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R先生との対話 - 海外に展開する勇気、国内に居続ける知恵

今年の初め頃のことになるが、久しぶりにR先生を訪れた。R先生はわたしの敬愛する、人生の大先輩である。鍋を囲みながら、話はしだいに製造業の海外展開のことになった。

「先日も、知りあいの経営者がやってきて、愚痴混じりに質問してきたよ。海外進出を考えなければいけないが、どこに出るべきか、どうやって出るべきか、教えてほしいとね。」(R先生は米国に何年も暮らしたことがあり、海外事情にも詳しい)

--わたしもたまに、同じ事を聞かれます。しかし、答え方がむずかしいですね。大きく分けて、先進国をねらうか、新興国をめざすか、という選択肢になります。でも、新興国の場合、商品の種類にもよりますが、何よりも値段が勝負です。すると、どうしても高価な日本製は分がわるい。かといって、品質に重きを置いて判断してくれる先進国は、借金まみれで財布の紐が固い。どっちもどっちです。

「当たり前だ。金払いもいい、目も高い、そんなお客ばかりがいるはずはない。自分が買い手の立場の時にはできないことを、外のお客にだけ求めるのはまちがっている。」

--手厳しいお言葉で・・。それで、先生はどうお答えになったんですか?

「外に打って出る市場拡大をめざすか、日本に居続けて市場を深掘りするか、まず腹を決めなさいと話した。」

--それは、どういう意味ですか。少子高齢化で人口増もとまり、国内市場が伸び悩んでいるからこその、海外展開なのでは?

「それが、早計だということだ。日本はいまだ人口1億2千万を有する巨大市場だ。世の中には人口数百万規模の国だってたくさんあるが、そこでもビジネスはちゃんと成立している。年商数十兆円の大企業ならともかく、数十億円の中堅中小が生き続ける道は、工夫次第でいくらでもある。」

--うーん、しかし、かりに日本に居続けたとしても、やはり海外からの輸入品との競争にさらされます。このところは多少円安ですが、輸入関税はどんどん減らす方向にありますから。

「もちろん、小手先のカイゼンや原価低減でしのげる範囲は少ないだろう。人と同じことをやって、価格競争メインで勝ち抜こうとしたら、いきおい原材料費や人件費の安い国に海外工場を、という発想になる。だがな、今日転勤の辞令を出して、明日からパッと外国に赴ける製造マンが、会社に何人いる? 総合商社や、君の所みたいなエンジニアリング会社じゃあるまいし。」

--ま、たしかに海外工場となると、用地の手当から建設まで年単位の時間がかかりますし、投資額だって億の単位です。戦略レベルの決断が求められますが、世の趨勢ではないですか。

「戦略という言葉は、人と違うことをやるときに使うものだ。世の趨勢だかに従って、人と同じ土俵で消耗戦をつづけるのは、戦略などと呼ばぬ。無駄な『戦い』を略し、戦わずして勝つ道こそ肝要だろう? 
 海外に出るのもいい。だが、それは他社とは違うことに挑戦するためにとるべき道だ。それだったら、経営者の勇気を買おう。しかし、恐れで外に出て行くのは、すすめない。同じ労力を使うなら、日本にとどまるために知恵を絞るべきだ。」

--おっしゃることはもっともと思いますが、あえて反論させてください。国内市場は、いろんな意味で構造が成熟しています。ちょっと目先を変えた差別化程度では、競合を避けられません。価格競争を避けろ、ということは、ほとんど業種業態を変えろ、という意味に等しくありませんか? だとしたら海外展開以上に、難しいことのように思えます。

「横に引っ越せとはいってない。工場を地理的に移すのも、市場で業態を変えるのも、横に動くだけという点では似たようなものだ。に深掘りしろといったはずだ。それに、日本に居続けることと国際化することは、矛盾しない。」

--そこがよく分からないのですが・・業態を変えずに市場ニーズを深掘りする、なんてできないと思います。

「はたしてそうかな? 君がいつぞや見に行って、感心して帰ってきた北海道の動物園とやらはどうだね。どこかに引っ越したかな? 業態を変えたかな。」

--ああ、旭山動物園のことですか。うーん、たしかにそうですね。旭川に居続けています。気候は寒いし、周辺人口も少ない立地なのですが。おまけにあそこって、スター的な珍しい動物がほとんどいないんですね。白クマとかペンギンとか、アザラシ、チンパンジー、ニホンザル・・地味な動物がほとんどです。まあ、豹とかはいるけど、あいにく夜行性動物で昼は寝てばっかりいる。
 前にも思ったんですが、もし全国の動物園が、一つの会社のチェーンだったら、本社の経営企画部は真っ先に、旭山動物園の廃止・売却を決めてたでしょうね。でも今じゃ、全国区の知名度をほこる人気です。

「その秘密は何だね?」

--やはり展示のうまさでしょう。見せ方にいろいろ工夫があるんです。あれは、園長だけの知恵じゃなくて、飼育係の人たちのアイデアが集まっている感じでした。

「じゃあ、ほかに、普通の製造業でそういう例を見たことはないかな?」

--いや、それは、普通の工場でしたらQCサークルなんかの小集団活動や提案活動はいくらでも例があります。しかし、それはカラ雑巾を絞るようなカイゼンの工夫ではあっても、工場のあり方自体を変えるようなものではないですね。ムダとりで原価を数パーセント下げても、何割もの為替ギャップにはたちうちできません。どんなに工夫したって、工場が工場でなくなる訳ではありませんし・・

「工場がレジャーランドに変わる訳がない、と。撮影所をテーマパークに仕立てた例はアメリカにもあるがな。」

--だって製造業の本分はモノづくりですから。・・あれ、ちょっと待って。そう言われると何か記憶にひっかかるものがあるような・・えーと。

「何か思いついたかな?」

--・・そういえば、ちょっと変わった例なんですが。工場なのにテーマパークになっちゃったような所があるんです。

「ほう。」

--去年の秋、沖縄の美ら海水族館に行ったんですが、帰りにまだ少し自由時間がありました。人にお勧めの場所を聞いたら、『名護パイナップルパーク』がいい、というので、よってみました。
 場所は名護市ですが、丘陵地にあって、別段、海が見えるわけでもありません。わざわざ観光で寄りたくなるところではないんです。そのパイナップルパーク自体、それほど大きな敷地ではありません。どちらかというと、ファミリー向けの、チープなつくりの施設でした。ところが、それほど広くもない駐車場に、次から次へと来場者を乗せたバスがやってきます。
 首をかしげながらも、とにかく来てしまったんだから、数百円の入場料を払って中に入りました。最初に、グループを数人ずつに分けて、カートみたいな乗り物に乗せていきます。そして、温室の中をぐるぐる巡回しながらいろんな熱帯植物を見せるんですね。ところで、このカートがなかなかくせ者で、運転席にはハンドルがついていて子どもが握ったりできるんですが、これはダミーです。回しても進む方向は関係ない。じゃあどうなっているんだろうと目をこらすと、順路の床面にガイドがついていました。

「ははあ、工場で搬送に使うAGV(Automatic Guided Vehicle)だな!」

--そうなんです! AGVの上に座席をしつらえて、カートみたいに見せている。これって、低コストでうまいやり方ですよね。カートには音声のガイドもつくんですが、これも有線放送とかではなく、単に小さなICレコーダーをつり下げてあるだけです。とにかく、そこここが、低コストながら実際的にできている。これをデザインした奴は、なかなかのアイデアマンだなと感じました。
 最初に温室や、そこに隣接するパイナップル畑の一部を見せるのも、来場者の興味をうまく持続する工夫です。カートの巡回が終わると、建屋の中に誘導されます。展示物の説明は省きますが、子ども連れのファミリー向け施設ですから、そんなに高級な展示じゃありません。でも、それなりに面白い。
 それから、食品加工ラインを、通路のガラス越しに見学できます。その日は休日で機械は止まっていましたが、小規模な充填ラインのように見えました。もちろん、清潔には注意している様子が見て取れます。そして、最後に食品展示コーナーに来きます。ここでも工夫があって、来場者にはお猪口みたいなちいさな試飲用のコップが配られます。そして、パインのジュースからワインまで、いろんな飲料や加工食品を試飲試食できる、というあんばいです。もちろんわたしもお土産に少し買いましたよ。そういう気にさせるんです。

「なるほど。」

--頭の中で、客一人あたりの単価と、入場者数をざっと計算してみましたが、立派な商売の規模です。あんな不利な立地でも、ちゃんと経営できるんだなと、感心しました。それに、従業員もちゃんとしています。小技のような工夫があちこちにあるのですが、あれは経営者一人が考えつくのではなく、働いている人のアイデアを汲み上げているように思えました。

「見学コースの中に、工場の製造ラインの見学がついているのは、いい工夫だな。一つには、買う商品への興味や品質への信頼を得ることができる。と同時に、じつは、見られている側の工場従業員に対しても、きちんと仕事をするモチベーションになる。」

--たしかに、そうですね。
 それで、後から気がついたんですが、あのパイナップルパークというのは、最初はただのパイン畑だったと思うんです。ただ、農産物を売るだけではあきたらずに、小さな飲料の工場(こうば)を隣に作ったんでしょう。
 そのうち、工場に物販コーナーを置いて、製造直売するようになった。来客に、工場も見せるようになった。見せることで、今、先生が言われたような効果もあったでしょう。さらに、来場者に対するサービスとして、だんだんといろいろな展示や工夫を積みかさねていって、とうとう現在のようなミニ・テーマパークにまで発展してきた、と。これは純粋にわたしの想像ですけれどね。

「つまり、農業から出発して、工場が中心になり、いまやサービス業が柱となったという訳か。まるで日本の産業発展史のミニチュアのようだな。」

--おっしゃるとおりです。

「そもそも、パイナップルなんて農産物は、今では沖縄で作っても値段が高くて、安価な海外産に比べて競争力がないはずだ。それだけでは、生きてはいけない。」

--いわれてみると、たしかに農業だけで生きていたら、先はなかったでしょう。食品加工に手を出して、輸入材料なんかも併用すれば、少しは生きながらえるかもしれません。でも、あそこは、さらに一段深掘りして、サービス業まで付加した訳です。それで不況のご時世にも負けず、立派に経営している。感心しました。
 普通の人は、いって、展示を見て、お土産を買って、それで終わりでしょう。でも、後ろにある仕組みが見える人には、別種の面白さがあるんです。経営コンサルタントはみんな、見学に行くべきじゃないかと思ったほどでした。先生にもおすすめしますよ、沖縄は暖かいですし。

「ははは。そうかい。
 ところで、その来場者には、外国人もいただろう?」

--そりゃ、いたと思います。沖縄は、台湾とか、東アジアからの観光客も多いですからね。

「そうか。それこそが、まさに『日本に居ながらにしての国際化』なんだ。君は、その生きた例を見たんだよ。
 工業製品を世界中に売り歩くとか、あるいは、君のところの会社のように、世界中から注文をとって工場を建てる。それはたしかに、グローバルなビジネスだろう。
 だが、知恵と工夫さえあれば、その何とかパークのように、居ながらにして、海外からも顧客を集められるのだ。本当に良いもの、楽しいもの、必要かつ他所にないものを持っているなら、日本にいて、日本語だけをしゃべっていたって、ちゃんと世界中からお客を得ることができるんだよ。」

--うーん。

「ただ、そのためには、頭を使わなくちゃならない。他所と同じことだけやってちゃいけない。そして時には、自分が杖とも柱とも頼みにしてきたものを、商売の端っこにおいやる覚悟もしなくちゃならない。
 そのためには、英語をペラペラしゃべったり、パソコンできれいな資料をまとめたりすることとは、別種の能力がいるんだ。だが、幸いなことに、この国にもまだ、そういう能力を持つ人はおおぜい残っているはずだ。われわれが、それを見抜く目を失わない限りね。」
by Tomoichi_Sato | 2014-05-18 21:48 | ビジネス | Comments(0)

大企業病の作り方、治し方

「自分は『プロジェクト・マネージャー』というほどの者ではなく、『プロジェクト・チームのリーダー』といった役柄です。」——顧客とのチーム・ビルディングの席上で、相手方のトップの米国人はそう語った。聞いていたTさんは、単に謙遜しているのだと思ったそうである。時は'90年代。今ではベテラン・エンジニアのTさんが、やっと担当者レベルを卒業し、小さな1セクションのサブチーフ職に片足をかけた頃のことだ。バブル崩壊で国内市場は低迷し、Tさんの会社がようやく久しぶりに欧米企業から受注できた海外向けビッグ・プロジェクトだったという。Tさん自身も高揚する気持ちをおさえつつ、顧客とのチーム・ビルディングに参加していた。

その顧客はチーム作りのセッションを大切にしていた。彼らは発注者として、かなりの数のチーム・メンバーを、設計期間中にTさんの会社に駐在員として送り込んでくる。無論、Tさんの側も精鋭を結集して、受注側プロジェクト・チームを組織した。たしかに、両者の協力が大事である。冒頭の発言は、そのチーム・ビルディングで出てきた言葉だ。「マネージャーではなく、チーム・リーダー」。そして彼のこの言葉が、実は謙遜でも何でもなく、本当に何も決めてくれない人物であることが判明するまで、たいした日数はかからなかった。

「我々がお客さんに求める最大のこと、それは設計上の問題に対して、きちんと、タイムリーに、そして一貫性を持って決めてくれることです。そうでしょう?」Tさんは語った。「相手は欧米の巨大企業です。そのプロジェクトは、すでに基本設計は子飼いの別の会社と済ませており、実現段階に関する国際入札が行われたわけです。我々も相当の覚悟を決めて応札し、なんとか受注にこぎつけたのです。」海外型プロジェクトでは、分厚い契約書に、非常に詳細な基本設計図書が添付されており、その完全な履行が求められる。一字一句、もれなく履行することが。

「顧客側チームの主な仕事は、我々がきちんと仕様書通りに仕事を進めているかをチェックし、受注者を監視することでした。しかしご承知の通り、どんな基本設計だって完全ではない。具体化していく内に、いろいろ当初は想定していなかった問題点が出てきます。さらに、外部環境の変化もある。法規制が変わったり、市場の需要が思惑をそれたり。しかしこのお客さんは、問題が生じてもちっとも決めてくれません。ただ契約書通りの遂行をもとめるばかりでした。契約書通りでは問題があるから決めてほしいのに。」

Tさんは言葉を続ける。「このときの契約というのが、また、それまで見た中で一番厳しいものでした。納期遅延のペナルティも莫大です。とくに悩みのタネだったのは、『契約書や基本設計書内に矛盾が見つかった場合は、複数ある記述の中で一番厳しい仕様が適用される』という一文でした。こんなおかしな、そして虫のいい話はない。」

しばらくプロジェクトを遂行する内に、Tさんはだんだん気がついた。それは、顧客のチーム・メンバーが実は急ごしらえの寄せ集め、それも臨時雇いの社員も多いことだった。彼らは、プロジェクトが完了し、成果物をオペレーション部門に引き渡すまでが任務だった。つまり、ユーザ部門に頭が上がらないのだ。そして、ユーザたちは、プロジェクトの途中から入ってきては設計に口を出し、契約や経緯も無視して引っかき回していく。それを、顧客側チームは、誰もおさえることができない。

大企業病というのは、こういうものかと思いましたよ。部門間の垣根が高く、みな、自分の部門の都合しか考えない。また、本社の権限が強く、プロジェクト・チームはろくに決定権もあたえられていない。本社の考えは、単純なのでしょう。きっちりした基本設計と厳しい契約書さえ用意すれば、あとは受注企業を監督するだけでいい。そして、プロジェクト・チームのメンバーたちは、我々が出す追加や変更要求を、へたに認めるとクビになる、という状態に置いたのです。

プロジェクトは生き物です。生き物というのは、つまり環境に応じて変化していく、有機的な存在です。しかし、向こうさんは、プロジェクトを生き物として扱わなかった。誰か頭のいい人が紙の上に書いて、あとは下々の者がそれを忠実に実現するだけ、ということなんでしょう。だから、顧客側のメンバーは、決してリスクある決断をしません。もし何かを決断して、うまくない結果が出たら、指示違反として本社から責められるわけです。設計については、いつまでもいつまでもコメント権を留保しました。決して追加を認めないし、納品物もぐずぐずと文句をいうばかりで、ちっとも受け取ってくれない。」

Tさんはそのプロジェクトで、結局2年あまりも泥沼の日々をすごすことになる。

「たぶん欧米の大企業というのは、仕組みを考える人と、仕組みに使われる人の、二種類がいるんでしょうね。使われる側の人間たちは、罰則と脅しで動かすべし、と。こういう組織では、失敗は許されない訳だから、完全主義と前例主義がまかりとおります。完全主義は、やけに過剰な仕様や豪華な品質になってあらわれます。それで余計にコストがかかろうが、それは下の人間の責任範囲ではない。前例主義も当然の結果です。だって前例は必ず成功しているはずですからね、失敗が許されない以上。」

——しかし、前例主義だとしたら、そんな企業ではイノベーションは起きなくなるでしょうね。結局、長続きはしないような気がしますが。・・やや類似した経験を持つわたしは、Tさんにたずねてみた。

「まあ、そもそもプロジェクトというもの自体、新しいものを生みだすためのチャレンジであり、イノベーションの源泉であるはずですよ。だけど、ああいう大企業病のところでは、プロジェクトみたいなリスクの大きな仕事は、結局引き受け手がいなくなるでしょうね。結果が見えないのだもの。
 でも、あの会社は、昔から特殊な権益をもっているんです。軍ともつながりがあり、政治力もある。海外に資源も抱えている。だから、今でも大企業として存続していますよ。ただ、技術開発部門は手放したんじゃないかな。でも欧米では、ベンチャーを買収すれば、新技術は手に入りますからね。」Tさんは、ちょっとため息をついた。

Tさんの話を聞いて、わたしは昔読んだ『パーキンソンの成功法則』という本を思い出した。C・N・パーキンソンはかつて一世を風靡した英国の経営学者で、初期の本は機知に溢れていて面白い。「役人の人数はその仕事の量に関係なく増えていく」という有名な『パーキンソンの法則』、「金は入っただけ出る」という、財政論の第二法則に続いて、企業経営を論じた彼の第三法則は、

 拡大は複雑を意味し、複雑は腐敗を意味する

というものだった。企業が大きくなればなるほど、経営者も管理職も全体が見えなくなる。そこで組織階層やルールで、各部署や社員をしばり、画一化をはかっていくことになる。パーキンソンはこう書いている。

 もし社員がとりかえのきくものでなければならぬとするなら、かれらは、ある標準的なパターンにあわせて、組立てられなければならない。・・(そこに)個性に関する変数を導入すれば、それは動くことができない。(p.261)

かくして大企業には、標準からのブレやリスクを含む提案にはyesとは言わず、noとだけいう人々が増殖していく。彼らの最大の眼目は、自分のクビを維持し、自分の組織を維持し、現状を未来永劫維持していくことである。それ以外の行為は、罰せられるからだ。それでも、大企業というのは、Tさんの指摘のごとく、うまく権益やビジネスモデルさえ確立できていれば、歩みを続けるらしい。だが、「その歩みは活力よりも威厳を示しているだけ」(同書 p.267)なのだ。

では、大企業病を治す方法はあるのか? パーキンソンの処方は、こうだ。

「ホテルの所有者がながいこと留守にしたあと、帰ってきて、ホテルが荒れ放題だったと知った事態にくらべてみることができる。・・これを直す手段はいろいろあるが、いちばん早くて、いちばん効果的なのは、二百人のお客を招いて、カクテルパーティをひらき、三日後に宴会をやり、さらに二日後に舞踏会をやると宣言することである。(中略)他の組織も少なくとも一時的にはこれと同様の方法で甦らすことができる。三つの段階に分けた新計画を宣言するのが手だ。第一段階は社員の能力の範囲内でよい。第二段階は相当困難なこと、そして第三段階は明らかに不可能なことだ。こうした順序で、こうした内容の仕事に直面すれば、どんな組織でも元気をふるいおこすにちがいない。」(p.274)

この処方箋が、ほんとうに巨大な組織にきくのだろうか? わたしには疑問も残る。だが、彼の主張はわかる。それは、企業は永遠に成長し続けることはできない。拡大には退廃が、不可避的に内在する、ということだ。

大企業病はべつに、米国だけに起こるわけではない。どこの地域の、どんな種類の組織にも発生しうる。組織にはそれぞれ個性があるのに、症状はよく似ている。管理階層が分厚くなる、書類に多数の判子やサインがいる、仕事は細分化され、秘密主義がまかりとおる、紙ばかりが増えていく・・。

それら症状の一番根底にある問題は、組織の構成員が、『なぜ』を問わなくなることだ。なぜ、その書類が必要なのか、なぜ、その手続きをするのか、自分はなぜ、この仕事をしているのか。理由が、「ルールで決まっているから」「やらないと自分がクビになるから」という、目前の壁だか枠組みだかで、思考停止するのが、特徴だ。つまり思考停止こそ、大企業病の根本的な病巣なのである。

なぜ、この仕事が会社にとって意味があるのか。いつ、どのような形で価値を生みだすのか。そうした根源的な『なぜ』、射程距離の長い『なぜ』を問うことこそ、自分個人を病巣からひきはなす最良の手段だろう。わたしは少し前に、「なぜなぜ分析」の誤った使い方を批判した。だがわたし達は、本当は品質不良問題などではなく、本来の仕事、標準の仕事についてこそ、『なぜ』を繰り返し問わねばならない。それで会社全体の病状が治るとは、言わない。それは、自分たちを少しでも正気に保つために必要なのである。


<関連エントリ>
 →「決めない人々」 (2009-12-06)
 →「なぜなぜ分析は、危険だ」 (2014-04-26)
by Tomoichi_Sato | 2014-05-11 14:04 | ビジネス | Comments(1)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(2014/04/21) 開催のお知らせ

というわけで、同じ空港ネタ・・ということでは全然ないのですが、「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」の2014年第3回会合を、以下の要領にて開催いたします。

今回は、(株)マーシュブローカージャパン・大野様より、国際空港建設プロジェクトに関するご講演をいただきます。 お金もたっぷりあり、旅客需要も増大中の中東・某国での、大規模国家プロジェクトがなぜ、これほども遅れたのか? ぜひご期待ください。

<記>

日時: 2014年4月21日(月)18:30-20:00
場所: 三田キャンパス・旧図書館・小会議室
    http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html
    ※キャンパスマップ・【2】になります

タイトル: 「国際建設プロジェクトと工事遅延リスク ~なぜ1.5兆円新空港建設は10年かかっても終わらないのか~」

講師: 大野 紳吾 (マーシュブローカージャパン株式会社)

内容:

 発注者側のプロジェクトマネジャーとして7年半従事した中東の新空港建設プロ ジェクトでは、経験豊富なコントラクターをしても想定しなかった様々な事象が起 こり、スケジュールの遅延へと発展していった。
 事例紹介の後、どんな代替策があったのか、代替策が取られていればどんなシナ リオ展開になっていたか、などについて参加者と意見交換を行いたい。

講師プロフィル:

 1997年京都大学工学部建築学科卒業、IE Business School(MBA)修了。大学卒業 後、清水建設に入社し、国内の建設プロジェクトの施工管理業務に従事。
 2000年、米系エンジニアリング会社のBechtel社に転職。中東の新空港建設プロ ジェクトにおいて、発注者の立場で企画・設計・入札・発注・工事監理を行うプロ グラムマネジメントのプロジェクトマネジャーを経験。
 現在、外資系保険ブローカー会社のマーシュブローカージャパンに勤務し、建設 プロジェクトに関するリスクアドバイザリーと保険ブローカー業務を行っている。
 一級建築士、シックスシグマ・グリーンベルト。CIARb(英国仲裁人協会)会 員、日本プロジェクトマネジメント協会(PMAJ)会員、日本コンストラクションマ ネジメント協会(CMAJ)会員。

参加費用: 無料。
 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(1,000円)は免除されます。

参加を希望される方は、確認のためできましたら当日までに佐藤までご連絡ください。
by Tomoichi_Sato | 2014-04-03 21:36 | ビジネス | Comments(0)

Pushで標準化し、Pullで差別化する

包丁で食材を切るとき、わたしは押して切るくせがある。しかし料理番組を見ても、身近な人を見ても、ふつうは包丁を引きながら切るようだ。ちなみに、自分が料理を覚えたのは、3ヶ月ほどアメリカの留学生寮に一人で住んでいたときだった。アメリカ人は、押して切る人が多い。別にそれを見て真似たつもりは全然ないのだが・・でも、日本とアメリカとでは、ちょっとした道具の使い方が正反対なことが意外だった。ノコギリや鉋などでも、日本と西洋では方向が反対である。日本は引いて切るのに、彼らは押して切る。

そのことから、「米国はPush型、日本はPull型だ」などと陳腐な比較文化論を述べるつもりはない。だが、それにしても、セールスのあり方などで日米はずいぶん違うな、と感じることはある。アメリカ人のセールスは、やはりPush〔押し)が基本である。来日した米国の大手ベンダーのシニア・マネジメントなどと話していると、「我が社の製品はこれほどの市場シェアを持っており、TOP 500企業の内、あの会社もこの会社も使って満足している。」という自信満々の話が続き、「だからお前も、買うのが当然だ」みたいな雰囲気になってくる。余計なお世話だろ、と思うが、こちらが「よく考えさせてくれ」と婉曲話法で言っても、「じゃあ、よく考えてくれ。きっと、導入すべきという結論になるはずだ。」と、こちらの心中を意に介さず、どんどん話を進めてしまう。まあ、そういうビジネス文化なのであろう。

ところで、わが同胞の技術者や営業マンたちはどうか--いや、そんな第三者目線で語るのはやめよう。自分自身はどうなのか? ちょうどその逆である。ちょっと弱気な笑顔で受け答えし、顧客の強引とも思える要求にも、あまりNOと言わない。「NOと言えない日本人」の典型かもしれぬ。ただ、多少弁解するならば、海外ビジネスの現場で行き会う同胞たちも、それほど違うようには見えない。わたし達は、よほど「お客様本位」あるいは「ご無理ごもっとも」のスタンスが骨がらみなのだろうか。まあ、その昔、日本が輸出産業花盛りで「電子立国ニッポン」などと自信満々だった時代には、もっと違っていたのかもしれない。だが、受注ビジネスが取引の主流になりつつある現在、建設業であれ、機械系インフラ輸出であれ、はたまた通信システムであれ、なんだか皆さんずいぶんPull〔受け身〕に見える。

もちろん海外ビジネスの場合、言語の壁や文化の障壁などがあって、あまり自信を持ちにくい点はある。しかし、では、ひるがえって国内ビジネスの現場ではどうか。建設、産業機械、物流、SIなど、いわゆる受注産業の人々は、やはりけっこうPull型スタンスが多いように思われれる。

受け身といっても、消極的という意味では、必ずしもない。顧客の出してくるいろいろな高度な要求を、どう技術的に実現するか、との観点で考えているエンジニアは多いはずだ。そこには無論、チャレンジもある。難しい仕様を、きちんと実装できる能力は当然、高く評価されるべきだ。ただ、技術面ではそれで良いとしても、受注価格や納期や契約条件といった、いわゆるコマーシャルな営業条件まで、相手の言いなりでずるずる土俵際まで引いてしまうようだと、ビジネス全体としてはかなりつらいことになる。

いや、技術面でも、Pull型の態度には一つ問題がある。わたしがしばしばそれを感じるのは、たとえばITエンジニアのスタンスがPull型すぎることだ。受託開発のSIer、社内の情報システム部門、いずれの場合も「ユーザからの要求仕様」をどう実現しようかと、必死に知恵を絞る。だが、逆にユーザに対し「こういう機能があるから、こう業務をかえてみたらどうですか」という提案能力をこそ、実はユーザ側も望んでいるのではないか。提案というのは、まさしくPush型の態度である。

自分の経験も、ひとつ書いておこう。エンジニアリング会社につとめているが、もう随分前、わたしがはじめてキーパーソンとして顧客向けの仕事をしたとき、それは新工場建設を前提とした情報系の構築だった。設計フェーズで客先と打合せた際、例によってNOとうまく言えなかったわたしは、新しい追加要望をひきうけて会社に戻った。上司に怒られるだろうな、とは予期していたし、事実叱られたが、叱られる理由は、工数が増えたとか納期が厳しくなった、といったことではなかった。「言われたことを何でも引き受けるな。お前には設計のスタンスというものがないのか!」といって怒られたのだ。

スタンスと言ったって、機能モジュールの構成やDB構造などは、ある意味こちらが勝手に設計したことではないか。それが崩れるからと入って、顧客にNOといえるのか。当時のわたしは、怒られた理由がよく分からなかった。

ここで再び米国のIT企業人の態度を思い起こそう。いささか居丈高だが、ともかく「あなた方ユーザはこうすべきです」という主張に満ちあふれている。それを『ベスト・プラクティス』です、などと売りつける豪腕さも持っている。だから、彼らはパッケージ・ソフトの開発に強い。また米国企業はパッケージ・ソフトの普及も早い。OSやOfficeソフトなどにパッケージを使うのは当然として、いわゆる業務系システムなどにも、かなりパッケージが売られている。パッケージ・ソフトはまさに「Push型」の文化が生み出した製品と言えよう。そして、多少業務に合わないところがあっても、パッケージに業務を合わせる形で使いこなしていく。

ところが、わたしの知る限り、日本ではERPパッケージなどでも、アドオンとカスタマイズがてんこ盛り、というのが普通の事情である。そりゃまあ、伝票の1行を入力するのに数画面を行き来しなければならないようなパッケージは、何か一工夫したくなるのも道理ではある。また、長期手形決済だとか販売完了後の値引きだとか、西洋ではあまり見かけない商慣習を実装する必要も、たしかにあっただろう。しかし、それだけでなく、各ユーザ部門の固有で独特の要求事項、例外処理などもかなり盛り込んで、膨れあがった事例も多いはずだ。そして、それ以上に多いのは、「やはりパッケージはウチの業務には合わないから」ゼロから自社開発するケースではなかったか。個別開発は、まさにPull型スタンスの極致と言うべきだろう。

誤解しないでほしい。わたしはなにも、パッケージ・ソフトが素晴らしくて自社開発がダメだなどと主張しているのではない。米国が何でも良くて、日本は何でも遅れている、などと主張したいのでもない。米国製のパッケージの低品質には、正直、何度も煮え湯を飲まされた。じっさい米国人は、バグはユーザが見つけるべきものだ、と思っている節がある(笑)。以前、JUASの統計を紹介したが、日本のソフトウェアは、見かけは格好良くなくても、とにかくバグは段違いに少ない。

ただ、これはある米国のIT企業の副社長から面と向かって言われたことだが、「ITエンジニアは基本的に自分で作るのが好き」なのである。だから、(予算が許す限り)自分で作りたい。パッケージを買ってきて箱から出すだけ、では仕事をしたという気持ちになれない、のだろう。こうして自社開発や委託開発が増えていくわけだが、当然その行く先は見えている。ユーザ要件に対して、基本的にNOは言わないのだから、システムは膨れるに決まっている。運用も修正改善もどんどん負担は増えるばかり。かくして、高額のIT予算にいきり立ったトップから、ある日ばっさりと切って捨てられることになりかねない。仕事が好きなるが故に、一生懸命努力した結果、自分の仕事の土台を失う結果をもたらすのである。

では、パッケージで、ソフトに仕事を合わせる(Push型)べきなのか、作り込みで、仕事にソフトを合わせる(Pull型)べきなのか。ここまでの書きぶりでお分かりだろうが、わたしはどちらかが正解で他方は間違いだ、という風には考えていない。使い分けなのである。だが、賢い使い分けとはどういうものか?

わたしが学んだ答えは、とても単純である。もし、ある業務が、業界内で共通な仕事、あるいは業界を超えてどこでもほぼ共通な仕事なら、パッケージを利用して標準化すべきである。その方が当然コストが安くなる。たとえば今さら誰もワープロを自社開発しないのは、文書作成がどんな組織でも殆ど共通の作業だからである。

他方、ある業務が、他社にない独自なもので、自社の差別化や競争力強化に大きく貢献しているなら、それは自社で作り込むべきである。よそにはない業務なのだから、第一、パッケージ標準機能にあるはずがない。

パッケージ(Push)で標準化し、作り込み(Pull)で差別化する。これは単純な原則で、誰でも落ちついて考えれば、同じ結論になるだろう。「内示でPushし、かんばんでPullする」トヨタ方式と、ちょっとだけ似ている。

しかし、もちろんこの原則があったとしても、社内の論議は簡単には決着しない。なぜなら、「どの仕事が差別化業務か」を見分けるためには、そもそも「自社の強みは何か」を、客観的に知らなければならないからだ。他社と違うことがすべて差別化ではない。自社の強みにつながらないような独自業務は、たんなる「変な習慣」でしかない。「強み」なのか「因習」なのか。それは、当事者にはじつはなかなか分からないものだ。客観的に見分けるられるのは、第三者的なコンサルタントか、あるいは、いろいろな範囲の業務プロセスを見てきたITエンジニアであるはずだ。

だから、提案能力のある、Push型のITエンジニアがもっと必要だとわたしは考えるのである。かつて上司が言った「設計のスタンス」も、その事を指していたのだと、今になるとようやく分かる。もっと若いうちに、理解しておけばよかった。というわけで、せめてこの拙文を読む人には、分かってほしいのだ。そして、ユーザがへんてこな要求をしたら、“それは設計思想に合いません”と、NOと言えるだけの『Push力』を持ってほしいと願うのである。


<関連エントリ>
 →「Pushで計画し、Pullで調整する
 →「ITエンジニアの『生産性』と、データ・サイエンスの微妙な関係

by Tomoichi_Sato | 2014-03-04 22:17 | ビジネス | Comments(0)

社長で会社は決まる、のか?

以前から読まれている方はお気づきのことと思うが、このサイトでは個別の会社批評や経営者論は、まったく書かないことにしている。本サイトの記事は、外部からは「経営」とか「ビジネス」に分類されることが多いが、特定の会社や経営者の批評をしない点が、たぶん他との一番の違いかな、と思う。ついでにいうと、ビジネスマンの居酒屋トークでもっとも好まれる話題の一つは、よその経営者批評だろうが、懇親会や飲み会で人と話すときも、その種の話題のときは、わたしはずっと黙って聞き役に回ることにしている。

数ヶ月前、昔からの友人と一緒に飲んだときにも、日本を代表する超有名企業S社の業績不振が話題になった。というのも、彼はその会社に長らく勤めた後で、少し前に辞めたばかりだったからである。抑えた口調だったが、業績悪化の理由は経営者にあった、と彼はいう。かつて自分が勤め、また好きでもあった会社を、外人社長がいかに壊していったか、具体的なエピソードをいくつも交えて語ってくれた。ひどい話だ、聞きながらわたしはそう思った。だが、それでは、その外人が去って、もっとまともな新社長が職につけば、業績は急回復するだろうか?

わたしは、そう思わなかった。高度な技術的ポテンシャルをかかえた同社だが、安定的に業績が回復するまでには、たぶん何年単位もの期間がかかるだろう。ひどい経営者が大企業をこわすのは短期間でできるが、良い経営者が機能する大組織を再生させるのには、長い時間がいる。こわれるのは早いが、作り上げるのには時間がかかる--それが、「システム」というものだからだ。

たぶん、世の多くの経営論者との最大の違いは、(当否は別としても)この「システム感覚」にあるのだと思う。

つい最近も、任天堂を成長させた立役者・山内溥氏の破天荒な人生の話を、ネットで読んだ。元・外資系経営コンサルタントの文章である。山内氏が真に傑出した経営者だったことは、よく分かった。その文章では、山内氏の最大の功績の一つに、3人のすぐれた後継者を見いだして引き上げたことを、あげていた。たしかに、偉大な経営者の一番の問題は、後継者選びだ。そこで失敗する例も、よく耳にする。山内氏はその点で成功し、会社も見事に成長した。賞賛すべきなのだろう。

ただ、読んでいてひっかかった点が一つだけあった。それは、「見いだす」「引き上げる」という言葉の使い方だった。なんだか、会社の成長は、一にも二にも経営者にかかっていて、かつ、経営者の力量は、ほとんど生まれつきの資質で決まっている。だから大事なことは、将来、経営者となるべき人を早く見つけて、ポジションに据えることだ--そう、読めてしまう。いかにも外資系経営コンサルタントらしい言い方ではある。

わたしは任天堂のことは何も知らない。本当に、まったくその通りだったのかもしれない。だが、任天堂のケースを他の事例にも普遍的に適用してもいいのだろうか? その文章の著者を批判しているのではなく、それを読む読者の人々に、ちょっと考えてもらいたいのである。

世の中の経営論にひろく共通するのは、三つのテーゼであるとわたしは考えている。それは、

(1) 社長=経営者は資質で決まる
(2) 会社の業績は社長で決まる
(3) 経営の変化はすぐに業績に表れる


である。だから、会社の成長や失墜を、すぐ経営者個人の資質の問題で説明することになる。居酒屋トークの多くは、これだ。

しかし、わたしの考え方は、ほとんど真逆である。いや、こう言い直そう。中小企業の場合ならば、上記テーゼも、かなり当てはまると思う。従業員数がせいぜい200か300名程度で、各人の顔と名前と資質を経営者がちゃんと覚えて判断できる間は、一人のリーダーシップだけでかなり組織を引っ張ることができよう。

しかし従業員が数千人規模、売上が千億円単位のような大企業になると、もはや、上記はあてはまらない。大組織を動かすのは、経営者個人の判断ではなく、「システム」になるからだ。そのシステムが健全に機能しているか、それとも病に陥っているかで、企業の中期的な業績傾向は決まる。だから、経営者論だけで会社業績を論ずるのは一面的であり、間違っている。

ここで言うシステムとは、もちろんコンピュータ・システムなんかのことではない。システムとは、暗黙または明示的なルール、組織と階層構造、情報伝達系、金銭や資源や報酬の配分方法、外部との契約、などの要素からなるまとまりで、その構成員一人一人の考え方や判断基準を方向づける仕組みのことである。

もともと組織というものは、なんらかのミッションを達成するために生まれたものだ。人がひとりだけでできることには限りがあるから、他者と協働しようというモチベーションが働く。つまり、会社組織というのは本来、目的達成の道具にすぎない。この組織に、ある種のまとまりと目的意識を生み出す仕組みが「システム」なのである。システムの中の構成員は、いちいちトップにお伺いを立てたり、自分であれこれ考えて悩まなくても、与えられた権限と役割の中で、責任を果たせばよい。こうして良いシステムは、組織に有用性と効率と安定性をもたらす。結果として、すぐれた業績を中長期的に生み出す。たとえば『トヨタ生産システム』なんかを思ってみるといい。

ところが、システムは、放置しておくと次第に統合性を失っていく。あるいは、暴君が私利私欲のために乱用するとこわれていく。なぜなら、システムを支えているのは、経営者の指し示す共通目的と、各人が「この組織に貢献すれば、最終的には自分の人生にも益になるはずだ」という協働意識だからである。システムが壊れて共通目的や協働意識が薄くなると、各部門・各組織が、それぞれの存続だけを自己目的とし、自己の報酬を最大化しようとふるまう、いわゆる『局所最適病』に陥る。組織全体は方向感覚も安定性もうしない、荒波にもまれる木の葉のごとく、成果も外界まかせで浮沈が激しくなる。

もちろん、システムを設計するのは経営者の役目である。だが、小さな家でも設計図を書くより建てる方が、ずっと時間がかかる。ましてシステムは、組織一人一人の行動レベルにまで浸透して、はじめて成立する。だから、これを立て直すのはとても時間のかかる作業である。それまでは、業績の浮沈も覚悟しなければならない。

以上の考えを、三つのアンチテーゼにまとめると、次のようになる:

(1) 経営者は大企業を短期間に壊すことはできるが、機能する大組織を短期間に作り上げることは難しい
(2) 中小規模の組織はリーダーの資質やセンスで引っ張ることができる。しかし、大組織を動かしていくのはシステムである。
(3) 短期的な業績は“時の運”に左右されやすい。
(無論、「運も社長の実力のうち」と言うことは可能だが、その運が長く持続可能かは、誰にもわからない)

あいにく、システムは目に見えにくい。とくに外部から見抜くのはなかなか難しい。システムは財務諸表のマクロな指標にも、製造現場のミクロな流れからも、簡単にはつかめない。だから、よく知らない企業の経営者批評の話になると、わたしはにこにこしながら黙って目の前の杯を飲み続けるのである。


<関連エントリ>
 →「問題はミッドスケールのシステムで生じる


by Tomoichi_Sato | 2014-02-09 23:41 | ビジネス | Comments(0)

今年の抱負はこう作ろう

新年である。新年というのは、『抱負』の時期である。個人・家族でも、友人でも、あるいは職場でも、集まりがあれば必ず「今年の抱負は」ときかれる。

もう一つ、新年は(少なくとも今年は)就活の時期でもある。就活ではこれまた、しばしば「入社後の抱負」なるものをたずねられ、あるいは書かされる。こうして、新年は抱負が世に満ちて氾濫する季節となる。

それにしても、抱負とはそもそもどういう意味だろうか。なぜ、心高まるはずの語句に、「負け」の文字が入っているのか? ちょっと不思議だ。そこで辞書を引いてみると、『抱負』とは、心にいだく“思い”や“こころざし”のことだ、とある。

じつは、「負」という漢字は元々、人が貝をかかえる形から来たらしい。貝殻は古代、貨幣の代わりであった。だから漢字では、財・貨・資・寶(宝)など、財産に関係する文字の部首に、貝が登場する。負という漢字も、人が何か大事なものを持ったり、かついだりすることを表している(「背負う」という言葉には、まさに負の字が使われる)。「自負」だとか「負荷」だとかもその文脈である。そういえば、「請負」という語にも負が出てくる。「請負という字は、何かわれてくなったらけ、と書く」という古いジョークが建設業にあるが、本来は負うという意味である。ところが古代中国では、この文字の発音が「北」(敗北に表されるように、敗れるの意味)などと共通のため、負けの意味にも使われるようになったらしい。

そして抱の文字は、これも右側の「包」が胎児をおなかの内にかかえている形をあらわす。というわけで、抱負というのは大事なものごとを自分のうちにかかえること、さらには心の内に抱えた思いなどを表すのである。

では、のぞましい抱負の書き方、抱き方とはどんなものだろうか。わたしは、三つの条件があると思う。

いうまでもないが、まず具体性が大事である。たとえば、「今年一年、充実して生きたいと思います」では抱負にならない。聞いている人にピンと来ないからだ。聞いた人の心の中に、成功のイメージが思い浮かぶように表現することが望ましい。

では、たとえば「今年は営業成績が部で一番になりたいです」ではどうか。とりあえず、具体的だ。ま、ありがちな抱負ではある。ところでちょっと考えてみてほしい。新入社員を一同集めて、入社後の抱負をたずねたとする。すると全員が「社長になりたい」といったら、どうだろうか?

新入社員が仮に100人いたとして、その中で望みを叶えられるのは、まあ多くてもただ一人だけである。100人の全員の抱負を実現させることは、事実上、できない。つまり、会社がこの新人全員を応援することは不可能、ということになる。だって実現できないんだから。

いいかえるなら、抱負を述べるときは、周囲の人や上の人がサポートできる抱負、サポートしたくなる内容をいうべきなのだ。ならば、別に社長のポストに限らず、役員だろうが部長職だろうが、限られた枠を大勢であらそうような抱負はふさわしくないことになる。いや、「○○大学合格」や「司法試験突破」だって似たようなものかもしれない。定員数はそれなりに大きい。だが、全員の希望を実現させることはできない。こうした望みはいずれも、他者との競争の結果(すなわち相対評価)で決められる。だとしたら、抱負を考えるにあたっては、順位より能力(絶対評価)を望むべきだろう。

それをもう少し敷衍すると、抱負では地位(Be)より行為(Do)を主軸におくべき、ということになる。「である」事より「する」事を。地位や資格とは結局、なにか行為をできるようになるための前提条件だからである。

二番目に大事なことは、少しだけ背伸びした抱負を持つことだ。「今年は毎日、会社(学校)に通いたいと思います」というのは、(その人が引きこもりや病気だった訳でもない限り)あまり感銘を受けない。誰が聞いても「そりゃ当然、実現可能だわな」と思うような抱負は、役に立たないのである。自分にとって、もう少し難易度の高いところを狙わなくてはならない。

それでは、どれくらいハードルを高く上げるべきなのか? たとえば、成功確率=10割だとまずいのであれば、8割くらいならばいいのか。それとも、成功確率=5割、つまり半々程度で実現できるのが適正なのか。いや、2割ぐらいか。それとも、5%? いっそ、0.1%では?

もちろん、こうしたことに正解はない。ただし、あまり難易度を高く設定しすぎると、本人もすぐ息切れするばかりか、周りの人も白けて応援する気持ちを失うだろう。背伸びした抱負を掲げる理由は、それで「張り」のある過ごし方をしたいからである。だから、「自分がやる気を出し続けられる」程度に設定すべきだ。

そしていうまでもなく、新年の抱負なら、1年の終わりに結果を判定できる(反省できる)よう、明確にすべきだ。抱負をいって、ただ言いっぱなしにしないためである。背伸びした抱負なのだから、ときに、いや、しばしば、実現できずに終わるだろう。だが、どれだけ成功に近づけたのか、何が足りなかったのか、経験から自ら学ぶために、いわば抱負の「決算報告」が必要なのである。

そのためには、傍の人間も成否を判断できるよう、具体的なことがら(できれば数字)を設定するべきだ。「今年は頑張って英会話を勉強します」みたいに、『頑張って』という曖昧な修飾語で表現せず、「今年はTOEIC 650点達成を目指します」とか「英語でも人前でプレゼンできる能力を身につけます」などと表現するほうがはっきりする。

まとめると、「イメージが浮かぶよう具体的に」「少し背伸びして」「成否がはっきり判るかたちで」抱負を考えるべきだろう。そして、考えたら、それを口に出すだけでなく、文字に書いておくことが大事である。たぶんこの『文章化』が一番大事なポイントかもしれない。なぜなら、抱負を持つ最大の理由は、これからの方向性を定めて、見失わないようにしたいからである。

人の気は変わりやすく、世の中の風向きもうつろいがちだ。それでも、風まかせでなく、方角を定めて自力で航海したいなら、目指すべきことを言葉にしてみる。短くていい。長い文章である必要はない(長いと自分も他人も読まない)。箇条書きでいいし、項目数も、三つ前後にまとめる(まちがっても7項目以上にしないこと)。そして、ときどき見直すよう、自分で目立つところにポストすること。

結局、抱負というものは、新年に限らず、どんなチャレンジにも掲げるべきなのだろう。それは、自分が成長するために必要なのである。たとえ何歳になったとしても、新しい年を漫然と暮らさず、成長できる年にするために。・・なんとなく、新年なのでちょっと格好つけて書いてしまったけれど、それがわたしの本心からの願いである。


by Tomoichi_Sato | 2014-01-03 18:14 | ビジネス | Comments(0)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(2014/01/16) 開催のお知らせ


と、いうわけで(?)、PM教育について、研究部会でお話することにしました。一方的な講演というよりも、双方向的な討議の場にしたいと考えています。この問題に関心のある方のご参加をお待ちしております。

ちなみに「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」 は、小生が主査を務めるオープンな研究会です。スケジューリング学会の下に位置していますが、学会員でなくても、どなたでも自由に参加できます。

以下の要領にて2014年第1回会合を開催いたします。新年のご多忙な折とは思いますが、ぜひよろしくご参加ください。

<記>
日時:2014年1月16日(木)19:00-20:30

場所:慶應義塾大学 三田キャンパス・北館・会議室2
 http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html
※キャンパスマップの【1】になります

テーマ:  「プロジェクト・マネジメントの教育について」

講師:佐藤知一 (日揮株式会社) 

内容:プロジェクト・マネジメントの教育はどうあるべきか。過去5年間にわたり、大学・大学院・自社・他企業などで試行し実践してきた教育カリキュラムの内容を概観するとともに、その課題について討議したい。 

参加費用:無料。
ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥1,000)は免除されます。

参加を希望される方は、確認のためできましたら当日までに佐藤までご連絡ください。

                         以上
by Tomoichi_Sato | 2013-12-24 12:54 | ビジネス | Comments(0)

オプションが多数ある製品のBOMは、どう構成すべきか

今からおよそ100年前、ヘンリー・フォードは世界で初めて自動車の量産をはじめた。それまで、自動車は富裕階級向けの特別な商品であり、ほとんどが注文生産だった。顧客は大きさや色をはじめ、様々な自分の好みをつけて注文する。メーカーはそれを受けて、個別に設計して製造する。当然ひどく高くつく。それでも買える人だけが顧客だった。ほとんど今の注文住宅のようなものである。

そのようなマーケットの常識を、フォードは完全にくつがえした。彼は黒色のT型フォードという、ただ一つの標準モデルを売ることに決め、そのための専用量産ラインを、当時としては画期的だった工程別分業体制とベルトコンベア方式によって実現した。この時に彼が言った、

 「顧客の望む色はどんな色でも売ります--それが黒色である限り」

という、有名な文句は一種の標語となった。モデルを一種類にしぼり標準化をはかることで大量見込生産を可能とし、安価な製品で大きなマーケットを獲得したのである。かくしてフォード・システムはアメリカ的経営の成功モデルとなった。

しかし、時代が下り、自動車が大衆社会におけるコモディティ商品となっていくにつれ、単一モデル販売ではもはや競争に勝つことができなくなっていった。外装の色やエンジンの排気量など、標準モデルにさまざまなバリエーションをつけることによって、次第に消費者の細かな好みに合わせる方向に、販売競争が進んでいった。その結果、インテリアの仕上げ、変速がマニュアルシフトかATか、エアバッグの装備、搭載カーナビ機器のグレードなどなど、かなりの種類のオプションを購入者が選べる状態が、現代では常識となっている。つまり、

 初期の個別受注生産 →普及期の大量見込生産 →成熟期の個別オプション生産

という風にマーケットの形(生産・販売形態)が変遷していったのである。

同じことはコンピュータ産業でも起きた。初期の汎用機は非常に高価で、注文生産だった。顧客はそれを買える大企業や国立の研究機関だけだった。しかし、やがてミニコンやオフコンといわれるクラスの普及型製品が出される。さらに「Apple II」や「IBM PC」といった、大衆向けの安価な単一モデルが消費者市場を席巻した。フォード・システムの再来である。そして今日では、多くの消費者はショップに行き、CPU速度やディスク容量・メモリ容量など、多数のオプションを選ぶようになってきている。

このようにオプションが導入されたのは、多様な消費者ニーズに柔軟に対応して、販売しやすくするためである。こうして、消費者の手元に届く商品はバラエティが増え、同じモデル名でも一つ一つが異なる別のものになってくる。こうした生産形態を、大量生産(マス・プロダクション)に対比して、マス・カスタマイゼーションと呼ぶこともある。

ところが、BOM(部品表)の観点から見ると、ここで一つの難問が生じる。BOMというのは、最終製品(英語でEnd productないしEnd itemと呼ぶ)を頂点とした、部品群からなるツリー構造になっている。一種類の最終製品に、一つのBOMが付随する、1:1の関係だ。たとえ同じモデル名でも、もし、トランスミッションの種類が違ったり、エアバッグの装備などが違ったりすれば、当然ながら部品の構成は変わるわけだから、別のBOMが必要になる。

たとえば、自動車のオプションが次のようにあったとしよう。

 ・外装の色 5色
 ・内装の種類 3種類
 ・変速方式 マニュアルまたはAT
 ・エアバッグ装備 3種類
 ・搭載カーナビ機器 4機種

すると、可能な組合せの数は5×3×2×3×4=360種類にものぼることになる。この場合、360種類ものBOMを作成し、マスタに登録して用意しなければならないのだろうか? 

それはとてもばかげた手間に思える。じゃあ、個別の注文を受けた際に、その時毎回、必要なBOMだけを登録することにしてはどうか。いうまでもなく、BOMは製造工程で必要とする部品の出荷指示の基準情報である。だから、工場倉庫からの部品在庫の払い出しは、その個別BOMに従う、とすればいいはずだ・・。

ところが、そうは問屋が卸さないのだ。BOMは材料の購買手配の基準情報でもあることを、忘れてはいけない。部品サプライヤーたちに、先々の数量を先行内示で与えるのが、自動車業界の慣習だ。このとき、すでに登録されている(つまりたまたま過去に注文のあったオプション組合せの)BOMだけで購買手配をかけたら、これまでなかった新しい組合せの注文が顧客から来ても、応えられなくなってしまうだろう。

このような矛盾をはらむ問題の解決法には、じつは定石がある。ここでの問題の根幹には、BOMが「部品購買手配の基準データ」と「製造の部品払出指示の基準データ」という二つの機能を併せ持っていて、その二つが両立しがたいことにある。こういう場合は、二つの機能を受けもつ要素を別にするのである。ちょうど、機械設計のとき、異なる機能を受けもつ部品には違う材質を用いるように。つまり、「部品購買手配の基準」であるマスタとしてのBOMと、「製造の部品払出指示の基準」としての個別BOMを、別のデータとしてシステムに持つのである。前者はマスタデータであり、後者はITの用語で言えばトランザクション・データである。

まず、前者のマスタとしてのBOMから説明しよう。こういうケースでは、BOMの親製品と子部品の間の数量関係(員数)を、整数ではなく、使用比率に応じた小数つきの値で持つ。こうしたBOMデータの形式を、「モジュラーBOM」(あるいは「縮約BOM」)と呼ぶ。モジュラー化したBOMでは、まず最上位の仮想的な最終製品として、製品ファミリーを定義する。その下に、基本モデル製品と、各オプションに対応するモジュールのサブ・アセンブリーに関するBOMを、登録する。

この際、親子関係の員数として、オプション選択の比率を使う。もしユーザが平均してマニュアルを30%、ATを70%選ぶことが過去の経験から知られていたら、製品ファミリーから変速装置への員数をそれぞれ0.3と0.7に設定するのでである。むろん、この員数は定期的に見直す。

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図:オプション構成とモジュラー化されたBOM (「BOM/部品表入門」第8章より引用)

このようなBOMを定義すれば、マスタ情報のメンテナンスが楽になるばかりではなく、MRPを利用する際にも、販売予測を360種類の最終製品に対して行なうかわりに、製品ファミリーに対して1種類行なえばすむようになる。

むろん、ユーザによるオプションの選択比率は、つねに定期的に見なおしていく必要がある。とはいえ、そ比率の見直し作業は、5+3+2+3+4=17種類のモジュールに対して行なえばすむ訳である。

そして、製造の部品払出指示に対しては、受注した個別オーダーのオプションから導出されるBOMを用いる。生産管理パッケージの中には、製造指図にBOMを添付する機能を持っているものもある(わたしの記憶では、SAPの生産管理モジュールもその機能を持っていたはずである)。ここで、添付するBOMは、元のマスタデータからコピーするが、顧客の指定したオプションに従って個別に修正したものを添付する。これが、製造BOMのトランザクション・データになる。

つまり、ただ一つのBOMデータでいろいろな業務機能をまかなおうとするから問題にぶつかるのである。BOMには、最低でもマスタとトランザクションの二種類が必要である。これは、わたしが拙著BOM/部品表入門で提案したことだ。より正確に言えば、トランザクションは「これで作れ」という指示系履歴データと、「これで作りました」という実績系履歴データに分かれるべきだから、BOMは合計、3種類必要だ、というのが、わたしのかねてからの主張である。

顧客の要望する機能や仕様は多様化しており、作り手がその流れを止めることはほとんど不可能である。そこで、いろいろなオプションや付属品をご提供することによって、なんとかニーズを満たしてもらう訳である。その無数に増え続ける組合せを、パターン化するための方法が、仕様に対応する「モジュラー化」の考え方なのである。モジュラー化とは、標準的なモジュールの組合せによって、選択のバリエーションを作りだす方法で、いわば注文住宅とプレファブ住宅の違いと言ってもいい。モジュラー化設計によって、必要な部品やサブ・アセンブリーのバラエティを減らし、ある程度見込をつけて生産しておくことができるようになる。そして、BTO生産方式(「ATO」とも)に近づくことができ、注文から納品までのリードタイムを劇的に短縮できるようになる。そのような生産革新のキーが、モジュラー化BOMなのである。


<関連エントリ>
 →「生産革新のためのBOM(部品表)再構築入門(1)
 →「工場計画論(5) BTOと製品アーキテクチャー
by Tomoichi_Sato | 2013-12-02 22:39 | ビジネス | Comments(0)

担当者が問題状況に陥ったら、プロマネがカバーに入るべきか?

プロジェクト・マネジメントの講義で、学生に進捗管理について教えていた時のことだ。進捗とは、これまで消化した予算の比率で計ってはいけない。「あとどれくらい仕事が残っているか」で計るべきものである。いつもの持論を、わたしは説いた。進捗管理の最大の目的は、“仕事はいつ終わるのか、あとどれくらいのコストで終わるのか”を予測することにあるからだ。

マラソンにたとえるなら、スタート地点からゴール地点まで約42kmあるが、そのちょうど中間、折り返し点のマイルストーンがある。ここに到達した人は、それまでまっすぐ走ってこようと、多少脇道にそれて余計な距離を走った人も、あるいは道に迷ってさんざん遠回りした人も、等しく進捗率50%だ。なぜなら、残りの距離は誰にとっても同じ21kmなのだから。もしも、仕事の進捗を問われて、「これまで自分はどれだけ努力したか」を答える人がいるならば、その人は進捗の意味を誤解しているか、ないしは遅れを自覚して言い訳しているか、どちらかだろう。--そう、説明した。

すると、学生から質問があった。「問題を起こして後ろめたいから、自分の努力を必死にいいつのる人は、たしかに見かけます。そういった状況になった場合は、プロジェクト・マネージャーが進捗のカバーに入るべきなのですか?」

これは面白い質問である。マネジメントの問題には一般に『正解』はない。だから答えは、プロジェクトの状況による。では、どのような状況の時にはプロマネがカバーに入り、どんな場合にはカバーすべきではないのか。

まず一つには、プロジェクトの種類による。種類とは、規模と専門分化の程度、という意味である。数人からせいぜい10人程度の、同等(同じ職種)の仲間によるチームの場合ならば、プロマネが問題状況に陥った担当者の仕事を、分担して手伝うこともあるだろう。同等の職種といっても、それが100人規模だったら、そうはいくまい。その規模になったら、マネジメントの仕事は専任でフルタイムでやっても追いつかないから、とても人の仕事まで手を出す暇はなくなる。

もうひとつ、専門分化が進んで、幅広い職種を要するタイプのプロジェクトでも、カバーは困難である。学生オーケストラを考えてほしい。かりにオーボエ奏者の練習が遅れていたからといって、指揮者がオーボエをかわりに吹く訳にはいかない。専門分化と職務分担がはっきりしているからである。

指揮者が直接、仕事を手伝えない場合はどうするか。もし予算にまだ余裕(=すなわち予備費)があるなら、外部からエキストラの援軍を連れてくる、あるいはコーチを短期間依頼するかで解決するだろう。もしスケジュールに余裕(=すなわちフロート日数)があるなら、少しでも練習とリワーク(やり直し)の時間を与えるだろう。

それでも、本番演奏で失敗する危険性はないのか? --そのリスクは、だれにでも、常にある。決してゼロにはできない。失敗のリスクは、「受け入れ可能なレベルまで下げる努力をする」しかないのだ。

そのためには、部下に育ってもらう必要がある。

だから、この学生の質問は、かなり奥深い問題を突いていることになる。結局、人の能力の制約によって問題状況が生じたら、リトライの機会を与えて、その人が育つことを優先すべきか、プロジェクトの早期・予算内の完成を優先させるか(その場合は担当者を入れ替えることになる)、二つに一つである。それを、個別の局面で判断しながら、進めていくしかない。もちろんそのためには、問題状況に陥ったActivityのコストやスケジュールの状況と、全体への影響度合いが、プロマネにちゃんと見えていなければいけない。

人が育つプロセスというのは、ほんとうに難しい。「這えば立て、立てば歩めの親心」という言葉があるが、自分で子どもを育ててみると、成長を心待ちにする心境はよく分かる。と同時に、「這えば立たせ、立てば歩ませ」ではない点にあらためて感心する。“何々させる~”という使役ではなくて、“何々する”という自動詞の期待形になっているところがポイントだ。子どもは、自分の体で学ぶしかないのだ。今どきの世の中は教育システムにご熱心だが、子どもに、歩き方を言語で伝達したり、ビデオやe-Learningシステムの画面を見せたりして、それで歩けるようになるだろうか? 

そして、子どもが自分で歩き方を学ぶためには、二つ、大事な条件がある。

まず、大人や年上の兄姉たちはみんな、ちゃんと歩いたり走ったりできることを、子どもが見て、自分もそうなりたい、と感じることである。つまり、あこがれたり真似したりする対象、「ロールモデル」が必要なのである。

もう一つ、大事な条件がある。子どもは、一度も転ばずに、歩くことを学ぶことはできない。だから、学ぶためには、安全に転べる環境を大人が気づかってやることが必要なのである。

人が何かを学んで育つためには、安全に失敗できる環境がいる。前にも書いたことだが、スキーやスケートでは、初心者は安全に転ぶ練習を最初に学ぶ。転ばずに上達できる人はいない。最初は必ず何度も転ぶのだ。そのとき、頭や腰をひどく打ったりしないために、どんな姿勢で転べば安全か、まずそれを教えるのである。

「失敗は決して許されない」--そんな組織や環境では、人は育たない。減点主義や完全主義的な制度のどこがまずいかというと、人が育つことを阻害する点なのだ。もうだいぶん以前のことになるが、ある大手銀行の人が、人事評価の仕組みに関連して、ゴルフに喩えながら「最初のホールからOBを叩いた人には(出世競争から)どいていただく。あとに続く優秀な人はいくらでもいるのだから」と、経済メディアで語っていたことを、わたしは今でも忘れない。その銀行がバブル崩壊後の失われた20年を、どんなにもみくちゃになって過ごしたかは語るまい。ただ、そんな職場に働く身分でなくてよかったと思うだけだ。

プロジェクトにおていは、上に述べたように、コストも納期もまったく余裕が無い状況では、人は育たない。そういうキツい仕事も、無論、ときにはあるだろう。そういうキツさの中で磨かれる部分もあることは、認めよう。だが、転んだら最後、二度と立ち上がれない場所ばかりでは、子どもは歩くことを学べない。「転んでも立ち上がれる」状況をつくって、はじめて人は大きくなれるのだ。

キャリアパスだって、同じである。固定的でなく、複線型の方がいい。“最近の若い人は、一度でも失敗して、自分が描くキャリアパスのイメージから外れそうになると、もう職場で働く気力をなくすことが少なくない”と、人事系の専門家がボヤいているのを聞いたことがある。たぶん今の教育制度が、若い人にそういった観念を押し付けているのだろう。

そして、「ちゃんと元気に歩いたり走ったりしている、楽しそうな大人」(ロールモデル)がいなかったら、人は育たない。それはつまり、「生き生きと仕事をしている、楽しそうな上司や先輩」のことである。

自分が育たないような環境で、誰が働き続けたいだろうか? わたしはいやだし、自分の子供がそんな職場で働くのは、もっといやだ。現代の就活生に「即戦力」を求める組織は、このことをよく考えた方がいいと思う。


<関連エントリ>
 →「進捗管理とは何か?
by Tomoichi_Sato | 2013-11-23 22:25 | ビジネス | Comments(0)

生産革新のためのBOM(部品表)再構築入門(2)

<設計部品表(E-BOM)と製造部品表(M-BOM)の乖離>

BOM再構築の課題の中でも、もっとも多く見られる悩みが「設計部品表と製造部品表の乖離」だ。ふつう、前者はEngineering BOMを略してE-BOMと呼び、後者をManufacturing BOMの略でM-BOMと呼ぶ。

設計部品表(E-BOM)とは、設計部門が作成する部品表のことで、最終製品を構成する全部品をリストアップしたものである。製品の構成図(断面図)の各部品に①②③・・といった番号をつけ、その右側に番号・部品名称のリストをつけたものを、誰しも見たことがあると思う。この部品構成リストがE-BOMの原型である。

たとえば、『冷し中華』という製品を考えてみよう。冷し中華一人前は、図1左に示すように、茹で麺・たれ・錦糸玉子・チャーシュー細切・きゅうり細切から組み立てられる。

機械・電気など組立加工系の業種におけるE-BOMは、最終組立に使う部品のリストであるため、伝統的にはしばしば、部品間の階層構造を持たない「サマリー型部品表」の形をしていた。もっとも、現代のインテリジェントなCADシステムは、自動的に部品リストをE-BOMとして出力する機能もある。さらに必要ならば、製品→モジュール→サブモジュール→部品、という階層構造を定義することもできる。

ところが、工場はこのE-BOMだけでは仕事ができない。冷し中華の例で端的にいえば、材料の手配はどうしたらいいのか? まさか茹でたての麺を毎回買ってくるわけにも行くまい。購買には、図1右に示すような購入材料リストが必要である(これを購買BOMと呼ぶこともある)。

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 [図1 設計BOMと購買BOM]

E-BOMから、購入材料リストを作成するためには、それぞれの部品をどんな材料からどのような手順で製造するかを示す表が必要になる(図2)。これを製造部品表(M-BOM)と呼ぶ。製造部品表は、通常は生産技術部門による工程設計の結果として作成され、主に製造現場において生産管理で用いる。

M-BOMの特徴は、部品の親子関係を示す「ストラクチャー型部品表」の形になることだ。また、工順(Routing=加工順序)の情報が付加される。生産管理にMRPシステムを用いている企業では、さらに親子関係に「標準リードタイム」を設定し、生産スケジューリングに利用する。このM-BOMは、生産技術部門がE-BOMを元に作成するケースが多い。

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 [図2 製造部品表(M-BOM)]

それでは、なぜ多くの企業がE-BOMとM-BOMの乖離に悩んでいるのか。その理由は、大きく4つある。

(1)品目コードの不統一

本社設計部門では、部品コードを定めずに「部品の図番」や「部品規格番号」や「名称」だけで済ませる場合がある。一方、工場では購買先を決めてから品目マスタを登録するケースが多い。その段階で、はじめて部品に品目コード(Part Number)がふられる。この品目コードは、本来であれば本社設計部門に伝達され、図面やCADの属性に登録されるべきだが、部品点数は多いし、マスタ登録のタイミングはバラバラだし、おまけにしばしばマイナーチェンジが行われたりするので、実際にはなかなか簡単ではない。

その結果、全社で品目のコード体系の統一がとれなくなり、E-BOMからM-BOMへの「翻訳」作業が必要になってしまう。しかし、これでは手間がかかるし、誤りが入り込みやすくなる。

(2)代替部品の使用

材料手配の都合上、工場では一時的な代替部品を使用することがある。サプライヤー側や購買・外注の都合で素材・品番が変わることもある(この事情は、とくに海外工場に多い)。そのため、設計と現物に食い違いが生じてくるのである。

(3)副資材や包装材料の追加

製品設計図には、副資材や包装材料はふつう記載されないため、E-BOMにないことが多い。したがって、工場では手配が必要になる。したがって、独自にM-BOMに追加せざるを得ない。

(4)設計変更の発生と在庫切替タイミングの食い違い

設計部門において仕様改訂や品質改善のため設計変更が発生した場合、本来はM-BOM側も同期して修正すべきである。しかし、工場は仕掛りや部品在庫のために、M-BOMをすぐには切り替えられない。「手元にある在庫を使い切ってから修正しよう」などと考えている内に、次の設計変更通知が来たりする。


こうして、いったんE-BOMとM-BOMが乖離しはじめると、問題点がいろいろ発生してくる。まず、新製品導入スピードが遅くなる。また、品質クレームやアフターサービス対応が難しくなる。どのロットはどんな部品構成で作ったか、トレースできなくなるからだ。

中でも、もっとも深刻なのは(1)の品目コードの不統一である。企業のマテリアル・マネジメントが混乱し、モノが有り余っているのに必要なモノがない、という状態が生じてくる。コードが無ければ設計の標準化も困難だ。モジュール化や、前回述べたATO生産方式(Assemble to Order=受注組立生産)の実現は夢物語になる。

それでは、どうすべきか。この背景には、開発設計と生産現場の乖離がある。マネジメント・レベルで、まず問題認識が必要であろう。その上で、BOM維持体制と責任分担の確立、品目コード体系の統一、そして適切なBOMプロセッサの導入などの施策が必要になるのである。


<BOM再構築プロジェクトのために>

市場が回復中の機をとらえ、今日、多くの企業が生産の革新にチャレンジしている。その鍵がBOMの再構築にあることを、これまでの話でご理解いただけたと思う。

需要は増えてきたのに、思ったように増産できない企業がある。第一の理由は、仕様の個別対応の手間が多くて、設計部門がボトルネックになっためである。第二の理由は、部品マスタの無秩序な増大や変更で、資材購買と在庫管理が混乱するからだ。材料が無ければ工場はモノを作れない。第三の理由は、標準モジュール化の欠如で、工場の負荷平準化が困難なことにある。これらはすべて、BOMに関わる問題だ。

BOMの問題は、生産のグローバル展開の足かせにもなってきた。なぜ、国ごとに違う図番体系や品目コードになってしまうのか? マスタが欠如していたからである。あの自動車産業でさえ、国別仕様と供給可能部品によって生じたバラエティに悩んできた。いまから10年近く前、トヨタは社内に4種類のBOMをかかえており、その一元化と再構築のために、驚くほど巨額の費用と工数をかけてとりくまざるをえなかった。

ちあみに、正確に言うとBOMは『部品表』ではない。部品表という日本語は、何となく組立加工産業のみを連想させる。しかし「部品」に縁のない食品・素材・化学・電子材料・医薬品・アパレル業界などでも、BOM(Bill of Material=マテリアルの集計表)は存在するし、同じように重要なのである。

それでは、どうしたらBOMの再構築が進められるのか。

まず、第一に、これは情報技術だけの問題ではない、と強調しておきたい。複数のデータベースをつなぐツールや、ERP・PDMパッケージ等の導入で、事足れりと考えないこと。むしろ、BOMの運用ルールこそ問題なのだ。誰が、何をいつ登録するのか。どうメンテしていくのか。いつ廃止にするのか。いかに標準化をはかるのか。設計(E-BOM)と製造(M-BOM)の乖離をどう防ぐのか。運用ポリシーがあって初めて、必要なITツールが決まる。

もうひとつ重要なことは、あるべきBOMのマスタと、現実のBOM履歴データを区別することだ。設計はBOMのあるべき姿を規定する。これはマスタだ。しかし、製造の現実では、様々な理由から代替部品を使ったり、歩留りのために予定以上の材料を使ったりする。顧客サービスや在庫管理のためには、個別の履歴をとっておく必要がある。つまり、製造指図や製造報告に付随したBOMのトランザクション・データを、マスタとは別に持つべきなのだ。

そして、何よりも大事なことは、中心となる『マテリアル・マスタ』の再統一だ。これを部品マスタ、あるいは品目マスタなどと呼ぶ会社もある。呼び名はどうあれ、設計・購買・生産技術・工務・製造・物流・・すべての部門が使用し関係している基準データだ。これがバラバラの状態を放置してはいけない。

BOM再構築プロジェクトのあり方は企業の状況や生産形態によって様々だが、その流れの一例を、図3に示す。いずれの場合でも、最初に着手すべきは、何のためにBOMを再構築するのか、どのような問題を解決し、どんな能力を得るために行うのかを明確化する事である。これを、経営トップや企画部門が中心になって社内に宣言する。そして、遂行体制を確立する。

いうまでもなく、BOM再構築には、クロス・ファンクショナルな活動=プロジェクト・チーム体制での取り組みが必要になる。プロマネを任命し、スタッフと時間と費用を与えて、これを推進していくべきだ。誰かの片手間で済む仕事ではないのだから。

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 [図3 BOM再構築プロジェクトの流れ(例)]

つぎに、BOM活用の現状と課題を、関連する各部門(製造業ならば営業を含むほとんどのライン部門が関係すると思っていい)で調査し、把握する。そこから、あるべきBOMデータの設計に進む。マテリアルのコード体系、BOMに付随すべき属性項目等を整理するのである。このとき、主要ユーザ部門を相手に、テスト収集を行い、実用に耐えるデータ設計となっているかを検証しながらすすめる方がいいだろう。

そして、BOMデータの収集と整理のフェーズに進んでいく。データを、マテリアル、マテリアルの親子(階層)関係、工順(=加工手順、レシピ)にしたがって整理していく。このとき活躍するツールがBOMプロセッサだ。またモジュール化設計を進めている場合は、モジュールの組合せで実現できる製品仕様・性能との関係を定めていく。これは受注用コンフィギュレータの基礎になるから、営業部門の参画も望ましい。

データが収集できたら、クレンジング作業や整合性チェックを経て、ターゲットとなる情報システムのデータベースに登録する作業となる。ここは特にIT部門に活躍してもらうべきステップだ。

そして最後に、BOMの運用フローと保守体制の構築を行う。BOMは生き物である。今後も長い間、データを維持・登録・修正しながら使っていかなければならない。その体制と責任分担を決めて実行するのである。

そして、ひとつ助言させてもらえるなら、このプロジェクトには外部の目を取り入れた方が良い。さもないと声の大きい部署の「部分最適」で終わる可能性が大だろう。BOMを再構築し、生産システム全体を生まれ変わらせる仕事を成功させるためにも、全体最適を目標に高く掲げるべきだ。そうして、日本のより多くの企業が、活気と余裕を取り戻すことを祈ってやまない。


<参考図書>
 「BOM/部品表入門 (図解でわかる生産の実務)」 佐藤知一・著、日本能率協会マネジメントセンター
by Tomoichi_Sato | 2013-11-10 16:03 | ビジネス | Comments(0)