのはまちがっている。」

--手厳しいお言葉で・・。それで、先生はどうお答えになったんですか?

「外に打って出る市場拡大をめざすか、日本に居続けて市場を深掘りするか、まず腹を決めなさいと話した。」

--それは、どういう意味ですか。少子高齢化で人口増もとまり、国内市場が伸び悩んでいるからこその、海外展開なのでは?

「それが、早計だということだ。日本はいまだ人口1億2千万を有する巨大市場だ。世の中には人口数百万規模の国だってたくさんあるが、そこでもビジネスはちゃんと成立している。年商数十兆円の大企業ならともかく、数十億円の中堅中小が生き続ける道は、工夫次第でいくらでもある。」

--うーん、しかし、かりに日本に居続けたとしても、やはり海外からの輸入品との競争にさらされます。このところは多少円安ですが、輸入関税はどんどん減らす方向にありますから。

「もちろん、小手先のカイゼンや原価低減でしのげる範囲は少ないだろう。人と同じことをやって、価格競争メインで勝ち抜こうとしたら、いきおい原材料費や人件費の安い国に海外工場を、という発想になる。だがな、今日転勤の辞令を出して、明日からパッと外国に赴ける製造マンが、会社に何人いる? 総合商社や、君の所みたいなエンジニアリング会社じゃあるまいし。」

--ま、たしかに海外工場となると、用地の手当から建設まで年単位の時間がかかりますし、投資額だって億の単位です。戦略レベルの決断が求められますが、世の趨勢ではないですか。

「戦略という言葉は、人と違うことをやるときに使うものだ。世の趨勢だかに従って、人と同じ土俵で消耗戦をつづけるのは、戦略などと呼ばぬ。無駄な『戦い』を略し、戦わずして勝つ道こそ肝要だろう? 
 海外に出るのもいい。だが、それは他社とは違うことに挑戦するためにとるべき道だ。それだったら、経営者の勇気を買おう。しかし、恐れで外に出て行くのは、すすめない。同じ労力を使うなら、日本にとどまるために知恵を絞るべきだ。」

--おっしゃることはもっともと思いますが、あえて反論させてください。国内市場は、いろんな意味で構造が成熟しています。ちょっと目先を変えた差別化程度では、競合を避けられません。価格競争を避けろ、ということは、ほとんど業種業態を変えろ、という意味に等しくありませんか? だとしたら海外展開以上に、難しいことのように思えます。

「横に引っ越せとはいってない。工場を地理的に移すのも、市場で業態を変えるのも、横に動くだけという点では似たようなものだ。に深掘りしろといったはずだ。それに、日本に居続けることと国際化することは、矛盾しない。」

--そこがよく分からないのですが・・業態を変えずに市場ニーズを深掘りする、なんてできないと思います。

「はたしてそうかな? 君がいつぞや見に行って、感心して帰ってきた北海道の動物園とやらはどうだね。どこかに引っ越したかな? 業態を変えたかな。」

--ああ、旭山動物園のことですか。うーん、たしかにそうですね。旭川に居続けています。気候は寒いし、周辺人口も少ない立地なのですが。おまけにあそこって、スター的な珍しい動物がほとんどいないんですね。白クマとかペンギンとか、アザラシ、チンパンジー、ニホンザル・・地味な動物がほとんどです。まあ、豹とかはいるけど、あいにく夜行性動物で昼は寝てばっかりいる。
 前にも思ったんですが、もし全国の動物園が、一つの会社のチェーンだったら、本社の経営企画部は真っ先に、旭山動物園の廃止・売却を決めてたでしょうね。でも今じゃ、全国区の知名度をほこる人気です。

「その秘密は何だね?」

--やはり展示のうまさでしょう。見せ方にいろいろ工夫があるんです。あれは、園長だけの知恵じゃなくて、飼育係の人たちのアイデアが集まっている感じでした。

「じゃあ、ほかに、普通の製造業でそういう例を見たことはないかな?」

--いや、それは、普通の工場でしたらQCサークルなんかの小集団活動や提案活動はいくらでも例があります。しかし、それはカラ雑巾を絞るようなカイゼンの工夫ではあっても、工場のあり方自体を変えるようなものではないですね。ムダとりで原価を数パーセント下げても、何割もの為替ギャップにはたちうちできません。どんなに工夫したって、工場が工場でなくなる訳ではありませんし・・

「工場がレジャーランドに変わる訳がない、と。撮影所をテーマパークに仕立てた例はアメリカにもあるがな。」

--だって製造業の本分はモノづくりですから。・・あれ、ちょっと待って。そう言われると何か記憶にひっかかるものがあるような・・えーと。

「何か思いついたかな?」

--・・そういえば、ちょっと変わった例なんですが。工場なのにテーマパークになっちゃったような所があるんです。

「ほう。」

--去年の秋、沖縄の美ら海水族館に行ったんですが、帰りにまだ少し自由時間がありました。人にお勧めの場所を聞いたら、『名護パイナップルパーク』がいい、というので、よってみました。
 場所は名護市ですが、丘陵地にあって、別段、海が見えるわけでもありません。わざわざ観光で寄りたくなるところではないんです。そのパイナップルパーク自体、それほど大きな敷地ではありません。どちらかというと、ファミリー向けの、チープなつくりの施設でした。ところが、それほど広くもない駐車場に、次から次へと来場者を乗せたバスがやってきます。
 首をかしげながらも、とにかく来てしまったんだから、数百円の入場料を払って中に入りました。最初に、グループを数人ずつに分けて、カートみたいな乗り物に乗せていきます。そして、温室の中をぐるぐる巡回しながらいろんな熱帯植物を見せるんですね。ところで、このカートがなかなかくせ者で、運転席にはハンドルがついていて子どもが握ったりできるんですが、これはダミーです。回しても進む方向は関係ない。じゃあどうなっているんだろうと目をこらすと、順路の床面にガイドがついていました。

「ははあ、工場で搬送に使うAGV(Automatic Guided Vehicle)だな!」

--そうなんです! AGVの上に座席をしつらえて、カートみたいに見せている。これって、低コストでうまいやり方ですよね。カートには音声のガイドもつくんですが、これも有線放送とかではなく、単に小さなICレコーダーをつり下げてあるだけです。とにかく、そこここが、低コストながら実際的にできている。これをデザインした奴は、なかなかのアイデアマンだなと感じました。
 最初に温室や、そこに隣接するパイナップル畑の一部を見せるのも、来場者の興味をうまく持続する工夫です。カートの巡回が終わると、建屋の中に誘導されます。展示物の説明は省きますが、子ども連れのファミリー向け施設ですから、そんなに高級な展示じゃありません。でも、それなりに面白い。
 それから、食品加工ラインを、通路のガラス越しに見学できます。その日は休日で機械は止まっていましたが、小規模な充填ラインのように見えました。もちろん、清潔には注意している様子が見て取れます。そして、最後に食品展示コーナーに来きます。ここでも工夫があって、来場者にはお猪口みたいなちいさな試飲用のコップが配られます。そして、パインのジュースからワインまで、いろんな飲料や加工食品を試飲試食できる、というあんばいです。もちろんわたしもお土産に少し買いましたよ。そういう気にさせるんです。

「なるほど。」

--頭の中で、客一人あたりの単価と、入場者数をざっと計算してみましたが、立派な商売の規模です。あんな不利な立地でも、ちゃんと経営できるんだなと、感心しました。それに、従業員もちゃんとしています。小技のような工夫があちこちにあるのですが、あれは経営者一人が考えつくのではなく、働いている人のアイデアを汲み上げているように思えました。

「見学コースの中に、工場の製造ラインの見学がついているのは、いい工夫だな。一つには、買う商品への興味や品質への信頼を得ることができる。と同時に、じつは、見られている側の工場従業員に対しても、きちんと仕事をするモチベーションになる。」

--たしかに、そうですね。
 それで、後から気がついたんですが、あのパイナップルパークというのは、最初はただのパイン畑だったと思うんです。ただ、農産物を売るだけではあきたらずに、小さな飲料の工場(こうば)を隣に作ったんでしょう。
 そのうち、工場に物販コーナーを置いて、製造直売するようになった。来客に、工場も見せるようになった。見せることで、今、先生が言われたような効果もあったでしょう。さらに、来場者に対するサービスとして、だんだんといろいろな展示や工夫を積みかさねていって、とうとう現在のようなミニ・テーマパークにまで発展してきた、と。これは純粋にわたしの想像ですけれどね。

「つまり、農業から出発して、工場が中心になり、いまやサービス業が柱となったという訳か。まるで日本の産業発展史のミニチュアのようだな。」

--おっしゃるとおりです。

「そもそも、パイナップルなんて農産物は、今では沖縄で作っても値段が高くて、安価な海外産に比べて競争力がないはずだ。それだけでは、生きてはいけない。」

--いわれてみると、たしかに農業だけで生きていたら、先はなかったでしょう。食品加工に手を出して、輸入材料なんかも併用すれば、少しは生きながらえるかもしれません。でも、あそこは、さらに一段深掘りして、サービス業まで付加した訳です。それで不況のご時世にも負けず、立派に経営している。感心しました。
 普通の人は、いって、展示を見て、お土産を買って、それで終わりでしょう。でも、後ろにある仕組みが見える人には、別種の面白さがあるんです。経営コンサルタントはみんな、見学に行くべきじゃないかと思ったほどでした。先生にもおすすめしますよ、沖縄は暖かいですし。

「ははは。そうかい。
 ところで、その来場者には、外国人もいただろう?」

--そりゃ、いたと思います。沖縄は、台湾とか、東アジアからの観光客も多いですからね。

「そうか。それこそが、まさに『日本に居ながらにしての国際化』なんだ。君は、その生きた例を見たんだよ。
 工業製品を世界中に売り歩くとか、あるいは、君のところの会社のように、世界中から注文をとって工場を建てる。それはたしかに、グローバルなビジネスだろう。
 だが、知恵と工夫さえあれば、その何とかパークのように、居ながらにして、海外からも顧客を集められるのだ。本当に良いもの、楽しいもの、必要かつ他所にないものを持っているなら、日本にいて、日本語だけをしゃべっていたって、ちゃんと世界中からお客を得ることができるんだよ。」

--うーん。

「ただ、そのためには、頭を使わなくちゃならない。他所と同じことだけやってちゃいけない。そして時には、自分が杖とも柱とも頼みにしてきたものを、商売の端っこにおいやる覚悟もしなくちゃならない。
 そのためには、英語をペラペラしゃべったり、パソコンできれいな資料をまとめたりすることとは、別種の能力がいるんだ。だが、幸いなことに、この国にもまだ、そういう能力を持つ人はおおぜい残っているはずだ。われわれが、それを見抜く目を失わない限りね。」
by Tomoichi_Sato | 2014-05-18 21:48 | ビジネス | Comments(0)

大企業病の作り方、治し方

「自分は『プロジェクト・マネージャー』というほどの者ではなく、『プロジェクト・チームのリーダー』といった役柄です。」——顧客とのチーム・ビルディングの席上で、相手方のトップの米国人はそう語った。聞いていたTさんは、単に謙遜しているのだと思ったそうである。時は'90年代。今ではベテラン・エンジニアのTさんが、やっと担当者レベルを卒業し、小さな1セクションのサブチーフ職に片足をかけた頃のことだ。バブル崩壊で国内市場は低迷し、Tさんの会社がようやく久しぶりに欧米企業から受注できた海外向けビッグ・プロジェクトだったという。Tさん自身も高揚する気持ちをおさえつつ、顧客とのチーム・ビルディングに参加していた。

その顧客はチーム作りのセッションを大切にしていた。彼らは発注者として、かなりの数のチーム・メンバーを、設計期間中にTさんの会社に駐在員として送り込んでくる。無論、Tさんの側も精鋭を結集して、受注側プロジェクト・チームを組織した。たしかに、両者の協力が大事である。冒頭の発言は、そのチーム・ビルディングで出てきた言葉だ。「マネージャーではなく、チーム・リーダー」。そして彼のこの言葉が、実は謙遜でも何でもなく、本当に何も決めてくれない人物であることが判明するまで、たいした日数はかからなかった。

「我々がお客さんに求める最大のこと、それは設計上の問題に対して、きちんと、タイムリーに、そして一貫性を持って決めてくれることです。そうでしょう?」Tさんは語った。「相手は欧米の巨大企業です。そのプロジェクトは、すでに基本設計は子飼いの別の会社と済ませており、実現段階に関する国際入札が行われたわけです。我々も相当の覚悟を決めて応札し、なんとか受注にこぎつけたのです。」海外型プロジェクトでは、分厚い契約書に、非常に詳細な基本設計図書が添付されており、その完全な履行が求められる。一字一句、もれなく履行することが。

「顧客側チームの主な仕事は、我々がきちんと仕様書通りに仕事を進めているかをチェックし、受注者を監視することでした。しかしご承知の通り、どんな基本設計だって完全ではない。具体化していく内に、いろいろ当初は想定していなかった問題点が出てきます。さらに、外部環境の変化もある。法規制が変わったり、市場の需要が思惑をそれたり。しかしこのお客さんは、問題が生じてもちっとも決めてくれません。ただ契約書通りの遂行をもとめるばかりでした。契約書通りでは問題があるから決めてほしいのに。」

Tさんは言葉を続ける。「このときの契約というのが、また、それまで見た中で一番厳しいものでした。納期遅延のペナルティも莫大です。とくに悩みのタネだったのは、『契約書や基本設計書内に矛盾が見つかった場合は、複数ある記述の中で一番厳しい仕様が適用される』という一文でした。こんなおかしな、そして虫のいい話はない。」

しばらくプロジェクトを遂行する内に、Tさんはだんだん気がついた。それは、顧客のチーム・メンバーが実は急ごしらえの寄せ集め、それも臨時雇いの社員も多いことだった。彼らは、プロジェクトが完了し、成果物をオペレーション部門に引き渡すまでが任務だった。つまり、ユーザ部門に頭が上がらないのだ。そして、ユーザたちは、プロジェクトの途中から入ってきては設計に口を出し、契約や経緯も無視して引っかき回していく。それを、顧客側チームは、誰もおさえることができない。

大企業病というのは、こういうものかと思いましたよ。部門間の垣根が高く、みな、自分の部門の都合しか考えない。また、本社の権限が強く、プロジェクト・チームはろくに決定権もあたえられていない。本社の考えは、単純なのでしょう。きっちりした基本設計と厳しい契約書さえ用意すれば、あとは受注企業を監督するだけでいい。そして、プロジェクト・チームのメンバーたちは、我々が出す追加や変更要求を、へたに認めるとクビになる、という状態に置いたのです。

プロジェクトは生き物です。生き物というのは、つまり環境に応じて変化していく、有機的な存在です。しかし、向こうさんは、プロジェクトを生き物として扱わなかった。誰か頭のいい人が紙の上に書いて、あとは下々の者がそれを忠実に実現するだけ、ということなんでしょう。だから、顧客側のメンバーは、決してリスクある決断をしません。もし何かを決断して、うまくない結果が出たら、指示違反として本社から責められるわけです。設計については、いつまでもいつまでもコメント権を留保しました。決して追加を認めないし、納品物もぐずぐずと文句をいうばかりで、ちっとも受け取ってくれない。」

Tさんはそのプロジェクトで、結局2年あまりも泥沼の日々をすごすことになる。

「たぶん欧米の大企業というのは、仕組みを考える人と、仕組みに使われる人の、二種類がいるんでしょうね。使われる側の人間たちは、罰則と脅しで動かすべし、と。こういう組織では、失敗は許されない訳だから、完全主義と前例主義がまかりとおります。完全主義は、やけに過剰な仕様や豪華な品質になってあらわれます。それで余計にコストがかかろうが、それは下の人間の責任範囲ではない。前例主義も当然の結果です。だって前例は必ず成功しているはずですからね、失敗が許されない以上。」

——しかし、前例主義だとしたら、そんな企業ではイノベーションは起きなくなるでしょうね。結局、長続きはしないような気がしますが。・・やや類似した経験を持つわたしは、Tさんにたずねてみた。

「まあ、そもそもプロジェクトというもの自体、新しいものを生みだすためのチャレンジであり、イノベーションの源泉であるはずですよ。だけど、ああいう大企業病のところでは、プロジェクトみたいなリスクの大きな仕事は、結局引き受け手がいなくなるでしょうね。結果が見えないのだもの。
 でも、あの会社は、昔から特殊な権益をもっているんです。軍ともつながりがあり、政治力もある。海外に資源も抱えている。だから、今でも大企業として存続していますよ。ただ、技術開発部門は手放したんじゃないかな。でも欧米では、ベンチャーを買収すれば、新技術は手に入りますからね。」Tさんは、ちょっとため息をついた。

Tさんの話を聞いて、わたしは昔読んだ『パーキンソンの成功法則』という本を思い出した。C・N・パーキンソンはかつて一世を風靡した英国の経営学者で、初期の本は機知に溢れていて面白い。「役人の人数はその仕事の量に関係なく増えていく」という有名な『パーキンソンの法則』、「金は入っただけ出る」という、財政論の第二法則に続いて、企業経営を論じた彼の第三法則は、

 拡大は複雑を意味し、複雑は腐敗を意味する

というものだった。企業が大きくなればなるほど、経営者も管理職も全体が見えなくなる。そこで組織階層やルールで、各部署や社員をしばり、画一化をはかっていくことになる。パーキンソンはこう書いている。

 もし社員がとりかえのきくものでなければならぬとするなら、かれらは、ある標準的なパターンにあわせて、組立てられなければならない。・・(そこに)個性に関する変数を導入すれば、それは動くことができない。(p.261)

かくして大企業には、標準からのブレやリスクを含む提案にはyesとは言わず、noとだけいう人々が増殖していく。彼らの最大の眼目は、自分のクビを維持し、自分の組織を維持し、現状を未来永劫維持していくことである。それ以外の行為は、罰せられるからだ。それでも、大企業というのは、Tさんの指摘のごとく、うまく権益やビジネスモデルさえ確立できていれば、歩みを続けるらしい。だが、「その歩みは活力よりも威厳を示しているだけ」(同書 p.267)なのだ。

では、大企業病を治す方法はあるのか? パーキンソンの処方は、こうだ。

「ホテルの所有者がながいこと留守にしたあと、帰ってきて、ホテルが荒れ放題だったと知った事態にくらべてみることができる。・・これを直す手段はいろいろあるが、いちばん早くて、いちばん効果的なのは、二百人のお客を招いて、カクテルパーティをひらき、三日後に宴会をやり、さらに二日後に舞踏会をやると宣言することである。(中略)他の組織も少なくとも一時的にはこれと同様の方法で甦らすことができる。三つの段階に分けた新計画を宣言するのが手だ。第一段階は社員の能力の範囲内でよい。第二段階は相当困難なこと、そして第三段階は明らかに不可能なことだ。こうした順序で、こうした内容の仕事に直面すれば、どんな組織でも元気をふるいおこすにちがいない。」(p.274)

この処方箋が、ほんとうに巨大な組織にきくのだろうか? わたしには疑問も残る。だが、彼の主張はわかる。それは、企業は永遠に成長し続けることはできない。拡大には退廃が、不可避的に内在する、ということだ。

大企業病はべつに、米国だけに起こるわけではない。どこの地域の、どんな種類の組織にも発生しうる。組織にはそれぞれ個性があるのに、症状はよく似ている。管理階層が分厚くなる、書類に多数の判子やサインがいる、仕事は細分化され、秘密主義がまかりとおる、紙ばかりが増えていく・・。

それら症状の一番根底にある問題は、組織の構成員が、『なぜ』を問わなくなることだ。なぜ、その書類が必要なのか、なぜ、その手続きをするのか、自分はなぜ、この仕事をしているのか。理由が、「ルールで決まっているから」「やらないと自分がクビになるから」という、目前の壁だか枠組みだかで、思考停止するのが、特徴だ。つまり思考停止こそ、大企業病の根本的な病巣なのである。

なぜ、この仕事が会社にとって意味があるのか。いつ、どのような形で価値を生みだすのか。そうした根源的な『なぜ』、射程距離の長い『なぜ』を問うことこそ、自分個人を病巣からひきはなす最良の手段だろう。わたしは少し前に、「なぜなぜ分析」の誤った使い方を批判した。だがわたし達は、本当は品質不良問題などではなく、本来の仕事、標準の仕事についてこそ、『なぜ』を繰り返し問わねばならない。それで会社全体の病状が治るとは、言わない。それは、自分たちを少しでも正気に保つために必要なのである。


<関連エントリ>
 →「決めない人々」 (2009-12-06)
 →「なぜなぜ分析は、危険だ」 (2014-04-26)
by Tomoichi_Sato | 2014-05-11 14:04 | ビジネス | Comments(1)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(2014/04/21) 開催のお知らせ

というわけで、同じ空港ネタ・・ということでは全然ないのですが、「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」の2014年第3回会合を、以下の要領にて開催いたします。

今回は、(株)マーシュブローカージャパン・大野様より、国際空港建設プロジェクトに関するご講演をいただきます。 お金もたっぷりあり、旅客需要も増大中の中東・某国での、大規模国家プロジェクトがなぜ、これほども遅れたのか? ぜひご期待ください。

<記>

日時: 2014年4月21日(月)18:30-20:00
場所: 三田キャンパス・旧図書館・小会議室
    http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html
    ※キャンパスマップ・【2】になります

タイトル: 「国際建設プロジェクトと工事遅延リスク ~なぜ1.5兆円新空港建設は10年かかっても終わらないのか~」

講師: 大野 紳吾 (マーシュブローカージャパン株式会社)

内容:

 発注者側のプロジェクトマネジャーとして7年半従事した中東の新空港建設プロ ジェクトでは、経験豊富なコントラクターをしても想定しなかった様々な事象が起 こり、スケジュールの遅延へと発展していった。
 事例紹介の後、どんな代替策があったのか、代替策が取られていればどんなシナ リオ展開になっていたか、などについて参加者と意見交換を行いたい。

講師プロフィル:

 1997年京都大学工学部建築学科卒業、IE Business School(MBA)修了。大学卒業 後、清水建設に入社し、国内の建設プロジェクトの施工管理業務に従事。
 2000年、米系エンジニアリング会社のBechtel社に転職。中東の新空港建設プロ ジェクトにおいて、発注者の立場で企画・設計・入札・発注・工事監理を行うプロ グラムマネジメントのプロジェクトマネジャーを経験。
 現在、外資系保険ブローカー会社のマーシュブローカージャパンに勤務し、建設 プロジェクトに関するリスクアドバイザリーと保険ブローカー業務を行っている。
 一級建築士、シックスシグマ・グリーンベルト。CIARb(英国仲裁人協会)会 員、日本プロジェクトマネジメント協会(PMAJ)会員、日本コンストラクションマ ネジメント協会(CMAJ)会員。

参加費用: 無料。
 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(1,000円)は免除されます。

参加を希望される方は、確認のためできましたら当日までに佐藤までご連絡ください。
by Tomoichi_Sato | 2014-04-03 21:36 | ビジネス | Comments(0)

Pushで標準化し、Pullで差別化する

包丁で食材を切るとき、わたしは押して切るくせがある。しかし料理番組を見ても、身近な人を見ても、ふつうは包丁を引きながら切るようだ。ちなみに、自分が料理を覚えたのは、3ヶ月ほどアメリカの留学生寮に一人で住んでいたときだった。アメリカ人は、押して切る人が多い。別にそれを見て真似たつもりは全然ないのだが・・でも、日本とアメリカとでは、ちょっとした道具の使い方が正反対なことが意外だった。ノコギリや鉋などでも、日本と西洋では方向が反対である。日本は引いて切るのに、彼らは押して切る。

そのことから、「米国はPush型、日本はPull型だ」などと陳腐な比較文化論を述べるつもりはない。だが、それにしても、セールスのあり方などで日米はずいぶん違うな、と感じることはある。アメリカ人のセールスは、やはりPush〔押し)が基本である。来日した米国の大手ベンダーのシニア・マネジメントなどと話していると、「我が社の製品はこれほどの市場シェアを持っており、TOP 500企業の内、あの会社もこの会社も使って満足している。」という自信満々の話が続き、「だからお前も、買うのが当然だ」みたいな雰囲気になってくる。余計なお世話だろ、と思うが、こちらが「よく考えさせてくれ」と婉曲話法で言っても、「じゃあ、よく考えてくれ。きっと、導入すべきという結論になるはずだ。」と、こちらの心中を意に介さず、どんどん話を進めてしまう。まあ、そういうビジネス文化なのであろう。

ところで、わが同胞の技術者や営業マンたちはどうか--いや、そんな第三者目線で語るのはやめよう。自分自身はどうなのか? ちょうどその逆である。ちょっと弱気な笑顔で受け答えし、顧客の強引とも思える要求にも、あまりNOと言わない。「NOと言えない日本人」の典型かもしれぬ。ただ、多少弁解するならば、海外ビジネスの現場で行き会う同胞たちも、それほど違うようには見えない。わたし達は、よほど「お客様本位」あるいは「ご無理ごもっとも」のスタンスが骨がらみなのだろうか。まあ、その昔、日本が輸出産業花盛りで「電子立国ニッポン」などと自信満々だった時代には、もっと違っていたのかもしれない。だが、受注ビジネスが取引の主流になりつつある現在、建設業であれ、機械系インフラ輸出であれ、はたまた通信システムであれ、なんだか皆さんずいぶんPull〔受け身〕に見える。

もちろん海外ビジネスの場合、言語の壁や文化の障壁などがあって、あまり自信を持ちにくい点はある。しかし、では、ひるがえって国内ビジネスの現場ではどうか。建設、産業機械、物流、SIなど、いわゆる受注産業の人々は、やはりけっこうPull型スタンスが多いように思われれる。

受け身といっても、消極的という意味では、必ずしもない。顧客の出してくるいろいろな高度な要求を、どう技術的に実現するか、との観点で考えているエンジニアは多いはずだ。そこには無論、チャレンジもある。難しい仕様を、きちんと実装できる能力は当然、高く評価されるべきだ。ただ、技術面ではそれで良いとしても、受注価格や納期や契約条件といった、いわゆるコマーシャルな営業条件まで、相手の言いなりでずるずる土俵際まで引いてしまうようだと、ビジネス全体としてはかなりつらいことになる。

いや、技術面でも、Pull型の態度には一つ問題がある。わたしがしばしばそれを感じるのは、たとえばITエンジニアのスタンスがPull型すぎることだ。受託開発のSIer、社内の情報システム部門、いずれの場合も「ユーザからの要求仕様」をどう実現しようかと、必死に知恵を絞る。だが、逆にユーザに対し「こういう機能があるから、こう業務をかえてみたらどうですか」という提案能力をこそ、実はユーザ側も望んでいるのではないか。提案というのは、まさしくPush型の態度である。

自分の経験も、ひとつ書いておこう。エンジニアリング会社につとめているが、もう随分前、わたしがはじめてキーパーソンとして顧客向けの仕事をしたとき、それは新工場建設を前提とした情報系の構築だった。設計フェーズで客先と打合せた際、例によってNOとうまく言えなかったわたしは、新しい追加要望をひきうけて会社に戻った。上司に怒られるだろうな、とは予期していたし、事実叱られたが、叱られる理由は、工数が増えたとか納期が厳しくなった、といったことではなかった。「言われたことを何でも引き受けるな。お前には設計のスタンスというものがないのか!」といって怒られたのだ。

スタンスと言ったって、機能モジュールの構成やDB構造などは、ある意味こちらが勝手に設計したことではないか。それが崩れるからと入って、顧客にNOといえるのか。当時のわたしは、怒られた理由がよく分からなかった。

ここで再び米国のIT企業人の態度を思い起こそう。いささか居丈高だが、ともかく「あなた方ユーザはこうすべきです」という主張に満ちあふれている。それを『ベスト・プラクティス』です、などと売りつける豪腕さも持っている。だから、彼らはパッケージ・ソフトの開発に強い。また米国企業はパッケージ・ソフトの普及も早い。OSやOfficeソフトなどにパッケージを使うのは当然として、いわゆる業務系システムなどにも、かなりパッケージが売られている。パッケージ・ソフトはまさに「Push型」の文化が生み出した製品と言えよう。そして、多少業務に合わないところがあっても、パッケージに業務を合わせる形で使いこなしていく。

ところが、わたしの知る限り、日本ではERPパッケージなどでも、アドオンとカスタマイズがてんこ盛り、というのが普通の事情である。そりゃまあ、伝票の1行を入力するのに数画面を行き来しなければならないようなパッケージは、何か一工夫したくなるのも道理ではある。また、長期手形決済だとか販売完了後の値引きだとか、西洋ではあまり見かけない商慣習を実装する必要も、たしかにあっただろう。しかし、それだけでなく、各ユーザ部門の固有で独特の要求事項、例外処理などもかなり盛り込んで、膨れあがった事例も多いはずだ。そして、それ以上に多いのは、「やはりパッケージはウチの業務には合わないから」ゼロから自社開発するケースではなかったか。個別開発は、まさにPull型スタンスの極致と言うべきだろう。

誤解しないでほしい。わたしはなにも、パッケージ・ソフトが素晴らしくて自社開発がダメだなどと主張しているのではない。米国が何でも良くて、日本は何でも遅れている、などと主張したいのでもない。米国製のパッケージの低品質には、正直、何度も煮え湯を飲まされた。じっさい米国人は、バグはユーザが見つけるべきものだ、と思っている節がある(笑)。以前、JUASの統計を紹介したが、日本のソフトウェアは、見かけは格好良くなくても、とにかくバグは段違いに少ない。

ただ、これはある米国のIT企業の副社長から面と向かって言われたことだが、「ITエンジニアは基本的に自分で作るのが好き」なのである。だから、(予算が許す限り)自分で作りたい。パッケージを買ってきて箱から出すだけ、では仕事をしたという気持ちになれない、のだろう。こうして自社開発や委託開発が増えていくわけだが、当然その行く先は見えている。ユーザ要件に対して、基本的にNOは言わないのだから、システムは膨れるに決まっている。運用も修正改善もどんどん負担は増えるばかり。かくして、高額のIT予算にいきり立ったトップから、ある日ばっさりと切って捨てられることになりかねない。仕事が好きなるが故に、一生懸命努力した結果、自分の仕事の土台を失う結果をもたらすのである。

では、パッケージで、ソフトに仕事を合わせる(Push型)べきなのか、作り込みで、仕事にソフトを合わせる(Pull型)べきなのか。ここまでの書きぶりでお分かりだろうが、わたしはどちらかが正解で他方は間違いだ、という風には考えていない。使い分けなのである。だが、賢い使い分けとはどういうものか?

わたしが学んだ答えは、とても単純である。もし、ある業務が、業界内で共通な仕事、あるいは業界を超えてどこでもほぼ共通な仕事なら、パッケージを利用して標準化すべきである。その方が当然コストが安くなる。たとえば今さら誰もワープロを自社開発しないのは、文書作成がどんな組織でも殆ど共通の作業だからである。

他方、ある業務が、他社にない独自なもので、自社の差別化や競争力強化に大きく貢献しているなら、それは自社で作り込むべきである。よそにはない業務なのだから、第一、パッケージ標準機能にあるはずがない。

パッケージ(Push)で標準化し、作り込み(Pull)で差別化する。これは単純な原則で、誰でも落ちついて考えれば、同じ結論になるだろう。「内示でPushし、かんばんでPullする」トヨタ方式と、ちょっとだけ似ている。

しかし、もちろんこの原則があったとしても、社内の論議は簡単には決着しない。なぜなら、「どの仕事が差別化業務か」を見分けるためには、そもそも「自社の強みは何か」を、客観的に知らなければならないからだ。他社と違うことがすべて差別化ではない。自社の強みにつながらないような独自業務は、たんなる「変な習慣」でしかない。「強み」なのか「因習」なのか。それは、当事者にはじつはなかなか分からないものだ。客観的に見分けるられるのは、第三者的なコンサルタントか、あるいは、いろいろな範囲の業務プロセスを見てきたITエンジニアであるはずだ。

だから、提案能力のある、Push型のITエンジニアがもっと必要だとわたしは考えるのである。かつて上司が言った「設計のスタンス」も、その事を指していたのだと、今になるとようやく分かる。もっと若いうちに、理解しておけばよかった。というわけで、せめてこの拙文を読む人には、分かってほしいのだ。そして、ユーザがへんてこな要求をしたら、“それは設計思想に合いません”と、NOと言えるだけの『Push力』を持ってほしいと願うのである。


<関連エントリ>
 →「Pushで計画し、Pullで調整する
 →「ITエンジニアの『生産性』と、データ・サイエンスの微妙な関係

by Tomoichi_Sato | 2014-03-04 22:17 | ビジネス | Comments(0)