工場見学ほど面白い物はない

今月はじめ、中国の大連に行って来た。中国東北部の玄関口にして最大の港町・大連市である。100年前にロシア人が建設した、アカシアの並木の美しいこの街は近年、急速に発展中だ。今回は、コンサルタント集団「生産革新フォーラム」(略称MIF研)主催の、中国工場見学ツアーに参加しての旅行だった。ただし(大連は日系企業もこぞって進出しているが)見学先はすべて中国企業にかぎった。中国の製造業の本当の実状ないし実力を見たい、というのがそのねらいだったからだ。紹介の労をとってくれたのは大連理工大学で、そのキャンパス見学も行なった。

結果は、衝撃的だった。見学の第一印象を一言で言うと、「まいった」になろうか。あるいは「すごいな!」かもしれない。いくつかの企業を回り、大学を見学したあとの感想は、正直、「やばいぞ。」にかわっていた。

見た工場のどこがすごいのか。それを言う前に、なぜ私は工場見学をするのか、書いておきたい。じっさい、私は工場を見るのが大好きだ。そうでなければ、独立コンサルタントでもない私が、なぜ会社まで休んで、自費で海外への見学ツアーに参加するのか。
それは、一言でいって、工場が複雑なシステムだからである。だから設計は難しく、かつ面白い。工場は単に、建て屋のドンガラのなかに製造機械をならべただけのものではない。生産にたずさわる人がいる。部品・材料・製品・副資材などのモノが流れる。電力やガスや用水などのユーティリティも供給しなければならない。制御システムや情報システムもいる。そこには生産思想のすべてがあらわれてくるのだ。以前、『流れをつくる』(「タイム・コンサルタントの日誌から」2007/03/18)や『製品という名のシステム、工場という名のシステム』(2005/11/14)にも書いたことだが、製品に設計思想があらわれるように、工場にはサプライチェーンの設計思想があらわれる。

ところで、日本でイメージする中国の製造業というと、安い人件費の労働者を大量に投入した、人海戦術のものづくり、といった風のものだろう。'90年代以降、日本企業が中国に工場進出した最大の動機は、“安価な労働力”だった。品質はあまり望めないが、とにかく安い部品や、低付加価値の製品。Made in Chinaのイメージそのものだ。

では、じっさいに私たちが見た工場はどうだったのか。たとえば、大連三至机器(正しくは「至」ではなく土の上にムを3つ並べた漢字だが、無いので代用)という会社を見学した。年商50億円程度の中堅製造業だ。給排水に使う大口径コルゲート樹脂のパイプを製造する産業機械のメーカーである。大型の産業機械だから、とうぜん受注生産である。しかも、部品製造からの受注生産なのに、生産リードタイムはわずか50日だという。

ふつう日本の工場だったら、ひと声「納期は6ヶ月」というところだ。基本設計に1ヶ月、鋳物やモーターや特殊部品の資材購入に3ヶ月、部品加工1ヶ月、組立と立合検査に1ヶ月、というわけだ。まあ、この50日が部品購買リードタイムを含むのかどうかは、確認しなかった。鋳物やモーターがあるから、それもふくめて50日というのはかなり難しいから、工場で部品加工に着手してから完成出荷までの期間だろうか。しかし、購買が個別注文ではなく標準品だったら、それでも全体はかなり早いはずだ(日本で購買リードタイムがやたら長くなるのは、手配慣習に起因する理由があるのだが、それはまた別の機会にふれよう)。

ここの工場は、スペイン製の大型FMSマシンをはじめ、森精機の多軸NCなど自動加工機械が20台以上、ずらりと並んで直線的な加工ラインを形づくっている。汎用機もあるにはあるが、補助的役割に見える。モノは工程内にあまり滞留しないで、きれいに流れて行くらしく、フロアに仕掛りがそれほど無い。これが日本の普通の工場だったら(たとえ大手企業でも)、マシンの回りに1ヶ月も2ヶ月も前の部品が平然と積まれていたりするものだ。

こうした自動機のオペレーターは、みな若い。大連の専門学校で加工機械を学んだ人材を採用しているという。人よりも機械の台数の方が多い。ぜんぜん人海戦術ではないではないか。それだけではない。自動化ラインを中心に部品加工をしているということは、部品設計自体が、それなりに自動加工を意識して標準化されていることを意味する。つまり、製品設計・生産技術・製造管理全体に、筋が一本とおっているのだ。

部品加工を自社でやれば、それだけ設計ノウハウ・製造技術ノウハウが自社に蓄積される。多くの日本企業がやっているように、最終組立だけ自社に残して部品加工を外に出してしまうと、付加価値額の比率も低下するし、結局自社の力が落ちていくのだ。

くり返すが、ここは民間資本の中堅企業である。投資はまったくの自費でやっている。国家から土地建物や資金を投入されている国策会社ではないのだ。それなのに、生産の『あるべき姿』を考えて、果敢に挑戦している。まことに恐れ入った。

なんだかベタ褒めみたいになったので念のために書いておくが、私は別に中国ファンでもないし、誰かに何か恩義があるわけでもない。中国にだって政治的不自由やバブル経済や農村の疲弊、環境破壊などさまざまな困難がある。中国人が理想的な人格者ばかりでない(むしろ聖人君子からははるかに遠い人が多い)のも、先刻承知だ。だがむしろ問題なのは、『チャイナ・シンドローム』(「コンサルタントの日誌から」2004/06/06)にも書いたように、私たち日本人の単層な思いこみの方なのだ。

帰る前の日は、今回の見学先を紹介してくれた大連理工大学を訪問した。広々とした落ち着きのあるキャンパス、すぐれた設備にも感心したが、いちばん印象を受けたのは真面目に勉強する学生たちだった。東北3省のトップ校であり、むろん優秀な人間は多いと思う(東北3省だけで人口は1億3千万人と日本をしのぐから、そこのトップとは、東大以上のレベルといってもいい)。

しかし、何より、今の中国では、一所懸命に学べば、それだけ良い未来につながるはずだという、単純な希望がある。百年前の清朝末期には考えられもしなかった希望である。若い人が、希望を持てる社会。理想を目指しても嘲笑されない社会。私たちも、そうした世の中をもう一度つくらなければ、きっと5年後10年後には、中国に「先進事例」を逆に学びに行くことが当たり前になっていくだろう。
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by Tomoichi_Sato | 2007-06-15 00:05 | サプライチェーン | Comments(0)
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