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書評:「英語と運命」 中津燎子・著

英語と運命」 中津燎子 (Amazon)

まことに面白くてインパクトの強い、しかし、ある意味で不思議な本である。

著者・中津燎子氏の最初の本「なんで英語やるの?」(1974)は、わたしが若い頃読んで、最も影響を受けた本の一つであった。出版された時、日本の英語教育界に与えた衝撃の大きさは、今ではちょっと想像がつきにくいほどだ(大宅壮一賞を受賞した)。また、この人の「こども・外国・外国語」 (1979)は、やや目立ちにくいが、最良の作品だと思う。日本社会における、帰国子女の知られざる困難について、はじめて具体的に記述した、深く胸を打つノンフィクションであった。

本書はその、大正15年生まれの著者の、78歳の時の著作である。「つきあい続けて日が暮れて」というちょっと奇妙な副題が示すとおり、これは日本語と英語という二つの文化のギャップと摩擦についての論考であるのと同時に、著者の自伝としての色彩も濃い本だ。だが中身は真っ当であり、わたし達にとって非常に重要である。日本語と英語、日本国と米国とのギャップで長年奮戦してきた著者の、思想の吐露の結実だといえよう。

「なんで英語やるの?」というデビュー作で、著者は「なぜ、日本人なのに英語を勉強するのか?」という、とてもラディカルな問いをたてた。普通、生徒は「学校の指示だから」「義務だから」勉強せよ、との大人の指示に従う。では、大人の側は、なぜ、英語の学習を子ども達に要求するのか? ひるがえって、大人たちはなぜ(たとえば)英会話を学びたいのか?

進学や就職に有利だから、何となくカッコいいから、つまり、他人もやっているから当然、という程度の理由しか、通常はかえってこない。では、言語は第一義に音声的な存在であるのに、なぜこの国では「読み書き」と「英会話」が分断されているのか? 英語は子音にも母音にも息の量が必要なのに、なぜ、腹式呼吸や喉頭筋のトレーニングをしないのか?——こう、著者はたたみかける。もちろん、誰からも答えなど返ってこない。

なぜなら、そもそも、自分の行動に「なぜ」を発する習慣、理由を問いかけ説明する習慣が、わたし達の社会では薄いからだ。英語圏ではもっとも基本的なこの習慣が薄いまま、ただ「英語」だけを学ぼうとするのは、土台や基礎のないところに建物を移設するのと同じではないか。どこか根本が、見失われている。それが「なんで英語やるの?」の問いかけだったと、わたしは思った。

「こども・外国・外国語」は日本に戻ってきた帰国子女たちが直面する、知られざる困難、生きる上での猛烈な困難について書いた本だ。なぜ、困難なのか? それは、日本社会が無意識にとっている、人間関係とコミュニケーションに対する態度(とくに欧米系文化との差)のためである。父母の都合で、欧米系の教育環境ですごした子ども達は、知らないうちに、欧米的なコミュニケーションへの態度を、空気のように吸い込んで育つ。そして、日本社会に戻るやいなや、水の中に突き落とされるように、ねっちりと濃密な非言語的関係性の中に放り込まれる。見かけ上は、「外国語が上手でいいわね」といわれながら、日常では強い違和感と疎外にさいなまれる。だが、日本社会の側では、その隠微な差別を自覚していない。すべては無意識に行われており、意識と乖離している点に根本問題があるのだ。

本書は、前述したように、自伝的要素が強く、論考と自伝が、互い違いにサンドイッチのようになって構成されている。大正末年生まれのこの人は、女性差別的で暴力的な、それも予測しがたい時にキレる父親に育てられた(この点、先ごろ紹介した姫野カオルコ「昭和の犬」の境遇にちょっと似ている)。父は通訳で、そのため戦前のスターリン時代のウラジオストック(外地)で幼少の頃、育った。そして九州の保守的な土地柄の村に戻って、敗戦を迎える。つまりこの人自身が、帰国子女の草分けなのだ。

敗戦を機に、大人たちの言うことが、180度変わる。このことに対し、著者は終生、強い憤りと不信をいだくことになる。彼女は生活のため、福岡の米軍の電話局で、交換手として働く。そしてそこで、日系二世・ジェームズ山城氏に英語発音の基礎訓練を受ける。このジェームズ山城式訓練は「なんで英語やるの?」にも出てくるが、4メートル離れて背を向けて座っている山城氏に向かって、米国の小学生の英語教科書を朗読していき、彼が聞き取れなかったら「ノー」といってやり直しになる、という単純至極な(しかしある意味、逃げ場のない真剣勝負的な)訓練法であった。

そして、朝鮮戦争がはじまる。本書の中でも、この部分は恐ろしいほどの臨場感である。福岡にある米軍の電話局は、対応と出撃のための通信のハブとなってしまう。米軍は明らかに戦争準備ができていなかった、と彼女は見る。事実、投入した部隊は次々と全滅していく。そして釜山が陥落したとき、つぎは福岡だ、と職場にいた彼女たちは思う。

結局、戦争自体は38度線まで押し返して膠着状態のまま終わるわけであるが、この朝鮮戦争では、「(特需の)経済効果のほかに、朝鮮動乱以後で明らかに占領軍政府側が日本人全般を見る目が変わった。何かしら『信頼』に似た感情を持ったように見えた」(p.135)と書いている。開戦直後の大混乱のスキを狙ってクーデターを企てた、旧日本軍のグループもいなかった(米軍はこのリスクを本気で心配していた)。

その後、著者はカトリック神父たちの計らいで渡米・留学。シカゴで商業美術を学び,現地で日本人と結婚し、9年後に帰国する。そして帰国後、岩手で子ども相手に型破りな英語教室をはじめる。このときの奮戦記が「なんで英語やるの?」という本になるのだ。その後、南大阪に移った著者は、そこを拠点に大人向けの「未来塾」を展開しはじめる。だが成人教育の成果に次第に疑問を感じ、結局、'99年に「未来塾」を閉鎖する(それと前後して心臓病をわずらい、一線の活動から身を引くことになった)。

著者の考える、日本語と英語の最大の違いとは何か。それは、
「1.モノスゴイ破裂の子音と、息で作る短母音の存在
 2.スピーチという名称で一括されている、言語による闘争の存在」(p.150)
だと書いている。まず、この認識自体が、普通の英語教育者とぜんぜん違う。そして彼女は、この二点を乗り越えるための成人訓練をはじめたのである。それは、彼女自身が福岡の米軍電話局で実践し学び取ってきたことだった。

それにしても、なぜ日本には熱心な英語学習意欲を持った人が多いのに、日本の英語教育の成果は思わしくないのか? 本書の残り半分は、この問いをめぐって展開する。成人への英語教育を通じて見えてきた、現在の日本人の問題点である。

その多くは、意識されざる障害であった。たとえば、英語のスピーチの前に、日本人は日本語のスピーチができない(カリキュラムでは英語の前に日本語によるスピーチを課した)。まず、「紹介すべき事実の概要と、意見と感想が区別されない。次に、自分の言いたいことを単刀直入に言えない。おまけに、時間配分の概念がほとんどない」(p.309-310)。意見と感想がつねに強すぎる「感情」で結ばれ,一体化していて、しかもその事を全く自覚できない、という(p.310-311)。

発声や呼吸は、意識と身体を結ぶ領域なのに、ほとんどの受講生は、自分の身体を意識(対象化・客観視)することができないのも、大きな障害だった。 みな、言語を、単なる道具だと見ている。その根底にある文化的差違について無自覚なのである。最後に子どもの教育に戻ろうとした著者にとって、成人教育は、「日本人の大部分にとって英語学習とは、気分が良くなるためのシアワセ丸薬みたいなもの」(p.331)という苦い認識を残したようであった。

著者は、文化的差違の根源として、現代日本の三つの気質(はにかみ・ためらい・人見知り)と、三つの態度(解決の先送り・決断の後回し・様子待ち)を指摘する。そして、この「無意識の障害」を乗りこえない限り、日本人は21世紀を生き残れない、と断ずる。

ここから先は、わたしの感想・意見であるが、日本語のコミュニケーション態度の基本は、「受信者責任」である。そこでは、受け手がすべてを推察すべきとされる。「言わずとも分かる」が前提なのだ。だから、「質問し返すこと」は、受け手の能力不足を示すし、「繰り返し質問すること」は、その語り手が部外者(他人)であることを示唆する。その証拠に、人前で話した経験がある人は分かると思うが、日本人の聴衆は、何か講義・講演してもほとんど手を上げて質問しない。

わたし達の社会の言語観(表出されない無意識の態度)によると、言語は「すでに分かっている知識、共有されている感情・感覚を再確認する」ために発せられる。ここから生じるのは、質問がヘタ、説明はもっとヘタ、という事態である。自分だけが分かってる、独りよがり状態といってもいい。それでもいいのだ。ムラ社会では、お互い文脈は共有しているのだから。

ところが英語では(に限らず印欧語はほぼ全て)、「発信者責任」である。発信者が伝える努力をし、相手の理解を確認する。ここでは、自他の区別が前提となっている。だから、「欧米式の基本の教育は、どれだけ自分の考えを正確に人に伝えられるか」(p.318)であり、それを幼稚園の頃から仕込まれる。

こまったことに、わたし達は今や、外国とのビジネス上のつきあいに直面し、海外型プロジェクトの機会が増えている。ところで、『マネジメント』の原義・原型は、「人を動かして目的を達すること」である。である以上、自分の望むことを(何語であれ)きちんと説明できなければ、マネジメントなんてできる訳がない。

では、どうしたらいいのか? ここで、著者の作った、『異文化お互い様リスト』(p.347)というものが役に立つ。著者は世界の文化を、「ソフト型文化」(日本、タイなど)と「ハード型文化」(アメリカ、中国、ドイツなど)に大別する。そして、その特徴を列挙する。たとえば、以下のようなものだ。
 〔ソフト型文化)「主張よりも妥協が美点」 ←→ (ハード型文化)「主張は常識」
 〔ソフト型文化)「対立は喧嘩と考える」  ←→ (ハード型文化)「対立は喧嘩ではない」

その上で、お互いが相手をどう見るか・見えるかを整理する。
 〔ハードからみたソフト型文化)「妥協する人はごまかしているように見える」
 ←→ (ソフトからみたハード型文化)「きつい主張は生意気に見える」
 〔ハードからみたソフト型文化)「聞こえない言葉は存在がゼロ」(推察はしない)
 ←→ (ソフトからみたハード型文化)「声が大きくやかましすぎる」

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ここでは一部を引用しただけだが、それぞれ10項目あげらており、英訳もついているから、ぜひ原文を見てほしい(ちなみに上図の最後の2行は、海外型プロジェクトの説明に使うためにわたしが勝手につけ加えたもので、原文にはない) 。海外ビジネスに直面するわたし達にとって、非常に参考になる、必須文献だと言ってもいい。

本書を貫いている隠れたテーマは、著者がもつ、自分をとりまく人びと(日本の社会)に対する強烈な違和感であり、その原因への飽くなき探求である。女性差別的で暴力的な親に育てられた上に、母国語である日本語の根付きが浅い、という自覚を大人になってから持つ。

そんな逆境の中、なぜ著者は強烈なまでに正気でいられたのか? それは、自分の頭で、「なぜ?」と考え続けたからであろう。そして、他人の答えで納得したふりをし、あきらめなかったからだろう。彼女が長らく暮らした欧米語の社会では、Why?は許され、答えられる(あいにく日本社会では、「なぜ?」と聞くのは不躾である)。女性であり、社会に組み込まれなかったことが逆に幸いしたのかもしれない。

本書は、今日の英語教育の主流から見ると、きわめて論争的な本である。だが、言葉に関する論争がわきおこり、深まるのは、とても良い事だ。それはわたし達が無意識に抱いている言語観や、他の文化とのギャップを意識化し前景化してくれるからだ。とくに海外とのコミュニケーション問題をかかえた多くの人々に、強く推薦する。
by Tomoichi_Sato | 2014-06-08 18:00 | 書評 | Comments(6)

書評:「昭和の犬」 姫野カオルコ・著

昭和の犬 姫野カオルコ(Amazon.com)

姫野カオルコ著・「昭和の犬」、読了。第150回直木賞受賞作。わたしは新刊の小説を買って読むことは滅多にしないが、しばらく前から気になって、ひいきにしていた作家の受賞作なので、急いで買って読んでしまった。

それにしても不思議な小説だ! とくに何が起きる訳でもないのに、吸引力があって次の頁をめくってしまう。今回もまた、最後の部分は自分の部屋で読み通した。電車や飛行機の中でしか本を読まない自分にとって、これも例外的な体験だ。「こんなに小説のうまい人だとは思わなかった」という、直木賞選考委員の(ある意味では失礼な)評があったが、この吸引力に、小説の上手さが表れている。内容はすでにいろいろな紹介があるので、あえて詳しくは書かない。

主人公は著者と同じ昭和33年・滋賀県生まれの女の子で、自伝的小説の色彩が強い。短編的エピソードを積み上げていくスタイルで、子ども時代が多いのだが、最後に中年のエピソードが加わって、半生記の形になっている。そして、どのエピソードにも犬が登場する。物言わぬ犬を配することで、描写対象の主人公への距離感をうまく保っている訳だが、何よりも姫野さんは犬が大好きなのだな、と感じる。最後のシーンは、前作「リアル・シンデレラ」ほど強い感情は呼び起こさないが、それでも涙してしまった。

小説の書き方にはいろいろなスタイルがあるのだろう。だが、この人は、終わり方を最初に決めて書いている、あるいは、少なくとも、終わりを探しながら書いているのではないかと思う。「リアル・シンデレラ」も、今回の「昭和の犬」も、平凡な女性の、とくに華やかなエピソードもない半生なのに、とても深い読後感を残すのは、そうしたつくりのおかげだろう。

ちなみに著者は、あるインタビューで、「小説を分類するとしたら、ストーリーの面白さで読者を引っ張っていくのがエンターテイメント小説ですが、自分のは主人公の内面を中心に描くものです。」という意味のことを、語っていた。だが、内面描写の小説といっても、それはさらに二通りに分かれると、わたしは思う。心理(とくに感情)を細かく描く「心理小説」と、そうではなく、主人公や人々の考えを軸に描く「思想小説」である。思想小説という種類を得意とするのは、たとえば、こんなことを書く作家だ。

『現代人の大半はおかしな矛盾を犯している--むやみに多くの理論をもっているくせに、実生活において理論が果たしている役割をまるで理解していないときているのです。気質だとか、境遇だとか、偶然だとか、そんなことばかり持ち出してくるのに、実際には、たいていの人間は自分の抱いている理論の権化にすぎないのです。人びとが殺人を犯すのも、結婚するのも、ただのらくらしていることさえも、みんな、何らかの人生理論にもとづいているのです。そんなわけで、(中略)ぼくはまず人間の精神を見る--場合によっては、その人物とまったく無関係に精神だけを見ることさえあるのです』
(G・K・チェスタトン「詩人と狂人たち」)

思想小説は日本では書き手も読み手も少数なため、姫野さんの作品の位置づけが難しかったのだと推察する。「昭和の犬」では、その特異性がうまく底に隠されているため、審査員はじめ多くの人に受け入れられるのだろう。

それにしても、副題の"Perspective kid" とは、どういう意味なのか? 主人公イクの子ども時代を、距離感をおいたパースペクティブで描き出すから、ではPerspective kidにはならない。英語に堪能な著者が、わざわざ選んだ副題なのだから、何か意味があると思ったのだが、つかみ切れなかった。

ただし、全く無関係な事だが、この副題を見て、わたしはその昔、ひさうちみちおが描いた不思議なマンガ「パースペクティブ・キッド」を思い出した。「ガロ」をはじめいくつかの雑誌に描き続けた連作で、ロットリングによる無機質かつ中性的な線をつかって、人々の偏執を描く技巧はとても印象的だった。偶然の一致だろうが、ひさうちみちお(の初期の作品)と姫野文学は、性的な事柄をひどく湿り気のないタッチで描く点といい、キリスト教的な題材を重要な要素の一つとして使う点といい、奇妙に似ていると思う。

変な話をもう一つだけ。主人公イクが、泣いているのでもないのに涙が流れてこまる、というシーンがある。小説の登場人物の病気を詮索しても全く無意味かもしれないが、あれは実は、本当に泣いていたのではないだろうか。イクは芯の強い女性なので、自分が泣きたい気持ちであるとは信じなかった。しかし、心の深い部分では、泣きたいという衝動があった。別に、泣きたいのは不幸だから、とは限らない。いろいろな出来事があり、その情緒が絡み合って、自分にも見えない情動の回路につながっていたのかもしれない。それが、古い打撲傷のように、人生の季節が変わるときに、痛んだのではないか。その証拠に、彼女は犬のマロンとの交流が深まると、涙を流さなくなるのだ。

「ハルカ・エイティ」「リアル・シンデレラ」そして「昭和の犬」と、女性にとっての真の幸せとは何かを書き続けてきた姫野カオルコという作家の生活が、今回の直木賞受賞によって、少しでもより安定した幸せなものとなることを、一読者として祈りたい。この小説の中心テーマは、かつて二千年前にパレスチナの地を歩いた、あの賢者の言葉をまさに象徴しているからだ:

「心の中に誇るべきものが何一つない、心において貧しい人は幸せだ。天の国は、まさにその人のものだから。」(マタイによる福音書・第5章3節)



by Tomoichi_Sato | 2014-04-20 16:56 | 書評 | Comments(1)

書評:「亡命 ~遥かなり天安門」 翰光・著

亡命 遥かなり天安門 翰光・著(Amazon)

2008年6月。米国ワシントンDCの国会議事堂前広場に、数百名の中国人が集まった。天安門事件の19周年記念集会を行うためだ。呼びかけ人は「公民力量」(Citizen Power)という在米中国人組織の代表・楊建利と、天安門事件当時学生リーダーだった王丹、作家の鄭義らだった。彼らはさらに中国大使館までいき、無反応に沈黙を守る建物の前で抗議のスピーチと、自作の詩を朗読して意思表示を行った。

スピーチの中で、楊建利はかつて獄中で知り合った20歳の青年のエピソードを語った。青年は微罪にもかかわらず、見せしめ厳罰のキャンペーン取締りにあい、死刑判決を受けた。刑の執行の直前、彼はこう言ったという。「今度生まれるときは、よく目を見開いて、もし中国の国旗が見えたなら、私は出生を拒否します。」(p.9)

本書は天安門事件のために母国を追われ、アメリカをはじめ世界各地に亡命せざるを得なくなった活動家たちのインタビューである。著者の翰光氏は中国・東北部出身、日本に留学した後、ノンフィクション作家・映画監督として日本・中国・米国をまたにかけて活躍している人であり、本書も同じタイトルの映画「亡命」と同時に作られた。わたし自身は、映画は未見であるが、本だけでも十分に面白い。本書は昨年読んだすべての本の中でも三本指に入る傑作である。何より、各人の語る半生と生き様が、ドラマチックで非常に興味深い。

登場するのは、作家の鄭義、詩人の黄翔、政治評論家の胡平、画家の馬徳昇、ノーベル賞作家の高行建、物理学者の方励之、牧師の張伯笠、歴史学者王丹らだ。ほとんどは、はじめて名前を聞く人たちであった。しかし、インタビュー全体の構成は非常に巧みであり、中国の現代史の流れに沿って、各人の出生や来歴、そして思想が語られる。それらを通して読むことで、わかりにくい中国という国の政治状況が、日本の読者にもひしひしと伝わってくるようにできている。

天安門事件は周知の通り、1989年に起きた、中国の民主化運動に対する暴力的弾圧事件である。天安門広場に座り込んだ学生・市民に対して、共産党政権は軍隊を投入し、機関銃掃射と戦車による虐殺・排除を行った。運動の指導者たちは指名手配を受け、全国に散って逃亡した。しかし、この事件の背景を理解するためには、どうしても「文化大革命」という、中国史に残る野蛮かつ悲惨な11年間の社会動乱を知る必要がある。

文革が始まったのは1966年、事実上終わったのが1977年頃である。この後、数年間は中国には緊張緩和と反省と比較的自由な言論の時代が訪れる。ところが80年代中盤になると、再び共産党による言論と思想の引き締めが戻ってくる。これに反発した市民運動の頂点に来たものが、天安門事件であった。

ところが、この文革という出来事が非常に分かりにくい。この時代、中国は事実上の鎖国に近く、国外には部分的な、それも政権に都合の良い情報だけが流されてきた。おまけに、中国においても、まだ十分に文革は反省され総括されていない。あまりにも大きな社会的出来事は、それを民族の記憶として反芻できるようになるまでには数十年単位の時間がかかるのである。

それでも、本書を丁寧に紐解いていくと、文化大革命の実相が次第に見えてくる。それは、毛沢東による権力の(再)奪取のための運動であった。毛沢東は軍事的天才であり、中国共産革命の指導者であったが、50年代の経済政策・「大躍進」運動で失敗し、実権を劉少奇・鄧小平らに奪われていた。ただ、最高幹部内での信頼は失っていたが、彼にはまだ大衆の人気があった。

毛はこれを逆手に取り、大衆を扇動して権力を奪い返すことを思いつく。彼は共産党内に「文化革命小組」なる特命プロジェクトチームを作り、手下となる暴力組織(私兵)を組織する。それが紅衛兵である。最初にできたのは、共産党高級幹部の子弟たちによる、通称「貴族紅衛兵」だった。しかし、その原理主義的運動は庶民の子弟にも広がっていく。すぐに「平民紅衛兵」の数が圧倒的に勝って、優劣が逆転する。

そして、この私兵組織はやがて全国で暴走し始め、手がつけられなくなる。穏健派の周恩来は指導本部を置こうとしたが、機能しない。彼らは各地の党本部を占拠したり、企業を襲撃したりして、「守旧分子」を攻撃・暴行・排除して行く。こうして毛主席の神格化だけが進み、一切の批判的言論の許されぬ、狂乱と文化的破壊の10年間が続くのであった。

すなわち文革とは、窓際の副社長が特命プロジェクトをでっち上げて、社内組織を骨抜きにし、その余勢をかって社長の椅子に舞い戻る、というゲームであった。この権力ゲームのために、最低でも数百万の国民が命を失い、数千万人が理不尽で悲惨な境遇に苦しんだのである。

それにしても、数億の民を路頭に迷わせたこの「革命」運動は、毛沢東と彼の少数の手下だけが責任を負うべきなのか? そうではないのだ、そこには中国の民衆、あるいは中国文化そのものに内在する問題があったというのが、亡命者たち何人かの苦い認識である。

毛沢東が76年に死去し、文革が終わった後、実権派の鄧小平が復権する。鄧小平が片腕としたのは、政治方面は胡耀邦で、経済方面は趙紫陽だった(p.109)。二人とも比較的若手である。しかし、彼らの背後には、既得権益をかかえた共産党≪保守派≫の長老たちがいて、性急な改革・民主化路線を、陰に陽に邪魔していた。ここで例の「貴族紅衛兵」のことを思い出してほしい。高級幹部の子弟だった彼らは、80年代には権益を独占する「太子党」の中心となり、また平民紅衛兵につるし上げられた経験から民衆運動を毛嫌いしていた。

結局、鄧小平が選んだ改革開放路線は、共産党幹部層に特権を確保したまま、経済だけを自由化して成長する路線だった。自由な言論と政治参加を求める声には、次第に門が閉ざされて行く。1980年、胡平は早くも「民主がなくとも近代化は可能で経済発展もできる。近代化が必ずしも政治的民主を促進するとは限らない」との先見を発表していた(p.79)。

87年、鄧小平は民衆に人気のあった胡耀邦を解任する。2年後の4月、その胡耀邦が急死。北京大学で学生デモが勃発するが、人民日報は「動乱」と決めつける(≪保守派≫の李鵬の指示)。5月、3000人の学生がハンストに入り、趙紫陽らが支援のため訪問する。こうして民主化活動と党の≪保守派≫は激突状態になる。そして翌6月、天安門事件が勃発するのである。結果として政権の武力鎮圧が成功し、中国はまた特権階級による独裁政治に逆戻りする。

ところでわたしが≪保守派≫とカッコ付きで書くのには理由がある。共産党は本来、革命政党だから、主流派に保守という言葉を普通に使うのはおかしいはずである。だからと言って、彼らを革命派とか左派と書くともっと訳が分からない。そこでわたしは、次の三つの信念を持つ人間を≪保守派≫と呼ぶことに決めている。

(1) 世の中には、支配する側にふさわしい少数者と、支配されるべき愚鈍な多数者がいる
(2) 自分は、支配すべき側についている
(3) 現在の世の中は、支配にふさわしい者が支配している

このように定義すれば、旧ソ連のノーメンクラツーラも、ムッソリーニのファシスト党も、イランの革命防衛隊も、全部うまく当てはまるので都合がいい。無論、この≪保守派≫は、文化や芸術や経済政策上の保守主義とは関係ない。また、(3)が満たされていない(権力を得ていない)状態では、その人間はまだ≪造反派≫である。

文革の最中、中国では「親が英雄なら息子は好漢。親が反動的なら息子も馬鹿」という血統論が支持された(p.62)。このような単純なラベル貼りが通用する社会では、あっという間に特権階級が生まれ、腐敗していくだろう。その根源には、極端な権力迎合と拝金主義に走る無定見な人々、という社会の病がある。

著者が書くように、「21世紀に入り、飛躍的な経済発展をなしとげ、経済大国に変貌した中国は、皮肉なことに亡命者の数も世界トップ水準である」(p.vii)。胡平も言う。「中国人は数十年間、共産党にありとあらゆる政治的な破壊行為を繰り返され、たくさんの人が命を落とした、その酷さにおいて歴史上類を見ません。これだけの災害に遭遇しながら、基本的な民主や自由すら手に入れられていないのは本当に心が痛みます。しかも、そんな状況にありながら、いまだにたくさんの人が泰平の世だと謳歌しています。(中略)少しでも条件の良いものは専制国家を願うというのは、過去の犠牲者たちの姿を踏みにじるものです。」(p.256)

本書は、祖国に自由を取り戻そうと苦闘しつつ、見えない長城に阻まれる、中国からの亡命者たちの声をていねいに掘り起こした、貴重な労作である。一人ひとりの勇気ある、しかし苦難に満ちた旅路は、ドラマよりもドラマチックだ。文章の日本語も、美しく読みやすい(翻訳ではなく最初から日本語で書かれた)。中国の現代史に、あるいは専政と人々の闘いに興味のある方に、強くお薦めする。

なお、巻末にも簡単な年表がついているが、わたしが本書を読みながら整理した中国文化大革命から天安門事件までの小史を、読者の利便のためにここに記しておこう。

中国革命小史(文革から天安門事件まで)

1966年
* 5月 幹部子弟が円明園に集まり、紅衛兵を組織(貴族紅衛兵)
* 8月 北京の恐怖の1ヶ月。毛沢東が天安門広場で紅衛兵を謁見
* 10月 林彪の国慶節演説で平民紅衛兵を支持。貴族紅衛兵と立場が逆転する
* 12月 逮捕された貴族紅衛兵を毛沢東が恩赦(周恩来の仲介)。彼らは後に「太子党」の中心となり、民衆運動を毛嫌いするようになる

1967年
* 1月 文革は最高潮。上海では労働者が党委員会を脱権。全国に暴力が広がる

1968年
* 10月 劉少奇が失脚(翌年 監禁状態で死亡)

1970年
* 1月 共産党中央は「一打三反」運動を指示。全土で権力者の処刑・権利剥奪。

1971年
* 9月 林彪事件(モンゴルに逃亡し墜落死)

1976年
* 4月 周恩来死去。第一次天安門事件が起こる
* 9月 毛沢東死去。江青ら四人組が逮捕される
* 12月 10年ぶりに大学進学の全国統一試験を実施

1977年
* 8月 鄧小平が副総理に復帰

1978年
* 8月 「傷痕文学」ブームの始まり。文革中の非人間的事件を描く
* 10月 「民主の壁」で詩人黄翔らが毛沢東批判
* 12月 鄧小平が全面的に復権。改革開放政策が採択される

1979年
* 「改革開放」政策始まる
* 2月 鄧小平が毛沢東批判者の締め付けを開始:「四つの基本原則」

1980年
* 8月 趙紫陽が華国峰にかわり総理に就任
* 11月 胡耀邦が共産党主席に選ばれる

1981年
* 民間雑誌、民間組織の取り締まり始まる

1983年
* 春、高行健「バス停」上演、危険視される
* 「精神汚染反対」キャンペーンがピークに

1984年
* 党長老の鎮雲、第三世代育成を明言。「太子党」の始まり

1985年
* 3月 物理学者方励之が民主化運動について大学で講演、反響をよぶ

1986年
* 上海学生運動、北京、成都、西安、蘇州などに広がる

1987年
* 1月 鄧小平一号文書「我々は流血を恐れない」
* 同月、胡耀邦総書記を解任

1988年
* 春頃から物価が高騰、インフレが進行する
* 国営企業の民営化にからみ共産党幹部の腐敗多数

1989年
* 4月 胡耀邦が急死、北京大学で学生デモ勃発。人民日報が「動乱」と決めつける(李鵬の指示)
* 5月 3000人の学生がハンストに入る。趙紫陽らが訪問
* 6月 天安門事件。運動家たちの投獄と逃避行が始まる
* 東欧革命始まる(11月にベルリンの壁崩壊)
by Tomoichi_Sato | 2014-04-12 23:48 | 書評 | Comments(0)

書評:最低限必要なマクロ経済学 野口光宣

最低限必要なマクロ経済学  要点だけで完全理解 野口光宣・著 (Amazon)

工学部出身のわたしが、会社に入って最初にやった仕事は、なぜか経済性分析だった。某電力会社の依頼で、液化天然ガス(LNG)と燃料メタノールの比較に関するフィージビリティ・スタディを、新入社員として手伝ったのだ。プラントの基本計画と費用見積は先輩たちが行い、わたしの仕事はタンク容量の計算と、経済性計算だった。比較ケース数が200以上もあって、そこつなわたしは難儀したが、とにかくこのとき財務諸表の意味と、DCF (Discounted Cash Flow)法の基本を、文字通り身体で覚えたのは、後々まで役に立った。

しかしその後も、経済学それ自体に対しては、縁が遠いままだった。むしろ経済学という学問には、何となく不信感みたいなものを抱いていたと言っていい。プラザ合意後の円高不況、そしてバブル経済の有頂天と、その後の長い不況の時代を過ごして、経済学が本当に社会を指南する羅針盤として役に立つのかという疑問を持ち続けた。

経済学者やエコノミスト達はさかんにメディアに登場して、あれこれと意見を表明しているが、奇妙にお互い矛盾することを言い合う。そこには、論争を解決する明確な方法論が学問として欠けているように感じられた。経済学は一種のモデリングなのだろうが、『実証』のプロセスがないため、議論はほとんどモデラー同士の好みの言い合い、水掛け論のようにも思えた。

とはいいながら、ライン業務を離れて本社企画部門の仕事に就くと、やはり新聞に出てくるような基礎的な用語・概念くらいは分かりたいと思うようになる。モデリングには、それなりの歴史と体系、そしてそれに従った統計値が存在する。元々、システム・モデリングはわたしの専門ではないか、ならば、何ほどのことがあろう--そんな気持ちで、本書を手にとったのである。

本書は、大学初年生むきのテキストとして書かれた。帯の宣伝文句は、「ポイントだけをざっくりと絞り込んだ 超文系向きのテキスト」である。著者は、はしがきの中で、新入生対象のマクロ経済学入門の講義ノートとして工夫して作ったものであり、“中学校程度の数学の知識があれば十分”である、と書いている。数学が苦手なわたし(いや本当です)には、心強いではないか。ちなみに、著者は名城大学経済学部教授だが、米国の大学の数学科で博士号をとった人で、専門はゲーム理論のようである。その人が、中学程度の数学で、国際マクロ経済学の基礎概念までは工夫すれば分かる、といってくれているのである。かつ、教科書らしく計算の例題や章末問題がかなりついている。これならば勉強しやすいだろう。そう、思わせてくれる。

まあ、勉強しやすいかどうかは、もちろん読み手の取り組み度合いと、頭の柔らかさによってくる。とてもよく分かった、とは、言わない。しかし、読んで良かったことは、確かである。

わたし達は、自分のよく知らないことを、なんとなく感覚で議論することが、よくある。というか、社会人なんて、それで綱渡りして生きているような面もある。そうはいっても、たとえば「経済成長」とは何か、正面切って問われて、どれだけの人が答えられるのか。日本のDGP成長率がたとえば年2%足らずでは低すぎる、とか、原発を再稼働させなければもっと成長率が低くなる、とか、いろんな議論がある。いや、経済成長ばかりを目指すこと自体が誤りだ、もっとスローでワークライフ・バランスドな行き方が望ましい、という反対意見、etc, etc..

だが、肝心のDGPが何を測ったものなのか、わたしは本書の第1章を読むまで、よく知らなかった。GDP (Gross Domestic Product=国内総生産)とは、1年間に国内で生みだされた財・サービスの付加価値の合計を市場評価したもの、である。

付加価値とは、生産された財の価値から中間投入された財の価値を差し引いたもので、「おおざっぱに言うと、(売上-原材料費)のこと」(p.2)だ。この式には賃金が入っていないことに注目してほしい。賃金をいくら抑えても、(会社の利益には好都合かもしれないが)付加価値には影響しない。ということは、賃金を下げても、それが直接経済成長を増やすわけではないし、逆に賃上げしても、成長にすぐブレーキがかかるわけではない。

わたし達は、ともすると経済成長というものを、「会社が利益を得ること」「もっとお金持ちになること」と混同して考えやすい。しかし、本書はそうした誤解をきちんと解いてくれる。もちろん、賃金水準は間接的にはGDPに影響を与える(その事は後の章を読むと分かる)。だが、「利益=成長」ではないのだ。

同じように、「生産と無関係な価格の変動による価値の増減はGDPに計上されない。例えば土地や株のキャピタルゲインなど。」(p.2)という記述にも驚く。ということは、わたしが東京の土地転がしでひそかに儲けた10億円や、スイスの銀行に隠して預けている100億円(笑)は、まったく日本のGDPや成長には関係がなかったのだ。まことに残念なことである。とうぜん、東証株価がいくら上昇したって、成長率には無縁である。

さらに、「日本企業の海外支店が生み出した付加価値は日本のGDPには計上されない。」(p.2)とも書いてある。だとしたら、ソニーやトヨタや大手銀行が海外支店でどれほど儲けようと(あるいは損をしようと)、それは一切、日本のGDPにはカウントされないことになる。これら“日の丸企業”の業績と経済成長はイコールではないのだ。

では、GDPは何で決まり、何で動くのか。ごく簡単に言うと、投資が引き金となって、それが国民所得増を生みだし、それが需要を押し上げるため、さらに投資を生むという循環、ポジティブな経済スパイラルが生じるのである。スパイラルの着地点を予測するために、限界消費性向や均衡国民所得、そして乗数効果などの概念が必要になる。乗数効果のおかげで、初期の投資ΔIよりも数倍大きな、経済拡大の結果が得られる。これがマクロ経済学の教えだ。

だから日本経済を拡大してGDP成長率を上げたければ、企業が日本国内に投資すべきだ、ということになる。そして、日本の大企業は現在、じつは過去にないほど高い内部留保を抱えている。このお金を国内で投資して雇用を生みだせば、経済成長がもたらされる、はずである。

しかし現実にどうかというと、むしろ経済メディアなどがあおっているのは海外投資であり、海外への工場移転、あるいはオフショアへのサービス移転である。それによってコスト競争力をつけ、あるいは新興市場の海外支店で設けろ、そうすれば日本企業は復活し繁栄する、とのメッセージを毎日流している。ぜんぜんマクロ経済学の要請と合っていないではないか。メディアの経済ライター達は、初学者のわたしに解らぬ全く別の理路をとおって、記事を書いているようだ。それとも、全然知らずに書いているのか--まさかね。

本書の一つの特徴は、古典派とケインズの論点の違いをいろいろな箇所で並記していることだ。たとえば「古典派は利子率のことを、資金を貸すことによって一定期間の消費を断念することに対する報酬だと考えた。一方、ケインズは利子率のこと、資金を貸すことによって一定期間の流動性を犠牲にすることに対する報酬だと考えた。」(p57)など、面白い視点だ。ケインズ経済学というと、まるで左派の経済学の代名詞みたいに言う人もいるが、ケインズ自身は保守主義者であった。ただ彼は、名目賃金の下方硬直性や、政府の財政政策の役割などの論点で、市場万能主義とは一線を画しているようだ。

本書は国民経済計算の定義からはじまって、最後はマンデル・フレミングモデルをつかった国際マクロ経済学の理解、たとえば「資本移動が完全自由なとき、変動相場制の下では財政政策が無効となる」(p.136)といったところまで一応たどり着く。(この法則など、TPPと公共事業を同時に推進しようとしている人たちなどは、どう解釈しているのだろう?)--たしかに著者のいう“最低限必要な”範囲はカバーされているようである。

最初に書いたとおり、マクロ経済学は一種のモデリングである。経済という複雑なシステムの挙動を、モデルを元に予測し、どのような政策が有効かを考える、一種のシステム工学と言ってもいい。そういうセンスを身につけた人には、それなりに入っていきやすい分野かな、と思わせる良書である。このような優れた本を出版する日本評論社には、感謝とともに、ぜひこの種の本は電子出版してほしいと要望する。数式も多く練習問題も多い。また用語・概念の良きリファレンスでもある。プログラム学習をふくめた電子出版にぴったりではないか。

ともあれ、経済記事の用語が気になるような人には、ぜひ手にとって勉強する価値があるテキストだ。強くお薦めする。




by Tomoichi_Sato | 2014-02-16 18:48 | 書評 | Comments(0)

書評:「137 ~ 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯」 アーサー・I・ミラー

137 - 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯 」 (Amazon.com)


20世紀前半の理論物理学をつくった知的巨人の一人、ヴォルフガング・パウリは57歳のとき、チューリヒ工科大学の講義中に突如病気で倒れる。すい臓がんだった。赤十字病院に入院した彼を見舞った友人に、パウリはたずねる。病室の番号に気づいたか、と。
「137号室だ!」パウリはうめくように言った。「わたしがここから生きて外に出ることは絶対にない。」(p.424)

137という数字は、「微細構造定数」(現代物理学に現れる主要な定数のひとつ)の逆数である。もし神なる主からどんな質問をしてもいいと言われたら、まっさきに聞いてみたいのは「なぜ 1/137 なのか?」だとパウリは述べたことがある。微細構造定数は、電子の電荷、真空中の光速、プランク定数の三つから導かれる無次元数で、パウリの師マックス・ボルンいわく「物質一般の構造にもっとも重要な影響を及ぼしている」定数だ。それがなぜ、素数137の逆数なのか。そこには何か必然性があるのではないか。彼はおりにふれてこの問題に立ち返ったが、死ぬまで解明する事はできなかった。

本書は副題『物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯』にもあるとおり、理論物理学者パウリの一風変わった評伝である。著者アーサー・I・ミラーはロンドン・ユニバーシティ・カレッジの教授で科学史家だが、多くの公開資料や論文のみならず私信などまで広範囲に調査し、この風変わりで魅力的な科学者の肖像を、陰影と奥行きのある立体像として描くことに成功している。

それにしてもW・パウリほど独特な個性と不思議な魅力をもつ物理学者は少ない。彼は“物理学の良心”とよばれることもあったが、未熟な理論に対する容赦なき批判の態度も有名だった。。他人の理論発表を聞くとたちどころにその弱点を見いだし、しかも他の学者のように紳士然とおとなしく聞いていない。しだいに体を左右に揺らし首を強く振って、「完全な間違いだ」あるいは「これじゃ間違いにさえなっていない!」と言い放つのである。若き日のファインマンも、自分の発表するセミナーにパウリとアインシュタインが臨席した時は、表紙をめくる手が震えたと書いている(「ご冗談でしょう、ファインマンさん」)。実際、その時発表した理論は、パウリの予言通り、完成することはなかった。

わたしがパウリという人に強い印象をうけたのは、G・ガモフとM・デルブリックがボーア研究所の余興のために書いた劇「ファウスト」においてだった(「現代の物理学―量子論物語」所収)。この劇は、天の神様が御大ニールス・ボーア、悩める主人公ファウストに晦渋な統計物理学者エーレンフェスト、そしてメフィスト役がパウリ、という絶妙の配役だった。パウリは原子崩壊の矛盾に悩むエーレンフェストに対し、質量も電荷も持たぬ中性微子“グレートヒェン”をつかわして理論を修正するよう誘惑するのである。

中性微子(ニュートリノ)の発見は、排他原理やCPT対称定理とならんで、パウリの主要な業績の一つだった。しかし同時代の物理学会で最も有名だったのは「パウリ効果」だ。物理学者はふつう、理論家と実験家に分かれるが、理論家がへたに実験器具に手を出すと、壊してしまうのがつねだった。ところでパウリはあまりに優秀な理論家だったため、彼が実験室に一歩入っただけで何か機械が壊れたという。それどころか、ある時ゲッティンゲン大学の高価な実験設備が神秘的な壊れ方をしてしまったことがあるが、担当教授がパウリに連絡したところ、ちょうど彼の列車がゲッティンゲン駅に停車中だったという。

この「パウリ効果」を彼自身、なかば自慢にしていたが、冒頭の病床の発言にも見られるとおり、彼は単純な合理主義者ではなかった。パウリはキリスト教徒に改宗したユダヤ人の家庭に生まれる。エルンスト・マッハを代父としカトリックの洗礼を受けて育つが、黒髪黒目の外見は、当時のドイツ文化からみると、いかにもユダヤ人風だった。優秀な学者として世に出たものの、若い頃はかなり放埓な生活を送る。そして不幸な最初の結婚の果てに、離婚する。深刻な心理的危機に陥った彼が出会ったのが、チューリッヒの精神科医C・G・ユングであった。

本書はこのユングの人となりについても、かなり詳しく書いている。ユングもまた20世紀前半の知的巨人の一人だったが、西洋的な科学の枠組みを乗り越えて、心と魂の問題を探求した人だ。したがって科学(唯物論的科学主義)の側からは、強い批判をつねに浴びてきた。伝統的キリスト教の枠組みもある意味踏み越えた、異端の思想家である。しかし彼は職業的学者ではなく、徹頭徹尾、臨床家であり、そこからつねに人間心理への洞察を汲み上げていた。パウリの治療、その後の交友関係も、そうした文脈の一つでとらえねばならない。

わたしが本書で一番驚いたのは、パウリの症例をユングが「心理学と錬金術」に書いていたことだ。浩瀚な「心理学と錬金術」はユングの主著の一つで、それまで古い迷信として忘れられてきた錬金術に,まったく新しい方角から光を当て、人間の心の変容との平行関係を考察した著作だ。その中に、ある男性の心の治癒と夢の変化が詳しく記録され、最後に「黄金の宇宙時計」という、元型をあらわす象徴的な夢が現れる(これは本書にも詳しく紹介されている)。ユングはこの症例を『個性化』(individualization)、すなわち人間の心の治癒と心理的再統合の典型例とするのだが、じつはこの男性とはパウリだったのだ。

パウリが探求していたのは、物理だけではない。彼は自然哲学を、あるいはこの世界の成り立ちの根本原因を追い求めていたに違いない。物理学は世界の成り立ち(How)については記述できるが、ただ一度の自分の人生が世界の中でどのような意味をもつのか(Why)は全く答えてくれない。パウリにとっては、どちらも真剣な問題であり、それを物理的現象と心理的現象の相補性に求めた。それは彼自身の生い立ちから来る、矛盾した性格の二面性を解決しようという試みだったのだろう。本書はそのあたりの事情をきわめて魅力たっぷりに描いている。阪本芳久氏の翻訳も労作である。

西洋の科学は、「宇宙の構造の背後には目に見えない知的秩序があるはずだ」「宇宙は原因と結果の時間的因果律のみで動かされているはずだ」という、ある意味、一風変わった信念の元に発展してきた。だが、それでは偶然性に突き動かされる人間の感情面は説明できない。それをユングは「出来事と出来事のつながりはタテ〔時間〕方向だけでなく、横方向にも延びている -- ある瞬間に世界中で生じるあらゆる出来事は、巨大なネットワークのようなもののなかで互いにつながっている」(p.298)と解釈しようとした。有名な「共時性」の概念である。そしてパウリ効果は、まさに共時性の最たるものではないか! こうして、パウリの探求はユングの研究と共振していくのである。

パウリは戦時中アメリカに身を寄せるが、マンハッタン計画には参加しなかった。「彼が見抜いていたように、アメリカでは科学は軍の一部門同然になりつつあった」(p.280)。そして戦後、またスイスに帰る。晩年はハイゼンベルクと共同で「世界方程式」を探るが、最後の瞬間に決別し、そして病に倒れるのである。57歳であった。

最後に本書から、パウリの死後の物語を引用しておこう。天国に旅たった彼は、ようやく神なる主とまみえることができ、「なぜ 1/137なのですか?」とたずねた。神はうなずいて、「説明してあげよう」といい、黒板に複雑な数式を書き始める。大喜びでそれを目で追い始めるパウリだが、やがてしだいに頭を左右に激しく振り始めて・・・


by Tomoichi_Sato | 2014-01-23 23:33 | 書評 | Comments(0)

書評:それでも、日本人は『戦争』を選んだ 加藤陽子

「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」 加藤陽子・著 (Amazon.com)


前回書評で取り上げた「ハーバード白熱日本史教室」は、女性の歴史学者による講義の話。今回の本書も、女性歴史家による講義録。だが内容は、ずいぶん違う。先の著者は米国で活躍中の新進の研究者だったが、他方、こちらは東大の教授である。歴史研究に対する姿勢も、方やマクロな印象主義に対して、こちらはミクロな史料を地道に追いかけ分析する伝統的スタイル。こう書くといかに渋そうな内容に聞こえよう。だが、面白さの点でいえば、良い勝負、いや、むしろこちらに軍配が上がる。とにかく、一読、巻を置く能わず、というくらい面白いのだ。

タイトルだけ見ると、なんだか左翼歴史家の反戦史観による糾弾の書、みたいな印象を受けるかもしれない。しかし、それはまったくの誤解である。本書は、戦略思考に関する本なのだ。それも、国家戦略を考える練習帳である。著者は、講義の聴講生(すなわち読者)にむかって、「これこれのシチュエーションにある時、列強は当該国に、どういう要求を出してくるでしょうか?」「帝国主義の時代において、戦争の最大の『効用』は一般に何だったでしょうか?」といった質問を次々に繰り出してくる。あれか? これか? 自分でも思案しながら読み進むと、事実や数字を背景に、意外な答えが解説される。そういう面白さに満ちた本である。だから、ストラテジーというものに関心を持つビジネスマンは、みな本書を手にして、考えながら読むべきである。非常にためになるだろう。

ちなみに本書は2007年の年末から正月にかけて、5日間にわたり行われた中高校生向けの講義録である。受講生は、神奈川の私立・栄光学園の歴史クラブのメンバー。しかし講義は決して程度を落としたものではないし、生徒達もちゃんとついていくばかりか、ときには著者の質問にはっしと切り結んだりするから立派なものである。

たとえば、著者は米国の歴史家A・メイの『歴史の誤用』(過去の歴史から間違った教訓を学ぶこと)の例として、アメリカがベトナム戦争に深入りしていく経緯をとりあげ、「どのような歴史の教訓がアメリカを縛ったのか」と問う(p.76)。それに対して、一人の生徒の答えは「赤狩りとかがあって、共産主義に対する恐怖心が植え付けられて強硬にならざるを得なかった」と推論する。なかなか鋭い視点である。米国がインドシナに深入りを始める'50年代前半が、マッカーシズムの時代だったことを的確に見ている。大人でも、両者のつながりが見えていない人は多いだろう。

ところが、これに対する著者の答えは、「アメリカにとっての『中国の喪失』の体験です」という、意外なものだ。第二次大戦は、米国が蒋介石の中国と同盟して日本に勝った戦争だ。ところがその後4年間の中国の内戦を、アメリカは手を出せずに過ごし、結局は共産化してしまった。巨大な潜在的市場を失ったのである。「この中国喪失の体験により、アメリカ人の中に非常に大きなトラウマが生まれました。戦争の最後の部分で、内戦がその国を支配しそうになったとき、あくまで介入して、自らの望む体制を作り上げなければならない、このような教訓が導き出されました」(p.78)。--これはA・メイの解釈を著者が紹介している箇所だが、現代に至るまで、じつにアメリカの戦略と行動を見事に規定しているではないか。

むろん、この本の主軸は日本の近代史、それも戦争をめぐる近代史である。したがって第1章は日清戦争から始まる。19世紀末、中国(清)と日本は東アジアの両国関係のリーダーシップを争っていた。軍事的紛争は、その一局面であるという立場を著者はとる。だから今日いわれるような「侵略・被侵略の物語では、返って見えにくくなるもの」が歴史にはある(p.84)と著者は主張する。李鴻章の改革により急速に近代化する中国の軍隊。これをみて危機感を募らせた山県有朋に対し、ウィーンのフォン・シュタイン教授がアドバイスをする。彼は、主権の及ぶ国土の範囲である「主権線」と、国土の存亡に関わる外国の状態を「利益線」とを区別すべき事を教える。その上で、ロシアの南下の動きも合わせ見て、朝鮮半島を中立に置くことが日本の利益線になる、と諭すのである。

もちろん、そう簡単にはいかない。清は朝鮮を華夷秩序の版図の内に見ているから、結局は日清戦争が起こる。結果は日本が勝ち、国家予算の3倍もの賠償金を手に入れるのだが、外交の失敗により三国干渉で遼東半島の支配権を失う。「その結果おこった国内政治の最大の変化は何か?」という問いも面白い。それは、日本の民意の高まりである。国政に、普通選挙を通じてもっと民意を反映させたい、という運動なのだった。

日露戦争もまた、朝鮮半島の支配権をめぐる戦争であった。そして第一次大戦。欧州列強たちの活動の空白を狙って、日本はドイツが得ていた山東半島の実効利権を獲得しようと動き、さらに「二十一箇条の要求」を出す。これが世界に与えた影響は、実は甚大だった。中国では初めて自発的な国民運動が起き、日本は世界外交で綱渡りを強いられることになる。そうして日本は、満州事変から日中戦争へと泥沼に足を踏み入れていくのである。こうした流れを、著者はいろいろな問いを立てながら導いていく。

「(日露戦争前の)ロシアは、日本が韓国問題のために戦争に訴えてでも戦うつもりであったことに、なぜ気づかなかったのでしょうか?」(p.170)
「日露戦争後に、日本国内では国会や地方議会に出てくる人の質が変わった。どう変化したのでしょうか?」(p.184)
「列強がヨーロッパでの第一次大戦で手一杯のときに、この戦争を機会にめざされた,島国としての安全保障上の利益は何でしょうか?」(p.196)
「イギリスはなぜ、日本が日英同盟の名によって大戦に参戦するのをよろこばなかったのでしょうか?」(p.216)

こうした問いの連鎖は、最終的に、「日本はなぜ、圧倒的に国力に差があるアメリカと戦争に踏み切ったのか?」「日本軍は戦争をどんなふうに終わらせようと考えていたのか?」「なぜ、緒戦の戦勝に賭けようとしたのか?」という、本の表題の発問につながっていく。

最初に書いたように、著者はけっして反戦史観の歴史家ではない(もちろん、好戦的史学者でもないが)。ついでにいうと、著者が好む歴史的人物は、たとえば松岡洋右(満州国問題で日本が国際連盟を脱退したときの外交団長)や、中国の外交官であった胡適(日本との戦争に最終的に勝つためには、中国が最初の2,3年は負け続けて多くを失う必要がある、という捨て身の戦略論を唱えた)である。さらに、石原莞爾(満州事変の首謀者)あたりにも好意的に感じられる。いずれも、非常に知的であり、かつ大胆な行動をとり、エリートだが非主流派的な人物だ。頭が良くて、男らしい男。いかにも、東大の女性が好きそうな好みではないか。

それはともあれ、本書の冒頭には、18世紀のルソーが早くも喝破していた、「戦争とは、相手国の憲法を書きかえるもの」であるというテーゼが紹介されている。相手国の支配原理を転換させること。これがために、国家はどのように考えどのように準備するのか、またどのような錯誤がそれをおかしな方向にむかわせるのか。これが著者の研究テーマである。

そうした国家戦略の問いに対して、優秀な高校生達が十分に議論を交わせることに、わたし達は新鮮な驚きを感じる。頼もしい、と思う人もいよう。

しかし、本当にそれだけでいいのだろうか?という疑問が、読んでいて頭をかすめたのも事実だ。たとえば、長い人生経験を通じて得られた人間性への洞察、あるいは個人の意思と運命的な世の動きとの相克に対する感情的共感、そして複雑な人間集団の中でぎりぎり求められるモラル--こうした理解や知恵は、国家戦略の分析には不要なのだろうか。企業の小さな組織でさえ、しばしば利害だけでなく人々の情念に動かされる。国家のような大きな問いに向かうとき、本当は単なる『頭の良さ』だけでなく、成熟した『賢さ』こそが、一番求められるのではないだろうか。

第二次大戦における日本の最大の不幸は、一部の『頭の良い』人たちが中央に残った代わりに、市井にいた大勢の『賢い』人たちを失ったことにある。そのことに、本書はなぜか十分な注意が向いていないように思われる。本書は非常に面白い。だが、その面白さは、良くできた棋譜の解説に似ている。だから、読み終わってしばらくたつと、中に何が書かれていたか,また読み返さないと思い出せなくなるのである。
by Tomoichi_Sato | 2013-09-01 23:58 | 書評 | Comments(2)

書評:ハーバード白熱日本史教室 北川智子

ハーバード白熱日本史教室 (新潮新書) →Amazon

世の中には優秀な人がいるんだなあ、と、まず感じた。著者は1980年生まれ。高校を出てすぐカナダに単身渡り、ブリティッシュ・コロンビア大学を3年で卒業。それも数学と生物学のDouble major(二重専攻)で両方の卒論を書き、国際関係を副専攻する。3年生の時にハーバードのサマースクールで日本史を受講。その後、日本史専攻に転じて2年でカナダで修士を取り、博士課程はプリンストン大学に入学。しかも、「単位数を無茶苦茶なスピードで積み上げ」(p.26)、入学からわずか1年と1ヶ月でジェネラルズと呼ばれる前期試験に合格する(普通は最短でも2年)。

その後、1年間は日本に戻り、東大の史料編纂所に研究生として通いながら史料を読みあさり、3年目は米国に戻って論文を書き上げ、なんと3年以内で博士号をとってしまう。そして、ハーバード大学のカレッジ・フェローの職に就く。歴史学の世界では、短くて5年、普通で7年は学位取得にかかるのが常識だから、驚くほど早いスピードでプロの研究者になったわけだ。

しかも学生の時にはアイスホッケーのチームにも所属し、かつピアノも趣味で、ハーバードでは1日に2時間は練習するというのだから、この人はいったいいつ寝ているのだろう?と不思議に思えてくる。たぶん、いったん読んだ本は決して忘れず、いったん学んだことはすべて頭に残り、かつ、一度あった人は全員覚えている、というふうな頭の構造をしているのではないか。そう思えてならない。まことに何というか、うらやましい限りである。

その著者が、ハーバード大学のごく弱小学部である東アジア学部で開講した日本史の授業「Lady Samurai」が人気を集め、初年度は16人だったのが、2年目は104人、そして3年目は251人もの学生を集めることになった。教室も当然、毎年、大きなホールに移っていく。ハーバードで日本史を学びたいという人も、彼女が来るまではほとんど途絶えそうだったのに、どんどん増えていく。ハーバード大の「ティーチング・アワード」を受賞し、「思い出に残る教授」にも選出され、「ベスト・ドレッサー賞」まで受賞する。まことに驚嘆すべき活躍ぶりである。写真を見ても分かる通り、ガチガチの才女タイプではなく、にこやかな笑みが特徴の、若く魅力的な女性だ。

では、彼女が論文のテーマにした"Lady Samurai"とはどんな概念なのか。女性のサムライ--それは別に、薙刀を振り回す巴御前のような女性のことではない。たとえば、秀吉の正妻であった北政所ねい(ねね)を例にあげて、彼女は説明する。秀吉自身の手紙や、周囲の記録を丹念に読んでいくと、「ねねの方」が秀吉とペアを組んで、二人三脚、城下町を統治する姿が浮かび上がってくる。秀吉も要所要所でねねに意見を聞き、アドバイスを受け入れる。また、彼女のようなサムライの妻たちも、社会で武士に準ずる身分上の扱いを受ける。

むろん、当時は男尊女卑の社会ではあったが、それでも夫婦が共同で統治し事業を行なっていく姿を、著者は「ペア・ルーラー(夫婦統治者)」として位置づけ、奥方をLady Samuraiと呼ぶのである。(読んでいて、なんとなくほぼ同時代のスペイン王と女王の夫妻Reyes Catolicosを思い出した)

ペア・ルーラーの概念がこの著者の創意かどうかは知らないが、日本史の中でその存在を実証したところが研究のユニークな点である。しかし講義の人気は研究内容ばかりではなく、独創的な教え方によるところが大きい。「アクティブ・ラーニング」と呼ぶ、地図づくり、ラジオ番組作り、そしてグループでの映画(PCビデオ)作りなどの五感をフル活用した教育法が、学生達を虜にしたのである。

著者は自分の目指す学風を「印象派歴史学」と名付けている。印象派の絵のように、細部よりも全体像にこだわる歴史学である。それを通じて、日本とは何か、という「大きな物語」としての歴史記述を構築したいという。その意気やよし、であろう。

確かに、現代日本は「大きな物語」、一般化された歴史叙述を失ってしまっている、との主張(p181)はその通りと思う。日本の国家としての物語・自画像は、第二次大戦の敗戦と共に、バブルのごとく潰えた。それ以降、大きな物語の不在は、我々日本人の知的背骨を弱くしている。

ただ、本書を読んでわたしは少しだけ懸念も感じた。著者は優秀な若手研究者である。すでに日本のメディアから取材や講演の依頼が殺到していることだろう。学会講演だってするかもしれない。そして皆、一応拍手喝采するだろう。

だが、歴史学という仕事は、大ざっぱな印象で物語を作り上げることではない、古文書に紙魚のごとくへばりつき、細かな事跡を一つずつ詰めて行く地味な仕事だ、と信じる人も大勢いるはずだ。彼らは内心、何を考えるだろうか。北米で教育を受けた著者の、第二の天性とも言えるポジティブ思考と、物怖じしない表現についていけるだろうか? 個別性の世界にこだわる人々から見れば、彼女の論理はつっこみどころ満載である。本来は学問的に冷静に検討すべき議論が、他の感情にかき乱されないだろうか?

教育はいい。大学の講義は、学生アンケートによる評価システムで数値化され、競争の優劣も明白になる。しかし研究は、優劣を簡単に決め難い世界だ。その業界に、著者はこれから身をおく。彼女の優れた才能と溢れるばかりの意欲が、邪魔されずに育ってくれるといいのだが。
by Tomoichi_Sato | 2013-06-27 23:02 | 書評 | Comments(0)

書評:世界の経営学者はいま何を考えているのか 入山章栄

世界の経営学者はいま何を考えているのか――知られざるビジネスの知のフロンティア


「ドラッカーなんて誰も読まない!?
 ポーターはもう通用しない!?」

--これが本書の帯の宣伝文句だ。著者の入山氏はニューヨーク州立大学バッファロー校(ビジネススクール)の助教。2008年にピッツバーグ大学でPhD(博士号)をとったばかりの、新進気鋭の経営学者である。

ドラッカーなんて米国の経営学では完全に過去の人だ、というと、日本ではやはり驚く人が多いのだろうか。最近もドラッカーに女子高生をかけあわせた本がベストセラーになったばかりだし、彼の本は古くから広く読まれ、「ドラッカー学会」まであるくらいだ。(ドラッカー自身も日本が好きだった)

もちろん、ドラッカーがマネジメント研究の先駆者であることは確かである。しかし、ドラッカーはウィーン出身の人だけに、発想の根本が非常に『中欧的』である。たとえば「企業は基本的に社会のものである」という彼のテーゼは、“企業は株主の所有物だろ”との考えが主流の現代アメリカのビジネス文化とは、(その当否は別としても)かなりかけ離れてしまっている。

ポーターについて言えば、彼の「競争優位戦略」論は元々、ミクロ経済学を逆手にとった発想であった。効率的な完全競争市場では、誰も度はずれに大きな利益は手にできない。だから、すぐれたポジショニングによって不完全な競争状態をつくる(=ムダな競争を避ける)ことが、持続的な優位を得る戦略である。そう、ポーターは主張した。'80年代前半のことである。

ところが本書によれば、'90年代後半から現れた大規模な実証研究により、企業が10年以上続けて同業者より高い業績を上げるケースは、全産業で2-5%にとどまり、かつ優位性を維持できる期間が短くなっていることが分かってきた。さらに、より多く競争行動を行う企業の方が、シェアや総資産利益率が上昇するとの発見も出てきた。だから、ポーターの競争優位戦略「だけ」では、競争戦略を説明できないようである。なるほど、たしかに面白い。

この例のように、現在のアメリカの経営学は、理論に加えて、統計を多用した実証を重んじる。これは経営学が「科学」science を目指しているためで、西洋人の科学志向に立脚している。だから著者の入山氏は導入部第2章で、「経営学は居酒屋トークと何が違うのか」という、根源的な問いを立てる。居酒屋でSONYやパナソニックと韓国の電子メーカーを比べて、まるでサッカー試合の批評のようなことを論じるのと、経営学研究とは、どこが違うのか?

答えは、“実証可能性”である。言葉を並べただけの感覚的な一般論と、データで検証可能な理論は、厳然と区別されなければならない。それが学問的訓練というものだ。そして著者は、そうした訓練をきちんと受けて身につけている。おまけにとても明晰で論理的ある。頭の良い人の文章を読んでいると、読んでいる自分まで頭が良くなったような気がする--この人の文章は、そんな徳をそなえている。

本書には、他にも学べる点が非常に多い。たとえば『トランザクティブ・メモリー』の概念を、わたしは初めて知った。「組織の記憶力に重要なことは、組織全体が何を覚えているかではなく、組織の各メンバーが他のメンバーの“誰が何を知っているか”を知っておくことである、というものなのです。」(p.90)--つまり、組織のメモリーとは、メタ・メモリーの形にしておく方が効率がいいらしい。

あるいは、ウォルマートの販売予測戦略である。「ウォルマートは郊外を中心に出店を進めて他社との競争避けていました。さらに"Everyday low prices"の印象を消費者に与えることで広告費を抑え、販促活動を減らして売り上げ変動を減らし」た。でも、それだけではない。「その結果ITシステムを使っての販売予測をより正確にする効果もありました」(p.121)。さすがである。くやしいくらい頭が良い経営だ。

日本と国民性が1番近いのはポーランドだ、という発見もあった。「ホフステッドは(多国籍企業IBMの従業員11万人の分析を通じて)国民性という概念が4つの次元からなることを明らかにしました」(p190)。その4つとは、

(1) 個人主義か集団主義かを表す指標
(2) 権力に不平等があることを受け入れているかという指標
(3) 不確実性を避けがちな傾向があるかという指標
(4) 競争や自己主張を重んじる「男らしさ」で特徴づけられるかという指標

である。その結果、国民性の近さを数値的に計算できるようになったのだが、著者の計算によると「日本と国民性がいちばん近いのはハンガリーとポーランドです。東ヨーロッパのニカ国が日本と近い国民性を持っている、というのはなかなか面白い結果と言えます」(p.194)。なんとなく半信半疑に思えるが、データがすべて公開されているから、きちんと議論が成り立つ。これが居酒屋風感覚論との相違である。

とはいえ、現代の最先端の経営学が、キレイな理論構築とその統計的実証にあまりにも傾きすぎている問題点も、著者は指摘している。それは、主流のアカデミック・ジャーナルへの発表論文数で競争し続ける、経営学者たちの陥るバイアスである。理論的根拠が不明だが、実務上は意味のある統計や、個別のケースに深く入り込んだ事例研究が、評価されにくい。本来、実学であるべき経営学が、あまりに強い科学志向のために歪んでいるのだ。

もう一つ、問題がある。著者は、企業をその保有する資源の観点で分析評価するResource-based viewについて、J・バーニーの有名なテーゼを紹介する:
「(1) 企業の経営資源に価値(value)がありそれが希少なとき、その企業は競争優位を獲得する。
 (2) そのリソースが、他社には模倣不可能で、またそれを代替するようなものがないとき、その企業は持続的な競争有用獲得する。」 (p.291)

この文章、読んですぐおかしいと思わないだろうか? 競争優位は、たしかに継続的な利益やシェアなどの指標で測ることができる。しかし、経営資源の『価値』とは、どういう意味なのか。それが稀少だったら、その価値は誰がどう決めるのか。

ここで問題となっている資源とは、労働市場で一山いくらで買える我々エンジニア(笑)や工場労働者たちのことではない。組織の中に知識や技術とともに蓄積体現されている、能力や商権のことだ。それは滅多に売りに出されない(だって稀少だから)。たとえば「モナ・リザ」や「ゲルニカ」は貴重で価値が高い絵画だが、もはや値段などつけられないし、つける意味もない。ピラミッドその他の世界遺産だって同じだ。稀少なものほど、価値は市場価格から別次元のものになっていく。

それなのに、著者を含む大多数の経営学者たちはバーニーの命題を支持し、あまつさえビジネススクールで教えもした。そして2001年のプリムらによる、「バーニーの命題は実は何も言っておらず、同義反復にひとしい」との批判で、はじめて問題点に気がついたらしい。だとしたら、経営学は「価値」Valueという言葉を、論証不要な自明な概念と信じていたことになる。ちょうどマッキンゼーのコンサルタントが、二言目には呪文のように「バリューを出す」とつぶやくのと同じで、価値が「お金」や「成果」にあまりにも近すぎるため、その概念を掘り下げるのを忘れていたらしい。

誰もがその概念をよく知っていると信じている、しかしそれを正確に説明しろと言われるとできなくなる--社会構築論Social Constructivismの立場の研究者なら、“それは実体概念ではなく、社会的な必要が作り上げた幻想ではないか”と疑うだろう。ちょうど「リーダーシップ」などと同じように(「リーダーシップを浪費する組織」に書いたマインドルの研究を参照のこと)。そうした観点からいうと、現代アメリカの経営学は、ちょっとだけナイーブに過ぎるように思われる。

そもそも、本書のタイトルは「世界の経営学者は」となっているが、実際に紹介されているのはほとんどがアメリカでの研究の話題だ。たしかにアメリカが世界の経営学をリードしていることは、紛れもない事実だろう。だが、アメリカだけが世界ではない。欧州にもそれなりにマネジメント研究が存在し、しかも各国別に個性があるのだ。(もちろん、著者もそんなことは承知で、しかし出版社がタイトルを決めた可能性はある)

とはいえ、論文の出典もすべて正確に記載し、かつ非常に広範な文献雑誌をカバーしたレビューになっている点は、とても立派である。文章も、とてもわかりやすい。学術的内容にもかかわらず「ですます調」で書いていることも美点の一つだ。初心者向けのためかリアル・オプションや複雑性について短絡的な記述が目につく所はあるが、全体としてこうした本は、これまでほとんど我が国ではなかったように思う。

部外者であるわたしの勝手な印象論でいくと、日本の経営学は、昔はもっぱら欧米の学問の輸入代理業者だった。しかし、その輸入は'80年代の「日本型経営」礼賛時代に入ると、急速に減ってしまったらしい(しかもその「日本型経営」たるや、企業の現場から生まれてきたもので、日本の経営学が指導して生み出したものではなかった点が皮肉だ)。その後の長引く不況で、大学の経営学の威信は傷ついた。自説を海外に積極的に輸出している学者も、いないわけではないが多くはなさそうだ。つまり、残念ながら日本の経営学はひどく内向きになっているように見える。

そのような内向きスタンスを破るためにも、また現代の経営問題に対し、知的にラディカルにタックルするためにも、著者のような高いレベルの仕事がもっと増えることを期待する。経営論に興味のある読者に、強くお薦めする。
by Tomoichi_Sato | 2013-06-09 16:38 | 書評 | Comments(1)

書評: 「採用基準」 伊賀泰代

採用基準 地頭より論理的思考力より大切なもの

「マッキンゼーの採用マネジャーを12年務めた著者が初めて語る - 地頭より論理的思考力より大切なもの」が表紙の惹句である。これだけで、出版社がどのような読者層に何をアピールしようとしているか、よく分かる。『マッキンゼー』という、外資系コンサルの中でも最高級のブランドにあこがれ、その採用の基準を知ってみたいと感じる読者がターゲットであろう。

ところで、実際に読んでみると、採用基準に関する話題はこの本のボリュームの4割程度で、あとの6割は『リーダーシップ』に関する説明である。著者も、もっぱらこちらを訴えたかったにちがいない。日本ではリーダーシップの概念がうまく理解されていない、と繰り返し著者は書く。しかしマッキンゼーが採用にあたって最も重視するのは、地頭の良さでも論理的思考力でもなく、「将来、グローバルリーダーとして活躍できるポテンシャルである」(p.34)という。

では、そのリーダーシップとは何か。ごく一部の人間だけでなく、組織の構成員全員に求められるリーダーシップとは、どのようなものなのか。

著者は、事故で電車が止まったとき駅のタクシー乗り場にできる、長い行列の例で説明する。「海外ではこういう場合、必ず誰かが相乗りを誘い始めます。」(p.198) これがリーダーシップの発揮なのである。しかし日本人はもくもくと列に並び、一人ずつタクシーに乗っていく。誰かに指示されれば、たぶん素直に相乗りを始めるだろう。ただ、そういう役割を自分でやろう、という気が全く無いのがこの国の人の特徴だ、と指摘する。

マッキンゼーでは、「全員がリーダーシップを発揮して問題解決を進める」(p.75)前提で仕事が進む。「全員がリーダーシップをもっているチームでは、議論の段階では全メンバーが『自分がリーダーの立場であったら』という前提で、『私ならばこういう決断をする』というスタンスで意見を述べます」(p.128)- だからこそ、高いパフォーマンスをもった組織が生まれる、という。なんとなれば、「わたし達が職場でしばしば目にする、リーダーに対する建設的でない批判の大半は、『成果にコミットしていない人たち』によって」なされるからである。

ちなみに、著者によれば、「実はリーダーシップと常にセットで考える必要があるのが『成果主義』なのです」「成果主義とは、『努力でもプロセスでもなく、結果を問う』という考えであり、成果主義を原則とする環境でなければ、リーダーシップは必要とされません。」(p.87)という。これは、通常の日本企業の成果主義よりもはるかに厳しい要請である。

では、リーダーとは具体的にどのようなアクションをとる人なのか。著者は「目標を掲げる」「先頭を走る」「決める」「伝える」という4点をあげ、さらにマッキンゼーでそれをどのように育てていくかを語る。リーダーシップは生まれつきの資質ではなく、学んで向上させることができる技量である、という強い信念があるようだ。

著者のいうリーダーシップを、読者として自分なりに言いかえてみると、すなわち、目的志向で、目標達成に主体的にコミットし、問題を解決するために自らチャレンジし、また人を動かしていく態度と能力のことだろう、と想像する。それは確かに、とても大切な技量だ。それは、その反対の条件を考えてみると、よく分かる。

主体性  ←→ 指示待ち
目的志向 ←→ 形式(手続き)主義
影響力  ←→ 従順、無批判、付和雷同
チャレンジ精神 ←→ 事なかれ主義

でも、考えてみると、左側の条件を満たす人材は、日本のどこの会社だって求めているのではないだろうか。「ウチは従順で事なかれ主義の、指示待ち人間だけを採用するから」などと公言する経営者はいるまい。

それならば、日本にはなぜ、リーダーシップを持つ人の総量が足りないのか。著者は、今の日本の問題は「カリスマリーダーの不在ではなく、リーダーシップを発揮できる人数の少なさにある」(p.180)とする。そして、その理由を、日本企業の中央集権型ガバナンスで説明する。「中央集権体制とは、求められるリーダーシップ・キャパシティがきわめて少ない、上意下達を旨とする体制なのです」「日本でそういった体制が長く続いてきたひとつの理由は、経済が発展途上期であったということです。中央集権型のシステムは、ニーズが画一的な世界に向いています」(p.209)

だが、そのような体制が、逆に飽和市場社会となった日本を苦境に追い込んだ。だから現在の日本を救うには、もっともっと多くの人が、リーダーシップを身につける必要があり、そのために企業も公教育も仕組みをととのえるべきだ、というのが主張である。

本書の主張は非常に明確で、かつ具体例も多く、面白い。著者のいうリーダーシップというものも、身につけられればとても素晴らしい、と読んでいて率直に感じた。しかし、この後は少しだけ批判を述べさせていただく。

まず、このような「全員がリーダーシップを発揮する」仕事の組織は、経営コンサルティングという業態に一番マッチしていることを、指摘しておきたい。経営コンサルタントの仕事は普通、クライアントの依頼をうけて、特定の課題解決のための調査と提案を行う、個別性の高い業務だ。リーダーの元、何人かのコンサルタントがチームを組んで行う。チーム内は各人の得意分野に応じて、緩やかな分業で仕事が進む。階層はフラットで、知的で創造的な仕事ぶりがむしろ求められる。チームの総人数が1ダースを超えるような大規模な仕事は、あまり多くない。仕事のスパンも数ヶ月単位が多い。すなわち、すぐに成果(売上や顧客の評価)が得られる業態なのである。

逆に、非常に大規模な人数の組織が必要で、結果として階層的な指示系統が必須で、かつ軍隊的な規律が必要とされ、全体の成果が出るまで何年もかかる種類の仕事というのも、世の中には存在する。そうした組織で、末端が皆、独自の考えと主張をもち、指示された内容も自主的に自由に選択して動かれたら、メリットよりデメリットの方が大きくなりそうだ。「自分がリーダーだったらこう決断する」、という表明も、必要な情報の全体像が得られない下位ポジションの人間が主張したら、独りよがりで滑稽なだけである。

日本企業の苦境が、リーダーシップの総量の不足によるものだ、という説明も、本当だろうか、と疑問を持つ。というのも、米国の大企業でも、社員が事なかれで形式主義で、上の顔ばかり見ている組織を知っているからである。リーダーシップを持ち優秀な人間は、ほんの一握りしかいない。それでも、非常に大きな利益をあげている。ビジネスモデルのおかげか、政治的権益のおかげか、それとも一部の優秀な人間のおかげか、判断は微妙である。

また逆に、1970年代後半から80年代にかけては、日本企業が光り輝いて見え、逆に米国企業は利益と自信を失っていた時期だった。だから、まさにこの時期、マッキンゼーに代表される経営コンサルティング業界が米国で成長したのであった。では、あのときは、米国のリーダーシップの総量が少なく、日本には沢山あったのだろうか? そうでもあるまい。だとしたら、リーダーシップと組織の成果(業績)は、必ずしも一致しないことがあるように思われる。

とはいえ本書は、示唆するところも多い。社会福祉の仕組みについて、人々がリーダーシップを発揮してともに助け合うような世の中の方が、結局は経済的だという主張は賛同できる。「共助システムが増えれば増えるほど、公助への負担は少なくなります。反対に、リーダーシップの総量が不足する国では、何もかもお金と公的な制度で解決せざるを得なくなり、とめどなく予算が必要となります」(p.187)

コンサルタントに必要な頭の良さとは、分析力よりも、問題解決案を考える能力だというのも、重要な指摘だ。とくに、著者が『知的体力』と呼ぶ、(正解のない問題を)何時間でも何日でも考え続ける能力は、ほとんどの人が見落としている、大事なポイントだと思う。ほんの数時間のケース面接でふらふらになってしまうような知的体力の乏しい応募者では、先々こまるのだ。そうした若者は、いつも正解のある問題ばかりに取り組み、記憶のストックの中から正解を探し続けてきたのだろう。わたし達に必要なのは、著者のいうリーダーシップとともに、この知的体力の向上だろうと考える。
by Tomoichi_Sato | 2013-05-11 09:48 | 書評 | Comments(3)

書評:「その未来はどうなの?」 橋本治

その未来はどうなの? (集英社新書)

昨年の8月に出たばかりの橋本治の近著。あとがきによると彼は重い病気でしばらく入院しており、やっと退院した後で出した最初の本らしい。そういう状態で書かれた本書は、しかし、彼の最近の著作の中でも最も出来の良い優れた評論集だと思う。

連続したエッセイの形でテレビ、ドラマ、出版、シャッター商店街と結婚、男女、歴史などの未来について論じている。テーマの選び方がいかにも橋本流であり、そしてどれも非常に面白い。

たとえば彼はTPP (環太平洋パートナーシップ協定)に加入した後の未来について論じているが、加入後にどうなるかは分からないと、最初にはっきりと書く。しかし「どうすべきか」という問題の立て方をしなければいけないのに、「どうなるのか」というパッシブな思考方法では、出発点からして間違っている訳だ。

「『初めに結論ありき』のこの国では、考えられるメリットとデメリットをあらかじめ提示して、その後に判断を仰ぐという習慣がないので、賛成側が一方的に賛成意見をいい、反対側が一方的に反対意見を言うだけ」だと彼は指摘する(p142)。

「(双方とも)前向きな結論だけを求めていて、その結論にいたるのを妨げるものは、『ない』にしてしまう傾向があります。だから、本当の問題が何なのかは見えなくて、いざというときにはこうすればいいという危機対策もいい加減になってしまう傾向があるのです。」(p146) ー だから想定外の事象に立ち向かえないのだと、彼は断じる。

その同じ傾向は、ドラマの未来を考える局面でも現れる。近代日本のエンターテインメントの源流の1つに講談がある、と彼はいう。今でもその名を冠する大出版社があるくらいだが、「講談は、近代前期の日本人の中に、どんな無茶なことでもなんとかしようと思えば何とかなる、と言うとんでもなく前向きな世界観を確立してしまいます。」(p36)。

その流れを受け継いだ典型は、吉川英治の「宮本武蔵」だったし、現代においては「少年ジャンプ」のマンガ群かもしれない。それは人々のニーズから生まれ、人々に簡単な『人生の指針』を与えもしただろう。しかし「『めんどくさい事を抜きにして前向きでありたい』ーそんな日本人の獲得した前向きな民力が日本の近代化を達成し、そのあまりにも単純な世界観が日本人を戦争に向かわせたんじゃないかと、私なんかは思っております。」(p36)

ある意味で講談とは対極にある種類の文学に立脚する橋本治は、面倒臭い事をめんどくさいなりに受け入れて考えようという立場だ。民主主義の未来を論じる最終章で彼はこう書く。「民主主義が何も決められない状態に陥ってしまったのは、自分の利益ばかりを考える自由すぎる王様を放逐して、国民が『自由すぎる王様』になった結果です。」(p200)

だとすれば、解決策は1つしかない。国民が王様の立場を辞めて、自分のためだけではなく、みんなのための考えるようにすることだ ー 「自分もみんなの1人なんだから、というのは、結構新しい考え方で、これからのものだと思いますがね。」(p201)

これが病み上がりの橋本治による、本書の結論だ。非常に自由で柔軟な思考に満ちた評論で、かつ文章も平易で読みやすい。最近のおすすめの一冊である。
by Tomoichi_Sato | 2013-04-23 23:15 | 書評 | Comments(0)