2000年に、中村実氏ら何人かと共著で『MES入門―ERP、SCMの世界と生産現場を結ぶ情報システム』を上梓した。わたしが担当したのは第3章「MESを中核とした垂直統合 -プロセス産業のケース-」というセクションだ。製造業、それも製造現場の情報システム化という地味なテーマの本だったが、一応、それなりの評価を得た。類書が少なかったせいもあるだろう。いまでも、あの本を読みましたよ、という方から声をかけられたりする。 ここで一応、MESとは何かについて、おさらいをしておこう。何年か前に、その名も「MESとは何か」という記事も書いたが、MESとはManufacturing Execution Systemの略で、日本語では「製造実行システム」とも訳される。だが、普通は「製造管理システム」とよんだり、あるいは略称のままMES(メス)ということも多い(ただし英語ではエム・イー・エスとスペルアウトして読むのが正式である)。 製造業のことを良く知らない人は、MESと「生産管理システム」とをよく混乱しがちだが、別のものだ。生産管理システムは全社レベルで、製品別の生産・在庫・出荷などを計画し、部品材料の調達を決め、実績を集計する。さらに原価や収益を計算したりする。だからお金に関わる人達、つまり経営者や営業部門や会計部門も、そのアウトプットを見たりする。だがこうした人達がMESの画面をのぞき込むことは、まずない。 MESの概念は、1993年に、米国の製造業向け調査コンサル企業であるAMR Research社が提唱した、3層モデルに端を発する。AMRは、製造業の機能を、 ・主に本社が担当する「計画層」、 ・主に工場が担当する「実行層」、 ・機械等が働く「制御層」、 の3レベルにモデル化した。しかし最上位の「計画層」という言葉は分かりにくいので、「ビジネス層」と読み替えても良いと思う。ここを担うITシステムはERPである。また最下層の制御レベルで動くのは、たとえばPLCやDCSなどのシステムである。 AMRはその上で、ビジネス層(ERP)からの計画・要求を、現場の機器・制御層(PLCなど)レベルにつなぐ中間層の機能が、IT的な<ミッシング・リンク>(失われた環)になっていると指摘した。そしてこの部分を担うシステムを、Manufacturing Execution System = MESとよんだのである。 わたしは90年代の半ばから、海外プロジェクトでプロセス産業におけるERPとMES層の仕事に、従事してきた。その経験を元に上述の『MES入門』第3章を書いたのだが、その中で「8の字モデル」という概念を提案した。これはAMR Researchの3層モデルを元にしつつ、意味的には換骨奪胎したものだ。AMRは米国流トップダウンの経営思想で、本社の要求を現場に落とし込む、つなぎ機能としてMESをとらえた。だが、実際の現場を見てきたわたしには、MESはオートメーションにおけるミッシング・リンクというよりも、製造管理者の仕事を助ける道具である、という主体的な位置づけの方がふさわしいと思えた。ちなみに製造管理者とは、工場の製造部門のホワイトカラー層のことである。 さて、わたし達はさらに前述の本の姉妹版として、2004年に『図解 MES活用最前線―実践事例でわかるMES(製造実行システム)導入のポイント』という本を上梓する。この中で、かなり幅広い業種・企業から、MESによる製造現場情報化の事例を集めて紹介した。 この本には、自動車会社のALC(アセンブリー・ライン・コントロール)システム、フォークリフト製造会社の工場全体をカバーする本格的MES、そして、今や製品に内蔵したIoTシステムで有名になった建設機械メーカーのMESなど、さまざまな事例が図解付きで紹介されている。なお最後の建機メーカーのMESは、現場への指示中心でPOP的だが、現場ユーザが音声でシステムに指示を出すという点でかなりユニークな事例である。ただ、あいにく出版元の工業調査会自体がすでにないため、どちらの本も今やかなり入手困難だ。 さて、それから10年以上の歳月がたった。では、MESに関わるものごとは、どれほど進展したのか? 工場にMESがあることが当然であり、MESが製造のほぼ全域をカバーしている、という業種は、2004年の刊行時点では、
などであった。それ以外は、製造の情報化について、部分的なトライアルが行われている、一種の事例集であった。 その事態は、2017年の今も、あまり変わっていないように思える(少なくとも日本では)。たしかに17年間でMESソフトウェア情報や、ベンダーの勢力地図は変わった。海外ITベンダーからは、今や、より統合的な(そして高価な)MESパッケージが販売されている。ただし、日本ではあまり売れていないらしい。 こうした新しい仕組みの普及度については、ざっくり三種類に分類できると思う。 (1) 一番上に来るのは、『必須レベル』である。 「それがない工場は考えられない、それがないと製造の仕事が回らない」というくらい、仕事に組み入れられている。たとえば会社のITならば、会計システムだろう。今どき、そろばんと電卓で経理している企業はもう、ない。あるいは車にたとえるなら、オートマチック・トランスミッションか。今どき、新車の98%はAT車で、マニュアル車は例外に近い。 (2) 二番目は、『普及レベル』だ。 「普通はある。ただし、なくてもなんとか仕事は回せる」がこのレベルである。車でいえば、カーナビだろうか。製造業ならば、販売管理(受注管理)システムだ。これがないと、受注番号(製番)を起こせないし、出荷遅れや請求漏れも生じかねない。あるいは設計系ならば、CADシステムだろうか(ただし、3D-CADとなるとあやしいが)。 (3) 三番目は『オプションレベル』だ。 「先進的な工場にはある。あると仕事に優位性や効率性が出る」という種類のものである。口さがない人からは、趣味だとか、好きものだとかよばれかねない。車なら自動ブレーキ、さらには夢の自動運転か。 そして、明らかにMESはまだ、このレベルにいる。 だが、なぜMESは普及しないのか? 一昨年のこと、わたしが所属する「ものづくりAPS推進機構」の委員会で、ある会話に衝撃を受けた。それは、多くの製造現場で使っている自動化された工作機械、NC(数値制御)やMC(マシニングセンタ)に関することだった。こうした高価な自動機を制御するPLCの外部通信インタフェースは、いまだにRS-232Cが主流だというのだ。RS-232C! それって、1980年代に、パソコン通信で使っていた低速のシリアル通信規格ではないか。 いや、その場にいた某大手PLCメーカの人は、「RS-232Cがついていればいい方です。旧いマシンのPLCになると、外部I/Fすらついていませんから」というのだ。だから複雑な加工のどこまで進んだかを、リアルタイムでモニタリングできない。進捗管理はある意味、ショップ・フロア・コントロールの柱だが、それができるようになっていないのだ。まあ、メーカー側ももう少し高機能なNC用I/Fは開発して出している。だがそれもPLCメーカーごとに規格が違う。 その場の話では、ドイツではこうしたI/Fは標準化が進んでいて、どこの工作機械メーカーをもってきても、すぐにつないでリアルタイムに機械の状態を監視できるということだった。わたしはしばらくディスクリート系(組立加工系)の仕事から遠ざかっていたので、日本でこうした状況が続いていることに驚いた。 しかし、NCマシンの切削状態監視どころではない。多くの組立加工系の工場では、工場出入口の扉を後ろ手に閉めて、建物の一歩外に出ると、中の機械が動いているか止まっているのかさえ、分からないのである。最近見た、日本の製造業をリードする自動車産業のTier-1サプライヤーでさえ、いまだにそうなのだ。 ただ、それでこまらなかったのは、カンバン方式に代表されるトヨタ生産システム(TPS)を実現しているためである。トラブルがあっても、「アンドン」で見える化し、現場で近くにいる人がすぐ問題解決するのが、TPSの思想である。だから建物の外から機械の稼働をリモートで監視する必要はない。NCマシンの通信I/Fが古いシリアル通信のままなのも、そういう思想が理由なのだろう。加工プログラムだけNCに送れればいい。加工中に問題が起きたら、現場の多能工がトラブルを解決する。 それは、現場の技能員が優秀ならば可能なやり方である。だからトヨタは「ものづくりは人づくり」と主張し続けているのだろう。だが、「それはトヨタ系だからできること」と、知り合いの中小企業経営者はいう。彼の会社では、現場の人にとてもそんな能力は期待できない。だから、「問題が起きたら俺を呼べ」と、つね日ごろいっているそうだ。 それにしても、現場カイゼンの得意なJITコンサルタント流のIT不要論をきいていると、まるで「熟練のドライバーなら、マニュアルミッション車を上手に運転できるし、地図も頭に入っている」という主張を聞いているようだ。なるほど、たしかに熟達の人ならば、ATやカーナビ的なシステムは不要だろう。だが、「その熟練の技、どうやって海外展開するんですか?」 と聞きたくなる。 いや、その前に、「どうやって後輩に伝えるんですか?」といいたい。・・だいたい今どき、工場に好きこのんで働きに来てくれる、優秀な若者ってどれだけいるの? 夏暑く冬寒い、外気開放の鉄骨スレートの建物の、油煙舞い立つ職場に、誰が来たがるのか。これからの工場というのは、むしろ、見学した人がみな、「ぜひここで働きたい」と思う環境でなければいけないのではないか。そう思うのだ。 いや、つい話がそれた。 製造管理に話題を戻すと、いくら現場が優秀でも、一つの現場だけでは解決しきれない問題、判断しがたい指示変更はいくらでもあるはずだ。複数工程にまたがる変更や、負荷のアンバランスなどである。そして週単位・月単位での、品質や生産性や労働安全の傾向などもそうだ。わたしの言い方でいうと、現場の個別問題は「技術的問題」である。他方、いわゆる「パフォーマンス問題」をこそ、製造管理者は発見し、解決しなければならない。 以前からMESが当たり前に導入されてきた、半導体、液晶、石油・化学、医薬品に共通することは何か。それは、製造エリアがクリーン度を要求される、あるいは危険物質を扱い防爆が必要など、現場作業に人手をかけにくいことだ。結果として、機械設備リッチな工場になる。製造のみならず搬送を含めて、広範囲に自動化される。 こういう工場は、機械との通信I/Fを含めてMESを入れやすい。むしろMESがないと工場が動かない。最初からMESの存在を前提に、工場レイアウトも設計される。だから、「製造現場を後からスマート化する」発想では、そもそもないのだ。ただ、自動車工場の最終組立ライン用ALCシステムはやや例外で、人による組み付け作業が中心になっている。しかし多数の部品と指示からなる複雑な製造システムであることは、共通である。 結局、MES普及のボトルネックはビジネス層とのつながりではなく、制御層・製造現場との接続だった。 ではなぜ、現場の機器・制御層とつなげなかったのか?。ひとつには工場の既存設備の問題があるだろう。機械制御用PLCのI/Fが乏しいばかりか、PLCを持たない単純機械や、手作業もかなり介在する。 またIT技術的な問題もある。工場内の適切な通信プロトコル標準がまだ存在しない。ネットワーク一つとっても、まだベンダー間のバトル状態である。それにセキュリティ対策の懸念もある。 そして、規制や商習慣の問題もある。電気・空調・消防系設備のシステムは、いわゆるビル・マネジメント・システム(BMS)とよばれる領域であり、製造系システムとは別業界で、共通I/Fもない。また仮に製造機械が外部からネットワークでつながったとしても、機械メーカーが外部からの制御を歓迎しない、などがあげられる。 かくして製造管理者と現場との間には、壁ないし岩盤があったのだ。そして、だからこそここに、IoT技術登場のインパクトがある。ようやく、センサーやSCADAを介して、機器やデバイスレベルのデータをとれるようになったのだ。 では、それはどのようなインパクトなのか? 長くなってきたので、続きは次回書こう。 <関連エントリ> →「MESとは何か」http://brevis.exblog.jp/14886701/ (2011-06-02)
by Tomoichi_Sato
| 2017-08-19 23:57
| サプライチェーン
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