前にも書いたような気がするが、冷房が苦手である。20代の終わりころ、南国で冷房病にかかった。以来、冷たい人工の風にあたり続けると、次第に首肩の筋が緊張し、頭痛がする体質になってしまった。電車は、だから弱冷房の車両を探して乗る。職場でも、なるべく冷房の風があたらない席をありがたがる。 この数日間、台湾で休暇を過ごした。街は活気にあふれ、見どころも多く、食事も美味しい。とても良い所だと思ったが、一点、どこでも冷房がきついのには閉口した。盛夏は過ぎたとはいえ、日中の気温が34℃にもなるこの時季、むろん冷房なしで客を迎えるなどありえない。 それは分かるのだが、蒸し暑い陽当たりを汗だくになって歩いた後、冷房の効いた建物や乗り物に入ると、汗が急冷されて、体温のフィードバックコントロール系が混乱していくのを実感する。防護のために上着を持っているが、そんな物では追いつかない近代技術の暴力である。一日出歩くと、クタクタになった。 もちろんこういう困惑は、台湾に行かずとも、住む街でいくらでも体験できる。わたしがよく利用するT電鉄は、冷房をガンガン効かせることが顧客サービスの第一だと心得ているらしく、春の連休くらいになると待ち構えたかのように冷房を入れ始める。せっかく上着がいらない気節になったのに、用心のために持ち歩かなければいけない。冷房がT社のサービスポリシーの産物であることは、車両が乗り入れ先のS鉄道に入ると急にゆるくなることで分かる。もっともS社は、冬は暖房の効きがわるくて寒いので、これはこれで閉口だが。 というように冷房嫌いで虚弱体質(?)なわたしが、なんでこんなタイトルの、しかもある意味で挑戦的な記事を書こうとしているのか、賢明なる読者はいぶかっておられると思う。でも、もう少しだけ我慢して、個人的な思い出話に付き合ってもらいたい。 子どもの頃、両親に連れられて初めて東海道新幹線に乗った。夏休みに東京から熱海に行くつもりだったのだが、列車の中で両親は気をかえて浜松まで足を延ばすことに決めた。新幹線はまだ開通したばかりだった。日本が資金調達のために世界銀行から大枚を借りて、結局その借金が国鉄を潰す遠因となった、戦後の一大近代化プロジェクトの成果である。 その最新鋭の列車の席に座ると、車両の天井から冷気を出す仕掛けをさして、うれしそうに「エアー・コンディッショニングだ」と父親は言った。亡き父はエンジニアで、そういう進歩的な仕組みが好ましかったのだろう。わたしは子どもだったので、両親と一緒に海に行けるだけで楽しかったから、暑くても気にならない。でもこのとき父親が胸中、何を考えていたのかは、ずっと後になるまで分からなかった。 その頃の公共施設は、冷房なんてかかっていないのが普通だった。学校もそうだ。小学校から大学院まで、わたしが通った学校は(たまたますべて公立だったかもしれないが)、冷房なしだった。今では信じられないだろうが、某県立高校に至るや、冬の暖房さえなかったのである。「一冬我慢すれば慣れる」と、ベテラン教師はうそぶいた。同じテニス部のK君(後に台湾駐在を経験し、わたしに見どころを紹介してくれた)が、教室内でコートを着て震えていた姿を、今でも覚えている。 会社に入ると、さすがに冷房がかかっていた。入社当時のオフィスは、横浜郊外の住宅地にある、築30年は越した古い鉄筋の建物だったが、それでも空調はあったのだ。エンジニア達が働く職場で、図面を引きながら汗がポタポタ、紙の上に落ちるようじゃまずい、という配慮だったのかもしれない(当時は図面は製図台で引いていたし、仕様書なんか全部手書きだったものじゃよ、お若いの)。とくに電子計算機サマなぞ、室温20℃という尋常ではない部屋に置かれていた。 週休二日制で、大学と同じ最新鋭の電子計算機を実業務に使用し、職場にはちゃんと冷房のかかっている会社は、ものすごい大企業とはいえないけれども、少しだけ誇らしかった。 つまり、冷房というのは、ながらく近代化の象徴であり、また贅沢品でもあったのだ。これが昭和時代に育った人たちの、頭の中の概念なのである。平成になってもう30年近くになるというのに、私たちの社会はいまだに、昭和の概念で、しばしば動いている。 さて、以前、「工場レイアウト設計の典型的問題と、そのエレガントな解決法」 http://brevis.exblog.jp/24532084/ という記事で、工場のレイアウトについて、あえて2階に製品出荷口を設けることで、多層階ながらシンプルなモノの流れを作ったN社の例を挙げた。そして実はもう40年以上も前の事例だ、ともつけ加えた。実はこのプロジェクトをリードした人は、新工場を作るにあたり、どのような設計思想で取り組んだのかを、技術評論社から出版した「実践的NCマネジメント入門」という著書に書き残してくれていた。 その中心となる生産システムの構想については、ここではあえて触れない。ただ、この人は新工場を作るにあたり、「この日本に町工場を一つ、いまさら増やしても仕方がない」と考えたのだった。そして、きわめて先進的な生産システムづくりとは別に、実現したことが一つあった。それが、全館空調の機械工場である。 N社は金属加工と機械組立を仕事としている。まあ、鋳物のドンガラを削る仕事である。知っての通り、金属加工は切削油のモウモウたる煙漂う職場であり、その工場は鉄骨スレート葺の建屋、外気開放型の仕事と相場が決まっていた。夏暑く、冬寒い。そして危険だ。今で言う3K職場である。 この人はそういう職場を変えようとした。だが、ことは簡単でない。まず、切削油はどうするのか。彼は水性の切削油に変えることに決めた。もちろん、そんな事をしたら、工作機械の刃物の切れ味が、全く変わってしまう。今まで工場の職人達が、慣れて蓄積してきた加工のスキルが、全部チャラになってしまう。 この人の方針変更はしかし、それだけではなかった。切削に使うバイト(刃先)をすべて、使い捨てのスローアウェイに変えさせた上に、種類を50本に制限した。新しい工場ではNCマシンを全面的に採用する。そこで、これを期に加工条件の標準化を図り、データベース化しようというのが、ねらいだった。それは、従来、職人の各個人が抱え込んでいたノウハウの共有化だった。 それにNCマシンならば、それまでの人間の手作業ではできなかった加工条件を試せる。その際は、チップの寿命を無視しよう、と決めたのである。そして設計図を作る技術部には、この50本のセット内で加工できるように、部品図面を作り直すよう依頼した徹底ぶりである。 しかし、こうした急進的な方針は、当然ながら現場の職人の反発を招いた。ある日、彼のところに、現場の職長代表が20人くらい、談判にやってきた。そして、「こんな切れないバイトじゃ生産性ガタ落ちだ」という。 これに対し、この人はなんと答えたか。以下、技術評論社刊「実践的NCマネジメント入門」から直接引用しよう。 「わたしはこの時、2つのことを話したように記憶している。1つは、個人個人がそれぞれ自分流の研ぎ方でやっていたら、いつまでたっても個人であって、全体の能率が上がる可能性はない。それで組織的に統一して集中研磨に移っているのであるが、この集中研磨を担当している『トギ屋』に一生なってもいいと言う人は手を上げてもらいたいということ。 第2に、スローアウェイは切れないというが、NCはスローアウェイで問題なく作業を行っている。スローアウェイを使いこなす自信のない人は、NCに切削条件を習いにいったらどうだ、という2つであった。NCに習いに行けということは、とりもなおさず前年入った新入り(NCの加工プログラムを作成した)に習いに行けと言うことである。 現状ではいくら能率が落ちても過渡期だから一向かまわぬ。5年先で、どちらが良いか判断しようではないかと。」(同書p.96-97) 結局、この方針のまま押し通してして、新工場建設プロジェクトは進められた。そして工場への全面的空調の導入も、行った。ただ、新工場の建屋の費用や新しい機械の購入費はともかく、けっこう大きな費用となる空調費用だけは「どうやってソロバンを置いたらよいのかすら、わからなかった」と書いている(p.56)。つまり、今風に言えば、投資の費用対効果、ROIが計算できないということだ。 ともあれ、N社の新工場は、斬新なレイアウトから大胆な生産システムの構築まで、「多品種少量・受注設計生産の機械工場はこうあるべき」との理想を、既存のこだわりを捨ててゼロから発想して作ったものとなった。建物は建築学会賞を受賞した。 では、全館空調の効果はいかなるものだったのか? それは、直接には測れない。それまで冷房なしでやってきて、特に問題があったわけでもない。自分たちが『快適』に仕事をしようというにすぎぬ。 だが、「こうした環境整備とそれによる不断の整理整頓、モラールの向上によって、新工場建設後、かすり傷を含めて労災件数が10分の1以下に激減し、不就労災害がほとんどなくなった」ことは事実だ(p.57)。 それで? ながながと、40年以上も昔の事例のことを書いてきたのは、理由がある。N社の工場を設計したのは、じつはわたしの父親なのだ。 父親が新幹線で「エアー・コンディッショニングだ」といったとき、考えていたのは工場のことだったはずだ。言うまでもないが、空調とは冷房のことではない。空調は「空気調和」の略で、"Air Conditioning"の訳である。人が快適に過ごせるよう、建物全体の空気の純度や湿度・温度を調整すること。これが空調の意味である。もちろん、空調は冷房とイコールではない。多くの人が不快になる冷房だったら、それは空調として機能していない。 だが、なぜそんなものが工場に必要なのか。それは、工場とは人が働く場所だからだ。近代化の象徴でもなく、贅沢でもない。人が働いて、そこで価値を生み出す以上、少なくとも技術的に可能である限り快適な空間・環境であるべきだ。働くことには苦心も忍耐も伴うが、しかし、それ自体が「面白い」ことでなければ、良い仕事は生み出せない。 工場の労働が、一生をかけてやる甲斐のある仕事であるためには、どうあるべきか。どうあってはいけないか。著書の中では、「シビルミニマム」という言葉を使っているが、話は空調だけの問題ではない。細分化された仕事を延々繰り返すあり方が、望ましいのかどうか。チップのスローアウェイ化について、「工場全体をスローアウェイ化しようとしたのは、NCの問題を除けば、来る日も来る日もバイト研ぎをやっている『トギ屋』を廃止しようとしたのが主要な理由である。」という。それに比べれば、空調化などたやすい事だったろう。 むろん、こういう主張を書けば、いろいろな反論が寄せられよう。先回りして予見しておくと、 (1) そんなことをしたらコスト競争力を失い、結局は中国やアジアに仕事全体を奪われかねない、 (2) 工場の製品特性や製造レイアウトから考えて、建屋の空調化は現実的に無理、 (3) 工場労働以外にも寒暖激しい労働環境はいくらもあるのに、なぜ工場だけ空調するんだ くらいに大別できるだろう。 (1)については、その程度で失われるような競争力ならば、しょせんビジネスとしては長続きしまい、と答えよう。だって本社のオフィスは空調しているのでしょう? だったら空調は必要経費ではないか。いや、そんなにコストが心配なら、いっそオフィスも空調はやめて経費を節約したらいい。そもそも、そんな事をいっていたら、人手不足が深刻化する昨今、働き手を確保できなくて立ちゆかなくなるに違いない。 エンジニアなら、(2)の理由もいろいろ思いつく。フォークリフトが内外を頻繁に出入りする、大型の資機材を搬出しなければならない、火を使う作業である、天井が高くて空調効率がわるい・・。だが、そうしたことは本質的ではない。水性の切削油と同様、やろうと思えばいろいろな工夫がありうるのだ。それを講じるのがそもそもエンジニアの仕事ではないか。 間違ってほしくないが、空調=冷房、ではない。働く環境をできるかぎり快適かつ衛生的にすることが、空気調和の目的なのだ。その目的を理解した上で、必要なら局所冷却とかミストシャワーとか成層空調だとかを取り入れればいい。 では、(3)はどうか。わたしは建設業の人間なので、屋外作業がゼロにならないことは重々知っている。建設業だけではない、農業も、警備業などサービス業も、屋外で働かなければならない。こういう人達がいるのに、なぜ工場労働者だけが空調にあたっていられるのだ? 他の業種を差別するのか? 答えは、逆である。他に屋外作業があるから、工場も空調不要なのでは、ない。厳しい屋外作業に対しては、むしろハードシップの費用を上乗せして払うべきなのである。それが市場原理ではないか? 自営業の農家はともかく、給料をもらって働く職場である限り、厳しい環境の方がフィーが高いのは当然である(スキルへの報酬差は別として)。今、もしそうなっていないのだとしたら、現状こそ差別されているのだ。 こういう発想が出てくるのは、結局、地方が低賃金労働者を出稼ぎの形で無尽蔵に送り出していた、昭和時代の意識の名残なのだろう。40年以上も前に、小さめの中堅製造業が実現できていた全館空調の工場を、多くの企業がいまだに思いつきもしない。わたしのこの議論だって、今はたまたま人手不足だから聞く人も多少いるだろうが、また景気が低迷すれば逆戻りする可能性大であろう。空調など贅沢だ、と。 工場というのは、「人が働くとはどういうことか」の思想を具現化したものである。どんな工場も、それを見るだけで、その企業が「働くこと」をどう考えているのか、分かってしまう。工場を見た人が、すごい、是非ここで働きたい、と感じる場所にしたいのか。それとも、自分の息子や娘には、働かせたくない場所なのか。あるいは、こうたずねてもいい:工場とは、働く人が知恵や技を育てて価値を生む場所なのか、それとも金が金を生むための道具でしかない場所なのか。 もし日本企業が後者のような経営観を是としないならば、工場には空調をつけるべきである。
by Tomoichi_Sato
| 2017-09-12 23:56
| 工場計画論
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Comments(3)
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関ものづくり研究所
at 2017-09-13 08:30
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100%同意です。私はサラリーマン時代に3つの工場を建設する機会に恵まれましたが、そのうち一つの工場でインテリジェント空調を実現しました。
人間は一人ひとり快適な温度が違います。そこで、天井の空調吹出口一つ一つの温度や風量、風向きを個別コントロールできるようにし、作業者の配置(名札に記されたバーコードで把握)により演算、工場全体の温度分布を最適にするというものです。作業者さん(すべて女性)には大好評でした。 しかし、私が退職後、その工場が拡張されました。拡張部分にはコストを抑えるため空調設備に個別コントロール機能を付けなかったそうです。当然拡張部分で働く作業者からは不満の声が上がります。 マネジメント層の対応は・・・「既存部分の個別コントロールをやめる」でした。せっかく快適な職場環境を作り上げたのにそれを改悪の方向にもっていく。あり得ないですね・・・私はもう部外者ですが、この話を聞いた時には心底腹が立ちました。マネジメント層の作業者に対する思いやりのなさは生産性や品質に必ず跳ね返ってくるのです。
2
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T
at 2017-09-13 09:10
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空調が代表例として取り上げられておられますが、そもそも仰られたいのは働く人の環境を整備することによる、以前にここにも書かれていた「働き甲斐の創出」ではないかとお見受けいたしました。
私も現場出身で、今は立場が変わりましたが、今の立場だからこそできる現場へのサポートとは何があるか、を心がけるようになりました。 今も昔も、現場が気分よく仕事ができるということは必ずや品質、歩留まり、クレーム、労働時間、それらに直結すると信じていますし、感じてもいます。 それらを現場に伝える際、先生のようにうまく言葉が紡げればいいのに、といつも思います。
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ため
at 2017-09-18 21:17
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とても同意します。
私はITエンジニアです。職場は工場ではありません。立場も現場のリーダー止まりです。 でも、常に労働者が気持ちよくいられるよう心配りしています。 エアコンによる寒暖差を和らげるためにサーキュレーターを置いたり、ちょっとした議論ができるように折畳み椅子をいくつか置いたり。 働くということが苦しみであるのが当たり前なわけはないと思います。 我々の人生において長い割合を占めるであろう働く時間をより良く過ごすことが、より良く生きることに繋がると思うのです。
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