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私の名前をドアからはずす時(レオ・バーネットの言葉)

レオ・バーネットという広告会社をご存じだろうか。元はアメリカ・シカゴを発祥の地として、今は世界各国に支社を持っている。

わたしはこの会社のことを、パトリシア・ジョーンズとラリー・カハナー著「世界最強の社訓―ミッション・ステートメントが会社を救うという本の中で知った。この本では主に米国企業が約40社選ばれ、その社訓や経営理念などが、簡単な解説とともに紹介されている。大企業も小企業も、製造業からリテールまでカバーされている中で、レオ・バーネット社だけは、抜群に異色だった。多くの企業が、Mission Statement だとかManagement Policies といったテーマのもと、きれいな言葉を論理的に説明口調で並べているのに対し、この会社だけはひどく直截的だった。いわく、

「われわれの使命は、すぐれた広告をつくることにある。創業者のレオの言葉を借りれば —
 われわれのそもそもの存在意義は、世界中で文句なくベストの広告を作ることにある 。

 すなわち、テーマやアイデアがかぎりなく大胆で、斬新で、魅力的で、ヒューマンで、真実みがあり、焦点がはっきりしていて、思わず見てしまうような広告 。
 長期的には会社の名声を高め、同時に、いますぐ収入をもたらすような広告をつくることにある」

非常に分かりやすい。言葉は少ないが、ぎりぎりまで選び抜かれている。ただ単に、わが社は「ベストな広告」を作る、と言うのは、気楽で簡単だ。だが「世界中で文句なくベスト」の広告、と言い切るのは簡単ではない。良いプロダクトをつくることこそ、自社の存在意義である。そしてこの文章は長期的な視点にも、ビジネスにとって大事なお金を得ることにも、目配りがきいている。

だが彼らは、実際には、どんな仕事ぶりなのか。ためしにネットで調べてみた。下の写真は、Leo Burnett社が英国のマクドナルドのために制作し、賞を受賞した広告である。

なかなか良いと、わたしは思う。広告デザインは、感性に訴えるため、どうしても見る人の好みで判断される。だがハンバーガーショップの宣伝をするのに、商品も見せず、味についても言わず、ファミリー向けの親しみやすさも訴えないのは意外だ。画面は暗く、写真は重い。都会のオフィスで夜更け、ただ一人デスクに向かう人。あるいは、深夜の路上で客に応対するタクシーの運転手。

孤独な彼らに対して、”If you’re awake, we’re awake”(あなたが眠らずにいるとき、わたし達も眠らない)とだけ訴える。それは終夜営業のショップの価値訴求である。あたりまえだが、そこの食べ物はけっして贅沢でも上質でもない。だが開いていて助かった、という一瞬を想起させる。これ以上、知名度を向上させる必要もないハンバーガーチェーンの売上を、深夜枠だけ少しでも上げることにつながる、優れた広告であろう。

創業者のレオ・バーネットは1891年生まれで、まだアメリカが恐慌の余波にあえぐ禁酒法時代の直後に、シカゴに広告会社を作った。経営の才にも恵まれていたと思うが、上に述べたように「良い広告」への強いこだわりを持って、あまり拡大志向をせずに同社を育てた。彼が自社のために作った、有名な標語とポスターがある。それは

『星にむかって手を伸ばせ。
 必ずしもつかまえられるとは限らない。
 だが、泥をつかむことにもならない』

というものだ。また中西部育ちの彼は、顧客を迎える自社の受付に、赤い、良く熟した、甘酸っぱい香りのする、つやのあるリンゴを、いつも鉢に山盛りにしていた。そして訪問者に自由にとって食べてもらう。バーネット社のリンゴは、名物になった。リンゴを商標にした有名なレコード会社やコンピュータメーカーが登場する、ずっと前のことである。

バーネットは1967年に社長をやめて会長職に退く。このとき彼は、引退にあたって有名なスピーチをする。「私の名前をドアからはずす時」というのが、その題だ。いうまでもなく、レオ・バーネット社という社名は、彼自身の名前である。スピーチの最初に、彼は言う。

「君たちの後継者は、私の名前をドアからはずし、自分たちの事を『トゥエイン・ロジャーズ・ソーヤ&フィン』(笑)とか『エイジャックス・アドバタイジング』とか何とか、呼びたくなるかもしれない。」

ちなみに前者はマーク・トゥエインの児童小説の名前のもじりだ。そして彼は続ける。

「もし君たちにとってそれがよければ、私は一向に構わない。だが、私のほうから『どうしても私の名前をドアからはずせ』と要求するのはどういうときかを、話しておきたい。

 それは君たちが広告を作るために費やす時間より、金儲けに費やす時間が多くなったときとか、

 我々の会社を作っている特別な人たち、ライターやアーティストやビジネスのプロフェッショナルたちにとって、広告を作るという純粋な楽しさや心の昂ぶりというものが、お金と同様にとても大切なんだということを忘れたときとか」

そして彼は、以下、会社として危惧すべき状況を一つひとつ、まるで連祷のように述べていく。

「自分の仕事をさらに良くしようとする、絶え間ない努力の意識を君たちが失ったときとか、
(中略)
 もはやあのヘンリー・ソローがいう『良心のある会社』でなくなった時とか、
(中略)
 事務所で最後までたった一人でタイプライターをたたいていたり、デザイン・ボードに向かっていたり、カメラを構えていたり、ブラック・ペンシルで何かを書き付けていたり、夜遅くまでメディア・プランを作っていたりする、そうした孤独な人たちへの尊敬の念を、君たちが失くした時とか、

 我々の会社の今日を作り上げてきた、そうした孤独な人たちへの、深い感謝を忘れたときとか、

 そうした人こそ、より一層の努力をしているから、例え一瞬であろうと熱くて手が届きそうにもない星を、実際につかんだのだ、ということを忘れたときとか。

 ・・こんなとき、私は君たちに、私の名前をドアからはずすよう強く求める。断じて、私の名前をはずしてほしいのだ。たとえ死んだ後でも、私はあの世から甦ってきて(笑)、夜中にオフィスの全てのドアから私の名前を削り取る。

 そしてあの世に戻る前に、私の名前の入った全ての文房具を焼き払い、たぶん、通りすがりにいくつかの広告を破り捨て、忌々しいりんごは全部、エレベーターの穴の中に投げ込んでやる。

 すると次の朝、君たちはもうここがどこかわからない。君たちは別の名前を探さなければならないのだ。」

ここには、仕事というものに対する強い信念がある。それは、良い仕事をするということ自体が、働く労苦に対する最大のリワード(勲し)であり、モーメンタムである、という信念だ。お金という報酬は、その結果でしかない。優れた仕事の次が、お金であって、その逆ではない。

だから彼は、夜更けの事務所で、最後までたった一人でタイプライターをたたいている孤独な人への敬意と感謝を忘れてはならない、と主張する。働く人が、いつでも交換可能な、単なる消耗品になりさがった組織は、もはや自分の名前にはふさわしくないのだ、と。その主張はまさに、上に紹介したマクドナルドの広告に、奇しくも対応しているではないか。レオ・バーネットの魂は、彼が引退した50年の後にも、まだ生きているのだ。

これが、理念の力である。

人々を束ねて率いていくのは、むずかしい。それが創造的な仕事にたずさわる人たちであれば、なおむずかしい。それは権力や、金銭や、おどしや、皆が因循と従っているおかしな行動習慣であってはならない。人を動かすのは、なによりも「世界中で文句なくベストな仕事」をしたいという、自負に満ちた欲求であるべきだ。上司は部下の心の中に、何よりもその気持ちを探して光らせなければならない、と。

だが、そのためには、「何がベストか」についての、確とした理念を持つ必要がある。だから、ともすれば怠惰と徒労に流されがちな日常の中で、わたしもつねに自問自答しなければならないのだ。お前は果たしてベストな仕事をしているのか、と。


<関連エントリ>
 →「企業のミッション・経営理念を日米比較する」(2016-03-27) http://brevis.exblog.jp/24255070/

(注)
レオ・バーネットの引退スピーチの画像は、YouTubeで見ることができる:

またスピーチの日本語訳全文は、ネットでは(誰による翻訳か不明だが)以下のURLで読むことができる。上の文中ではここから一部改変して引用させていただいた:

by Tomoichi_Sato | 2016-10-22 18:12 | ビジネス | Comments(2)
Commented by ynn at 2016-10-24 13:09 x
またもやいい内容、ありがとうございました。
Commented by HR at 2016-10-28 10:22 x
具体的で示唆に富む簡潔な記事を、大いに参考にしている者です。
折しも日本の広告会社で、激務が当たり前の職場環境が問題になっています。

そのニュースに触れた際は「崇高な理念があろうと、このような労働環境は決して許されるものではない」と感じたはずなのに、深夜までの労働や絶え間ない努力に言及しているバーネット氏のスピーチ内容は無批判に受け入れている自分に気が付きました。我ながら説得されやすいものですね。

・高い理想を実現させるため、ハードワークも厭わず力を合わせて進んでいこうというあり方
・心身のダメージに繋がる可能性の高い過酷な労働は許されないという前提

やりがいや感謝というソフトな言葉に頼らず、この二つを矛盾なく両立させる方法が果たして世の中にあるのでしょうか。

「どの程度のハードワークが、結果的にチームの生産性を下げることに繋がるか」ということが理論的に整理され「自らの能力発揮のマネジメントをするべきだ。生産性の下がるほどのハードワークは悪だ」という考え方が市民権を得ることぐらいしか思いつきません。

「自らの能力発揮のマネジメント」という領域は、資格勉強や業務経験といったことによって行われる、年単位、月単位での能力開発がメインに語られていて、「明日、出社後の自らの能力をどう高めるか」という日単位、あるいは時単位のスパンでの能力発揮は、たまにビジネス雑誌で特集が組まれるぐらいの市民権しか現状は得ていないのではと思ってしまいます。
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