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中堅エンジニアのための経営戦略入門

Kさん、お久しぶりです。ご無沙汰しておりましたが、何年ぶりかで本社に戻られたとのこと。お元気そうで何よりです。

普通の人なら「本社にご栄転」おめでとうございます、という言葉遣いをするところでしょうが、それでは工場より本社の方が「上」である、という意味になりますね。わたしは本社も工場も企業組織の一部であって、それぞれ役割が違うだけだと考えているので、あえてそうは申し上げません。それに、本社への異動が栄転なら、以前Kさんが工場に移動されたのは左遷だったということになってしまい、ますます不適当ではありませんか。

まあそんな事はともあれ、本社の製品企画部門に移られて、あらためて「製品戦略とはいったい何か? 何をどう考えるべきか?」という、真ん中直球の問いが頭の中に生まれた、というあたりが、とてもKさんらしいと感じました。たしかにおっしゃる通り、戦略立案が本社の重要な機能であることは多くの人が感じていることだと思います。

では、それは具体的にどのような仕事なのか、考えるためにどういう指針がありうるのか、という疑問を、言語化して問われる方は、案外少ない。まして、おっしゃるように、まだリーダークラスのエンジニアが、戦略という仕事にどう関わるべきか、との自問は、世間にあまり回答が無いように思います。

たまたまですが、わたし自身もここ数年間、いわゆる本社企画部門に属して、『戦略』と名のつく仕事に携わってきました。ただわたしは、(以前お話ししたかもしれませんが)戦略という言葉をふりまわすのは、それほど好きではありません。なるべく「プログラム」だとか「シナリオ」といった言い方をするようにしています。

戦略という、一種の軍事用語は、なぜか使う人間のヒロイズムみたいな感情を刺激するところがあって、うっかりすると酔いやすいからです。酔ったら冷静な判断はできなくなります。冷静でなくなったら、何のための計画や評価か分からなくなるじゃないですか。

それと、戦略という言葉を使う人達の中には、ときどき、基本的な経営戦略論の枠組みさえ知らないまま、論を進めているケースが見受けられます。ビジネスにおける戦略については、先人のいろいろな知恵や研究が積み重ねられており、それを学ばずにいるのはもったいないと思うのです。

「学んで思わざればすなわち暗し、思うて学ばざればすなわち危うし」という論語の言葉があります。何か知識を勉強しても、それを自分の頭で考えない奴は、頭が暗いんだ。しかし自分勝手に考えるばかりで、先人の知恵を学ばない奴は、むしろ危ないんだ、という意味です。ですから、製品企画云々の個別論の前に、Kさんには経営戦略の基本的な枠組みを知っていただきたいと思います。

まず、ビジネスというものを成り立たせる、4つの大きな要素について思いをはせていただく必要があります。それは「市場」「競争」「組織体制」「技術」です。この4つが無いと、ビジネスが成立しません。

ビジネスの出発点は、市場です。たとえて言うなら、漁に出るのに、魚のいない海に行っても仕方がないですよね。どこの海に行くか、どんな魚をねらうのか。これが出発点です。これを考えるのが市場戦略です。市場は顧客とか案件とかの集合体で、需要と言いかえることも可能です。

次に、競争(競合)について考えなければなりません。良い漁場に行っても、周りに漁船が100隻もいたら、収穫は望めそうにないでしょう。どのように競争に勝って獲物をとるか、あるいはいかに競争を避けるのか。これが競争戦略です。

さて、ぶじに良い漁場にたどり着いた、競合もいない、そんな状態でも、自分たちの側にちゃんとした要員がいなかったら、魚は漁れません。一人で網も引き竿もふり船の舵も取る、というのでは、せっかくの魚も釣り上げる前に逃げてしまいそうです。だから、適切な人を配置し、役割や判断を分担して、うまく強調して仕事できるようにしなければなりません。適切な供給(遂行)能力を生み出すもの。これが組織戦略ですね。

最後は、そのように漁を続けるうちに得る経験的な知識・知恵や、新しく手に入れた魚群レーダー・GPSといった道具に象徴される、技術です。技術と知識は組織が持つ能力を、いろいろな形で増幅します。遂行能力の面で技術を使えば、漁獲の生産性が上がり、コストは下がるでしょう。また、魚群の動態に関する知識や、魚の利用法に関する技術を活かせば、新しい種類の魚や漁場を見いだすことができるかもしれません。これが技術戦略です(組織体制と技術を合わせて「経営資源」と表現する流儀もありますが、ここでは分けています)。

漁業のたとえではなく、普通の製造業のケースでまとめると、こうなります:

(1)まず市場を見定める。「誰に売るか」
 ↓
(2)次に競合に打ち勝つ。「いかに勝つか」
 ↓
(3)組織体制で遂行する。「いかに作るか」
 ↓
(4)得た知識・技術を活かす。「何を売るか」

ところで、技術を活かして新しい漁場(需要)に向かう技術を得れば、それが新市場を生み出す訳ですから、(4)→(1)はつながっていて、全体としてスパイラルを描く訳です。そして、この4つがきちんとかみ合って働くことで、企業は利益を得ることができます。

あれ? 肝心の製品戦略はどこにあるのだ、と思われたかもしれません。製品の開発・設計は一義的には技術の下にあるのですが、じつは誰に向けてどんな販売チャネルから、いくらでどう売り、どう作るのか、といった方針設定とワンセットなのです。上の4つの戦略要素は互いに連関し合っていて、どれか一つだけを単独で考えても不十分です。良い製品の企画は、的確な市場セグメントに対し、むだな競争を避ける形で、かつ作りやすいよう、技術を応用するものです。これら全体が緊密に組み合わさった、一種のシステムになっているのです。
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この事情は製品を売る製造業ではなく、サービス業でも同じです。サービスメニューをどう開発設計するのかにおいても、上記の4つの要素を考えなければなりません。

たとえば、著名な経営学者のM・ポーターがあげた例が、「ニュートロジーナ」という会社の製品でした。ニュートロジーナの主力製品は、透明で低刺激の石鹸です。彼らはこの石鹸の試用サンプルを、皮膚科医から患者に配ってもらうマーケティングをとりました。肌への刺激を気にする人(とくに女性たち)に、少し高いけれど安心して使ってもらえる石鹸、とのイメージを確立したのです。これによって、スーパーの店頭で「一山幾ら」の安値競争に巻き込まれずに、利益の上がる製品を売り続け、ブランドを確立することができました。ここには、明確な市場セグメントの設定、競争を避ける方策、そして具体的な製品設計の組み合わせがあります。

ポーターがあげたもう一つの例は、サウスウェスト航空という米国の中堅航空会社でした。エアライン会社ですから、売っているのは製品ではなくサービスです。サウスウェストは、米国の中小地方都市間を結ぶネットワークを持っています。そして彼らは定時運行を売り物にします。二つ以上空港を持つような大都市の場合、必ず便の混雑の少ないマイナーな空港の方に就航します。客の乗降をスムーズにするため、荷物預かりを行わず、基本的にすべて手荷物だそうです。また使用する機体も基本的に一種類のみ。だから保守部品もマニュアルも全て共通化でき、万が一の場合の機体繰りも簡単です。すべては定時運行の信頼を守るためで、これによって彼らはエアライン間の安値競争からのがれ、高い収益率をずっと維持するのです。

おわかりでしょうか。戦略というものは、組み合わせて仕組み(システム)としたとき、有効性が高まるのです。市場戦略だとか競争戦略だとかを単体で考えるのも、一応の意味はありますが、ビジネス全体のストラクチャーを構想することの方が重要です。

ちなみに、上にあげた二つの例は、いずれも価格競争から逃れて、「高く売る」戦略であることをご理解ください。競争力というと、ほとんど条件反射的に「コストダウン」(=安売り)を口にする経営者が非常に多いのですが、M・ポーターはそれに組みしません。企業間の競争を詳しく研究した彼によれば、ある業界の競争状態の程度は、(1)新規参入、(2)代替品の脅威、(3)買い手の交渉力、(4)売り手の交渉力 (5)既存企業間の競争程度、の5要因によって規定されるといいます。

そして企業がその中で優位な立場に立てる一般的戦略として、次の三つを提案します。

(1) コストリーダーシップ戦略
(2) 差別化戦略
(3) 集中戦略

コストリーダーシップ戦略とは、いわば王者の戦略であって、幅広い製品ラインナップと全国レベルの市場において、低価格と薄利多売と大量供給能力によりシェアと利益を確保するやり方です。これに対し差別化戦略は、王者に挑戦する企業が、ユニークな特徴を持った製品を打ち出すことにより、競争に打ち勝つやり方です。上のニュートロジーナがよい例でしょう。

そして集中戦略というのは、ニッチをねらう小企業が得意とする戦略です。一部の小さな市場をねらって、そこに経営資源を集中して守り切るのです。小さな市場とは、特定地域の場合もあるでしょうし、特殊な市場セグメントの場合もあるでしょうが、とにかくある種の顧客に密着し関係を築いて、王者も挑戦者も入りこめないようにする訳です。

この三つの戦略は、同時に全部を取ることはできません。どれかを選ぶ必要があるのです。「戦略とは、意志を持って何かを捨てることである」と、ポーターはある講演で語っておりました。彼はさらに言葉を継いで、日本と韓国の大企業は「総合」志向が強く、何かを捨てる決断が下手だが、それではいずれ行き詰まる、とも警告しておりました。

マイケル・ポーターがこの三つを『競争優位の戦略』と名付けて発表したのは1980年のことです。そして経営学の分野で一斉を風靡しました。以来、戦略論の古典とされています。その後、研究が進むと、いくつか批判も現れますが、それはともかく、コストリーダーシップ・差別化・集中、の三つの基本的な競争戦略くらいは頭に入れて、製品づくりに向かわれるようお勧めします。(この項続く)


by Tomoichi_Sato | 2017-04-28 22:57 | ビジネス | Comments(1)

システムズ・エンジニアのための共通言語が存在する

わたしの働くプラント・エンジニアリングの業界には、通称「P&ID」と呼ばれる図面がある。正式にはPiping & Instrumentation Diagram。日本語に訳せば『配管計装図』だが、そう日本語で呼ぶ人はおらず、普通は「ピーアイ」と略す。いわゆる化学プラントの基本設計を表す図面であり、そこに構造も要素も制御もすべて書かれている。きちんと描かれたP&IDがあれば、どんな機器構成からなり、どんな働きをするのか、ほとんど全て見て取れてしまう。プラントがほぼ作れてしまうと言ってもいい。だからどこの会社でも機密扱いになっている。P&IDがどんなものか、サンプルをお見せできればいいのだが、そういう訳でわたしも勝手に開示できないので、せめてたとえば以下のサイトを見て雰囲気をご覧いただきたい。

 Diagrams for Understanding Chemical Processes http://www.informit.com/articles/article.aspx?p=1915161&seqNum=3
 Piping & Instrumentation Diagram, P&ID http://processflowsystems.com/piping-instrumentation-diagram-pid/

このP&IDという図面は、いわばプラントの分野における『回路図』のようなものだ。電気における電気回路図と同じで、世界中、ほぼ同じ記法で書かれている(多少の方言はあるが)。だから専門の者が見れば、他社のプラントであっても完全に理解できる。P&IDはプラント業界の共通言語だと言ってもいい。そして、それゆえ、化学や石油業界の顧客にかわって、プラント工場の設計と製造を請け負う『エンジニアリング会社』という商売が成り立つのだ。もしP&IDという図面が存在していなかったら、あるいは記法が各社バラバラだったら、誰も工場づくりをアウトソースできず、われわれもビジネスをやっていけない。共通言語があるから、はじめて業界が機能分化し、専門会社ができて技術を集中・発達させることができるのだ。

そしてたぶん、電気業界だって、事情は同じことだろう。電気回路図が国ごと、会社ごとにバラバラだったら、電子部品業界など成り立つまい。他国でメンテナンスできず、輸出もできない。電子立国日本、などと’90年代は呼ばれたが、輸出で経済を支えられたのは、回路図という共通言語がすでにあったからなのだ。

ちなみにエンジ業界でP&IDを作成する設計職種を、プロセスシステム・エンジニアと呼ぶ。長いのでプロセス・エンジニアと呼ぶことも多い。職種名からお分かりの通り、一種のシステムズ・エンジニアである。わたしもキャリアの最初は、この職種だった(が、へそ曲がりの性格のためか、だんだん横道にそれてしまったのだ^^;)。P&IDは化学プロセスのシステムとしての表現であり、主な設計成果物である。そして化学プラントはシステムである。それは文系・理系を問わず、この業界にいる全員の常識だ。

そういう世界に育ったせいか、他の分野に関わったとたん、システムという意識の薄さ、システム設計における共通言語の不在に驚くのである。わたしの目から見れば、自動車だって、月ロケットだって、水道インフラだって、計算機だって、工場だって、みんなシステムである。まあ発達した業種には、それなりに共通する図面類はあり、だから業界が成り立つのだろう。だが、少しでも業界を横断して、他の分野に学ぼうとしたとき、あるいは共通の知恵を育てようとしたとき、共通言語がなかったら、どうしたらいいのか。

え? ITの分野にはC++とかjavaとか世界共通の言語があるって? それは実装のための道具だ。ちょうど電子部品のようなものだ。わたしが問題にしているのは、「システム設計のレベルにおける言語・表現図」である。たとえばユーザ機能要求はどう表記されるのか。システムと要素間の関係はどう図式化されるのか。変更はどう記載されるのか。そういった面である。E-R図とかDFDがあることぐらいは、わたしも一応知っている。そして実際には記法の流儀や方言が多いことも。嗚呼、先輩の「背中を見て」育つ世界。

では、システム設計=『システムズ・エンジニアリング』という広大な共通領域に対して、欧米ではどう取り組んでいるのか。その一つの動きが、前回紹介したINCOSE(国際システム工学協議会)であり、MIT(マサチューセッツ工科大学)やPMIとの連携である。もう一つ、同じMITの取り組みを見てみよう。MITがNASA(米航空宇宙局)・ボーイング社と提携して提供をはじめた、技術者育成コースがある。タイトルを、
"Architecture and Systems Engineering: Models and Methods to Manage Complex Systems"
という。訳せば、「システムのアーキテクチャとエンジニアリング:複雑なシステムをマネージするためのモデルと手法」であろうか。サイト(https://sysengonline.mit.edu)に2分程度の短い広報ビデオがある。これを眺めると、英語が不得意でも対象者や雰囲気は少し分かる。

この育成コースでは、"Model-Based Systems Engineering”を柱とした教育を行うことになっている。対象物のモデルを元に、予測・検証・評価を行って設計する手法だ。ここで対象とするのは人工衛星や電気自動車といった、複雑なシステムである。コース概要を読むと、そこで用いる、「回路図」に相当する共通言語として、
SysML (System Modeling Language)
OPM (Object Process Methodology)
の二つを学ぶことになっている。

わたしはどちらもちゃんと学んだことがないので、聞きかじりで書くことになるが、SysMLの方は言語といっても、図表を中心としたモデリング技法だ。SysMLのシステムモデル表現には、大別して、構造・要求・振る舞い・パラメトリック制約の4種があり、さらに以下のようなダイアグラムを使う。

構造:ブロック定義図、パラメトリック図、内部ブロック図、パッケージ図
要求:要求図
振る舞い:ユースケース図、シーケンス図、アクティビティ図、状態機械図
パラメトリック制約:(これは数式表現、運動方程式、パラメータによる性能評価などになる)

SysMLに関しては、この分野の第一人者である慶応大学SDM学科の西村教授による入門的解説「システムズモデリング言語SysML の活用」(http://www.mstc.or.jp/iaf/event/2014w/05nishimura.pdf)があるので、興味がある方は読まれるといい。上にあげたリストも、ここからの引用である。

もう一つのOPM (Object Process Methodology)は、ある意味、もっと面白い。この手法には図表限もあるのだが、同時に、いわゆる言語として文字列でも表現できるようになっている。OPMでは対象を「Thing」とよぶのだが、これはObjectとProcessに区分される。つまり日本語で言う「モノ」と「コト」である。そして、それら要素間の関係を様々な形で表記していく。なおOPMのモデルはSysML形式にも展開可能である。

ところで、SysMLは10年ほど前に国内に紹介されたものの、どうやらあまり普及しなかったようだ。OPMにいたっては、日本には紹介もされなかったらしい。日本語版Wikipediaはエントリーさえ無い。OPMはすでに国際標準として認定されて、ISO 19450:2015になっているのに! まあこれが、「システム」設計という仕事に対する、わたし達の社会の知的態度なのかな、とも思う。

もっとも、こういう言い方には疑問を呈する方もおられよう。SysMLがあれば、良いシステムが設計できるというのか? ましてSysMLが、「統一モデリング言語(UML)のサブセットにUMLのプロファイル機構を使って拡張したものと定義できる」(日本語版Wikipediaより引用)ことを知れば、IT業界の方にはなおさらかもしれない。UMLか! あれってほんとに便利なの?

当たり前だが、
・SysMLを使えば良いシステムの設計ができる
・SysMLを使わなければ、良いシステム設計はできない
のいずれの命題も、別に正しくない。じゃあ、なんでSysMLだのOPMだのにこだわるのか? 結果として、いいシステムが設計できれば、使い慣れたどんな道具でやったって、いいじゃないか。

答えは、「仕事をシステム化するために必要だから」である。システム設計と構築という仕事自体を、システム化するために、標準的な、共通化された道具立てと手法が必要なのだ。誰がやっても、その個人のスキルや資質に過度に依存せずに、ある程度の設計品質が保てること。そして、巨大なシステムをつくる場合に、仕事の仕組み自体をスケールアップ(IT業界風に言えばスケールアウト)できること。そのために、必要なのだ。

ほんの2〜3人で、数ヶ月でできてしまう仕事は、設計を担当する個人の力量に、結果が大きく依存する。だが200〜300人がかりで数年かかるような仕事は、そういう事ではこまる。様々なサブシステムが、それなりに均質で予見可能な形でできあがってこないと、最後に統合する際にバラバラになってしまう。だから、大きなスケールの仕事ができるように、仕事のプロセスをシステム化すべきなのだ。これが、少なくとも欧米人に共通な発想である。これに気づけない人は、じつはシステムズ・アプローチということをよく分かっていない、と見た方が良い。

設計に使う道具について、専用化を志向するか汎用化・標準化を志向するかは、つねに議論になる問題だ。SysMLとかUMLとかは、汎用化志向だ。だが汎用を目指すほど、個別問題には余計なオーバーヘッドが生じて、重たくなる。だったら個別分野に向いた、使いなれたツールを使う方が効率が高い。そう考えるのはよく分かる。ただ、その傾向を徹底すれば、どうなるか。部分最適を追求した結果、最後は「オレ流」になるのは目に見えている。俺流でずっと仕事を回していけるなら、それでいい。だが組織や業界がそういう流儀から脱皮したいなら、何らかの共通言語が必要なのだ。

実は、最初にあげたP&IDや回路図といった図面が早くから生まれたのは、理由がある。化学プラントや、電気回路などのシステムでは、要素間をつなぐ線が、物理的に存在して目に見えるのだ。プラントでは配管が、回路では配線が、それにあたる。だから、こうした線を図に表記するのが、自然に思えた。しかし月ロケットや電気自動車では、そうではない。電気配線はあるが、それはほんの一部に過ぎない。主要な部分(機能モジュール)間の関係、インタフェースは、目に見えない。だからこうした分野では、システム図の発明が遅れたのだ。でも今や、それは生まれた。そして育ちつつある。少なくともわたし達の国の外では。

目に見える物理的なモノだけでなく、目に見えぬ関係やプロセスを、システムの要素として認識すること。いや、むしろモノとプロセスの主従を逆転して、作業を中心にモノを見ること。そして仕事の仕組み全体をシステムとして理解すること。こういう能力が、システムズ・アプローチの勘所なのである。先に挙げたMITの育成コースは、edXを使ったオンライン教育中心で、4ヶ月間かかる。公式な資格を発行してくれるが、$2,200かかる(けっこう高い)。それで、何が得られるのか? システムズ・エンジニアリングにおける共通言語と共通スキルである。そういう技術者が、海の向こうでは求められているのだ。だからせめてわたし達も、システムズ・アプローチを学べる場を手作りで生み出そうと、ささやかながら我が研究部会で試みているのである。


<関連エントリ>
 →「システムズ・エンジニアリングとは何か」 http://brevis.exblog.jp/25682507/ (2017-04-09)
 →「工程表と部品表 - 個別受注生産における主従の逆転」 http://brevis.exblog.jp/25660188/ (2017-03-22)

by Tomoichi_Sato | 2017-04-19 12:16 | ビジネス | Comments(0)

システムズ・エンジニアリングとは何か

日本にはあまり知られていないが、欧米では確立され重視されている技術の分野がある。それは「システムズ・エンジニアリング」=システム工学である。

・・と書けば、“何を馬鹿な”と思われる方が大半であろう。日本にはシステム・エンジニア(SE)と呼ばれる職種の技術者が、少なく見積もっても十万人単位で存在する。それに、大学でもそれなりに教えているではないか。「システム工学」と名のつく学科だって、数十は存在する。それなのに、「あまり知られていない」などとは何ごとか!

そう憤慨される読者諸賢に、それでは、一つご質問したい。貴方が学校で学ばれた「システム工学」の、代表的な教科書をあげていただきたい。これ一つ読めば、システム工学の基礎が大体分かる、読んでいない奴はモグリだ、というような定番の教科書である。システムとは何を指すのか、システムはどのように設計すべきか、設計手法は何があるのか、システムの分析や評価はどう行うのか、システム工学研究の最新の課題は何なのか、すっぱり分かる教科書である。経済学におけるサムエルソンの本みたいなやつだ。1冊ではなくシリーズでもいい。確立した工学分野なら、そういう教科書が必ずあるはずではないか。

え? 思い当たらない? そんなら、最近流行の「知識体系」を書いた標準書かハンドブックでもかまわぬ。プロジェクト・マネジメント分野におけるPMBOK Guide (R)みたいなやつだ。一流のプロを目指す人間なら、誰でも座右において、でも実際には滅多にめくって見たりはしないアレである。え? それも存在しないって。だとすると、世の中のシステム・エンジニアはどうやって勉強してきたのか。まさか習うより慣れろ、先輩の背中を見て育て、だろうか。また学術研究は、どう進められているか。今、念のためにちらりと調べてみたが、「日本システム工学会」のような組織も無さそうだが・・?

そうなのだ。日本には、「システム工学」一般を扱う学会も、それを教える大学も、存在しない。たとえば「日本の大学」というサイトで調べると(http://www.gakkou.net/daigaku/src/?srcmode=gkm&gkm=04011)、76件の学科が出てくる。だが、機械システム工学、情報システム工学、制御システム学、化学システム工学など、何か特定の修飾がつく学科ばかりだ(かつては神戸大学と静岡大学に「システム工学科」が存在していたが、どちらも今はもう無い)。学会で言えば「システム制御情報学会」https://www.iscie.or.jp が存在する(わたしも以前、学会誌に一度寄稿したことがある)が、これも元は自動制御論の学会である。さて、世の中のSEの皆さんで、ラプラス変換や伝達関数を毎日仕事で使いこなしている方はどれくらいいるだろうか?

率直に言って、わたし達の社会には、「システム」という概念に対して、奇妙な歪み、ないし偏向がある。システムとは「目的を成し遂げるために、相互に作用する要素(element)を組み合わせたものであり、これにはハードウェア、ソフトウェア、ファームウェア、人、情報、技術、設備、サービスおよび他の支援要素が含まれる」と定義される。システムというのは非常に一般的な概念だ。そこには機械的なシステム、たとえば自動車だとかカメラだとか人工衛星だとかも含まれるし、工場やプラントみたいなものもシステムだし、人間系を含んだ仕組み、たとえば企業の経営組織だってシステムの一種である。少なくとも、学術の世界ではそう認識されていて、(学会は専門分化する方向が強いので)個別に「○○システム学科」が生まれていく。

ところが、一歩大学の外に出ると、なぜだか突然、「システムとはコンピュータのこと」という『常識』が世間を覆っていることに気づく。そして、SEと呼ばれる人たちは、もっぱら計算機のハードウェアだとかソフトウェアだとかを設計・実装するITエンジニアばかりなのである。『システム』という言葉自体、外来語で、日本語に該当するもののない、わかりにくい抽象概念だった。だから<システム=計算機>という目に見えるものにマッピングして理解されることが起きたのかもしれない。

しかし、このような偏向ないし偏在は、いろいろなところで問題や見えない非効率を生み出している。たとえば少なからぬメーカーにおける製品は、複数要素から成り立っており、システムである可能性が高い。だが、そこにコンピュータ要素がないと、『システム』として認知されない。すると、システム工学が得ている知見や常識が活かされず、その製品設計プロセスにも、システム工学で常識となっているモデル(後述する)が適用されないケースが多いと思われる。あるいは、生産管理などの仕組みも、一種のシステムである(現にトヨタは「トヨタ生産システム」と呼んでいる)。だが、そこにもシステム工学で常識となっている事柄が十分活かされず、ただ個人の頑張りや浪花節的調整や「気合い」やらで組み上げられたりする。欧米ライバル会社では、そこが理知的に設計されスケーラブルになっている可能性が高いのに、である。

ところで、二つ上の段落に書いた「目的を成し遂げるために・・要素が含まれる」という定義は、じつはINCOSE(The International Council on Systems Engineering http://www.incose.org )という団体による定義を引用したものだ。INCOSEは文字通り、システム工学に関する国際的団体である。事務局は現在、米国サンディエゴにあるが、理事のメンバーを見ればわかるとおり、欧米にまたがっている。大学人あり、航空宇宙業界ありソフトウェア業界ありエンジニアリング業界ありで、かなり広汎だ。そして(例によって)日本人は一人もいない。

このINCOSEという団体は、"INCOSE Systems Engineering Handbook: A Guide for System Life Cycle Processes and Activities"というハンドブックを出版している。現在第4版で、Amazonなどからも手に入る。これを眺めると、現在のシステム工学というものが、何を問題にし、どういう方法論で挑もうとしているのかが少し見えてくる。

たとえば、同書の中には、システム開発の「V字モデル」の図が出てくる。こういう図だ。


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これに似た図は、ITエンジニアの人たちなら、見たことが多いのではないだろうか。日本でも、大手ITメーカーの社内標準や開発プロセス定義に取り入れられている。INCOSEのハンドブックの説明によると、このV字モデルの概念は1990年頃に萌芽が生まれたが、このような形で提案されたのは、Forsberg, Mooz & Cottermanの"Visualizing Project Management”(3rd edition, John Wiley and Sons, 2005)がオリジナルであるという。

念のために説明しておくと、システムは通常、その中にサブシステムを持っており、サブシステムはさらに下位の要素などから階層的に構成される。上位システムは何らかの要件を持っており、エンジニアはその機能を満たすために内部構造を考える。つまり、下位のサブシステムが満たすべき要件と、その要素間の関係を規定する訳だ。設計とはそもそも、満たすべき要件と制約条件の中で、利用可能な材料から、機能・構造・制御機構を持つ案を考え、その中で価値が高いものを選ぶ行為である。そして下位のサブシステムについては、その要件を満たすべく、さらに下位の要素の組み合わせで設計する。

こうして、設計段階は、上から下におりていく。ところが、それを実現する(製造・実装)段階では、まず要素を作り、その要素レベルでの機能検証を行った上で、上位のサブシステムを構成し、サブシステム・レベルでの検証をすませてから、全体システムへと進む。そこで、各段階の設計において、あらかじめ検証のための方法を計画しておかなければならない。

これは、今日のITエンジニアにはほとんど常識であろう。事実、ISO12207 「ソフトウェアライフサイクルモデル」などにも、この概念は取り入れられていて、テストは単体→結合→総合、という風に下から上に上がってくるのである。これを逆にはできないし、すべきでもない。ただ、こうした概念がIT分野で常識化してきたのは、この10年くらいのことかもしれない。そして、IT以外の分野では、まだあまり常識ではない。たとえば、IT系の会社で組織体制を決めるとき(これは立派なシステム設計行為だ)、上から順に機能定義を展開し、下から順にそれを検証しているだろうか? そうしていないとしたら、それは何故なのか?

それは、「システム」という概念がコンピュータ回りに偏向しているからだろう。上に述べたINCOSEのシステム定義が、要素としてちゃんと「人間」を含んでいる点に注意してほしい。人は、システムの重要な要素なのだ。まあ、わたしは実務家であって、必ずしも抽象的一般理論の信奉者ではない。だが、必要に応じて、抽象レベルを上げて考える能力は、技術リーダーに必須のスキルだと信じている。そして、それをシステムという観点から行うのが、『システムズ・アプローチ』なのである。

ちなみに、INCOSEは数年前に、プロジェクト・マネジメントの本家団体であるPMIと、戦略的提携関係を結んだ。さらに、MIT(マサチューセッツ工科大学)とも協力して、プログラム・マネジメントについて新たに共同開発を行っている。これは、わたしにとって驚きのニュースであった(もっとも、こういうニュースがこの国ではちっとも驚きを持って広まらないのだが・・)。そして、共同で新しく本を編纂するというので、日本プロジェクトマネジメント協会PMAJの光藤理事長が寄稿された。出版は少し遅れているようだが、近々刊行されると思う。

ともあれ、わたしの知る限り、今日の日本において、IT以外の分野で「システム・エンジニア」という職種が認知されているのは、JAXAに代表される航空宇宙業界、一部の物流設備業界、そしてプラント業界くらいだ(化学プラントの世界では「プロセスシステム」という概念が確立していて、これを専門に設計する職種がいる。ただしプロセス・エンジニアと呼ぶことが多い)。でも、もっと多くの分野で、システム工学の考え方を知り、また独自に技法を案出できるといいと思う。

こうしたシステム工学の考え方に興味を持たれた方に、ちょっとだけ耳寄りな情報(笑)をお教えしよう。上記のINOCSEの英語版ハンドブックを読むのは、なかなか大変だ。そういう方は、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が、

JAXA (2007)「システムズエンジニアリングの基本的な考え方」

という解説記事をネットで公開されている。こちらをまず、勉強されることをおすすめしたい。わたし自身、INCOSEのハンドブックに書かれている方法論だけでは、工学としてまだ物足りない部分があるとも考えている。とくに、System ArchitectureやSynthesis、つまりシステム合成のための設計指針が、もっとほしいと感じる。だが、そのギャップを埋めるには、大勢の叡智を集める必要があろう。そして、より多くの人が、こういうシステム工学の存在を知ってほしいと思うのである。


by Tomoichi_Sato | 2017-04-09 17:36 | ビジネス | Comments(0)

花粉症の対策として、「蒸しタオル法」を試すことをおすすめします

昨年の4月に、「わたしが花粉症の薬を飲まずにすむようになった、1日3分の簡単な習慣」http://brevis.exblog.jp/24285190/ というエントリをアップした。今年も花粉が飛びはじめ、アレルギーの人間にはしんどい季節が始まったようなので、ここにその内容を再掲しておこう。とても簡単な方法だ。わたしは毎年、医者にかかってアレルギーの薬をもらっていたが、昨年は一度もその必要がなかった。その方法とは、

毎晩、寝る前に蒸しタオルで3分間、鼻を温める

というだけである。蒸しタオル(いわゆる「おしぼり」状のもの)をつくり、仰向けになって顔の真ん中にのせて、3分間、じっと鼻筋や目のあたりを温める。すると、なんとなく顔の緊張や目の疲れが和らいで、リラックスする。それだけで、あとは眠ればいい。

蒸しタオルといっても、じっさいには乾いたタオルを水に濡らして、電子レンジでチンすれば出来上がる。あまり熱くしすぎると顔に乗せていられないが、ぬるすぎると3分たつ前に冷めてしまうから、タオルと水の量とレンジの時間は、頃合をはかる必要がある。わたしの場合はやや熱めにしておいて、(理容師さんがよくやるように)両手でぽんぽんとはたいて、表面を少し冷ますようにしている。まあ、温度や鼻筋を温める時間については、あまり神経質になる必要はないようだ。気持ちいいと感じることが大切なのだろう。

この方法で万人の花粉症が予防できるとか、治るとか言うつもりはない。たぶんその人の体質や、日々のストレスにもよって違うだろう。わたしだって今年はどうなのか、まだ分からない。ただ、昨年の春、この方法を教えて、「確かに効いた」「楽になった」という方が何人かはいたので、ここに再度書く次第だ。さしてコストがかかる訳でもないし、ひどい副作用もないと思うので、一週間程度は試してみていただきたい。もっともわたしは医師もなんでもないので、at your own riskでお願いする、と書いておこう。また、重い症状の方は、専門医にかかることをお勧めする。ただ、たった一人でもいい、この方法でどなたか読者諸賢の春の悩みが少しでも軽くなるならば、望外の喜びである。


<関連エントリ>

by Tomoichi_Sato | 2017-02-19 09:21 | ビジネス | Comments(0)

結果オーライのマネジメントでいいのか? - 成果の予見可能性を高めるために

海外企業で経営者の一員として働く知人が、「利益額という結果だけで親会社から評価されマネージされるのではたまらん」と考え、Strategic Business Planを策定したという話を、前回書いた。彼は安定した成長の軌道を描くために、そして必要な経営資源を明らかにするために、苦心している訳である。では組織が「結果オーライのマネジメント」を脱して、成果の予見可能性を高めるためには、どうしたらいいのか?

答えはある意味、単純である。最終結果だけではなく、途中段階をコントロールする。すなわち、仕事を結果に至るまでの過程=プロセスに分解し、プロセスを構成するそれぞれのステップがきちんと働くようにすることである。たとえていうならば、長い釣り竿の先端を、ねらった位置にぴたりと当てるゲームを考えてみてほしい。根元だけ持って、先端の位置をコントロールするのは難しい。途中で勝手にしなるし、手元のブレや風の影響でブルブルゆれるだろう。だが、竿の途中の何カ所かに細い棒か何かで支えを入れて、その支えの位置をそれぞれ動かせれば、先端の位置決めははるかに精度が高くなる。そういうことだ。

仕事をプロセスに分解するとは、受注型営業ならば、商品説明→提案→見積→受注、という段階になるだろうし、設計作業なら要件確認→基本設計→詳細設計→試験確認、といった流れかもしれない。図では、仕事を直列な4つのステップに分けているが、べつに4でなくてもいいし、直線状ではなく分岐や並行があってもいい。
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各ステップには、それぞれの中間成果物や達成状態がある。そして各ステップには、そのパフォーマンスを左右するような、主要な導因(Key drivers)と、それを測るモノサシがあるはずだ。これが先ほどの釣り竿の例でいう、途中の支えに相当する。たとえば営業の商品説明なら、客先への訪問がKey driverだろう。それは訪問件数で測ることができる。そのステップの中間結果としては、次のステップ=提案まで持ち込める案件の比率が、達成度合いを示す。このようにプロセスを分解して、各ステップの状態を良く見分けることができれば、最終結果に至るずっと以前に、先行きの予想がつきやすくなる。つまり『予見可能性』が高まるのだ。

かりに営業の受注プロセスをよく見たら、商品説明から提案までは高い比率で進んでいくのに、その後、見積に行く段階で急に案件数が下がったとしよう。だとしたら、受注がふるわないのは、「商品力がないから」とか、「他社より価格が高いから」といった理由ではなく、「提案段階での内容・質に問題がある」ことが主要な原因だと分かるだろう。商品に興味は持ってもらえるのだ。だが、提案が顧客の期待にマッチしていない。だとしたら、提案力を上げるにはどうしたらいいかを考えることになる。

そして各ステップには、そのパフォーマンスに影響を与える環境要因がある。これもステップ毎に異なるはずだ。環境要因とは、担当者の意志や努力ではどうにも変えられない事象を指す。提案段階のパフォーマンスに影響を与えるのは、「世の中の景気」でもないし、「他社との競合の激しさ」でもあるまい。

提案力が低いのは、もしかすると設計部門が多忙すぎて提案営業に協力できない、といった内部環境なのかもしれない。あるいは単に、営業から技術部門への顧客ニーズの伝達が、うまくいっていないのかもしれない。ただ明らかなのは、「世の中の景気が落ち込んで競合が厳しくなったから受注高が上がりませんでした」という説明は、事実を正しく伝えていないということだ。こうした営業部門の言い訳は、プロセスに分解すると正当かどうか判断できる。

戦略とは、限られた経営資源をどこに集中し、どこは略すかを決めることである。だから上記のような状況では、提案能力を上げる部分に、人員や資金や技術を投入すべきだということになる。戦略は一種の賭けでもあるので、経営資源の投下が本当に期待した効果を上げているかを、Key driverと中間成果の数字で測って、適時検証しなければならない。

・・と、いうような話は、別にわたしの創意でもないし、取り立てて新しい考えでもない。結果だけを見るのではなく、結果に至るまでの段階と構成要素を見てコントロールすること、かつ全体を見て判断すること、必要ならばその仕組みを改良すること。これがシステムズ・アプローチである。原理自体はとりたてて難しいものではないし、図を見ればほとんどの人は「なるほど」と同意するだろう。プロジェクトという大きな仕事のまとまりを、構成要素であるActivityに分解するWBSという手法だって、その一例である。工場の人なら、工程単位に検査をしながら進んでいく「自工程完結方式」だな、と思うかもしれない。

だが、システムズ・アプローチを知っているということと、組織がいつでもそれを使いこなせるかどうかは、別物である。組織の構成員が無意識に従う、体系化された思考と行動の習慣を、わたしは『組織のOS』と呼んでいる。「結果オーライのマネジメント」が横行している組織では、システムズ・アプローチはまだOSレベルに至っていないな、と判断できる。そういう組織では、仕事の成果は人で決まるか、環境に左右されるか、だと信じられている。だから競争で人を選別するか、あるいは各人の頑張りで環境条件をはね返すしかない、という結論になる。

最近、とある著名な経営コンサルタントから聞いた話がある。この方は製造業の分野に強いのだが、日本企業の海外展開のあり方について気になることをいっておられた。海外に工場を建て、子会社を作るのはいいのだが、その子会社に対してまさに「利益額の結果だけで管理する」やり方をとっている企業がほとんどだ、というのだ。きいていて、ちょっとドキッとした。

かと思うと逆に、やれ稼働率だ資材購入単価だ生産性だと、部門別に細かなモノサシをたくさん指定して、それで海外工場同士を比較競争させる発想もけっこう強いらしい。「KPI経営」と、その方はよんでおられた。

KPI経営のどこがまずいのか? 企業の部門というのは、営業・資材購買・製造・物流、という風に、仕事の機能単位に、まさにプロセスで並んでいるのだから、それぞれの機能をKPIでコントロールするやり方は、まさに上に述べたシステムズ・アプローチではないか、と思う人もいるかもしれない。

だが、両者は似て非なるものである。まず、プロセス全体を見ている者がいない。日本の工場を「マザー工場」に指定して、海外工場にならわせるマザー工場制度を取るところも多いので、実質的には日本の各部門が、子会社の各部門をそれぞれ個別に指導・管理しているだけだったりする。だから、現地にも工場長はいるだろうが、日本で適切だったはずのKPIが、海外工場に同じように該当するかどうか、誰もきちんと全体を見て検証していない。

それに、上述の各ステップのパフォーマンスを左右する動因の一つは、すぐ上流側から受け取る中間成果物の品質やタイミングなのである。いってみれば上流側プロセスが、各ステップにとって最大の『環境』に相当するのだ。それなのに、上流側が勝手にそれぞれ局所最適を目指したらどうなるか。

たとえば資材購買のKPIが購入単価だったとする。つまり安ければ安いほどいい、と。いきおい、入ってくる資材は品質や納期にリスクを抱えることになる。加工課のKPIは機械稼働率だったとしよう。そしたら、とにかく機械を遊ばせないため、遅れ気味の資材が、入るはしから部品に加工したがるかもしれない。低品質な部品が、使うかどうかも不明なまま大ロットで工場倉庫に積み上がる。ところで組立課のKPIは一人あたり生産性である。そこで、できるだけ部品を作業ラインの近くに置いておきたがる。かくて、工場はモノであふれかえっているのに、必要なモノは足りなかったり、出来上がった製品の品質はさんざんだったりする・・

おわかりだろう。各ステップのKey Driversというのは、プロセス全体をとりまく状況に依存するのである。だから、システム全体を見る目と、判断する能力が必要なのだ。中小零細の工場主なら、こうしたことは理屈で知らなくても体感でわかっている。むしろ中堅以上の、分業が進んだ企業組織ほど危ない。業務を機能別に分解してKPIで働かせるだけででは、マネジメントしていることにはならない。WBSをつくって各Activityに担当者を割り振ったら、あとはプロマネなしでもプロジェクトは成功するだろうか? そうはいくまい。つねに変わりつつある内部環境や内部環境に応じて、総合的に判断する役目が必要なのだ。「総員がその持ち場で最善を尽くせば、結果は必ずついてくる」などというのは、じつはマネジメントの不在を示している。

くりかえすと、組織全体の成果の予見可能性を高めるためには、プロセス(工程)によるマネジメントとコントロールが必要である。そのためには、

・プロセスを構成する各ステップのキーとなる導因とモノサシを見定める
・モノサシと、結果のパフォーマンス(コスト、時間、品質など)との関係を推定する
・全体プロセスがうまく働くように、適切に人員や予算などの経営資源の配分を判断する

という手順を踏むことになる。こうしたことは、皆がある程度、無意識にやっている事かもしれない。いわれてみれば当たり前、あるいは「そんなの知ってるさ」という事かもしれない。だが、それを形式化し、OS化することが大切なのだ。それによって、属人的な仕事の進め方(技能)が、標準化された技術になるからだ。

そしてもう一つ。こういった原則的な知識は、字で読んだだけでは身につかない。自分自身の状況に引きつけて応用問題を考え、少しずつ試しながら理解する必要がある。たとえば上記のプロセスに、ループや分岐があったらどうしたらいいのか。どうみても数値化しにくい中間成果は、どう扱うか。

一般にマネジメントの問題には正解がないといわれる。それは、現実の仕事には環境条件や不確実性が左右して、結果に必ずしも再現性がないためである。だが同時に、『全体を見て総合的に判断する』ためには、確固とした価値観を持たなければならないからでもある。そして、こうした総合的判断の訓練のためには、学ぶ仲間がいるほうがいい。現在、わたしが主宰する研究部会では「PM教育の新しいアプローチ」を構想中だが、そこで学びのコミュニティが必要であると考えているのは、このためだ。一人だけで問題を考えると、どうしても視野が限られるが、複数人なら「三人寄れば文殊の知恵」が働くからだ。

そしてわたし自身も、まだ学びの途中である。

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by Tomoichi_Sato | 2017-01-25 23:01 | ビジネス | Comments(0)

結果オーライのマネジメントでいいのか?

帰国した知人と久しぶりに会った。アジアの新興国で会社の経営陣の一員として働いている。日系ではなく純然たる現地企業だ。中堅規模でそれなりの業績も上げているらしい。知人の主な仕事はBusiness Development、すなわち事業分野の拡大と経営面の仕組み造りである。わたしも最近ずっと経営企画的な仕事をしているので、興味が重なり、いろいろな話を聞かせてもらった。

知人がその会社にヘッドハントされて着任したとき、真っ先に気になったのは、きちんとした中期的な経営の方針がないことだった。彼の会社は、その国の結構大きなコングロマリットの一部であり、子会社の位置づけだ。だが親会社からは、「何の指針も指示もなく、P/Lのボトムラインだけで管理されている」状態だったという。

P/Lとは財務諸表の『損益計算書』(Profit & Loss)の略称だ。損益計算書は一番上に売上収入が書かれ、その下に出費経費がずらずらとならぶ構造になっている。一番下の行には、差し引きの結果である経常利益が記載される。これを英語ではよく"bottom line"と称する。「P/Lのボトムラインで管理する」とはつまり、通期の利益額だけを見て、赤字だったら叱責され、黒字ならよしよしと言われるか、「まだ足りない」と言われるか、だけだったということを意味する。収益が大きければたぶん経営者はグループ内で地位が昇格し、赤字が続けばクビになって別の者にすげ替えられるのだろう。

だが、これだけでは、会社の経営陣として次にどういう手を打つべきか、さっぱり分からず、方向性が定まらないと知人は言う。そうだろうな、とわたしも思う。お前の会社はグループ内でこういう位置づけ、こうした役割を担っているのだから、こんな風な姿を目指せ、親会社として支援できるのはここまでで、判断基準ややり方はこうだ、というような指針が一切ない。ただ結果としての利益を出せ、と言われているだけだ。

きいていてわたしは、「甘えるな、結果が全てだ!」という標語を思い出した。わたし達の社会では、あちこちで出会うセリフである。経営者は結果が全てだ、利益を出せるかどうかだ。これは多くの株主が感じていることだろう。あるいは職場でも使う。営業は結果が全てだ、受注できるかどうかだ、という具合に。学校教育でもそうかもしれない。入試は結果が全てだ、いくら試験場で気張っても入試に通らなければ意味がない。スポーツも、参加したって勝てなければ意味がない・・

これは裏を返せば、良い結果さえ得られれば、その方法や途中経過は問わない、というメッセージでもある。そのやり方がどんなに属人的でも運頼みでも、とにかく結果さえ出れば、それで良いとほめられる。そして結果は、たいていリーダーの功績に帰せられる。だから優れた業績を上げた人は、どんどん引き上げて、より上位のポジションにつける。結果とは一種の人材選別のフィルターであって、優秀な人間を見いだしてリーダーに据えることですべてはうまくいく。そういう思想の表れである。そう考えると、わたし達の社会でやっている受験競争だとか就活だとかの大騒ぎの意味が、よく分かるではないか。試験で優秀な結果を出せた者が一流大学に進学でき、その中の成績上位者がさらに中央に引き立てられてエリートとして社会に君臨する。そのおかげで日本はここまで立派な大国になったのである、と。

でも、知人のケースに話を戻そう。結果を出すために、目の前の仕事を取りに行って、何とか完遂する。それをおえたら、また次の仕事を取りに行き、完遂する・・これの繰返しだけでは、会社は新興国の不安定な景気の波にもまれるだけで、真の成長はむずかしい。このままではまずいので、Strategic Business Planを作ることになった。それが彼に期待されたミッションの一つでもあった。ちなみに知人は元々、技術屋である。だが長らくプロジェクト・マネージャー職に従事し、さらに<マネジメント的な視点>を持っている人だ。経営関係の勉強もそれなりにしている。彼の上司にあたる社長も、技術者上がりだ(わたしは一度だけ挨拶したことがあるが、人柄を感じさせる立派な方だった)。だからこうした方面の役割を、その知人に期待したらしい。

Strategic Business Planであるから、まずは会社が中長期的に目指す姿を明らかにすることからはじめなければならない。そのためには無論、ある程度のマーケットの読みが必要である。魚のいない海に船を出してもしかたがないからだ。アジアのその国では、長い政治的低迷時代を少し前に脱し、ようやく成長過程に入っていて、エネルギーやインフラなども市場が期待できる。ただし市場は大きくても、競争をどうしのぐかが次の問題になる。せっかく豊富な漁場に出ても、周りを見渡したら、(たとえば)中国漁船がうじゃうじゃ、というのでは始末に負えまい。それから、自社の強みを明らかにして、それを向上させる技術なり人材なりの方策が必要である。漁場も良く、回りにライバル船が不在でも、自分の船にGPSもレーダーもなく、古代さながらの投げ網だけでは、収穫はしれているというものだ。

こうした仕事を進めるにあたり、すべてを自分だけで我流でやらず、社内を動員し、また外部のコンサルタントを活用したそうだ。とくに遂行面での弱みを補強するために、欧米系の超有名な、「マ」ではじまるコンサル会社を雇ったりもしたのだが、ここは期待外れだったらしい。それはさておき、彼が目指すStrategic Business Planを一通りつくり上げることができた。外部コンサルも、自分たちの頭を整理してくれる点では役に立った。なぜなら、経営計画を策定するという仕事はどこの会社にも共通しているし、経営学という学問の蓄積も一応はある訳だから、自分でゼロから車輪を再発明せずにすむ訳である。

こうして海図と羅針盤は手に入れた。だが、これからPlanを実行する段になると、別種の難しさに向き合うことになる。それは環境変化だ。

ここでちょっと考えて見て欲しい。今、AとBの二人の経営者がいるとする。彼らの会社の利益は次の通りだ。あなたが投資家だったら、どちらの会社がより投資先として好ましいと思うだろうか?
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どうやらこの国では、第2期は景気が良く、第3期はその反動で不況だったようだ。こうした環境変化はつねに起こりうる。企業の業績も、それを反映して変わるのがつねだ。それはこの表にも現れている。そしてA社・B社とも、4期合計の利益額は180億円で、結果に違いはない。

だが、A社はいかにも、業績にムラがある。これにたいしてB社の方が、より安定している。あなたが投資家だったら、B社の方が好ましいと思わないだろうか。たしかに経営者は結果が大切で、たくさんの利益を出した方が勝ちかもしれない。だが、ある期は黒字、次の期は赤字で、先々の予測がつかない経営では、ジェットコースターに乗っているようなものだ。過度のスリルを楽しみたいギャンブル的投機ならともかく、投資としてはいただけない。

つまり、組織のパフォーマンスというのは、個別の結果の良し悪しだけでなく、『予見可能性』が高いことが、社会から信用を得るためには非常に大事なのである。それはある意味、個人でも似ている。天才肌で、仕事の業績が飛び抜けて良い日もあるが、別の日はさっぱりふるわない、では組織の一員として使いにくい。何年に一度かヒット作が出れば食っていける職種もあるかもしれないが、たいていの業種はそうではない。

では、組織として、環境条件の変化にあまり左右されずに、安定してパフォーマンスを上げるためにはどうしたらいいのか。長くなってきたので、この続きは稿をあらためて、また考えよう。
(この稿続く)



by Tomoichi_Sato | 2017-01-20 23:02 | ビジネス | Comments(0)

クリスマス・メッセージ:見えるコストと見えない価値

Merry Christmas!!


大学生にプロジェクト・マネジメントを教えるのは、むずかしい仕事だ。

わたしは現在、勤務先でのフルタイムの仕事のかたわら、大学で少しばかり授業を持っている。夏学期は東大の大学院、冬学期は法政の学部3年生に、それぞれ毎週プロジェクト・マネジメントを教えてきた。今年はそれに加えて、静岡大学の社会人大学院(MOT)も集中講義を冬に持つことになった。さらに単発的に大学や企業、JAXAのような研究機構などに講師として呼ばれている。科目はプロジェクト・マネジメントが中心だが、生産マネジメントやBOM/部品表などもある。そして、自分が主宰する研究部会でも、「PMの自己育成のシステム」の構想を共同で作り始めたりと、なぜかわたし自身にとって「教育の当たり年」みたいな年だった。

しかし、それらの中でも、大学の学部生にプロジェクト・マネジメントを教えるのは飛び抜けて難しい仕事だ、というのが実感である。理由は受講生たちの学力とか理解力の問題では、たぶん、ない。そもそも人と働いた経験のない学生に、「プロジェクト・マネジメント」というのは、ピンとこないのだ。だから、学びたいという切実なニーズが、受講生の側に生まれない。これが社会人相手だと全然違う。社会人は多かれ少なかれ、他者と協業して新しいことに挑戦する仕事が、いかに大変か身にしみて分かっているからだ。

ここにマネジメントに関する「学び」とか「教育」の根本的な難点が横たわっている。プロジェクト・マネジメントのような目に見えない仕組みや技術は、それが「無くてこまった」という経験をしない限り、その価値がピンとこないのである。

普通の商品・サービスというものは、目に見える。スマホであれ飛行機チケットであれ、それを買ったらどういう便益が自分にあるかが、分かりやすい。ところがプロジェクト・マネジメントとか生産マネジメントという種類の事柄は、それとは異なる。複数の職能を持つ人々が協力して何かを生み出す仕事を、上手に導くというのが、この種の仕事だが、それが本当に上手なのか実は下手なのか、傍からも当事者からも、よく見えない。見えるのは結果としての製品や成果物だけだ。

いや、「マネジメントという意識」にもとづく行為さえ、あるのかないのか、外部からはよく見えない。わたし達の社会はある意味、とても成熟していて、個々の成員は勤勉かつ有能、おまけに与えられた枠組みの中で互いに調整しながら仕事をするのにたけている。だからマネジメントという意識的な行為が無くても、組織はそれなりになんとか動いていく。学生達はサークル活動や学園祭などのイベントを通じて、そう学んでいく。もちろん、リーダー格の人間や、責任者としての管理職者は存在するだろう。だが、この人達は「精神論のかけ声を叫ぶだけ」、「お神輿に乗っているだけ」で、マネジメント的仕事と無縁というのも、ありがちな話だ。ではなぜ組織が動いていくかというと、期日や売上などのモノサシで測られるからだ。

マネジメント能力は必須ではない。あればベターだが、なくても何とかなってしまう。ただ、その結果として「見えない非効率」が生じるだけ。これが、マネジメントへの学びをむずかしくしている。少なくとも、人びとのレベルが高く成熟した、わたし達の社会では。

組織の失敗や成功の結果を、マネジメント能力ではなく、目に見える道具や、人材の質で説明するというのも、よく行われることだ。あの仕事がうまくいった理由? それは彼らが○○○という道具を使っているからさ。あの事業がダメになった理由? だってリーダーが無能だったものね(→これは現場レベルの人の説明で、幹部レベルの説明になると「あそこの地域の奴らはダメさ! ろくに働けもしないんだ」にすり替わる)。

こういう説明は俗耳に入りやすく、分かりやすい。そこで、「××問題を解決するには、○○○を導入すればいい」というセールス文句が、がぜん威力を発揮することになる(伏せ字にはERPから人工知能まで、好きな文句を入れてください)。わかりやすさの勝利である。分かりやすい説明は、脳に余計な負担をかけないので、多くの人が好む。

これに比べて、人材の方は雇ったり取り替えたりするのはそう簡単ではない。いかにグローバル化が進展したとはいえ、まだ人の首を切ってすげかえるのは、時間がかかるからだ。ただ、昨年米国に出張した際、ある会社の幹部(たまたま英国人だった)が、こう言っていた。

「ここテキサス州では、社員の首を切るのに時間がかからない。“お前はクビだ”と通告して、オフィスからシャットアウトし、自宅待機を命じる。そして1週間分の給料を払えば、それでおしまい。あっという間に終わる。英国では、そうはいかなかった。1ヶ月以上前に事前説明する義務がある。」

そして、こう付け加えた。「テキサスでは、従業員は上司の命令にとても忠実に従う。いつ首を切られるか分からないからだ。英国では、クビにするのは簡単でない。だから、部下も上司に問題があると思うと、口に出して意見する。」

米国企業ではトップダウンで物事が進む、トップのリーダーシップが強い。それにひきかえ日本企業では・・、という説明を外資系コンサル達からよく聞くが、その背後には、じつはこうした雇用事情があったのだ。従業員を機械の部品か何かのように、取り替え可能なモノとして扱う。これが米国流の経営思想らしく、今や大きな潮流として世界を覆いつつある。

そういうことを学生達も感じているから、いかにして企業に雇ってもらうかが大学生活での第一関心事になるのである。大学3年生は年明けになると、就活で気もそぞろになる。授業にネクタイやスーツ姿で参加する学生が目立つようになる。そして百の単位のエントリーシートを手書きして送り、数十の単位の会社で面接を受け、というような今風の光景に身を投じていくのである。大学で何を学ぶかなど問題ではない。だって企業は大学名(と採用向け共通テストの点数)しかほとんど見ないからだ。こういう状況の中で、「学ぶ」だとか「教える」だとかに腐心するのは、ほとんどナンセンスであろう。

そして、こういう修行のような(あるいは拷問のような?)就活プロセスを経て社会人になった人たちが、「学び」に関して独特な考えを持つようになったとしても、不思議はない。教育とは、選別(セレクション)のための仕組みである。学ぶとは、学校や会社が期待する正解を覚えるためのプロセスである、と。一歩間違うと、すぐに首を切られて放り出されちゃうんじゃないか。・・人材育成に悩む企業は多いが、問題の背後には、じつは企業の「人材」観の変化があるように感じられる。

従業員は部品のように取り替えのきくものである。人を見たら人件費と思え。人は数字である。人はコストである。できる限り削減する方が企業経営には良い・・。

こういう考え方を一掃できる方法がある。それは、会計の方法を変える事だ。

具体的には、人件費を一種の繰延資産として資産計上するよう、ルールを変更する事である。

企業は、従業員を部署に配属するにあたり、業務プロセスを教えて仕事を覚えさせ、訓練する必要がある。つまり業務というのは、その中に一定量の「学び」を含んでおり、研修をも兼ねているともいえる。実際、OJTという言葉で、ほぼ一切の教育研修をバイパスしている企業も見かけるほどだ。

である以上、人件費の一部は労働の対価ではなく、職務能力のビルドアップ投資と考えてもよい訳である。そこで、企業の人件費の20%程度を、経費ではなく設備費として計上するよう会計ルールを変更することを提案したい。人が増え、また勤続年数が重なっていくほど、貸借対照表の上の試算額も増えていく。つまり、株主から見た企業価値が増大していく訳だ。

たとえば人件費が年間500万円だったとしよう(従業員がもらう手取りではなく、企業の側が負担する人件費の話である)。すると、1年に100万円分の資産が形成される。100人なら年に1億円である。平均10年勤続だったら10億円の資産価値になる。

この資産額は従業員一人ひとりの名前に紐づいている。だから、もしこの100人の首を切ったら、会社は10億円の除却損を計上しなければならない、という事を意味する。これは小さな金額ではない。1万人を削減したら1000億円である。しかし、仕事に慣れて能力のある従業員を切って、もっと廉価な別の従業員をどこからか雇い入れたとしても、彼らが仕事のレベルを上げるまでにはかなりの時間がいるのだから、会計上こう考えるのもおかしな話ではない。

そして、このように金額をつけて「見える化」することで、はじめて人材が財産だと実感する経営者だっているにちがいない。こういう数字の裏付けがあれば、「人財」という最近はやりの当て字も、生きてくるだろう。(ただし余談だが、「材」という漢字は、つくりの部分に「才」を含んでいることで分かるように、もともと貴重な木を意味していた。白川静によれば「才」は聖化されたものを言う。「人材」ではまるで人を材料のように扱っているから、「人財」という字にかえよう、と言い出した人たちは、最初に漢字辞典を調べるべきだった)

もちろん、わたしのこんな提案に、現実の会計士たちが乗ってくるとは思えない。「継続性の原則」を持ち出して説教されたり、国際会計基準にもそんな考え方はないと言われて一蹴されるのは、目に見えている。だが、思考実験としては意味があるだろう。働く人という存在を、単なる経費とみるか、見えないが価値ある資産とみるか、それはマネジメントのあり方を、いや最終的にはわたし達の企業文化までを左右する、大きな分かれ道なのだ。

いつもなら、ひととき平和になるはずの、この年末の季節でさえ、地球のあちこちで血なまぐさい出来事が続き、洋の西でも東でも、ヘイトの連鎖が多くの人々を駆り立てている。そうした事情の背景には、人をコストと見、取り替えのきく部品のように見る考え方が、影響を与えているように思える。だが機械部品は成長しないが、人は成長する存在だ。成長とは学びによって、新しい能力を得ることである。わたし達が部品のように扱われてお仕舞いにならないように、ぜひ学びのアンテナを研ぎ澄まし続けよう。

そして読者の皆さんの上に、平和なクリスマスがありますように。



by Tomoichi_Sato | 2016-12-23 15:36 | ビジネス | Comments(1)

見えない非効率 ー 今、動いているんだからいいじゃないか

新任の取締役が、あるとき担当する事業部の支社を見に行った。一通り見学し、支社長らと懇談した後、かえろうとしたら、ある部署だけ灯りがついているのを見つけた。現場仕事はもう終業しているのに、管理部門の1セクションだけ、忙しそうに机にむかって仕事している。

「何をしているの?」と彼がたずねたところ、「本社に送る書類を作成しているんですよ。毎月、数字をまとめて送らなけりゃいけないんで、残業になるんです。」との答えだ。資料を見て、さらにたずねる。「本社は、この統計資料を見てどう役立てるんだろう?」「・・存じません。本社にたずねてください。」

その取締役は本社に戻ると、早速、送付先の企画部門にいって、その書類のことをきいてみる。すると、「ああ、その書類ですか。工場が毎月送ってくるんでね、ファイルして保管しているだけです」という。「でも、なんで工場はその書類を送ってくるのかな?」「さあ・・。」

いろいろ調べた結果、事情が分かった。彼の前任者が、ある時、工場に指示して数字をまとめさせたのだ。それは投資か何かの判断材料だったのだろう。その時は役に立った。しかし、工場側はそれを毎月作成すべきものだと理解して、担当者が残業して送り続けてきたのだった。そして本社側も、彼が気づいてやめさせるまで、誰も止めなかったという訳だ。

役に立たないものに努力を費やすことを、非効率という。上の例は、経営学者のC・N・パーキンソンの本にあったエピソードである。無駄な作業をやめれば改善効果は明らかだから、この例は分かりやすい。だが、現実はいつでもそうとは限らないのだ。

N社の工場を見学に行った。ハイテク産業向けに部品材料を作っている工場だ。高度な機械エンジニアリングの工夫を凝らした、自慢の製造装置を見せてもらった。下流側の加工・出荷工程も拝見する。どうしても手作業が介在するが、人々は忙しそうにキビキビと働いている。

ところで、見ているうちに奇妙なことに気がついた。自慢の製造装置から作られた品目は、いったん中間部品として在庫されるのだが、その倉庫がレイアウト上、いやに遠い所にあるのだ。なぜあんな、中途半端な位置にあるのか。いったんそこまで運んで保管し、また取り出して加工工程まで運ぶ。移動時間としては数分程度だろうから、コスト換算ではたいしたことがないが、なんだか無駄ではないか。なぜ、そんな半端な場所に倉庫があるのか? たずねてみたが、「さあ・・前からあそこにありましたから」という答えが返ってくるだけだった。

工場をよく見ていると、うっすらとその事情が推測できた。おそらく、昔はその製造装置自体が、工場全体のボトルネックだったのだ。製造は難しく、不良も発生しがちだった。そして、できた中間品目はすぐに加工工程に送られたに違いない。だから中間在庫はほとんど発生しなかったのだ。しかし、技術力が上がるに従い、装置の製造能力も上がった。不良も減った。

他方、形態の多品目化や、顧客の短納期要求のために、加工・出荷工程の方が小ロット化した。そのために、いったん中間在庫の取り置きが必要になってきたのだろう。だが、工場を作ったときは、そういう発想がなかった。だから、スペースの空いた端っこに中間倉庫を置くしかなかったのではないか。

工場全体をよく見ると、自慢の製造装置より、加工・出荷工程の方が稼働率が高い感じだ。つまりボトルネックが移動したのであろう。だとしたら、ボトルネックに合わせて、中間在庫の量を見ながら製造装置を動かすべきである。そうしないと作りすぎで在庫の山ができてしまう。しかし、肝心の中間倉庫が遠くの場所にあるから、その無駄が見えにくくなっているのだ。

むろん、これは推測に過ぎない。本当ならば工程別の稼働率や在庫変動を調べて検証すべきだろう。だが、そのときは別にコンサルとして呼ばれた訳ではなかった。だから、推測があたっていたかどうかは分からない。とはいえ、そんな変な場所に中間在庫があったら、何かシステム全体に非効率が隠れているとみて、間違いはない。

本人達は一所懸命に働いているのに、端から見ると非効率なことが、よくあるものだ。日本の産業の生産性が欧米に比べて低いことは、つとに問題になっている。よくサービス業がやり玉に上げられるが、製造業だって決して威張れたものではない。では、なぜ、そうした非効率が放置されがちなのか。わたしは以前は、主に分業病のためだと考えていた。つまり、部門単位に仕事がサイロ化されていて、システム全体を見て気づく人がいないため、という理由である。気づきが足りないから、改善されないのだ、と。最初の例などは、まさにその典型だ。これはまあ、経営層の人間が怠慢だ、ということもできる。

しかし最近は、もう一つ別の障害もあるのではないかと、考えるようになった。それは、実務層に起因する問題である。実務層が無能だから、ではない。逆だ。実務層が勤勉で真面目すぎるから、仕事のシステムが多少おかしくても、一所懸命にカバーして動かしてしまう。その結果、かえって問題が隠れて見えなくなってしまうのだ。ボトルネックが下流工程にうつって、中間在庫が沢山発生するようになっても、空きスペースに倉庫の棚を作ったり、搬送のパレットを集めたりして、仕事を回してしまう。

仕事が今ちゃんと動いているんだから、いいじゃないか。どこの現場も、ギリギリまで人減らしが進んでいるから、他のことなんか落ち着いて考えている暇もない。そのことが、本当の問題を隠してしまうのである。

図を見てほしい。業務改善とは、今ある姿(現状業務)から、新しい業務の姿(改善後の業務)に、変えていくことだ。改善後の姿は、現在よりもパフォーマンスが高い。図の縦軸はパフォーマンスである。ただし、改善のためには、時間や、労力や、コストがかかる。また、現状動いている業務を変える訳だから、リスクもありそうだ。横軸は、そうした現状からの変化のためのコスト・リスクである。
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現状から新しい姿にうつるための改善の経路は、いくつか考えられる。コンサルタントだったら、ゴールのイメージを示すのみで、途中の経路は関知しないかもしれない。それが点線で描いたルートXである。だが現実は、こんな直線的に行きはしない。

では、Aのようなルートは可能か。先にパフォーマンスの成果が上がって、それから変化の労力を費やす。だが、こんなルートは現実にはあり得ない。なぜなら、何も変化しないうちにパフォーマンスが上がるはずはないし、第一、仮にそれが可能だったら、その先わざわざコストを費やして図の右に移動する必要はないからだ。つまり、図で、<上→右>という経路はあり得ないのである。

であるから、ふつうはルートBのように、最初に変化のための労力を費やし、後でパフォーマンス上の効果が現れてくるはずである。つまり<右→上>という経路だ。じつは、これは心理的に困難な経路だ。だって、何も成果は上がらないのに、仕事のやり方だけは変わり、やりにくくなるからである。「いつかそのうちにパフォーマンスが上がるから」と説明されても、ついて行ける人ばかりではない。

まして、実際に一番多いのは、ルートCのように、業務のやり方を変えたために、いったんパフォーマンスが下がってしまうパターンである。その後、皆が新業務になれて、システムが落ち着いたら、きっと成果は上がるだろう。だが、こういう話を聞いたら、皆は何というだろうか。「なぜ、自分がそんなリスクを背負わなければいけないの? 現に今、仕事は一応動いているんだから、何も変える必要はないじゃないか!」 とくに、やり方を変える部署と効果の出る部署が異なる場合、抵抗は大きい。設計側で属性データをCADに入力すれば製造側システムで活用できる、みたいな例はよくあるが、そうした「フロントローディング」に対して、設計部門がこころよく協力するとは限らない。

だって現に今、動いているんだからいいじゃないか? これが、多くの組織で改善をはばむ最大の心理的障害なのだ。たとえ出来のわるい業務の仕組みでも、現場の人たちが真面目で優秀だと、なんとかだましだまし動かしてしまう。もしかしたら効率は低いのかもしれない。だが、現に今、動いているんだ。何の文句があるんだ? それを変える時間などないほど、忙しいんだし。

これはちょうど、よくある「木こりジレンマ」のたとえ話と同じである。ある日、旅人が森の中で木こりに出会う。木こりは必死に木を切り倒しているが、その斧は錆びついて刃こぼれがしている。そこで旅人が、「斧を研いだらどうですか?」というと、木こりが「俺は毎日必死に働いているんだ。斧を研ぐ暇なんて無い!」と怒鳴る、という話だ。少し手を止めて、道具を改善すれば、ずっと効率は良くなる。だが、「少し手を止める」ことで仕事量がいったん下がるのを怖れて、木こりは無駄な苦労を重ね続けるのだ。

現代の組織はご丁寧なことに、『時間管理』と称して、日々の作業の稼働率まで監視したがる。稼働率低下への恐怖心は大きい。それが個人の業績評定にまで結びついたりする。稼働率が下がれば、人減らしも始まる。そうなればますます、手を止めて斧を研ぐことへの抵抗が高まるだけだ。そのくせ管理職は、なぜウチの組織は生産性が低いのだろう、なぜ皆、改善がヘタなのだろう、などとなげいたりする。挙げ句の果ては、Karoushiなどという不名誉な言葉が英語の辞書に載ったりする。

必要なことは、「システムの不備」を現場の頑張りでカバーすることではないのだ。不備を見つける視点を持つことである。そしてもう一つ。大事なのは、目の前の仕事を懸命に支えることではない。いったん仕事の手を止めてでも、あるべき姿を考えて、問題解決に向かう勇気を持つことなのである。

by Tomoichi_Sato | 2016-11-13 23:09 | ビジネス | Comments(0)

私の名前をドアからはずす時(レオ・バーネットの言葉)

レオ・バーネットという広告会社をご存じだろうか。元はアメリカ・シカゴを発祥の地として、今は世界各国に支社を持っている。

わたしはこの会社のことを、パトリシア・ジョーンズとラリー・カハナー著「世界最強の社訓―ミッション・ステートメントが会社を救うという本の中で知った。この本では主に米国企業が約40社選ばれ、その社訓や経営理念などが、簡単な解説とともに紹介されている。大企業も小企業も、製造業からリテールまでカバーされている中で、レオ・バーネット社だけは、抜群に異色だった。多くの企業が、Mission Statement だとかManagement Policies といったテーマのもと、きれいな言葉を論理的に説明口調で並べているのに対し、この会社だけはひどく直截的だった。いわく、

「われわれの使命は、すぐれた広告をつくることにある。創業者のレオの言葉を借りれば —
 われわれのそもそもの存在意義は、世界中で文句なくベストの広告を作ることにある 。

 すなわち、テーマやアイデアがかぎりなく大胆で、斬新で、魅力的で、ヒューマンで、真実みがあり、焦点がはっきりしていて、思わず見てしまうような広告 。
 長期的には会社の名声を高め、同時に、いますぐ収入をもたらすような広告をつくることにある」

非常に分かりやすい。言葉は少ないが、ぎりぎりまで選び抜かれている。ただ単に、わが社は「ベストな広告」を作る、と言うのは、気楽で簡単だ。だが「世界中で文句なくベスト」の広告、と言い切るのは簡単ではない。良いプロダクトをつくることこそ、自社の存在意義である。そしてこの文章は長期的な視点にも、ビジネスにとって大事なお金を得ることにも、目配りがきいている。

だが彼らは、実際には、どんな仕事ぶりなのか。ためしにネットで調べてみた。下の写真は、Leo Burnett社が英国のマクドナルドのために制作し、賞を受賞した広告である。

なかなか良いと、わたしは思う。広告デザインは、感性に訴えるため、どうしても見る人の好みで判断される。だがハンバーガーショップの宣伝をするのに、商品も見せず、味についても言わず、ファミリー向けの親しみやすさも訴えないのは意外だ。画面は暗く、写真は重い。都会のオフィスで夜更け、ただ一人デスクに向かう人。あるいは、深夜の路上で客に応対するタクシーの運転手。

孤独な彼らに対して、”If you’re awake, we’re awake”(あなたが眠らずにいるとき、わたし達も眠らない)とだけ訴える。それは終夜営業のショップの価値訴求である。あたりまえだが、そこの食べ物はけっして贅沢でも上質でもない。だが開いていて助かった、という一瞬を想起させる。これ以上、知名度を向上させる必要もないハンバーガーチェーンの売上を、深夜枠だけ少しでも上げることにつながる、優れた広告であろう。

創業者のレオ・バーネットは1891年生まれで、まだアメリカが恐慌の余波にあえぐ禁酒法時代の直後に、シカゴに広告会社を作った。経営の才にも恵まれていたと思うが、上に述べたように「良い広告」への強いこだわりを持って、あまり拡大志向をせずに同社を育てた。彼が自社のために作った、有名な標語とポスターがある。それは

『星にむかって手を伸ばせ。
 必ずしもつかまえられるとは限らない。
 だが、泥をつかむことにもならない』

というものだ。また中西部育ちの彼は、顧客を迎える自社の受付に、赤い、良く熟した、甘酸っぱい香りのする、つやのあるリンゴを、いつも鉢に山盛りにしていた。そして訪問者に自由にとって食べてもらう。バーネット社のリンゴは、名物になった。リンゴを商標にした有名なレコード会社やコンピュータメーカーが登場する、ずっと前のことである。

バーネットは1967年に社長をやめて会長職に退く。このとき彼は、引退にあたって有名なスピーチをする。「私の名前をドアからはずす時」というのが、その題だ。いうまでもなく、レオ・バーネット社という社名は、彼自身の名前である。スピーチの最初に、彼は言う。

「君たちの後継者は、私の名前をドアからはずし、自分たちの事を『トゥエイン・ロジャーズ・ソーヤ&フィン』(笑)とか『エイジャックス・アドバタイジング』とか何とか、呼びたくなるかもしれない。」

ちなみに前者はマーク・トゥエインの児童小説の名前のもじりだ。そして彼は続ける。

「もし君たちにとってそれがよければ、私は一向に構わない。だが、私のほうから『どうしても私の名前をドアからはずせ』と要求するのはどういうときかを、話しておきたい。

 それは君たちが広告を作るために費やす時間より、金儲けに費やす時間が多くなったときとか、

 我々の会社を作っている特別な人たち、ライターやアーティストやビジネスのプロフェッショナルたちにとって、広告を作るという純粋な楽しさや心の昂ぶりというものが、お金と同様にとても大切なんだということを忘れたときとか」

そして彼は、以下、会社として危惧すべき状況を一つひとつ、まるで連祷のように述べていく。

「自分の仕事をさらに良くしようとする、絶え間ない努力の意識を君たちが失ったときとか、
(中略)
 もはやあのヘンリー・ソローがいう『良心のある会社』でなくなった時とか、
(中略)
 事務所で最後までたった一人でタイプライターをたたいていたり、デザイン・ボードに向かっていたり、カメラを構えていたり、ブラック・ペンシルで何かを書き付けていたり、夜遅くまでメディア・プランを作っていたりする、そうした孤独な人たちへの尊敬の念を、君たちが失くした時とか、

 我々の会社の今日を作り上げてきた、そうした孤独な人たちへの、深い感謝を忘れたときとか、

 そうした人こそ、より一層の努力をしているから、例え一瞬であろうと熱くて手が届きそうにもない星を、実際につかんだのだ、ということを忘れたときとか。

 ・・こんなとき、私は君たちに、私の名前をドアからはずすよう強く求める。断じて、私の名前をはずしてほしいのだ。たとえ死んだ後でも、私はあの世から甦ってきて(笑)、夜中にオフィスの全てのドアから私の名前を削り取る。

 そしてあの世に戻る前に、私の名前の入った全ての文房具を焼き払い、たぶん、通りすがりにいくつかの広告を破り捨て、忌々しいりんごは全部、エレベーターの穴の中に投げ込んでやる。

 すると次の朝、君たちはもうここがどこかわからない。君たちは別の名前を探さなければならないのだ。」

ここには、仕事というものに対する強い信念がある。それは、良い仕事をするということ自体が、働く労苦に対する最大のリワード(勲し)であり、モーメンタムである、という信念だ。お金という報酬は、その結果でしかない。優れた仕事の次が、お金であって、その逆ではない。

だから彼は、夜更けの事務所で、最後までたった一人でタイプライターをたたいている孤独な人への敬意と感謝を忘れてはならない、と主張する。働く人が、いつでも交換可能な、単なる消耗品になりさがった組織は、もはや自分の名前にはふさわしくないのだ、と。その主張はまさに、上に紹介したマクドナルドの広告に、奇しくも対応しているではないか。レオ・バーネットの魂は、彼が引退した50年の後にも、まだ生きているのだ。

これが、理念の力である。

人々を束ねて率いていくのは、むずかしい。それが創造的な仕事にたずさわる人たちであれば、なおむずかしい。それは権力や、金銭や、おどしや、皆が因循と従っているおかしな行動習慣であってはならない。人を動かすのは、なによりも「世界中で文句なくベストな仕事」をしたいという、自負に満ちた欲求であるべきだ。上司は部下の心の中に、何よりもその気持ちを探して光らせなければならない、と。

だが、そのためには、「何がベストか」についての、確とした理念を持つ必要がある。だから、ともすれば怠惰と徒労に流されがちな日常の中で、わたしもつねに自問自答しなければならないのだ。お前は果たしてベストな仕事をしているのか、と。


<関連エントリ>
 →「企業のミッション・経営理念を日米比較する」(2016-03-27) http://brevis.exblog.jp/24255070/

(注)
レオ・バーネットの引退スピーチの画像は、YouTubeで見ることができる:

またスピーチの日本語訳全文は、ネットでは(誰による翻訳か不明だが)以下のURLで読むことができる。上の文中ではここから一部改変して引用させていただいた:

by Tomoichi_Sato | 2016-10-22 18:12 | ビジネス | Comments(2)

B2B企業にイノベーティブなITは可能か

あなたは、ある中堅SIerの開発部長だ。会社は受託システム開発をなりわいとしており、有名ではないが堅実な経営を続けている。そんなあなたはある時、突然社長に呼ばれて、こう言い渡される。

「君には明日から、わが社のCIOになってもらいたい。これまで外の顧客の仕事をずっとしてもらってきたが、明日からは経営者の一員として、わが社の情報システムを見てもらうつもりだ。紺屋の白袴じゃないが、我々の社内IT利用は、十分とは言えない。君には是非とも、これまでの外販の経験を活かして、イノベーティブなITの仕組みを作ってもらいたい。単なる業務の効率化だけではなく、新しいビジネスを生み出せるようなITの仕組みを、だ。」

経営者の一員、すなわち役員に抜擢された訳だ。とても誇らしい気持ちになる。しかし社長室を出て自分の席に戻ると、あなたはだんだんと大変な役回りを引き受けたらしいことに、気づき始める。わが社にとってイノベーティブなITの仕組みとは、いったい何を意味するのか。

あなたの会社は、造船業を中心に、重機や鉄工所などの業界を得意先として、基幹系情報システムを構築してきた。その分野の業務知識は、確かなものだ。船舶特有のさまざまな規制、複雑な業界構造や商慣習。そうした経験を組み込んだシステムでは、他社に負けないと思う。またIT技術の面でも、先進的なトレンドを、(真っ先にとは言えないにせよ)それなりに取り入れてきた自負はある。たしかにいくつかの案件では手ひどい赤字を被ったが、全体としては確実に利益を残してきた。

「しかし、今の分野の市場だけでは、先細りだ」との社長のセリフを、あなたは思い出してみる。「君も知っているように、SIビジネスはだんだんと難しくなってきている。かといってSE派遣だけで食っていくのも無理だ。新しいビジネスを創出しない限り、わが社の未来はない。」社長はそう断言した。あなたも、同感ではある。だが、自社にとっての新しいビジネスとは、何だろう? 流行のビッグデータやIoT、あるいはWeb技術だろうか。受託開発で生きてきた自分たちに、そういった技術の蓄積はない。やってできないかというと、なんとかなりそうな気もする。だが「気もする」だけの技術を売り込んで、買ってくれる顧客はいるだろうか。

あなたは自社の顧客リストを眺め直してみる。20〜30社が、主要顧客だ。過去にさかのぼれば数百社になるが、業界再編もあり、今は限られている。その代わり、比較的継続して仕事を受注してきた。その半分ちょっとは、大手コンピュータメーカー、いわゆる「ITゼネコン」からの下請けだ。他に自社が直接営業をかけてとってくる案件が3割程度。営業部門の人数も限られているので、そう手広く回れない。

あなたはビジネスメディアや業界セミナーなどで情報を集めることにした。IT業界の著名人、外資系コンサルタント、調査会社などの言うことには、一つの共通点があった。それは、米国のイノベーションの成功例を引きあいに語り、ふりかえって日本のIT業界の不調を批判する、というものだ。シリコンバレーにはグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルなど錚々たる大企業がひしめき合っていて、しかも小規模なベンチャーが活発に新技術を開発、提案し続ける。その中にはUberやAirBnBなど、飛ぶ鳥を落とす勢いの成長株がいる。ベンチャーキャピタルの出資や買収も活発だ。

すごいなあ、とあなたは思う。たしかにイノベーションの生きた事例だ。だがそれを、どう自社のヒントにしたらいいのか。日本と違って米国では、7割のIT技術者がユーザ企業にいて、それでビジネス開発とシステム構築を同時並行に進められるのだ、という話も聞いた。だが日本の構造は急には変わらない。あなたの会社のSEたちを、顧客側に派遣して、いやたとえ移籍したとしても、すぐにビジネスを開拓できるだろうか。そもそも何のビジネスをか。Uberを真似て、船を手配するスマホアプリ? まさかね。

まあ、あなたの会社は9割がIT技術者だ。だから自社のビジネス開発に自社リソースを活用するのは、ありだ。それにしても自社システムの弱みはどこか。会計システムは2年半前に更新したばかりだ。プロジェクト管理システムは自社製で、UIが使いにくいし、人月コスト集計が翌月10日過ぎになって遅いという不満はある。だがこれを改良したとしても、社長の言う「単なる業務の効率化」に過ぎないではないか。では顧客管理とCRMか? しかしたった30社程度だったら、Excelでも十分だ。

自社内のシステム改革に手がかりがないのなら、せめて顧客のイノベーションをIT面で支援し、ともに手がけるというのはどうだろうか。船自体のUberは無理でも、ドックが空いたら、互いに貸し借りする仕組みはどうか。・・しかし所要時間わずか数十分のタクシーと、数十ヶ月間も占有するドックを、同列には考えられないし。

あなたは次第に焦りを感じ始める。せっかく役員に取り立てられたというのに、どう采配を振るったらいいのか分からないのだ。そんなある日、あなたは、会社を中途退社し経営コンサルタントとして独立した先輩と偶然、出先で会う。久しぶりに酒を酌み交わしながら、あなたは愚痴ともつかぬ最近の課題と悩みを口にする。するとその先輩は、意外なことを言う。「新ビジネスで急成長することをイノベーションと呼ぶのだとしたら、B2B企業に、イノベーティブなITなんてありえないよ。」

−−どういう意味ですか?

「B2Bというのは、Business to Business、つまり企業相手に商売をしている企業だ。これに対して一般消費者を相手にしている会社は、Business to Consumer、略してB2Cと呼ぶ。」

−−それくらいは、知っています。

「じゃあ、君のところの顧客筋である造船業や鉄工業、重機械なんかはどちらだ?」

−−えーと、B2B、ということになりますね。普通の一般人が、ふらっときて船を作ってくれとたのむようなものじゃありませんから。重機・鉄工も同じです。

「そういう顧客企業で、イノベーティブなCIOの人を見たことはあるかい?」

−−うーん。そりゃ、会社にもよりますね。たとえばA社のCIOであるKさんなんか、尊敬できる方ですよ。業務のことも分かっておられるし、ITの理解も確かです。ユーザを上手く説得して動かす力量もあります。あの方がいたから、A社の基幹システムはうまく収まったんです。

「なるほど、立派だ。だけど、その基幹システムはA社にとって『業務の効率化』の道具だろう? 新しいビジネスを生み出すような、イノベーティブな仕組みじゃない。」

−−じゃあB社の例はどうですか。Hさんは情シス部長で、CIOというポストじゃないですが、E-BOM管理とWebEDIとをうまく統合して、サプライヤーを束ねるサプライチェーン・マネジメントのシステムを作ったんです。おかげで製造納期が1ヶ月近く短縮できるようになりましたよ。

「けっこう。だがそれも『業務の効率化』だろう。新ビジネス創出とはいえないね。」

−−そうなりますか。そうすると、ほかにいい例を思いつかないですね。そもそも顧客の中でCIOって肩書きのある会社は3割くらいですよ。あとは情シス部長が、IT系の役職では一番上です。それも大方の人はIT部門上がりなので、発想がIT技術よりで、あまりビジネス創出的な人材がいないんです。いっちゃなんですが、みな人材が小粒なのかな。

「なんでも問題を人材のせいにしちゃいけない。人材のせいにすれば、どんな問題だって説明できてしまう。人の資質が理由じゃないんだ。そもそも、ITシステムの活きるメリットは何だと思う? 人の仕事をITが置き換えるときの、アドバンテージを知っているかい?」

−−今さらわたしに向かって、何ですか(あなたはちょっとむっとして、答える)。まず、高速性です。大量のデータを高速に処理できます。そして繰返し性。機械は同じ単調作業を繰り返させても、飽きません。それから、正確性ですね。計算機はミスをしません。ですが、これと今の話と、どうつながるんです。

「ごめんごめん、怒らせたようなら、あやまる。まさに君が言った三つの点が、ITシステム導入のメリットだ。だから、会計業務だとか、給与計算とか、設計計算だとかが、真っ先にIT化の対象になった。大量・単調、だが正確な処理だ。これが金融だとか保険だとか、多数の消費者と直接やりとりするB2C企業の場合、勘定系や顧客とのトランザクション処理まで広がる。そしてWebの登場とともに、流通販売というもう一つのB2C業界も、お客と直接やりとりする仕組みをつくるようになった。」

−−はあ。

「とにかくB2Cでは、お客の数が多いんだ。一つひとつの取引は単純だが。だから、ITシステムを顧客に直接使ってもらうメリットが生じる。大量・単調、だが正確な処理のね。そして顧客がITを使ってくれるようになると、次は、そのチャネルを活かして、新しい商品を売り込むという、マーケティングの道具になるようになった。わかるね。」

−−ですが、それと今の話とどうつながるんです?

「いいかい。『新しいビジネスを創出する』というのは、マーケティングの仕事そのものだ。正確に言うと、マーケティングと商品企画の二つの仕事だね。新規顧客の開拓と、新しい商品の開発。B2Cでは、それをWebなどのITシステムを通して、直接できる。そして、B2Cビジネスのもう一つの特徴は、ボラティリティが高いことだ。」

−−ボラ・・何ですって?

「ボラティリティ。当たり外れの大きさのことさ。もとは株式の値動きの大きさを指すのに使われた用語だ。ボラティリティの高い市場では、一発あてると大きく成長できる。ヒット商品で急成長する会社の話は、よくニュースに取り上げられる。逆に言うと、ニュースになりやすいのは、ヒット商品の現れる、B2C企業だ。おまけにB2C企業は消費者相手に広告宣伝を打つ。だからメディアとの関係も強い。ますます、メディアに取り上げられやすい。」

−−はあ。

「それでだね。君がさっきあげていた米国のイノベーティブな企業、アップルだとかグーグルだとか、それからUberなんてのは、みんなB2Cの会社なんだ。一部は企業向けサービスもしているが、メインは消費者向けだ。企業向けでも、アマゾンのAWSなんて非常に多数の企業向け、B to many Bだな。だからB2Cに近い。そして、多数の顧客相手だからこそ、ITがビジネス創出のカギとして役に立つ。
 ひるがえって君の得意先の、鉄工・重機・造船みたいな分野は、特定少数の企業相手のB2Bビジネスだ。多くは受注産業。営業プロセスも長くて複雑。だからセールスをWeb経由でやっている会社なんていないはずだ。営業でITをフル活用している例があるかな?」

−−まあ、ありませんね。ITは、社内業務の効率化がメインです。・・あれ? とすると。

「社長さんのおっしゃる新ビジネスの創出というのは、マーケティングと商品企画だ。ただ誤解してほしくないんだが、マーケティングと営業機能は別だよ。営業は、なんなら代理店にアウトソースすることも可能だ。だがマーケティングは、自社で考えなくてはならない。ドラッカーはある本の中で、“企業に真に必要な機能はマーケティングと商品開発だけで、あとは全てアウトソースしてもいい”と書いているくらいだ。だが、B2BではITをマーケティング手段に直接活かすことが難しい。いや、そもそもB2Bの受注産業には普通、マーケティング部門すらない。ITは営業にさえ、活かしにくい。仕事が大量・単純でなく、少数・複雑だからだ。」

−−すると、B2B企業ではイノベーションにITを使うのが難しい、ということですか。

「もしもイノベーションという言葉が『新ビジネスの創出』という意味だとしたら、そうだ。少なくとも、マーケティングにITを活用するのは難しいだろう。新商品開発にITを使うことはありうるかもしれない。たとえばGEのビッグデータみたいに。まあ、あの会社もB to many Bだがね。また、社内ベンチャーで、ITを活用した全然別のB2Cビジネスをはじめる、というケースはあり得る。だがそれは今の会社をどう成長させるかとは、別の話だ。
 さて、では、君の会社のようなSIerは、B2Bかね、B2Cかね?」

−−それは・・B2Bです。

「そうだ。日本のたいていのSIerは、大手コンピュータメーカーを除けば、そうさ。だから社長さんの望むような、イノベーティブなITの仕組みをつくるのは、難しい。」

−−じゃ、わたしはどうしたらいいんですか。SI市場は先細りです。わが社は座して死を待て、とおっしゃるんですか!

「そうは言っていないよ。マーケティングにITを直接活用するのは難しい、と言っているだけだ。マーケティング自体が不要だ、などとは言ってない。むしろ逆だ。今まで受注ビジネスのB2B企業は、営業部門は持っていたが、マーケティング機能を持たないところが多かった。それは顧客の注文を待つ、御用聞きで生きていけたからだ。だがこれからはそうじゃない。マーケティング機能をちゃんと確立しなければならない。」

−−マーケティング。でも、それをウチの営業部長に期待できるかなあ。

「そこが誤解なんだ。マーケティングは営業じゃない。その二つは、設計と製造現場が違うくらい、違う仕事だ。中堅企業や中小企業では、マーケティングは社長がリードすべきなんだ。それこそ経営の中心的仕事なんだから。それを、IT企業だからってCIOに丸投げしちゃいけない。
 君も『イノベーション』という、カッコいい言葉に踊らされてはダメだよ。それは急成長と同義語ではない。ボラティリティの低いB2B分野では、画期的新技術が出たって、会社の急成長に結びつくことは珍しいんだ。新技術が上手なマーケティング戦略と組み合わされると、少しずつゆっくりと、目立たぬうちに、ニュースに報じられないまま、いつのまにか市場を侵食していく。そして着実に、利益を上げていく。そういう実例は、じつは日本には数多い。日本はB2B企業が製造業を支える国だからね。」

−−そうなんですか。

「生き残りたかったら、アメリカの派手な会社の真似ではなく、日本の、目立たないが技術とマーケティングで利益を出している会社の経営に学ぶことだ。技術力だけでも、マーケティング力だけでも、利益は出せない。その両者をつなぐことが、経営なのだから。」


<関連エントリ>

by Tomoichi_Sato | 2016-09-18 23:21 | ビジネス | Comments(1)