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男声アンサンブル・ミニコンサートのお知らせ(9/17 午後@荻窪教会)

計画ともマネジメントとも関係ないですが、個人的なお知らせを一つさせてください。

プロのバロック・ソプラノ歌手Yさんの紹介で、声楽指導家の高橋康人先生にはじめて出会ったのは10年近く前でした。その頃わたしはある合唱団で歌を唄っていたのですが、我流の発声に限界を感じて、プロの先生に見てもらいたいと思ったのです。

最初、高橋先生の公開講座に参加し、それから個人レッスンを何度か受けました。口の開け方、立ち方、母音の作り方など「目からウロコ」の連続です。とくに最初練習させられたのは「力の抜き方」でしたが、これがとても難しい。いつの間にかすぐ、余計な力が喉や口などあちこちにかかってしまうのです。

とはいえ、単なる素人が個人でレッスンを受けるのは費用もかかりますし、モチベーションも続かない。ちょっと間が空いてしまったところに、高橋先生の方から、「男声のアンサンブルを作ったから参加しませんか」との誘いがありました。わずか数人のアンサンブルですから、練習の中でも、ほとんど個人指導に近いアドバイスをもらえます。それに、やはり音楽は声が重なった方がずっと面白いですよね。

そういうわけで活動を続けて、もう5年を超えました。今回、荻窪教会という場所を借りて4回目のミニコンサートを開催します。曲目は、「少年時代」「見上げてごらん夜の星を」「希望の島」などやさしくて親しみやすいものが中心です。

上手な演奏を聴きに来てください、というのではなく、“自分も歌をやりたいが、こういう形の歌の練習の場もあるのなら、参加してみようか”と知っていただくチャンスとして、おいでいただければと思っています。もちろん無料です。メンバーの中には他の合唱団でも活躍中の者もいますが、まったく未経験ではじめた者もおります。参加資格は特にありません(まあ、残念ながら男性に限りますが^^)。

興味ある方のご来聴をお待ちしております。

「アンサンブル・ハイブリッジ」第4回ミニ・コンサート
日時:2012年9月17日(祝) 14時30分開場
場所:荻窪教会(杉並区荻窪4-2-10)
(無料)

佐藤 知一 (T.)
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by Tomoichi_Sato | 2012-09-03 21:20 | 映画評・音楽評 | Comments(0)

映画評:「鬼に訊け-宮大工 西岡常一の遺言」

http://www.oninikike.com/

監督:山崎佑次、撮影:多田修平、プロデューサー:植草信和 
出演: 西岡常一、西岡太郎、石井浩司ほか

法隆寺の「昭和の大修理」の棟梁を務め、晩年は薬師寺の白鳳伽藍復興工事などを指揮した、伝説的な宮大工・西岡常一。本映画は、氏の晩年のインタビューを中心に再構成したドキュメンタリーである。法隆寺の頭領の家に三代目として、生まれながらに宮大工の道を歩むことになった氏の生涯を追いながら、木工の美しさ、木造建築工事のおもしろさ、そして仕事への厳しさを、わたし達観客は見て学ぶことになる。

それにしても、日本の木工の美しさ、そして古い建築技法の知恵の深さはどうだろう。棟梁家に伝わる『法隆寺宮大工「口伝」』によれば、建物の南側には、山の南側に生えた木を使い、北側には、山の北側斜面の木を使え、という。それが木材本来の持つ、自然な性質を最大限に活かすことになるからだと言う。そのために宮本氏は、祖父の命令で農学校に進むことになる。自然は土をつくり、土は木を生やすから、大工はまず土から学べ、という意図だったらしい。

西岡氏は「千年もつ建物」の視野で考える。それだけの年月を耐える建物のためには、樹齢千年ちかい檜がいる。ところが戦後、単相化し荒れていく日本の山林には、もはやそれだけの檜がない。そこで台湾の山奥まで、材木を得るために何度か足を運ぶのである。そして、その木のいのちを繋いでいく技術を弟子達に徹底的に仕込むのである。

木を削るかんなにしても、わざわざ両刃の鉋(まるで槍の穂先のように見える)を作る。それも、現代の鉄ではよく切れないから、わざわざ古代釘を鋳直し、鍛えて作らせるのである。

映像としての見所は、その材木を切り、削って、表面を仕上げ、さらにそれを組み上げていく一連のシーンにある。その美しさ、見事さは息をのむほどだ。しかし、現場を見た西岡は、「大事なことは大工たちの気持ちが揃っていることだ。そうすれば仕事は無駄なくきちんと流れていく」という。そのように、働く人の心をまとめて引っ張っていくことが、棟梁という名のプロジェクト・マネージャーにとって大事な仕事なのである。

実際、弟子の一人はインタビューで、棟梁のどういうところが好きだったかという質問に対し、「ブレないところだ」と答える。これが一番大切な、しかし、一番難しいところだろう。大工は施主に雇われている職人である。にもかかわらず、建物のためには、どんな注文をつけられても曲げるべきでない筋、つまり「設計思想」があるのだろう。そこに対して、決してブレない。これは言うほど楽なことではないはずだ。西岡氏は60歳を過ぎてから、三代続いた棟梁であるにもかかわらず、法隆寺を辞して薬師寺に移る。映画はそのあたりの事情についてさらりとしか説明しないが、寺と何らかの摩擦があったことが想像される。

いや、薬師寺でもまた、建築の委員である大学の先生方とぶつかる。彼らは、木造伽藍の内部に、防火のために鉄骨とコンクリートのシェルターを組み入れるよう指示するのだ。西岡氏は結局はそれに従わざるを得なかったようだが、「コンクリートの寿命は100年程度と聞きます。100年たったら、あの内部だけどうやって建て替えるつもりなんでしょうか?」と答えている。

この人が「鬼」であるのは、結局、仕事に対する責任(それは「御仏に対する責任感」であるが)の強さによるのだろう。それがあるから、自分の配下の大工たちにも、ブレずに命令を下せるのである。たかだか自分のプライドや利益とかではなく、1000年後に対する使命としての責任感。そういう希有な心がけを持った人の顔、ある意味とても穏やかな顔を、観ることができる優れた映画である。
by Tomoichi_Sato | 2012-03-30 23:56 | 音楽評 | Comments(0)

★★★ 江崎浩司の世界

みなとみらいホールにて。
副題は「愛するがゆえに笛は飛ぶ」。まあ実に、江崎さんらしいタイトルではある。

曲目は、バレンタイン・デーにちなんで、第1部は江崎浩司・脚本編曲による音楽物語「シンデレラとウグイス夫婦」(エイク・クープラン・モーツァルト・クライスラーなどの小曲とナレーションで構成する)、第2部はヘンデル・スカルラッティ・ヴィヴァルディなどのバロック歌曲をオーボエで演奏する前半と、バッハ・モンティ・R=コルサコフ・モーツァルト・ドビュッシーなどのヴァイオリン曲やピアノ曲をリコーダーで(!)演奏する後半からなる。実に意欲的なプログラムだ。

それにしても、この人の笛の巧さは、まことに驚嘆すべきレベルだ。長久真実子さんのチェンバロ伴奏も良いが、「マルチ笛吹き職人」を自称する江崎さんの演奏のクオリティの高さには、心底驚いてしまう。リズムの正確さ、音程やフレージングの絶妙さ、指使いの速さ(誰がいったい「くまんばちの飛行」や「チャルダッシュ」をあのスピードでリコーダーで演奏できるだろうか!)、ブレスの巧みさ、そして何よりも歌心の繊細な表現が素晴らしい。これほどのレベルのリコーダー奏者は、賭けたっていい、世界中を探しても、そうは居まい。

しかも、彼はどんどん上手くなってきている。今回出たばかりのCD「空飛ぶ笛」を買ってかえって聴いたが、彼がほんの3年前に録音した缶入りCD「Bath Herb & Music」と聴き比べてみると、その進歩の度合いが分かる。同じジャズ曲「煙が目にしみる」が入っているが、その差は明瞭だ。この人は最近2,3年で、はっきりと音楽とは何かをつかんできたのだ。小節線に区切られた音のかたまりではなく、歌うフレーズの生きた流れとして、音楽を表現できるようになっている。30代の人間の成長力というものだろう。

それほどのレベルの演奏会を、横浜みなとみらいの小ホールで、満員とはいえない人数の聴衆とともに、たったの3千円で聴けるのだ。この国の音楽環境の良さを感心するよりも、この国の音楽愛好家の耳のありかを疑ってしまう。本当にこれでいいのだろうか? 彼が先月タブラトゥーラで披露したオリジナル曲のタイトルに「だれもわかってくれないし」というのがあったが、まさに、彼の気分を表わしているに違いない。サントリー・ホールで、大真面目に「男はつらいよ」を演奏して、耳が化石になった石頭連中の顰蹙を買ったりした彼だ。成長しつつある彼の才能は、今やクラシックだの古楽だのといった枠の中に押し込めておくには、大きすぎるようになったのだ。

どうか、江崎さんのコンサートがあったら聴きに行ってほしい。これからも彼がどんどん新しい音楽に挑戦していけるようなチャンスに恵まれることを、私は切に祈っている。
by Tomoichi_Sato | 2005-02-10 23:49 | 映画評・音楽評 | Comments(0)