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書評:最低限必要なマクロ経済学 野口光宣

最低限必要なマクロ経済学  要点だけで完全理解 野口光宣・著 (Amazon)

工学部出身のわたしが、会社に入って最初にやった仕事は、なぜか経済性分析だった。某電力会社の依頼で、液化天然ガス(LNG)と燃料メタノールの比較に関するフィージビリティ・スタディを、新入社員として手伝ったのだ。プラントの基本計画と費用見積は先輩たちが行い、わたしの仕事はタンク容量の計算と、経済性計算だった。比較ケース数が200以上もあって、そこつなわたしは難儀したが、とにかくこのとき財務諸表の意味と、DCF (Discounted Cash Flow)法の基本を、文字通り身体で覚えたのは、後々まで役に立った。

しかしその後も、経済学それ自体に対しては、縁が遠いままだった。むしろ経済学という学問には、何となく不信感みたいなものを抱いていたと言っていい。プラザ合意後の円高不況、そしてバブル経済の有頂天と、その後の長い不況の時代を過ごして、経済学が本当に社会を指南する羅針盤として役に立つのかという疑問を持ち続けた。

経済学者やエコノミスト達はさかんにメディアに登場して、あれこれと意見を表明しているが、奇妙にお互い矛盾することを言い合う。そこには、論争を解決する明確な方法論が学問として欠けているように感じられた。経済学は一種のモデリングなのだろうが、『実証』のプロセスがないため、議論はほとんどモデラー同士の好みの言い合い、水掛け論のようにも思えた。

とはいいながら、ライン業務を離れて本社企画部門の仕事に就くと、やはり新聞に出てくるような基礎的な用語・概念くらいは分かりたいと思うようになる。モデリングには、それなりの歴史と体系、そしてそれに従った統計値が存在する。元々、システム・モデリングはわたしの専門ではないか、ならば、何ほどのことがあろう--そんな気持ちで、本書を手にとったのである。

本書は、大学初年生むきのテキストとして書かれた。帯の宣伝文句は、「ポイントだけをざっくりと絞り込んだ 超文系向きのテキスト」である。著者は、はしがきの中で、新入生対象のマクロ経済学入門の講義ノートとして工夫して作ったものであり、“中学校程度の数学の知識があれば十分”である、と書いている。数学が苦手なわたし(いや本当です)には、心強いではないか。ちなみに、著者は名城大学経済学部教授だが、米国の大学の数学科で博士号をとった人で、専門はゲーム理論のようである。その人が、中学程度の数学で、国際マクロ経済学の基礎概念までは工夫すれば分かる、といってくれているのである。かつ、教科書らしく計算の例題や章末問題がかなりついている。これならば勉強しやすいだろう。そう、思わせてくれる。

まあ、勉強しやすいかどうかは、もちろん読み手の取り組み度合いと、頭の柔らかさによってくる。とてもよく分かった、とは、言わない。しかし、読んで良かったことは、確かである。

わたし達は、自分のよく知らないことを、なんとなく感覚で議論することが、よくある。というか、社会人なんて、それで綱渡りして生きているような面もある。そうはいっても、たとえば「経済成長」とは何か、正面切って問われて、どれだけの人が答えられるのか。日本のDGP成長率がたとえば年2%足らずでは低すぎる、とか、原発を再稼働させなければもっと成長率が低くなる、とか、いろんな議論がある。いや、経済成長ばかりを目指すこと自体が誤りだ、もっとスローでワークライフ・バランスドな行き方が望ましい、という反対意見、etc, etc..

だが、肝心のDGPが何を測ったものなのか、わたしは本書の第1章を読むまで、よく知らなかった。GDP (Gross Domestic Product=国内総生産)とは、1年間に国内で生みだされた財・サービスの付加価値の合計を市場評価したもの、である。

付加価値とは、生産された財の価値から中間投入された財の価値を差し引いたもので、「おおざっぱに言うと、(売上-原材料費)のこと」(p.2)だ。この式には賃金が入っていないことに注目してほしい。賃金をいくら抑えても、(会社の利益には好都合かもしれないが)付加価値には影響しない。ということは、賃金を下げても、それが直接経済成長を増やすわけではないし、逆に賃上げしても、成長にすぐブレーキがかかるわけではない。

わたし達は、ともすると経済成長というものを、「会社が利益を得ること」「もっとお金持ちになること」と混同して考えやすい。しかし、本書はそうした誤解をきちんと解いてくれる。もちろん、賃金水準は間接的にはGDPに影響を与える(その事は後の章を読むと分かる)。だが、「利益=成長」ではないのだ。

同じように、「生産と無関係な価格の変動による価値の増減はGDPに計上されない。例えば土地や株のキャピタルゲインなど。」(p.2)という記述にも驚く。ということは、わたしが東京の土地転がしでひそかに儲けた10億円や、スイスの銀行に隠して預けている100億円(笑)は、まったく日本のGDPや成長には関係がなかったのだ。まことに残念なことである。とうぜん、東証株価がいくら上昇したって、成長率には無縁である。

さらに、「日本企業の海外支店が生み出した付加価値は日本のGDPには計上されない。」(p.2)とも書いてある。だとしたら、ソニーやトヨタや大手銀行が海外支店でどれほど儲けようと(あるいは損をしようと)、それは一切、日本のGDPにはカウントされないことになる。これら“日の丸企業”の業績と経済成長はイコールではないのだ。

では、GDPは何で決まり、何で動くのか。ごく簡単に言うと、投資が引き金となって、それが国民所得増を生みだし、それが需要を押し上げるため、さらに投資を生むという循環、ポジティブな経済スパイラルが生じるのである。スパイラルの着地点を予測するために、限界消費性向や均衡国民所得、そして乗数効果などの概念が必要になる。乗数効果のおかげで、初期の投資ΔIよりも数倍大きな、経済拡大の結果が得られる。これがマクロ経済学の教えだ。

だから日本経済を拡大してGDP成長率を上げたければ、企業が日本国内に投資すべきだ、ということになる。そして、日本の大企業は現在、じつは過去にないほど高い内部留保を抱えている。このお金を国内で投資して雇用を生みだせば、経済成長がもたらされる、はずである。

しかし現実にどうかというと、むしろ経済メディアなどがあおっているのは海外投資であり、海外への工場移転、あるいはオフショアへのサービス移転である。それによってコスト競争力をつけ、あるいは新興市場の海外支店で設けろ、そうすれば日本企業は復活し繁栄する、とのメッセージを毎日流している。ぜんぜんマクロ経済学の要請と合っていないではないか。メディアの経済ライター達は、初学者のわたしに解らぬ全く別の理路をとおって、記事を書いているようだ。それとも、全然知らずに書いているのか--まさかね。

本書の一つの特徴は、古典派とケインズの論点の違いをいろいろな箇所で並記していることだ。たとえば「古典派は利子率のことを、資金を貸すことによって一定期間の消費を断念することに対する報酬だと考えた。一方、ケインズは利子率のこと、資金を貸すことによって一定期間の流動性を犠牲にすることに対する報酬だと考えた。」(p57)など、面白い視点だ。ケインズ経済学というと、まるで左派の経済学の代名詞みたいに言う人もいるが、ケインズ自身は保守主義者であった。ただ彼は、名目賃金の下方硬直性や、政府の財政政策の役割などの論点で、市場万能主義とは一線を画しているようだ。

本書は国民経済計算の定義からはじまって、最後はマンデル・フレミングモデルをつかった国際マクロ経済学の理解、たとえば「資本移動が完全自由なとき、変動相場制の下では財政政策が無効となる」(p.136)といったところまで一応たどり着く。(この法則など、TPPと公共事業を同時に推進しようとしている人たちなどは、どう解釈しているのだろう?)--たしかに著者のいう“最低限必要な”範囲はカバーされているようである。

最初に書いたとおり、マクロ経済学は一種のモデリングである。経済という複雑なシステムの挙動を、モデルを元に予測し、どのような政策が有効かを考える、一種のシステム工学と言ってもいい。そういうセンスを身につけた人には、それなりに入っていきやすい分野かな、と思わせる良書である。このような優れた本を出版する日本評論社には、感謝とともに、ぜひこの種の本は電子出版してほしいと要望する。数式も多く練習問題も多い。また用語・概念の良きリファレンスでもある。プログラム学習をふくめた電子出版にぴったりではないか。

ともあれ、経済記事の用語が気になるような人には、ぜひ手にとって勉強する価値があるテキストだ。強くお薦めする。




by Tomoichi_Sato | 2014-02-16 18:48 | 書評 | Comments(0)

書評:「137 ~ 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯」 アーサー・I・ミラー

137 - 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯 」 (Amazon.com)


20世紀前半の理論物理学をつくった知的巨人の一人、ヴォルフガング・パウリは57歳のとき、チューリヒ工科大学の講義中に突如病気で倒れる。すい臓がんだった。赤十字病院に入院した彼を見舞った友人に、パウリはたずねる。病室の番号に気づいたか、と。
「137号室だ!」パウリはうめくように言った。「わたしがここから生きて外に出ることは絶対にない。」(p.424)

137という数字は、「微細構造定数」(現代物理学に現れる主要な定数のひとつ)の逆数である。もし神なる主からどんな質問をしてもいいと言われたら、まっさきに聞いてみたいのは「なぜ 1/137 なのか?」だとパウリは述べたことがある。微細構造定数は、電子の電荷、真空中の光速、プランク定数の三つから導かれる無次元数で、パウリの師マックス・ボルンいわく「物質一般の構造にもっとも重要な影響を及ぼしている」定数だ。それがなぜ、素数137の逆数なのか。そこには何か必然性があるのではないか。彼はおりにふれてこの問題に立ち返ったが、死ぬまで解明する事はできなかった。

本書は副題『物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯』にもあるとおり、理論物理学者パウリの一風変わった評伝である。著者アーサー・I・ミラーはロンドン・ユニバーシティ・カレッジの教授で科学史家だが、多くの公開資料や論文のみならず私信などまで広範囲に調査し、この風変わりで魅力的な科学者の肖像を、陰影と奥行きのある立体像として描くことに成功している。

それにしてもW・パウリほど独特な個性と不思議な魅力をもつ物理学者は少ない。彼は“物理学の良心”とよばれることもあったが、未熟な理論に対する容赦なき批判の態度も有名だった。。他人の理論発表を聞くとたちどころにその弱点を見いだし、しかも他の学者のように紳士然とおとなしく聞いていない。しだいに体を左右に揺らし首を強く振って、「完全な間違いだ」あるいは「これじゃ間違いにさえなっていない!」と言い放つのである。若き日のファインマンも、自分の発表するセミナーにパウリとアインシュタインが臨席した時は、表紙をめくる手が震えたと書いている(「ご冗談でしょう、ファインマンさん」)。実際、その時発表した理論は、パウリの予言通り、完成することはなかった。

わたしがパウリという人に強い印象をうけたのは、G・ガモフとM・デルブリックがボーア研究所の余興のために書いた劇「ファウスト」においてだった(「現代の物理学―量子論物語」所収)。この劇は、天の神様が御大ニールス・ボーア、悩める主人公ファウストに晦渋な統計物理学者エーレンフェスト、そしてメフィスト役がパウリ、という絶妙の配役だった。パウリは原子崩壊の矛盾に悩むエーレンフェストに対し、質量も電荷も持たぬ中性微子“グレートヒェン”をつかわして理論を修正するよう誘惑するのである。

中性微子(ニュートリノ)の発見は、排他原理やCPT対称定理とならんで、パウリの主要な業績の一つだった。しかし同時代の物理学会で最も有名だったのは「パウリ効果」だ。物理学者はふつう、理論家と実験家に分かれるが、理論家がへたに実験器具に手を出すと、壊してしまうのがつねだった。ところでパウリはあまりに優秀な理論家だったため、彼が実験室に一歩入っただけで何か機械が壊れたという。それどころか、ある時ゲッティンゲン大学の高価な実験設備が神秘的な壊れ方をしてしまったことがあるが、担当教授がパウリに連絡したところ、ちょうど彼の列車がゲッティンゲン駅に停車中だったという。

この「パウリ効果」を彼自身、なかば自慢にしていたが、冒頭の病床の発言にも見られるとおり、彼は単純な合理主義者ではなかった。パウリはキリスト教徒に改宗したユダヤ人の家庭に生まれる。エルンスト・マッハを代父としカトリックの洗礼を受けて育つが、黒髪黒目の外見は、当時のドイツ文化からみると、いかにもユダヤ人風だった。優秀な学者として世に出たものの、若い頃はかなり放埓な生活を送る。そして不幸な最初の結婚の果てに、離婚する。深刻な心理的危機に陥った彼が出会ったのが、チューリッヒの精神科医C・G・ユングであった。

本書はこのユングの人となりについても、かなり詳しく書いている。ユングもまた20世紀前半の知的巨人の一人だったが、西洋的な科学の枠組みを乗り越えて、心と魂の問題を探求した人だ。したがって科学(唯物論的科学主義)の側からは、強い批判をつねに浴びてきた。伝統的キリスト教の枠組みもある意味踏み越えた、異端の思想家である。しかし彼は職業的学者ではなく、徹頭徹尾、臨床家であり、そこからつねに人間心理への洞察を汲み上げていた。パウリの治療、その後の交友関係も、そうした文脈の一つでとらえねばならない。

わたしが本書で一番驚いたのは、パウリの症例をユングが「心理学と錬金術」に書いていたことだ。浩瀚な「心理学と錬金術」はユングの主著の一つで、それまで古い迷信として忘れられてきた錬金術に,まったく新しい方角から光を当て、人間の心の変容との平行関係を考察した著作だ。その中に、ある男性の心の治癒と夢の変化が詳しく記録され、最後に「黄金の宇宙時計」という、元型をあらわす象徴的な夢が現れる(これは本書にも詳しく紹介されている)。ユングはこの症例を『個性化』(individualization)、すなわち人間の心の治癒と心理的再統合の典型例とするのだが、じつはこの男性とはパウリだったのだ。

パウリが探求していたのは、物理だけではない。彼は自然哲学を、あるいはこの世界の成り立ちの根本原因を追い求めていたに違いない。物理学は世界の成り立ち(How)については記述できるが、ただ一度の自分の人生が世界の中でどのような意味をもつのか(Why)は全く答えてくれない。パウリにとっては、どちらも真剣な問題であり、それを物理的現象と心理的現象の相補性に求めた。それは彼自身の生い立ちから来る、矛盾した性格の二面性を解決しようという試みだったのだろう。本書はそのあたりの事情をきわめて魅力たっぷりに描いている。阪本芳久氏の翻訳も労作である。

西洋の科学は、「宇宙の構造の背後には目に見えない知的秩序があるはずだ」「宇宙は原因と結果の時間的因果律のみで動かされているはずだ」という、ある意味、一風変わった信念の元に発展してきた。だが、それでは偶然性に突き動かされる人間の感情面は説明できない。それをユングは「出来事と出来事のつながりはタテ〔時間〕方向だけでなく、横方向にも延びている -- ある瞬間に世界中で生じるあらゆる出来事は、巨大なネットワークのようなもののなかで互いにつながっている」(p.298)と解釈しようとした。有名な「共時性」の概念である。そしてパウリ効果は、まさに共時性の最たるものではないか! こうして、パウリの探求はユングの研究と共振していくのである。

パウリは戦時中アメリカに身を寄せるが、マンハッタン計画には参加しなかった。「彼が見抜いていたように、アメリカでは科学は軍の一部門同然になりつつあった」(p.280)。そして戦後、またスイスに帰る。晩年はハイゼンベルクと共同で「世界方程式」を探るが、最後の瞬間に決別し、そして病に倒れるのである。57歳であった。

最後に本書から、パウリの死後の物語を引用しておこう。天国に旅たった彼は、ようやく神なる主とまみえることができ、「なぜ 1/137なのですか?」とたずねた。神はうなずいて、「説明してあげよう」といい、黒板に複雑な数式を書き始める。大喜びでそれを目で追い始めるパウリだが、やがてしだいに頭を左右に激しく振り始めて・・・


by Tomoichi_Sato | 2014-01-23 23:33 | 書評 | Comments(0)

書評:それでも、日本人は『戦争』を選んだ 加藤陽子

「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」 加藤陽子・著 (Amazon.com)


前回書評で取り上げた「ハーバード白熱日本史教室」は、女性の歴史学者による講義の話。今回の本書も、女性歴史家による講義録。だが内容は、ずいぶん違う。先の著者は米国で活躍中の新進の研究者だったが、他方、こちらは東大の教授である。歴史研究に対する姿勢も、方やマクロな印象主義に対して、こちらはミクロな史料を地道に追いかけ分析する伝統的スタイル。こう書くといかに渋そうな内容に聞こえよう。だが、面白さの点でいえば、良い勝負、いや、むしろこちらに軍配が上がる。とにかく、一読、巻を置く能わず、というくらい面白いのだ。

タイトルだけ見ると、なんだか左翼歴史家の反戦史観による糾弾の書、みたいな印象を受けるかもしれない。しかし、それはまったくの誤解である。本書は、戦略思考に関する本なのだ。それも、国家戦略を考える練習帳である。著者は、講義の聴講生(すなわち読者)にむかって、「これこれのシチュエーションにある時、列強は当該国に、どういう要求を出してくるでしょうか?」「帝国主義の時代において、戦争の最大の『効用』は一般に何だったでしょうか?」といった質問を次々に繰り出してくる。あれか? これか? 自分でも思案しながら読み進むと、事実や数字を背景に、意外な答えが解説される。そういう面白さに満ちた本である。だから、ストラテジーというものに関心を持つビジネスマンは、みな本書を手にして、考えながら読むべきである。非常にためになるだろう。

ちなみに本書は2007年の年末から正月にかけて、5日間にわたり行われた中高校生向けの講義録である。受講生は、神奈川の私立・栄光学園の歴史クラブのメンバー。しかし講義は決して程度を落としたものではないし、生徒達もちゃんとついていくばかりか、ときには著者の質問にはっしと切り結んだりするから立派なものである。

たとえば、著者は米国の歴史家A・メイの『歴史の誤用』(過去の歴史から間違った教訓を学ぶこと)の例として、アメリカがベトナム戦争に深入りしていく経緯をとりあげ、「どのような歴史の教訓がアメリカを縛ったのか」と問う(p.76)。それに対して、一人の生徒の答えは「赤狩りとかがあって、共産主義に対する恐怖心が植え付けられて強硬にならざるを得なかった」と推論する。なかなか鋭い視点である。米国がインドシナに深入りを始める'50年代前半が、マッカーシズムの時代だったことを的確に見ている。大人でも、両者のつながりが見えていない人は多いだろう。

ところが、これに対する著者の答えは、「アメリカにとっての『中国の喪失』の体験です」という、意外なものだ。第二次大戦は、米国が蒋介石の中国と同盟して日本に勝った戦争だ。ところがその後4年間の中国の内戦を、アメリカは手を出せずに過ごし、結局は共産化してしまった。巨大な潜在的市場を失ったのである。「この中国喪失の体験により、アメリカ人の中に非常に大きなトラウマが生まれました。戦争の最後の部分で、内戦がその国を支配しそうになったとき、あくまで介入して、自らの望む体制を作り上げなければならない、このような教訓が導き出されました」(p.78)。--これはA・メイの解釈を著者が紹介している箇所だが、現代に至るまで、じつにアメリカの戦略と行動を見事に規定しているではないか。

むろん、この本の主軸は日本の近代史、それも戦争をめぐる近代史である。したがって第1章は日清戦争から始まる。19世紀末、中国(清)と日本は東アジアの両国関係のリーダーシップを争っていた。軍事的紛争は、その一局面であるという立場を著者はとる。だから今日いわれるような「侵略・被侵略の物語では、返って見えにくくなるもの」が歴史にはある(p.84)と著者は主張する。李鴻章の改革により急速に近代化する中国の軍隊。これをみて危機感を募らせた山県有朋に対し、ウィーンのフォン・シュタイン教授がアドバイスをする。彼は、主権の及ぶ国土の範囲である「主権線」と、国土の存亡に関わる外国の状態を「利益線」とを区別すべき事を教える。その上で、ロシアの南下の動きも合わせ見て、朝鮮半島を中立に置くことが日本の利益線になる、と諭すのである。

もちろん、そう簡単にはいかない。清は朝鮮を華夷秩序の版図の内に見ているから、結局は日清戦争が起こる。結果は日本が勝ち、国家予算の3倍もの賠償金を手に入れるのだが、外交の失敗により三国干渉で遼東半島の支配権を失う。「その結果おこった国内政治の最大の変化は何か?」という問いも面白い。それは、日本の民意の高まりである。国政に、普通選挙を通じてもっと民意を反映させたい、という運動なのだった。

日露戦争もまた、朝鮮半島の支配権をめぐる戦争であった。そして第一次大戦。欧州列強たちの活動の空白を狙って、日本はドイツが得ていた山東半島の実効利権を獲得しようと動き、さらに「二十一箇条の要求」を出す。これが世界に与えた影響は、実は甚大だった。中国では初めて自発的な国民運動が起き、日本は世界外交で綱渡りを強いられることになる。そうして日本は、満州事変から日中戦争へと泥沼に足を踏み入れていくのである。こうした流れを、著者はいろいろな問いを立てながら導いていく。

「(日露戦争前の)ロシアは、日本が韓国問題のために戦争に訴えてでも戦うつもりであったことに、なぜ気づかなかったのでしょうか?」(p.170)
「日露戦争後に、日本国内では国会や地方議会に出てくる人の質が変わった。どう変化したのでしょうか?」(p.184)
「列強がヨーロッパでの第一次大戦で手一杯のときに、この戦争を機会にめざされた,島国としての安全保障上の利益は何でしょうか?」(p.196)
「イギリスはなぜ、日本が日英同盟の名によって大戦に参戦するのをよろこばなかったのでしょうか?」(p.216)

こうした問いの連鎖は、最終的に、「日本はなぜ、圧倒的に国力に差があるアメリカと戦争に踏み切ったのか?」「日本軍は戦争をどんなふうに終わらせようと考えていたのか?」「なぜ、緒戦の戦勝に賭けようとしたのか?」という、本の表題の発問につながっていく。

最初に書いたように、著者はけっして反戦史観の歴史家ではない(もちろん、好戦的史学者でもないが)。ついでにいうと、著者が好む歴史的人物は、たとえば松岡洋右(満州国問題で日本が国際連盟を脱退したときの外交団長)や、中国の外交官であった胡適(日本との戦争に最終的に勝つためには、中国が最初の2,3年は負け続けて多くを失う必要がある、という捨て身の戦略論を唱えた)である。さらに、石原莞爾(満州事変の首謀者)あたりにも好意的に感じられる。いずれも、非常に知的であり、かつ大胆な行動をとり、エリートだが非主流派的な人物だ。頭が良くて、男らしい男。いかにも、東大の女性が好きそうな好みではないか。

それはともあれ、本書の冒頭には、18世紀のルソーが早くも喝破していた、「戦争とは、相手国の憲法を書きかえるもの」であるというテーゼが紹介されている。相手国の支配原理を転換させること。これがために、国家はどのように考えどのように準備するのか、またどのような錯誤がそれをおかしな方向にむかわせるのか。これが著者の研究テーマである。

そうした国家戦略の問いに対して、優秀な高校生達が十分に議論を交わせることに、わたし達は新鮮な驚きを感じる。頼もしい、と思う人もいよう。

しかし、本当にそれだけでいいのだろうか?という疑問が、読んでいて頭をかすめたのも事実だ。たとえば、長い人生経験を通じて得られた人間性への洞察、あるいは個人の意思と運命的な世の動きとの相克に対する感情的共感、そして複雑な人間集団の中でぎりぎり求められるモラル--こうした理解や知恵は、国家戦略の分析には不要なのだろうか。企業の小さな組織でさえ、しばしば利害だけでなく人々の情念に動かされる。国家のような大きな問いに向かうとき、本当は単なる『頭の良さ』だけでなく、成熟した『賢さ』こそが、一番求められるのではないだろうか。

第二次大戦における日本の最大の不幸は、一部の『頭の良い』人たちが中央に残った代わりに、市井にいた大勢の『賢い』人たちを失ったことにある。そのことに、本書はなぜか十分な注意が向いていないように思われる。本書は非常に面白い。だが、その面白さは、良くできた棋譜の解説に似ている。だから、読み終わってしばらくたつと、中に何が書かれていたか,また読み返さないと思い出せなくなるのである。
by Tomoichi_Sato | 2013-09-01 23:58 | 書評 | Comments(2)

書評:ハーバード白熱日本史教室 北川智子

ハーバード白熱日本史教室 (新潮新書) →Amazon

世の中には優秀な人がいるんだなあ、と、まず感じた。著者は1980年生まれ。高校を出てすぐカナダに単身渡り、ブリティッシュ・コロンビア大学を3年で卒業。それも数学と生物学のDouble major(二重専攻)で両方の卒論を書き、国際関係を副専攻する。3年生の時にハーバードのサマースクールで日本史を受講。その後、日本史専攻に転じて2年でカナダで修士を取り、博士課程はプリンストン大学に入学。しかも、「単位数を無茶苦茶なスピードで積み上げ」(p.26)、入学からわずか1年と1ヶ月でジェネラルズと呼ばれる前期試験に合格する(普通は最短でも2年)。

その後、1年間は日本に戻り、東大の史料編纂所に研究生として通いながら史料を読みあさり、3年目は米国に戻って論文を書き上げ、なんと3年以内で博士号をとってしまう。そして、ハーバード大学のカレッジ・フェローの職に就く。歴史学の世界では、短くて5年、普通で7年は学位取得にかかるのが常識だから、驚くほど早いスピードでプロの研究者になったわけだ。

しかも学生の時にはアイスホッケーのチームにも所属し、かつピアノも趣味で、ハーバードでは1日に2時間は練習するというのだから、この人はいったいいつ寝ているのだろう?と不思議に思えてくる。たぶん、いったん読んだ本は決して忘れず、いったん学んだことはすべて頭に残り、かつ、一度あった人は全員覚えている、というふうな頭の構造をしているのではないか。そう思えてならない。まことに何というか、うらやましい限りである。

その著者が、ハーバード大学のごく弱小学部である東アジア学部で開講した日本史の授業「Lady Samurai」が人気を集め、初年度は16人だったのが、2年目は104人、そして3年目は251人もの学生を集めることになった。教室も当然、毎年、大きなホールに移っていく。ハーバードで日本史を学びたいという人も、彼女が来るまではほとんど途絶えそうだったのに、どんどん増えていく。ハーバード大の「ティーチング・アワード」を受賞し、「思い出に残る教授」にも選出され、「ベスト・ドレッサー賞」まで受賞する。まことに驚嘆すべき活躍ぶりである。写真を見ても分かる通り、ガチガチの才女タイプではなく、にこやかな笑みが特徴の、若く魅力的な女性だ。

では、彼女が論文のテーマにした"Lady Samurai"とはどんな概念なのか。女性のサムライ--それは別に、薙刀を振り回す巴御前のような女性のことではない。たとえば、秀吉の正妻であった北政所ねい(ねね)を例にあげて、彼女は説明する。秀吉自身の手紙や、周囲の記録を丹念に読んでいくと、「ねねの方」が秀吉とペアを組んで、二人三脚、城下町を統治する姿が浮かび上がってくる。秀吉も要所要所でねねに意見を聞き、アドバイスを受け入れる。また、彼女のようなサムライの妻たちも、社会で武士に準ずる身分上の扱いを受ける。

むろん、当時は男尊女卑の社会ではあったが、それでも夫婦が共同で統治し事業を行なっていく姿を、著者は「ペア・ルーラー(夫婦統治者)」として位置づけ、奥方をLady Samuraiと呼ぶのである。(読んでいて、なんとなくほぼ同時代のスペイン王と女王の夫妻Reyes Catolicosを思い出した)

ペア・ルーラーの概念がこの著者の創意かどうかは知らないが、日本史の中でその存在を実証したところが研究のユニークな点である。しかし講義の人気は研究内容ばかりではなく、独創的な教え方によるところが大きい。「アクティブ・ラーニング」と呼ぶ、地図づくり、ラジオ番組作り、そしてグループでの映画(PCビデオ)作りなどの五感をフル活用した教育法が、学生達を虜にしたのである。

著者は自分の目指す学風を「印象派歴史学」と名付けている。印象派の絵のように、細部よりも全体像にこだわる歴史学である。それを通じて、日本とは何か、という「大きな物語」としての歴史記述を構築したいという。その意気やよし、であろう。

確かに、現代日本は「大きな物語」、一般化された歴史叙述を失ってしまっている、との主張(p181)はその通りと思う。日本の国家としての物語・自画像は、第二次大戦の敗戦と共に、バブルのごとく潰えた。それ以降、大きな物語の不在は、我々日本人の知的背骨を弱くしている。

ただ、本書を読んでわたしは少しだけ懸念も感じた。著者は優秀な若手研究者である。すでに日本のメディアから取材や講演の依頼が殺到していることだろう。学会講演だってするかもしれない。そして皆、一応拍手喝采するだろう。

だが、歴史学という仕事は、大ざっぱな印象で物語を作り上げることではない、古文書に紙魚のごとくへばりつき、細かな事跡を一つずつ詰めて行く地味な仕事だ、と信じる人も大勢いるはずだ。彼らは内心、何を考えるだろうか。北米で教育を受けた著者の、第二の天性とも言えるポジティブ思考と、物怖じしない表現についていけるだろうか? 個別性の世界にこだわる人々から見れば、彼女の論理はつっこみどころ満載である。本来は学問的に冷静に検討すべき議論が、他の感情にかき乱されないだろうか?

教育はいい。大学の講義は、学生アンケートによる評価システムで数値化され、競争の優劣も明白になる。しかし研究は、優劣を簡単に決め難い世界だ。その業界に、著者はこれから身をおく。彼女の優れた才能と溢れるばかりの意欲が、邪魔されずに育ってくれるといいのだが。
by Tomoichi_Sato | 2013-06-27 23:02 | 書評 | Comments(0)

書評:世界の経営学者はいま何を考えているのか 入山章栄

世界の経営学者はいま何を考えているのか――知られざるビジネスの知のフロンティア


「ドラッカーなんて誰も読まない!?
 ポーターはもう通用しない!?」

--これが本書の帯の宣伝文句だ。著者の入山氏はニューヨーク州立大学バッファロー校(ビジネススクール)の助教。2008年にピッツバーグ大学でPhD(博士号)をとったばかりの、新進気鋭の経営学者である。

ドラッカーなんて米国の経営学では完全に過去の人だ、というと、日本ではやはり驚く人が多いのだろうか。最近もドラッカーに女子高生をかけあわせた本がベストセラーになったばかりだし、彼の本は古くから広く読まれ、「ドラッカー学会」まであるくらいだ。(ドラッカー自身も日本が好きだった)

もちろん、ドラッカーがマネジメント研究の先駆者であることは確かである。しかし、ドラッカーはウィーン出身の人だけに、発想の根本が非常に『中欧的』である。たとえば「企業は基本的に社会のものである」という彼のテーゼは、“企業は株主の所有物だろ”との考えが主流の現代アメリカのビジネス文化とは、(その当否は別としても)かなりかけ離れてしまっている。

ポーターについて言えば、彼の「競争優位戦略」論は元々、ミクロ経済学を逆手にとった発想であった。効率的な完全競争市場では、誰も度はずれに大きな利益は手にできない。だから、すぐれたポジショニングによって不完全な競争状態をつくる(=ムダな競争を避ける)ことが、持続的な優位を得る戦略である。そう、ポーターは主張した。'80年代前半のことである。

ところが本書によれば、'90年代後半から現れた大規模な実証研究により、企業が10年以上続けて同業者より高い業績を上げるケースは、全産業で2-5%にとどまり、かつ優位性を維持できる期間が短くなっていることが分かってきた。さらに、より多く競争行動を行う企業の方が、シェアや総資産利益率が上昇するとの発見も出てきた。だから、ポーターの競争優位戦略「だけ」では、競争戦略を説明できないようである。なるほど、たしかに面白い。

この例のように、現在のアメリカの経営学は、理論に加えて、統計を多用した実証を重んじる。これは経営学が「科学」science を目指しているためで、西洋人の科学志向に立脚している。だから著者の入山氏は導入部第2章で、「経営学は居酒屋トークと何が違うのか」という、根源的な問いを立てる。居酒屋でSONYやパナソニックと韓国の電子メーカーを比べて、まるでサッカー試合の批評のようなことを論じるのと、経営学研究とは、どこが違うのか?

答えは、“実証可能性”である。言葉を並べただけの感覚的な一般論と、データで検証可能な理論は、厳然と区別されなければならない。それが学問的訓練というものだ。そして著者は、そうした訓練をきちんと受けて身につけている。おまけにとても明晰で論理的ある。頭の良い人の文章を読んでいると、読んでいる自分まで頭が良くなったような気がする--この人の文章は、そんな徳をそなえている。

本書には、他にも学べる点が非常に多い。たとえば『トランザクティブ・メモリー』の概念を、わたしは初めて知った。「組織の記憶力に重要なことは、組織全体が何を覚えているかではなく、組織の各メンバーが他のメンバーの“誰が何を知っているか”を知っておくことである、というものなのです。」(p.90)--つまり、組織のメモリーとは、メタ・メモリーの形にしておく方が効率がいいらしい。

あるいは、ウォルマートの販売予測戦略である。「ウォルマートは郊外を中心に出店を進めて他社との競争避けていました。さらに"Everyday low prices"の印象を消費者に与えることで広告費を抑え、販促活動を減らして売り上げ変動を減らし」た。でも、それだけではない。「その結果ITシステムを使っての販売予測をより正確にする効果もありました」(p.121)。さすがである。くやしいくらい頭が良い経営だ。

日本と国民性が1番近いのはポーランドだ、という発見もあった。「ホフステッドは(多国籍企業IBMの従業員11万人の分析を通じて)国民性という概念が4つの次元からなることを明らかにしました」(p190)。その4つとは、

(1) 個人主義か集団主義かを表す指標
(2) 権力に不平等があることを受け入れているかという指標
(3) 不確実性を避けがちな傾向があるかという指標
(4) 競争や自己主張を重んじる「男らしさ」で特徴づけられるかという指標

である。その結果、国民性の近さを数値的に計算できるようになったのだが、著者の計算によると「日本と国民性がいちばん近いのはハンガリーとポーランドです。東ヨーロッパのニカ国が日本と近い国民性を持っている、というのはなかなか面白い結果と言えます」(p.194)。なんとなく半信半疑に思えるが、データがすべて公開されているから、きちんと議論が成り立つ。これが居酒屋風感覚論との相違である。

とはいえ、現代の最先端の経営学が、キレイな理論構築とその統計的実証にあまりにも傾きすぎている問題点も、著者は指摘している。それは、主流のアカデミック・ジャーナルへの発表論文数で競争し続ける、経営学者たちの陥るバイアスである。理論的根拠が不明だが、実務上は意味のある統計や、個別のケースに深く入り込んだ事例研究が、評価されにくい。本来、実学であるべき経営学が、あまりに強い科学志向のために歪んでいるのだ。

もう一つ、問題がある。著者は、企業をその保有する資源の観点で分析評価するResource-based viewについて、J・バーニーの有名なテーゼを紹介する:
「(1) 企業の経営資源に価値(value)がありそれが希少なとき、その企業は競争優位を獲得する。
 (2) そのリソースが、他社には模倣不可能で、またそれを代替するようなものがないとき、その企業は持続的な競争有用獲得する。」 (p.291)

この文章、読んですぐおかしいと思わないだろうか? 競争優位は、たしかに継続的な利益やシェアなどの指標で測ることができる。しかし、経営資源の『価値』とは、どういう意味なのか。それが稀少だったら、その価値は誰がどう決めるのか。

ここで問題となっている資源とは、労働市場で一山いくらで買える我々エンジニア(笑)や工場労働者たちのことではない。組織の中に知識や技術とともに蓄積体現されている、能力や商権のことだ。それは滅多に売りに出されない(だって稀少だから)。たとえば「モナ・リザ」や「ゲルニカ」は貴重で価値が高い絵画だが、もはや値段などつけられないし、つける意味もない。ピラミッドその他の世界遺産だって同じだ。稀少なものほど、価値は市場価格から別次元のものになっていく。

それなのに、著者を含む大多数の経営学者たちはバーニーの命題を支持し、あまつさえビジネススクールで教えもした。そして2001年のプリムらによる、「バーニーの命題は実は何も言っておらず、同義反復にひとしい」との批判で、はじめて問題点に気がついたらしい。だとしたら、経営学は「価値」Valueという言葉を、論証不要な自明な概念と信じていたことになる。ちょうどマッキンゼーのコンサルタントが、二言目には呪文のように「バリューを出す」とつぶやくのと同じで、価値が「お金」や「成果」にあまりにも近すぎるため、その概念を掘り下げるのを忘れていたらしい。

誰もがその概念をよく知っていると信じている、しかしそれを正確に説明しろと言われるとできなくなる--社会構築論Social Constructivismの立場の研究者なら、“それは実体概念ではなく、社会的な必要が作り上げた幻想ではないか”と疑うだろう。ちょうど「リーダーシップ」などと同じように(「リーダーシップを浪費する組織」に書いたマインドルの研究を参照のこと)。そうした観点からいうと、現代アメリカの経営学は、ちょっとだけナイーブに過ぎるように思われる。

そもそも、本書のタイトルは「世界の経営学者は」となっているが、実際に紹介されているのはほとんどがアメリカでの研究の話題だ。たしかにアメリカが世界の経営学をリードしていることは、紛れもない事実だろう。だが、アメリカだけが世界ではない。欧州にもそれなりにマネジメント研究が存在し、しかも各国別に個性があるのだ。(もちろん、著者もそんなことは承知で、しかし出版社がタイトルを決めた可能性はある)

とはいえ、論文の出典もすべて正確に記載し、かつ非常に広範な文献雑誌をカバーしたレビューになっている点は、とても立派である。文章も、とてもわかりやすい。学術的内容にもかかわらず「ですます調」で書いていることも美点の一つだ。初心者向けのためかリアル・オプションや複雑性について短絡的な記述が目につく所はあるが、全体としてこうした本は、これまでほとんど我が国ではなかったように思う。

部外者であるわたしの勝手な印象論でいくと、日本の経営学は、昔はもっぱら欧米の学問の輸入代理業者だった。しかし、その輸入は'80年代の「日本型経営」礼賛時代に入ると、急速に減ってしまったらしい(しかもその「日本型経営」たるや、企業の現場から生まれてきたもので、日本の経営学が指導して生み出したものではなかった点が皮肉だ)。その後の長引く不況で、大学の経営学の威信は傷ついた。自説を海外に積極的に輸出している学者も、いないわけではないが多くはなさそうだ。つまり、残念ながら日本の経営学はひどく内向きになっているように見える。

そのような内向きスタンスを破るためにも、また現代の経営問題に対し、知的にラディカルにタックルするためにも、著者のような高いレベルの仕事がもっと増えることを期待する。経営論に興味のある読者に、強くお薦めする。
by Tomoichi_Sato | 2013-06-09 16:38 | 書評 | Comments(1)

書評: 「採用基準」 伊賀泰代

採用基準 地頭より論理的思考力より大切なもの

「マッキンゼーの採用マネジャーを12年務めた著者が初めて語る - 地頭より論理的思考力より大切なもの」が表紙の惹句である。これだけで、出版社がどのような読者層に何をアピールしようとしているか、よく分かる。『マッキンゼー』という、外資系コンサルの中でも最高級のブランドにあこがれ、その採用の基準を知ってみたいと感じる読者がターゲットであろう。

ところで、実際に読んでみると、採用基準に関する話題はこの本のボリュームの4割程度で、あとの6割は『リーダーシップ』に関する説明である。著者も、もっぱらこちらを訴えたかったにちがいない。日本ではリーダーシップの概念がうまく理解されていない、と繰り返し著者は書く。しかしマッキンゼーが採用にあたって最も重視するのは、地頭の良さでも論理的思考力でもなく、「将来、グローバルリーダーとして活躍できるポテンシャルである」(p.34)という。

では、そのリーダーシップとは何か。ごく一部の人間だけでなく、組織の構成員全員に求められるリーダーシップとは、どのようなものなのか。

著者は、事故で電車が止まったとき駅のタクシー乗り場にできる、長い行列の例で説明する。「海外ではこういう場合、必ず誰かが相乗りを誘い始めます。」(p.198) これがリーダーシップの発揮なのである。しかし日本人はもくもくと列に並び、一人ずつタクシーに乗っていく。誰かに指示されれば、たぶん素直に相乗りを始めるだろう。ただ、そういう役割を自分でやろう、という気が全く無いのがこの国の人の特徴だ、と指摘する。

マッキンゼーでは、「全員がリーダーシップを発揮して問題解決を進める」(p.75)前提で仕事が進む。「全員がリーダーシップをもっているチームでは、議論の段階では全メンバーが『自分がリーダーの立場であったら』という前提で、『私ならばこういう決断をする』というスタンスで意見を述べます」(p.128)- だからこそ、高いパフォーマンスをもった組織が生まれる、という。なんとなれば、「わたし達が職場でしばしば目にする、リーダーに対する建設的でない批判の大半は、『成果にコミットしていない人たち』によって」なされるからである。

ちなみに、著者によれば、「実はリーダーシップと常にセットで考える必要があるのが『成果主義』なのです」「成果主義とは、『努力でもプロセスでもなく、結果を問う』という考えであり、成果主義を原則とする環境でなければ、リーダーシップは必要とされません。」(p.87)という。これは、通常の日本企業の成果主義よりもはるかに厳しい要請である。

では、リーダーとは具体的にどのようなアクションをとる人なのか。著者は「目標を掲げる」「先頭を走る」「決める」「伝える」という4点をあげ、さらにマッキンゼーでそれをどのように育てていくかを語る。リーダーシップは生まれつきの資質ではなく、学んで向上させることができる技量である、という強い信念があるようだ。

著者のいうリーダーシップを、読者として自分なりに言いかえてみると、すなわち、目的志向で、目標達成に主体的にコミットし、問題を解決するために自らチャレンジし、また人を動かしていく態度と能力のことだろう、と想像する。それは確かに、とても大切な技量だ。それは、その反対の条件を考えてみると、よく分かる。

主体性  ←→ 指示待ち
目的志向 ←→ 形式(手続き)主義
影響力  ←→ 従順、無批判、付和雷同
チャレンジ精神 ←→ 事なかれ主義

でも、考えてみると、左側の条件を満たす人材は、日本のどこの会社だって求めているのではないだろうか。「ウチは従順で事なかれ主義の、指示待ち人間だけを採用するから」などと公言する経営者はいるまい。

それならば、日本にはなぜ、リーダーシップを持つ人の総量が足りないのか。著者は、今の日本の問題は「カリスマリーダーの不在ではなく、リーダーシップを発揮できる人数の少なさにある」(p.180)とする。そして、その理由を、日本企業の中央集権型ガバナンスで説明する。「中央集権体制とは、求められるリーダーシップ・キャパシティがきわめて少ない、上意下達を旨とする体制なのです」「日本でそういった体制が長く続いてきたひとつの理由は、経済が発展途上期であったということです。中央集権型のシステムは、ニーズが画一的な世界に向いています」(p.209)

だが、そのような体制が、逆に飽和市場社会となった日本を苦境に追い込んだ。だから現在の日本を救うには、もっともっと多くの人が、リーダーシップを身につける必要があり、そのために企業も公教育も仕組みをととのえるべきだ、というのが主張である。

本書の主張は非常に明確で、かつ具体例も多く、面白い。著者のいうリーダーシップというものも、身につけられればとても素晴らしい、と読んでいて率直に感じた。しかし、この後は少しだけ批判を述べさせていただく。

まず、このような「全員がリーダーシップを発揮する」仕事の組織は、経営コンサルティングという業態に一番マッチしていることを、指摘しておきたい。経営コンサルタントの仕事は普通、クライアントの依頼をうけて、特定の課題解決のための調査と提案を行う、個別性の高い業務だ。リーダーの元、何人かのコンサルタントがチームを組んで行う。チーム内は各人の得意分野に応じて、緩やかな分業で仕事が進む。階層はフラットで、知的で創造的な仕事ぶりがむしろ求められる。チームの総人数が1ダースを超えるような大規模な仕事は、あまり多くない。仕事のスパンも数ヶ月単位が多い。すなわち、すぐに成果(売上や顧客の評価)が得られる業態なのである。

逆に、非常に大規模な人数の組織が必要で、結果として階層的な指示系統が必須で、かつ軍隊的な規律が必要とされ、全体の成果が出るまで何年もかかる種類の仕事というのも、世の中には存在する。そうした組織で、末端が皆、独自の考えと主張をもち、指示された内容も自主的に自由に選択して動かれたら、メリットよりデメリットの方が大きくなりそうだ。「自分がリーダーだったらこう決断する」、という表明も、必要な情報の全体像が得られない下位ポジションの人間が主張したら、独りよがりで滑稽なだけである。

日本企業の苦境が、リーダーシップの総量の不足によるものだ、という説明も、本当だろうか、と疑問を持つ。というのも、米国の大企業でも、社員が事なかれで形式主義で、上の顔ばかり見ている組織を知っているからである。リーダーシップを持ち優秀な人間は、ほんの一握りしかいない。それでも、非常に大きな利益をあげている。ビジネスモデルのおかげか、政治的権益のおかげか、それとも一部の優秀な人間のおかげか、判断は微妙である。

また逆に、1970年代後半から80年代にかけては、日本企業が光り輝いて見え、逆に米国企業は利益と自信を失っていた時期だった。だから、まさにこの時期、マッキンゼーに代表される経営コンサルティング業界が米国で成長したのであった。では、あのときは、米国のリーダーシップの総量が少なく、日本には沢山あったのだろうか? そうでもあるまい。だとしたら、リーダーシップと組織の成果(業績)は、必ずしも一致しないことがあるように思われる。

とはいえ本書は、示唆するところも多い。社会福祉の仕組みについて、人々がリーダーシップを発揮してともに助け合うような世の中の方が、結局は経済的だという主張は賛同できる。「共助システムが増えれば増えるほど、公助への負担は少なくなります。反対に、リーダーシップの総量が不足する国では、何もかもお金と公的な制度で解決せざるを得なくなり、とめどなく予算が必要となります」(p.187)

コンサルタントに必要な頭の良さとは、分析力よりも、問題解決案を考える能力だというのも、重要な指摘だ。とくに、著者が『知的体力』と呼ぶ、(正解のない問題を)何時間でも何日でも考え続ける能力は、ほとんどの人が見落としている、大事なポイントだと思う。ほんの数時間のケース面接でふらふらになってしまうような知的体力の乏しい応募者では、先々こまるのだ。そうした若者は、いつも正解のある問題ばかりに取り組み、記憶のストックの中から正解を探し続けてきたのだろう。わたし達に必要なのは、著者のいうリーダーシップとともに、この知的体力の向上だろうと考える。
by Tomoichi_Sato | 2013-05-11 09:48 | 書評 | Comments(3)

書評:「その未来はどうなの?」 橋本治

その未来はどうなの? (集英社新書)

昨年の8月に出たばかりの橋本治の近著。あとがきによると彼は重い病気でしばらく入院しており、やっと退院した後で出した最初の本らしい。そういう状態で書かれた本書は、しかし、彼の最近の著作の中でも最も出来の良い優れた評論集だと思う。

連続したエッセイの形でテレビ、ドラマ、出版、シャッター商店街と結婚、男女、歴史などの未来について論じている。テーマの選び方がいかにも橋本流であり、そしてどれも非常に面白い。

たとえば彼はTPP (環太平洋パートナーシップ協定)に加入した後の未来について論じているが、加入後にどうなるかは分からないと、最初にはっきりと書く。しかし「どうすべきか」という問題の立て方をしなければいけないのに、「どうなるのか」というパッシブな思考方法では、出発点からして間違っている訳だ。

「『初めに結論ありき』のこの国では、考えられるメリットとデメリットをあらかじめ提示して、その後に判断を仰ぐという習慣がないので、賛成側が一方的に賛成意見をいい、反対側が一方的に反対意見を言うだけ」だと彼は指摘する(p142)。

「(双方とも)前向きな結論だけを求めていて、その結論にいたるのを妨げるものは、『ない』にしてしまう傾向があります。だから、本当の問題が何なのかは見えなくて、いざというときにはこうすればいいという危機対策もいい加減になってしまう傾向があるのです。」(p146) ー だから想定外の事象に立ち向かえないのだと、彼は断じる。

その同じ傾向は、ドラマの未来を考える局面でも現れる。近代日本のエンターテインメントの源流の1つに講談がある、と彼はいう。今でもその名を冠する大出版社があるくらいだが、「講談は、近代前期の日本人の中に、どんな無茶なことでもなんとかしようと思えば何とかなる、と言うとんでもなく前向きな世界観を確立してしまいます。」(p36)。

その流れを受け継いだ典型は、吉川英治の「宮本武蔵」だったし、現代においては「少年ジャンプ」のマンガ群かもしれない。それは人々のニーズから生まれ、人々に簡単な『人生の指針』を与えもしただろう。しかし「『めんどくさい事を抜きにして前向きでありたい』ーそんな日本人の獲得した前向きな民力が日本の近代化を達成し、そのあまりにも単純な世界観が日本人を戦争に向かわせたんじゃないかと、私なんかは思っております。」(p36)

ある意味で講談とは対極にある種類の文学に立脚する橋本治は、面倒臭い事をめんどくさいなりに受け入れて考えようという立場だ。民主主義の未来を論じる最終章で彼はこう書く。「民主主義が何も決められない状態に陥ってしまったのは、自分の利益ばかりを考える自由すぎる王様を放逐して、国民が『自由すぎる王様』になった結果です。」(p200)

だとすれば、解決策は1つしかない。国民が王様の立場を辞めて、自分のためだけではなく、みんなのための考えるようにすることだ ー 「自分もみんなの1人なんだから、というのは、結構新しい考え方で、これからのものだと思いますがね。」(p201)

これが病み上がりの橋本治による、本書の結論だ。非常に自由で柔軟な思考に満ちた評論で、かつ文章も平易で読みやすい。最近のおすすめの一冊である。
by Tomoichi_Sato | 2013-04-23 23:15 | 書評 | Comments(0)

書評:The Quiet American(物静かなアメリカ人) / Graham Greene



昨年の夏、80歳の母と二人で、母の知人の結婚式に出席するため、ベトナムのホーチミンに旅行した。数多くの留学生の世話をしてきた母と、これが最後の旅行になった。

一緒に戦争証跡博物館に行った後、市内の目抜き通りを歩いていると本屋を見つけた。いかにも外国人旅行者向けに、洋書などがおいてある。その中にこの本があったので、すぐに買いもとめた。前から読みたいとは思っていたのだ。ベトナムを舞台とした話だから、平積みされているのは当然かもしれない。Penguin Classics Deluxe Editionで、うす緑色の洒落た表紙である。

ロンドンで2年暮らした母の話によると、グレアム・グリーンはやさしい英語で文章を書く名文家として知られ、イギリスの英語学校で初級の読み物によく使われているという。英語上達の秘訣の一つは、辞書を引かずに本を何冊も読み通すことだ。そうして、英語のリズム感や、前後の文脈から単語の意味を類推する力をつけるのだ。その修行には、たしかにグリーンの文章は格好の材料である。そのことは、本書の冒頭にある米国のRobert Stoneによる解説と読み比べてみると、よく分かる。いかにも大学人の書くインテリ臭い文章で、たくさんの難しい単語を使う。ちょうど漢語を多用した日本語のようなものだ。ついでにいうと、このイントロにはネタバレ的な記述も含まれているので、読者は飛ばしてまず本文から読んだ方がいい。

その本文は、英国人でベトナム特派員の私(Fowler)が、本書の主人公である若い米国人Alden Pyleを夜、部屋で待つシーンからはじまる。約束の10時をとっくに過ぎても彼は来ない。通りに出ると、同じようにPyleを待って立っている、Phuong(鳳)という名のうら若いベトナム女性を見つけるので、上がって待つようにいう。しかし真夜中をすぎてやってきたのは警官だった。警察署に召喚された二人は、Vigotというフランス人警察官の質問を受ける。本書が発刊された1955年、サイゴン(現ホーチミン)はいまだフランスが支配する領域だった。Pyleはどんな人物だと聞かれ、Fowlerはこう答える。「年齢は32歳、経済援助ミッションで働いている米国市民だ。真面目な男だよ、彼流にね。コンチネンタル・ホテルにたむろする騒がしい連中とは違う。物静かなアメリカ人だ。」

しかしVigotは皮肉な目をFowlerに投げかけ、若いPhuongをめぐってPyleと争っていたのではないか、君はこの女性と2年間一緒に暮らしたが、つい最近、彼女をPyleにとられたはずだ、といい、昨晩のアリバイをたずねる。こうして彼は、Pyleの身の上に何か重大な事が起き、自分が疑われていることを知る・・

ここまでわずか数ページ。主要な登場人物が現れ(あるいは不在が明らかになり)、彼らの関係や複雑な感情が、異国の夜の映画のようなシーンの中から浮き上がってくる。まことにグリーンは小説の名手である。主人公Pyleの行動の謎と、警察に疑われながらそれを追う語り手Fowlerのサスペンス、そして美しいPhuongをめぐる三角関係。ラブ・ロマンスで読者をぐいぐい引き込みながら、時おり神とか世界についての哲学風の問答を文中にちりばめ、読者の知的満足感をくすぐることも忘れない。

グリーンは登場人物の名付け方が暗示的で巧い、とR. Stoneは冒頭の解説で書いている。たしかに、若く率直で大柄の米国人Pyleの名は、なんとなく「ウドの大木」みたいな感じを受けるし、屈折した英国人で中年の語り手Fowlerは「ズルをする奴」とも聞こえる。しかし、本書の題名もグリーン一流のjokeで、“静かなアメリカ人は、死んでしまったアメリカ人だけだ”との皮肉だというのは、うがちすぎの解釈だと思う。物静かなアメリカ人は、(少数派だが)もちろんいる。主人公Pyleはハーバード大学で政治を学んだ、若い理想主義者だ。

その彼の理想は、古いヨーロッパの植民地支配でもなく、かといって北部ベトナムの共産主義でもない、民主主義を実現する『第3の勢力』がこの国には必要だ、というものだ。だが、その思想が、彼という人間に体現された米国人の無邪気な良心と、米国の巨大な政治力に結びついたとき、あわれな恋人Phuongをはじめ、罪のない多くの現地人を巻き込んだ不気味な歯車の回転につながっていく。語り手Fowlerは、親米でも親仏でもなく、かつ、祖国に残してきた不仲の妻との諍いが表すように英国本位でもなく、ある意味で中立な、ある意味では誰にもコミットできない孤独な特派員として、事態を追い続けていく。

グリーン自身は1950年から2年間にわたり、何度かに分けてベトナムに滞在して本書の構想を得たらしい。そのころはちょうど朝鮮戦争の時期で、世界の目はそちらに釘付けになっていた。1945年に日本が第二次大戦に負け、旧植民地だった地域に支配権の空白ができる。独立運動と旧勢力が争い、そこにソ連と米国がそれぞれ軍事援助をして争う構図は、しかしそのままベトナムの構図でもあった。そして“民主主義の国家が出現すれば、それは必ず親米的なはずだ”という米国の奇妙な思い込みは、当時も今も不変である。

グリーンはカトリック作家で、別段左翼でも反米主義者でもない。とはいえ本書が発刊されたとき、米国では当然ながらごうごうたる非難の声が巻き起こったという。当然だろう。これは純然たるフィクションだが、米国が今のまま進めば、ベトナムで新たに巨大な悲劇が生まれかねないとの警告書でもあったからだ。しかしそれは、赤狩り時代の米国では到底受け入れられないアラームだった。

わたしは知人の結婚式に参列して、あらためてベトナムという国が仏教と中国文化の影響の色濃い、ある意味で東アジアの国である(東南アジアというより日韓台湾に近い)ことを実感した。その東アジアの人間としてこの小説を読むと、英米人の読者とは少し違う視点に立つことになる。それは、若いPhuongや、その姉、あるいは名もない多くのベトナム人側の感情への移入だ。この巧みな小説の中で、不思議にもPhuongは内面を感じさせない、はかりがたい登場人物として描かれている。セリフも少なく、王室や映画スターのゴシップ、そして欧米の都会への漠然としたあこがれなどが断片的に語られるだけである。愛Loveという言葉が、彼女にとって具体的な意味を持つのかさえ疑わしい、とFowlerは語る(Loveはいかにも西欧的な個性や自我と結びついた概念なのだ)。たぶんその事こそ、西洋人男性が東アジアの女性に惹かれる最大の理由なのかもしれない。

彼らの基準から見ると、わたし達アジア人には内面がない。それは、後半、戦闘の前線に赴いたFowlerが見た、運河の水面に浮かぶおびただしい数のベトナム農民達の死体にも通じている。小さな息子をかばった姿勢のまま浮かぶ母親。見張り塔で吹き飛ばされて死ぬ若い兵士たち。彼らは何も語らぬ。何も語らぬ者には、感情や肉体はあっても、精神はないのだ。そういう奇妙な信憑の世界に、西洋人は立っている。わたし達が黙って座っているとき、わたし達には何の知識も意見もないのだろうと、彼らは思う。であるならば真理を教えてやろうと、彼らは無邪気に、ほとんど善意で思うらしい。

善意と無知と偏見が「信念」という名の衣をまとい、その後ろを巨大な財力が押しはじめたとき、『狂信的武力』という恐るべき怪物が生まれる。それは憎悪を燃料として動く戦争機械である。地域にも人種にもイデオロギーにも関係なく、どこにでも生まれる可能性がある。そして手当たり次第、人を巻き込んでいく。わたし達はその怖ろしさを、つい最近も見たばかりだ。

本書が発刊された前後、ベトナムがどうなったかだけを、最後に簡単におさらいしていこう。

1945年、日本軍の崩壊と共に、ホー・チ・ミンが独立を宣言する。ところがフランスが失地回復にやってくる。「18ヶ月で片付く」はずの紛争は6年以上も長引き、ついに1953年末、ディエン・ビエン・フーでこてんぱんに敗北を喫して、しかたなく交渉の席に着く。ジュネーブ協定が取り交わされ、総選挙が行われる予定だった。

しかし、仏軍の空白を補うようにアメリカ軍がやってくる。アイゼンハワーの演説では、「錫とタングステンの資源」がねらいだった(!)というのだから驚きではないか。そして1955年、ゴ・ジン・ジェム傀儡政権を立て、南にベトナム共和国をでっち上げる。このとき政変を支援した空軍准将でCIA工作員のE・ランズデールが、本書のPyleのモデルだったのではないかと言われている。

これに対し、南ベトナム解放戦線が結成される。その補給を絶つため、やがてアメリカは北爆を開始する。彼らも最初は2、3年のことと高をくくっていたのだ。マクナマラ国防長官(MBAにして元フォード社長)の精緻な計画と、米軍の巨大な物量作戦にもかかわらず、戦線は泥沼と化していく。ついにニクソン大統領は72年に北爆を停止し、パリでの交渉につくと演説。73年に米軍が南から撤退すると、南ベトナム政権は持ちこたえきれず、ついに75年に崩壊する。

これが歴史だ。フランスが去ってから20年間、ベトナムはずっと戦場だった。誰のために? 何のために? その答えは簡単ではない。ただ一つ分かるのは、物静かで無邪気な善意が、すべてをお膳立てしたということだ。
by Tomoichi_Sato | 2013-02-12 21:32 | 書評 | Comments(0)

書評: 「TN君の伝記」 なだ・いなだ

「TN君の伝記」 (福音館文庫 ノンフィクション) なだ・いなだ著

本書は、今年読んだ中で最も感銘を受けた本だ。1976年発行の福音館文庫で、裏表紙には「小学校上級以上」と明記されている、子どもむけの本だ。漢字には、すべてルビがふってある。だが、これほどの読みごたえがある本は、近頃すくない。

本書は明治の思想家、中江兆民の自伝である。ただし文中では終始、「TN君」とだけよばれていて、中江の名前はどこにもない。でも、ルソー『民約論 』の翻訳家で、『三酔人経綸問答』『一年有半』などの著者だとあるから、誰のことかは分かる。

中江兆民の生きた「(19世紀後半の)50年間は、ながい歴史をもった人類が、大きく生き方を変えた、まがりかどのような時代だ」(p.13)との記述で、本書は始まる。鉄道、自動車、無線電信、電話の出現、病原菌の発見と注射器の発明。そして南北戦争、社会主義の誕生・・。これが背景だ。

その江戸時代末期に、かれは土佐の足軽の子として生まれる。古い身分制度の中の、奇妙な末席である。「明治維新のあと、戸籍がつくられたときも、足軽は士族にいれられなかった。卒族と書きこまれ、しばらくすると大部分は平民に格下げされてしまった」(p.16)ことを、わたしは初めて知った。

だが明治維新は、その下級武士、それも僻地の下級武士たちが主役であった。なぜそうなったのか。じつは黒船(外国軍)の襲来は、それまで僻地だった土佐を、太平洋防備の最前線に逆転した。それだけではない。それは(今日の製造業風にたとえるならば)『現場』の復権を引き起こし、砲術など現場技能のフォアマンであった下級士族たちが、有効な指揮のできぬ『本社』(お城の重役たち)との力関係の逆転劇を演じさせる契機となったのであった。

兆民はそんな中で長崎に留学し、坂本龍馬に出会う。自分も倒幕に参加したいとのぞむと、坂本はこう答える。「『革命家は商売とちがうのや。革命家は、世の中から、およびがかかって革命家になる。それまで、勉強していなされや』」(p.49)。その言葉通り、江戸に出て勉強し、さらに維新後の岩倉使節団に参加する。米欧を回り、とくにフランスに留学して帰るのである。

ところが、帰国した彼を待っていたニュースは、江藤新平の佐賀の乱、萩の乱など、いわゆる不平士族の反乱であった。それはやがて、西南戦争につながっていく。西郷たちの「勝てば官軍、負ければ賊よ」というスローガンは、かれらの行動が単なる懐古と不平の爆発だけではなく、政府の圧政的改革への抵抗権としての意義も含んでいる。「西郷は、忠臣などではない。反抗的人間だったのだ。ただ、明治維新では、反抗した彼が、たまたま勝ってしまっただけなのだ」(p.190)と兆民は評価する。

足軽の子に生まれた兆民らが、維新と世直しに期待していたのは、古い制度にしばられてきた生活からの解放の期待、自分たちのための日本をつくる事だった。それは多くの平民たちの望みでもあった。大久保や木戸など明治政府の権力者たちも、新しい日本をつくろうとはしていた。だがそれは新しくしないと、諸外国に対抗できないためだった。日本をヨーロッパ風の強国にする目的だと、すりかえられてしまっている。

このすりかえに、兆民は厳しい目を向ける。かれにとって、自由と進歩とは、車の両輪のようなものだ。自由とは「より進歩することでも文明開化することでもない。ひとりひとりが、より自己に目覚めることだ。だれもたよりにせず、だれに支配もされずに生きることに目覚めることだ」(p.163)。そうした意識の変革こそが必要なのだった。

西南戦争の失敗は、その変化を待ちきれずに起きたことだ。「その日が来て、その時が来ておこるのが革命だ。ではない。乱とよばれるのは、きたるべき時よりも前におこった革命だ。」(p.195)

西南戦争の後、暗殺された大久保利通を継いで内務卿の権力を握ったのは、伊藤博文だった。大久保よりも人望の劣る彼は、強権によって政治の混乱を乗り切ろうとする。批判的新聞の発行停止、天皇親政を進言した侍補の解任、政治集会の制限と監視。そして仕上げは、「軍隊を政府から切り離して独立させ、参謀本部が、すべての作戦の命令をだすことにした。参謀本部は太政大臣とおなじ力をもつ」(p.228)ことになった。こうして、憲法発布前に、すでにガバナンス体制の骨格が(つまりその後の日本の運命が)決められてしまったのである。

在野の兆民らは、自由民権運動を起こして政府の専制にブレーキをかけようとした。国有地払い下げスキャンダルで政治が混乱すると、切れ者の井上毅は、事態を収拾すべく、国会開設の詔勅を岩倉具視に進言する。「井上の頭の中では、天皇も、詔勅も、まったく政治の道具だった。井上は、自分では天皇の権威をまったく信じていなかった。だが、反対派の中にひそんでいる天皇の権威にたいする弱さを完全に読み取っていた」(p.278)。

こうして下された詔勅は、国会開設を10年後と定めた。だが、「十年後に国会をひらくという約束は、うらがえせば、今後十年間、政府に国会なしで勝手なことをやれといってるのも同然なのだ。」(p.266)と兆民は見抜く。しかし民権運動は板垣派と大隈派に分裂し、やがて改進党と自由党の政争として延々続き、その間に起きた日清戦争によって、世論はむしろ帝国主義へと傾いていく。そして奔走の果てに病に倒れた兆民は、余命の宣告をきき、ベストセラーとなった『一年有半』と、無神論を説いた日本初の哲学書「続一年有半」を書き残して、この世を去るのである。

本書は、西南戦争から日清戦争頃までの時代の日本を活写している。明治の中間期は、ある意味とても分かりにくい。この近代日本形成の中間期に、世の中に何が起きていたのかが、見事に描かれている。この本を読んでわたしは、なだ・いなだの作家としての力量に、あらためて関心した。なだは芥川賞候補最多回数という不思議な記録(?)をもつ作家だが、むしろエッセイストとして有名だ。わたしも、「トンネル」「れとると」など若い頃の中編、そして「カペー氏はレジスタンスをしたのだ」など短編集は読んだことがあるが、得意の精神分析的なシチュエーションを題材にした特徴はあっても、文章家だと感じたことはなかった。しかし、これはわたしの見過ごしだったのだろう。「TN君の伝記」は伝記文学の傑作とよぶにふさわしい、しっかりとコクのある大人の読み物である。司修の挿絵も、素晴らしい。
by Tomoichi_Sato | 2012-10-13 23:00 | 書評 | Comments(0)

書評: 「源実朝」 吉本隆明

筑摩書房から出ていた『日本詩人選』の一冊。吉本隆明は批評家として、また反体制的思想家としてカリスマ的人気を一時は誇っていた人だが、わたしは若い頃の詩人としての仕事が一番良いと感じる。もともと詩人的資質をもって生まれた人で、東工大の応用化学を出ているといっても、あまり理科系的な文章を書く人ではない。

その詩人としての彼が、鎌倉幕府の三代将軍として生まれ、若くして暗殺された天才的歌人の詩論を書くのである。面白くないはずがない。古書店でたまたま見つけた本書であるが、集中して一気に読んでしまった。

実朝の兄、二代将軍源頼家はかれが物心つくころに伊豆修善寺で惨殺される。それも、かれを擁立した北条時政の刺客の手によってである。愚管抄や吾妻鏡の文章を引用しながら、吉本はこう書く。「頼家の殺されかたからかんがえて、じぶんだけは別ものだとおもえるような条件はなにひとつなかったはずである。」(p.12)

それにしても、実朝たち兄弟はなぜ、執権である北条氏に一旦は将軍位につけられながら、後に捨てるように殺されなければならなかったか。吉本はまず、鎌倉幕府という奇妙な<制度>の構造分析からはじめる。鎌倉幕府は律令制の日本における国家内国家ともいうべき位相にあった。ところで、その「関東武門の固有制度ではどうしても血縁よりも惣領制のほうが重かった。(中略)この<惣領>は世襲ではなくて、一族一門のうち器量優れたものに<惣領>の指名によって継承される慣例がおこなわれていた。そして<惣領>は武力権と一門の祭祀権をあわせもつものであった」(p.37)は卓見であろう。惣領の支配が血縁の外にあるため、ともすると親子兄弟が互いにせめぎ殺戮し合う不安定性を内包していた。これを抑えるに、上位律令制の権威とのインタフェースとして源家の貴種性が当初は重要だった。しかし北条氏がライバルを次々と滅ぼし、鎌倉体制が安定化して行くにつれて、武家層は独自の倫理をつくりはじめ、やがて貴種は不要に、むしろ邪魔になっていくのである。

北条氏の飾りであることを自覚していた実朝が、我意を押し通したわずかな一つが、京都から貴族の娘を嫁迎えしたことである。当時、まだ「<一族>や<家門>の重さにくらべれば、<家族>はまだ比べものにならぬほど低い位置しかなかった。家父長家族が成立していたともいえず、また、妻女は実家の<族>に属しているといってよかった」(p.92)状態である。実朝という文学青年は、そのような境遇に生まれてしまったのだ。

吉本隆明はさらに、<和歌>とよばれる詩形式に論を進める。万葉の東歌「筑波嶺のをてもこてもに守部すゑ 母い守れども魂ぞあひにける」等は、上句と下句が明確に区切れ、かつ上句は下句を引き出すための隠喩(それ自体に強い意味はない)の形をしている。これは、対になった人々による掛けあいの和唱の場の即興のように生まれるもので、和歌の初原のあたりに近い、と彼は推測する。実朝の

 しら雪のふるの山なる杉村の すぐる程なき年のくれかな

などはこうした万葉調の古形を保持している。しかし

 秋ちかくなるしるしにや玉すだれ 小簾(こす)の間とほし風の涼しさ
 くれなゐの千入(ちしほ)のまふり山の端に 日の入るときの空にぞありける

などは、(単純な叙景だから)(万葉に類似の本歌があるから)というだけで「万葉調」と断ずるにははるかに遠いのである。事実、和歌は古今集の時代に入って明確に変容し、「雪のうちに春はきにけり鶯の 凍れる涙いまやとくらむ」のような<象徴>の地平にうつっていく。

 梅の花さけるさかりをめのまへに すぐせる宿は春ぞすくなき
 我が袖に香をだにのこせ梅の花 あかでちりぬる忘れがたみに

こうして並べてみると、実朝の歌が独特な心をもっていることがよくわかる。和歌はさらに『後拾遺集』で変容する。俗語の大胆な導入とともに、「詩的な<規範>のたががゆるんで、<象徴>性が崩壊しはじめたことを意味している」(p.197)と吉本は断ずる。いわばJ-POPの歌詞のように、平明だが単純な歌になるのである。「個々の詩人の感性に基礎をおくために、(中略)<景物>はほかにどんな習俗や伝承にしたがうものでもない」(p.198)ことになってゆく。和唱の場の共同体は不要となったのである。

こうしてとうとう和歌は新古今の岸辺にたどり着く。「吉野山花のふるさとあと絶えて むなしき枝に春風ぞふく」(藤原良経)「花は散りその色となくながむれば むなしき空に春雨ぞふる」(式子内親王)--こうした秀歌は、すでに目の前の景色とは何の関係もなく、すべて詩人の繊細な心の内にあるものを、技巧的な形で彫塑したものである。

 このねぬる朝けの風にかほるなり 軒ばの梅の春のはつ花
 吹く風は涼しくもあるかおのづから 山の蝉鳴きて秋は来にけり

十三歳で将軍職となって以来、実朝は鎌倉幕府の<象徴>的な頭領にすぎず、ただ祭祀権のみを履行する人形であった。かれが晩年望んだことは、宋に渡ることと、京都の律令王権から位階の昇進を得ることだけであった。そして二十七歳のとき、かれはとうとう右大臣に任ぜられる。その上は太政大臣しかなく、そうなると彼を取り除くことは困難になる。実朝が就任の拝賀のために鶴岡八幡宮に出たとき、だから彼を守る役目のはずの北条義時は「体調」を理由にそこに参列せず、かわりに兄頼家の子・公暁が暗殺者として木陰で待ち構えていたのであった。そうした顛末を、彼は何年も何年も前から、ある意味で心の中では見通していたともいえよう。

 神といひ仏といふも世の中の 人のこころのほかのものかは
 うつつとも夢ともしらぬ世にしあれば 有りとてありと頼むべき身か
 萩の花暮々までもありつるが 月出てみるになきがはかなき

ところで、吉本が指摘しなかったことで、一つ気がついたことがある。それは、歌人実朝は非常に耳の良い人だった、ということである。たとえば百人一首にとられた有名な

 世の中はつねにもがもな渚こぐ あまの小舟の綱手かなしも

は、たしかに吉本の言うように不安定な将軍職にうえにいるじぶんの<心>をあらわしていよう。ただ、それはこの歌の「な」「も」の音の繰り返す不安なリズムの上に、あやうく揺れてきしむ音が示しているのである。あるいはまた、もっとも有名な

 大海の磯もとどろによする波 われてくだけて裂けて散るかも

うっかり武家風だとか勇壮だとか誤解され、また詩人のひどく孤独な心が暗示されているようにも感じられるこの歌は、しかし下句の音をたどっていくと、まさに磯を打つ大波の低音の轟きが次第に周波数の高いしぶきに変わっていくさまを、見事に音自体で表象している。まさに、<和歌>という形式の中にこめられた、見事な<音楽>だった。そのような奏者を若いうちに失う事態こそ、日本における和歌の頂点の終わりを暗示していたのである。
by Tomoichi_Sato | 2012-04-14 21:22 | 書評 | Comments(0)