久しぶりに、大先輩のR先生のもとを訪れた。もう随分年配だが、私にとってマネジメント問題の師匠である。かつて企業経営にタッチされた経験から、私の思いもよらぬ広い視点でものを見ておられる。
--先生、お久しぶりです。最近ふと気がついたのですが、私が研究会の仲間とともに、『SCM研究会』の名義で「サプライ・チェーン・マネジメントがわかる本」という書物を出したのが、1998年でした。それからちょうど10年間たったわけです。しかしこの間、日本のサプライチェーン・マネジメントはどれだけ理想に向けて進歩したでしょうか。はなはだ心許ない現状だと思うのですが。 「佐藤君が10年前にその本を書いていたときは、どんな理想を心に描いていたんだね?」 --そうですね。「わかる本」の中で、私は供給計画の章を書いたのですが、当時はちょうどAPS(先進的生産スケジューラ)が現れはじめたころでした。また、ECRのような米国の小売業と製造業の協調的な取り組みが紹介され、ゴールドラットのTOC理論も出てくるなど、なんだかこれから新しいわくわくするような動きが現れて、古くさい企業単位の風習を乗り超えるような期待を感じたのですが。 「はは。いかにも夢見がちな君らしい発想だな。」Rさんはやんわりと私をいなした。「'90年代の終わり頃のアメリカには、コンピュータ・ソフトによる生産計画最適化のおかげで、もはや米国経済は好況→在庫過剰→不況のサイクルを脱して永遠の繁栄期に入ったのだ、なんて大真面目に主張した経済学者がいたものだ。君もその手合いと五十歩百歩じゃないかのかな?」 --ですが、SCM実現のマクロなメリットはあれほど明らかなのに、世の中がそれにむかって動かないのはなぜでしょう。誰にも理解されなかったのでしょうか? 「わかる人は理解したと思う。だが、企業行動というのは必ずしもメリットにむかって動くとは限らない。しばしば不合理に見えるものだ。」 --利益最大化という目的合理性のもとに会社は動くものだと思いますが? 「ちがうな。会社は人間から構成されていることを忘れちゃいけない。その人間は、それぞれの目的意識や評価尺度で動く。評価尺度に動かされると言ってもいい。たいていの企業では、この尺度が制約になって、君の夢見るようなマクロなSCM実現に動けないのだ。」 --もう少し説明してください。 「何もかもワンマン社長が全部を決める中小企業ならともかく、普通の会社は機能別組織で分権的な意志決定をしている。そうだろ? そこで部門毎に業績評価の指針となるモノサシを用意する。たとえば、営業部門なら受注額や売上高、製造部門なら製造原価、物流部門なら物流費率、といったモノサシだ。そして、大組織になればなるほど、部門間の調整に時間がかかるようになるから、しぜん意志決定は自部門だけで決めるようになる。」 --分業病ですね。 「そうだ。これを克服すべく事業部制やカンパニー制を導入するところも多い。だが、そのマネジメントには会社トップから事業部別売上高や利益率の目標値が与えられる。私も経験があるが、赤字を出したら独立採算だから会社からお金を借りなければならない。他の事業部から部品を供給してもらえば、振替コストで利益込みの値段を取られる。いきおい、『社内は高いから外部調達だ』という発想になりやすい。」 --同じ社内なのに、もうサプライチェーンが分解しはじめていますね。 「売上や利益目標は事業部ごとに積み上げで、足し算の論理で決められる。事業部間のシナジーなどお構いなしだ。これがすすむとどうなると思う?」 --在庫の押し付け合い、とかですか。 「その程度ならまだかわいい方だ。足し算の論理が突き進むと、工場はコストセンターだから分離しよう、あるいは安い海外生産に出そう、そうやって製造のコストダウンをはかろうということになる。売上を上げるのも、利益を出すのも、まずコストダウンが第一だ、というマインドセットが生じる。これを私は“コストダウン病”とよんでいる。」 --コストダウンが病気なのですか。 「企業戦略の第一優先が製造コストダウンだとしたら、そうだ。そもそも企業の競争力の源泉はどこにあるか。それは、新しい製品・新しい顧客・新しい売り方を切りひらいて、高付加価値と生産性を確保することにある。つまりイノベーションの能力だ。それは急激に伸びている会社を見ればよくわかる。 ところがコストダウン病にかかると、販売競争に勝つにはコストダウン、利益確保もコストダウン、と一点集中型になる。販売で勝つカギが低コストだ信じているとしたら、それは『価格競争』という恐るべき土俵にいつのまにか乗ってしまっていることにならないかね? 消耗な価格競争を避けることこそ、企業戦略の第一優先ではないか。」 --たしかに、売上拡大→大量生産→生産コスト低減→さらに売上拡大、というサイクルは高度成長期のモデルですね。 「本来、企業のパフォーマンスを一番表すのは付加価値額とリードタイムなのだ。それなのに、会社が求めるのが相変わらず売上拡大と製造コストダウンでは、意識は各部門内で内向してしまう。それに追い打ちをかけたのが“成果主義”の人事評価だ。SCMは統合と協調がキーなのに、動かされて向かう先は分割と競争になってしまう。君が夢見るようなサプライチェーンなど実現するわけがない。」 --すると、そういう指標で社内を動かす経営者に問題がある訳ですか。 「いや。彼らもまた動かされているのだ、株主という人種に。株主は、つねに結果だけを求める。“増収増益”とか“原価の削減”といったニュースを喜ぶ。自分の利益だけを考える。結局この10年間に進展したのは、株価重視の経営、時価総額経営ではなかったか。サプライチェーン・マネジメントは結果が出るまで時間のかかる、リスクもある取り組みだ。このような環境で、誰がそれにチャレンジするだろうか?」 R先生はグラスを置いて、こう言われた。 「サプライチェーン・マネジメントの実現をはばむものがあるとしたら、それは結局、人の心の中にあるのだよ。」
by Tomoichi_Sato
| 2008-03-25 23:00
| サプライチェーン
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