なぜ信号機が必要か

イギリスの都市近郊を車で走ったことがある人ならご存じだろうが、あの国には「ラウンドアバウト」なる交差点形式がある。「ロータリー」ともいうが、日本のロータリーはふつう駅前くらいにしかなく、そこは車が周回する場所というより、タクシーやバスが停車して乗客の乗り降りをさせる所というイメージだ。ところが英国のラウンドアバウトは通常の交差点に近い機能を持っている。四方からの道路が一点で交差して十字路をつくるかわりに、5-10m半径の円環路に接続している。そして車の流れは一方向(あの国は左側通行だから時計回り)にのみ進むことが許されている。

ラウンドアバウトに入った車は、必ずその流れにのって進み、自分がいきたい方向の道から円環の外にでるルールになっている。この交通システム(?)の特徴は二つあり、(1)車は止まらずに円環の流れにそって自分のいきたい方向にいける、(2)したがって信号機は必要ない、というしくみである。自由かつ闊達なるこの仕組みがイギリス人はたいそう自慢らしく、彼らの支配地域だった中東などでも、よく見かける。

たしかに、いったんなれてしまえば、これはなかなか良い仕組みだとわかる。円環路の流れに合流したり分岐したりするところは若干の運転スキルが必要だが、これにも優先の決まりがあり、危険なことはない。いかにも、紳士の国らしい大人のしきたりであるな、と感じたりする。なにより、誰にも命令指示されることなく、かつ自分が希望する方向を選べる点が、いかにも自律分散・民主的ではないか。

ところで数年前、中東で新聞を広げていたら、「トヨタ・ロータリーをつぶして、信号機を設置します」というニュースをみつけた。このロータリーは別にトヨタがつくったわけではなく、同社の大きな宣伝ポストが近くに立っていたからつけられた市民の愛称だったらしい。その親しまれたロータリーをつぶして、信号のある交差点に改造する工事をするという。数日間は交通が遮断されるから、記事になったのだろう。

では、なぜこのように素晴らしいシステムであるロータリーをつぶして、渋滞と喧噪の象徴である信号機を導入するのか。中東がイギリス支配に反抗する政治的象徴なのか? それとも民主主義など眼中にない首長国の陰謀なのか? --むろん、そんなことではない(と思う)。記事によれば、彼らの理由説明は、きわめて単純なものだった。それは、「交通量の増大」である。

英国郊外の美しい(場所によっては多少醜い)街並みを走っているときには気づかなかったが、ラウンドアバウトは、車の交通量があまり多くないときのみ、快適に機能するものなのだった。入ってくる交通量がある一点を超えて増大すると、円環の流れに合流することができずに左折待ちの車の列がだんだん増えてくる。待ち行列の理論をご存じの方ならわかるはずだが、到着する車の頻度がロータリーの円環路の最大流量に近づくにつれて、この列は加速度的に長くなっていく。つまり、ひどい渋滞現象をひきおこすのだ。こうなると、とても非能率な民主主義社会が出現する。

信号機つきの十字路は、これを指示命令方式で遮断する。そして、縦横の流れを交互にせき止めて、減速せずに通過できる直線的な流れをつくりだす。道の通行を半分の時間は止めてしまうのだから、信号はたしかに(ミクロな視点では)運転者の敵であり、道路の輸送能力をかなり減らすことになる。しかし、交差は地理的にどうしても生じるものだ。そして、信号機つき十字路は、自由闊達なラウンドアバウトよりも、さばける交通量の上限が大きいのだ。

それでも、交通量の増大とともに、信号機つき十字路もいつか限界に達することがあるだろう。そのときはどうするか? ご存じの方もあろうが、複数の信号を系統的に制御して、流れの遮断を同期化してやるのである。大きな国道沿いに(不幸にも)住んでいる人はこの事実を経験的に知っているはずだ。

さて、私は何を言おうとしているのだろうか? これまで読んでこられた方は、もううすうす気がついておられると思う。生産管理やサプライチェーン・マネジメントにおいて、集中管理と協調分散のいずれが良いかという議論が時々ある。しかし、こうした論点を単なる「あれかこれか」のドグマとして論じても、仕方がないということだ。私は、『質量転化の法則』、あるいは(自分の好きな用語で言えば)『スケールアップの法則』の信奉者である。量にしたがって、システムは質を変えるべきだと信じている。

設計の指示系統は混乱し、工場は材料や仕掛品であふれ、誰もが毎日の仕事に追われて改善どころの騒ぎではないような職場があったら、それはたぶん、車が増えすぎたロータリーなのだ。量の増大に質の変化が追いついていない、いや変化の必要性に気づいていない、ということを示している。そこには、信号機が必要である。信号機があるのに混乱しているのだとしたら、そこには信号管制システムが必要なのだ。

信号機は、マネジメントでなく、コントロール(管制)をするだけだ。プロジェクトとか生産とかを論じると、すぐマネジメントだの人材だのの話になるのが最近の傾向のようだが、私はその前に考えるべき事があると思う。それはコントロールなのだ。

プロジェクト・マネジメントではなく、まずプロジェクト・コントロールを。生産管理ではなく、生産コントロールを! 
by Tomoichi_Sato | 2007-02-09 00:06 | 考えるヒント | Comments(0)
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