英国史上、最も偉大な技術リーダーに学ぶべきこと

イザムバード・ブルーネルIsambard Brunel(1806-1859)の名前をご存じだろうか? 19世紀前半の英国を生きたエンジニアだ。生まれは今から210年前。その時代、英国は産業革命の成功を背景に、猛烈な勢いで勢力を伸ばし、北西ヨーロッパの島国から、世界最大の強国に成長しつつある時代だった。

BBC放送は2002年、「歴史上最も偉大な英国人」100人を選出した。1位はウィンストン・チャーチル。そして第2位がイザムバード・キングダム・ブルーネルだった(日本では「ブルネル」と表記されることも多い)。ちなみに、3位はダイアナ妃、4位がチャールズ・ダーウィン、5位シェークスピア、6位アイザック・ニュートン、7位エリザベス一世・・という具合だ。偉大な科学者や文芸家たちをおさえて、第2位の地位を占めた技術者ブルーネルとは、どんな人物だったのか?

1835年、首都ロンドンと、大西洋に面する英国西海岸の港町ブリストルをつなぐ、「グレート・ウェスタン鉄道」の建設事業が始まる。ブルーネルはその主任技師だった。当時まだ29歳。彼は路線候補地を自分で調査した上で、高低差や急カーブの極力ないルートを選び、さらに走行安定性と乗り心地を保証するため7フィートという広軌の鉄道を設計・建設する。建設ルートの中には世界最長のボックス・トンネルも含まれていたが、見事にこれをやり通す。さらに彼は自ら蒸気機関車の仕様を決めて作らせ、当時世界最高速の時速100kmの走行を実現する。

しかしブルーネルの構想はこれにとどまらなかった。彼は、ブリストル港から米国へ汽船航路をつくり、ロンドンからニューヨークまでをつなぐ、文字通り"Great Western"な輸送実現を考えていた。この当時、まだ蒸気船で大西洋航路を渡った実績はなかったし、船のサイズと必要な石炭や水の量から考えて、そんなことは不可能だと信じる人も多かった。しかし彼は周到な計算の上、船体を大きくする方が相対的に抵抗が少なくなることを示し、世界最大となる72m長の蒸気船「グレート・ウェスタン号」を作る。木造船だったが、骨格を鉄で補強した船だった。蒸気機関には最新鋭の復水器を装備し、高効率と水の消費量の削減を実現。そして1839年、見事に大西洋航路横断に成功するのである。

ただしこの船は、まだ船体の横に外輪をつけたパドル型だった(ペリー総督が乗ってきた黒船のタイプである)。ブルーネルはこの構造を刷新し、1843年には「グレート・ブリテン号」を就航させる。これは98m長、3,400トンの鋼鉄船で、推進力は外輪ではなくプロペラだった。今日の近代船舶の祖型となった船である。これによって、英国は北大西洋航路における独占的な地位を築く。
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ブルーネルはさらに1852年には、210m長・2万2500トンという途方もなく巨大なGreat Easter号をつくる。構造的には二重底や防水隔壁をそなえた画期的なもので、これらの原理は今日の造船工学の常識となっている。この船は客船としては商業的に成功しなかったかわりに、特殊船として大西洋ケーブルの敷設に使われ、これによって欧州と米国は電気通信がはじめて可能となった

ところで今日の英国では、ブルーネルの名声はむしろ橋の設計と建設で記憶されているようだ。これも当時世界最長となった192m長の「クリフトン吊り橋」。ブリストルの西部を流れるエイボン川に架橋されており、今でも現役で使われており観光名所となっている。彼は設計において自重や応力分布を細かく計算し、鋼材の負荷状態を知ることができるようにしていた。

そして1859年完成の「ロイヤルアルバート橋」。機能と形状が美しく調和した設計の橋である。ただし、まだクレーンのないこの時代、河の中央部に設置する橋桁の工事が最大の難関だった。ブルーネルはここで『ニューマチックケーソン工法』を採用する。大きな鉄管を沈めて圧縮空気を送り、中で作業員がセメント等で補強し固定する工法だ。
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彼はまた、英国のクリミア戦争のとき、戦地に赴いたフローレンス・ナイチンゲールの要請に応えて、木造プレハブ工法によりレンキオイ病院をわずか5ヶ月間で建設する。今日の衛生・消毒・換気・室温コントロールの原理をといいれた換気装置付きの画期的建築設計で、感染症を抑えたおかげで、他の野戦病院での死亡率が40%だったのに比べ、この病院はわずか3%にとどまった。

ブルーネルは1959年、わずか53歳で亡くなる。彼は大学を出ておらず、たたき上げだった(父親はフランスに留学させたのだが、国籍の問題で入学を拒否されたのである)。帰国後間もない若い頃、父親と協力してテムズ川の川底を通るテムズ・トンネルの施工に従事する。当時はまだ人力掘削の時代であったが、側壁を支えながら掘削していく一種のシールド工法を用いて建設され、鉱山以外では例をみない新しい方式であった。このトンネルは現在でも地下鉄East London線で使われ続けている。

彼ら親子は自ら先頭に立って工事現場で指揮し、崩落事故で労働者が取り残された時、一人戻って救出にあたったのも、若きブルーネルだった。こうした点も、彼が英国史上10傑も選ばれた理由なのだろう。理論だけでもなく、設計だけでもなく、施工だけでもない。その全てを率先してこなした点に、ブルーネルの偉大さがある。

BBCによる説明からの孫引きになるが、ブルーネルは「エンジニアという、閃きが不可欠であるけれど も、それと同時に投資家や事業家を惹き付け、製造・建設に従事する労働者達の士気を高め、なおかつ安全確保等の観点から細部へのこだわりも持っていなければならないという、困難な職業を完璧なまでにこなした、 バランス感覚に優れたタフな人物だった」。

ここには一つの、完成されたエンジニア像がある。彼は(むろん彼女でもいいけど)、
・発想のひらめき、創造性がある
・事業家や投資家の関心を引きつける
・実際の作業に携わる人々の士気を高められる
・細部へのこだわりと、安全確保の心構えがある
という4本柱が必要なのだ。どれか一つでも欠けると、大きな仕事はできない。

世の中には技術者が尊敬される国、尊敬されない国がある。たとえば、フランスではエンジニアの地位が高い。これは歴史的な理由により、工学部がグランゼコールとよばれるエリート大学に設置されてきたかららしい。ドイツやイタリアでも、マイスター制度などの職人手仕事への敬意と、長い科学研究の伝統があって、それなりのようである。逆にわたしはずっと、英国ではエンジニアは中流階級の仕事であり、地位はあまり高くないと思い込んでいた。しかしBBCのランキングを見ると、間違いだったようだ。かの国でもちゃんと、優れた仕事をした技術者は評価されるのだ。

正直にいうと、わたしがブルーネルの名前を知ったのはつい3年ほど前のことだった。アルジェリアのテロ事件で亡くなった、故・新谷正法氏(前副社長)が社内で行った、安全に関する短い講演資料で知ったのだ。その内容は、「ハイボールと、本質的安全設計の教え」(2014-01-19)で紹介したとおりだ。じつは、飲料「ハイボール」の語源となったあのボール信号機は、ブルーネルがグレートウェスタン鉄道で採用した工夫の一つだった。シンプルだが、故障すると安全側に動き、本質的に安全な設計である。ああしたところに、傑出した技術者の精神が現れるのだ。

では日本で同じようなランキングを作ったら、上位に入る技術者はいるだろうか? あなたは誰の名前を書くだろうか。島安次郎? 本田宗一郎? 技術者は芸術家と違って、個人で名前を残すつもりで仕事をしているのではない。つくったものが、長く人々に使われることが、技術者には一番の幸せなのだ。石碑や銅像を建ててほしくて働くのではない。そしてもちろん、管理職として大企業で出世するか、さもなくば起業家になってIPOで金持ちになる事が、エンジニアとしての理想像だという今日の通念も、間違っているとわたしは思う。しかし、偉大な仕事をした人は、わたし達の社会にもたくさんいたはずだ。では、わたし達はなぜ、彼らの名前や、業績や、その理想と心意気を知らないのだろうか。

傑出した鉄道技術を表彰するために、1985年に「ブルネル賞」が創立された。だが、ブルーネルは、機械工学の仕事も、土木工学の仕事も、建築の仕事もやった。そして、どれも傑出していた。彼は何か一つの専門分野に立てこもった「専門家」ではない。科学研究の世界は、どんどん専門分化していく傾向にある。だが、技術は総合化していく必要がある。とくに「大きい仕事」「先端的な仕事」をしたければ、隣接する多くの技術を束ねていく力=インテグレーション能力がなくてはならない。
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(ブルーネルの設計によるパディントン駅)

それと同時に、エンジニアは技術の歴史を学ぶべきである。技術は単体では生まれてこない。社会のニーズ、周辺を支える別の技術、最新の科学法則、そして事業を支える経済力など。こうした文脈をすべて見通した上で、はじめて優れた仕事が生まれるのである。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、という金言がある。ならば、わたし達も、広く技術の歴史を学ぶべきではないか?


<関連エントリ>
 (なお、写真3点はいずれもWikipedia英語版からの引用による)

by Tomoichi_Sato | 2016-08-28 18:18 | ビジネス | Comments(0)
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