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工場計画論(3) 製品をどこに置くか

製造業とは、『ものづくり』をビジネスとする企業である。たいていの人は、そう信じている。そして、“ものづくりこそ日本の産業の真髄だ”、“製造業よ甦れ”みたいなスローガンがこの10年来、叫ばれてきた。日本経済が再び成長力を取り戻すには、やはりものづくりの生産性を上げることが重要だ、そんな主張を経済通から聞くことも多い。

でも、はたして本当なのだろうか。知人の経営コンサルタントから来た年初の挨拶メールの中に、「商社化しつつある日本の製造業を・・」という興味深い表現があった。たしかに、この10年間で、日本の製造業の姿は(その看板や見かけとは違い)ずいぶん変化してしまったと感じることがある。

その変化は、製品在庫をどこに置くか、という問題に端的に表れている。一般消費財を例に取ろうか。たとえば、あなたが衣料品を通販で注文するとする。その製品は、どこから送られてくると思われるだろうか? 多くの場合、静岡とか、あるいは北陸などから発送されてくるにちがいない。--そこが繊維製品の産地だから? 違う。そこに、製品在庫を置いてあるからだ。なぜなら、荷揚げに適した港があるからである。

国内で一般消費財を作っている場合、人口の多い大都市圏が、主要な流通販売先となる。したがって、メーカーの製品在庫は、大都市圏に近い工場で作ってせっせと販社に回すか、あるいは工場が遠隔地の場合は、大都市の物流倉庫に積み上げておくことになる。さらに日本製品の輸出が好調だった時代は、工業地帯に付属する港湾、つまり東京港や大阪港などから貨物を出荷する。こうして、大都市圏と、工業地帯と、陸運・海運の拠点は、ほぼ一致することになる。だから日本は都市に人口も何もかもが集中していったのである。

ところが今や日本は、部品材料も最終消費財も、アジア各国から大量に輸入する国になっている。では輸入貨物はどこに陸揚げするのがよいだろうか。まさか全国の大都市に順に寄港して、少しずつ荷揚げする、などという非効率なことはできまい。どこか一ヶ所に陸揚げして、いったん物流センターに保管し、必要に応じて配送する方が合理的である。

そこで浮上してきたのが(たとえば)静岡県西部だ。清水港という24時間対応の国際貨物港がある。東名高速など陸路も充実している。そして土地代も人件費も安い(いまどき誰が土地代の高い大都市に倉庫を借りたがるだろうか?)。本州の中央に位置して、東京・名古屋・大阪など工業地帯・消費地への配送にも便利である。

こうして、新幹線に乗っていると、新富士から静岡・掛川・浜松までの沿線で、のどかで風光明媚な田園地帯に並ぶ近代的な物流センターや流通加工施設を見ることができる。この地域は今や、実は日本の製品在庫のメッカであり、サプライチェーンの一大ハブなのである。そしてそれは、日本の製造業が海外生産に大幅に頼っていることと関係がある。

そもそも、ご存じかもしれないが、「アパレルメーカー」と呼ばれる会社は、製造業と思われているかもしれないが、実質は流通業であって『ものづくり企業』ではない。こうした企業は、製品のデザインと、販売と、(場合に応じて)材料生地等の購入支給を行う。誰に支給するのかって? 「縫製工場」に対してである。実際の縫い物仕事(つまり組立加工と同等の「ものづくり」)は、中小零細の縫製業者に下請けで作らせる、これが衣料品世界の構造である。

そして縫製工程は、極めて労働集約型の産業である。だから早くから、人件費の安い東アジアに外注先をシフトさせていった。台湾、香港、中国、ベトナム・・・といった国々である。まあ日本国内より縫製の仕上がりが多少野暮ったく、雑になるが、仕方がない。それより「安さが大事だ」と流通側は考えたのである。かくして、今やスーパーの衣料品から高級ブランドの製品まで、のきなみタグに「中国製」と書いてある時代が出現した。

つまりアパレルメーカーは早い話が、製品企画と仕入れ販売のみを行っている「商社」なのだ。そしてこの構造は、他の業界にも急速に広がっている。あなたが手にして飲んでいる飲料、それも東南アジアで製造充填されたものかもしれない。あなたが読んでいる文庫本、それもアジアで組み版され印刷されたものだろう。かりにそれらが国内で製造されたものだとしても、もう製品在庫は静岡や北陸の物流センターに送られ、集中管理されるのだ。だったら、工場をわざわざ大都市圏の近くに持つ必要はないではないか?

こういう訳で、日本の工場立地はある意味、二極分化を起こしつつあるように思われる。製品が複雑で研究開発のスピードが重要な場合は、「研究開発型工場」として大都市圏に戻りつつあり、一方、製品が単純で製造技術が確立してしまったものは、どんどんと都市圏から離れていく。無論、それは製品の数量や、重量あたりの単価によっても異なる。いずれにせよ、今日の工場計画は、サプライチェーン(物流拠点)の配置論をはずしては、考えられない段階に突入したのである。
by Tomoichi_Sato | 2010-01-12 22:46 | 工場計画論 | Comments(0)

工場計画論(2) グローバル展開のゆくえ

電車にゆられながら吊り広告を見ていると、宣伝というのはつくづく一般消費者の欲望を刺激することで成り立っているものだな、と感じる。あれは素敵だ、これは面白そう、こんな心配はありませんか? こんな夢はどうでしょう--そういう風に、広告はできている。だから、その気になって広告をよく観察すると、“普通の人々”が何に対して欲望を感じているのかが、逆に分かってくる。

欧米などに比べると、日本の電車は際だって広告の量が多い。最近は電車の外側まで広告で塗りたくっている。まさに『欲望という名前の電車』が街中を走っているわけだ。その車内広告の中でも、くりかえしくりかえし登場するのが、英会話教室のPRだろう。それだけ、「英会話ができるようになったらカッコいい」と望んでいる人が多いわけだ。まあ、パリの郊外電車の中でも英会話教室の広告を見かけたことがあるから、あそこの国の人だって内心は“英語がしゃべれたらカッコいい”と思っているのかもしれない。

日本では、「英語がしゃべれること」と『国際化』という言葉は、同じコインの両面のように考えられてきた。外国=欧米=英語、という風に、思考回路の中でショートしたみたいに連想がつながっている。とくに年配の人の中では、その傾向が強いかもしれぬ。日本企業では、“国際畑”を歩いたキャリア、というと何となくエリート・コースのように聞こえる。

その国際畑とは何か。それは十中八九、海外営業部門を意味する。日本の製造業の海外展開というのはパターンがあって、それはまず製品の輸出からはじまる。大昔なら生糸、昔は繊維製品、そして現代は自動車や家電が輸出の主役だ。どれもみな、大量見込生産品であることに注意してほしい。それらは高品質で、かつフェアな価格だから売れてきた('85年以前は円も安かったから、フェアどころか低価格だった)。買い手はお金を持っている欧米先進国が中心だった。

輸出の場合、最初は商社経由で、現地の販売代理店が売っていた。セールスというのは、つねに現地密着型でないとできない職種だ。そのうち販売額がかなり大きくなると、相手先企業と提携して、合弁の会社(海外子会社)を設立することになる。主な仕事は販売とサポートである。セールスマンやセールスレップを雇い入れ、それを管理するのが支社に派遣された海外営業部門の人たちの役割だった。

そのうちに、現地のローカルなニーズにあった製品がほしい、という声が高くなってくる。だから、営業企画部門を海外でも持つようになる。本格的製品開発までは無理でも、簡単なローカライズくらいならやれるような体制になっていく。物流倉庫もいる。そして機械製品なら、保守のためのサービスセンターも持つようになる。

さて、ここまでのところ、まったく「工場」という単語が出てこなかった点に注意してほしい。あくまでも、日本企業のグローバル展開というのは、『プロダクト・アウト型』なのである。欧米志向、営業主導、見込生産品--これが“国際化”の正体だった。

では、この間、工場の人たちは何をしていたのか。技術畑の人間にとって、昔は「技術導入」の形で海外とのつながりが多少あった。しかし日本企業の技術開発力が上がるにつれて、(一部業種を除けば)ライセンス生産は減ってくる。しだいに『純国産型』の生産体系になってきた。

そして、バブル崩壊である。不況で、モノが売れなくなった。すでにバブル経済の時代に、工場は都市近郊から地方に追いやられていた。そこに、「原価低減」の重圧が本社からかかってくる。売れないのは価格が高いせいだ、うちの工場は高コスト体質で困る。これでは価格破壊の時代に生き残れない--こう考える人が本社では多かったらしい。バブル時代には、「もっと高付加価値な」(つまり豪華で単価の高い)製品を開発しろ! と叫んでいた同じ人たちが、手のひらを返したように、もっと安くて売れるものを作れ! と命じるようになった。

ここでちょっと、考えてみてほしい。高度成長期が終わって、市場も技術も成熟期に入ると、世の中の平衡点は供給過剰側にシフトしている。力を持つのは、最終消費者だ。そして、それに近い、小売業者である。それまでのプロダクト・アウト型の大量生産販売体制は、マーケット・イン型の、小口受注短納期型の生産販売体制に移行しなければならなかった。そうしなければ、販売機会の損失が増大するのだ。だから、販売と開発と生産は、より密な連携が必要になり、すぐ近くにいることが望まれたはずだ。

なのに、日本の製造業の現実は、そういう風には進行しなかった。国内需要減を海外輸出で補うことがテーマになった。だが、すぐ背後からは韓国・台湾など中進国が低価格を武器に追いかけてきた。だったら、人件費も材料費も安いアジアに生産をシフトするのが、頭の良いやり方だ、という通念が生まれた。アジアでものづくりをして、欧米に輸出する。それを日本が企画・管理する。それが「グローバル展開のあるべき姿だ」というイメージが広まり、大企業だろうが中堅・中小だろうが、自社のサプライチェーンの質や量も考えずに(といったら失礼かもしれないが)中国に工場を移転し、かくて「中国を世界の生産工場に」するために貢献したのである。

この間、忘れられていたことが一つある。それは、中進国やアジア諸国を「輸出先の市場として考えること」である。国際化とは欧米進出だ、という固定観念がまだ残っていたのだろうか。国際営業畑は欧米に顔を向け、生産畑はアジア諸国の方を向く、という奇妙な分裂状態がいまだに続いているのである。

2000年代も半ば頃になって、はじめて「製造業の国内回帰」ということが言われるようになった。軽々しく工場を海外移転したが、失敗例が意識されるようになったのである。それはある意味、当然だろう。見込大量生産時代の意識を残したまま、むしろその地理的な距離を広げた上で、マーケット・インの時代に対応しようとしても、簡単にいくとは考えにくい。工場の立地は、サプライチェーンの形と量と性質によって決める--この原則に、もう一度立ち返るべき時が来たのである。
by Tomoichi_Sato | 2009-11-07 17:33 | 工場計画論 | Comments(0)