お見積りは無料です

最近、電車に乗っていると、ときどき壁面上部の広告欄に空きスペースを見かけるようになった。さすがに、つり革広告はまだフルに使われているようだが、少しずつ車内広告の量が減少しているらしい。テレビ局や雑誌社も広告収入の減少で青息吐息の状態だ。

情報というものが無料で手に入る、と広く信じられるようになったのは、20世紀後半のことかもしれない。それまでは、本だろうが新聞だろうが、一応の対価を払って手に入れていた。それが、ラジオが普及し、さらにテレビが後を追って、受信料を取るNHKをのぞく民放はすべて無料で番組を提供する時代になった。これは広告という新しい産業のおかげである。私は子供の頃、テレビが家にきたのをかろうじて覚えている世代に属するが、おそらく40代以下の人たちは、生まれたときから家にTVがあって、無償でさまざまな情報が送られてくるのを、空気を呼吸するのと同じ感覚で受け止めているにちがいない。

この状況はさらにインターネットの普及で加速し、いまやYahoo!やらYouTubeやらで無料で手に入れられない情報はないかのごとく、信じている人も多い。通信にはお金がかかるが情報はほとんどタダだ、そう思って暮らしているようである。

ところで、この無料の情報は基本的に、送り手側が自分で発信したいと思っている情報だ。生産マネジメントの世界の用語でいえば、「プロダクト・アウト」の種類に属する。いわば「見込生産」によって供給されている代物である。いや、この事情は、有料の情報としての、書籍や学校教育などにおいても同じだ。

では、「プロダクト・アウト」の反対に位置づけられる「マーケット・イン」の情報とは何か? 受け手側が主体的に求める「受注生産」的な情報とは何だろうか。検索サイトにアクセスして検索窓にキーワードを打ち込む行為は「マーケット・イン」を思わせるかもしれないが、検索結果として出てくるのは、「見込生産」された情報だけである。それは見込生産品のカタログを開いてページをめくっているのと何も変わりはない。

受け手側がきっかけをつくってリクエストし、その受け手にとって必要なテイラーメードな情報を作ってくれる、受注生産的な情報サービスとは何か。じつは、皆が仕事の上でよく知っている行為が、その代表格の一つである。それは『見積』と呼ばれる行為だ。

あなたが仕事上で何かを注文しようとしたら、たぶん販売店の営業マンを呼びつけ、見積書を作らせるだろう。営業マンの方は、あなたが何を欲しいのかを聞き出し、自分の供給可能な商品の構成を考えて、機能や仕様や数量をきめ、価格をつけて提出してくる。買いたいものが複雑で金額がかさばるほど、提出される見積書もページ数が増え、カタログや説明書や図面が添付されて、微に入り細をうがった情報が出てくるはずである。いや、たとえそれがペラ1枚の見積書であっても、そこにぴったりの品目名が書かれていれば、それがあなたの求めていた情報なのである。

そして、つねに「お見積もりは無料」である。見積作業が営業行為の一環である以上、それは当然のことだと、みな思うのだろう。

ところで、話はちょっとずれるが、日本の販売管理費比率が高いことについて、私はかねがね疑問に思っていた。例えば総合小売業のイオンの売上高販売管理費比率は33.2%で、売上高の実に3分の1を販売管理費が占めている。イトーヨーカ堂も同様に35.0%と高く、ファーストリテイリングも29.2%である(いずれも2005年の数値)。しかし世界最大の小売業・米国ウォルマート・ストアーズの場合は17.9%と、日本企業に比べてずっと低コスト体質である。

製造業を見ても、「日米欧アジア機械産業の国際競争力の現状」(日本機械輸出組合) 2007年版は、我が国の機械関係企業群の国際競争力低下の問題を分析して、「企業の売上高に占める販売管理費比率が高いこと」をその大きな要因としてあげている。どうやら、販売管理費は日本の多くの産業で高いらしい。そのことは、同業者相手の比較や、国内水準での比較では気づかないが、国際比較をすると見えてくる事象のようだ。

見積作業とは何か。このことは『モノを買うのか、機能を買うのか』にも書いたことだが、買い手の欲する機能と、売り手の供給できるモノとのマッピング作業である。ニーズが単純なら、売り手は自分の商品カタログから選べばよい。しかし、もし買い手の必要とするものがシステム的な複雑さをもつものだったら、そこには当然、要求分析と基本設計という作業が必要になる。つまり、見積という名前の無償基本設計が要求されるのだ。そして、この基本設計こそ、実は買い手にとって最も価値のある部分ではないのか。

無償で行った基本設計の費用は、誰が負担するのだろうか。それは、一応、販売管理費として、売り手側が持つ。しかし、結局それは、見積の原価構成におけるオーバーヘッドとして、一定の比率で売値にかかってくる。つまり、最終的には買い手がそれを払っているのである。この事情は、以前『高い買い物をする方法』(「タイム・コンサルタントの日誌から」 2007/10/23) にも書いたとおりだ。

見積費用は販売代金の形で回収できる。しかし、無料で提出した基本設計上のアイデアは、誰のものだろうか。それはどのようにして本来もつ価値を回収できるのだろうか。私たちの産業では、「お見積もりは無償」の原則によりかかって、無料のサービス仕事があまりに多すぎる。知的所有権の議論の一つに、「コモンズ」という概念があるが、これは共同入会地のようなもので、誰もが自由に無償に利用できる知的財産のことを指す。しかし今日の状況はコモンズなんてすでに通りこしていて、草刈り場で搾取したい放題なのではないだろうか。それは結局、アイデアと言う豊穣な場所を枯らしてしまうのではないか。

見積が無償なのは、むろん日本だけのことではない。しかし、私は海外で、ある欧米系石油メジャーに対する見積業務に従事していたときの経験を覚えている。案件は競争入札だった。大型プラントの見積作業は、それ自体が億の単位の費用を要する。ところで、その顧客は、応札者に対して、「入札要求仕様書(基本設計書)のベリフィケーション費用」という名目で、かなりの金額を支払う約束をした。

それだけではない。経済状況の乱変動に伴って、見積期間中に顧客の要求事項もあれこれと変化して、ついていくのがひどく大変な状況になった。すると、入札締切の直前に、顧客はベリフィケーション費用を50%増額する、と宣言し、そのとおり実行したのだ。この時以来、見積はいつでも無料であるべしという感覚が、自分の中から抜け落ちてしまった。

さて、それではどうしたら良いのか。まさか明日から見積に対価を支払う、というわけにもいくまい。そんな予算は会社がつけてくれないにきまっている。そんなわけで、無料で見積もりを要求する。売り手はそれにつき合って無償の設計作業をする。そして、販売管理費比率が高くなる。費用がどこも高くなるから、ますます合い見積が増える・・という悪循環だ。私たちは、無償作業によりかかった、高コスト体質のまま生き続けるしかないのだろうか。

答えははっきりしている。買い手が、自分自身をレベルアップするしかないのだ。まず、見積を依頼する前に、自問すべきだろう。物品を買うのか、機能を買うのか。もし機能を買いたいのなら、実現方法のアイデアは誰のものなのか自覚すべきだ。

そして、機能を買うのなら、買うモノはブラックボックスで良いはずだ。提案されたシステムの内部構成について、詳細な情報を要求するのはまちがっている。もし内部構造も明らかにされたホワイトボックスを買いたければ、自分で構造と仕様を指定できなければならない。それはつまり、自分自身で自分の要求分析をできる力を持て、ということなのでである。
by Tomoichi_Sato | 2009-02-22 23:05 | サプライチェーン | Comments(0)
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