数年前、製造業に働く方から相談を受けた。その企業では、西南アジアの某国でプロジェクトをはじめるという。プロマネ以下、何人かのチームでその国に乗り込み、現地企業と共同で新しい製品の製造ラインを作る仕事だ。そこで、何かアドバイスがあれば頂戴したいという話だった。 もちろん、わたしはその会社の製品について何も知らないから、技術的アドバイスなどしようもない。できるのはマネジメント的なアドバイス、つまりプロジェクト・マネジメント面での助言ということだろう。そこで、チーム編成やプロジェクト期間などについて少したずねた後で、わたしは申し上げた。 「ビジネス・マネージャーを任命してチームに入れるべきです。 営業畑でも、法務でもいい。文系の人を任命してください。」 技術的プロジェクトだからと言って、技術者ばかりでチームを編成するのは賢いやり方ではない。そう、わたしは申し上げた。もちろん文系といっても、英語が一応しゃべれることが望ましいですが(その国でビジネスをやるなら、英語のコミュニケーションが必要になる。大学教育は英語で行っているはずだから)。 −−でも、ビジネス・マネージャーって、何をするんですか? それが先方の疑問だった。なるほど、知らない人には分かりにくいかもしれない。 日本には理系と文系という、諸外国にはあまり見ない不思議な制度的区分がある。理系の人は文系のことは知らなくて良いし、文系の人は技術に興味がなくてもて当然だという、思考習慣がある。MITすなわちマサチューセッツ工科大学に、経済学や言語学の講座があってもいいじゃないかと考える欧米流とは少し、ギャップがある。 ただし英語では(つまり、英語でビジネスをする業界では)、Technical と Commercial という区分がある。たとえば、きちんとした国際入札は普通、Technical Proposal と Commercial Proposalのに分冊の作成が要求される。日本語でいえば。技術提案書と商業提案書かな。 技術提案書には、設計面での提案や、遂行方針などが記される。そして商業提案書には、価格(明細・合計)、支払・保証など契約面についてが書かれる習慣だ。通常の日本の商慣習に翻訳すれば、前者が「見積仕様書」、後者が「御見積書」になるだろう。 そして国際入札では、まずTechnical Proposalの評価(技術評価)で合格した入札者のみ、Commercial Proposalが開封されるルールになっている。入札の選定は、値段だけでは決めない。いや、先に値段を見て安い応札者に対して、技術面をネゴしたりもしない。まして、技術的には優秀だが値段が二番手以下の応札者に対し、一番札の値段を教えて値引き要求をしたりもしない。これが国際的な慣習で、それを破ると業界内で信用を失う。つまり二度とまともに入札ができなくなる(応札者がいなくなる)、という仕組みである。このようなTechnicalとCommercialの区別と順位付けが、国際入札の仕組みを守っているのである。 さて、Proposal全体を取りまとめる責任者は、PM=プロマネである(あるいはProposal Managerともいう)。そしてCommercial Proposalの部分をまとめるのが、BM=ビジネス・マネージャーの仕事なのだ。 しかし、BMの仕事が一番大事になるのは、受注後の遂行段階である。そして、客先との交渉(ならびに、その準備)が主要な仕事の柱となる。追加や変更に伴う交渉においては、BMが過去の書類やメールなど、証拠(エビデンス)を全部まとめ上げる仕事をしてくれる。そして変更に伴うインパクトや、作業費用を見積もるのもBMだ。さらに過去データや外部企業の事例を探してきて、交渉の材料にするのだ。ここまで揃えば、プロマネの交渉の仕事はずいぶんやりやすく、楽になる。 なんだそれ、営業の仕事じゃないか、と思われた方もいるかもしれない。かもしれないが、貴方の会社の営業マンは、受注後もプロジェクトにはりついていられるだろうか? それも海外プロジェクトの現場で? せいぜい、たまに来て手伝うだけではないだろうか? それに、交渉以外にもやる仕事はたくさんあるのだ BMは金銭や契約や雇用・労務に関わる一切の仕事に責任を持つ。もう少し具体的に列挙すると: - 客先への請求と支払いに関わる事項 - 変更(Change Order)と見積・交渉に関わる事項 - プロジェクトの資金管理とキャッシュフローに関わる事項(海外プロジェクトならば外貨と為替も) - 要員の手配・採用に関わる事項(海外ならばビザ手続きも) - 外部発注企業に対する契約と支払いに関わる事項 - 執務環境に関する事項(海外プロジェクトならば宿舎の手配も) こういうこと一切合切を仕切るBMがいなかったら、どうなるだろうか? こうした事柄は、いずれにせよ不可避である。避けて通れないのだ。となると、結局誰かがやるしかない。そして、それはつまりプロマネの仕事になってしまうのだ。技術に専念したい技術系プロマネにとって、こうしたことは「雑用」に思える。わたしは技術以外のことを、雑用として軽んじる見方には組みしないが、そう考える人は現実に多いだろう。 ここで、R・ハインラインの名作SF「月を売った男」 に出てくる挿話をわたしは思い出す。この物語の中で主人公は、自分が月ロケットの設計図に集中したいときにかぎって、運送業者がトラックの手配について文句を言ってくる、といって嘆く。すると彼の片腕になる男が現れて、そうした「一切の雑用」を自分が引き受けます、だからボスは技術に集中してください、と宣言するのだ。 ソフトウェア産業における生産性の問題を論じた「人月の神話」 の著者Brooks Jr.は、この「月を売った男」のエピソードを引用し、技術系PMの下に、商務に強いBMがいるのが理想だ、と書いた。たしかに一つの考え方である。 いや、ちょっとまって。ウチの会社にはそんな、営業面も法務も人事も会計も総務もわかるような、しかも英語も話せるようなスーパーマンはいないよ。そんな声も聞こえる気がする。たしかにそうかもしれない。 だが海外のライバル会社には、専門のBMがいるかもしれない。BMの交渉力やサポートが案外、赤字と黒字の分かれ目になるかもしれない。だったら、今からでも育成するしかないのだ。そのためには、まず、ビジネス・マネージャーという専門職種が必要なのだと、会社が認識することが先決だ。 以前にも書いたが、わたしは「文系」と「理系」という人材の区分をあまり認めていない。わたしの勤務先には、いわゆる文系出身ながら、エンジニアリング会社のプロマネとして立派な仕事をしている人が何人もいるし、まだ駆け出しだった若い頃について勉強した先輩も経済学部出身のエンジニアだった。またわたし自身、理系と文系の両方の資質を持った人間だと自覚している。だから、「技術屋だから契約オンチでいい」とか「営業マンだから設計の話は知りたくない」といった、自分で壁を作ってしまう人々の態度は、一種の怠惰だと思っている。 だが、文系・理系という区分は世間に流通しているし、そういう形で自己規定している人も多い。だったら、せめてその範囲内では責任感を持ってもらいたい、というのがわたしの期待だ。だから営業マンであって労務や会計は素人であっても、せめて「文系の守備領域」については、技術屋に対して自負を持ってくれるだろうと思い、冒頭に述べたような提案をしたのだ。 念のためにいうけれど、プロマネ人財だって、固有技術も管理技術もよくわかり、かつ人徳があってリーダーシップも豊富な、スーパーマンみたいな人は滅多にいないと思う。で、スーパーマンがいなくても仕事がある程度成り立つためには、仕事の仕組み(システム化)が必要なのだ。そしてプロマネを補佐したり助けたりする支援組織や専門機能が必要である。 もちろん、ちゃんとしたプロマネをまず、意識して育成しなければならない。ただプロマネは最終責任者なのだから、BMの領域についてだって、少しは知る必要がある。つまり契約や請求や会計や雇用について、せめてBMとちゃんと会話が成り立つ程度には、概念と用語の知識が必要である。そしてBMの側にとっても、営業や財務や法務など本社の専門部署からのサポートが必要なのである。 冒頭にあげた会社が、うまくBMを任命できたかどうか、残念ながらその後の話はまだ聞いていない。社内で見つけるのは、そう簡単でなかったろう。ただ海外ならば、逆に欧米人の専門家を雇う手段だってある。まあ専門家を呼べば、たぶん高給取りだろう。しかし、それで技術者達が技術に専念でき、赤字を回避できるなら、総合的には安いものだ。 それは、マネジメントの価値とコストの比較論である。マネジメントはリーダー職の片手間仕事ではない。とくに海外プロジェクトならば、なおさらである。契約社会でのプロジェクトには、「文系」的な職域に強い人材も、必要なのだ。技術力だけでは勝てない。そのことの認識が、海外に打って出るときの第一歩なのである。
by Tomoichi_Sato
| 2017-07-10 22:32
| プロジェクト・マネジメント
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