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職人の国の生産性を上げる、最良の方法

3月に新潟に行った際、宝山酒造(http://takarayama-sake.co.jp)という会社を訪問した。規模としては零細に近い造り酒屋だ。一応、工場見学、というか、仕込みと醸造の場所を見学させてもらった。平屋の木造で、いかにもゆかしい「酒蔵」である。それから、こうした見学のつねとして、畳敷きの小上がりの部屋に案内され、いくつか試飲させていただく。わたしはお酒に弱いたちで、日本酒の目利きなどでは全然ないが、それでもなかなか美味しいと感じた。

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試飲させてもらいながら、酒造の来歴の説明をうかがう。どこから杜氏を呼び、どんな努力の結果、満足のいくお酒ができるようになったか。また同じ酒蔵の製品でも、高級な純米大吟醸から普及版の醸造酒まで、どんな特色と違いを出しているか。小さな会社でも企業努力の種類は大手と共通している。たしかに大吟醸の虹色めいた香りの広がりから、醸造酒の新潟らしいきりっとした味わいまで、比べて飲むと面白い。

もう一つ、非常にユニークで面白いと感じたのは、「ひと飲み酒」と呼ぶ、200mlの小さな化粧ガラス瓶のパッケージである。これを2本でも3本でも、セットで買うと、黒い洒落た紙箱に入れてくれる。見かけがとても都会的になって、部屋に並べておくだけで見て楽しいし、また酒飲みでない人間にとっては、1升だの4合だのを買うよりも、ずっと手が出しやすい。とても上手なパッケージングだと感じた。

小さな造り酒屋ながら、秀れた杜氏の職人仕事に加えて、顧客のニーズに応えた製品のラインナップ、そして洒落たガラス小瓶のデザインによる、自由な小口組合せ販売など、経営上の工夫をこらしていることに感心した。かえりに自分用に買ったばかりでなく、世話になった方へのギフトにも良いな、と思いつつそこを辞した。

同じその日、新潟市の大きな展示会場では「新潟 酒の陣」と呼ばれるイベントが開催されていた。新潟中の造り酒屋が何十社もブースを構えて、自分の製品を試飲販売している。2千円の参加費を払うと、小さな試飲用のガラスのお猪口を渡されて、ブースごとに回ることができる。わたしはじつは同じ日の午前中、仲間に誘われてそちらの会場にも顔を出したのだが、なにせお酒に弱いので、せいぜい5社くらいのブースをたずね、あとはぼんやり会場を眺めていた。
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眺めながらつくづく、「日本は職人の国だな」と思った。新潟の酒造はほとんどが中小零細規模である。そこが、それぞれ自分なりの思い入れを込めて麹を仕込み、酒を造る。そして自分が手塩をかけて作ったモノに対し、情熱とこだわりを持っている。味、香り、色、のどごしなど、自分の眼・舌・鼻・手の五感をフルに動員してこそ、良い結果が生まれる。つまり酒造り職人としての技能と、製品の品質が直結するのだ。

そう。職人というのはとても素晴らしい、尊敬すべき生き方である。わたしは高度な職人仕事には、無条件で感服する。心技体そろわなければ、優れた仕事はできない。ただ、そうした職人としての生き方を全うできるためには、何が必要なのか。

さて、いつものことだが(苦笑)、話は急に飛ぶ。先週、ある会合で「日本企業の生産性の低さ」が話題となった。この種の統計は世の中にいろいろと流通していて、たとえば日本生産性本部の2016年の統計(http://www.jpc-net.jp/intl_comparison/)によれば、日本はOECD 35カ国中22位であり、また順位も低下しつつある、という。とくにホワイトカラーの生産性の低さはほぼ定説のようになっていて、いつもやり玉に挙がっている。状況を改善するために、働き方改革の政策などが、声だかに唱えられている訳だ。

だが、それは本当なのか? というのが皆の論点だった。そんなに日本企業の生産性は低いのか? じっさい、製造業の過去20年間の労働生産性の伸び率だけを取り出せば、G7諸国の中で日本は1位だという統計もある(https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-04-25/OOYJ9G6JTSEI01)。製造業はよくやっているじゃないか。問題なのは流通・サービス業だ、という訳だ。ただしこれは20年間の伸び率であって、たしか現時点での数値はG7中の6位である。下にいるのは経済危機のイタリアだけだ。

「他の先進国は、移民などの安い労働力を使ってうまく稼いでいるだけなんじゃないか」という人もいる。だが労働生産性の数字というのは、賃金を差し引く前の、一人あたりの付加価値を示している。ここから賃金を引いた残りが、簡単に言うと企業の収益の源泉になる。だから賃金が高いか安いかは、定義上、関係ない。

「いや、地域でも業種でも差があるのに、そもそも平均値をとって国際比較すること自体に意味があるのか」という反論もある。でも、日本の平均値が過去、さっぱり伸びていない事実とはどう向き合うのか? そもそも、偏りのある分布に対する平均という操作自体が問題だとしたら、統計自体に意味がなくなってしまう。工場単位の平均を見ることすら、できなくなるだろう。

また、「品質の差を無視して生産性を比較するのはどうか」という意見もきくことがある。日本の製品は他国より品質が高い、と自信を持っているのだろう。しかし、品質が低ければ普通は価格も安く、付加価値は小さくなるのが道理である。付加価値の中には、品質の要素も込められているというのが、ビジネスの常識だ。

念のために書いておくが、上に論じた「生産性」とは、付加価値労働生産性のことである。それは、企業活動が生み出す付加価値の総額を、それに従事する人の数で割って得られる値だ。日本の場合、最新の値は一人あたり年間783万円という数値になる。ここから賃金を引いた残りが企業の利益の源泉である。あるいは、時間あたりで計算する場合もある(国際比較の場合、そもそも年間労働時間がかなり異なる)。日本は4,439円である(日本人は一人年間1,764時間働いている計算だ)。ただし国際比較をする際には為替の問題が出てくるため、購買力平価のような指標で較正したりする。

そして、国のGDPとは、その国で生み出した付加価値の合計である。経済成長はGDPの増加率で測る。日本の勤労人口はほぼ横ばいだから、経済成長したければ労働生産性をあげるしかない。これが理屈である。

くどいけれど、国際比較の文脈でいう「労働生産性」とは、一人あたり付加価値額のことである。別に労働者一人あたり製品を何台作れるかでもなければ、プログラマが一日何行コードを書けるか、でもない。ここを誤解している人がとても多いので、あえて書く。杜氏が一人あたり、何升のお酒を造れるか、ではない。その酒屋が生み出す付加価値額(=ざっくり言って、販売金額マイナス原材料費)を、杜氏も売り子も事務方も含めて、働いている人の数で割った数字が、その酒屋の労働生産性なのだ。

 労働生産性 = 付加価値額 ÷ 従事者数 =(販売金額 − 原材料費)÷ 従事者数

である以上、労働生産性を大きく上げるためには、販売金額を上げる、すなわち製品を高く売ることが必須であると分かる。もちろん生産量自体を増やすのも、もう一つの手段だが、ふつうは人を増やさなければなるまい。一人が一日あたり作れる製品の台数、書けるコードの行数、仕込める酒の量は、急には増やせないからだ。また原材料費を下げるのも第三の手段だが、これはもう限界があるし、それでも無理に下げたら品質劣化にはねかえる。そうなったら付加価値など、元も子もなくなる。

日本の労働生産性が低いのは、生産に従事する人達の働き方がわるいのではない。儲けるのが下手なのだ。それがわたしの解釈である。一応、国際的なエンジニアリングの世界で長年働いてきた身としていうが、欧米のライバル企業で働くエンジニア達と、個人単位で能力にさしたる差があるとは思えない。製造業とて、同じだろう。それなのにもし、国際比較で生産性が低いのだとしたら、それは儲け方が下手なのだ。ドイツの工場を見学した話は前回書いたが、日本の同種の工場とそれほど大きな違いがあるとは思えなかった。違うとしたら、どこで価格競争から脱するかが、違っているのだ。

職人が安心して仕事に精を出せるのは、作ったモノが売れていき、それがきちんと利益を出して、ちゃんと職人の給料にかえるときに限られている。作っても売れず、売れても利益が出なければ、誰がよろこびを持って働き続けられるだろうか? 

日本が職人の国だと言うことは、つまり作り手の国なのだ。作ることはよく知っている。そして上手にできる。だが、有能な商売人が足りない。これがわたし達の社会の病である。足で稼ぐセールスマンは多くても、知恵のある有能な商売人が不足なのだ。必要なのは「働き方改革」などではなく、「儲け方改革」なのである。

冒頭の宝山酒造の例を思い出してほしい。良い酒を造ることは大事だ。それは必要条件だが、十分条件ではない。製品のラインアップを確立し、ボトルや商品デザインにも工夫を凝らし、ネットでも注文を受ける仕組みをつくって、はじめて企業として安定するのである。そうしたことは、杜氏だけが考えるべき仕事ではない。

職人の生産性を決めるのは商売人である。なぜなら、付加価値の大きな部分を決めるのは、売るための仕組みだからだ。もっとも商売人も職人の協力が不可欠である。ライバルと品質も性能も原価も劣るようでは、売りようがない。つまり、販売と生産がきちっと統合して回る仕組み(システム)が必要なのだ。

酒造りや工場の労働に限らない。以前から書いているように、日本には職人的な仕事の領域、職人マインドで仕事をする技術者はとても多い。ソフトウェアなどその典型だろう。日本のIT業界がふるわないのだとしたら、それは技術力の低いプログラマのせいではない。もちろんプログラマが働かないせいでもない。プログラムの機能を顧客価値に変えて、お金を儲ける仕組みを構想できる経営者が、欠けているからなのだ。

もしもちゃんと儲けたかったら、どうすべきか。当然のことだが、人と同じ事をやっていたらダメだ。必ず、価格競争に持ち込まれる。他人を見習い、他社の後をついて行ってはダメだ。他人が思いつかないことをしなければならない。競争の果てにとった個別仕様の受注設計生産なんて、労力多く利益少なしだ。同じモノを作って売る方が効率が良いに決まっている。もちろん、個別仕様品それ自体はなくなるまい。だったら、少ないモジュールの組み合わせで、幅広い使用のバリエーションを生み出せるようにすべきだ。何より、顧客のニーズをリードしないで、どうやって高い付加価値が得られるのか?

本当にきちんと生産と販売(と開発)とが統合された仕組みをもてれば、その市場でオンリーワンの製品を作り、店の前には客が行列を作るはずだ。無理な安値競争の必要はなくなる。「三社相見積もりで」などという顧客には、「どうぞ他所でお買いください」とお引き取りを願う。こうでなければ、高い付加価値など生まれるだろうか。

では、仕組みという見えないもの(こと)を作るのは誰か? それに必要な資質は? 教育は?

「仕組みとはルールだ。だから法学を学んだ者が全体をマネージすべきだ」・・これが長い間、この国を支配してきたイデオロギーだった。むろん法学を学んだ、というのは、某・旧帝大(名前はあえて書かないが)の法学部を出ることを、事実上意味してきた訳だ。まあ法学というのは一種の概念体系だから、それを学んだ人はロジカルシンキングに長けている、ことは認めよう。だがシステムの設計(デザイン)とか、ビジネスの構造は、いつ学んだのか? もっとも、法学部に限らず、そんなものを教えてくれる学部が別にあるとも思えぬが。

そう。この国には、「『仕組みをつくる人』を育てる仕組み」が欠けているのだ。二重の欠落である。わたし自身が上等な商売人だとは、もちろん口が裂けても言えぬ。だが、少しだけは取り柄もある。「システム」というものが何か、ずっと長いこと考えてきているのである。わたしはこうした問題に興味を持つ人と、問題意識を分かち合いたいと思っているし、なるべく多くの人に、知り得たことを何とか伝えたいと願っている。そうして、システムを作れる人を育てるシステムを、なんとか一緒に作っていきたいのだ。


<関連エントリ>
 →「職人的であること、エンジニアであること」 http://brevis.exblog.jp/24607574/ (2016-08-21)


by Tomoichi_Sato | 2017-07-23 22:56 | ビジネス | Comments(0)

研究開発戦略へのシステムズ・アプローチと、モノづくり大国の貧困

「日本は、ものづくり大国だ」という言い方を、よく耳にする。モノづくり大国とはどういう意味なのか、わたしは正確な定義を知らない。GDPの中で製造業の占める割合が、すでに1割台に落ちている国に、ほんとに適切な形容なのかとも思う。だが、あまり正確に定義できる概念ではないのかもしれない。モノづくりが盛んで秀でているなら、「日本は技術大国だ」という言い方だって、同じくらいしても良さそうだ。しかし、なぜかそちらはあまり聞かない。そういう実感があまりないのだろうか?

むろん日本の技術者のレベルは高い。そのことは、いろいろな国で仕事をしてきたエンジニアリング会社の人間として、証言できる。それでも「技術大国」という気がしないのは、なぜだろうか。技術大国という言葉でふさわしいのは、現在、どこの国だろうか。技術大国という以上は、少なくとも、技術者の待遇がよく社会的にも尊敬されていることが、必要条件だろうが。

1950年代から70年代頃までのアメリカは、世界一の技術大国だと自認していたはずだ。その自信が崩れはじめるのは、’80年代に入って日本の自動車産業や電機産業・半導体産業などに、追い抜かれはじめてからだった。当初彼らは、日本が円安と低賃金に助けられて、アンフェアな低価格攻勢をかけているだけだと、高をくくっていた。

だが、プラザ合意で円高にかわっても、日本の勢いは続いた。そこで、途中から彼らは考えを改めるようになる。技術面でも日本に追い抜かれつつあるのだと感じ、本気で対抗策を講じはじめるのだ。たとえばMITが中心になってまとめた、日本の自動車製造の実態調査と、そこから生まれた『リーン生産システム』という概念は、その一つだ。

リーンは赤身の肉のことで、贅肉のない、つまり余分な在庫を持たない生産方式を意味する。それまでの米国流で中心だった、大ロットの見込生産では大量の中間在庫・製品在庫が生じていた。これではせっかく大量生産で低コストを実現しても、在庫金利を生じて効果が減じるばかりか、需要の変化への対応速度が落ちてしまう弱点に気がついた。そこで、流通業のQR(Quick Response)をさらに拡大したSCM(Supply Chain Management)という概念や、APS(Advanced Planning & Scheduling=革新的生産スケジューリング)のツールが開発されるようになった。

もう一つ、日本ではあまり知られていないものに、技術研究政策の変化がある。米国には「国立科学財団」National Science Foundation = NSFという政府組織があって、大学などに学問研究の助成金を出している。このNSFは’80年代の半ばに、産業界のニーズにあった学際的な工学研究を行うセンターを、全米各地の大学に設置する構想をたてた。これがEngineering Research Center (ERC)プログラムと呼ばれる政策である。ERCは、大学と企業の実務家とが、持続的な提携関係を結ぶことを主眼とした組織だ。工学と言っても幅広いが、4つの柱があり、その最初が”Advanced Manufacturing”(先進的製造技術)であった。当時の米国政府の危機感がうかがえるではないか。

現在、NSFは年間約80億円の支援予算を17箇所のERCに支出している。金額もすごいが、わたしが最近知って驚いたのは、このERCの設立運営が、徹頭徹尾、システムズ・アプローチに従ってなされていることだった。世に出て産業界に役立つ技術成果は、単体ではなく、『システム』でなければならないと、NFS/ERCは考えた。システムとは(いうまでもないが)コンピュータのことではなく、構成を持った仕組みの意味である。この政策を調査した科学技術振興機構のレポートhttps://www.jst.go.jp/crds/pdf/2014/RR/CRDS-FY2014-RR-02.pdf を参考に、どんなやり方なのか紹介しよう。

たとえば、高効率の太陽電池用の素子の開発は、大切だ。だが、それが電力網全体に重大な役割をはたすには、蓄電・変電・送電などの補助的要素の開発が必要になる。単発的な要素技術だけでは、世の中へのインパクトは小さいのだ。だが大学人は、とかく狭い専門分野を深掘りしたがる。それを防ぐために、ERCでは、「三層モデル」と呼ばれる図を各センターが分野ごとに作成し、研究がその中のどこに位置づけられるか、全体の中で生きるためにはどのような要求を満たすべきかを、つねに意識させている。
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上の図は、米国NFSのEngineering Research Centers(エンジニアリング研究センター)のHP
http://erc-assoc.org/content/three-plane-diagram からの引用である。第1層は、「Systems Research システム研究」と書かれている面である。面の外側で、右にある楕円の要素は「Stakeholders ステークホルダ」(外部の利害関係者)で、もっと分かりやすく言うと関係する企業やその潜在顧客達や官庁などだ。ここからセンターに対して、要求がもたらされ、逆にセンターからは「製品とアウトカム」が届けられる。アウトカムという用語は日本でもようやく広まりつつあるが、プロジェクトやプログラムの活動が直接間接に生み出す効果である。

第1層の面の中には、「Testbed テストベッド」が並んでいる。ここで、下の第2層から上がってきた技術要素が、他の技術要素と組み合わされて、システム的に実証される。ここが肝心なところで、いくら米国企業の研究開発能力が高いと言っても、しばしばそれは単機能のベンチャー的なものが多い。それが世に出て真に役立つためには、他と組み合わさったときのパフォーマンスやリスクの検討を経る必要がある。これは単機能の企業だけではできない。そこに、大学や他企業と協働するためのERCセンターという仕組みの必要性が生じるのである。

だが、第1層のテストベッドで実証されたものも、すぐ世に出る訳ではない。面の右側には、「Barriers 障害」の箱が並んでいる。ここを通過してはじめて、デビューできるのだ。したがってシステム層では、テストベッドを作るだけでなく、障害が何かを同定し、対策を講じることが行われる。

真ん中の第2層は「Enabling Technologies イネーブラー技術層」である。Enablerという英語は訳しにくいが、何かを可能にする技術、問題解決技術、とでも言おうか。層の内部構成は上と似ていて、テストベッドが並び、そして右にバリヤー(障害)が書かれている。

一番下の第3層は「Fundamental Knowledge 基礎知識層」である。ここの面の中には、基礎研究とバリヤーが並んでいる。ここで生まれた成果は、「Fundamental Insights 基礎的知識」として、第2層に上がっていく(おい、insightは知識ではなく洞察とか見識だろ、と思われた方もおられるかもしれない。英語辞書的にはそうだ。だがinsightは、lessons learnt=教訓などと並んで、組織の中で共有可能なものとして扱われる。洞察や見識では個人に属してしまう。そこであえて知識と訳しておいた)。そしてこの層にもバリヤーが存在する。第2層と第3層には、第1層から「Systems Requirements システム要求」がおりてくる。

そして、ERC(エンジニアリング研究センター)の仕組みをマネージする立場の人達は、つねに自分たちの開発課題の全体像を、具体的な3層モデルの図として描くことが求められる。その中で、予算や人員を、どのレベルのどの課題に重点配分するかを決めていくのだ。また、全体像の図が描かれないと、ERCにはNFSからの予算が下りてこない。いやがおうでも、研究開発戦略をシステムズ・アプローチの中で捉えざるを得なくなる。

・・と、ここまで読んだ読者は、「アメリカの研究政策の話なんて、自分に関係ないから興味ないや」と思われただろう。いや、もう半分以上の読者が読むのを中断してサイトを離れたかもしれない(^^;)。そこで、ここまで読み進められた少数精鋭(?)の読者のために、一つだけ注記しておく。ゲーム業界の話だ。

研究開発とゲームソフト開発では、まったく別の世界ではないか? だが最近、読んで衝撃を受けた記事があった。

「21世紀に“洋ゲー”でゲームAIが遂げた驚異の進化史。その「敗戦」から日本のゲーム業界が再び立ち上がるには?【AI開発者・三宅陽一郎氏インタビュー】」 http://news.denfaminicogamer.jp/interview/gameai_miyake?utm_content=buffer7f213&utm_medium=social&utm_source=facebook.com&utm_campaign=buffer

という記事である。わたしはゲームを一切やらない人間なので、記事の中の固有名詞はさっぱり分からないし、三宅氏の発言がどこまで正鵠を射ているのかも判断できない。だが、日本人が手元にあるリソースを上手にやりくりする職人芸で勝負をしているウチに、アメリカは集団で科学的に研究開発を進めて、サイエンスの力で一気に逆転していく、という説明には納得感があった。

才能ある個人の職人芸の集合か、それとも組織的で科学的なアプローチか。そこが基本的な問題意識のありかなのだ。

ERCの図の、一番下のレイヤを見ていただきたい。ここは、基礎研究が並んでいる。大学の基礎研究というのは、基本的に研究者が個人個人の興味と能力に従って、進めていく仕事だ。大まかな研究分野はきまっているだろうが、具体的な方向はバラバラ。能力もバラバラ。したがって、普通だったら、その組織からの研究アウトプットは、個人のアウトプットの足し算でしかない。これが普通の大学の組織だ。

この一匹狼の集団に、個人の総和よりも大きな仕事をしてもらうには、どうしたら良いだろうか? 米国NFSが考えたのは、こうした問いなのである。そして彼らは、「仕事のあり方をシステム化する」という方策を思いついた。外界から、システムへの要求事項が入ってくる。それを分析して要件を切り出し、複数のサブシステムに分割する。サブシステムの機能要件はさらに、個人レベルの要素まで落ちてくる。そして、それらは組み合わさって結合テストされ、さらに上位で総合テストにかかる。こうすることで、各個人の仕事のベクトルを、きちんとムダがないように方向付けたのだ。

一人ひとりが個別にターゲットを追いかけている場合は、成果は個人の足し算にしか、ならない。しかし役割分担を的確にして、組織的にダイナミックに動くことで、個人では捕らえられなかった大きな獲物を仕留めることができる。こうして、組織は単なる足し算を超えた能力を発揮する。また、個人個人のムラをなくした、安定した仕事の成果が得られる。ちなみにERCの仕組みは、決してあるスーパー研究者が独裁的リーダーになって、大勢を手足として使うためのものではない。それでは、組織のパフォーマンスは特定の個人の能力と気まぐれに依存してしまう。

最近、日本の大学研究者のアウトプット、とくに国際的なジャーナルに発表する研究論文数が、どんどん減ってきているという問題が指摘されている。多くの論者は、これを、文科省の大学政策(独立法人化や予算削減)に結びつけて論じている。たぶん、そうなのだろう。だが、ひるがえって、成果を個人の足し算以上にするにはどうしたらいいか、積極的な策が提案されているだろうか? 傍からは疑問に思える。

そしてもう一つ、書いておこうか。

組織の仕事のパフォーマンスは、個人の成果の単なる総和。こういう組織、どこかで見たことがないだろうか? ——そう。多くの企業の、営業部門のあり方にそっくりなのである。営業部門の業績は受注額ではかられるのが普通だが、営業マンはたいてい個人プレーで仕事をする。ときには凄腕の営業マンもいるだろう。だが平凡な者も大勢いるし、無能な奴だっているかもしれない。そして戦果は個人プレーの足し算である。

そして大学研究と同じように、日本企業は世界市場で次第に、販売競争力が低下してきている事実がある。円高その他、説明はいろいろあろう。だが、どうやって販売力を、個人の総和以上に高めるかという議論をあまり聞いた記憶がない。優秀な営業マンはいる。だが、有能な営業管理者がいないのだ。セールスの仕組みを、つまりシステムを構想し、作り上げる能力を持つマネージャーが見当たらない。まったく、わたし達の社会はどこを切っても同じ断面が見える。兵士達一人ひとりは勇敢だ。だが、組織を合理的に動かす将軍が、いつも不在なのだ。


by Tomoichi_Sato | 2017-05-23 23:32 | ビジネス | Comments(2)

BOM/部品表に関するセミナー講演のお知らせ(6月20日・東京)

お知らせです。

来る6月20日(火)に、BOM/部品表に関する有償セミナーの講師を務めます。場所は東京・新宿です。

ご承知のとおりBOM/部品表の構築と保守は、製造業にとって古くて新しい問題です。とくに近年は、
 ・新製品開発・投入のサイクルが早くなったことと、
 ・製造のサプライチェーンが国境をまたいで海外に伸びたこと、
 ・企業買収や提携が進んでいること
などの要因が相まって、BOMの維持運用を難しくしています。

この問題は10年ほど前に一度注目を集めた時期があり、わたしも2004年に拙著「BOM/部品表入門」を上梓しました。幸いこの本は未だに現役で、今年も増刷が決まって累計1万部近くになりました。しかしそれは、10数年がたっても、根本の問題が多くの企業で未解決のまま残っている事実を意味しているようです。とはいえ、昨今多少は情報化投資の余裕が出てきたことと、データ・サイエンスやデータ・マネジメントに関心が集まったことで、ふたたび注目されているのかもしれません。

今回はとくに、従来の量産型ではなく、BOMを扱いにくい個別受注生産における知恵などにも光を当てて、「自分で考え身につく」セミナーを目指します。

この問題に関心のある方のご来聴をお待ちしております。

<記>

日時: 2017年6月20日(火) 10:30~17:30

テーマ: 「BOM/部品表の基礎と効果的な活用ノウハウ ~演習付~」

主催: 日本テクノセンター

会場: 〒163-0722 東京都新宿区西新宿二丁目7番1号
     小田急第一生命ビル22F

セミナー詳細: 下記をご参照ください



 よろしくお願いします。
               (佐藤知一)




by Tomoichi_Sato | 2017-05-20 18:36 | ビジネス | Comments(0)

中堅エンジニアのための経営戦略入門(2)

長くなってきたのでここまでのところを少しまとめます。

製品やサービスの開発という視点からビジネスを考えるときには、4つの大きな要素があります。市場、競争、組織体制、技術の4つです。この4つは、企業の持つ能力の4つの面を表している、とも言えますね。つまり、販売能力、競争力、供給能力、技術開発力の4つです。

製品やサービスを開発するときには、これら4つの要素を独立にバラバラに検討するのではなく、合わせ技として、スパイラルを形成するような仕組みを考えることがポイントです。

ところでこの4つの要素は、最初の2つが企業にとっての外部環境を表し、残る2つが内部環境を表すと言い換えることもできます。ここで似たようなものとして想起されるのが、SWOT分析でしょう。よく経営コンサルタントは、最初に訪問したクライアントに対し、SWOT分析という道具立てを導入に使います。SWOTとは、strength, weakness, opportunities, threatsの略で、すなわち、強み・弱み・機会・脅威の4つを表しています。

これらを、<内部環境—外部環境>と、<プラスの面—マイナスの面>の縦横4つのマス目に書いて、具体的なポイントを列挙し、そこからラフな戦略の方向性を立てていくのです。このSWOT分析の「機会」は市場を、また「脅威」は競争を表していると見ることもできます。ただし「強み」と「弱み」は、組織体制と技術に直接対応している訳ではありません。が、わたしの経験では、企業人が自社の強み・弱みを客観的に把握するのは結構難しいものです。ですから、むしろ供給能力と技術開発力の視点で課題を列挙する方がブレずに議論できると思うのです。

さて、もう一つ、米国のポーターという経営学者がまとめた、競争優位のための3つの戦略があります。コストリーダーシップ・差別化・集中の3戦略です。

この3つの戦略と、先ほどの4つの要素の関係について、わたしの理解を簡単に整理しておきます。図をご覧ください。テーマは競争戦略ですから、「いかに勝つか」が問題です。それに対して、供給能力(組織体制の力)によって、安く・早く・大量に生産して、市場を席巻するのがコストリーダーシップ戦略です。いいかえると、薄利多売ですね。そして、これができるのは、市場の大半を牛耳られるような王者(リーダー)企業です。

これに対し、チャレンジャー企業はどうするか。コスト競争に打って出たら、体力の差で討ち死にです。そこで技術開発力を発揮して、リーダー企業とは異なる特色と優位性を持つ製品・サービスをつくって、挑戦する訳です。これが差別化戦略です。たとえていえば、コストリーダーシップ戦略の正面攻撃に対して、差別化戦略は側面攻撃ないし奇襲攻撃に相当します。

ではもっと規模の小さなベンチャー企業や中小企業はどうするか。彼らは、特定の顧客との密接な関係の継続、そして既存顧客の満足・実績を元にした新規顧客の開拓という道を選ぶしかありません。これが集中戦略です。小さな市場を選び、そこだけに集中して錐のように穴を開け、大手を破って打ち勝つのです。大規模な広告宣伝は難しいでしょうから、口(くち)コミやネットなどで顧客を広げていく。まあゲリラ戦ですね。
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余談ですが、この三つの戦略、国レベルの行動にも当てはまりそうな気がします。太平洋戦争で、圧倒的な優位性を持っていた米国に対し、チャレンジャーの日本がとったのは奇襲攻撃でした。そしてベトナム戦争で解放戦線がとったのは、まさにゲリラ攻撃でした。

話を戻すと、もしもKさんが、従来とは全く異なるジャンルの新規商品を企画されるなら、たぶん集中戦略ではじめるしかないでしょう。これはという顧客に狙いを定め、顧客が今まで気づいていなかった問題・ペインを掘り起こして意識の上にのぼらせます。そして、それを解決できるのはわが社のこの製品しかない、と信じ込ませることができれば成功です。あとは徹底してサービスを集中する。もし顧客の満足を得られれば、その実績を唯一最大の広告メディアとして、さらに次なる顧客を掘り当てていく訳です。

逆に、市場を席巻できるような供給体制もないまま、低価格でコストリーダーシップ戦略に打って出たり、大した技術力もなくすぐ真似されるような差別化戦略をとったりするのは、愚の骨頂だということです。自分の置かれている状況を冷静に判断しながら、一番良い競争戦略を決めていかなければなりません。

ただ、こうしたポーターの競争優位戦略論に対し、その後いくつかの批判も現れました。その一つとして、ミンツバーグの戦略類型論を取り上げましょう。カナダの経営学者ミンツバーグは実証的な学風で知られていますが、彼は戦略には二つの類型があることを調査から見いだし、ポーターらの戦略論があまりにも計画立案に偏重していることを批判しました。1987年のことです。

ミンツバーグによると、二つの類型とは、熟考型と創発型と呼ばれます。「熟考型戦略」Deliberative strategyとは、当初から意図した戦略で、それがちゃんと実現したもののことです。つまり、考えてから走り出す、上にあげたポーターの戦略のようなタイプですね。これに対し、ミンツバーグが「創発型戦略」Emergent strategyと呼ぶ種類のものがあります。これは、長期にわたり繰り返しとった行動パターンが成功に結びつき、結果としてそのパターンを組織の基本方針としたものです。これは歩きながら考えるようなやり方ですね。この両者がある、と。

ポーターらの好む熟考型戦略は、うまく当たれば成功しますが、外部環境の大きな変化に対して弱いという面があります。逆に創発型戦略は地味ですが、まあ合議制の文化の強い日本企業では好まれるかもしれません(これは逆に言うと、参謀機能が弱いということにもなりますが・・)。

さて、ここであらためて、Kさんの最初の問いに戻りましょう。経営者でもない、重役でも部長ですらないリーダークラスのエンジニアが、戦略という仕事にどう関わるべきか、本当にそんな必要があるのか、という問いです。答えから言ってしまうと、必要あり、です。なぜかというと、技術者はプロフェッショナル・エンジニアとしての自立を目指すべきであり、そのために戦略の基本を学ぶことが大切だと思うからです。

もしもKさんが、経営企画部などの参謀機能の部署におられるなら、話はもちろん簡単です。戦略立案と遂行のモニタリングが、部署の本来業務だからです。まあ、戦略立案部門と言っても、自分が決める訳ではなく、可能ないくつかの選択肢(オプション)と評価を示し、経営層に決断してもらうことが基本的なスタンスとなります。ただし、このような部署の仕事は、エンジニアとしての仕事ではないですね。

では技術者としてはどうなのか。ここで大切になるのが、以前書いたように、「上司の上司として考える、顧客の顧客を考える」スタンスです。仕事に期待される要件を洞察するためには、それが必要です。言われたこと、要求されたことだけをするのではなく、本当に期待されることを先回りして考える能力。これが、プロフェッショナル・エンジニアとして求められる能力です。

米国やカナダにはプロフェッショナル・エンジニアという制度があることはご存じでしょう。彼らは会社勤めのこともありますが、プロとして独立している場合もあります。聞いたところによるとカナダでは、エンジニアは労働組合にも参加できないのだそうです。なぜならエンジニアは弁護士や会計士などと同様に、Professional(独立性のある知的職業)だから、という社会的概念があるためだとか。

単に言われたことだけやるのは兵卒、あるいは労働者の仕事です。主体性を持つ者が、プロフェッショナルと呼ばれるにふさわしい。主体性を持つとは、未来を創造しようとすることに他なりません。未来の創造とは、未来商品・未来技術を創造することもその一つですが、仕事のやり方を新たしくするのも含みます。Kさんがこれまで工場でやられてきたことは、まさに主体性を持った未来の創造ではありませんか。

技術者や会社員にとって、「主体性」の反対とは、何でしょうか? それは、雇用義務や社会の義務だけ果たせば、あとは自分の自由だろ、と思う態度ではないでしょうか。かなり多くの人がそういった態度をとっているのは事実ですし、まあ、それも一つの生き方だと言えば言えます。じつは大学を出るかでないかの若い人の中にも、就職したらとにかく会社の要求する義務だけ果たして、あとは家族や趣味に生きたい、と考える人達が案外います。ちっとも未来志向ではありませんね。

ただ、そうした態度は、雇用や社会のあり方を新しくしようという希望を持たないこと、でもあります。極論すれば、それは自分が会社にとって交換可能な部品か、ロボットとなることを意味します。ロボットは、希望を持たない存在ですから。本来は未来を設計し創造するはずのエンジニアという種族の中にも、そういう物言わぬ大多数が占めていく現実を、わたしはいささか居心地わるく感じます。

わたしは別に、技術者は皆、独立して技術士事務所を開くべきだ、などと主張している訳ではありません。ただ、このような社会環境のとき、エンジニアはただ会社に従属するだけでなく、主体性を持って仕事の未来を考えるべきではないかと思う次第です。そのために、いわば「個人事業主になったつもりで、頭のトレーニングとして」経営戦略についても思いをめぐらすべきだと考えるのです。それは技術リーダーを目指す人にとって、必須のトレーニングの一部だと考えます。わたしは最近、研究部会の仲間と共に、そうした技術リーダーのための相互研修とコミュニティの場を作りたいと構想しています。遠いのでKさんにお声がけするチャンスがありませんが、そのうちご披露できればと思っています

そしていつか、Kさんが非常にユニークな製品を開発されたおかげで、それを売ってほしいと求める顧客が長蛇の列をなし、自分で好む顧客のみをピックアップして仕事を受けることができたら、そして営業に頭を下げたり無茶なコストダウンを命じられたりする悩みから解放されたら、素晴らしいと思いませんか? そのためには、どの市場に対し、何を売って、いかに供給し、どうやって競争を闘うか(あるいは闘わずして勝つか)を、懸命に考える必要があるのです。それをできるのが、エンジニアとしての仕事の醍醐味ではないでしょうか?


<関連エントリ>
 →「中堅エンジニアのための経営戦略入門」http://brevis.exblog.jp/25732183/ (2017-04-28)
 →「職人的であること、エンジニアであること」http://brevis.exblog.jp/24607574/ (2016-08-21)



by Tomoichi_Sato | 2017-05-07 23:22 | ビジネス | Comments(0)

中堅エンジニアのための経営戦略入門

Kさん、お久しぶりです。ご無沙汰しておりましたが、何年ぶりかで本社に戻られたとのこと。お元気そうで何よりです。

普通の人なら「本社にご栄転」おめでとうございます、という言葉遣いをするところでしょうが、それでは工場より本社の方が「上」である、という意味になりますね。わたしは本社も工場も企業組織の一部であって、それぞれ役割が違うだけだと考えているので、あえてそうは申し上げません。それに、本社への異動が栄転なら、以前Kさんが工場に移動されたのは左遷だったということになってしまい、ますます不適当ではありませんか。

まあそんな事はともあれ、本社の製品企画部門に移られて、あらためて「製品戦略とはいったい何か? 何をどう考えるべきか?」という、真ん中直球の問いが頭の中に生まれた、というあたりが、とてもKさんらしいと感じました。たしかにおっしゃる通り、戦略立案が本社の重要な機能であることは多くの人が感じていることだと思います。

では、それは具体的にどのような仕事なのか、考えるためにどういう指針がありうるのか、という疑問を、言語化して問われる方は、案外少ない。まして、おっしゃるように、まだリーダークラスのエンジニアが、戦略という仕事にどう関わるべきか、との自問は、世間にあまり回答が無いように思います。

たまたまですが、わたし自身もここ数年間、いわゆる本社企画部門に属して、『戦略』と名のつく仕事に携わってきました。ただわたしは、(以前お話ししたかもしれませんが)戦略という言葉をふりまわすのは、それほど好きではありません。なるべく「プログラム」だとか「シナリオ」といった言い方をするようにしています。

戦略という、一種の軍事用語は、なぜか使う人間のヒロイズムみたいな感情を刺激するところがあって、うっかりすると酔いやすいからです。酔ったら冷静な判断はできなくなります。冷静でなくなったら、何のための計画や評価か分からなくなるじゃないですか。

それと、戦略という言葉を使う人達の中には、ときどき、基本的な経営戦略論の枠組みさえ知らないまま、論を進めているケースが見受けられます。ビジネスにおける戦略については、先人のいろいろな知恵や研究が積み重ねられており、それを学ばずにいるのはもったいないと思うのです。

「学んで思わざればすなわち暗し、思うて学ばざればすなわち危うし」という論語の言葉があります。何か知識を勉強しても、それを自分の頭で考えない奴は、頭が暗いんだ。しかし自分勝手に考えるばかりで、先人の知恵を学ばない奴は、むしろ危ないんだ、という意味です。ですから、製品企画云々の個別論の前に、Kさんには経営戦略の基本的な枠組みを知っていただきたいと思います。

まず、ビジネスというものを成り立たせる、4つの大きな要素について思いをはせていただく必要があります。それは「市場」「競争」「組織体制」「技術」です。この4つが無いと、ビジネスが成立しません。

ビジネスの出発点は、市場です。たとえて言うなら、漁に出るのに、魚のいない海に行っても仕方がないですよね。どこの海に行くか、どんな魚をねらうのか。これが出発点です。これを考えるのが市場戦略です。市場は顧客とか案件とかの集合体で、需要と言いかえることも可能です。

次に、競争(競合)について考えなければなりません。良い漁場に行っても、周りに漁船が100隻もいたら、収穫は望めそうにないでしょう。どのように競争に勝って獲物をとるか、あるいはいかに競争を避けるのか。これが競争戦略です。

さて、ぶじに良い漁場にたどり着いた、競合もいない、そんな状態でも、自分たちの側にちゃんとした要員がいなかったら、魚は漁れません。一人で網も引き竿もふり船の舵も取る、というのでは、せっかくの魚も釣り上げる前に逃げてしまいそうです。だから、適切な人を配置し、役割や判断を分担して、うまく強調して仕事できるようにしなければなりません。適切な供給(遂行)能力を生み出すもの。これが組織戦略ですね。

最後は、そのように漁を続けるうちに得る経験的な知識・知恵や、新しく手に入れた魚群レーダー・GPSといった道具に象徴される、技術です。技術と知識は組織が持つ能力を、いろいろな形で増幅します。遂行能力の面で技術を使えば、漁獲の生産性が上がり、コストは下がるでしょう。また、魚群の動態に関する知識や、魚の利用法に関する技術を活かせば、新しい種類の魚や漁場を見いだすことができるかもしれません。これが技術戦略です(組織体制と技術を合わせて「経営資源」と表現する流儀もありますが、ここでは分けています)。

漁業のたとえではなく、普通の製造業のケースでまとめると、こうなります:

(1)まず市場を見定める。「誰に売るか」
 ↓
(2)次に競合に打ち勝つ。「いかに勝つか」
 ↓
(3)組織体制で遂行する。「いかに作るか」
 ↓
(4)得た知識・技術を活かす。「何を売るか」

ところで、技術を活かして新しい漁場(需要)に向かう技術を得れば、それが新市場を生み出す訳ですから、(4)→(1)はつながっていて、全体としてスパイラルを描く訳です。そして、この4つがきちんとかみ合って働くことで、企業は利益を得ることができます。

あれ? 肝心の製品戦略はどこにあるのだ、と思われたかもしれません。製品の開発・設計は一義的には技術の下にあるのですが、じつは誰に向けてどんな販売チャネルから、いくらでどう売り、どう作るのか、といった方針設定とワンセットなのです。上の4つの戦略要素は互いに連関し合っていて、どれか一つだけを単独で考えても不十分です。良い製品の企画は、的確な市場セグメントに対し、むだな競争を避ける形で、かつ作りやすいよう、技術を応用するものです。これら全体が緊密に組み合わさった、一種のシステムになっているのです。
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この事情は製品を売る製造業ではなく、サービス業でも同じです。サービスメニューをどう開発設計するのかにおいても、上記の4つの要素を考えなければなりません。

たとえば、著名な経営学者のM・ポーターがあげた例が、「ニュートロジーナ」という会社の製品でした。ニュートロジーナの主力製品は、透明で低刺激の石鹸です。彼らはこの石鹸の試用サンプルを、皮膚科医から患者に配ってもらうマーケティングをとりました。肌への刺激を気にする人(とくに女性たち)に、少し高いけれど安心して使ってもらえる石鹸、とのイメージを確立したのです。これによって、スーパーの店頭で「一山幾ら」の安値競争に巻き込まれずに、利益の上がる製品を売り続け、ブランドを確立することができました。ここには、明確な市場セグメントの設定、競争を避ける方策、そして具体的な製品設計の組み合わせがあります。

ポーターがあげたもう一つの例は、サウスウェスト航空という米国の中堅航空会社でした。エアライン会社ですから、売っているのは製品ではなくサービスです。サウスウェストは、米国の中小地方都市間を結ぶネットワークを持っています。そして彼らは定時運行を売り物にします。二つ以上空港を持つような大都市の場合、必ず便の混雑の少ないマイナーな空港の方に就航します。客の乗降をスムーズにするため、荷物預かりを行わず、基本的にすべて手荷物だそうです。また使用する機体も基本的に一種類のみ。だから保守部品もマニュアルも全て共通化でき、万が一の場合の機体繰りも簡単です。すべては定時運行の信頼を守るためで、これによって彼らはエアライン間の安値競争からのがれ、高い収益率をずっと維持するのです。

おわかりでしょうか。戦略というものは、組み合わせて仕組み(システム)としたとき、有効性が高まるのです。市場戦略だとか競争戦略だとかを単体で考えるのも、一応の意味はありますが、ビジネス全体のストラクチャーを構想することの方が重要です。

ちなみに、上にあげた二つの例は、いずれも価格競争から逃れて、「高く売る」戦略であることをご理解ください。競争力というと、ほとんど条件反射的に「コストダウン」(=安売り)を口にする経営者が非常に多いのですが、M・ポーターはそれに組みしません。企業間の競争を詳しく研究した彼によれば、ある業界の競争状態の程度は、(1)新規参入、(2)代替品の脅威、(3)買い手の交渉力、(4)売り手の交渉力 (5)既存企業間の競争程度、の5要因によって規定されるといいます。

そして企業がその中で優位な立場に立てる一般的戦略として、次の三つを提案します。

(1) コストリーダーシップ戦略
(2) 差別化戦略
(3) 集中戦略

コストリーダーシップ戦略とは、いわば王者の戦略であって、幅広い製品ラインナップと全国レベルの市場において、低価格と薄利多売と大量供給能力によりシェアと利益を確保するやり方です。これに対し差別化戦略は、王者に挑戦する企業が、ユニークな特徴を持った製品を打ち出すことにより、競争に打ち勝つやり方です。上のニュートロジーナがよい例でしょう。

そして集中戦略というのは、ニッチをねらう小企業が得意とする戦略です。一部の小さな市場をねらって、そこに経営資源を集中して守り切るのです。小さな市場とは、特定地域の場合もあるでしょうし、特殊な市場セグメントの場合もあるでしょうが、とにかくある種の顧客に密着し関係を築いて、王者も挑戦者も入りこめないようにする訳です。

この三つの戦略は、同時に全部を取ることはできません。どれかを選ぶ必要があるのです。「戦略とは、意志を持って何かを捨てることである」と、ポーターはある講演で語っておりました。彼はさらに言葉を継いで、日本と韓国の大企業は「総合」志向が強く、何かを捨てる決断が下手だが、それではいずれ行き詰まる、とも警告しておりました。

マイケル・ポーターがこの三つを『競争優位の戦略』と名付けて発表したのは1980年のことです。そして経営学の分野で一斉を風靡しました。以来、戦略論の古典とされています。その後、研究が進むと、いくつか批判も現れますが、それはともかく、コストリーダーシップ・差別化・集中、の三つの基本的な競争戦略くらいは頭に入れて、製品づくりに向かわれるようお勧めします。(この項続く)


by Tomoichi_Sato | 2017-04-28 22:57 | ビジネス | Comments(1)

システムズ・エンジニアのための共通言語が存在する

わたしの働くプラント・エンジニアリングの業界には、通称「P&ID」と呼ばれる図面がある。正式にはPiping & Instrumentation Diagram。日本語に訳せば『配管計装図』だが、そう日本語で呼ぶ人はおらず、普通は「ピーアイ」と略す。いわゆる化学プラントの基本設計を表す図面であり、そこに構造も要素も制御もすべて書かれている。きちんと描かれたP&IDがあれば、どんな機器構成からなり、どんな働きをするのか、ほとんど全て見て取れてしまう。プラントがほぼ作れてしまうと言ってもいい。だからどこの会社でも機密扱いになっている。P&IDがどんなものか、サンプルをお見せできればいいのだが、そういう訳でわたしも勝手に開示できないので、せめてたとえば以下のサイトを見て雰囲気をご覧いただきたい。

 Diagrams for Understanding Chemical Processes http://www.informit.com/articles/article.aspx?p=1915161&seqNum=3
 Piping & Instrumentation Diagram, P&ID http://processflowsystems.com/piping-instrumentation-diagram-pid/

このP&IDという図面は、いわばプラントの分野における『回路図』のようなものだ。電気における電気回路図と同じで、世界中、ほぼ同じ記法で書かれている(多少の方言はあるが)。だから専門の者が見れば、他社のプラントであっても完全に理解できる。P&IDはプラント業界の共通言語だと言ってもいい。そして、それゆえ、化学や石油業界の顧客にかわって、プラント工場の設計と製造を請け負う『エンジニアリング会社』という商売が成り立つのだ。もしP&IDという図面が存在していなかったら、あるいは記法が各社バラバラだったら、誰も工場づくりをアウトソースできず、われわれもビジネスをやっていけない。共通言語があるから、はじめて業界が機能分化し、専門会社ができて技術を集中・発達させることができるのだ。

そしてたぶん、電気業界だって、事情は同じことだろう。電気回路図が国ごと、会社ごとにバラバラだったら、電子部品業界など成り立つまい。他国でメンテナンスできず、輸出もできない。電子立国日本、などと’90年代は呼ばれたが、輸出で経済を支えられたのは、回路図という共通言語がすでにあったからなのだ。

ちなみにエンジ業界でP&IDを作成する設計職種を、プロセスシステム・エンジニアと呼ぶ。長いのでプロセス・エンジニアと呼ぶことも多い。職種名からお分かりの通り、一種のシステムズ・エンジニアである。わたしもキャリアの最初は、この職種だった(が、へそ曲がりの性格のためか、だんだん横道にそれてしまったのだ^^;)。P&IDは化学プロセスのシステムとしての表現であり、主な設計成果物である。そして化学プラントはシステムである。それは文系・理系を問わず、この業界にいる全員の常識だ。

そういう世界に育ったせいか、他の分野に関わったとたん、システムという意識の薄さ、システム設計における共通言語の不在に驚くのである。わたしの目から見れば、自動車だって、月ロケットだって、水道インフラだって、計算機だって、工場だって、みんなシステムである。まあ発達した業種には、それなりに共通する図面類はあり、だから業界が成り立つのだろう。だが、少しでも業界を横断して、他の分野に学ぼうとしたとき、あるいは共通の知恵を育てようとしたとき、共通言語がなかったら、どうしたらいいのか。

え? ITの分野にはC++とかjavaとか世界共通の言語があるって? それは実装のための道具だ。ちょうど電子部品のようなものだ。わたしが問題にしているのは、「システム設計のレベルにおける言語・表現図」である。たとえばユーザ機能要求はどう表記されるのか。システムと要素間の関係はどう図式化されるのか。変更はどう記載されるのか。そういった面である。E-R図とかDFDがあることぐらいは、わたしも一応知っている。そして実際には記法の流儀や方言が多いことも。嗚呼、先輩の「背中を見て」育つ世界。

では、システム設計=『システムズ・エンジニアリング』という広大な共通領域に対して、欧米ではどう取り組んでいるのか。その一つの動きが、前回紹介したINCOSE(国際システム工学協議会)であり、MIT(マサチューセッツ工科大学)やPMIとの連携である。もう一つ、同じMITの取り組みを見てみよう。MITがNASA(米航空宇宙局)・ボーイング社と提携して提供をはじめた、技術者育成コースがある。タイトルを、
"Architecture and Systems Engineering: Models and Methods to Manage Complex Systems"
という。訳せば、「システムのアーキテクチャとエンジニアリング:複雑なシステムをマネージするためのモデルと手法」であろうか。サイト(https://sysengonline.mit.edu)に2分程度の短い広報ビデオがある。これを眺めると、英語が不得意でも対象者や雰囲気は少し分かる。

この育成コースでは、"Model-Based Systems Engineering”を柱とした教育を行うことになっている。対象物のモデルを元に、予測・検証・評価を行って設計する手法だ。ここで対象とするのは人工衛星や電気自動車といった、複雑なシステムである。コース概要を読むと、そこで用いる、「回路図」に相当する共通言語として、
SysML (System Modeling Language)
OPM (Object Process Methodology)
の二つを学ぶことになっている。

わたしはどちらもちゃんと学んだことがないので、聞きかじりで書くことになるが、SysMLの方は言語といっても、図表を中心としたモデリング技法だ。SysMLのシステムモデル表現には、大別して、構造・要求・振る舞い・パラメトリック制約の4種があり、さらに以下のようなダイアグラムを使う。

構造:ブロック定義図、パラメトリック図、内部ブロック図、パッケージ図
要求:要求図
振る舞い:ユースケース図、シーケンス図、アクティビティ図、状態機械図
パラメトリック制約:(これは数式表現、運動方程式、パラメータによる性能評価などになる)

SysMLに関しては、この分野の第一人者である慶応大学SDM学科の西村教授による入門的解説「システムズモデリング言語SysML の活用」(http://www.mstc.or.jp/iaf/event/2014w/05nishimura.pdf)があるので、興味がある方は読まれるといい。上にあげたリストも、ここからの引用である。

もう一つのOPM (Object Process Methodology)は、ある意味、もっと面白い。この手法には図表限もあるのだが、同時に、いわゆる言語として文字列でも表現できるようになっている。OPMでは対象を「Thing」とよぶのだが、これはObjectとProcessに区分される。つまり日本語で言う「モノ」と「コト」である。そして、それら要素間の関係を様々な形で表記していく。なおOPMのモデルはSysML形式にも展開可能である。

ところで、SysMLは10年ほど前に国内に紹介されたものの、どうやらあまり普及しなかったようだ。OPMにいたっては、日本には紹介もされなかったらしい。日本語版Wikipediaはエントリーさえ無い。OPMはすでに国際標準として認定されて、ISO 19450:2015になっているのに! まあこれが、「システム」設計という仕事に対する、わたし達の社会の知的態度なのかな、とも思う。

もっとも、こういう言い方には疑問を呈する方もおられよう。SysMLがあれば、良いシステムが設計できるというのか? ましてSysMLが、「統一モデリング言語(UML)のサブセットにUMLのプロファイル機構を使って拡張したものと定義できる」(日本語版Wikipediaより引用)ことを知れば、IT業界の方にはなおさらかもしれない。UMLか! あれってほんとに便利なの?

当たり前だが、
・SysMLを使えば良いシステムの設計ができる
・SysMLを使わなければ、良いシステム設計はできない
のいずれの命題も、別に正しくない。じゃあ、なんでSysMLだのOPMだのにこだわるのか? 結果として、いいシステムが設計できれば、使い慣れたどんな道具でやったって、いいじゃないか。

答えは、「仕事をシステム化するために必要だから」である。システム設計と構築という仕事自体を、システム化するために、標準的な、共通化された道具立てと手法が必要なのだ。誰がやっても、その個人のスキルや資質に過度に依存せずに、ある程度の設計品質が保てること。そして、巨大なシステムをつくる場合に、仕事の仕組み自体をスケールアップ(IT業界風に言えばスケールアウト)できること。そのために、必要なのだ。

ほんの2〜3人で、数ヶ月でできてしまう仕事は、設計を担当する個人の力量に、結果が大きく依存する。だが200〜300人がかりで数年かかるような仕事は、そういう事ではこまる。様々なサブシステムが、それなりに均質で予見可能な形でできあがってこないと、最後に統合する際にバラバラになってしまう。だから、大きなスケールの仕事ができるように、仕事のプロセスをシステム化すべきなのだ。これが、少なくとも欧米人に共通な発想である。これに気づけない人は、じつはシステムズ・アプローチということをよく分かっていない、と見た方が良い。

設計に使う道具について、専用化を志向するか汎用化・標準化を志向するかは、つねに議論になる問題だ。SysMLとかUMLとかは、汎用化志向だ。だが汎用を目指すほど、個別問題には余計なオーバーヘッドが生じて、重たくなる。だったら個別分野に向いた、使いなれたツールを使う方が効率が高い。そう考えるのはよく分かる。ただ、その傾向を徹底すれば、どうなるか。部分最適を追求した結果、最後は「オレ流」になるのは目に見えている。俺流でずっと仕事を回していけるなら、それでいい。だが組織や業界がそういう流儀から脱皮したいなら、何らかの共通言語が必要なのだ。

実は、最初にあげたP&IDや回路図といった図面が早くから生まれたのは、理由がある。化学プラントや、電気回路などのシステムでは、要素間をつなぐ線が、物理的に存在して目に見えるのだ。プラントでは配管が、回路では配線が、それにあたる。だから、こうした線を図に表記するのが、自然に思えた。しかし月ロケットや電気自動車では、そうではない。電気配線はあるが、それはほんの一部に過ぎない。主要な部分(機能モジュール)間の関係、インタフェースは、目に見えない。だからこうした分野では、システム図の発明が遅れたのだ。でも今や、それは生まれた。そして育ちつつある。少なくともわたし達の国の外では。

目に見える物理的なモノだけでなく、目に見えぬ関係やプロセスを、システムの要素として認識すること。いや、むしろモノとプロセスの主従を逆転して、作業を中心にモノを見ること。そして仕事の仕組み全体をシステムとして理解すること。こういう能力が、システムズ・アプローチの勘所なのである。先に挙げたMITの育成コースは、edXを使ったオンライン教育中心で、4ヶ月間かかる。公式な資格を発行してくれるが、$2,200かかる(けっこう高い)。それで、何が得られるのか? システムズ・エンジニアリングにおける共通言語と共通スキルである。そういう技術者が、海の向こうでは求められているのだ。だからせめてわたし達も、システムズ・アプローチを学べる場を手作りで生み出そうと、ささやかながら我が研究部会で試みているのである。


<関連エントリ>
 →「システムズ・エンジニアリングとは何か」 http://brevis.exblog.jp/25682507/ (2017-04-09)
 →「工程表と部品表 - 個別受注生産における主従の逆転」 http://brevis.exblog.jp/25660188/ (2017-03-22)

by Tomoichi_Sato | 2017-04-19 12:16 | ビジネス | Comments(0)

システムズ・エンジニアリングとは何か

日本にはあまり知られていないが、欧米では確立され重視されている技術の分野がある。それは「システムズ・エンジニアリング」=システム工学である。

・・と書けば、“何を馬鹿な”と思われる方が大半であろう。日本にはシステム・エンジニア(SE)と呼ばれる職種の技術者が、少なく見積もっても十万人単位で存在する。それに、大学でもそれなりに教えているではないか。「システム工学」と名のつく学科だって、数十は存在する。それなのに、「あまり知られていない」などとは何ごとか!

そう憤慨される読者諸賢に、それでは、一つご質問したい。貴方が学校で学ばれた「システム工学」の、代表的な教科書をあげていただきたい。これ一つ読めば、システム工学の基礎が大体分かる、読んでいない奴はモグリだ、というような定番の教科書である。システムとは何を指すのか、システムはどのように設計すべきか、設計手法は何があるのか、システムの分析や評価はどう行うのか、システム工学研究の最新の課題は何なのか、すっぱり分かる教科書である。経済学におけるサムエルソンの本みたいなやつだ。1冊ではなくシリーズでもいい。確立した工学分野なら、そういう教科書が必ずあるはずではないか。

え? 思い当たらない? そんなら、最近流行の「知識体系」を書いた標準書かハンドブックでもかまわぬ。プロジェクト・マネジメント分野におけるPMBOK Guide (R)みたいなやつだ。一流のプロを目指す人間なら、誰でも座右において、でも実際には滅多にめくって見たりはしないアレである。え? それも存在しないって。だとすると、世の中のシステム・エンジニアはどうやって勉強してきたのか。まさか習うより慣れろ、先輩の背中を見て育て、だろうか。また学術研究は、どう進められているか。今、念のためにちらりと調べてみたが、「日本システム工学会」のような組織も無さそうだが・・?

そうなのだ。日本には、「システム工学」一般を扱う学会も、それを教える大学も、存在しない。たとえば「日本の大学」というサイトで調べると(http://www.gakkou.net/daigaku/src/?srcmode=gkm&gkm=04011)、76件の学科が出てくる。だが、機械システム工学、情報システム工学、制御システム学、化学システム工学など、何か特定の修飾がつく学科ばかりだ(かつては神戸大学と静岡大学に「システム工学科」が存在していたが、どちらも今はもう無い)。学会で言えば「システム制御情報学会」https://www.iscie.or.jp が存在する(わたしも以前、学会誌に一度寄稿したことがある)が、これも元は自動制御論の学会である。さて、世の中のSEの皆さんで、ラプラス変換や伝達関数を毎日仕事で使いこなしている方はどれくらいいるだろうか?

率直に言って、わたし達の社会には、「システム」という概念に対して、奇妙な歪み、ないし偏向がある。システムとは「目的を成し遂げるために、相互に作用する要素(element)を組み合わせたものであり、これにはハードウェア、ソフトウェア、ファームウェア、人、情報、技術、設備、サービスおよび他の支援要素が含まれる」と定義される。システムというのは非常に一般的な概念だ。そこには機械的なシステム、たとえば自動車だとかカメラだとか人工衛星だとかも含まれるし、工場やプラントみたいなものもシステムだし、人間系を含んだ仕組み、たとえば企業の経営組織だってシステムの一種である。少なくとも、学術の世界ではそう認識されていて、(学会は専門分化する方向が強いので)個別に「○○システム学科」が生まれていく。

ところが、一歩大学の外に出ると、なぜだか突然、「システムとはコンピュータのこと」という『常識』が世間を覆っていることに気づく。そして、SEと呼ばれる人たちは、もっぱら計算機のハードウェアだとかソフトウェアだとかを設計・実装するITエンジニアばかりなのである。『システム』という言葉自体、外来語で、日本語に該当するもののない、わかりにくい抽象概念だった。だから<システム=計算機>という目に見えるものにマッピングして理解されることが起きたのかもしれない。

しかし、このような偏向ないし偏在は、いろいろなところで問題や見えない非効率を生み出している。たとえば少なからぬメーカーにおける製品は、複数要素から成り立っており、システムである可能性が高い。だが、そこにコンピュータ要素がないと、『システム』として認知されない。すると、システム工学が得ている知見や常識が活かされず、その製品設計プロセスにも、システム工学で常識となっているモデル(後述する)が適用されないケースが多いと思われる。あるいは、生産管理などの仕組みも、一種のシステムである(現にトヨタは「トヨタ生産システム」と呼んでいる)。だが、そこにもシステム工学で常識となっている事柄が十分活かされず、ただ個人の頑張りや浪花節的調整や「気合い」やらで組み上げられたりする。欧米ライバル会社では、そこが理知的に設計されスケーラブルになっている可能性が高いのに、である。

ところで、二つ上の段落に書いた「目的を成し遂げるために・・要素が含まれる」という定義は、じつはINCOSE(The International Council on Systems Engineering http://www.incose.org )という団体による定義を引用したものだ。INCOSEは文字通り、システム工学に関する国際的団体である。事務局は現在、米国サンディエゴにあるが、理事のメンバーを見ればわかるとおり、欧米にまたがっている。大学人あり、航空宇宙業界ありソフトウェア業界ありエンジニアリング業界ありで、かなり広汎だ。そして(例によって)日本人は一人もいない。

このINCOSEという団体は、"INCOSE Systems Engineering Handbook: A Guide for System Life Cycle Processes and Activities"というハンドブックを出版している。現在第4版で、Amazonなどからも手に入る。これを眺めると、現在のシステム工学というものが、何を問題にし、どういう方法論で挑もうとしているのかが少し見えてくる。

たとえば、同書の中には、システム開発の「V字モデル」の図が出てくる。こういう図だ。


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これに似た図は、ITエンジニアの人たちなら、見たことが多いのではないだろうか。日本でも、大手ITメーカーの社内標準や開発プロセス定義に取り入れられている。INCOSEのハンドブックの説明によると、このV字モデルの概念は1990年頃に萌芽が生まれたが、このような形で提案されたのは、Forsberg, Mooz & Cottermanの"Visualizing Project Management”(3rd edition, John Wiley and Sons, 2005)がオリジナルであるという。

念のために説明しておくと、システムは通常、その中にサブシステムを持っており、サブシステムはさらに下位の要素などから階層的に構成される。上位システムは何らかの要件を持っており、エンジニアはその機能を満たすために内部構造を考える。つまり、下位のサブシステムが満たすべき要件と、その要素間の関係を規定する訳だ。設計とはそもそも、満たすべき要件と制約条件の中で、利用可能な材料から、機能・構造・制御機構を持つ案を考え、その中で価値が高いものを選ぶ行為である。そして下位のサブシステムについては、その要件を満たすべく、さらに下位の要素の組み合わせで設計する。

こうして、設計段階は、上から下におりていく。ところが、それを実現する(製造・実装)段階では、まず要素を作り、その要素レベルでの機能検証を行った上で、上位のサブシステムを構成し、サブシステム・レベルでの検証をすませてから、全体システムへと進む。そこで、各段階の設計において、あらかじめ検証のための方法を計画しておかなければならない。

これは、今日のITエンジニアにはほとんど常識であろう。事実、ISO12207 「ソフトウェアライフサイクルモデル」などにも、この概念は取り入れられていて、テストは単体→結合→総合、という風に下から上に上がってくるのである。これを逆にはできないし、すべきでもない。ただ、こうした概念がIT分野で常識化してきたのは、この10年くらいのことかもしれない。そして、IT以外の分野では、まだあまり常識ではない。たとえば、IT系の会社で組織体制を決めるとき(これは立派なシステム設計行為だ)、上から順に機能定義を展開し、下から順にそれを検証しているだろうか? そうしていないとしたら、それは何故なのか?

それは、「システム」という概念がコンピュータ回りに偏向しているからだろう。上に述べたINCOSEのシステム定義が、要素としてちゃんと「人間」を含んでいる点に注意してほしい。人は、システムの重要な要素なのだ。まあ、わたしは実務家であって、必ずしも抽象的一般理論の信奉者ではない。だが、必要に応じて、抽象レベルを上げて考える能力は、技術リーダーに必須のスキルだと信じている。そして、それをシステムという観点から行うのが、『システムズ・アプローチ』なのである。

ちなみに、INCOSEは数年前に、プロジェクト・マネジメントの本家団体であるPMIと、戦略的提携関係を結んだ。さらに、MIT(マサチューセッツ工科大学)とも協力して、プログラム・マネジメントについて新たに共同開発を行っている。これは、わたしにとって驚きのニュースであった(もっとも、こういうニュースがこの国ではちっとも驚きを持って広まらないのだが・・)。そして、共同で新しく本を編纂するというので、日本プロジェクトマネジメント協会PMAJの光藤理事長が寄稿された。出版は少し遅れているようだが、近々刊行されると思う。

ともあれ、わたしの知る限り、今日の日本において、IT以外の分野で「システム・エンジニア」という職種が認知されているのは、JAXAに代表される航空宇宙業界、一部の物流設備業界、そしてプラント業界くらいだ(化学プラントの世界では「プロセスシステム」という概念が確立していて、これを専門に設計する職種がいる。ただしプロセス・エンジニアと呼ぶことが多い)。でも、もっと多くの分野で、システム工学の考え方を知り、また独自に技法を案出できるといいと思う。

こうしたシステム工学の考え方に興味を持たれた方に、ちょっとだけ耳寄りな情報(笑)をお教えしよう。上記のINOCSEの英語版ハンドブックを読むのは、なかなか大変だ。そういう方は、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が、

JAXA (2007)「システムズエンジニアリングの基本的な考え方」

という解説記事をネットで公開されている。こちらをまず、勉強されることをおすすめしたい。わたし自身、INCOSEのハンドブックに書かれている方法論だけでは、工学としてまだ物足りない部分があるとも考えている。とくに、System ArchitectureやSynthesis、つまりシステム合成のための設計指針が、もっとほしいと感じる。だが、そのギャップを埋めるには、大勢の叡智を集める必要があろう。そして、より多くの人が、こういうシステム工学の存在を知ってほしいと思うのである。


by Tomoichi_Sato | 2017-04-09 17:36 | ビジネス | Comments(0)

花粉症の対策として、「蒸しタオル法」を試すことをおすすめします

昨年の4月に、「わたしが花粉症の薬を飲まずにすむようになった、1日3分の簡単な習慣」http://brevis.exblog.jp/24285190/ というエントリをアップした。今年も花粉が飛びはじめ、アレルギーの人間にはしんどい季節が始まったようなので、ここにその内容を再掲しておこう。とても簡単な方法だ。わたしは毎年、医者にかかってアレルギーの薬をもらっていたが、昨年は一度もその必要がなかった。その方法とは、

毎晩、寝る前に蒸しタオルで3分間、鼻を温める

というだけである。蒸しタオル(いわゆる「おしぼり」状のもの)をつくり、仰向けになって顔の真ん中にのせて、3分間、じっと鼻筋や目のあたりを温める。すると、なんとなく顔の緊張や目の疲れが和らいで、リラックスする。それだけで、あとは眠ればいい。

蒸しタオルといっても、じっさいには乾いたタオルを水に濡らして、電子レンジでチンすれば出来上がる。あまり熱くしすぎると顔に乗せていられないが、ぬるすぎると3分たつ前に冷めてしまうから、タオルと水の量とレンジの時間は、頃合をはかる必要がある。わたしの場合はやや熱めにしておいて、(理容師さんがよくやるように)両手でぽんぽんとはたいて、表面を少し冷ますようにしている。まあ、温度や鼻筋を温める時間については、あまり神経質になる必要はないようだ。気持ちいいと感じることが大切なのだろう。

この方法で万人の花粉症が予防できるとか、治るとか言うつもりはない。たぶんその人の体質や、日々のストレスにもよって違うだろう。わたしだって今年はどうなのか、まだ分からない。ただ、昨年の春、この方法を教えて、「確かに効いた」「楽になった」という方が何人かはいたので、ここに再度書く次第だ。さしてコストがかかる訳でもないし、ひどい副作用もないと思うので、一週間程度は試してみていただきたい。もっともわたしは医師もなんでもないので、at your own riskでお願いする、と書いておこう。また、重い症状の方は、専門医にかかることをお勧めする。ただ、たった一人でもいい、この方法でどなたか読者諸賢の春の悩みが少しでも軽くなるならば、望外の喜びである。


<関連エントリ>

by Tomoichi_Sato | 2017-02-19 09:21 | ビジネス | Comments(0)

結果オーライのマネジメントでいいのか? - 成果の予見可能性を高めるために

海外企業で経営者の一員として働く知人が、「利益額という結果だけで親会社から評価されマネージされるのではたまらん」と考え、Strategic Business Planを策定したという話を、前回書いた。彼は安定した成長の軌道を描くために、そして必要な経営資源を明らかにするために、苦心している訳である。では組織が「結果オーライのマネジメント」を脱して、成果の予見可能性を高めるためには、どうしたらいいのか?

答えはある意味、単純である。最終結果だけではなく、途中段階をコントロールする。すなわち、仕事を結果に至るまでの過程=プロセスに分解し、プロセスを構成するそれぞれのステップがきちんと働くようにすることである。たとえていうならば、長い釣り竿の先端を、ねらった位置にぴたりと当てるゲームを考えてみてほしい。根元だけ持って、先端の位置をコントロールするのは難しい。途中で勝手にしなるし、手元のブレや風の影響でブルブルゆれるだろう。だが、竿の途中の何カ所かに細い棒か何かで支えを入れて、その支えの位置をそれぞれ動かせれば、先端の位置決めははるかに精度が高くなる。そういうことだ。

仕事をプロセスに分解するとは、受注型営業ならば、商品説明→提案→見積→受注、という段階になるだろうし、設計作業なら要件確認→基本設計→詳細設計→試験確認、といった流れかもしれない。図では、仕事を直列な4つのステップに分けているが、べつに4でなくてもいいし、直線状ではなく分岐や並行があってもいい。
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各ステップには、それぞれの中間成果物や達成状態がある。そして各ステップには、そのパフォーマンスを左右するような、主要な導因(Key drivers)と、それを測るモノサシがあるはずだ。これが先ほどの釣り竿の例でいう、途中の支えに相当する。たとえば営業の商品説明なら、客先への訪問がKey driverだろう。それは訪問件数で測ることができる。そのステップの中間結果としては、次のステップ=提案まで持ち込める案件の比率が、達成度合いを示す。このようにプロセスを分解して、各ステップの状態を良く見分けることができれば、最終結果に至るずっと以前に、先行きの予想がつきやすくなる。つまり『予見可能性』が高まるのだ。

かりに営業の受注プロセスをよく見たら、商品説明から提案までは高い比率で進んでいくのに、その後、見積に行く段階で急に案件数が下がったとしよう。だとしたら、受注がふるわないのは、「商品力がないから」とか、「他社より価格が高いから」といった理由ではなく、「提案段階での内容・質に問題がある」ことが主要な原因だと分かるだろう。商品に興味は持ってもらえるのだ。だが、提案が顧客の期待にマッチしていない。だとしたら、提案力を上げるにはどうしたらいいかを考えることになる。

そして各ステップには、そのパフォーマンスに影響を与える環境要因がある。これもステップ毎に異なるはずだ。環境要因とは、担当者の意志や努力ではどうにも変えられない事象を指す。提案段階のパフォーマンスに影響を与えるのは、「世の中の景気」でもないし、「他社との競合の激しさ」でもあるまい。

提案力が低いのは、もしかすると設計部門が多忙すぎて提案営業に協力できない、といった内部環境なのかもしれない。あるいは単に、営業から技術部門への顧客ニーズの伝達が、うまくいっていないのかもしれない。ただ明らかなのは、「世の中の景気が落ち込んで競合が厳しくなったから受注高が上がりませんでした」という説明は、事実を正しく伝えていないということだ。こうした営業部門の言い訳は、プロセスに分解すると正当かどうか判断できる。

戦略とは、限られた経営資源をどこに集中し、どこは略すかを決めることである。だから上記のような状況では、提案能力を上げる部分に、人員や資金や技術を投入すべきだということになる。戦略は一種の賭けでもあるので、経営資源の投下が本当に期待した効果を上げているかを、Key driverと中間成果の数字で測って、適時検証しなければならない。

・・と、いうような話は、別にわたしの創意でもないし、取り立てて新しい考えでもない。結果だけを見るのではなく、結果に至るまでの段階と構成要素を見てコントロールすること、かつ全体を見て判断すること、必要ならばその仕組みを改良すること。これがシステムズ・アプローチである。原理自体はとりたてて難しいものではないし、図を見ればほとんどの人は「なるほど」と同意するだろう。プロジェクトという大きな仕事のまとまりを、構成要素であるActivityに分解するWBSという手法だって、その一例である。工場の人なら、工程単位に検査をしながら進んでいく「自工程完結方式」だな、と思うかもしれない。

だが、システムズ・アプローチを知っているということと、組織がいつでもそれを使いこなせるかどうかは、別物である。組織の構成員が無意識に従う、体系化された思考と行動の習慣を、わたしは『組織のOS』と呼んでいる。「結果オーライのマネジメント」が横行している組織では、システムズ・アプローチはまだOSレベルに至っていないな、と判断できる。そういう組織では、仕事の成果は人で決まるか、環境に左右されるか、だと信じられている。だから競争で人を選別するか、あるいは各人の頑張りで環境条件をはね返すしかない、という結論になる。

最近、とある著名な経営コンサルタントから聞いた話がある。この方は製造業の分野に強いのだが、日本企業の海外展開のあり方について気になることをいっておられた。海外に工場を建て、子会社を作るのはいいのだが、その子会社に対してまさに「利益額の結果だけで管理する」やり方をとっている企業がほとんどだ、というのだ。きいていて、ちょっとドキッとした。

かと思うと逆に、やれ稼働率だ資材購入単価だ生産性だと、部門別に細かなモノサシをたくさん指定して、それで海外工場同士を比較競争させる発想もけっこう強いらしい。「KPI経営」と、その方はよんでおられた。

KPI経営のどこがまずいのか? 企業の部門というのは、営業・資材購買・製造・物流、という風に、仕事の機能単位に、まさにプロセスで並んでいるのだから、それぞれの機能をKPIでコントロールするやり方は、まさに上に述べたシステムズ・アプローチではないか、と思う人もいるかもしれない。

だが、両者は似て非なるものである。まず、プロセス全体を見ている者がいない。日本の工場を「マザー工場」に指定して、海外工場にならわせるマザー工場制度を取るところも多いので、実質的には日本の各部門が、子会社の各部門をそれぞれ個別に指導・管理しているだけだったりする。だから、現地にも工場長はいるだろうが、日本で適切だったはずのKPIが、海外工場に同じように該当するかどうか、誰もきちんと全体を見て検証していない。

それに、上述の各ステップのパフォーマンスを左右する動因の一つは、すぐ上流側から受け取る中間成果物の品質やタイミングなのである。いってみれば上流側プロセスが、各ステップにとって最大の『環境』に相当するのだ。それなのに、上流側が勝手にそれぞれ局所最適を目指したらどうなるか。

たとえば資材購買のKPIが購入単価だったとする。つまり安ければ安いほどいい、と。いきおい、入ってくる資材は品質や納期にリスクを抱えることになる。加工課のKPIは機械稼働率だったとしよう。そしたら、とにかく機械を遊ばせないため、遅れ気味の資材が、入るはしから部品に加工したがるかもしれない。低品質な部品が、使うかどうかも不明なまま大ロットで工場倉庫に積み上がる。ところで組立課のKPIは一人あたり生産性である。そこで、できるだけ部品を作業ラインの近くに置いておきたがる。かくて、工場はモノであふれかえっているのに、必要なモノは足りなかったり、出来上がった製品の品質はさんざんだったりする・・

おわかりだろう。各ステップのKey Driversというのは、プロセス全体をとりまく状況に依存するのである。だから、システム全体を見る目と、判断する能力が必要なのだ。中小零細の工場主なら、こうしたことは理屈で知らなくても体感でわかっている。むしろ中堅以上の、分業が進んだ企業組織ほど危ない。業務を機能別に分解してKPIで働かせるだけででは、マネジメントしていることにはならない。WBSをつくって各Activityに担当者を割り振ったら、あとはプロマネなしでもプロジェクトは成功するだろうか? そうはいくまい。つねに変わりつつある内部環境や内部環境に応じて、総合的に判断する役目が必要なのだ。「総員がその持ち場で最善を尽くせば、結果は必ずついてくる」などというのは、じつはマネジメントの不在を示している。

くりかえすと、組織全体の成果の予見可能性を高めるためには、プロセス(工程)によるマネジメントとコントロールが必要である。そのためには、

・プロセスを構成する各ステップのキーとなる導因とモノサシを見定める
・モノサシと、結果のパフォーマンス(コスト、時間、品質など)との関係を推定する
・全体プロセスがうまく働くように、適切に人員や予算などの経営資源の配分を判断する

という手順を踏むことになる。こうしたことは、皆がある程度、無意識にやっている事かもしれない。いわれてみれば当たり前、あるいは「そんなの知ってるさ」という事かもしれない。だが、それを形式化し、OS化することが大切なのだ。それによって、属人的な仕事の進め方(技能)が、標準化された技術になるからだ。

そしてもう一つ。こういった原則的な知識は、字で読んだだけでは身につかない。自分自身の状況に引きつけて応用問題を考え、少しずつ試しながら理解する必要がある。たとえば上記のプロセスに、ループや分岐があったらどうしたらいいのか。どうみても数値化しにくい中間成果は、どう扱うか。

一般にマネジメントの問題には正解がないといわれる。それは、現実の仕事には環境条件や不確実性が左右して、結果に必ずしも再現性がないためである。だが同時に、『全体を見て総合的に判断する』ためには、確固とした価値観を持たなければならないからでもある。そして、こうした総合的判断の訓練のためには、学ぶ仲間がいるほうがいい。現在、わたしが主宰する研究部会では「PM教育の新しいアプローチ」を構想中だが、そこで学びのコミュニティが必要であると考えているのは、このためだ。一人だけで問題を考えると、どうしても視野が限られるが、複数人なら「三人寄れば文殊の知恵」が働くからだ。

そしてわたし自身も、まだ学びの途中である。

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by Tomoichi_Sato | 2017-01-25 23:01 | ビジネス | Comments(0)

結果オーライのマネジメントでいいのか?

帰国した知人と久しぶりに会った。アジアの新興国で会社の経営陣の一員として働いている。日系ではなく純然たる現地企業だ。中堅規模でそれなりの業績も上げているらしい。知人の主な仕事はBusiness Development、すなわち事業分野の拡大と経営面の仕組み造りである。わたしも最近ずっと経営企画的な仕事をしているので、興味が重なり、いろいろな話を聞かせてもらった。

知人がその会社にヘッドハントされて着任したとき、真っ先に気になったのは、きちんとした中期的な経営の方針がないことだった。彼の会社は、その国の結構大きなコングロマリットの一部であり、子会社の位置づけだ。だが親会社からは、「何の指針も指示もなく、P/Lのボトムラインだけで管理されている」状態だったという。

P/Lとは財務諸表の『損益計算書』(Profit & Loss)の略称だ。損益計算書は一番上に売上収入が書かれ、その下に出費経費がずらずらとならぶ構造になっている。一番下の行には、差し引きの結果である経常利益が記載される。これを英語ではよく"bottom line"と称する。「P/Lのボトムラインで管理する」とはつまり、通期の利益額だけを見て、赤字だったら叱責され、黒字ならよしよしと言われるか、「まだ足りない」と言われるか、だけだったということを意味する。収益が大きければたぶん経営者はグループ内で地位が昇格し、赤字が続けばクビになって別の者にすげ替えられるのだろう。

だが、これだけでは、会社の経営陣として次にどういう手を打つべきか、さっぱり分からず、方向性が定まらないと知人は言う。そうだろうな、とわたしも思う。お前の会社はグループ内でこういう位置づけ、こうした役割を担っているのだから、こんな風な姿を目指せ、親会社として支援できるのはここまでで、判断基準ややり方はこうだ、というような指針が一切ない。ただ結果としての利益を出せ、と言われているだけだ。

きいていてわたしは、「甘えるな、結果が全てだ!」という標語を思い出した。わたし達の社会では、あちこちで出会うセリフである。経営者は結果が全てだ、利益を出せるかどうかだ。これは多くの株主が感じていることだろう。あるいは職場でも使う。営業は結果が全てだ、受注できるかどうかだ、という具合に。学校教育でもそうかもしれない。入試は結果が全てだ、いくら試験場で気張っても入試に通らなければ意味がない。スポーツも、参加したって勝てなければ意味がない・・

これは裏を返せば、良い結果さえ得られれば、その方法や途中経過は問わない、というメッセージでもある。そのやり方がどんなに属人的でも運頼みでも、とにかく結果さえ出れば、それで良いとほめられる。そして結果は、たいていリーダーの功績に帰せられる。だから優れた業績を上げた人は、どんどん引き上げて、より上位のポジションにつける。結果とは一種の人材選別のフィルターであって、優秀な人間を見いだしてリーダーに据えることですべてはうまくいく。そういう思想の表れである。そう考えると、わたし達の社会でやっている受験競争だとか就活だとかの大騒ぎの意味が、よく分かるではないか。試験で優秀な結果を出せた者が一流大学に進学でき、その中の成績上位者がさらに中央に引き立てられてエリートとして社会に君臨する。そのおかげで日本はここまで立派な大国になったのである、と。

でも、知人のケースに話を戻そう。結果を出すために、目の前の仕事を取りに行って、何とか完遂する。それをおえたら、また次の仕事を取りに行き、完遂する・・これの繰返しだけでは、会社は新興国の不安定な景気の波にもまれるだけで、真の成長はむずかしい。このままではまずいので、Strategic Business Planを作ることになった。それが彼に期待されたミッションの一つでもあった。ちなみに知人は元々、技術屋である。だが長らくプロジェクト・マネージャー職に従事し、さらに<マネジメント的な視点>を持っている人だ。経営関係の勉強もそれなりにしている。彼の上司にあたる社長も、技術者上がりだ(わたしは一度だけ挨拶したことがあるが、人柄を感じさせる立派な方だった)。だからこうした方面の役割を、その知人に期待したらしい。

Strategic Business Planであるから、まずは会社が中長期的に目指す姿を明らかにすることからはじめなければならない。そのためには無論、ある程度のマーケットの読みが必要である。魚のいない海に船を出してもしかたがないからだ。アジアのその国では、長い政治的低迷時代を少し前に脱し、ようやく成長過程に入っていて、エネルギーやインフラなども市場が期待できる。ただし市場は大きくても、競争をどうしのぐかが次の問題になる。せっかく豊富な漁場に出ても、周りを見渡したら、(たとえば)中国漁船がうじゃうじゃ、というのでは始末に負えまい。それから、自社の強みを明らかにして、それを向上させる技術なり人材なりの方策が必要である。漁場も良く、回りにライバル船が不在でも、自分の船にGPSもレーダーもなく、古代さながらの投げ網だけでは、収穫はしれているというものだ。

こうした仕事を進めるにあたり、すべてを自分だけで我流でやらず、社内を動員し、また外部のコンサルタントを活用したそうだ。とくに遂行面での弱みを補強するために、欧米系の超有名な、「マ」ではじまるコンサル会社を雇ったりもしたのだが、ここは期待外れだったらしい。それはさておき、彼が目指すStrategic Business Planを一通りつくり上げることができた。外部コンサルも、自分たちの頭を整理してくれる点では役に立った。なぜなら、経営計画を策定するという仕事はどこの会社にも共通しているし、経営学という学問の蓄積も一応はある訳だから、自分でゼロから車輪を再発明せずにすむ訳である。

こうして海図と羅針盤は手に入れた。だが、これからPlanを実行する段になると、別種の難しさに向き合うことになる。それは環境変化だ。

ここでちょっと考えて見て欲しい。今、AとBの二人の経営者がいるとする。彼らの会社の利益は次の通りだ。あなたが投資家だったら、どちらの会社がより投資先として好ましいと思うだろうか?
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どうやらこの国では、第2期は景気が良く、第3期はその反動で不況だったようだ。こうした環境変化はつねに起こりうる。企業の業績も、それを反映して変わるのがつねだ。それはこの表にも現れている。そしてA社・B社とも、4期合計の利益額は180億円で、結果に違いはない。

だが、A社はいかにも、業績にムラがある。これにたいしてB社の方が、より安定している。あなたが投資家だったら、B社の方が好ましいと思わないだろうか。たしかに経営者は結果が大切で、たくさんの利益を出した方が勝ちかもしれない。だが、ある期は黒字、次の期は赤字で、先々の予測がつかない経営では、ジェットコースターに乗っているようなものだ。過度のスリルを楽しみたいギャンブル的投機ならともかく、投資としてはいただけない。

つまり、組織のパフォーマンスというのは、個別の結果の良し悪しだけでなく、『予見可能性』が高いことが、社会から信用を得るためには非常に大事なのである。それはある意味、個人でも似ている。天才肌で、仕事の業績が飛び抜けて良い日もあるが、別の日はさっぱりふるわない、では組織の一員として使いにくい。何年に一度かヒット作が出れば食っていける職種もあるかもしれないが、たいていの業種はそうではない。

では、組織として、環境条件の変化にあまり左右されずに、安定してパフォーマンスを上げるためにはどうしたらいいのか。長くなってきたので、この続きは稿をあらためて、また考えよう。
(この稿続く)



by Tomoichi_Sato | 2017-01-20 23:02 | ビジネス | Comments(0)