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プロジェクトにおける人的資源管理とは

アメリカの新聞連載マンガに"Dilbert"というのがある。作者はScott Adams。現代アメリカのハイテク企業における馬鹿馬鹿しさをとても辛らつに皮肉っており、毎日読むのを楽しみにしている(Webサイトでも1日遅れで読める)。ことに、主人公Dilbertと、彼の上司で無能なマネージャーとの対話をあつかった話は、いつも吹き出すほどに面白い。

米国のマンガは基本的に、時事問題を扱わないのが特徴だ。チャーリー・ブラウンのシリーズなどは、何十年前のものを読んでも、同じような感じで、いつまでも古びずに楽しめる。しかし、Dilbertはあえて最新のトピックや用語をネタに取り入れる。古くなる危険性をあえておかしつつも、ビビッドな問題意識をギャグにしているわけだ。

私の好きな話の一つに、Aliceという女性のベテランSEが、キャリアアップを望む若い事務職の女の子に、仕事について説明する話がある。「エンジニアになるには、何年もの訓練が要るの。」とAliceは説明する。「でも、エンジニアのボスになるのは、何の訓練も要らないのよ。」(ここで読者は、例の無能な上司を思い起こす)「あれって、スキル不要の、苦労のない労働なの。」これをきいて若い事務職の女の子は言う。「それなら、私にもできそうね。」

マネジメントは、何のスキルもトレーニングも無しで出来る仕事だ。そう断言すれば、反論する企業はいくらでもあるだろう。我が社では、かくかくの適性検査や昇格試験があり、またしかじかの管理者教育を実施している、と。しかし、少なからぬ日本人や米国人が、このDilbertのマンガに少しでも可笑しさを感じるのだとしたら、やはり無能な管理職が太平洋の向こう側にもこちら側にも大勢いることを示しているはずだ。

なぜ、マネジメントは"スキル不要の職能"と思われているのか。それは、マネジメントの地位と職能が不可分の状態になっているからだ。管理職の地位に配置されたら、部下を管理できる、と誰もが信じて疑わない。部下を管理するとは何か。部下に命令や目標を与え、部下を評価して賃金の格付けをすることだ、と思われている--普通は。

だが、プロジェクトはちがう。「プロジェクト・マネージャーは管理する専門の職能だが、地位ではなく単なる役割だ」などと言うと、皆が目を白黒させてしまう。職能と地位を分離して考えられないからだ。

年功序列の日本企業では、管理者の地位にはある程度、経験年数の裏書きがある。しかし会社の創始者の息子が『世襲』するケースもある。日本には、上場しているが内実は同族企業、という会社も多いので、そういうところでは、キャリアのない「若様」が、ポンと重要な地位につくことがある。地位につけば、すぐに管理の仕事を始める。こういう世界に働いていると、たしかに「管理はスキル不要の商売」と思いたくなる。じつは米国にだって欧州にだって世襲の会社は多い。だから彼らだって、同じように考えてるだろう。

しかし、ゴーイング・コンサーン、すなわち継続性が自己目的である企業とちがい、プロジェクトとはあくまでも特定目的を達成するための時限的な営為である。明確な目的を持つ組織では、管理者は「管理機能」を果すことが要求される。世襲とか年功序列だけで管理者を決めることは合理性に欠ける。そこで、しだいに地位と管理職能との分化か起こってくる。

さきほど、管理とは部下に命令や目標を与え、部下を評価して賃金の格付けをすることだ、と書いたが、じつは前半がマネジメント、後半が地位に関係する主な項目だ。後半はサラリーマンの生殺与奪の権限だが、これを抜きでどこまで人を動かすことができるかどうかが、プロジェクト・マネージャーにとって問われる『人的資源管理』の手腕なのである。そして、もしも失敗したら、その結果はプロジェクトの品質やスケジュールの失敗に現れてくるのだ(昇進や給与査定はプロジェクトとは関係ない領域だからである)。

PMBOK Guideは「マネジメントの9領域」を定義したが、じつは、プロジェクト管理の9領域は、このような形で、それぞれが独立しておらず、ある領域での失敗が別の領域に結果として現れてくるような関係性を持っている。このことについては、長くなってきたので、また次回語ろう。
by Tomoichi_Sato | 2005-08-21 23:38 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)
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