パーキンソンの法則、またはマンパワーはなぜ見積を超過するのか

アメリカのハイテク企業を風刺した連載マンガ"Dilbert"に数ヶ月前、こんな話があった。主人公をはじめとするエンジニアが1,000人、広いオフィスにかり出される。全員、同じプロジェクトに配属されるのだが、彼らに与えられた最初のインストラクションは何と、本日5時に業務が完了したらどこにPCを返却するかについての指示だった。プロジェクトの開発工数が1,000人日かかると聞いた無能な上司が、「それなら1,000人でかかれば1日で完了するはずだ」と皆をかり出した結果である・・。

我々はよく、人日とか人月といった単位を使う。これは原価管理や顧客への請求には有用だが、仕事においては「4人×1ヶ月=1人×4ヶ月」でないことは誰でも知っている。こういう計算が成り立つのは、力仕事の場合だけ(たとえば煉瓦を積むとか配管を溶接するとか)であって、こうした力仕事では以前紹介したBOQの概念を用いて、
 作業期間=BOQ÷(投入人数×生産性)
で算定できる。こうした計算が成り立つのは、力仕事というものが、基本的に非常に並列性が高いからである。

ところが、オフィスで行われる知的な仕事のほとんどは、こうはいかない。たとえば自分一人ではアップアップの仕事があったとして、それを誰か後輩に手伝ってもらう場合でも、まずその後輩に仕事のインストラクションをしなければならないし、材料やツールもまとめて手渡さなければならないし、質問に答えたり整合性をとったり進捗をたずねたりした上に、出来上がったものを自分でも再チェックしなければならない。こうして、自分が楽になるのはせいぜい3割程度であって、1人月分の仕事を二人でやると合計1.5人月はゆうにかかる、という状態になる。

たいていのプロジェクトでは、力仕事は後半にかたまっており、前半は設計などの知的作業が中心になる。そして期間推定や工数見積で相対的なブレが大きいのは、前半の知的作業の方だ。ここでマンパワーが見積をオーバーし進捗が遅れた場合、挽回するのは容易なワザではない。追加人員を投入しても、水を吸い込む砂地のようになぜか吸収してしまうからだ。皆が忙しい。でも、仕事はちっとも前に進まない--どうしてそういう状態が生じがちなのか。ラーニング・カーブやコミュニケーションにかかる時間のせいだ、というのは一つの説明ではある。しかし、もう一つ有力な説がある。それが「パーキンソンの法則」である。

「パーキンソンの法則」は、イギリスの政治史学者C・N・パーキンソンが1957年にロンドン・エコノミスト誌に発表した短い論文で提起された法則で、“公務員はなぜ増えるのか”という問題に対する答えであった。周知の通り20世紀前半とは、大英帝国が次々と植民地を失っていく時代だった。にもかかわらず、植民地省の人員は、なぜか1935年から54年までの20年間に、3倍以上にふくれあがった。同様に、列強の軍縮交渉で戦力を減少させざるを得なかった海軍省は、役人の数だけはかえって増えていく。

パーキンソンはこの事実を分析して、「なされなければならない仕事の量と、それに割り当てられるべき人員数との間には、ほとんど関係がない」と結論し、「役人の数というのは、仕事の量とは関係無しに、一定の割合(年率5-7%)で増え続けていく」という『パーキンソンの法則』をうち立てる。その理由として彼があげるのは、(1)役人は部下を増やすことを好む、(2)役人はお互いのために仕事をつくり合う、という性質である。

パーキンソンの法則における「役人」は、一般企業では「ホワイトカラー」と読み替えることも可能である。そして事実、たいていの企業では本社機構はどんどん肥大化していく。知的作業の時間の多くがコミュニケーションにあてられているのは事実であるが、それはつまり、「気づき」や「お知らせ」や「折り合い」といった、お互いのためにつくり合っている時間であって、結果としては美しいPowerPointの画像だとか、慇懃無礼すれすれの挨拶メールだとかが生まれるだけである。

受託開発のようなITプロジェクトにおいても、顧客側はたいてい複数のユーザ部門と情報部門が関与するマルチ・ファンクショナルな体制になっていて、その間は見合いの状態になっていることが多い。誰もが何かをいいたくて、でも誰もが責任をとりたくなくて、おかげで受託企業の側が客先の社内調整をやるハメになったりする。会社に戻れば心配性の上司やPMOからレポートを要求される。これではマンパワーがいくらあっても足りるわけがない。

「命ぜられた仕事をしあげる場合、時間はいくらあっても余るということはない」と、パーキンソンは指摘する。それはコミュニケーションに完璧ということがないためであり、またオフィスワークにおけるコミュニケーションが実際には一種の感情的パワーバランスに費やされているためでもある。製造現場のワークフォースを切っている暇があったら、本社で互いに「情報」をつくり合うだけの人たちの数をなんとかしたらいいと思うのだが、いかがだろうか?
by Tomoichi_Sato | 2009-03-30 23:05 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)
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