2017年 05月 23日 ( 1 )

研究開発戦略へのシステムズ・アプローチと、モノづくり大国の貧困

「日本は、ものづくり大国だ」という言い方を、よく耳にする。モノづくり大国とはどういう意味なのか、わたしは正確な定義を知らない。GDPの中で製造業の占める割合が、すでに1割台に落ちている国に、ほんとに適切な形容なのかとも思う。だが、あまり正確に定義できる概念ではないのかもしれない。モノづくりが盛んで秀でているなら、「日本は技術大国だ」という言い方だって、同じくらいしても良さそうだ。しかし、なぜかそちらはあまり聞かない。そういう実感があまりないのだろうか?

むろん日本の技術者のレベルは高い。そのことは、いろいろな国で仕事をしてきたエンジニアリング会社の人間として、証言できる。それでも「技術大国」という気がしないのは、なぜだろうか。技術大国という言葉でふさわしいのは、現在、どこの国だろうか。技術大国という以上は、少なくとも、技術者の待遇がよく社会的にも尊敬されていることが、必要条件だろうが。

1950年代から70年代頃までのアメリカは、世界一の技術大国だと自認していたはずだ。その自信が崩れはじめるのは、’80年代に入って日本の自動車産業や電機産業・半導体産業などに、追い抜かれはじめてからだった。当初彼らは、日本が円安と低賃金に助けられて、アンフェアな低価格攻勢をかけているだけだと、高をくくっていた。

だが、プラザ合意で円高にかわっても、日本の勢いは続いた。そこで、途中から彼らは考えを改めるようになる。技術面でも日本に追い抜かれつつあるのだと感じ、本気で対抗策を講じはじめるのだ。たとえばMITが中心になってまとめた、日本の自動車製造の実態調査と、そこから生まれた『リーン生産システム』という概念は、その一つだ。

リーンは赤身の肉のことで、贅肉のない、つまり余分な在庫を持たない生産方式を意味する。それまでの米国流で中心だった、大ロットの見込生産では大量の中間在庫・製品在庫が生じていた。これではせっかく大量生産で低コストを実現しても、在庫金利を生じて効果が減じるばかりか、需要の変化への対応速度が落ちてしまう弱点に気がついた。そこで、流通業のQR(Quick Response)をさらに拡大したSCM(Supply Chain Management)という概念や、APS(Advanced Planning & Scheduling=革新的生産スケジューリング)のツールが開発されるようになった。

もう一つ、日本ではあまり知られていないものに、技術研究政策の変化がある。米国には「国立科学財団」National Science Foundation = NSFという政府組織があって、大学などに学問研究の助成金を出している。このNSFは’80年代の半ばに、産業界のニーズにあった学際的な工学研究を行うセンターを、全米各地の大学に設置する構想をたてた。これがEngineering Research Center (ERC)プログラムと呼ばれる政策である。ERCは、大学と企業の実務家とが、持続的な提携関係を結ぶことを主眼とした組織だ。工学と言っても幅広いが、4つの柱があり、その最初が”Advanced Manufacturing”(先進的製造技術)であった。当時の米国政府の危機感がうかがえるではないか。

現在、NSFは年間約80億円の支援予算を17箇所のERCに支出している。金額もすごいが、わたしが最近知って驚いたのは、このERCの設立運営が、徹頭徹尾、システムズ・アプローチに従ってなされていることだった。世に出て産業界に役立つ技術成果は、単体ではなく、『システム』でなければならないと、NFS/ERCは考えた。システムとは(いうまでもないが)コンピュータのことではなく、構成を持った仕組みの意味である。この政策を調査した科学技術振興機構のレポートhttps://www.jst.go.jp/crds/pdf/2014/RR/CRDS-FY2014-RR-02.pdf を参考に、どんなやり方なのか紹介しよう。

たとえば、高効率の太陽電池用の素子の開発は、大切だ。だが、それが電力網全体に重大な役割をはたすには、蓄電・変電・送電などの補助的要素の開発が必要になる。単発的な要素技術だけでは、世の中へのインパクトは小さいのだ。だが大学人は、とかく狭い専門分野を深掘りしたがる。それを防ぐために、ERCでは、「三層モデル」と呼ばれる図を各センターが分野ごとに作成し、研究がその中のどこに位置づけられるか、全体の中で生きるためにはどのような要求を満たすべきかを、つねに意識させている。
e0058447_23275758.jpg
上の図は、米国NFSのEngineering Research Centers(エンジニアリング研究センター)のHP
http://erc-assoc.org/content/three-plane-diagram からの引用である。第1層は、「Systems Research システム研究」と書かれている面である。面の外側で、右にある楕円の要素は「Stakeholders ステークホルダ」(外部の利害関係者)で、もっと分かりやすく言うと関係する企業やその潜在顧客達や官庁などだ。ここからセンターに対して、要求がもたらされ、逆にセンターからは「製品とアウトカム」が届けられる。アウトカムという用語は日本でもようやく広まりつつあるが、プロジェクトやプログラムの活動が直接間接に生み出す効果である。

第1層の面の中には、「Testbed テストベッド」が並んでいる。ここで、下の第2層から上がってきた技術要素が、他の技術要素と組み合わされて、システム的に実証される。ここが肝心なところで、いくら米国企業の研究開発能力が高いと言っても、しばしばそれは単機能のベンチャー的なものが多い。それが世に出て真に役立つためには、他と組み合わさったときのパフォーマンスやリスクの検討を経る必要がある。これは単機能の企業だけではできない。そこに、大学や他企業と協働するためのERCセンターという仕組みの必要性が生じるのである。

だが、第1層のテストベッドで実証されたものも、すぐ世に出る訳ではない。面の右側には、「Barriers 障害」の箱が並んでいる。ここを通過してはじめて、デビューできるのだ。したがってシステム層では、テストベッドを作るだけでなく、障害が何かを同定し、対策を講じることが行われる。

真ん中の第2層は「Enabling Technologies イネーブラー技術層」である。Enablerという英語は訳しにくいが、何かを可能にする技術、問題解決技術、とでも言おうか。層の内部構成は上と似ていて、テストベッドが並び、そして右にバリヤー(障害)が書かれている。

一番下の第3層は「Fundamental Knowledge 基礎知識層」である。ここの面の中には、基礎研究とバリヤーが並んでいる。ここで生まれた成果は、「Fundamental Insights 基礎的知識」として、第2層に上がっていく(おい、insightは知識ではなく洞察とか見識だろ、と思われた方もおられるかもしれない。英語辞書的にはそうだ。だがinsightは、lessons learnt=教訓などと並んで、組織の中で共有可能なものとして扱われる。洞察や見識では個人に属してしまう。そこであえて知識と訳しておいた)。そしてこの層にもバリヤーが存在する。第2層と第3層には、第1層から「Systems Requirements システム要求」がおりてくる。

そして、ERC(エンジニアリング研究センター)の仕組みをマネージする立場の人達は、つねに自分たちの開発課題の全体像を、具体的な3層モデルの図として描くことが求められる。その中で、予算や人員を、どのレベルのどの課題に重点配分するかを決めていくのだ。また、全体像の図が描かれないと、ERCにはNFSからの予算が下りてこない。いやがおうでも、研究開発戦略をシステムズ・アプローチの中で捉えざるを得なくなる。

・・と、ここまで読んだ読者は、「アメリカの研究政策の話なんて、自分に関係ないから興味ないや」と思われただろう。いや、もう半分以上の読者が読むのを中断してサイトを離れたかもしれない(^^;)。そこで、ここまで読み進められた少数精鋭(?)の読者のために、一つだけ注記しておく。ゲーム業界の話だ。

研究開発とゲームソフト開発では、まったく別の世界ではないか? だが最近、読んで衝撃を受けた記事があった。

「21世紀に“洋ゲー”でゲームAIが遂げた驚異の進化史。その「敗戦」から日本のゲーム業界が再び立ち上がるには?【AI開発者・三宅陽一郎氏インタビュー】」 http://news.denfaminicogamer.jp/interview/gameai_miyake?utm_content=buffer7f213&utm_medium=social&utm_source=facebook.com&utm_campaign=buffer

という記事である。わたしはゲームを一切やらない人間なので、記事の中の固有名詞はさっぱり分からないし、三宅氏の発言がどこまで正鵠を射ているのかも判断できない。だが、日本人が手元にあるリソースを上手にやりくりする職人芸で勝負をしているウチに、アメリカは集団で科学的に研究開発を進めて、サイエンスの力で一気に逆転していく、という説明には納得感があった。

才能ある個人の職人芸の集合か、それとも組織的で科学的なアプローチか。そこが基本的な問題意識のありかなのだ。

ERCの図の、一番下のレイヤを見ていただきたい。ここは、基礎研究が並んでいる。大学の基礎研究というのは、基本的に研究者が個人個人の興味と能力に従って、進めていく仕事だ。大まかな研究分野はきまっているだろうが、具体的な方向はバラバラ。能力もバラバラ。したがって、普通だったら、その組織からの研究アウトプットは、個人のアウトプットの足し算でしかない。これが普通の大学の組織だ。

この一匹狼の集団に、個人の総和よりも大きな仕事をしてもらうには、どうしたら良いだろうか? 米国NFSが考えたのは、こうした問いなのである。そして彼らは、「仕事のあり方をシステム化する」という方策を思いついた。外界から、システムへの要求事項が入ってくる。それを分析して要件を切り出し、複数のサブシステムに分割する。サブシステムの機能要件はさらに、個人レベルの要素まで落ちてくる。そして、それらは組み合わさって結合テストされ、さらに上位で総合テストにかかる。こうすることで、各個人の仕事のベクトルを、きちんとムダがないように方向付けたのだ。

一人ひとりが個別にターゲットを追いかけている場合は、成果は個人の足し算にしか、ならない。しかし役割分担を的確にして、組織的にダイナミックに動くことで、個人では捕らえられなかった大きな獲物を仕留めることができる。こうして、組織は単なる足し算を超えた能力を発揮する。また、個人個人のムラをなくした、安定した仕事の成果が得られる。ちなみにERCの仕組みは、決してあるスーパー研究者が独裁的リーダーになって、大勢を手足として使うためのものではない。それでは、組織のパフォーマンスは特定の個人の能力と気まぐれに依存してしまう。

最近、日本の大学研究者のアウトプット、とくに国際的なジャーナルに発表する研究論文数が、どんどん減ってきているという問題が指摘されている。多くの論者は、これを、文科省の大学政策(独立法人化や予算削減)に結びつけて論じている。たぶん、そうなのだろう。だが、ひるがえって、成果を個人の足し算以上にするにはどうしたらいいか、積極的な策が提案されているだろうか? 傍からは疑問に思える。

そしてもう一つ、書いておこうか。

組織の仕事のパフォーマンスは、個人の成果の単なる総和。こういう組織、どこかで見たことがないだろうか? ——そう。多くの企業の、営業部門のあり方にそっくりなのである。営業部門の業績は受注額ではかられるのが普通だが、営業マンはたいてい個人プレーで仕事をする。ときには凄腕の営業マンもいるだろう。だが平凡な者も大勢いるし、無能な奴だっているかもしれない。そして戦果は個人プレーの足し算である。

そして大学研究と同じように、日本企業は世界市場で次第に、販売競争力が低下してきている事実がある。円高その他、説明はいろいろあろう。だが、どうやって販売力を、個人の総和以上に高めるかという議論をあまり聞いた記憶がない。優秀な営業マンはいる。だが、有能な営業管理者がいないのだ。セールスの仕組みを、つまりシステムを構想し、作り上げる能力を持つマネージャーが見当たらない。まったく、わたし達の社会はどこを切っても同じ断面が見える。兵士達一人ひとりは勇敢だ。だが、組織を合理的に動かす将軍が、いつも不在なのだ。


by Tomoichi_Sato | 2017-05-23 23:32 | ビジネス | Comments(2)