カテゴリ:書評( 71 )

(書評) "The Organization And Architecture of Innovation" by T. Allen and G. Henn

The Organization And Architecture of Innovation: Managing the Flow of Technology

イノベーション、すなわち革新的なアイデアを生み出すための組織と空間をどうデザインすべきかを論じた、画期的な本である。著者は、米MITスローン校(MITのビジネススクール)教授のであるAllenと、ドイツの指導的建築家Hennの二人で、このユニークな組合せが本書の性格を見事に物語っている。彼らはこれまで誰も手をつけなかった、組織構造と空間構成がイノベーションに与える影響について、緻密なデータと実績をもとに論じる。本書の知恵をうまく生かせば、知的生産性を倍にすることさえ、おそらく夢ではないだろう。

その実証例が、本書にも紹介されているBWM社の開発センターProjekthausや、シュコダ社の工場である。自動車工場のレイアウトなら日本がトップだと信じる人は、2本の製造ラインの中央部に管理部門を並べたチェコの工場や、オフィスの中をアセンブリーラインが貫通しているドイツの工場などを、日本の自動車業界トップが最近さかんに見学に行っていることを知るまい。その理由はまさに、労働生産性だけでなく知的生産性がものづくりの企業で重要問題となってきたからだろう。

イノベーションとは未知なるものの創造であるのに、それを産み出すプロセスをデザインできるのか? 誰しもそう疑問に思うにちがいない。その答えは『気づき』(awareness)と『コミュニケーション』にある。未知なるものを計画することはできないが、創造のきっかけを作り出すことはできる。そのための主要なツールが、組織構造のデザインと空間のデザインである。大学・企業・研究所など、イノベーションを求める機関はたくさんあるが、これまで組織と空間が知的創造性に大きな影響を与えるという問題意識は希薄だった。

(これは余談だが、近年、世界規模で医薬品企業の大合併が進行している。その目的はR&D組織を統合して知識を共有し、新薬開発のイノベーションを加速することにあったはずだ。しかし調べてみると、米国FDAへの承認申請は決して10年前に比べて増えていないという。単なる人と予算の足し算だけでは、知的生産性を加速することはできないことの証左になっている)

著者の一人Allenは元々ロッキード社の開発エンジニアだった。彼は製品の研究開発という手つかずで困難な分野を対象に、長年地道な調査を行ってきた。組織構造が企業内のコミュニケーションに影響を与えるだろうことは、だれしも容易に想像がつく。しかし彼は、空間構成とコミュニケーションの頻度に着目して、“50m理論”ともいうべき法則性を見いだす。それは、同一部署に属していても、物理的空間距離が50m以上離れた二人は、事実上コミュニケーションをとらない(たとえeメールでも)という事実である。

Allenによると、コミュニケーションには三つの種類がある。Coordination(調整)・Information(情報伝達)・Inspiration(ひらめき)の三つだ。このうち、イノベーションの決め手となるのは『ひらめき』であり、それは『気づき』のきっかけによって生まれる確率が決まる。組織や空間デザインはこれを左右することで、知的生産性を拡大もするし低下させもする。しかし企業の上級管理者達は、この事実にあまりにも無頓着である。

Allenはさらに、製品開発における組織のあり方について、機能別組織・プロジェクト組織・マトリクス組織の類別と特性を述べる。本章は、私がこれまで読んだプロジェクト組織論の中でもっとも優れた説得力のある解説であった。後半ではさらにHennが、建築的観点から空間構成に必要なspine(脊索)の概念と実例を説明する。美しい建築写真が並ぶが、本書は建築家向けの本ではない。むしろ、建築家が論理性ぬきで美的外観を追う愚を戒め、設計の背後には科学的法則に基づく論理が無くてはならないとの主張がある。

これは、イノベーションを求めながらそれを果たせずにいる今日の我々の盲点を教えてくれる、真に創造的な本である。英文は比較的易しい。また、近々邦訳がダイヤモンド社から出版される予定である。研究開発やものづくりにたずさわる、すべての知的職業の人に強く推薦する。
by Tomoichi_Sato | 2007-12-04 00:00 | 書評 | Comments(0)

マネジメント改革の工程表 岸良裕司・著

機知に溢れた、楽しい本である。正直言うと私は、(「気まぐれ批評集 書評」のページを見てもらえれば分かるとおり)あまりビジネス書のたぐいを読まない。理由の一つは、書評には最初から最後まで全部読み終えた本だけを取り上げることにしているからだ。ビジネス書はしばしば、必要な箇所だけを参照するために買うので、全部を読み通すことがあまりない。さらにもう一つ、たいがいのビジネス書のスタイルが、肌に合わないこともある。理論の説明中心で教科書的になるか、あるいは雑誌記事的な事例と感想の羅列だけで、通るべき芯が通っていないか、どちらかのケースが多い。そしてユーモアが足りない。

さいわいこの本には、軽快なウィットがあふれている。これは著者の資質のあらわれなのだろう。著者の岸良氏夫妻には、昨年秋のシドニーのプロジェクト・マネジメント国際学会ProMAC 2006の席上でお会いしたこともある。察するに岸良氏は、理論家や伝道師というより、優れたファシリテーターなのではないか、という気がする。

そのセンスは、本書の装丁や用語などによく現れている。表紙には著者の言う「サバよみ虫」や「かねくい虫」など“会社の害虫”のイラストが描かれている。サバよみ虫とは、5日でできる仕事でも『10日かかります』とサバを読んで膨らませて答える奴らのことだそうだ(別に彼らは悪気ではなく、責任感が強すぎるためこう答えるのだ)。だから文中の『会社の害虫図鑑』によると、サバよみ虫は「人の責任感を栄養源にして急速に成長する。個別最適の組織と組織の隙間などに好んで生息する」と書かれている。

害虫には他にも、「くれない虫」(=外部への不満が強い)「べき虫」(=理想論だけ言う)「パーキンソン虫」(入った予算は全部使ってしまう)などがいるという。だがイラストを見ると愛嬌のある可愛い虫たちで、妙に憎めない。このイラストはすべて、まゆこ夫人の手によるもので、そのセンスだけで本書の魅力を2割以上アップしている。

本書のテーマは、クリティカル・チェーンを中心にした、プロジェクトの進め方である。クリティカル・チェーン・プロジェクトマネジメント(CCPM)とは、TOC(制約理論)の創始者で『ザ・ゴール』の著者ゴールドラット博士の提案した手法だ。プロジェクト・スケジューリング理論は、1950年代のおしまいに米国ランド・コーポレーションとデュポン社でPERT/CPMが開発されて以来、ほとんど半世紀の間、進展らしい進展がなかった。その停滞を破った画期的理論がCCPMである。

しかし本書は、いきなり正面からCCPMを解説するようなことはしない。むしろ著者の目から見た、日本の会社のマネジメント改革に蔓延している問題点を明確にするところからはじめる。その問題点とは何か。それは管理の未熟や不足ではない。管理過剰なのだ。

会社に問題が生じる、とする(どんな会社にも問題は必ずある)。改革プロジェクトがたちあがる。しかし他の仕事は減らないので、いきおい余裕がなくなる。目標も見えにくい。結局プロジェクトはずるずると遅れてしまう。すると経営幹部の支援も得られなくなる。こうして一つがこけると、他に悪影響が波及してくる。いきおい、目標管理や数値管理をもっと徹底しろ、ということになる。するとさらに報告作業が増える。そしてもっと余裕がなくなり、他のプロジェクトも軒並み遅れて・・・

では、その解決法だが、著者はここでクリティカル・チェーンを導入すると、すべて見事さっぱり解決する、という。そしてCCPMの中核であるタスク期間短縮とバッファ・マネジメントの話に進んでいく。しかし、ここはちょっと飛躍がありすぎるように感じた。

むしろ、その後の章に書かれている、「ODSCで目標を共有する」の方が、私にはオリジナリティが溢れていると思う。ODSCとは、Objectives(目的)・Deliverables(成果物)・Success Criteria(成功基準)の略だ。これを、全員参加のミーティングで最初につくっていく。さらに、このODSCからさかのぼってタスクを洗い出し、工程表を一緒に作成していくのである(ただしCCPMには階層的WBSという考え方はない)。

プロジェクト計画時に、目的/成果物を定義し、タスク・リストと工程表を作成すること自体は、PMBOK Guideにも書かれている、ごく当たり前の作業である。ポイントは、皆の参画意識を引き出す、そのやり方にある。著者にファシリテーターとして優秀な資質がありそうだと思うのはここの点だ。この章だけでも本書は読む価値がある。

ところで、エンジニアリング会社ではCCPMを使わないのかと、ProMAC 2006の会場でも私は聞かれた。CCPMは優れた手法で、私もときどき利用している。しかし、オフィシャルな答えはNOだ。その理由は、CCPMにはコスト管理の視点が全く欠けているからである。エンジ会社の受注するプロジェクトは、納期と予算とスコープにしばられている。そこでつねに直面するのは、コストとスケジュールの間の見合い判断である。機器を日本のメーカーA社から買えば納期は確実だが高い。東欧のB社から買えば安いが納期に不安が大きい。このときどちらを取るべきか? こうした問いに、CCPMは直接答えてくれない。

むしろクリティカル・チェーンの手法は、コストのほとんどの部分が社内人件費であるような種類のプロジェクト、すなわち社内改革プロジェクトに向いていると思う。これならば「納期」イコール「コスト」であるから、トレードオフ問題に悩まずにすむ。そう言う意味でも、タイトルにあるとおり、この本は「マネジメント改革」に直面している人におすすめである。
by Tomoichi_Sato | 2007-06-24 01:05 | 書評 | Comments(1)

新著『時間管理術』のお知らせ

今月の13日に、私の新著『時間管理術』が日経文庫から出版されました。

個人のスケジュール管理からはじまって、複数人が協力するプロジェクトのスケジューリングまで、技法と考え方をやさしく解説した本です。書店で見かけたら、ぜひ手にとってみてください!
by Tomoichi_Sato | 2006-12-14 23:54 | 書評 | Comments(0)

ダ・ヴィンチ・コード(下) ダン・ブラウン

上巻では快適なペースで進んできたこの小説も、しかし、下巻に入って、コプトの福音書や死海文書の引用からキリストの生涯の隠された“秘密”を云々しだすと、話の展開は急に興ざめするようになる。ことに「シオン修道会」などの与太話が始まるに及んでは、とてもまともにつき合える代物ではなくなる。まあ、その歴代総長のリストなど、ある意味では抱腹絶倒なジョークではあるけれど。

それにしても、小説の悪役のネタにされたカトリック信徒組織オプス・デイこそ、いい面の皮である。私自身は、この超保守的な運動は好きになれないし、米国での政治がらみの布教活動にもなにかと批判はたえないが、だからといって情け容赦ない狂信者で殺し屋の元締めとして描くのはどうかと思う。この組織をモデルとした、フィクションとして描けば済むことなのに。

結局、この小説は扉に書かれた「宗教および美術関係の記述は全て事実に基づく」というステートメントが全体の鍵なのだ。作者はこのために、オプス・デイという実在の組織を使わざるを得なかったのだろう。そして、多くの読者も、このステートメントを額面通り信じたらしい。ダ・ヴィンチが自作の絵を『モナ・リザ』と名付けたかどうか、その一点からしても、おかしいと疑うのが健全なセンスと思うのだが。最後の晩餐でキリストの隣にいる人物が女性(マグダラのマリア)だ、という指摘も、面白いと言えば面白いが、だとしたら肝心の聖ヨハネはどこにいるのか? 食事は早々に映画でも見に行ったのか?

この小説が欧米でも日本でもベストセラーになったという事実は、結局のところ普通の読者がいかに騙しやすい存在であるかを明瞭に示している。「この記述は事実だ」と書かれたら、そしてそれが知的でキザに書かれていたら、それを信じてしまうらしい。騙される人たちは、騙されたがっている人たちでもある。既存宗教が自分たちの魂を救ってくれなさそうだから、そいつの正体を暴こうという三文芝居に群がってしまうらしい。まことに、大衆操作の容易な世の中である。この幻惑のベストセラーの唯一の価値は、そうした現代社会の危うさを数字で浮き彫りにして見せたことであろう。
by Tomoichi_Sato | 2006-10-21 19:35 | 書評 | Comments(0)

ダ・ヴィンチ・コード(上) ダン・ブラウン

電車に乗っていたら、中高校生とおぼしき男の子達が、キリスト生誕の話をしていた。定食屋で食事をしていたら、隣の席の若い労務者二人が、『マグダラのマリアってのは・・』と話している。マスコミに乗ったブームってのは恐ろしいものだ。その不正確さも。

面白い小説だと聞いて読んでみた感想は、“英米人って、つくづく聖杯伝説が好きだな”ということ。聖杯伝説の構造は、失われた貴重な物を探しに行って、冒険を続けるが、結局手に入れられずに終わるストーリーになっている。どうしてこういう話が好きなのか、ちょっと不思議ではある。

それにしてもこの小説は、その昔、米国でベストセラーになったS・S・ヴァン=ダインやエラリー・クィーンのミステリ小説に、よく似ている。スリリングなストーリー展開と、ペダンティック(衒学趣味)な味付けと--これがアメリカのスノッブ読書階層に受ける秘訣らしい。それに、ロマンチックな風味も重ねてあるから、男性のみならず女性にも受けるというわけだ。

だから当然、この小説の舞台は欧州、それもパリにとることになった。おお、なんとロマンチックで知的でミステリアスな! おかげで、登場人物達にむりやり英語をしゃべらせるため、そうとう無茶な設定になっている。ことにダイイング・メッセージやアナグラムマで英語だもんなあ・・。それでも上巻は、それなりにサスペンス小説としてうまいテンポで読者を引っ張っていく。途中、随所に挿入される図象学的うんちくがいかにテキトーであっても、話が面白い間は目をつぶって読み続けられるのだ。
by Tomoichi_Sato | 2006-10-21 19:34 | 書評 | Comments(0)

「ソリューション・セリング」 マイケル・ボスワース著

現代は製品がなかなか売れない時代である。市場の競合はきびしく、長かった不況のせいでユーザの財布の紐はかたい。

製品が売れないのはなぜか。うちの会社の営業マンが無能なせいさ、と楽観(悲観?)できる技術者は、あまり多くない。価格で競合製品と大差がない場合、ふつうは、製品に魅力がないのではないか、必要な機能が足りないからではないか、あるいはデザイン・センスに問題があるからではないか--そう、技術者という人種は考えたがる。だから、どんどんと製品の機能は肥大化し、開発コストはかさんでいく。

この考え方は、裏を返せば、製品が良ければ必ず売れるはずだ、との単純な信念になる。だが、はたしてそうだろうか?

そうではないのだ、と著者・ボスワースは本書で主張する。たとえば、米国では腕の良いセールスマンはしばしば同業他社に引き抜かれる。すると、どうだろう? 彼(彼女)は、移った先の会社でも、やはりすぐれた売上成績を上げるのだ。そして、また別の会社に高給で転職したりする。すると、またまた、その新会社の製品をたくさん売るのだ。

これから分かることは何か。それは、よく売れるかどうかは、じつは製品の優劣にはあまり関係がない、という事実だ。では、売れ行きは何で決まるのか? それは、営業マンの販売プロセスであり、セールスが顧客の問題意識といかに連携しているかが、キーなのである。それは商品の物質的実体がないソリューション型商品では、とくに大きい、と著者は言う。

そもそも、「ソリューション」とは何か。ふつう、顧客は通常「ニーズ」を持っていると考えられている。しかし著者は、顧客は解決したい「ペイン」(痛み)を持っているのだ、と捉える。そのペインをどう解決すべきか、たいていの顧客はぼんやりとしか分かっていない。この解決手段に関して、具体的なビジョンが顧客の心の中に形成されて、はじめてニーズになるのである。そして、その解決手段のビジョンにマッチする商品が「ソリューション」である。

したがって、販売プロセスで一番重要なポイントは、顧客のペインを察知し、顧客の心中に解決策のビジョンが(自社の製品に合致する方向で)形づくられるのを、助けることなのだ。これがボスワースの主張である。そして、顧客のビジョンを誘導するために、“ナイン・ボックス”、“ペイン・シート”、“パイプライン管理”などの、非常に実践的なツールを用いる。これが「ソリューション・セリング」の仕組みである。

私はこの本を、大学時代の先輩から薦められて読んだ。この先輩は技術者で、博士号まで取った人だが、外資系の会社に転身するときに、「技術開発はつねに本国がリードする。外資系で上に行きたければ営業に徹するしかない」と考えて、営業職を選んだという。そして、「ソリューション・セリング」に書かれた技法をそのまま実践して、見事な成績を上げ、とうとう日本法人のトップまでたどり着いた人だ。

私もまた技術者だが、営業力の無さに苦心している。そして、ご多分にもれず、“良い製品なら顧客は買うはずだ”という過信に陥っていた。本書は、その蒙を開いてくれた。そして、顧客の中に具体的なビジョンを形づくることを、今は第一に考えるようになった。本書は販売に関心のある全ての人に薦められる良書である。

ただし、残念ながら、この日本語訳は今は品切れになっているようだ。私は古本で入手した。もっとも訳文はこなれているものの、ケアレスな点が目につく。原文はそれほど難しくないので、英語が苦にならなければ原書を読む方がいいだろう。
by Tomoichi_Sato | 2006-04-11 20:21 | 書評 | Comments(0)

★★★ ダメな会社ほど社員をコキ使う 宋文洲

宋文洲氏は中国出身の元留学生で、今や著名な経営者である。創立した会社・ソフトブレーン(株)がまたたく間に店頭公開から東証一部まで上場したことで、経営者としてのビジョンがいかに正鵠を射たものであったか、皆が知るところになった。

しかし、宋さんは最近、そのソフトブレーン社の代表権を返上し、単なる会長職に退いてしまった。「上場した会社は公器だ。いつまでも創業者兼経営者が牛耳っているべきではない」との信念からだという。たしかに、一般にワンマン組織は、その経営者個人の器を超えて大きくなることができない。だから、この出処進退の見事さはさすがだ。だが、たいていの経営者はそれができずに、老害や後継者問題で会社をぐちゃぐちゃにしてしまう。宋さんができた理由はなぜかというと、おそらく彼は何よりも、自分の信じる理念・原則に忠実なのだ。理念原則に忠実というところこそ、工学博士号をもつこの人を理解する鍵だと思う。

その宋さんが書いた本書は、「やっぱり変だよ日本の営業」と同様、非常に面白い。その面白さは、表紙帯に描かれたマンガが象徴している。社屋ビルが描かれ、最上階では社長が「まかせるから失敗すんなよっ!」と部長に向かって怒気をあげている。中階の部長は階下の課長に向かって「おまえが責任者だから考えろっ!!」と怒鳴る。その課長は正面入り口から一般社員の背中を蹴りながら、「甘えるなっ、結果がすべてだっ!!!」と叫んでいる。これぞたしかに、ダメな会社の典型である。

それぞれのセリフはどこでも良く聞くセリフだ。では、どうしてダメか。それは、結果だけを命じて、方法を示していないからなのだ。このような思考方法を「根性論」あるいは「精神主義」と呼ぶ。精神主義と計画経済(=命令経済)の2つは、文革で若いころ辛酸をなめた宋さんがもっとも嫌うものである。

日本的経営に共通する特質の一つに、「情報」の軽視がある。そんなことはない、情報は重視している、との反論はあちこちから聞こえそうだが、はたしてそうだろうか。現代日本では情報という言葉に、どちらかというと『情け』『報い』を読みとりたがる。しかし、本来は「敵情報知」の略語だったことを、本書で初めて知った。そういう意味では、情報軽視と言うより、「データ」「客観的事実」の軽視と言うべきかもしれぬ。とにかく、敵情を知らずに作戦を立てるのだから、精神論に陥るのは必然だろう。方法や手順などのプロセスは誰も教えてくれぬ。

前著は主に営業の非能率に焦点を当て、プロセス改革をといたものだったが、本書はさらに生産計画や本社管理部門までが対象になる。そして最終的には、「ダメなマネジメント」論に到達する。“まかせるから失敗すんな”という社長は、じつは何もまかせていないに等しいのだ。とはいえ、「ダメな会社」の愚かさを真っ向から怒らず、笑いを武器にする点が何ともかしこいし、読んでいて楽しい。

こき使われる毎日で、ガンバリズムや精神主義にあきあきしたら、解毒剤に本書を読むといい。もっと有効なのは、たぶん社長室の前の廊下にわざと本書を落としておく方法だろう。もっともまだ私は試していないので、だれかやってみてから効果を教えていただきたい(^_^)。
by Tomoichi_Sato | 2006-01-20 01:06 | 書評 | Comments(0)

南蛮のみちⅠ 司馬遼太郎

「街道を行く」シリーズの1冊。この人の小説は、地の文章に解説や余談が多くて随筆みたいになりがちだが、随筆の方は多少の演出があってフィクティシャスに感じる。不思議な小説家だ。

日本人にとって、ながらく日本・唐・天竺の三つしかなかった文明世界に、突然飛び込んできたのが「南蛮」文明だった。しかも、面白いことに、その伝道の中心人物フランシスコ・ザビエルは、フランスでもスペインでもなく、バスクの人だった。そこで、この旅路の前半は、バスクという国をめざしてパリからフランス南西部を横切って進む。

そのバスク文化を理解するための第一の資料として、司馬遼太郎があげるのは、近代日本に宣教師としてやってきた、バスク出身のS・カンドウ神父の著作だ。「バスクは風と水と光の国だと形容される」とカンドウ神父は書く。そして、起源未詳のピレネー山脈先住民であるバスク民族の世界を、いとも魅力的に描き出す。騎士道精神と熱烈な信仰に支えられたザビエルは、その光輪の中に定置される。

バスク人は、見かけはフランス人やスペイン人とさほどちがわない。バスク名物のベレー帽も、フランス人の象徴のように思われている。彼らのアイデンティティを支えるものは、その気質と、バスク語だけである。スペイン語とは、バスク語の音韻の上に乗ったラテン語なのだが、そのスペイン王国からも、国民国家論を信奉するフランス共和国からも、存在を無視され迫害された歴史がある。

しかし、この旅行記は、そうした剣呑な雰囲気をうまく筆先でさばいて取り払い、ひたすら純朴で美しい「常世の国」バスクを描き出している。これを読んで、バスクに行きたくならない人は少ないだろうと思う。それだけ、司馬遼太郎が楽しんでいる旅行記と言えるだろう。
by Tomoichi_Sato | 2005-09-18 15:18 | 書評 | Comments(0)

 ★★ 都市ヴェネツィア フェルナン・ブローデル

フランスの歴史家ブローデルによる、肩の凝らない(しかし正確な)ヴェネツィアの歴史案内。地中海世界の専門家らしく、この小さな、しかし巨大な都市共和国とその領土を、歴史と地理の中にあざやかに定置してみせる。それは、さながらムラノ島のガラス細工のように多面的で、さまざまな角度からの光と反射に満ちて、美しい。

写真家クイーリチによる本書の写真も、とても美しい。もともと、きわめてピクチャレスクな水の街なのだ。しかし、その瞬間をフィルムの上に捉えるのは、別の力量である。

とはいえ、訳者・岩崎力のあとがきや細川周平の解説は蛇足であり、がらくただ。この名著に何の価値もつけ加えていない。
by Tomoichi_Sato | 2005-03-19 23:38 | 書評 | Comments(0)

 ★★ 釈尊の生涯 中村元

1963年刊行の本書は、現在、平凡社ライブラリーの一冊として新書版で手に入る。出た当時は、かなり革命的な内容の本だったにちがいない。にもかかわらず、日本の仏教界がこれで大論争に巻き込まれたとか、刷新運動に展開したとか、あまり聞いたことがないのは、不思議なほどである。

著者は初期の仏典や関連資料をよりどころに、仏教の開祖であるシャカ族のゴータマ・シッダッタ、尊称ブッダの出生から出家・悟り・布教・臨終までを、ていねいにたどる。そこからは、一切の誇張や神秘や奇跡的エピソードが、後世の附託としてすべて除外され(ここが第一に論争的なところだ)、等身大の人間としての姿に描かれる。

また、ブッダ自身の思想的な深化も、数々の教典を歴史順に逆にたどるような手法で、その地層をより分けていく。たとえば、苦行を放棄して中道の悟りに至った、とふつうは言われているが、これも後世の仮託であるという。著者の立場は、

「仏教そのものは特定の教義というものがない。ゴータマ自身は自分の悟りの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じ、相手に応じて異なった説き方をした」

「ゴータマはその臨終においてさえも、仏教というものを説かなかった。彼の説いたのはいかなる思想家・宗教家でもあゆむべき真実の道である。ところが後世の教典作者は右の詩に接続して、仏教という特殊な教えをつくってしまったのである」

という説明に集約されている。こうした意見までをも容認する日本仏教というものの懐の深さに感心すべきなのか、こうした異見さえも無視する日本仏教というものの鈍感さを心配すべきなのか、私のような異教徒には、なかなか定かではないのである。
by Tomoichi_Sato | 2005-03-14 23:44 | 書評