究極の管理学とは何か

最近、知り合いの東大教授から面白いことを聞いた。「東大には、なぜか管理学系の学科がないのです。」と、この先生は言う。「たとえば工学部には管理工学科とか経営工学科といった学科がありません。経済学部には一応、経営学科がありますが、実質的には経済学科とは垣根が低く、一体に近いようです。工学系大学院にMOT(Management of Technology)を意識した『技術経営戦略学』が最近設置されたのが、唯一それに近い存在でしょうか。」

つまり、日本の最高峰と世間で言われている学府は、どうも「管理」を学問や教育の対象とは考えていない、ということらしいのだ。京大についても、Wikipediaで調べてみると「経営管理大学院」はあるが、これもつい最近(2006年)に設置されたばかりである。事情は東西でよく似たようなものらしい。こういう話は、生産管理だとかプロジェクト・マネジメントだとかで飯を食っている(つもりの)私にとって、ずいぶん気になることである。

ちなみに、私は現在たまたま、日本経営工学会誌「経営システム」の編集委員をしている。その関係上、大学で経営工学を教えている先生方と接する機会も多い。そこで耳にするのは、“文部科学省が科学研究費を配分する際に、経営工学が重点研究分野に選ばれることはまず期待できない”という話だった。

では、文科省が研究分野として期待しているのは何か。それは、ナノテクノロジーだとか万能細胞だとか先端機能性材料といった分野である。いいかえると、すべて「固有技術」の研究だ。“ものづくりニッポン”などと言いながら、われらが政府の重点政策にはものづくりの「管理技術」の研究や普及活動は、決して登場しない。MOTが唯一認知されている理由は、それが研究・開発のマネージを目指しているからだ。素晴らしい製品開発さえできれば、あとはいつのまにか工場で大量効率生産できるものと、皆が考えているらしい。

この国では、マネジメントに『技術』はないし、「管理技術」なる概念は認知すらされていない--こう考えると、いろいろなことが急に明らかになってくる。たとえば、技術なら、人から人へ伝承可能だし、科学的アプローチで向上することもありうる。でも管理は技術でないから、マネジメントの上手下手はまったく属人的なものだ、という信念が生まれる。したがって、生まれつき優秀だとか(これはつまり18歳のときに大学受験が上手だったという意味だが)、人生経験が豊富だとか、あるいは良い家柄の出身だ(=人を使うすべを若いころから見て学んできた)とか、そういうことが管理上手の物差しになる、はずである。だからこの国は学歴偏重と年功序列と同族経営が大好きなのだ。なるほど、なるほど。

あるいは、マネジメントとは社長とか部長とかいった地位に付随する権能である、という信念もありえよう。人に命令することが管理だと思い込んでいるのだ。“プロジェクトが上手くいかないのは、自分に人事権をくれない会社がいけないのだ”と信じ込むプロジェクト・マネージャーと同類だろう(「役割(Role)としてのプロジェクト・マネージャー」参照のこと)。それですむのなら、クリティカル・パスだとかWBSだとかいった技法は何もいらない。なるほど、巨大企業の情報プロジェクトが、軒並み火を噴くわけである。

もっとも、あるいは日本はもっと別の信念で動いている可能性もある。それは、「管理技術とはすなわち法律のことである」という考えだ。最高学府の法学部出身者が、中央官庁や政府や主要産業の枢要な地位を占めていく。そして一般大衆の従うべき方針を決定する。これが最適な管理の姿である、という思想が有力なような気がしてきた。この「一般大衆」の中には、あなたや私のような、理工学に従事するエンジニアも含まれる。法学は諸学の王である以上、どんな専門分野にも指令を出せるのだ。いや、そうだ、そうに違いない。その証拠に、日本の経済政策を決めているのは経済学ではなく、法学部出だ(ためしに過去50年間の日銀総裁の学歴を見るといい)。

工場やプロジェクトは多くの人とモノがかかわりあう巨大なシステムであり、固有の因果律や法則性があるから、それを効率的に運転していくには理論に裏打ちされた技術が必要だ。これを管理技術とよぶ。--これは経営工学に携わるものの共通な信念だ(むろん、マネジメントの本質には「人を動かす」という面があるから、技術論だけですべてがカバーされるわけではないが)。なのに、クリティカル・パスだとか部品表だとかいった、大学の3年生で教わる技法も知らない人々が、現実の企業を動かして「管理」している。それを不思議とも思わない学術政策が、国を動かしている。

法律こそ、究極の管理手法である、というのはつまり、掟と刑罰で人を動かしていくのがもっとも効率が良い、との思想である。ここには、「管理」と「権力」の混同がある。おそらく、科挙を生み出した中国の古代思想とどこかで通低しているのだろう。そして、この思想は、理工学出身者の頭の中にも無意識に浸透していて、「管理技術」という概念が生まれるのを阻んでいるのだ。私たちがこの古代思想と早く決別しない限り、私たちの社会は混沌と低迷から抜け出すことはできないだろう。
by Tomoichi_Sato | 2008-06-11 22:53 | 考えるヒント | Comments(2)
Commented by コンサルタントに成りたい26歳 at 2008-10-14 04:38 x
初めまして!飲食店に6年半努め先週退職したのですが当時お世話になったコンサルタントの先生にコンサルタント業務の素晴らしさ、やりがいを感じ、個人事業としてやりたいと思っていた矢先にここを見つけ、読ませて頂きました。自分は若輩者で知識も飲食店に関する事しかないのですが、僕が目指すコンサルタントは、主に卓上で行う経営コンサルタントというより、現場に入り、一緒に考え、共に成果を出していく、そんなコンサルタント。つまり営業コンサルタントを目指しています。これを読まさせて頂き、実に興味深いというか、ある種の衝撃を受けました。大変勉強になったので、一言お礼を言いたくコメント致しました。ありがとうございます!
Commented by Tomoichi_Sato at 2008-10-15 23:30
こんにちは。コメントありがとうございます。楽しんで読んでいただけたのでしたら幸いです。
コンサルタントという仕事は、同じことを言っていても現場感覚がないと迫力が出ないものです。そういう点で、少しでもヒントになったのでしたら幸いです。
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