頭が良くなる、のを避ける方法

科学者・寺田寅彦の名言に、「頭のいい人は批評家に適するが行為の人にはなりにくい」ということばがある。つづいて、「すべての行為には危険が伴なうからである。けがを恐れる人は大工にはなれない。失敗をこわがる人は科学者にはなれない。」という(元の文章『科学者とあたま』は青空文庫に掲載)。これは今から75年前の発言だが、いまだに全く古びていない。いや、それどころか現代における警鐘として、ますます重要になっているのではないか。

最近ときどき、とても頭の良い、物知りな人に会うことがある。大企業の人に多いが、こちらが何か提起したり、問いかけたりすると、すぐにその先の帰結を述べてくれる。「その線はうまくいきませんよ、市場はむしろ逆の方に動いていますから。」「あの企業が成功したのは、じつは裏に理由があるんです。それは・・・」こういう風につづく。部下が何かをたずねると、たちどころに由来や帰趨を説明してくれる。とにかく、あらゆることが説明可能な人なのである。説明可能だが、その先は現在の路線を続けるという結論にたどりつく。

これとは別種の、頭の良い人たちもいる。見事な戦略的経営プランを、ビューティフルなPowerPointに作り込む。いつも自信満々だ。彼らの説明にはROEだとかSaaSだとか新鮮な用語と数字がならんでいる。それで現実が動くんだろうか、などと端で心配してみても、「あとはExecutionの問題に過ぎませんから」などと答える。英語がたくさん混じっているのもこの種の人たちの特徴である。

ところで、話は急に飛ぶが(いつものことで)、昨年、新しいガスレンジを自宅に買った。ガスレンジなどきわめて成熟した商品だと思っていたら、新型は驚くべき機能を満載している。まず、タイマーがついている。セットしたら自動的にガスの火が消えるのだ。安全設計らしい。それどころか揚げ物の場合は鍋の温度を自動的に一定に保ってくれる。温度センサー付きなのだ。またグリルも、受け皿に水を張る必要がない(耐高温性のテフロン加工かな)。操作パネルがついていて、デジタル表示になっている。

しばらくは便利機能に感心しながらつかっていたが、正月のお餅を網で焼く段になって、困ったことに気がついた。焼き網が高温になると、勝手に火がしぼられてしまうのだ。私が文句を言うと、同居人も「そうなの。魚焼きのグリルも、焦げ目が付く前に勝手に消えちゃうのよ。私がしたいように動いてくれないし、まったくどっかの頭の良い人みたい。」という。そしてエンジニアの私に向かって、こう付け加えた。「自分では料理したことのない技術屋さんが設計したに決まっているわ。」--ここで私は冒頭の寺田寅彦の文句を連想する。なるほど、頭の良い設計者は、料理という行為には向いていないのか。

“頭の良さ”と世間ではひとくくりにいうが、私は4,5種類の頭の良さがあるのではないかとかねてから疑っている。頭の良さに関連するキーワードをならべてみると、いろいろある。記憶力。判断力。分析力。洞察力。創発力。言語能力。推論能力。理解力。これらをすべてまんべんなく兼ねそろえている人は希で、どれか一つ二つに秀でている例がほとんどではないか。

そして、世間では頭が良いというのを誉め言葉で使うことが多いが、「頭の良さ」とは、「目の良さ」「力の強さ」などと同格の特性ではないかといつも思う。“あの人は頭が良いね”ということは、“あの人は走るのが速いね”というのと同列で、その人が優れた人格を持っているとか、徳があって賢いとか、そうしたこととは独立な事象なのだ。

その上で私は、寺田寅彦があえて言ったように、単に「頭が良い」ことに対して、批判的な意見を持っている。いや、むしろこう言い直そう。「自分は『頭が良い』と思っている」人になるのは、きわめて危険だと感じている、と。

自分の経験からみて、45歳をすぎた人は(とくに中間管理職の人や技術職の人は)みな「頭がいいと思っている人」になりがちだ。頭が良いと思っている人の特徴はいくつかある:
 人の意見(異見)をきかなくなる
 最後まで見通せる(リスクも含めて)と思っている
 他人の批判がうまくなる
 つねに断定形で語る(自分に疑問を差し挟まない)
などなど。あなたのまわりでも、こうした人を見かけないだろうか。こうした人々にならないためには、どうしたらいいのだろうか? なまじ高度な教育を受けた人は、頭が良くなるのを避ける方法を、知るべきだと思うのだ。

一つの解は、誰か自分より頭のいい人を見つけて、その人を目指すことだ。ただし、これは自分の身の回りに、そういうすごい人がいないとうまくいかない。それよりももっと実効性のある方法は、自分で手を出してやってみることだろう。つまり、泥臭い世界に手を出してみることだ。そして、簡単に「わかった」とは思わないこと。「知った」とも思わないこと。「自分は知らなかった」と思う。それが、自分をまともに保つ秘訣である。

自分には知らないことがある--すなわち『無知の知』を身につけることこそ、頭の良い人になるのを避ける最良の方法なのではないだろうか?
by Tomoichi_Sato | 2008-01-01 23:54 | 考えるヒント | Comments(0)
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